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2013年07月19日
「子どもの家」卒業生NHIさんの結婚式
快晴・猛暑。夕方にわか雨。
午前6時起床。
午前7時朝食。「ブンボー」牛肉米麺)
午前中、8月のスタディーツアーのいくつかの
件について、沈思黙考する。
洗濯。
午前11時半、バオミンさんが宿舎の近くの道
までタクシーで迎えに来てくれた。
今日は「子どもの家」卒業生のNHIさんの結婚式。
NHIさんは、「子どもの家」の近くに住んでいた。
諸般の事情で父親がいない。家も貧しく、土間で
生活していた。母親は物売り。3歳年下の
弟がいた。
1995年に弟と一緒に「子どもの家」に入所。
NHIさん11歳。弟8歳。
NHIさんは、優秀な学力があり、フエ市内の
名門高校「グエンフエ高校」を卒業し、
フエ総合大学(現在のフエ科学大)の英文科に
入学。弟は素行が悪く、「子どもの家」の近くの
お店で万引きを繰り返し、何度も警察に捕まり、
もらい下げに行ったこともある。
NHIさんが、大学生の時、NHKから声がかかり、
日本の福岡市で国際若者交流フェスタがあり、
それへ出場する場面を取材した、との話があり
受けた。
バオミンさんがNHIさんを福岡まで連れて行き、
福岡出身のJASS日本語教師・S本さん、N山
さんも協力してくれた。福岡市の学校で国際交流
の取り組みがあり、ベトナム代表でNHIさんが、
英語でスピーチ。
その場面が、NHKで1時間放送された。
ベトナムへの帰国途中、私も加わり、
NHIさんの里親であるM山さんご夫妻の
名古屋の家を訪問し、交流した。
その後、NHIさんは、フエ総合大学
英文科を卒業し、ホーチミン市の会社に勤務。
現在33歳になる。早いものである。
この10年近く、NHIさんには会っていない。
バオミンさんと12時前に結婚式会場である
「子どもの家」の前のレストランへ行く。
入り口にNHIさん夫妻が待っていた。
旦那は、29歳のITのエンジニア。
NHIさんは久し振りに私を見てか?
貧しさで苦労した「子どもの家」時代を
思い出したのか? 私に抱きつき泣いていた。
4歳年下の旦那・NHIさんの母親・バオミンさん
20年近く前、貧しい片親の家庭に育ち、母親も
生活に四苦八苦していた時代があった。
縁があって「子どもの家」で11年間過ごし
今は、IT会社に勤め、収入も安定し、幸せな
結婚をすることが出来た。「子どもの家」が
なかったらNHIさんは間違いなく学校へも
いけなかっただろう。今と全く違う人生を
歩んでいたであろう。どんな人生がNHIさんに
取って一番幸せかは分からないが、それでも
安定した収入があり、大学まで出たことは
それなりに幸せな人生の財政的基礎は
出来たものとは思う。
里親を長く続けてくださった名古屋のM山さん
には心から感謝したい。
一児の父親になっていたNHIさんの弟のTRUNG君
今はしっかりとしたお父さんになっていた。
祝賀の記帳
「子どもの家」jからもセン委員長、ロック寮長、
タム医師などが参加。
ロック寮長は私が1993年9月1日にフエへ来て
以来の長いお付き合いである。今の「子どもの家」を
作る以前の「子どもの家」から一緒に仕事をした。
ロック寮長・タム医師
両家のご両親(左側:NHIさんは親戚のおじさん)
新郎新婦入場
両家のご両親と
150人ほどの列席者あり。相当豪華な結婚式
だった。
アヒルの姿焼き
衣装を替えて
「子どもの家」ノセン委員長・ロアン刺繍部長
午後2時過ぎに結婚式は終了
結婚式場のレストランは「子どもの家」の前に
あった。(写真は式場から見た「子どもの家」
午後2時半、フエ市人民委員会外務部長ニエン氏
と懇談。
地球の歩き方・「京滋YOUの会」・静岡の会ツアー
等の日程、人民委員会からの出席・訪問との
最終確認を行う。全てフエ市人民委員会の方で
準備済み。
午後4時半。ブライセンベトナム支社へ。
今日は本社の「会社説明会」(所謂業績結果説明会)
ブライセン本社の全社員参加の会議の模様を
ベトナム支社ではテレビ中継で見る。
午後5時頃から昨夜フエへ帰国した税田さんと
いくつかの件で話し合う。
午後6時。日本料理店には、ニュージーランド
アメリカ人が入店し、食事をしている。
そのため日本人と日本料理店の子どもたちの
夕食が遅れる。
今夜の夕食。「何とかうどん」
午後6時過ぎ、豪雨。
雨がやんで宿舎へ帰ろうとしたらリー君登場。
今日は、ブライセンのサッカーのシャツを着ていた。
投稿者 koyama : 2013年07月19日 20:20