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2006年01月31日

1日自宅

雨のち曇り。

寒い。

この2週間ほどかなり忙しく動き回った。その反動か
疲労蓄積。今日は1日ゆっくりと休む。

パソコンの調子が悪く修理に半日を費やす。

「赤い月(上)」(なかにし礼)読み終わる。
旧満州(現中国東北部)がどのように出来たのか?
なかにし礼はかなり豊富な資料にあたり本書を書いた
と思われる。なかにし礼の実体験を基礎にして書いた本なの
で描写がリアル。満州に渡った多くの日本人が半分は
国策で満州へ渡ったが、半分は積極的に渡った人たち
であることが、本書でも読み取れる。満州国がどのように
出来、どのように中国人から土地を取り上げて行ったのか?

午後買い物。きゅうり1本130円には驚いた。


今日で1月が終わる。
この2週間ほどの間に大きな出来事がいくつも起こった。
それぞれが、内閣がつぶれるほどの大きな問題であり
ながら、政治や国会は「たるみっぱなし」の状態。
昨年のバブル総選挙で無能な小泉チルドレンが多数当選
した結果、内容すらなくなった国会となってしまった。

子どもたちや若者が「どうのこうの」と言うお偉いさんや
テレビのコメンテーターもいるが、実際には「大人」の
道徳と人間そのものの融解現象が深く進行しているのが
現在の日本である。

米牛肉輸入問題は、小泉内閣がいかに国民の命と安全を
守る気がないかを白日の下にさらけ出している。
小泉首相がブッシュ大統領の手下ではあっても
わが国の首相ではないことは明らか。
閣議決定を無視した中川農水大臣すら辞任させられない。
本来は内閣がつぶれる問題。こんないい加減なやり方で
米牛肉が輸入され、国民の口に入り、数年、10年後に
発病した時、小泉首相も中川農水省も責任は持たない。
無責任国家を象徴する問題である。

ライブドア問題、耐震強度偽装問題、東横インの間抜け社長
そして、防衛庁(防衛施設庁)の官製談合汚職問題、
東大多比良教授論文捏造問題・・・・・。

どれを取っても情けない。それぞれの人間が自分の金儲けと
出世・名声だけを考えての行動。国家、社会、世の中、人のために
何かしようなどと言う気持ちは毛頭ない人々。こうした人たちを
持ち上げた日本のマスコミの程度も知れるというものである。

先日、京都府綾部市立綾部小学校で5・6年生にベトナムや
ボランティアの話をした。今日、子どもたちの感想文が
手元に届いた。子どもたちの多くが困った人たちのために
何かしたいと切々と訴えている。日本の子どもたちや
若者の方がよっぽど立派で頼もしい。日本の支配階級と
言われる人々の精神的荒廃現象は止めどもない所まで
きている。

辞任を口にした中川農水大臣が数時間後には「何も問題・
責任はない」と前言を翻す。
「天皇に靖国神社へ行って欲しい」と言ったその舌の根が
乾かないうちに「そういう意味ではない」と前言を翻す麻生外相。
米牛肉輸入問題で「責任は全てアメリカ」などと答弁していた
小泉首相が、閣議決定で輸入前に現地調査すると決めて
いながら現地調査をしないまま米牛肉を強行輸入した。
国会での答弁への真摯な自己反省がない。

中川農水大臣・麻生外相・小泉首相と「言葉」が軽い。
一度口からでた「言の葉」はいい直しがきかない。
武部幹事長の「堀江君は私の弟・こどもです」演説は
論外。

東横インの社長の記者会見を見たが、聞くに耐えない。
ことばが軽い所ではなく、一言一言に意味がない。
言葉は人間性を表す。小泉首相・麻生外相・中川農水相と
東横インの社長は本質的に同じに思えた。
そういえば「ヒューザー」の小嶋社長も同じだ。

自分のことばに責任を持たない。そのことは同時に
人間性の崩壊という事実を表出していることでもある。
「気骨のある」「筋を通す」人間がいなくなった。

人間は「言行一致」でありたいものだ。

投稿者 koyama : 16:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月30日

縫製工場関連の打ち合わせ

晴天。

午前9時、横浜山下公園散歩。

「みなとみらい線」元町中華街駅から渋谷経由で高田の馬場へ。
午後1時半、ファッション関係のVIC久野社長を訪問。
宇都宮縫製工業組合佐藤理事長と一緒に。
フエに建築を予定している縫製工場への衣類など発注の件で
打合わせを行う。

午後3時、「オアシスの会」の方と懇談。

午後6時、自宅着。

投稿者 koyama : 18:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月29日

ベトナムのテト正月(元日) 親戚結婚式参加

晴天。

今日はベトナムのテト正月。世界中から親戚などが
帰省し家族・親族が集まってお祝いをする。

午前8時、妻と自宅を出て横浜へ。親戚の結婚式に参加。
午前11時、神前結婚式。午後12時過ぎ披露宴。
披露宴はフランス料理のフルコース。

午後2時過ぎ披露宴終了。
午後4時、親戚一同が集まり、親戚だけのお祝いの会を
開く。刺身など日本料理を堪能。
午後9時過ぎまで親戚お祝いの会。

今夜泊まるホテルは横浜中華街のまん前にある。
午後9時過ぎ中華街へ。人人人。今日は旧正月。
「春節」。

横浜泊。

投稿者 koyama : 08:16 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月28日

日本事務所会議

晴天。風強し。

午前中、読書。「赤い月」(なかにし礼)

午後1時から日本事務所会議。北区教育会館にて。15人。
2月5日行われるJASS総会へ提案する議案の説明・討論。


午後5時半、日本事務所会議終了、横浜市の中学校で
上映するビデオの撮影。森田さん・加藤さんなど教育担当の
皆さんによる。

その後、反省会。

●日本事務所会議参加の皆さんと

投稿者 koyama : 08:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月27日

自宅

晴天。

少し暖かくなる。

今日の午後、ベトナム事務所の税田さんがテト休暇で一時
帰国する。

午前中、買い物。

「赤い月(上)」(著:なかにし礼 新潮社)を読み始める。

数人の関係者から電話あり。3人の方と新たにお会いすること
となった。

ボランティア貯金からの質問に答える。

夕方から野菜カレーを作る。とんこつ(100円)で1時間ほど
スープをとってカレーを作る。パセリ、セロリ、ニンジン、たまねぎ。
さっぱり、上品な味のカレーとなる。

夕方、散歩を兼ねて買い物。西台駅前の本屋へ。
600円でゆたんぽ(ゼリー状)を買う。レンジで2分、暖かくなる。
5時間持つとのこと。日本に帰国し寒くて眠れない。

テレビは「ライブドアー」「ハーレム男」ばかり。

投稿者 koyama : 14:38 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月26日

通院ー上田元代表と懇談

晴天。

少し気温が上がるが、寒いのには変わりがない。
18通のメール受信。12通のメール送信。

午前9時前自宅を出て春日経由都庁前へ。
心臓の定期健診。

都庁前にいたホームレスの人たちが誰もいなくなっていた。
NSビルの1階にあった大きな書店と音楽専門店がなく
なっていた。たった3ヶ月ほどの間に。世の中の変化の
早さについてゆけない。この本屋は私の読みたい本を
かなりの確度でおいてあったのだが・・・。

