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2004年04月30日
今日はベトナム全土「解放」29周年記念日
朝7時、ベトナム事務所の3人娘がホーチミン市へ休暇旅行へ行く。
今日は29年前の1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの大統領官邸に突入し、ベトナム戦争が完全に終結した日である。フエは35度の真夏。
左(3人娘ホーチミン市へ)
中(「子どもの家」の29周年記念幕)
右(子どもたちは暑さを避けて夕涼み)
ベトナムは今日から4連休。4月30日は「ベトナム全土完全解放29周年記念日」で休日。明日はメーデーで休日。明後日は日曜日。5月3日は「代休」で休み。これは公務員のこと。一般庶民は今日も仕事をしていた。我がトンチンカンホテルの両隣では二軒のホテルが建築工事中。今日も朝7時から24時間態勢で仕事をしている。
フエの町をオートバイで一周する。町には横断幕や看板、金星紅旗(国旗)が林立しているが、町は特に行事もなく普通の日常である。
午前中、「子どもの家」創立10周年記念行事の寄金申請書を書く。午後、部屋の整理。夕方、町を一周し「子どもの家」へ。
NHK衛生放送のニュースでは、イラクで人質に遭った郡山氏と今井氏の記者会見を見た。しっかりした態度と発言である。「個人責任」などと影で卑怯なメールを送ったり、電話やFAXをしている人たちは、この二人の立派な態度を見習うべきである。
鳩山前民主党党首も国民年金未納だったとのこと。
福田官房長官など7人の閣僚、管・鳩山新旧民主党党首の記者会見を見ると、「システムが良く分からなかった」との発言を繰り返し、うっかりミスだとの言い訳をしている。
しかし、年金のシステムが分からないでどうして「年金改革法案」を提出することが出来るのか?
強行採決した法案も7人の年金未納閣僚は実は良く理解していないで提案・強行採決したのではないのか?
民主党は新旧党首が年金のシステムを理解してないのに消費税を使っての民主党『年金法案』を提出している。
一般庶民が年金を支払わなければ、「差し押さえ」までして、徴収するといっているのに、法案提案者の国会議員の年金未納は追求しない社会保険庁の「個人責任」はどうなるのだ。年金のシステムを知らない国会議員が悪いのか、そんな議員を選んだ国民が馬鹿なのか?
「個人責任」だとか「年金未納議員」などと言っている間に、10数年間毎年値上げをし、給付を切り下げる「年金法案」は衆議院の委員会で強行採決されてしまった。
もっとも鳩山前民主党党首などは総資産73億円もあり、国会議員の中で最も資産のある議員である。
73億円もの資産があれば国会議員の年金(年間400万円~500万円)などほとんど興味のない金額であろう。
福田官房長官をはじめ7閣僚も管・鳩山氏も『年金の複雑なシステム』が分からないのでなく、この程度の「はした金」には「興味がなかった」から『未納』だったのである。我々庶民は、月額6万円程度の年金だけが頼りの「老後」である。関心がありすぎる程あるのだ。結局、自民・民主のこれらの国会議員は、庶民とは別世界に生きている人々である。
『市中引き回しの上、打ち首』発言の鴻池防災大臣も1年8ヶ月間、年金を未納したという。
昨年7月、長崎で俊君が12歳の中学生に駐車場の屋上から落とされ殺された際、以下のような発言をしている。
「少年犯罪はまず親の責任。マスコミの報道の仕方にも問題がある。嘆き悲しんでいる両親ばかり写し、犯罪者の親を映していない。引きずり出すべきだ。14歳未満の子は犯罪者として扱われないから、保護のもとにある親、担任、校長先生、全部前に出てくるべきだ。信賞必罰というか、勧善懲悪の思想があまりにも戦後教育に欠落している。節度とかそういうものが、その表れだ。戦後教育を受けた人がパパやママになっている。そういう人が校長、教頭、担任になっている。そういう人が政治家、財界人、役人になっている。これは大変ですよ。こういった事件をおこしたらえらいことになると自覚させるため、犯罪を犯した子どもの親は全部引きずり出すべきだ。・・・親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいいんだよ。道徳心のある心を育てようと。沖縄も長崎も、数年前の神戸も。親を市中引き回しにするくらいじゃないと。そうすれば親も子どもも今後、気をつける。道徳の規範がない日本国民になってしまったから仕様がない。」
ということは、鴻池大臣も違法行為(国民年金支払いは義務)を犯している訳で「道徳心がなく、市中引き回しの上、打ち首」ということになるのだろうか?
「少年犯罪は親の責任」と鴻池大臣は言っているが、鴻池大臣のような「老年犯罪」は誰の責任なのだろうか?
昨年、これだけ立派なことを言っている鴻池大臣がどのような態度を取るのかを国民は注視している。
「他人のことは市中引きまわしの上、打ち首」と言っておきながら、自分の違法行為(特に国会議員には高い道徳性と順法・規範意識が求められている)
には「見てみぬ振り」を決め込むのなら、「口先男」「無責任国会議員」の汚名を着せられても文句は言えない。この際、市中引き回し、打ち首までは求めないから、議員辞職程度の軽いペナルティーは甘受すべきではないだろうか? あれだけ立派なことを言ったのだから、国民に批判される前に「自らの出所進退」を決める程度の能力はあると思うのだが・・・。鴻池大臣の今回の醜態、道徳喪失もやはり「戦後教育」の結果なのだろうか?
鴻池大臣が戦後教育を受けたかどうかは分からないが・・・。
投稿者 koyama : 19:21 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月29日
フエは真夏
4月25日から昨日まで静岡の藤田さんの案内でてんてこまいだった。
今日は1日、ゆっくりと仕事をする。
左(東京駒込駅のつつじ①)
右(東京駒込駅のつつじ②)
フエは真夏である。気温35度。外に出ると数分で体中が汗でびっしょり。
私は新任教師として駒込駅近くの小学校に18年間勤務した。駒込駅は4月から5月にかけて「つつじ」が咲き乱れることで有名な駅である。今回、帰国した際、あまりにきれいに咲いていたのでつつじを写してきた。フエで駒込のつつじを思い出している。
毛布を太陽の下に干す。毛布カバーの洗濯。
29通のメールを受信し、9通のメールを送信する。
今年は「子どもの家」創立10周年。11月14日(日)東京で『「子どもの家」創立10周年記念行事』を行う予定である。
「子どもの家」からも行事参加のため一人日本に招請する予定。東京以外にも各地の会に行き、私と一緒に講演会や交流を行う予定である。
「子どもの家」創立10周年記念関連行事に要する必要経費を寄付してもらうために、ある機関に交付金申請書を提出する。今日は申請書作りを行う。いつものことではあるが、寄金をもらうための申請書の記入は大変である。今日で3分の1程度書きあがる。これから数日かけて申請書を書き上げる予定。
明日4月30日は「サイゴン解放29周年記念日」で休日。明後日5月1日はメーデーで休日。5月2日は日曜日。明日からベトナムにはめったにない「3連休」である。
投稿者 koyama : 19:39 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月28日
藤田さん帰国
4月26日からフエに滞在していた静岡の藤田氏が午後2時過ぎの飛行機でホーチミン経由帰国した。
写真(フエ空港で小山、ラーム、ミン)
年金法案を審議中の国会で、提案者側の内閣の総責任者である福田官房長官が国民年金を未納していた。竹中経済財政・金融相など4閣僚。高遠さんなど人質事件の時、声だかに「個人責任」を呼号していた人たちのこの無様な醜態に呆れ果てる。高遠さんなどに「個人責任」などと言う前に、年金法案に閣僚として署名している7人もの閣僚が国民年金を未納していては、法案を提案する資格はない。
方や年金法案に反対している野党第一党の民主党党首の管氏もこれまた年金を未納していた。記者会見では、自分は間違ったことはしていない、行政のミスだと豪語していた。厚生大臣の菅氏自身がその行政の長だったことを忘れている。
与党の自民党も野党第一党の民主党も国民に醜態をさらけ出している。
福田官房長官など7人の閣僚と菅氏は今こそ「自己責任」を果たし全員辞任、辞職すべきである。
これでは、国民に示しがつかない。
ベトナム事務所の女性軍は年間15万円程度の国民年金を支払っている。年収が60万円しかない我が事務所の皆さんは、年収の25%もの超高額の国民年金を真面目に支払っているのである。
今後10数年間、毎年支払いが増えていき、支給は減額される国民年金。しかも10数年後に年金が存在するかさえ分からない年金である。法案提案者7人が年金を未納し、追求する野党党首も未納しているという、どうしようもない日本の実態である。
ベトナム事務所で真面目に年収の25%もの国民年金を支払っている我が事務所員が「暴動」を起こさなければよいと思っている。もっとも、この際、我がベトナム事務所員で国会に押しかけ、暴動を起こしても良いとさえ思えてくる。何とも表現しようもない日本の醜態ではある。
今の日本は「真面目に仕事をし、生きている人」が馬鹿を見る世の中である。真っ当に生きている人間が馬鹿らしさを感じない世の中にしたいものである。
投稿者 koyama : 22:35 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月27日
