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2013年07月31日
新しいホテルで朝食バイキング;内田さん・税田さん帰国へ
午前6時起床。
午前7時15分、電動バイクで新しく出来たホテルへ。
内田さん・ソン君・税田さん・私でバイキング朝食。
新しく出来たホテルのバイキング朝食の視察。
日本人男性3人(T君・J君・I君)は、発熱、咽頭痛
等で昨日から仕事を休んでいる。
せっかくの朝食バイキングだったが、今日フエを発つ
内田さんと税田さん、そしてソン君で「試食」をする。
偶然、ブライセンベトナム責任者のKさんが
同じホテルに投宿。朝食が一緒になる。
同席し、楽しく話しながら朝食を摂る。
内田さん(明後日)、税田さん(明日:2週間法事)の
無事な帰国を祈っている。
朝食後、内田さん・税田さんの投宿している
「バオミン・ホテルへ。
税田さんが、内田さんとの別れを悲しみ
落涙状態。
日本語教師のT先生・J先生とベトナム語学習の
I君の3人が「枕を並べて」発熱で病臥状態となる。
T先生の部屋に様子を見に行く。やはり熱が
あり、少し苦しそう。
出来るだけ安静にし、食事をしっかり摂るように
話す。
内田さんが、ベトナム事務所へ日本帰国の
お別れの挨拶へ。
バーベキュー大会、像の滝、各種食事等へ
お誘い頂き、ベトナム事務所員一同感謝。
ベトナム事務所一同「お礼の言葉」
バオミンさんベトナム事務所運営委員長が、
ベトナム事務所を代表して「お礼の言葉」
『又来年も宜しくお願いします。』と来年の
約束を取り付けるなど、さすがに
ベトナム事務所勤務歴10数年のベテラン
ならではの「狡猾な交渉・外交テクニック」
ではある。
その後、リー君をベトナム事務所に呼び、臨時の
日本料理店スタッフ採用の話をし、リー君も
受諾。3週間の臨時採用を決定。
8月は、3つの大きなスタディーツアーが
来訪する。現在、日本料理店は、
3人の「子どもの家」の子どもたちで
運営している。しかし、毎日、10数人の
来客(欧米系)もあり、それに加え、
8月には、3つの大きなスタディーツアーがる。
現在の日本料理店の布陣では、対応不可能。
そこで、臨時にリー元日本料理店長を雇用する
こととなった。
私の方で雇用にあたりいくつかの注意をする。
①接客係りをするので衣類は、常に清潔な
ものを着る事。間違ってもすれ違い様に
異臭を放つような衣類は着ないように。
②雇用期間中の「ギャンブル」は絶対に禁止。
③1日の日当を00000ドンとする
リー君も同意し、8月5日~24日まで
日本料理店で再度勤務することが決定した。
2010年4月17日(日)午前10時に
「こんな給料の安い日本料理店などで
仕事が出来るか・・・・」との啖呵を切って
日本料理店を辞めて行ってから3年3ヶ月
程が経過している。当時、種々の事情が
あり、日本料理店を飛び出していったが、
今回は3週間程の臨時採用とはいえ、
再び、JASSグループに戻ってくることに
なったことは嬉しいことである。
午後12時半、宿舎へ帰る。
料理のセンさんが作っておいてくれた
「マカロニスープ」を3分の1程食す。
食欲なし。
1時間ほど昼寝。非常に蒸し暑い。
午後3時、日本料理店で日本料理店会議。
8月のスタディーツアー・超繁忙期間中の日本料理店
の対応について、子どもたちと協議する。
リー君の「3週間期限付き臨時採用」「接客主任の
グエットさんの厨房入り」などの提案を行う。
子どもたちと話しあう。子どもたちも同意しい
8月5日から3週間、リー君が接客担当、
グエットさん・ヒエウさん・ピエップ君が厨房
と分担を確認する。
子どもたちからの意見・問題点などを
出してもらう。
スタディーツアーなどの献立について
3人の日本料理店スタッフから意見あり。
積極的な改善策なので、受け入れる。
ガスコンロの調子が悪いので直して欲しい
との要望。バオミンさん・税田さんと相談し、
既に長年使っているので、安全を考え
新しいガスコンロを買うことにする。
大型冷蔵庫も調子が悪いという。これは、修理を
頼み、もうしばらくは使うようにする。
3人の日本料理店スタッフから「困っていることや
直して欲しいこと・自分の意見」などを出してもらう。
午後4時過ぎ閉会。
税田さんが、2週間弱の日本帰国のため
ダナン空港へ。(お父さんの法事;黙祷)
一時宿舎へ帰宅。体がだるいので横になる。
若い日本人男性スタッフ3人が「風邪のような症状
」でダウンしている。大病にならないように時間を
かけて養生して欲しい。くれぐれも無理をしない
ようにして欲しい。
夕方、日本料理店で「おにぎり」など3人の
若者男性用の夕食を作り、澤井先生に
バオミン・ホテルへ持って行ってもらった。
午後6時、日本料理店へ。
午後9時半までに5人の来客あり。
日本人2人、ベトナム人1人、欧米2人。
ピエウさん・ヒエップ君で調理。
時々、グエットさんも調理を手伝う。
6枚の大きな紙一杯に「福島支援・脱原発」の
世界中から来た来客からのメッセージが
書かれている。
午後9時40分「閉店」。
今日は長い1日だった。
内田さん・税田さんの無事日本への帰国を祈る。
2013年07月30日
当面の仕事;日本料理店
午前6時起床
午前7時、朝食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉等の手打ちうどん)
午前中、午後と宿舎でいくつかの仕事を
遂行する。
先日結婚式を挙げた「子どもの家」卒業生NHIさんの
里親の方へ結婚式の写真とお礼状を書き
送る。
バオミンさんは、ブライセンの仕事でダナンへ。
読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
芸者の発生と歴史を知る。
白拍子から・・・・。西では芸子、東は芸者。
江戸では、辰巳芸者と廓芸者などがあり、
時代ともにその役割りも変化していている。
廓の歴史を読むと、男色と歌舞伎問題が
基調にあることが分かる。
戦国時代から江戸初期(慶長・・)位までの
大名は「男色」を好んでいた。
午後6時まで日本料理店へ。
今日は、富岡先生の体調が悪いようで
日本料理店を休む。
午後6時から午後10時まで16人の来客あり。
アメリカ人、フランス人、ドイツ人、日本人・・・・。
厨房は、新婚予定のヒエウさんと新人見習いの
ヒエップ君の二人だけ。
16人の来客の対応には、大童。
少しずつ日本料理店に慣れて来たヒエップ君。
現在は、大きな即戦力である。
午後6時ごろからリー君は、日本料理店前の
飲み屋でうろうろしていた。
午後8時頃、日本料理店にやってきた。
日本料理店の様子を見て、心配しながら
チョロチョロしていた。
午後9時過ぎて更に欧米系の来客あり。
お寿司や太巻き、てんぷらなどを注文する。
店内では、16人の注文を一人でこなしていた
グエットさん。英語もきちんと聞き取れ、返答も
出来ていた。成長した。
午後10時、最後のお客さんが帰り、閉店の片付け。
調理2人では、16人のお客さんの食事を作るのは
無理だ。相当の時間、お客さんを待たせた。
これは子どもたちの責任ではなく、日本料理店
運営担当者の私の責任。
何とか、改善したいと決意し、帰宅した。
2013年07月29日
ベトナム事務所で打ち合わせ
うす曇 湿度高し
9月20日 フエ空港再開
午前7時朝食。
「ブンボー」(牛肉米麺)
この数日、右の奥歯(使用可能な方)が
ズキズキ痛む。困ったものだ。
インプラント手術の反対側の「食事用」の歯が
痛くて使えなくなりつつある。少し硬いものが
噛めなくなった。
午前8時半過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと8月・9月・10月
のスタディーツアーやベトナム事務所の日程を
詳細に分析し、必要な対策を立てる。
午前11時半まで。この期間は、様々な来訪者が
あり、その対応・対策が必要。
午後12時過ぎ、宿舎へ帰る。
食事のセンさんの昼食作りは事前に
断っておいた。
パンと牛乳を食す。
午後1時間ほど昼寝。
読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
本文の半分ほどは、江戸時代の「古文」
(井原西鶴・・・・・)なので、読みこなすのが
結構大変だ。
江戸時代の公娼は、新吉原だけ。
それ以外の品川・新宿・板橋・千住(四宿)
は法律上は、「旅館」。従って女性は
「飯盛り女」ということになり、法制上は
私娼。
上記四宿以外にも10数箇所に私娼でるが、
事実上の公娼の場があったと記されている。
吉原の女性の身分・階級制度などが細かく
説明されている。
吉原で遊ぶ場合の「手順」・・・・。
茶屋精度・・・・・
改めて部屋のカレンダーの8月を見ると
全ての日にちが赤いマジックで日程が書かれている。
8月・9月中旬位までは、たくさんの来訪者の方々ある。
有難いことである。
ベトナム事務所へのメールアドレスが変更された。
ダナンのプロバイダーが勝手に「パスワード」を
変えてしまう。こんなことが日常茶飯事として
行われいる人民の国なのである。
ということで、新しいベトナム事務所メールアドレスを
作った。
バンベー最新号に新メールアドレスが掲載されている。
2013年07月28日
ブライセン「KHANH(カイン)君」結婚披露宴:すっぽん料理屋
午前7時起床。
午前8時、昨日税田さんからもらった「パン」と
ヨーグルト、昨日の残りの「生野菜」で朝食とする。
食欲なし。
午前中、部屋の整理。仕事関係の文章の整理。
8月・9月のJASSの日程・課題整理。
私の関係する8月9月の仕事の整理・確認。
午前11時、バオミンさんから電話。
ブライセンカン君の結婚披露宴が始まるとのこと。
午前11時半集合と思っていた。急いで着替え、
電動バイクでズイタンホテルの結婚披露宴会場へ。
午前11時半、ブライセン・カイン君(26歳)の
結婚披露宴が始まる。
披露宴会場に入るとブライセン本社ベトナム担当
K部長が和服で出席。隣のチュン君・ホア君は
「子どもの家」・在宅支援で成長した二人。
ベトナム事務所参加者
バオミン・JASSベトナム運営委員長も列席
席の前を見ると一人「変なの」が闖入。
ブライセンには、縁もゆかりもない「リー君」。
神出鬼没・図々し学校卒業生だ。
ブライセンベトナム支社員
女性ブライセンベトナム支社員も参加。
(ベトナム事務所日本語教師・こんばんは先生も)
ブライセンベトナム支社員
披露宴舞台では、新郎新婦のご両親を
司会者が紹介。
恒例の「ワイン流し」
新婦両親と新郎新婦
7月23日に結婚した「ANH(アン)さん」も参加。
ANHさん、「結婚披露宴ではお世話になりました」
との言葉あり。
ブライセンベトナム支社員と
新郎新婦の挨拶。
会場は約500人の列席者。音楽で話し声が
聞こえないほどの「騒擾状態・・・・」。
私は夕方以降の「諸事情」を考え、水を少しのみ、
一切の食事をしなかった。
リー君闖入後「ハイピッチ」でビールを飲み続ける。
相当『メートルが上がっている』。
私とミンさんは、この1週間強の間に「4回」の結婚
披露宴に出た。
延々と続く騒音状態のカラオケ大会の中で
列席者は、黙々と(話し声が聞こえない程の
騒音)食事をする。
JASSベトナム事務所のホープ「富岡先生」が
ベトナム語でカラオケを披露。
司会者が「日本人」と紹介していたので、参加者は
どのように歌うのか「聞き耳」を立てていた。
富岡先生の歌が最高潮に盛り上がった時、
突然「リー君」が舞台に上がってしまった。
相当、酔っ払っている。宴会大好き人間だ。
その後、リー君は「海鮮鍋」を食べ、またビールを飲み
「この世の天国」気分を味わっていた。
リー君はいつのまにか「ブライセンベトナム支社員」
に成りすましていた。「図々し学校卒業生」(8代目
桂文楽のおはこのことば)
2時間強の披露宴は終了。午後1時半過ぎ
