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2005年02月28日
ベトナム事務所員会議ーフエ市人民委員会との打ち合わせ
終日雨。寒い。体調不良に。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
司会はミン・ベトナム事務所長
(小山)●2月6日総会報告
・新役員人事
・2005年度活動方針
・2008年に向けての自立問題(縫製工場建設の件)
・ベトナム事務所運営(ベトナム事務所スタッフ育成と
日本人スタッフのサポートのあり方について)
☆ベトナム事務所全体の責任者 ミンさん
☆日本語学校責任者 フーンさん
☆ベトナム事務所と日本語学校サポート サンさん
(ミン)●3月の訪問者日程と分担
・3月3日(木)~3月7日(月)(全国大学生協ツアー 7人)
・3月6日(日)~3月11日(金)(地球の歩き方 16人)
・3月9日(水)~18日(金)(若林優希さん)
・3月10日(木)塩沢さん
・3月11日(金)~17日(木)平本さん
・3月18日(金)~3月20日(日)小山高校同級生(6人)
・3月19日(土)~27日(日)(地球の歩き方)
・3月20日(日)~3月27日(日)フリースペース12人)
・3月24日(木)~3月28日(月)(全国大学生協ツアー②)
・3月21日(月)~26日(土)(大極さん)
・4月2日(土)~4月10日(日)(地球の歩き方)
・4月21日~4月23日(近畿青年会議所80人)
(フーン)日本語学校「中級クラス終了式」「上級クラス卒業式」日程案
●3月28日(月)午後7時~ 「静岡フエ青年交流会館」にて
・司会(ミン、松下)
・出席者・日本語学校教師紹介
・越日交流委員会代表挨拶(ニエン外務部長)
・「静岡フエ青年会館」付属日本語学校校長挨拶(小山)
☆中級クラス終了式
・終了証書授与(ニエン、小山)
・中級クラス担当教師代表挨拶(中村)
・同生徒代表お礼のことば
☆上級クラス卒業式
・卒業証書授与(ニエン、小山)
・上級クラス担当教師代表挨拶(原)
・同生徒代表お礼のことば
☆終わりのことば(司会)
☆記念撮影
(フーン)日本語学校初級クラス開講式について
●4月2日(土)
・初級クラス、レセプションコース、レストランコース)
・6ヶ月
・4月~7月までー共通基礎コース
・8月、9月 専門コース
(フーン・小山)日本語学校新教師募集について協議
・8月末~9月初旬に赴任してもらう
・募集方法はJASSホームページ、日本語教師募集サイト
●午前10時、セン委員長、ロック寮長がベトナム事務所へ。
「子どもの家」から臨時に親戚の家へ転居しているTさん(20歳)の
問題と今後の取り扱いについて、「子どもの家」としての提言を受ける。
午後2時半、フエ市人民委員会外務部でニエン外務部長と打ち合わせ。
ラームさん、ミンさんも同行。
●静岡ーフエ友好都市協定書締結式典について
・4月12日午後2時半、静岡市にて調印式を行う。
・友好都市提携書原案の最終確認
・フエ市人民委員会側参加者の確定
・4月11日から4月15日までの日本滞在日程の確認
●オートバイ研修センター内の縫製工場建設について最終確認
午後6時、トンチンカンホテルにリー君がやってくる
1997年9月、テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」の取材があった。
リー君はその時、橋の上で生活していた仲間に誘われて
「子どもの家」に入所。その後、紆余曲折があったが、一昨年、
ホーチミン市からフエに戻ってきた。20歳になった。
現在、仕事がなく、シクロで寝て生活している。リー君は
「真っ当に仕事をしたが、仕事がない」と訴えている。
昨年末から何度もやってきて、仕事をしたい、真面目に仕事を
したいと言っていた。今日、ラームさんと相談し、東京平和産業
の門番、観光の荷物運搬などの仕事をするということで
採用を決めた。明日から東京平和産業にやってくることとなった。
真面目に仕事をしてくれることを祈る。
投稿者 koyama : 20:50 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月27日
終日休養。
終日雨。ハノイに寒波が襲来したとのこと。
午前8時、NHK日曜討論。
町村外相は別にしても出席者は全員日米同盟是認。
人選に偏りあり。
「教育評論」原稿最終仕上げ。(1600字)送信。
ブランチ。2週間ぶりに缶ビールを飲むが、1本以上は
飲めなかった。体調が変わったのか?
おかゆ5勺。NHK素人のど自慢を見る。
昼寝。
午後、「道徳と特別活動」誌から依頼された原稿(1600字)
を書く。
昨夜、小樽の孫から電話あり。「結婚式おめでとう」とのこと。
北海道とフエとがこんなに身近に繋がっているいることに
感動する。非常に良くしゃべる。相手の顔を見ないで
言葉だけでこれだけしゃべれるのは、明らかに「おしゃべり」癖
ありと見た。3年ちょっととこれだけ成長したことを嬉しく思う。
明らかに小山家の伝統を体内に受け継いでいることを実感した。
「クラウゼビッツ 戦争論」(30ポイントで読み解く)(PHP文庫:金森誠也監修)
読了。
以前、原書に挑戦し挫折。今回は単純な解説書。
「戦争は政治の延長」「戦争に果たす精神の役割り」など
ベトナムでの活動の戦略・戦術で学ぶこと多し。
投稿者 koyama : 23:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月26日
結婚33周年記念日
今日は結婚33周年記念日。1972年2月26日、
雪の降る渋谷勤労福祉会館で結婚披露宴を
したのを昨日のように覚えている。早いものである。
あれから33年。当時、大学4年生だった妻は闘病生活中。
以下のメールを送信。
「小山まゆみ様
結婚33周年、おめでとうございます。
1972年2月26日、雪の降る渋谷の勤労福祉会館
で結婚式をしたことがつい昨日のようです。長い間、お世話様になりました。
改めて感謝致します。今後は、体調に気をつけて、お過ごしください。」
結婚33週年は何婚式なのだろうか調べてみた。
30年 真珠婚式 富と健康をあらわす海の宝石に例えて
35年 珊瑚婚式 永い年月を経て成長する珊瑚に例えて
40年 ルビー婚式 深赤色のような2人の深い信頼と誠意
45年 サファイア婚式 誠実と徳望で結ばれた結婚生活
50年 金婚式 金色の輝きを得たという豊かさで大きな記念日
この33年間、この種のことに全く興味がなかったが、
30周年の真珠婚式は既に終わり、35年の珊瑚婚式が次に
控えているということが分かった。
午前9時過ぎ、「子どもの家」の LE VAN DANG(レ・ベン・ダン)君
の退所式が行われた。
ダン君は13歳、小学校5年生。両親は死亡し、祖母(72歳)と
18歳の兄(靴作り)、15歳の姉(お菓子作り)という
家族である。
祖母が孫のダン君と一緒に住みたいとの強い希望を持っている。
祖母が年金が入り、ダン君を引き取り、学校へ行かせても
財政的には何とかやっていけるとのこと。
ダン君は「子どもの家」に入所して2年になる。
今日はセン委員長、ロック寮長が緊急の会議があり
フエ市人民委員会へ。代わりにタム医師が出席。