藤田さんフエ滞在2日目
今日も朝8時から夜9時まで、藤田さんとフエ省・フエ市などの幹部との懇談を行った。
以下、午前中の懇談
左(トゥアティエンフエ省メー知事懇談)
中(フエ市人民委員会懇談)
右(カオ・フエ市新市長)
午後の懇談
左(ホーチミン青年団幹部と懇談)
中(ティエン前フエ市長と懇談)
右(フエ市人民委員会との晩餐会)
午前8時、トゥアティエンフエ省のメー知事と懇談。フエ市と静岡市との友好関係の強化について懇談する。
午前9時、グエンフエ高校校長と懇談。グエンフエ高校と静岡の高校との姉妹校提携問題について協議。
午前10時、フエ市人民委員会と懇談。クアン・フエ市共産党委員長、カオ・フエ市長、ニエン外務部長、小山、ラーム、ミン。
フエ市と静岡市との友好都市提携の前進に向けて、お互い協力すること、今後の両市の提携の具体的な進め方などを協議する。
午後2時、フエのホーチミン共産青年団幹部と協議。今後両市の青年の交流強化について意見交換をしたい。
午後3時、ティエン前フエ市長を表敬訪問。ティエン氏は現在トゥアティエンフエ省建築局長の要職にある。
午後6時半、フエ市人民委員会との晩餐会。
クアン・フエ市共産党委員長、カオ・フエ市新市長、ニエン外務部長、ホアン外務部員。小山、もえ子副代表、ミン・ベトナム事務所長、ラーム、優子、サン日本語教師。
私のインタビューが、5月14日号の「週刊金曜日」に掲載予定です。興味のある方は是非お読みください。
「週刊金曜日」は以下のような週刊誌です。
(
編集委員)
落合恵子 佐高信 椎名誠 筑紫哲也 本多勝一
株式会社金曜日
〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6階
Tel.03-3221-8521 Fax.03-3221-8522
投稿者 koyama : 23:52 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月26日
静岡の藤田さんフエ訪問
午前7時20分、フエ空港へ静岡の藤田さんを出迎え。その後ナムドン山岳地帯へワサビ植え付け。
左(猛暑のナムドン山岳地帯)
中(「子どもの家」セン委員長)
下(元料理担当のフオンさんの出迎え)
午後7時半から「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校参観
上(「子どもの家」最新流行髪型)
下左(フオン川に沈む夕日)
下右(日本語学校参観)
フエ空港からナムドン山岳地帯まで車で60キロ。
藤田さん、ラームさん、ミンさんと直行。藤田さんが静岡のわさび苗会社から200本のワサビの苗を持ってきてくれた。生きている生の苗なので急いでわさび田に植え行く。午前10時、ナムドン山岳地帯は猛暑。風邪もなく36度以上の高温である。
カトゥー族の農民の方がわさび田を作ってくれていた。50本程度のわさびの苗を植える。残りは、午後。
午後、藤田さん、ミンさんと「子どもの家」へ。
藤田さんからセン委員長にお土産贈呈。3月に退職した料理のフオンさんがアオザイで盛装して藤田さんを出迎える。
「子どもの家」でベッカム風の髪型が流行っている。
午後5時まで「子どもの家」を視察。その後、ドンバ市場で買い物。フエは一日中猛暑。数分で体中、汗でびしょびしょ。フォンザンホテルからフオン川の夕日を眺める。何度見ても素晴らしい風景である。南国を象徴する椰子の木と川面に映る夕日の美しさ。
午後6時半から藤田さん、ミンさんと夕食。
午後7時45分、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校を視察。
朝7時過ぎから午後8時半まで12時間、かなりきつい日程ではあった。
投稿者 koyama : 19:50 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月25日
ベトナムへ帰る
午前6時に自宅を出て18時間かけてフエに辿りつく。
左(空席の目立つホーチミンまでの機内)
中(ホーチミン空港前で)
右(ダナン空港・勝ち犬諸嬢の出迎え)
午前10時成田発。300席のジャンボ機に50人ほどの乗客。腰痛がひどかったが、幸い3つの座席に寝てホーチミン市まで来ることが出来た。午後2時、ホーチミン市・タンソンニャット空港着。
そのまま国内線へ。午後5時20分発のダナン行きの飛行機を待つ。午後5時20分になっても場内連絡なし。しばらくして、事情で飛行機が遅れるとのこと。結局3時間半待合室で待たされる。午後6時、ホーチミン発のプロペラ機。1時間40分かけて午後7時40分ダナン空港へ。ダナン空港では福田もえ子、西山優子、橋本美智代の3人が出迎えてくれた。今日は日曜日。昼頃フエを出てダナンで買い物などをしたそうだ。
3人と一緒に車でフエへ。午後10時半フエ着。
メールをあける。300通のメール。
急いで日記を書く。とにかく疲れた。
明日は藤田さんとナムドン山岳地帯へ。ベトナムテレビの天気予報では明日のフエの気温は35度とのこと。
投稿者 koyama : 01:01 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月24日
ナムドン山岳地帯「わさび田」完成
先日、ラームさん、ミンさんと一緒に「わさび田」作りを依頼に行ったナムドン山岳地帯に今日、ラームさん、ミンさん、三津川君が完成度の視察に行ってくれた。
「わさび田」は見事に完成。少数民族の農民の方が私たちの話を十分理解してくてれいた。
4月26日静岡の藤田さんが100本のワサビの苗を持って来てくれる。うまく成長するといいのだが・・。
明日は午前6時に自宅を出て成田へ。成田からホーチミン。ホーチミンからダナンへ。ダナンから車で3時間かけてフエへ。フエ着は午後10時の予定。腰痛は毎日のお灸のお陰で大分楽にはなってきているが、まだ10分ほど同じ姿勢だと体勢を変える時、痛くて困る状態。明日は、飛行機7時間、車3時間。待ち時間3時間と腰痛が心配。
左(ナムドンのわさび田①)
右(ナムドンわさび田②)
投稿者 koyama : 16:44 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月23日
腰痛で休養
腰痛d1日休む。
投稿者 koyama : 22:39 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月22日
自宅で休養
腰痛で終日休養
投稿者 koyama : 22:36 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月21日
テレビ大阪「ボランティア21」5周年特番収録
昨日は、腰痛がひどくパソコン操作困難なため日記を休む。
今日は私も2回出演したテレビ大阪「ボランティア21」の5周年記念の特別番組が名古屋で行われ収録に参加。
左(大西健丞さんと北川純子さん)
中(石橋勝キャスターと北川さん)
右(公開番組の会場風景)
新幹線で2時間弱。やはり座っているのはかなりきつかった。
午後1時、名古屋駅前にある石橋キャスター所有の「ナチュラルホテル エルセラーン」の公開収録会場へ。
テレビ大阪「ボランティア21」5周年記念の特別番組の収録である。
ゲストはNGO「ピース・ウインズ・ジャパン」の統括責任者の大西健丞氏と私。大西氏は2年前の鈴木宗男の外務省問題、NGO介入問題を公然と証言した人。
スポンサーでありキャスターであり「エルセラーン化粧品」社長でもある石橋勝氏とアシスタントの北川純子さんは2月に「子どもの家」取材に来ている知り合いの中。
収録は午後2時半から午後5時過ぎまで行われた。その間、壇上に座っているのは、かなりきつかった。懇談の内容は、ボランティアについて、ストリートチルドレン、難民、戦争、海外支援についてなど、かなり広範囲にわたった。
帰宅は午後9時過ぎ。
放映は2004年5月4日午前10時テレビ大阪。
テレビ大阪放映地域の方は是非ご覧頂きたい。
放映時間は1時間。
投稿者 koyama : 22:59 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月20日
腰痛で休養
腰痛で休む
投稿者 koyama : 22:33 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月19日
森田・加藤さんと懇談
日本事務所教育担当の森田さん、加藤さんと8月21日からの「夏のJASSツアー」の詳細打ち合わせを行う。お二人とも教員でないのに子どもたちのことを教員や親以上に心配し、考えていることに頭が下がる。
「ぎっくり腰」(腰痛)は、腰の筋肉の硬直が原因なのか?とにかくお灸を据えて温めているが、同一姿勢を10分間ほどすると、次の姿勢に変更するのに一苦労。痛い。
テレビ大阪から「ボランティア21」5周年記念特別番組収録の台本が届く。かなり重い内容。
明後日(4月21日)名古屋で収録。
大西健丞さん(ピース・ウインズ・ジャパン:鈴木宗男元衆議院議員のNGOへの介入を暴露した方)と対談しながらボランティアについて話し合う。
左(森田・加藤さんとの話し合い)
中(お灸1)
右(お灸2)
投稿者 koyama : 13:03
2004年04月18日
腰痛で動けず②
今日は晴天だが、腰痛。同じ姿勢でいられない。
寝返りが打てない。たたみに座れない、と言って椅子にも座れない。同じ姿勢でしばらくいて、動こうとすると痛くて動けない。困ったものである。快復には、少し時間が必要か?
