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2004年09月30日

台風一過、晴天。

昨夜の台風通過で一晩眠れず。深夜3時にNHKラジオを聴く。灰谷健次郎さんの「沖縄と私」(2004年2月の再放送)を聞く。
私は灰谷健次郎の「兎の眼」が一番好きである。特に「はえ博士」の鉄三(?)君。灰谷さんは、「兎の眼」を書いたのは理論社社長の小宮山量平氏に自分の「沖縄放浪」の理由を説明したいために書いたと言っている。
灰谷さんの沖縄放浪の原因は長兄の自殺。長兄の自殺を救えず、自分のことしか考えていなかった自分自身を責め、17年間の小学校教師を退職。沖縄の八重山諸島の「パイナップル工場」で仕事をする。その工場の「オバー」に「自分が死んだら死んだ人を語る人はない」と言われ、大阪へ帰り「兎の眼」を書く。私の尊敬する作家の一人。

午後2時から支援者との懇談。午後6時終了。
26通のメールを受信。11通のメールを送信。
9月26日から札幌の長男の嫁さんと孫が東京の自宅に来ている。今日は、ディズニーランドへ。私は支援者と懇談。

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2004年09月29日

千葉県立八街高校で授業

午前10時前に家を出て千葉県立八街高校へ。2時間半。
午後1時から授業。
授業は「JASSスタディーツアー」に参加した千葉県立八街高校3年生の
渡辺君からツアーの報告。
その後、小山耕太から10月2日、3日の日比谷ボランティアフェスティバルについての説明と全員参加の呼びかけ。
最後に私の方でベトナムの活動状況の報告。午後3時に授業終了。
1日中雨だった。とにかく寒い。

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2004年09月28日

帯広の芳村茂夫氏の葬儀に参列

午前5時半、自宅を出て羽田、空港へ。京急電車が遅れて7時40分の帯広行きに5分間に合わなかった。結局、午前10時半発の飛行機で帯広へ。支援者の芳村茂夫氏の葬儀に参列するつもりだったが、間に合わず、帯広空港からタクシーで30分の火葬場に直行。火葬場で芳村加奈子さんに弔意を伝える。
日本事務所の渡辺和代は昨夜から遺体と一緒に通夜をする。
午後5時過ぎに羽田へ。自宅着7時半。

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2004年09月27日

帰国1日目 東京は寒い。

東京は寒い。長袖・セーターを着る。終日雨。
ぬか漬けの調子を整える。午後、池袋へ。シェーバーの網を交換する。
昨日の日本事務所会議は、30人もの参加で大盛況だったとのこと。新しい参加者も多かったようだ。
福田副代表の「子どもの家」・ベトナム事務所報告、西山優子前「子どもの家」日本語クラス教師の「ベトナム滞在3年間」の体験談など有意義な会だったようだ。日本事務所会議参加者の皆さんに感謝。

帯広の支援者芳村茂夫氏が急逝されたとのこと。
7年前から「子どもの家」や障害児支援を続けてこられた。数年前にはラームさんと一緒に帯広での講演会に伺い、芳村邸にホームステーさせて頂き親交を深めた。車で帯広の案内もして頂いた。
里子のフエウ君の支援をはじめ、障害児支援のための「暖炉基金」も創設。長期的な視野にたって、障害児奨学金(現在5人)の支援も続けてていた。
心から哀悼の意を表する次第である。
9月27日通夜。9月28日午前10時から葬儀とのこと。急いで帯広行きの航空券の手配をする。午前7時40分羽田発の航空券が取れる。最後のお別れだけではあるが、参加させて頂くこととする。日帰り。

小泉改造内閣の発表。自民党の幹事長がBSEを放置し牛肉を食べていた間抜けな元農水大臣の武部氏。内閣の柱である官房長官が細田氏。党と内閣の柱がこれでは、新味も何もない。小泉首相自身が既に色あせ、魅力を失ったことを意味する。

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2004年09月26日

東京着

午前7時20分、無事成田空港着。
昨夜はホーチミン空港で和歌山から「子どもの家」へボランティア体験に来ていた坂口さんと一緒になる。
東京は雨。26度。寒い。
今日は午後1時から日本事務所会議があったが時間的・肉体的に参加で出来ず。2ヶ月ぶりに自宅へ。
我が部屋は「模様替え」されていた。

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2004年09月25日

日本へ帰る

午前中、帰国の諸準備。
午前11時、日本からの訪問者2名と一緒にホテルを出発。途中、フォーザイゴンで「フォー」を食べ昼食とする。午後12時半、フエ空港着。午後2時10分、フエ空港発でホーチミン市へ。
ホーチミン市到着後、市内のホテルで午後9時まで休息、時間をつぶす。
午後11時40分ホーチミン発のVN機で成田へ。

7月28日にフエへ戻り約2ヶ月。多くの訪問者、9月14日「10周年・奨学金式典」などを行う。今回はかなり体がきつかった。約2ヶ月間、1日の休みもとれなかった。

9月26日、午前7時25分成田着の予定。
9月26日~11月22日まで日本に滞在し、各地での講演会、「子どもの家」創立10周年記念行事などを行う。今回は、札幌、茨城、東京、静岡、京都で10周年記念イベントを行う。
11月からは「子どもの家」卒業生のSON君も同行。

9/26(日)帰国
 27(月)
  28 (火) 帰国療養日
  29 (水) 八街高校授業
  30 (木) P2支援者懇談
10/1(金)帰国療養日
02(土)静岡 P5藤田栄氏懇談 P6 清水での学校講演会(静岡泊)    
(日比谷国際協力FES)
03(日)静岡→東京
04(月)帰国療養日
05(火)帰国療養日 P6マルタカ40周年記念式典(赤い顔代表)
06(水)帰国療養日
07(木)帰国療養日
08(金)帰国療養日 P12京都産業大学講演会(京都)
09(土)帰国療養日 
10(日)      
11(月祝)国際ボランティアを考えるつどい(さいたま市) 
12(火)帰国療養日
13(水)八街高校授業
14(木)講演会(休)
15(金)
16(土)
17(日)
18(月)和歌山青年会議所寄付贈呈式 PM7~9和歌山ビック愛(和歌山泊)
19(火)講演会(休) 和歌山→東京
20(水)講演会(休)
21(木)柏市立柏高校
22(金)
23(土)東京足立区立東加平小学校講演P1~
  24(日)東京→札幌
  25(月)札幌
  26(火)札幌  
  27(水)札幌
  28(木)札幌
  29(金)札幌→東京
  30(土)東京→福岡 移動日
  31(日)「日本オムニバス」福岡県吉井町にて講演会
11/1 (月) 福岡→東京 移動日
  2(火)講演会(休)
  3(水/祝)SON君成田着(出迎え)
  4(木)静岡 P12~12:45 静岡市長懇談
  5(金)静岡
11/6(土)「子どもの家」10周年記念イベント (静岡の会)
  7(日)「子どもの家」10周年記念イベント (京滋YOUの会)
  8(月)京都
  9(火)京都→札幌
 10(水)札幌予定
 11(木)札幌予定
 12(金)「子どもの家」10周年記念イベント(札幌の会)
 13(土)札幌→東京
 14(日)「子どもの家」10周年記念イベント(日本事務所)
 15(月)出国準備
 16(火)出国準備
 17(水)八街高校授業
 18(木)出国準備
 19(金)出国準備
 20(土)「子どもの家」10周年記念イベント(火焔樹の会)
 21(日)出国日予定

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2004年09月24日

「子どもの家」中秋祭り

●福田副代表が日本語教師採用面接と休養のため一時帰国。
●午前中、舟でティエンムー寺を参観。
●午後、役員会にいくつかの提案を行う
●午後6時、「子どもの家」で中秋祭りを行う。
90人ほどの子どもたちやスタッフが参加。日本からの訪問者も5人参加。中秋祭は、日本の子どもの日にあたり、子どもたちは一番楽しみにしている。
・セン委員長挨拶
・小山挨拶
・子どもたちの獅子舞
・子どもたちの歌と踊り
・スタッフなどで子どもたちにお祝いのお菓子を配布。
中秋祭りは、午後8時過ぎまで続く。
●セン委員長に①「子どもの家」1階、2階のトイレ全面改修(京都 水本さん支援)を即時実施するよう話す。
また、洗濯物乾燥小屋の建設(静岡の会支援)開始も要請。
●午後8時半からSON君と大衆食堂で夕食。
訪日の心構え、今後のベトナム事務所員としての活動内容を話し合う。

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2004年09月23日

中秋祭の準備進む

●午前9時、10年間支援し大学を卒業した若者の支援打ち切りを本人と母親を呼んで話す。
●午前9時半、障害児医療センター副所長のニエン先生、アン先生とボランティア貯金中間報告書の件で懇談。
●午前10時、日本語教師の坂本文子さんと来年1月までの新契約書の調印を行う。
●午後3時、「子どもの家」へ。和歌山の坂口さん、東大大学院生の二人の学生が「子どもの家」を訪問。「子どもの家」では明日行われる中秋祭りの準備が進められていた。100人分のお菓子。獅子舞の準備。中秋祭りはベトナムの子どもの日。子どもたちも明日を楽しみにしている。9月28日が正式な中秋祭り。
●プロ野球労組と経営者側との合意が成立し、今週土日のストが中止となった。ストライキすら出来なくなった日本の労働組合の中で、「柔軟で」「粘り強く」「ストを実際に実施した」プロ野球労働組合の活動を高く評価する。様々な矛盾をもちながらも「来春セパ12球団」を目指すとした合意は意味のあるもの。今回のプロ野球労働組合のストを含む経緯を見ると、その基本は「世論」「フアン」にしっかりと根ざした取り組みをしていることである。自らの自己満足的な理論で活動をする一部の労働組合や会社の御用組合は今回のプロ野球労組の取り組みから何を学ぶのか、学ばないのか? リストラが続き、賃金が引き下げられ、年金は支給年齢の延長。減額と日本の労働者にとっては、もっとも労組が必要な時。労働貴族が支配する日本の労働組合自体の「構造改革」なしには、プロ野球労組の真似は出来ない。今日ほど労組が求まられている時はないのに魅力がない日本の労組。自分の頭で考えて活動をすると言う初歩的な活動すら出来ない労組、労働貴族の支配する労組では何も要求は実現しない。