「子どもの家」では子どもたちが昼食の準備をしたり、遊んだりしていた。
午後、日教組機関誌「教育評論」5月号の原稿1600字を
書き上げる。これから1年間、「ベトナムの「子どもの家」から」を連載
する。
「びんぼう自慢」(古今亭志ん生:筑摩書房) 読了。
1973年83歳で死亡するまでの貧乏人生を
小島貞二氏が聞き書き。
古今亭志ん生は17回改名している。
三遊亭朝太→三遊亭円菊→金原亭馬太郎→全亭武生→
吉原朝馬→隅田川馬石→金原亭馬きん→古今亭志ん馬→
小金井芦風→金原亭馬生→柳家東三桜→柳家ぎん馬→
柳家甚語桜→古今亭志ん馬→金原亭馬生→古今亭志ん生
1988年長男の金原亭馬生も55歳で死去。
先年、次男志ん朝(志ん生を継ぐ予定)も死去。
この本を読むと、私たちの世代は東京落語に関しては
本当に幸せな時代を生きたことが分かる。当時はその大きな
意味が分からなかったが・・・・。
桂文楽、林家正蔵(彦六)、古今亭志ん生、三遊亭円生師など
キラ星のごとく名人がいた。私はこれらの名人を生の高座で
見ることが出来た。個人的には志ん生の長男である
金原亭馬生が一番好きだった。
投稿者 koyama : 22:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月25日
京都産業大学ホーチミン市へ
午前6時45分、トンチンカンホテルから徒歩で
バオミン・ホテルへ。京都産業大学の皆さん(23人)は
今日、朝7時にホテルを出てフエ空港へ行く予定だった。
しかし、時間の打ち合わせがうまく行っていなかったようで
7時半バオミン・ホテル発とのこと。
急いでトンチンカンホテルへ戻り、朝食を摂る。
改めてバオミン・ホテルへ。3人の日本語教師はそこで
皆さんとお別れ。
私・ラームミン・サン・ソンの4人は一緒にフエ空港へ。
8時過ぎに空港着。2週間のフエ滞在であったが、学生の
皆さんは大きな病気にもならず無事、ホーチミン市経由で
日本へ帰国できそうである。一安心。
ラームさんがホーチミン市まで付き添う。
学生の皆さんはこの2週間のフエでの生活と経験を日本での
生き方に中に少しでも良いから生かしてもらえれば、幸いである。
今まで多くの学生さんのお世話をしたが、京都産業大学の
学生さんの真面目さと明るさは抜群だった。
日本にもこんなに真面目な若者がいることに改めて感動した。
岩波現代文庫
佐高信著「湛山除名 小日本主義の運命」読了。
石橋湛山、宇都宮篤馬、など良心的保守主義の系譜が
かつて日本にあったことを思い出す。
投稿者 koyama : 23:21 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月24日
ナムドン山岳少数民族へ
午前8時半、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所のパソコンが「SPY WARE」というウイルスが
侵入。使用不能。
午前10時、京都産業大学はナムドン山岳少数民族との
交流へ。ラームさん、サンさん、中村さん、ソンさんが同行。
●バオミン・ホテル前で 男子学生と
午後3時、ベトナム事務所経由でドンバ市場へ徒歩。
10数日間寝ていたので筋肉が相当落ちている。
今日からリハビリも兼ねて歩きを再開。午前午後合計して
1時間半ほど歩く。久しぶりで町を歩く。
スマトラ津波はベトナムに大きな影響を与えた。
欧米系の旅行者がベトナムに集中。フエのホテルは
五月までどこも満室である。異常事態となっている。
例年「子どもの家」を訪問しているスタディーツアーの皆さんの
ホテルが取れないで困っている。現在、フエの町中は欧米系の
旅行者で溢れている。
投稿者 koyama : 23:31 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月23日
京都産業大学「学習発表会」
今日は一日晴天。パソコンに「SPY WARE」という
ウイルスーが侵入。2月23日はパソコンが使えず。
午前8時半、ベトナム事務所へ。10数日寝ていたので
少しずつ運動をする。徒歩でベトナム事務所へ15分。
ベトナム事務所でミンさんと打ち合わせ。
日本語学校関係者と懇談。
京都産業大学の学生さんは、10日間ほど「子どもの家」
で子どもたちに「音楽」「絵画」「習字」「折り紙」などの
指導を行った。言葉が通じなく、異文化の中で子どもたち
と触れ合い、何かを掴んでくれたことと思う。
今日は、この10日間の「指導」「交流」の成果を発表する。
今日は「絵・折り紙」「音楽」「習字」を指導した7グループの
学生と子どもたちがこの10日間の成果を発表し、
私、セン委員長、瀬邊(セベ)先生の3人が審査員で
成果の採点をした。
午後6時半。
今日はフエ滞在最後の日(明日の少数民族訪問を除いて)。
ベトナム事務所スタッフと京都産業大学の皆さんと
最後の夕食会
投稿者 koyama : 23:08 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月22日
少しずつ仕事を始める
午前8時、バオミン・ホテルへ。
京都産業大学の学生が昨日の自由時間にオートバイに
乗って「子どもの家」へ行ったとのこと。
オートバイ事故の多いベトナム・フエでは京都産業大学の
学生さんのオートバイ利用を禁止していた。
昨日の状況を聞き、朝、バオミン・ホテルへ。
学生さん全員を集めて、オートバイ利用禁止を改めて
徹底する。学生さんがオートバイに乗って見たいと言う
気持ちは理解できないでもないが、とにかく毎日のように
オートバイの事故が多発している。昨年、フランスの医学生が
オートバイに乗っていて、後ろからベトナム人のでたらめな運転に
当たられ死亡。
交通事故が起これば、せっかくの楽しいフエ滞在が一瞬にして
悲しみに転化する。改めてオートバイの禁止。移動をしたい時は
シクロを紹介する旨を伝える。
まだ本調子ではないので、午前中は部屋で休む。
2月13日に熱が出だしてちょうど10日間、部屋で寝ていた
ことになる。今回の寝込みは、フエ12年間で最長だった。
昼頃、ラームさんから電話。「子どもの家」訪問者の方が
私から話を聞きたいといっているとのこと。午後3時から
ベトナム事務所で話し合うこととする。
午後3時、大阪外大のAさんと会う。Aさんはホーチミン市で
日本語学校のアルバイトをしているとのこと。
1時間ちょっと、ボランティア、自立について話す。
投稿者 koyama : 23:42 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月21日
今日も一日寝て休む
熱が下がり、食事も摂れるようになってきた。
多少咳が残る。
立って歩くとまだフラフラとする。
京都産業大学が午後農村ホームステーから
帰る。
今日も一日、部屋で寝ていた。体中が痛い。
投稿者 koyama : 20:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月20日
今日も一日寝ている
今日は日曜日。京都産業大学は今日から農村ホームステー。
ミン・ラーム・サン・ソンさんの4人に任せる。
私は一日寝ていた。横になると数時間熟睡する。
一日寝ていてもいやにならない。体が求めているのか?