これで4度目のギックリ腰。昨年は札幌でギックリ腰になった。何人かの方に腰痛対策の助言を頂く。感謝。
少し長く座ってパソコンに向かう事が出来ない。
イラク人質解放問題など書きたいことがあるのだが・・・。
2004年04月17日
腰痛で動けず①
昨日の突発「ギックリ腰」で今日は1日動けず。
座ってのパソコン作業がつらい。しばらくは長文日記はご勘弁を。
イラク人質(2人)が解放された。朗報である。
投稿者 koyama : 17:04 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月16日
札幌長男家族来訪
朝9時部屋を片付けようと小さなスーツケースを持ち上げたら腰にピーンと来た。また腰痛。動けなくなる。しばらく休み大極さんからもらったお灸を据える。
午後12時。自宅を出て羽田空港へ嫁さんと孫を迎えに妻と出る。我が家も町中もはなの季節となる。
左(羽田空港で 孫のはなと)
中(我が家のはな1)
右(我が家のはな2)
2004年04月15日
3人の人質の解放を喜ぶ・喜びは半分ー銀座を歩く
午前中、休息。日本へ帰ると社会全体に刺激が強い。疲れる。昨日、千葉県立八街高校の授業で1日東京から千葉まで出かけた。人も多く、とにかく疲れる。
午後、妻の体力増強のため銀座へ散歩。
左(昼の日比谷公園)
中(日比谷公園、咲き始めのつつじ)
右(木村屋総本店で桜アンパンを買う)
地下鉄で日比谷まで。帝国劇場を横切り、日比谷公園を散策。丁度昼時だったので公園でお弁当を食べている人が多い。ジョギングをしているサラリーマンもいる。
日比谷公園は緑一色。桜は既に終わっていたが、つつじ、チューリップなどたくさんの花が咲いていた。気持ちがほっとする瞬間である。日比谷公園から銀座へ。暑くもなく寒くもない。散策には丁度良い気候である。1時間ほど歩き、昼食。銀座「ニューメルサビル7F」にある「寺方蕎麦 長浦」へ。
http://wwwnagaura-soba.co.jp
電話(3289-5510)
店内には棟方志功の肉筆美人画、菩薩二体の版画が微笑みかけてくる。窓からは銀座中央通りが見える。
豆腐の味噌漬けを初めて食べる。美味しい吟醸酒にぴったりのおつまみ。
寺方とは「お寺の精進料理」を意味し、「長浦」とは、江戸時代「向島」方面を「長浦」と言ったそうだ。浅草・向島の江戸精進料理風蕎麦屋とでもいえようか。そばつゆは江戸風の醤油味。蕎麦は固めの吟味と配慮のきいた茹で方。
「長浦蕎麦銀座店」の上8Fに「NHA VIET NAM」(ニャー・ベトナム)というベトナム料理店があった。見に行った。パンフレットに「ホーチミンの五つ星ホテル・マジェスティックの協力を得て、日本においてベトナム料理最高峰をめざした、ベトナム大使館公認のレストラン」とある。
メニューを見て笑ってしまった。「コムディア1200円」とある。ベトナム料理の最高峰をめざすと銘打っているのに「コムディア」はないだろう。
「コムディア」はハノイ標準語では「ビンザン」(平民・庶民)とも言う。路上で一般庶民やむしろ貧しい肉体労働者が食べる一番安い食事。お皿にご飯が乗り、その上に野菜炒めや揚げ肴などを乗せる今で言う「ファーストフード」。日本で言えば「吉野家の牛丼」である。ベトナムでは30円から50円程度の一番安い庶民の食事。私は一番好きな食事ではあるが、これを1200円で「ベトナム料理の最高峰」などと言って出すのは、詐欺もはなはだしい。馬鹿者、詐欺師。銀座と言うだけで、こんな怪しげな料理を「ベトナム料理の最高峰」と思って感激して1200円も出して食べる人がいるのであろうか?
帰りに銀座木村屋本店へ。元祖「桜あんぱん」を買う。
イラクではまた2人、拉致されたようである。
どう考えてもイラク全土が戦場である。「非戦闘地域」にしか派兵できない自衛隊である。「テロの脅しに屈しない」として民主党の菅代表も自衛隊の即時撤退に反対している。しかし、「イラク特別措置法」に照らせば、今やイラクに「非戦闘地域」などない。自民党と公明党が強行採決して自ら決めた法律である。テロを撲滅するために自衛隊が行っているのではないであろう。人道支援と「銘打って」いる。人道支援で行った自衛隊が、人道支援の今井君、高遠さんなどの拉致に手を貸している。人道支援の今井君、高遠さんなどの命を捨てても、「人道支援」の自衛隊だけは守るという、小泉首相の頭の中が理解できない。拉致犯人が「自衛隊撤退が人質解放の条件」と言ってきたら、小泉首相は即座に「自衛隊の撤退はしない」と言ってしまった。これは、人質は殺しても結構ですという意味である。親の子ども虐待死、殺人事件など多発している。人間の命がこれほど軽んじられている時代はない。社会全体が命の尊厳、価値を軽んじている。その象徴が小泉首相の人質3人の命を捨てても良いですとの「自衛隊は撤退はしない」発言である。自衛隊は「イラク特別措置法」に基づき直ちに撤退しなければならない。
私の日記で何度も紹介した元自民党郵政大臣、防衛政務次官の蓑輪登氏が、3人の人質の「身代わり」になると名乗りでた。立派な方である。
蓑輪氏と坪井主税氏(62才、札幌学院大学教授、専攻 平和学)のメッセージを紹介する。
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「日本人人質に関して
アルジャジーラ ネットワーク スタッフ様
私たち2人は、日本北海道の小樽市に居住する日本人です。以下は、私たち
からサラヤ アル ムジャヒディンというグループに宛てたメッセージです。
貴社記事「日本人、韓国人拘束さる」「人質問題で日本混迷」の筆者が、次の
記事・テレビ番組において私たちのメッセージを活用され、グループの目・耳
に届くようにしていただければ幸いです。
箕輪登(男性、80才、元郵政大臣、元防衛庁政務次官)のメッセージ
私は、元日本政府閣僚の1人でした。
私は現在、日本の自衛隊をイラクに派遣するという小泉首相の誤った政治選択に
関して裁判所に提訴中です。
私は十分に長く生きてきました。
私は、あなた方が拘束した3人の日本人の代わりに人質になる覚悟があります。
坪井主税(男性、62才、札幌学院大学教授、専攻 平和学)のメッセージ
私は、これまでずっと、アメリカがあなた方の国を攻撃し占領していることに
反対してきました。
私は、これまでずっと、わが日本政府がブッシュ大統領を支持してきたことに
反対してきました。
私は、これまでずっと、日本政府があなた方の国に自衛隊を派遣することに
反対してきました。
私は、あなた方の国から自衛隊を撤退させたいと思っている唯一の日本人では
ありません。多くの日本人がそう思っています。
私は、あなた方が拘束した3人の日本人もそう思っていると確信しています。
3人を無傷で解放してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
午後8時50分、NHK緊急ニュースで「3人がバグダッドで解放された」との報道があった。
3人の解放を心から喜びたい。高遠さん、今井君、郡山さん3人の心意気は立派で崇高なものだと思う。行動については私は意見を保留してはいるが。いずれにしろ、3人が元気に帰国できることを祈っている。帰国後、日本のマスコミが3人を「英雄視」したり「バッシング」したりしないことを望む。
喜びは半分である。2人のジャーナリストが未だに行方不明である。3人の解放を喜ぶと共に行方不明の二人の無事を祈りたい。同時に日本人だけに目を向けることなく、アメリカの無差別爆撃で殺された1万人を超える子どもたちやお年寄りなど多くのイラク人の死を悼み、ご家族の心痛に共感し、アメリカのイラク侵略を早期にやめさせなければならない。
