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2006年09月29日

成田着

東京は曇り。

昨夜、フエ空港で3回飛行機が遅れる。結局4時間フエ空港で
待たされた。

ホーチミン空港でも1時間ほど飛行機が遅れる。
ベトナム空港の遅延・欠航は日常化している。困ったものである。

朝7時半、無事成田に着く。富士宮市の支援者の皆さんと出会う。ハノイに行っていたとのこと。
午前9時半、上野に着く。御徒町寄りアメ横にある鮨屋に行くが潰れていた。ネタ良し安かったのに。買い物をし11時半アメ横で生ビール。

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2006年09月28日

日本帰国の途へ 

晴天。暑い。

今日、日本へ一時帰国する。
朝食後、帰国の荷物準備。ベトナム事務所へ。日本へ留学する
「子どもの家」卒業生などの必要書類を受け取る。

電動バイクで縫製研修工場建築現場へ。日本での講演会で
使用するビデオ用に縫製研修工場建築の様子を写す。
台風5号の影響で基礎工事用に掘った1メートル程度の
溝に雨が溜まっている。ポンプで水を吸い上げようとしていたが
ポンプが動かず、まず、ポンプの修理から始めていた。
いつ工事がはじまるのやら・・・・・・。

「子どもの家」へ。地球の歩き方ツアーⅥの皆さん13人は
シクロで「子どもの家」へ。市場へ買い物に行き、昼食を
作る。その後、子どもたちと庭で遊ぶ。

9月24日の台風5号の影響で壊れた「子どもの家」の駐輪場の
工事が終了。きれいな屋根が出来上がる。

同じく台風5号で壊れた食堂の雨どいの工事も行ってる。

地球の歩き方ツアーの皆さんと一緒に昼食を摂る。

同じテーブルになった子どもたちと話をする。将来の夢を聞く。
グエンフエ高校1年生のターオさんは、会社の社長になりた
とのこと。
ハイバーチュン高校1年生のバーさんは、学校の先生。
フエ科学大に飛び級で入学した15歳のニャンさんは
物理か数学関係の博士になりたいとのこと。
なれるかどうかは、別として、「子どもの家」の子どもたち
が『夢を持って』生きているということは素晴らしいことだ。
私たちが子どもたちに夢を持てる環境を提供できる
ことも幸せなことである。

午後12時。日本料理店。

午後、帰国の荷物整理。部屋の整理。
午後4時半。トンチンカンホテルを出てフエ空港へ。
午後8時、ホーチミン空港着。
午後11時半、ホーチミン空港を出て成田へ。

投稿者 koyama : 15:57 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月27日

地球の歩き方スタディーツアーⅥ

晴天。

日本ハム、レギュラーシーズン第一位 万歳。札幌ドームで
「札幌生ビール」を飲みながら応援したことを思い出す。
今日最終戦で第1位。
札幌、北海道に元気が出ることを期待する。

阪神7連勝、おめでとう。


急に気温が高くなる。気温の大きな高低差に体がついて
ゆけない。

午前8時。ベトナム事務所へ。地球の歩き方ツアー第Ⅵ陣。
13人がベトナム事務所を訪問。ベトナム事務所員紹介。



スタディーツアーの皆さんにフエでの生活の諸注意をする
税田ベトナム事務所員。
交通事故、「子どもの家」の子どもたちとの帰国後の文通
は直接子どもたちにしないで欲しい、ベトナム事務所へ。
日本語学校で学生と交流した後、個人的に食事にいったり
することはしないで欲しい・・・。

午前10時。「子どもの家」音楽室で講演。
講演の趣旨。何故45歳で教員を退職してフエに来たのか?
短い人間の一生を精一杯生きよう。立身出世やお金持ち、
名誉などにこだわらずに、高い志をもち、死ぬまで人生に挑戦しよう
など・・・・。この13年間の体験に基づき1時間半話す。
私は地球の歩き方ツアー参加者(大半が大学生)に講演する
時、全力投球をする。これからの日本を背負う若者に今の日本、
これからの日本を考え、平和と民主主義の貫徹した、弱いものを
いじめない国にして欲しいとの願いを込めて話している。



「子どもの家」の庭では9月24日(日)の台風号の暴風雨
折れた大木のため全壊した駐輪場の再建工事が行われて
いた。昨日。セン「子どもの家」運営委員長に直ぐに工事を
行うよう要請。


9月3日に家庭訪問を行い、5日に入所したニャンさん。
入所して3週間。「子どもの家」での生活に慣れて来たようだ。
15歳でフエ科学大学生。これからの活躍を期待したい。


午前11時45分。昼食。ラームさんと一緒に13人の
地球の歩き方スタディーツアー参加者と食事。

昼食後、スタディーツアー参加者と記念写真

午後2時半。地球の歩き方ツアーは、ベトナム語学習。
静岡ーフエ青年交流会館。
日本語学校教師のフーン先生の指導でベトナム語の文法、
簡単な基礎会話を勉強する。

●日本語学校生徒と習いたてのベトナム語会話の練習。


私は「イノシシ歳」ということもあって、どんな仕事でも
手を抜かず「全力投球」をモットーに生きてきた。
7月15日にフエへ戻って2ヶ月半。全力で訪問者への
対応をしてきた。この2ヶ月半に応対した日本人は
数えられるだけで276人。頑張ったと思う。
今、私の体は「コチコチ」に固まっている。
頭もコチコチ。休養が必要。
明日日本へ帰国予定。数日、長男家族と休養の予定。

投稿者 koyama : 20:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月26日

「京都フェアートレード」関連、日本料理店総括会議

晴天。

久しぶりに太陽が出る。

午前9時、ベトナム事務所へ。
午前10時。「京都フェアートレード」より依頼の
うちわの柄のサンプルが出来上がる。
ベトナムの民間会社にサンプル作りを依頼した。
とにかく仕事が早い。又、仕事がうまい。
日本から送ってきた竹の見本通りのサンプルを
2つ作ってくれた。しかし、竹の色が悪い。もっと
白い色の竹で作って欲しいと依頼したら、夕方には
5つの新たなサンプルを作って持ってきた。
13年間フエに住んでいるが、こうした仕事の仕方を
したフエ人は初めて。公的機関、公営の仕事は
とくにかく「やる気」がない。仕事もトロトロ。
良い仕事をしようとするフエ人と会ったことがない。
ベトナム共産党の「ドイモイ政策」の中でこうした
資本主義的なビシネスマンが育ってきたのだと改めた実感した。

私が帰国した折、京都フェアートレードの会の皆さんにサンプル
を送ることになっている。

帰りに「子どもの家」に寄る。
9月24日の台風5号の被害が大きかった。
「子どもの家」にある10メール近くの大木が暴風雨で折れる。
折れたい勢いで「子どもの家」の駐輪場の屋根を直撃。
駐輪場の屋根が壊れる。同時に折れた大木が送電線を
切ってしまい、9月24日の日曜日の「子どもの家」は
停電だったとのこと。