心電図、レントゲン、採血、診療。2時間。
昨年10月の採血の結果。尿酸値・中性脂肪が高いとの
こと。原因は飲酒、運動不足?。
心臓、血圧は安定しているとのこと。数種類の薬をもらう。
医療費12000円。うーん・・高い。

片道1時間半。往復3時間。
地下鉄車中で読書。「マオ 誰も知らなかった毛沢東」を
読みきる。上下1000ページの大作。
著者 ユウ・チアンは1993年1月に「ワイルド・スワン」を
日本で出版。
私がベトナムに行く時に買って読んだ記憶がある。
著者の祖母・母と三代にわたる中国での生活。著者が
1960年代の文化大革命で何を体験したのか、文革の
実態を告発した実録でもあった。

それから12年間かけて書き上げた「マオ」は、毛沢東の
出生から死までの生涯を書いたもの。
この本の最大の特徴は450人もの関係者に直接会って
話を聞いているということ。ロシアの歴史資料館で
旧ソ連時代の未公開文書を丹念に調査。特に
スターリンとコミンテルン関係の未公開文書を調査。
・中国関係者には毛沢東の娘婿、弟の孫、親戚、毛沢東の
娘、長男の嫁、従兄弟・・・。更に毛沢東の友人、同僚。
劉少奇の妻、鄧小平継母、劉少奇の前妻、林彪の息子の
婚約者・・・・。

・台湾関係者 張学良、蒋経国、・・・・
・アルバニア等旧東欧諸国のリーダー
・日本関係者  有末精三中将、江藤瀋吉教授、不和哲三
   藤原彰教授、三笠宮親王、宮本顕治、中島峯雄外大教授、
   二階堂進、野坂参三、清水正夫(松山バレー団)
   立木洋(日本共産党幹部)、竹内実教授。

かなり多くの歴史的指摘があった。
①日中戦争中、毛沢東は日本との提携を模索。
  主敵を蒋介石においていたこと
②スターリンは日本がソ連に攻めてこないよう日本軍を
 中国に閉じ込めることを主眼にしていたこと
③ベトナム関係では、ジュネーブ協定をベトナム側の
  意向を聞かずに頭越しにアメリカと密約を交わし
  ベトナム側に押し付けたこと。また、毛沢東は
  ホーチミンを子分・中国派と考えベトナム共産党に
  様々な圧力を加えたこと
④1954年の抗仏戦争「ディエンビエンフーの戦い」
  では「ナヴァール計画」というフランス側の作戦戦略
  を秘密に手にいれ、ベトナムへ派遣されていた
   中国軍の主席軍事顧問に渡した結果、ホーチミンは
  フランス軍との戦いに勝利。
⑤中国は1965年から高射砲部隊15万人をはじめ32万人
  の兵隊をベトナムに派遣。そのお陰で北ベトナム側は
  南に大量のベトナム軍を派遣できたこと

毛沢東の最後の言葉が「三木武夫」だったことも興味のある
ところだ。

午後3時半、自宅を出て巣鴨・日暮里経由で我孫子へ。
自宅から片道1時間半。上田元JASS代表と合流。
午後9時過ぎまで懇談。午後10時半、自宅へ戻る。


投稿者 koyama : 09:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月25日

京都から東京へ帰る

晴天。

昨夜は午前1時に就寝。午前5時に目が覚めた。寝不足。

午前10時過ぎ、京都駅を出て東京駅経由自宅へ。

自宅から綾部まで5時間強。京都から自宅まで4時間。
往復の新幹線の中で「マオ 誰も知らない毛沢東(下)」を
読む。90%ほど。非常に興味のある本だ。1966年・7年の
文化大革命の詳細を記述。文化大革命が毛沢東の
クーデター。中国共産党・中国政府そのものを転覆する
毛沢東の暴力クーデターだといいうことを詳述。
当時の関係者にインタビューしての記述は説得力がある。
1989年の天安門事件と同じ政府転覆のクーデター。
7000万人を殺した毛沢東の狙いは「独裁者」になること。
自らの欲望を満足すること。社会主義とは縁もゆかりもない。

フエ中央病院ではテト正月を前にして、白血病病棟に
お正月のお祝いのお菓子を持っていった。
税田真理子・ハンベトナム事務所員。
入院している10人の白血病の子どもたちを励ます。
このお菓子はACCL代表の渡辺和代さんからの
依頼で贈呈したもの。

●入院している白血病の子どもたちにお正月のお祝いお菓子を
を贈る税田真理子さん、ハンさん。

●小児ガンと闘い療養している子どもたちを励ます

帰宅後、パソコンを点検。故障。修理に2時間。
メールは25通届く。全て見るのに1時間以上かかる。
その後、10通の返信。

投稿者 koyama : 19:46 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月24日

綾部小学校講演会ー京都企業家懇談

終日雪。

綾部市は朝から雪だった。寒い。

午前9時半、ホテルに北原綾部小学校PTA会長さんたちが
迎えに来てくれた。雪の中綾部小まで。

綾部小学校の校庭は大雪で真っ白だった。

校長室で校長先生・元京都青年会議所の伴仲さんたちと懇談。


綾部小学校は明治5年創立。
明治5年は学制制定の年である。綾部小学校は日本の
学校制度が出来た時に創立された。日本最古の小学校の
一つである。当時の京都府知事植村正直の書が学校に
掲げられていた。