投稿者 koyama : 15:57 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月14日
千葉県立八街高校第1回授業
午後1時から千葉県立八街高校「国際ボランティア養成講座」の第1回目授業を行った。
左(小山第1回授業)
中(生徒の様子)
右(小山耕太授業)
日本は寒い。
午前10時自宅を出て水道橋、錦糸町、千葉、榎戸まで2時間。
午後1時から2時間、「国際ボランティア養成講座」の第1回目の授業を行う。今年は、生徒20人。成人の聴講生1名の合計21人のクラスを担当する。千葉県立八街高校での講師はこれで3年目に入る。今年度、第1回目の授業は、自己紹介。7年前のテレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」放映。続いてテレビ大阪「ボランティア21」放映。
私の11年間の歩みを話す。最後に生徒・聴講生の皆さんに授業に期待する事などを書いてもらう。
数人の女子生徒が授業中「私語」を繰り返していたが、予想以上に生徒の皆さんは授業に集中してくれた。2年前の最初の授業で全員が寝てしまったり、まつ毛の手入れをしたり、携帯メールを送信したりしていたことを考えると雲泥の差である。
年間授業計画を話し、第1回目の授業を終わる。
これから1年間、千葉県立八街高校の非常勤講師として在日中は授業を行う。私がベトナムにいる間は、小山耕太が全ての授業に参加し、会員の方がそれぞれの特徴を生かし授業を行う予定である。
投稿者 koyama : 19:23 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月13日
一時帰国 東京自宅へ戻る
昨夜はホーチミン市で坂本文子さん・大学の友人Yさんと合流し、ホーチミン飛行場へ。午後11時40分、ホーチミン発。今朝、7時半頃、無事成田着。
日本は本当に寒い。一気に風邪を引いたようだ。
左(坂本さんとYさん。ホーチミン空港)
右(今朝、成田上空の夜明け)
ホーチミンから成田までのベトナム航空機の乗機率は3分の1程度。坂本さんと友人、私は3席をベッドにして寝て成田まで帰る事が出来た。
成田で坂本さんと友人と別れ京成モーニングライナーに乗る。成田は8度。とにかく寒い。
午前11時自宅着。ブランチ(うどん)を摂って、自宅近くの高島平中央病院へ。千葉県立八街高校の講師登録のための健康診断書を作るため。結局、午後5時過ぎまでかかる。昨日から29時間。かなり疲れる。
投稿者 koyama : 17:49 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月12日
日本へ一時帰国
午前8時半、ピースボートの皆さんがオートバイ研修センター・修理工場見学。
午前9時半、「子どもの家」のノー君の今後について父親、センさんと話し合う。
午後12時、トンチンカンホテルを出発。
左(ミンさんオートバイ研修所案内)
中(リー君、右手骨折)
右(ノー君とお父さん)
ピースボートの皆さんはオートバイ研修センター・工場を視察。バオミン・ベトナム事務所長、福田副代表、ラームベトナム事務所員が案内。
オートバイ研修センターで研修中の「リー君」はサッカーで右手を骨折。研修は見学。リー君は7年前の「ドキュメンタリー人間劇場」取材中に橋の上で見つけ「子どもの家」に入所。3年ほど前「子どもの家」を出てホーチミン市に行ったが、先日フエへ戻り、オートバイ研修センターで研修中。真面目に自立へ向け頑張っている。
午前9時半、「子どもの家」のノー君と父親、セン・ロックさんと話し合う。ノー君は14歳で6年生。学校へ行くのを嫌い、橋の袂で物乞いをしたり、怠学をしたりを繰りかえしている。センさん、ロックさん、寮母さんが話し合ったり注意したりしているが、中々よくならない。怠学がひどく、学校側から何度も「退学処分」を通告されるが、センさんなどが拝み倒し、何とか学校へ在籍だけは保っていたが、とうとう先日「退学処分」の最後通告を受ける。
既に2回6年生をしている。本人は、学校へ行きたくない。父親といたいという。
話し合いの結果、しばらく農業をしている父親の下で暮らすこととする。母親は不明。父親は「ごま」「豆」の農家。年収3万円程度(月収3000円以下)。子どもたちが4人いる。ノー君が家に帰ると生活はかなり難しくなる。当面8月まで家での生活費を出すこととする。しばらく父親・兄弟と暮らして、9月から地元の学校へ入り、3度目の6年生に挑戦することになった。
午後12時、トンチンカンホテルを出て、フエ空港へ。午後2時10分、フエ発の飛行機でホーチミン市へ。午後11時40分ホーチミン発で成田へ。成田着は4月13日午前7時45分の予定。
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2004年04月11日
ピースボート「子どもの家」を訪問
午前中晴天。入浴。読書(磁力と重力の発見)
午後ベトナム事務所でピースボートを待つ。
午後2時、ピースボート43人がベトナム事務所へ。事務所で挨拶。ピースボートの皆さんはベトナム事務所付属刺繍みやげ物店で刺繍を買う。その足で大型バスにのり「子どもの家」。
左(刺繍みやげ物店で買い物)
中(「子どもの家」歓迎の踊り準備)
右(子どもたちの歓迎の踊り)
歓迎の歌や踊りの後、ピースボート参加者よりノートなどの支援物資が贈られた。
左(子どもたちに支援物資贈呈)
中(福田・西山による施設案内)
右(子どもたちと一緒に夕食を摂る)
午後2時半、ベトナム事務所から「子どもの家」へ。大型バスの中で現在「子どもの家」が目指していること(自立問題)を話す。
「子どもの家」では子どもたちが農民伝統踊りを披露する。フエ省音楽専門学校へ通っているドゥオック君が歌とオルガン演奏。ピースボート参加者から支援物資の贈呈を受ける。ノート(414冊)、ペン(600本)、鉛筆(370本)、色鉛筆(475本)、クレヨン(494本)、絵の具(2セット)、折り紙(15袋)、鍵盤ハーモニカ(5台)、ハーモニカ(1台)、リコーダー(21本)、トライアングル(4台)、タンバリン(1台)、カスタネット(12台)、車椅子(14台)。
その後、福田副代表、西山日本語教師が「子どもの家」の諸施設を案内する。
視察参観後、午後5時過ぎまで、縄跳び、サッカー、絵の具、折り紙などをして交流する。
午後5時過ぎ、43人の参加者、「子どもの家」の子どもたちななど100数十人で夕食を摂る。揚げ魚の煮物、肉野菜の煮物、空芯菜のスープ。
食事をしながら子どもたちと参加者との交流が進む。
午後6時過ぎ、「子どもの家」を発進しホテルへ。
毎回のことであるが、ピースボート参加者の皆さんの熱心な態度に感心する。これから7月まで世界一周するという。安全な航海を祈る。
投稿者 koyama : 20:51 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月10日
ピースボート受け入れ準備
午前中13通のメール受信。
明日は、ピースボートの人たち40人が「子どもの家」を訪問する。
左(日経新聞を読む三津川君)
中(ダナンへ行く福田・ラームさん)
右(明日、フエを出る坂本文子さん)
午前9時過ぎ、ベトナム事務所へ。少し風邪気味ととの噂のある三津川君が来ていた。坂本文子さんの大学の友人がお土産として差し入れてくれた「日経新聞」を隅から隅まで読んでいた。将来は企業家になるのか・・・・・。
ベトナム事務所へのお土産は、新聞、週刊誌、お酒のおつまみが嬉しい。(これは私個人の希望だが)女性はケーキ、お菓子など甘いものか?