セン委員長と台風被害の回復工事について打ち合わせを行う。

昼食は久しぶりに日本料理店。焼きうどんを食べる。

昼寝。12r通のメール受信。数通のメール送信。

午後4時。日本料理店全員会議。

8月・9月の総括、今後の改善点について、子どもたちも
含め一人一人の意見を聞く。

(フエン)10月から昼の部を止めるという噂を聞いたが、
     もったいない。昼も夜もやった方が良い。

(グエット)英語が出来ないので、欧米系のお客が来た時
      接客が出来ない。英語を勉強したい。
(トゥオイ)日本料理をもっと勉強したい。
(大塚)昼の部の担当者の一部は午後2時になると 
     帰ってしまう。後片付けをしない。私たちは
     日本料理店の従業員なので、自分の担当が
     終わっても日本料理店の仕事が終わるまでは
     責任を持つべきだ。
(ハン・ニー)大塚さんの注意は良く理解した。今後
       気をつけたい。
(ホン・ニー)みんなと同じ意見。
(大塚)フエンさんは、下働きをしっかりする。偉い。評価したい。
    トゥオイさんは、仕事に責任感が出て来た。
    お客の人数・金額・メニュー・日本人か欧米人かなど
    をしっかりとメモし自分で団体来客の計画を立てられる
    ようになった、今後、自分団体客のメニューを決められる
    ようになって欲しい。
     イン君は味を自分の舌で覚える感覚を持っている。
    力がある。
     私は一生懸命やる子どもたちに全力で教えたい。

ホン)私が9月一杯で出産のために仕事を休む。
   出来れば昼もやって欲しい。
   *ラームさんの奥さんのホンさんは10月中旬に
    出産予定。その後、しばらくは日本料理店を休む。

(石塚)お客さんにはもっと自信を持って接して欲しい。
(石岡)接客係りは基本的には仕事に慣れてきたが、
    仕事が乱雑にっている。もっと心を込めて、「丁寧に」
    仕事をして欲しい。
(税田)オーダーを受けて料理を出す順番を間違えない
   ようにして欲しい。
   調味料の残りのチェックをしっかりして欲しい。

午後5時半。日本料理店スタッフで夕食。

今日はピンチヒッターで通訳をしてくれたバオミンさんと
日本料理店全員会議の反省会を日本料理店で行う。
バオミンさんは今夜、家族全員がダナンの親戚の結婚式
に参加。一人で家にいるとのこと。

午後7時までバオミンさんと飲む。日本料理店には何人かの
常連のお客さんが来店。私やミンさんが日本料理店にいるもの
野暮というもの。
その後外に出て、大衆の飲み屋で2時間程、フダビールを飲む。

部屋に戻って「越乃影虎」を飲みながら日本への帰国の
諸準備を考える。私がフエ滞在中にしておかなければならない
仕事を整理する。ベトナム事務所・「子どもの家」・フエの
色々なことを考えていると午前12時になってしまう。

投稿者 koyama : 00:13 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月25日

台風一過・ 縫製研修工場建築工事問題発生

午前中、晴天。午後曇り。夕方から再び雨。 休肝日。

この数日の豪雨と暴風は台風5号の影響。台風5号は
中部の北(ゲアン省・ハティン省)付近。

朝は台風一過の晴天。フォン河の氾濫もほぼ収まる。
浸水家屋の被害も小さかったようだ。一安心。
部屋の屋根から漏水。ベッドの3分の1が水浸しとなる。
午前中、バオミンさん・ソン君に手伝ってもらい清掃。

午前中、バオミンさん・税田さんと縫製研修工場建築の
新たな問題を協議。

「子どもの家」卒業生のメンさん、引越し完了。

午後2時。バオミン・ベトナム事務所長とフエ市人民委員会
外務部へ。ニエン外務部長と「新たな縫製研修工場建築問題」
について協議。フエでは常識では考えられないことが起こる
ものである。
ODA援助金を本当に無駄なく使おうとすると繰り返し、
嫌がらせが来る。ODA援助金の調印式を行ってから実際に
工事が始まったのは6ヶ月後。やっと工事が始まったと思ったら
また工事が出来なくなるような「嫌がらせ」。フエの甘い汁を
吸えない一部の人たちの陰湿な嫌がらせに辟易している。
縫製研修工場建築だけで私は膨大なエネルギーを消耗している。

夕方、部屋の整理。この2ヶ月半、部屋の整理をする時間が
全くなかった。洗濯2回。

日本料理店では、大塚さんがベトナム人スタッフに
「手作り餃子」の作り方を教えていた。
初めに「餃子の皮」を作る。小麦粉を練る。

餃子の種を作る。白菜・キャベツ・ひき肉・ニンニク・ごま油・・・。

餃子のたねを皮につめる。

焼きあがった餃子。
夕食で食べる。日本の中華料理店の餃子より美味しい。

自民党総裁・三役決まる。
民主党大会。小澤・菅・鳩山。

投稿者 koyama : 15:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月24日

フォン河氾濫・ 京都・東南アジア理解講座始まる

暴風雨。
ベトナム中部に台風接近。

朝から暴風雨。豪雨の音で5時に目が覚める。しばらくボーッとし、
再度睡眠。
午前8時起床。血圧測定。メール等チェック。
この数日、雨。豪雨だった。
今日は久しぶりの休日。数えてみると40日ぶりの休日。
今年はスタディーツアー訪問者が多い事、日本料理店開店で
忙しいこと、縫製研修工場建築工事等々、例年より課題も
多く休めなかった。

午前9時、暴風雨の中、ドンバ市場近くの「チャートゥー」屋へ。
チャートゥーは豚の耳で作ったソーセージ。1本100円。
塩コショウの味付けでコリコロと歯ごたえがある。
途中、水がかなり溜まっている。フオン川が泥水。
上流から相当量の水が流れてきている。氾濫寸前の状態。

バオミンさんに教えてもらった「コムディア屋」(テイクアウトの
ご飯屋)。ご飯にアヒルの玉子焼き、豚肉の甘辛煮、野菜炒めで
8000ドン(60円)。

午前10時。低温で15分ほど入浴。
午前10時20分。NHニュースの最後の部分を聞きながら、
フダビールを飲む。おつまみは、数日前に作っておいた
「するめの醤油漬け」と「チャートゥー」。コムディアの野菜炒め。

NHK素人のど自慢(ゲスト:森進一、石川さゆり)を見ながら
冷えたフダビールを飲む。好きなおつまみでビールや吟醸酒を
飲むのが私のストレス解消の方法。
食べ物が食べられなくなった。悲しいことだ。おつまみで少し飲むと
もう食欲はなくなる。コムディア4分の3残す。