午前10時半~午後12時20分まで講演。
5年生・6年生、PTAの保護者、近くの綾部市立幼稚園の
保護者会の皆さん。400人弱。

午後1時過ぎに伴仲さん、北原会長さんなどに綾部駅まで
車で送ってもらう。綾部から京都まで1時間強。
北原PTA会長さんなど綾部小学校PTAの皆さんに感謝。
北原会長さんは2002年、京都青年会議所が実施した
「子どもの家」スタディーツアー(100人)に参加。し
その縁で今回の講演会となった。
京都青年会議所スタディーツアーは、伴仲さんが会長で
企画実施した。100人の青年会議所員がベトナムまで
やってきた。「子どもの家」では子どもたちに持ちつき大会や
日本の伝統遊びなどを紹介してくれた。

午後6時、京都市内「四条」で京都の企業家の皆さんと懇談。
3月に「子どもの家」やフエを視察するとのこと。

その後、午前12時過ぎまで祇園で交流。

投稿者 koyama : 18:04 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月23日

京都府綾部市へ。綾部小講演会

晴天。

降った雪が固まっている。

昼過ぎ、自宅を出て新幹線で東京駅経由京都駅へ。
京都駅から「きのさき5号」で綾部駅へ。
駅には綾部市立綾部小学校PTA会長の北原章裕氏が
わざわざ迎えに来てくれていた。

午後6時過ぎ、綾部市の大本教本部近くで夕食。

北原綾部小PTA会長、綾部小PTA関係者、
元京都青年会議所の伴仲さんなどと。
午後9時過ぎ、夕食交流を終わり綾部ホテルへ。

明日は綾部小学校の全校参観日。参観終了後、
PTAの保護者の皆さんと子どもたちに話をする予定。

投稿者 koyama : 10:20 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月22日

外出

寒い。

雪が積もり町中が滑り易い。
用事があって終日外出。

総会議案の小山案を寒河江日本事務所長に送信。
寒河江日本事務所長が越・日の総会・方針をまとめ役員会へ
提出する予定。その後、各地の会、関係者に役員会原案として
送信。1月28日の日本事務所会議に提案し、意見を集約の
予定。2月5日総会で最終決定。

ベトナム事務所もそろそろテト事務所閉鎖へ。
日本人スタッフもラオスやタイなどへ休暇旅行の予定。
皆さんの安全を祈る。

明日から3日間、京都へ。講演会や支援者との懇談予定。

夜は手作りラーメンを作る。
スーパーで豚骨(100円)とトリガラ(100円)を買う。
生姜(少量)、ニンニク(少量)、ねぎ、ニンジンなど
野菜と2時間ほど煮る。淡白な東京ラーメンのスープが
出来る。豚ばらをニンニク、生姜、醤油(むらさきと中華醤油半々)
で煮る。チャーシューを作りながらラーメンのたれを作る。
青味(ほうれん草)、きざみねぎなどをのせ東京ラーメン。
美味しかった。

投稿者 koyama : 08:17 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月21日

東京は雪・高校クラス会

朝から雪。

久しぶりに東京に雪が降った。

午前中24通のメール受信。13通のメール送信。
ベトナム事務所からもいくつかの問題について連絡あり。

午後1時過ぎ自宅を出て巣鴨へ。
巣鴨駅で日本事務所里親担当の渡辺さんと合流。
午後5時まで懇談。
渡辺さんは、ACCL(ASIA CHILD CARE LEAGUE)
を立ち上げた。小児がんをはじめとした難病や
社会的困難に直面している子どもたちや家族を支援する
NPO。当面はベトナム中部の小児ガンの子どもたちの
支援活動を行おうとしている。
今日はフエ中央病院小児科を中心とした小児がん
支援の具体的な活動内容を話し合う。
こうした形での支援を広がることは嬉しいことである。
2月11日(P1~P4)「小児がん ゴールドリボンキャンペーン
JAPAN 2006」を共催する。
会場は 六本木アカデミーヒルズ49・スカイスタジオ
無料 第1部「小児がんって?」 第2部「いのちの足音
きこえますか?」
問合せ先 小児がんネットワーク事務局 小俣智子
03-3663-1369   mnproject@accl.jp

更に雪が降ってきた。寒い。

午後5時過ぎ、巣鴨駅近くで行われた高校クラス会に
参加。40年前の高校時代3年間同じクラスで勉強した
仲間。「2007年問題」の「主犯たち」。

今日の参加者の中に私も含めて4人の陸上部員がいる。
どういう訳かこのクラス(8組)は、陸上部が多かった。

来年全員が「定年」の年となった。

定年のない仲間もいる。作家、弁護士、そして私。

2007年以降、更に「個性的」な新しい人生を歩んで行く
人たちでもある。

今日は世話人の五井君が孫が生まれて「緊急欠席」。
初孫おめでとう。欠席残念。

投稿者 koyama : 08:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月20日

豊島区立豊成小学校講演会

非常に寒い。

午前9時前自宅を出て巣鴨経由大塚駅へ。
大塚は私の生まれた所。
大塚駅で日本事務所教育担当のKさんと合流。
徒歩15分。豊島区立豊成小学校へ着く。
学校に入ろうとしたが、全ての門が施錠されている。学校周辺
を一周するが入り口がない。異常な日本の状況を反映している。
学校がこうした措置を取らざるを得ない実情は理解できる。
いつ学校へ変質者が入ってくるか分からない。
通用門にインターホンがあり連絡し校内に入る。
校長室で副校長先生と懇談。校長室には「さすまた」(江戸時代
の捕り物に使うU字型の捕縛器具)がおいてあった。
全教室に備えてあるという。

豊成小学校には、「子どもの家」里親の清水先生がいる。
清水先生の口利きもあり今日の講演会となった。都心の
小学校は少子化の影響もあり、全て単学級だそうだ。
全校で6クラス。1学年1クラス。全校で200人とのこと。

今日は5年生・6年生の合同の講演会。

午前10時50分~午後12時20分までの2時間の講演授業。

豊成小学校の子どもたちは中々積極的な子どもたちだ。
問題を投げかけると手を挙げて答える子どもたちがたくさんいた。

講演授業が終わった後も質問に来る子どもたちがいた。
6年生の男子は、今後全校の子どもたちにも呼びかけて寄金を
募りたいと言っていた。

講演授業の最後に子どもたちと記念写真を写す。

●5年生と記念撮影

●6年生と記念撮影

こうして日本の子どもたちに「人生はお金だけではない」「人間が
生きる喜びとは?」「人間の本当の幸せとは」「世界に目を向ける」
などについて問題を投げかけることも必要だと思う。
例え小さな力ではあっても意味のあることかと思う。