午前10時半、福田副代表とラーム・ベトナム事務所員が車でダナンへ。明朝8時にピースボートがダナン港へ着岸。40人の方が「子どもの家」訪問を予定している。ダナンからフエまでバスで3時間半。車中では福田副代表が「子どもの家」の歴史、ストリートチルドレンの話などをする予定。
「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校の坂本文子教師は、半年間の勤務が終わり、一時休暇で
1ヶ月間日本へ帰る。今日は休暇前の最後の仕事をしていた。日本語教師の仕事にもすっかり慣れたようだ。
午後、「負け犬の遠吠え」(酒井順子:講談社)読了。中々面白い本。例えるとTBSラジオ「小澤昭一的心」の女性版と言ったところ。「お父さんは、真面目に仕事をしているのだが、時々白粉のお姉さんにふら付き、可愛い子についうっかりふらついてしまう」と自虐的に告白してる小澤昭一。犬は勝ち犬と負け犬がいるそうだ。遠吠えをしているのは、負け犬である。著者自身が自らを「負け犬」と称し、定義付けをしている。『女性・未婚・子なし・30代以上』。勝ち犬は、「女性・結婚・子あり」。
この本は、30代未婚女性の『切ない』居直りの告白本である。著者酒井さんは、女小澤昭一。この本は、「酒井順子的心」といえる。うなずけたり、「あーそうなの」と思ったりと学ばされた。女性は本当に細かい所、微妙かつ複雑な感情と心理をもっているものである。私などほとんど理解不能な部分がある。30代・未婚・子なし女性(負け犬)が自らを「結婚・子もち女性」(勝ち犬)と比べて、犬が腹を見せて「こめんさない」をするがごとく、完全に勝ち犬に負けましたと言っている。結婚・子あり女性には勝てませんと自らを「負け犬」と称してはいるが、本当に負けたと思ってるかどうかは、はなはだ疑問が残る。「勝ち犬」に降参のお腹を見せておきながら、突如すばやく立ち上がり、「勝ち犬」を噛み付くという「うそ寝負け犬」も相当いそうだからである。
唯一つ、日本は『負け犬』列島化していることだけは事実である。そういえば、年間500人から1000人のベトナム事務所訪問者の大半は、その風体と体の中からそこはかとなく匂ってくるほのかな甘い若者と大人の間の香りが、まさに「負け犬」か「負け犬予備軍」だからである。現在、私の回りには「負け犬」はいないが、『負け犬』の皆さん方のご健闘を祈るばかりである。
ピースボート代表の吉岡氏が明日カタールへ着くと言う。3人の邦人人質が「アメリカの軍事占領に反対し、イラクの子どもたちを助けるためにイラクに入った人だ」ということを、アルジャジーラなどのマスメディアから放送してもらうとのこと。
「出来るだけのことをする」と口先だけで言い、未だに面会を求める家族とも会わない我が首相。結局、明日3人が虐殺されるのを待っているかのような我が小泉ヒトラー首相に比べて、ピースボートの活動は立派である。NGOはこうありたいものである。
高遠菜穂子さんのHPに批判や中傷の書き込みが殺到しているとのこと。5年足らずで3万件だったHPへのアクセスは事件報道から丸一日たった4月9日午後9時までに約17万件に増えたそうだ。
大半は、「こんな時期に民間人がイラクに行ったらいかんよ」「自業自得。リスクは承知の上で行ったんでしょ」など匿名を利用し、無責任な内容の文書が氾濫していると言う。日本人の精神的退廃を物語っている。状況判断が甘かったかも知れない。しかし、今、問題になっているのは、誘拐犯に拉致され人質にされた被害者であるという歴然とした事実である。私たちは、犯罪被害者を救わなければばらないのである。匿名で無責任は書き込みをしている卑怯な人々に言いたい。そんな卑怯なメールを送る暇があるのなら、1万人以上も米英軍に虐殺された一般市民の子どもたち。路上をさ迷う子どもたちを一人でも助けたらどうなのか? イラクのストリートチルドレンに1円でも寄付をしてみたらどうなのか?その方が、陰湿なメールを送るよりよっぽど精神状態がよくなると思うのだが。
投稿者 koyama : 21:59 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月09日
フセイン政権崩壊1周年に思う
今日も曇り。一日寒い。長袖を着る。
北海道函館の菊さんから函館の早春が送られて来た。「行ってみたいな」・・・・。
左(函館元町の早春①)
中(函館元町②)
右(函館元町③)
昨年の今日、イラクのフセイン政権が崩壊した。
5月にはブッシュ大統領の「戦争終結宣言」が出され、イラク戦争も終わるやに見えた。それから1年。状況はアメリカや小泉首相の思惑とは異なり、一層戦争状態が深刻になっている。
40年ほど前、「半年でベトコンを殲滅する」としてダナンからベトナム戦争に介入したアメリカが、10年間かけて結局「敗退し」「撤退」した歴史を思い出すべきだある。アメリカはベトナム侵略戦争の教訓を全く学んでいない。道理なき戦争は結局敗北する。
テロリスト殲滅と称して行ったイラク戦争だが、反米戦力に一般市民の多くが加担するようになった。
イラク戦争は一部のテロリストではなく、1万人以上の一般市民を無差別虐殺している米軍に対する家族や親族、友人市民の怒りがその底辺にある戦いと
なって来ている。
アメリカのイラク戦争の全ての大義が崩れた。
「大量破壊兵器」はなかった。「テロリストをなくす」と主張したが、イスラエルのシャロン首相がパレスチナのヤシン師を国際法に反し虐殺した「100%のテロ行為」を非難する国連安保理事会決議案を拒否権を発動し阻止したのもアメリカである。
ブッシュ大統領が、本当にテロを根絶する気持ちがないことがはっきりした。世界最大の国家テロリストはブッシュ大統領である。
今やアメリカの「武力唯一論」が破産し、アメリカを支持する国々が徐々に離れてきている。スペイン、ルーマニア・・・・。アメリカは道義なき戦争の泥沼に入り、ぬけることが出来なくなっている。イラク派遣米兵の自殺者が激増している。米兵の間で、イラク戦争の意味が分からなくなってきているのである。
我が小泉首相だけが忠実な番犬のように今も「尾を振って」ブッシュ大統領に追随している。
3人の邦人が拉致された。自衛隊の撤退が解放の条件だとのことである。民間の人道援助の3人の命すら助けられない国家とはなんだろうか。小泉首相は「自衛隊の撤退はしない」と早々に言明した。イラクにいる日本人は異口同音に「自衛隊がイラクに来てから、イラクの日本人に対する空気が変わった」と言っている。既にイラク全域が戦争状態である。イラク特措法でも「戦闘地域」への自衛隊派遣は禁止されている。自衛隊宿営地の近くに数発の砲弾が打ち込まれている。イラク特措法提案説明では、自衛隊の宿営地の近くに砲弾が打ち込まれるなどの事態になったら、直ちに自衛隊を撤退するとしている。
イラク特措法からしても、自衛隊は撤退しなければならない。人道支援と称して派遣された自衛隊のために、民間の本当の人道支援・ボランティア活動家などが殺されそうになっている。拉致を行ったグループが最大の犯罪者であり卑劣な行為であることを前提にした上で、今、命を奪われようとしている文字通り「人道援助」をしようとしている民間の3人を救助すべきである。銃をもって人道援助は出来ない。
高遠菜穂子さんは、2000年3月20日に「子どもの家」を訪問している。その前にも一度、ベトナム事務所と「子どもの家」を訪問している。18歳の今井君も彼が通っていた立命館慶祥高校が「子どもの家」にボランティア体験修学旅行したことがきっかけで、孤児院や枯葉剤に興味をもち、劣化ウラン弾の調査に行ったのだ。高遠さん、今井君はけして人ごととは思えない。私たちの仲間である。私たちの仲間が今、人道援助をしようとして、その命を奪われようとしている。卑劣な犯人グループを厳しく糾弾する。同時に二人の人道援助活動家を含む3人の命の重さを全く感じていない小泉首相に強く抗議する。直ちに自衛隊を撤退させよ。今自衛隊がイラクにいること自体が違法なのだ。
人質の3家族が小泉首相との面会を求めたが、首相は面会を拒否した。家族が「自衛隊撤退も選択肢の一つに考えて欲しい」との要望が気に入らないとのこと。「万全の努力をする」との首相発言は、単に口先だけのものである。国民が不当な人質になった。悲嘆と苦しみと動揺の中にある家族と何故会わないのか? 何故、人質家族に声をかけないのか?
