« 2009年07月 | メイン | 2010年04月 »
2009年08月30日
ピースボートのレオさんと懇談:緊急ベトナム事務所員会議
民主党の大勝、自民党の惨敗は、歴史の流れ。
当然の結果である。民主党中心とした政権の樹立。
問題山積ではあるが、こうした経験を通して、私たち
国民は民主主義と新しい世の中を作っていくのである。
私たちの建設的な民主政権に対する批判が必要である。
ベトナム時間、午後6時(日本時間午後8時)での
民主党の圧勝・自民党の惨敗を知る。
自民党の『大物』が次々に落選。
大物だろうと何だろうと結局は主権者である国民の
『召使』である。ご主人は主権者である国民である。
武部元幹事長にしろ、中川酔っ払い大臣、伊吹元財務大臣敗北、
山崎拓艶聞副総裁の落選にしろ、片山さつき、佐藤ゆかりなど
小泉チルドレン、海部元総理の落選,笹川自民総務会長・町村信考の
敗北、公明党の北側幹事長の落選、与謝野馨財務相の敗北
公明の冬芝鉄三落選などは国民を舐めた人間の末路と私は思う。
憲法を無視してきた自民党の大物の皆さんが憲法で
規定された主権者である国民から「落選」の烙印を押されたことは、
皮肉なことではある。
国民が自民党に「お灸を据えた」のではなく、
自民党への解体宣言の引導を渡したと私は理解
している。(日本時間午後9時)
=============
午前5時半起床。
午前6時2合のご飯を炊く。途中停電。困ったことである。
午前7時、朝食。
5勺のご飯。昨夜の日本料理店の残りをおかずにする。
コロッケ、マカロニサラダ、空芯菜のニンニク炒め
半分ほどしか食べられなかった。
午前8時、ベトナム事務所へ。
ピースボートのレオさんがベトナム事務所を訪問。
9月1日、2日のピースボート乗船者30数名の
「子どもの家」訪問の打ち合わせ。
午前4時半にフエを出て、私、ソン君、フエ市人民委員会
のイックホアンがダナン港へ出迎えに行く。
午前9時、臨時ベトナム事務所員会議。
9月1日・2日、バオミンさんがフエ市人民委員会の
通訳としてエクアドルへ10日間ほど出張する。
その間のベトナム事務所の運営体制・責任体制の
確認を行う。9月は一番スタディーツアーが多い。
各スタディーツアーの担当者の任務の確認を行う。
今日は日曜日で休日ではあるが、ベトナム事務所員を
緊急に開く。休日でありながらのベトナム事務所員会議
への参加に感謝している。
午前10時、地球の歩き方スタディーツアーは
ナムドンへ。税田さん、ソン君、リー君が添乗。
午後12時半、「ハイリーホテル」へ。
1時間ほど昼寝。
読書「三四郎」
午後3時、この一週間ほどの受信メールを読む。
必要なメールを送信。
午後6時、NHKのラジオジャパンで総選挙の中継を
聞く。
午後7時(日本時間午後9時)、政権交代を祝し、
個人的に祝杯を上げる。
朝食の残りを夕食とする。
午後7時半(日本時間午後9時半)、税田さんから電話。
ベトナムのテレビでも日本の選挙結果が報道されているとのこと。
麻生氏、鳩山氏の映像が放映されているとのこと。
日本の政権交代はそれなりに世界に関心と影響を与える
ことではある。
2009年08月29日
NHANさんの退所式:大学生協晩餐会
主権者の意思ではっきりと「政権交代」を示そう
明日(30日)は衆議院議員選挙の投票日。
私は残念ながら投票できない。
「世直し」と貧困をなくし、みんなが幸せになる政治に
変わることを願う。60年近く続いた政治は既にその任務を終え、
退場する歴史的な時期に来ている。「政権交代」は
日本の歴史的な要請と必然性がある。
明治維新の時も1945年の敗戦時も日本人は大きな
社会転換に挑戦している。今回は第3回目の大きな
社会転換の第一歩となる政治選挙。歴史に残るような
国民・主権者の選択結果がでることを期待している。
有権者・主権者はこぞって投票しよう。普段、どんなに
不満を言っても主権者の投票権を放棄しては文句は言えない。
自分の身の回りの社会と政治、と世の中を変える絶好・最大の
チャンスである。投票してからレジャーやデートへ。
個人的には「泡」のような投票マシンであった「83人」の
小泉チルドレン全員の落選、2世・3世議員の落選を願う。
更に『酔っ払い大臣』、『ホリエモンは子供です、弟です元幹事長』
郵政民営化反対をしたのに自民党に復党した無節操な議員
全員、「神の国元首相」などの落選を願う。
毎日新聞8月30日の社説には、一票の重みは例えれば
80万円の価値があると書かれている。
日本の国の予算が80兆円。1億人で割ると一人80万円の
負担をすることになる。(飽くまで理論上の話だが)
80万円の価値がある投票権を捨てる手はないと思う。
このHPを見た若者の皆さん。「子どもの家」を訪問された
皆さん。是非、80万円の理論上の価値のある投票権を
行使しよう。一人一人の「一票が世の中と、一人一人の
生活を変えることにつながる」。今日の午後8時まで投票可能。
8月30日の主要各紙の社説
(朝日)きょう投票―政治を引き受ける君へ
(注)若者への投票を呼びかける
(毎日)きょう審判 未来を選択する1票に
(注)最終的に若者への投票を呼びかける
(読売)1票が日本の進路を決める
(注)最終部分で若者への投票呼びかけ
(東京)一票に魂を込めて
(注)政権交代選挙と位置づけ、最後には
若者への投票を呼びかけている
個人的には東京新聞の社説が一番説得力を持っている
ように思えた。「魂」を込めてと『魂」という言葉を使うまでには
相当の関係者ないの論議があったのでは?