明日も一日休むつもり。気管支炎はだいぶ良くなる。咳が残る
程度。熱も下がる。体中が痛い。食欲は低い。
関係者に迷惑をかけるが、長引くよりは、休んで早く仕事を
始めたい。空気の入れ替えをしたが、外気は寒い。
今日は一日雨。
投稿者 koyama : 20:20 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月19日
今日は一日休む
今日は私の日程がはいっていない日である。
1日休む。仕事のことを考えずにゆっくりと休める。
抗生物質が効いていたのか、大分楽になる。
熱も下がり始めた。食事も出来るようになってきた。
まだ動くとフラフラする。1日ゆっくりと・寝ていた。
フエ中央病院小児科医長がわざわざトンチンカンホテルまで
来てくれる。お見舞いを持って来ながら状況観察。
まだ数日の休養が必要。
2月13日からちょうど1週間経つ。
明日から農村ホームステーの予定だが、不参加の予定。
投稿者 koyama : 23:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月18日
ハイバーチュン中・高校参観
午前8時半、京都産業大学の学生さん、先生と一緒に
ハイバーチュン中・高校へ。
高校では校長先生・副校長先生が対応してくれた。
初めに私が京都産業大学がハイバーチュン中・高校を
訪問した経過などを説明。校長先生の歓迎の挨拶。
その後、校長先生の案内で各教室の授業風景を参観。
最後に高校1年のクラスに行き、ベトナム人学生と一緒に
1時間「英語」の授業を行う。こうした活動を通して日本の学生が
ベトナムを理解してくれると有難い。
私は途中で体調が悪く、トンチンカンホテルへもどる。
今日は北から寒風が吹き寒い。1日中体温は37度5分。
まだ、完全に熱が下がったわけではない。昨日から飲み始めた
抗生物質の効果が出てくることを祈る。
投稿者 koyama : 21:01 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月17日
京都産業大学→フエ農業大学訪問
京都産業大学の学生はフエ農業大学を訪問。
ベトナムの学生との交流を行う。今回、フエ農業大学との交流は
初めての企画である。初めての企画のため、どうしても私が出て
両校の紹介等を行わなければならない。
午前8時半、京都産業大学の学生、先生、ミンさんと一緒に
フエ農業大学へ。
初めに私が今回の交流の経過と京都産業大学の紹介を行う。
京都産業大学引率瀬邊先生の挨拶。
続けてフエ農業大学副学長の挨拶とコンピュータを使っての
大学紹介。
その後、会場を変えて、両校の学生は自国の紹介、自分の紹介など
午前11時まで交流を深める。
午後12時、国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんと
市内のレストランで昼食。皆さんは今日の夕方、フエを離れハノイへ。
今回は私が体調を崩し一度も食事を一緒にしていなかった。
そんな事情で最後の食事である昼食を一緒にする。
帯広とフエとの気温差は40度ほど。今日のフエは33度。
午後2時、トンチンカンホテルの自室へ戻る。
かなり疲れる。咳が止まらない。多少の寒気。
直ぐに休む。2時間ほど休むが咳がひどく、息苦しくなる。
ラームさんに電話をしフエ中央病院へ電話をしてもらう。
直ぐに来るようにとの返事があり、午後4時、ラームさんの
オートバイの後ろに乗り、フエ中央病院小児科へ。
小児科の門前にフオン医長など小児科の中心的な
先生3人が待ち受けている。主任の先生の引率で
直ぐにレントゲン室へ。レントゲンを撮る。
その足で小児科病棟へ戻り、医長の部屋で10分ほど待つ。
医長室で出来上がったレントゲンを見ながら
医長、主任の先生3人で協議。「気管支炎」とのこと。
抗生物質などいくつかの薬を処方してくれる。
薬局で薬を買う。11万ドン(700円程)。
午後6時前にトンチンカンホテルに戻る。
2月10日にフエへ戻ってから初めて皆さんと一緒に
夕食を摂る。ご飯、煮魚、ニガウリと玉子のチャンプル。
スープ。フエに戻って初めてお米のご飯を食べる。
この5日間ほどはおかゆ。
今日は諸般の事情で農業大学とソロプチミストの
皆さんとの交流に参加。
投稿者 koyama : 21:21 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月16日
A君母親の葬儀が終わるーソロプチミスト帯広みどりフエ市役所を訪問
午前7時、A君の母親の遺体が土葬された。これで母親の葬儀の
全てが終わる。
この2日間、「子どもの家」寮長のロックさんが付きっ切りで
お世話をする。葬儀にかかった費用の全てはJASSが
支払う。土葬の土地も改めて購入する。
どんな事情があったにせよ、一人の人間の命が終わった時に
回りのどの人間も真摯な気持ちで葬送をすべきことは言うまでも
ない。A君は気力が抜けたようだったとロック寮長は言っていた。
立派に葬送が出来たことがせめてもの手向けになったのではと
思っている。今後、A君の大学卒業、自立に向けての支援を
親身になって行って行きたいと思っている。
国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんは午前中、王宮見学。
ラームさんが案内。
午後2時半からフエ市人民委員会を表敬訪問。私が仲介した
関係もあり、出席する。今日はフエ市人民委員会で共産党の
緊急会議が行われたため市長、外務部長は懇談に欠席。
DUNG副市長、QUNG外務部副部長が出席。
●フエ市人民委員会からソロプチミストの皆さんへフエ市のバッジ
体調は相変わらず。多少熱が下がったが。昨夕、日本語教師の中村さんが
氷枕(実際はタイで買った湯たんぽ)に水を入れて持って来てくれた。
それまで熱を冷まそうという気持ちはなかった。しばらく水枕を使うが
直ぐに暖かくなっています。冷凍室にいれ氷にした。また、
濡れたタオルを冷凍室に入れておでこに当て、熱を冷ました。
今朝、7度9分に。少し熱が下がったので朝食のおかゆを食べる。
昼食は冷たいうどん。夕食もおかゆ。今夜の様子を見て明日の
活動を決める予定である。メール受信18通、送信11通。
今日も1日フラフラ状態。
今日は北朝鮮の金日正の63回目の「ご生誕」記念日。
ということは、JASSの福田副代表も23回目の
誕生日ということになる。誕生日おめでとうございます。