冷たい政治のサンプルを見た思いがする。自衛隊の「出陣式」には出席しても、人質になった家族とは会わない小泉首相の人間性を見た思いがする。特攻隊には涙をし、東条英機などヒトラー・ムッソリーニと同様のA級戦犯が祀られた靖国神社には参拝しても、今、この時点で苦しんでいる国民には全く冷たい我が首相ではある。
政治は「一人一人の国民の具体的な命を守るためにあるの」ではないのか?
小泉首相の論理は、一人や二人の命より、ブッシュ大統領のご機嫌が大事なのである。年末の大統領選挙で勝利するか分からないブッシュ大統領と心中を誓った我が首相ではある。
国民は政治家の具体的な行動をしっかりと見る目を持つ必要がある。
函館の菊先生から送られてきた「早春の函館元町の写真」3枚を見ながら、北海道出身の高遠さん、今井君も函館の早春を見たいだろうな、今、囚われて何を考えているのだろうか。「自衛隊を撤退してください」と外務大臣に直訴したご家族の皆さんの気持ちを思うといても立ってもいられない。国家はけして国民を守らない。60年前の日本の歴史が証明している。
投稿者 koyama : 20:52 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月08日
イラクの3邦人・人質の即時解放を求める ナムドン山岳地帯へ
朝8時、ミンベトナム事務所長・ラームベトナム事務所員・三津川君と一緒にナムドン山岳地帯へ。わさび田作り。
左(ナムドン郡人民委員会代表と懇談)
中(緑一杯のナムドンの自然)
右(少数民族カトゥー族の家)
ナムドン山岳の湧き水を使い「ワサビ田」を作る。
左(山から流れ出る湧き水とミンさん)
中(湧き水視察の三津川・ラームさん)
右(わさび作りを委託した副村長と農民)
フエ市内から車で1時間半。標高1500メートルの山岳地帯である『ナムドン郡』に行った。私、バオミン・ベトナム事務所長、ラームベトナム事務所員、京滋YOUの会の三津川日本語教師アシスタント。ナムドン郡は人口の50%は少数民族である。初めにナムドン郡人民委員会を訪問し、農業担当責任者と懇談。責任者の引率で湧き水が出ている山奥の村の人民委員会へ。副村長の案内で湧き水を視察。
昨夜からの豪雨で朝も雨。山は一層の豪雨だった。
山の中の湧き水の池までは徒歩。途中、泥道に足を取られ、大変だった。湧き水は透き通っており、わさび田には最適。早速、副村長にわさび作りの難しさを伝え、わさび田の作り方を話す。その後、副村長の案内で、湧き水付近の土地を持っている農民の家を訪問し、わさび田作りを依頼する。カトゥー族の農民は快くさわび田作り、さわびの育成を引き受けてくれた。
ナムドンで人民委員会農業担当責任者と昼食。フエには午後3時過ぎに帰着。
人質邦人3人の即時解放を求める
同時に「自衛隊」は即時撤退すべきである
午後7時過ぎ(日本時間午後9時)、NHKテレビで「コメディー道中でござる」を見ようとテレビをつける。すると、邦人3人がイラクで人質となったとの速報が入る。人質の高遠さんは、イラクで子どもたちの支援活動をしていたとのこと。自衛隊のイラク派兵には反対していた。18歳の今井君は立命館慶祥高校を3月に卒業した若者。私もこの高校で講演会をしたことがある。数年までまでこの高校は「子どもの家」へ4年に渡りボランティア体験修学旅行をしている。
人質の3人には何の罪も責任もない。「サラヤ・ムシャヒディン」(戦士の部隊)の行動は卑劣なものである。3人を即時解放すべきである。NHK記者は、3人が無警戒でイラク入りしたとの批判的な報道をしていた。しかし、無警戒であったことは事実かもしれないが、問題の本質ではない。
「サラヤ・ムシャヒディン」の声明にもあるように、日本とイスラムの国々とは戦争もなく友好関係を保ってきた。しかし、アメリカの先制攻撃論によるイラク侵略と軍事占領という事態の中で、日本は自衛隊を派兵し、明確にアメリカの軍事侵略とその後の1万人にも及ぶ一般市民への無差別虐殺を支持する側に立ってしまったのである。フランス、ドイツ、ロシア、中国など多くの国々がアメリカのイラク侵略に反対か批判的な態度を取っているのとは明らかに異なる小泉首相の態度である。
侵略の口実となっていた『大量破壊兵器』もなく、
「テロリスト」のレッテルを貼れば誰でも殺してよいとのアメリカなど占領軍の態度は、多くのイラン国民からの反撥を買っている。小泉首相が世界で最初にアメリカのイラク侵略を支持したことで、日本人はイスラム諸国の敵対国家となってしまった。世界中どこにいても、いつでも日本人は「テロ」や様々な攻撃の対象となることを宣言したことになる。こうした人質事件が起こることは残念なことである。小泉首相がアメリカの軍事侵略を支持し、侵略を継続・支援するための自衛隊派遣を強行したことにより、この種の事件は今後も起こることが予想される。小泉首相や自衛隊派兵を支持した人々はその責任を免れない。今でも遅くない。直ちに自衛隊を撤退すべきである。いつか自衛隊に同様な事態が起こる前に。
投稿者 koyama : 21:48 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月07日
三津川君日本語を教える
今日も1日晴天。夕方少し涼しくなる。やはり天候不順。
フエに来ている京滋YOUの会の三津川君は日本語学校教師手伝いとして奮闘している。
左(ベトナム事務所の三津川君)
中(日本語学校の三津川君①)
右(日本語学校の三津川君②)
今日福岡地裁が小泉首相の靖国神社参拝を違憲とする判決を下した。損害賠償10万円の支払いを判決は否定したため、判決は形式的には原告の敗訴、被告小泉首相の「勝訴」に終わった。形式的に勝訴した小泉首相側が控訴することは出来ず、形式的に敗訴した原告側は「勝訴した」として控訴しない方針を明らかにしているので、判決は確定する。首相の靖国参拝に対する初めての憲法判断が違憲であることは今日大きな意義をもっている。
NHKTVで小泉首相は「裁判は勝訴でしょ?」「何で靖国神社に参拝してはいけないのか分からない」などと語っている。
判決は、憲法20条に照らせば、明らかに「政教分離の原則に違反している」と明確に小泉首相を断罪している。日本国憲法20条は以下のようである。
第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない
一般の感覚で読めば、内閣総理大臣と署名し、公用車で靖国神社を参拝することは、『私人』とはいえない。「公人の内閣総理大臣として」の参拝であることは明らかである。
日本国憲法20条3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」に明確に抵触する。
内閣総理大臣こそ、最も国法である日本国憲法を守らなければならない立場の人である。
東京では卒業式で「君が代」を歌わないという理由で数百人の教師が懲戒処分を受けている。
日本は法治国家である。全ての公務員の行動は、法律に基づいて行われなければならない。個人の趣味で行政が執行されるとすればそれは「封建制時代」である。わが国は今や小泉ヒトラー首相の出現で『無法状態』『法治国家』を否定する封建時代に逆戻りしたかの感がある。ファシズムである。論議をなしの問答無用の政治。
小樽の箕輪元自民党運輸大臣(元国防部会副会長)が小泉首相を相手に、「イラクへの自衛隊派兵は自衛隊法違反」だとして裁判を起こしている。政治的な立場は違っても箕輪氏は法治国家という枠の中で政治を行おうとしている。憲法も法律も無視して、勝手放題、やり放題の我が首相は、大先輩である箕輪氏の真摯な態度を学ぶべきである。
午後7時のNHKニュースのトップが「メッツの松井選手が先頭打者の第一球ホームランン。3打数3安打」だった。第2が「イラク問題」。首相の靖国参拝違憲判決は3番目だった。NHKは首相・与党に対するゴマすり報道機関である。確かにメッツ松井の3打数3安打は立派で大ニュースである。しかし、トップニュースじゃないだろう。首相が憲法違反・蹂躙したという重大な判決が出て、確定しようとしている、このことに対するジャーナリズムである(?)NHKが無批判であることに絶句する。