電動バイクで宿舎へ戻り、横になり「読書」
読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
吉原に登楼する際の「手続き」を詳細に
記述している。
午後4時20分、内田さん・ソン君家族、
税田さん、石井君で「スッポン料理屋」へ。
ブライセン「カン君」の結婚式に出なかった
面々で夕食会。
着くまで20分。天安山中腹にある「スッポン料理店」
へ。
スッポンの揚げ焼きなどを注文する。
スッポンの血と胆汁も頼む。
午後7時過ぎまで晩餐会
ソン君・メンさんのお子さんも成長し元気。
聡明な子に育っている。
午後8時半前に閉会。
午後8時40分ごろ、宿舎着。
宿舎でメール受信・返信。いくつかの
仕事をする。
2013年07月27日
内田さんたちと「カメリアホテル」朝食バイキング
終日 うす曇 湿度高し
午前6時半起床。昨日の像の滝で多少疲れが
出る。
午前7時15分、電動バイクで「カメリアホテル」へ。
途中、警察前でリー君がオートバイの警備員を
していた。
午前7時半、カメリアホテル着。
既に内田さん・ソン君・日本人が来ていた。
カメリアホテルの最上階のレストランで
朝食バイキング。
久し振りに落ち着いて、「遠い下界」を
見て、皆さんと話しながらの朝食となった。
日本語の先生たち
内田さん税田さん、私。撮影はソン君。
私の朝食。
2時間半程、色々な話をして食事を楽しんだ。
カメリアホテルの朝食バイキングは
一人85000ドン(450円)。
ここの朝食ビュッフェは、美味しい。今日は
手作りの「ヨーグルト」もあった、チーズ、ハム、
生野菜などもかなり豊富にある。
その後、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと「夏のスタディーツアー」
日程の再調整を行う。
前回確定した日程以降に更に新しい日程などが
追加された。
8月15日から末までに50人程のスタディーツアー
で来訪されうる方がある、
現在のベトナム事務所の力を総動員して、
来訪者の皆さんが満足するような受け入れ態勢を
作りたいとの気持ちをバオミン運営委員長は
持っている。
バオミンさん・税田さん・私で長時間、細部にわたり
打ち合わせをする。
午後12時過ぎ、帰宅。
洗濯
その後1時間ほど昼寝。
読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
花柳界の様々な仕来たりなども
大阪・京都と江戸では大分違う。
昨夜書いた火炎樹日記の誤字脱字を
訂正する。
いくつかのメールを受信。返信。
2013年07月26日
「子どもの家」像の滝へ
午前6時起床。蒸し暑い。
午前7時朝食「フオー・ガー」(鶏肉入り米麺)
午前7時40分、電動バイクでベトナム事務所へ。
今日は、バーベキュー大会主催者の一人内田さん
主催のこれも恒例の「像の滝」遊び。
ベトナム事務所員はベトナム事務所へ結集し
車で「子どもの家」へ。
今日は天気晴朗波低しである。
像の滝遊びには、最適な日和。
午前8時30分。「子どもの家」では既に
像の滝行きの準備万端完了。
大型マイクロバスも到着し、ロック寮長の
「像の滝行き諸注意」を聞く。
「子どもの家」の子どもたちは1年に1回の楽しみ。
フエの学校にはプールがないので、泳げない
子どもたちも結構多い。
ベトナム事務所では、0000委員長以外は
皆さん泳げる。
子どもたちは、既に像の滝で泳いでいる
気持ちになっている。
ベトナム事務所員・日本料理店スタッフも
参加。
水泳が一番得意のバオミンさんをはじめ、
ベトナム事務所の皆さんも「行く気、満々。
盛り上がっている。
いよいよ出発。マイクロバスに乗り、1時間半
ばかりの行程中、子どもたち同士・兄弟であり
色々な話をしながら、像の滝を目指す。
午前11時前、像の滝に到着。バスに慣れていない
子どもたちにとっては、「疲れた」ことと思う。
いつも子どもたちと泳いでいるロック寮長。
数少ない男子諸君。
1993年10月から「子どもの家」で一緒だった
タン君。(チーラン通りの子どもの家から一緒)
隣りは、フエ観光大学2年生になるNさん。
医師のタム先生の指導で像の滝水泳は開始された。
ロック寮長奮闘す。
普段あまり見せない子どもたちの「満面の笑み」
が素晴らしい。
大きな岩の上で一休み
しばらく泳ぎ「おやつ・昼食タイム」
先生と子どもたちが協力して50人分ほどの
昼食・おやつを準備する
セン「子どもの家」委員長もおやつ作りに参加。
(元解放戦線の女性戦士::生死をかけて
ベトナム戦争中は、フエ大法学部の共産党員の
学生として、ゲリラ闘争を闘った)
ハム・野菜入りのフランスパン
中華風「おこわ」
フエの伝統料理
大学生の年齢の子どもたち。みな、兄弟。
数少なくなった男子陣の期待の星の3人組
内田さんのご支援でで実現した「像の滝」遊び。
その具体化の最高責任者のバオミンさん
バオミンさんはベトナム事務所では水泳の「迷人」
である。
おやつ・昼食を待つ子どもたち
昼食を楽しんでいる日本料理店のHIEP君
子どもたちスタッフもほんのちょっと「喉を潤す」
日本人スタッフも「子どもの家」の子どもたちの
安全監視係りを勤めてくれた。
「子どもの家」創立時からスタッフをしてくれている
ニエムさんたちと一緒に昼食・おやつを
水で泳いだり、遊んだので子どもたちの食欲は
旺盛だ。
水遊びをし、昼食を終えて、子どもたちは
満足している。
午後2時半過ぎ、像の滝での行事を終わり帰途へ。
午後5時前に「子どもの家」へ到着。
子どもたちも少し疲れた様子。
「子どもの家」には、卒業生のフン君が遊びに来ていた。
その後、一部の「保安要員スタッフ」を残し、
フエで有名な海産物レストランへ。
像の滝行事の成功を祝って、ベトナム事務所員・
「子どもの家」スタッフ合同「反省会」を行う。
最初にバオミンさんの誕生日を祝う。
内田さんから手渡しで00歳の誕生ケーキを
贈呈。
バオミンさんからお礼のことば。
「今年で00歳の大台に乗った。これからも皆さんと
協力して子どもたちのために頑張って行きたい。
宜しくお願いします。」
海鮮レストランからもバオミンさんの誕生を祝い
花輪が送られる。
直ぐに乾杯に入り、大反省会が始まる。
「子どもの家」スタッフ
フエの特産「子持ちカニ」
「子どもの家」卒業生同士の結婚第1号のソン君・メンさん
とお子さんのバオ君。二人ともお父さん・お母さんの
雰囲気が漂ってきた。
〆はお店名物の「おかゆ」
午後8時半頃、解散となる。
長い一日だったが、「子どもの家」の子どもたち
が大満足したこと、「子どもの家」・ベトナム事務所
スタッフも楽しい1日を過ごせたことで大成功だと
思っている。
子どもたち・スタッフ全員が強い絆で結ばれたことなど
今日の「像の滝」ツアーは大きな意義があった。
「子どもの家」スタッフ、ベトナム事務所スタッフ、
そして寄贈者の内田さんに心から感謝したい。
2013年07月25日
バオミンさん誕生会;結婚式:内田さん夕食会
快晴
午前6時起床。
午前7時朝食。「カニ団子入りブン麺」
食事、いくつかの受信メールに返信。
昨日の17回目のベーベキュー大会を
改めて総括する。
結論的に言えば、「ひとつのことを続ける」ことに
使うエネルギーは、『1×17=17』
「1の17倍」ではなく「1×17の二乗倍」ほどの
エネルギーを使うことが分かる。
つまりは、「1×17×17=289」。
長く続ければる続けるほど、大変なものだと
いうことである。
一口に17回といえばそれまでだが、生まれた子どもが
17歳になるまで続けているということだ。
口でどんな立派なお説を唱えようと「17回」という
行動とエネルギーの持続性」には、頭が上がらない。
バーベキュー大会寄贈者の4人の方々の中に
どんなエネルギーが潜んでいるのか? 何が
17回ものバーベキュー大会を続けさせたのかを
知りたい。大変な金額の寄贈がある、お金と
エネルギーを使ってのバーベキュー大会に感謝
している。子どもたちは、いつのまにか「恒例の
バーベキュー大会」と思っている。
===
午前9時前ベトナム事務所。
明日は、バオミンさんの40回目の誕生日。
しかし、明日は、「子どもの家」の子どもたちと
ベトナム事務所員全員が「像の滝」に行き、
夏休みのひと時を過ごす。
「1日前倒しで、バオミン運営委員長」の
誕生会を開催する。
初めにベトナム事務所でベトナム語を
学習している石井君からベトナム事務所員
全員を代表して、バオミンさんへ誕生祝いの
寄せ書きを送る。
ベトナム事務所員の寄せ書き
澤井先生より「ミートパイ」を贈呈
その後、ベトナム事務所会議室で2時間程
ベトナム事務所員・内田さんたちと懇談。
午前11時半、バオミンさんと一緒にベトナム事務所を
出て、事務所付近の「センチュリーホテル」での
結婚式に参列。
フエ市共産党委員長ユンさんの娘さんの
結婚式。娘さんは、フランスの大学留学中に
同じく留学していたベトナム人男性と知り合い
今日、結婚式を迎える段取りとなった。
新郎 LONG HUNG(龍興)さん
新婦 KIM MINH(金 明)さん
フエ市共産党委員長の娘さんの結婚式とあって
800人もの列席者があり、大きな会場は満席。
ベトナムの結婚式は、席順も何もない。
来たもの順に好きな席に座る。
800人の参列者となると1回で全員の写真は撮れない。
4回ほどに分割しても難しかった。
開会 歓迎の歌や踊りがあり宴会を盛り上げる
8人ほどの子どもたちの先導で新郎新婦入場
挨拶もない実に質素な披露宴開会だった。
新郎新婦のワインの注入式のみ。
ワイン注入式が終わると「花火」が破裂し、結婚披露は
終了。
その間10分ほど。直ぐ20人ほどのスタッフが
料理を持ち込む。実に手早い。
今日の披露宴の食事は6種類
① イカのサラダ
② 海老と蓮のみのスープ
③ 甘酢海老のサラダ
④ 鶏の姿焼きとパン
⑤ 肉とキュリー入りのベトナム風チャーハン
⑥ デザート アメリカ ぶどう
私たちのテーブルに挨拶に来た ユン夫妻と
新郎新婦
全てのテーブルへの挨拶は人数が多くて困難。
元フエ市共産党人事部長トアンさん。
今日の結婚披露宴は、参加者数は多いが
内容は実に「シンプル」。料理も普通程度。
カラオケも数人。
午前11時半から始まり、り午後12時半までの
1時間で全て終了した。実に合理的な披露宴だ。
私が20年前にフエ市に来た頃のフエ市長の
アン氏。現在は退職している。
新婦の父親であるフエ市共産党委員長のユン氏
たった1時間の披露宴だった。
大音響もない。楽器はピアノ1台。どこかの
子どもたちが10分ほど何曲か児童用の曲を演奏
しただけ。
人数は多かったが、実に洗練された披露宴だった。
午後12時過ぎには、披露宴会場を出た。
午後1時宿舎へ到着。
1時間ほど昼寝。
その後、いくつかの仕事をする。
メールの受信・送信。いくつかのスタディーツアーの
日程等を再度見直し、全体的にスタディーツアー
がうまく進むかどうかを「シュミレーション」する。
読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
大阪と江戸の花柳界を江戸時代の人が
比較した文章があった。
『江戸にては金の数も定まらず、素直にして
ねぎるということもなく・・・・・・・・」
→江戸の人は、廓の「言い値」で登楼し、
大阪は、登楼する前に「値切り交渉」をする、
ということ。
午後6時前宿舎を出て、日本料理店へ。
今夜は、内田さんとソン・メン・バオ家族との
会食会。
ソン君・メンさん・子どものバオ君・内田さん
私で会食。
お母さんのメンさんもすっかり「おかあさん」
らしくなっていた。
おばあちゃんの内田さんの膝に乗って遊ぶ
「孫」のバオ君。聡明そうな顔つきである。
内田さんは暑い夏に17回フエに来ている。
このエネルギーはどこにあるのか?
ベトナム生まれだからか?
