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2004年11月30日

フエ水害救援続報

今日も引き続き「フエ水害救援」活動を行った。
午前中、フエ市人民委員会外務部事務所を訪問。
フエ水害の実情と今後の救援問題について、ニエン外務部長、
クン外務副部長と懇談。ベトナム事務所からは、私、
ミン・ベトナム事務所長、ラーム。
●フエ市人民委員会外務部も水位1mの浸水(やっと今日活動再開)

●フエ市人民委員会外務部長・副部長と「水害支援」の打ち合わせ

フエにベトナム副首相と元農業大臣(現水害対策委員会委員長)が
視察に入ったとのこと。水害の最盛時には13万4千人が被災し
救援を待っていたそうだ。現在は市内の水も大方引いて、
泥の除去作業に力を入れている、更にフエ市郊外の農村、ナムドン
などの山岳地帯で行方不明の人がいるとのこと。
フエ市人民委員会は行政として全体的な救援活動を行い、
JASSはNGOとして、行政の大きな網の目から漏れる個々の
被災者を個別・具体的に救済することとした。

午後は奨学金を贈呈し、昨年まで「子どもの家」の子どもたち
が多く通っていた「ヤーホイ高校」を訪問。ヤーホイ高校は
フエ市内の一番低湿地地帯である「フーヒエップ地区」にある。
学校の近くは50cm程の泥にまみれ、ミン・ベトナム事務所長
の運転するオートバイは何度もハンドルを取られ、転びそうに
なった。
●路上では「泥」を運ぶ手押し車が目立つ。復興が進み始めた。


ヤーホイ高校では、校長先生と二人の副校長先生と
水害の実情、生徒の被害の実態などの事情を聴取。
50%以上の生徒が農村から来ているため、浸水等の
被害を受けている生徒がかなりいるとのこと。
今日は、1日生徒先生で学校の清掃。
洪水は、1mほどの浸水となったそうで、1階の教室、教員室
などは被災。教室、教材教具の全てが泥まみれになってしまった。
●1m以上の浸水の後


●ヤーホイ高校校長先生、副校長先生と懇談

夕方、「子どもの家」の卒業生で現在はフォンザンホテルの
厨房で仕事をしているTHUYさんを訪ねて水害被害の実情を
聴取。同時にTHUYさんを支援している中野亜里先生から
THUYさんへのお土産を渡す。様々な人生の苦労があったがが、
THUYさんは、「子どもの家」で生活。その後料理の勉強をし
私の紹介でフォンザンホテルの厨房に見習いとして臨時採用。
今では正規採用となり、月給も80万ドンもらっているそうだ。
家賃が30万ドン程なので立派に生活して行ける月給となった。
THUYさんも「子どもの家」に最初に入所した「第1期生」である。
先日訪日したSON君と一緒に「子どもの家」で生活した仲間。


明日からフエ市内、フエ省郊外、明後日はクアンビン省へ
水害被災者の支援に行く予定。

投稿者 koyama : 21:31 | コメント (0)

2004年11月29日

フエ洪水救援活動開始

午前8時半、ベトナム事務所で新人日本語教師の中村友香さん
を全ベトナム事務所員に紹介。これから1年間、身体に気をつけて
日本語教師として活躍して欲しい。

●ベトナム事務所全員集会で中村さんを紹介

●自己紹介する中村友香さん


午前9時半、「子どもの家」へ水害被害の実態を視察に行く。
セン運営委員長が出勤していた。センさんも家が浸水し
今まで舟で出勤していた。
●「子どもの家」の水害被害の実情を聞く


「子どもの家」には20cm程の浸水があった。また、3日間にわたる
豪雨のため、食堂とA棟との間の屋根が破損し、雨漏りがひどくな
った。直ぐに屋根の緊急補修をすることとした。
「子どもの家」の子どもたちに被害はなく、元気に生活して
いた。ひとまず安心。
●「子どもの家」の庭には20cmほどの浸水があった。


ベトナム人スタッフの自宅は大きな被害を受けた。
1m程度の浸水があり、泥水で家具などに大きな
被害を受けた。
被害状況にあわせてJASSとして緊急救援金を贈呈した。
・セン運営委員長(1mの浸水)
・ロック寮長(1、3m)
・ニエム寮母(1m)
・マンコンピュータ教師(1、3m)
・ティエン寮母(1m)
・マイ寮母(1m)
・キムアン寮母(30cm)
・ハン寮母(10cm)

午後2時半、在宅支援で大きな被害を受けた子どもたちの
家を訪問・激励し、緊急救援金を手渡した。
今回の水害で一番大きな被害を受けたフエ市内にある旧市街の
フーハウ地区・フーピエップ地区へ行く。王宮とフォン川支流
の間にある低湿地帯である。この地区は貧困家庭が多く
数メートルの浸水があった。
●町中が泥に覆われていた。市民は自力で泥を排除

はじめにフーハウ地区のHIEU君(16歳)の家を訪問。
HIEU君は左手足に障害があり、母親と二人暮らし。
フォン川支流に沿って建築された市営住宅に住んでいる。
1、5mの浸水があった。万一洪水があった場合、
逃げることが出来ないので、1階の家の天井近くに避難場所
の中2階を作って欲しいとの依頼が今年になってあり、
中2階を作った。今回、急激な浸水で逃げ場を失ったが
中二階に逃げて命を取り留めた。
洪水が始まった頃、警察が一軒一軒の家を訪問し、急激な
浸水の可能性があるので気をつけるようにとの注意をして
回ったとのこと。HIEU君母子も急激な浸水に備え、中二階
に逃げていたとのこと。1999年のフエ大洪水の教訓を
フエ市警察はしっかりと学んでいた。現在、近くの市場が閉鎖され
ていて食料品などの買い物が出来ず、遠くまで行かなければなら
ないので困っているとのこと。
●HIEU君の救援金を手渡す

次にフーヒエップ地区のNHIさんの家へ。
やはりフォン川の支流に面して家があった。
1999年の大水害で家の中に2mの泥が入り、生活が
出来なくなり、小さな家を一軒私たちが増築したkとがある。
今回も家の近くまでは行けたが、1m以上の泥が家の周囲
に堆積し、家の中まで行けなかった。泥を撤去している作業員
の人に緊急救援金を渡してもらう。
●1、5mの泥に囲まれて家の中に入れなかった。

●緊急救援金は泥を排除していた「作業員」の人に渡し3メートル先に
 いるNHIさんに渡してもらう。

最後にKHOA君の家へ。チーラン通りの横道にある
低湿地帯。1mの浸水。2日間家にいられずに
知り合いの家で過ごす。フーハウ中学校に通っているが
現在でも中学校は閉鎖されたまま、登校できない
状況である。緊急救援金を渡し生活の再建のために
頑張るよう母親と2人に子供を励ます。
KHOA君の家には近所の子どもたちが集まっていた。
今日から日本語学校を再開。
明日も水害被災者の支援を続行する。
●KHOA君の家の中で

投稿者 koyama : 22:15 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月28日

フエ水害被害続報-ー水害被災者支援を

朝6時半、起床。血圧測定、血圧・心臓薬服用。
NHK政治討論。自衛隊問題を見る。
午前8時半、雨の中、ドンバ市場まで。水害の状況を視察。
最盛時に比べるとかなり水は引いているように見える。
ドンバ市場は通常の商売に戻り始めていた。野菜、肉、魚、花など
庶民の日常生活に必要な品物が所狭しと置かれていた。
午前10時、入浴。「チャートゥー」(豚肉軟骨のにこごり)をつまみに
ビールを飲む。

●水位も下がり始めた「チャンティエン橋」


●豊かな品物が売られているドンバ市場(野菜)

●取れたての魚も売られているドンバ市場

★トゥアティエンフエ省の水害の現状(続報)

①降水量(11月24日~27日)
 ・キムロン(障害児医療センター付近) 944ミリ
 ・ナムドン(山岳少数民族地域)    1280ミリ
 ・アールオイ山岳地帯           987ミリ
②水位
 ・キムロン地域   4、02m(1999年大水害時5、81m)
③死者・行方不明
 ・死者 7名
 ・行方不明 19名
④浸水被害状況
 ・フエ市内(25地区) 23地区が浸水 最低50cm程の浸水
 ・フンチャー郡(アールオイ山岳) 70%の家庭が浸水
 ・フーロック郡(フエ市の隣りの農村) 40%浸水(50~200cm)
 ・フーバン郡(フエのダナン市付近)60%浸水(50cm~150cm)

⑤被害総額  推定700万ドル(7億円以上)

明日から水害被害の全体を調査し、必要な救済支援を行う予定である。

投稿者 koyama : 20:08 | コメント (0)

