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2004年10月31日

オムバス温泉施設で講演会

昨夜はオムバス温泉施設に投宿。
午後1時半から午後3時半まで講演会。30人ほどの参加者。

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2004年10月30日

福岡講演会へ

昼前に家を出てて、羽田発福岡行きの飛行機に乗る。福岡は雨の予報だったが晴天。
福岡講演会主催の「日本オムバス」社長の山田氏や担当の林氏が福岡空港へ出迎えに。
その足で、日本オムバスの温泉施設へ。明日の講演会の諸準備をする。
オムバス(OMBAS)とは、Oasis for Mind Body and Atopic Sindrome  の略である。
日本語訳は「心と身体、そしてアトピー性皮膚炎症候群のためのオアシス。この温泉施設はアトピー性皮膚炎症候群の患者が吉井温泉を使ってアトピー性皮膚炎症を直す施設である。30数室の個室と大浴場からなっている。

オムバス温泉施設全景

原鶴温泉と筑後川の側にある吉井温泉

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2004年10月29日

帯広ー札幌経由で帰京

午前10時に帯広のホテルを出立。
午前11時半、帯広発の列車で南千歳経由新千歳へ。午後2時過ぎ新千歳空港到着。午後3時25分新千歳発の飛行機で羽田へ。286人の東京の私立高校の修学旅行生と一緒になる。新千歳空港の待合室ではこれらの高校生の傍若無人な振る舞いに一部のお客は切れて、先生方に大声で抗議する。先生たちは、生徒に何等指示をしないので、待合室の廊下・通路には286人の高校生があふれてしまい、一般のお客が通路を通れなくなってしまう。先生方は女子生徒などと写真を写しあったり、大声話ししたりしている。「うーん、これでいいのかな?」と思ったのは私一人ではないようであった。何にかの中年男性が大声で先生と生徒を怒っていた。
JALにとってはこれら修学旅行の高校生は最高のお客なのであろう。何度も「286名の高校生を優先的に機内に誘導します」と放送していた。全てにわたり優先的な取り扱いをしていた。機内に入るのもこれら高校生が最初であった。赤ちゃんを連れたお母さんが行ってはじめて、3歳以下の子どもを優先的に乗機させた。
午後5時過ぎ、羽田着。京急、都営三田線を経由し午後7時近く自宅着。38通のメールを確認し、目を通す。

5日間の札幌ー帯広行きだったが、飛行機や列車など乗り物が多く、かなり疲れる。
国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんと懇談し、2005年2月14日頃から「子どもの家」を訪問することになった。
帯広は晩秋であった。

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2004年10月28日

JICA帯広講演会

午後12時。JICA帯広の方がホテルへ。その足でJICA帯広国際センターへ。
午後1時半から午後4時半まで講演と質疑応答等。
司会は元JICAベトナム事務所員だった江本司氏。江本氏とは1998年から2001年まで「JICA開発福祉支援プロジェクト」を実施しお世話になった。現在はJICA帯広国際センターで仕事をされている。
参加の方々が地元帯広の行政関係者、ボランティア団体の方々など。

講演会終了後の午後4時半過ぎ、帯広の支援者である芳村さんに国際センターへ迎えに来て頂く。
先日、芳村さんのご主人が急逝され、葬儀に参加。(正確には焼き場へ直行)
芳村さんの車でお宅へ。ご主人の遺骨・位牌に焼香。長年の支援者である杉野さんも一緒。
芳村さんのお宅には5年ほど前に「子どもの家」から訪日した子どもや私、ラームさんなどが数日泊めてもらったこともあり、ご主人とは親交が深かった。ご冥福をお祈りする。
ホテル帰着午後6時半。

JICA帯広講演会

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2004年10月27日

札幌は3センチの初冠雪ーー帯広へ

朝7時起床。3センチの冠雪。あたり一面の白い世界。部屋からの景色は一変した。
午前10時半、札幌発の「スーパーとかち」で帯広へ。十勝川温泉へ。午後3時チェックイン。
午後4時、JICA帯広の江本司氏と明日の講演会の準備や打ち合わせを行う。
午後5時から国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんと今後の「子どもの家」への支援などについて懇談。

3センチの雪で一面は銀世界

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2004年10月26日

札幌は秋が終わり冬到来

今日の札幌は気温5度。雪が降る。寒い。
街路の花々は秋から冬へ。菊、コスモス、ラベンダー、ミニ葵の季節も終わる。
昨夜は帯広ソロプチミストより電話。今日は帯広の芳村さんより電話。
10月27日、28日にお会いする事となった。明日は、帯広へ。
新潟地震で被災した方々の寒さを思うと言葉が出ない。私自身も風邪を早く治し、28日の帯広でのJICA主催講演会を成功させなければならない。

菊もそろそろ終わり

ミニ葵

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2004年10月25日

札幌は紅葉の真っ盛り

札幌はかなり寒い。
市内を散策。紅葉の最盛期。北大のポプラ並木は台風18号で相当なダメージを受けていることが分かった。
●右側が北大のポプラ並木

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2004年10月24日

札幌へ

午前10時、自宅を出て羽田へ。午後1時、羽田発の飛行機で新千歳経由札幌へ。
札幌は11度。とにかく寒い。27日、JICA帯広打ち合わせ打ちあわせ、支援者芳村さん弔問。
28日、JICA帯広講演会などがある。数日前から風邪を引く。朝から体調が悪い。昨日は新潟の大震災。被災者の皆さんにが心からお見舞いを申し上げたい。
札幌では長男夫婦、孫の家へ。妻の療養も兼ねて。