今夜の日本料理店の夕食にハンバーグを
注文したことで全ての疑問が氷解した。
私など「豆腐」などを食べたいのだが・・・。
「肉食系女子高齢者」という新人種が現れた
といえる。
今日は16人の来客あり。
途中でソン君一家は退席。
税田さんを交えて内田さんと3人で「人生いろいろ」
を合唱した。
午後10時過ぎ閉店。
明日は、朝から子どもたちと「像の滝」での
体験を楽しむ。
2013年07月24日
チャオ・バン・カンを食べに:第17回「子どもの家」バーベキュー大会
午前6時起床。
午前7時朝食。「ブンボー」(牛肉米麺)
牛肉を小さく切ってもらった。
食後、横になり読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
私は毎晩寝る時には、寝物語に落語を聞いている。
大体は、8代目「桂文楽」や「古今亭志ん朝」の
「明烏(あけがらす)」を聞いているうちに寝込んでしまう。
これは、大手の商家の息子が、吉原に初めて連れて
行かれる場面を描いたものだが、この話を本当に理解
するためには、既に死語となった言葉の理解が必要。
「太夫」「なか」「なか店」「おいらん」「格子」「大門」・・・
本書は、江戸時代の京都・大阪・江戸の3大都市に
おける花柳界の歴史と当時の様子を詳しく紹介
している。
廓(くるわ)の発祥は「古都京都」であり、その中心は
島原。島原は今の京都の下京区あたりに出来た
大きな廓が、当時大問題になっていた島原の乱の
頃に出来たので、通称「島原」というようになった。
仮名手本忠臣蔵などでも「大星ゆらのすけ」が、
島原で遊ぶ場面が出てくる。
当時、日本最大の遊郭は京都であり、島原だった。
しかし、手工業中心の都市。経済的には遅れていた。
徐々に「大阪」が中心になり、その大阪の中心が
「新町」。更に江戸にも「吉原」に遊郭が移転され
江戸と大阪の遊郭が勢力を誇ったとされている。
午前10時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所ではフエ外国語大学日本語学科の
学生さんが、フーン日本語部長の指導の下に
研修を行っていた。
ベトナム事務所応接室でしばらく内田さんやメンさん
石井君たちと懇談。
午前11時、ベトナム事務所員全員で
「チャオ・バイン・カイン」(手打ちうどん)の
「待つ店」へ。
バオミンさんの麺。・唐辛子で真っ赤。
何故か? ベトナム事務所員でもないリー君も
仲間に入っていた。
午後12時過ぎ、帰宅。
しばらく昼寝。
午後3時半、電動バイクでベトナム事務所へ。
ベトナム事務所には、ソン君・メンさんのお子さん
BAO君が遊びに来ていた。
日本料理店では、「餃子」の仕込みをしていた。
ベトナム事務所員の皆さん・内田さんと一緒に
「子どもの家」へ。
今日は、「子どもの家」の「バーベキュー大会」
今年で17回目になる。17年間も続く「伝統」の
バーベキュー大会。高橋さん・柳沢さん・景山さん・
内田の4人の方々の寄贈で行われている。
人間はちょっと思いつき、1度や2度は出来ても
17年間もひとつのことを続けるということは、
固い信念をもっているか、子どもたちへの愛情、
弱い人間の共感の気持ちをお持ちの皆さんだと
思う。改めて4人の皆さんにお礼を申し上げたい。
既に大きなポリバケツに氷と缶ジュースなどが
大量に用意されていた。
作りたての美味しい「フランスパン」
炭火バーベキュー用の炭
スタッフや石井君で重たいポリバケツを
運ぶ
炭をおこし始める
「子どもの家」で黒犬を飼っているようだ。
寮母さんと子どもたちが一緒になって
焼肉(豚・牛・鶏)の準備
幼稚園の先生を目指しているターオさん
フエ医科大学1年生。頑張って勉強をしている。
フエ科学大学付属高校という超難関高校に
入学した。
内田さんも準備に余念がない。
20年の付き合いのロック寮長
フエ芸大5年を卒業するフック君。
肉が焼けてきた。
「バーベキュー大会」寄贈の景山さん・柳沢さん
内田さん・高橋さんを代表して内田さんが
開会の挨拶
フエ師範大学生物学科を卒業するターオさん。
中学・高校の生物の先生をめざしている。
1993年10月に作った「チーラン通り子どもの家」
から20年間「子どもの家」にいるタン君。
ターオ・チャウ姉妹
警備員さんやスタッフ
セン「子どもの家」運営委員長・内田さん・ロアン刺繍の
先生
午後6時半、バーベキュー大会終了。
その後、フエ市内のベトナム料理店で
バーベキュー大会反省を盛大に行う。
なぜか知らねど、リー君が反省会に闖入。
バーベキュー大会主催者の景山さん・柳沢さん
高橋さんを代表して内田さんも参加。
豚肉の「にこごり」は美味しい。
午後9時前、反省会を終了。18本のビールを飲む。
日本料理店前に電動バイクを置いたので取りに行く。
リー君がオートバイに乗せてくれる。
幸いリー君は飲んでいなので、安心して後ろに
乗せてもらった。
午後9時半。宿谷へ帰還。
2013年07月23日
ベトナム事務所員ANH(アン)さん結婚式
午前5時半起床。
午前中。うす曇り。
30分ほど読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)
午前7時朝食。
「チャオ・バンカン」(小麦粉の手打ちうどん)
午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
昨夜、JASS東京の会の内田さんがフエへ到着。
午前8時半、内田さんベトナム事務所へ。
ベトナム事務所を代表して、内田さんから
富岡先生・ソン君が事務所員へのお土産を頂く。
私にも「歯によさそうな」お土産を頂く。感謝。
その後、内田さんと「バーベキュー大祭」などの
打ち合わせ。明日行われる恒例の「子どもの家」
バーベキュー大会は、日本の柳沢さん・高橋さん・
内田さん・景山さんからの毎年の寄贈で行われて
いる。
今年のバーベキュー大会の進め方などを打ち合わせ。
バオミンさんは、奥さんの親戚で、ベトナム事務所員の
ANH(アン)さんの結婚式が本日午後12時半から
行われるので、親戚として、両家だけの祖先への
結婚報告儀式に参加して不在。
( 以下、写真撮影はベトナム事務所のソン君)
午前11時半頃、車が迎えに来てくれて
ベトナム事務所員全員・内田さんと一緒に
フエ市内「チーラン通り」のレストランへ。
ANHさんはベトナム事務所では、「フェリシモ」
関係の刺繍などの仕事を担当している。
フエ総合大学英文科を出て、ベトナム事務所へ
入ってきた才媛。
午前11時45分頃、結婚式場へ到着。
三々五々、出席者が披露宴場へ入る。
会場入り口には、新郎新婦とそのご両親が
出迎え。式場入り口には、二人の大きな写真が
あった。
新郎新婦と内田さん
会場入り口で列席者に挨拶をする新郎新婦
ベトナム事務所日本語教師(澤井先生・富岡先生)
会場には、既に新婦側の親戚であるバオミンさん
と何故か「やくざっぽい黒服」を着てリー君がいた。
「今日は飲むぞ」という気持ちが顔に出ている。
幸せそうなリー君の顔ではある。
ベトナム事務所のフオン先生。バオミンさんと
従兄弟同士。
披露宴会場には、500人から600人ほどの
皆さんが結集。相当「豪華な結婚披露宴」となる。
今日の披露宴会食メニュー
・海老と野菜各種のまぜこぜ前菜
・海老のにんにく甘辛煮
・鶏の姿ゆで
・海老・魚など海産鍋
・お祝いのもち米料理(中華風おこわ)
・デザート(ヨーグルト)
新郎新婦が入場する前に男女の歌手の歌
ベトナム風獅子舞で雰囲気を盛り上げる
新郎新婦入場
会場は「騒音に近い」音楽で一層雰囲気を
盛り上げる。日本人には余りにうるさくて
頭が痛くなるが、これがベトナム流の
お客さんをもてなす「作法?」。
開式冒頭に新婦ベトナム事務所の責任者として
新郎に「プレゼント贈呈」という儀式があった。
大きな毛布を新婦勤務先を代表して新郎に
贈呈する。(右側後ろ 新婦のご両親)
「子どもの家」セン委員長・ベトナム事務所員の
席に、会式後直ぐにリー君が挨拶に来る。
リー君が「子どもの家」にいる頃は、セン委員長に
随分お世話になった。
海老(甘辛)とパパイヤ(酸っぱい)・ぶどう
そしてクッキー(スイーツ)
新郎新婦と両家のご両親が一つ一つのテーブル(10人)
に挨拶
新婦ANHさん・父親と
ブライセンベトナム支社員で新婦のアンさんと知り合いの
社員も招待されていた。(「子どもの家」出身のVU君も)
左から2人目のチュン君・右端のホア君も
「子どもの家」出身(IT会社ブライセン支社員)
ブライセンベトナム支社員と
開会後、直ぐに会食と余興(大カラオケ大会)に入る。
その後2時間程、延々とカラオケ大会が続き、お開き。
ベトナムの結婚式は実に「実質的」なものだ。
美味しい料理をおなか一杯食べ、お酒を飲み
好きな歌を好きなだけ歌い、披露宴は終わる。
席順もなにもない。お偉いさんの挨拶も全くない。
問題は、あまりに音響がうるさいという事くらい。
ベトナム事務所を代表して富岡先生がベトナム語で
カラオケを歌う。
税田さんと「子どもの家」スタッフの「キム・アインさん」
リー君。
1993年10月に結婚式会場近くに
「チーラン通り子どもの家」を作った。
キム・アイン(金英)さんはその時から
寮母さん・先生をしてくれている。
既に私とは、20年のお付き合い。
優秀で子どもたちの心をしっかりと捉え、
いつも子どもたちに寄り添っている先生である。
リー君と「子どもの家」のピエップ君。
ヒエップ君は現在、日本料理店で実習・研修中。
以下の写真、左の3人は「子どもの家」の卒業生。
二人は日本料理店で仕事をし、一人は
「子どもの家」付属研修みやげ物店で仕事。
右端は、「子どもの家」付属刺繍研修センターの
責任者ロアン先生。
ロアン先生とも20年のお付き合いだ。
ロアン先生は、フエの古典的な大型刺繍の
専門家だった。
チーラン通りの「子どもの家」に子どもたちの
ための刺繍研修センターを作り、何とか
ロアン先生にお願いし、子どもたちに
刺繍を教えてもらった時からのお付き合い。
会場舞台では、ベトナム事務所の先輩方に
勧められベトナム事務所でベトナム語を勉強
している石井君。
ベトナム語で見事に歌を歌う。
石井君の一番得意とするベトナム語の歌は
「別れの歌」なので今日の披露宴には不向き。
それでもベトナムの歌の違うレパトリーを
もっていて、見事に歌い、会場からの盛大な
拍手喝采を受ける。
500人から600人もいる異国の会場で、立派に
ベトナム語の歌を歌った石井君の能力と度胸に
感服。JASSの名前・評判が一層上がるという
もの。
そのうち、日本料理店で研修中のヒエップ君も
舞台に上がり、一緒に歌いだした。
税田さんから花の贈呈
バオミンさん一家。ご両親とバオミンさんの
奥さん・娘さん・息子さん
今日はバオミンさんの親戚である「ANHさん」の結婚
披露宴なので、バオミンさんは親戚席にいた。
途中でJASS関係者に席に来て、皆さんに挨拶
とお礼。
また、そこに「変なの」が闖入(ちんにゅう)して来た。
宴会大好き男。
バオミンさんのお父さんと乾杯。
バオミンさんおとうさんと私は同い年。
ベトナム戦争中は、ホーチミン市近郊の
カンボジア国境あたりで「南の軍隊」憲兵
をしていたという。10年近く『労働改造所』に
入れられていたそうだ。私が1960年代後半
日本でベトナム戦争反対運動をしていた時、
お父さんは、ベトナムで実際の戦争をしていた。
色々と苦労をしているお父さんだ。
グエン王朝の直系の子孫。皇位継承権がある。
何となく私などに比べると「気品」がる。
バオミンさん一家
長女は9月から中学1年生(日本の6年生)
JASS日本語部長のフーン先生と新婦
またまた「変なの」が闖入。
セン「子どもの家」運営委員長と新婦
内田さんと新婦
富岡先生と新婦
午後2時過ぎ、「ながれ解散」となる。
宿舎着、午後2時半。
しばらく横になる。
本当に盛大な結婚披露宴だった。
2013年07月22日
いくつかの打ち合わせ
快晴
午前5時に目覚める。
午前7時朝食。「精進ブン麺」
今日は旧暦の6月15日。フエでは、旧暦の
1日と15日には精進料理を食べる。
少し食べ始めると「余りにも辛い」ので、半分しか
食べられない。
バオミンさんに電話をし、今後は、辛さを半分程度
以下にしてもらうよう料理の「センさん」に電話で
言ってもらう。
この数ヶ月の体調悪化の原因は「胃」にあると
思っている。今日の「精進麺」は少し食べたら
「気持ち悪く」なった。胃がこの種の辛いものを
受け付けない状態になっている。
辛い精進麺を食べながら、昨夜から今朝に
かけて結果が出た参議院選挙の結果を
色々と考えた。文章にはしないが、超低投票率
で「有利」なのは、組織政党。その種の政党が
議席を伸ばした。民主党の議席が自民や
「躍進した」組織政党へ流れたと判断ししている。
今回の結果は次回も躍進政党が躍進するかは
不明。
午前8時20分、電動バイクでベトナム事務所へ。
ブライセンのK部長、バオミンさんの3人で
ブライセンベトナム支社運営について懇談。
1時間半ほど話し合う。
ベトナム事務所には、フエ外大日本語学科の
学生が「現場実習」ということで来ている。
その後、バオミンさん・税田さん・私で
今後20年先までのJASSのあり方についての
「基礎討論」を行う。午後1時過ぎまでかかる。
宿舎へ帰る。
昼食が作って「おいてあった」。
『春雨麺』 3分の1しか食べられなかった。
30分ほど、横になり読書。
読書「伊藤博文と安重根」(佐木隆三著:文春文庫)
を読み終える。
安重根について、日本側の立場に立った
かなtり偏った記述だと判断した。韓国では
日本侵略者への抵抗を示した愛国主義者として
遇されている。この種の伝記ものは、結局、
1910年の「日韓併合」を侵略と見るのか?