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2004年09月22日

「子どもの家」改修続く

●午前8時、もえ子、ミン、ハンさんと在宅支援の若者について相談。一定の結論を出す。
●2ヶ月半ぶりに「床屋」にいく。100円。26日に帰国し講演会なども多いので散髪をする。
●日本人二人と「子どもの家」へ、昼食を「子どもの家」と一緒に摂る。
●ミン・ベトナム事務所長の奥さんと一緒にフエ名物「バインベオ」「バインロック」「バインナム」を食べに行く
●午後5時半、ラームさん夫妻と2人の子どもたちと30分ほど会う。

京都の水本さんに「子どもの家」のトイレ大改修をして頂くことになった。感謝している。
「子どもの家」A棟の1階・2階のトイレをぞれぞれ4つに増設、洋式のシャワー付きトイレとする。また、トイレに3つの手洗いと鏡を付け入る。そのために1階、2階トイレの排水管など全面的な大改修を行う。工事は約1ヶ月。工事が完了すると合計8つのシャワー付きトイレと、6つの鏡付きの手洗いが出来上がる。63名(現在)の子どもたちはトイレ待ち時間もなくなり、生活の質がはるかに向上する。こうして形の支援をして頂き京都の水本さんにはセン委員長をはじめ多くの子どもたちも喜んでいる。改めて水本さんに感謝し、工事が無事終わり、今後5年、10年と改修されたトイレが使われるようにメンテナンスをしながら大事に使って行きたいと思っている。

ベトナムの「子どもの家」を支える静岡の会より「10周年式典」の際、藤井さんを通して多額の寄金を頂く。この寄金で「子どもの家」に「洗濯物を干す部屋」を作ることとなった。雨季に入り、洗濯物を干す場所がない。洗濯物が乾かず困っていた。「子どもの家」の裏に小さな小屋を作り、洗濯物を干せるような場所を確保する。工事は1ヶ月間。ベトナムの「子どもの家」を支える静岡の会の皆様にお礼申し上げたい。

先日、緊急にC棟の屋根瓦を全体を張り替える。
また、資金の手当てが出来ていないが、パソコン泥棒が瓦を割り、大きな穴をあけた。昨年から改修を要望されていた。C棟の日本語クラスやパソコン教室に雨漏りし、機材がぬれてしまった。今回、資金の手当ては後にして、急遽、C棟屋根瓦の総改修を行った。これで雨季になっても安心して「子どもの家」は生活をすることができる。
子どもたちのへの支援は、衣食だけではなく、側面から生活をしやすくするてめの援助(建物、改修・・・)なども必要である。人間が生き・成長するためには、中々手間と時間がかるのである。
改修費用の手当ては頭の痛いところである。何とかなるでしょう?・・・・。

ベトナム全体の物価が上昇している。現在の支援金では生活できなくなってきている。今後、日本事務所会議などと相談し、どのような形で10%~20%の物価上昇への対応をするかを協議したい。

投稿者 koyama : 23:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月21日

「子どもの家」の子どもたちと懇談

午前9時、「子どもの家」卒業生のリー君をベトナム事務所に呼び、近況を聞く。様々な問題が分かる。
午後3時、「子どもの家」で大学等の受験に失敗した4人の子どもたちと個別に懇談。本人たちの気持ちを聞き個別の進路を一緒に考える。ミンベトナム事務所長・セン委員長、ロック寮長と。

今年の8月に大学・専門学校を受験した4人の「子どもの家」の子どもたちと個別に会い、今後の自分の将来への気持ちを聞き進路を話し合った。
①M子さん。今年はフエ医科大学を受験したが失敗。今後どうするのか、本人から直接話を聞く。
本人はもう一度大学を受験したいと言う。受験校はフエ科学大学化学学科、フエ経済大学とのこと。
②T君はフエ農業大学を受験。
本人は、フエ技術専門学校に入り電気技師の勉強をしながら、夜ダナン百科大学を受験したいと言う。
③D子さん。フエ師範大学を受験し失敗。来年は、フエ師範大学とフエ師範短大を受験し、将来教師になりたいとのこと。
④T子さん。フエ観光学校を受験。2教科の試験結果は総合点で「0」点。
本人は昼間仕事をして、夜夜間の予備校へ通い、再度フエ観光専門学校を受験したいとのこと。

私の方は本人たちの希望を聞き、①今年なぜ大学受験に失敗したかを考えて欲しい。②自分の能力と学力を客観的に理解し受験校を決めて欲しい。③浪人は今年1年とする。④今後セン委員長・ロック寮長と良く話し合って進路を決めて欲しい⑤必要な進学学習などはベトナム事務所として全て保証するのでしかりと勉強して欲しい。⑥「子どもの家」では、進学の勉強だけでなく、「子どもの家」の子どもたちの模範となるように、寮母さんの手伝い、年下の生活の面倒などを見るように⑦自分だけのことを考えずに「子どもの家」全体のこと、年下の子どもたちのことなど、「他人」のことも考え生活するようにと話す。

4人の受験生に共通しているのは、自分の客観的な力量と受験校との乖離である。
将来、自分の力で働き収入を得る方途の一つとして大学や専門学校の受験があることを話す。子どもたちは地域での大学の名声、ランクなどを基準に受験校を決める傾向がある。この点を時間をかけて子どもたちと話し合い、現実的な結論を出すようにしたい。

セン委員長、ロック寮長から「物価があがり、今までの子どもたちへの支援金では生活できなくなっている」現実の説明を受ける。今後、子どもたちへの生活支援金の値上げが必要になる可能性あり。

これから雨季になる。子どもたちで洗濯物を干す場所がない。雨季の期間中(10月から3月)に洗濯物を付す小屋を作って欲しいとの希望は正当な理由があると思う。何とか実現したい。

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2004年09月20日

ベトナムテレビ取材

●A8 「子どもの家」卒業生の関係者が突然トンチンカンホテルに来る。(個人的支援を要請に)
●A9研修生派遣の件で、研修生に「日本の事情」「訪日についての日本の実態」などを話す。
●P2ベトナムテレビ取材 心臓病手術・ リハビリをしている障害児の自宅を訪問し取材、インタビュー。
●P5「子どもの家」へ

午前8時、突然トンチンカンに中年の女性がやってくる。「自分は子供の家の卒業生の面倒を見ている。しかし、自分も生活が苦しく、ひざがリューマチなので支援金をもらいたい」とのこと。急いでベトナム事務所からバオミン・ベトナム事務所長を呼び、一緒に女性の話を聞く。詳しく話を聞くとこの女性は、「子どもの家」の卒業生の生活・毎日の様子などについて、ほとんど知識をもっていない。
「子どもの家」の卒業生の面倒を見ていると言って
実際には、自分がお金をもらいたいということが分かった。
明日、午前9時、この「子どもの家」の卒業生をベトナム事務所に呼び実情を聞くことにした。

午前9時、研修生派遣支援事業について、研修生派遣会社より依頼され「日本事情」について1時間講演。その後、質問を受けるが熱心な質問がたくさんでた。研修生希望者は日本での研修に強い情熱を持っていることが分かる。

昼食は日本からの訪問者と一緒に「フォーサオ」(米うどんを炒めたもの)を食べる。美味しい。

午後2時、ベトナムテレビ(ハノイ中央テレビ)の取材。9月14日の「JASS活動10周年・奨学金贈呈式典」の取材をし、先日テレビで放映された。10分程の良い番組となっていた。
ベトナムテレビは、10周年式典の取材の際、1998年~2001年まで行われた「JICA開発福祉支援プロジェクト」を私たちの会が行ったことを知った。今回、改めて「10周年式典」とJICA障害児支援プロジェクトや障害児医療センターの「フエ市障害児父母の会」の活動を総合した新しい番組を作ることとなり、今回の取材となった。
今日は午後2時からフエ市郊外の「トゥイビュー村」へ行く。障害児医療センターのアン医師、ミン・ベトナム事務所長も同行。
「トゥイビュー村」では、JICAプロジェクトで
心臓病の手術をした13歳の女の子の家を訪問。
手術後の状態、家族の気持ちなどを取材。当時、フエで心臓病の手術が出来ず、「6ヶ月以内に命の危険がある子ども」5人を選び、ホーチミン市の心臓病専門病院へ連れて行き、2ヶ月かけて手術した。5人のうち、一人はその後亡くなったが4人は現在、健康に生活している。
当時9歳だった女の子も今は13歳。ミシンの研修をし将来は、ミシンを使って縫製の店を持ちたいといっていた。家族は両親とも日雇い生活。当時、ホーチミン市で心臓病の手術をするためには、日本円で最低30万円以上かかった。日雇いで生計を立ているこの家庭では、10年分の年収に当たる手術代を出すことは出来なかった。私たちが家庭を訪問すすると近所の人たちも集まっていた。女の子の元気な笑顔を見て私もこのプロジェクトをして良かった改めて思う。1998年、彼女が手術を受けにホーチミン市に行く日、私は5人の子どもたちをフエ駅まで見送った。どの子どもたちも青白い顔をし、肩で息をし、手術についての恐怖もあり、どの子も緊張した顔をしていたのを思い出した。

