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2006年03月12日
「子どもの家」のメンさん引越し
晴天。暑い。気温30度。
午前8時。昨夜日本料理店を訪ねて来た岩手の方が再訪。
昨夜写した写真をプリントして自宅へ送って欲しいとのこと。
しばらく旅をするらしい。引き受ける。
午前8時半、オートバイに乗り「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のメンさんが引越しをする日。
メンさんと初めて会ったのは11年前だった。
当時小学校5年生か中学1年位だったと思う。
兄のグエン君・妹のTHUYさんと三人で「子どもの家」に。
それから11年。昨年9月にはフエの名門大学
「フエ経済大学」へ見事合格。新しい人生への
扉が大きく開らかれた。
今日、延び延びになっていた引越しの日となった。
●同室の子どもたちや同年代の子どもともお別れ
●多くの子どもたちがメンさんの引越しにお別れを言っていた。
●大学生のカン君がメンさんの荷物を運ぶ
●年下の女の子がメンさんのバッグを持つ
2階の部屋で同室の子どもたちとお別れの言葉を言った後、
1階の「子どもの家」スタッフの部屋へ。
セン運営委員長に長い間育ててくれたことへのお礼を言う。
お礼の途中で言葉がつまり、メンさんは涙で声が出ない。絶句。
セン運営委員長はやさしくメンさんの頭を撫でる。
セン委員長はまるで何でも受け入れてくれる慈母のような雰囲気
すら漂っていた。
メンさんは、普段あまり甘えることを知らない子どもだったが、
こうして「子どもの家」を離れる日に本当に甘えたい自分を
セン委員長にさらけ出していた。傍で見ていた私も
つい「ホロッ」としてしまった。人間の心は人種や民族、社会を
超えて通じ合えるものだと実感した。
こうした場面を見ているとベトナムの一般市民社会は
真っ当な社会だなとつくづく思う。
人間の心の中がまだ純なのだ。戦後61年。日本が
得たものは物質的な豊かさ。失ったものは人間の心。
民主党の渡部恒三国会対策委員長が「「政治家に一番大事なのは
侍の心だ。侍なら名を重んじる。」として同党の永田寿康議員の
辞職を促した。同党には西村議員(離党)の問題もある。
「侍の心」が適切な言葉かどうかは別にして、自分の出処進退
すら決められない国会議員が出ているこの現実。
戦後失ったのは、人間性そのものである。人間としての
真っ当な感覚と判断力を失ったわが日本の指導者層である。
私たちの祖先が培って来た人間の心を失いたくない。
「損をしても自分の思う道を進む」「一度始めたことは
最後までやり遂げる」など私たちの親の世代では
極普通の生き方が今はなくなって来ている。
私自身は少しでも昔の日本人の持っていた生き方・
道徳をまねしたいものだと思っている。
メンさんの涙には11年間の「子どもの家」での
悲喜こもごもの思い出が詰まっている。
両親を亡くし兄と妹の3人で「子どもの家」へ入所してきた。
親にも甘えられない11年間だったかも知れない。
孤独の月日だったかも知れない。
11年間本当に頑張ったと言ってやりたい。
一人の子どもではあるが、こうして児童期から思春期を
経て大人になっていく過程に付き合えたことに感謝したい。
長い間、里親として陰になり日向になりメンさんを
支援し励ましてくれた里親の内田征子さんに心からお礼を
言いたい。
今後は、内田さんの支援でベトナム事務所が直接応援する
形となる。
タイさん(ラームさんの兄)のオートバイの後ろに
乗り下宿先(ラームさんの実家)へ引っ越す。
「子どもの家」からオートバイで10分ほど。下宿先に到着。
既にメンさんの部屋は改修されていた。広くはないが
こぎれいな部屋だった。
メンさんの荷物はリュック一つだけだった。メンさんが持っている
財産は「人間の能力」と「健康な体」だけである。
この11年間、メンさんに貴重な能力と健康な体を与えてくれた
日本の多くの支援者の皆さんに深謝。
下宿のお母さん(ラームさんの母親)と懇談
メンさんの引越しを手伝い・見届けた後ベトナム事務所へ。
縫製研修工場建築関連の会社社長とエンジニアと面談。
ミン・ベトナム事務所長も同席。様々な問題について
突っ込んだ話し合いをする。
投稿者 koyama : 2006年03月12日 22:38
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