アジアの平和と安定のための行動とみるのか
という基本的な視点を欠くと佐木氏のような
記述・視点になってしまうように思う。
裁判がどんな起訴内容でどのように行われ、
どのような判決が下されたかという記述に終始。
午後2時半。バオミンさんがオートバイで宿舎へ迎え
に来てくれる。
木村百合子さんの「顕彰碑」を「日・英語」で作るため
石材業者へ。
顕彰碑文の真ん中に木村百合子さんの
顔写真をカラーで入れるようにする。
木村百合子さんのご両親に送って頂いた
木村百合子さんのカラーの顔写真を
顕彰碑文で囲むレイアウトをコンピュータ上で
再現してもらい、バオミンさんといくつかの
注文を出し修正。
最終的な確定を行い、顔写真と顕彰碑文(日本語・英語)
を石に刻んでもらう。完成まで一定の日にちがかかる。
午後3時半、宿舎へ帰る。
日本からスタディーツアー関連のメールが来ていた。
色々と考え返信。
そのほか、新たな会社社長一行のスタディーツアー
を受け入れることになり、電話でバオミンさんと
フエ訪問日程等を打ち合わせする。
夕方になる。かなり疲れる。ベッドに横になり休む。
読書「花柳風俗(鳶魚江戸文庫)」
(三田村鳶魚著 中公新書)
30年ほど前、東京駒込の小学校教員をしていた頃、
家庭訪問である家庭を訪問した。応接間に通された。
応接間に『三田村鳶魚全集』全28巻((中央公論社)
が並べられていた。
その頃、三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)という名前を
知らなかった。しかし、変わった名前と何となく雰囲気が
江戸時代関係の話のように思われ、常に頭の片隅で
三田村鳶魚の本を読んで見たいと思っていた。
7月に支援者の方と新宿で食事をした際、
新宿小田急の本屋をチラッと覗いた。
三田村鳶魚の本があった。「花柳風俗」。
ペラペラとめくってみると「江戸時代の遊郭の
仕来たりや実際の様子などが克明に書かれていた。
吉原(なか)や品川(みなみ)、江戸芸者、夜鷹・・・
今流に言えば「江戸時代の風俗」の様子。
江戸学の開祖的な存在。
私は今の日本人の基礎的な行動様式は
江戸時代の「鎖国」による「平和」な「戦争のない」
時代の産物だと思っている。この20年ほどの間
に「江戸学」が勃興してきた。江戸時代を
「士農工商」の封建社会と単純に階級史観で
切り捨てていた学問世界で「江戸時代」を見直し、
当時の世界でもっとも識字率が高く、学問、
人間の助け合いなども進んだ時代とう評価が
出てきている。三田村鳶魚は、明治3年生まれ
なので、明治時代の息吹を直接知っている。
2013年07月21日
終日、横になっている;参議院選挙開票
午前10時起床。
シャワーを浴びるが、食欲なし。
「「メロン・ジユレ」とヨーグルトーを1つ食す。
体がだるい。
横になり読書。
読書「伊藤博文と安重根」(佐木隆三著:文春文庫)
著者は忘れたが、以前、安重根の生い立ちを詳しく
書いた本を読んだ。
佐木隆三は、安重根の生い立ち・人間性
知識と学識について、ほとんど調べていないことが
わかる。日本側の裁判調書・記録を基礎に
本書を書いている。本書では、安重根は、多少
粗暴でそれほど学識もない激情型の人間として
描いている。今から20年前の著作。
日本の天皇や国内の諸事情、中国(清)、ロシア
などの「安重根裁判」をめぐる動きに焦点が
当たっている。
昼食も摂る意欲がなく寝ていた。
午後5時まで。何度か「うつら うつら」と。
午後6時。昨日料理のセンさんが作っておいてくれた
「マカロニのうどんのようなもの」を温め、半分食べる。
================
ベトナム時間の午後7時からラジオの短波放送
でNHKの選挙報道を聴く。
自民が圧勝。民主が惨敗。
私が投票した東京選挙区候補が「勝利」した。
前回は自民党が惨敗し民主党が大勝。今回はその逆。
参議院選挙の結果について「うんぬん」する気持ち
はない。
ベトナムに住んでいると「自民惨敗→民主圧勝→
民主惨敗(自民圧勝・・」と国民の投票行動が
極端に変わることに、「民主主義の結果」として
ある意味で「素晴らしいこと」だと思っている。
私が個人的に期待した結果にはならなかったが、
これが現在の国民の意思の結果である。
民主主義は、時間とお金と忍耐力のいる
システムだ。中国や北朝鮮や0000などの
社会主義を名乗る国家では、政権交代はない。
長期的に見れば、一党独裁を阻止するためにも
批判政党を包含したシステムはどうしても必要
である。
今回の参議院選挙の結果に不満を持っている
国民もいるのは事実であるが、これが、現在の
日本国民の意思である。
こうした選挙行動を通して、国民が政治に責任を
持ち、自分の意思と自分の生活・人生を選挙という
行動を通して実現する社会システムを擁護して
行きたい。
今後、野党の役割りは重大である。
安部首相は、本性を露骨に出してくるのは
明らかだ。憲法改悪・アジア太平洋戦争は
正当な防衛戦争だ、極東軍事裁判はアメリカの
押し付けであり、偏った裁判だ・・・・。
障害者・生活困窮者への支援の打ち切り、削減など
弱者へ切り捨て路線を自信を持って推進すると思う。
国民の社会的行動がいよいよ必要になってくる。
学習会、デモ、請願などなど、憲法で保障されている
主権者としての国民の権利を生かし、今後の安部政権
の行動をチェックしていく必要がある。
大局的な流れで言えば、国民はある時は、小泉改革
にもろ手を挙げて賛成、ある時は、民主党の多少
社会民主主義的路線を選択し、更に今回は
「極右 安部政権」を信任するという「長期学習路線」
を歩んでいる。痛手をこうむりながらもこうした選択体験を
通して、国民の意思を政事に反映する政治システムを
守り育てることが大事だと思う。
中国等のような一党独裁社会主義国家では、国民の
意思を反映するシステムがない。
私的には、民主主義は紆余曲折の回り道を歩みながら
民主主義制度を私たちが学習しながら、より高度の
民主主義制度・政治への判断力などを高めていく
長期的な過程を今、辿っていると思っている。
ニセ小泉構造改革を熱狂的に選んだ我が日本国民で
ある。その結果、年収200万円の国民が1000万人
にものぼり、極端な格差社会となってしまた。
私が危惧するのは、「学習と反省をしない日本人」
であってはならないということだ。
小泉改革で派遣社員など労働・雇用形態が変わり
今日の不安定な生活を強いられている国民も多い。
しかし、今日、小泉改革についての国民的な反省と
点検が少ない。アジア・太平洋戦争の侵略の体験を
しっかりと反省する姿勢をかなぐり捨てる動きが
強くなって来ている。戦争の反省もすくなってきた。
福島原発問題も既に忘れさられ、原発再開自民党を
国民が選んだ。今後、再度原発事故などが起こっても
それは、国民が選んだ路線であり、国民が更に
その苦い体験から学び、次に進むという長期的な
歴史がまっている。
個人的には、私の選んだ東京選挙区候補者が当選して
よかったと思う。
(追記)
NHKラジオ短波放送を数時間聴いていた。
「沖縄社会 糸数慶子 当選」と「沖縄社会党
糸数慶子さん当選」と繰り返し放送していた。
これでは、糸数さんは「社会民主党」
だと思う人もいるだろう。きちんと「沖縄社会大衆党」
と紹介すべきである。
多分、沖縄に「社会大衆党という地域政党が
あることをデレクターもアナウンサーも十分に
知らない結果かも知れない。数時間も「訂正なし」
で「沖縄社会 糸数慶子当選」と言っている
所を見ると、NHKの関係者は誰も疑義を感じて
いないことが分かる。
糸数慶子さんは「沖縄社会大衆党委員長」である。
今回の参議院選挙の投票率が、50%程度とのこと。
どこかの市で住民投票をして、投票率が50%以下
だったので、開票もせずに住民投票を終わって
しまったという報道を聞いたことがある。
50%程度の投票率で果たして国民の意思を
反映しているのだろうか?