同じ「トゥイビュー村」の男子の家庭を訪問。この男の子は、右手足が麻痺していた。手と足の手術を、その後 リハビリを続けている。今は、歩けるようになった、小学校4年。学校の成績は優秀。テレビ取材は男の子の成績優秀賞の賞状なども取材。男の子と両親のインタビューも。その場で私へのインタビューも行う。両親は手術と リハビリで子どもが歩けるようになったことを本当に喜んでいた。
この家庭は農家で家で「ザボン」を作っていた。
私たちに大きな袋一杯のザボンをくれた。
その後、「トゥーイアン村」へ。ここでも心臓の手術をした男の子の取材。午後4時半過ぎまで取材は続く。
今後、編集をハノイから全国放送で「JASS10年間の活動」という番組を放送するとのこと。

私たちが行った支援活動の6年後の結果がどうなっているのかを知る良い機会となった。

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2004年09月19日

ボランティア貴族

午前9時、フエ市共産党委員長の家族(奥さんと4歳の子供)と2人の日本人来訪者、ラームさんと一緒に山に緑を見に行った。昼食は山で取れた「イノシシ」「ハリネズミ」「イタチ」「シカ」の肉のジンギスカン鍋。カエルの姿炒め。
午後3時半、フエは豪雨。ダナンに台風が来ているとのこと。

●財団法人「世界青少年交流協会」が3億円もの支援金を「ねこばば」したという。

私は11年間フエで海外ボランティア、NGO活動をしているが、正直「怪しいボランティア団体」があまりに多いのに驚いている。
財団法人「世界青少年交流協会」は会長に森元総理を据え、自民党の額賀政調会長など幹部がずらっと名を連らねている。文部科学省や政府関連の団体、自転車振興会などの大手の団体は、こうした「偽ボランティア団体」に無尽蔵に支援金を支出している。ボランティア貴族と権力者との癒着である。「世界青少年交流協会」は嘘の申請をして3億円もの支援金をごまかし、飲食費や私的に流用していたという。
文部科学省など行政や大手の支援団体はこの種のボランティア団体への支援金がどのように使われているかの吟味さえ十分にしていない。森元総理や自民党のお偉いさんを役員に据ええることで「フリーパス」支援を行っているのが現実である。
我がJASSなどが行政関連の団体から支援金を頂くと、3年・4年前の報告書の1円の間違いまでチェックされ返還を迫られている。森元首相など自民党と結託した「ボランティア貴族」のニセボランティアの暗躍を許さない国民的な監視の目が必要である。実際に海外ボランティア活動をしていると、行政は「大手のボランティア」には甘く、私たちのような小さなボランティアに居丈高に応対してくる。
私たちのような小さな無名のボランティアに対しては、活動の内容を見ないで、はなから無視する態度がみえみえである。税金や支援金の壮大な無駄遣いが行われている現実に私たちも含め国民が監視の目を向ける必要がある。

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2004年09月18日

地球の歩き方ツアー帰国

午前中、日本からの来訪者3人と王宮ー「子どもの家」訪問。昼食は「フォーサイゴン」。
午後、16通のメール受信。7通のメール送信。
このLIVEDOORの日記も100MBの容量に対し、98・72MBとほぼ満杯の状況である。手島守君にお願いし、引き続き日記が続けられるよう対策を考えている。
午後4時半、3人の来訪者の一人がハノイ経由で帰国。見送り。
朝日コムの「プロ野球労組スト」WEB投票に参加。9月18日午後2時15分現在で、「スト支持」3373票、「反対」292票、「不明」99票。午後7時のNHKニュースをみる。プロ野球労組のストがいかに迷惑をかけているかを延々と放映。ストによる損害額まで計算している。何故、プロ野球労組がストをせざるを得なかったのかという「本質論」については、全く触れていない。ジャーナリズムとしての存在を自ら否定するNHKの報道である。昨日、経営者側は、球団の統合、参入問題は「経営権」の問題であり、プロ野球労組が「くちばしを挟む」問題ではないとの声明を発表している。ここに問題の本質がある。我が日記のLIVEDOORは仙台を拠点に来年からの参入を申請している。楽天、社会人野球シダックスも参入を表明。
経営権の問題を振り回すのであれば、近鉄やオリックスの経営難を放置していた経営者側の無策をこそ攻めるべきである。経営者側の無能・無策の失敗のつけを選手や野球関係者に押し付けている所に問題がる。LIVEDOORなどの参入を「認めようとしない」、経営者側の「ギルド体質」に問題がある。

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2004年09月17日

地球の歩き方、マブベの会最終日

午前中、日本からの来訪者の応対。
午後12時半、マブベの会の帰国見送り。
午後7時、地球の歩き方ツアーの最後の晩餐会。
ラームさん、ミンさんと出席。

プロ野球労組のストを支持する。

プロ野球労組が明日からストライキに入るという。やむにやまれぬ選択であり、全面的に支持し、早期の全面解決を望む。
プロ野球労組の「近鉄ーオリックス合併の1年間凍結」は最低限の要求であり、理にかなったものである。LIVEDOORが参入すると「手を上げて」いるのに、ギルドよろしく、独占禁止法に抵触する「参入を認めない」との経営者側の頑なな態度にこそ不道理がある。
2チームが1チームになれば、選手を初めとして、球場そのた関連の労働者は失業する。経営者の無策・無能の「つけ」を選手や関連労働者に押し付けるのは筋違いというもの。
やりたいという新規参入企業を受け入れたがらない経営者側の姿勢にこそ一番の問題なのである。
NHKは先週のスト予定時の放送で、ストになったら球場の弁当屋が困るという報道をしていたが、パリーグが5球団になれな、多くの選手がクビになり、球場や関連労働者の多くは失職することは報道していない。
明日からのストを全面的に支持し、LIVEDOORの仙台での参入を認め、更に新たな企業の参入を受け入れ、新しい空気の中で「再出発」すべきである。
ファンをないがしろにしているのは、プロ野球労組ではなく、無能で私利私欲、ギルド体質の形成者側と根来コミッショナーであることをはっきりと認識すべきである。
「がんばれ 古田」「がんばれ、選手の皆さん」。

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2004年09月16日

グエンフエ高校と交流

●午前中、上原さん親子と懇談。「子どもの家」の卒業生関係の件。お忙しい中、わざわざ式典やその後のレセプション出席のためにフエにお越しいただいた。感謝。
●3人の日本人参加者と共にドンバ市場へ。アオザイの布を買い、市内のアオザイ縫製店へ行き採寸。
その後、昼食。
●午後1時45分、地球の歩き方ツアー(21人)と一緒にグエンフエ高校へ。グエンフエ高校は1964年に創立。昨日「創立40周年記念式典」を行った。グエンフエ高校では40周年記念関連の諸行事が続いてる。今夜はフエ市内の文化会館で高校生の「アオザイショー」を行うとのこと。
地球の歩き方ツアーと20人のグエンフエ高校生は歌ったり踊ったりの身体を動かす交流を午後5時まで続ける。午後5時頃、稲光と豪雨。
●午後6時半、日本人訪問者と夕食。帰宅午後10時半。8月から続く訪問者への応対はまだ続く。

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2004年09月15日

太平観光式典参加ツアー、国際ソロプチミスト京都ー西山の皆さん帰国

午前8時半から「ファンダンルー高校」訪問。
午前11時、太平観光式典参加ツアーと昼食。その後フエ空港まで見送り。空港で国際ソロプチミスト京都ー西山の皆さん方と合流。ホーチミン市へ。
今夜、日本へ帰国。
午後4時、「子どもの家」卒業生と面談。

※このHPは、使用容量(100MB)がほぼ満杯となって来た。今後のHPの方向が出るまで当面、写真の掲載をストップすることとした。このまま写真を掲載すると数日でこのHPは容量オーバーとなる。

「ファンダンルー高校」には、大阪の志村さんが奨学金を贈呈している。25人。今日は贈呈者の志村さんと一緒に高校を訪問し、奨学生と懇談する。
「ファンダンルー高校」は1960年創立。その前は小学校だった。現在64クラス、1800人の生徒が学んでいる。教職員は104人。
トゥアティエンフエ省には、30の高校がある。「ファンダンルー高校」の成績は30校中4番目だそうだ。25人の生徒の中には家庭の事情があり現在「尼寺」から通っている女生徒がいる。昨年度、全国高校3年生の学習大会に高校2年で参加。全国第3位になったそうだ。将来は医師になり農村の貧しい子どもたちを救いたいと言っていた。

志村さんから奨学生対し激励の言葉あった。

最後に25人の奨学生の将来を聞いてみた。
12人が先生、8人が公務員、4人が医師、1人が警察官。

午前11時、太平観光ツアー(12人)がホテルをチェックアウト。近くのレストランで昼食を摂り、フエ空港へ。大阪、福島、東京などからの参加者であり、皆さん、「子どもの家」への支援を続けていただいている方々でもある。こうしてフエでの「子どもの家」10周年式典に参加するには、相当な気持ちがなければ出来ないことである。「言うは易し、行なうは難し」である。

