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2006年03月31日

教育関係者グループ ナムドン山岳少数民族交流へ

晴天。暑い。

午前9時、ホテルの部屋で現金を紛失した事件。
フエ警察の鑑識課員が来て捜査。部屋係り等の担当者の
捜査のため被害者の指紋採取。ミン・ベトナム事務所長と
立ち会う。

午前10時。教育関係者26人、バオミンさんとナムドン山岳
少数民族交流へ。

国道1号線を南下。途中で山岳地帯へ。緑と自然豊かな
ベトナムの山岳地帯へ。
1時間半後にナムドン中心地に到着。昼食休憩。

午後1時、ナムドン郡THUONG LO 村へ。
支援物資を持って村へ入る。

●カトゥー族の村長さんの歓迎の挨拶

●日本側から支援物資(インスタントラーメン・文具等)の贈呈

●村長さんから日本側訪問者代表に「はちみつ」の贈呈

●カトゥー族の歓迎の踊り

●日本の歌紹介

●カトゥー族の皆さんと交流

●カトゥー族の歓迎のご馳走を戴く


●そうらん節を披露

●カトゥー族の民族衣装を着て踊りの交流

●交流に参加する村人


●村人と一緒に記念撮影


午後4時過ぎ、交流を終え帰途。
途中、JASSを通して北垣氏と全教千葉婦人部関係者が
奨学金を支援している「THUONG LO 小学校」を参観。

午後5時半、フエ市内へ戻る。
1時間ほどホテルで休息し日本料理店へ。
今日はフエ最後の日。お別れパーティー。

私は急いで日本料理店へ行く。
日本料理店で26人の皆さんの夕食会の準備に
おおわらわ。今日は久しぶりにターオ君も
厨房に顔を出していた。

●「子どもの家」のTHUYさん・NIさんは調理係り
 この半年間にかなりの日本料理をこなすようになった。
 二人とも勉強熱心。鳥取の徳岡さん、茨城に中村さんが
 日本料理店ボランティアで来てきれた時、メモをとしながら
 日本料理を覚えていた。

●接客に慣れてきたグエットさん、ホン・ニーさん

●日本料理店内の「蚊の掃討作戦」を展開する
 警備員のリー君。真面目に良く仕事をするようになって来た。


●日本料理店を側面から支えている日本人スタッフ
  とターオ君


今日はハノイのベトナムテレビが日本料理店と子どもたち
の取材にやって来た。ニュースで日本料理店を報道し、
後日、特集番組にして放送するとのこと。


午後6時半、教育関係者の皆さんが日本料理店へ来店。
フエお別れ反省会パーティーが始まる。

始めに三鷹フリースペース主宰の佐藤洋作さんの
音頭で乾杯。

●今夜は人数が多いので「バイキング方式」とした。


●バイキングのメニュー

①前菜(豚肉ソーセージ、豚の頭のにこごり、野菜・・)

②ぬか漬け

③コロッケ

④焼きうどん

⑤金平大根

⑥かぼちゃの茎炒め

⑦野菜サラダ

⑧いなり寿司


⑨いかめし

⑩串揚げ

⑫スパゲティー

⑬里芋の煮物


⑭いんげんの胡麻和え


⑮小魚のマリネ

⑯牛すじ煮込み(徳岡スペシャル2)

⑰そうめん


宴の途中から参加者1人ずつのツアー参加の感想発表会と
なった。



午後10時半頃、夕食会は終了。


その後、子どもたちやベトナム人スタッフは帰宅。
日本人スタッフで簡単な反省会。
「京滋YOUの会」から贈呈された吟醸酒を飲みながら
深い反省を行う。

投稿者 koyama : 12:45 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月30日

教育関係者ツアーを終日案内

曇りのち雨。寒い。

午前9時、教育関係者、ベトナム事務所を訪問。
事務所員紹介。その後、刺繍作品を多数買ってくれる。

午前9時30分、船上生活者の子どもたちが多い、
フールー小学校を訪問。
校長先生からフールー小学校やベトナムの教育事情を
聞く。

5年生の教室を訪問し交流。日本の歌を紹介。

交流する子どもたち

バオミンさん・26人のツアー参加者と一緒にフエ名物
「ブンボー」を食べる。

昼食を終わり、部屋で昼寝をしようとした時、電話あり。
教育関係者ツアーの参加者の1人がジンマシンとなり、
緊急に医者を呼びたいとのこと。
サンさんに連絡し、医者を呼び、通訳をしてもらう。
処方箋をかいてもらい薬を買いに行く。

午後2時半、日本語学校2階で私のフエでの体験を話す。

午後4時半から日本語学校の日本語ガイドクラスの生徒と
交流会。自己紹介の後、一対一での日本語会話交流。


午後6時半からベトナム料理レストランで夕食会。

教育関係者ツアー参加者の1人が、ホテルの部屋に
置いた置いたバッグの中からお金を盗まれる。
急いで被害者、ミンさんと一緒にホテル社長と面会。
善処方を要請。明日、9時に警察が来てバッグから
指紋を採取する予定。

午後9時過ぎ帰宅。
昨日、今日と内容の濃い1日々。

投稿者 koyama : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月29日

上尾JGST帰国:江戸川ツアー帰国:教育関係者ツアー来訪

曇り・寒い

午前7時、上尾JGSTの皆さんが帰国。フォンザンホテルで
見送る。星野さん、加藤さんと心のある皆さんの訪問を
受けて、私自身もまた頑張ろうと勇気をもらった。

午前9時、江戸川区議などの皆さんを日本語学校、
オートバイ修理研修センター、「子どもの家」へ案内。

●「子どもの家」のセン委員長の歓迎の挨拶


「子どもの家」の各施設を参観し、フエ市人民委員会へ。
午前10時過ぎ、フエ市人民委員会へ表敬訪問。
副市長と意見交換。


●団長挨拶


フエ市人民委員会表敬訪問後、ベトナム事務所を訪問。
子どもたちが作った刺繍作品をたくさん購入して戴いた。
江戸川の皆さんはその足でハノイへ。私はベトナム事務所で
お別れの言葉を言う。



オートバイで「子どもの家」へ。
三鷹のフリースペース主宰者:佐藤洋作さんの呼びかけで
26人の教育や子育て関係者が来訪。
「子どもの家」で子どもたちと昼食を摂る。



教育関係者ツアーの皆さんから「子どもの家」へ
文房具などの支援品贈呈。

ホテルで昼休みをし午後3時、再び「子どもの家」へ。
「子どもの家」で子どもたちと遊ぶ。



私が大学時代から尊敬していた竹内常一先生と奥様。
全国生活指導研究協議会(全生研)の雑誌「生活指導」
に数多くの論文を書かれた。私は長い間の読者。


午後6時半、26人のツアーは宮廷料理と
庶民の料理を食べるグループに別れる。
私は庶民料理グループを担当。
地元の「コードー」(古都)レストランへ。


午後9時、夕食会を終了。
その後、20数年ぶりに会った綿貫公平氏などと
懇親会。午前1時、帰宅。

投稿者 koyama : 22:59 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月28日

江戸川区議などの皆さんフエ訪問:「スケッチ」誌取材

曇り・時々雨。寒い。

午前7時半、ミン・ベトナム事務所長、リー日本料理店警備員
と一緒にフエ空港へ。
午前8時15分着の予定が20分ほど遅れる。
午前8時40分頃、ホーチミン市からの飛行機が到着。
飛行機から降り、ターンテーブルで荷物を待っているが、
いつまでも荷物が出てこない。飛行機から荷物を運ぶ
車が故障して修理中とのこと。場内アナウンスすらない。
知り合いの空港職員に聞いて分かる。30分ほど
ターンテーブルの前で待たされる。

江戸川区からの皆さんは元区議会議長、現議長、議員、
監査委員などの方々。元議長の大場先生は既に
ベトナムへ3回も来られている。私たちのフエでの活動を
物心両面で応援してくれている。

リー君ははりきって荷物運搬の仕事。


無事空港を出て市内のホテルへ。
その後、バオミン・ベトナム事務所長の案内で「王宮」参観。

私は午前10時頃から雑誌の取材を受ける。
 ベトナムTRAVEL GUIDEBOOK「SKETCH」誌。
「スケッチ」誌はページ数120ページ程のベトナムの
日本語の総合ガイドブック。月刊誌。
編集・制作は「VIETNAMSKETCH編集部」。
発行は「APEX VIETNAM」。

スケッチ誌編集長の中安氏、APEXの小林氏、
ダナンの隅野氏の3人がわざわざ日本料理店
まで来てくれた。ありがたいことである。
何故、日本料理店を作ったのか? 「子どもの家」の
こと、ベトナムに来た理由などを話す。
日本料理店のメニュー、食事、開店時間などを写真に
撮ったりする。おさん方とも心のある方。
ストリートチルドレンや子どもたちに関心をお持ちだった。
嬉しいことである。こうした方々の地道な努力により
ガイドブック「スケッチ」誌が出来上がることが分かった。

●日本料理店ベトナム人スタッフと記念写真。
 スケッチ誌に掲載してくれるようだ。



午前11時、江戸川の皆さんが日本料理店へ。

お客さん全員帰った後、日本料理店スタッフの昼食。
日本料理店を堪能して戴く。金平大根など好評。


午後2時、トゥードウック帝廟参観。
午後4時、日本語学校視察交流。
日本語学校では「日本語ガイドコース」の生徒の授業中。
中村先生、フーン先生が卒業間近の生徒の最後の指導中。


●挨拶をする江戸川の皆さん


●生徒に自己紹介する元江戸川区議会議長の大場先生
 10年もの間支援を続けてくれている。

●日本語学校前で記念写真

午後7時、宮廷音楽を聴きながら宮廷料理を堪能

投稿者 koyama : 19:38 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月27日

地球の歩き方ツアー第4班:上尾JGSTの活動

曇り。気温が下がる。
体調不良。

明日「子どもの家」を訪問する団体が45人乗りの
大型バスで来ると言う。朝、観光を請け負っている
ダナンの観光会社から「フエで大型バスが文化遺産内に
入れる許可を取って欲しい」との依頼。
既に3週間前にこの問題は観光会社側に言ってあったはず。
明日「子どもの家」に来るのに今頃「通行許可」を取ってなどと
言ってくる無責任な観光会社である。
お客さんからは、3週間前に言われていたのに。
私たちはダナンの観光会社の下受けでも子分でもない。
ダナンの観光会社が自分の力でフエの警察に行って許可をとる
べき仕事である。
JASSはただ訪問者を受け入れるだけのこと。
勘違い・履き違いもはなはだしい。ダナンの観光会社からの
依頼を即座に断る。
明日、「子どもの家」を訪問する日本人団体の担当者である
税田さん、ラームさんに事情と問題点を連絡する。

午前9時半、トンチンカンホテルを出て「子どもの家」へ。
地球の歩き方ツアー第4班(8人)の皆さんに講演。
「子どもの家」の目指すもの、ボランティアなど・・・・。
午前10時から午前11時15分。


「子どもの家」では子どもたちが昼食中。

午後、体調を崩す。体がだるく起きていられない。
しばらくベッドで休む。

某テレビ局関係者からの取材依頼の問い合わせメールに
回答を書く。かなりの長文。

午後5時、日本料理店では夕食の準備。

グエットさんが玉子焼きを作る。

午後6時過ぎ、警備員のリー君がのれんを出し、赤提灯に
灯を入れる。

午後6時半、「上尾JGST」の皆さん8人が日本料理店へ。

上尾JGSTより「子どもの家」へ寄金を頂く。
加藤さんより。

今日の日本料理店のお勧め


日本料理店には日本語教師の松下先生の弟さんとその
友人が来店。


ベトナムの『青年新聞』の記者3人が取材を兼ねて来店。

午後9時過ぎ、青年新聞記者は飲み続ける。

今日はリー君が上尾JGSTに添乗。ラームさん・松下先生の
手伝いをした。リー君は少しずつではあるが、日本料理店
の仕事に熱が入ってきたようだ。一昨日、下宿が決まったのも
大きなこと。下宿は決まったが弟のターオ君とけんかをし、
ターオ君が家出。ターオ君のことも気がかり。
午後4時頃、ターオ君がふらっと日本料理店にやってきたが
直ぐにどこかへ消えてしまった。この兄弟が何とか
真っ当な道を歩めるようできる応援はしたい。
人間を育てるということは、時間と手間隙がかかるものである。
今の日本で流行っている「効率」と「実績」「成果」「即戦力」とは
対極をなす考えである。
私は「効率」「実績」「成果」「即戦力」などというおよそ人間を
無視した発想自体を忌み嫌う。人間に関することは、
およそ「効率」や「成果」などでは計れないものである。
私は「非効率」「成果なし」「即戦力」とならない日本料理店の
運営を行って行きたいと思っている。キーワードは
「人を育てること」「手間隙かけて、愛情かけて」。

投稿者 koyama : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月26日

上尾JGスタディーツアー:フーハウ幼稚園関係者夕食会

曇り。少し寒い。

午前7時半、ミン・ラーム・松下・小山の4人でフエ空港へ。
午前8時過ぎ、「上尾ジュニア・グローバル・スタディーツアー」
8人の皆さんが到着。ラームさんは挨拶をした後、ホーチミン市。
上尾の星野さん、加藤さんたちは今回で8回目のフエ訪問。

フォンザンホテル到着後、ミンさんと私の案内で王宮参観。
ドンバ市場視察、アオザイ作り。

昼食は日本料理店「子どもの家」へ。
日本料理店には既に4人のお客さんが来店、食事中だった。

配膳にも慣れて来たニーさん


昼食のメニュー「コロッケ定食」。ご飯、味噌汁、ぬか漬け。
カボチャの茎炒め、イカメシ、野菜サラダ。

上尾スタディーツアーの皆さんが帰った後、日本料理店スタッフ
の昼食。ハノイ名物フォー(米うどん)を食べる。リー君も
仕事を開始。

午後2時。上尾「JGST」(JUNIOR GLOBAL STUDY TOUR」
の皆さんは、ミンさん、小山の案内で「子どもの家」へ。
子どもたちと交流。

●セン運営委員長の歓迎挨拶



子どもたちの歓迎の歌と踊り


上尾JGST側の歌

続いて、上尾側の出し物「二人羽織」。バナナを食べたり、
お面に顔を書いたり。

昨年9月に入所したリーさんはすっかり「子どもの家」に
馴染んでいて、二人羽織を楽しんでいた。

上尾JGSTの最後の出し物は全員参加の「マツケンサンバ」。
子どもたちには大うけ。


交流を楽しむ子どもたち

●上尾JGSTの皆さんと

上尾の皆さんから「ハッピ」を戴く。フエ解放記念日の今日、
ホーチミン主席像まで記念撮影。

午後5時過ぎ、子どもたちと一緒に夕食。

夕食後子どもたちと上尾の皆さん全員の記念写真

午後6時前、上尾の皆さんと「子どもの家」に別れを告げ、
フォンザンホテルへ。


私はその足で日本料理店「子どもの家」へ。
日本料理店では、オアシスの会の大塚さんが主催し
8年前に主催・運営していたフーハウ地区幼稚園関係者を
招待しての夕食会が行われていた。
フーハウ地区は船上生活者も多く、生活困難な家庭も
たくさんある地区である。芝の会が幼稚園を建設。
大塚さんは芝の会の現地駐在員としてフーハウ幼稚園
に通い、園長さんやスタッフと協力して子どもたちの
保育に当たっていた。それから8年後の今日、当時の
仲間の皆さんを招待して久しぶりに旧交を温めた。

元フーハウ幼稚園園長先生の乾杯の挨拶

主催の大塚さんを囲んで子どもたちやフーハウ地区の話をする。


フ-ハウ地区との夕食会にはミンさん、サンさん、ソン君
日本語教師の皆さんも通訳や手伝いとして参加。

午後8時過ぎ、夕食交流会は終了。

日本料理店スタッフ全員で遅い夕食を摂る。
今日は31回目のフエ解放記念日。みんなで「乾杯」
をする。

今日は朝早くから夜まで休みなしで活動した。
さすがに部屋に戻ったら体が固まっていた。

上尾の引率のみなさんの真面目さに感心した1日でもあった。
日曜日にも関わらず仕事に出てくれた「子どもの家」スタッフ、
ベトナム事務所スタッフ、日本料理店関係者にも感謝。


投稿者 koyama : 09:47 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月25日

ベトナム事務所員会議==31回目のフエ解放記念日前夜

終日曇り。寒い。

午前8時半からベトナム事務所員会議。

(ミン)今週の行動、来週の日程などを報告して欲しい。
(サン)来週は日本語学校の総合テスト。初級(26人)
    上級(13人)。
(税田)近江八幡の方から『竹トンボ』の試作品を頼まれ
    80個送る。評判がよければ、ベトナム事務所を中継し
    送りたい。
(石岡)日本語学校は特に問題はなかった。

(フーン)来週、日本語学校が最終テストとなる。
     4月3日(月)午後6時終了・卒業式
(中村)上級クラスは来週テスト。今週、目標の50課までの
     授業を終了した。
      4月10日から「特別高級日本語クラス」を設置し
     上級コースを終わったり、他校で日本語学校を
     勉強し、わが校で更に日本語のスキルアップを
     した学生の特別専修コースを作りたい。
      毎週、月・水・金の夜。20人~30人。
(ラーム)明日の日曜日は地球の歩き方ツアー8人。
      上尾市関係ツアー8人。


(ハン)地球の歩き方ツアーの参加者から日本へ帰国後
     手紙が来ている。どの手紙を「子どもの家」やツアーに
     参加して「感動した」という内容だった。
    刺繍の関係者からの要望。刺繍の部屋が暗い。
    作品の汚れが見えない。もう少し明るくして欲しい。
  