今日の講演授業を準備してくれた里親の清水先生。
10年近く里親をしてくれている。

講演会終了後、校長先生と清水先生、日本事務所のKさんと懇談。

午後1時半頃、学校を出る。外は雪が降りそうなほど寒い。
私は子どもの頃から「雪ばら」。雪が降る少し前になると
お腹が痛くなる。今日は、まさにそうした事態。

投稿者 koyama : 15:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月19日

パソコン故障:修理

晴天。強風。寒い。

日本の寒さに参っている。ベトナムに住んで12年。
体はベトナム仕様。20度で寒いと感じるベトナムの気候と風土。
今の日本の寒さと比べると桁外れである。
1日中、寒さに震える。どうしようもない寒さ。

杉花粉症の症状が出ている。目の痒みと痛さ、クシャミと
洟が出る。体がだるい。

2006年2月5日JASS総会議案(役員会提出)の最終チェック。

パソコンが壊れる。日記の文章を書くだけで半日。写真は
掲載できない。

「マオー誰も知らなかった毛沢東(下)」を読む。

午後、買い物。強風。更に杉花粉が飛んで来る(と思われる)。
ゆたんぽを買いに行くが売っていない。夕食の買い物。

15通のメール受信。11通のメール送信。
メールの対応で半日を費やす。

1日中、妻とこたつを囲みお茶を飲みながら世間話。
ライブドア問題、ホリエモンについて、
耐震強度偽装、国会参考人質疑、学校現場の異常な実情
など・・・。

投稿者 koyama : 08:20 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月18日

在日ベトナム大使館新年会に参加

曇り。

午前中は2006年2月5日に行われる「第11回JASS総会」
に提案する議案書を作成。
1月8日に行われた役員会(JASS会則では総会に次ぐ議決
執行機関)で大筋確認された内容を詳細な文章にする。
「2005年活動の総括」「2006年活動の方針」。
総括は具体的な数字を出来るだけ入れるように努力した。
また、現地でどのような活動をし、どのような結果を残したのか
を出来るだけ詳細に記述した。
2006年方針案は、2007年総会に向けて新たな方針を
提起している。

午後3時過ぎ自宅を出て代々木へ。宇都宮縫製工業組合
佐藤理事長の会社「マルサ」の東京事務所へ。
代々木駅から徒歩10分ほどである。東京事務所では
営業企画部長の上田さんを紹介され、刺繍の話をする。
ベトナム事務所みやげもの刺繍店への刺繍発注に
ついて打ち合わせをする。

午後4時50分。佐藤社長と東京事務所を出て元代々木の
ベトナム大使館へタクシーで向かう。30分程で到着。
大使館前には黒塗りのベンツや多くのタクシーが並んでいた。

駐日ベトナム社会主義共和国特命全権大使
CHU TUAN CAP氏主催の新年会。

●新年会会場


午後5時40分、新年会が始まる。
司会のベトナム大使館員の長い挨拶。
●来賓紹介  
   村田元国家公安委員長(日越友好議員連盟副会長)
   緒方共産党国際局長
   金丸JICA本部役員
   ラオス大使
●カップ大使の挨拶。
   ・1月29日はベトナムのテト正月
   ・昨年のベトナムの経済成長率は8,3%
   ・貧困も少なくなっている。
   ・貿易黒字は80億ドルとなった。
   ・日本からのODA支援は第1位である。
   ・日本人のベトナム訪問者は32万人となる。
   ・日本からの投資は昨年50%も増えて3、8億ドルとなる。

●村田元国家公安委員長のお祝いの言葉
●もう一人の国会議員の挨拶
 
 ここまでで既に1時間が経過。
いよいよ乾杯に入ろうとする時、武部自民党幹事長が
到着。

●武部日越友好議員連盟会長挨拶
  ・今日、自民党の大会があった。
  ・前回のベトナム共産党大会に招待され、大会で私は
   挨拶した。日本共産党の大会には呼ばれないが
   私はベトナム共産党の大会に呼ばれ、挨拶までした。
   ベトナム共産党はそこまで進んでいる。
  
会場でハノイ市駐日代表のGIANGさん、大使館労働部の
VANさんと懇談。

●ハノイ市駐日代表GIANGさん・宇都宮縫製工業組合
 佐藤理事長と


その後、CAP大使と懇談。

武部自民党幹事長と少し話す。宇都宮縫製工業組合佐藤
理事長と一緒に記念撮影。


会場には200名以上の参加者があった。昨年は100人
程だったのに比べると参加者は倍化した。
ベトナムへの投資・企業活動がこの数年かなり増えた。
参会者のほとんどは、経済関係者。お金儲けになると
わかれば、多くの人が集まる。ベトナム戦争中なら
この参加者の多くは、「共産勢力」とカップベトナム大使
などを非難していた人たちではある。
ボランティアやNGO関係者はほとんどいない。

会場に石川文洋さんがいた。1998年頃、灰谷健次郎さんの
「灰谷健次郎丸ごと一冊」(新潮社)という本の取材と
写真撮影のために、灰谷健次郎さんと石川文洋さんが
「子どもの家」と私の取材に来た。一晩3人で食事をし飲んだ。
意気投合。そんな交流があったのでしばらく石川さんと
話をする。

●写真家 石川文洋氏と


午後7時。大使館を出て巣鴨へ。
午後7時半、巣鴨でJASS元代表の上田さんと合流。
午後10時過ぎまで交流。駅前の居酒屋で飲む。
様々な問題について意見交換。

午後11時、自宅着。


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2006年01月17日

神戸地震11周年

晴れ。

福島より帰京。

神戸大地震から11年が経過。改めて多くの犠牲者に
哀悼の気持ちを表したい。

午後2時からヒューザーの小嶋社長の証人喚問をテレビで見た。
ほとんど何も証言しなかった。質問する議員もなめきられている。
小嶋氏が「証言拒絶」と言っても何等手を打てなかった国会議員。
刑事事件で訴追される具体的な可能性を明示しなければ
証言拒否は出来ない。小嶋氏に刑事訴追の具体的可能性
を追求していなかった。
国権の最高機関である国会が小嶋氏に「馬鹿にされぱなっし」
の証人喚問だった。