フエ空港では国際ソロプチミスト京都ー西山(8人)の皆さんを見送る。皆さんは「子どもの家」C棟1階を寄贈し、奨学金も寄贈してくれている。こうしてわざわざ式典にまでお越し頂き感謝。
午後2時過ぎ、自宅へ。
午後3時、「子どもの家」卒業生との就職についての相談をすることになっていた。ベトナム事務所で待つがとうとう来ない。再度、「子どもの家」のスタッフを通して連絡する。「忘れていた」とのこと。自分の就職のことなのだから直ぐにくるようにと連絡し、ベトナム事務所で1時間待つ。午後4時過ぎベトナム事務所にやってくる。
本人がホーチミン市、ホイアン、フエと就職を探したが、未だに見つからない。何とか就職先を紹介して欲しいと本人から頼まれ、ある日本人を介してホーチミン市の会社を紹介した。
紹介したホーチミン市の就職希望先に先日私が直接連絡もしている。ある日本人から本人に会いたいとの連絡があり、私の方で本人の就職希望を再度確認するため懇談となった。本人は「事務の仕事は嫌なのでホーチミン市の会社には就職しない」との返事。肩透かし。
24歳にもなってこうした常識的なことが理解できないことに落胆する。ベトナム事務所のミンさん、ハンさんをはじめ多くのベトナム事務所員の協力と
仲介してくれた日本人の努力などを全く理解できない卒業生の態度に心寒くなる。

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2004年09月14日

「子どもの家」創立10周年記念・奨学金贈呈式典成功裏に終了

午前8時半から王宮内で「記念式典」が始まる。約300人の参加。
冒頭、フエ伝統芸能の獅子舞が上演される。
式典は
①主催者挨拶(JASS代表小山)
②フエ副市長祝辞
③セン「子どもの家」委員長挨拶
④奨学金贈呈者代表挨拶(北垣善男様)
⑤奨学金贈呈式
⑥奨学生代表挨拶
⑦「子どもの家」の子どもたちの踊り

午後2時から日本語学校、障害児医療センター、オートバイ研修センター、「子どもの家」を視察。
午後6時、フォンザンホテルでフエ市人民委員会主催「JASS活動10周年記念レセプション」が開催された。

改めてベトナム事務所員、「子どもの家」スタッフ、日本事務所、多くの支援の皆様方に感謝し、お礼申し上げたい。
左(テレビ局の取材を受ける小山)
中(ズン副市長挨拶)
右(北垣会長挨拶)ふえTV副市長挨拶北垣会長


奨学金の贈呈を行う
左(セン「子どもの家」委員長挨拶)
中(国際ソロプチミスト京都ー西山贈呈)
右(志村・藤井さん奨学贈呈)セン委員長挨拶京都ソロプチ贈呈志村・藤井贈呈


多くの日本人が式典に参加。
左(マブベの会)
中(日本人参加者一同)
右(ベトナム事務所員一同)マブベの会日本からの参加者一同ベトナム事務所員一同

式典は300人の参加。
ベトナムテレビフエ支局、地元フエテレビ、トゥアティエンフエ省共産党機関紙などの取材があった。
日本側は、太平観光関係の参加者(12名)、国際ソロプチミスト京都ー西山(8名)、マブベの会(4名)、地球の歩き方ツアー(21名)、その他日本からの参加者・・・。
ベトナム側からは140名の奨学生、省・市共産党や行政の幹部、奨学金贈呈学校関係者などが参加。
「子どもの家」からはセン委員長、ロック寮長、寮母さんそして子どもたち。子どもたちは式典の最後にベトナム伝統の農民の踊りを披露。
約2時間の式典を終了した。その後、日本からの参加者は王宮の参観を行う。

午後2時から太平観光ツアーや日本から来た支援者の皆さんを案内し、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校、障害児医療センター、オートバイ研修センター、「子どもの家」の諸施設を案内。

午後5時過ぎにフォン川の川端の7年前に東京下町の「赤い顔」に皆さんが植樹した火炎樹の木8本の成長を見に行く。1メートルほどの火炎樹の木の苗が7年後の今日、数メートルの見事な大木に成長していた。7年前に植樹をされた方も3人参加されていた。

午後6時からフエ市人民委員会主催の「JASS活動10周年記念レセプション」が行われた。
副市長の挨拶、国際ソロプチミスト京都ー西山の挨拶、そしてJASSより省・市の共産党と行政、関係している学校に感謝状を贈呈。クアンフエ市共産党委員長の乾杯。その後、日越の参加者の懇親会となる。レセプションには日本から上原さん親子も参加。

こうした式典やレセプションを通して10年間の活動を確認することも意味のあることのように思えた。日本の多くの支援者に実際のフエでの活動を見てもらうことは、NGOとしてはとても大切な活動だと改めて思う。

とにかく疲れた1日ではあった。ベトナム事務所の皆さんも疲労困憊状態。8月から続いたベトナム事務所の仕事も大きな山場をやっと越えたと言える。

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2004年09月13日

ホーチミン市からフエ市へ 

午前10時、ホーチミン市のホテルを出てホーチミン空港へ。
午前11時50分発の飛行機に乗る。太平観光ツアー(12人)、マブベの会(4人)、地球の歩き方ツアー(21人)、日本の支援者3人組みと一緒。
午後2時、フエ空港着。
午後3時から午後5時半、地球の歩き方ツアーへのレクチャー。
午後7時から支援者との夕食会。午後9時40分終了。
(地球の歩き方レクチャー)地球の歩き方講演

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2004年09月12日

ホーチミン市へ 9・14式典参加者を出迎える

朝7時、トンチンカンホテルを出発。フエは雨。
A10 ホーチミン市へ。快晴。30度。
P1:55 太平観光式典参加ツアー(10人)を出迎える。「マブベの会」(4人)も到着。
P2:45 関空から来る式典参加者2人を出迎え
ホテルへ案内。
P10 3人の式典参加者をホーチミン空港(タンソンニャット)で出迎え、ホテルへ同行。
ホテル着P11。
左(PHOOさん)
中(マブベの会・ホーチミン市にて)
右(太平観光ツアー・ホーチミン市)PHOOさんマブベの会太平観光

9月14日「JASS活動10周年・奨学金贈呈式典」に出席される多くの支援者の方々が日本から来られる。数日前になって急にベトナム事航空はホーチミン市→フエ間の飛行機をキャンセルしてしまった。何組かの参加者は前日出発に日程を変更したり、式典参加を取りやめ、午後6時からの「10周年レセプション」への参加となってしまった。
ベトナム航空のいつものやり方ではあるが、社会的な責任への自覚の欠如。ベトナム官僚社会では通じても一般国際社会では通じないことである。

午前7時半にフエ空港着。夫さんと会う。夫(PHOO)さんは、1995年秋に「ニュースステーションを見た」とのことで連絡が何度かやりとりをした。当時、大学生であり進路や生き方などの話があった。それから9年。現在はある新聞社の社会部員となって活躍している。9年前、手紙でのやりとりであった。9年後、初めて会う。今回は「子どもの家」を視察。時間が合わず、フエ空港での出会いとなった。

午後1時55分ホーチミン空港着(タンソンチャット空港)で北垣会長を先頭に太平観光式典参加者ツアー(10人)が到着。長年の支援者である野口氏親子、里親である西田氏なども。
同じ飛行機で大学時代の同級生である大極安子さんたちが作っている「マブベ笑顔の会」(4人)も到着。マブベの会は鍼灸師、看護師などを中心に子どもたちへのタッチセラフィーを行い、病気の予防、心の解放、障害の緩和などを行っている。この数年間、毎年何度かフエに来て、「子どもの家」の子どもたち、寮母さんへの治療。障害児医療センター医師への「タッチセラフィー」の指導。「子どもの家」タム医師への指導などを行っている。

太平観光ツアー、マブベの会を空港で見送り、1時間ほどホーチミン空港前で待つ。
関西空港から来た志村さん(50人への奨学金支給)や藪内さんの出迎え。地球の歩き方ツアー参加者で本隊と別に来る二人とも出会う。ピースインツアーホーチミン駐在員の森内さんと挨拶。
そのまま志村さん、薮内さんを案内して午後3時過ぎ、ダクストンホテルへ。ホテルでしばらく待つと北垣さんたちの太平観光ツアーの皆さんが「戦争博物館視察」から戻ってくる。参加者12人が合流。
太平観光ツアーは午後7時過ぎからの「サイゴン川クルーズ」に乗りディナーを。
私は一度、投宿しているオムニサイゴンホテルへ戻り休息。
午後9時半、オムニサイゴンホテルを出てホーチミン空港へ。午後10時着の3人の日本人式典参加者の出向かえ。午後10時半に空港の外へ出てくる。
そのままオムニサイゴンホテルへ。長い1日だった。

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2004年09月11日

アールオイ山岳地方へ遊行ーーー 9・11テロから3年

午前8時、フエ市共産党委員長(市議会議長)の呼びかけでアールオイ山岳地方へ遊行。委員長はベトナム戦争中、この地域の山岳地帯で反米ゲリラ闘争をしていたちとのこと。当時は10メートル程の木々が茂る大ジャングル地帯だったそうだ。枯葉剤の散布で今は、数メートルの木が茂っている。もえ子、ラームさんと一緒に。昼食は地元の山で取れるイノシシ肉。鹿肉のジンギスカン。
委員長は私と同じ年。4歳のお子さんを連れての参加。
左(しゃれた茶房でコーヒーを飲む)
中(途中3頭の象の調教を見る)
右(イノシシ肉を食べるラームさん)茶房象の前でイノシイ肉