自民党が圧勝したといっても、国民の圧倒的少数の
支持(得票)しかない政党ではある。
2013年07月20日
憲法9条を無傷のまま次の世代に渡したい
午前6時起床 快晴
午前7時朝食。「フォー・ガー」(鶏肉の米麺)
インプラントをいれた反対側の歯がズキズキ痛む。
税田さんと電話でいくつかの問題を打ち合わせ
バオミンさんと来週以降の会議、静岡の会来訪時の
木村百合子記念寄宿舎開所式次第の打ち合わせ
体がいやにダルイ。
しばらくベッドに横になる。体調が良くなったと思って
いたが、はやりフエの暑さも手ごわいもの。
同時にフエに帰ってから昼間の仕事の後、
日本料理店に「居る」という仕事をしたのも
無視できない疲労原因かもしれない。
少し前なら、何でもないことが、やはり少し「つらい」
ものに感ずる年齢になって来た。残念だがしょうがない。
午前11時半、昼食
「海老入り 小麦粉の手打ちうどん」
左の下奥歯3本にインプラント歯を入れた。
2ヶ月後に本場を入れる。現在は、ごく柔らかい
ものだけ食せる。基本的には、右側の奥歯だけ
で食事をしている。数日前から右奥歯が痛くなった。
多分、過度に使っているため、小さな虫歯などの
痛痒が出てきたのでは?と思う。
今は我慢できる範囲内だが、これから2ヶ月半、
フエで活動をする予定だが、2ヶ月半、この
右奥歯で食事が出来るのか? 不安を感ずる。
日本にいれば、直ぐに「かかりつけ」の歯科医に
いけるのだが、ベトナムでは、なかなか医者に
行くには、度胸がいる。
フエのだけの風土病などは、日本よりも医療水準が
高いのだが・・・・。寄生虫や熱帯伝染病、破傷風
狂犬病・・・などの医療研究水準は高い。
JICAの障害児医療支援を長年やってきた経験で
フエ中央病院、フエ医科大、フエ私立病院、
フエ省70箇所の地域診療所との提携での
医療支援を10年ほど行った経験ではあるが・・・・。
午後3時読書
『物語 韓国史』(金 両 基 著」(中公新書)
高校までの歴史では学ばなかったことが分かり
一定程度有益な本だった。人名が細かく多数
出てくるのでうんざりしたが・・・・
百済・新羅・高句麗→最終的には「高麗(こうらい)」
として単独王朝となる。900年代。
1980年に韓国の全羅南道の光州市での
全斗煥首相により「光州事件」があった。
多くの学生市民が虐殺された。
同時に光州市民学生が全斗煥軍事政権に
対して果敢に戦った。
朝鮮半島900年代。初めての統一王朝が
出来る。高麗。
この統一過程は、百済・新羅・高句麗「三国時代」
の百済(朝鮮半島南西部)対新羅・高句麗の
戦いであり、百済(後百済)が敗北し、新羅・
高句麗が勝利し、「高麗」国統一政権が出来た。
その際、高麗王が10の遺訓を残している。
その中に今の全羅南道(中心は光州市)は
は反逆的であり、反乱を起こし権勢にくっつき、
政事を混乱させるので、偉い役職には
登用してはならないという箇条がある。
それから1000年後も光州市のある
全羅南道は、地域的にも差別されていると
著者は書いている。
本書を読んで感ずるのは、紀元前から
中国・朝鮮・日本の間では、和解や争い
など複雑な外交交渉が繰り広げられている
いることが分かる。現在の竹島・尖閣問題、
拉致問題なども日・中・朝の2000年以上に
わたる親善友好・戦争侵略という「外交」交流
の延長線上ではある。
この3カ国は「切っても切れない仲」なのである。
その昔は、中国(隋・唐・・・・・)が圧倒的に
強く、朝鮮は「文治主義」の国家。日本に様々
文化を与えている。仏教、陶器、建築・・・・
2000年以上の朝鮮と日本の関係を見ると
大半の年月は、朝鮮が日本よりも先進国だった
ことが分かる。
今の安部外交は「拉致問題一点解決主義」。
これでは、外交とは言えない。
外交はもっと複雑である。本書では、豊臣秀吉の
朝鮮侵略(日本では「征伐」と言っているが)の
時代背景(中朝日)の説明もあり、世界史的な
視点での東アジアの歴史を知る必要性を
痛感した。
朝鮮の文字「ハングル」は1446年に朝鮮王朝
第4代「世宗王」が『訓民正音」として作った
(作らせた)ものだが、正式に国字になったのは
1945年である。ベトナムの国字も正式には
1945年、日本の敗戦を機に国語になった。
それまではベトナムの共産主義者・民族主義者は
今のベトナム語を使わない運動をしていた。
本書は、明治以降の歴史をほとんどカットしたと
言っても良いほど、短く記載している点は
本書の性格上仕方がないのだろうが、明治以降
の日本・朝鮮・中国関係書を次に読んでみたい。
午後6時半頃、インプラントを入れていない方の歯が
痛くなった。困ったものだ。急いで宿舎にある
『痛み止め』を飲んだ。これから痛みがひどくならない
ことを祈るのみ。
食欲なし。夜、宿舎で読書。
読書「伊藤博文と安重根」(佐木隆三著:文春文庫)
日本滞在中、新宿の心臓病院へ行き、帰りに
新宿駅地下で「古本展」があり、200円で買う。
10数年前に次男とソウルに行った際、どうしても
安重根記念館に行きたくて、ソウルの山の上に
ある記念館まで登った思い出がある。
安重根の「書」を見て、当代まれに見る朝鮮の
知識人だということが分かった。
日本の通説では、ハルピンで伊藤博文を
狙撃した不逞な朝鮮人「安重根」は、不良者
と喧伝されていた。しかし、安重根記念館に
行き、私の思いが180度変わった。
本書の冒頭は、日韓併合から。1910年。
私の父親が生まれた年だ。
安重根は、「両班(リャンパン)」の家庭。
科挙試験に合格した「進士」の家庭。
リャンパンは、文武両道。
ーーーーーーーーーーー
明日は参議院選挙
私は既に「期日前投票」をしてフエへ帰って来た。
今回の選挙の意味は大きい。
安部政権は、衆参の「ねじれ」を解消し、
憲法を変える、戦後の体制を変えることが「本丸」。
選挙ではそのことを「封印」し、国民の目と耳を
ごまかし、参議院選挙で衆参両院で過半数を
取ったら、間違いなく、憲法改悪、9条改悪、
海外で戦争が出来る日本を作る方向に大きく
舵を切ることは明らかだ。
今回の参議院選挙の最大の「争点」は、
今の若者が戦争にいかされるかどうか、だ。
以前「血を流した国際貢献」などという言葉が
踊った時期があった。
自民党の改憲案を見ると「空恐ろしい」。
憲法9条は、200万人の日本人の命、
2000万人のアジアの人々の命の上に
出来た人類の良心を象徴する宝物だ。
l国防軍を作り、間違いなく「徴兵制」へと移行する。
海外でアメリカが行う「戦争」(イラク・アフガン・・・・)
に日本の若者が参戦し、血を流す時代が来ない
ことを望む。
私は明日の参議院選挙で「改憲阻止政党」が議席を
増やしてもらいたいと思っている。
私は既に「前期高齢者」で徴兵はされないが、
若者の皆さんはその可能性大の選挙。
戦争はどんな大義名分があっても人間の死に繋がる。
私の兄も中国で5歳で死んだ。2人のおじさん(20歳
22歳?)も特攻隊で「パラオ」「パレンバン」で死んで
いる。国防軍を作ったり、憲法9条を改悪・廃棄したい
人たちは、自分は常に安全な場所にいて、「他人に
戦争をさせる」人たちだということを知るべきである。
今度の参議院選挙は「憲法9条を無傷のまま
次の世代に渡すかどうか」の選挙だと思っている。
2013年07月19日
「子どもの家」卒業生NHIさんの結婚式
快晴・猛暑。夕方にわか雨。
午前6時起床。
午前7時朝食。「ブンボー」牛肉米麺)
午前中、8月のスタディーツアーのいくつかの
件について、沈思黙考する。
洗濯。
午前11時半、バオミンさんが宿舎の近くの道
までタクシーで迎えに来てくれた。
今日は「子どもの家」卒業生のNHIさんの結婚式。
NHIさんは、「子どもの家」の近くに住んでいた。
諸般の事情で父親がいない。家も貧しく、土間で
生活していた。母親は物売り。3歳年下の
弟がいた。
1995年に弟と一緒に「子どもの家」に入所。
NHIさん11歳。弟8歳。
NHIさんは、優秀な学力があり、フエ市内の
名門高校「グエンフエ高校」を卒業し、
フエ総合大学(現在のフエ科学大)の英文科に
入学。弟は素行が悪く、「子どもの家」の近くの
お店で万引きを繰り返し、何度も警察に捕まり、
もらい下げに行ったこともある。
NHIさんが、大学生の時、NHKから声がかかり、
日本の福岡市で国際若者交流フェスタがあり、
それへ出場する場面を取材した、との話があり
受けた。
バオミンさんがNHIさんを福岡まで連れて行き、
福岡出身のJASS日本語教師・S本さん、N山
さんも協力してくれた。福岡市の学校で国際交流
の取り組みがあり、ベトナム代表でNHIさんが、
英語でスピーチ。
その場面が、NHKで1時間放送された。
ベトナムへの帰国途中、私も加わり、
NHIさんの里親であるM山さんご夫妻の
名古屋の家を訪問し、交流した。
その後、NHIさんは、フエ総合大学
英文科を卒業し、ホーチミン市の会社に勤務。
現在33歳になる。早いものである。
この10年近く、NHIさんには会っていない。
バオミンさんと12時前に結婚式会場である
「子どもの家」の前のレストランへ行く。
入り口にNHIさん夫妻が待っていた。
旦那は、29歳のITのエンジニア。
NHIさんは久し振りに私を見てか?
貧しさで苦労した「子どもの家」時代を
思い出したのか? 私に抱きつき泣いていた。
4歳年下の旦那・NHIさんの母親・バオミンさん
20年近く前、貧しい片親の家庭に育ち、母親も
生活に四苦八苦していた時代があった。
縁があって「子どもの家」で11年間過ごし
今は、IT会社に勤め、収入も安定し、幸せな
結婚をすることが出来た。「子どもの家」が
なかったらNHIさんは間違いなく学校へも
いけなかっただろう。今と全く違う人生を
歩んでいたであろう。どんな人生がNHIさんに
取って一番幸せかは分からないが、それでも
安定した収入があり、大学まで出たことは
それなりに幸せな人生の財政的基礎は
出来たものとは思う。
里親を長く続けてくださった名古屋のM山さん
には心から感謝したい。
一児の父親になっていたNHIさんの弟のTRUNG君
今はしっかりとしたお父さんになっていた。
祝賀の記帳
「子どもの家」jからもセン委員長、ロック寮長、
タム医師などが参加。
ロック寮長は私が1993年9月1日にフエへ来て
以来の長いお付き合いである。今の「子どもの家」を
作る以前の「子どもの家」から一緒に仕事をした。
ロック寮長・タム医師
両家のご両親(左側:NHIさんは親戚のおじさん)
新郎新婦入場
両家のご両親と
150人ほどの列席者あり。相当豪華な結婚式
だった。
アヒルの姿焼き
衣装を替えて
「子どもの家」ノセン委員長・ロアン刺繍部長
午後2時過ぎに結婚式は終了
結婚式場のレストランは「子どもの家」の前に
あった。(写真は式場から見た「子どもの家」
午後2時半、フエ市人民委員会外務部長ニエン氏
と懇談。
地球の歩き方・「京滋YOUの会」・静岡の会ツアー
等の日程、人民委員会からの出席・訪問との
最終確認を行う。全てフエ市人民委員会の方で
準備済み。
午後4時半。ブライセンベトナム支社へ。
今日は本社の「会社説明会」(所謂業績結果説明会)
ブライセン本社の全社員参加の会議の模様を
ベトナム支社ではテレビ中継で見る。
午後5時頃から昨夜フエへ帰国した税田さんと
いくつかの件で話し合う。
午後6時。日本料理店には、ニュージーランド
アメリカ人が入店し、食事をしている。
そのため日本人と日本料理店の子どもたちの
夕食が遅れる。
今夜の夕食。「何とかうどん」
午後6時過ぎ、豪雨。
雨がやんで宿舎へ帰ろうとしたらリー君登場。
今日は、ブライセンのサッカーのシャツを着ていた。
2013年07月18日
ベトナム事務所員会議
この数日の暑さでかなり疲労が溜まる。
午前6時過ぎ起床。軽く柔軟体操。
午前7時朝食。
「蟹団子のチャオ・バイン・カイン」
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
ACCLの渡辺さんと会い、若干の話しをする。
しばらくフエに滞在するとのこと。
午前8時40分、ベトナム事務所員会議。
議題は、7月・8月・9月に予定されている
スタディーツアー等の受け入れについて。
バオミンさんから厚い日程表が配られ、説明あり。
バオミン・ベトナム運営委員長の訓示。
「夏のスタディーツアーは、どのツアーも大事なもの。
全力を出して成功させて欲しい。スタディーツアー
などで訪問される方々は、JASSを日本で支援し
ベトナム事務所の皆さんの体力・気力が減退しない
ようにサポートしてくれている皆さん。くれぐれも
粗相のないように」。
ベトナム事務所員は、バオミン運営委員長の
訓示を真剣そのものの「真面目な顔」で聞いていたのか
聞き流したのかは知らないが・・・・
写真右側ANHさんは、7月23日に結婚式を挙げる。
左も頑張れ。
暑いので多少、頭がボーっとしている二人
バオミン運営委員長からは、特に以下の
スタディーツアーには、手を抜かず全力で対応する
よう厳命が下される。
①「京滋YOUの会」ツアー
②静岡の会ツアー
③青少年教育の会スタディーツアー
④地球の歩き方スタディーツアー
⑤内田さんベトナム事務所・「子どもの家」訪問
1時間ほどの意思統一で会議は終了。
その後、私とバオミンさんで
一つ一つのスタディーツアーの細部に
わたる打ち合わせ、諸注意、問題点などの
解決策を考え、実行する態勢を作った。
午後30分、宿舎へ戻る。
昼食。久し振りに「お米のご飯」
煮魚、大好きなトマト・・・・・・。
あまりの暑さで体が異常にだるい・・・。
今後、仕事が続けられるのか?