投稿者 koyama : 18:59 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月15日
国際ソロプチミスト帯広みどり「子どもの家」訪問ー京都産業大学3日目
午前8時半、国際ソロプチミスト帯広の皆さん(10人)が
泊まっているセンチュリーリバーサイドホテルへ。
ベトナム事務所のハンさんと合流。「子どもの家」へ案内。
「子どもの家」では子どもたちの歓迎の歌と踊り。
ソロプチミストの皆さんからは石鹸や衣類などの寄贈があった。
いつものことながら、ソロプチミスト帯広みどりの皆さんに感謝。
ドゥオック君の「はな」に合わせてソロプチミストの皆さんが、
手話で歌詞を表現。
交流;歓迎会の後、「子どもの家」の各施設を案内する。
丁度、京都産業大学の学生さんの半分が「子どもの家」で
子どもたちに「習字」「ピアノ」「折り紙」などを教える授業に
入っていた。
言葉は通じなくても何とか工夫をして「意思を伝えようと」
ど努力している学生さん。日本の学生さん楽しんで交流している
子どもたち。
●子どもたちに習字を教える学生
「子どもの家」の各施設案内が終わった頃、強い吐き気とめまいがし
立っていられず、「子どもの家」のスタッフルームの椅子に座る。
ちょうど、ラームさんがいて、タクシーを呼んでくれた。
今日は午後8時過ぎまでソロプチミストの皆さんの案内があったのだが
これ以上、案内をするのは無理と判断し、トンチンカンホテルへ帰る。
そのまま部屋で寝る。食欲なし。午後、ミンさんから「知り合いの医者が
部屋に行くから」との電話があり、医師が来る。血圧測定、聴診器で
の診察。何か薬を飲んでいるのか、と聞かれ心臓病の薬を飲んでいる
と答える。医師は、解熱剤などの投与は心臓病の薬と競合すると
怖いので薬は出さないとのこと。結局、そのまま安静にするようにとの
ことで帰る。
熱は38度をくだらない、。これで3日間38度から38度5分の間。
急に甘い「おしるこ」が食べたくなり、料理を作ってくれるフオンさんに
電話。私は甘いものはほとんど口にしないが、年に何度か、
無性に甘いものが食べたくなる時がある。
午後6時、料理のフオンさんが部屋に「オレンジの生絞り」「生姜湯」
「おしるこ」を持って来てくれる。おしるこを小茶碗一杯食べる。
これからあと2週間ほど、私の日程は毎日決まっている。
早く体調を回復しなければならない。
投稿者 koyama : 20:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月14日
京都産業大学第2日目ー 国際ソロプチミスト帯広みどりフエ着
昨夜から8度5分の熱が下がらず。ミンさんも風邪。
1ヶ月ぶりに3人の日本語教師と食事をする。
3人とも元気に旅行をしていたとのこと。
午前7時40分、バオミンホテルへ京都産業大学スタディーツアーを
出迎えに行く。ホテルでベトナム事務所員を紹介。
22人の京都産業大学スタディーツアーに皆さんと
一緒に「子どもの家」へ。
「子どもの家」では子どもたちの歓迎の歌と踊り。
その後、「子どもの家」の各施設をミンさんとサンさんが案内。
午前9時から40分ほど、「子どもの家」の創立とその意味に
ついて話す。
午後は京都産業大学のベトナム語講座があったが、立っていられず
休ませてもらう。サンさん、ラームさんがベトナム語講座を行う。
その間、私は部屋で寝ている。熱は相変わらず下がらない。
咳と寒気。倦怠。午後6時まで部屋で仮眠。
6時半、迎えのバスが来て国際ソロプチミスト帯広みどりの
皆さん(10人)を出迎えにフエ空港へ。
午後8時、フエ市内の食堂で「フォー」を食べる。
午後9時、センチュリーリバーサイドホテルへ。
その後、午後9時半、ミンさんと里子のA君の家へ。
詳細は「続きを読む」を
A君は「子どもの家」の創立時に「子どもの家」へ入所。
5年ほどして母親が「子どもを引き取りたい」と言ってきた。
母親は未婚の母。地雷で片足が吹き飛び義足である。
私たちは「A君を学校へ通わせる」「母親も仕事をする」
との条件を付けて「在宅支援」をすることにした。
その後、A君は勉強を続け、成績も常に最優秀。
3年前にはフエ科学大学コンピュータ科に合格。
来年の7月には卒業し、就職するところまで来ていた。
今朝、A君がベトナム事務所のハンさんの所にやって来て
「2日前から母親が行方不明になっている。フエのテレビで
行方を捜したいのでお金をください」と言ってきた。
ハンさんは、A君に600円のテレビで捜索する費用を
出しだそうだ。
午後3時頃、ミンさんから私に電話があり「A君の母親が
フォン川に入水自殺し、死体が上がったと警察から連絡が
あった」とのこと。
私はミンさんに「急いでA君の家へ行き状況を見てきて欲しい」
と頼む。ミンさんからの報告によると、隣におじさんがいるが、
貧しくお葬式を出すことが出来ない。シクロの運転手や近所の人が
家に集まっているとのこと。しかし、誰も葬式をあげるお金がなく、
A君は母親の入水自殺のショックで何も考えることが出来ず
ただおろおろしているだけとのことだだった。
今日は、京都産業大学、国際ソロプチミスト帯広などの
皆さんの案内で忙しく、A君の家へ行く時間がなかった。
国際ソロプチミスト帯広の皆さんをホテルへ送り
今日の日程が全て終わった午後9時半、ミンさんと
一緒にA君の家へ行く。近所の人が家の前に道路にいた。
お線香を上げて、唯一の親戚である叔父さんを呼び、
「明日の朝、子どもの家にロック寮長をここに派遣する。
お金を持ってくるので、必要なものは全てロックさんに言って
くれれば、費用は出します」と話す。叔父さんも喜んでいた。
A君は何も話せず、ただ泣いていた。私は「お葬式の
費用は全てJASSが出すから安心しなさい。今後、
大学も応援もする。苦しい出来事だが、乗り越えて欲しい」と
話す。
母親の入水自殺の真相は不明。
トンチンカンホテル戻ったのは、午後10時過ぎ。
体が棒のようになってしまう。頭痛、寒気・・・。
A君に取っては今日、今、誰かが行って励まして
やらねければならない。
投稿者 koyama : 23:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月13日
京都産業大学学生(22人)フエ到着
昨日から寒気と鼻水が出ていたが、とうとう今日、
風邪を引く。気管支炎か? 胸が痛くなるような咳、
38度5分の発熱。午前中、近畿青年会議所に提出する
ボランティア作業、食事等の計画、全体的な見積りなどを
書き送信。
朝食はおかゆ5勺。午後は苦しくなり寝ていた。