7月15日、フエに戻ってきてから、本当に忙しかった。
本を読む時間が全くない。朝から夜まで訪問者への対応、
毎日起こる様々な問題の現実的な解決・・・・・。

今日は何度も停電になりそうな状況。

午後、フォン河が氾濫。フォンザンホテル付近の道路が冠水。
フォン河支流に隣接する家では床下30センチほどの浸水。

●フォンザンホテル付近の道路が冠水し、通行止めとなった。


●チャンティエン橋も増水。上流の山岳地帯にたくさんの雨が降った。


深更になっても豪雨は降り続く。午後11時過ぎからカミナリと
嵐のような豪雨が続く。稲光で眠れず。睡眠薬として新潟県の
「越乃景虎」を飲む。フエ市内の洪水が心配。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


9月9日から東南アジア理解講座=ベトナム語編=が京都府国際センターで
始まった。「京滋YOUの会」の協力主催である。

始まりました東南アジア理解講座
=ベトナム語編=
9月9日から始まったベトナム語講座。全8回行われます。

教えて頂く先生は前回に引き続きクアン先生。第1回目は申し
込んでいただいた方16名全員の参加者。第1回目は多少の
緊張した様子の中、2人1組で会話をしてみたり、先生の質問
に答えてみたり、文章を考えてみたり実践が多くてだんだん
和やかな雰囲気になっていきました。

最後にクアン先生から「何故、今回ベトナム語講座にきましたか?」
の質問に「仕事で話せたら」や「お店をだしたい」、「ベトナムに語学
留学するから」、などみなさん色んな思いでこの講座を申し込まれて
るんだなぁと。
それぞれの思いを大切に充実した講座になればいいなぁと思いました。
                      (文責:「京滋YOUの会」仁枝さん)


投稿者 koyama : 12:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月23日

ベトナム事務所員全員会議 地球の歩き方ツアー晩餐会

終日雨。午後豪雨。

雨期の到来。これから半年間、悩ましい雨期となり、カビ、異臭、
日照不足との闘いが始まる。

午前8時半。ベトナム事務所員全員会議。


(サン)地球の歩き方ツアーの案内。カレーやハヤシライスを
    作った。グエンフエ高校交流の案内をした。
    21日、中級4の総合テストを行った。26人中2名が落第。

(ハン)地球の歩き方ツアーで市場へ買い物に行き昼食を作った。
    子どもたちと交流。日本語、絵画、音楽に分かれて。
    奨学金をもらっている生徒から支給者へお礼の手紙が来た。
     現在翻訳中。

(フーン)20日、地球の歩き方ツアーのベトナム語講座をした。

(石塚)今週、初めて1時間の日本語授業を行った。
    生徒がどれだけ理解したの反応を見るのが大変だ。
    また、生徒の能力・学力のばらつきがあり教えるもの
    大変。
(石岡)21日、中級4の総合テストをした。

(税田)地球の歩き方ツアーとカレーを作った。
     「子どもの家」側の準備が不足していた。
    刺繍みやげ物店で仕事を1時間早くやめて帰って
    しまった。今後は、事前に相談するように話す。

(ソン)地球の歩き方ツアーの案内。
    24人がシクロに乗ったが、チップを要求したシクロが
    いた。

(ミン)科学大コンピュータ科長に会った。
    JASS記念誌の写真集めをした。
    水本先生と「子どもの家」図書室の使い方について話した。
    9月25日(月)「子どもの家」の健康診断を行う。
    「子どもの家」のマイ寮母さんが退職する。

(小山)
    ・フエ科学大学コンピュータ科とは、ブライセンと提携して
     日本への留学学生を紹介してもらうために行った。
    ・「子どもの家」卒業生のメンさんがハンさんの家に下宿。
    ・うちわの柄のサンプルの仕事。(30万個の注文)
    ・縫製研修工場の建築が始まり、今のところ、順調に
     工事が行われている。
    ・「子どもの家」のマイさんが9月一杯で退職。補充をいれず
     に現在のスタッフでカバーしてもらうようにセン委員長と
     話した。
    ・「子どもの家」のターオさんの心臓手術は成功した。
    ・暖炉基金の口蓋・口唇裂の子どもがフエ中央病院に
     入院し、初めに心臓の手術をする。その後、口蓋・口唇裂
     の手術。


午前9時過ぎ。日本語学校教師打ち合わせ会が始まる。

バオミンさんと打ち合わせ。

午後、TBS-BSのOディレクターから問い合わせ。
子どもたちのことなど詳細な質問への回答のための
調査。1時間ほどして回答する。

13通のメール受信。5通の送信。

ベトナムの中学3年生「歴史」教科書の翻訳を終わる。
現近代史129ページの記載中、日本のアジア・太平洋
侵略に関する記述は20ページ。

午後6時半、地球の歩き方ツアー(24人)の最後の晩餐会。
日本料理店で日本料理を食べながら交流。

●乾杯

●24人分の食事を作り、片づけをする日本料理店スタッフ


●今日1日ナムドン山岳地帯に行った

晩餐会が午後6時半から午後9時過ぎまで続いた。


    

ベトナム中学9年生歴史教科書(教育訓練省)
 
 ●翻訳の責任は小山道夫・BAO MINHにある。教科書を直接翻訳したが、日本   
  人が理解しやすいように若干工夫した。
★中学9年生は日本では中学3年生
★中学9年生の歴史教科書(近現代史中心129P。日本の侵略記述部分は20P)
  

(インドシナ独立・自由・民主のために)

インドシナの独立・自由の最大の敵はフランスであった。

従ってべナム共産党はインドシナが独立するためフランス植民地主義を
追い出し、地主の土地の没収と農民への分配という方針を掲げた。インドシナ人民の任務は反ファシズム、反帝国主義戦争、自由・民主・平和を求めることである。

インドシナ独立・自由・民主の目的を達成するため、マルクス・レーニン主義を共産党と人民に普及する。そして国際共産主義運動を人民に普及し、教育を進める。マルクス・レーニン主義を普及しながら共産主義に反対する反政府運動を殲滅し、100何万人の市民・農民をベトナム共産党に結集し教育を行った。

(第3章)1945年8月革命を達成するための運動

21課 1939年から1945年までのべトナムの状況


フランスがベトナム侵略の手をゆるめ、日本と妥協。
人民は日仏の弾圧で生活が苦しくなる
そうした状況の中、最初の3つ暴動・蜂起が行なわれた
(BAC SON、NAM KI DO LUONG)

1 世界とインドシナの状況

1939年9月第2次世界大戦が勃発。
ヨーロッパ戦線。1940年6月、ドイツファシズム軍がフランスに侵入。
フランス政府はドイツファシズムに降伏する。極東では日本軍が中国を侵略し、ベトナム・中国国境まで進駐してきた。

この時期、インドシナのフランス植民地主義は不安となってきた。
フランス植民地主義の支配が不安定となった理由は2つ。
第1はインドシナの人民解放運動の前進 第2は日本ファシズムのインドシナ進出によりフランス支配の脆弱化である。