他社の社説が例年通りなのに比べ、東京新聞だけが
「魂を込めて」という言葉を使い、今回の選挙の歴史的な
重要性を強調しているように思えた。
========================
快晴 猛暑
午前5時起床。
読書「三四郎」(夏目漱石著:新潮社)
熊本から東大に入学した三四郎。
明治後期の時代背景が読み取れる。
本郷から上富士、根津、音羽、護国寺、大塚、田端、
九段など私の生活圏だった地域の明治後期当時の
描写あり。
最近、停電が多い。一昨日は1日停電。
インターネットが止まってしまうことも度々。
予定していた通りに仕事が出来ない。常に仕事の
計画が狂う。困ったものである。
午前7時朝食。ブンボー
今日は地球の歩き方(33人)、大学生協(3人)の
二つのスタディーツアー。
大学生協は「縫製研修センター」視察・フエ平和村
その後、ナムドン山岳地帯へ少数民族との交流。
バオミンさん・リー君が添乗。
地球の歩き方ツアーは午前中「子どもの家」で
こどもたちと伝統遊びの交流(クアン・アン)
午後は、シクロで「子どもの家」へ。一緒に夕食をつくり
「子どもの家」でこどもたちと夕食を摂る。(税田・ソン)
バオミンさんと電話でいくつかの問題の打ち合わせ
午前9時ベトナム事務所へ。途中、電動バイクが
故障。自転車屋さんへ持っていくが、電動バイクは
特殊なバイクなのでタイヤがないとのこと。
フエ市内の主なお店に買いに行ってもらうが、売っていない。
税田さん、ハンさんとタクシーで「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のNHAN(ニャン)さんの退所式。
ニャンさんと父親
ニャンさんは3年前、「子どもの家」に入所。フエ郊外の農村。
母親が病気。子供が5人。ニャンさんは田舎の農村では
成績が良かった。しかし、家庭の経済状況を自分なりに
考え、就職を決意。父親がなんとか学校へ行かせたいと
テレビや近所の人から聞いたとのことで「子どもの家」に
やって来た。私とバオミンさんロック寮長で実際にNHANさんの
家へ実情を視察に行く。確かに貧しい。台所には
真っ黒に焦げた鍋と3つの石がおいてあった。
その前にセメント袋に入った落花生の皮が20袋ほど
積み上げてあった。乾かしてある落花生の皮を何に
使うのか父親に聞いた。食事作りの「燃料」にするとのこと。
早速、センさん・ロック寮長たちと協議。入所を決める。
成績がよく、高校はフエ科学大学にある理系の特別高校生
コースに入学。
今年の夏、大学を受験。フエ医科大学とホーチミン貿易大学
の2校に合格。
ベトナム事務所や父親、関係者はフエ医科大に入学し、
医師になり、社会に貢献するよう話したが、本人は
ホーチミン貿易大に入りたいと意見を曲げないまま、
退所することとなった。ホーチミン貿易大はベトナムでも
NO2かNO3の名門大学。本人は、奨学金やアルバイトを
してホーチミン市で生活するとの断固とした決意を述べる。
私やセン委員長、父親は本人の固い決意を知り、
NHANさんの意見に追随する。
ホーチミン貿易大でしっかりと勉強し、4年後に卒業。
その後、兄弟と家族をしっかりと支えて欲しい。
私の望むことは唯一つである。
退所申請書にサインする父親と退所を強く望むNHANさん
最終的にNHANさんのホーチミン市行きを了承し、
退所承認書にサインするセン委員長
最後にNHANさんの健康とホーチミン市での生活の安全と
成功を祈り、全員で記念撮影
「子どもの家」には2ヶ月前に突然家出をした「フン君」(23歳)が
突然戻ってきた。「ハイリーホテル」にいた「ハイ君」の弟。
セン委員長、ロック寮長と話し合う。
「子どもの家」では、地球の歩き方スタディーツアーの
皆さんとこどもたちが交流