自分の体調に自信がなくなる。
食後、直ぐに横になり気づくと2時間寝ていた。
何本かの電話が入る。
午後3時20分頃、ホーチミン空港にいる
税田さんから電話。今夕、ダナンから車でフエへ
戻るとのこと。
午後4時、バオミンさんと当面の課題で
打ち合わせ。
体調不良。しばらく横になる。
午後6時前、電動バイクで日本料理店へ。
今日は9人の来客あり。
厨房では結婚間近のヒエウさんが
奮闘。
厨房の様子を見ていると新人のヒエップ君も
想像以上にしっかりと仕事をしていた。感謝。
午後8時過ぎ、税田さんが日本から帰国。
しばらく、税田さん・富岡君、私で飲みながら
日本の政治情勢を聞く。
午後9時半、閉店。
2013年07月17日
エヤコン工事 日本料理店
快晴 真夏日 猛暑
午前6時起床。体がだるい。
午前7時朝食。「肉団子とアヒルの血の塊ブン麺」
午前8時半、ソン君とエヤコンの電気修理工事の
スタッフ3人が来訪。
私の仕事の部屋のエヤコンの電気を外の電柱から
直接取る工事を始める。相当、大掛かりな取り組みと
なる。
午前11時45分まで工事は続く。
その間、エヤコンなしの真夏の炎天下のような
蒸し風呂状態の部屋に「閉じ込められる」。
3時間ほどかけて、無事工事は終了。
ソン君の助けに感謝したい。これで、エヤコンへの
電気が少なくて「蒸し風呂」に居なくてもす済むように
なった。仕事が一層効率的に進む。
昼食は、「春雨麺」だったが、暑くて食欲なし。
冷蔵庫に入れておき、昼食は「お茶」を飲んで
済ませる。
1時間ほど昼寝。
夏のスタディーツアーや各種行事計画などの
日程を総合的に見る。
「京滋YOUの会」の藤井さんにメールを送る。
バオミンさんと電話でいくつかの件について
打ち合わせ。
読書『物語 韓国史』(金 両 基 著」(中公新書)
韓国史の神話の話が長い。その後、高句麗・新羅・
任那の3国史。著者の見解では、任那に日本府が
おかれたというのは、「日鮮同一祖先」論であり、
日本の朝鮮侵略の際に作られた証拠のないもの
と断定している。
300ページほどの本だが、「朝鮮李王朝」以降の
近現代史は、50ページ程度。
著者の性格もあるのだろうが、細かい人名が
たくさんでてきて、大局的な朝鮮の歴史が
分かりにくい。
午後6時前、電動バイクで日本料理店へ。
調理のヒエウさんとヒエップ君は、協力して
うまく仕事をしていた。
午後9時過ぎまで開店。来客4人。
途中、リー君が日本料理店を覗きに来た。
午後9時半頃、宿舎着。
宿舎の近くにバイクに乗ったおじさんが
いる。
私は宿舎の門の鍵を開け中に入り、
宿舎自体のドアの鍵を開けようとしたが、
何となく「このおじさん」が部屋の中に
入って来そうな雰囲気を感じ、バオミンさん
に電話。
その「怪しげ」なおじさんを呼び、バオミンさん
と携帯電話で話してもらう。
以下、おじさんの話。
「私はこの家の近くに住んでいる。小学生の
子どもに日本語を教えてもらいたい。」
バオミンさん「日本語勉強したいのなら
12 CHU VAN ANのJASS事務所に
来てください。直接、日本人の家に言うのなら
警察に通報する」
バオミンさんからおじさんの目的を知り一安心。
おじさんに「お子さんは何年生ですか?」と
聞く。「小学校4年生」と答える。
世界中どこでも親心は同じだ。
わが子が幸せな人生を歩んで欲しいと願って
いるのだ。今のベトナムでは、外国語(日本語を含め)
が出来ることは、「幸せに通じる道」なのである。
私が門扉を開け、玄関の鍵を開けるときに突然
現れたおじさん。このまま、部屋の中に入られ、
暴行されてはと、正直、危機感を感じた。
JASS事務所に来てもらい、じっくりと話を聞く
つもりだ。おじさんと話していると少し「お酒」
臭かった。
私の宿舎の近所の人は、私がどんな素性の人間
かは、みんな知っているようだ。
おじさんも私を「先生、先生」と言っていた。
先生ではないのに・・・・・・。
一人で宿舎に住んでいて、3台の電動バイクを
盗まれた経験がある。
いつ、真夜中に泥棒や強盗が入り、暴行を受けるか
分からないという恐怖を持って毎日を過ごしている。
2013年07月16日
部屋のエヤコン電気工事
午前6時起床
今日も1日非常に暑かった。
午前7時朝食。「ブン・ボー」(牛肉米麺)
牛肉を小口に切ってくれたので食べやすい。
バオミンさんといくつかの件で電話で打ち合わせ。
外気温40度。非常に暑い。
7月・8月・9月のスタディーツアー等の
日程の調整を行う。
午前11時半昼食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
食後、恒例の「シエスタ」(1時間)
午後2時半。ソン君が電気業者を連れてくる。
エヤコンの電源を別のところにする工事。
人間の背の2倍ほどある高所に電気コードを
つける。
最近は、私の生活上の諸問題をソン君が
積極的に解決してくれる。ソン君に感謝している。
工事のために私の仕事をしている部屋のエヤコンの
電源と配線を切る。外気温40度の猛暑の中で
エヤコンなしで仕事をする。工事の皆さんはもっと
暑い。
私の仕事をする部屋のエヤコンの電源を切り
工事を始める。
40度の暑い部屋でエヤコンなしの仕事をする。
工事の皆さんはもっと暑い思いをしている。
この程度の汗と暑さと熱中症予備軍状態は
我慢しなければならない。
午後5時半、時間切れで工事を中断。
明日、また続きをするとのこと。
ということは、今日は仕事の部屋のエヤコンは
使えないということか・・・・・。
午後6時前、電動バイクで日本料理店へ。
リー君が待っていた。昨夜買ってもらった鎖の
電動バイク用の鍵を開けてくれる。
「この鍵は素人では開けられないのだ・・・」という
趣旨のことを言っていた。
電動バイクの鍵を開け、更に鍵を閉めてくれた。
助かる。
午後6時から富岡君・澤井さん・石井君と
懇談しながら「フダ生ビール」を私だけ飲む。
午後9時閉店。来客は1名。
帰宅後、火炎樹日記を書き、就寝午後11時過ぎ。
2013年07月15日
縫製工場視察:日本料理店
快晴 異常に暑い
エヤコンを入れて「室内35度 ー湿度55%」
午後3時の室外(日陰)「気温40度 湿度55%」
午前6時起床 シャワーを浴びる
午前7時朝食。
「蟹団子入り チャオバインカイン」(手打ちうどん)
午前中、室内で各種仕事。
午前10時過ぎ、ソン君とエヤコン業者が
来てくれる。エヤコンの掃除をする。
機械で「室外機」の掃除など・・・・。
8月・9月のスタディーツアー等の日程調整。
青少年教育の会スタディーツアーについての
意見をまとめ送信。
午前11時半。昼食「ベトナム風 おじや」
午後12時半から1時間ほど昼寝。
午後2時バオミンさんがオートバイで迎えに
来てくれる。気温40度の熱暑の中を
縫製研修センターの視察に行く。
午後3時過ぎ、帰宅。
頭がくらくらする。
氷水を作り水筒に入れる。こまめに水分を
補給する。
1時間ほど、横になり休む。
その後、いくつかの仕事をする。
疲れたのでYAHOOの画面を見る。
「アベノミクス投票」というのがあった。
興味あるので私も参加。
結果は投票した人だけに知らされる仕組み。
「アベノミクスについてどう感じますか?」
私は「全く実感がない」に投票。
政党は反原発・憲法改悪反対・TPP反対政党に
ーーーーーーーーーー
投票者 5154人
●とても実感がある 6% (324)
●どちらかというと実感がある 16% (823)
●どちらかというと実感がない 10% (507)
●まったく実感がない 64%(3286)
●どちらともいえない 3%( 149)
●その他 1%( 65)
ーー
支持政党
●自民党 (25%)
●民主党 ( 4%)
●維新 ( 5%)
●公明 ( 2%)
●みんな ( 5%)
●生活 (11%)
●共産党 ( 5%)
●社民 ( 1%)
●みどり ( 1%)
以下略
結構、率直な実態を反映しているアンケート
結果ではある。
まったく実感がないが64%(3286)というのは、
庶民にとっては「アベノミクス」は関係ないだけで
なく、既に諸物価が上がり、給料があがらない
という「生活苦内閣」の政策ということを実感している
ことが分かる。
アベンミクスにプラスの実感を感じているのは
大企業と株などを持ている「富裕層」であることは
このアンケートでも分かる。
休日の午後にインターネットで「YAHOO」アンケート
に答える人たちは、一般庶民である。
アベノミクスの実感を感じる層の人間ではない。
私も含めて。
アベノミクスは自民党・財界・大手マスコミが
「グル」になって作り上げた「虚構」の現実である
ことを、一般庶民は実感しているのだろう。
支持政党では
第1位 自民党(25%)
第2位 生活 (11%)
第3位 共産党・維新・みんな(5%)
第6位 民主党(4%)
第7位 公明(2%)
第8位 社民・みどり(1%)
なるほど、と思う。
民主党の凋落は極端ではある。
つい先日までの「政権政党」が
第6位。失礼だが、共産党の
後塵を拝するまでに低落するとは・・・・・
午後5時45分、日本料理店へ。
今日は新しい「マグロ」が入荷。
日本人の常連さんに「鉄火丼」を勧める。
今日は午後10時まで来客あり。
合計18人。
スコットランド人 7人
カナダ人 3人
日本人 1人
フランス人 2人
イングランド人 5人
午後6時から午後10まで五月雨式に
18人の来客。
厨房ではヒエウさんとヒエップ君が
奮闘。
ヒエップ君もすっかり日本料理店厨房に慣れて
来た。一定の料理も出来るようになった。
今日は、スコットラド人の注文。
カツカレーライスを作る。
日本料理店の副責任者をしている富岡先生。
事実上の調理主任をしているヒエウさん。
7月23日に結婚式の予定だったが、
夫になる人の祖母が急死し、当面「喪に服する」
ため結婚式は無期限延期とのこと。
グエットさんは、接客主任としてお客さんの
全てのサービスを一手に引き受けている。
短時間に18人もの来客があり、接客も調理も
「戦場」のよう。
18人もの来客があり、忙しい最中、リー君が
訳は分からないが、日本料理店の周りを
フラフラしている。そのうち、私の電動バイクを
見て「先生の電動バイクの鍵は、泥棒が来たら
直ぐに壊され、バイクはとられてしまう。
僕が、本当の切れない鎖を買って来る」
と言って「」頑丈な鎖」を買ってきてくれる。
その道の専門家が言うので、私もリー君の
意見に従い、太い鎖状の鍵を買ってきてもらう。
リー君は、最近は、日本料理店の周りをフラフラ
している。何を望んでいるのだろう?・・・・・・
結局、今日は18人もの来客があり、厨房も
グエットさんの接客も「息つく暇もない」状態だった。
午後10時まで最後の来客が残り、長時間の
日本料理店接客・調理闘争が終わる。
自宅着、午後10時過ぎ。今日は夕食も摂って
いないが、冷たい水を飲み、就寝。
2013年07月14日
夏の日程調整:リー君たちと夕食会
快晴
午前9時起床。
バオミンさんと電話で20分ほど打ち合わせ。
午前11時、昨日料理のセンさんが作ってくれた
マカロニスープの3分の1を温めて食す。
支援者の方から頂いた「メロン・ジユレ」を冷やして
食べる。生のメロンが入っていて美味しい。
午後1時から1時間ほど昼寝。
その後、夏のスタディーツアー等の日程調整。
午後4時45分、電動バイクで「家庭料理2」の
お店へ。
リー君、富岡君・石井君で夕食を食べながら、
懇談する。
ベトナムにも「煮凍り(にこごり)」がある。
肉のにこごりは、美味しい。
「家庭料理Ⅱ』のお店は、豆腐料理が美味しい。
午後7時半夕食会解散。
私は電動バイク、富岡君・石井君は自転車。
リー君だけは結構高級なオートバイに乗っていた。
リー君が「先生、ブライセンのホアン君に電話
をした。飲みましょう』と誘われ、嫌といえず
付き合う。
午後8時前、レロイ通りの大衆食堂で
リー君とブライセンのホア君(元在宅支援)
と3人で懇談。
私は疲れたので30分ほどで帰宅。
宿舎に着いたら部屋中の電気が消えている。
配電盤を見ると「過電流」でブレーカーが
自動的に切れていた。
ブレーカーを上げるが、数分するとブレーカーが切れる。
電力会社が電圧の調整がきちんとできない現状である。
フエは今でも電圧・電流が安定しない。
異常に高くなる時と電圧が下がる時が
あり、精度の高い精密機器は、現在の
フエの電圧状況では壊れやすい。
午後9時半過ぎに横になる。今日は暑さと
エヤコンのストップでかなり疲れた。
2013年07月13日
電動バイク修理・理髪店へ
午後2時 外気温 38度 湿度50%
午前6時起床。熟睡。既に私の体は、20年間の
フエ生活に慣れてしまっている。日本、特に
東京は息苦しい。
午前7時朝食。「蟹団子入りブン米麺」
豚か牛の血の塊は抵抗があるが、食べる。
食事をしながら読書
「物語 韓国史」( 金両其 著 中公新書)」
紀元前後の「天孫降臨」神話。
