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2005年07月31日
恒例の「子どもの家」タンタン温泉行き
終日曇天・時々小雨。
午前8時過ぎ、トンチンカンホテルを出発し「子どもの家」へ。
「子どもの家」では既に子どもたち・スタッフ・内田さん・
ベトナム事務所員が勢ぞろい。恒例のタンタン温泉行きである。
タンタン温泉(時々海)は日本事務所の内田さんからの支援。
感謝。
バスで1時間。既に子どもたちはバスの中で「ハイトーン」。
マイクで歌を歌っていたい。
午前9時半頃、フエ郊外の山麓にあるタンタン温泉に到着。
タンタン温泉はトゥアティエンフエ省所有。2代前の
フエ市長アン氏の姉の製薬会社(ミンマン酒製造)が開発
している大型温泉リゾートである。流れるプール、大型すべり台
つきのプールなど各種の大型温泉プールを設備。
レストラン・宿泊施設・温泉病院もある。
ロック寮長の諸注意があり午前10時、子どもたちは
温泉プールに入り、1時間半遊ぶ。
途中でおやつの時間。子豚の丸焼きを一匹差し入れる。
再び温泉プールで泳ぐ
3ヶ月の夏休みである。温泉プールに行ったり、ベーベキュー
大会をしたりして、アクセントをつけながら子どもたちに
楽しい思い出を作ってやりたいものである。
子どもたちに取っては一生に一度のこの年齢の夏休み
である。改めて温泉プール遊びを寄付してくれた内田さんに
お礼を申し上げたい。
午後3時過ぎ、タンタン温泉を後にする。
トンチンカンホテル着、午後4時半。その足で「蟹(かに)」を
食べに行く。
フエ市の外れにある蟹と海老など海産物専門のレストラン。
子持ちの蟹は特に美味しかった。最後の魚入りおかゆで仕上げ。
今日は温泉プール、蟹と贅沢な一日ではあった。
ラームさんは地球の歩き方ツアーをホーチミン市まで出迎え。
サンさんは夜、フエ空港へ到着する地球の歩き方を出迎え。
投稿者 koyama : 20:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月30日
サンデー毎日取材
曇りー雨。
午前7時朝食。
午前7時40分、バオミン・ベトナム事務所長とフエ空港へ。
「サンデー毎日」のO氏の出迎え。午前8時20分、到着。
その足でバオミン・ホテルへ行きチェックイン。
直ぐにオートバイ研修センター→「子どもの家」へ。
今回の取材はサンデー毎日のグラビアの写真と記事の
取材。自立へ向けた様々な取り組みと子どもたちの
様子を写真と文章で取材。
●ミン・ベトナム事務所長の紹介でセン委員長と握手
「子どもの家」を案内。子どもたちは夏のツアーを歓迎する
ための新しい「歓迎の踊り」の練習中だった。
子どもたちの生活なども取材
「子どもの家」では日本事務所の内田さんが里子のメンさんを
訪問。将来のことなどを話し合っていた。
午前11時、「子どもの家」では昼食。
昼食も取材。
午前11時半、「子どもの家」の取材を終え
ベトナム事務所員と共に「チャオ・バイン・カイン」の
お店へ。この店の麺は小麦粉とキャッサバを混ぜた
粘りと硬さのある麺。豚肉と海老のスープ、そして
ねぎ、唐辛子、胡椒を入れて食べる。
午後1時半、トンチンカンホテルへ戻り1時間ほど昼寝。
午後2時半~午後7時までベトナム事務所でインタビューを
受ける。
午後7時、再度「子どもの家」へ行き子どもたちの
様子を取材。
投稿者 koyama : 22:34 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月29日
豆腐屋視察→ベトナムニュース取材→フエ高等師範大学長宅
午前4時、トンチンカンホテルから車で20分にある
農家の豆腐屋で「豆腐作り」を視察。ミンさんと一緒に。
8月末開店予定の日本料理店で出す「手作り豆腐」を
作るための勉強。
ミンさんは4時前に起きるのが心配で一晩中眠らずにいた
そうだ。
午前4時、農家豚小屋にある豆腐家内工場では、豆腐つくりが
始まる。70歳のおばあさんはこの道50年のベテラン。
昨夕から水に漬け込んで置いた大豆16キロを使い豆腐を作る。
浸水した大豆を「おから」と「ごじる(豆乳)」に分ける石うすの
機械にかける。水を適量流しながら、機械の両側に
「おから」と「豆乳」が出てくる。
おからは野菜くずと混ぜて直ぐ近くで寝ている「豚さん」のえさ。
豆乳をかまどにかけて煮る。かまどには練炭と薪(まき)が入っている。
約30分ほど豆乳を煮る。あわがでる。100度程度の温度が
必要とのこと。煮あがった豆乳。
豆乳を30分ほど煮るが、その間、一切かき混ぜない。
そのため、豆乳の最下部はこげてしまう。
ベトナムの豆腐が「焦げ臭い」のそのためと分かる。
煮あがった豆乳に「特殊な液体」をかける。三回に分けて。
特殊な液は、煮あがった豆乳の上澄み液を一晩寝かせて
酸っぱくしたもの。
不思議にこの液体をかけると、煮あがった豆乳は、
少しずつ固まり始める。
固まり始めた豆乳の上澄み液をひしゃくですくい、
明朝まで寝かせておくと酸っぱくなり「凝固剤」(にがり)
の役目をする。
固まりかけた豆乳を木の「型枠」に入れて、3分間ほどおもりをかける。
水切りをした豆腐を布から出し出来上がり。その間約2時間。
今日の視察で分かったこと。
①基本的にはベトナムにある食材で豆腐つくりが出来ること
②豆乳を煮る時に根気良くかきまわすこと(焦がさないこと)
③日本のように塩化マグネシュームなどの凝固剤を使うのか?
今日見た「豆乳を1日放置し酸っぱくした」凝固剤を使うのか?
今後の研究が必要。
④豆腐作り用の豆乳は自分で作らなくてもフエにあることが分かる。
出来上がっと豆腐を少しもらいトンチンカンホテルへ帰宅。
午前7時、トンチンカンで朝食。5人の日本人で「冷奴」にして
試食する。
朝食後、午前9時、ベトナム事務所に「VIETNAM NEWS」
の記者が取材に来る。
ベトナムニュースはベトナムの公式な英字新聞。
最大の発行部数を誇る。全ての飛行機、大きなホテルには
必ず備えてある。
ホーチミン市・ハノイ市には本部や支局があるが、フエには
ない。今回はわざわざホーチミン市から記者が取材に来てくれた。
フエ市人民委員会の紹介とのこと。
ベトナム中部で活躍している海外NGOの代表として
JASSと私を取材するとのこと。
ベトナム事務所で1時間ほど活動内容、私の経歴などを
取材する。
「ベトナムニュース」ベトナム事務所で取材
その後、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校
オートバイ研修センター、「子どもの家」を視察。
「子どもの家」を視察する記者
「子どもの家」で子どもたちと
8月1日頃のベトナムニュースに記事を掲載するとのこと。
午後12時、フエ高等師範大学学長に招待され
学長宅で食事。バオミンさんと一緒に行く。
昼食会には学長・学長夫人(中学数学教師)・
長女(東大理学部留学中)・次女(シンガポール大学留学中)
・3女(グエンチフン中)・吉祥寺のベトナム料理店で仕事を
していた婦人など・・。1時間半ほど食事をしながら歓談。
「子どもの家」の子どもたちのことなどを話す。
ベトナム事務所でメール受信・送信。
日教組「教育評論」10月号原稿草案。
夕食は内田さんたちと。
午後9時までトンチンカンの食堂で「世間話」。
投稿者 koyama : 23:27 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月28日
豆腐屋→日本語学校
曇り→晴れ→雨→曇り
目まぐるしく気候が変わる。
午前中、訪日し日本語学校で勉強するベトナム人の
入学書類のチェック。問題点を税田さんに頼み書き直す段取りを
取ってもらう。
午前10時半、納豆用の大豆を煮る。2時間。
納豆菌を無菌水に溶かし振りかける。「納豆造り」という
納豆製造機に入れる。明日の昼には粘々納豆が
出来ている「はず」。
昼食はチャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)。
トンチンカンホテルは1階食堂の前に階段がある。
昼食が出来、机にチャオ・バイン・カインが載せられて
いる時、1階の階段の上から掃除のお姉さんが
砂ぼこりのごみを下にはき落としている。
食堂のドアが空いているので、砂ぼこりは見事に
3畳ほどの食堂の中に蔓延している。
私の昼食用の手打ちうどんには、砂ぼこりの
「ふりかけ」がこれでもかというほど、かかっている。
掃除のお姉さんも食事を作るお姉さんも「砂ぼこり」
には全く無関心。
うーん、これは文化の違いか? はたまた、単なる
人のことには無関心いう「個性」なのか?