2004年11月27日

中村友香さん(新日本語教師)フエへ着任

今日も1日雨。少しずつではあるが洪水の水は引き始めた。
午前中、新日本語教師の中村友香さんが無事(?)トンチンカンホテル
へ着任。昨日はホーチミン空港で長時間待たされ、結局、ホーチミン市
で1泊。今日何とか飛行機が飛んでフエへ着任することが出来た。
フエ第1歩は、洪水の泥水の中だった。
これから1年間、身体に気をつけて日本語教育を行って欲しい。
中村さんを除く5人の日本人スタッフは洪水の脅威にも負けず
元気に生活している。食料も足りている。残念ながら日本語学校、
「子どもの家」の日本語クラスが閉鎖されているため仕事にいけない。
丁度良い機会なのでゆっくりと休養して欲しい。
今後、更に数日、雨が続くようだ。

●相当疲れて着任した中村友香さん

●トンチンカン前、泥水のチャンカオバン通りを背景に中村友香さん

●中村友香さんを囲んで日本人スタッフ6人での夕食

今回のフエ洪水は、ベトナム中部全体に大きな傷跡を残した。
水害の実態はまだ当局が明らかにしていない。特に地元の
マスコミではほとんど発表されていないのが実情である。
ハノイ中央テレビで若干の報道があった。以下、現在分かっている範
囲での実情である。

北から南の省へ
・クアンビン省(死者2名)
・クアンチ省(死者4名、9千軒水没)
・フエ省(死者6名、市内70%水没)
・クアンナム省(死者4名)
・クアンガイ省(死者9名)
●フエ省の実態
・死者6名(現時点)は水位が急上昇し逃げられずに水死した高齢者
・11月26日の降水量は1日で900ミリという豪雨
・フォン川は通常の水位より3、5メートル上昇
・11月26日、27日の二日間、約4000人の海外旅行者がフエに
 取り残された。
・フエでは新聞が売られず、地元テレビの報道もない
・フエ市内は70%が水没し、相当数の家庭が浸水している
・被害は徐々に明らかになってきている
★「子どもの家」スタッフの被害(自宅が浸水し通勤不能)
・セン運営委員長、ロック寮長、ハンベトナム事務所会計、
 ニエム、キムアン、ティエン、マン

昨夕、1時間ほど雨が止んだのでドンバ市場など町の様子を視察
ドンバ市場の川側は腰まで浸水。市場前の道路を売り場にして
野菜など食料品・日常品などを売っていた。そのうち、警察が
やって来た「ここは道路だから販売をやめよ」と言い出す。
売り子さんは黙視。しばらくして10人近くの警官と警備員が
ハンドマイクを持ってやってくる。「直ちに道路での商売をやめよ」と
売り子さんを排除する。
旧市街最大の道路であるチャンフンダオ通りの交差点で品物を
売るベトナム人の商魂の逞しさに驚く。結局、しぶしぶ臨時の売店を
撤去する。

●腰まで浸水しているドンバ市場の川側

●フエ市内最大の交差点で商売を始める

投稿者 koyama : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月26日

なお降り止まぬ雨。フエ洪水続報ー中村新日本語教師フエへ来られずー「子どもの家」創立10周年集会中止

今日午前8時からの「子どもの家」創立10周年記念「子どもの家」集会
は洪水でスタッフや来賓が来られず中止となる。150人分の食事を既
に注文済み。「子どもの家」の子どもたちにご馳走を食べてもらう。
東京・浅草は「酉の市」。三の酉。ベトナムへ来る前は毎年必ず行って
いたっけ。こも被りのたる酒で冷酒を飲んだ。

昨日ホーチミン市へ着いた新日本語教師の中村さんはフエ洪水の影響
を受けてフエに赴任できず。今日はホーチミン市に残留。明日、フエに
来られることを祈る。

午前8時、「フエ洪水調査団」を結成。JASSとしての支援の参考にする
ため、市内の被害等を調査してもらう。
ラーム・福田・坂本・松下さんで構成。以下、調査団の写真と報告による。

●トンチンカンホテル前で(JASS水害調査団員結団式)トンチンカンホテル前も浸水

フエの主要な道路は冠水。場所によっては膝から上まで浸水しているとのこと。

●トンチンカンホテルまえのフンブオン通りも浸水

●チャンティエン橋の橋げた下まで濁流が。


今日も1日雨。時々豪雨。このまま数日雨が続くと5年前の「フエ大洪水」
の再来が起こりうる事態となった。フエ市人民委員会外務部も部屋に水が
浸水。外務部長以下部員が荷物の移動におおわらわ。

昨日は夜遅く、部屋に戻ったが、ボランティア貯金調査団以外のホーチミン行きのお客さんは、フエ空港で一晩過ごした。今朝、6時過ぎにボランティア貯金調査団と共にフエ空港へ行ったミンさんの報告によると、たくさんの外国人、ベトナム人が空港ロビーで「バックパッカー」のようにゴロゴロと横になっていたとのこと。
私たちは、知り合いの空港職員から「ホーチミン行きの飛行機はハノイから来ないことになった。ホーチミン市行きは明日7時45分の変更」との情報を得て、通常なら25分で帰れる道を大回りし2時間以上かけてフエ市内に何とかたどり着いた。しかし、ベトナム航空はその時点でお客には何ら情報を流さなかった。私たち以外のお客は、その後、かなり長時間情報を得られないまま放置されていた。ベトナム航空職員は全員「職員控え室」に入り込んでしまい、カウンターには誰もいない。私たちは国道1号線を15分ほど行った所で交通警察に「道路が破壊されている。これ以上フエ市内には行けない」と言われ、逆回りで山岳地域を通って、北からフエ市に帰った。ベトナム航空はその時点で国道1号線が不通になっていることを知っていたはずである。結局、長時間お客に飛行機が飛ばないと言う情報を伝えないままに放置。やっと「今日のホーチミン市行きは飛ばない。明朝」との放送を入れる。多くの外国人観光客は、大型バスでフエ市内のホテルへ帰るが、途中でフエ市内へ行けないと知り、仕方なくフエ空港で一晩過ごすこととなってしまったのである。私たちも山岳地帯の道を通ったが、何回もフエへの道に入るが、道が冠水し、車が動かなくなる寸前となった。
いずれにしろ、官僚国家、お役人国家である。お金を取ってお客さんに奉仕する「サービス」という概念をつめの垢ほども持ち合わせない航空会社である。ベトナム航空のスタッフの誰もが「責任」という言葉を知らない。これで通用するこの国のどこにその最大の問題があるのかが分かるというものである。「批判」という言葉は死滅している。


雨と洪水のため1日中部屋で過ごす。体調不良。疲労を強く感ずる。
「スティグリッツー早稲田大学講義録ーグローバリゼーション再考」(光文社新書)を読む。
これは、2004年4月20日に早稲田大学で講演したノーベル経済学賞を受賞した米国コロンビア大学教授ジョセフ・E・スティグリッツ氏の公開シンポジュームを文章化したものである。IMF(国際通貨基金)を通して「グローバリゼーション」がけして世界の繁栄に繋がらなかったこと、特に発展地上国などに一層の貧困化を押し付けたこと、IMFなど国際金融機関はアメリカの財務省、ウオール街の利益を基礎としてその運営が行われていることなどをケインズ経済学→新古典派経済学を乗り越え、明らかにしている。世界の貧困、環境破壊などを新しい経済学(政治・経済・人類学・心理学などを包含した)理論「非対称情報下の市場経済」で解明。ブッシュ大統領や小泉首相など完全市場原理派が、全てを市場経済に任せれば、経済はうまく行くと言う考えに根本的な異議申し立てをしている。郵政民営化など小泉首相などの進めている税財政政策への厳しい批判の書でもある。私など経済学に全く素人の人間でも良く分かる入門書的な新書。グローバリゼーションの問題点を鋭く指摘。

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2004年11月25日

5年ぶりにフエは大洪水

昨日からの豪雨。今朝4時頃から「フオン川」が氾濫。市内は洪水となる。

●市内はフォン川の氾濫で洪水となる

午前8時半、ボランティア貯金の調査団をフエ空港へ出迎えに。横井さんと小林さんが郵政公社よりボランティア交付団体の活動・会計等の視察にやってくる。
午前9時から子どもたちの健康診断の予定だったが、洪水で医師が市内に来られず、定期健康診断は中止。空港から「子どもの家」へ直行。「子どもの家」のスタッフも洪水で出勤できない。セン運営委員長も洪水のため出勤不能。「子どもの家」ではロック寮長がボランティア貯金調査団を迎えて活動の説明。
私とミンさんが施設案内。

●「子どもの家」を訪問するボランティア貯金調査団

午後10時、オートバイ研修センター視察。途中で洪水のためワゴン車のエンジンが水没し車が動かなくなる。みんなで車を押して何とかオートバイ研修センターへたどり着く。オートバイ研修センターの回りの道は川と化す。住民は舟で道路を行き来している。