(松下)「子どもの家」の日本語クラス。
    「子どもの家」のフーンさんの弟が入所を希望している。
    明日から弟が来るのでみなさん、宜しくお願いします。

(ソン)来週、上級のテストがあるので、今週は日本語の勉強を
   しっかりした。来週のテストの自信は75%。頑張ります。


(ミン)・「子どもの家」のカン君が月末に軍隊から帰ってくる。
    帰ったら「退所式」を行い、今後は在宅支援という形で
    フエ師範大学の寄宿舎生活に入る。
    ・現在、4人ほど入所希望の子どもたちがいる。
     4月になったら自宅などへの現地調査に入る。
    ・来週は5つのツアーが来る。特に3月28日は
     1日に5つのツアーが重なってしまう。大変だが、
     皆さんの協力で成功させたい。
    ・4月11日にピースボート42人が来る。
    朝9時フエ発で小山・ラームさんがダナンまで出迎えに
    行く。
(小山)4月11日のピースボートは午後6時30分から
    日本料理店で食事をする。バイキング方式での
     食事とするが、人手が必要なので皆さんの協力を
    お願いしたい。4月3日午前8時半、日本料理店で 
     ピースボート関連に打ち合わせをする。出られる人は 
    出席して欲しい。


1975年3月26日にフエは「解放勢力」によって「解放」された。
明日は、31回目の「フエ解放記念日」。同時に明日は
「ホーチミン共産青年団」の創立記念日でもある。
きょうは「フエ解放記念日」「ホーチミン共産青年団創立記念日」
の前夜祭の日。

フエの各種学校では、校庭にビニールを張ってテント代わりとし
テントでの「キャンプ」生活をしながら「解放闘争」を追憶する、
という建前なのだが、実際には、テントでテレビを見たり、
お茶を飲んだり、カラオケをしたりして楽しんでいた。

●フエ師範大の校庭(3月25日夜)

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「京滋YOUの会」に「SAOの会」がある。
SAOとは「星」。
「自称若者」が集まって、様々な取り組みをしようとの
趣旨で企画されている。先日、以下のような会合を開いた。
「SAOの会」よりレポートが入った。以下、紹介したい。

日時:3月11日(土)午後2時~5時
場所:長岡京市生涯学習センター会議室
出席者:ゲスト→H・D・クアンさん、
          D・Q・ナム・クアンさん
          (お二人共京都大学大学院生です)
     事務局→Hさん、Kさん、Iさん
     SAO→Nさん、Yさん、YMさん、Mさん、
     Gさん、Uの計11名でした。

前半は午後2時~4時半頃まで2人のベトナムからの
留学生、クアンさんからお話を伺いました。
ベトナムの歴史、戦争のこと、ベトナムから見た日本、お二人の生い立ちや、
なぜ日本へ留学したのか、などを話して頂きました。


私達もなぜベトナムに関心を持ったのか、なぜボランティアがしたいと思ったのか、などを
一人ずつ話しました。
出席された皆さんはそれぞれいろんな感想をお持ちだと思いますが、
同世代のクアンさん達が戦争によって食べることにも苦労された、
というお話をされたのは私にとって衝撃的でした。
テレビや本で聞いてはいても、実際にお話を聞いたのは初めてで、
「実際に見る、聞く、感じる」ことの重要さを実感しました。
お二人のお話はとても興味深くて楽しく、予定時間をオーバーしてしまいました。
またこのような機会があればいいな、と思います。

後半は4月2日のチャリティーバザーの諸連絡を事務局のHさんよりして頂きました。


バザーの準備は3月25日、26日、4月1日です。
4月2日は午前8時20分現地集合です。
よろしくお願い致します。


その後、この春に大学を卒業される、SさんとTさんの送別会を行いました。
同じく卒業生のSさん、Nくん、Sさんは残念ながら欠席でした。
京都を離れられる方も、京都で新しい生活を始められる方も時々は顔を出してくださいね!
皆さんがこれからもご活躍されることを願っています☆


次回team SAOの集まりは
4月8日(土)17時から長岡京市生涯学習センター会議室にて行います。
京滋YOUの会のパンフ作り、展示写真のパワーアップ、5月3日イベントの企画検討、

などを予定しています。
みなさん、ぜひぜひご出席よろしくお願い致します!


今後の活動予定
4月2日(日)チャリティーバザー
4月8日(土)17時~ team SAOの集まり
5月3日(祝)京都紫野ローターアクトクラブさんとの絵画展、写真展
        場所:京都市国際交流会館


teamSAOもだんだん盛り上がってきて、楽しくなってきましたね。
これからもどうぞよろしくお願い致します。


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2006年03月24日

ベトナムTV懇談=日本料理店全員会議

曇り。寒くなる。

気温の急激な変化で体がだるい。

午前8時半、ベトナムテレビディレクターが事務所へやって来た。

3月31日の夜、日本料理店の取材をしたいとのこと。
取材の目的は、「子どもの家」の子どもたちの自立のための
日本料理店を取材したい。子どもたち、日本料理店の
お客さん、私にインタビューをすることとなる。
最初は4分位の全国ニュースとして放映。その後、1時間
程度の番組にして再度放映したいと言っていた。

ベトナムの旅行ガイドブック「SKETCH」誌より取材の
申し込みがあった。日本料理店と私のインタビューを
したいとのこと。

午後2時から日本料理店全員会議を行う。

①当面の来客予約日程
  ・3月26日(日) P12     8人
             P6     20人
  ・3月27日(月) P6:30    8人
  ・3月28日(火) A11:30   5人
  ・3月30日(木) P6:30    8人
  ・3月31日(金) P6:30   25人
  ・4月02日(日) P12      2人
  ・4月04日(火) P6       3人
  ・4月11日(火) P6      42人

②4月から午後6時半より毎日開店することにした。
  日曜日だけ休みとする。
③4月3日(月)日本料理店全員会議を再度行う。

④4月11日ピースボート42人の対応を話し合う。
  日本料理店の1階と2階を使い「バイキング方式」
  で対応する。
   現在、作れる料理は次のようである。
  ●ご飯類
    ・赤飯のおにぎり
    ・太巻き
    ・いなり寿司
    ・まぜご飯
    ・焼きうどん
    ・そうめんサラダ(徳岡スペシャル1)
  ●ぬか漬け
  ●イカの刺身
  ●あえもの
    ・紅白なます
    ・イカとわけぎののヌタ
    ・サラダ(クレソン) マカロニ・ポテト
    ・胡麻和え
  ●炒め物
    ・空芯菜のニンニク炒め
    ・かぼちゃの茎炒め
    ・きんぴら大根・ニンジン
  ●焼き物
    ・ハンバーグ
    ・焼き魚
  ●煮物
    ・牛すじ煮込み(徳岡スペシャル2)
    ・さといものにっころがし
    ・筑前煮
    ・厚揚げの煮物
  ●あげもの
    ・小あじのマリネ
    ・エビのゴマ上げ
    ・鶏のから揚げ
    ・コロッケ
    ・串揚げ
  ●汁物
    ・味噌汁(豆腐・ねぎ・油揚げ・・)
  ●デザート
    ・フルーツ
    ・さつまいものきんとん
  ●その他
    ・枝豆  
    ・豚肉のソーセージ
    ・ブタの頭のにこごり

子どもたちは、この1ヶ月間の日本料理店での
仕事は楽しかったと言っていた。

こうした会議を子どもたちと大人スタッフとで繰り返し
行い、関係者全員が日本料理店についての問題を
しっかりと理解し、全員が経営者の意識で仕事に
立ち向かって欲しい。

投稿者 koyama : 22:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月23日

真夏日となる

快晴。気温34度。

数日前まで寒かったのが嘘のようだ。
今日の最高気温34度。真夏である。外に出ると真夏の
まぶしい日差しが目を強く刺激する。

午前中、ベトナム事務所でバオミン・ベトナム事務所長と
ベトナムTV取材の打ち合わせ、当面の日程の調整・整理
などを行う。3月26日(日)から多数の団体・個人の受け入れが
ある。担当者など最終確認。
4月以降の訪問者、ベトナム事務所運営などについて話し合う。

午後、日本料理店のベトナム人スタッフ全員と
当面の諸問題について話し合う。
私の方からは、グエットさん、ニーさんは店内に常時いて
お客さんの注文を聞くようにすること。トゥーイさん、新ニーさんは
厨房でフオンさんと料理を作る。ホン店長は全体の進行状態、
日本料理店全体の問題などをう総合的に見ている、という
役割り分担を初めて提案する。

清潔問題、特に服装問題を再確認。厨房担当者は、頭髪が
落ちないよう三角巾か布でいつも髪を覆っていること。
店内接客担当の二人は、接客用に制服を着用すること。
髪の毛はしっかりとヘヤーピンやバンドなどで挟んで
おくこと。お客さんに不快な感じを与えないように。
これはファッションの問題、個人の好みの問題ではなく
日本料理店の仕事をするということで必要なのだという
ことをしっかりと理解して欲しいと話す。

この1ヶ月近くの間の皆さんの仕事振りは、本当にすばらしい
ものだった。お客さんも既に150人ほど入店した。
来週1週間で70人近くの予約が入っている。
今日は午後7時から国会議員10人の予約も
入っている。2月15日からの1ヶ月間の仕事は皆さんの力で
良い結果を出した。特に料理の味は良かった。多くの日本人
のお客さんから「おいしかった」との言葉を頂いた。
今後は、仕事を早くてきぱきとやるようにしよう。

ホン店長から子どもたちに話があった。その後、子どもたち
一人一人からこの1ヶ月間の仕事をしてみての感想。
どの子も「楽しかった」といいう意見だった。
今後、昼、夜と開店するようにしていきたい。
夜の仕事は遅くなるので、ローテーションを組むなど
遅くならないように、帰りの安全を確保できるように
体制を作ろうとの話をした。

午後4時、ベトナム事務所へ。17通のメールの受信、
10通の送信。

午後6時、夕食。

午後7時、ベトナム国会議員8人と運転手など
10人の団体が予約来店。
フエ省、ハノイや北部、南部選出の国会議員の皆さん。


今日のお酒メニュー

今日のおすすめ


日本料理店は子どもたちやベトナム人スタッフなどの
強い希望で「全面禁煙」とした。
もちろん、喫煙を希望される方もいる。喫煙を希望される
方には、玄関に喫煙所を設けることにした。
「タバコ天国」のベトナムではあるが、禁煙の張り紙を
したら、ベトナムの方は全員従ってくれた。
ありがたいことである。「子どもの家」の子どもたちが
「タバコはやめて欲しい」と強い希望をもっている。
子どもたちの声に応えて、売り上げにどう影響が
あろうとも禁煙日本料理店としたい。
誠心誠意を込めて作った日本料理である。
タバコの臭いで美味しい日本料理の味が落ちるのは
「無粋(ぶすい)」というものである。
日本料理店「子どもの家」へお越しの皆様の
中で喫煙希望の方もいらっしゃると思うが、
「子どもの家」の子どもたちの強い希望もあり、
美味しい日本料理を堪能して頂きたい。
子どもたちのために禁煙日本料理店とした。
ご了解戴ければ幸いである。喫煙所を設置。
フエでは初めての「禁煙レストラン」となった。


今日のメニューは
・付け出し
・豚肉の角煮
・枝豆
・そうめん
・のりまき
・イカの刺身
・ご飯
・味噌汁
・かぼちゃの茎炒め


グエットさんは生ビールの注ぎ方をしっかりマスターした。
3割の泡と7割りのビール。


日本料理店には、「子どもの家」の卒業生で現在
フオンザンホテルの厨房で仕事をしているトゥーイさんが
遊び(手伝い)にきていた。


投稿者 koyama : 18:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月22日

メー前知事を日本料理店に招待する

晴天

午前7時、朝食。日本料理ボランティアで指導を続けて
くれた中村里美さんも最後の朝食となった。
10日間、色々と教えて頂き深謝。日本料理店の
メニューが大幅に増えた。


午前8時半、バオミンさん・税田さんと打ち合わせ。
午前9時過ぎ、フエ中央病院小児科医長のHUONG先生が
トンチンカンホテルを訪問。1時間半ほど、訪日問題などで
話し合う。

午後、HUONG医長訪日関係の書類作り。メール返信。
その他の事務。

夕方、中村里美さんが帰国の途へ。1週間、本当に
ご苦労様。

日本料理店では、午後5時半から日本料理店にやってくる
メー前フエ省知事の料理の準備に取りかかっている。

3月20日から入ったNIさんも他の仲間と仲良く厨房に
入っていた。


オアシスの会の大塚さんも日本料理店の手伝い

午後5時半、メー前知事と関係者3人が来店。世間話をしながら
日本料理を堪能する。


メー前知事に「子どもの家」の子どもたちを紹介する。
子どもたちは緊張して前知事と「対面」(?)。


ミンさんをはじめベトナム人は、「イカの刺身」
「徳岡スペシャル2(牛すじ煮込み)」「海苔巻き」
「枝豆」「そうめん」などを堪能した。

●淡白な日本の味「そうめん」

●メー前知事を接待する小山・税田さん。
 松下先生、大塚さんなどと一緒に日本料理店を
 宣伝する。


午後7時前にメー前知事一行は退席。

続いて日本の大学4年生が来店。
京都からフエ空港近くの工業団地に木材の工場を
作った京都の会社社長さん一行3人が来店。

続いてアメリカ人・フィリピン人が来店。

今日のお客は11人。


午後9時半に全ての仕事を終わる。

投稿者 koyama : 18:33 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月21日

オアシスの会支援現場視察

快晴。気温30度を越す。

昨夜半より下痢。昨夜、日本料理店で冷たい生ビールを
飲みすぎか? 何度もトイレ通い。

朝食を食べるのがかなりきつかったが、頑張って食べる。

午前8時過ぎ、昨日受信のメールに目を通す。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
ミンさん、オアシスの会の大塚さんと一緒に
「オアシスの会プロジェクト」の現場視察に行く。
オアシスの会はJASS、フエ市人民委員会外務部と協力して
「船上生活者」支援プロジェクトを開始している。
①船上医療船の運航 
②フーハウ診療所での船上生活者医療支援

始めに船上医療船の実情を調査。


●船上医療船医師とオアシスの会大塚さん

●医療船スタッフ(医師・看護師・船頭)と大塚さん


●オアシスの会より2006年度前期分の支援金を贈呈


引き続き、フーハウ地区診療所を訪問する。
医療船でフオン川から支流を進み40分。フーハウ地区診療所
前へ到着。

今日は気温30度以上の真夏状態。船上生活者のコロニーを
通り、フーハウ地区へ。フオン川の支流で「入浴」し、頭を
洗っている男性がいた。

フーハウ地区診療所はフオン川支流に面して建っている。
診療所前で所長さんと挨拶。

フーハウ地区診療所はフエにある全ての船上生活者を
対象とした地上・固定の診療所である。
所長さんに2006年1月~6月分の運営費(支援金)を
オアシスの会の大塚さんから贈呈する。

今日はオアシスの会の現地駐在員の大塚さんと医療船・
フーハウ地区診療所長などとの「顔合わせ」。
今後、大塚さんは恒常的・継続的に船上生活者の支援が
きちんと行われるように医療船医師、フーハウ診療所長と
協力してプロジェクトを成功させることになる。
JASSもその仲立ちをしながら大塚さんと協力して
活動を進める予定である。


フーハウ診療所の傍の市営住宅にいる里子のヒエウ君を
訪ねる。ヒエウ君は10年ほど前から在宅支援をしている。
手と足に障害を持って生まれた。諸般の事情でお母さんと二人
の生活。経済力がなく、学校にも行けなかった。
帯広のYさんが在宅支援をはじめ、通学させると学校の
成績は「最優秀」。昨年中学3年生となり高校進学の
猛勉強をしていた。突然高熱を出し、入院。精神的に
ダメージを受ける。直ぐに私とミンさんで訪ねて行ったが
部屋の中で笑っているだけ。他人との意思疎通も出来ない
状態となってしまった。お母さんは本当につらい思いを
していた。それでもヒエウ君のために頑張っている
お母さんを助けて応援した。フエ中央病院での治療を
開始。費用は帯広のYさんを通してJASSが支援。
半年後にヒエウ君はかなり精神の回復を見た。

今日、久しぶりにヒエウ君を訪ねる。
随分と回復していた。「ヒエウ君、君の写真を撮るから
ベッドの横に座って」と私が言う。ヒエウ君は
「シャツを着るので待っていて欲しい。ベッドの横ではなく
いすに座って撮って欲しい。そのほうが男らしいから」と言う。


ヒエウ君の回復の実情を確認し帰宅。

フーハウ地区診療所から医療船で帰る。
トンチンカンホテル着、午後12時過ぎ。
午前11時に料理のフオンさんが昼食を作って帰宅。
今日の昼食は「フエの煮込みうどん」。
部屋に戻り、のびのびの煮込みうどんを食べる。
丁度下痢をしていたので、柔らかくてよいなどと
思いつつ、胃に流し込む。

洗濯。

今日は急に暑くなった。半日、猛暑の中にいたせいか
かなり疲れる。1時間ほど昼寝。

洗濯物を取り入れる。

午後3時から午後5時半まで21通のメール受信。
17通のメール送信を行う。
全てのメールの目を通すのにかなりを時間を要す。
出来るだけ丁寧に返事を書く。

午後6時、夕食。

中村先生のお母さん(里美さん)は、フエで最後の夕食。
ラームさんも少しずつ体調が回復しつつある。

今日は日本料理店を休む。
午後7時過ぎ、日本人がやってくる。丁重にお断りを言う。

ミンさんと電話連絡。

ハノイのベトナム中央テレビから取材の申し込みがあったとのこと。
日本料理店について1時間の特別番組を作りたいとのこと。
特にストリートチルドレンなどの子どもたちのための日本料理店
はベトナムで始めてなので、こうしたことも含めて、番組を作り、
全国放送したいとのこと。番組制作に協力してくれるか、
私の意見を聞いて欲しいとのことだった。快諾する。
それにしてもベトナムの「うわさ話」は凄い。未だに
どこにも宣伝すらしていないのにテレビ局に情報が入るとは。
ベトナムの情報伝達の速さを改めて思い知った次第である。


WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で
日本が優勝した。喜ばしいことである。

NHKの「ニュース10」を見る。日本が世界一になった、
と渋谷や各地の繁華街で若者が大騒ぎしている様子が
放映された。

参加チームの中で一番になったことは素晴らしいことでは
あるが、「世界一」と言われると「うーん」と疑義を感じてしまう。
何よりもベトナムでは全く報道されていない。CNN,BBC、
イタリア、フランスの放送も見たが、ほとんど報道されて
いなかった。

世界一というからには、ほぼ世界中の国々が参加して初めて
いえることである。今回正確に何カ国が参加したかは知らないが
20ヶ国位だろうか。

220ヶ国ほどある世界の国々で野球をする国がどのくらいあるのか?
発展地上国の多くはグローブやバットが買えない。
ボール一つあれば出来るサッカーしか出来ない国々が
あることも事実だ。世界中のほとんどの国が参加していない
世界一。

勝ったのだから、グタグタ言うなと言われれば「はい」と
いうしかないが、何か「世界一」と浮かれてはいられない
わが日本ではないのだろうか?