私は「栄養たっぷり」の砂ぼこり入りのうどんを食べる
はめに陥った。
午後12時半、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に
フエ近郊の農村にある豆腐作りの農家へ。
オートバイで20分ほど。低湿地地帯の農村へ。
ミンさんが「この辺だが?」と言ってついたあたりは
異様な臭い。
豆腐作りの農家へ入る。10坪ほどの部屋の置くに
30センチほどの機会が置いてあった。隣に豚小屋がある。
異臭はこの豚小屋だった。
部屋の隅にいる青年に聞くと豆腐つくりは午前4時から
とのこと。どこかで情報が違っていたようだ。こうしたことは
ベトナムでは日常茶飯事。ひとつのことを成し遂げるのは
数回の挑戦が必要。「明朝4時に参観して良いか」聞いて
みると良いとのこと。豚小屋豆腐屋から帰る。
30分ほど昼寝。
午後、ベトナム事務所でバオミンさんたちと1時間半ほど
懇談。縫製工場建築問題。
ホーチミン市にいる毎日新聞記者から連絡。7月30日(土)
フエで私たちの取り組みを取材したいとのこと。
同時に7月31日(日)フエのアールオイ山岳地帯で
枯葉剤の取材をしたいが取材許可が取れなく困っている
とのことだった。直ぐに市・省人民委員会、市省警察などに
連絡し、取材許可を取る。毎日新聞記者に連絡。
午後4時半、ハノイの日本大使館に電話。ODA草の根支援
担当の方と話す。私たち「フエ市越日交流委員会」が
申請している縫製工場建築ODAの検討結果を聞く。
現在検討中だが、見通しは相当明るいとの感触。
縫製工場を建築し、「子どもの家」の子どもたちの
就職の受け皿、子どもたちの生活資金にするため
何とかODA資金をもらいたい。これからも日本大使館と
連絡を密にし、良い結果が出るよう最大限努力したい。
子どもたちのために。
午後6時、夕食。内田さんも交えて6人。
午後7時過ぎ、日本語学校へ。
1階では、原先生が「初級クラス」の生徒を教えていた。
生徒は54人。4ヶ月日本語学校を勉強している。
私が「貴方のお名前は?」と聞くとはっきりした
日本語で答えてくれた。
●初級生徒を教える 原先生
●初級クラスの生徒
「子どもの家」スタッフのキムアンさん、ハンさんもいる。
2階では中村先生が「日本語ガイドクラス」を教えていた。
「ガイドクラス」あ日本語を勉強して約1年になる。
中村先生から日本語の勉強のために生徒と話して欲しい、
との依頼を受け、話す。はじめに私の自己紹介を行う。
次に生徒からの質問。「フエで生活して何が一番危ないですか?」
「「子どもの家」で沢山の子どもたちを卒業させたが、教え子は
結婚しましたか?」など、かなり上手な日本語で難しい質問を
してきた。
投稿者 koyama : 23:17 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月27日
内田征子さんフエ訪問
晴天→曇り→時々雨。天候不順。
頭痛がひどい。
午前7時半、ラームさんと一緒にフエ空港へ。
今日から8月2日まで日本事務所の内田さんが
フエを訪問する。今回の訪問の目的は、7月31日
「子どもの家」の子どもたちを海に連れていくこと。
30分遅れでホーチミン市からの飛行機が到着。
その足でフエ市内の「バオミン・ホテル」へ。
内田さんは12月末に行われる「子どもの家」のクリスマス会
の飾りやベトナム事務所員・「子どもの家」の子どもたちなど
へのお土産を持って来てくれた。
11時半、ベトナム事務所の日本人スタッフも誘って
大衆食堂「CO DO」(古都)で昼食。
アヒルの玉子焼き・モヤシ炒め・とりから揚げ・
豚肉とえびの塩辛・・・・。
お昼から煮ていた納豆用の大豆を焦がしてしまい、
納豆作りは失敗。再度、水に浸す所からはじめる。
午後3時、ベトナム事務所で当面の仕事を整理する。
11通のメール受信。5通返信。
10月帰国時の講演会などの打ち合わせなど・・。
午後5時、ベトナム事務所からドンバ市場までウオーキング。
トンチンカンまで40分。
夕食は内田さんを交えてトンチンカンホテルで6人。
江戸風俗研究家の杉浦日向子(ひなこ)さんが亡くなった。
最近の出来事では最大のショック。46歳だそうだ。下咽頭ガン。
若すぎる。もともとは漫画家だったが、1993年に「隠居宣言」し
漫画家をやめ、文筆に。
1995年から昨年までの9年間、NHK「お江戸でござる」で
江戸文化の素晴らしさを解説してくれていた。
私はフエに来てやっとNHK衛星放送を入れて以来のフアン
だった。江戸についての博識をひけらかさず、飽くまでも
控え目だった。今年になり「道中でござる」に番組が変わり
出演しなくなった。なにか事情があったのかなと思って
いたが1年8ヶ月前からガンと闘っていたとのこと。
今回50日ほど日本へ帰ったが、どのチャンネルでも
「ずうずうしく」「口汚い」女性のオンパレード。
杉浦さんのような女性はテレビでついぞ見なくなった。
NHKの女性アナ(民放は問題外)もオチャラケ基調と
なり、うるさく、見苦しい。杉浦さんのような知性を
気品で包み隠した女性は絶滅マンモスと化したのか?
それともシーラカンスのように海底深く潜んでいるのか?
杉浦日向子さんの早世を心から悼む。
投稿者 koyama : 17:40 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月26日
ミンさん誕生祝い兼ベトナム事務所員総決起集会
雨→曇り→晴れ→雨
目まぐるしい一日だった。
午前中、ベトナム事務所で仕事。
メール返信その他。
午前10時、ミンさんと一緒に全教千葉女性部の
活動のためにトースターを見に行く。フエに1台あった。
3000円。
その足でミンさんとドンバ市場へ。納豆用の大豆を買う。
市場には大豆だけで10種類ほどあった。納豆に適している
小粒の大豆1キロ70円を買う。
トンチンカンホテルに戻り、きれいにあらい、水に漬けておく。
12時間後に茹でて、納豆菌をかけ28度、24時間保温する。
昼食はマカロニ。
午後2時、ベトナム事務所で打ち合わせ。
午後5時から「ミンさん誕生祝・8月9月活動推進
ベトナム事務所員総決起集会」を開催する。
センチュリーリバーサイドホテルの芝生の庭。
ベトナム事務所員11人全員が結集。
●始めにミン・ベトナム事務所長の挨拶
松下さんの司会で総決起集会は進行した。
ミンさんの挨拶のあと、ソン君からベトナム事務所員全員の
寄せ書きが贈呈された。
続いて女性軍を代表して中村さんから帽子の贈呈
帽子をかぶるミン・ベトナム事務所長
8月・9月のベトナム事務所活動を健康に頑張ろうと誓いあう。
バオミンさん(32歳)の誕生祝い、ベトナム事務所の
8月9月活動成功の会合は6時半に終了した。
これから1ヶ月半、お互い中々話し合う機会も少なくなる。
こうした形で英気を養い、協力して仕事をするベトナム事務所
作りをも大切なことである。
投稿者 koyama : 20:54
2005年07月25日
ベトナム事務所員会議
雨のち曇りのち晴れ。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
7月27日から9月まで多くの訪問者がある。
今日は、8月9月の訪問者受け入れについての
意思統一を行う。10人・全員が揃う。
はじめに私の方から50日間の不在中について
お詫びし、ベトナム事務所員の皆さんの活躍にお礼を言う。
続いてバオミン・ベトナム事務所長より、7月27日からの
各種スタディーツアー、団体訪問者などの詳細な日程と
ベトナム事務所内担当者の割り当てが報告される。
報告だけで1時間ほどかかる。
ホテルやベトナム事務所での「小山講演会」があり、
ベトナム事務所付属刺繍みやげ物店訪問から始まり、
「子どもの家」、日本語学校参観、フエ平和村、
農村ホームステー、学校訪問、王宮や皇帝廟参観
など多岐にわたる日程である。
個人5人。団体9。テレビ取材1。ベトナム新聞1。
日本の雑誌1。ベトナムのテレビ1。
これから1ヶ月半ほど、ほとんど休みのない日程である。
私の方からは、体調の管理、休養を取ることなどを
お願いした。
明日、午後5時からバオミン・ベトナム事務所長の
誕生祝い兼「8月9月の活動推進・ベトナム事務所員
総決起集会」を開くことにした。
センチュリーホテルの芝生で美味しいものを食べ、
プリン体を飲み、英気を養い、8月9月の闘いへ決起
するのである。全員参加。
日本語学校が始まる7時前には終了予定。
ベトナム事務所員会議は午後11時まで2時間半。
午後、17通のメール受信。
支援者へのお礼の手紙を書く。
元トンチンカンホテルの掃除係りだったMさんが
ベトナム事務所を訪ねて来る。
この数年、部屋の机にしまっておいた
お金がなくなっていた。机には鍵をかけておいたのに。
日本事務所から預かって
来たお金も時々、1000ドル、2000ドル単位で
なくなっていた。、総計すると相当の大金である。
私は自分がどこかに置き忘れたのだと思い、
なくなるとトンチンカンホテルの部屋を何時間も
探したものだった。この数年、物忘れが多いので
基本的に「自分自身を信用していない」状態だった。
ところが、昨年、トンチンカンホテルに泊まっていた
日本人ベトナム事務所員のAさんから「部屋の机に鍵をかけて
お金をしまっておいたがなくなっている」との訴えがあり、
私は初めて誰かに盗まれたことに気づいた。
本当におめでたい話である。人を疑わず、自分自身を
疑い、クタクタになるまで探し、1週間も2週間も大金をどこへ
置き忘れたかを考え悩んでいたのだった。
私以外にも大金がなくなっているという客観的事実を知り、
誰かが盗んだのだと初めて知った次第である。
こうなったら部屋にビデオカメラを設置するしかないと
トンチンカンホテルオーナーのラームさんと相談し
実行した。すると掃除のMさんが、ものの見事に
私が鍵を隠した「ある所から」手早く鍵を取り出し、
机の横の引き出しを鍵で開け、米ドル、ベトナムドンを
盗んでいるところが写っていた。手馴れたしぐさである。
直ちにフエ警察にビデオを添付し告訴した。
掃除係りのMさんは、トンチンカンホテルで7年間も
掃除をしているベテランだった。
私は会から預かった相当の大金を盗まれた。
盗まれたのは私の責任なので全額私が補填していた。
私はビデオで犯人が判明するまでは、自分でなくしたか
置き忘れたと思っていた。よもや人に盗まれたとは
想像すらしていなかった。
掃除のMさんは直ちに警察に逮捕さて拘置された。
ベトナムの警察システムは複雑である。最初の捜査は
フエ市警察が行う。外国人が関係した事案は、更にそのあと
トゥアティエンフエ省警察が同じ捜査をする。
トゥアティエンフエ省は再度、最初から捜査をする。
徹底した官僚・お役所・縄張り国家である。
私が告訴状を出し、私への事情聴取が行われてから
1年近くたって、トゥアティエンフエ省警察を
通し、トゥアティエンフエ省検察は、Mさんを起訴した。
近々Mさんの裁判が行われる予定である。
Mさんは、現在保釈され自宅にいる。
今日Mさんがベトナム事務所を訪問した目的は、
「自分は小山さんとAさんのお金を盗んだが、
100ドル程度である」ということを私に認めてもらいたいということ
だった。
だいたい人のお金を盗んで警察に捕まりこれから裁判という
時に私のところに来て「100ドルしか盗んでいない」と
私に認めさせようというずうずうしい気持ちが理解できない。
ベトナム事務所のハンさんに私に会う目的は何か聞いてもらった。
「やはり100ドルしか盗んでいない」ということだった。
私は面会を拒否した。言いたいことがあれば
裁判でしっかりと言ってくださいと伝言した。
私のまわりにいるベトナム人はあまりMさんの窃盗を問題
にしていないようだった。何故、小山はMさんに会わないのだろう
という反応だった。
この辺の認識のずれは何なのだろうか?
文化の違いか、気候の違いか? 所有概念の違いか、
歴史観の違いか?
