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2006年03月08日
「子どもの家」年長者の自立懇談:地球の歩き方ツアー
曇り 蒸し暑い。
今日は3月8日。国際婦人デーである。
ベトナムではそれなりに盛大に行われている。
町中に花束を売る店が林立。男性が花束を買って
女性にプレゼントしたり、公的機関ではお祝いの
パーティーなどが行われている。
「子どもの家」でもスタッフが集まり会食会をした。
婦人の地位の向上、権利の拡大を願って、日本も
1960年・70年代までは「国際婦人デー」には
全国的に集会やデモ行進などをしていたが、今は
どうなのでだろうか?
今日の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」のWEBサイト
を見ても「国際婦人デー」の記事はなかった。
昨夜遅かったせいもあり、今朝は体調不良。
かなり疲れが残っている。
午前8時40分、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に
「子どもの家」へ。
セン委員長と懇談。「子どもの家」で日本料理店研修生
を希望していた二人の意向を確認。希望していたが、
ミシンの研修をしたいとのこと。
子どもたちは、ベトナムの新聞(3紙)に載っていた
ODA縫製研修工場の記事を読んで、ミシンの研修を
進め、縫製研修工場で働きたいとの希望を持っているようだ。
ベトナムの口コミは本当に凄い。つい数日前までは、
日本料理店でどうしても働きたいとセン委員長に申し出て
いた子どもたちが、口コミ情報で縫製研修工場建築を知り、
直ぐに希望を変更した。風向きを見るに敏な国民性でも
ある。
メンさん、ユオンさん、チュン君の3人を呼んで今後の
身の振り方を話し合う。
セン運営委員長、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に。
●メンさんは、既に退所式を行い、ベトナム事務所関係者の
実家に下宿することが決まっている。本来なら先週下宿する
はずだった。メンさんも何か事情があって自分が下宿できない
のではないかと心配していたとのこと。理由は、担当の
ラームさんが訪問者の案内であまりに忙しく、メンさんを
下宿へ連れて行けなかったということだった。
今週中に必ず下宿することを確認。予定では明後日。
メンさんもほっとしていた。
●ユオンさんは「このまま子どもの家で生活しながら
フエ師範短大(3年間)に行きたい」との希望だった。
ユオンさんの将来の希望は小学校の先生になりたいとの
こと。私から是非頑張って欲しい。「子どもの家」で生活し
大学に通学することは認める。「子どもの家」では最年長の
お姉さんとして年下の子どもたちの模範となるように頑張って
欲しい。年下の子どもたちの面倒をしっかりと見て欲しいと
話す。
ユオンさんからの希望。フエ師範短大に通いながら
コンピュータと英語の夜間学校に行きたいとのこと。
ベトナム事務所で学費は出すのでしっかりと勉強するよう
話す。
●チュン君
現在、コンピュータ技術の研修会社で研修中。
下宿して研修(18ヶ月)を終えたい。その間、在宅支援
として応援して欲しい。研修終了後は、コンピュータの
仕事をして自立したいとの希望。研修は午前7時半から
午前11時半。午後2時から午後5時半まで。
★セン委員長からの意見
チュン君は23歳になる。基本的には18歳で退所すべき
なのに既に5年も延長している。自覚を持って自立するよう
に頑張って欲しい。
最後に3人に話す。今後は、自分の力で生きて行けるように
努力すること。
大学在学中に将来の希望する仕事を考えておくように。
また、今まで10年間ほど「子どもの家」やJASS、日本人の
支援でここまで成長できたことに感謝の気持ちを持つように。
これからは寮母さんなど「子どもの家」やベトナム事務所スタッフ
日本の支援者に恩返しをする番になった。
恩返しの第1は、しっかりと「自立」すること。第2は、「子どもの家」
の年下の子どもたちの勉強や生活の面倒を出来るだけみること。
そうして自分たちの後輩が自立できるように出来る範囲で努力
すること。
1時間ほどの話し合いを終わる。
「子どもの家」では、地球の歩き方スタディーツアー(11人)
の皆さんが子どもたちと「バインロック」(お菓子)作りを
していた。バインロックは小エビを甘辛に煮たものを「種」に
粉のキャッサバ芋に水を混ぜて餃子状態にしたもの。
餃子状態になったものをゆでると「水晶状」の透き通った
食べ物になる。
一つひとつお団子を作るように手作りで「バインロック」
を作る。子どもたちとスタディーツアー参加者が協力して。
出来上がったバインロックの種を蒸気で蒸す。
温かい美味しいバインロックが出来上がる。フエの名物。
唐辛子と「ヌオックマム」をかけて食べる。
●美味しく出来上がった「バインロック」
子どもたち、スタディーツアー参加者、スタッフと楽しく
バインロックを食べながら交流。
昨年京都産業大スタディーツアーで「子どもの家」で
2週間実習をした学生が訪ねてきた。
現在はホーチミン市でストリートチルドレン支援活動を
手伝っているとのこと。しばらく懇談する。
フエの生活困難子どもたち支援の話をする。
夕方、明日の地球の歩き方スタディーツアー(11人)分の
野菜をぬか床に漬ける。きゅうり、にんじん、大根、セロリ。
明日の午後6時頃、丁度食べごろになるように。
1週間前、最初のぬか床を作る。5キロのぬかに1キロの塩。
塩味が強すぎた。その後、2キロのぬかを加え味を調整した。
MHK国際放送で「アンチ・エイジング」の特集をしていた。
アンチエイジング化粧品、サプリメント。年を取っても若くありたい
とのこと。顔にシミが出来て何故いけないのだろう。
皺が出来て何故恥ずかしいのだろう。自然現象。
「年相応に老ける」ということは、日本人の古来からの
生き方のはず。「いつもまで若々しく見られたい」と
思うこと自体が、不遜な態度である。加齢は自然現象。
自然の中の人間・自分である。自然と共に生きる。
加齢・老化、結構なことである。
若く見えるとか老けて見えるとか言う前に、年老いて
どんな生き方をするのか? 何を目指して生きるのか
という生甲斐がないままに「若く見られたいという」見てくれだけを
追う老人にはなりたくない。
私は「アンチエイジング」と「脳を鍛える」という際物は
初めから「ヌエ的」な一時の流行と思っている。
老化、大いに結構。年を取ってまで計算やプリント問題
などをする気はない。一時の流行である。5年後に
「脳を鍛える」などという人がいるのかどうか?
時代が真実を証明する。
国際女性デー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国際女性デー(こくさい じょせい でー、国際婦人デー、国際女性の日、英語 : IWD : International Women's Day)は、記念日の一つ。1908年3月8日ニューヨークで行なわれた女性達によるパンと参政権を要求したデモに感嘆したドイツの社会主義者クララ・ツェトキン(Clara Zetkin)が、コペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議(1910年)で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱して始まった。
バングラデシュ商業組合による国際女性デーのデモ(ダッカ)国際女性デーにちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。
日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体赤瀾会が初の集会を開催。国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。2000年には、国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソン(Mary Robinson、アイルランド初の女性大統領)が21世紀に向けて「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝うと同時に、女性被害者は、いまだに跡を絶たないことを想起する日」であると言明する文書を発表した。イタリアでは女性が互いにミモザ(ギンヨウアカシア - Cootamundra wattle)の花を贈り合い(もともと男性が女性に贈る習慣がある)、この季節を迎えると街中にミモザの花がみられる。
投稿者 koyama : 2006年03月08日 15:40
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