暗い話ばかりの日本だから、たまにはこうした明るいニュースの
報道が必要だという人もいるかもしれないが、
「世界一」という言葉に抵抗を感じるのは、私だけだろうか?

「アメリカによるアメリカのアメリカのためのWBC」と言われている。
審判団の7割近くがアメリカの審判。日米試合の際に
アメリカの審判がジャッジをするWBCのインチキぶり。
アメリカ大リーグの開幕前哨戦のためのWBCだと
言明している野球評論家の二宮氏のいうものあながち
的外れともいえない。

イチローの情熱とファイト、損得を度外視した態度に
拍手を送りたい。

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2006年03月20日

アメリカのイラク侵略3周年:自衛隊・米軍の撤退を求める

晴天。
徐々に夏になってきている。

朝8時半、ミンさんとセンチュリーリバーサイドホテルへ。
文京区根津の岡野ご夫妻と面会。岡野さんは、私の
姉の住んでいる根津地域の都職員として青少年健全育成
事業の担当者だった方。義兄と知り合い。


岡野夫妻、ベトナム事務所を訪問。

ベトナム事務所から日本語学校、オートバイ修理研修センター
などを案内しながら「子どもの家」へ。

●セン委員長と岡野夫妻


「子どもの家」の各施設などを案内。
図書室では子どもたちが本を読んでいたい。

午前11時過ぎまで「子どもの家」に滞在・視察交流


「子どもの家」に昨年の卒業生「トアン君」が遊びに来ていた。
トアン君は13年前、チーラン通りに作った「子どもの家」に
入所してきた子ども。それから13年間、私たちの「子どもの家」
で生活してきた。その間、中学校を卒業し、靴作りの職人の
研修を行った。昨年、「子どもの家」を退所し、郷里のクアンチ省に
帰る。クアンチ省の靴屋で仕事をし自立している。
今日は、クアンチ省からお店の仕事で靴をもってフエにやって
来たという。ついでに「子どもの家」を訪問し、スタッフに近況
報告になってきた。元気に働いている様子を見て、
13年前の小さなトアン君、15・6歳の頃に暴れていた
トアン君の姿を思い出す。国際支援は、「人間を育てること」
だと本当に思った。人間に目を向ける支援でなければならない。
建物や物を与える支援では到達できない国際支援があることを
改めて知った。

午前11時半、日本料理店へ。


昼食時には二人の日本の若者が来店

THUY XUAN 「子どもの家」の所長さんとスタッフを日本料理店
に招待。NIさんが今日から元気に働いている様子と職場を
見てもらう。立派な日本料理店に驚いていた。
オムカレー、トンカツなどを試食してもらう。
ベトナム人には好評だった。

今日の日本料理店昼食メニューは

・オムカレー(玉子焼きで包んだライスにカレーをかける)
・焼き魚定食(おにぎり、焼き魚、味噌汁、小鉢)
・ハンバーグ定食(ご飯、ハンバーグ、小鉢)
・トンカツ定食(ご飯、トンカツ、小鉢、味噌汁)

●オムカレー

●焼き魚

●おにぎり

●トンカツ

●ハンバーグ

●ひじきの煮物

★岡野夫妻と日本人客、日本料理店スタッフ


●忙しい昼食の料理作りの合間に「昼食」を摂るスタッフ

全てのお客さんが帰ったのは、3時近かった。

午後4時過ぎから夜の開店準備。
今夜は予約のお客さんはいない。お客さんが何人来るのか?
来ないのか? 何を注文するのか? 

今まで主に「予約客」への対応が中心だった。
これまでに百数十人への接客を行った。
これからは「フリー」のお客さんへの対応の練習が必要で
ある。毎日は無理だが、週に何回かの「フリー開店」
を行う予定。

既に4日間ほど、中村先生のお母さん(里美さん)が
日本料理店ボランティア指導員を買って出てくれている。
ベトナム人スタッフは既に多くの料理を中村里美さんから
学んだ。
私見ではあるが、中村里美さんの料理で一番は
「豚肉の角煮」である。時間をかけて、バラ肉を
コッテリと煮ていく。上品な豚の油が香り、絶品の
「豚角煮」が出来上がった。同時に作る「煮玉子」も
美味しい。


フリーのお客を呼び込むために店頭にホワイトボードを出す。
居酒屋でのアルバイト経験のある石岡先生がチョコチョコと
書いてくれた。鮮やかなものである。どんな仕事もどこかで
役立つものである。理屈より経験。


午後6時から午後8時過ぎまで開店。2人の日本人の来客があった。

午後8時半頃、閉店。
閉店後、日本料理店スタッフは夕食。

今日はオアシスの会の大塚さんが日本料理店の手伝いに
来てくれた初日。大塚さんの歓迎会となる。
中村里美さんの「豚角煮」で生ビールを飲む。最高の味。
「アメリカのイラク侵略戦争』に反対し、生ビールを痛飲。

夕食開店中、「子どもの家」卒業生のTHUYさんが遊びに
来る。現在、フォンザンホテルの厨房で仕事をしている。
THUYさんの応援者中野亜里先生から預かっている
絵本と手紙を渡す。THUYさんも11年前に「子どもの家」へ
入所してきた子ども。立ち話をする。ホテル厨房の
仕事も色々と大変なようだ。様々な人間関係、ホテル
上層部首脳の大幅人事異動から来る厨房内での
諸問題・・・・。人生の困難を乗り越えて成長して
行って欲しいと願うのみである。

今日はアメリカがイラク侵略を始めて3周年となる。
3年間を経過して、アメリカのイラク侵略が国際法に違反し、
何ら道理もなり侵略・「人類に対する犯罪」「大量虐殺行為」
であったことが明らかになった。

アメリカのイラク侵略の最大の口実は「大量破壊兵器」だった。
その後、アメリカ自身の発表で「イラクに大量破壊兵器はなかった」
ことが判明。アメリカが勝手に作った口実すら根拠のないもので
あった。
侵略開始から3年。米国民の60%以上が「イラク戦争は
間違っていた」と言っている。ブッシュ大統領の支持率は30%
にまで低下。
イラク「政府」の高官ですら「イラクは内戦状態」と言っている。

たった3年間で世界中の人々が、アメリカとそれに追随する
我が小泉首相の「嘘に塗り固められた暴力・虐殺」体質を
知ってしまった。事実と現実は隠すことが出来ない。
2003年3月20日。ブッシュ大統領の開戦を最初に支持
した小泉首相・自民党、連立をしている公明党の責任は
重大である。3年後に明らかとなったイラクの現実を
率直に認め、イラク侵略を認め世界に自己批判すること、
直ちに軍隊を撤退させることが必要である。

私は人間が人間を殺すいかなる戦争にも反対である。
孤立してもこの考えは変えない。ストリートチルドレン支援、
障害児支援の根底には、人間の命、人間そのものを
大事にしたいとの強い思いがある。
いつの戦争も「戦争をしよう」と声高に言う人は、絶対に戦争
には行っていないのである。戦争に行き、殺し合いを
させられるのは、若者である。小泉首相もブッシュ大統領も
安部官房長官も戦争には行かないのである。


以下、3年前、ブッシュ大統領のイラク侵略が開始された時の
私の火焔樹日記である。


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2003年3月20日(木)

 アメリカのイラク侵略に抗議します。直ちに戦争・攻撃をやめるよう求めます。
 多くの子どもたちが戦争で殺され、路上をさ迷い、想像を絶する苦痛を味わせる戦争を世界の世論の力でストップしましょう。

 とうとうアメリカのイラク攻撃が始まる。朝8時過ぎ、テレビでブッシュ大統領の「開戦」のテレビ演説を聞く。イラク国民を救うために攻撃すると主張。待てよ。確かイラク問題を急浮上させてきたのは、2001年9・11のNYテロ後にブッシュ大統領が「悪の枢軸」としてイラク、北朝鮮などを名指しした時からだったはずだ。その時には、テロリストにイラクの大量破壊兵器が渡ることが問題だとしていたはずなのに。いつの間にか「フセイン政権打倒」「新政権樹立」という政治体制を変革することに目的がすり変わっている。
 いくらアメリカが気に入らないからと言って、一方的にイラクを攻撃し、自分たちの気に入った政権を樹立する権利はない。
 明らかに攻撃をされた場合、又は、国連の安保理事会での決議があった場合のみ特例としての『武力行使』が容認されるはずである。今回は、イラクが攻撃している訳でもない、安保理事会に「新決議案」を提案しておきながら、採決すらしないで、一方的に攻撃を開始している。
 今日のアメリカのイラク攻撃は何ら国際法上の理由もなく、明らかに国際法に違反する侵略行為である。
 既に今日の爆撃で市民が1名死亡し、子どもを含む10数名の負傷者が出ている。アメリカ軍はこれから本格的な攻撃を始めると予告している。恐ろしいことである。数十万人の人々が殺されると予想されている。
 日本政府がアメリカのイラク攻撃を支持することを国会で公然と表明している。一体日本国憲法からどうしてこの戦争を支持するという結論が導き出されるのであろう。
 NHK国際放送では解説者や軍事評論家が出てきて、何か客観的な姿勢で、テレビゲームをしているかのような解説を行っている。彼等にとっての戦争は他人の出来事でしかない。戦争で苦しむ一般市民は、フセインにも苦しみ、アメリカの攻撃にも苦しんでいる。こうした事に心を痛まない人間がいる。

 今日は1日、憂うつな気持ちで過ごす。

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2003年3月19日(水)

 昨日のブッシュ大統領のテレビ演説以降、いよいよ戦争が近づいている。
 3月20日午前10時(ベトナム時間午前8時)がブッシュ大統領の言うタイムリミット。
 明日戦争が始まるのか? 川口外務大臣は国会で「もう何も出来ない」と発言している。無力な外務大臣である。最後まで戦争回避のために奮闘するのが日本国憲法下の大臣ではないのか?

 イラク戦争の影響は我がベトナム事務所にも大きな影響を与えている。この数日、「子どもの家」やベトナム事務所訪問を予定した団体、ツアーが相次いで「テロの危険があるのでツアーそのものを取りやめる」との連絡が増えてきている。各訪問予定先や表敬訪問を予定している市長などに「訪問キャンセル」をしている。ベトナム事務所ではかなり無理をして訪問の予約などをしていたので、突然キャンセルするのは、ベトナム人に申し訳ない。


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2003年3月18日(火)

 今日3月18日は、21世紀を歴史的に振り返った時に画期を記す日になるかもしれない。
 午前8時(日本時間午前10時)、ブッシュ米大統領はテレビ演説を行い、イラクのフセイン大統領と家族に48時間以内に国外退去を求め、従わない場合は、攻撃するとの態度を表明した。このことは戦後50年以上の歳月をかけて人類が作り上げてきた「国際紛争を話し合いで解決する」という国際秩序をアメリカが一方的に破棄し、「強い者、力のある者が世界を支配する」という暴力と破壊の世界体制を作ろうとしていることを意味する。21世紀になり、アメリカは「正義」と言う名のもとに「暴力が支配する野蛮な世界秩序」を作り上げようとしている。
 これは、国際法にも違反し、正義にも反する無法・不法行為である。国連の安保理事会に「新決議案」を提案しておきながら、一方的にその採決すら放棄している所にアメリカにとって全く正義がないことがわかる。アメリカは強い軍事力はあっても「正義と道理」がなく、国連や世界の世論からは明らかに「孤立」している。
 小泉首相がこのアメリカの戦争政策を支持したことは、これもまた日本国憲法を真っ向から踏みにじる違法行為である。日本国憲法は「世界の紛争を武力で解決しない」ことを基本原則としているはずである。フランス、ドイツ、ロシア、中国など多くの国家がアメリカのイラク攻撃に反対している。日本だけがアメリカの腰ぎんちゃくのように言いなりの提灯持ち国家であっては情けない。
 私がアメリカなどのイラク戦争に反対するのは、この戦争で犠牲になるのは、子どもたちだからである。アメリカの新型爆弾など大量破壊兵器の被害者は子どもたちである。イラクへの攻撃で多くの子どもたちが殺され、路頭に迷い、ストリートチルドレンになり、難民になり国境をさ迷う。まだこれから未来のある子どもたちがどうして殺されなければならないのか? 子どもたちが血だらけになって死んでいく様を想像しただけで私は何かしなかればいられない。
 アメリカのアフガニスタン攻撃で数千人の一般市民が「誤爆」で殺されている。戦争は結局子どもたちや一般市民が最大の犠牲者なのである。戦争は絶対に反対だ。

 今日は、午後3時からフエ市内のサッカー場で祖国統一戦線主催の「平和を守り、イラク侵略に反対する3・18集会」が行われた。昨夜、その情報を知った私は、今私が出来る戦争反対の行動は、この集会に参加することだとも思い集会参加を思い立った。しかし、政治的には中々難しいベトナムである。へたに政治的な活動をすれば、色々と問題を引き起こしかねない。夜遅くなったが、フエ市人民委員会に私の集会参加を打診。しかし、結論を出す事ができないとのこと。それではということでトゥアティエンフエ省人民委員会に相談。ここも何とも言えないとのこと。最後にフエ市共産党委員長に相談。共産党委員会として私の集会参加を承認。何時にどこで集会をするのかを今日18日に知らせるということで、昨夜は話が終わった。
 今日午前11時に連絡が入り、午後3時からフエ市人民委員会外務部員が迎えに行くので一緒に集会に参加するようにとの連絡があった。
 午後3時、市内のサッカー場にフエ市人民委員会外務部員と一緒に行く。既にサッカー場の周りには、高校生や大学生がデモ行進をしながらサッカー場に向かっていた。(写真①②③)


①学生はデモ行進しながら集会場へ ②デモ行進しながら集会場へ
 

③三々五々サッカー場へ
 


 午後3時過ぎにサッカー場に入るが既に集会は始まっていた。2000人もの参加者が集まる大集会となっていた。参加者はそれぞれに手作りのプラカードを持って参加していた。(写真④⑤⑥)


④工夫して作ったプラカード「平和を守れ」 ⑤手作りのプラカード
 

⑥集会場のプラカード「NO BUSH NO DEATH」


 30度の真夏日の中で集会は行われた。司会者が5分ほど集会の趣旨を述べ、続いて主催者の祖国統一戦線議長が5分ほど挨拶。アメリカのイラク侵略に反対する、私たちは平和を求めると発言。
 集会は主催者の発言だけで約15分ほどで終了し散会となった。あまりにも短い集会であり、あっけにとられてしまった。集会参加者は高校生、大学生が午後学校を休校にして動員されていた。フエの2000人の「イラク戦争反対」の声がアメリカの良心に届く事を祈っている。(写真⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬)


⑦2000人の「イラク侵略反対集会」

⑧2000人の集会参加者 ⑨2000人の集会参加者2

⑩アメリカのイラク侵略に抗議する学生たち ⑪フエ2000人集会看板「平和を守り、イラク侵略に反対する集会」

⑫フエ2000人集会参加小山とクアン・フエ市共産党委員長 ⑬集会に参加したアオザイ姿の女子高校生


 「地球の歩き方ボランティア体験ツアー」第三班は午前中、フエ師範短大、ハイバーチュン中高校での交流を行った。
 午後2時からは、ベトナム語講座。初めに私が2時15分から2時45分まで「ベトナム語入門講座」を行った。ベトナム語の6つの声調、発音、文法の基礎。(写真⑭⑮⑯)

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2006年03月19日

大学生協スタディーツアー帰国:オアシスの会大塚さんフエ着

晴天。気温28度。
暑い。


体調が回復基調にあるので、午前中入浴しようと
したが、温水器が壊れていて「水風呂」となる。

チャートゥー(豚の頭や耳のコラーゲンのにこごり)を
買いに行く。お店のお姉さんは「これは特殊な食べ物だから
外国人は食べられない。外国人はチャーゾー(豚肉ミンチの
蒸したソーセージ)を食べろ」という。
私はチャートゥーを何度も食べているので大丈夫だと
言うのだが、お姉さんは「善意」だが、しつこくチャーゾーを
薦め、チャートゥーを売ってくれない。仕方がないので
ミンさんに電話をしてお姉さんに話してもらう。
13年フエにいて、チャーゾーもネム(醗酵したもの。少し危ない)
チャートゥーも良く食べていることを知り、やっと売ってくれる。
12000ドン(90円)。

チャートゥーを肴に缶ビール2本を飲む。昼寝。

午後3時、大学生協スタディーツアーの泊まっている
ホテルへ。ミンさん、リー君と一緒に空港まで見送り。
大学生協スタディーツアー(10人)の皆さんは本当に
真面目な学生さんばかりだった。このスタディーツアーで
何かを学んで帰ってくれれば嬉しい。無事の帰国を祈る。