1940年9月、ランソン省(中越国境付近)で 、フランス軍は日本軍に降伏。
フランスはインドシナをコントロールできなくなってきた。
日本がインドシナを自分の領地にした。
1941年7月23日、ハノイでフランスは日本との間にインドシナ管理に関する協定を結んだ。
その内容は以下のようである。
・ 日本が全ての飛行場とインドシナ港湾管理を行い、軍事目的のために使用することができる。
・ 太平洋戦争を起こした時(1941年12月7日)日本がインドシナを一層アジア侵略に活用出来る協定を結ぶようフランス政府に要求
(日本軍の自由な移動、食料供給、軍事基地、インドシナの治安)
・ 実際にフランスと日本は提携しインドシナ人民を弾圧した。

フランスは日本に押さえられたが、出来るだけ利潤をあげられるようベトナム人民を搾取、収奪した。
命令による経済政策を行った。戦争を利用してインドシナの経済を把握し、
独占した。特に物を略奪し、投機を行い、多額の利潤を手に入れた。
  増税した。酒・塩・アヘンは1939年から1945年までの間に3倍に値上がりしている。

日本の手法は食糧、特に米を安い強制値段で買った。
強制安価で買った米を日本軍に供出。また、今後のアジア全域への侵略のため戦争のための準備として安価強制的に買い付けた米を保管・貯蔵した。こうしたことが原因で食料が不足し、1944年から1945年の間、特に北部の農民200万人が餓死した。

2 最初の暴動

●BAC SONの暴動(1940年9月27日)

日本軍がランソン(中越国境付近)に入り、フランス軍はBAC SONに逃げてきた。
BAC SONの共産党は人民を組織し、フランス軍の武器を奪った。
そして、BAC SONに革命政権を樹立。しかし、日本軍はフランスと妥協して
ベトナム人民を弾圧し、人民幹部を捕まえ虐殺。人民の家を焼いた。
地方の共産党リーダーのお陰で人民が奮闘し、フランスと日本の手先となったベトナム人スパイを懲罰した。
日仏帝国主義者と日本・フランスの手下となったベトナム人の財産を没収し、人民に分配した。人民は喜び、革命軍に参加した。
BAC SONのゲリラ組織が設立された。1941年、救国軍と改称。

●NAM KI(南部地方)の暴動
フランスがヨーロッパでドイツに敗北。フランス植民地主義はタイ軍を使って、ラオスとカンボジア国境で衝突を起こした。
日本軍はフランス軍と戦うかわりにベトナム人を使って、フランスと戦わせた。NAM KIのベトナム軍は不満を持ち、軍から脱走。秘密裏にNAM KIの共産党軍と連絡を取り合う。緊急な状況の中でNAM KI の共産党軍は中央の意見を聞かずに暴動を起こした。ベトナム北部にある中央本部からの指示がNAM KIへ行くのが遅かったので、中央の指示が届く前に暴動計画が漏洩(ろうえい)。フランス軍は暴動を計画したベトナム軍を捕まえ武器を没収。しかし、暴動は計画とおりに1940年1月23日夜、22時勃発した。人民はフランス軍の基地から武器・弾薬を取り、人民政権を樹立した。

●DO LUONGの暴動(1941年1月13日)北部
革命の雰囲気が増大し、フランス軍にいるベトナム人も革命軍に参加するようになった。1941年1月13日、共産党員ドイクン氏の指導で暴動が起こされる。
ベトナム人民軍はDO LUONGのフランス軍基地を奪取し、車でVINH省に移動。しかし、計画が失敗しドイクン氏はフランス軍に逮捕される。拷問を受ける。ドイクン氏は何も言わずに10人の同士と共にフランス軍により処刑される。

22課 1945年の8月革命への運動

グエンアイコック(ホーチミン)が主催し、共産党第8回中央委員会が開催された。ベトミン(ベトナム独立同盟)を設立し人民解放のため武装勢力(軍隊)を設立した。反日運動が発展し、1945年8月革命に向けて人民の力が高揚してきた。

1 ベトミン戦線(ベトナム独立同盟)誕生(1941年5月19日)

第2次世界大戦は3年目に入る。フランス・ベルギー・オランダを占領したドイツは、1941年6月、ソ連に侵入。世界は二つに戦線に分かれた。
民主主義陣営(リーダーはソ連)とファシズム陣営(ドイツ・イタリア・日本)。最初からベトナム軍は民主主義陣営に参加していた。
1941年1月28日。グエンアイコック(ホーチミン)が中国から帰国しインドシナ共産党中央委員会第8回会議を開催。

(第8回中央委員会の内容)
フランスと日本の弾圧から人民を解放する。日仏帝国主義者の土地とベトナム人の手下どもの土地を没収し、貧しい人に分配。税金を減らす。農民が土地を持てるようにする。ベトミンを創設。名前は「救国会」とする。その目的は
愛国人士を団結させ、貧しい・金持ち・男女の区別なく、救国のために総団結する。ベトミン戦線は1941年5月19日、正式に設立された。
1940年末、BAC SON の暴動が失敗した。共産党中央は各地の小さなゲリラ闘争を統合組織し、1941年BAC SON地域の救国中隊とした。
CAO VAN省(北部)は救国会(ベトミン)の実験場である。1942年までにCAO VAN省内9箇所で救国会を作るようにする。各村にベトミン委員会があるようにする。1943年、カオ・バク・ラン3省でベトミン連合省となるようにする。

政治を大事にしながらインドシナ共産党は人民各層(学生、知識人、資本家・・)を救国戦線に組織した。

共産党の新聞とベトミン戦線の新聞も発展した。多くの人民が革命に参加。
1944年。世界情勢が大きく変わった。革命の情勢が強まった。
1944年5月、ベトミン本部は人民に呼びかけ、武器を準備させ、敵を追放するよう呼びかける。
1944年10月、ホーチミン(グエンアイコック)は人民に手紙を出す。
『侵略者はもう過ぐ全滅する。あと1年か1年半の間にベトナム民族解放の
時がやってくる。緊急事態なので活動を早く起こそう。』

指導者ホーチミンの指示により、ベトナム解放戦線が設立される。

1944年12月終わり、カオバン省まで解放される。最初の勝利を生かして
各地の組織を強化した。
各地域の敵は恐れをなし、ベトナム人スパイは人民のものを返したいと出頭してきた。


2 救国のための反日運動

①日本がフランスを追放(1945年3月9日)
1945年、第2次世界大戦がその終末を迎えた。フランス本国が連合国により解放された。太平洋戦線では日本軍がイギリスとアメリカの攻撃を受ける。
連合国が日本をインドシナから追放した後、インドシナではフランス軍がその後釜となることを狙っていた。
インドシナを独占するため、日本軍はフランス軍をインドシナから追い出した。

②1945年8月革命への運動

日本軍がフランス軍を追放したことを見て、共産党中央常務委員会は会議を開く。会議の指示(日本とフランスが戦うのはベトナム側のチャンスだ。当面、インドシナ人民の敵は日本ファシズムだ。全国で救国のため「反日」運動を起こそう。)