午前10時半、税田さん、ハンさんとベトナム事務所へ戻る。
電動バイクはやはり使えない。
ハンさんの旦那さんのオートバイの後ろに乗せてもらい
「ハイリーホテル」へ帰る。
午前11時半、昼食。
「ハイリーホテル」の前にある多数の「お墓」が宅地のため
造成されている。
午後12時半から1時間ほど昼寝。熟睡。
読書「三四郎」
午後2時半。この10日間ほどの間に溜まった返事を出すべき
メールをチェックし、返事を書く。2時間半かかる。
午後6時半。大学生協スタディーツアー(3人)と
最後の晩餐会。日本料理店にて。バオミンさんと私が参加。
なすの煮浸し
空芯菜のニンニク・ゴマ炒め
マカロニサラダ
今日は14人の来客。タイ人7人。オーストラリア人2人。
日本人4人。ベトナム人1人。
午後9時、閉店。
電動バイクが壊れたため自転車で帰宅。良い運動になる。
2009年08月28日
地球の歩き方4講演会:北星学園昼食会:フエ高等師範学長懇談:静大留学生家族夕食会
快晴 猛暑
午前4時起床。忙しくて時間がなく書けなかった
日記2日分を書く。
午前7時朝食。キャッサバ芋の麺
今日は3つのスタディーツアーが来ている。
地球の歩き方4班「子どもの家」で交流 午後ベトナム語講座
北星学園大(7人)は午前中フエでの活動の反省会・午後王宮
大学生協(3人)は「子どもの家」で食事つくり、午後ホーチミン市
ベトナム事務所員は3つのスタディーツアーの担当を分担。
それぞれ夜9時過ぎまでの忙しい1日を過ごした。
午前7時半、静岡大学と電話で留学生問題についていくつかの
緊急電話連絡。問題解決
午前8時、ベトナム事務所。
地球の歩き方4班(33人)がベトナム事務所来訪。
ベトナム事務所員紹介。
バオミンさんが地球の歩き方の皆さんを引率し「子どもの家」へ。
私は、静岡大学留学生3人にフーン先生と奨学金申請書作成
を指導 願書から志望動機、帰国後の活動、自己PRなどを
各600字程度の日本語で出願者自身が書くという申請書。
午前9時、電動バイクで「子どもの家」へ。
午前9時半から10時45分まで地球の歩き方(33人)の
皆さんに講演会。「子どもの家」の活動の始め、
国際支援論の変化、子供と現地の自立問題・・・。
8月9月で14回の講演会を行う。1週間2回のペース。
講演会後、「子どもの家」のこどもたちとの文化交流
初めにセン委員長の歓迎の挨拶
歓迎の踊り
交流会中、急いで日本料理店へ。
午前11時半から北星学園大学の昼食反省会。
北星学園大学は「子どもの家」のこどもたちと交流をしながら、
日本料理店実習、フエ高等師範日本語学科での授業実習を
行った。日本料理店で日本料理を食べながら実習等の反省を
行う。
私は久しぶりにお寿司が食べたくなり、「寿司B」(小盛り)
を頼む。
午後12時半、北星学園大反省会は終了
午後1時「ハイリーホテル」へ戻る。
3人の留学生の奨学金申請書に添付する私の「推薦状」
を書く。3人の家庭状況、成績、奨学金申請が必要な
具体的事情を書く。ほぼ2時間かけ書き上げる。
午後3時過ぎ、フエ高等師範大学長と懇談
現在、私はフエ高等師範大日本語学科の顧問をしている。
今後の日本語学科運営の基本的な問題を協議。
JASSベトナム事務所が一層フエ高等師範大日本語学科
支援を行うことで意見が一致。
2008年11月18日、静岡大学教育学部とフエ高等師範大は
学部間交流の協定書を締結した。その中には、留学生の
交換がある。フエ高等師範大から静岡大学教育学部への
留学生の派遣問題を協議。
午後4時半、静岡大学留学生3人の奨学金申請書が全て
完成。一人ずつの申請書6枚を全て点検、写真等の確認。
出来上がった申請書を北星学園大の引率の先生に
お願いし、成田空港から奨学金支給財団へ郵送して頂くよう