午後4時半、オアシスの会:大塚さんがフエ空港へ到着。
オアシスの会の現地駐在員としてこれから2年間ほど
フエに駐在する。時間のあるときは、JASSの仕事も
手伝ってくれことになっている。当面は、日本料理店
の手伝いをお願いした。
大塚さんは、1997年にフエへ初めて来られ、1998年に
当時の「芝の会」の現地駐在員として1年弱滞在した。
途中、体を壊し残念ながら帰国されることになった。

ミンさん、リー君と一緒に大塚さんの下宿(ミンさんの従兄弟の
家)に到着。いくつかの打ち合わせをし、下宿を離れる。
大塚さんが無事、フエでの滞在任務を果たされることを祈る。

リー君は何かすることがあれば「生き生き」と活動する。
ミンさんに話し、今後、訪問者があれば、必ずリー君を連れて
行って欲しいとお願いする。日本料理店が毎日開店すれば、
警備員や日本料理店の様々な仕事がある。

今日はデジカメを持って行ったのだが、電池を入れ忘れ
写真が撮れなかった。

昨夜の「子どもの家」での警察補導事件。
男の子二人がケーム機の取り合いかなにかで
けんかとなる。初めは口げんかだったが、段々エスカレートし
殴り合いのけんかになってしまう。
高校1年生と3年生の男子である。宿直の女性寮母さんは
びっくりし「公安」(警察)に電話をしてしまう。
直ぐに警察がやってくる。警察は大した事件でもないのだが、
一応、電話があったということで、公安に二人を連行する。
公安で二人は「始末書」を書かされ、釈放された。
事件の顛末はこんなことだった。

セン委員長も公安に連絡したことを知らなかった。
この程度のけんかは日常的にある。寮母さんの手に
負えない場合には、センさんやロックさんに電話をすれ良い。
「子どもの家」に直ぐ近くに住んでいる。
公安を呼ぶのは、「命に関わりそうな」場合である。
刃物を使ってのけんか、鉄パイプなの武器をもっての
けんかの場合。この13年間に何度もナイフ、鉄パイプを
使ってけんかをする事件が「子どもの家」で起こっている。

近日中にセンさん、ミンさんと打ち合わせをし、
「子どもの家」スタッフの緊急事態の対応について、意思統一
することにした。

昨年JASSスタディーツアーに参加した高校生から質問が
来た。中々意識の高いものだった。
高校生レベルでもこのような問題意識を持っていることに
未来を感じる。森田さん、加藤さんなどが中心になって
毎年実施している「JASSスタディーツアー」の中から
若い、有能な人材が育っていることに確信を持った。

明日は、アメリカのイラク侵略戦争開始3周年。
ベトナム戦争同様「泥沼にはまっってしまった」
アメリカ。

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2006年03月18日

マブベの会帰国

晴天。暑くなる。

午前8時、THUY XUAN村「子どもの家」へ。
この「子どもの家」はフランスのNGOが寄贈し、フエ市人民委員会
が管理運営している。ベトナム人の所長さんと懇談。

13年前にチーラン通り「子どもの家」を作ったが、その時に
入所したNIさんを日本料理店で引き受けることの話し合いに行く。
バオミン・ベトナム事務所長と一緒に。

チーラン通り「子どもの家」はフエ市ホーチミン青年同盟と共同で
運営していたが、問題が続出。私が子どもたちの生活費(30人程)
を出していたにも関わらず、フエ市ホーチミン青年同盟は、
アメリカ・フランスのNGOからも支援金をもらっていた。
支援金の「三重取り」である。アメリカのNGOはフエ警察に
犯罪を告発。結局、私の出していたお金で子どもたちの
生活をまかない、アメリカ・フランスの支援金は、ホーチミン青年
同盟の役員などの「ふところ」に入っていたのである。
それ以外に多くの問題があり、現在の「グエンチャイ子どもの家」
を設立した。ホーチミン青年同盟とはたもとを分かったのである。
現在の「子どもの家」が完成したので、私が支援していた
30人の子どもたちを現在の「子どもの家」に入れようとしたが、
ホーチミ青年同盟は、年上の子どもたちの転居を拒否。
3歳から8歳位で生活の面倒を見るのが大変な子どもたちだけを
選んで転居させると言う問題があった。当時、私たちは現在ほど
力を持っていなかったので、こうした不当な子どもたちの扱いを
止めさせることが出来なかった。
ホーチミン青年同盟の「利権・腐敗体質」のためNIさんは、
私たちの「子どもの家」に転居できなかった。10人ほどの
年上の子どもたちが私たちの「子どもの家」への転居リスト
から不当に外されてしまった。
ホーチミン青年同盟は、海外NGOをチーラン「子どもの家」に招待し、
年上の子どもたちを見せることでストリートチルドレン「子どもの家」
紹介しようとした訳である。
子どもたちを「見世物」的に扱う彼らの腐敗体質に辟易した。
悲しい実態である。
数年後にこうしたホーチミン青年同盟の体質を知った
全ての海外NGOがチーラン通り「子どもの家」への支援を
一切拒否していまう。ホーチミン青年同盟は、
子どもたちの面倒を見る資力も意欲もなくなり、7人の
年上の子どもたちを「子どもの家」から一方的に追放して
しまったのである。7人のうち3人の子どもたちは、「助けて欲しい」
と私たちの事務所にやって来た。当時、私とラームさんの
二人でベトナム事務所を運営した。ラームさんと協力して
3人は現在の「子どもの家」に入所させたり、本人の希望で
ベトナム人の里子にしたりした。
NIさんは、しばらく住居がなかったようだが、フランスの
THUY XUAN(トゥイスアン)「子どもの家」に入所し、
今日に至ったのである。

NIさんの希望で日本料理店で仕事をしたいとのこと。
先日、半日の参観をし、私たちも受け入れを決めた。
日本料理店は、私たちが関係した「子どもの家」の
子どもたちの就職の受け皿、自立の場である。
日本料理店で仕事をしているグエットさんやニーさん
との旧知の仲。

私は「THUY XUAN子どもの家」所長さんとは顔なじみ。
「本来なら私のほうで小山さんの事務所に行ってお願いすべき
ことをわざわざ来て頂き恐縮している」とのこと。
先日、NIさんが日本料理店に勤めたいと言っていたので
所長さんは、内緒で私たちの日本料理店を見に来たそうだ。
あまりに立派なので驚いたとの話をしていた。
是非、日本料理店で仕事をさせて欲しいと依頼された。
私はそもそもチーラン通りで受け入れたNIさんなので
私にも責任の一端はあるので、THUY XUAN村の
「子どもの家」と協力してNIさんの自立のために頑張ろう、
と話す。
3月20日から1ヶ月間の「試行」を経て、正式採用する
こととした。試行の1ヶ月間は、THUY XUAN「子どもの家」
から自転車で日本料理店に通うこととにした。
1ヶ月後に給料を上げ、小さな下宿を借りてやり、自立する
こととなった。NIさんの奮闘を期待したい。

所長さんと話し合い、バオミン・ベトナム事務所長と
帰ろうとすると、遠くの方でNIさんが私と所長さんの
話し合いがどうなったのか不安そうに見ていた。
直ぐに呼んで所長さんとの話し合いの内容を伝える。
NIさんは笑顔で喜んでいた。13年前にNIさんと
出会ったのも何かの「縁」である。自分の力で人生を
切り開いていって欲しい。幸せな未来であって欲しい。


急いでベトナム事務所へ帰り、ベトナム事務所員会議。


午後3時、フォンザンホテルへ。
マブベの会の皆さんが帰国する。フエ空港まで見送る。


マブベの会は、若い医師・鍼灸師などを案内し、フエやベトナム・
アジアを知ってもらいながら、小児針・タッチセラピーの実地研修を
行った。
参加した若者は本当に真面目に人生と社会を考えていた。
日本にこうした若者がいるということに誇りさえ感じた。

午前11時半から午後1時までパソコン修理業者を呼ぶ。
ウイルスに感染。インターネット機能が破壊された。

気候の変動が大きく、多くの「フエ人」が体調を壊している。
私も数日前から発熱、倦怠感、喉痛などの症状が発症。
訪問者も多数あり休むことは出来ない。
この13年間、『仕事をしながら体調を回復する』術(すべ)を
経験しながら体得した。食事をしっかり摂る、時間があれば
横になっているに尽きる。何とか体調が回復基調に。
ほっとする。フエに戻って40日。1日も休みがなかった。
かなり体に無理があるもの事実だが、現地の自立化に
向けては今が正念場。現地での活動は「理屈」ではない。
現実的に目の前の諸問題を解決することである。
そのためには、行動があるのみ。評論家や批評家では
勤まらない世界でもある。
ふと、外部で勝手に評論をしていたらどんなにラクで楽しいことか?
などと夢想することがある。

午後9時半、「子どもの家」でトラブルがあり、子どもが
警察に捕まったとの情報が入る。早速、ミンさんに連絡を
取ったが、大学生協と農村ホームステーに行っている。
電話がつながらない。急いで情報を取って対応しなければ
ならない。

投稿者 koyama : 19:23 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月17日

マブベ笑顔の会最終晩餐会

終日曇り。時々太陽が出る。
暑かったり寒かったり。

静岡市駿府城に桜が咲いたとの便り。
日本も少しずつ春を迎えている。

多くのフエ市民は体調を崩している。
ラームさんは、気管支炎。奥さんのホンさんも体調を崩し
日本料理店への出勤を遅らせる。
私も発熱。体をだましだまし必要な仕事をすすめた。
トンチンカンホテル自室のパソコン・インターネットが
故障。部屋での仕事が出来ず、ベトナム事務所へ。
当面のスタディーツアー担当者の再分担、訪問者からの
連絡を受けての日程調整、二つのテレビ取材の内容検討・・。
こんな時に却って仕事が集中する。

ベトナム事務所の皆さんが仕事を分担してくれる。
今日はベトナム事務所には1人いたりいなかったりと、
全員が出払っていた。


マブベの会はバオミンさんと一緒に朝6時半から
フォンニャー洞窟へ。(クアンビン省)。片道車で4時間。
フエへ帰着は午後6時半の予定。12時間のツアー。

地球の歩き方ツアーは王宮・ティエンムー寺見学。
ラームさんの弟のレー君が案内。

大学生協スタディーツアーはナムドン少数民族訪問。
税田さん、サンさん、リー君が案内。

今日は日本料理店に弟のターオ君も顔を出す。
やっと兄弟二人が日本料理店に戻ってきた。
出たり入ったりと「出入りの多い」兄弟だが、私たち大人は
何度裏切られても子どもたちを最後まで信頼して行きたい
ものである。信頼される「大人」が必要な社会である。

日本料理店では、今夜、マブベの会が主催する「さよならパーティー」
の準備。パーティーには、障害児医療センタースタッフ、
フールー小学校の校長以下先生方、フーハウ診療所スタッフなど
総計20人以上。

料理ボランティアで日本料理店に来ている中村里美さんの
指導で混ぜご飯、焼きうどん、麩(ふ)の煮物などの準備。


●中村里美さんと厨房スタッフ


●しばらく居所不明だったターオ君も復帰


中村里美指導員の下、「子どもの家」の子どもたちはノートを取り
ながら色々な料理を習っていた。


張り切って配膳準備をするニーさん

午後6時過ぎ、日本料理店スタッフは早めの夕食を摂る



午後7時過ぎ、「マブベえがおの会」主催「さよならパーティー」
が始まる。

司会役の私が開会の挨拶



マブベえがおの会代表の大極安子さんが感謝の挨拶。
「子どもの家」、障害児医療センター、フールー小学校、
フーハウ診療所の皆さんにお礼の言葉


フールー小学校校長先生からマブベの会へバラの花の贈呈


マブベえがおの会から『浅草の手ぬぐい』のプレゼント


「子どもの家」のセン運営委員長、手ぬぐいをまく


●フールー小学校校長先生の乾杯の音頭で日越交流会が
  始まる。

今日のパーティーは「ビュッフェ方式」(バイキング方式)。
カウンターに7種類ほどの料理を並べる。
(ベトナム人の日本料理の好みの「市場調査」も兼ねる)


今晩の献立

●のりまき

●牛すじ煮込み(徳岡スペシャル2)
  鳥取の徳岡さんから習った牛すじ煮込みをベトナム人スタッフ
  は完全にマスターした。完璧な牛すじ煮込みとなった。
  生ビールにはなくてはならない家庭料理 「子どもの家」 
  の定番となった。

●麩(ふ)の煮物

●まぜご飯

●焼きうどん
  小麦粉の手打ちうどん。材料は全てベトナム産

●野菜サラダ

●すまし汁


●ぬか漬け
 料理のフオンさんが担当となり、かなり美味しいぬか漬けが
 作れるようになった。なすの漬け方に課題が残った。


●接客にも自信が出てきたニーさん


最後に全員写真を写す

その後、マブベの会の皆さんと「二次会」。深夜まで親交を深める。

投稿者 koyama : 19:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月16日

地球の歩き方ツアー「ナムドン山岳地帯」へ=中村先生のお母さん日本料理店支援へ

★部屋のパソコンが壊れ使用不能となり日記を書くことが
  出来ない。3月17日になりベトナム事務所で日記を書く。

曇天。寒い。

昨夜、ラームさんが体調を崩し病院へ。その対応に追われたが、
私も昨夜半、悪寒と鼻水、脱力感、喉痛を感じ体調を崩す。

朝7時、朝食。中村先生のお母さんがフエ到着。一緒に朝食を
摂る。

ベトナム事務所の日本人スタッフも全員が風邪症状。
鼻水、脱力感、喉痛、咳。

午前10時。地球の歩き方ツアー(10人)と石岡先生、私、
ヒーさんの13人でナムドン山岳少数民族交流へ。

午前11時半、ナムドン中心地に到着。昼食。

1時間ほどの時間調整でナムドン中心地に滞在する。
学生さんたちは市場や川などの散策。
私は体がだるく、小型バスの中で寝ていた。

午後1時過ぎ、ナムドン山岳少数民族「カトゥー族」の村へ。

村長さんや村人としばし懇談

村長さんから歓迎のプレゼント(地元の純粋蜂蜜と花)

地球の歩き方ツアーから支援物資贈呈(インスタントラーメン・・・)


カトゥー族の皆さんの歓迎の踊り

●地球の歩き方ツアー学生の皆さんのお返しの歌

カトゥー族の皆さんと地球の歩き方ツアー学生さんの交流は
続く。


その後、カトゥー族の皆さんの案内で山中の滝へ遊びに行く。
私は悪寒と脱力感があり、カトゥー族の家で1時間ほど
横にさせてもらう。

午後5時過ぎ、フエ市内に到着。無事、ナムドン訪問を終了。
ピンチヒッターで手伝ってくれた石岡先生、ヒーさん、ご苦労様。

日本料理店では、午後6時半から始まる地球の歩き方ツアー
晩餐会の準備。
中村先生のお母さん(里美さん)が1週間の
「日本料理指導ボランティア」で厨房に入いる。
ベトナム人スタッフにいくつかの料理を指導。

リー君が手伝いにやってくる。弟のターオ君は居所不明。

午後6時半、地球の歩き方ツアーの皆さんがを案内して
日本料理店へ。

今日はフエ滞在最終日。さよならパーティー。

リー君も警備員の仕事に復帰。日本料理店の仕事も手伝う。


●地球の歩き方ツアー晩餐会のメニュー

・ベトナム風豚肉のハム盛り合わせ

・きんぴら大根(中村里美さん指導)

・イカの酢味噌和え(中村里美さん指導)

・里芋の煮物(中村里美さん指導)

・てんぷら(中村里美さんのあげ方等指導あり)

・ぬか漬
・つけ出し(するめ・カワハギ・・)
・混ぜご飯、味噌汁

生ビール(何杯飲んだか不明)、ワイン(2本)、吟醸酒2本を空ける。
中村里美さんの指導で新しいおつまみも加わり、アルコール消費
は加速された。

晩餐会の最終盤には、料理指導ボランティアの
中村里美さんも加わり宴会は最高潮に達する。

晩餐会の最後。地球の歩き方ツアー参会者から「千羽鶴」と
全員の感謝の寄せ書きを頂く。「子どもの家」・ベトナム事務所
スタッフや子どもたちへ。代表して私が戴く。
若者もなかなかやるものだ。人間の気持ちというものは
老若男女、相通ずるものがる。

家庭料理「子どもの家」には、中村先生のお祖父さん
(中村敬一さん)から戴いた「百福」の切り紙が飾ってある。

私も知っている『福』という漢字は一つか二つだが、100種類の
百という字があることは知らなかった。
中々博識な方である。また、一字一字を切り抜くという
恐ろしく気の長い仕事をされる方でもある。色紙『百福』を
見ながら、中村友香先生のお祖父さんのお人柄というものが
分かるような気がした。86歳の方の『百福』色紙は、
我が日本料理店の宝物である。
中村敬一様の一層の長寿をお祈りする。この「百福」を店内に飾ることで、「千客万来」となること
は確実。既にその兆候は現れている。
日本料理店に行きたいとの問い合わせがかなりある。
日本料理店の厨房・接客の力量が間に合わず、
予約を中心に1週間に1回から2回程度「フリー」の
お客さんを受け入れているのが現状である。
来週、「子どもの家」のNIさんを新たに日本料理店
に入れる予定。時間をかけて少しずつ子どもたちの
経験を積み上げていく必要がある。

投稿者 koyama : 12:06 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月15日

マブベの会・地球の歩き方ツアー・大学生協スタディーツアー受け入れ

小雨・曇り・寒い

今日は長男の誕生日。メールで誕生祝いを書く。

朝8時、リー君が日本料理店に姿を現す。

午前8時45分、マブベの会を案内してバオミン・ベトナム事務所長
がトンチンカンホテルまで来る。一緒に「障害児医療センター」へ。
「障害児医療センター」ではマブベの会が数年前より
小児針(タッチセラピー)を教えている。特に「障害児医療センター」
のAN(アン)医師は何度も講習を受け、障害児父母の会などで
子どもたちに施術している。