●舟で道路を行き来する住民

●子どもたちと一緒に昼食を摂る

午後2時半から「障害児医療センター」を視察。医療センターも洪水の影響で水没。別の部屋でBUI所長、HIEN副所長が活動の説明。

●障害児医療センターも洪水で使用不能

午後3時半、ベトナム事務所訪問。ベトナム事務所ではハンさん、福田副代表から会計帳簿等の説明を受ける。ベトナム事務所員の紹介。懇談。
午後5時半、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校視察。洪水の影響で生徒が登校できず。たった一人の授業となる。

●坂本文子先生と一人の生徒の授業


ボランティア貯金調査団は日帰りでホーチミン市へ帰る予定。洪水の影響もあるので早めにフエ空港へ行く。途中国道1号線が冠水。膝から上まで道路に水が溜まる。途中何度もエンジンに水がかかり車が立ち往生。結局、フエ市内を出て1時間経っても車が動かない。仕方なく知り合いに電話をし、ランドクルーザーを借りる。午後7時過ぎに何とかフエ空港へ到着。しかし、カウンターではチェックインをストップ。ハノイから来る予定の飛行機が来ないという。連絡するまで空港内で待てとのこと。ホーチミン市へ行く予定の多くの外国人旅行者が空港ロビーで待っている。1時間ほど待つが何の連絡も放送もない。
知り合いの空港職員に聞くと「ハノイからの飛行機はキャンセルされた。ホーチミン市行きの飛行機は来ない。明日午前7時45分に飛行機は出る」とのこと。しかし、放送等何の連絡もない。不思議な国である。官僚国家の見本。情報を得た私たちは、ランクルでフエ市内に戻るため、国道1号線を走る。しかし、国道が冠水。その上途中の国道のアスハルトが剥奪し、数メートルにわたり通行不能。同時に停電。交通警察官が出て、全ての交通をストップしている。しばらく待つが国道1号線は通行不能。仕方なく、逆に戻りダナンへ。途中から山岳地帯を通り、クアンチ省方向の北ルートを通る。山岳道路は冠水、がけ崩れが多発。通行不能の箇所を何とかランクルで乗り越え、2時間後の午後10時過ぎにクアンチ省方向からフエ市に入る。郵政公社ボランティア貯金調査団はホーチミン市に帰れず今夜はミン・ベトナム事務所長の「バオミンホテル」(ハンマーホテル)に泊まることとなる。この日記を書いている午前0時近くの今もフエ市内は豪雨である。明日は「子どもの家」で子どもたちと創立10周年記念を祝う予定であるが、果たして出来るのだろうか?


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2004年11月24日

1日中雨。夕方大雨。元秋さん帰国。

数日前から雨模様。今日は朝から雨。1日中雨だった。
午前中は、ミン・ベトナム事務所長と研修生派遣会社に行き、研修生に話をする。
午後、2005年総会議案書の構想を考える。メール送信。
午後3時半過ぎ、ベトナム事務所へ。札幌から来た元秋さん、友人と話す。

●札幌から来た元ベトナム事務所員の元秋さんと友人(ベトナム事務所前ににて)

夕方ベトナム事務所からの帰りは大雨でびしょぬれとなる。
夕食後、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校参観。
坂本文子先生が中級クラスを福田もえ子先生が日本語ガイドクラスを教えていた。
日本へ行ったソン君も中級クラスで熱心に日本語を学んでいた。

●中級クラスを教える坂本文子先生

●中級クラスで勉強する訪日したソン君

●日本語ガイドクラスを教える福田もえ子先生

投稿者 koyama : 19:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月23日

57回目の誕生日ー日本滞在活動記録

今日は57回目の誕生日。特別な感慨もないが、それでも今日までそれなりに健康に過ごせる身体と心を与えてくれた両親と先祖の皆さんに感謝している。一病息災。多少どこかに病気を持っていた方が健康的なのかもしれない。
札幌の3歳の孫から電話があった。電話口で「HAPPY BIRTHDAY TO ジージー」と歌われた時には、思わずじわーっと来たものがあった。複雑な気持ちで感動した。札幌とフエとがこんなにも身近に繋がっているという意味でも、また、3歳の不思議な生命体が遠い札幌から私の存在を意識しているという意味でも、感動を覚えた。
こうして「生命」(いのち)というものが、幾世代にもわたって伝わっていくものなのだ、と改めて実感した誕生日でもあった。
この子の近い将来も含めて「未来」が平和で幸せであることを願っている。そのためにも私たちが住んでいるこの社会を平和な社会にし、地球上から全ての戦争と貧困をなくしたいものである。

老化と言うものは誰もが平等に享受するものである。老化現象は自然の摂理でもある。この数年、様々な面で肉体的な老化を感じている。肉体的な老化は押しとどめることは出来ないが、精神的な老化は、ある程度その進行を遅らせることが出来るような気がしている。「いつまでも若く」という言葉はまやかしであり、無理な言葉である。「いつまでも新しいことへ挑戦を」を合言葉に、年齢に逆らわず、これからの人生に挑んで行きたいと決意した「団塊の世代」の誕生日であった。

午前中2時間、福田副代表と当面の諸問題について話し合う。昼食後、午後2時半、研修生派遣会社へ。午後3時半、ある問題でフエ警察へ。午後5時からフエ市人民委員会外務部長と懇談。ミンさん、ラームさんも同席。午後6時過ぎに夕食。もえ子、原さん、松下さんと。午後7時過ぎ、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校参観。1階では原先生が「上級クラス」の授業。このクラスは、2005年3月に卒業する。2階ではフーン先生が日本語ガイド養成コースの授業。

●上級コースを教える原先生

●日本語ガイドコースを教えるフーン先生

★2004年10月・11月日本滞在講演会等活動結果
(11月2日~21日までソン君訪日)

9/26(日)帰国
 27(月)
 28 (火)
 29 (水) 千葉県立八街高校授業(20人)
 30 (木) P2支援者懇談
10/1(金)
02(土)A11日比谷国際協力フェスタ その後、静岡へ
  P5藤田栄氏懇談 
  P7静岡市 清水・入江地区青少年健全育成推進大会講演(330人)(静岡泊)    
03(日)静岡→東京
04(月)
05(火)A9心臓通院 
  P6マルタカ40周年記念式典(赤い顔代表)(100人)
06(水) 
07(木)P6:30高校クラス会
08(金) 
09(土)支援者(伊豆高原)
10(日)A10 静岡(Kさん問題打ち合わせ)
11(月祝)P1国際ボランティアを考えるつどい(さいたま市)日本郵政公社(300人) 
12(火)
13(水)P1千葉県立八街高校授業(20人)
14(木)
15(金)
16(土)
17(日)
18(月)和歌山青年会議所寄付贈呈式 PM7~9和歌山ビック愛(100人)
19(火)和歌山→東京
20(水)
21(木)P1柏市立柏高校授業(30人)
22(金)P5 ブライセン社長藤木氏懇談
23(土)P1東京足立区立東加平小学校講演 (70人)
P4森田・加藤氏懇談
24(日)東京(13:00)→札幌(14:30)
25(月)札幌
  26(火)札幌  
  27(水)札幌 国際ソロプチミスト帯広みどり、JICA帯広懇談
  28(木)帯広 午後1:30 JICA帯広講演会(20人)
     P5時、芳村さん弔問
  29(金)札幌(15:25)→東京(16:55)
  30(土)東京(15:05)→福岡 (16:45)
  31(日)「日本オムバス」福岡県吉井町にて講演会(30人)
11/1 (月) 福岡(13:15)→東京 (14:40)
   2(火)A7:20 SON君出迎え(成田)
   3(水)祝)A10雑誌「ぎょうせい」インタビュー
        P6 SON君歓迎夕食会
   4(木)静岡 P12~12:45 静岡市長懇談
   5(金)静岡 A10静岡市立長田西小講演会(120人)
         P3静岡県立静岡東高校講演会(70名)
11/6(土)A10 Kさんご両親、笠井・滝下さんなどと懇談
      P1  静岡市国際課関連者と懇談
      P2「子どもの家」10周年記念イベント(静岡の会)(70人)
      P5:30静岡の会晩餐会
  7(日)静岡→京都
      P1:3010周年記念集会 (京滋YOUの会)(80人)
      P6 10周年集会参加者との懇親会
  8(月)京都 A10京都産業大授業(80人) 
         P1:30京都産業大生フエ訪問説明会(22人)
         P6京滋YOUの会との懇親会
  9(火)京都→札幌
 10(水)A10資生舘小学校訪問
 11(木)札幌 ソン君体調を崩す
 12(金)P6:30「子どもの家」10周年記念(札幌の会)(30人)
      P9札幌の会との懇親会
 13(土)札幌→東京
 14(日)P1:30「子どもの家」10周年記念イベント(東京)(90人)
 15(月)車免許証更新 P1:30ホットライン代表取締役須賀孝様懇談
 16(火)P12:30清水ロータリークラブ例会(50人)
 17(水)P1千葉県立八街高校授業(16人)
 18(木)A9:30千葉県浦安市長懇談 P12榊原記念病院
 19(金)ベトナム帰国準備
 20(土)P1:30 10周年記念(茨城火焔樹の会)土浦市(60人)
 21(日)A10 成田発(SON君と)ホーチミン→フエ着(P7:40)
 