神戸地震の追悼式で「地震の教訓を伝えたい」「安全の日」
などと地震災害を二度と繰り返さないと語っていた神戸の人々。
かたや、耐震強度偽装という重大問題で国権の最高機関で
ある国会が、「神戸地震」最大の教訓の一つである「耐震」問題
で何等追求が出来なかった。不思議に国ではある。
神戸の地震と国会の証人喚問とが全く別々の問題として
報道する日本のマスメディア。
安部晋三氏の名前がとうとう出てきた。伊藤元国土交通大臣
など耐震偽装問題は、背景に現在の政権政党が介在している
匂いがする。

ライブドア、堀江氏宅が強制捜査される。
昨日、本屋へ行った。堀江氏の「100億円を稼ぐ・・・」などと
いう本が入り口に何冊も積まれていた。堀江氏の秘書の
女性が表紙に載っている「初めての人の株入門」などと
いう本もおいてあった。
子どもたちが理想の大人として「堀江氏」にあこがれている
とのこと。金金金の社会を象徴している。勝ち組、負け組
、セレブなどという言葉がマスコミで踊っている。
ライブドアの株が下がりライブドアは1000億円の損を
したという。数万円のお金に汲々としている「子どもの家」
にとっては別世界の出来事である。
堀江氏の生き方は何か「泡のような」生き方である。
お金儲けだけが人生の目標のようである。そうした生き方も
人の生き方なのか・・・・。
自家用飛行機に乗り、50社近くの会社をもった成金人間。
真っ当に仕事をして生きている人間とは異質な人ではある。

ちょっと前に小泉自民党が堀江氏を推し「刺客」として
広島に放ったっけ。自民党武部幹事長は堀江氏の選挙応援
演説で「堀江氏は私の弟です。子供です。応援して」と
言っていた。放言癖のある武部氏の言葉には、何等重みが
ないので、取り立てて怒る気もしないが・・・。
小泉首相に至っては「堀江氏の全てを知って推すことは出来ない」
といつもの「居直り」。自分には責任がないと言っていた。
無責任国家を代表する無責任政治家である。

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2006年01月16日

1日休養

晴天。

雪が溶け出している。

「マオ 誰も知らない毛沢東(上)」(ユン・チアン著:講談社)
読了。
(562ページ)
ユン・チアンは10数年前に「ワイルド・スワン」を書き、
1960年代中国の「文化大革命」の実態と真相を告発した。
「マオ」は文化大革命を発動した毛沢東の一生を「聞き取り」
ソ連の残した資料などを詳細に調べ、10数年をかけて
調べた物である。
今までの日本で言われている「歴史」を大きく変更する
内容をもっている。

毛沢東が生存中7000万人以上の人間を事実上
殺している事。
日中戦争中、毛沢東は蒋介石打倒を第1とし、
日本との連携さえ模索していた事実。
毛沢東の後ろには、スターリンが糸をひき、
ソ連に日本が侵攻しないとう、日本帝国主義が
中国の内陸に侵攻し苦戦するよう中国共産党を
指導した事実などを聞き取り・資料を駆使して
記述している。

第2次世界大戦、アジア太平洋戦争についての新たな
視点を指摘している。

明日から「下巻」を読む。

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2006年01月15日

吾妻スキー場へ

曇り。

福島県高湯の「吾妻スキー場」へ行き、スキーをする。
ベトナム事務所のスタッフ休養でランコーへ行っているのに
呼応して、スキーを楽しむ?
10年ぶり。前日雨が降ったため雪が少し固い。
リフト券売り場からリフトまで滑るのも怖い。
リフトに乗り「初級者コース」を滑るが、怖くて滑れない。
10年間のブランクは大きい。

筋肉痛。

日曜日だというのにガラーンとしたゲレンデ。20年ほど前の
スキー熱は消えていた。


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2006年01月14日

1日休息

福島は雨のち曇り。

この1週間程、仕事が集中していた。かなりの疲労状態。
今日は1日休息する。

「機会不平等」(斎藤貴男著:文春文庫)を読む。
今、日本で起こっている様々な社会現象をどう見るのか?
日本や世界はこれからどう変わろうとしているのか?
著者の斎藤貴男は「新自由主義」がそのキーワードだと
言う。
1993年、細川護煕(もりひろ)首相の私的諮問機関
である「経済改革研究会」がその出発点と指摘。
経済的規制の自由化、安全の確保や環境保全などの
社会的規制も自己責任を基本に最小限度に抑えるべきと
の提言をしている。

続いて1995年の日経連報告『新時代の「日本的経営」』。
総人件費の抑制を基調に、リストラ、派遣・契約社員制度、
就業形態の多様化、成果主義に基づく賃金体系、福利厚生
システムの再編・・・・。
今日、私達は直面している様々な問題の出発点でもある。

日本社会全体が「機会の不平等社会」に入ったと論じる。
教育・就職・生活・老後と言った人間の一生に関わる
様々な機会が「生まれた時点で大きな格差と不平等」の
ある社会になってきたとしてきている。
そういえば、多くの政治家が2世・3世である。故小渕首相の
娘だと言うだけで25歳で国会議員になれる人がいる。
本人の能力と努力とはかけ離れた「生まれ」で人生が
決まっていく社会になってきている。
小泉首相の後継者と目される4人(4人?)も同様である。
安部氏の祖父はA級戦犯の元首相岸信介、父は首相候補。
福田氏の父親は福田首相。麻生氏の祖父は吉田首相。
谷垣氏の父親は京都出身の国会議員である。
これら4人は生まれながらに「勝ち組」。
斎藤氏は戦後の「平等」「公平」という理念が今こそ大事
だと主張している。小泉後継者と目される4人が口々に
戦後教育は「平等」「公平」を主張しすぎたと言っているが
平等・公平で困るのは、自分達自身なのである。
既に生まれた時から甘い汁を吸っている人たちに
「平等」「公平」は間違いだなどといわれたくはない。
そういえば、ヒトラー首相も祖父は国会議長、父や防衛庁長官
という「甘い汁組」だった。

文中に

投稿者 koyama : 15:36 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月13日

叔母の葬儀に参列

福島は曇り。寒い。

父の妹(89歳)が亡くなったとの連絡が入る。
葬儀に参列。

父親は9人兄弟。私の父親も含めて既に6人が鬼籍へ。
大塚の叔母さん(文京区大塚に住んでいた)が亡くなり
残った父親の兄弟は2人になってしまった。
大正生まれもいなくなってきた。

我が家は中国からの引揚者である。中国から体一つでで
引き上げてきた我が家の住まいがこの大塚の叔母さんの
家だった。家を借りて「果物屋」「漬物屋」などを営業して
いた。その頃、私が生まれる。
数年後、文京区の林町に引っ越す。
中国から引き上げてきて数年間、大塚の叔母さんの
家を借りるなどお世話になった。