1945年4月15日、北部のバクザン省で軍事革命会議を行う。会議の決定により、各武装勢力は「ベトナム解放軍」とした。政治と軍事幹部学校を開校。
ゲリラ戦争も発展させ、各地に反日勢力を組織し、8月革命の準備を行った。
北部軍事革命委員会が設立され、この組織の任務は北部全体の軍事について指導するものであった。

反日運動が大きく発展している所でも、北部・中部の北では餓死が起こっていた。
餓死問題を解決するため、日本軍の米保管所を襲撃しようというスローガンを掲げた。スローガンは全国にあふれ、運動は発展した。


23課 1945年8月革命の総運動とベトナム民主共和国
     建国

 (説明)指導者ホーチミンとインドシナ共産党により総運動
     の命令が発せられた。ハノイ、全国各地人民が総決起
     し、政権を奪取した。
      1945年8月革命成功―ベトナム民主共和国誕生
     ベトナム民族の新しい歴史に突入

1 総決起命令発令

  第2次世界大戦が終結に近づき、ヨーロッパのドイツファシズムは
敗北し、1945年5月、正式にドイツファシズムは崩壊した。
アジアでは日本ファシズムが連合国に敗北。(1945年8月)
日本政府の無条件降伏の情報を聞いたインドシナ共産党は
トゥエン・クアン省(北部)に全国会議を召集。1945年8月14日~15日にかけて
全国総決起―革命(政権奪取)を行うことを決めた。
 全国総決起委員会は「軍令1」を発令。

  1945年8月16日トゥエン・クアン省で北部・中部・南部の代表が集まり
  国民大会が開催された。この時初めて指導者ホーチンが国民代表の前に姿を現した。国民大会は総決起決定に賛意を表しした。
  指導者ホーチミンは[ベトナム民族解放委員会]委員長となった。
ホーチミンは全国国民に「総決起を呼びかける手紙」を出す。
 8月16日午後、決起委員会の命令に従い、ボーグエンザップの指導で
 ティエン・クアン省からタイグエン村にいる日本軍を総攻撃した。
 その後,ハノイへ移動。

2 ハノイ政権を奪取
 
  ハノイにあったフランス・日本の支配権力を共産党が奪取してから革命の風潮は
高まった。人民各層、特に青年たちは救国団体、自衛軍に参加。ベトミン宣伝隊は
町中で活動。ベトミン名誉団は日本の手下となったベトナム人スパイを摘発し、厳しく懲罰を加えた。

8月15日夜、ベトミン宣伝隊はハノイ市内の3つの大劇場で大演説会を開催。
8月16日、ビラと決起スローガンを書いた横断幕をハノイ市内各所に貼り出す。
ベトナムに侵略していた日本軍は弱体化した。8月19日、ハノイ市は革命の雰囲気に溢れる。人民は一番大きな劇場前広場に集まり、ベトミン代表が宣言を発表した。
初めて公開の場で「インターナショナル」を歌った。そのあと、参加者が市内をデモ行進を行い、市内にある公的機関を人民が接収した。デモ行進を見た日本軍は反抗することはできなかった。この時、ハノイ全体で革命側が勝利することになった。

3 全国政権奪取
  8月初め、総決起の雰囲気が高まり、8月14日から18日まで各省・各村に
革命政権が樹立される。BAC GIANG省、HAI DUONG省、HA TINH省、
QUANG NAM省の4省が最初に革命政権を樹立。
日本の無条件降伏のニュースを聞き、更にハノイ解放の知らせを聞くに至り
全国的な総決起状況となる。
フエは8月23日、サイゴンは8月25日に解放。フエにいたグエン王朝のバオダイ帝が退位。8月14日から8月28日までの間、全国総決起・。蜂起が成功。
1945年9月2日、ハノイのBA DINH広場でホーチミン主席が臨時革命政府の
代表となり[独立宣言]を発表した。ベトナム民主共和国が誕生した。

4 8月革命の成功の原因と歴史的な意義

8月革命はベトナム民族の偉大な歴史であり、フランス植民地主義、日本帝国主義を
打倒し勝利を収めた革命であった。
ベトナムは植民地から民主共和国に生まれ変わった。人民は奴隷から独立・自由な人民となり、国の主人公となった。
国際的に見て、8月革命の勝利は小国が植民地主義・帝国主義に勝利したと言う大きな意義のあるものである。
この勝利は世界の植民地で苦しんでいる人民を励まし、特にアジア・アフリカの人民に勇気を与えた偉大な勝利であった。

8月革命勝利の原因は
-1 ベトナムの伝統は「独立と自由のためには勇気をもって戦う」というものである
   その結果、インドシナ共産党とベトミン戦線の呼び掛けに多くの国民が呼応し  
    た。

-2  強い絆の労農同盟が確立されていた。
     各愛国団体と労農同盟が団結し、農村のゲリラと団結し、封建主義と帝国主   
     義との闘いを進め政権奪取に成功した。
 
-3  8月革命勝利が早まったのは世界の世論の力である。第2次世界大戦が終
    結近くなったことがその原因である。ソ連軍と連合軍がドイツファシズム、日本
    ファシズムを崩壊させたことが世界の平和に大きな貢献をした。
 

  

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2006年09月22日

火焔樹日記20万アクセス達成 TBSテレビ放映決定

曇り。 休肝日

「TBS-BSi 」で私のフエでの活動が放映される事になった。
知り合いの方にも知らせて頂ければ幸いである。
9月30日(土)午後8時~午後8時54分。
タイトル:『オーレ!俺道(おーれ、おれっち』
(海外で活動する熱血日本人を紹介する番組)

*「TBS-BSi 」の詳細は http://www.bs-i.co.jp/

今朝、火焔樹日記のアクセス数が20万を越える。
感慨無量。この4年間、私としては火焔樹日記を毎日書いて
来たが、できるだけ「手抜き」をしないよう気をつけて書いて
きたつもりである。今後も宜しく。

午前9時。バオミン・ベトナム事務所長の翻訳を聞きながら
ベトナム中学3年生歴史教科書を日本語に翻訳。
今日は1945年9月2日、ベトナム独立前後の日本軍と
独立闘争についての記述部分。

午前10時半。「子どもの家」へ。
「子どもの家」では地球の歩き方ツアーの皆さんが
カレーライスとハヤシライスを作っていた。
午前11時。子どもたちと一緒に昼食。私はハヤシライスを
食べるが、美味しい。


2週間、「子どもの家」の図書室指導をしてくれた水本先生が
今日帰国する。帰国時間ギリギリまで図書室の整理・指導を
する。水本先生、本当にお世話様。
子どもたちと一緒に昼食。


午後12時過ぎ。地球の歩き方ツアーは子どもたちとお別れ。
最後の記念写真を撮る。

30分ほど昼寝。

午後2時半。ラームさんの両親と面談。「子どもの家」卒業生で
現在フエ経済大学2年生のメンさんが下宿している。
フエ経済大学に新校舎が出来上がり、9月からメンさんは
勉強する校舎が変わった。メンさんの下宿しているラームさんの
実家からオートバイで40分もかかる場所となった。
途中の交通事故、大幅に伸びた通学時間を考え、下宿を
変えることにした。今日は、1年間お世話になったラームさんの
ご両親にお礼の言葉を述べに行く。