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2004年10月23日

東京都足立区立東加平小学校PTA講演会(70人参加)・震度4の中震

午前11時、北綾瀬駅で東加平小学校PTA役員の方々と落ち合い、学校へ。学校は土曜日で休みだが、少年サッカーチームの試合が行われていた。
今回の講演会は、東加平小学校PTA役員の大久保さんをはじめ、役員の方々が中心となり開催された。テーマは「ほんとうのしあわせとは?」。
午後12時半からJICA作成の「地球家族」を上映。午後1時から午後2時半まで講演。途中3本のビデオも上映しながらストリートチルドレン、ボランティア、人生などを語る。
参加者は東加平小学校父母、小学校1年生から6年生までの子どもたちなど70人。会場には会作成のパネルが貼られていた。
PTAのお母さんたちがこうした形で自主的に会合を企画することは、大きな意義があることである。子どもたちの教育や子育てを学校や人任せにしないで、自ら考えていこうとしている。同時に子育てや教育を個人的に解決・処理するのではなく、多くの父母に呼びかけて、子育ての話題提供として今日の講演会を企画している。足立区立東加平小学校PTAのお母さん(お父さんもだが)の積極的なパワーに心からの敬意を表したい。講演会にはJASS日本事務所の森田さん、加藤さん、山田さんも参加。ビデオ上映などを手伝ってくてる。

講演会終了後、森田さんの車で自宅近くの喫茶店へ。午後5時過ぎまで「夏のJASSツアー」についての総括を行う。2005年8月20日~27日位を目途に2005年もボランティア体験ツアーを実施したいとのこと。

家に着くと寒気と倦怠感。風邪を引く。気温の急激な変化。

●話を聞く東加平小学校の子どもたち

●東加平小学校PTA講演会風景

●講演する小山

●夕方、震度4の中震。2階に飾ってある孫・はな嬢の写真などが落ちる。その後、数度の余震あり。

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2004年10月22日

無頼船の藤木社長と懇談

午後5時から五反田にある「無頼船(ブライセン)」本社を訪問。社長の藤木氏と懇談。藤木社長はに長年「子どもの家」を支援して頂いている。ベトナム事務所のラームさんの弟ホアン君を日本へ受け入れ、日本語学校、コンピュータ専門学校への通学などの支援を受けている。今日の懇談は、今後のホアン君の進路、「子どもの家」への支援など広範囲にわたる分野での話し合いとなった。
帰宅午前0時。

「ブライセン」のホームページを参照
http://www.brycen.co.jp/

ブライセン社内

ブライセン社内でコンピュータの研修をするホアン君

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2004年10月21日

柏市立柏高校授業

午後1時25分から午後3時15分までの2時間、千葉県柏市立柏高校で授業。


柏高校のボランティア講座は30人の生徒が受講。最初に柏高校2年生の工藤さんが20分、8月のJASS主催「ボランティア体験ツアー」に参加した経験を話す。JASS主催ボランティア体験ツアーの引率者だった加藤さん、山田さんが撮影したビデオを上映しながら、「子どもの家」での体験、山岳少数民族訪問の体験などを感想を含めて発表する。工藤さんの発表は的を得たもので中々説得力があった。
 続いて私が①何故ベトナムへ行ったのか ②ベトナムで行っているボランティアのめざすものは?
③支援とは? ④11年間ベトナムに滞在して感じたこと などを話す。
柏市立柏高校にはJASS副代表の柴田先生がいる。この講座も柴田先生が主宰している。
午後3時15分に授業は終了。柏高校のある先生に東武野田線「江戸川台駅」まで車で送って頂く。
自宅着、午後6時。
実際に「子どもの家」を訪問した柏高校2年生の工藤さんの発表は、事実に基づき、体験と感想に裏付けられたものであった。今の児童・生徒には「体験」がいかに大事かが実践的に証明されたような気がする。知識だけを機械的に訓練しても「生きた人間」の感情と知性は生まれない。

投稿者 koyama : 18:53 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月20日

台風23号接近 

29通のメール受信。9通のメール送信。半日はメールの送受信に費やす。
一昨日、昨日の和歌山行き。鼻かぜを引く。
今日は台風23号の接近で大荒れ。午後3時過ぎに買い物に行く。

この数日、時間のあいている時は国会の予算委員会の中継を見たり聞いたりしている。
与党議員の質疑は、基本的に「八百長質問」なので聞いていて無意味である。自民党の舛添議員の総理、外相、防衛庁長官などへの質問は、総理などが「好き勝手なこと」を答えやすいような質問だけ。政府への質問は、議席数の逆に野党に多くの質問時間を与えるべきだと思う。自公の与党が圧倒的多数の質問時間を持ち、八百長質問をしているのでは「緊張感」が全くない。
町村外相が沖縄の「沖縄国際大学」への米へリ墜落現場を視察し、「米軍のパイロットの操縦技術は高い」などとの暴言を吐いている。こうしたことすら追求できない与党の八百長質問は時間の無駄である。
橋本元首相、青木氏、野中氏などの1億円小切手事件への追及なども出来ない与党国会議員の参議院予算委員会。

夕方台風が来そうなので早目に買い物に行く。駅近くのダイエーへ。参議院予算委員会で自民党議員 が「食教育」について質問していた。小泉首相は「全ての教育の基礎です」などと答弁していた。
大型スーパーなどで食料品の添加物を見ると余りにたくさんの添加物が入っているのに驚く。
ベトナムで生活していると食べ物は基本的にその日に腐る。保存は出来ないから、その日食べるものをその日に買うと言う生活をしている。基本的には添加物のない食生活である。日本の食料品は日持ちが長い。保存料などの添加物が入っているので長持ちする。スーパーなどの経営を考えると、1日で品物が腐ってしまっては商売にならない。どうしても今の日本のシステム(いわゆる先進資本主義国)では、保存料や多量の添加物、着色料などを混入させなければ出来ない国のシステムになっている。私は、日本のスーパーや商店で食料品を買う時に添加物表示を見ると何も買えなくなってしまう。野菜ですら農薬が使われているかどうかすら怪しいものがある。冷凍食品も然りである。政府は「安全宣言」をしているが、私から見ると壮大な人体実験中であるような気がしてならないのである。「食教育が大事」などと言う前に、今、日本人が日常食べている食料品が薬品付けであることをどうするのかを考える時期に来ている。
日本が豊かな国でベトナムは貧しい国と決め付けている人もいるが、食料品に関しては、どうみてもベトナムの方が豊かな食生活をしているように思う。今の私が日本で出来ることは、出来るだけ「完成品」を買わずに「自分で素材を買い」「自分で作る」事くらいしか出来ないのである。ベトナムで手作りの「ヨーグルト」を食べていると、スーパーなどで買う日本のヨーグルトは「薬臭く」て食べられない。