今日はマブベの会で来ている小児針を学んでいる皆さんに
ベトナム現地での小児針の現状を披露する。

●「障害児医療センター」のブイ所長(右)、アン医師(左)


午前9時40分。「障害児医療センター」から「子どもの家」へ。
全国大学生協連合スタディーツアーの学生さん(10人)に
講演。

始めに「子どもの家」のセン委員長より挨拶。ラームさんの通訳。


「子どもの家」の子どもたちの歓迎の踊り


子どもたちは新しい歌の「ヂョエット」を作る。『翼をください』
を日本語で上手に歌う。

その後、松下先生・ラームさんで「子どもの家」の施設案内。
午前10時半から50分ほど私が「子どもの家」関連の
話をする。今日は大学生ということもあり、人生「チャレンジ論」
を話す。

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「子どもの家」の食堂では地球の歩き方ツアーの皆さんと
子どもたちがフエ名物の「バインロック」を作っていた。
税田さん、サン先生が引率。
味をつけて煮込んだエビを「キャッサバ粉」で包んで蒸す。


地球の歩き方ツアーの皆さんとサン先生

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午後12時過ぎ、全国大学生協スタディーツアーの学生さん
10人と日本料理店へ。

今日のメニューは
・牛肉サラダ  ・トンカツ  ・カレーライス  ・ぬか漬け
・デザート(マンゴー、バナナ)



●ぬか漬けは料理のフオンさんが担当することとなった。
 微妙なぬか漬けの作り方を教えている。
 ぬか漬けの原理・温度と漬かる時間の関係・野菜の切り方
 と漬かる時間の関係・お客さんが食べる時間に合わせて
 野菜をぬか床に入れる時刻と野菜の切り方の関係・・・・。
 ぬか漬けを食べたことのないベトナム人に「美味しい」
 ぬか漬けの作り方を教える。基本は経験を積み重ねるしか 
 ない。ベトナムでは野菜から多量の汁がでる。その量は日本
 より多い。柔らかくなったぬか床をどのようにして「正常」に
 戻すかなど、細かいことを教える。時間をかけて体験を 
 積み重ねる以外に妙薬はない。日本の学生さんは
 出されたぬか漬けをほとんど食べた。味もまあまあの出来。
 今後に期待がもてる。


午後1時半、全国大学生協スタディーツアーはホテルへ戻り休憩。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日は3つのスタディーツアーを受け入れている。
ベトナム事務所員全員が分担して対応している。
ベトナム事務所員もかなり疲労が蓄積してきている。
無理な分担とならないようバオミン・ベトナム事務所長と
分担の見直しをしている。

ラームさんが体調を崩し、病院へ。発熱と咳。
疲労が原因か?
数日の休養が必要と医師に言われた。
午後9時過ぎ、急遽ミンさんと明日からの体勢を相談。
ラームさんが案内するスタディーツアーの代替要員を
決める。
地球の歩き方ツアーはナムドン山岳少数民族に行く。
ラームさんが案内する予定だったが、代わりに
私、税田さん、ヒーさんとする。
マブベの会はミンさんと私だったが、ミンさんとサンさんに
変更。大学生協はハンさんとソンさん。

ベトナム事務所員の体調管理に万全を期す。

17通のメール受信。10通のメール送信。
3月末のいくつかの訪問者ツアーの日程の詳細を
日本の当事者と連絡打ち合わせをする。

投稿者 koyama : 21:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月14日

マブベ笑顔の会の活動-地球の歩き方スタディーツアー

終日雨。
ハノイから冷たい風が吹き込む。非常に寒い。

午前8時、「子どもの家」にいたNIさん(21歳)が、日本料理店
見学にやってきた。早速、店長のホンさんに引き合わせる。
半日、料理の実習、仲間との付き合いなど協調性などを
見ることにする。

「子どもの家」のニー、グエットは私が1993年10月に
フエで最初に創設した『チーラン「子どもの家」』で
一緒だったのでお互いよく知っていた。

午前8時半過ぎ、「マブベ笑顔の会」の皆さんを迎えに
フォンザンホテルへ。
その足でベトナム事務所を訪問。ベトナム事務所員の紹介。

ベトナム事務所にイタリアの学生(社会学専攻)が訪ねてくる。
ストリートチルドレンのことで話をする。


午前9時、マブベの会(7人)は「子どもの家」を訪問。
セン委員長に挨拶。大極さんは何度も来ているので顔なじみ。



マブベの会、クレヨンなど文房具を子どもたちに贈呈


バオミンさんの案内で「子どもの家」の施設を参観。


午前10時過ぎから1時間15分、私が「子どもの家」の創設、
子どもたちのこと、ベトナム社会、日本のこと、ボランティア、
支援問題などについて話す。

「子どもの家」では、地球の歩き方スタディーツアーの若者が
子どもたちと昼食作りの真っ最中。参加者の皆さんは
本当に真面目な若者たち。



マブベの会は「子どもの家」を後にして、ドンバ市場へ。
ミンさんのお母さんの経営しているアオザイ布屋へ。
皆さんはアオザイの布を買い、その場で採寸。
2日後には全員のアオザイが出来上がる。
3月17日、マブベの会最終夕食会に着てくることが出来る。

午後12時半、マブベの会は日本料理店で昼食。
「子どもの家」のニーさん、グエットさん、トゥーイさんに
加え、元「子どもの家」のNIさんも参観で手伝った。



今日の昼食メニュー。

牛すじ煮込み、かぼちゃの茎炒め、小魚フライ、コロッケ、
チャーハン。、味噌汁、ぬか漬け。
デザートは「マンゴー」。

●かぼちゃの茎炒め

●デザートの「マンゴー」。


午後1時半、昼食会終了。

今日は半日日本料理店を参観する予定だったNIさんは
後片付けを手伝っていた。中々真面目な子だ。
ホン店長や周りの人たちも「合格点」。


午後7時。日本語学校へ。石岡先生が「中級」の生徒に
日本語を教えていた。雨で寒い中、ご苦労様。

その足で「子どもの家」の日本語教室を参観。
15人ほどの子どもたちが松下先生の指導で日本語の基礎を
勉強していた。日本料理店のグエットさんも学んでいた。


●昨年のテレビ東京「ザ・ドキュメント」で「子どもの家」に
 入所したリーさんも日本語の勉強に挑戦していた。
 「子どもの家」の日本語クラスは、勉強した時に
 したい子がするという全く自由なクラスである。
 本人の勉強への興味と意思だけが頼り。
 松下先生は子どもたちの心の奥底に隠れている
 意欲を引き出す。色々と工夫をし「飽きっぽい」
 子どもたちに立ち向かっている。
 リーさんも「子どもの家」に慣れて生活や勉強への
 強い意欲が出てきた証拠。


今日は朝から色々な出来事があり、多くの人と出会った。
充実した一日であったが、疲れた。

★中村先生はお母さんを出迎えにホーチミン市へ。

投稿者 koyama : 21:05 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月13日

地球の歩き方スタディーツアー第3班:マブベの会フエ着

終日小雨。寒い。
気候の変動が大きい。

午前8時からボランティア貯金申請書に添付する写真、地図の
デジタル写真化などをし、山西副代表に送信。
何とか3月15日の申請締め切りに間に合って欲しい。

午前10時、「子どもの家」で地球の歩き方ツアー第3班の
皆さんに話をする。

1時間15分。「子どもの家」の歴史、
海外支援で目指すもの、支援ー利権論、人間が生きるということ、
人間の幸福とは? 社会や世の中を変えるということ・・・・。

午前11時、「子どもの家」の子どもたちは昼食。
昼食のメニューは
・豚肉と厚揚げの甘辛煮
・うりをマムトム(えびの塩辛)につけて食べる
・野菜スープ
●ご飯


たんぱく質、野菜、澱粉とバランスの取れた食事である。

午後、17通のメール受信。7通のメール送信。

午後4時フエで最初に支援した子どもがベトナム事務所を
訪ねてきた。1993年9月にフエへやってきた。フエ師範大学
日本語クラスで日本語を教えながらストリートチルドレンの
支援を始めた。1ヶ月後に「チーラン通り子どもの家」を
設立。路上の子どもたちの本格的な支援を始めた。
その時「子どもの家」に入れた子どもたちの中で
今でも「子どもの家」にいる子が何人かはいる。
多くの子どもたちは成長し社会に巣立っていった。
フエ師範短大に入学したユオンさんや日本料理店
にいるグエットさん、ホンニーさんなどは1993年からの
付き合いである。
その時「チーラン通り子どもの家」に入ったNIさんが
訪ねてきた。現在21歳。諸般の事情があり、今の
グエンチャイ「子どもの家」には入所しなかった。
昨年末ハノイの料理学校を卒業したが、就職口が
ないとのこと。両親がいなく、兄弟もいない。
たった一人で生活することはフエでは本当に大変な
ことである。噂で私が日本料理店を作ったということを
聞き、「日本料理店で働きたい」とやってきた。
ミンさん、ラームさんを呼んで事情を詳細に聞く。

●写真は1994年に撮影。
 後ろの列の左端が私。(46歳)。
 真ん中の列の右から3番目(白い半そでシャツ)
がNIさん(9歳)女子


●現在のNIさん(21歳)写真中央
 左は親戚

13年の歳月は長いものである。小学校3年生にNIさんも
21歳に成長していた。
現在のNIさんは「天涯孤独」とのこと。
事情を考え、明日8時に日本料理店へ来てもらい、
半日の日本料理店体験をしてもらうことにした。
日本料理店のニーさん、グエットさんとは「チーラン通り
子どもの家」で一緒だった仲。
明日の半日日本料理店体験を経て、採用するかどうかを
決めることとする。
こうして13年前の出会いを忘れずに訪ねて来てくれるのも
何かの縁である。出来るだけの協力をしようと思っている。

午後6時40分、ミンさんと一緒にワゴン車でフエ空港へ。
午後7時40分 「マブベ笑顔の会」の一行7人がフエ空港へ
到着。30分遅れ。
鍼灸師で小児針・タッチセラフィーの先生
である大極安子さん(大学の同級生)と関係者の7人。
今回のフエ訪問はタッチセラフィーの実地研修。
皆さん、元気にフエ空港へ到着。今日は朝が早く
多少疲れ気味?

空港から夕食を摂りにフエ市内「フォーサイゴン」レストランへ。


午後9時過ぎ、市内フォンザンホテル着。
明日から「子どもの家」、フールー小学校、障害児医療センター、
地域診療所などを訪問予定。

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2006年03月12日

「子どもの家」のメンさん引越し

晴天。暑い。気温30度。

午前8時。昨夜日本料理店を訪ねて来た岩手の方が再訪。
昨夜写した写真をプリントして自宅へ送って欲しいとのこと。
しばらく旅をするらしい。引き受ける。

午前8時半、オートバイに乗り「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のメンさんが引越しをする日。

メンさんと初めて会ったのは11年前だった。
当時小学校5年生か中学1年位だったと思う。
兄のグエン君・妹のTHUYさんと三人で「子どもの家」に。
それから11年。昨年9月にはフエの名門大学
「フエ経済大学」へ見事合格。新しい人生への
扉が大きく開らかれた。

今日、延び延びになっていた引越しの日となった。


●同室の子どもたちや同年代の子どもともお別れ

●多くの子どもたちがメンさんの引越しにお別れを言っていた。

●大学生のカン君がメンさんの荷物を運ぶ

●年下の女の子がメンさんのバッグを持つ

2階の部屋で同室の子どもたちとお別れの言葉を言った後、
1階の「子どもの家」スタッフの部屋へ。
セン運営委員長に長い間育ててくれたことへのお礼を言う。
お礼の途中で言葉がつまり、メンさんは涙で声が出ない。絶句。
セン運営委員長はやさしくメンさんの頭を撫でる。
セン委員長はまるで何でも受け入れてくれる慈母のような雰囲気
すら漂っていた。
メンさんは、普段あまり甘えることを知らない子どもだったが、
こうして「子どもの家」を離れる日に本当に甘えたい自分を
セン委員長にさらけ出していた。傍で見ていた私も
つい「ホロッ」としてしまった。人間の心は人種や民族、社会を
超えて通じ合えるものだと実感した。
こうした場面を見ているとベトナムの一般市民社会は
真っ当な社会だなとつくづく思う。
人間の心の中がまだ純なのだ。戦後61年。日本が
得たものは物質的な豊かさ。失ったものは人間の心。
民主党の渡部恒三国会対策委員長が「「政治家に一番大事なのは
侍の心だ。侍なら名を重んじる。」として同党の永田寿康議員の
辞職を促した。同党には西村議員(離党)の問題もある。
「侍の心」が適切な言葉かどうかは別にして、自分の出処進退
すら決められない国会議員が出ているこの現実。
戦後失ったのは、人間性そのものである。人間としての
真っ当な感覚と判断力を失ったわが日本の指導者層である。
私たちの祖先が培って来た人間の心を失いたくない。
「損をしても自分の思う道を進む」「一度始めたことは
最後までやり遂げる」など私たちの親の世代では
極普通の生き方が今はなくなって来ている。
私自身は少しでも昔の日本人の持っていた生き方・
道徳をまねしたいものだと思っている。



メンさんの涙には11年間の「子どもの家」での
悲喜こもごもの思い出が詰まっている。
両親を亡くし兄と妹の3人で「子どもの家」へ入所してきた。
親にも甘えられない11年間だったかも知れない。
孤独の月日だったかも知れない。
11年間本当に頑張ったと言ってやりたい。

一人の子どもではあるが、こうして児童期から思春期を
経て大人になっていく過程に付き合えたことに感謝したい。

長い間、里親として陰になり日向になりメンさんを
支援し励ましてくれた里親の内田征子さんに心からお礼を
言いたい。
今後は、内田さんの支援でベトナム事務所が直接応援する
形となる。


タイさん(ラームさんの兄)のオートバイの後ろに
乗り下宿先(ラームさんの実家)へ引っ越す。


「子どもの家」からオートバイで10分ほど。下宿先に到着。
既にメンさんの部屋は改修されていた。広くはないが
こぎれいな部屋だった。


メンさんの荷物はリュック一つだけだった。メンさんが持っている
財産は「人間の能力」と「健康な体」だけである。
この11年間、メンさんに貴重な能力と健康な体を与えてくれた
日本の多くの支援者の皆さんに深謝。

下宿のお母さん(ラームさんの母親)と懇談



メンさんの引越しを手伝い・見届けた後ベトナム事務所へ。
縫製研修工場建築関連の会社社長とエンジニアと面談。
ミン・ベトナム事務所長も同席。様々な問題について
突っ込んだ話し合いをする。

投稿者 koyama : 22:38 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月11日

ベトナム事務所員会議

晴天

午前8時半、定例ベトナム事務所員会議。

(ミン)今週も忙しかったが、皆さんの活動や気の付いたことを
    報告して欲しい。
(松下)・日本語学校初級を教えた。
    ・地球の歩き方ツアーと一緒に
     「子どもの家」でバインロックを作った。3班に分けて競争
     したが良かった。昨年は10キロの粉を用意したが、
     量が多く作り切れなかった。今年は5キロにした。
    ・タム、トゥーイはミシン研修をしたいと言っている。
    ・日本料理店の3人組が日本語学校で勉強したいと
     言っている。
    ・日本料理店の3人組が日本料理店が終わって
     「子どもの家」へ帰ると門が閉まっている。
     塀を乗り越えて「子どもの家」に入っている。
     警備員さんに言って門を開けておいて欲しい。

(ハン)バインロック。5キロだと午前中「子どもの家」にいる
     子どもしか食べられなかった。10キロにして午後
     5キロのバインロックを作るようにした。

(ラーム)地球の歩き方ツアーの案内をした。
     日本語学校生徒の観光実習の講師をした。

(フーン)・上級・49課、50課と最後の仕上げをしている。
      上級は3月末に卒業試験だが、19人の入学者の
      内、最後までの残っているのは11人。
     ・ガイドクラスの観光実習をした。
      3月10日午前8時から午後3時までミンマン帝廟
      カイディン帝廟、トゥードゥック帝廟、ティエンムー寺
      を見学し、実地に観光案内の練習をした。

(石岡)日本語学校中級。地球の歩き方ツアーベトナム語講座
    ベトナム語講座で日本語学校学生と交流した日本の
    若者が日本語学校生徒と日本語学校以外で交流しようと
    していた。夜喫茶店に行こう、お茶を飲みに行こう・・・。
     *この問題は既に原則がある。日本語学校でベトナムの
      若者と交流するのはあくまでベトナム語の勉強のため
      である。その目的を逸脱して、男女交流、お見合い斡旋
      スタディーツアーとベトナム人に誤解を受けないように
      しないと、JASS自体への攻撃となる。
      従って、ベトナム語講座での付き合い以外は禁止と
      している。他の機関などへ訪問した他団体のツアーで
      男女問題などスタディーツアーと関係ない問題が
      起こっている。

(中村)来週もガイドクラスの実習をする。3月27日卒業試験
(ソン)上級の漢字試験があった。100問の漢字試験だった。
    大体70%は出来たのだが、名前を書かずに出したの
    「0点」だった。厳しい結果だ。
(サン)ベトナム語講座を担当した。
(ミン)「子どもの家」のTY君の弟が入所したいとの申し出が
    あった。事情を調査する。
(小山)ボランティア貯金の申請書を作っている。
    4月11日にピースボート(42人)が来る。
    夜、日本料理店で42人が食事をすることになった。
    協力を。