1971年、埼玉県志木市に家を建てるが、大塚の叔母さんも
我が家の隣に家を新築。10年間ほど隣同士の生活をする。

福島駅を8時過ぎに出発し、新幹線で大宮へ。更に川越経由で
葬儀場のある坂戸へ。
午後12時過ぎに葬儀場へ到着。告別式に参加。引き続き
火葬場まで同行。
火葬が終わる1時間半ほどの間、親戚・従兄弟たちと懇談する。
小学校以来会っていない従兄弟と再会。みんな60歳を超え
ていた。30人ほどいる父方の従兄弟も10人ほどは既に
亡くなっている。我が家も兄と弟が既にこの世にはいない。

●久しぶりに会った従兄弟で記念写真

火葬が終わり、読経をした後、食事となるが、失礼し福島へ
帰る。人間の一生を考え、私自身のこれからの生き方を
深く考えさせらる1日だった。
故武井たつ叔母さんのご冥福をお祈りする。

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福島へ

晴天。特別に寒い。

午前中、妻と一緒に福島へ。
福島で体調を整える。

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2006年01月11日

香川県丸亀市へ

晴天。

午前8時、京都駅から新幹線で岡山駅へ。岡山から
JRで丸亀へ。京都から丸亀まで約2時間半。

香川県では重成さんという建築会社の社長さんが10年前から
多額の支援金を贈呈してくれている。
重成社長は1995年に久米宏のニュースステーションで私たち
の活動が紹介された番組を見てからの支援者。
その後、重成社長の紹介で香川県中小企業支援センター
理事長の西森さんと知り合う。5年ほど前のことである。
西森さんも様々な形で現地「子どもの家」、ベトナム事務所の
支援を続けてくれている。

今日は、西森理事長の紹介で、四国でも屈指の造船会社
の社長を訪問。「子どもの家」やフエへの支援活動・支援事業
などについて、突っ込んだ話をする。

社長は体調を崩し病院へ行き、高松からわざわざ丸亀の本社
まで来てくれる。午後3時頃まで本社で懇談。

午後4時過ぎに丸亀駅より岡山経由で東京へ帰る。
丸亀から東京自宅まで5時間。自宅に着いたのは午後9時過ぎ。
さすがに疲労困憊。日記を書くエネルギーは消滅していた。

初対面の人に会うというのは想像以上に
エネルギーを使うものである。私の12年間の「子どもの家」
支援活動は、こうした初対面の人との出会いから始まり、
その後、長い年月の支援・お付き合いとなるケースが多い。
今日の造船会社社長との話し合いの内容が現実となることを
祈る。

投稿者 koyama : 14:22 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月10日

静岡市役所国際課・ラジオ体操連盟・邦楽の会懇談→京都紫野ローターアクト講演会

晴天。寒い。

午前7時、自宅を出て東京駅経由静岡駅へ。
新幹線改札口で静岡市国際課の皆さん、JASS静岡の会
牧田先生と合流。

駅ビル喫茶室で関係者と懇談。
静岡市役所国際課長さんたちと「静岡市国際交流協会」
スタディーツアーについての打ち合わせ。
また、静岡市・フエ市友好都市提携に伴い、フエ市から
の『職員研修受け入れプロジャクト』について懇談。
JICAと静岡市の提携によりフエ市から「ごみ収集」
「下水道」の専門家を招請し、1ヶ月間の研修を行うと
いうもの。こうした研修を通してフエ市民の生活向上、
フエ市と静岡市の友好交流が一層深まって行く。

その後、「静岡市ラジオ体操連盟』の会長さん・旅行会社
の方と懇談。3月にラジオ体操連盟の方々20人ほどが
フエ市を訪問し、王宮前の広場でラジオ体操をするとの
こと。JASSベトナム事務所として事前の準備、
「子どもの家」訪問などの計画を立てる件などを話し合う。

●静岡市ラジオ体操連盟会長さんと

引き続き「静岡市邦楽の会」の皆さんと懇談。
2006年6月「フエフェスティバル」に参加する。日本の伝統音楽である
琴、尺八、詩吟などをベトナム人に紹介する。
邦楽の会は、フエフェスティバルの中央会場で邦楽を紹介。
JASSベトナム事務所として、静岡フエ青年交流会館で
フエ市民の邦楽紹介のイベントを行う予定。更にグエンフエ高校
で高校生に日本の伝統音楽を紹介し、日越文化交流を行う。

●静岡市邦楽の会の皆さんと

静岡市役所・ラジオ体操連盟・邦楽の会との懇談後、
静岡市立東中学校生徒会長より「子どもの家」への
支援金をもらう。
生徒会長さんは、『ベトナム「子どもの家」への支援』を
生徒会長選挙の公約に掲げ当選。校門などで東中学校
の生徒に募金を呼びかけた。今日は、集まった寄金を
贈呈してくれる。こうした子どもたちが育っていることに
未来の展望を見る。東中学校はJASS静岡の会の
笠井先生の学校。生徒会の取り組みは笠井先生の
指導でもある。

午後4時過ぎ静岡駅を出発し新幹線で京都駅へ。
午後6時、京都駅で「紫野ローターアクト」の仁枝さんと合流。
車で今夜の講演会場まで連れて行ってもらう。
「ローターアクト」はロータリークラブの青年部(30歳まで)。
京都紫野ロータリークラブが親団体で運営されている。
会員は10名。それぞれ会社などでの仕事が終わった後、
障害児支援などの社会貢献活動をしている。

今夜は関係の諸団体の方がも参加。50人ほどの若者が
集まる。「京滋YOUの会」の藤井さんたちも参加。

午後8時から午後10時まで講演・質疑応答を行う。

●司会をする仁枝さん


午後10時過ぎから「ローターアクト」、「京滋YOUの会」
の皆さん、講演会参加者と交流反省会。

ホテルに戻ったのは、午前12時を過ぎていた。

投稿者 koyama : 08:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月09日

パソコンを修理に

晴天。寒い。

午前中、メール受信・送信。手紙等。

午前11時に自宅を出て池袋へ。
パソコンが故障したためビックカメラへ。修理を頼む。
2時間ほどかかるとのこと。
ビックカメラでパソコンを見ると15万円から20万円台。
毎月2万円、3万円単位の生活をしているベトナム事務所員
の身からすると「法外」な値段。ウーン。高すぎる。
パソコンの頭脳が侵されているが、何とか騙し騙し使おう。