LIVEDOORの日記から新しくMOVABLE TYPEの日記に変更した。現在、試行錯誤中。
写真を横に3枚程度張り合わせたいのだが、どうしても出来ない。縦にしか写真は貼れない。日記のカウンターを付けたいが、これもそこまでの技術がない。これから少しずつ研究しMOVABLE TYPEの日記に挑戦して行きたい。この程度の日記を書くのも私に取っては新たな挑戦なのである。分からないから「止める」ではなく、「何とかできないか?」と挑戦しいるところである。

どなたか、カウンターの付け方、写真を横に貼る貼り方をご存知の方はお教え頂きたい。

投稿者 koyama : 15:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月19日

和歌山青年会議所主催講演会続報

講演会には和歌山青年会議所の方々、市内の小学生・先生方など100名以上が参加。
ビデオを使って約1時間弱の講演を行う。
その後、和歌山テレビが青年会議所理事長などとの懇談を取材し、11月に放映するとのこと。
午後10時前に全ての予定が終了し、懇親会に入る。懇親会終了は午後11時半。

今日(10月19日)は台風23号の影響で和歌山は雨。午前11時には関空に入り、関空で休息し午後2時50分の飛行機で羽田へ。

小山講演会の様子

講演会参加者

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2004年10月18日

和歌山青年会議所講演会

午前中、運転免許更新。ゴールドなので板橋警察署へ。10月23日からとのこと。早すぎた。
昼、自宅を出て羽田空港経由関西空港へ。羽田発の」飛行機が30分ほど遅れる。
午後7時から和歌山青年会議所講演会にぎりぎりで間に合う。

午後9時、地元テレビ取材。11月に放映。
午後10時前。和歌山青年会議所の皆さんと懇親会。
和歌山泊。

和歌山市の小学生からアルミ缶収集での寄金を頂く。

和歌山市小学生・先生方・青年会議所の皆さんと

講演会は最初に和歌山市内13小学校を代表して児童の皆さんから69730円の寄金頂く。更に和歌山市立西和佐小学校児童会から4200円の寄金を頂く。空き缶は64400個、1150キログラム集まったそうだ。現在、空き缶は1個1円だそうだ。和歌山市14校の小学生が集めた7万6千円のお金は、二人の子どもたちの1年分の生活費に相当する。

昨年、和歌山青年会議所がインターネットで私たちの活動を知り、私のビデオを作成し市内の全小学校に配布。学校で空き缶を集め、業者に販売した売り上げを、フエの「子どもの家」に寄贈しようとの呼びかけを行った。市内の小学生と先生方が青年会議所の呼びかけに応え今回の寄金へと発展した。
和歌山青年会議所は昨年の9月には実際にフエの「子どもの家」を視察されている。
こうして和歌山青年会議所は、日本の子どもたちに空き缶の収集と言う活動を通して、アジアの子どもたちの実情を知られるという貴重な活動をはじめている。
改めて和歌山青年会議所の理事長さんをはじめ会員の皆様にお礼を申し上げたい。

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2004年10月17日

久しぶりの晴天。東京大仏までウオーキング。NHK 「ジイジ~孫といた夏」を見る

朝、国際ボランティア貯金NGOレポート原稿一部手直し。
午前9時から東京大仏までウオーキング。
ウオーキング後、お風呂にゆっくりと入る。気分爽快。
午後4時半、NHKTV「ジイジ~孫といた夏」を1時間半見る。2004年に見たNHKの番組では最良。

東京大仏は、奈良の大仏、鎌倉の大仏についで日本で3番目に大きな大仏。(10年前のことで今は分からないが)
高さ8、3メートル。頭の大きさは3メートル。
1998年から1993年まで5年間、毎日曜日、東京大仏までウオーキングをしていた。当時は、自宅から往復1時間かかった。それから10年。久しぶりにウオーキングをしたが、1時間40分かかった。
自宅→赤塚公園→赤塚溜池→板橋美術館→東京大仏
10年数年間で相当体力が落ちたことが分かった。40%の減退。赤塚公園から赤塚溜池までの森は多摩の「小金井公園」から続いている武蔵野の森の最後の部分である。縄文時代の森はこんな感じなのかと思うような「こんもり」とした森。森の木々の間から木漏れ日が見え隠れする。久しぶりの緑と木々の匂いを堪能した。
東京大仏では、50円でお線香を買い「祈念」する。ある事件の解決、家族の健康、特に妻、札幌の長男夫妻、孫、「子どもの家」の子どもたち、ベトナム事務所の皆さんの健康などを祈る。

午後3時過ぎ、徒歩往復1時間の高島平団地にある商店街に買い物に行く。
枝豆、新鮮な「しめ鯖」(私はひかりものが大好き)、きゅうり、ニラ、人参、白菜。

午後4時半からNHKTV「ジイジ~孫といた夏」を妻と見る。私はベトナムで国際衛星放送で一度見ている。点数をつけると200点。日本に帰り、時々テレビを見るが、見る番組がない。「ジイジ~孫といた夏」は再放送なのでやはり希望が多かったように思う。私ももう一度みたい番組である。
西田敏行は私と全く同い年。(西田は1947年11月4日生まれ。私は1947年11月23日)おじいさんの孫に対する「絶対的」な愛情を良く身体で表現している。そして、その孫を産んでくれたお嫁さんに対する心からの感謝の気持ち。この番組は孫への無条件の愛情、孫を産んでくれたお嫁さんへのやはり無条件の感謝の気持ちが良く出ていた。そして「家族」の絆という現在の日本社会に決定的に無視され欠けている問題について大きな問題提起をしている。
物の豊かさの中で失われた「家族」と家族の人間関係。家族は時に助け合い、時にぶつかりあいながら、お互いを切磋亞琢磨し信頼し生きていく最小の人間の集団である。今日の日本では消滅しつつある集団でもある。同時にベトナムにはしっかりと「家族」が生きている。学ぶべきものがある。