午後5時、ベトナム事務所からドンバ市場まで徒歩。
ドンバ市場で納豆用の小粒の大豆を見つける。
近日中に納豆の試作をすることにした。
フエに来て6日目にして初めて皆さんと一緒に夕食を
食べる。
投稿者 koyama : 18:26 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月24日
星野夫妻日本へ帰国
終日雨。
数日前は39度。雨が降って急に気温が下がる。
フエの人は体がだるいと言っている。
●雨の中、フエ名物「ポンチョ」を着て街中を走る
午前7時半、ラームさんと一緒にフォンザンホテルへ。
上尾の星野夫妻が日本へ帰国される。フエ空港まで
見送り。
忙しい中、わざわざ「子どもの家」まで来ての
支援に感謝したい。星野夫妻は本当に心のある方々で
ある。帰りの車での中でラームさんとそんな話をした。
トンチンカンホテルへ帰る。
トンチンカンでは日曜日にもかかわらず日本料理店の
建築が行われていた。
リー君も2階に上がって建築を手伝っていた。
リー君は体を動かして活動をすることが好きなようだ。
その足で久しぶりにドンバ市場へ買い物に行く。
途中、チャンティエン橋のたもとには、火炎樹の花が
きれいに咲いていた。そろそろ火炎樹の季節も終わりのようだ。
ドンバ市場でチャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
1キロ(40円)、ねぎ5本(10円)を買う。
トンチンカンホテルの部屋へ。
バスタブに40度弱のお湯をいれ、20分ほど低温浴。
汗が出てくる。
NHK素人のど自慢を聞きながら簡単に「プリン体」を
2本飲む。
静岡の巣山先生から送られた「手焼しらすのり」・
「焼うるめ」、そして小樽の「ソフト鮭とば」をおつまみに。
小麦粉の手打ちうどんを茹でそばつゆを入れ、ねぎを薬味に
ブランチ。
午後、現地自立についての問い合わせなどのメールへの
返事数通を書く。
午後7時、静岡の巣山先生から頂いた「喜久酔」(キクヨイ)
を飲む。静岡県藤枝市上青島256番地の「青島酒造」の
純米大吟醸酒。冷蔵庫で冷やして飲む。何とも表現の出来ない
味。強いて言えば、フルーツの味。こういうお酒を飲むと
日本人に生まれて良かったなどと、急に愛国心に目覚めて
しまう。本当に美味しい。喜久酔を「手焼しらうのり」で
飲んで見て欲しい。海苔としらすの淡白な味と吟醸酒の
ふくよかな香りとフルーツの味覚が複合して何ともいえない
世界へ導かれる。至福の時間である。
「通風はビールを飲みながらでも治る」
(鹿児島大学病院内科教授:小学館)を読み、十分理論武装を
しながら飲んでいる。と言いたいところだが、ただビール
お酒に引かれて飲んでいるだけなのだが・・・。
とにかく当面の疲れは取れたような気持ち(錯覚か?)には
なる。
NHKニュースを見る。
昨日の東京の地震のデータが30分も遅れて発表された
とのこと。
震度5と4とではその後の対応はかなり違うようだ。
東京都は震度計が古く、集計に時間がかかり発表が遅れた
とのこと。明らかに初動対応が出来なかった。
都民・国民の生命と財産を守ることが至上課題である
石原都知事の怠慢が指摘されている。
フランス語が計算の出来ない言語だとか、週に数回しか
都庁に出勤しない都知事である前に、都民・国民の
生命と財産を守る最低の仕事してもらいたいものである。
北朝鮮にミサイルをぶち込めなどと物騒な発言をする
暇があるのなら、集計能力の弱い地震計を変える位の
神経を持って欲しいものだ。
ロンドンテロに無関係のブラジル人がロンドン警察に
射殺された。
今「テロとの闘い」という大義名分のためなら
思想信条の自由・行動表現の自由、プライバイシーの
侵害も許されるという恐ろしい時代になってしまった。
ロンドン警察に殺されたブラジル人は、テロとは全く
関係ない市民である。ただ肌の色が西欧系の人と違うこと
などの理由で警察が勝手に「不信人物」と思ったら射殺できる
という民主主義の国(?)イギリスの退廃した現状を見る
思いがする。ブッシュ大統領の片腕としてイラク侵略戦争
に積極的に加担したブレアー首相の行き着く先である。
大量破壊兵器があるので「先制攻撃」をしたとのブッシュ
大統領の使い走りとなり、何の根拠もなくイラク侵略を
強行したブレアー労働党政権の実態は、反民主主義。
肌の色が違う(射殺されたブラジル人は3年間英国に滞在し
英語は堪能だったそうだ)などの理由で「テロとの闘い」
のために無実の人間が殺されるという理不尽な世の中で
ある。このまま行けば、「テロとの闘い」理論はヒトラーの
ユダヤ人や障害者などの抹殺理論と化す。
振り返って我が日本である。マンションにビラを撒いた
だけで逮捕された。大学の教室にビラを撒いたら逮捕される。
これが今の日本である。日本国憲法はどこに行ったので
あろうか? 人権も思想・信条の自由も表現の自由も
「テロとの闘い」の中では、全て捨てさられる恐ろしい時代に
突入している。今、日本はファシズム前夜である。
異論が封殺される時代だ。
自民党の野中元幹事長が「今の日本は平和と言いにくい
状況になっている。怖い時代だ」と言っている。
本当である。自由にものが言える世の中であって欲しい。
そのために私は闘う。
闘う前に闘いのエネルギーの注入が必要。
ビールか吟醸酒をちょっと飲んで、闘いに備えたい。
投稿者 koyama : 20:31 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月23日
星野夫妻「子どもの家」等視察
午前8時半、ラームさんと一緒にフォンザンホテルへ。
星野夫妻と一緒に数箇所の視察。
午後9時半、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所の
刺繍みやげ物店で買い物。2階のベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員と面会・挨拶。
午前10時、オートバイ研修センター視察。
「子どもの家」へ。セン委員長と挨拶。星野夫妻は「子どもの家」
の子どもたちに本や衣類などの寄贈を行った。
「子どもの家」視察。
その後、子どもたちと一緒に昼食を摂る。
子どもたちは夏休みを満喫していた。
午後2時からフォンザンホテルのドン社長と懇親。
午後8時、星野夫妻・ラームさんと一緒に「シクロ」で町を
一巡した。土日はトゥオンティエン橋・王宮がライトアップ
されている。シクロで夜の涼しい風を切って街中を走るのも
よいものである。40分の乗車で300円。
今日1日、星野夫妻は旺盛に視察や懇談を行った。
そのエナルギーに驚く。
午後9時過ぎ、トンチンカンへ帰る。
NHKテレビを見る。東京で大きな地震・震度5強とのこと。
急いで東京の自宅へ電話。妻が出るが、家は大きく揺れたが
被害はないとのことで一安心。
今日も「通風促進プリン体」を沢山飲む。
投稿者 koyama : 23:17 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月22日
「子どもの家」で。星野さんご夫妻フエ訪問
午前9時、バオミン・ベトナム事務所長と「子どもの家」へ。
日本料理店就職希望の3人の子どもたちの日本語学習の
様子を参観。松下先生が具体的に日本料理店で必要な
日本語を教えてくれている。
日本で預かった支援品を子どもたちに渡す。
●岩辺元代表の教え子から送られたピアニカ
セン委員長と「子どもの家」の様々な問題について意見交換。
大学受験の3人の子どもたちの様子を聞く。
8月15日頃、大学受験の結果が分かるようだ。
希望の進路が決まることを祈る。
午後、支援者への手紙を書く。(3通)
午後3時、ベトナム事務所へ。必要な仕事をする。
午後4時半、ラームさんと一緒にフエ空港へ。
午後5時半、上尾の星野夫妻がフエ空港へ到着。
午後6時からラームさん・星野夫妻と夕食会。
星野さんは、過去4回、上尾市の子どもたちを連れて
ベトナムスタディーツアーを行っている。「子どもの家」にも
4回訪問している。スタディーツアーを通して、子どもたち
の社会性を育成している。「地球市民」がスタディーツアーの
概念でもある。心のある日本人である。夕食会は午後10時
まで続く。明日は「子どもの家」、オートバイ研修センター
などの参観。
投稿者 koyama : 00:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月21日
フエ帰国第1日目
終日熱暑。39度。
午前6時起床。シャワーを浴びる。
午前7時、ベトナム事務所・日本人と朝食を摂る。50日ぶり。
皆さん、元気に活動していたようで一安心。
東京平和産業警備員のリー君が近くで蜂の巣を見つけた。
早速蜂の子を取り、ヌオックマムと油で炒め食べていた。
美味しいとのこと。なかなか生活力のある子だ。
リー君とは10年以上前に会っている。現在18歳。
8歳位から知っていたことになる。様々な苦労と問題行動も
体験して来ているが、それでも年齢を重ね、少しずつ真っ当な
生活のペースに乗りつつある。今のリー君に取ってJASSは
なくてはならないものとなった。温かい目で見守って行きたい。
必ず数年後には見違えるほど立派な大人になっている・・・
こどだろう・・・かもしれない・・・・希望する。
午前9時から11時過ぎまでミンさん・ハンさん・税田さん
と「子どもの家」・日程等諸般の問題を話し合う。
昼食は私の大好きな「チャオ・バイン・カイン」
(小麦の手打ち煮込みうどん・海老・豚肉入り)。
洗濯。
午後12時過ぎから午後1時半まで「昼寝」。
今日は気温39度。猛暑。日本の暑さとは
程度が違う。本当に刺すように痛い暑さである。
外に出るだけで消耗した。
午後2時、東京平和産業食堂でラームさん、
ライさん(ラームさんのお兄さん:大工)と日本料理店
の設計・工事などについて1時間ほど話し合う。
既にトンチンカンホテル1階にある東京平和産業
の部屋の改築が始まっている。工事が始まって
から設計や工事の仕方などについて話し合うの
も変な話だが、これもベトナム流。
日本料理店の外装(日本料理店風・ナマコ塀・
白壁・黒瓦・・)、カウンターの高さ
たたみの部屋、禁煙席の設置等を話す。
8月中の完成を目指すも難しい・・・・・。
既に工事は始まり、現在は1階から4階までのエレベーター
設置の工事が進行中である。
午後3時、散髪へ。100円。店主はくわえタバコで散髪をする。
午後4時、再度ベトナム事務所でミンさんなどといくつかの
相談をする。
午後6時、フォンザンホテルのドン社長と夕食会。
フォザンホテル4階の「ホア・マイ」(梅の花)レストランから見る
夕日は見事なものだった。
夕食会の接客担当者は「静岡フエ青年交流会館」
付属日本語学校の卒業生だった。
「先生は誰でしたか?」と聞く。「坂本文子先生でした」と
しっかりとした答え。ゆでたイカが出たが「しょうがとヌオックマム
のタレにつけてください」とも言っていた。
小さな取り組みではあるが、こうしてベトナム中部の
地場産業である観光業を草の根で支えている現実を
見て、感慨深いものがあった。
午後8時半帰宅。
NHKテレビでは、またもロンドンで爆弾テロが
あったと報道している。
投稿者 koyama : 23:35 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月20日
フエへ帰る
午前6時過ぎ自宅を出て、日暮里経由成田へ。
午前8時40分、成田空港着。
搭乗手続きを済ませ、出国審査へ。
明日から夏休みということもあり、出国審査は
満員だった。出国審査後、銀行で円をドル両替。
午前10時20分、VN-JAL便は出発。予定より
10分早く。乗機率65%位。
機内で「雨にぬれて」(上原隆著:幻冬アウトロー文庫)
を読む。市井の一般庶民のどこにでもあるような実生活
を丹念にインタビューしたドキュメンタリー。
淡々とインタビューの内容を記していく。とにかく面白い。
ドキュメント・ルポものは好きで結構読むが、上原隆は
本当に新しいドキュメントを開発した。私には強い刺激を
与える本だった。一読の価値のある書。
食前酒 缶ビール2本。
機内食は
・梅そうめん
・シーフードのチリガーリック添え
玉子焼き飯
・季節のフルーツ
午後2時20分(日本時間午後4時20分)ホーチミン空港へ
到着。気温32度。
飛行機からバスで空港内入国審査へ。
バスの中で「小山さんですか?」と声をかけられた。
20代後半(?)位の女性だった。「7年前に子どもの家へ
行きました。色々と話を聞きました。今は、ホーチミン市で
三井物産の仕事をしています」とのこと。
この12年間、ベトナムや日本国内で多くの人とお会いしている。
こうして声をかけられるのは嬉しいことである。
「子どもの家」やベトナム事務所での経験が何かに役立って
くれれば本望である。
入国審査後、税関審査。問題なし。その間、約1時間。
国際線を出て、隣の国内線に行く。国内線の入口で
偶然歩いているベトナム人に写真を撮ってもらう。
ホーチミン空港(タン・ソン・ニャット)で2時間半ほど待つ。
午後5時50分、フエ行きのプロペラ機が出発。
私の椅子は壊れていた。後ろに倒れてしまう。
乗務員に「椅子の背もたれが壊れて いる」と言っても
へらへら笑うだけ。結局1時間半、背もたれに
寄りかかれず、背筋を伸ばしていた。
考えようによっては、ベトナム航空が私の腰痛対策改善を
支援するという深慮遠謀だったのか? そんなことはない。
午後7時50分(日本時間午後9時50分)フエ空港着。
気温30度。
空港を出ると沢山のタクシー運転手が呼び込みをしている。
適当に指名する。
車に乗る。行き先を言おうとすると「チャン・カオ・バンですね」と
運転手が言う。先生はグエンチャイ「子どもの家」や日本語学校
を運営していますね。私は良く知っていますよ、と言っていった。
お陰で行き先を言う必要はなくなったが、私がどこに住んで、
何をしているのかを知っているのは、薄気味悪いことでもある。
午後8時半、トンチンカンに到着。タクシー代は9万ドン(千円)
トンチンカンでは、りー君とタイさん(ラームさんの兄)が
待っていた。リー君・タイさんは私の部屋まで重たい荷物を
持って行ってくれた。
リー君に「君は真面目に生活していたの?」と聞いてみた。
笑っていた。リー君は「先生が帰って来て嬉しい」と
繰り返し言っていた。
トンチンカンホテルは1階を日本料理店に改築中だった。
部屋に入る。ラームさんに頼んでおいたのだが、布の
カーテンをプラスチックのものに替えてあった。
部屋が何となくほこりっぽい状況ではあったが、
何となく我が家に帰ったような安堵感があるのは
何だろうか?・・・・・。
バスタブにお湯を張りぬるま湯で入浴。
その後、缶ビール1本、焼酎のお湯割一杯飲む。
無事帰国祝いを一人でする。
東京の自宅を出て16時間かかってフエの
トンチンカンにたどり着いた。
約50日の日本滞在中、お世話になった日本の
皆さんにお礼を申し上げたい。
メールのチェック等。就寝は午後11時半。
(日本時間午前1時半)
明日からまたフエでの活動に入る。
こうした活動スタイルになって12年。
プロ野球前半戦は今日終了。
阪神が一位。当然ではあるが、競争相手が
あまりに弱いので拍子抜けしてしまう。
ナベツネや長島一茂が出てくる時代じゃないでしょう?