腰に「ホカロン」を貼り暖め、梅干湯を飲む。
夕方、10年前に教えたフエ師範大学日本語クラスの
教え子が新年の挨拶にやって来た。ラームさんやミンさん、
ハンさんと同級生。
二人とも10年前に私がホーチミン市の日本企業に就職を
世話した。ジューキと大和合成。二人ともかなりの高給取りに
なっていた。
カンボジアやラオス、タイなどへ休暇旅行に行っていた
3人の日本語学校教師が無事トンチンカンに帰って来た。
大きな事故もなくほっとする。
午後6時30分、京都産業大学スタディーツアーを出向かえに
フエ空港へ。ラームさん、ミンさん、サンさんと。
午後7時20分、22人の学生と引率の先生(一人)が無事、
フエ空港へ到着。
●学生と全員写真
バオミンホテル着午後8時半。部屋割りなどをし、午後9時半に
トンチンカンホテルの自室へ戻る。かなりきつい状況。
明日から11日間、京都産業大学スタディーツアーのお世話をする。
学生さんたちは大変礼儀正しく驚く。「今時の学生は・・」などという人
に是非、見て欲しい学生さんたちである。
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2005年02月12日
京都産業大学・和歌山JCツアーの最終準備
今朝4時頃、突然の豪雨。明け方寒い。
終日曇天。
午前9時、東京平和産業事務所で京都産業大学ツアー最終準備。
参加者 ミン、ラーム、サン、小山。
3人の日本人教師はカンボジア、タイなどへ旅行中。
明日から京都産業大学ツアー(23人)が2週間やってくる。
2月15日から3日間、国際ソロプチミスト帯広ーみどり(12人)が
やってくる。この両ツアーの準備がしっかり出来ているのか
最終チェック。いくつ大きな問題が出てくる。
4月21日から23日までの3日間「子どもの家」でボランティア作業
をする近畿青年会議所(100人)の事前準備を打ち合わせする。
「子どもの家」でヤキソバ、焼肉、カレーライスなどを子どもたちと
一緒に作る予定。1日半かけて「子どもの家」の中庭のコンクリート
の張替え、「子どもの家」1階の鉄枠の手すりの総改修、
オートバイ研修センターの空き地に建築予定の縫製工場の
整地という3つの作業を行う。そのための見積り、手順等を
最終的に打ち合わせをする。
午後3時、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に「子どもの家」へ。
近畿青年会議所ボランティア訪問についてセン委員長などと
細部の打ち合わせをする。
「子どもの家」は今日で正月最終日。(1月4日)
親戚の家などへ行っている子どもたちもいるが、「子どもの家」
で正月を愉しんでいる子どもたちも多い。
●お正月を愉しむ男の子たち
今日は旧暦1月4日。ベトナムのお正月は、旧暦12月31日の
大晦日に先祖や神々が家に帰ってくると考えている。家に帰って
来た先祖や神々は旧暦1月4日にあの世に帰るそうだ。
「子どもの家」の正面玄関にも「お正月おめでとう」の横断幕が。
「子どもの家」の玄関には先祖や神々にご馳走が並べられていた。
「子どもの家」スタッフと記念撮影
2月10日にフエへ戻ったが、お正月。料理を作ってくれるベトナム人も
休み。10日、11日、12日、13日と自炊。炊飯器で5勺のお米を
5分がゆにして炊く。炊き上がりに玉子を溶いていれる。
みじんぎりにした長ネギを乗せて食べる。
「湛山除名ー小日本主義の運命」(佐高信著:岩波書店)を読む。
日本滞在中は忙しく、疲労困憊。フエに戻ると暖かく・スギ花粉症も
なく、多少精神的な余裕が出来る。佐高信は石橋湛山か石原莞爾か
と今の日本の針路を問うている。
投稿者 koyama : 21:06 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月11日
1月3日 フエはお正月真っ只中
昨夜はタクシーがなくなりフエ市内のトンチンカンホテル着が9時。
その後、夕食を作り就寝は午後11時半(日本時間午前1時半)となった。
今日は6時に起床。快晴。気温28度。
どう仕様もない日本の寒さと「杉花粉症」から解放さてほっとしている。
8時半にトンチンカンホテル1階の東京平和産業
事務所でラームさん、ミンさんと打ち合わせ。
①総会の内容、日本の状況
②静岡市ーフエ市友好都市提携を中心とした諸問題
③和歌山JCツアー準備
④その他
午前10時、ミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
和歌山JCツアーのボランティア体験で庭の改修を行う。
「子どもの家」の庭は舗装されてから7年たち、でこぼこが
目立つ。子どもたちは裸足でサッカーをしているが
かなり危険。また、「子どもの家」1階の鉄の柵も出来てから
相当経ち錆びて朽ちている。和歌山JCの皆さん(100人)
は「子どもの家」の庭に7センチのコンリートを上塗りしてくれる。
また、1階の鉄柵を全て解体し、新しくコンクリートの手すりを
作ってくれることとなった。今日は業者と作業の手順、見積りの
打ち合わせ。4月21日、22日、23日の3日間、100人の
近畿青年会議所員が参加し作業を行う。
●朽ち果てた鉄柵
「子どもの家」で業者・セン運営委員長と打ち合わせ。
●セン運営委員長、ミン・ベトナム事務所長、建築業者、小山
「子どもの家」は正月。卒業生が遊びに来ていた。
LY君(テレビ東京のドキュメンタリー人間劇場)、
僧侶になるTHUONG君(オお寺で修行中)。
次に業者と一緒にオートバイ研修センターへ。
オートバイ研修センターの空き地に縫製工場を作る予定である。
和歌山JCは、縫製工場の整地ボランティアをしてくれるとのこと。
業者と縫製工場建築の手順、和歌山JCにどんな仕事をして
もらったら良いのかを相談。
縫製工場近くのサッカー場にはお正月の臨時見世物が出ていた。
多少怪しい店である。子どもたちはもらった僅かなお年玉を
ルーレットにかけて商品をもらったり、簡易遊園地で遊んでいた。
50年ほど前にも日本にはこんな素朴な風景があったなあ、
と子どもたち時代を思い出す。この素朴さ、純朴さは「ドイモイ政策」
の経済至上主義・拝金主義の中で早晩なくなっていくことは確実で
ある。「近代化」「発展」とはこうしたものを一気に飲み込み、捨て去り
全国どこでもおなじ風景・「金太郎飴社会」を作り出す
過程でもある。ベトナムは間違いなく日本がかつて辿った道を
歩んでいるように思えてならない。大事な「人間」を切り売りし
「経済発展」「見せ掛けの豊かさ」を追求しているのだろうか?