高橋花博士寄贈の「越後寒梅」を飲む。おつまみが足りなくなり、札幌から送ってもらった「チーズ」を切っておつまみとする。包丁に付いたチーズのカスを、台所にいた妻のセーターの袖で拭く。妻が「ジイジ~孫といた夏」の長女(孫)がジイジを嫌っているように、「そんな馬鹿なことをすると孫のはな嬢に嫌われるよ」と叱責される。深く反省。

投稿者 koyama : 23:29 | コメント (1)

2004年10月16日

寒い1日

午前中17通のメール受信。8通のメール送信。
午後、日本郵政公社関連の国際ンティア貯金普及協会「国際ボランティア貯金NGO活動レポート集」の原稿を書く。100字、400字、100字。
フエのベトナム事務所では風邪が流行っている。何人かの日本人スタッフが風邪を引いたようだ。気候の変わり目、食べ物、風土の違いの中での生活は、住むだけで「闘い」である。健康の回復を祈る。

この日記の最大容量100MBに対し、今日時点で99、50MBと99・5%の使用率となっている。あと数日でこの日記は満杯となる。


晩酌。高橋花博士から頂いた「越の寒梅」を冷やして飲む。酒の肴は自前の「ぬか漬け」。きゅうり、人参、ナス、生姜(しょうが)。どれも満足に漬かっている。酸味、旨味、複合的な細菌の匂い。今日の朝日新聞の人欄は「酒井順子」さん(38歳)。エッセー「負け犬の遠吠え」の著者。人欄を読みながら人間の幸せとは何かを考える。私にとっては、①生きる意味のある人生 ②家族 ③美味しいお酒と酒の肴 この3つにつきる。
③の酒の肴は値段は関係ない。自分の好きな肴で飲みたい。自前のぬか漬けもその一つ。札幌の長男宅から送ってもらう「ソフト鮭とば」。北海道厚岸の「生かき」。「負け犬の遠吠え」関係者の皆様。くれぐれも「負け犬の無駄吠え」にならないように。

朝日今日の朝刊「折々のうた」にある石川啄木の歌。(フエのトンチンカンホテルに常備)
『人がみな 同じ方角に向いていく。 それを横より見てゐる心』
私の好きな短歌である。100年前27歳で死んだ天才日本人の心と相い通じるものを感じる。
「同じ方向に向かなければ生きて行けない日本」。私は、それを横目で見つつ、あがらいたい。大逆事件に抵抗した啄木の心を今日に生かしたい。

投稿者 koyama : 18:39 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月15日

上野公園を散策

午前中、17通のメール受信。7通のメール送信。
午後1時、妻と一緒に上野公園へ。まだ紅葉の時期ではないが、久しぶりの太陽。柔らかな太陽の光と緑の上野公園は心を休める場所である。来週から朝日新聞の連載小説は、吉村昭の「彰義隊」である。舞台は正にこの上野公園。数時間、公園内を二人で散策。丁度、「大道芸大会」中。西洋美術館では「マチィス展」。

上野公園から広小路を経て、アメ横へ。アメ横の「二木の菓子」へ行く。
10月24日から札幌へ行くが、札幌にいる孫へのお土産のお菓子を買う。
午後5時過ぎまで妻と上野を散策。かなりの運動となる。病気休職・療養中の妻にとっては適度の運動となる。

投稿者 koyama : 19:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月14日

家で仕事 メール、手紙 、「ライブドアー堀江氏頑張れ」

終日、曇、雨。寒い。
26通のメール受信。15通のメール送信。半日。
午後、支援者へ手紙を書く。
1時間半歩いて夕食の買い物。

1年半ほど前から「ぬか漬け」をしている。ぬか床は生き物で、温度、湿度、野菜の種類などによって微妙に出る味が違ってくる。内田さんなど自宅でぬか床を作っている方々に聞きながら何とかぬか床については、若干の「うんちく」を語る長老方の末席を汚す位にはなったと自負している。
野菜が高い。1ヶ月ほど前までは、きゅうり4本で100円だったが、今日は細いきゅうりが3本で180円。小松菜、ほうれん草は1束200円弱。台風の影響か? 今は、朝入れたきゅうり、大根、なすなどは夕方何とか食べられる。人参は翌朝。早く食べるには、ぬか床に入れる前にちょっと塩もみしておくと早く漬かる。(全て長老方に教えて頂いた)
毎食、自分で漬けた「ぬか漬け」を食べながらの食事も「贅沢」なものである。

ダイエーの自主再建がストップ。産業再生機構に再建がゆだねられた。
UFJ、みずほ、三井住友銀行などとの綱引き状態。既に3銀行は数千億円の貸付金の「棒引き」をしている。3銀行には、数十兆円の「税金」が投入されている。ダイエーは、自主再建などと言ってはいるが、既に数千億円もの税金をもらっているのである。(3銀行の棒引き)。3銀行もダイエーも税金をもらって運営しているということの自覚がない。

自覚がないのはダイエーや3銀行だけではない。西武の堤会長が全ての役職を辞任したという。株の虚偽記載。証券取引法違反の疑い。刑事罰の対象ともなる可能性がある。

読売の「ネベツネ」氏は野球協約違反で既にオーナーを辞任。

ライブトアーか楽天かを『審査』している既成「ギルドオーナー」たち自身が、人を審査する資格のない人々であったことがはっきりした。
ライブドアや楽天の資産がどうのこうの言う前に、自分自身の資産と人間的な資質が問われていることを知るべきである。「たかがオーナー」とつぶやいている古田選手会長の声が聞こえるようである。

この際、やる気のある「ライブドアー」と「楽天」にオーナーをやらせるべきである。少なくとも既成ギルド無能老害オーナーたちよりはましなような気がする。

NPB(日本プロ野球機構)がライブドアーと楽天の社長を呼んで第2回目の聞き取りを行った。
その中で「ライブドアーはアダルトサイトがある」「青少年健全育成に問題があるのでは」との質問が出た。