30分ほど、ラームさん・ご両親・メンさんと懇談。
その後、ラームさんとメンさんと一緒に引越し予定先の
ベトナム事務所会計ハンさんの家へ行く。ハンさんの
家はフエ経済大学新校舎の直ぐそばにある。オートバイで
5分ほどのところとのこと。
二人のお子さんと家族4人生活。5室の大きな家である。
メンさんの使う部屋はまだ物置となっていた。
4畳半ほどの寝室と6畳ほどの居間。

来週、引っ越す予定である。

午後4時半。トンチンカンホテルに戻る。
31通のメール受信。21通の返信。

午後5時半。日本料理店スタッフと一緒に夕食。

午後8時。1ヶ月間にわたり日本料理店の仕事を放棄し
悪友とつるんで問題を起こしていたT君が日本料理店に来る。
今までの問題行動を反省するという。
現在、借りていた下宿を追放され、食事のお金もないと訴える。
T君は下宿をするために必要なIDカードを持っていない。
下宿のおばさんはT君が可愛そうだと思い特別の配慮で
貸してくれていた。しかし、夜中に悪友を連れ込み、お酒、
ギャンブル、AVを高音で見る、トイレを土足で使うなど
下宿住人から大ブーイング。とうとう、大家さんから追放
される。
今日、再度、大家さんにお願いし、1ヶ月の猶予期間を
設けて問題があれば今度は本当に追放するということで
話をまとめる。
午後8時。ラームさんを通訳にT君と話し合う。というより、
私からお説教をする。兄のL君立会いの下で。
本人は今までの悪行を反省すると言っているが、こうした
話し合いをこの数年、何度したことか分からない。
私から
①大人や回りの人を「なめた」ような態度を取るな。
②これからの自分の人生を考えろ
③兄のL君を見習い、人生を考えろ
④今後、日本料理店で仕事をしたいのなら
 朝10時定刻出勤。勤務時間終了まで職場離脱を
 しないこと。
⑤兄弟仲良く共同生活すること。
⑥今度、同じようなことをするようだったら、日本料理店
 を解雇する。仕事には責任が必要。

などと話す。

T君は神妙に話を聞いていた。
午後8時40分話し合い終了。明日からどんな行動をとるの
だろうか? 子どもたちの成長は本当に「螺旋階段」である。
右に左に揺れながらの相対的には上昇・成長していくもので
ある。子どもたちには、愛情と規律が必要。
T君の再起を望む。

投稿者 koyama : 22:39 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月21日

1日中、活動する

曇り。  休肝日。

この火焔樹日記のアクセス数が20万に近づく。
明日あたり20万になりそう。
2002年8月2日から書き始めた火焔樹日記であるが、
20万アクセスを目標としていた。フエでの海外ボランティア
が毎日何をしているのか、何を考えているのかを
知ってもらいたいとの気持ちから始めた火焔樹日記である。
20万アクセス到達を願う。

数日前からNHK海外衛星放送が映らなくなる。
調査の結果、タイのクーデターの影響と判明。
タイの会社がNHK、CNNなどいくつかの放送をセットに
してホーチミン市の会社に売っている。私はホーチミン市の
会社からセットになった衛星放送を買っている。
タイでクーデターが起き、軍事政権が海外への衛星放送の
送信を禁止しているため、フエでNHK衛星放送が見られないと
いう訳である。

午前9時。「子どもの家」でセン委員長、水本さん、バオミンさん
と「子どもの家」図書館の利用法について協議。

水本さんは2週間「子どもの家」の図書館に張り付き、
図書館の利用について指導してくれた。
2週間の図書館体験から水本さんは以下のような問題点、
成果を報告してくれた。
①毎日20人以上の子どもたちが図書を借りて部屋で読んでいる。
 また、20人程度の子どもたちが図書館で本を読んでいる。
②シャーロックホームズ、ハリーポッター、五体不満足などの
 内容があり分厚い本を読む子どもたちが多い。「子どもの家」の
 子どもたちはしっかしとした読書をしている。
 また毎日1冊文庫本を読んでいる子どももいる。
 歴史関係の本が多く読まれている。
 参考書など勉強に関する本を借りる子どもたちも多い。
③図書貸し出しのルールを守れない子どもたちやスタッフが
  大変多い。
 貸し出しルールは、1日一人2冊から3冊、3日間で返すという
 ものだったが、返さない子どもたちがいる。
 この1年間に130冊の本が見当たらなくなっている。
 貸し出しノートに書き込まない子どもたちもいる。
④図書の整理整頓が出来ていない。
 あった場所に図書を返さない。1年前に種類別、学年別に
 図書を整理したが、1年後に着てみるとメチャクチャになっていた。

今後、セン委員長を中心に「子どもの家」スタッフ会議で指摘された
問題を話し合うということになった。

その後、セン委員長、バオミンさんと家庭の事情で退職を
希望しているスタッフの件について協議。
またスタッフ給料の値上げ問題について話し合う。

午前11時から地球の歩き方ツアーの皆さんと一緒に昼食。


午後2時過ぎ、バオミンさんと一緒に京都「フェアートレード」から
依頼された竹製の「うちわの柄」を作る工場を訪問。
10個のサンプルを作ってもらうことにする。

その足で縫製研修工場工事現場を視察。
基礎工事がかなり進捗していた。

「子どもの家」へ。
「子どもの家」では地球の歩き方ツアーの皆さん24人が
子どもたちと交流。音楽、絵画、日本語などを通して。

心臓の手術で9月19日にフエ中央病院に入院したターオちゃん
のお見舞いに行く。今日から一般病棟へ移され、お見舞いが
可能となった。心臓弁膜症。手術は成功し、あと10日間ほどで
退院できるとのこと。ターオちゃん(小2)は、青白い顔をしていた。
点滴をうけて、表情もなかったが、私に手を振っていた。

ターオちゃんは、日本の里親Nさんの支援の下、手術のできる
年齢になるまで頑張ってきた。やっと小学校にも入学し
体力もついてきたということで、手術を断行。
手術費用(20万円)は、「高野メモリアル基金」より寄贈。
基金の皆様に感謝。

フエ中央病院の入り口で帯広のYさんの「暖炉基金」で
口蓋・口唇裂の手術と心臓の手術を受けるQ君と父親に
出会う。今日入院したとのこと。近日中に心臓の手術をする。

帯広のYさんより1000ドルの心臓手術代をもらい、Q君父子に
渡した。その結果、入院と手術が決まったのである。
ベトナムの病院も現金である。手術代を前納しないと
手術をしないそうだ。Q君父子は最初に心臓の手術、
その後、口蓋・口唇裂の手術をすると喜んでいた。