自民党と巨人・大相撲はどうしようもない末期症状。
投稿者 koyama : 23:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月19日
シムラ社長と懇談 在日最終日
梅雨明け。終日暑い。
午前中、30通のメール受信。15通送信。
昼過ぎ自宅を出て、日暮里駅へ。京成スカイライナー
の切符を買い替える。1時間ほど早いスカイライナーに替える。
明日、成田でかなりの日本円をドルに両替しなければ
ならなくなった。明日の成田は海外旅行の人で雑踏する
可能性がある。早めに成田空港へ行かなければならない。
その後、JR総武線で浅草橋駅へ。布地会社の社長
志村隆夫氏と面会。志村氏は昨年からフエ市の
ファンダンルー高校とフエ農業大学の生徒・学生50人に
年間60万円の奨学金を支給している。
今日は2005年9月~2006年8月までの奨学金を
頂く。本社は大阪だが、浅草橋にも東京出張所がある。
(株)シムラは布地専門会社だが、皮の財布や女性用
バッグも作っている。
50人分の奨学金をお預かりする。志村隆夫社長に感謝。
浅草橋からの帰り、池袋の「サッポロ・ライオンビヤーホール」へ。
今日で日本滞在は最終。最後の晩餐として美味しい「生ビール」
を飲む。池袋西口のライオンへ。
約1時間半のライオン滞在で、クラシック1、エビス黒生1、
エビス・ハーフ&ハーフ1、エーデルピルス(スーパープレミアム)1
を飲む。
今日の「通風加速おつまみ」で一番は美味しかったのは
サバの桜チップスモークだった。
北海たこのカルパッチョも美味しかった。
イカとオニオンのガーリックフライもうまかった。
午後7時半、自宅へ。
最終の荷物整理。明日の朝食用におにぎり(梅・おかか)を作る。
明日は午前5時起床。午前6時半に自宅を出る予定。
小山 2005年6月~7月帰国日程
6/02 (木) P6 上尾星野理一様 銀座
03(金)帰国休暇
04(土)P5:30 高校クラス会 巣鴨
05(日)帰国休暇
06(月)伊豆高原
07(火)伊豆高原
08(水)伊豆高原
09(木)A10通院榊原記念病院(心臓)
10(金)A10須賀氏懇談(戸越銀座) P3支援者 P6支援者懇談(帯広芳村さん)
11(土)帰国休暇
12(日)帰国休暇(福島)
13(月) (福島)
14(火) (福島)
15(水) (福島)
16(木)家族療養日
17(金)P5 ブライセン 藤木社長(五反田)
18(土)A6:30モーニングセミナー杉並西(25名)
19(日)日本事務所会議 14:30~参加
20(月) 人間ドック・MRI(終日)板橋中央病院
21(火)講演会休
22(水)P1 支援者懇談 ㈱VIC
23 (木) P1:25 市立柏高校「ボランティア体験学習」授業(40名)
24(金)P1ボランティア貯金授与式(郵政公社)P7森田さんたち
25(土)P2フリースペース合宿 (埼玉別所沼会館)(25名)
26(日)フリースペース合宿(別所沼会館)
27(月)講演会休
28(火)A5:40モーニングセミナー練馬 (23名)
29(水)講演会休
30(木)A10広田麻子さん(TV番組作り)池袋メトロポリタン
7/01(金)P1:30姫路駅 大西修二さん 近畿JC加古川講演会前泊
02(土)11:25近畿JC講演会(100名)
03(日)
04(月)P3 佐々木敬三氏懇談 P6:30内田・柳沢・高橋さんたち懇談
05(火)P4:20早稲田大学社会科学部授業(250名)
06(水)
07(木)P1:30横浜市丸山台中学校講演会 (440名)
08(金)A11国際ソロプチミスト東京―東(桜田クラブ)(10名)
09(土)P4:10 神奈川県青少年海外派遣ツアー:三崎口(25名)
10(日)P1 日本事務所講演会(北区教育会館)(80名)
11(月)講演会休
12(火)A10 榊原記念クリニック
13(水)A8:30 胃カメラ
14(木)P2 Mさん懇談(教え子)
15(金)
16(土)P6支援者懇談
17(日)
18(月)
19(火)P3 シムラ(支援者:志村隆夫さん)訪問
20(水)出国 A10:30成田発 午後7時40分フエ着
講演会 10回
1018人
投稿者 koyama : 23:19 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月18日
ベトナム帰国準備②
終日 晴天。梅雨明け。
午前中、荷物整理。
パソコンは大きな箱から出し、本体と付属品に分ける。
納豆製造機とパソコン関係はリュックに入れる。
その他、ベトナムへもって行くよう頼まれた文房具、
医薬品、本などはプラスティックバッグに入れて整理し
小型スーツケースに詰める。日本料理関係の包丁、
皮むき器、日本料理の本などをきちんと詰め込む。
何とか最低限、フエへ持っていくものを詰め終える。
結局、私的なものは詰め込めなかった。
午後、池袋へ。円をドルに替える。
午後3時過ぎ、帰宅。
「友がみな我よりえらく見える日は」(上原隆:幻冬舎)読了。
2章から最終章まで。面白いという言葉では表せないが
読む価値のある本。ドキュメンタリーなのかルポなのかは
分からないが、小説のようではあるが、実際に上原氏が
インタビューし、自分の目で見た「今の日本人」の実態
である。しかもテレビや新聞に出ない「一般庶民」。
人生の「勝ち組・負け組」があるとしたら明らかに
「負け組」の普通の人々の思い・人生が私見を交えずに
語られている。
第1章の「友」は昨日書いた。
第2章「容貌」に続き、ホームレスのルポ、登校拒否の
若者へのインタビュー、テレクラ、元芥川賞作家、父子家庭、
別れた男たち、うつ病、離婚、リストラ。
読後感。どの章も人事ではない。身につまされる。
自分も自分の回りの誰さんでも明日こんな生活になりそうな
階層2極分化社会。今日の「自己責任」社会である。
東峰夫は「オキナワの少年」で1972年1月、李恢成の
「砧を打つ女」とともに第66回芥川賞を受けた。33歳。
多くの出版社がオキナワを書くよう依頼するが、
東は人間の精神世界を究明したいとの気持ちで
出版社の申しでを全て拒否。その後、ガードマンなどの
仕事しながら生計を立てる。こんな人生もあるのだ。
自分を最後まど通す人生の結末は厳しいものがある。
何人かの方から電話。フエへ無事帰るようにとの
励ましの電話。
投稿者 koyama : 18:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月17日
ベトナム帰国準備①
終日曇り。蒸し暑い。
昨日から3連休。
昨夜は帰宅が遅かった。
今日は、午前中、寝ていた。
昼過ぎ、ウオーキング。高島平団地商店街で買い物。
ニラ3束100円。トウモロコシ3つ150円。
ブランチは、茹でたニラ、冷奴、谷中しょうがと味噌、
枝豆、ソフト鮭トバ、納豆そして主食のビール(小缶ビール1)。
軽く酔いながら「友がみな我よりえらく見える日は」(上原隆著
:幻冬舎アウトロー文庫)を読む。
著者は私とほぼ同年代(2つ下)。14章の短編。
第1章「友よ」を読む。一緒に大学で学生運動をした仲間で
公務員だった田島が離婚し、酔ってマンションから落ちる。
頭部打撲で両目失明。著者が病院にお見舞いに行く場面
を描写している。何でもない場面ではあるが、人生で「勝者」
になれなかった人間の味わいを感じる。途中でうとうとする。
テレビを見る。NHK教育をつけると偶然ではあるが、
見覚えのある顔がうつる。午後3時「しゃばり場スペシャル」。
「不登校経験者の出発」三鷹フリースペースの面々。
ちひろ、ゆうぞう。ふたりとも2回、「子どもの家」に
来ている。ちひろ君は小学校高学年の時(現在16歳)。
ゆうぞう君は現在18歳。「子どもの家」に来た時に
私がつけてニックネームが「金髪男」。「子どもの家」に
来て金髪だったが、数日後に緑に変わっていた。
番組は1時間。二人の自立への歩みを淡々と伝えている。
二人が「子どもの家」へ来てから5~6年経つ。
二人の精神的な成長に驚く。佐藤洋作さんや回りの
大人の忍耐強い触れ合いも大変だったろうと推測する。
午後4時頃、JASS日本事務所の加藤健司さんが
我が家を訪問。夏のツアーなどの打合わせをする。
先日、行った横浜市立丸山台中学校での講演会の
生徒感想文を頂く。
20日のフエ帰国諸準備。
今回はパソコン1台。ピアニカ1台。絵本、クレヨン
医薬品などをベトナムへ持って行くよう頼まれ、
小さなスーツケースに入らず、荷物整理に工夫が
必要である。明日、再度整理の予定。
夕食は再度、「他人丼」に挑戦。今日はうまく出来る。
就寝前、足にお灸を据える。
大学時代の友人大極安子さんがお灸と「つぼ」を
書いた資料を送ってくれた。
大極さんの解説だと「お灸」は「火」を「久しく」するとのこと。
毎日のように据えてはじめて効果がでることがあるらしい。
今夜は足のつぼ「三里」(腰痛などに効果)と「三陰交」
(内臓・・・)へ。
投稿者 koyama : 16:53 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月16日
支援者と懇談
曇り後晴れ。蒸し暑い
午前中、「他人丼」試作。鶏肉の代わりに豚肉を使う。
うまく出来上がり試食する。異常に塩辛い。
砂糖の代わりに間違って塩を入れてしまう。砂糖と塩を
並べておいたのは間違いだった。無理して食べようと
思ったが無理。砂糖と塩を間違えた自分にショックを
受ける。
午後、ウオーキング。赤塚公園→徳丸公園 を1時間半ほど
歩く。徳丸公園・徳丸地区は井の頭・三鷹などから続く
「武蔵野林」最終点である。今でも往時の雑木林が
残っている。徳川将軍の鷹狩り場でもあった。
『1969年以前の高島平は徳丸及び赤塚田んぼと呼ばれて
いました。江戸時代は徳丸ヶ原と呼ばれ、幕府の直轄地で
鷹場、入会地でした。
1792年徳川幕府の砲術場となり、1841年長崎にて
オランダ人より砲術を学んだ高島秋帆により、日本最初の
西洋式砲術調練が行われました。
明治時代に入った1869年(明治2年)赤塚、徳丸、四葉、
西台などの村へ土地が払い下げられ水田、茶畑、桑畑など
になり・・・』(HPより検索)
夕方、東部地区の支援者と懇談。地下鉄→JR→地下鉄
と乗り継ぐ。ビール、日本酒などを飲む。
帰宅は午前12時を過ぎていた。
投稿者 koyama : 12:12 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月15日