2時間つぶす場所がないので、昼間から飲ませる一杯飲み屋へ。
池袋西口の店。前代表の上田氏から教えてもらう。
午後12時。店に入ると労務者風の人や中年のサラリーマン風、
競馬か何かの新聞を見ている人、水商売のお姉さん風の人など
が飲んでいる。私も軽く飲みながら、聴くとはなしに皆さんの話を
聞いていると面白かった。今の社会の断面が見えるようだった。
「俺たちは負け組だよな」「年金は70歳にならないと出なくなって
政府に騙されたよ」「これからは自衛隊が一番安心して収入が
入ってくる良い仕事だよ」。考えさせられる会話だと思いつつ、
生ビールをゴクンと飲み干した。成人の日を祝って・・。

2時間後、無事、パソコンの修理は完了した。無料だった。

投稿者 koyama : 18:13 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月08日

役員会:オアシスの会

晴天。寒い。

午前3時起床。役員会に提案する2005年度総括、2006年度
方針を書く。何人かの方へメールの返事。

午前8時半、自宅発。駅前のコンビニで総会議案書を役員会分
コピー。
午前10時、後楽園の喫茶店で役員会。
2006年2月5日に行われる第12回JASS総会に提案する
2005年度総括、2006年度方針について話し合う。
日本事務所の田中さん、「子どもの家」のタンさんの
結婚式がある。出来るだけ参加しようと私から提案。
祝電等いくつかの打合わせをする。

若林さん、山西さん、福田さん、西山さん、寒河江さんと6人。
午後1時過ぎまで。

その足で後楽園ラクーアでオアシスの会の皆さんと船上生活者
支援(医療船・フーハウ診療所)の契約書を交換する。
フエ市人民委員会外務部長、オアシスの会、JASSの3者。
オアシスの会は10年前からフエの保育園を支援している
粕谷神父さんの「芝の会」の皆さんが作ったボランティア団体
である。大塚合子さんを支援する会の略称。
オアシスの会はフエの船上船上生活者の医療支援のため、
医療船とフーハウ診療所での船上生活者の支援を始めた。
私たちJASSとフエ市人民委員会外務部が現地で協力し
ている。オアシスの会の皆さんは本当に心のある方である。
フエで船上生活者の支援をする何等義務はない。
わざわざフエに来て生活困難な船上生活者の支援をすると
いう。こうしたことこそ、本当のボランティア・人道支援である。
出来る範囲で協力することは、私たちの任務でもある。
午後4時半まで話し合う。

投稿者 koyama : 19:26 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月07日

宇都宮縫製工業組合佐藤理事長懇談

晴天。寒い。

午前中、いくつかの問題。メール・電話で打ち合わせ。

午前11時、家族で「つけ麺」を食べに行く。久しぶりに
二人の子どもたちと家族4人が一緒になる。20年前からの
行きつけの店。いつ食べても美味しい。美味しさの秘訣は
麺。

食事後、長男が福島へ帰る。

食事前に宇都宮縫製工業組合佐藤理事長より電話。
「今、東京に来ているので会えないか?」とのこと。
午後4時に待ち合わせすることになった。
午後1時過ぎ、パソコンが壊れたので池袋のお店に
直しに行く。その足で上野へ。

上野で佐藤理事長と会い、縫製工場の今後の計画など
を話し合う。子どもたちのこと、「子どもの家」のことなど
色々と心配をして頂いている。心のある方。私と同じ
団塊の世代。午後6時過ぎまで。

午後7時過ぎ帰宅。

夕食後、総会議案作り。ベトナム事務所長のバオミンさん
が体調を崩しているとのこと。税田さんからの連絡でわかる。
早く治る事を祈る。

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2006年01月06日

1日自宅

終日曇り。寒い。

今年の日本は特に寒いようだ。ベトナム在住12年。
私の体はベトナム仕様になっている。日本の異常な
寒さについてゆけない。とにかく寒くて寒くて。

午前中、メールでいくつかの問題について私見を書いて送信。
午後、2006年2月5日のJASS総会への議案書の原案を書く。
2005年を振り返って(総括)。出来るだけ具体的な数字を入れる。
ベトナム事務所と何度か連絡を取る。明日も1日かけて
議案書案を作る予定。

夕方、長男が帰省。夕飯は焼肉。私の好きな焼肉屋に行く。
センマイ刺がうまい。トンソクも美味しい。カルビの焼肉も。
長男と新自由主義の問題、小泉「改革」について話し合う。

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2006年01月05日

新英語研究会関東ブロック大会記念講演

終日曇り。

午前8時起床。朝食は安倍川餅2枚。
午前10時、自宅発。上野から新幹線で1時間強、那須塩原駅。

40分ほど駅で待機。講演会会場のホテルのバスで50分。
塩原の会場ホテルへ。

途中、那須塩原は大雪。

午後1時20分から「新英語研究会関東ブロック大会」開会。
50人程の先生方が参加された。

新英語研究会は中・高校などの英語の先生方の研究会。
大雪の中、しかも1月5日という未だお正月に勉強会をする
という立派な人々。

開会挨拶

午後1時30分から午後3時まで講演。
「子どもの家」の取り組み、日本の子どもたちのこと、政治の
問題などを話す。

午後3時40分過ぎ、ホテルを出て那須塩原駅へ送ってもらう。
那須は寒かった。

自宅着午後7時過ぎ。

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2006年01月04日

自宅で休養

終日曇り。

午前中、明日の「新英語研究会」大会の記念講演のレジュメ作り。

昨日は1日中家にいたので今日は散歩も兼ねて買い物。
近くに「100円ショップ」ができたとのことで覗いて見る。
色々なものがあったが、購買意欲なし。味噌汁のお椀を買おうか
とも思ったが、後日に。

夕食の買い物。野菜カレーの材料を買う。

午後は、年賀状の返事、メールの返信など。

小泉首相の年頭記者会見。

「一国の首相が一国民として戦没者に哀悼の念をもって
靖国参拝する。日本人からの批判は理解できない。精神
の自由に、政治が関与することを嫌う知識人や言論人が
批判することも理解できない。まして外国政府が心の問題
にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない。
心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたものだ。 」
と言っている。