投稿者 koyama : 23:02 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月06日
今日は一転「快晴」となる
今日は朝から太陽が顔を出す。快晴。
午前中、いくつかのメール、FAX等への返事を書く。
午後ベトナム事務所。ドンバ市場ウオーキング。
4月1日付けで日記に掲載した花は「ムラサキスイレン」。熱帯アジア産。BLUE WATERLILY。高橋ますみ花博士からご教示を受る。
いつものことながら、感謝。
今日は43通のメールを受信。17通の返信メールをうつ。
午後、ベトナム事務所へ。バオミン・ベトナム事務所長といくつかの問題の打ち合わせ。その足でドンバ市場までウオーキング。40分。
途中、チュオン・ティエン橋からフオン川を見ると
夕日が川面を染めていた。
4月9日は米英軍の侵略によりイラクのフセイン政権が転覆されてから1周年となる。アメリカの世論調査では、ブッシュ大統領のイラク戦争不支持が53%(+16ポイント)にものぼり、支持40%を大きく上回る。ブッシュ大統領支持も43%と最低レベルに落ち込んでいるとのこと。
イラクでは戦争終結1年が過ぎ、一層国内は混乱状態になっている。自衛隊が派遣された法的根拠である「イラク特措法」2条3項でも『・・・我が国領域及び現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる・・・』となっており、
戦闘行為が行われている所への派兵は禁止されている。現実には、イラク全土で戦闘が行われているのである。自衛隊の派遣も明らかに法律違反であるが、小泉首相は、「見解の相違」として真摯な討論さえ行わずに憲法違反、自衛隊法違反、イラク特措法違反を繰り返している。論議がなく「問答無用」の態度はファシズムである。ファシズムは「笑顔」でやってくるという趣旨の本を読んだことがある。
田中真紀子議員の長女の私生活の報道をめぐって裁判騒動があった。「報道の自由」が争点のように言われているが、報道の自由は、個人の生活を覗き見する自由ではないはずだ。山崎元自民党幹事長などが中国で北朝鮮高官と会談した。小泉首相は、「私は全く知らない、政府は関係ないことである」と発言しているが、事前に山崎氏は小泉首相に電話連絡をし、北朝鮮高官との懇談の了解を取っていたとの話もある。マスコミは政府の広報部ではないはずだ。山崎氏などの行動の真実こそ微に入り細にいり調査報道すべきである。NHKなど多くのマスコミは、米英軍と小泉首相の行動を追認し、ジャーナリズムの使命である「権力への批判」の姿勢すらなくなっている。日本のマスコミ総体が『大本営発表』のようなだらしない状況の中で、私たち国民は目をみはり、耳を澄まして、自分の目と耳と頭で考えなければ・・・・・。昨日の日記に書いた吉永小百合さんが、しっかりと現状を見据え、原爆詩の朗読をライフワークにしている生き方を見習いたいものである。
投稿者 koyama : 09:59 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月05日
刺繍みやげ物店 ミン嬢結婚式
午前9時過ぎ、日本語学校関係者打ち合わせ
午前10時半、ベトナム事務所の刺繍みやげ物店で働いている「ミンさん」の結婚式参加。
左(日本語学校関係者打ち合わせ会)
中(ミン嬢結婚式全景)
右(新郎新婦と小山)
結婚式は続く
左(新郎新婦)
中(優子・美智代と新婦)
右(刺繍みやげ物店の仲間)
4月か5月初頭に始まるトゥアティエンフエ省観光局との提携による日本語学校①レストランコース ②レセプションコースの詳細打ち合わせ。
坂本文子・橋本美智代・サン・フン・西山優子・三津川の皆さん。授業内容・授業分担等の詳細を打ち合わせる。海外青年協力隊員より協力の申し入れがあったが、突然取り消しとなる。事情は不明であるが、不可解な行動ではある。
午前10時半、トンチンカンホテルに集まり、ベトナム事務所みやげ物刺繍店で刺繍の仕事をしている「ミンさん」(21歳)の結婚式に参加。
ベトナム事務所員、刺繍の仲間が参加。
ミンさんは、7年前「子どもの家」付属刺繍研修センターで刺繍の勉強をした。その後、刺繍研修センターを卒業。ベトナム事務所の刺繍みやげ物店に勤務するようになった。
家族8人。ご両親と6人の子どもたち。ミンさんは3番目。家庭の事情でミンさんは、中学校1年生までしか通学できなかった。
今日の結婚式は、ミンさんの自宅で執り行われた。
日本の出来合いの『豪華』な結婚式に比べると質素なものであったが、隣り近所、友人知人などが集まり、心温まる結婚式となった。大金をかけ豪華な結婚式がけして幸せな式でないことは、ベトナムの結婚式に参加し常に感ずることである。結婚式は結婚を本当に心から祝うという気持ちが大事である。ベトナムの一般庶民の結婚式は質素であるが心のこもったものである。新郎は床屋さん。腕さえあれば一生食べていける職業である。
こうして「子どもの家」が出来て10年。子どもたちの成長と自立を見守ることが出来るというのは、幸せなことである。新郎新婦の「幸多からんことを祈る」。式中、何度も「一気飲みを強要」され飲み干す。(実際は半分強要・半分自主的ではあるが)。夕方、ひどい吐き気に襲われる。やはり10代の若者との「一気飲み合戦」は年齢的に惨敗。
昨日は雨。今日は曇り。例年になく今年は気象がおかしい。いつもだと今頃は真夏なのだが。まだ寒い。私は長袖を着ている。ちょっと前は私と文子、数日前は優子、今日はもえ子が体調を崩す。残るはは美智代だけ。
一昨日NHK海外衛星放送で「吉永小百合」のインタビューを聞く。司会者から『何故、原爆詩の朗読をしているのか』との質問に「私は1945年3月10日の東京大空襲の3日後に防空壕の中で生まれた。私の体には戦争の空気が付いている。今、日本は危ない方向へ行っている。そうした中で平和を訴えることは大きな意義があり、東京大空襲の時に生まれた自分の責務である」(趣旨)というようなことを言っていた。「夢千代日記」が自分の人生の転換点だったとも言っている。吉永小百合の生き方に興味をもっていた私にとっては、「なるほど・吉永小百合は、単なるミーハーのタレントとは違うな。自分の哲学と生き方をしっかりと持っている。芯の強い人だな」との感想をもった。それにしても、小泉首相を中心として進められている新保守主義路線・軍事拡大路線を事実上はっきりと批判していたことには驚いた。本多勝一は今や日本は「戦時中だ」と言っている。
吉永小百合は「長いものには巻かれない」というこの世代の一人でもあるような気がした。「キューポラのある町」の頃の高名な映画俳優から、一人の生きた人間をみる思いがした。素晴らしい生き方をしている人だと改めて感心。
投稿者 koyama : 21:00 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月04日
24日ぶりの1日休養日
午前中、10通のメール送信。
入浴。
午後、読書。
選抜野球決勝戦をテレビ観戦。
3月12日にフエに戻り、3週間ちょっとで久しぶりの1日休暇。
投稿者 koyama : 21:52 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月03日
内田征子さん帰国
午前中、ベトナム事務所等
午後2時半、内田さんをホテル前で見送り
左(1960年代のオートバイ)
中(同オートバイのクラッチ部分)
右(内田征子さん帰国)
朝から曇り。午後雨。急に寒くなる。湿度は高い。気温が急激に下がり、高湿度のためみんな気分が悪い。朝から頭痛、倦怠。食欲減退。優子が体調を崩す。
朝、トンチンカンホテルを出ようと玄関に出た。
玄関前に古いオートバイがおいてある。よく見ると私が1968年頃、大学で乗っていた「ホンダ」のハンドルクラッチ付き50ccのオートバイだった。当時、ホンダスーパーカブが流行っていたが、クラッチは足にあった。このオートバイは左手ハンドルにクラッチが付いていた。50ccで左手ハンドルにクラッチがついているオートバイは珍しかった。このオートバイで武蔵小金井の大学から板橋の自宅まで何度も往復した記憶がある。