今日の日本の実態を見るべきである。
午前11時、ミンさんと一緒にニエン外務部長宅へ新年の
挨拶 ニエン外務部長の友人であるブンメトートの銀行の社長
たちと新年の「お神酒」を飲む。
投稿者 koyama : 22:55 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月10日
フエへ帰る
午前6時過ぎ自宅を出て地下鉄三田線西台駅へ。
巣鴨経由日暮里。スカイラーナーで成田へ。
成田着午前8時過ぎ。チェックインの手続き。
予想以上に成田空港はごった返していた。
午前10時発のベトナム空港機で成田発の予定だったが
30分ほど出発が遅れる。午後12時ごろ昼食が出る。
ビール、ウイスキー、ワインを飲む。ちょっと飲みすぎだが
今日はベトナムの1月2日。まだ松の内。新年祝賀。
ホーチミン市行きの飛行機はほぼ満席。60歳以上の
退職者とおぼしき方々で機内は圧倒されていた。皆さん
元気がいい。
機内で石原莞爾の「最終戦争論」を読む。
昭和15年(1940年)に講演した内容。
石原莞爾(かんじ)は満州傀儡国を作り上げた張本人。
ちょうど65年前の5月29日に京都で講演した講演録。
石原莞爾は関東軍参謀、参謀本部作戦課長などを歴任。
総力戦の体制が出来ていないとして日中戦争不拡大を
主張し東条英機と対立し、第16師団長を罷免された。
石原の主張は1940年時点で「今後30年から50年の
うちに世界最終戦争が起こる。この戦争は一発あたると
何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像
もされないような大威力のもの」が発明され、世界最終戦争
が起こると原爆・水爆を予測している。この戦争は、アングロサクソン代表の
アメリカと東亜の日本との戦いになると予想している。
石原莞爾は軍人であるがかなり冷静な、ある意味で覚めた目で
世界をみている。ヒトラーに対しても厳しい批判をしている。
本の最後に行くと、日蓮宗と戦争論が渾然とし非科学的な世界に
入り、世界最終戦争が「天皇が世界の天皇であらせられるべきもの
なのか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという
人類の最も重大な運命が決定されであろうと思うのであります」
といい、民族協和を掲げた「満州国」と東亜連盟が世界を制覇する
基礎となると考えたようである。大きな時代の転換点でその時の
理論的指導者が何を考え行動したのかを知る良い教科書である。
今から見ればアナクロニズムのお手本でもある。その後65年。
戦犯とファシズムの亡霊が今蘇って来ている。
戦争指導者がどのような思考回路で戦争を始めたのかを知る上で
大いに参考になる。
石原莞爾は1949年に死亡。戦後は全面武力放棄を唱えたそうだ。
午後2時半(日本時間午後4時半)ホーチミン空港着。
ホーチミン市は33度。私も半袖。
ホーチミンのタンソンニャット空港で3時間待ち、午後6時に
プロペラ機でホーチミン空港を出てフエへ。
フエのフーバイ空港着午後7時40分。気温24度。
空港にはタクシーが1台もなかった。
今日は正月2日。ベトナム事務所の某スタッフに聞いたら
「正月でも空港にはタクシーはたくさんあります」と
言われ安心していたのだが・・・。
急いでラームさんに電話。ラームさんがタクシー会社に
電話してくれたが、タクシーがない。お正月は運転手さんも
休みとのこと。私以外の乗客はそれぞれ車を手配していた
ようで、次々に迎えの車が来て去っていく。
そのうち空港の電気が全て切られてしまう。
真っ暗な中、街灯の明かりを頼りに車を待つ。
とうとう私以外の人は全て車で去って行った。
1時間後にやっと知り合いの車が来る。
トンチンカンホテル着午後9時(日本時間午後11時)過ぎ。
17時間の旅だった。
投稿者 koyama : 23:31 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月09日
1月・2月滞在日程終了 明日フエ帰国
今日で1月・2月日本滞在日程20日間が終了。
今日はフエ帰国の諸準備。
買い物など・・・・。
帰国荷物の整理。部屋の荷物等の整理。
最終日の今日は家族の「最後の晩餐」。
午後高島平団地内の市場で買い物。
夕食の準備。市場で「ナマコ」、サバ、蛸、里芋等を買う。
里芋7つで99円。夕食を作る。
豆腐とねぎ、油揚げの味噌汁。
今夜作った夕食で自画自賛したい夕食は「里芋の煮っころがし」。
日本滞在日程も今日で終了。
今回、講演会数は6回と少なかったが、各地への
訪問回数は多かった。
●栃木県宇都宮市
●静岡県三島市
●静岡県富士市
●和歌山市
●京都市
今回20日間の日本滞在中、休みは4日間。
かなりきつい日程ではあった。
・縫製工場建設の打合わせ。
・和歌山青年会議所ボランティアツアー打合わせ
・静岡市ーフエ市友好都市提携打合わせ
・各地の支援者との打合わせ
・高校クラス会のような会合出席で旧交を温め、3月17日からの
高校クラス会のような会ツアーの打合わせ
などを行った。この20日間、お世話になった皆様に
心からお礼申し上げたい。
1/20(木) 帰国
1/21(金)12:00宇都宮縫製工業組合佐藤理事長懇談(雀宮)
22 (土) 12:00 静岡関係者 三島駅
P7 ウォ-タ-ビジョン講演会 静岡県三島市(30人)
23 (日) P5役員会総会議案(池袋 滝沢)
24 (月) P12静岡県 芝川町立柚野中学校講演会(99人)
25(火)支援者面談 13:00(帯広:芳村様)
26(水)
27(木)10:30 杉並区井荻中講演会担当者打ち合わせ
28(金)2:30原宿ヤングファッション研究会
P6:30 高校クラス会ベトナム旅行打ち合わせ
29(土)P4:20 羽田→関空(和歌山JC)
P7和歌山JCツアー打合わせ会(30人)
30(日)10:30伊丹→羽田 P1:30JASS日本事務所会議
31(月)9:40 都立第4商業講演会(20人)
2/01(火)P5法政大学 (NPO人間環境ネットワ-ク21)講演会(20人)
A6:35ミンさん関空着
02(水)7:33東京駅発 京都着 P12神川さん懇談
P4伴仲さん懇談 P6京滋YOUの会懇親会(ミンさんと)