2001年9月11日のテロから3年。アメリカの「テロとの闘い」の実態が明らかとなってきた。
アメリカのイラク攻撃の理由(大量破壊兵器・・)
がことごとく、アメリカの独立調査機関報告で否定されている。アメリカの世論もイラク攻撃がテロをなくすことに有効、逆効果の意見が拮抗している。
1年半前、90%以上の米国民の支持で始まったイラク戦争。既に米軍の死者は1000人を超え、イラク市民への米英軍の虐殺も15000人~3万人と言われている。イラク戦争はますます「ベトナム戦争化」している。1965年、米軍がベトナム戦争に公式介入した時は、圧倒的米国民は政府を支持した。米軍の死者が増えるに連れて「ベトナム戦争反対」の世論が強まり、1973年には世論に押され、ベトナムから撤退している。ブッシュ政権はベトナム戦争から何も教訓を学んでいないように思われる。
テロをなくすと言って米英軍を中心に「国家テロ」を行っているのが、イラク侵略戦争の実態である。アメリカは、「反テロ戦争」と称して、更に世界中でテロを誘発してしまった。止めどない卑劣なテロ。アメリカは自ら誘発したテロに自ら怯える事態となった。アメリカへの入国者から指紋採取。米国民へのスパイ、尾行、アラブ系市民への偏見に満ちた人権侵害の数々。「自由と民主主義」を標榜していたアメリカが自ら自由と民主主義を破壊しつつある。
暴力を更なる暴力で止めることは出来ない。テロの温床を時間をかけてなくしていく世界の取り組むが求められる。テロの温床は「貧困」である。貧困問題を無視して、いくら暴力と戦争で圧してもテロはなくならない。
地道な「貧困をなくす」世界中のボランティア、市民活動、国家の取り組み、国連など国際機関の取り組みが必要である。

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2004年09月10日

フエ市人民委員会との最終打ち合わせ(9月14日式典)

午前9時、フエ市人民委員会との打ち合わせ
午後2時、25通のメール受信。11通のメール送信。
午後5時、早稲田大学「JAN」の学生さんと写真を撮る。(間違って写した写真を削除)

午前9時、フエ市人民委員会より緊急に打ち合わせをしたいとの連絡。私とラームさんとで急行。
ニエン外務部長が明日から市長と海外出張に行くようになったとのこと。そのため、9月14日式典の最終打ち合わせをしたいとのこと。
●ベトナム側出席 236人
●日本側 54人
●フエ市人民委員会外務部側で準備することになっていた諸事項について確認。
・省、市の共産党・行政、警察等に幹部への招待状は40通発送。
・式典横断幕(日越語)
・会場座席表
・奨学金支給証明書作成(338人分)
・会場設営等の諸準備(音響、机、椅子、生花、お盆等
・マスコミ関係者(青年新聞、若者新聞。トゥアティエンフエ省共産党機関紙、ベトナムテレビフエ市局、フエテレビ)

9月14日式典の準備は大筋完了。あとは、当日現場での臨機応変な措置を待つのみ。

太平観光北垣社長より電話。
内田さんより電話。

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2004年09月09日

9月14日式典最終打ち合わせーーA先生と懇談

●A9~ベトナム事務所員会議(9月14日式典最終打ち合わせ)
●午後2時半~午後5時半までA先生と懇談
左(ベトナム事務所全員会議)
右(ソン君も参加)ベトナム事務所員会議ソン君m参加

今日も一日雨のち曇りのち雨。いよいよ雨季に入りつつある。

午前9時からベトナム事務所会議。9月14日式典の最終的な打ち合わせを行う。フエ市人民委員会と共同で諸準備を進めてきた。大筋は準備が進んでいると判断して良いと思う。しかし、日越の「ものさし」の違いもある。式典まであと4日。未だに未定いになっていることもある。式典挨拶に来るトゥアティエンフエ省代表、フエ市代表、教育委員会代表など・・・。
どうしても「当日になって」「ぶっつけ本番」となる部分もある。後は、当日の柔軟な判断が必要。
8月から様々な準備を進めて1ヶ月半。ベトナム事務所の皆さんとニエン外務部長などフエ市人民委員会外務部の協力でここまで来ることが出来た。当日の式典の成功を祈りたい。

午後2時半~A先生と教え子の大学4年生と話し合う。A先生は30歳代。8月31日で某私立高校の数学教師を辞めた。教師を辞めた理由などを聞く。
学校の実態に唖然とする。「うーん」。こうした学校江運営もあるのだと変な感心をする。

淑徳与与野高校の宮内先生が「シンチャオ! ベトナム ――私のベトナム「一人旅」案内――」という著書を出版される。原稿を読ませていただく。「子どもの家」のこと、私のこと、JASSのことなどが詳しく書かれている。

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2004年09月08日

9月14日式典準備ーー静岡市国際交流協会ツアー最後の夕食会

今日は一日曇り。
北海道で台風18号が大暴れした。札幌に住む長男家族が心配だ。
9月14日「JASS活動10周年・奨学金贈呈式典」挨拶の原稿を書き、通訳のバオミン・ベトナム事務所長に渡す。

午後6時半、静岡市国際交流協会ツアー最後の夕食会
(静岡国際交流協会ツアー晩餐会)静岡ツアー晩餐会

11月3日から21日まで「子どもの家」卒業生のSON君を日本に招請し、各地で行われる「子どもの家」創立10周年記念式典に出てもらう。各地の記念会合は以下の日程。
①11月6日(静岡市)
②11月7日(京都市)
③11月12日(札幌市)
④11月14日(東京)

SON君訪日関連の各種書類を作成。
午後、ベトナム事務所へ。ミンさんと打ち合わせ。
9月14日午後6時からの「子どもの家」創立10周年記念レセプション」で知事や市長、教育長などに贈呈するJASSよりの感謝状の文面を作り、早急に額と感謝状の印刷を行う。

午後5時から20日ぶりにベトナム事務所からドンバ市場までウオーキング。

午後6時半、静岡市国際交流協会ツアーの皆さんと最後の夕食を摂りながら交流。

8月中旬から今まで約15のツアーを受け入れた。100人以上である。
とにかく忙しかった。その間、オリンピック、台風、関西電力原発の破損事故など様々な出来事があったが、深く考える時間と余裕がなかった。

一昨日、NHKの海老沢勝二会長が元チーフプロデューサーによる制作費不正支出や職員の受信料の着服など一連の不祥事に関する調査結果と再発防止策を経営委員会(須田寛委員長=JR東海相談役)に報告し、その内容を発表した。改めて会長など全役員を減給処分にし、ずさんな経理処理が発覚したソウル支局長を停職6カ月と放送総局付に異動とし、カラ出張をした元「宇宙新時代プロジェクト」の職員2人も出勤停止7日とした。
 役員の処分は、すでに決まっていた海老沢会長の減給30%、関根昭義放送総局長と出田幸彦同副総局長の同20%(いずれも3カ月)をそれぞれ6カ月に延長した。新たに笠井鉄夫副会長を減給20%6カ月、その他の役員8人を同10%6カ月とした。 現ソウル支局長の経理処理については、前回赴任していた93年から4年間のうち約29カ月間で、月60万~210万円を上乗せした額の領収書を外部プロダクションに作らせ精算し、その総額は約4400万円にのぼることが分かった。しかし取材活動に使い、私的な流用はなかったとして弁済は求めていない。
 元チーフプロデューサーの番組制作費の不正支出は、これまで分かっていた4800万円余の不正支払いのほか、紅白歌合戦に出演したバンドの所属事務所への出演料過払いも明らかになった。
海老沢会長を含む管理者への「甘い」処分。不正を行った職員の処分もあまりに甘すぎる。
ベトナムではNHKの海外衛星放送しか日本の出来事を知る術がない。
オリンピックや台風、水害などは詳細に報道している。しかし、改めてこの1ヶ月近くの日本で起こった出来事を考えてみると最大の出来事は、橋本元総理の「1億円小切手」事件である。
既に日本歯科医師連盟から1億円をもらいながら、この収入を政治資金収支報告書に記載しなかったとして、政治資金規正法違反容疑で橋本派(平成研)の当時事務局長で会計責任者の滝川俊行容疑者(55)が逮捕されている。
料亭で橋本元総理が1億円の小切手をもらった宴会には野中元自民党幹事長、青木参議院議員会長も同席していたと日歯連前会長は供述している。
橋本元総理は「会合に出席した記録はあるが、その席に誰がいたのか、どんなやりとりをするための会だったか、率直に言って思い出せない」と説明しているそうだ。1億円をもらっていて記憶にないなどという人間はいない。一国の総理大臣だった人の重大なスキャンダルであり、政権党の中枢が絡んだ大きな汚職疑惑である。
この1ヶ月ほど、NHKニューなどを見ていたが、橋本元総理の1億円スキャンダルはほとんど報道されないか、小さな事実だけが報道されるだけだった。NHKとしては重大な問題とは位置づけていないことが報道の仕方で分かる。
ジャーナリズムの本質は、国民に代わり権力への監視と批判をするおとである。
NHKの会長以下職員が受信料からなっている経費を横領したり、不正領収書を作ったり、受信料の徴収員が着服したりと、NHKという組織自体が、金属疲労状態である。そして、責任者自体がその重大性に気づいていない。こうした組織がまともなジャナリズム精神をもつわけがない。
有働アナ、黒田アナの「オチャラケ」ぶりはこうしたジャーナリズム精神を忘れたNHKを象徴しているようである。
ためしに「ニュース10」の有働アナの大げさで品性のない振る舞いを見て頂きたい。
NHKを見ていると日本の本当の姿が見えなくなってくる。
 