講演会数 21回
参加人数 1708人

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2004年11月22日

元秋さんフエ訪問。フエ滞在初日の諸活動

昨日は、朝5時から午前1時までの活動でかなり疲れる。今日22日(月)は午前5時起床。日本の午前7時のNHKニュースを見る。
午前7時、朝食。2ヶ月ぶりに日本人スタッフ(5人)で「ブンボー」を食べる。皆さん元気に生活しているようで一安心。今年の秋は、この11年間では初めて雨のない、暖かな秋だったようだ。私の部屋の衣類も全くかびていなかった。

●2ヶ月ぶりに日本人スタッフと朝食


午前9時、ベトナム事務所で元秋さんと懇談。元秋さんは1996年頃から2年間、ベトナム事務所員としてストリートチルドレン支援活動を共にしてくれた若者。現在34歳になるという。友人と一緒に数日前から久しぶりにフエに滞在したとのこと。現在、札幌で子どもたち関係の仕事していると言う。元気な様子をみて一安心。わざわざフエまで訪ねて来てくれたことに感謝。ベトナム・フエでの活動が少し軌道に乗り始めた頃に一緒の活動してくれた元秋さんなどの力が「子どもの家」10周年の基礎になっていることに改めて感謝する。2時間半ほど話し合う。30分ほど昼寝。
午後1時半、オートバイに乗ろうとしたが動かない。それをみていたトンチンカンホテル前の路上の靴屋のおじさんが「私がオートバイ屋にもっていってやるよ」と言って直してきてくれる。修理費50円。お礼に200円渡す。午後2時から床屋さんに行く。100円。午後2時半、研修生派遣支援事業で問題が起こり、研修生派遣会社の社長と1時間ほど懇談。
午後4時からラームさん、ミンさんと一緒にベトナム事務所会計ハンさんのお母さんのお宅へ弔問。
日本事務所からのお花代、その他日本から預かってきたお花代を渡す。当年67歳だったそうだ。キリスト教の葬儀を行ったとのこと。

●亡くなられたハンさんのお母さん宅を弔問


午後6時から夕食。夕食中にNHUちゃんがトンチンカンホテルに突然やってくる。NHUちゃんは11年前にフエ師範大学の教員をしていた頃、大学内のゲストハウスにお菓子を売りに来て知り合った。当時10歳。その後、1995年に「久米宏のニュースステーション」で取り上げられる。里親に小島由江先生が付いてくれ長年支援を続けてくれた。1999年、訪日。再度「久米宏のニュースステーション」に取り上げられる。
その後、事情があってホーチミン市に行ってしまう。この4年間、音沙汰がなかった。今日、突然、トンチンカンホテルを訪ねてくる。「昔、色々とお世話になったので今日は御礼に来た」とのこと。現在21歳になったという。既にホーチミン市で結婚し、今回、IDカードを作るためにフエに一時戻って来たという。明日、ホーチミン市に帰るそうだ。今は、美容師になるための2年間の研修を受けていると言っていた。
昔に比べ、かなりふっくらとしていた。生活は安定しているようで安心する。11年前からの支援を覚えていて、フエに立ち寄ったついでであってもわざわざお礼を言いたいと会いに来てくれたことは嬉しいことである。繰り返し、「里親の小島先生は元気ですか?」「今後、いつベトナムに着ますか?」「里親だった小島先生に是非会いたい」と言っていた。10年間のフエでの活動の意味を改めて考えさせられた。こうして11年間フエにいることで10歳と小さかったNHUちゃんが様々な問題をもちながらも結婚し、こうして安定した生活を送れるようになった姿を見ることができるのである。「支援は2年か3年で終了すべきだ。長々と支援をしても依存心ばかり強めて却って相手を駄目にする」などと物知り顔でいうNGOの方もいるが、10年程度の支援をすることもまた、意味のあることだと敢えて言いたい。「支援のようなこと」をして、しっぱなしで次から次へ渡り歩く「渡り鳥ボランティア」も空しいもののように思うのは私だけだろうか?

●NHUちゃんと一緒に記念写真

●ファシスト小泉首相
NHKのニュース。チリで小泉首相が中国の胡錦涛主席と会談。中国側の「首相の靖国神社参拝はやめるべきだ」との発言に対し「靖国神社参拝は不戦の誓いだ」との返答をしたそうだ。
「自衛隊がいるところが非戦闘地域だ」との国会答弁と同様、小泉首相は、「問答無用」の首相である。
靖国神社にはA級戦犯が合祀されている。A級戦犯は、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニと同様、戦後世界では共通して第2次世界大戦の戦争犯罪人として断罪しれている人間である。そした人が合祀されている靖国神社を参拝して「不戦の誓い」と豪語する小泉首相。イラク全土に非常事態宣言が出され、自衛隊のいるサマワには砲弾が打ち込まれている。イラク全土に非常事態宣言がだされているということは、常識的にはイラク全土が危険地帯とも言える。だからこそ、「自衛隊のいるサマワは戦闘地域ではないのか?」との疑問が出るのは当然である。合祀されているA級戦犯を慰霊してどうして不戦の誓いなのか?  欧米で国家の指導者がヒトラーを礼賛したら非難ごうごう、直ちに辞職である。
小泉首相の態度は、意見の違いはあっても「論議していく」という民主主義と相容れない、ファシズムの思想である。1932年(昭和7年)の「5・15事件」で反乱軍によって射殺された当時の犬養首相は「話せば分かる」と言ったそうだ。しかし、ファシスト反乱軍将校は「問答無用」と犬養首相を射殺したと言う。
小泉首相の政治的見解がどうであれ、少なくとも真っ当に論議することが必要であるが、小泉首相の態度は「論議そのものを否定する」態度である。私は小泉氏が総理になった時から「小泉ファシスト、小泉ヒトラー」と言っていた。残念ながらますます、小泉首相は真っ当な論議、話し合いを否定し「問答無用」、民主主義そのものを否定するファシズム首相の様相を一層強めている。

●卑怯な「ポマード大王」
1億円の小切手をもらったと贈賄者が言明している元首相の橋本氏は「1億円の小切手をもらたかどうか覚えていない」との態度を取っている。今日の報道では、衆議院政治倫理審査会で弁明すると言う。
政治倫理審査会は基本的に非公開、かつ本人の弁明をする場である。元首相ともあろうポマード大王は卑怯である。1億円の小切手をもらったかどうかを「思えていない」と逃げずに、証人喚問の場で正々堂々と自分の身の潔白を証明すれば良いのである。姑息にも何を言っても咎められず、原則非公開の場で国民の前からも隠れて、こそこそと「説明した」と言う形を作ろうとしている卑怯な態度が見えみえ。ポマードで髪型を決める前に「自らの人間性をきちんと決めたら」どうだろうか?

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2004年11月21日

成田→ホーチミン市→フエ

午前5時起床。午前6時半自宅を出て日暮里からスカイライナーで成田空港へ。今朝は寒い。セーターの上に雨具用のシャツを着る。午前8時半、成田空港で福田勝夫・洋子夫妻、寒河江さん、西山さん、吉岡さん、そしてソン君と合流。チェックインの手続き。昨日、例の「親知らず」痛が再燃。寒河江さんが痛み止めを持って来てくれる。今日は日曜日のせいか、成田空港は超満員。 そのまま入国手続きへ。

●成田空港で(吉岡さん・西山さん・寒河江さん・ソン君・福田夫妻)

●見送りの皆さんとお別れ


午前10時発のVN機でホーチミン市へ。6時間の空の旅。今回はソン君も飛行機に慣れて午前11時の機内食を良く食べる。機内も退職者グループと思われる中高年の男性と若者と満席。午後2時(日本時間午後4時)、無事ホーチミン市へ到着。気温は32度。暑い。半袖になる。ちょうどホーチミン市に仕事に来ていたラームさんと外務部員のホアンさん(10年前の私の教え子)と合流。

●ホーチミン市「タン・ソン・ニャット空港」で(小山・ラーム・ホアン・ソン)

フエ行きの飛行機のチェクイン手続きをし、4時間ほど空港内でまつ。午後6時丁度、満席のプロペラ機は飛び立つ。1時間45分を費やしフエへ。午後8時近くにフエ空港へ。フエの気温は23度。ホーチミン市と10度の気温さがあり、寒い。再度、半袖からセーターと雨具用の上着を着る。
空港にはバオミン・ベトナム事務所長が待っていてくれる。午前11時から午後10時(日本時間)まで食事を摂っていないのでソン君に「夕食は何が食べたい?」と聞く。ソン君は「フォーに唐辛子をガンガン入れて食べたい」とのこと。その足でフォー専門店「フォーサイゴン」へ。地ビールの「フダビール」「フェスティバルビール」を少し飲む。ソン君は予告通り、フォーが真っ赤になるほど唐辛子を入れて「美味しい」「美味しい」と言ってフォーを食べていた。トンチンカン着午後9時半。

