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2006年03月18日
マブベの会帰国
晴天。暑くなる。
午前8時、THUY XUAN村「子どもの家」へ。
この「子どもの家」はフランスのNGOが寄贈し、フエ市人民委員会
が管理運営している。ベトナム人の所長さんと懇談。
13年前にチーラン通り「子どもの家」を作ったが、その時に
入所したNIさんを日本料理店で引き受けることの話し合いに行く。
バオミン・ベトナム事務所長と一緒に。
チーラン通り「子どもの家」はフエ市ホーチミン青年同盟と共同で
運営していたが、問題が続出。私が子どもたちの生活費(30人程)
を出していたにも関わらず、フエ市ホーチミン青年同盟は、
アメリカ・フランスのNGOからも支援金をもらっていた。
支援金の「三重取り」である。アメリカのNGOはフエ警察に
犯罪を告発。結局、私の出していたお金で子どもたちの
生活をまかない、アメリカ・フランスの支援金は、ホーチミン青年
同盟の役員などの「ふところ」に入っていたのである。
それ以外に多くの問題があり、現在の「グエンチャイ子どもの家」
を設立した。ホーチミン青年同盟とはたもとを分かったのである。
現在の「子どもの家」が完成したので、私が支援していた
30人の子どもたちを現在の「子どもの家」に入れようとしたが、
ホーチミ青年同盟は、年上の子どもたちの転居を拒否。
3歳から8歳位で生活の面倒を見るのが大変な子どもたちだけを
選んで転居させると言う問題があった。当時、私たちは現在ほど
力を持っていなかったので、こうした不当な子どもたちの扱いを
止めさせることが出来なかった。
ホーチミン青年同盟の「利権・腐敗体質」のためNIさんは、
私たちの「子どもの家」に転居できなかった。10人ほどの
年上の子どもたちが私たちの「子どもの家」への転居リスト
から不当に外されてしまった。
ホーチミン青年同盟は、海外NGOをチーラン「子どもの家」に招待し、
年上の子どもたちを見せることでストリートチルドレン「子どもの家」
紹介しようとした訳である。
子どもたちを「見世物」的に扱う彼らの腐敗体質に辟易した。
悲しい実態である。
数年後にこうしたホーチミン青年同盟の体質を知った
全ての海外NGOがチーラン通り「子どもの家」への支援を
一切拒否していまう。ホーチミン青年同盟は、
子どもたちの面倒を見る資力も意欲もなくなり、7人の
年上の子どもたちを「子どもの家」から一方的に追放して
しまったのである。7人のうち3人の子どもたちは、「助けて欲しい」
と私たちの事務所にやって来た。当時、私とラームさんの
二人でベトナム事務所を運営した。ラームさんと協力して
3人は現在の「子どもの家」に入所させたり、本人の希望で
ベトナム人の里子にしたりした。
NIさんは、しばらく住居がなかったようだが、フランスの
THUY XUAN(トゥイスアン)「子どもの家」に入所し、
今日に至ったのである。
NIさんの希望で日本料理店で仕事をしたいとのこと。
先日、半日の参観をし、私たちも受け入れを決めた。
日本料理店は、私たちが関係した「子どもの家」の
子どもたちの就職の受け皿、自立の場である。
日本料理店で仕事をしているグエットさんやニーさん
との旧知の仲。
私は「THUY XUAN子どもの家」所長さんとは顔なじみ。
「本来なら私のほうで小山さんの事務所に行ってお願いすべき
ことをわざわざ来て頂き恐縮している」とのこと。
先日、NIさんが日本料理店に勤めたいと言っていたので
所長さんは、内緒で私たちの日本料理店を見に来たそうだ。
あまりに立派なので驚いたとの話をしていた。
是非、日本料理店で仕事をさせて欲しいと依頼された。
私はそもそもチーラン通りで受け入れたNIさんなので
私にも責任の一端はあるので、THUY XUAN村の
「子どもの家」と協力してNIさんの自立のために頑張ろう、
と話す。
3月20日から1ヶ月間の「試行」を経て、正式採用する
こととした。試行の1ヶ月間は、THUY XUAN「子どもの家」
から自転車で日本料理店に通うこととにした。
1ヶ月後に給料を上げ、小さな下宿を借りてやり、自立する
こととなった。NIさんの奮闘を期待したい。
所長さんと話し合い、バオミン・ベトナム事務所長と
帰ろうとすると、遠くの方でNIさんが私と所長さんの
話し合いがどうなったのか不安そうに見ていた。
直ぐに呼んで所長さんとの話し合いの内容を伝える。
NIさんは笑顔で喜んでいた。13年前にNIさんと
出会ったのも何かの「縁」である。自分の力で人生を
切り開いていって欲しい。幸せな未来であって欲しい。
急いでベトナム事務所へ帰り、ベトナム事務所員会議。
午後3時、フォンザンホテルへ。
マブベの会の皆さんが帰国する。フエ空港まで見送る。
マブベの会は、若い医師・鍼灸師などを案内し、フエやベトナム・
アジアを知ってもらいながら、小児針・タッチセラピーの実地研修を
行った。
参加した若者は本当に真面目に人生と社会を考えていた。
日本にこうした若者がいるということに誇りさえ感じた。
午前11時半から午後1時までパソコン修理業者を呼ぶ。
ウイルスに感染。インターネット機能が破壊された。
気候の変動が大きく、多くの「フエ人」が体調を壊している。
私も数日前から発熱、倦怠感、喉痛などの症状が発症。
訪問者も多数あり休むことは出来ない。
この13年間、『仕事をしながら体調を回復する』術(すべ)を
経験しながら体得した。食事をしっかり摂る、時間があれば
横になっているに尽きる。何とか体調が回復基調に。
ほっとする。フエに戻って40日。1日も休みがなかった。
かなり体に無理があるもの事実だが、現地の自立化に
向けては今が正念場。現地での活動は「理屈」ではない。
現実的に目の前の諸問題を解決することである。
そのためには、行動があるのみ。評論家や批評家では
勤まらない世界でもある。
ふと、外部で勝手に評論をしていたらどんなにラクで楽しいことか?
などと夢想することがある。
午後9時半、「子どもの家」でトラブルがあり、子どもが
警察に捕まったとの情報が入る。早速、ミンさんに連絡を
取ったが、大学生協と農村ホームステーに行っている。
電話がつながらない。急いで情報を取って対応しなければ
ならない。
投稿者 koyama : 2006年03月18日 19:23
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