お墓参り
午前中曇り。午後晴天、暑い。
メール15通受信。8通送信。
テレビ東京の取材打合わせ。
午前11時半、父親・先祖のお墓参りに行く。
現在は埼玉県森林公園の近くにある。
15年ほど前に文京区大塚にあった我が家のお墓を
移転した。現在は、父、兄、弟の3人が葬られている。
自宅から電車で1時間半。
父・兄・弟 3人の卒塔婆(そとうば)
予定では私が死んだら入る墓でもある。
私がこの墓を作った15年前、死んだ私が残った家族・
子ども・孫・ひ孫に何を言いたいか考えた。
最終的に私が「あの世」に行っても「この世」に
いる親族に言いたいことは、「平和」だった。
誰がどんなに非難をしようと、世の中からどんなに浮き上がろうと
私は絶対に戦争反対を叫びたい。人間は二度とあの馬鹿げた
戦争をしてはいけないのだ。平和を私の家族・孫・ひ孫などに
伝えたい。
今日は旧暦の盂蘭盆会(うらぼんえ)の中日。墓参りにいった。
私は特別宗教を信じている訳でもないが、日本人が
長い間作り上げてきた「盂蘭盆会」「お墓参り」という
伝統を否定する気持ちはない。こうした行動様式を
とって命が伝わっていくことには、それなりに意味の
あることだと思っている。
私は私の先祖に感謝の気持ちを持っている。
私の両親・祖父母・曽祖父母・その先代。
こうした人々がいて今の私があるのは事実である。
こうした先祖を敬う気持ちは人間が自然に持っている
気持ちであり、文部科学省や政府・権力者から
「先祖を敬え」と言われる筋のものではない。
お寺(一応、浄土真宗:しかし、無宗教でも可能)
には、何人かの墓参の人がいた。暑い、午後だった。
帰りに精進落しをした。池袋サンシャイン「北海道料理店」
で簡単な精進料理と般若湯(はんにゃとう)を戴いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆逆さ吊り?
[盂蘭盆会・うらぼんえ]とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。
・お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。
目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。 そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言われました。
「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。
目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。
・それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。
わが国では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。
日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによってさまざまですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています。
お寺では施餓鬼供養をしますが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行います。
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★ある僧侶のHPより抜粋
般若湯(はんにゃとう)
般若湯という単語を耳にしたことがあるだろうか。
葛根湯でも、生姜湯でもない。
般若湯である。
般若湯とはズバリ、
酒
のことである。
しかし、
仏教には五戒という決して破ってはいけないルールがある。
それは
・不殺生戒=殺してはいけない
・不偸盗戒=盗んではいけない
・不邪婬戒=不必要な性行為をしてはいけない
・不妄語戒=嘘をついてはいけない
そして、
・不飲酒戒=酒を飲んではいけない
の五つである。
だが、いつの時代でもそうだが、
ルールは破られるためにある。
それでも、あからさまに
酒
を呑むのは良心がとがめたのだろう。
僧侶等は はんにゃとう と名付け、
お湯である
としたのだ。
投稿者 koyama : 18:41 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月14日
教え子と懇談:「子どもの家」でピアノ・フルートコンサート開催
終日雲lリ。
メール15通受信。8通送信。
静岡市国際課と電話連絡。支援者に手紙を書く。
午後、15年前の教え子と3時間ほど懇談。
私が板橋区立舟渡小学校で2年生の時教えた子である。
今年23歳になるいう。当時、7歳。1年間しか教えなかった
が、印象に残っている子である。15年前の面影を残している。
昔の話、今の様子などを話す。15年前のことはかなり
忘れていたが、同級生や年上の教え子の名前を聞く中で
段々と当時のことを思い出して来た。
立派に成人した教え子を見ることが出来るのは教師冥利に
つきる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ベトナム事務所から連絡があった。
飯渕弘一さんとお子さんの こうせいさん(今日20歳)が
ボランティアでピアノとフルートのコンサートをしてくれた。
約1時間の演奏会だった。3ヶ月の長い夏休みである。
アクセントのある日々を「子どもの家」でも準備したいもので
ある。そうした意味では、今夜のコンサートは本当に
ありがたい。子どもたちは、ピアノとフルートの
生演奏を聞く中で、心のどこかにピアノやフルート、音楽の
よさ、楽しさが残ってくれれば良いと思う。
●「子どもの家」でのボランティア演奏会
●フルートを演奏する飯渕弘一さん(お父さん)
●ピアノを演奏する息子の飯渕こうせいさん
7時半に演奏会は終了
午後8時過ぎに息子のこうせいさんの誕生祝を行う。
ボランティアで演奏会をして頂いたお礼に
ベトナム事務所主催でこうせいさんの20歳の誕生祝いを
行う。
●ピアノをかたどった誕生ケーキを松下さん・ソン君から贈呈
投稿者 koyama : 11:20 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月13日
胃カメラを飲む
終日曇り・雨。とても寒い。
午前8時前に自宅を出て病院へ。胃カメラを飲む。
病院の消化器科受付で1時間ほど待つ。
最初に医師の診療。人間ドックの結果をチェックし、
胃カメラ診断の説明を受ける。人間ドックの結果では
胃の底部に影があり、悪性腫瘍の可能性がゼロでも
ないとのこと。万一のこともあるので、胃カメラ検査
をするとの説明であった。
2階の内視鏡検査待合室へ。院内感染防止のため
C型肝炎調査。採血。
更に40分ほど待ち、内視鏡検査室へ入室。
●最初に胃の洗浄のための液体を飲む。
●しばらくして、喉に麻酔をかけるための麻酔液を口内にいれ、
喉に麻酔がかかるのをしばらく待つ。歯医者で麻酔をかけられ
た時のように舌がしびれてくる。口内の喉近くにためていた
麻酔薬を飲み込む。
●胃を固定するための皮下注射を肩にする。
●内視鏡のある部屋に入る。
・10センチ程の穴のあいたプラスチック製のマウスピース
を口に入れる。
・その穴から親指大の内視鏡を入れる。喉に入った頃から
吐き気がする。ゲップを出さないようにといわれているので
吐き気を我慢する。初めての体験でもあり、かなり苦しい。
看護師さんが背中をさすってくれる。こうした看護師さんの
何ともない行為が患者には安心感を与える。
・胃の中に異物が進入するのが分かる。麻酔は喉だけ。
しかも半麻酔程度。
・横になって内視鏡を飲んでいる。目の前にはテレビの
モニターがあり、胃の内部が映る。きれいなピンク色を
している。
・食道→噴門→胃→幽門→十二指腸などに胃カメラは
入っていく。その都度、医師が状態を説明する。
私は苦しく、あまり話は耳に入らなかった。
・10分ほどで内視鏡検査は終わる。
・喉と口の麻痺は続く。看護師の話では、1時間ほど
は麻酔がかかっているとのこと。
●消化器科の受付でしばらく待つ。
・30分ほどして呼び出し。
医師の話となる。内視鏡検査室からは、検査各部の
カラー写真が送られてきていた。
1枚1枚の胃の写真を示しながら検査結果を知らせて
くれる。胃の底部に胃炎の症状があるという。
これは、「加齢」により、胃壁が薄くなることでも起こる
とのこと。悪性腫瘍の心配はないとのこと。
・診断は慢性胃炎。今後は、ストレス、過労、不眠、
暴飲暴食に注意が必要とのこと。
・私の最大の関心事である「飲酒は?」との質問に
「飲みすぎ注意」とのこと。
昼過ぎに自宅へ帰る。朝食・昼食を摂っていなかったので
朝・昼兼用の食事。寒いの煮込みうどんを作る。
妻は体調が悪く寝ている。
今回の帰国で総合的な健康診断を行った。
問題点については、相応の手当てをしたつもりである。
・長年付き合っている心臓・高血圧・高脂血症。
降圧剤を飲み、今後は規則正しい生活、合計1時間の
ウオーキングが必要。
・胃の影問題は解決。
・通風は、飲みすぎと高いカロリーのおつまみに注意。
年齢的なこともある。事前に対策を立てて防げる
病気は健康診断→治療という努力をしたい。
生身の人間である。突然の病気、防げない病気も
ある。
最大限、防げるものは努力・防止し、寿命まで
精一杯、有意義な人生を送りたいものである。
毎年1回の健康診断は「努力」の範囲である。
今回の人間ドック、脳ドック、心臓病通院、胃カメラで
約10万円の医療費がかかった。
高いのか安いのかは何ともいえない。ベトナムやアジア、
アフリカ諸国では、この程度の健康診断すら受診できない。
そうした意味では、これらの高度の医療を受けられる
私たちとその他の国との「南北格差」を実感している。
同時に私の収入からすると月収よりも遥かに高い
医療費でもある。いずれにしろ、今、病気になれない。
7月20日にはフエへ帰り、しなければならない仕事が
たくさんある。もうしばらくは元気に活動したいもので
ある。健康は活動をするために必要なものである。
夕食は「親子丼」「とりの竜田揚げ」の練習。美味しく出来る。
半日程度の通院ではあるが、それなりに疲れるものだ。
11通のメール受信、11通の送信。