●願望だった「フォーに唐辛子をガンガン入れて食べている」ソン君(ご満悦)

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2004年11月20日

茨城県土浦市で「火炎樹の会」主催現地報告会ー明日、フエへ帰国

午前9時自宅発。10時20分、上野駅でソン君のホームステー先・高橋ますみさんと合流。スーパー日立に乗り、午前11時13分土浦駅着。中村さん、斉藤さんが車で出迎え。

①上野駅まで見送りの高橋ますみさんとソン君

②お昼は火炎樹の会の皆さんと蕎麦を打ち、けんちん蕎麦にして食べる

③地元の太鼓とお囃子の皆さんがソン君歓迎の演奏

④美浦村の元村長市川氏の挨拶

⑤現地報告をする小山、ソン君

⑥フルートでフエの作曲家「チン・コン・ソン」の曲をひく地元高校生の於曽能亜美さん

⑦ソン君と火炎樹の会の皆さん

⑧参加者と記念撮影

⑨中村・ソン・松下・横島の皆さん

⑩講演会終了後の「懇親会」まで上田元代表も参加

お昼は、会場にある調理室を借りて、蕎麦打ち。ソン君は結構上手に蕎麦を打つ。その場でけんちん汁をつけてて食べる。美味しい昼食。
午後1時半から午後4時過ぎまで「火炎樹の会」主催の現地報告会。
はじめに地元のお囃子の会がソン君歓迎のお囃子と太鼓、踊りを披露してくれる。元茨城県美浦村の市川村長の激励の挨拶がある。
今年、火炎樹の会はフエ訪問ツアーを実施。前段で訪問ツアーの様子をコンピュータやビデオを使って報告する。中々上手にまとめられていた。続いて、ソン君の日本語での自己紹介と挨拶。その後、私の現地報告。お茶タイムがあり、後半はソン君への質問、インタビュー。午後4時過ぎに斉藤さんの閉会宣言で終了する。会場には、11月26日から新日本語教師となる中村さん(茨城県龍ヶ崎市)や現在、「子どもの家」の日本語クラスの教師をしている松下さんのお母さんも参加。昨年までフエで日本語教師をしていた横島さんもアオザイ姿で登場。ソン君と交流を深める。報告会には52人の方々が参加した。
午後5時から会場近くのお店で「親睦会」。上田元代表や福田もえ子副代表のご両親、山西副代表、火炎樹の会の皆さんなど20数人が参加。午後7時過ぎまで親交を深めた。ソン君は今夜、福田副代表の家に泊まり、明朝8時半に成田空港で私と合流することになっている。
私は、懇親会終了後、土浦駅まで車で送ってもらい、フレッシュひたちで上野駅へ。自宅着午後9時半。明朝起床は午前4時半。自宅を5時半に出て日暮里経由で成田空港へ。午前10時成田発の飛行機でソン君とホーチミン市へ。夜7時半頃フエにつく予定である。

今回は東京では高橋ますみさん、札幌では小川道子さんのお宅にホームステーさせて頂いた。改めて高橋さん、小川さんに感謝したい。また、静岡、京都、札幌、東京、土浦の現地報告会では多くの方々のお世話になった。この日記をかりて深謝。ソン君の里親を長年してして頂いた私の恩師「岩淵房夫先生ご夫妻」にもお礼を申し上げたい。

お陰さまでソン君は「親知らず」の痛みが現在も多少ある程度で、元気に日本滞在を楽しんで明日帰国の段取りとなった。ソン君がベトナム事務所員として大きく成長することを祈りたい。

次回の私の帰国は1月22日から2月10日位までである。
11月2日から11月21日までソン君の日本滞在にご協力頂いた多くの方々に再度深謝したい。

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2004年11月19日

ベトナム帰国準備

今日は30日ぶりに休日。ベトナム帰国の準備をした。午前中は、池袋の東京三菱銀行へ行き、円をドルに両替する。1ドル=107、10円(手数料込み) 何種類かに分けて両替。半日かかる。午後は、この2ヶ月間の諸荷物など部屋の整理。明後日ベトナムへへソン君と帰るための諸準備。買い物などをする。荷物を小さいスーツケースへ詰めるが満杯で入りきれない。各地を回り、支援者から「子どもの家」へのお土産や訪問者から写真などを相当数預かって来た。これらの品物が小さいスーツケースの3分の2以上を占めてしまった。買い物を家においていくことにする。そんこんなで1日が過ぎた。

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2004年11月18日

千葉県浦安市長と懇談 通院 午後、ソン君はディズニーランドへ

午前8時に自宅を出る。都営地下鉄経由東西線の浦安駅でソン君、山西副代表と合流。午前10時から
千葉県浦安市の松崎秀樹市長と懇談。

●浦安市長にベトナムからのお土産を渡すソン君

●大きなクリスマスツリーが飾られた新宿NSビル

●ディズニーランドで楽しむソン君と日本事務所の西山さん、吉岡さん(撮影山西副代表)

郵政公社のボランティア貯金はJASS日本事務所のある浦安の郵便局経由で申請している。松崎市長は浦安市の「ボランティア貯金推進協議会会長」でもある。私たちが頂いているボランティア貯金の申請地元会長さんということもあり、ソン君を連れてボランティア貯金のお礼と今後の支援要請、現状報告を兼ねて訪問。30分ほど懇談。その後、地元コミュニティー・ペーパー(行徳、浦安、葛西、市川)の取材を受ける。ソン君は疲れも取れ、食事も出来るようになり元気な様子だった。一安心。ソン君は午後12時から日本事務所の西山優子さん、吉岡さん、山西さんと葛西臨海公園「水族館」その後、ディズニーランドへ行き、最後の日本滞在を楽しんだ。夜9時過ぎまで。
午前10時45分、急いで心臓病治療のため新宿の榊原記念クリニックへ。浦安駅からから約1時間。受付終了時刻である11時半の数分前に滑り込む。私の担当主治医は火・木の午前中しか診療をしない。今日を逃すと11月21日にベトナムへ帰国してしまうので、心臓治療薬をもらうことができなくなる。
心電図を取ったあと、今日は心臓エコーも行う。その後、主治医の診断と助言などを受ける。薬3種類を処方。午後1時半に薬をもらい9000円の治療費を支払う。高い。
午後2時、新宿NSビルを出て帰宅しようとビルの吹き抜けを見ると大きなクリスマスツリーがあった。もうそんな季節になるのか?と思いながら帰宅。
帰宅後、帰国日程を調べてみると今日まで30日間休みなく日本で活動したことになる。さすがに身体が動かなくなってきた。
昨夜、バオ・ミンベトナム事務所長より連絡。ベトナム事務所の会計担当のNGOC HANH(ゴック・ハン)さんのお母さんがお亡くなりになったとのこと。ベトナム事務所として出来るだけのことをするようバオ・ミンさんに連絡する。ハンさんのお母さんのご冥福を心よりお祈りする。

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2004年11月17日

千葉県立八街高校でソン君と一緒に授業

午前10時前に次男耕太と一緒に自宅を出る。西台→水道橋→錦糸町→千葉→榎戸と乗り換え、2時間半かけて千葉県立八街高校へ。榎戸駅には教頭先生が車で迎へに来てくれる。
千葉県立八街高校には既にソン君が来ていた。ソン君は昨夜から千葉県立八街高校3年生の渡辺君のお宅にホームステーしている。渡辺君は昨年、私たちの「国際ボランティア養成講座」を受講し、昨年、今年と会主催のスタディーツアーで「子どもの家」を訪問している。午前中は3年生の渡辺君の授業にソン君も特別参加。英語の授業では1時間使って、ソン君と生徒との交流もしたそうだ。
午後1時20分から午後3時10分での2時間の授業を行う。最初に私からソン君の紹介。その後、全員で校庭へ出て「ダーカウ」を行う。ダーカウとは、バドミントンのシャトルのような羽を足で蹴って遊ぶベトナムの若者に一番人気のある遊びである。サッカーをしている生徒はダーカウが中々うまい。1時間、みっちりとダーカウをして親交を深める。
2時間目は、「日本語が少しできる外国人に自分の意思をどう伝えるか」という課題を持って、16人の生徒一人一人とソン君が意見交換を行う。早口すぎたり、難しい言葉を使うとソン君には通じない。通じない時にはどのような言葉の言いかえをしたら良いのかなど、16人の生徒一人一人が体験を通して、日本語がある程度話せる外国人との意思疎通の仕方を学ぶ。
授業終了後、急いで榎戸駅経由で千葉駅へ。千葉駅には東京でホームステーしている高橋ますみさん(花博士)が迎えに来てくれている。高橋さんにソン君を頼み自宅へ。自宅着午後6時。
往復5時間の道のりははやり疲れる。家に着いた時には身体が固まってしまった。「日本の若者はなっていない」などと声高に言う人もいる。しかし、今、私たち大人に問われているのは、日本の若者と共に活動し若者のために何wそするのかである。大言壮語はいらない、行動と実行あるのみである。