確かにアダルトサイトには問題があるが、より以上に問題なのは、「球界の紳士」読売ジャイアンツの渡辺恒雄氏等が野球協約に違反し、大学野球の優秀な選手に不正にお金を上げていたこと、証券取引法に違反して嘘の報告をしていた西武ライオンズのオーナー堤氏たちこそ、「青少年健全育成」というのなら重大な問題があるのではないだろうか?  堀江氏に威丈高に質問する前に、NPB(日本プロ野球機構)は何故、読売のナベツネ氏や西武の堤氏を詰問しないのだろうか?  ライブドアーに威丈高に質問する態度こそ弱い者いじめであり、青少年に害悪を与えるというものである。そもそも日本のプロ野球は子どもたちに影響を与える存在にすらなっていないことを日本プロ野球機構は自覚すべきである。思い上がりもはなはだしい。

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2004年10月13日

千葉県立八街高校の授業

午前10時前自宅発。
午後1時千葉県立八街高校着。
「国際ボランティア養成講座」2時間授業。
午後6時過ぎ、自宅着。

●JASSボランティア体験ツアーのチーフ・3年生の渡辺君の説明授業

●小山耕太先生の授業

千葉県立八街高校では「県教育委員会、市教育委員会などの学校視察の日であった。10数人の教育委員会役員、地元の小中学校の先生方が授業参観に来られた。

授業は5時間目(50分)にテレビ東京の「ドキュメンタリー人間劇場」のビデオを見せる。
6時間目は①ストリートチルドレンの様子は?  ②L君の様子をどう思う?
③Lちゃんをどう思う? ④物乞いや路上生活をしている子どもたちがいる原因をどう思う?  ⑤海外ボランティアとは?  ⑥あなたの将来、人生をどう考える?  をテーマに話し合った。
生徒はかなり積極的に話しに乗ってくれた。介護師になりたい、保育師になりたなど、具体的な自分の将来像を考えた答えが出てきた。

千葉県立八街高校で授業をして3年目。1年目はほとんど全員が寝ているか、携帯電話をかけているか、まつげの癖をつけているかだった。それから3年。
生徒は自分の将来像を考えている。大変だったが3年間、JASSの多くの方々、マブベの会(大極安子さんたち)などの努力が無駄ではなかったことを実感した。
今の子どもたちや教育に「愚痴」や「文句」をいうことは容易である。しかし、そうした子どもたちや学校、教育に何か出来ることがあったら批判するだけでなく、自ら参加し子どもたちや生徒ともに生活することが大事であることを改めて感じた。

●小山耕太先生の授業

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2004年10月12日

1日雨。臨時国会開会

1日雨。寒い。
14通のメール受信。12通のメール送信。
朝からだるく、1日中寝ていた。明日は千葉県立八街高校の授業。
授業の準備をする。明日は教育委員会の視察の日だそうだ。
夕食は鍋物。出汁をとり、しめじ、白菜、人参、ネギ、大根、豆腐。
その後、うどんの1玉。最後にご飯一膳。この食べ方は、札幌の
長男宅で覚えた「鍋物三段とび」である。野菜→うどん→ごはん。
出汁がでていて美味しい。
手作りのぬか漬け(きゅうり、大根、ナス、人参)と一緒に。

ミンさんから研修生派遣支援事業の問題でメールあり。返事をだす。
福田副代表からフエ要人への日本語教育についてのメール。
感謝の返事を出す。
日本に帰国し1日中静かに過ごすのは今日が初めてである。

臨時国会開会。小泉首相の所信表明演説を聴く。官僚の作った作文の棒読み。
数年前の気迫が希薄になった。色あせた「小泉商店店主」(中曽根元首相)の惨めな姿を露呈した。

イラク侵略の最大の大義だった大量破壊兵器について「大量破壊兵器がイラクにはなかった」(アメリカ調査団公式報告)のだが、とうとう一言の説明もなかった。所信表明演説で一番聞きたかったことについて語れなかった。世界で最初にブッシュ大統領の一方的なイラク先制攻撃を支持した時の声だかの「イラクに大量破壊兵器があることが事実なので・・・」のことばはどこに行ったのか。政治家は全てのことについての説明責任がある。

橋本元首相の「1億円小切手事件」についても、とうとう、一言も触れる事が出来なかった。自分が党首をしている政党の幹部の不祥事である。元官房長官は在宅起訴されている。「まつりことはただすこと」などと人ごとのようなことを言っているようでは、どうしようもない。
演説の最後で「現在、世界各地で日系人の方々、あるいは青年海外協力隊や企業関係者など多くの日本人が、気候も言葉も生活習慣も異なる厳しい環境の中で活躍しており、現地の人々から信頼と高い評価を受けています」と言っている。この中には私たちのような海外NGO、海外ボランティア、ほとんど無給で活動している多くの海外ボランティアは入っていないようだ。「多くの日本人」にはいるのか? 外務省かどこかの役人の意識を反映した文章であり、それを棒読みした首相ではある。
私たちのような生活不安定な多くの海外NGO、ボランティアによって現在の海外支援、国際支援は支えられている事実を知るべきである。
先日の日比谷の国際フェスティバル(200団体参加)の圧倒的多数は、企業でもなく海外青年協力隊でもなく、無名のNGOである。

首相得意の「構造改革」の芽が「大きな木」に成長するか否かは「郵政事業の民営化」・・・の具体化にかかているそうだ。国民が望んでいるのは、生活、平和、教育などである。

自民党と公明党が連立政権を作って5年。この5年間で日本はどうなったのか?サラリーマンの給与は5年連続減少、株価は1万8千円から1万1千円へ下落、貯金ゼロの家庭が2割を越したと言う。年間3万人以上の自殺者。
この5年間で医療費は2割負担から3割負担へ、介護保険料・雇用保険料の引き上げ。「100年安心」だったはずの年金は、1000万人が未納(国民年金)で誰が見ても破産状態。自公連立前の国債残高は280兆円だったが、今や480兆円となってしまった。借金国家。「地域振興券」という壮大な無駄遣い政策をゴリ押しした政党もあったっけ。日本の軍国主義化、右傾化も急テンポ。
日米新ガイドラインに基づく「周辺事態法」「有事法制」「テロ特措法」「武力攻撃事態法」「イラク特措法」。更に国民の自由と権利を束縛する国家主義的な法律も目白押しに成立させた。「盗聴法」「国旗・国歌法」「改正住民基本台帳法」「個人情報保護法」・・。

日本はどこへ進んで行こうとしているのだろうか? いつか来た道か?

