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2013年07月24日

チャオ・バン・カンを食べに:第17回「子どもの家」バーベキュー大会

午前6時起床。

午前7時朝食。「ブンボー」(牛肉米麺)
牛肉を小さく切ってもらった。


食後、横になり読書「花柳風俗」(三田村鳶魚著)

私は毎晩寝る時には、寝物語に落語を聞いている。

大体は、8代目「桂文楽」や「古今亭志ん朝」の
「明烏(あけがらす)」を聞いているうちに寝込んでしまう。

これは、大手の商家の息子が、吉原に初めて連れて
行かれる場面を描いたものだが、この話を本当に理解
するためには、既に死語となった言葉の理解が必要。
「太夫」「なか」「なか店」「おいらん」「格子」「大門」・・・

本書は、江戸時代の京都・大阪・江戸の3大都市に
おける花柳界の歴史と当時の様子を詳しく紹介
している。
廓(くるわ)の発祥は「古都京都」であり、その中心は
島原。島原は今の京都の下京区あたりに出来た
大きな廓が、当時大問題になっていた島原の乱の
頃に出来たので、通称「島原」というようになった。
仮名手本忠臣蔵などでも「大星ゆらのすけ」が、
島原で遊ぶ場面が出てくる。
当時、日本最大の遊郭は京都であり、島原だった。
しかし、手工業中心の都市。経済的には遅れていた。
徐々に「大阪」が中心になり、その大阪の中心が
「新町」。更に江戸にも「吉原」に遊郭が移転され
江戸と大阪の遊郭が勢力を誇ったとされている。


午前10時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所ではフエ外国語大学日本語学科の
学生さんが、フーン日本語部長の指導の下に
研修を行っていた。

ベトナム事務所応接室でしばらく内田さんやメンさん
石井君たちと懇談。


午前11時、ベトナム事務所員全員で
「チャオ・バイン・カイン」(手打ちうどん)の
「待つ店」へ。




バオミンさんの麺。・唐辛子で真っ赤。




何故か? ベトナム事務所員でもないリー君も
仲間に入っていた。





午後12時過ぎ、帰宅。


しばらく昼寝。

午後3時半、電動バイクでベトナム事務所へ。

ベトナム事務所には、ソン君・メンさんのお子さん
BAO君が遊びに来ていた。

日本料理店では、「餃子」の仕込みをしていた。



ベトナム事務所員の皆さん・内田さんと一緒に
「子どもの家」へ。

今日は、「子どもの家」の「バーベキュー大会」
今年で17回目になる。17年間も続く「伝統」の
バーベキュー大会。高橋さん・柳沢さん・景山さん・
内田の4人の方々の寄贈で行われている。
人間はちょっと思いつき、1度や2度は出来ても
17年間もひとつのことを続けるということは、
固い信念をもっているか、子どもたちへの愛情、
弱い人間の共感の気持ちをお持ちの皆さんだと
思う。改めて4人の皆さんにお礼を申し上げたい。

既に大きなポリバケツに氷と缶ジュースなどが
大量に用意されていた。

作りたての美味しい「フランスパン」


炭火バーベキュー用の炭


スタッフや石井君で重たいポリバケツを
運ぶ


炭をおこし始める



「子どもの家」で黒犬を飼っているようだ。



寮母さんと子どもたちが一緒になって
焼肉(豚・牛・鶏)の準備




幼稚園の先生を目指しているターオさん



フエ医科大学1年生。頑張って勉強をしている。


フエ科学大学付属高校という超難関高校に
入学した。


内田さんも準備に余念がない。



20年の付き合いのロック寮長


フエ芸大5年を卒業するフック君。



肉が焼けてきた。




「バーベキュー大会」寄贈の景山さん・柳沢さん
内田さん・高橋さんを代表して内田さんが
開会の挨拶






フエ師範大学生物学科を卒業するターオさん。
中学・高校の生物の先生をめざしている。




1993年10月に作った「チーラン通り子どもの家」
から20年間「子どもの家」にいるタン君。



ターオ・チャウ姉妹


警備員さんやスタッフ


セン「子どもの家」運営委員長・内田さん・ロアン刺繍の
先生


午後6時半、バーベキュー大会終了。

その後、フエ市内のベトナム料理店で
バーベキュー大会反省を盛大に行う。
なぜか知らねど、リー君が反省会に闖入。

バーベキュー大会主催者の景山さん・柳沢さん
高橋さんを代表して内田さんも参加。


豚肉の「にこごり」は美味しい。



午後9時前、反省会を終了。18本のビールを飲む。


日本料理店前に電動バイクを置いたので取りに行く。
リー君がオートバイに乗せてくれる。

幸いリー君は飲んでいなので、安心して後ろに
乗せてもらった。


午後9時半。宿谷へ帰還。


投稿者 koyama : 2013年07月24日 17:35

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