今日の朝日新聞朝刊にある後藤田正晴元副総理のインタビュー
は含蓄のあるものだった。
自民党の内務官僚であり、「戦後政治の総決算」を呼号した
中曽根内閣の官房長官でもあった後藤田氏にはあまり
良い印象をもっていなかった。
今日のインタビューの中で「極東裁判・東京裁判」の判決
は受け入れるべきものと言明し、安部氏など一部の戦争
体験のない政治家の暴言を戒めている。
東条英機やA級戦犯には戦争責任があると言い、
サンフランシスコ講和条約を受け入れた時点で
東京裁判を認めたのであると断言している。
「負け惜しみの理屈は止めたほうがいい。サンフランシスコ
講和条約は戦後日本が国際社会に復帰し、新しい日本を
築く出発点だ。それを否定して一体、どこへ行くんですか」と
言い、自民党や民主党などの一部政治家が呼号する
「大東亜戦争は西欧の侵略からアジアを守る聖戦」
との主張を批判している。
A級戦犯は戦争の責任を取ってもらわなければならない
人たちであり、靖国神社で神にするのはいかがなものか
とも言っている。
「今、国民全体が保守化しつつあるが、それを背景に
政治家がナショナリズムをあおり、強硬な態度をとれば
間違いない、という空気がある。大変な過ちを犯している。
アメリカのそばにいれば安心だというのは一つの選択だが
中国や韓国を敵に回していいはずがない。地政学的な
配慮が足らん。アジア近隣諸国との友好こそが大事な
ことだ」といい、昨今の超右翼的日本の傾向を批判している。
政治的な立場は違うが、それなりの見識をもった人である。
後藤田氏のこの発言が浮き立つほど今の日本は危ない
所に来ている。ファシズムの前夜である。
思想信条を超えて、ファシズムに反対する全ての人々の
共同が今こそ必要である。
「二度と戦争はしない」との決意をl新たにした。
子どもと孫を戦争には送らない。私は戦争にも行けない
年齢になってしまったが・・・。
投稿者 koyama : 14:52 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月12日
通院 ・「タバコ」を読む
終日曇り。寒い。
今日は最後の心臓通院日。(7月20日フエへ帰る)
ベトナムで服用する心臓の薬をもらう。
午前8時半に家を出て地下鉄三田線・春日駅で
大江戸線に乗り換え都庁前へ。
都庁前では、東京土建(全建総連)の組合員の皆さん
数百人が集会を開いていた。こうした集会は
憲法で認められた集会の自由の具体化であり、正当な
行動である。しかし、せっかく人が集まるのなら
もっと頭を使った集会にすれば、などと老婆心ながら思った。
集会はほどんと通路を占領していた。盲人用の黄色い
通路にも人が立っている。集会中は障害者も一般市民も
都庁前を通れない位だ。ラウドスピーカーを使い大音量で
演説している。しばらく立ち止まって話を聞いた。
東京土建は建築労働者の組合である。アスベスト
問題なども言っていた。
この種の集会を第三者の立場で見ていると、何の
目的で集会をしているのか、はなはだ疑問になる。
一般市民には、「うるさく」、「通行を阻害」する人々としか
映らない。都庁前の通路を含めて全面を占領している
人々は、都民・市民に何かを訴えている訳ではない。
都庁の職員に言っているのでもなさそうだ。
石原都知事などそもそも聞く耳を持っていない。
結局この集会は東京土建という労働組合の内部の
人たちの団結をお互いに確認するもののように
思えた。徹底して「内向き」の集会だった。通行する
都民・市民の存在は全く頭にない皆さんの態度である。
参加者の大半は中高年。多摩からたくさんの組合員が
参加していた。
せっかくこうした集会を開き数百人の人間を全都から
集めるのなら、わざわざ都庁前で「内向き」集会を
自己満足的にするのではなく、全都議会議員を訪問し
訴え・説得したり、チラシを配り東京土建が何をしたいのか
何を要求しているのかを都民・市民に訴えた方がよほど意味と
効果があるように思えるのだが・・。
「前世代・時代」の集会スタイルである。
この労働組合の役員の頭の中が分かるというものである。
時代が読み取れない人たちである。
鉢巻とゼッケン、大音量のスピーカーでがなりたてる
スタイルをいつまで続けているのだろう?
人ごとではあるが・・・・・・。
心電図をとる。その後診療。前回通院した時に採った
血液検査の結果が分かる。先日の人間ドックと同様、
高脂血症・高尿酸血症(通風)とのこと。
医師から日常生活の諸注意を受ける。内臓などを食べない、
野菜中心の食事。適量のアルコール。ストレスの除去・・・。
毎日服用する3週類の薬をもらう。ベトナム滞在中にも
服用。
明日は「胃カメラ」検査。今夜は午後9時以降一切の
飲食は禁止。明日も飲食抜きで8時45分までに
病院へ行くことになっている。
「タバコ」(加治正行・笠井英彦著:大月書店)を読む。
※大月書店 03-3813-4651
中学・高校生向きに書いた本ではあるが、成人の
喫煙者にも読んで欲しい本である。
実に科学的な本である。感情的に「タバコが嫌い」
という立場から書いたものではなく、子どもたちに
具体的な事実を示し、子どもたちに知的理解を
促しながら、「卒煙」(そつえん)の重要さと具体的な
可能性を教えている。医師だけではかけない本である。
現場体験の豊富な教員がいてはじめて書ける本だと痛感。
著者の加治正行氏は静岡県子ども病院内分泌代謝科医長、
笠井英彦氏は静岡市立東中学校の社会科教諭であり、
「ベトナムの子どもの家を支える静岡の会」事務局長でもある。
タバコはニコチン依存症になるという基礎的な事実から
解き明かし、「タバコに支配される人生」か「タバコのいらない
人生」かを子どもたちに突きつける。
そして、自らの意思でタバコをやめる「卒煙」を勧める。
●タバコの害は「身体に一酸化炭素」がたまることである。
タバコを吸って一酸化炭素が体内にたまると、体内の
酸素を追い出してしまう。酸欠状態となり、運動不良、
発育不良となる。
●タバコにはタールが含まれている。タールには
発ガン物質がたくさん含まれている。肺がんをはじめ
ほとんど全てのガンにかあkりやすくなる。
特に15歳までに喫煙を始めたひとの死亡率は
吸わない人に比べて30倍も高い。
●老化を促進する。
ニコチンは血管を収縮する作用がある。血流が悪くなり、
全身に栄養や酸素が届かなくなり老化がはやまる。
●タバコを吸うとニコチンの作用で内臓に皮下脂肪がたまり
コレステロールが増え、動脈硬化症が進行する。
●タバコによる経済的損失 年間 7兆4000億円
・喫煙することが原因の医療費 1兆2900億円
・受動喫煙者医療費 146億円
・病気になったことで失われる労働力 5兆8000億円
・タバコが原因の火災 2200億円
★タバコ税 2兆2000億円に比べると膨大な損失。
●タバコの自動販売機 65万台もある
自販のタバコ売り上げ 1兆9866億円。未成年の75%は
自販機で買う。
●世界中ではコマーシャルでタバコの宣伝をしていないが
日本では「たばこ事業法」でタバコの販売と売り上げ増進を
国が推進している。
日本たばこ産業は年間 3兆5000億円のもうけがある。
●タバコをやめたい人は「ニコチンパッチ」でやめられる。
●卒煙希望の方は
・まゆみ先生の禁煙外来(東京女子医大禁煙外来)
http://www.venus.dti.ne.jp/^drmayumi/
・禁煙ジュニアマラソン(奈良女子大高橋雄裕子先生)
http://kinen-marathon.jp/course/junior/
喫煙は個人の自由の範疇を超えている。
喫煙が原因での膨大な医療費。タバコ税をはるかに
超えた無駄遣いである。喫煙が原因で病気になり
膨大な医療を使う。もはや喫煙は個人の自由などと言って
はいられない。国家が「麻薬犯罪」を推進しているような
ものだ。
タバコ問題の新聞記事には決まって「喫煙者は肩身が狭くなる」
などという表現が良く出る。
しかし、日常的に喫煙の苦しみを我慢しているのは、タバコを
吸わない人たちである。
私など個人で「飲み屋」には行かない。飲み屋で飲んでいると
突如隣に来た客がタバコを吸いだす。全ての煙が私にかかる。
はじめは気持ち悪くなり、しまいに目がちかちかしてくる。
そのうち、鼻水が出てくると言った状態で、未必の
拷問である。お酒もなにもまずくなってしまう。
最低、食事をするところ、人の集まるところでの喫煙はやめて
欲しいと念願している所である。
投稿者 koyama : 15:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月11日
1日 休暇
終日曇り。蒸し暑い。
午前中、昨日の現地j報告会に参加された方にお礼状を
書く。
午後、徒歩30分にあるコジマ電器へ買い物。
プリンターのインク。往復1時間歩く。
途中、郵便局で5通ほどの郵便を出す。
納豆菌を買うため、現金書留で山形の納豆菌研究所に
送金。
小さい郵便局には大勢の人が来ていた。
近くの大学生がサークルか何かの郵便、数百通を
出していた。受付の人は延々と数百通の封筒を数えている。
10人ほどの人が待っている。後ろに管理職のような人が
ボーッとしているがお客には無関心。10分、20分と時間は
経過してゆく。「一言」と思ったが、疲れるからやめた。
やっと大学生の郵便の山がなくなりかけた頃、ブラブラしていた
管理職が手伝いに来た。
郵政民営化問題がこれほど世間の話題になっているのに
この「親方日の丸」振りには、言葉が出ない。
この郵便局で仕事をしている人は、世間の動きと全く
関係なく生きているようである。自分の身分や将来が
大きく変動しようとしている事態の理解が弱いのか・・・。
先日、ボランティア貯金の決定書交付式に出席し
生田総裁の挨拶を聞いた。地域社会に密着した
郵便局になるよう努力しているとの話しだったが、
現場には「危機感」がないようだ。組織が大きくなりすぎると
恐竜と同じように自滅してくのだろうか?
コジマ電器まで高島通りを歩いた。通りの両側に大型車両が
止まり、運転手がエンジンをかけたまま、車中で眠ったり、
休憩していた。二酸化炭素排出問題、ガソリンの値上げなど
を考えると、いかにももったいない話だ。運転手さんの疲れた
顔で居眠りしている様子を見ると、何だか悲哀を感じた。
超過密労働を強いられ、眠る時間もなくし仕事しているのかと
も思える。喫茶店やファミレスで休むお金や車の駐車代などを
考えるとこうした方法しかないのか?