国連の常任理事国になることに血道を上げるより、北朝鮮に拉致された日本人の救出、10数万人の不登校の子どもたち、年間10万人の中途退学の高校生、就職のない多くの若者、そして100万人とも言われる「引きこもりの若者」、子供の虐待など、日本の未来を担う子どもたちの環境と教育条件整備こそすべきではないのか? 「先進資本主義国」で40人学級などをしているのは日本だけである。先進資本主義国では「20人学級」が一般である。
「少人数授業、習熟度別指導により確かな学力の育成を図る・・」などと一般論を言う前に「20人学級実施します」と言うべきである。
「1日1000人の若者の就職カウンセリングをしている」ことを所信表明で誇っているようでは寂しい限りである。
子どもたちを大事にしない国家に未来はない。

明日は片道2時間半かけて千葉県立八街高校へ行く。ことしで3年目である。全くのボランティアで「国際ボランティア養成講座」の授業をする。朝9時半に家を出て、帰宅は午後6時過ぎ。1日の仕事。出るのは交通費程度。それでも私たちのできる所で日本の子どもたちのために何かをしていきたいと念願している。微力はあるが・・・・。

投稿者 koyama : 16:04 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月11日

日本郵政公社主催「国際ボランティアを考えるつどい」

午前中、20通のメール受信。8通の送信。
午後12時、自宅発。埼京線で与野本町へ。彩の国さいたま芸術劇場で日本郵政公社主催「国際ボランティアを考えるつどい」に参加。
午後2時~午後3時まで。
国際NGOーIV-JAPAN、ベトナムの「子どもの家」を支える会、筑波大学生、
フリー・ザ・チルドレン・ジャンの高校3年生が10分ずつ発言。
その後、若干の補足発言で終了。

つどい終了後、森田さん、山田さんと出会う。シニアボランティア体験ツアー参加の小川ご夫妻と1時間ほど懇談。
その後、山西副代表、西山優子日本語教師(8月まで)、中村新日本語教師と懇談。

投稿者 koyama : 20:16 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月10日

熱海へ

午前4時起床。
午前6時、内田征子さんご夫妻に家の家の近くまで来て頂き、伊豆高原へ。
東名高速で順調に進むが厚木小田原道路が不通。熱海へ降りる。熱海から網代を通り伊豆高原へ行こうとしたが、昨夜の台風22号の影響で網代から先が不通。伊豆は思った以上に台風22号の影響を受けていた。熱海や網代は大きな木が倒れ道路が損壊していた。内田さんご夫妻に深謝。
結局、伊豆高原へ行けず。熱海で私だけ降り、Aさんの自宅へ。Aさんの諸問題をご両親と話し合う。帰宅は午後6時過ぎ。

東京オリンピックから40年。東京オリンピックの時(私が高校2年)父親が急死。それから40年になる。高校2年から朝4時に起きて牛乳配達。高校の授業の3分の1は出席できなかったが、当時の都立高校は「良心的教師」がたくさんいた。何とか卒業させてくれた。卒業の勉強も大学入試の勉強も何も出来ないで苦闘していた17歳だった。そのころの苦闘が今の私を作ったと感謝している。

投稿者 koyama : 18:53 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月09日

台風22号 風邪を引く

台風22号の影響で1日雨。夕方強風。
風邪を引く。1日中、寝ている。
10通のメール受信。9通のメール送信。

投稿者 koyama : 18:35 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月08日

風邪を引く 

今日は1日休み。終日雨。
昨夜から風邪を引く。今朝はくしゃみと鼻水。倦怠感。
1日寝ていた。
10通のメール受信。10通の送信。
10月11日日本郵政公社関東支社主催の「ボランティアを考える集い」用のビデオを作製。(4分間にJASS活動をまとめるのは結構大変だった)
ブライセン藤木社長より電話。10月に会うこととする。
11月21日SON君とフエへ帰国する切符の手配をする。
昨日、福田もえ子副代表がフエへ戻る。
一日、寒かった。夕食は鍋物。

投稿者 koyama : 15:15 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月07日

1日各種文書書き。夜、高校クラス会

●午前中、ボランティア貯金中間報告書完成。送信
●午後、ロータリークラブへの手紙
●夜、赤坂で高校クラス会

2004年6月までの7年間、ストリートチルドレン支援プロジェクトに対して郵政公社より「ボランティア貯金交付金」を受けていた。ボランティア貯金の最大の特徴は人件費の支援があること。「子どもの家」のスタッフの給料補助なども一時出ていた。7年前はボランティア貯金の基金(希望する方の郵便貯金の利子の一部)が20億円ほどあった。しかし、7年後の今日、1億円程度。20分の一にまで減少している。日本の経済を反映している。一時年間700万円ほど戴いた時期もあった。2004年6月で7年間のストリートチルドレン支援へのボランティア貯金交付は終了した。寄金をして頂いた方々に感謝したい。
2004年7月より新しく障害児支援プロジェクトへのボランティア貯金交付金支給を受けることとなった。支援金は60万円弱。7月、8月、9月の3ヶ月の活動報告を行う。写真やビデオなどの関連資料も送付。担当の渡辺さん、山西さんに送る。午前中半日かかる。

昼食後、午後は清水ロータリークラブ、清水北ロータリークラブの会長、国際奉仕委員長の4人に手紙を書く。
「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校への支援の要請である。郵便局で投函。