03(木)A11:30京都産業大ツアー関係者懇談
P1:30京都→東京
04(金)P1:30井荻中学校講演会(40人)
05(土)
06(日)2004年度JASS総会(60人)
A10:30日本事務所会議
P1:30 総会 P5反省会
07(月)出国準備 バオミンさん帰国
08(火)A10 榊原記念クリニック通院
09(水)出国準備
10(木)A10成田発 午後8時フエ着
講演回数 6回
人数 239人
投稿者 koyama : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月08日
榊原記念クリニックへ通院
午前8時に自宅を出て榊原記念クリニックへ。
榊原記念クリニックは新宿の都庁前の「NSビル」の4階にある。
都営地下鉄で西台から春日へ。春日から大江戸線で都庁前。
都庁前を歩いた。数十人のホームレスの人たちが横になったり
寝ていたりしていた。ひとあたり都庁前を歩く。ホームレスの人たちを
見ていると多くの人たちは私と同年齢かそれ以上である。
どうみても人生をはかなんで「世捨て人」になったようには思えない。
仕事がない、リストラにあった人たちのように見えた。
都庁前のホームレスの人々を見ていると「ひと事には思えない」。
「いつか自分もこうなるのか?」との思いが重く私の心の深層を覆った。
今の私の人生と生活は本質的にはホームレスと紙一重である。
心電図、診療、投薬。病院に3時間ほど滞在。
前回採血の結果を知らされる。コレステロールが基準値の3倍、
善玉コレステロールが基準値より低いとのこと。
その足でかっぱ橋問屋街へ行き、必需品のいくつかを買う。
今日は雨。風もありとても寒かった。
投稿者 koyama : 18:57 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月07日
ミンさん帰国 1日休養
総会参加のため訪日していたベトナム事務所長の
バオミンさんは、午前10時成田発のベトナム航空機で
ベトナムへ帰国。今夜、8時半頃、フエ着。
成田空港には福田・西山副代表、福田勝夫・洋子ご夫妻が
見送りに行ってくれた。感謝。ミンさん、ご苦労様でした。
昨日、JASS総会が終了。ほっとする。
朝からかなり多くのメールの受信・送信を行う。
体調はかなり良くなる。
朝食はおかゆ。
午後3時半、徒歩20分の所にある高島平団地内の市場へ買い物。
夕食の準備をする。寒い。底冷えがする。買い物は
さば1本(400円)、ごぼう(3本100円)、人参、ブロッコリー、
桜海老、ほうれそう、長ネギ、レンコン・・・・。
旬の野菜は安い。安い野菜を買う。
夕食は「サバの竜田揚げ」。
サバを三枚におろし、6つの切り身にする。生姜と醤油に
30分ほど漬けておく。片栗粉をつけ初めは中火、仕上げは
強火であげる。サバの皮が少しこげて何ともいえない美味。
「小海老と野菜のかき揚げ」。小エビと人参、たまねぎ、ねぎを
玉子入りてんぷら粉であげる。レンコンのてんぷら。
今日は「てんぷら粉」を使ってみたが、意外と美味しく出来た。
フライパンで出来るだけ少なく油を使ってみた。
「玉子とねぎ・豆腐のおすまし」。しっかりと出汁をとり、
塩とお酒を入れ、隠し味に醤油を少しいれる。ねぎを
細切りにし溶いた玉子と同時にだし汁にいれ、1~2分で
火を止める。さっぱりした「おすまし」が出来上がる。
今夜の夕飯は油が多いのでさっぱりおすましとした。
こうして自分で料理を作るのが今の私にとっては一番の
息抜きである。自分で作った美味しい料理(?)を
家族で食べると疲れも取れる。
妻はいつも一人で食事をしている。私が帰国し、家に
居る時は出来るだけ食事を作り、一緒に食事を摂るように
している。今夜は次男も一緒に世間話をしながら夕食を摂る。
している。
投稿者 koyama : 22:37 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月06日
JASS第11回総会
午前9時過ぎに自宅を出て北区教育会館へ。
今日は第11回JASS総会。午前10時半から
日本事務所会議。総会へ向けた最終打合わせ。
総会提案諸議題を担当者が提案し確認。
午後1時半、総会開会。吉岡さん、佐藤さんの司会。
参加者は60名
小山開会挨拶
2008年(3年後)を目標にJASSの基本的な役割を終わらせたいと
決意を語る。
続いて長い任期を終えて帰国した「3人娘」の帰国挨拶
福田・坂本・西山さん
総会第1議案は2004年の活動報告
ベトナム事務所総括はミンさん、日本事務所関連総括は寒河江さん
続いて会計報告を山西会計部長が、財政監査報告を北垣さんが
行う。
総括の一環として各地の会からの活動報告
・茨城ー火炎樹の会(古谷清さん)
総会の最後に新役員選出
代表は小山
副代表 山西・福田・若林・西山
日本事務所長 寒河江
ベトナム事務所長 バオミン
7年前に静岡市立西奈中学校で私が講演をした時に中学1年生で
私の話を聞いた笠井先生の教え子(大学生)も参加
午後4時半、第11回JASS総会は無事終了。
その後、王子駅まで懇親会。20名ほど参加。
帰宅午後9時。
総会会場で「タッチセラフィー」の大極さんから花粉症などの
お灸のつぼを教えてもらう。お灸も頂く。
家に帰り早速花粉症対策のお灸を背中に据える。
投稿者 koyama : 23:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月05日
三重苦? ミンさんはJASSスタデイーツアー参加者と懇談
午前中、大阪の志村隆夫氏に「ガラス額入りの刺繍」を
送る。志村氏は2004年9月、フエ市王宮で行われた
「子どもの家」創立10周年記念式典にも参加。
年間60万円もの奨学金を「ファンダンルー高校」「フエ農業大学」
の生徒・学生に贈呈している。
1月20日にフエから日本へ帰国する際、フエ農業大学から
2月9日のテト正月(旧正月)のお祝いに志村さんに届けて
欲しいとのことで日本へ持ち帰った。ガラスの額に入っているの
でベトナムから日本へ持ってくるのにかなり気を使った。
1時間ほど外に出たが、直ぐにくしゃみと目の痒みの症状が
出てきた。その後、午後はくしゃみがとまらない。鼻水が
ドーッと出てきて困っている。
