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2006年03月10日
日本料理店盛況
晴天
午前中、バオミン・ベトナム事務所長と当面の重要問題に
ついての意思統一。
江戸川区議会議長一行のベトナム視察の日程調整。
ハノイなどの関係者に電話やメールで連絡・調整。
11通のメール受信。この数日受信した30通ほどの
メールの返事を送信。メール事情は最悪。送信は出来ても
受信できない時、反対の時もある。
午後、2006年度のボランティア貯金申請書の原案の
原案を書く。
午後2時過ぎから日本料理店のスタッフが参集。
ホン店長、フオン料理人、グエット、ニー、トゥーイ
の「子どもの家」3人組。ターオは姿をくらます。
日本料理店スタッフは夕方の料理の準備を始める。
今日の献立はコロッケ、いんげんの胡麻和え、
牛すじ煮込み、ニガウリのスープ、ご飯、味噌汁・・・・・・。
午後5時過ぎ、日本料理店にのれんと提灯をかける。
リー君が全てを取り仕切り準備をする。のれんを
かけること、提灯と取り付け、電気をつけることなど
てきぱきと行う。リー君はメニュー作りも手伝う。
リー君から提案があった。日本料理店のチラシを作って欲しい。
自分の知っているシクロの運転手に配り、日本人観光客を
乗せて連れて来てもらう。また、チラシを近くの路上で配布し
日本料理店へ外国人客が来るようにするとのこと。
午後5時半、日本料理店の店頭に灯が点く。
午後6時半になっても来客なし。
ラームさんと一緒に「子どもの家」にいるメンさんの
引越しの手伝い・案内に「子どもの家」へ行く。
メンさんは今日引越しをすることは聞いていないとのこと。
引越しの整理をしていなかった。
3月12日(日曜日)の午前9時に私が「子どもの家」へ
迎えに行き、下宿へ引越しすることとする。何かの
行き違い。
午後7時過ぎに日本料理店へ戻る。来客なし。
既に日本料理店のスタッフや日本語教師は夕食を終えていた。
午後7時に日本語学校の仕事が終わり松下先生が
帰って来た。お客がいないので、私と松下先生が
「桜のお客」となり、お客さんが入店しやすい雰囲気を
作ることにした。
松下先生と夕食を摂り始めた途端に若い日本人と
台湾の人が入店してきた。日本人は東京の大学生。
味噌汁を無性に食べたくなり、オートバイでフエの町中を
探し回ったとのこと。店先の灯の入った赤提灯を見て
入店した。一緒の友人の台湾の若者も入店。
午後7時半頃、カナダ人夫婦が入店。
カナダ・バンクーバー市の高校の校長先生。奥さんは
高校総障害児学校の先生。
「子どもの家」の支援をカナダからしたいとの申し入れが
あった。名刺を渡し、インターネットのホームページの
英語版をみてもらうことになった。
1973年頃日本でしばらく生活したとのこと。
日本食が大好きと言っていた。
私と同い年。1960年代の終わり頃カナダの大学で
学び、ベトナム戦争反対運動をしたとのこと。
平和と人権擁護が一番大切と力説していた。
日本の高校の校長先生がこうした意見をしっかり
言えるのか? 考えてしまう。
「2007年問題」の仲間として多くの意見が一致した。
更にフランス人男性とベトナム人女性が入店。
午後9時、カナダ人夫妻が帰る。
午後9時、入店したお客さんが帰ったので閉店。
日本料理店スタッフ、日本語学校スタッフの皆さんは
かなり疲れている。閉店とした。多分、そのまま予定通り
午後10時まで続けていたら更に多くのお客さんが
来店したものと思われる。
日本料理店の店頭の「のれん」と「提灯」をライトアップした
ことが功を奏したものと思われる。
今日は、家庭料理「子どもの家」を開店して初めて
予約客なしでの開店となった。試みである。
私たちの予想では日本人のお客が来ると思っていた。
あるいは一人もお客さんが来ないかも知れないと
思っていた。しかし、今日の結果を見ると、6人の来客が
あり、カナダ人2人、台湾1人、ベトナム人一人、フランス人
1人だった。
日本人以外の人たちの入店が多くなる可能性を感じた。
午後9時過ぎに閉店し「後片付け」。
日本料理店を開店していれば、お客さんが来るという
自信が出てきた今日の夜ではあった。
こうした体験を日本料理店スタッフがたくさん作ることが
一番大切なこと。多くの来客を受け入れる体験を通して
日本料理店スタッフの力量・技量がが向上する。
日本料理店のベトナム人スタッフ、日本人スタッフの
皆さんの努力に感謝。明日も夜の日本料理店開店に
挑戦する予定。
今日は「東京大空襲」61周年。
10万人の一般市民が殺された。
東京周辺に爆弾を落とし、外へ逃げられない
ようにしたあと、東京の下町を中心に「焼夷弾」を
ばら撒き、日本人を焼き殺した戦争犯罪である。
1945年3月10日、アメリカのB29爆撃機325機が
東京を攻撃。午前0時7分、深川地区を初攻撃。
その後、城東地区を攻撃。38万発の爆弾1700トンを投下。
10万人近くの死者が出たという。27万8千戸が焼失。
東京の3分の1が焼かれたという。
3月10日は日露戦争の奉天戦勝記念日であり陸軍記念日。
日本人の戦意を無くすための空襲とアメリカは言っている。
1964年、東京大空襲を指揮した「カーチス・ルメイ少将」に
「勲一等旭日賞」を授与している。
自民党政府が戦争犯罪人の首謀者であるカーチス・ルメイに
勲章をあげているという事実を知るべき出る。
自民党の次期首相候補と目されている若手の「愛国心」
の主張がイカサマなものであることを知るべきである。
靖国参拝は頑固に主張しても「親分のアメリカ」には
借りてきた猫のごとく沈黙する自民党の自主性のなさ、
愛国心のなさを嘲笑したい。一部、愛国心強調主義者の
主体性のなさ、アメリカ追随の偽者愛国者に辟易している。
愛国心を言うのであれば、アメリカの戦争犯罪である
一般市民を虐殺した国際法違反の東京大空襲を
こそ告発すべきである。
アメリカはイラクへ侵略し、既に3万人もの一般市民を
虐殺している。
フセイン元イラク大統領の戦争犯罪を裁く裁判が行われている。
百数十人のイラク人の死刑執行に「GOサイン」を出したということが
戦争犯罪の証拠として提出されている。フセインの人権侵害が
当然糾弾されるべきものではあるが、3万人のイラク市民を
虐殺したブッシュ大統領の「人道の罪」は問われないのか?
フセインを告発しているアメリカが10万人もの非戦闘員である
無辜の東京都民を虐殺している犯罪は不問にされるのか?
ブッシュ大統領の忠実な下僕である小泉首相は親分には
何もいえない。
東京大空襲61周年にあたり、こんなことが頭に浮かんだ。
「勝てば官軍か?」・・・・・・・・・。
投稿者 koyama : 2006年03月10日 23:40
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