35年以上も前のオートバイが未だにベトナムで使われていることに驚く。物を大事に使っている。良く見ると部品が違うオートバイ会社のものだった。こうして丁寧に使えばオートバイも35年も使えるものなのだ。ベトナムを旅行している日本人の中にはこの種の古いオートバイに乗っていることを見て、「貧しい国」と感じてしまう人がいるかも知れない。しかし、ものを大事に使うということは、貧しいことではない。むしろ「豊かな心」を持っているからだとも思える。日本のように1年か2年で新車に乗り換えたり、事故で壊れたら部品全部を一括交換しないと修理できないシステムを持っていることこそ、「貧しさ」の表れではないかと思う。
1週間「子どもの家」やベトナム事務所で過ごした日本事務所の内田征子さんが帰国。今年も夏の「バーベキュ大会」、冬の「クリスマス会」を子どもたちは楽しみにしている。1週間、お疲れ様でした。
投稿者 koyama : 17:44 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月02日
料理のフオンさんと話し合う
午前7時45分、ニエン外務部長と懇談
午前9時、ベトナム事務所員懇談
午前11時半、内田さんと「チャオバンカン」。
午後3時、京都三津川君フエ到着。懇談
午後4時、元「子どもの家」THUYさんと懇談。
左(料理のフオンさんと懇談)
中(京都から来た三津川君と)
右(元「子どもの家」のTHUYさん)
A7時の朝食後、急いでラームさん、ミンさんとフエ市人民委員会外務部へ。外務部長と緊急懇談。昨夜、緊急問題が起こり、早期解決の必要があり、懇談・対策の打ち合わせ。意見と対策の一致を見た。早速、懇談の線で具体的な行動に入る。
午前9時、ベトナム事務所に戻り、ベトナム事務所員に外務部長懇談の内容を伝え、新たな状況に対応する方針を協議する。
9時過ぎに「子どもの家」で料理を作っていたフオンさんが事務所に来た。3月31日に「子どもの家」を定年退職した。退職後の生活などを話し合う。現在は知り合いの家に住み、お菓子の飴玉を作っているとのこと。この仕事に満足している、他の仕事をする気持ちはないと言っていた。私としては、退職後仕事がなければ何か料理関係の仕事を紹介しようと思って、いくつか心当たりに目星をつけてはいたが、その必要もなく、一安心。「子どもの家」に10年間勤めてくれた人である。その上、「子どもの家」の住み込みで10年間、毎日24時間勤務をしてくれた。退職後の生活についても私たちには一定の責任があることを自覚している。今後、生活などに困ったことがあったら遠慮なく来てくださいと言って分かれる。
午前11時15分、内田さんを始めベトナム事務所員がトンチンカンホテルに集まり、フエ名物うどん「チャオ・バン・カン」を食べに行く。この店のような店のようでないうどん屋は、フエの人でもあまり知らない所である。フエで生まれ育ったサンさんも2回目とのこと。ゆでたてのうどんを十分煮込んだスープにい入れ、きざみねぎと唐辛子を入れて食べる。何ともいえない美味。料理のフオンさんもこの店の直ぐ隣で生活し飴玉つくりをしている。昼食会に参加。
午後3時、京都の三津川君がフエ到着。半年ほど、フエに滞在するとのこと。「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校で日本語教育の手伝いボランティアをしてもらうこととなった。有難いことである。
午後4時、「子どもの家」で7年間生活し、父親に連れられてホーチミン市に行ったTHUYさん(19歳)が先日フエに戻ってきた。食堂で仕事をしていたが、解雇されて生活に困りベトナム事務所へやって来た。色々事情を聞き、THUYさんの仕事口を見つけることにし、関係者に連絡。レストランなどのでのしごと紹介することにした。現在、収入がないので食費にも事欠く状況なので、当面の生活費を支給。父親とは別れ現在所在不明。母親は分からないとのこと。家族・親類の応援も望めない現状なので支援をすることにした。早急に仕事を見つけ、自活できるようにしたい。
プロ野球セリーグが開幕。
「札束球団」が一昨年までの「万年最下位球団」
と対決。想像通り、8-3で札束球団が逆転負け。
ざまー見ろ、金権体質球団。(ちょっと、言葉が下品であるが、札束金権体質球団には丁度良い言葉である。ハハハハ・・・・・)
今年のセリーグを象徴するかのような結果に十分満足。今日は安眠が約束されたようなもの。高血圧も急降下間違いなし。
投稿者 koyama : 19:44 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月01日
ベトナム人新日本語教師採用
午前中、ベトナム事務所で縫製会社「マルサ」社長の佐藤さんと懇談。
午前11時半、佐藤さん、ミンさんと一緒に「フォー」を食べに。その足でフエ空港まで見送り。
午後1時過ぎ帰宅。
午後3時、ベトナム人新日本語教師「PHUNG」さんと採用契約。
当面6ヶ月は仮採用で日本語学校教師。6ヶ月後本採用。1年後には、ベトナム事務所員として日本語学校担当をしてもらいたいとの話をする。とりあえず、6ヶ月間、仕事をしてもらい、お互い仕事が合うかどうかを見ることとする。
先週から特に仕事が忙しい。体調も悪かったが、仕事をしながら体調を回復させる。最近は気候の変動が激しく、太陽が出ると真夏、曇ると寒い。湿度も高く食欲もなくり、倦怠感があった。例年だと「真夏」なのだが・・・。
日本事務所の内田征子さんは、ベトナム事務所の仕事を手伝ってくれたり、「子どもの家」で子どもたちの面倒を見たりと忙しく過ごしている。
「忙中閑あり」で昼食を摂ったレストランの庭の池にきれいな花が咲いていた。
東京の自宅に札幌から長男が戻ってきている。数日の出張。仕事の関係で家族3人で食事をする時間もないそうだ。
日本は恐ろしい時代になったものである。先日の都立学校の卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったり、歌わなかったりした教職員180人を「戒告」処分にしたそうだ。戒告処分は昇給延期3ヶ月の実害のある処分である。生涯賃金で200万円ほど収入が減る処分でもある。
私はこのニュースを聞いて、戦前、内村鑑三博士が教育勅語に頭を下げなかったことで「不敬罪」となり、教職を追放されたことを思い出した。物も言えない恐怖の時代である。一つの偏った意見や考えで全てを律する時代である。違った考えや少数意見は弾圧され時には小林多喜二のように拷問され虐殺される時代があった。
戦前の学校にあった「奉安殿」には、お辞儀を強制され、教育勅語を校長が読む時には生徒は頭を下げ、鼻水をすするのも禁止されたなどという話も聞く。
いずれにしろ、「君が代」を歌わないと、暴力的に制裁を加えるという東京都教育委員会のやり方は、およそ教育とは縁遠い暴力団の世界である。戦前のファシズムを彷彿させる恐るべき時代が来てしまった。国民の中には、未だに「君が代」に不快感を持っている人もいる。アジア諸国では「君が代」を聞くと戦前の日本侵略を思い出すという人々もいる。だからこそ、「君が代」法制化にあたって、わざわざ「強制しない」との付帯決議をつけたのである。
教育は人の心の中の問題である。国家が人間の心の中に手を入れることは、厳に慎しまなければならない。国家と国民との基本的な関係である。今後、市区町村立小中学校の教職員の処分も想像される。
日本はいつのまにか、乱暴で粗雑な国となってしまった。教育行政は「指導と助言」を基礎としてものでなければならない。教育基本法、学校教育法に明記されている。命令と罰則・処分の教育は一見物事が早く進むように見えるが、結局、教職員を「上目づかい」の無気力教職員にしてしまう。最後に損をするのは、国民であり子どもたちである。教育は指揮命令ですすめるものではない。指導と助言を基礎
としてこそ、活性化し、教職員が自らの頭で考え子どもたちの指導を一層向上させるものである。