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2004年09月07日

少し「秋」の気配?ーー静岡ツアーグエンフエ高校交流

午前中、ハノイの日本大使館と意見交換
午後2時過ぎから午後5時過ぎまで静岡ツアーはグエンフエ高校を訪問。
左(静岡ツアー かっぽれ踊り)
中(フエテレビ取材)
右(日越合同で「ふるさと」を合唱)静岡かっぽれフエテレビ取材日越合同合唱

気候が少し変化してきたようだ。体がだるい。
昨日、日本大使館の問題について「意見書」を出した。今日は領事、公使から電話があり、意見書問題についての釈明と訂正、謝罪があった。疲れる。
大使館の名誉のため、詳細は書かない。私が大使館に突きつけた主要な問題は、大使館がNGOを認めていない、「NGOとの提携」と口では言っているが、実際にはNGOを一段低いものとの深層認識を持ていることへの批判であった。官僚主義というのはこうしたことをいうのである。官が偉く、民は一段低いとの無意識のうちに身に染み付いている外務省・大使館職員の態度と具体的な行動に付いて厳しく批判した。

静岡国際交流協会ツアーはグエンフエ高校を訪問。グエンフエ高校高校は9月15日で創立40周年となる。静岡ツアーが学校を訪問すると地元フエテレビが取材に来ていた。ツアー参加の皆さんはハッピを着て「?かっぽれ」を踊る。交流が深まり、中々別れられなかった。

東京太平観光の北垣会長から電話。9月12日にホーチミン市に着く太平観光「JASS10周年式典参加ツアー」の件で打ち合わせ。

ベトナム事務所会計問題についてハンさんと打ち合わせ。

「子どもの家」のトイレ改築、シャワー増設の件で、セン委員長、ミン・ベトナム事務所長、関係者の意見を聴取する。改築の見積りを建築会社に依頼するようにした。

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2004年09月06日

静岡市国際交流協会ツアー・レクチャー。訪問者応対

●A8 静岡市国際交流協会ツアー(10人)の皆さんに「子どもの家」の歴史と現状を話す。
●午後3時過ぎ、最近発行された「ボランティア貯金リーフレット(WITH YOUR LOVE)」を見て二人の女性がベトナム事務所を訪ねて来た。
●午後4時過ぎ、「子どもの家」で交流しているK先生と教え子の大学生と懇談。
●午後5時、「子どもの家」で子どもたちと夕食を共にする静岡ツアーの皆さんと懇談
左(静岡ツアーに自己紹介するソン君)
中(静岡ツアー、小山レクチャー)
右(ボランティア貯金の宣伝誌を見て)SON自己紹介小山レクチャーボランティア貯金リーフレットを見て


「子どもの家」では静岡ツアーが交流
左(K先生と教え子の大学生)
中(生活に慣れた新入所の4人の幼児)
右(夕食を摂る静岡ツアー)K先生と教え子新入所4人組静岡ツアー夕食

午前8時からベトナム事務所で静岡ツアーの皆さんにベトナム事務所員を紹介。ベトナム事務所員として仮採用したソン君も初めて参加。
その後、ビデオを使って「子どもの家」の歴史、現状、課題などを説明する。
静岡ツアーの皆さんは熱心に質問をする。ボランティアに強い関心を持っていることが分かる。
SON君は、昨夜、静岡ツアーをフエ空港へ出迎えに行き、ベトナム事務所員としての見習いの仕事を開始した。これから数年の間、こうした様々な体験を通してベトナム事務所員として立派に育っていって欲しい。

午後、ハノイの大使館に「質問状」を送る。
ボランティア貯金リーフレット(WITH YOUR LOVE)を見て若者がベトナム事務所を訪問。
今年の6月27日に渋谷の「東急セミナーBE」でボランティア講演会をした。その時私の話を聞いてくれた高校の先生が卒業生を連れて「子どもの家」を訪問。「子どもの家」で教育のこと、学校のことなどを話す。
静岡ツアーは、夕方「子どもの家」の子どもたちと夕食を摂る。
夏休みの3ヶ月間、田舎の叔父さんの家に帰っていた子が「子どもの家」に戻ってくる。
最近入っ4歳のNAM君など4人の幼児が楽しそうに夕食を頬張っている。「子どもの家」に慣れたようだ。

プロ野球選手会が9月中の土日にストライキを行うという。98%の高率でストを批准したそうだ。
最近、労働組合がストをしたという話をあまり聞かない。ヤクルトの古田会長率いる選手会は東京都労働委員会から公式に労働組合として認められている。
小泉首相はプロ野球労組のストライキについて「ファンを忘れてはいけない」という主旨の発言をしている。しかし、この問題の経過を見れば分かるように、ファンを忘れて、一方的に合併を推進しているのは経営者側である。近鉄ーオリックスの合併を決めた上に、今度は、西武ーロッテの合併に向けて動き始めている。
プロ野球選手会の主張はもっともである。パリーグが4球団になれば、当然ながら選手の首切りなど生活が大きく変わる。選手会は「今年度の合併の凍結」という最低限の要求をしているだけである。
経営者側の問答無用の態度、選手を人間と見ない封建的経営体質、プロ野球の将来への展望を持たないまま合併だけを進めようとする無能は経営感覚。読売の渡辺恒雄元オーナーに代表される経営感覚である。プロ野球選手会(労組)をストライキをせざるを得ないところまで追い込んだ経営者側の無能な姿勢こそ、小泉首相は批判でべきである。
巨人中心のプロ野球のシステムそのものが根底から崩壊していながら、親亀「巨人」の背中に乗っているその他の小亀球団の「親亀ー小亀」体質の崩壊でもある。プロ野球経営者の醜態は「金属疲労」の日本社会を象徴しているようである。経営者の意識改革こそ急務である。とりあえず、LIVEDOORの堀江氏の参入を認め、新しい経営感覚をもった若い能力を導入してみたらどうだろうか。既得権に汲々としている小亀球団ーコバンザメ球団のぬるま湯体質の改革が急務である。
プロ野球選手会のやむにやまれずに行おうとしている「9月中の土日スト」を支持し、プロ野球の再生を願っている。

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2004年09月05日

フールー小学校開講式--静岡市国際交流協会ツアー出迎え

今日は日曜日。しかし、ベトナムでは全国の小中学校では、開講式(日本の始業式+入学式)が行われた。
●午前6時50分、フールー小学校開講式に出席。
●半日かけて、日本教育公務員弘済会「きょうこう通信1月号」原稿を書く。
●午後7時45分、フエ空港へ「静岡市国際交流協会ツアー」(10人)を出迎える。ミンさんと一緒に。飛行機が1時間遅れる。ツアーのフエ空港到着午後8時40分。
左(開講式の太鼓たたき)
中(新入生を歓迎する上級生)
右(国旗を持って参加する新入生)開講の太鼓上級生新入生


1時間遅れで静岡市国際交流協会ツアーが到着
左(フールー小学校開講式全景)
中(静岡市国際交流協会ツアー)
右(午後9時半、フォーを食べる)開講式静岡ツアーフォー

午前7時から始まったフールー小学校の開講式は、
国歌斉唱、国旗掲揚から始まった。副校長の「ベトナム社会主義社会を守り、ホーチミン主席の遺訓を実践しよう」とのシュプレヒコールに合わせ、子どもたちが「実践すずぞー」「実践するぞー」と唱和する。
地元「ビーザー地区人民委員会主席」がチャンドゥックルオン国会主席の手紙を読み上げる。
参加した子どもたちはうるさく騒いでいるが先生方は全く気にしない。日本では先生方は「静かに」などと会場を歩き回るのだろうな、などと考える。

続いて校長先生の挨拶。校長先生は、長年のJASSの支援でフールー小学校は学校運営が出来ている。地元のビーザー人民委員会からの応援はない。と発言する。一緒に参加したミン・ベトナム事務所長と「こんなこと言って大丈夫なのだろうか」とこちらが心配するほどだった。
校長先生は今年は106人・3クラスの新入生が入学し、全校653人になったことを報告。
(開講式終了後、何故今年は入学者が少ないのか質問してみた。例年は160人ほどの新入生があるそうだが、今年の新入生の生まれた年は「寅」どしだそうで、寅どしは、子どもを生まないというのがベトナムの伝統だそうだ。例年より40%も少ない新入生である。日本でも昔は60年に一度の「五黄の寅」に生まれた女性は旦那を食い尽くすと言っていた時代があった。どうでもいいが、わが妻も五黄の寅)
校長先生の挨拶の続き。新入生と在校生に対し、制服をきること、時間を守ること、そしてホーチミン主席5つの教えを守ること(①国を愛し、人民を愛す②勉強・労働に励もう③決まりを守ろう④衛生に気をつけよう⑤謙遜の精神、勇気の気持ちを持とう)

暑い中、30分ほどで簡単に開講式は終了した。こういう所は、ベトナムのよい所だ。実に現実的であり柔軟だ。

半日かけて原稿(2000字)を書く。
午後7時、トンチンカンホテル前にミンさんと車が迎えに来る。7時30分、フエ空港着。
午後7時45分時過ぎ、静岡市国際交流協会ツアーが到着予定だったが、1時間到着が遅れる。午後8時40分頃、フエ空港に到着。出迎える。添乗の静岡市国際交流協会の宮本さんと挨拶。参加者は多数の応募者から選抜されて参加した大学生や社会人など。
車の中でベトナムの話をし、午後9時半頃、「フォーサイゴン」という店に入り、米のうどん「フォー」を食べる。午後10時過ぎ、ツアーは、バオミン・ベトナム事務所長がオーナーをしている「バオミンホテル(別名ハンマーホテル)」に到着。
これから5日間、フエに滞在し、「子どもの家」、
ベトナム語講座、グエンフエ高校交流、観光などを行う。無事に5日間を過ごすことを祈る。