午後6時半、赤坂「撫松庵」で高校クラス会。懐石料理。某都立高校を卒業して40年。既に退職間近な同級生である。この40年間のそれぞれの歴史と人生の軌跡がそのやや老けた顔や雰囲気に漂わせている。毎年、5回程度のクラス会をしている。この高校は3年間クラス替えをしなかったのでクラスの結びつきは強い。40年経ってもクラス会が出来るのは「永久名誉幹事」である五井博君のお陰である。五井君がことある毎に「クラス会をしよう」と声をかけ、会場の準備、支払いなどの幹事役をしてくれている。深謝。
帰宅は午後10時。更にビールを飲みながら、妻と日本の教育の腐った実態を話し合う。ある教師の悲しい出来事を知り、二人で怒る。

投稿者 koyama : 23:50 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月06日

羽田へ見送り

午前中、会の文書関連の仕事。ボランティア貯金中間報告書仕上げ。
午後2時、自宅を出て羽田へ。孫と嫁さんを見送りに。帰宅午後5時過ぎ。

投稿者 koyama : 20:31 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月05日

通院ーーーマルタカ創立40周年記念式典参加

一日雨。

●9時、新宿榊原クリニックへ。
●午後6時、浅草ビューホテルにて「アクセサリーマルタカ創立40周年記念式典」へ。100名の参加で盛大な式典であった。


午前8時に家を出て新宿の「榊原クリニック」へ定期通院。2時間半ほど待たされ診療。定例コースで「心電図」「診療」「採血」「投薬」。8500円。
高いか安いかは分からない・・・。帰国時は毎月1回通院し、交通費も含めると1万円ほどの費用がかかる。これも仕様がないことではあるが・・・。
7月のベトナム帰国前に採血した結果を知らされる。中性脂肪が基準の2倍。善玉コレステロールが最低基準以下、尿酸値が高いとのこと。
虚血性心疾患、高脂血症、高血圧。医師からは疲労、ストレスを減らす事、ウオーキングなど適度の運動を続けること、薬をしっかりと服用するよう言われる。「一病息災」。一生付き合う病気ではある。

札幌の長男の嫁さんと孫が家に来ている。妻と池袋でショッピングをしている、今から昼食を摂るとの連絡が入り、診療後急いで池袋へ。バイキング昼食を摂る。雨の中、家族で帰宅。

午後2時から午後4時半まで24通の受信メールに目を通し、5通の返信を書く。「2004年度ボランティア貯金中間報告書」を書き上げる。(95%)
必要な写真をバオ・ミンベトナム事務所長からもらっていたが、更に必要な写真が出てきたため、追加の写真の送信をバオ・ミンベトナム事務所長に依頼する。明日、関係者の「ボランティア貯金中間報告書」(原案)を送信する予定。締め切りは10月15日。

午後5時前、地下鉄、JRを使って浅草ビューホテルへ。長年の会支援者である直井高一郎氏の会社「アクセサリーマルタカ創立40周年記念式典」に参加。直井氏は浅草地域でアクセサリーの会社を経営している。直井氏は会社ぐるみで「子どもの家」やJASS活動への支援を行っている。私は家族くるみでの付き合いをしている。
浅草地域の仲間の社長さん10人に声をかけ、5年ほど前に「子どもの家」訪問団を組織し、フエにこられた。当時のアンフエ市長と共に王宮前のフォン川の側に火炎樹を記念植樹した。2004年9月14日の「子どもの家」創立10周年式典の際、その時植樹した火炎樹を見に行く。10本とも5メートル以上の大木となっていた。

式典は3部構成。
第1部は、広島から来られた井上禅師の「21世紀の企業に望むこと」という記念講演。
第2部は、40年間社長として会社を運営してきた直井氏が会長へ、長男(38歳)が社長に就任する「就任式」を行う。新会長、社長の決意の挨拶。やはり長年の支援者である「日本ビジネスクラブ社長」の宮本孝氏の来賓挨拶。
第3部は祝宴。乾杯の後、私が挨拶。その後、中華料理のフルコースとなる。途中、落語などもあり、午後9時過ぎ散会となる。

1925年(昭和1年)、高一郎氏の父親である高安氏が旧本所区に「かんざし、飾り櫛など」の製造会社「直井装身具」を創立。
その後、1964年(昭和39年)に直井高一郎氏が「アクセサリーマルタカ」を創立し今年で40周年となる。父親からの通算では、79年。40年間継続する会社は日本の会社の数%でだそうである。この40年間の苦労が偲ばれる。直井氏は中小企業経営をしながら、社会への貢献、社会や子どもたちを育てる活動を行っている。三菱や東電、関電など不良大企業の社長に直井氏の「はなくそ」でも煎じて飲ませた所である。日本社会はこうした真っ当な中小企業の社長さんと社員の方々で持っているようなものである。

午後10時過ぎ帰宅。

投稿者 koyama : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月04日

1日雨

久しぶりに1日休養日。
新聞を読み、ベトナム事務所や講演会野お礼、関係者へのメール、手紙書き。

投稿者 koyama : 12:41 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月03日

イチロー新記録と長島・ナベツネ会談

昨日は旧清水市での講演会。夜遅くまで静岡の会の笠井さんや本間さんにお世話になった。今日の午後帰京。一日雨。日比谷では日本事務所、支援者の皆さんが国際フェスティバル2004に参加。物品販売、ブンボー販売、会紹介などの活動を行っている。雨の中、本当にご苦労さまである。

昨日、イチローが安打の大リーグ新記録を作った。80数年ぶりの快挙。
暗い話が多い昨今では、本当に明るく心を打つ話である。単身大リーグに渡り4年間。こうした大記録を作った裏には、イチローの孤独との闘い、並々ならぬ努力があったものと思う。くの日本人の心を打つ出来事である。

先日、長島元巨人軍監督が入院後初めての写真を公開した。渡辺恒雄読売社主との「ツーショット」の写真である。

イチローの大記録と長島・ナベツネ「ツーショット写真」を見て、日本のプロ野球の衰退の現状を改めて認識した。長島・ナベツネ時代の終焉である。
大記録を出したイチローが日本プロ野球界から離れ大リーグに行ってしまったことは日本のプロ野球界の大損失である。同時にイチローを含め、日本プロ野球を代表する多くの選手が大リーグへ移籍したり、大リーグ入りを希望している現実は「ナベツネ」・長島が象徴している日本プロ野球界の金属疲労組織への反発と失望の表れでもある。