●ダーカウをして交流

●ソン君と授業

●千葉県立八街高校「国際ボランティア養成講座」授業風景。ソン君と小山耕太

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2004年11月16日

清水ロータリークラブ例会で話す

午前7時半過ぎに自宅を出て、巣鴨ー東京経由「こだま」で静岡へ。静岡で東海道線のぼりに乗り換え、清水駅へ。清水駅前商店街は衰退していた。かなり立派な商店街であるが、人がまばらである。
しばらく商店街を歩き、「ホテルサンルート清水」へ。午後12時半からこのホテルで清水ロータリークラブの例会が行われる。清水ロータリークラブは、2年前から「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校に支援金を贈っている。今日は、例会で日本語学校や会の取り組みを話し、山田会長さんから日本語学校への支援金を頂く。ロータリークラブは100年前にアメリカで誕生し、現在世界166ヶ国にあるそうだ。清水ロータリークラブの会員は56人。午後1時半頃、会場を離れ帰宅。自宅着午後5時。
●清水ロータリークラブ

●清水ロータリークラブの山田会長より支援金を頂く

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2004年11月15日

ホットライングループを訪問

午前中、10数通のメールを受信し、10通の返事を出す。午前9時半、自宅を出て、板橋警察へ。運転免許証の書き換え。「ゴールド」「優良運転手」とのこと。既に15年ほど運転をしていない。簡単に免許証の書き換えは終わる。その足で、JR五反田駅経由東急池上線の戸越銀座駅下車。オートバイやリサイクルなどの「ホット・ライン」代表須賀孝氏、「トップ・ランド」代表取締役須賀佳代子氏と懇談。2時間半。会の活動経歴、実績、目指すものなどを説明。須賀氏は、古田土会計事務所長の紹介で懇談することとなった。様々な会の活動を説明し、日本語学校などへの支援として当面60万円の支援を約束してくれた。
午後5時、自宅着。寒さと10日間の各地へのツアー、昨日の東京集会などでかなり疲れた。自宅へ着き1時間ほど横になる。ベトナム事務所へ電話。ミン・ベトナム事務所長、ハン会計担当と「子どもの家」トイレ建築の件や奨学金の実情などを話す。
午後8時半、NPO環境ネットワークの川崎さんに電話。来年1月の講演会の打ち合わせをする。

●ホットラインのオートバイ会社

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2004年11月14日

「子どもの家」創立10周年東京集会

午後1時半から東京北区教育会館で行われた「子どもの家」10周年東京集会には90人の方々のご参集を頂き成功。

●集会司会 石崎さん・原さん

●「子どもの家」卒業生ソン君の挨拶と通訳のホアン君

●於曽能亜美さんのフルート演奏

●ソン君の里親岩淵房夫先生ご夫妻

●「子どもの家」・ボランティアについての若者パネルディスカッション

●東京集会風景

●東京集会実行委員一同

東京集会は大学生の石崎さん、原さんの司会で始まった。
①ソン君の挨拶(通訳 ホアン君)
②現地報告(小山)ビデオなどを使い、40分ほどの報告
③ソン君の報告(通訳 ホアン君) ソン君の「子どもの家」での生活などの報告
④ソン君の里親を10年続けた岩淵房夫先生ご夫妻の挨拶とソン君からの花束贈呈
 岩淵先生は私が小学校5年から中学3年まで通った近所の学習塾の先生であり、
 私の高校の漢文の先生でもあった。父親が高2の時に急死し、翌年、弟が白血病で入院し、我が家の生活が成り立たなくなった時、身元保証人となってくれた岩淵先生は私の就職口である巣鴨駅前の中華料理店を探してくれた。その後、大学在学中は、先生の塾の教師として採用してくれ生活の面倒をみていただいた。私がベトナムへ行くと聞いてすぐに里親を引き受けて頂き、ソン君の里親を10年間続けていただいた。私の最も尊敬する恩師である。
●15分間の休憩。内田さん、柳沢さん、高橋さん、中村さんなど会を最初から支えてくれた皆さんのコーヒーや物品の販売などがあった。
⑤午後3時半からボランティア・「子どもの家」などを考える若者のパネルディスカッション
司会は今年の8月まで2年半日本語教師をしていた西山優子さん。パネラーは高校生の於曽能さん、渡辺君、工藤さん、大学生の古瀬さん、そしてベトナムからソン君。
⑥「子どもの家」活動への質問タイム
●若干の休憩があり
⑦沖縄の知念良吉さんのライブ
 知念さんは、「子どもの家」やフエの高校などでも沖縄の島歌などのライブを行っている。

午後5時過ぎ、東京集会は散会となった。

昨日まで左の頬の痛みと腫れを訴えていたソン君も「親知らず」の腫れと分かり、昨日歯科医師の手当て受け、今日は大分回復していた。

東京集会を成功させるために多くの皆さんの事前準備があった。改めて御礼と感謝を申し上げたい。

投稿者 koyama : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月13日

札幌から東京へ帰る 10日間の旅

昨夜の札幌の会の懇親会で痛飲。今朝は午前中、いくつかのメールやソン君の体調などを関係者に報告。昼食は、カレースープ。
午後12時過ぎ、長男の嫁さんの運転でソン君のステー先である小川道子さんのお宅へ。小川さんのお宅では、小川さんご夫妻、長男、その友人の方々がソン君を見送ってくれる。4泊5日、ソン君の生活の全ての面倒をみて頂いた小川さん一家に改めてお礼申し上げたい。
ソン君がかなり疲れていること、札幌の天気予報jが雪(気温は昼で6度)などもあり、車で新千歳空港へ行くことにした。長男の嫁さん、その妹、孫(この3人は2004年9月14日、フエ王宮での10周年式典に参加。ソン君と仲良くなっていた)と一緒に約1時間、高速道路を突っ走り、札幌市内から新千歳空港へ。空港内で何か買い物をと聞くが、ソン君は「何も買いません」とのこと。そのまま、荷物を預け、待合室へ。3人の親族と別れる。
午後2時丁度にAIR DO機は空港を離陸。気づくと午後3時半、羽田空港に着いていた。私もソン君も疲れていた。
羽田空港には、ソン君のステー先の高橋ご夫妻とホアン君(ブライセンの藤木社長の支援を受けている)が迎えに来てくれている。感謝。高橋夫妻にソン君の左頬の状況を説明。羽田でソン君と別れ、京急ー都営三田線と乗り継ぎ、約1時間半後に高島平の自宅に着く。直ぐに寒河江さん、高橋さんから電話。
浦安市にある寒河江さんの近所の歯科医にソン君をくれて行ってくれたそうだ。結果的には、疲労から「親知らず」に細菌が入ったとのこと。当面の緊急措置を行い、抗生物質で治療。
ソン君の左頬の腫れの原因が分かりほっとする。高橋さん、寒河江さんに感謝。やはり10日間、静岡、京都、札幌と回ったことは、ソン君には相当の疲労の原因のようだ。
明日は、東京の集会。ソン君の体調を見ながら集会を運営することを寒河江さんと話し合う。
夕食:糠漬け(きゅうり、人参、セロリ)、小樽の親戚から送ってもらった「しめ鯖」「ムール貝の燻製ハーブオイル風味」「香草風ローストチキン」を肴に一杯飲む。小樽レストラン「めるかーど」製。
●札幌の山には雪が・・・・・


●札幌新千歳空港にて

●小樽から送られて来た小樽レストラン「めるかーど」の料理の一部

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2004年11月12日

札幌10周年報告会

ソン君の体調不良のため、いくつかの計画を取りやめる。ソン君は、今日も1日小川邸で休養。
午後5時半過ぎ、札幌市民会館へ。大通り公園には、数年前から始まった冬のイルミネーションがきれいに輝いていた。雨。
ソン君は、左頬が腫れてしまい、食事がしにくいとのこと。それでも笑顔で人に接していたが、やはり疲労は隠せない。
札幌の会の小川代表と中村さんが受付等の準備をしていた。しばらくすると函館の菊先生が来られた。
午後6時半には、30名ほどの参加者となり、小川代表の挨拶で報告会がはじまる。私のほうで1時間ちょっと「子どもの家」10年の歴史と到達点などをビデオを使って話す。ビデオセットはいつものように鹿又さんに用意して頂く。10分ほど、コーヒー休憩。コーヒー等の売上げや寄金4万3千円を頂く。
ソン君が日本語で支援のお礼、10年間の思いを10分ほど報告。その後、質問タイムとなり、午後8時50分まで質問等に答える。会場には、お会いした事もない方々が多数参加。高校受験を控えた女子中学生とお母さん、高校2年生の総合学習でベトナムを取り上げた女子高生とお母さんなど高校生や若者もかなり参加していた。また、10年前に出来た札幌の会の創立当初からの支援者の顔もあった。
娘さんが中1の時に父娘で「子どもの家」に来られた安達さん。娘さんは現在薬科大の2年生になっているという。12歳の娘さんの顔は覚えているが、大学2年生の娘さんの顔は想像できない。今夜は明日からの試験で参加できないが、娘さんは大学で今夜の会のチラシを友人などに配布していたそうだ。