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2004年09月04日

ハイバーチュン中・高校開講式に出席

●A6:45ハイバーチュン中・高校の開講式に参加。
●午後、原稿書き
●ボランティア貯金完了報告書関連資料作り
左(87年の歴史を辿る)
中(米国の枯葉剤会社に抗議する署名)
右(「子どもの家」TY君も式に参加)ハイバーチュン中・高校枯葉剤署名TY君

午前7時からハイバーチュン中・高校の開講式。
ベトナムは9月が新年度。今日から中・高校は学校が始まる。中学3年・4年生とハイバーチュン高校1年2年3年生が参加。
ハイバーチュン中・高校は今年で創立87年。
開講式では87年間の学校の歴史を再現。
国歌を歌う。先生は誰も歌わない。近年はテープを流す風潮が強いようだ。最近、新聞で国歌をテープで流していると子どもたちが歌わなくなる、生徒に国歌をしっかりと歌わせるようにとの論調が出たそうだ。
今日の開講式では、式中央に壇が出来、20人ほどの選ばれて生徒が国歌を歌う。他の生徒はあまり声が出ない。どこの国も「国歌」を歌うことには色々と問題があるようだ。

校長の挨拶。その後来賓として省教育局次長、省教職員組合委員長、ホーチミン青年団役員、PTA会長挨拶などがあった。

最後に「枯葉剤を製造したアメリカの会社に抗議の署名をしよう」との呼びかけがあり、校長、副校長、教育次長以下、関係者が呼ばれ、大きな板に署名をした。私も呼び出され署名。
1998年から2001年までJICA障害児支援をしていた頃のベトナム政府の立場は「枯葉剤と障害児との因果関係は分からない。現在調査・研究中」との態度だった。枯葉剤問題での対米請求や抗議については、共産党・政府は厳しい制限をしていた。
その後、対米戦略が若干変わってきた。ベトナム戦争の保障を請求する権利を「留保する」との立場を表明。
今まで枯葉剤問題は公式の場で取りあげるのを避けていた節がある。アメリカをあまり強く刺激して、経済投資を引きあげられないようにとの政治判断だったようだ。
最近は共産党と政府の姿勢に変化が出てきた。アメリカ政府への抗議はしないが、枯葉剤製造会社への抗議をするようにとの共産党・政府の指示で、現在全国的に「枯葉剤製造会社」への抗議運動が展開されている。学校教育がこうしたその時々の共産党や政府の政治方針の道具にされている実態は、悲しいものがある。本来、この種の問題は共産党や政府の指示で行うものではなく、本人の内発的な自覚から出る運動であるべきである。
こうした共産党中央や政府の指示での運動は、一人一人の国民に「考えることを忘れさせ」「上層部の指示で動く人間を作る」だけのことである。

1時間半で開講式終了。開講式後「子どもの家」のTY君と会う。TY君は、1993年10月、私が最初に出会った子どもたちの一人である。長いもので付き合ってから11年目になる。今の「子どもの家」の前のチーラン通り「子どもの家」で妹と一緒に世話をしていた。11年の年月はTY君をすっかり成長させ「大人の顔」い変えていた。TY君もハイバーチュン高校の2年生となった。希望する将来へ向けて頑張って欲しい。

午後、ボランティア貯金完了報告書関連の資料作り。(半日)
10月11月中旬まで日本へ帰国し、講演会等を行う。その間、依頼されている雑誌の原稿を書く時間がとれない。12月までの原稿を2誌分、書き上げなければならない。「子どもの家」の活動を広く世間に広めるためにも雑誌執筆は必要。
日本教育公務員弘済会「きょうこう通信」12月提出分の半分(2000字)書き上げる。明日、残りの半分を書く予定。

投稿者 koyama : 20:44 | コメント (1) | トラックバック

2004年09月03日

9月14日式典のための「王宮」視察ーーーーSON君ベトナム事務所員としての初仕事

●A8:30ベトナム事務所員全員で「王宮」へ。
9月14日「JASS活動10周年・奨学金贈呈式典」のための現地視察。
●10:30 「子どもの家」卒業生SON君がベトナム事務所員(仮採用)として初仕事
●午後2時半、札幌から来た二人の学生と懇談
●午後3時半、「きょうこう通信」原稿を書く
●午後6時半、地球の歩き方ツアー最終日の夕食会
左(SON君のベトナム事務所員初仕事)
中(札幌から来た学生)
右(地球の歩き方ツアー晩餐会)SON君最初の仕事札幌学生地球の歩き方晩餐会

午前9時より王宮内の劇場で、フランス人のよる奨学金贈呈式が行われた。私たちが9月14日に行う「JASS活動10周年・奨学金贈呈式典」とほぼ同様の式典なので、様子を視察に行く。ラームさん、文子(地球の歩き方ツアーと一緒の少数民族交流へ)以外のベトナム事務所員全員が参加。式典の運営の仕方、全体の雰囲気、問題点などを調査。
フランス式典を視察して、いくつかの改善点が分かった。早速、もえ子、ミンベトナム事務所長とが協議し当初計画の一部変更を検討する。

今日からSON君がベトナム事務所員として仮採用され、ベトナム事務所でベトナム事務所員全員に紹介。「頑張ります」との決意を語る。
SON君は「子どもの家」創立当初から9年間「子どもの家」で生活し、フエ高等師範大学を今年の7月に卒業したばかりである。初仕事は、ベトナム事務所のコピー。

午後2時半、札幌から二人の学生がベトナム事務所を訪問。北大医学部の学生と札幌大学経済学部の学生さんである。札幌大学の学生さんは、同大学の岩崎徹先生の教え子である。岩崎先生は、私の長男と一緒に「軽種馬」の研究をしている先輩の先生。私も二度ほど飲んだことのある先生である。私たちの活動の支援もしてくれている。

午後3時半から日本教育公務員弘済会「きょうこう通信」の原稿(2000字)を書く。

午後6時半、地球の歩き方ツアーが6日間のフエでのボランティア体験を終えて明日帰国。今日は最後の夕食会となった。11人(添乗員1名を含む)の皆さんはフエで様々な人たちとの交流を深め帰国する。フエでの7日間の体験が生かされることを祈る。

投稿者 koyama : 19:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月02日

ベトナム国慶節(建国・独立記念日)ー休日

9月2日はベトナムの建国記念日。1945年9月1日、ホーチミン主席がハノイにおいて「日本ファシストとフランス帝国主義者からの独立」を宣言した日。休日。
午前8時半、京滋YOUの会の寺沢さん、明治大学の野地さんを「子どもの家」へ案内。松下さんと。
左(日本語クラスで)
中(子どもたちの部屋で)
右(キーボードを教えるドゥオック君)日本語クラス図書室にてキーボードを教える

59年前の9月2日。ベトナムは日本の占領、フランスの植民地主義からの独立を宣言し、「ベトナム民主共和国」の成立を宣言した。
59年たった今も、アジアの1国であるベトナムでは、日本ファシスト打倒を祝っている。小泉首相を初め多くの日本人は既に「忘れて」しまったことだが、ベトナムでは59年たった今も日本ファシストの崩壊を祝っている。
夜、国慶節の町をオートバイで一回りしてみるが、特別なことはなかった。いつもの夜だった。チャンティエン橋などが平日なのにライトアップされていた位だろうか?

「子どもの家」では子どもたちが新学期(9月3日~)前の最後の夏休みを楽しんでいた。
音楽室では音楽の好きな子どもたちが、ピアノを日インンターネット至り、キーボードを使って遊んでいた。フエ省立音楽専門学校でキーポードを勉強しているドゥオック君は年下の女の子にキーボードの使い方を教えていた。
こうして自由にピアノやキーボードを使うことで、音楽好きな子どもたちが育っていくような気がする。本当に勉強したければ、音楽専門学校等への進学の道を用意しておけばよいのである。嫌いな子供に無理に音楽をやらせることはない。「音楽」は音を楽しむことである。明治の人はMUSICの本質を掴んだ訳文を作ったものである。

今日は午前中から雨。いよいよ「雨季」の走りか?
夜はむしろ涼しいと言っていいくらいである。

投稿者 koyama : 18:52 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月01日

JASS日本語学校日本語教師緊急募集(特別号)

★9月1日の日記はこの(特別号)の下にあります。

日記読者の皆様
関係者の皆様

以下の要項で「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校ボランティア日本語教師を募集します。
知り合い・友人・関係者などの中で希望される方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

「静岡-フエ青年交流会館」付属日本語学校
日本語教師ボランティアスタッフ募集要項

2004年8月29日
ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)

 当会はベトナム中部を中心にストリートチルドレンの自立支援活動にあたっている海外NGOです。フエ市に「子どもの家」を設立し、約100名の子ども達の衣食住及び通学の保障、心豊かな人間性を育てる取り組みを進めています。これまで、子ども達の生活費やスタッフの月給等の運営費は全て日本からの支援で成り立っていましたが、現地での財政的な自立を目指し、資金を生み出す活動の一環として2003年4月に日本語学校を設立しました。これはJASSとフエ市越日交流委員会の協力で設立されたもので、フエの一般市民(高校生~社会人)に向けて日本語教育を行っています。建物は静岡ライオンズクラブや静岡市民の有志によって設立された「静岡-フエ青年交流会館」を使用しており、現在までにのべ250名の生徒が各コースで学んでいます。現地の自立に向けて、一緒に活動してくださる方の御応募をお待ちしています。