ベトナム事務所員会議終了後、3月13日誕生日の
中村友香先生の「誕生祝い」を行う。
今年00歳。フエでの活動経験を生かして人生を
大成して欲しい。

ハンさんから誕生祝いの品物、色紙を贈呈。

午後6時、日本料理店開店。
厨房で「子どもの家」の子どもたちやホン店長、フオンさんなどが
準備で大忙し。



今日は外から日本料理店の内容が分かるよう
店先に張り紙をする。
ベトナム事務所への訪問者が多く(3月だけで150人)
その対応に皆が追われ、当初、日本料理店諸準備として
意思統一していたいくつかの準備が出来ていない。
日本料理店の前にメニュー置きの台を作ることなどは
忙しく出来ないでいる。そうした中でとりあえずの工夫を
しながら日本料理店の運営に皆がなれているのが
現状である。日本料理店関係者全員が全くの素人。
実際に開店してみて気がつくことが多い。
「子どもの家」の子どもたちも知らない外国人と話すことに
強い抵抗感を持っている。恥ずかしい気持ちがある。
励ましながら少しずつ子どもたちやベトナム人スタッフが
日本料理店の運営に慣れて行ってくれることを願っている。

午後6時半、盛岡市から旅行に来ている吉田さんが
日本料理店を訪問。街を歩いていたら赤提灯があり
よってみたとのこと。団体で来ているので既に夕食会場
は決まっているとのこと。
75歳。仏像を彫っているとのこと。

投稿者 koyama : 09:28 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月10日

日本料理店盛況

晴天

午前中、バオミン・ベトナム事務所長と当面の重要問題に
ついての意思統一。
江戸川区議会議長一行のベトナム視察の日程調整。
ハノイなどの関係者に電話やメールで連絡・調整。
11通のメール受信。この数日受信した30通ほどの
メールの返事を送信。メール事情は最悪。送信は出来ても
受信できない時、反対の時もある。

午後、2006年度のボランティア貯金申請書の原案の
原案を書く。

午後2時過ぎから日本料理店のスタッフが参集。
ホン店長、フオン料理人、グエット、ニー、トゥーイ
の「子どもの家」3人組。ターオは姿をくらます。
日本料理店スタッフは夕方の料理の準備を始める。
今日の献立はコロッケ、いんげんの胡麻和え、
牛すじ煮込み、ニガウリのスープ、ご飯、味噌汁・・・・・・。

午後5時過ぎ、日本料理店にのれんと提灯をかける。
リー君が全てを取り仕切り準備をする。のれんを
かけること、提灯と取り付け、電気をつけることなど
てきぱきと行う。リー君はメニュー作りも手伝う。


リー君から提案があった。日本料理店のチラシを作って欲しい。
自分の知っているシクロの運転手に配り、日本人観光客を
乗せて連れて来てもらう。また、チラシを近くの路上で配布し
日本料理店へ外国人客が来るようにするとのこと。

午後5時半、日本料理店の店頭に灯が点く。

午後6時半になっても来客なし。
ラームさんと一緒に「子どもの家」にいるメンさんの
引越しの手伝い・案内に「子どもの家」へ行く。
メンさんは今日引越しをすることは聞いていないとのこと。
引越しの整理をしていなかった。
3月12日(日曜日)の午前9時に私が「子どもの家」へ
迎えに行き、下宿へ引越しすることとする。何かの
行き違い。

午後7時過ぎに日本料理店へ戻る。来客なし。
既に日本料理店のスタッフや日本語教師は夕食を終えていた。
午後7時に日本語学校の仕事が終わり松下先生が
帰って来た。お客がいないので、私と松下先生が
「桜のお客」となり、お客さんが入店しやすい雰囲気を
作ることにした。
松下先生と夕食を摂り始めた途端に若い日本人と
台湾の人が入店してきた。日本人は東京の大学生。
味噌汁を無性に食べたくなり、オートバイでフエの町中を
探し回ったとのこと。店先の灯の入った赤提灯を見て
入店した。一緒の友人の台湾の若者も入店。

●台湾青年と記念写真

午後7時半頃、カナダ人夫婦が入店。
カナダ・バンクーバー市の高校の校長先生。奥さんは
高校総障害児学校の先生。
「子どもの家」の支援をカナダからしたいとの申し入れが
あった。名刺を渡し、インターネットのホームページの
英語版をみてもらうことになった。
1973年頃日本でしばらく生活したとのこと。
日本食が大好きと言っていた。
私と同い年。1960年代の終わり頃カナダの大学で
学び、ベトナム戦争反対運動をしたとのこと。
平和と人権擁護が一番大切と力説していた。
日本の高校の校長先生がこうした意見をしっかり
言えるのか? 考えてしまう。
「2007年問題」の仲間として多くの意見が一致した。

更にフランス人男性とベトナム人女性が入店。

午後9時、カナダ人夫妻が帰る。

午後9時、入店したお客さんが帰ったので閉店。
日本料理店スタッフ、日本語学校スタッフの皆さんは
かなり疲れている。閉店とした。多分、そのまま予定通り
午後10時まで続けていたら更に多くのお客さんが
来店したものと思われる。

日本料理店の店頭の「のれん」と「提灯」をライトアップした
ことが功を奏したものと思われる。

今日は、家庭料理「子どもの家」を開店して初めて
予約客なしでの開店となった。試みである。
私たちの予想では日本人のお客が来ると思っていた。
あるいは一人もお客さんが来ないかも知れないと
思っていた。しかし、今日の結果を見ると、6人の来客が
あり、カナダ人2人、台湾1人、ベトナム人一人、フランス人
1人だった。
日本人以外の人たちの入店が多くなる可能性を感じた。
午後9時過ぎに閉店し「後片付け」。

日本料理店を開店していれば、お客さんが来るという
自信が出てきた今日の夜ではあった。
こうした体験を日本料理店スタッフがたくさん作ることが
一番大切なこと。多くの来客を受け入れる体験を通して
日本料理店スタッフの力量・技量がが向上する。

日本料理店のベトナム人スタッフ、日本人スタッフの
皆さんの努力に感謝。明日も夜の日本料理店開店に
挑戦する予定。

今日は「東京大空襲」61周年。
10万人の一般市民が殺された。
東京周辺に爆弾を落とし、外へ逃げられない
ようにしたあと、東京の下町を中心に「焼夷弾」を
ばら撒き、日本人を焼き殺した戦争犯罪である。

1945年3月10日、アメリカのB29爆撃機325機が
東京を攻撃。午前0時7分、深川地区を初攻撃。
その後、城東地区を攻撃。38万発の爆弾1700トンを投下。
10万人近くの死者が出たという。27万8千戸が焼失。
東京の3分の1が焼かれたという。
3月10日は日露戦争の奉天戦勝記念日であり陸軍記念日。
日本人の戦意を無くすための空襲とアメリカは言っている。
1964年、東京大空襲を指揮した「カーチス・ルメイ少将」に
「勲一等旭日賞」を授与している。
自民党政府が戦争犯罪人の首謀者であるカーチス・ルメイに
勲章をあげているという事実を知るべき出る。
自民党の次期首相候補と目されている若手の「愛国心」
の主張がイカサマなものであることを知るべきである。
靖国参拝は頑固に主張しても「親分のアメリカ」には
借りてきた猫のごとく沈黙する自民党の自主性のなさ、
愛国心のなさを嘲笑したい。一部、愛国心強調主義者の
主体性のなさ、アメリカ追随の偽者愛国者に辟易している。
愛国心を言うのであれば、アメリカの戦争犯罪である
一般市民を虐殺した国際法違反の東京大空襲を
こそ告発すべきである。

アメリカはイラクへ侵略し、既に3万人もの一般市民を
虐殺している。
フセイン元イラク大統領の戦争犯罪を裁く裁判が行われている。
百数十人のイラク人の死刑執行に「GOサイン」を出したということが
戦争犯罪の証拠として提出されている。フセインの人権侵害が
当然糾弾されるべきものではあるが、3万人のイラク市民を
虐殺したブッシュ大統領の「人道の罪」は問われないのか?
フセインを告発しているアメリカが10万人もの非戦闘員である
無辜の東京都民を虐殺している犯罪は不問にされるのか?
ブッシュ大統領の忠実な下僕である小泉首相は親分には
何もいえない。
東京大空襲61周年にあたり、こんなことが頭に浮かんだ。
「勝てば官軍か?」・・・・・・・・・。


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2006年03月09日

地球の歩き方スタディーツアーナムドン山岳地帯へ。日本料理店大盛況

晴天

また行方不明となったリー君を探し、昨夜市内を回る。
「明日8時に日本料理店へ来るように」と伝える。
今朝8時過ぎ、リー君が日本料理店へやってくる。
先日、新品の衣類一式を買ってあげたのだが、
「ギャンブル」に使ってしまった。暫くお風呂にも入って
いないようで多少の異臭あり。
早速、私のオートバイの後ろに乗せてベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で温水シャワーを使い入浴。
その間に税田さん、ハンさんがリー君のズボン、くつ、
シャツなどを支援物資の中から探してくれる。
ソン君は下着を買いに近所のお店へ。

9時半、地球の歩き方スタディーツアーの皆さん(14人)、
ラームさん、私でナムドン山岳少数民族との交流へでかける。
リー君も助手として連れて行く。


中型バスで1時間半。ナムドン山岳地帯の中心部へ入る。
昼食を摂る。


●イカの煮物を汁ごとご飯にかけ、唐辛子入りの醤油を入れて
 食べると絶品の「汁かけ飯」となった。

更にバスで山奥へ。
カトゥー族の村へ到着。村人が音楽と民族衣装で歓迎。


地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは、ラーメンなどの支援物資
をもって交流会場へ。


交流会場


初めに支援物資の贈呈式を行う。

子どもたちの歓迎の踊り

カトゥー族の皆さんと一緒に踊りをおどる。

交流を取り囲むカトゥー族の子どもたち



交流会場の伝統家屋の中には、村の長老や子どもたちも
一緒に座る。農業・林業のカトゥー族の生活はいつも家族と一緒。

私と同い年の長老は3人の孫と一緒に穏やかな顔をして
交流を見守っていた。「人の幸せとは何か?」。その回答を
見る思いである。

交流会終了後、村人と一緒に山の中の滝を見に行く。

滝を見ながら村人と交流。


今日の交流ではリー君も荷物を持ったり、水を配ったりと
活躍した。人間は、目の前に何か課題がないと沈んでしまう
ものなのかも知れない。自分と言うものの「位置」がしっかりと
位置づいているとき、子どもたちは安定した気持ちになるものだ。

午後4時頃、ナムドンを出発。午後5時半過ぎ、フエ市内に
戻る。地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは、シャワーを
浴びたりして一休み。午後6時半から日本料理店で最後の晩餐。

トンチンカンホテルの日本料理店に帰る。早速地球の歩き方ツアー
の皆さんを迎えるために「のれん」「提灯」を店先に掲げる。
「のれん」が目立つようにひさしにライトをつける。のれんの
文字がくっきりと浮かぶ。提灯にも灯を入れる。赤い提灯が
一層目立つ。

厨房ではホン店長、フオンさん、子どもたち(4人)、
日本人4人の皆さんが、地球の歩き方ツアー(14人)の
夕食晩餐会のための準備に大忙し。

あたりは薄暗くなってきた。明るくライトアップされた
のれんと提灯を中心に日本料理店は夜の街に見事に
浮かび上がっていた。街を歩く人に「目立つ」ようになった。

早速6時前に一人お客さんが来店。ハノイ駐在の日本の方。

先日、フエ空港待合室で日本人と
隣り合わせとなり話をしたそうだ。その日本人の女性は
「フエに初めての日本料理店が出来た、
純米大吟醸酒など美味しい日本酒がたくさんある」と
話していたそうだ。お客さんは、日本酒が好きなので
次回フエ出張の機会があったら必ず寄ってみようと
思っていたとのこと。生ビールと「付け出し」、
いくつかのおつまみで純米吟醸酒を飲む。
また、機会があったら来てくれるとのこと。
6時半の空港行きのぎりぎりまで日本料理店
での滞在を楽しんでくれた。有難いことである。
口コミで日本料理店が少しずつ広がって
行くことを期待したい。

しばらくすると若い男女が入ってきた。
提灯とのれんをにたとのこと。お客さんだと思ったら
「00ホテルにはどういったらいいですか」との道案内の
依頼。リー君に言ってホテルまで案内するようにした。
これも何かの縁だ。

午後6時半、地球の歩き方スタディーツアーの
皆さん14人が来店。今夜でフエ滞在は最終日。
今夜は晩餐お別れ会。


夕食会のメニュー

●手作りコロッケ

●インゲンの胡麻和え

●空芯菜のニンニク炒め

●昨夜から漬けておいた「ぬか漬け」(丁度良く漬かっている)

●南蛮漬け風小魚


ご飯、味噌汁・・・・・・。


●今日はピースインツアーの好意で「飲み放題」。
  生ビールやワイン、焼酎の水割りなどの注文が殺到。
  松下さん、税田さん、石岡さんは裏方で飲み物の注文に
  応える。中村さんは厨房でホンさんたちと料理を作る。

地球の歩きスタディーツアーの皆さんはアオザイを着て参加。


地球の歩きスタディーツアーが盛り上がっている時、京都産業大
のスタディーツアーで昨年来た若者2人が来店。
更にアジアを回っている若者が提灯とのれんを見たと言って来店。
生ビール、夕食を注文。


地球の歩き方スタディーツアーでホテルへ帰った参加者のうち
4人が再度日本料理店へやってくる。

提灯とのれんを見てカナダ人ご夫妻が来店。手が一杯の
ため事情を説明し、明日の夕方の来店をお願いする。

今日はのれんや提灯をライトアップしたが、暗い夜の
街で日本料理店はかなり目立つ存在となり、旅行者の
目に留まったようだ。

今日は26人の来店。厨房や接客担当の皆さんの
奮闘で何とか危機を乗り越える。

今日1日、朝8時過ぎから午前12時過ぎまで、仕事が
続き、さすがに体が棒のようになってしまった。
明日、体力が回復するか心配だ。
今日の来客の様子を見ていると今後日本料理店への
来店はかなりあるとの見通しを持つに至る。

ピースボートから連絡があり、4月11日に40人位で
フエに来る、「子どもの家」など訪問。その際
夕食を日本料理店でするとのこと。40人の来客への
対応は初めて。今からシュミレーションをし準備が必要。
今日1日奮闘してくれたベトナム事務所、日本人、
日本料理店スタッフの皆さんに深謝。

投稿者 koyama : 10:48 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月08日

「子どもの家」年長者の自立懇談:地球の歩き方ツアー

曇り 蒸し暑い。

今日は3月8日。国際婦人デーである。
ベトナムではそれなりに盛大に行われている。
町中に花束を売る店が林立。男性が花束を買って
女性にプレゼントしたり、公的機関ではお祝いの
パーティーなどが行われている。
「子どもの家」でもスタッフが集まり会食会をした。

婦人の地位の向上、権利の拡大を願って、日本も
1960年・70年代までは「国際婦人デー」には
全国的に集会やデモ行進などをしていたが、今は
どうなのでだろうか?
今日の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」のWEBサイト
を見ても「国際婦人デー」の記事はなかった。

昨夜遅かったせいもあり、今朝は体調不良。
かなり疲れが残っている。

午前8時40分、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に
「子どもの家」へ。
セン委員長と懇談。「子どもの家」で日本料理店研修生
を希望していた二人の意向を確認。希望していたが、
ミシンの研修をしたいとのこと。
子どもたちは、ベトナムの新聞(3紙)に載っていた
ODA縫製研修工場の記事を読んで、ミシンの研修を
進め、縫製研修工場で働きたいとの希望を持っているようだ。
ベトナムの口コミは本当に凄い。つい数日前までは、
日本料理店でどうしても働きたいとセン委員長に申し出て
いた子どもたちが、口コミ情報で縫製研修工場建築を知り、
直ぐに希望を変更した。風向きを見るに敏な国民性でも
ある。

メンさん、ユオンさん、チュン君の3人を呼んで今後の
身の振り方を話し合う。

セン運営委員長、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に。

●メンさんは、既に退所式を行い、ベトナム事務所関係者の
 実家に下宿することが決まっている。本来なら先週下宿する
 はずだった。メンさんも何か事情があって自分が下宿できない
 のではないかと心配していたとのこと。理由は、担当の
 ラームさんが訪問者の案内であまりに忙しく、メンさんを
 下宿へ連れて行けなかったということだった。
  今週中に必ず下宿することを確認。予定では明後日。
 メンさんもほっとしていた。

●ユオンさんは「このまま子どもの家で生活しながら
 フエ師範短大(3年間)に行きたい」との希望だった。
 ユオンさんの将来の希望は小学校の先生になりたいとの
 こと。私から是非頑張って欲しい。「子どもの家」で生活し
 大学に通学することは認める。「子どもの家」では最年長の
 お姉さんとして年下の子どもたちの模範となるように頑張って
 欲しい。年下の子どもたちの面倒をしっかりと見て欲しいと
 話す。
  ユオンさんからの希望。フエ師範短大に通いながら
 コンピュータと英語の夜間学校に行きたいとのこと。
 ベトナム事務所で学費は出すのでしっかりと勉強するよう
 話す。


●チュン君
 現在、コンピュータ技術の研修会社で研修中。
 下宿して研修(18ヶ月)を終えたい。その間、在宅支援
 として応援して欲しい。研修終了後は、コンピュータの
 仕事をして自立したいとの希望。研修は午前7時半から
 午前11時半。午後2時から午後5時半まで。
 ★セン委員長からの意見 
   チュン君は23歳になる。基本的には18歳で退所すべき
  なのに既に5年も延長している。自覚を持って自立するよう
  に頑張って欲しい。