午後4時半。日本料理店で日本料理店スタッフ全員会議。
この1ヶ月間、お客が多く、あまりに忙しいこともあり
全員会議が出来なかった。8月は402人の来客。
9月は既に300人以上の来客である。
8月1日から始めた昼の部の問題点、今後の日本料理店の
あり方などを話し合った。来週、もう一度話し合いを持つ予定。

午後5時45分、子どもたちや日本人スタッフと一緒に
久しぶりに夕食。子どもたちが「おこげご飯」を作った。
塩・胡椒・唐辛子をつけて食べると美味しい。

午後7時過ぎ、日本料理店を勝手に辞めて「悪い友達」と
付き合っていたT君が「もう一度、日本料理店で働かせて
欲しい」とやって来た。しばらく話をする。
この1ヶ月間、悪い友人と悪い事をしていたとの反省。
昨年起こした警察事件が昨日最終的に終了したとのこと。
これからは「真面目に」働きたいといっている。
こうした話し合いをこの数年間で何度したことか・・・・・。
①毎日定刻に出勤する事。仕事が嫌でも出勤すること。
②仕事の途中で消えないこと

この二つを守れるなら「もう一度チャンスを上げる」と
話す。T君は頑張るという。兄と同居していたアパート
からも出て行き、「悪い友達」のアパートにいたとのこと。
今は住むところもない、生活も出来ないので助けて欲しい
と言う。今日から仕事するように言う。兄も「自分のアパート
で生活させても良い」と言う。これからしっかりと日本料理店
の厨房で仕事をして欲しい。

投稿者 koyama : 21:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月20日

地球の歩き方ツアー(Ⅴ)講演会

終日雨。寒い。

午前9時半、「子どもの家」へ。
昨夜から地球の歩き方ツアー(Ⅴ)の皆さん24人がフエ滞在。
午前10時。「子どもの家」で講演会。今回は男性4人。
ほとんどが大学生。9月一杯夏休みとのこと。


1時間半の講演を終わり、地球の歩き方ツアーの皆さん、
バオミン・ベトナム事務所長と一緒に昼食。午後1時半終了。


午後2時45分。バオミン・ベトナム事務所長と一緒にフエ科学大学
コンピュータ学科長を訪問。東京のIT会社「ブライセン」より委託され
た研修生募集の件で学科長と懇談。3名の研修生候補生を紹介
してもらうことになった。

豪雨の中、京都の「フェアートレード」より依頼された団扇(うちわ)
の柄(竹製)のサンプルを作れる竹細工の工場を視察。
残念ながら見本の竹の柄の精巧でこの工場では作れないとの
こと。


日本に竹製品を輸出している工場へ行くが移転して所在不明
とのこと。豪雨の中、バオミンさんと途方にくれる。
フエ空港近くの工業団地に竹製品を専門に作っているベトナムの
工場があるとのこと。早速、近日中に行く事にする。

バオミンさん・ハンさんと一緒に下宿探しをする。

午後5時過ぎ。ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で
バオミンさんに協力してもらい、中学4年生の歴史教科書の
翻訳をする。ベトナムは国定教科書。国定教科書の
中学4年生の歴史で第2次世界大戦、日本のベトナム占領
などがどのように扱われているのかを調べる。
1940年から1945年の日本の占領、ベトナムの独立の
部分だけで20ページも使っている。
バオミンさんに訳してもらいながら、適正な日本語に翻訳する。
20ぺージの翻訳は数時間を要する。
10月、日本に帰国し大学での講演会を行うが、その際の
参考資料として使う予定。ベトナムでは日本の5年間の
占領支配を教科書でどのように教えているのかを
日本の大学生に知らせるため。
バオミンさんに数時間かけて翻訳してもらい、その後、
2時間ほどかけて私が日本語らしい表現に直す。
午後9時過ぎ、全て終了。

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2006年09月19日

暖炉基金夕食会

終日雨。昨夜半から豪雨。

午前9時。京都の水本さんと懇談。水本さんは「子どもの家」
の図書室の指導を行ってくれている。
終日、「子どもの家」の図書室に入り、図書の分類、整理、
貸し出し、新規図書購入などを行っている。
この1週間ほどの図書室管理運営上の諸問題を話し合う。
バオミン・ベトナム事務所長も同席。
・1週間の図書貸し出しは110冊。(「子どもの家」の子どもたち
 が部屋の借りて行った本の数。図書室で読んだ本は入らない)
・毎日20人以上の「子どもの家」の子どもたちが本を借りている。
 日本の子どもたちよりたくさんを本を読んでいる。
 図書室があることの意味は大きい。子どもたちの精神的な
 成長の一助になる。
・借りる本の内容は、小説、参考書、まんが・・・・・。
・図書室の整理が出来ていない。
 昨年、図書の整理をしたが、1年後に再訪したが、図書が
 図書の整理が出来ていない。子どもたちが借りた場所に
 返却しないことも問題だが、担当のベトナム人スタッフが
 真剣に整理整頓、貸し出し等の仕事をしていない。
・図書を借りて返さない子どもたちが多い。数十冊の本が
 なくなっている。
・「子どもの家」スタッフが自分の子どもに本を借りていって
 数十冊返していない。
・セン委員長と9月21日に図書問題で話し合う。

午前10時過ぎ。ACCLの渡辺和代さんがベトナム事務所
訪問。今日、渡辺さんは帰国する。帰国の挨拶。
ベトナム事務所2階で今後のベトナム中部白血病支援の
進め方などを話し合う。


●ベトナム事務所員とお別れの挨拶


昨夜からの雨で気温が急降下。寒い。ひどい頭痛。倦怠。

1時間ほど昼寝。

午後3時。ラームさんと話し合う。

午後4時。ベトナム事務所でバオミンさん、税田さんと
話し合い。

午後6時。暖炉基金で奨学金をもらっている障害児と
家族を日本料理店に招待し、会食。
暖炉基金は帯広のYさんが5人の障害児で学校へ行きたい
子どもたちに奨学金を上げている。
今日は5人のうち4人の障害児と家族が日本料理店へ来た。

初めに帯広のYさんに代わり私が挨拶。
これからも生活や障害に屈せず、生きていって欲しい。
帯広のYさんも大学卒業まで奨学金を贈呈すると言っている。
家族の皆さんと帯広のYさん、JASSと協力して子どもたちの
ために頑張って生きていこう・・・。


障害児の母親が家族を代表して挨拶。自分たちも頑張りたい、
帯広のYさんに宜しく・・・・。

子どもたちを代表してAさん(20歳)が挨拶。
Aさんは今年見事にフエ医療短大に合格。3年間の
勉強の後、看護師になるという。
Aさんは生まれた時から片足が麻痺している。

『私は帯広のYさんの奨学金で9月からフエ医療短大で
勉強している。足が悪いので病気の人を助けたい。
看護師になって社会に役立つ仕事をしたい。
日本のYさんにくれぐれも宜しく伝えて欲しい』

