« ベトナム「南部解放」39周年祝日 | メイン | JASSベトナム事務所HP作成打ち合わせ »

2014年05月01日

終日横になっている

今日はメーデー。祝日

午前中、晴れ。

午後、小雨から豪雨。


午前10時起床。

支援者に頂いた「ラーメン」を食べる。
野菜など具材がないので、素材のみ使用。

「ぬか床」をかき回し酸素を入れる。
少しずつ水を増やす。昆布などを追加。
明日、日本人が来るのでの「煮干」を
頼んでおいた。

メールの受信・送信。

掃除。洗濯


夕方まで横になり、読書。

読書「中国民主改革派の主張ー中国共産党私史」
李鋭著(岩波新書)

現在の改革解放路線を主導した一人が
著者。文化大革命をどのように清算したのか?
文革で3000万人が亡くなったと本書に記されている。
4人組、文革推進派、その後、更に鄧小平の
胡耀邦総書記などの切捨て、「天安門事件」への
経過などが詳細に書かれている。
1989年の天安門事件当時の中国は、現在の
ような経済至上主義路線を「右派修正主義路線」
として排撃する空気ももあった。
現在の中国は、どんな方向に行くのか
胡耀邦総書記など「天安門事件」前後に
抹殺された指導者の主張は、「人権と法治主義」だった。
現在の中国が、天安門事件以後、経済一辺倒に傾斜し、
人権と法治主義は文字通り「放置」されてきている。
胡耀邦総書記など中国改革派の総括と主張は、
中国共産党の歴史は、「皇帝専制」が中国共産党
毛沢東の専制に代わっただけだとの認識を持っていた。

再度、「ぬか床」をかき回す。

明日から「食べるための野菜」を入れても
大丈夫な状況と見た。

美味しい「ぬか漬け」をつまみに
一杯飲みたい。

午後5時、ご飯を1合炊く。

麦製炭酸飲料と最後の「くさや」で軽く
メーデーを祝う。

私がメーデーに始めて参加したのは、
高校生の時だった。
20歳代、30歳代、40代前半までは
全ての東京中央メーデーに参加した。
新宿コースが多かったので、デモの解散地点
新宿で、職場の仲間とビヤガーデンに行ったことが
楽しい思い出として、今でも私の心の隅に残って
いる。楽しい時代だった。
今はメーデーも3つに分裂してしまった。

連合のメーデーは「お祭り」と化し、資本家・首相など
権力の中枢が参加する「労働者」のお祭りとなった。
労使一体もここまで来てしまったのか?と感慨深い。

午後8時、
支援者から頂いた味噌漬け」とインスタント味噌汁で
1合の4分の1のご飯を食す。

======
安部内閣の「ODA]の軍事活用に反対する。

ODA(政府開発援助)は、民生の安定などを
中心とした日本政府の国際支援である。

JASSも「子どもの家」の建物建築支援、
障害児開発支援などのプロジェクトに
支援金を頂き、ストリートチルドレンや貧しい
家庭の子弟、障害児の発見・支援・手術活動などを
ODAを使って支援を行って来た。

地元のフエ省・フエ市も「福祉・教育」に関する
支援に十分な理解をもち、協力してプロジェクトを
推進し、大きな成果を挙げている。

安部首相になり、ODAを東アジア諸国への
「中国の侵略」に対応する事実上の「軍事支援的」
な支援に移行させつつある。巡視船の支援など
中国の他国への海洋進出、他国の島などへの
侵略行為を阻止するための「支援」にODAを
使い始めた。安部政権のODA活用路線は
ODAの「軍事活用路線」に傾斜している。

ODAは飽くまで「民生の安定」という基本方針が
あるからこそ、被支援国や国際社会で歓迎されているの
である。

安部政権のODA「軍事傾斜」路線は、日本の支援が
政治的・軍事的な一方への支援とみなされ、
今までのODAの「福祉教育・民生安定」支援から
大きく逸脱してしまう。

安部内閣のODAの「軍事化利用路線」は、結局日本の
海外ボランティアが、戦争と争いの一方への支援の手先
となりかねない。安部首相は海外支援・海外ボランティア
で活動している民間のボランティア活動に一層の危険な
問題を投げかける危険な政権である。

投稿者 koyama : 2014年05月01日 20:24

コメント