新羅・百済・高句麗の天孫降臨神話。
朝鮮の天孫降臨神話では、モンゴル系の
流入の形跡が見える。
著者によれば、日本の天皇の天孫降臨神話
は「人民の要望や要請によって天降る(あまくだる)
のではなく、天皇の祖先と称する天孫族が、
民意などにお構いなく、勝手に天降ってきた。
それに対し、朝鮮新羅の天孫降臨は、
村長などの要請を受けて天孫降臨をしている
と書いている。神話の上での話ではあるが・・・・。
午前9時過ぎ、ソン君が電動バイク業者を
つれて宿舎まで来てくれた。
電動バイクが故障してしまった。これから、
スタディーツアーなどでの講演会で「子どもの家」や
静岡会館などへ何度も出かける。電動バイクが
ないとスタディーツアーなどへの講演会が出来ない。
業者が電動バイクが動かなくなった原因を
調べてくれる。原因は、「バッテリー不足」。
長期間電動バイクに乗っていないとバッテリーが
なくなるとのこと。
業者はバッテリーを電動バイクから取り出す。
4つのバッテリーで電動バイクは動く仕組みに
なっている。そのうちの1つのバッテリーが
故障し機能不全とのこと。新しいものと
取り替えてもらうことにする。
午後、新しいバッテリーを持ってくるという。
7月・8月・9月のスタディーツアー等の日程を
改めて確認する。
この20年間、毎年のことではあるが、たくさんの
スタディーツアーが来てくれる。様々な取り組みを
「子どもの家」で行い、子どもたちに良い影響を
与えてくれる。
午前11時半昼食。「春雨麺」
食欲なし。野菜と麺の3分の1を食す。
午後12時半から2時間程「昼寝」。熟睡。
ベトナムでは、昼寝は体力保持・健全な仕事をする
上で必要不可欠なものだと痛感する。
「近代化」・資本主義化は、徐々にベトナムの
「シエスタ」(昼寝)もホーチミン市など外国企業が
進出した都市では既になくなっている。
フエのシエスタも徐々になくなる方向には
行っているが、頑固なフエ人は、シエスタ消滅に
抵抗している。
昼休み1時間などと決めて仕事をするより、
2時間ほどの「シエスタ」を取った方が
仕事の能率ははるかに上がるのだが・・・・。
午後2時半、電動バイク修理人とソン君が
再度、来訪。電動バイクを直してくれる。
大型バッテリー1個を取り替える。
バッテリー交換代も入れて60万ドン(3000円)
午後3時半、3ヶ月ほど行っていなかった「理髪店」
へ行く。20年前から私の髪を切ってくれている
店長(オーナー)は、私と同年齢。
髪が真っ白になっていた。鏡に映る自分自身を
まじまじと眺め、床屋のおやじさんと同じように
私も年を取ったと実感した。
3ヶ月間行っていない間に長くなった髪を
バサバサーと切ってもらう。
30分ほどで終了。代金3万5千ドン(175円)
宿舎で当面の課題について整理。
午後6時前に電動バイクで日本料理店へ。
日本料理店の前にリー君がいた。「先生、明日は
午後5時」と2回ほど言う。
日本料理店では、日本人スタッフが夕食を
終わったところ。
一番若いI君に日本の支援者のKさんからの
チーズの差し入れを渡す。
毎度のKさんの心遣いに感謝。
その後、2人の日本人の来客あり。
静岡県から来られた方は、私が学校で講演会を
した時の先生。午後9時半まで色々なことを
話し合う。
午後10時前に閉店。宿舎着午後10時過ぎ。
日本滞在中は体調不良だった。熱帯夜の影響も
あったのだろう。
しかし、ベトナム・フエへ帰ってからは、快調。
フエへ帰ったら体調が良くなったのには、何か
理由や原因があるのだろうか? ない。
(かどうか、分からない・・・・)
2013年07月12日
ベトナム事務所の皆さんに挨拶
午前5時起床。晴天・暑い
昨夜はエヤコンを「ガンガン」かけて寝た。
お陰で熟睡。午前5時には目が覚めた。
衣類のケースや部屋の整理をする。
午前7時朝食。「フォーボー」(牛肉米麺)
牛肉が大きすぎ「歯」で噛み切れない。
料理のセンさんに「申し訳ないが、
歯の調子が悪いので、今後肉を出す
場合は、小さく切ってもらえないか?」
とお願いする。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員の皆さんに2ヶ月近く
ベトナム事務所を不在にしたこと、その間
皆さんの努力で子どもたちや訪問者・日本語教育
などできちんと仕事が出来たことに感謝を述べる。
午前9時、「子どもの家」出身のVU君と懇談
1時間ほど、懇談する。
その後、バオミンさんと会計部長のハンさん
に日本から持ってきたJASS会費等のお金を
渡す。
その後、バオミンさんといくつかの問題で
話し合う。
宿舎へ帰ったのは、午後12時。
昼食を用意して料理のセンさんは帰宅。
昼食は「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の
手打ちうどん)
既にのびていた。
外気温は40度を超えている。
久し振りに「昼寝」をする。
午後2時、ソン君が電気屋さんを連れて
宿舎に来てくれる。
トイレの蛍光灯が壊れてしまった。
私の不在の2ヶ月余りの間、宿舎は「空気抜き」
などがなかった。カンカン照りの太陽に晒されて
いるようなもの。
蛍光灯も壊れ、柱につけておいた時計は、
落ちてガラスが割れていた。
ソン君の通訳・業者の方への適切な伝言で
蛍光灯は直る。蛍光灯の機器が高熱で
焼けてしまっていた。
ソン君の指導で業者がトイレの蛍光灯を
直してくれる。
その後、いくつかの長文のメールを書く。
午後6時前、日本料理店へ。
日本人スタッフの皆さんの元気な顔を見て
安心する。私の不在中も熱心に日本語教育
や日本料理店などの仕事に力を注いでくれていた。
感謝。
日本料理店のスタッフも元気に仕事をしていた。
結婚間近い「ヒエウさん」とヒエップ君。
来客もあり、午後10時近くに閉店。
2013年07月11日
成田→ ホーチミン市→ダナン→フエ
昨日、歯科医へ。
インプラント手術後、1ヶ月の経過を見る。
インプラントの仮歯を外す。「ネジ」ではずのには
驚いた。
手術後1ヶ月。経過は良好。
「抜糸」をする。
インプラント手術後の縫合等の状況が良いとのこと
で手術をした3本の歯の歯茎・インプラントの
チタン棒等を写真に撮る。
仮歯を取って、歯全体の掃除。
これから2ヶ月後に本歯を入れるとのこと。
==============
成田空港付近のホテルに投宿。
今まで「じゃらん」を通してホテル等の予約を
していた。今回、メールでホテルを申し込むと
「ポイントを使いますか?」との表示がでたので
何の気なしに「はい」に●を入れる。
1500円で泊まれるとのこと。今までの
ポイントが溜まっていたということだ。
京成成田駅徒歩1分の温泉つきのホテル。
午前5時起床。入浴。
午前6時半、ホテルを出てバス停へ。
午前7時、成田第一ターミナル着。
チェックインをしようとしたが、時刻が早いのでまだ受付して
いない。
30分程待つ。ベトナム空港カウンターでチェックイン。
午前9時まで空港で待機。
午前9時半、飛行機が空港を出発。
午後1時半(日本時間午後3時半) ホーチミン空港
へ無事到着。外気温32度。
税関でまた「デコ電」の材料が「ひっかかって」しまう。
今度は男性の職員。前回の失敗の反省に立って
私の長期ビザを見せる。フエ省警察責任者の印がある
長期ビザ証明書。[『JASSの代表で公的機関のスタッフ
なので長期間のビザを許可する・・・・』。と書かれている。
税関の男性スタッフは、「ハイお通りください」的な態度
で無罪放免。
ベトナム社会主義の「素晴らしい」ところである。
官僚主義の精華と言える。
公的証明書的なものがあれば、内容のチェックは
関係なく、「検査終了」。前回の女性スタッフには
200ドルほどお金をとられてしまったが、
今回はフエ省警察の力が勝った形だ。
荷物は、40キロもあった。
ホーチミン空港のターンテーブルに着く頃、
携帯電話が鳴る。電話の表示を見ると「BAO」
とある。すっかりバオミンさんだと思い返事を
する。「リー君」だった。全く紛らわしい名前を
つけたものだ。
「先生、着いた?」「元気?」「今夜
飲もう」とのこと。今日は宿舎に着くのが
遅いから明日の夜、と返事をする。
「それじゃ、明日夜5時から・・・・」との
会話で電話は終わる。
リー君との付き合いは20年にも及ぶ。
長い付き合いだ。
バオミンさんに電話をし、無事 ホーチミン市着の報告
同時に明日の夜、リー君と飲むことの中止を
リー君に電話してもらう。
明日の夜は、日本料理店にいることになっていたのだ。
午後3時50分 ホーチミン市発→午後5時ダナン着。
ダナン空港には、おじさん(こっちもおじさんだが・・)
が「MR KOYAMA」という紙を持って待っていてくれた。
この運転手さんの安全運転で「ハイバン・トンネル」
を超え、フエ省に入った。ランコービーチ。
きれいな白砂のビーチを取り囲む山々を夕日の
柔らかい日差しが、金色の炎のように
浮き立たせていた。
日本では失いつつあるのか、失ってしまったの
かは、意見の分かれるところだが、
ベトナム人は、この風景の偉大さ、大切さを
まだ知ってはいない。「なくした人間こそが
その自然の素晴らしさ」を知るのである。
車で2時間半かけてフエ市内へ入る。
宿舎についたのは、午後8時を過ぎていた。
宿舎に着いた。何だか訳も分からず「エヤコン」を
ガンガンかけてみた。涼しく、すっきりした。
今夜は、涼しい夜を迎えることが出来る。
幸せ・幸せ・・・・・・・。
『人生の本質とは如何に?』
『エヤコンをガンガンかけることと見たり』
2013年07月08日
蒸し暑く眠れない
昨夜は、ほとんど一睡もできなかった。
我が家の主の指令で「節電」絶対命令が既に
下布されている。エヤコン使用禁止命令が
不当にも発令。入浴もシャワーだけとの絶対命令が
伝達されている。
夕方から蒸し暑く寝れない。「節電」の前に体が
おかしくなる。この3ヶ月体調が悪く、まだ本調子ではない。
筋力と体力・消化器系・歯と体の様々な部分が、「金属疲労」
状態です。この蒸し暑い夜にエヤコンなしで過ごすのは、かなり
きつい。
午後、あまりにあついので、「板橋温泉」に行く。
ゆっくりと塩分の強い温泉に入り、軽く生ビールを「試飲」。
夕方までゆっくりと過ごす。大分、疲れが取れる。
夜中も暑い。読書。「物語 韓国史」を読む。
韓国も日本と同様に「神代」の伝説の時代があった。
ほぼ日本と同様の「神話伝説」がある。紀元前2333年から
韓国(古朝鮮)の神話歴史は始まる。
2013年07月07日
ベトナム青年と懇談
非常に蒸し暑い
午前9時に自宅を出て、東京駅へ。
ベトナム青年A君と懇談。
東京駅地下食堂街で懇談。
午後4時過ぎまで話し合う。
2013年07月06日
母の墓参
快晴 真夏
午前10時半、自宅近くで姉と合流。母親の墓参へ。
8月5日が3回忌になるが、私がベトナムへ戻るので
3回忌はできない。
7月10日にベトナムへ帰国する前に母親と父、兄・弟の
4人に挨拶。
姪夫妻がお墓の掃除をしてくれる。感謝。
若干早いが、お盆の卒塔婆を4人分立ててもらう。
母親(99歳)、父(54歳)、兄(2歳)、弟(17歳)の4人に
ベトナム帰国の挨拶。
母親が99歳で亡くなった際も葬儀の翌日ベトナムへ帰国した。
8月5日の死去だったため、夏のスタディーツアーが沢山来訪。
その対応のために葬儀翌日には、ベトナムへ帰った。
一部、親族よりの批判を買う。
死んだ人間は何も言えない。日本へ帰国した際は、
必ず墓参し、育ててくれた親への感謝の気持ちを
伝えたいと思っている。
私は神も仏も信してはいないが、それでも亡くなった家族を
いつまでも思い出し、心の中に刻み付けるということは、
人間の自然の行為だと思っている。
自分の時間と労力を使うことで、亡くなった家族の慰霊
としている。兄などは、1945年12月に中国で亡くなっている。
既に兄がこの世にいたことを知っている人間も数人に
なってしまった。私の生が続く限りは、兄や亡くなった家族の
ことを思い出したいと思っている。
午後2時頃、上野へ帰着。皆で精進落としをする。
2013年07月05日
期日前投票
曇り 気温と湿度が高い
午前中、ベトナム事務所などからのメール受信・送信。
税田さんが法事で一時帰国。
昨日買った朝顔。1輪咲いていた。
午後1時半、地下鉄で板橋区役所前まで。
期日前投票を行う。
私は7月10日にフエへ「帰国」する。
投票日には日本にいない。
参議院東京選挙区は定数5人に20人の立候補。
何人かの現職は「落選させたい」候補者である。
比例区は維新が30人で最多。
次ぎが29人の自民。民主20。共産・公明17。
社民4。生活6。
「緑の党」と「みどり」という党があるので、紛らわしい。
私の投票の基準。
①脱原発・原発事故復興への真面目な取り組み
②憲法改悪反対。特に憲法96条改悪反対(反戦・平和)
③景気(すぐに失速するアベノミクスの本質を突いているか?