最後に3人に話す。今後は、自分の力で生きて行けるように
努力すること。
大学在学中に将来の希望する仕事を考えておくように。
また、今まで10年間ほど「子どもの家」やJASS、日本人の
支援でここまで成長できたことに感謝の気持ちを持つように。
これからは寮母さんなど「子どもの家」やベトナム事務所スタッフ
日本の支援者に恩返しをする番になった。
恩返しの第1は、しっかりと「自立」すること。第2は、「子どもの家」
の年下の子どもたちの勉強や生活の面倒を出来るだけみること。
そうして自分たちの後輩が自立できるように出来る範囲で努力
すること。

1時間ほどの話し合いを終わる。

「子どもの家」では、地球の歩き方スタディーツアー(11人)
の皆さんが子どもたちと「バインロック」(お菓子)作りを
していた。バインロックは小エビを甘辛に煮たものを「種」に
粉のキャッサバ芋に水を混ぜて餃子状態にしたもの。
餃子状態になったものをゆでると「水晶状」の透き通った
食べ物になる。
一つひとつお団子を作るように手作りで「バインロック」
を作る。子どもたちとスタディーツアー参加者が協力して。

出来上がったバインロックの種を蒸気で蒸す。

温かい美味しいバインロックが出来上がる。フエの名物。
唐辛子と「ヌオックマム」をかけて食べる。

●美味しく出来上がった「バインロック」


子どもたち、スタディーツアー参加者、スタッフと楽しく
バインロックを食べながら交流。


昨年京都産業大スタディーツアーで「子どもの家」で
2週間実習をした学生が訪ねてきた。
現在はホーチミン市でストリートチルドレン支援活動を
手伝っているとのこと。しばらく懇談する。
フエの生活困難子どもたち支援の話をする。


夕方、明日の地球の歩き方スタディーツアー(11人)分の
野菜をぬか床に漬ける。きゅうり、にんじん、大根、セロリ。
明日の午後6時頃、丁度食べごろになるように。

1週間前、最初のぬか床を作る。5キロのぬかに1キロの塩。
塩味が強すぎた。その後、2キロのぬかを加え味を調整した。

MHK国際放送で「アンチ・エイジング」の特集をしていた。
アンチエイジング化粧品、サプリメント。年を取っても若くありたい
とのこと。顔にシミが出来て何故いけないのだろう。
皺が出来て何故恥ずかしいのだろう。自然現象。
「年相応に老ける」ということは、日本人の古来からの
生き方のはず。「いつもまで若々しく見られたい」と
思うこと自体が、不遜な態度である。加齢は自然現象。
自然の中の人間・自分である。自然と共に生きる。
加齢・老化、結構なことである。
若く見えるとか老けて見えるとか言う前に、年老いて
どんな生き方をするのか? 何を目指して生きるのか
という生甲斐がないままに「若く見られたいという」見てくれだけを
追う老人にはなりたくない。

私は「アンチエイジング」と「脳を鍛える」という際物は
初めから「ヌエ的」な一時の流行と思っている。
老化、大いに結構。年を取ってまで計算やプリント問題
などをする気はない。一時の流行である。5年後に
「脳を鍛える」などという人がいるのかどうか?
時代が真実を証明する。

国際女性デー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国際女性デー(こくさい じょせい でー、国際婦人デー、国際女性の日、英語 : IWD : International Women's Day)は、記念日の一つ。1908年3月8日ニューヨークで行なわれた女性達によるパンと参政権を要求したデモに感嘆したドイツの社会主義者クララ・ツェトキン(Clara Zetkin)が、コペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議(1910年)で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱して始まった。


バングラデシュ商業組合による国際女性デーのデモ(ダッカ)国際女性デーにちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。

日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体赤瀾会が初の集会を開催。国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。2000年には、国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソン(Mary Robinson、アイルランド初の女性大統領)が21世紀に向けて「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝うと同時に、女性被害者は、いまだに跡を絶たないことを想起する日」であると言明する文書を発表した。イタリアでは女性が互いにミモザ(ギンヨウアカシア - Cootamundra wattle)の花を贈り合い(もともと男性が女性に贈る習慣がある)、この季節を迎えると街中にミモザの花がみられる。

投稿者 koyama : 15:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月07日

札幌鹿又さん一行日本料理店:「越日交流委員会」開催

晴れのち曇り

午前8時半、「越日交流委員会」を開催。

出席者:
・ニエン(「越日交流委員会」委員長:フエ市人民委員会外務部長)
・小山(同副委員長:JASS代表)
・セン(「越日交流委員会」委員:「子どもの家」担当)
・イックホアン(「越日交流委員会」委員:オートバイ修理工場担当)
ーーー
(オブザーバイー)
・バオミン(JASSベトナム事務所長:通訳)
・クン(フエ市人民委員会外務部副部長)

今日の「越日交流委員会」の議題はODA草の根支援を受けた
縫製研修工場の建築工事の件。
フエはベトナムでも一番「複雑」な手続きが要求される。
日本大使館に認証された縫製研修工場の設計図を
トゥア・ティエン・フエ省建築ライセンス機関に提出し
建築のための正式ライセンスを取得する手続きが必要である。
フエ省・フエ市での複雑な建築に向けての手続きの細かい
意思統一を行う。
現在の予定では建築許可ライセンスを取得するまでに
2週間から1ヶ月ほどかかる。その後、建築会社との打ち合わせ。
工事開始から建築完了まで6ヶ月を予定している。
現在の所、建築完了を2006年10月と見ている。
今までの体験だと「半年で完了」の予定が2年半かかった
こともある。ある時は、途中で工事への横槍が入り、
工事がストップしたこともあった。
今まで建築許可ライセンスを取るだけで
大変な時間と労力が必要だった。日本のように簡単な手続きで
物事が進むと言う国のシステムではない。社会主義官僚
システムの極地をいくような地域がフエである。
建築開始までにかなりの紆余曲折があるとの心構えが
必要。

午前11時半、日本料理店にJASS札幌の会の関係者一行
(4人)が来訪。昼食を摂る。

鹿又さん、佐々木さん、松山さん、堂田さん、ミンさん、
私の6人で午後3時まで昼食交流会。

今日のメニューは
★フダビールの「生ビール」
①付け出し(甘酢らっきょ:カワハギ干し:ピーナッツ)
②枝豆
③小魚の甘辛煮
④手作りのぬか漬け(ニンジン・きゅうり・大根)
⑤そうめんサラダ(徳岡スペシャル)
⑥ごはん・味噌汁
⑦デザート
⑧緑茶
(①~⑧までのコースで25000ドン:200円)

今日のメニューにある「徳岡スペシャル(そうめんサラダ)は
お客さんからいつも好評である。美味しいおつまみとおかずで
生ビールを飲んで、仕上げの「徳岡スペシャル(そうめんサラダ)
でしめる。2月15日の日本料理店開店以来、そうめんサラダと
牛すじ煮込みがお客さんから一番好評だった。
そうめんサラダは鳥取の徳岡和枝さんが日本料理店に来て
直接教えてくれたもの。徳岡さんへのお礼と感謝を込めて
「徳岡スペシャル(そうめんサラダ)」と命名した。
これからも「1日」「半日」数時間」でも時間のある方は
是非日本料理店へお越し頂き「自慢の一品」家庭料理を
教えて頂きたい。
私たちの日本料理店は「専門の料理人」をおかず、全て
ボランティアで少しずつ学びながら、「子どもの家」の
子どもたちを育てていくという方式の日本料理店
である。お金儲け第一主義を排し、子どもたちと
ベトナム人スタッフを育て、「子どもの家」の子どもたち
の就職口、自立へのステップとして日本料理店を
位置づけている。その眼目は「人を育てる」ということに
尽きる。効率が悪くても時間がかかっても上記の
目標を常に堅持し、日本料理店を運営ししていきたい
と思っている。


日本料理店の値段は、バックパッカー、ベトナム料理に
ちょっと飽きた日本人、日本料理が恋しくなった日本人、
そして地元のベトナム人が気軽に入って食べられる値段を
設定。現在は開店サービスもありかなり安い値段で提供している。

料理は午前8時半からホン店長、フオン料理人を中心に
グエット、ニー、トゥーイ、ターオなどの「子どもの家」の
子どもたちが協力して調理していた。
こうした準備活動を何回も繰り返していく中で
段々日本料理の作り方、味付け、接客の仕方、日本人の
考え方などを理解してくものと思っている。
時間をかけながら「人を育てる」という方針で臨んでいる。

今回はグラス生ビール60杯を飲み干す。日本料理店
「子どもの家」の財政確立に多大な貢献をして頂く。

松山さんや佐々木さん、堂田さんなどからお客の立場で
どのように料理を出したら良いのか、お酒の好きな男性の
飲み方と食事の仕方、お酒を飲む女性の料理と食事の
仕方などの違い、料理の出し方、お酒の勧め方など
細かい助言を頂く。

午後3時、鹿又さん一行はフエ空港へ。

鹿又さん一行が日本料理店で食事中、突然お客さんが来店。
日本料理店店先に「のれんと提灯」を出していたため。
いつも団体のお客さんがあった時には、のれん・提灯を店先に
掲示し、「本日貸切り」との表示をだすのだが、今日は表示を
出すのを忘れていた。そのためにフリーのお客さん第1号と
なった。お客さんは横浜国立大学の先生。昼食を提供。

午後6時、日本語教師の皆さんと夕食。
夕食が終わり、雑談中に昼来店された大学の先生が
旦那さんとその友人を連れて来店。
旦那さんはフエ市人民委員会の招請で2週間フエに
滞在し下水道・上水道の管理・補修をされている
横浜市水道局のスタッフの皆さんだった。
中村さん、石岡さん、税田さんがおつまみ、簡単な
夕食を作り提供。話し合いは午後11時まで。
生ビール20杯。

今日は〆て生ビール80杯以上の売り上げ。
毎日こうであるといいのだが・・・・。

私を入れて5人の日本人スタッフが部屋に戻ったのは
午後11時を過ぎていた。日本人スタッフの皆さん、
ご苦労様。

投稿者 koyama : 09:44 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月06日

札幌の会(鹿又さん一行):地球の歩き方ツアー

晴天

午前10時、地球の歩き方ツアー(11人)の皆さんに
「子どもの家」のこと、ボランティア、日本社会の問題など
を1時間ほど話す。

「子どもの家」では「めんこ」がはやっていた。
1960年代の日本の子どもたちと同じように遊んでいたい。

午後、札幌の会(べこ委員会:トナムの「どもの家」を支える会こども委員会
のみなさん4人がベトナム事務所へ。
皆さんを案内し、日本語学校へ。札幌・江別から来た皆さんから
北海道の説明を受ける。

地図を使って北海道を説明する

江別市「カナリヤ書房」店主 松山さん


TVディレクター佐々木さん、ビデオ会社社長鹿又さん、
社員の堂田さん

TVディレクターの佐々木さんは、東京フリー映像の前社長
だった故宮内一徳さんの知り合いだった。
宮内さんは、私たちを紹介する二つにテレビ番組を作ってくれた。
テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」、NHK教育「ETV2001」。


オートバイ修理研修センター・工場、縫製研修工場建築予定地
を視察。その足で「子どもの家」へ。

「子どもの家」に到着後、子どもたちへ玩具などのお土産を
贈呈。

「子どもの家」では鹿又さんの里子メンさんと対面。
メンさんは、「子どもの家」ミシン研修センターで縫製を
学び、現在は地元の小さな縫製店で研修を続けている。
鹿又さんは昨年11月の「子どもの家」創立11周年記念式典
でメンさんが組織した「紙の衣類」のファッションショーの
様子を私の日記で見た。今日は練習用の布を持ってきて
メンさんにプレゼントした。
鹿又さんは1995年に私がラームさんなどベトナムの学生4人
を連れて札幌を訪問した。その様子が地元の新聞に載った。
その記事を読んでJASS札幌の会員になってくれた方である。
鹿又さんはベトナム戦争真っ最中の1967年から数年、
サイゴン(現ホーチミン市)に滞在し仕事をした経験を
持っている。メンさんを里子にして8年近くが経つ。
メンさんは現在17歳になる。

●鹿又さんと里子のメンさん

●みんなで記念写真

「子どもの家」に午後6時近くまで滞在し、その足で夕食。
バオミン・ベトナム事務所長を交えて6人でベトナム料理を堪能。
午後8時過ぎにお開き。
お若い堂田さんを除くと昭和20年・21年・22年生まれの
4人である。「2007年問題」の主犯である私と共犯の
3人。この世代は60年安保の後の70年安保世代。
今の小泉政治と日本社会、世界の状況について、
「異常」に強い関心を持っている世代でもある。
その辺の話が盛り上がり、フエの「フェスティバルビール」
が大量に空となり、「オンターオレストラン」へ高額の利益を
もたらし、地域経済発展に大きな寄与をした晩だった。

JASS札幌の会は、静岡の会と一緒に私たちの会では
最古参。小川道子さん・佐藤広也さん・北千佐子さんなど
11年前に知り合った方々が今でも支援とお付き合いを
続けてくれている。当時の札幌の会の会員だった菊さんは
旦那の転勤に連れて「置戸」、「函館」と転居したが、転居先
で「子どもの家」支援の会を立ち上げて今でも支援を続けて
くれている。
とかく「飽きっぽい」日本人ではあるが、
こうして10年以上も変わりなくお付き合いしてくれる人々が
いることに感謝。札幌の会の皆さんは大声で自分を主張
したりはしないが、地味ではあるコツコツと支援を続けて
くれている。支援はこうありたいものである。
北海道という気候と風土が作り出した「気風」なのか?
それとも集まった皆さんの人間性なのか?

投稿者 koyama : 07:27 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月05日

午前中仕事ー午後休息 

晴天

★今日は先日亡くなった叔母(父の妹)
 武井たつさんの49日法事。ベトナムにいて参列できず。残念。
 90歳近い大往生と言える。文京区大塚にいた。
 私が生まれた時からお世話になった叔母。
 天国でゆっくり休んで欲しい。


午前8時、ベトナム事務所の電機関係の工事。
バオミンさんと午前10時半まで立ち会う。

その後、トンチンカンホテルの部屋の整理・掃除。
衣類等の収納など・・・・。

何人かの支援者に手紙を書く。
全国大学生協スタディーツアーは午後ホーチミン市へ。

午後7時過ぎ、地球の歩き方ツアーフエ到着。

今日はフエ帰って初めて読書の時間が取れた。
この3週間、仕事・仕事・問題・仕事・・・・・・。

「国家の品格」(藤原正彦著:新潮新書)

著者は、作家新田次郎・藤原ていの次男。
現在お茶大理学部教授。数学者。

現状認識はほぼ一致。社会の指導層そして日本社会全体が
品格をなくしている、市場原理至上主義という理論におかされて
いると主張。藤原氏の言いたいことは、
理論・理屈だけで世の中の事象を解決できない。
日本伝統の武士道をもう一度日本人が学び直す必要ありと。
惻隠(そくいん)の情ー相手の気持ちを推測し思いやる気持ちー
なや「卑怯(ひきょう)」と思う気持ちなど
日本人が持っていた西洋文明にない行動様式を
もう一度、見直したいと主張している。
現在の資本主義の本家、アメリカの精神的腐敗、貧富の
格差を強く警告している。既に資本主義はマネーゲームと
化していると。
やや、復古調のきらいがあるが、耳を傾ける価値のある
主張に思えた。数学者の書いた本として一読の価値あり。

会津藩の藩校「日新館」に「什の掟」(じゅうのおきて)というの
があったそうだ。幕末の白虎隊も学んだとのこと。

1 年長者の言うことに背いてはなりませんぬ。
2 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
3 虚言をいうことはなりませぬ。
4 卑怯な振る舞いをしてはなりませんに。
5 弱いものをいじめてはなりませぬ。
6 戸外で物を食べてはなりませぬ。
7 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

一部納得の出来ないものもあるが、ほぼ現代に
通ずるものである。山手線や地下鉄で食べ物を
パクつく輩(やから)、電車などでお化粧する人(若者だけではない)
には通じない「掟」かもしれないが。
「恥を知れ」ということばも死語に近い。


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2006年03月04日

ベトナム事務所員会議

晴天

今日は10数日ぶりに快晴となり久しぶりに太陽を見る。
気持ちがよい。


午前8時半からベトナム事務所員会議。

(ミン)今日は今週一週間の活動をお互いに共有しましょう。
   最初にサンさん、どうぞ。
(サン)3月末に初級の卒業テストをする予定。
    4月一週目に終了式を行う。
(ソン)今週は大学生協ツアーの案内をして「子どもの家」へ
    行った。また、今日の午後大学生協ツアーと一緒に
    農村のホームステーに行き、一緒に宿泊する。
(税田)大学生協ツアーのお世話をした。支援者から依頼された
    「竹とんぼ」の試作品が出来た。

(石岡)昨日、お雛様の会をした。中級の生徒も歌を歌った。
    ガイドコースは来週・さ来週と王宮でガイド実習。
(フーン)上級・ガイドコースはうまく進んでいる。
(ハン)大学生協ツアーを案内して「子どもの家」へ行き
     ゲームをした。昨日は「子どもの家」、盲学校、
     省「子どもの家」の定期健診を行った。
     省の「子どもの家」から文房具・衣類をもらいたいと
     言われた。
(松下)昨夜のお雛様の会は楽しかった大学生協ツアーを
     案内したい。「子どもの家」の子どもたちが
     来訪者とメールアドレスの交換をしている。
     「子どもの家」のフオンさんが弟(6歳)を入所
     させたいと言っている。
(ミン)オートバイ修理研修センターの庭に関係者の
   家に工事材料が置いてある。少しの時間我慢して欲しい。
   大きい子どもたちの今後の身の振り方を来週には
   決定したい。
  ・3月は多くのツアーや来訪者があるので、皆さんの
   協力で成功させたい。宜しくお願いします。

(小山)・ODA縫製研修工場の調印式のためハノイにミンさんと
    一緒に行った。今後、申請書通りに建築を進めるため
    色々と努力しなかればならない。みなさんの協力を
    お願いしたい。
   ・日本語学校関係の様々な状況を説明。
    今後の日本語学校関係をめぐる具体的な方針を
    提案。合意を得た。
   