今までは巨人と長島、読売新聞、読売テレビを親亀にして成り立っていた日本プロ野球界であった。しかし、多くの有望選手が大リーグに移籍し活躍している現実はこれら有望選手に取って魅力のない日本プロ野球界である。

長島元監督がナベツネ読売社主を最初に訪問した写真は『醜態』であった。
長島元監督は最初にフアンの前に出るべきだった。ナベツネ詣(もうで)をする意識が既に旧態然としている。
ナベツネ率いる日本プロ野球界へ反旗を翻し、アメリカに渡り大記録を達成したイチローの感覚とは好対象である。入院後最初にナベツネ氏を訪問しマスコミに公開した長島元監督の感覚は、既に時代を読み取れない人間を表している。

小学校で子どもたちが野球をせず、サッカーをしている現実を知れば、野球の未来は寒々しいものがある。そうした抜本的な改革のできない金属疲労体質の組織は崩壊するのである。

イチローの快挙は逆にイチローを内包できなかった日本プロ野球経営者の脆弱さ、魅力のなさ、定見と展望のなさを物語っているのである。古田率いるプロ野球労組に経営者は一時崩壊を救われた感がある。自浄能力のない組織は崩壊する。

投稿者 koyama : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月02日

国際協力フェスティバルーーー旧清水市講演会

●午前10時、日比谷公園で行われている「国際協力フェスティバル2004」に参加。
●午後5時、静岡駅前で藤田栄氏、笠井英彦氏と懇談
●午後7時、旧清水市の「入江地区青少年健全育成推進大会」で講演。330人参加。

日比谷公園で行われた「国際協力フェスティバル2004」は外務省、国際協力機構(JICA)、国際協力銀行(JBIC)などの共催、総務省、文部科学省、厚生労働省、農水省、東京都、NHK等の後援で行われる「国際支援」の一大フェスティバルである。2001年には、私たちが「2001 プロジェクト・イヤー賞」を受賞している。
例年、土日で20万人の人々が参加している。
今回もJASSは二つのブースを出している。一つは、JASSの活動を紹介するブース。もう一つはフエ名物米うどん「ブンボーフエ」の販売ブースである。今日は午前9時から千葉県立八街高校の「国際ボランティア養成講座」受講の生徒も参加。
JASS紹介コーナーには、田中さん、原田虎太郎さんなど多くの支援の皆さんが待機し、「子どもの家」付属刺繍みやげ物店で作った刺繍などの販売をしていた。多くの参加者がJASSの活動に興味を持ち質問などをしていた。
私がコーナーにいると「先生、私は誰だか分かりますか?」と30歳位の女性が声をかけてきた。良く顔を見ると26年前に滝野川第7小学校で1年、2年と教えた白石さんだった。JICA本部勤務の旦那さんと一緒に訪ねて来てくれた。26年経っても昔の面影は残っていた。真面目で活発で聡明な女の子だった。すっかりお母さんのようになった昔の教え子を見て、歳月の流れを感じずにはいられなかった。

「ブンボーフエ」のコーナーには、ラームさんの弟のホアン君をはじめ、柳沢さん、高橋さん、寒河江さん、山西さん、内田さん、千葉県立八街高校の生徒など多くの支援者の皆さんが集まりブンボーを作り販売。ブースの前は長蛇の列だった。

午後3時過ぎ、日比谷公園から東京駅へ。新幹線こだまで静岡駅へ。ベトナムからの疲れが残っている。1時間ほど静岡駅待合室で眠る。

午後5時、藤田栄氏、笠井英彦氏と「静岡フエ青年交流会館」、日本語学校などについて打ち合わせ。かなり疲れが出る。
午後6時、今夜の講演会の主催者の一つである入江小PTAの役員の方々が車で静岡駅まで迎えに来てくれる。車で40分。今夜の講演会場である静岡市入江(旧清水市入江)にある入江小学校へ到着。ベトナムの「子どもの家」を支える静岡の会事務局長の笠井さんも一緒に。
校長室でしばらく懇談。午後7時から「平成16年度 入江地区青少年健全育成推進大会」が開かれる。入江地区保護司会、体育会、老人クラブ連合会、女性部、交通安全会、ボーイスカウト、ガールスカウト、消防団、入江小学校PTA、清水第8中PTAなどは主催、参加。大会宣言を採択。

午後7時20分から午後9時まで私の講演。「ストリートチルドレンと歩んで11年。-子どもたちにビタミン愛を」。静岡の会の笠井さんがビデオ上映を手伝ってくれる。1時間半の講演を終わる。青少年育成推進委員会副委員長の方が「ベトナムの子どもたちに寄金を」とカンパを呼びかけてくれる。
カンパは後日、静岡の会へ送ってくれるとのこと。
里親をしてくれている本間さんも講演会に来てくれる。しばらく校長室で懇談し、本間さんの車で会場を離れる。長い1日ではあった。

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2004年10月01日

不思議な支援の拡がり

日本郵政公社のボランティア貯金を頂いている。郵政公社国際ボランティア貯金情報誌「WITH YOUR LOVE」(2004夏の号)に私たちの取り組みの特集が出ている。(全国2万の郵便局で無料でもらえる)
この特集リーフレットを読んだ練馬区在住のライオンズクラブの方が日本事務所に連絡。「リーフレットを読んで非常に感銘を受けた」とのこと。早速、ご本人に電話をしてみる。自分たちも何かできる事があったら支援したい、近いうちに講演会などをして欲しいとのことであった。お住まいを伺うと太平観光北垣会長のお宅から50M。太平観光や北垣会長を良く知っているとのこと。直ぐに太平観光に行って北垣会長と会いたいと話していた。北垣会長にも連絡を入れ、事情を説明。こうした縁でまた、「子どもの家」への新しい支援が始まろうとしている。人間の縁とは不思議なものである。

終日メールへの対応。22通の受信。11通の送信。

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