対案をだしているか?)
こんなことを基準に選挙区20人の中からAさんを書き、
比例区は、00党を書く。
今日の朝日新聞17面「2013参院選 寄稿 オピニョン」
(作家 高村 薫)
は今度の選挙の投票前に一読の価値はある。
『躍る言葉に背を向けよ』「どう生きるか」という意志と
選択が問われる。
この文書を読んで安倍首相がアラブ首長国連邦へ行き
「世界一安全な日本の原発」と発言し、原発を売り込んで
いる醜い姿を思い出した。
『踊る言葉に背を向けよ』。どんなに逃げても日本列島
で地震は起きる。多くの人がなくなる。食べ物や森林の
変化、人間が生息する限り、自然の崩壊がすすむ。
そうした現実に目を背けず、そうした人間の生きることに
よる「業」を受け入れ「どう生きるか」が問われる選挙だと
言っている。
読書「物語 韓国史」(金 両 基 著:中央公論新社)
朝鮮の歴史を概観したいという気持ちを以前から持っていた。
著者は東京で生まれ、早稲田で博士号を取得。静岡県立大
などを歴任。日本で生まれ育ち学び、祖国の朝鮮の歴史を
研究しているところに注目した。1933年生まれ。
2013年07月04日
ベトナム事務所等との連絡
曇り 蒸し暑い
午前から午後にかけてベトナム事務所の諸課題・ブライセン
関連の件について、バオミンさんと電話で話す。
午後2時過ぎ、自宅を出て地下鉄で巣鴨へ。
「巣鴨朝顔市」へ。
朝顔と夕顔が売られていた。
朝顔を2鉢買う。1週間後位に花が咲くようだ。
7月6日・7日・8日は「入谷朝顔祭り」
入谷鬼子母神。
午後7時、NHKTVを見る。
9政党党首の「参議院選挙公示」にあたってのインタヴュー。
生活の党の小沢一郎が、「自民党改憲案」は、憲法97条
の基本的人権条項を丸ごと削除したことが問題との提起を
していた。他党は、96条の改正に反対していた。
民主党は、色あせていた。
安倍氏は、耳にイヤホンを入れ、自分の頭での発言ではなく
誰かからの指導がないと話せない感じがした。
能力の問題だと思った。首相になる器ではない。
共産党の志位委員長。安倍首相は「国会のねじれを解消
する」と言っているが、「安倍自民党こそ、原発反対、消費税
値上げ反対など国民の要望と自民党の政策とがねじれて
いる」と言っていたがその通りだ。
維新の会の橋本氏の話し方と内容は、ヒトラーを彷彿と
させる。内容はないのだが、いかにも「過激に変革」する
ようなそぶりだけは、しっかりとしていた。
従軍慰安婦問題の大失言・無知についても「マスコミの
誤報」と未だに言い張っている人間性の欠如。
政党のリーダーになるべき人格・人間ではない。
物事は、複雑なものである。そう単細胞にすっきりと
切り捨てることはできないのだが・・・・。
ヒトラーの論法がまさに『複雑なもの』を単純に切り捨て
耳に響きの良い言葉にしていた。その結果が、あの
ホロコーストである。
各政党のスローガンでは社民党の「強い国よりやさしい社会」
が一番分かりやすい。
ーー
税田さんが日本へ一時帰国。
2013年07月03日
高校クラス会ではない「クラス会のような会」分派会議
午前中、ベトナム事務所その他から来たメールへの対応。
読書「後藤田正晴」(保坂正康著:中公文庫)読了
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」「憲法改悪案の発表」。
維新の会の橋本・石原氏の「歴史認識・従軍慰安婦問題発言」
などなど、為政者の良識と見識の極端な低下状況が
見て取れる。
週刊朝日では、元自民党幹事長の加藤紘一、野中広務
古賀誠などが、日本共産党機関紙「赤旗」誌上で、
平和の問題を語っている時代になったと報道している。
テレビで「9党党首会談」を見る。どうでもよいことだが
一番「肥満だった」のは、日本共産党首の志位和夫氏
だった。よほど、栄養状態が良いのだろう。
最高権力者である安倍首相が、一民間人の元外務官僚
田中均氏個人を公然と批判するなど、「権力」と政治のイロハ
すらしらない「暴走状態」にある現状だ。
20年・30年前の自民党幹事長や官房長官は、私的には
不倶戴天の「敵」だったのだが、後藤田氏の伝記を読むと
(著者の入れ込みを差し引いたとしても)「良識」と「常識」
を弁えている「知性」を感ずる。
安倍・橋本・石原氏などを見ていると「知性」と「良識」
が極端に欠如しているように思われる。
後藤田正晴はこんなことを語っている。
「1986年 イラン・イラク戦争時、イランによってペルシャ湾
が機雷封鎖された。アメリカの要請で日本の自衛隊が出動し
機雷撤去をするかどうかという問題が起こった。」
「後藤田は中曽根首相に自衛隊の機雷撤去のための海外派遣
は閣議で決めるんでしょうな。こういう重大な決定は閣議で
決めなければおかしい。しかし、私は閣僚として決して
署名はしない」と言っている。自衛隊の海外派遣には、反対と
中曽根首相に言っているのである。
1991年PKO法案でもめている当時
「良く憲法を守りさえすれば国はなくなってもいいのか?
とそんな愚かな議論を持ち出す人がおるんだな。
しかし、現在、国の将来を考えた場合、やはり今の憲法
で定まっている平和主義を守っていくことが、これから先
の日本にとっても、国民にとっても、賢明な道ではないか、
と考えている」と言っている。
傾聴すべきことばである。私は「威勢の良い言葉」を吐く人間を
大体は、ヒトラーと二重写しに見ている。安倍氏・橋本氏・
石原慎太郎氏・・・・・など。政治や世の中は、そう簡単に
割り切れない、分かりにくものであって、簡単に割り切って
しまう政治家は、大体怪しい政治家と言ってよいと
思っている。
板橋区役所選挙管理委員会に電話をした。
明日、参議院選挙が公示されるが、期日前投票をしたい。
どうすればよいのか?
選管回答「7月5日から板橋区役所で期日前投票ができる」
とのこと。「投票案内書などが来ていないが、身分証明書等
が必要ですか?」と聞くと、何もいらないとのこと。
明後日の7月5日に期日前投票に行くつもりだ。
午後3時、巣鴨で「高校クラス会のような会の分派会議」を
行う。
高校クラス同級生に呼びかけ、9月20日から「ホイアン→フエ→
ラオス・ルアンプラバン→ビエンチャン」旅行を企画。
既に10人の参加申し込みがあった言う。
1963年~1966年の3年間、同じクラスで勉強した仲間。
お互いが知り合って今年でちょうど「50年」になる。
50年間、付き合いが続いている都立S高校3年8組の仲間の
この繋がりはどこから来ているのか?
3年間クラス替えがなかったこともあろう・・・・
担任のK先生をクラス会やクラス会のような会に全く呼ばない
クラス会も不思議である。
いずれにしろ、16歳・高校1年で知り合い、50年間、その
友情がつづいているクラス仲間がいるということは、
有難い事であり、幸せなことでもある。
今回、私は体調を崩し、3ヶ月近く寝ていたい。
やっと体調を回復しつつある。お酒が全く飲めなかったが
少しずつ飲めるようになった。まだ、今までのようには
飲めないが・・・・。前回の「この会」では、「ウーロン茶を
飲んでいた」。
更に1名参加するとの電話があり、河岸を変える。
魚一本のお店に行く。
豪快な「マグロの中落ち」
日本ラオディーの社長(ラム酒)S君登場。日本料理店接客主任
グエットさんの最初からの里親。
午後7時頃まで「ベトナム・ラオスークラス会旅行」の話や
日本の政治状況の分析などをしているうちに、一部
不心得者が、日本の性事状況分析などというとんでもない
分析を始めたので、私は厳しく叱責した。
解散後、巣鴨のお地蔵さん通りの「朝顔市」に行く。
所が、午前6時から午後7時までとのことで、今日は
既に終わっていた。
仕方がないので、明日、朝顔市へ行くことにする。
オリンピック東京招致には、全く関心がない。
まだ、無駄金を使い、一部の人たちの名誉と
金儲けの道具と化してしまうオリンピック招致騒動。
2013年07月02日
自宅で仕事
終日、各種の文書作り・ベトナム事務所との連絡など。
午後5時過ぎ、ベトナム事務所から電話あり。
ーー
今日(7月02日)の朝日新聞15面「私の視点×4」
はボランティア・NGO活動について、意味のある記事が
掲載されていた。
フエで20年活動し、いつも「大手のNGO」のしている
ボランティア活動に疑義を感じていたのだが、
私と同じ意見をもっているNGO関係者がいたのだ。
「イベントより現場のニーズで」
難民キャンプ 黒岩揺光さん(フリーライター)の投稿である。
黒岩さんは、2010年、ケニアの難民キャンプで「音楽コンテスト」
を行い、日本の歌手「ゆず」などが来て「音楽で難民の夢を
聞きたい」と国連主導で支援活動を行った。
スーダンの10代の女性3人組が優勝。
この活動を通して、日本でも難民問題に関心を抱く人が増え
寄付金が集まり成果があった。
しかし、と黒岩氏は言う。
コンテストが終わり数か月。出場した若者も話題に出なくなり
生活も改善されない。言ってみれば、この種のイベント支援は
線香花火のようなもの。
黒岩氏がキャンプで実施した1300人の若者対象の
実態調査を行った結果、「一番学びたもの」は「経営学」や
「英語」だった。キャンプに住む難民の人たちは、良い仕事
について幸せな家庭を築きたいと願っている。
「難民の夢を聞きたい」と考えるなら、現場の声を第一に
考えてこそ、その効果が最大限発揮される。
と言った趣旨だった。私がフエで20年活動をして一番
感じている海外支援の本質を突いている意見である。
日本の大手のNGOの大半は「有名人」を使い、大金を
かけたイベントを行い、テレビ、マスコミ、新聞等を
使って大宣伝を行う。しかし、一時のイベントの後には
ほとんど何も残らない。残るのは、日本人側の「自己満足」
と言っては失礼だろうか?
一時のイベント「ボランティア」から、子どもたちなどを
成長させ、自立させる「長期」の「粘り強い」人間を育てる
支援こそ今、一番必要とされているのだ。
黒岩氏と私の意見は全く一致している。現地で実際に
活動すれば、同じ意見に到達するものと思われる。
2013年07月01日
終日自宅で仕事
午前9時起床。
蒸し暑い1日だった。
10数通のメール受信。
午後1時過ぎまでかけて返信。
午後は、訪越ビザ申請関係の書類を作る。
午後、1時間程昼寝。
JASS会員の方から電話。40分程話し合う。
夕方まで引き続き仕事。