●ビール、ジュースなどで乾杯


D君は13歳・6年生。生まれつき両手の指が使えない。
ものを持つことが出来ないが、両手の手のひらを上手に
使い、字を書いたり食事をする。

帯広のYさんから万年筆がD君に贈呈。その場で
手のひらをつかって上手に名前を書く。




Q君は口蓋・口唇裂。同時に心臓病も持っている。
口蓋・口唇裂の手術をするためには、初めに心臓病の
手術を成功させ、その後に口蓋・口唇裂の手術が出来る。
口蓋・口唇裂の手術は国が無料でしてくれるとのことだが、
心臓病の手術は自己負担。10万円ほどの費用が
必要。Q君の家庭状況では手術代が出せない。
今回、帯広のYさんが心臓病の手術代10万円を
寄付してくれることになった。心臓の手術は来週にも
行われる予定。Q君は18歳。年頃なので口蓋・口唇裂
が気になり、いつも口に手を当て回りの目を気にしている。
心臓の手術、そして口蓋・口唇裂の手術が成功することを
祈りたい。帯広のYさんの気持ちと行動に感謝。

午後8時、暖炉基金会食終了。

その後、日本料理店の日本人のお客さんに呼ばれ
一緒に飲む。私のフエでの活動に興味を持ってくれている。
会報を渡し、この13年間の活動を紹介する。
午後9時半終了。

投稿者 koyama : 10:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月18日

ACCL渡辺さんと各所参観

晴れ時々曇り。寒暖の差激しい。

午前9時。渡辺和代さん、バオミンさんと在宅支援のHIEU君
の自宅を訪問。ヒエウ君は9年前にテレビ東京の
「ドキュメンタリー人間劇場」を見た帯広のYさんが支援を申し出て
くれ、在宅支援の里子となる。
事情がありお母さんと二人の生活。ヒエウ君は生まれて直ぐに
発熱し右手足が麻痺。家庭も貧しく、フエ市の美術館の裏の
倉庫に住んでいた。学校にも行けなかったが、帯広のYさんの
支援で数年遅れで通学。学校で勉強したら毎年「成績最優秀」。
昨年、中学を卒業する数ヶ月前に急に発熱。精神的なダメージを
受け、フエ中央病院に通院。当初は自分の名前も言えなくなる
事態に至った。お母さんも心配し、通院、幼稚園の給食の仕事
と苦労した。帯広のYさんと私たちは通院費用と生活費を支援した。
それから1年。学校へは行けないが、精神的なダメージもほぼ
普通に戻りつつある。
今日は、帯広のYさんから預かった万年筆をヒエウ君に渡す。
Yさんは、ボールペンよる万年筆の方が力がなくても字が
書きやすいのではないかと、ご自分で使っていた万年筆を
ヒエウ君に贈る。
ヒエウ君はしっかりと万年筆で自分の名前を書く。


しばらくヒエウ君と歓談。

その後、縫製研修工場建築現場へ。
縫製研修工場は基礎工事の真っ最中。


縫製研修工場建築現場を視察し、「子どもの家」へ。
渡辺和代さんはJASS日本事務所の里親担当を10年以上
引き受けてくれている。
「子どもの家」でセン委員長と懇談。「子どもの家」の
子どもたちの様子などを聞き、「子どもの家」を視察。
子どもたちと交流。
図書室では京都から来ている水本さんと子どもたちの
読書傾向などについて懇談。

午前11時、ドンバ市場近くの本屋で画用紙などを買う。

午前11時半。フエ高等師範大学学長宅へ。
今年ACCLがフエ中央病院小児科医長のHUONG先生を
日本へ招待した際、フエ高等師範大学学長の娘さんが
東大に留学していて通訳をお願いした。その縁で、
今日学長から昼食の招待を受けた。
学長、奥さん、三女(中3)と一緒に昼食をご馳走になりながら
懇談。午後1時半終了。

午後6時半。日本料理店で渡辺さんと夕食会。
渡辺和代さんは明日日本へ帰国する。今日は最後の晩餐会。
午後9時過ぎまで日本料理店で会食交流。


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2006年09月17日

クアンチ省小児白血病患者訪問 

快晴。

午前8時。ACCLの渡辺和代さん、バオミンさん、フエ中央病院
小児科医師(白血病担当)リン先生とクアンチ省ドンハ近くの
小児白血病患者の自宅を訪問。
渡辺和代さんが理事長を勤めるACCLはアジアの小児ガンを
支援するNPO法人である。ACCLは当面、ベトナム中部の
小児白血病の子どもたちの支援を行うこと決めている。
具体的には、白血病の治癒率(現在20%)を50%まで高め
子どもたちの生活向上をめざすというもの。
今回は実際に生活している白血病の子どもたちの家庭と家庭での
生活実態を知るために家庭訪問を行った。

クアンチ省まで車で2時間。今回訪問する小児白血病の
子どもたちは、昨年渡辺さん、リン先生と訪問した家庭である。
子どもたちはフエ中央病院小児科白血病棟に入院。現在は
退院。月に1回程度フエ中央病院に通院し白血病の治療を
行っている。リン先生の担当している子どもたちである。

昨年、渡辺さん、リン先生と訪問した二人の子どもたちであるが、
残念ながら5歳の女子は3ヶ月前に力尽きて亡くなってしまった。
哀悼。今回は、お宅を弔問。ご両親に哀悼の気持ちを伝えた。
ご両親は亡くなった5歳の女の子だけの家庭。
リン先生に「子どもが欲しいが白血病が遺伝するかも知れないので
妊娠が怖い」と相談。リン先生が白血病は遺伝しないと話す。
私も1966年、16歳の弟が白血病になり6ヶ月で死亡したことを
話し、私も含め、兄弟に遺伝していないことを伝える。

続いて昨年訪問した小学校4年生の男子の家庭を訪問。
父親は建設業、母親は小学校の先生。
両親や子どもも自分たちのことを気にしてくれているリン先生
や関係者がいるということを心から喜んでくれていた。
小4の男子は成績「最優秀賞」を受賞している。
両親に子どもの状態、生活の問題、通院、治療の現状・問題
などを聞く。

更に車で30分。7歳の男子の家庭を訪問。
お母さんは父親不明で男の子を出産。その後、再婚し家を出る。
現在、64歳の祖母が男子の面倒を見ている。
フエ中央病院に入院治療後、自宅療養中。学校へは行って
いない。祖母は生活の大変さ、病気の孫の未来・治療などに
ついての悩みを話す。
男子は月の1回バスでフエ中央病院に通院している。

午後12時45分。ドンハ市内の大衆食堂で昼食。

午後3時過ぎ、フエ市に戻る。

午後5時、フエ中央病院小児科医長HUONG先生招待の
夕食会。フオン河畔の静かなレストラン。
小児科医医師、渡辺さん、税田さん、ミンさん、私。
2時間半ほどの歓談。

●レストランから見える夕日のフオン川