10周年現地報告会終了後、狸小路で懇親会。8人半参加。午後11時近くまで旧交を温める。ソン君は体調不良で10分ほど懇親会に参加し、軽い夕食を摂って小川さんと帰宅。

●わざわざ函館から駆けつけてくれた菊先生

●小山現地報告

●ソン君の日本語挨拶

●中3で参加してくれたお母さんと娘さん


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2004年11月11日

ソン君1日休養

11月2日に訪日したソン君も10日間の訪日活動で相当疲労の色が濃い。昨夜は札幌の会支援者の鹿又さんご家族と焼肉を堪能。その後、小川道子邸で熟睡。今日は、小川さんのお宅で朝食を摂った後、すぐに「寝むい」と言って寝始める。昼食も摂らずに寝続ける。午後5時過ぎに小山家族と夕食を摂るために小川さんのお宅へ伺う。ソン君は朝から引き続き、寝ていた。朝食後、昼食も摂らずに寝ているということは、相当の疲労が蓄積していると判断。訪日での新しい体験、多くの人々との出会い交流などの精神的なストレスや疲れが出たのだあろうか?
とにかく、今夜の夕食会は急遽中止とし、休んでもらうこととした。昨夜からの睡眠時間は20時間ほどになる。相当疲れていると思われる。今日、明日はゆっくり休んでもらうこととした。
明日午後6時半、札幌市民会館での『ベトナムの「子どもの家」10周年のあゆみ』でもソン君に負担がかからないような会運営を札幌の会の小川代表と話し合った。

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2004年11月10日

札幌市立資生館小学校見学

午前10時から午後12時半過ぎまで、札幌市立資生館小学校と関連施設を参観した。小学校は21クラス(障害児学級2クラスを含む)、584人の小学校である。

●コンピュータ教室で得意のパソコンで「ベトナムのベトナム語サイト」を検索しているソン君

●資生館小の子どもたちと交流するソン君

小川さんと関係者の案内で。資生館小学校は「創成小」「豊水小」「曙小」「大通小」の4つの小学校を統合し、2004年4月から発足した「新しい型」の小学校である。資生館小学校の1階には、「保育園」「子育て支援センター」も併設されている。2階から5階が小学校である。地階には体育館、2階には室内温水プールも設備されている。

鈴木真行校長先生と懇談の後、益村教頭先生の案内で各教室、各施設を2時間以上に渡って参観させて頂いた。施設・設備は大変素晴らしいものであった。校庭も自然芝。各教室はオープンスクールとなっている。120席程もあるランチルーム。統合された4つの小学校は札幌の中心街にあり、それぞれ100年以上の歴史をもっている。私たちの会の支援者でもある元帝京大学木田教授も大通り小学校に通っている。
ソン君はベトナムとの施設設備の違いに驚いていた。特にコンピュータには強い関心を示していた。
パソコン教室、特別IT教室には特に関心を持ち、実際にコンピュータを操作してみた。インターネットでベトナムの新聞サイトを検索し、ベトナム語でニュースを見ていた。「フエの大学よりもコンピュータの設備は良いです」と話していた。
その後、2歳から通っている保育園、子育て中の母子がいつでも無料で遊びに来られる「子育て支援総合センター」も参観。

午後12時半過ぎまで資生館小を参観した後、ソン君は札幌の会の永年の支援者である鹿又さんの案内で各所を参観した後、鹿又さんのご家族と夕食会を行い、小川さん宅へ帰宅。
ソン君は11月2日の訪日以来、かなり疲労がたまっている。明日は1日休養。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
11月9日付けの毎日新聞の片隅に短い記事が載っていた。短文なので以下全文を披露する。

(見出し)「ロープで縛られ送還」ベトナム女性、支援者に連絡

西日本入国管理センター(大阪府茨木市)からベトナムに強制送還されたベトナム人女性、チン・テイ・ギアさん(29歳)が、送還時に「毛布でくるまれたうえ、手足もロープで縛られ飛行機に乗せられた」などと話していたことが8日、支援団体への連絡で分かった。
 ギアさんによると、毛布にくるまれたままで空港に連れて行かれ、口に円盤のようなものをくわえさせられ、ガムテープでふさがれた。飛行機では寝かされたギアさんの上に3人の入管職員が座った。離陸15分後にロープ等は外されたという。同センター(入管:小山注釈)は「詳しい状況は個人情報にかかわることで差し控えたい」としている。(柿沼秀行:記者名ー小山注釈)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記毎日新聞の記事の内容が正確なものかどうかは、確認できないが、11月2日の朝、7時8分に成田に到着したソン君が2時間もの間、入管に拘束された「事件」などを考えると上記毎日新聞の記事もあながち嘘とも言えないような気がする。
ソン君の場合には、ベトナム政府発行のパスポート、日本外務省認証のビザ、一切の間違いのない入国カードを持っていた。ソン君を2時間にわたって拘束するにはそれなりの「疑義」が必要である。書類等では一切の疑義のないソン君を2時間もの間、拘束した理由は不明であるが、ソン君がベトナム人で
ある事、若者であることなど人種的・国籍的なことか、挙動不審しか考えられない。
いずれにしてもソン君には何も落ち度のないことである。上記毎日新聞の記事が事実だとすれば、日本の入管は明らかにベトナム人に対する人種的な差別と偏見を持っているといわざるを得ない。
ソン君やベトナム女性にしたような措置を欧米系の青年や女性するのだろうか? バックパッカーなど欧米系の若者の服装などの方がよほど挙動不審のように思えるのだが・・・・
何も落ち度のないソン君を2時間も拘束しておきながら、金正日の息子の金正男の偽造パスポートでの日本入国を確認しておきながら、何ら処罰もお咎めもなしに出国させている日本の外務省・入管の「強きを助け、弱きをくじく」悪代官体質にうんざりする。外務大臣でも外務省職員でもない鈴木宗男の指示で、外務省の外交方針(対ロシア政策)さえ変えてしまった外務省の弱い者いじめ体質は、未だに変っていない。2004年度「外務大臣表彰」を受賞した者として、苦言を呈する次第である。

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2004年11月09日

午前8時半、京滋YOUの会の三津川さんがホテルまで来てくれる。京都→伊丹行きのバス停まで連れて行ってくれる。午前9時半、京都→伊丹(大阪空港)行きのバスに乗り、伊丹へ。飛行機、バス酔いのあるソン君に酔い止め薬を飲むように言う。午前10時半に伊丹空港へ。1時間半ほど空港で待ち、新千歳行きのJALに乗る。約1時間半で伊丹から新千歳へ着く。その足でJRに乗り札幌へ。午後3時半、札幌駅東口で札幌の会代表の小川道子さんと会う。小川さんの車で小川さんの自宅へ。しばらく懇談。
洗濯機、お風呂、トイレ等の使い方をソン君に説明。
昼食を摂っていなかったが、ソン君は、眠いと言い夕食まで眠る。11月4日に東京を出て六日間。さすがにソン君も疲労がたまって来たようだ。

伊丹空港で待つソン君

札幌駅で。小川道子さんと

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2004年11月08日

京都産業大学にて

午前9時、ホテルへ藤井さん、税田さん、三津川君が迎えに。三津川君の運転で
京都産業大へ。国際貢献とボランティア講座の授業。約50人の受講生。ソン君
と通訳のホアン君が10分位自己紹介。その後、一時間私の話。午後12時話を
終わる。その後20分程質疑応答。昼食後、午後1時半から2005年2月、フ
エ・ボランティア体験ツアーに参加する22人の学生への説明会。京都産業大関
係者、地球の歩き方関係者と一緒に。午後4時終了。地球の歩き方杉田さんとホ
テルへ。午後6時半から京滋YOUの会と夕食会。
●京都産業大国際貢献とボランティア講座

●小山 ソン クアン

●京都産業大ツアー参加説明会

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2004年11月07日

静岡から京都へ

朝8時過ぎ笠井ご夫妻にホテルまで来て頂き静岡駅まで見送り。午前9時過ぎの
新幹線で京都へ。11時前に京都着。駅には中村代表、藤井事務局長、税田さん
、三津川君などが迎えにきてくれた。 大徳寺の大慈院にて現地報告会。約80
人の参加。始めに和服で琴の演奏。続いて大慈院戸田副住職の説法。更に能舞「
石橋」(しゃっきょう)を能楽観世流のみなさんが舞う。