口内炎が治らず食事がしっかりできない。今朝もおかゆ。
1月20日から今日までの17日間で休めた日は
1日だけだった。疲れた。
口内炎、疲労、杉花粉症の三重苦で情けない状況。
早くフエに帰りたい。
明日は第11回JASS総会。
刺繍額を送るついでに買い物。
ゴボウと人参が99円だったので買う。
家に帰り「金平ゴボウ」を作る。
セロリ(99円)、大根(99円)も買い
糠漬けにする。今は寒いので糠が漬かるのに
2日間かかる。明後日あたり美味しい糠漬けが出来る。
訪日したミンさんは昨年8月末に実施したJASSスタディーツアー
参加者と上野動物園へ。夜は柏市内のお好み焼きやで
スタディーツアー参加者と懇談会。
森田さん、加藤さん、山田さん、渡辺君・・・・。
日本へ帰って17日間。昨日も乳児がイトーヨーカドーの
遊び場で刺されて殺された。車の中で6人の若者が
練炭を使って自殺。殺人事件が報道されない日はない。
テレビや新聞を読むと必ず殺人事件の報道。
安心して町を歩いたり、家にいることすら恐怖を感ずる
日本となってしまった。人間と命が紙切れのように
扱われる悲しい現実である。安心して暮らせる
ベトナムが恋しくなった。
投稿者 koyama : 18:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月04日
杉並区青少年委員会講演会
11時半過ぎに自宅を出て、巣鴨→池袋→高田の馬場→
井荻。午後1時20分着。徒歩15分、今日の講演会場の
杉並区立井荻中学校へ午後1時半に到着。
校長室で校長先生、教頭先生と懇談。直ぐに杉並区
教育委員会の方も来られる。
今日の講演会の担当でもある海老沼さんと打合わせ。
午後2時から講演会。約40人の方々の参加。
地元中小学校の校長先生、PTA役員の方々など。
●井荻中での講演会の様子(写真は海老沼様提供)
午後4時過ぎ講演会終了。その後、校長室で
午後5時位まで懇談。帰宅午後7時。
投稿者 koyama : 20:19 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月03日
京都産業大関係者と懇談
午前7時半、ミンさんとホテル内のレストランで
バイキングの朝食。体調悪く、ヨーグルトと温泉玉子、
野菜、豆腐などを食べる。
午前10時45分、ホテルフロントで三津川君と落ち合い、
チェックアウトをし、京都駅へ。
京都駅前のセンチュリーホテルロビーで京都産業大の
関係者と会い、2月13日からの京都産業大の「子どもの家」
訪問(2週間)の打合わせを行う。
午後1時過ぎ、京都駅で京滋YOUの会の税田さんと合流し
新幹線へ。税田さんは、仕事で横浜まで。
午後4時過ぎ、東京駅で福田副代表との出迎えを受け
ミンさんの宿泊ホテルの上野へ。ミンさんは午後7時から
池袋で歓迎会がある。
私は疲れていたので今日の歓迎会は失礼し自宅へ。
口内炎はなかなか治らない。
京滋YOUの会の関係者の中に「手作りの靴」を作って
くれる方がいる。昨年6月、足の採寸をしてもらい、
11月に調整をし、今回オーダーの靴が出来上がった。
足にぴったりしている。本当に履きやすい。
京滋YOUの会の会員の豊田さんから「九条」という吟醸酒を
頂く。九条を飲んで憲法九条を守ろうという運動だそうだ。
蔵元は俳優の佐々木蔵之介の実家である「佐々木酒造」。
1本3980円。憲法九条を守る吟醸酒「九条」をご希望の
方は以下にご連絡を。
FAX 075-361-3751 豊田商店
電話 075-211-9520
投稿者 koyama : 17:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月02日
京滋YOUの会へ ミンさんと合流
午前5時起床。午前6時過ぎに自宅を出て巣鴨経由東京駅へ。
午前7時半東京発の新幹線で京都へ。昨夜、就寝が午前1時
だったの新幹線に乗ったら直ぐに寝てしまう。
1時間半程して目を開けると車外は雪一色。浜松を過ぎた辺りか?
しばらくすると車内放送で「近畿地方が大雪のため徐行運転をしています。
京都までは1時間ほど遅れる予定」とのこと。
結局、京都に着いたのが、予定の午前9時55分から1時間程遅れ
午前11時過ぎ。京都駅では前川さん藤井さん、ミンさん、
三津川さんが出迎えてくれる。
京都は11センチの積雪。370台の車がスリップし交通事故を起こす。
京都で最初に「子どもの家」を支援してくれた
元国際ソロプチミスト京都ー西山の神川さんのお宅を訪問
する予定だったが、神川さんのお宅付近も大雪のため
私たちが訪問出来ないとのこと。神川さんがわざわざ京都市内まで
出てきてくれるということになった。
午後12時、京都市内で神川さんとお会いし、長期にわたる
「子どもの家」への支援のお礼を言う。
午後4時から元京都青年会議所代表の伴仲さんと市内でお会いし
懇談。伴仲さんは数年前に京都青年会議所会員
120人を連れて「子どもの家」を訪問し、ボランティア体験を行い
多額の支援金を寄金してくれた。大変心のある方。
久しぶりに親交を暖める。
午後6時から京滋YOUの会主催の現地報告会。
20人の会員支援者が参加。ミンさんの挨拶。
大阪からは地球の歩き方ツアーに参加した中島君も参加。
また、「子どもの家」に何度も来ている三津川君は
ミンさんを案内して雪の金閣寺などを案内した。
京滋YOUの会の懇談会は午後10時半終了。
投稿者 koyama : 17:14 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月01日
法政大学「人間環境ネット21」講演会
午前8時過ぎ、ミン・ベトナム事務所長が関西空港へ到着。
5人の中国人とミンさんだけが入管別室で「取調べ」を受ける。
電話でミンさんと話をする。元気な様子だった。
無事(?)日本へ着いてほっとする。
午後3時過ぎ自宅を出て飯田橋へ。徒歩10分、法政大学。
寒い。とにかくすごく寒い。
人間環境ネット21主催の講演会。
高校生、大学生、社会人など20人程が参加。
●講演会参加者
途中から寒河江・日本事務所長も参加(人間環境ネットの川崎先生と)
講演会終了後、参加者と「二次会」へ。
自宅着午前12時過ぎ。
明日は、午前6時半に自宅を出て新幹線で京都へ。