1.日本語学校設立の目的
①ベトナム人に日本語を教えることを通して日本文化・日本の紹介を行い、日越文化交流を行 
 います。
②日本語を就職に生かし、生活困難な若者の自立、フエ全体の経済の底上げを目指します。
 地域の活性化、現地ベトナム人の雇用の安定に繋げます。
③日本語学校生徒から授業料を徴収し、「子どもの家」の運営費、「静岡-フエ青年交流会館」の運営費やベトナム人日本語教師、スタッフの人件費に充て、現地の財政的自立を目指します。

2.各コースの概要
①一般コース
2003年4月よりスタート。生徒は日本語のスキルアップや趣味で習ったりと様々な目的を持っているため、文法、会話、作文、漢字、日本文化など幅広く日本語を学びたい人へ向けた内容です。初級、中級、上級まで全2年間のカリキュラム。
 
②縫製クラス
  フエの若者を日本企業へ研修生として派遣するための支援事業。実際に研修生派遣業務を
行うのは「トゥアティエンフエ省立の研修生派遣会社」。2003年12月より、日本の縫製協同
組合への派遣を開始。研修生派遣会社に協力し、日本での研修に必要な専門用語や日常会
話、生活習慣等の日本語教育を行います。

③観光コース
2004年7月より、トゥアティエンフエ省観光局の要請を受け、JASS、「フエ市越日交流委員
会」と協力して、日本語ガイド、ホテルレセプション、レストランで働く人へ日本語教育をしていま
す。生徒は観光局が各企業から受け付け、日本語学校へ派遣しています。
  
3.ボランティアスタッフ募集先
ボランティアスタッフはJASSと雇用契約し、フエ市日越交流委員会に派遣する形になります。
①雇用先
名称:JASS ベトナムの「子どもの家」を支える会
代表者:小山道夫
現地所在地:12 CHU VAN AN HUE VIETNAM 
TEL:084-54-828177 
日本窓口:千葉県浦安市当代島2-7-40-204TEL:047-700-7650
活動内容:ベトナム・フエにて、ストリ-トチルドレンの自立支援活動、障害児支援、奨学金支援、職業訓練センタ-の運営、日本語学校の運営
現地スタッフ:ベトナム人5名、日本人(ボランティアスタッフ含む)5名 (2004/9/1現在)

②派遣先
名称:フエ市越日交流委員会
委員長:グエン・ニエン(フエ市人民委員会外務部長)
副委員長:小山道夫(JASS代表)
所在地:65 TRAN HUNG DAO HUE VIETNAM
活動内容:ベトナム・フエにて、「静岡-フエ青年交流会館」の運営
現地スタッフ:ベトナム人スタッフ2名(2004/9/1現在)

注釈 フエ市越日交流委員会…現地フエ市人民委員会とJASSの共同組織であり、社会主義の中において法人格を持ち活動できる権利を所有している組織である。

4.募集要項
◆職種  「静岡-フエ青年交流会館」付属日本語学校 日本語教師    
※JASSベトナム事務所業務一部(事務補佐、訪問者応対)の手伝いもお願いします。
◆期間 2004年12月から1年間
◆募集人員 若干名
◆応募の資格
①会の活動を理解し、ボランティアスタッフとしてやる気のある方。
②年齢は22才~35才まで、男女は問いません。
③健康状態良好。
④日本語教師資格は特に必要ありません。
◆応募書類
専用の応募履歴書に所定事項を記入。(後述)
◆締め切り
2004年9月18日(日) 
※但し、決まり次第、募集は終了します。
◆勤務条件
①日本語学校の授業は月~土の14:00~21:00の間に行われます。お願いするのは1日1~2コマ(1コマは2~3時間)の週5日です。授業のない時間帯(8:00~11:00、14:00~17:00)にはベトナム事務所業務の手伝いをお願いする場合もありますので、可能な範囲でベトナム事務所に待機し、事務所スタッフの要請に従って下さい。
②会からは月250$(有償手当て100$、家賃一部150$)が支給されます。
≪月々の滞在費概算≫
・家賃200$
・食費(朝、夕)60$+昼食30$
・ミネラルウォーター、雑貨(シャンプー、歯ブラシ等) 10$
合計300$のうち有償手当てが100$ですので、200$が自己負担となります。
③宿舎と食事の提供(自己負担)はあります。
・エアコン、冷蔵庫、テレビ、電話、パソコン、バスタブ付ホットシャワー完備
・食事は月60$で、宿舎にて月~土の朝食と夕食を提供
・宿舎内で使用する電話代、インターネット代は月20$まで会が負担
・指定の宿舎が満室の場合は、1ヶ月程度、別の宿舎に滞在してもらいます(その場合、部屋にはパソコンがありませんので、事務所のをお使い下い)。
④渡航費、ビザ代、海外旅行保傷害険加入費は自己負担になります。
⑤休暇は通常、土曜の午後、日曜、ベトナムの祝日です。しかし、繁忙期や訪問者の都合に
より、ベトナム事務所長から要請があった場合は出勤して下さい。ボランティアスタッフの帰
国休暇は基本的には認めていません。
⑥役員会、ベトナム事務所長から要請があった場合には、ベトナム事務所の業務を優先させ
て下さい。
⑦ボランティアスタッフ契約書の中には、現地滞在における規約があります。これはJASSの
活動継続、仕事のスムーズな遂行、自分の安全を守るためのものですので、違反した場合
は契約を解除することもあります。応募された方には、おって「ベトナム-フエJASSボラン
ティア滞在の諸注意」をお送りいたします。

5.選考方法
①希望者は所定の履歴書に記入の上、ベトナム事務所へメールまたはFAXでお送り下さい。
E‐mail:koyamavn@dng.vnn.vn  
FAX:001-010-84-54-828087
   担当:ベトナム事務所 福田
②履歴書を受理後、「ベトナム-フエJASSボランティア滞在の諸注意」をお送りいたします。
契約書の規約に関することを詳細に記したものですので、ご熟読下さい。
③書類審査後、9月19日~28日の間に電話面接、又は面接を行います(東京近郊、交通費自己負担)。9月26日午後1:30より、東京の北区教育会館にて日本事務所会議が行われます。前日本語教師の現地報告もありますので、可能な方はご参加ください。(場所は会HPを参照)
合否の連絡は9月30日。合格者には後日、日本事務所長より採用通知をお送りします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本語教師ボランティアスタッフ 応募履歴書
 記入日       年    月     日
(フリガナ)
氏名 男女
生年月日  年   月  日生(満 歳)
連絡先
現住所 (〒   -       )

TEL/FAX:
Eメールアドレス:
現在の職業

最終学歴: 日本語教師資格 有 ・ 無
資格の有る方のみ記入
未経験・経験有(  年)
JASSを知ったきっかけ

応募理由


右記の質問にお答え下さい

(審査の参考にいたしますが、特に重要ではありません)

①海外での生活の経験はありますか?(ある場合は国名、期間を記入)
②渡航費、現地生活費、海外旅行保険費等の自己負担の備えは十分でしょうか?
③応募なさることに対して、ご家族の反応はいかがですか?
④ボランティアスタッフを終えられた後の進路(仕事)についてご予定はありますか?

その他
(ご質問、知らせておきたいことがございましたら
お書き下さい)

ご記入が終わりましたら、下記までお送り下さい。
ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS) ベトナム事務所 (担当:福田)
住所:12 CHU VAN AN HUE     E-MAIL:koyamavn@dng.vnn.vn
TEL:001-010-84-54-828177   

FAX:001-010-84-54-828087

投稿者 koyama : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

9月1日(水) 原稿書きーメールの返事、その他雑用

●午前中、23通のメール受信。21通のメール送信。
全国アトピー友の会「あとぴナビ」原稿(2005年2月号)
●午後2時半、ベトナム事務所。ハンさんと会計関連の相談。
もえ子と今後の日本語学校等の進め方などの打ち合わせ。
●午後8時、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校授業参観
左(坂本先生の授業・中級3)
中(坂本先生の授業風景)
右(フーン先生の日本語ガイドクラス)坂本先生1坂本先生2フーン先生

日本語学校を参観した。坂本先生はすっかり日本語教師然とした貫禄が出てきた。学生も先生の落ち着いた授業の進め方にしっかりとついてきている。
坂本先生の教えている中級3は、日本語を勉強してから約1年間。「寝る前に何をしますか・?」「趣味は何ですか?」「映画を見に行くことです」「ラブソングを聴くことです」などの会話をしっかりと話していた。15人。「子どもの家」卒業生のソン君、ハンさんも学んでいた。

2階ではフーン先生の観光コース(日本語ガイド:2年コース)が勉強していた。日本語の勉強をして約1ヶ月。30人の生徒は真剣にフーン先生の問いかけに答えていた。「このかばんは7300円です」など、かなり難しい日本語を勉強していた。
フーン先生はベトナム人の日本語教師としてはベテランの先生である。
こうして月曜日から土曜日までコツコツと日本語を学ぶことで、半年後にはレストラン・レセプションコースの卒業生が、2年後には日本語ガイドが卒業していく。私たちの考える支援は、「人を育てる」ことである。
卒業後、フエで観光や日本語教師などの仕事を通して「日越交流」「フエの観光産業の底上げ」に貢献して欲しい。

今日からもう9月。早いものである。

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