その後30分程私がベトナムでの活動を話す。ソン君の日本語による簡単な自己
紹介。10分間の休憩後、ソン君と小山さんを囲んでフリ-トーク。その後ベト
ナムクイズコーナー。ピースミントのお二人によるミニライブ。最後に京都紫野
ローターアクトクラブよりサッカーボール寄贈。京都府国際センターを通して水
本さんより子どもの家へ100万円の寄贈。水本さんを始めみなさんに感謝。午
後5時頃、全て終了。6時過ぎから関係者と夕食交流会。20人参加。地球の歩
き方ツアー参加の香川の方も参加。午後9時終了。更に私たちのホテルのラウン
ジへ移り10人程で話し合いと交流を深める。長い1日であった。
●京都集会参加者

●琴の演奏

●京滋YOUの会スタッフ

●京都夜の交流会

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2004年11月06日

静岡の会

午前10時からある教育問題について笠井さん、滝下さんなど関係者7人と懇談
。午後12時過ぎまで。一定の方針と体制が出来つつある。その後、笠井さん、
滝下さんたちと昼食。急いで県男女共同参画センターへ。静岡市関係者と打ち合
わせ懇談。笠井さんと。一時間程話し合う。午後2時から静岡県とjass静岡
の会共催の講演会に参画。一時間講演。その後、ソン君を中心とした質疑応答。
午後4時半終了。その後、講演会参加者と反省夕食会。静岡の美味しいお刺身を
食べる。満足。午後9時終了。笠井さんと滝下さんご夫妻、静岡大学院生で通訳
をしてくれたファットさんがホテルまで送ってくれた。
●小山講演会

●ソン君の話

●静岡の会反省会

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2004年11月05日

長田西小-静岡東高校講演会

午前10時静岡市立長田西小で講演会。6年生120人。ソン君は訪日初の人前での話しとなる。私が35分程話したりビデオを上映し、ソン君が日本語で自己紹介。初めてなのでかなり緊張していた。子どもたちからの質問に日本語で答えたり私の通訳で答えたりしていた。二時間の講演会を終わる。午後12時静岡の会の滝下さんが学校まで車で迎えに来てくれる。その足で静岡大道芸ワルドカッブを見に行く

午後3時 タクシーで静岡県立静岡東高校へ。午後4時から一時間ちょっと講演。ソン君は疲れているので滝下さんと大道芸会場内に。七十人の高校三年生を中心にした生徒に講演。午後5時過ぎ終了。午後6時過ぎから高校の先生たちとの合流夕食会。イタリア料理を食べる。午後8時ホテルへ。かなり疲れた1日だったが関係者の皆さんの人柄に惹かれ頑張る。


●静岡市長田西小講演会

●静岡大道芸ワールドカップ

●静岡東高校講演会

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2004年11月04日

小島静岡市長を表敬訪問

午前8時に家を出て東京駅へ。午前9時高橋さん、ソン君、ホアン君と合流。ソン君と一緒に新幹線で静岡市へ。静岡駅には笠井さん 藤田さんが出迎えてくれる。その足で静岡市役所を訪問。小島市長と面談。来年4月に静岡市で友好都市提携調印式を行うこととなる
その後、市長と一緒に昼食。夕食は笠井さん宅でご馳走になる。静岡市内のホテルに泊まる。

●小島静岡市長と

●市長よりお土産をもらう

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2004年11月03日

「ぎょうせい」雑誌インタビュー、夕方SON君歓迎夕食会

午前8時過ぎに家を出て、銀座にある「ぎょうせい」本社へ。ぎょうせい発行の雑誌「悠」のインタビューを受ける。2001年にボランティア貯金の「WITH YOUR LOVE」を取材してくれた関原美和子さん。テーマは、「子どもの家」・ベトナムでの活動と日本の子どもたち。午後1時過ぎ終了。
急いで帰宅し、午後3時過ぎからJASS機関誌バンベ26号の原稿を書く。2000字ほど。午後5時、自宅を出て、西新宿にある「NHA VIETNAM」というベトナム料理店で行われるSON君歓迎夕食会に参加。SON君、ホアン君(ラームさんの弟)、高橋・中村・柳沢・渡辺・山西・寒河江・田中さんなど14人が参加。
中村さんの歓迎の挨拶で会は始まり、SON君の挨拶と乾杯。ベトナム料理に舌鼓を打つ。午後10時過ぎまで。

●ぎょうせい本社で。関原さんと

●SON君歓迎夕食会

●ホームステー受け入れの高橋花博士と教育担当加藤さん

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2004年11月02日

SON君無事(?)成田着

午前4時半起床。午前5時過ぎに自宅を出て巣鴨→日暮里→成田へ。午前7時半、成田空港第2ビル着。空港到着ロビーには、山西さん、寒河江さん、柳沢さんとお孫さんが既に出迎えに来ていた。

●2時間の「拘束」を終え、ほっとした顔で外に出てきたSON君

●SON君を出迎
える日本事務所スタッフ(山西・寒河江・柳沢ー孫、小山、耕太)


電光掲示板には7時8分にSON君の乗ったベトナム航空便が既に成田に到着していた。午前8時過ぎまで待つが、中々出てこない。しばらくするとベトナム帰りの婦人が寒河江さんが作った「歓迎 グエン カック タン ソン君」という紙をみて、「ベトナムの青年が入管で引っかかっていますよ。誰か知り合いがいないか探しています」と教えてくれた。私は次男耕太と一緒に「税関」のドアを逆に中に入って行き、税関職員に事情を話す。税関職員は「税関と入管は全く関係ないので私には何も出来ない。それでは、入管の電話を教えます」と言って親切に教えてくれる。入管に電話を入れる。しばらくでないかたっが、女性の入管職員が電話にでる。SON君の名前と事情を話す。「しばらく待ってください」と言ったままで中々電話に出ない。「私には分かりません」との答え。私は「あなたが分からないのなら、上司でも誰でのいいから聞いて調べて欲しい。別室で取り調べられているベトナムの若者」の訪日招請の責任者が話したいと言っている」と。女性職員は「上司は出勤していません」と間抜けな答え。「あなたが自分で調べたらどうですか?別室に呼ばれているベトナム人は一人しかいないはずだから」と言うが「上司がいないのでできません」の一点張り。情けない。小泉首相が「日本を観光立国にする」と宣言しているその入管職員は、最初に我が日本と出会う人である。この程度の職員しかいないことに絶望感を感ずる。要領を得ないので税関の外へ出る。山西さんの所にベトナム航空の人が来て、SON君が入管でひっかかっていると教えに来たとのこと。「怪しげな人物」と見られたのか、「どこに泊まるのか?」と聞かれたそうだ。JASS日本事務所の寒河江幸子さんの家と答え、寒河江さんの名刺を見せたそうだ。すると入管は寒河江さんの自宅に電話入れてSON君の言った事が事実かどうか確認。しかし、寒河江さんも山西さんもSON君の出迎えに来ているため自宅には不在。更に入管はSON君を疑うことになる。しかし、SON君は日本外務省発行のビザを取得し、ベトナム政府発行のパスポートを持っている。更に入国カードも事前にフエで日本人関係者、ラームさん、ミンさんなどの指導で書いてきている。SON君の入国について、書類上の問題は何もない。あるとしたら入管職員のベトナム人やアジア人に対する「偏見」だけである。SON君は入国に当たっての全ての書類等を所持し、入国について何等疑義のない人物である。入管職員の「目」だけが彼を「疑義のある人物」として捉えたのある。
可愛そうに初めての外国旅行、はじめの外国である日本入国の第一歩でSON君は「2時間」も入管職員に不当な拘束を受けてしまったのである。
午前9時過ぎにやっと「釈放」されたSON君が到着ロビーに出てきた。半そでである。私が「寒くないか?」と聞くと、入管の取調べで緊張し「暑くてしかたがない」とのこと。
4年ほど前にラームさんの弟のLE君が日本に来た時も同様に数時間拘束されている。

とにかく無事(?)入国できたことに感謝。寒河江さん、山西さんの車で夕方、宿泊先の高橋邸に行き、今日は休む事となった。

これから11月21日まで札幌、茨城、東京、静岡、京都と回り、「子どもの家」創立10周年の集会を行う。

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2004年11月01日

福岡から東京へ

午前9時半から」10時半までオムバス温泉施設の回りを1時間ほど散策。筑後川の両側には「原鶴温泉」と「吉井温泉」がある。吉井温泉から原鶴温泉を経由して筑後川の川岸を散策。福岡の吉井町は晩秋だった。
柿がなり、コスモスが終わろうとしていた。
午前11時に吉井町を出て1時間で福岡空港へ。午後1時過ぎの飛行機で羽田へ。1時間半。モノレールでJR経由で日暮里へ。明朝「子どもの家」卒業生のSON君が成田へ到着。出迎えのためのスカイラーナーの切符(午前6時半日暮里発)を買い、自宅へ。午後5時自宅着。



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