    
ベトナム事務所員会議を終えた所で「京滋YOUの会」の
古山君がホーチミン市へ行くため挨拶に来た。
丁度良い機会なので古山君も交えて、税田真理子さんの
24回目の誕生日祝いを行った。

●バオミン・ベトナム事務所長から誕生ケーキ贈呈


●ソンさんからベトナム事務所員の色紙贈呈

●「京滋YOUの会」の古山君も交えて記念撮影

午前10時半からミン・ベトナム事務所長とODA縫製研修工場
建築の件で詳細打ち合わせを行う。

午後2時。トンチンカンホテルの部屋で3月日程の変更など
スタディーツアー受け入れの総合調整を行う。
7通のメール送信。

ぬか床がほぼ完成。何度か入れた「捨て野菜」を切る。
大体漬かっている。来週から本格的にお客さんに出せるように
なった。当面は、ニンジン、きゅうり、大根、なす、セロリなどを
出す予定。

夕食後、中村さん、石岡さんと日本語学校ガイドクラスの
問題について話し合う。

テレビを見る。「道中でござる」が今日で終わった。
残念。こうした良い番組は長く続けて欲しいものだ。

中曽根元首相が「民主党には心張り棒がない」と言ったそうだ。
けだし名言である。

今日は久しぶりに晴天。
部屋を不在にした1ヵ月半の間に3つのバッグがカビに
侵され異臭を放つ。バッグを洗う。シーツ、毛布カバーも
洗う。ズック靴を古い歯ブラシに洗剤をつけて洗う。
3階の部屋についているバルコニーに干す。風も適当に
あり、2時間ほどで乾く。やっと部屋の中のカビ異臭が
消える。3月10日に帰ってきてから忙しく、部屋の整理など
をする時間がなかった。

投稿者 koyama : 21:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月03日

静岡市ラジオ体操連盟を案内するー「ひな祭りの会」

曇り

朝4時30分起床。昨夕、飲み過ぎ。多少の頭痛あり。
目覚ましにシャワーを浴びようとしたが、茶色の泥のような
温水が吹き出る。シャワーが壊れているようだ。
午前5時半、寝ぼけ眼で「静岡市ラジオ体操連盟」の
皆さんが宿泊しているセンチュリーホテルへ。
ミンさんと合流。
ダナンからきてたガイドさんに「今日の午前中は宜しく」
と挨拶するが、「私は関係ない。日本人はホテルの
ロビーにいる」との返事。いつものことだが、
ダナン人は横柄で態度が大きい。朝からお説教を
垂れる。人間は挨拶をしたらちゃんと返事をしなければ
だめだと。俺は関係ないと言い張る。
ホーチミン市から来た観光会社の責任者が来て
ダナンのガイドをしかりつける。これで良くガイドをしている
なと思う。ダナンもフエも即席ガイドなので質が低い。
ラームさんやミンさん、ベトナム事務所のベトナム人の
人間性の高さ、日本語能力の高さを改めて痛感する。
それでも日本の大手の観光会社はこの種の半人前の
ガイドを平気で使い、高い料金をお客さんから取っている。

午前6時、30人乗りのバス2台で世界文化遺産の
フエ王宮へ。39人(一人は静岡の観光会社の添乗員)
の平均年齢は70歳位と言う。しかし、みなさん、元気溌剌。
王宮前でラジオ体操の歌を大声で歌う。
その後、ラジオ体操第1、第2をする。私も一緒に体操に参加。
13年振りのラジオ体操である。昔は学校で体育主任をしていて
運動会などでは、朝礼台に乗り、模範ラジオ体操をしたものだ。
久しぶりのラジオ体操を楽しむ。朝のきれいな空気の中での
ラジオ体操は気持ちの良いものである。
ラジオ体操連盟の皆さんはお揃いのジャージ姿。

王宮前では多くのベトナム人が運動をしていた。
ラジオ体操への参加を呼びかけたが、お揃いの白いジャージ
姿に圧倒されたベトナム人は、周りにあつまり興味をもって
「眺めて」いた。

世界文化遺産の王宮前で全員記念撮影

ラジオ体操連盟の皆さんは一度、ホテルへ戻り朝食を摂る。
午前8時40分、再度センチュリーホテルへ。

フエ市長への表敬訪問。フエ市と静岡市は私たちの仲介で
「友好都市」提携をしている。昨年のことである。
昨年、フエ市長のカオさん以下幹部の皆さんが静岡市を
訪問し調印式。更に返礼で小嶋静岡市長がフエ市を訪問し
フエ市でベトナム文での調印式を行った。

午前9時、フエ市人民委員会へ。フエ市長との懇談に臨む。

●カオ・フエ市長

私の司会で表敬訪問は始まる。

始めに静岡市ラジオ体操連盟理事長さんより「小嶋静岡市長」
のメッセイージの代読があった。理事長さんは80歳をゆうに
超えているとのことだが、マイクなど要らないほどの大きな声で
メッセージを代読した。ラジオ体操の威力の一端を垣間見た
思いがした。通訳はベトナム事務所長のバオミンさん。

続いてカオ・フエ市長より歓迎の挨拶があった。
通訳はフエ市人民委員会外務部員のイックホアン。
1993年にフエ大学日本語クラスで私が教えた第一期生
である。バオミンさん・ラームさんと同級生。


ラジオ体操連盟からのお土産贈呈

フエ市長よりフエ市特製の記念バッジを一人一人に手渡しで
プレゼント


引き続き、フエ市と静岡市の友好交流を進めていくことを
お互い誓い合い表敬訪問を終わる。

最後にフエ市役所で全員記念撮影。

続いて2台のバスに分乗し、「静岡フエ青年交流会館」を視察。
小嶋静岡市長をはじめ静岡ライオンズクラブなど静岡市の
皆さんの浄財で作られた会館。現在は日本語学校を開講し
170名ほどのベトナム青年に日本語学校を教えている。

引き続きJASS運営の「子どもの家」へ。

●セン運営委員長の挨拶

子どもたちの歓迎の歌。ベトナム中央テレビの取材団も来て
取材をする。

ラジオ体操連盟より文房具をお土産として贈呈。

ラジオ体操連盟の皆さん、個人個人が子どもたちに記念品を
持って来てくれた。子どもたちの代表にプレゼント。

その後、「子どもの家」の各施設を案内。午前11時過ぎに
全ての日程が終わり、「子どもの家」を後にした。
今日の静岡市ラジオ体操連盟の「子どもの家」訪問の
様子は、ベトナム中央テレビから全国放送される予定。

その後、ベトナム中央テレビの取材を受ける。
この13年間の支援についていくつかの質問に答える。

「子どもの家」では、年間4回の定期健康診断が行われて
いた。フエ医科大学と提携しての定期健康診断は
既に10年を迎える。
私たちの支援でフエ省「盲学校」(54人)、
フエ省「子どもの家」(25人)も健康診断を行っている。


---------
今日は「ひな祭り」。

午後7時、日本語学校で「ひな祭り」のお祝い会を開く。
初級・中級・上級の生徒約50人が集まり、祝う。

静岡フエ青年交流会館にある日本語学校の前には
大きな「お雛様」が飾られている。これは、静岡市
から寄贈されたもの。

司会はベトナム事務所のソン君と上級のニュンさん。

開会の後、全員で「うれしい ひなまつり」を合唱。

日本語学校校長の私からお祝いの挨拶

生徒代表から「お雛様」のお祝いの由来を説明。

続いて「出し物」。

初級の生徒全員による歌。「大きな古時計」。
初級担当の松下先生も一緒に歌う。

中級コース生徒全員で「涙そうそう」を歌う。
中級担当の石岡先生も参加。


ひな祭りの会を支える日本語教師の皆さん

ーーーーー
今日は朝も早く、お昼頃にはエネルギーが枯渇。
かなり体がきつかった。

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2006年03月02日

日本料理店団体来客第1弾:静岡市ラジオ体操連盟出迎え

曇り

午前中、ODA縫製研修工場建築について、関係者と懇談・
打ち合わせ。ハノイ大使館とも電話連絡。

昨夕、NHK海外衛星放送の「クローズアップ現代」をみた。
支援者の太平観光北垣さん、江戸川菱幸運輸熊谷さんなどが
出演し、数年前、大久保駅でホームに落ちた日本人を助けよう
として自らの命を失った韓国青年を顕彰し両親を励ます運動を
している場面が放映された。「かけはしの会」である。
日韓が理論理屈だけで対立するのではなく、こうした市民
レベルで少しずつ相互理解をしようとする民間運動である。
太平観光の北垣さんや菱幸運輸の熊谷さんなどが提唱し
作った会である。私も会員の端くれ。
北垣・熊谷両氏に電話でお礼。
テレビ放映の内容の素晴らしさに感謝。

午後5時、静岡市ラジオ体操連盟の皆さん39人が無事、
センチュリーホテルへ到着。観光会社の須藤さん、
連盟理事長さんなどと挨拶。参加者皆さんに自己紹介と
挨拶、明日の日程などを説明。参加者の平均年齢は
70歳位とのこと。
さすが毎朝ラジオ体操をしているだけあって、皆さんお元気。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本料理店では、今日午後6時半から団体(全国大学生協連盟)
ツアーが来客する。団体ツアーの日本料理店来訪は今回が
第1回目。これから3月一杯で13組(120人)の団体来訪者が
ある。今日は13組の団体受け入れの初日。今日、成功
させなければ3月ツアー来訪者応対の成功はおぼつかない。
日本料理店スタッフ全員は朝から「気合い」が入っていた。

朝から日本料理店の大掃除。

●大忙しのホン店長

●10年間、私の食事を作ってくれている料理のフオンさん。
 日本料理店の厨房手伝いを依頼する。張り切って日本料理店
 の厨房で活躍するフオンさん。


●久しぶりに揃った「子どもの家」5人組

2ヶ月間、日本料理店を「遠ざかって」いたリー君も張り切って
日本料理店の準備を手伝っていた。



こうして子どもたちは、自分の「居場所」、役割りがあれば
張り切って生きていく力をもっている。
リー君の問題点ばかりを追求するよりも、体を動かし、自分の
役割り・位置をしっかり確認する中でこそ人間は自覚も出てくるの
である。今日のリー君はみんなと一緒に協力して仕事が出来る
ことの喜びをかみしめているようだった。

これからも紆余曲折が予想されるリー君・ターオ君兄弟だが
10年前に出会ったのも何かの縁。とことん付き合って行こうと
心に誓った。

午後6時、準備完了。日本料理店ののれんと提灯を出す。
一番緊張する時(?)


ーーーーーー

厨房ではスタッフが大学生協連スタディーツアーの皆さんの
夕食を作るのにおおわらわ。夕食の献立は 

・そうめんサラダ(別名「徳岡スペシャル」)
・肉じゃが
・エビのごま揚げ
・混ぜご飯
・味噌汁


日本料理店紹介

●今日の献立


●飲み物メニュー

●テーブルの様子


●フエ地ビール「フダ」の生ビールを置く唯一の店

●「久保田万寿」など銘柄豊富な吟醸酒

●NHK海外衛星放送も放映(日本の情報の少ないお客さんのために)


ーーーーー
全国大学生協連スタディーツアーの皆さんは、日本料理店
で手作り「お袋の味」日本料理を堪能した。
食後、皆さんの反響を聞く。美味しかった料理は?との質問に
①そうめんサラダ ②味噌汁 ③混ぜご飯との回答。

●帰りに全員で記念写真


ーーーーー

午後8時、全国大学生協連スタディーツアーの皆さんが
ホテルへ戻る。

その後、日本料理店スタッフ一同で遅い夕食会を開く。
日本料理店での仕事は厳しい。自分の分担した仕事の責任は
果たさなければならない。お客さんへの「言い訳」は必要ない。
しっかりとした日本料理とサービスを提供することが必要。
同時に仕事をするということは、多くの仲間・同僚・スタッフと
一緒に協力してしなければならない。そのためには
日本料理関係者の気持ちが一致し、協力する体勢が
必要である。日越・男女・年齢などの違いを超えて、
みんなで一緒に仕事をする雰囲気と体勢を作りたいものである。
縁あってこの日本料理店で一緒に働くことになった仲間である。
10年後、20年後になって「あの時は楽しかった」とみんなが
思える雰囲気と関係・体験を作って行きたいと念願している。
私が出来ることはそんなことである。

ーーーーーー
日本料理店スタッフの夕食会は楽しい雰囲気の中で行われ
午後9時過ぎ終了。日本語学校の松下先生は残念ながら
授業があり不参加。

今日は「京滋YOUの会」から来たベトナム事務所員の
税田真理子さんの24回目の誕生日。
3月3日。既に時刻は午後10時を過ぎている。
と言うことは、日本時間では3月3日入った。
日本人で日本語学校や日本料理店、スタディーツアー
などの反省をしていたが、急遽「税田真理子誕生祝い」に
変更。
日本語学校から戻った松下先生の準備で、誕生会が
行われた。松下さんから花の贈呈。


その後、午前12時過ぎまで誕生会は続く。
2週間前に購入した「生ビール」(50リットル)の樽の味が
落ちてきた。生ビールの寿命は2週間程度だそうだ。
既に味は多少酸っぱくなり、苦味も落ちてきている。
新しい生ビール樽を注文したい。
そのためには「税田さん誕生会」で2週間前に購入した
生ビールを全て飲み干さなければならないという
使命を帯びた5人は、しっかりと50リットルの生ビール樽を
飲み干した。時刻は午前12時を越えていた。

明日の朝は、午前5時前に起きて、静岡市ラジオ体操連盟の
皆さん方を案内し、王宮前でラジオ体操をする予定。

投稿者 koyama : 08:55 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月01日

全国大学生協連スタディーツアー

終日雨。

日本料理店は大掃除。ホン店長、グエット、ニー、トゥーイ、
ターオが、玄関、店内、厨房、食器等を清掃。大掃除をする。
明日から大学生協ツアーの食事提供が始まる。
現在の予定では13組:120人ほどのお客さんの
来訪予約を受けている。今日は、3月の来訪者への対応
のため掃除・店の装飾なとの最終点検などを行った。

ぬか床は作り始めて3日目。既に発酵している。
日本より発酵が遥かに早い。今日は更に「捨て野菜」を
追加。数日中で本当のぬか漬けが出来る。フエに来られて
日本食が恋しくなった方々にせめて美味しいぬか漬けを
提供したい。

午前9時半、大学生協ツアーは「子どもの家」を訪問。
8人。(女性6人、男性2人)

3日前に新しくTHUYさん(11歳)が入所。
両親は故あっていない。近所のおばさんの家に14歳の
姉と住んでいたい。小学校3年生。
まだ「子どもの家」にはなれていないようだ。
早く「子どもの家」に慣れて、しっかりと成長して行って欲しい。

始めにセン委員長の挨拶。ミン・ベトナム事務所長の司会。


子どもたちの歓迎の歌と踊り

●ドゥオック君の歌(涙そうそうなど)


●中学生の女子の歓迎の踊り

新入所のトゥーイちゃんも歓迎会に参加。


昨年9月、テレビ東京の取材の際に入所したりーちゃんは
すっかり「子どもの家」にも慣れ、友達も出来た。
今では「子どもの家」が彼女の「自宅」となっている。

その後、大学生協ツアーの皆さんはミンさんの案内で
「子どもの家」の各施設見学。

午前10時半~午前11時40分まで私の講演。
ストリートチルドレン支援のきっかけ。どのようにして
各種施設を作ったのか? 支援のめざすものは「人間」。
などの話をする。


午後、江戸川区議会議長さんなどのツアーの日程計画。
静岡市ラジオ体操連盟ツアーの最終確認。3月3日午前6時、
フエ王宮前の広場でラジオ体操をする。この数日雨が続いている。
当日が雨の場合の代替措置を考える。「子どもの家」
の子どもたちは毎朝6時に体操をする。雨の場合には
「子どもの家」に行き、子どもたちと渡り廊下でラジオ体操をする
ことにした。

午後3時半、フエ市人民委員会外務部へ。
「越日交流委員会」を開く。ODA支援で建築する縫製工場
の今後の日程、財政、ODA支援縫製工場をめぐる
フエでの諸状況を分析・検討。当面の方針を確認する。

夕食後。午後7時、店長のホンさん、日本語教師の中村さん、
バオミン・ベトナム事務所長と一緒にフエの「秋葉原」と言われる
電気街へ。日本料理店の冷凍庫を買う。

これから多くの日本料理店のお客が予想される。多くの食材、
作り置きの半加工食材などを保存し、いつでも調理できる
準備をしておく必要がある。2万5千円程度。


冷凍庫を買ってフエの「秋葉原電気街」を出ようとした時、
チェー(甘い飲み物)のおばさんがやってきた。
10年前から「在宅支援」をしていたティエン君のお母さん。
事情があってお母さん一人で二人の子どもを育てていた。
お母さんは天秤棒を担いでチェーを売り歩いてその日の
暮らしを立てていた。10年前に私たちが支援をはじめ、
次男の生活の面倒を「在宅」という形で見ていた。
次男のティエン君は19歳。昨年18歳の時に支援を終わった。
現在は徴兵で軍隊に入隊しているとのこと。
暗い街で私を見て「お礼」の挨拶をした。「売り物の
チェーを食べないか?」と誘ってくれる。私は甘いものが
苦手なのでお断りする。お母さんの話でティエン君は
元気に軍隊で生活しているとのことで、一安心。
徴兵でベトナムの軍隊に入隊した人の話を聞くと
軍隊内での「いじめ」「私的制裁」などの暴力がかなり
横行しているようだ。

今日は朝から1日中雨。寒い一日だった。
オートバイで出回ったので体中がびしょぬれとなった。
例年に比べると今年は春が遅いようだ。

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