小池環境大臣、クールビズも良いが、車の運転席で仮眠する
労働者がいる「豊かな日本」の現実を何とかするのも
政治ではないだろうか?
夕方、西台駅前の本屋へ。
「通風はビールを飲みながらでも治る」という何とも
強い味方の本があった。直ぐに買った。
通風がひどくなると痛いとの話しを聞く。
ビールが一番悪いとの話しも良く聞く。今、私から
ビールを取ったら何が残るのかなどと言う気はないが、
出来たらビールは飲みたい、通風は治したいと思って
いた。まやかしの本でないことを祈る。
「不屈のために」(著:斉藤貴男、筑摩文庫)を読む。
日刊ゲンダイなどに書いた文書をまとめたもの。
目次紹介
1、エリートと非エリートの格差を広げる言葉
2、何でもツツヌケ社会の言葉
3、強者のいうなり社会
4、戦時シフトに慣らされる言葉
5、思考停止に役立つ言葉
6、日本の近未来が分かる言葉
ファシズムに近づく日本の現状を告発する本。
斉藤氏はかなりはっきりと物を言っている。
その内容の大半は同意できるものである。
同時に斉藤氏は自分の意見を言いつつ、
行動もしていることである。言行一致。
今の日本のお偉いさんにない姿勢である。
10通のメール受信。11通の)送信。
夕方、糠床の整備。
投稿者 koyama : 17:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月10日
JASS 現地報告会
午後1時から北区教育会館でJASS主催の現地報告会
が行われた。80人の参加。
はじめに私が現地報告を行う。現地の自立に向けた
諸取り組み、数年以内の会収束に向けての努力
などを話す。
続いて1年強、日本語学校で日本語教師をした
坂本文子さんの現地体験報告。
その後、休憩。休憩中に会場後ろで「持ち込みフリーマーケット」
が行われた。参加者が各自で物を持ち寄って販売し売り上げを
会に寄付するというもの。内田さん・高橋さん・影山ささん・若林
さんたちの販売したベトナムコーヒーの売り上げを含めて
5万円強。JASSへ寄付して頂く。
休憩後、カナダの高校で勉強し大学に合格した益子萌さんが
「子どもの家」・カナダ体験談を話す。
報告会の最後に「子どもの家」へツアーで2回来たことのある
OSONOさんから「天声人語作文コンテスト」で入賞した
賞金(3万円)を寄贈していただく。「子どもの家」訪問での
体験・感想。
同時に同じ高校の同級生・長嶺さんから預かった作文
コンテストの入賞賞金(3万円)も頂く。
二人の高校生の支援金寄贈に感謝。
現地報告会には札幌から岡本さんも参加。
岡本さんは8年ほど前に「子どもの家」のタンさんなどを連れて
愛知県に行った時、両親が受け入れてくれた。
その後、中学・高校生の時に2回「子どもの家」を訪問。
現在、江別市の酪農学園大学の4年生。10月に同校で
私の講演会を準備中である。
フエの日本語学校で日本語教師をしている松下先生が
一時休暇で帰国中。現地報告会に参加。十分休んで
7月中旬から再度日本語学校で頑張ってもらいたい。
前のJASS事務局長の大西さん・船崎さん一家も参加。
お子さんも大きくなっていた。
大西事務局長・船崎会計部長時代が長く続いた。
お二人の努力がJASSの基礎を作り、発展させた原動力で
ある。お二人のお子さんとの幸せな家庭生活をエンジョイして
いるようである。二人のお子さんの健やかな成長を祈る。
私の高校同級生 五井君・北田君も来てくれた。
仕事で忙しい中、感謝。16歳からの付き合い。
既に40年以上経過している。40年たっても
変わらない友情に心から感謝している。
報告会は午後4時半に終了。
報告会終了後、参加者有志で懇親会。
帰宅は午後8時半。
三回目の納豆を作る。60%のでき。気温・納豆菌の量など
諸条件を総合的に考えて作るのはかなり難しい。
投稿者 koyama : 20:21 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月09日
神奈川県青少年海外派遣事業「事前研修会」へ
終日曇り・雨。
午後12時過ぎ自宅を出て、神奈川県主催の
青少年海外派遣事業ツアーの事前研修会へ。
同ツアー(18人)は8月16日から21日までベトナムを
訪問する。「子どもの家」を訪問し子どもたちと交流する。
参加者の小・中・高校大学生は事前にフリーマーケットを行い
寄金を集め、「子どもの家」に扇風機を寄付してくれる
とのこと。
事前研修会の会場は 三浦半島の最南端の「三崎口」。
自宅から三崎口までは約3時間。三崎口からバスで和田。
和田から徒歩20分。
会場の「三浦ふれあいの村」へ。直ぐ裏が海。大和田湾。
午後4時半から始まった事前研修会には20数人が参加。
小学生から大学生まで。ボランティア、「子どもの家」、
ベトナムの現状などを1時間ちょっと話す。
話しした後、いくつかの質問に答える。
とても真面目な参加者だった。
財団法人 神奈川県青少年協会の藤尾専務理事などと
懇談。
午後6時近く、三崎口駅から帰宅。
自宅着 午後9時。
投稿者 koyama : 09:59 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月08日
国際ソロプチミスト東京ー東より支援金
午前9時半に自宅を出て内幸町へ。日比谷公園の脇を通り
桜田クラブへ。
桜田クラブの隣に「日本酒造会館」があった。ちょっと
立ち寄ってみた。日本中の地酒がおいてあった。
「和らぎ水」というものがあること知った。
美味しく日本酒を飲むなら、美味しい水をお酒の隣に置き、
お酒をゆっくり飲み、時々、水を飲むことで「悪酔い」「二日酔い」
などをしないで、美味しく日本酒が飲めるとのこと。
適量を知ることも大事なことだそうで。適量の一応の目安は
2合だそうだ。
桜田ビル内にある桜田クラブへ。
国際ソロプチミスト東京ー東の役員の皆さんの会合が
あった。
国際ソロプチミスト東京ー東は8年前から「子どもの家」や
「ベインビエン」への支援を続けている。
今回はベインビエンへの支援を頂いた。
会長の小川さんは、個人で里子支援も行っている。
長い間の支援に心から感謝。
我が家から地下鉄三田線で内幸町へ行ったが、
ロンドンでの爆弾テロのことが若干頭にあり、「万が一」との
思いがよぎった。ロンドンの爆弾テロの犯人を厳しく
糾弾したい。いかなる理由でも許されるものではない。
「テロとの戦い」と言うのは、簡単だが、実際にテロとの
闘いは無防備の一般市民が最前線で戦わされているのが
実情である。
今回もG8サミットに参加したブッシュ大統領や小泉首相、
ブレア首相など「テロとの戦い」を呼号している人々は
特別警戒体勢の中で安心して会議を行っている。
爆弾テロと最前線で戦わされているのは一般市民だった。
多くの市民が何も知らされない中で爆弾テロの標的となり
「テロとの戦い」の最前線に立たされていた。
小泉首相はロンドンの爆弾テロを受けて「テロとの戦い」
「日本での警戒を一層厳重にする」との記者会見を行った。
しかし、今朝、東京のイギリス大使館に男が侵入した
そうだ。小泉首相の「警戒を厳重にする」との言葉が
空しく感ずる我が日本である。
一般国民を盾に口先だけ「テロとの戦い」と言っても
空しい。「自衛隊のいる所は、非戦闘地域」と言って
憚らない我が首相である。この口先首相の言うことを
信ずることは出来ない。
投稿者 koyama : 19:03 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月07日
横浜市立丸山台中講演会
終日曇り。午後雨。
午前10時過ぎに自宅を出て、横浜の先にある
上大岡駅乗り換え上永谷駅で日本事務所の加藤さんと
合流。1時間半ほどかかった。
車で待っていてくれた日本事務所の森田さんと落ち合う。
午後1時過ぎ、横浜市立丸山台中学校を訪問。
校長室で谷校長先生と懇談。谷校長先生は世界の貧困問題
を深く憂慮している心ある校長先生である。
午後午後1時半から午後2時20分まで体育館で
全校講演会を行う。440人の生徒。
50分の話のあと、生徒からの質問もあった。
最後に生徒から花束をもらう。
その後、若干の時間を空けて、生徒会役員(30人ほど)と
別室で懇談を行う。午後4時過ぎ終了。
4年前から生徒会が生徒に「靴のボランティア」を呼びかけている。
子どもたちが使った靴を集め、ベトナムに寄付。
今回も生徒会の呼びかけで7月15日、19日、8月31日、
9月1日と4回に分けて、使った靴を回収しベトナムへ送る
運動を行っている。
丸山台中学校は校長先生をはじめ、担当の菱川先生など
世界に目を向け、子どもたちの将来を考えている先生がいる。
こうした学校がもっと増えることを願っている。
同時に今回の講演会には丸山台中学校のPTAの皆さんも
協力してくれた。
校長先生を先頭に担当の菱川先生、そしてPTAの皆さんと
協力体勢も出来ている。学校と親の協力体勢があることが
何よりも大事なことである。
谷校長先生、副校長先生、担当の菱川先生、PTAの
役員の皆様に感謝。
帰りは森田さんの運転で高速道路を通って自宅まで
送ってもらった。午後6時頃、自宅着。
ロンドンで大きな爆弾テロがあった。卑劣な行為。
投稿者 koyama : 19:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月06日
手作り「豆腐」
雨のち曇り
午前中、西台駅前のダイエーに買い物へ行く。
にがり、大豆など豆腐作りの材料を買う。
午後、豆腐を作る。近畿青年会議所の「GTS」
ツアーで「子どもの家」へ来た和歌山新宮青年会議所の
戸塚さんから「豆腐の作り方」のHPを教えて頂いた。
戸塚さんは、豆腐工場を経営している。「子どもの家」で
手作り豆腐を作ってくれた。
戸塚さんから送って頂いたHPを見ながら、手作り豆腐に
挑戦した。
大豆をミキサーで砕き、木綿の布でこす。
豆乳とおから(卯の花)に分離。
豆乳を火にかけ沸騰させる。その後、5分ほど弱火で煮る。
もう一度布でこす。
豆乳を80度に温める。
弱火にして「にがり」を入れる。何度もかき混ぜる。
火を消して鍋のふたをして10分ほど待つ。
布を敷いた入れ物に固まりつつある豆腐を入れる。
おもしを乗せ7分ほど待つ。
もめん豆腐の出来上がり、となる筈だったのだが・・・。
結果的には60%程度の出来だった。
次回は、ミキサーで砕いた大豆と水を煮るようにすると
うまく出来るようだ。また、にがりの量の調整。
今回作って見ておおよその作り方は理解出来た。
200グラムの大豆を使って作った手作り豆腐を
食べてみた。味は良かった。
夕方、高島平の商店街へ買い物。商店街の半分が休みだった。
本屋で「和食の作り方」という本を買う。
「マルクス入門」(今村仁司著:ちくま新書)読了。
入門となったいるが、かなりの基礎知識がないと読みこなす
のは難しい。
ソ連崩壊後、マルクスは忘れ去られた人になった、それは
ソ連型(スターリン主義)「マルクス主義」の崩壊であると
著者は断言し、資本論を中心、そもそもマルクスは