小泉首相は読売新聞の渡辺恒雄氏(ナベツネ)の言葉を
聞くべきだ。
「(小泉首相の靖国神社参拝について)軍国主義をあおり
礼賛する展示物(遊就館)を靖国神社が経営しているわけだ。
そんなところに首相が参拝するのはおかしい。」
「靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は
永久に駄目になっちゃうんじゃないか」。
(2006年1月4日朝日新聞朝刊より)

 

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2006年01月03日

講演会の準備

終日曇り。

午前10時起床。昨夜は飲みすぎ。

「教育改革と新自由主義」(斉藤貴男著:寺子屋新書)を読了。

新自由主義(イギリスのサッチャー、レーガン、中曽根ー小泉・・)が
教育にどのような方針を持ち、実際にどのような政策を実行し
ているのか? 全国の学校現場ではどのような問題が起こって
いるのか、子どもたちはどのようになっているのか?
をインタビューや現場へ足を運んで書いたもの。
小泉構造改革で子どもたちや教育に大きな格差が持ち込まれ
はじめている現実。勝ち組と負け組みという言葉に現れている
日本社会の現実に連動して、子どもたちの中にも「学歴」
勝ち組、負け組みというシステムが行政を通して強力に
推し進められている。都立高校の中高一貫校設置、
私立中高、大学付属の一貫学校システム・・・・。
一昨年早稲田大学の付属小学校ができ、面接試験で
「あなたは早稲田にいくら寄付をしますか?」との質問が
あり、合格発表の前に寄付金額を尋ねて問題となった。
先日は、立命館大学に付属小学校ができ合格発表が
あった。合格者の母親が泣きながら「授業料など高くても
合格できて良かった」と話していた。立命館大学も
勝ち組の子どもたちを対象とした学校作りに邁進している。
公立学校は負け組みの子どもたちが、私立や一部エリート
学校は勝ち組という子どもたちの「棲み分け社会」ができつつ
あるという。一読の書。

メール受信・送信。


夕方、「奥の松」(純米大吟醸ー福島・二本松)を飲む。
美味しい。 この吟醸酒は本当に美味しい。
お勧め。「渡る世間は鬼ばかり」で置かれている
日本酒はこのお酒だそうだ。
福島大学で講演会をした際、奥の松酒造の工場を見学
する機会があった。工場の販売所で買った。

奥の松酒造HP  http://www.okunomatsu.co.jp/


午後7時半、「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」(BS2)を見る。

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2006年01月02日

初詣へ

曇りのち雨。

午前11時過ぎ、家族で巣鴨のお地蔵さんへ初詣。
自宅から20分。通称「お年寄りの原宿」へ。

お地蔵さん(高山寺)は、とげ抜き地蔵として有名。

雨の中、境内には大勢の参拝客がいた。

境内でお線香を手向ける。体の悪い所に煙を当てる。

本尊に参拝。ベトナムでの活動、家族の健康回復、世界の平和と
貧困をなくすことを祈る。お賽銭が100円なのでこれでも
贅沢なお願いとなってしまうが、お地蔵様に我慢してもらう。

帰りに巣鴨駅で1月5日那須塩原での講演会、1月8日の
静岡→京都の講演会に行くための新幹線の切符を買う。

「教育改革と新自由主義」(斉藤貴男著:寺小屋新書)を
半分ほど読む。

夕食に大量の「金平ごぼう」を作る。

テレビは見るべきものなし。
午後7時半、NHKBS2「男はつらいよ 噂の寅次郎」
を見る。

那須塩原での講演会で100部のバンベーが必要との連絡あり。
山西さんに連絡し送ってもらう。

投稿者 koyama : 17:31 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月01日

2006年の始まり

2006年が始まった。

昨年親戚に不幸があり、今年の新年の挨拶は
欠礼。

今年も頑張って日記を書こうと決意しているが
はたしてどうなることやら・・・・。

午前11時、家族(妻、次男)で新年の朝食。
しばらく家族でテレビを見る。

新聞、年賀状などに目を通す。
私はこの寒さに音を上げている。正直、フエに早くもどりたい
元日だった。

「生きて死ぬ智慧」(柳澤佳子著・堀文子絵:小学館)
を読む。
「般若心経」の解説本と言ってしまえばそれまでであるが、
今日、5回読み直してみた。この本の特徴は仏教関係者
でない人が書いた本であること。著者が日本を代表する
生命科学者。生命科学者が「般若心経」をどう日本語に訳すのか
に強い興味があった。たった14行の経典であるが、
お釈迦様の教えの根本のエキスが要約されているという。
柳澤氏は難しい仏教用語を一切つかっていない。
分かりやすい口語である。分かりやすいために簡単に読み
流してしまうが、何度か読み返してみるうちに深い意味に
気づく。柳澤氏が将来を嘱望された有能な科学者だったが、
31才の時原因不明の病気となり、30年間苦しむ。
病気で科学者としての仕事が出来なくなったり、医師からは
気持ちの持ち方が悪いだけだ、病気ではないなどと言われ
30年間「人生」「生きること」に苦しむ。
玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典の真髄を中国語に
翻訳した経典の真髄。

般若心経を科学で説明しようとしている。
この本のテーマは「空」ということ。
はじめの部分で

「ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・
ほんとうは 野の花のように わたしたちも生きられるのです
もし あなたが 目も見えず 耳も聞こえず 味わうこともできず
触覚もなかったら あなたは 自分の存在を どのように
感じるでしょうか これは「空」の感覚です」と話が始まる。

「わたしたちは 広大な宇宙のなかに存在します
宇宙では形という固定したものがはありません
実体がないのです 宇宙は粒子に満ちています
粒子は自由に動き回って 形を変えて おたがいの
関係の安定したところで 静止します・・・・」

「あなたも 宇宙のなかで 粒子でできています
宇宙のなかの ほかの粒子と一つづきです
ですから宇宙も「空」です 
あなたという実体はないのです
あなたと宇宙は一つです

宇宙は一つづきですから 生じたということもなく
なくなるということもなく
きれいだとか 汚いだとかいうこともありません
増すこともなく 減ることもありません
「空」にはそのような 取るに足りないことはないのです


こうした記述で「空」ということを「般若心経」に
沿って解説して行く。人間が日常生活で悩み・苦しむ
ことが宇宙の中でどのような意味があるのか?ないのか?
「人間は粒子でできている。宇宙も・・・」。
自分と他者、人間と外界も全て粒子とする一元論。
夏目漱石が「則天去私」を座右の銘にしていたそうだが
「空」の概念に通ずるもののように思う。
この本は読むたびに自分と生きることを考えさせられる
ところがある。

寒いので1日寝ていた。

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