何を書き言ったのかを検証する。
著者は「マルクスは資本主義を高く評価し、もっとも徹底して
研究した」とし、資本主義を経過した社会を構成する
市民の共同体をギリシャの市民像を想定したいたと説く。
著者は東京経済大学教授。社会哲学・社会思想史という
切り口でソ連圏崩壊後、改めてマルクスから何を学ぶかを
提起している。
夕食は野菜カレーを作る。
テレビでは、1日、郵政民営化法案をめぐる自民党内の
ゴタゴタと若貴兄弟の「けんか」を延々と報道している。
マスコミは国民に「めくらまし」を食らわしている。
郵政民営化・若貴問題が今私たちをめぐる最大の問題
ではない。
「1日ももたなかった年金改悪」、「大増税・庶民泣かせ」の
税制改悪、憲法改悪、障害者いじめの障害者支援法
など庶民・国民の運命を決定するような大きな問題には
全くメスがいれられていない。
日本では、マスコミが報道していないことに問題の
本質があるように思える。
昨夜午前2時過ぎ目が覚め、眠れないままに
ラジオを聴いていた。TBSラジオで「爆笑問題」の
太田氏が40分にわたり大演説をしていた。
内容は、愛国心、憲法・教育基本法、平和問題である。
爆笑問題の太田氏は、自分は愛国心を持っている。
それは、憲法9条を守り、戦争をしない、人殺しをしない
という日本に対して愛国心をもっている。
戦後60年、私たちが守ってきたものは、二度と戦争をしない
との誓いだと話していた。ラジオでそこまでいうのかというほど
率直に今の憲法改悪・9条をなくす動きを厳しく批判していた。
この人は自分のしっかりとした考えを持って漫才という仕事
をしていることが分かった。
日本に帰って来てテレビをつけるが、馬鹿馬鹿しい番組
ばかりであまり見る気がしない。特にバラエティー番組。
下品でうるさくて、人を馬鹿にする番組が多い。
爆笑問題がいつまでマスコミに出ていられるのか心配に
なった。
投稿者 koyama : 16:51 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月05日
早稲田大学社会科学部「国際協力」授業
終日曇り。
11通のメール受信。7通送信。
先日行った人間ドック、脳ドックの結果が届いた。
高脂血症・高尿酸症・肝臓肥大・胃の粘膜不整像で
胃カメラ検査が必要とのこと。
高尿酸症とは「通風」のこと。飲酒も大きな
原因。「お酒をやめろ」は死ぬと同義語。
60年近く使った臓器はどうしても「ガタ」が来るもの。
近日中に胃カメラを飲むことにする。
高尿酸症対策は「保留」。
午後1時半、自宅を出て早稲田大学社会科学部の授業。
午後3時過ぎから担当の内田先生と1時間ほど懇談。
1970年代、シャプラニールの事務局長として
バングラディシュで活動したとのこと。
午後4時20分から国際協力論の授業。250人の学生。
1時間ちょっとストリートチルドレン・ボランティア・
NGO・海外支援・現地の自立などを話す。
その後、学生からの質問に答える。午後5時50分授業終了。
授業終了後、一人の学生がやってくる。
24年前に滝野川第七小学校で教えた生徒だった。
現在34歳。就職をした後で勉学の意欲に燃え
「低賃金労働者の実態」の研究のため早稲田大に
入学したとのこと。当時私は33歳。丁度彼と同じ年頃。
その頃私は落語や講談、漫才などに凝っていた。
学校に「落語クラブ」(お話しクラブ)を作り、子どもたちに
落語を教えていた。I君は今でも私が教えた「寿限無」を
いえるそうだ。I君は「落語クラブ」の生徒。
人間の縁とは不思議なものである。
午後6時に授業を終え、帰宅。
テレビでニュースを見る。郵政民営化法案の衆議院採決は
5票差で可決されたとのこと。自民党の「反対派」もかなり
追いあげたようだ。小泉首相も末期症状を呈している。
37人の反対と14人の欠席など、党内の恫喝と締め付けが
効かなくなって来ている。
公明党の支援・協力がなければ何も出来ない首相である。
長期的には自民党の解体崩壊過程が深化していると言える。
人間ドックの結果を見ながらビールと吟醸酒を飲む。
吟醸酒「初亀」は静岡の巣山先生から頂いた静岡の酒。
香り良し、品のある味。巣山先生に感謝。
私の大好きな小樽の「ソフト鮭とば」と自家製の糠漬け
(カブときゅうり)、美味しく出来た手作り納豆をおつまみに飲む。
美味しい吟醸酒を飲みながら人生の喜びをかみしめる。
至福の時。
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2005年07月04日
フリー映像佐々木さんと懇談
終日雨。一日寒い。
今朝、「改定納豆」がうまく出来ていた。前回の反省に
基づき、柔らかく、粉末納豆菌を多めに接種した。
前回より粘りが出てきた。24時間冷蔵庫で熟成する。
明日、美味しく食べられる「予定」。250グラム。
午前中、メール受信・送信。
午後、新宿東口の閉店した「談話室 滝沢」前で
フリー映像の佐々木さんたちと懇談。
8月からのテレビ取材の打合わせ。
午後6時半、新宿西口交番前でJASS「三人娘」と待ち合わせ。
懇談。里子のこと、ボランティアのことなどを話し合う。
8月のバーベキュー大会の費用を高橋さん、内田さん、柳沢さん
影山さんの4人から頂く。学費支援のVU君の近況と
今後の生活などについて相談する。
午後9時半、懇談を終え帰宅。「子どもの家」や
ベトナム事務所などへの長い間の支援に感謝。
自宅着、午後10時半。
26通のメール受信。「子どもの家」で問題が起こった。
早速、ミンさんと連絡をとり対策をたてなければ・・・。
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2005年07月03日
東京都議会議員選挙
午前7時半、近くの小学校の投票所へ。都議会議員選挙。
午前中、17通のメール送信。
昨夜から水に漬けておいた大豆を使い「納豆」の仕込み。
前回の反省を踏まえ、粉納豆菌を3倍入れる。
大豆煮の時間を前回の3倍かけ一層柔らかくなるように
煮る。24時間28度に保つと納豆が出来上がる。
明日午前中に出来上がりる。その後、12時間冷蔵庫で
熟成。
ぬか床に新しいぬか、ニンニク、唐辛子、煮干、こぶなど
を入れ、ぬか床を整備する。
午後、「教育評論」の連載原稿(1600字)を書く。
夕方、高島平団地内の商店街へ買い物。
なす10個で90円。葉付き枝豆88円。
終日読書。
「出ない杭は腐る」(清水修二著:(株)ミュゼ)
※株:ミュゼ 03-5488-7781
読んでいるうちに何故か引き込まれ一気に読んでしまった。
著者は福島大学経済学部教授。
清水氏のエッセー集であるが、一読の価値は十分ある。
話題が「イギリス滞在記」から映画論(ピンク映画も含む)、
短編小説、更には日本共産党への手紙まで多岐に
わたっている。
著者の教養と人間的なエネルギーの奥深さを感じさせる。
著者は1948年生まれ。私より1年年下であるが、ほぼ
同時代を生きてきた訳である。
この本を読んで一番感じたのは著者の民主主義的な感覚で
ある。一つの出来事を多面的な視点で見ることの出来る
教養と人間性に感服する。
えてして人間は「教条的」になるものである。
このエッセー集を読むと清水修二という人間が、どのように
生きてきたのか、清水修二氏の生きてきた『軌跡』が
想像できる。
学生時代何をし、大学の教師になってどんなことがあったを
勝手に想像してしまう。
このエッセー集は読後に清水修二論を書きたくなるような
衝動を書きたてるに十分な刺激がある。
続編が読みたくなるような知的刺激を受けるエッセー集である。
巨人ー広島戦をテレビで見る。
画面左下に「長島茂雄さん観戦」と常時テロップが出ていた。
リハビリで野球観戦が出来るようになったことについては
「大変でしたね」と声をかけたい。しかし、
もう長島・長島の時代じゃないでしょ?と言いたい。
巨人・長島中心のプロ野球の時代は終わった。
今年から始まった「交流戦」でパリーグの選手の力量と
魅力をテレビで知ってしまった。
「マスコミに作られた巨人」しかテレビで見られなかった
「巨人大鵬玉子焼き」時代を経過し、いまや巨人の時代
は終わった、というか日本のプロ野球の時代が終わったと
言っても過言でない状況である。
「長島茂雄さん観戦」でプロ野球にフアンが戻ってくると
甘く考えているテレビ局や読売グループには今日の
巨人ー広島戦の視聴率が回答を与えるであろう。
※13.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
開幕から6月末までの巨人戦ナイター視聴率の
平均12.0%を1、5%上回っただけ。大きな変化は
なかった。
4-1で広島が勝った。
都議会議員選挙開票。自民党が3議席減らし第1党。
自民、公明、民主の改憲勢力が84%となる。
自民48、民主35、公明23、共産13、ネット3・・・。
ウーン。次の言葉が出てこない。
投票率43%では、都民を代表することにはならない。
総選挙・2007年の参議院選挙を象徴する
結果となるのであろうか?
投稿者 koyama : 18:53 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月02日
2005年近畿青年会議所フォーラムで講演
兵庫県加古川市(人口13万人)は雨だった。
昨晩は加古川のホテルに1泊。
午前10時に和歌山青年会議所の方がホテルに迎えに
来てくれる。加古川勤労会館で講演会。
午前11時25分からフエでの「GTS」の様子をビデオで
紹介。「子どもの家」の庭のコンクリート張り。
オートバイ修理研修センター庭の縫製工場建築予定地の
整地作業、子どもたちとの交流の様子など。
午前11時40分から12時40分
までの1時間、ボランティア、
支援などについて話す。タイトル「ボランティア啓発活動」
講演会後、参加者と懇談。
午後1時半、加古川駅から姫路へ。
偶然、姫路から東京への直通の新幹線があり東京へ。
午後6時、自宅着。
投稿者 koyama : 20:10 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月01日
姫路城見学・大西修二さんと懇談
午前9時過ぎに自宅発。午前10過ぎ、東京駅発の新幹線
で姫路へ。新大阪経由。
午後2時、姫路駅着。30分ほど時間があったので、
姫路城(白鷺城)を参観。参観者は少数。多くは外国人。
新幹線姫路駅からは1キロほどの所に国宝姫路城はある。
駅前から商店街を通って姫路城へ。
全国を回っているが、どこへ行っても町の様子は同じように
見える。それぞれの町の個性がなくなっている。
商店街の途中に昔のお店があった。うどんもそばもラーメンも
作っている昔ながらのお店。こうした店に出会うとほっとする。
更に姫路駅から加古川駅へ。加古川で大西修二氏と懇談。
大西氏は姫路青年会議所所属。今年4月の近畿青年
会議所の「GTS」(グローバル・トレーニング・スクール)で
「子どもの家」を訪問。
大西氏と研修生派遣事業の件で懇談。
姫路・加古川は雨だった。