お願いに行く。
午後6時、フエ郊外のレストランへ。
私、バオミンさん、税田さん、フーン先生、原田先生。
静岡大学留学生の家族が、留学生の訪日と支援した
JASSベトナム事務所の関係者と夕食会を共にする。
3家族を代表して、3年前までフエ師範大教授だった父親
が留学に際してのお世話に感謝する言葉。
3家庭でベトナム事務所員にお礼の贈り物(刺繍・・・・・・)
留学生・その家族、ベトナム事務所員で留学生の前途を祝い
乾杯
懇談会は午後8時半まで続く。
午後8時40分日本料理店へ。今日は9人の来客。
シンガポール人2人、タイ人7人。リー君が真面目に働いていた。
午後9時過ぎ日本料理店閉店。こどもたちと一緒に
片づけを行い、大塚さんと一緒に電動バイクで
「ハイリーホテル」へ。
長く、忙しい1日だった。メールをあける時間もなかった。
なんとかこれで1年間かけた静岡大学への第1回目の
留学生派遣が終わった。引き続き、第2回・3回目の
留学生派遣を始めなければならない。
2009年08月27日
全国大学生協ツアー:静大留学生奨学金申し込み:「子どもの家」スタッフ夕食会
曇天
午前6時半起床。昨晩、大塚さん、税田さんと午前0時まで
話し込んでしまい、睡眠不足で起きられず。
午前7時朝食。
午前7時半、ベトナム事務所へ。
午前8時、大学生協スタディーツアーの皆さんに
ベトナム事務所員を紹介。
バオミンさんは地球の歩き方出迎えのためホーチミン空港へ。
私とハンさんで「子どもの家」へ。
ハンさんが「子どもの家」の諸施設を案内する。
「子どもの家」のこどもたちはパソコン室でゲームをしたり
ワードやエクセルなを使い遊んでいた。
午前9時半から午前10時半過ぎまで私の話。
ツアー参加者3人という少数ではあるが、熱心に話を聞いてくれ
質問などもあった。
午前10時40分。「子どもの家」のこどもたちとの文化交流
セン運営委員長の挨拶
大学生協ツアー側は「小さな世界」を歌う。
その後、こどもたちと輪になってもう一度「小さな世界」
をこどもたちと一緒に歌う。
その後、こどもたちとしばらく交流・遊び。
午後11時半、私とハンさんの案内で昼食レストランへ。
午後1時半、「ハイリーホテル」に戻り30分ほど横になる。
午後3時前「ハイリーホテル」へ。
静大留学生に奨学金を紹介。申請書を書かせる。
6枚ほどある申請書を全て日本語で書くようになっている。
全て留学生に書かせる。
午後5時半。時間がなくなり、明日の朝8時にベトナム事務所に
持ってくるように話す。
午後5時、留学生の3家族の両親がベトナム事務所へ。
昨年から1年間、留学説明会、留学生面接、日本語教育、
留学相談、家庭訪問などとお付き合いをした。
3家族の両親は「留学に際しお世話になったの夕食会を
したい」とのこと。8月28日午後6時からの夕食会を受ける。
午後6時、「子どもの家」スタッフ全員を招待し、日本料理店
で夕食会。
今日は地球の歩き方、北星学園とスタディーツアーも二つあり
私と日本語主任のフーン先生しか出席できず。
今夜の「子どもの家」スタッフ招待の目的は、8月・9月の
スタディーツアーの今日が丁度「真ん中」になる。
既に約1ヶ月間、多くのスタディーツアーが「子どもの家」を
訪問した。「子どもの家」スタッフが見えないところで様々な
準備・協力をしてくれたからこそ、多くのスタディーツアーは
大成功のうちに終わり、帰国している。8月9月スタディーツアー
の前半の終わりに辺り、この1ヶ月の奮闘に感謝し、更に9月末
まで続くスタディーツアー訪問への協力の依頼。
私の一番好きな「豚の角煮」。豚の脂が適度に乗っていて美味。
天ぷらも美味しい
マカロニサラダ
ひやむぎ
ロックさん、キクアンさん、ニエムさんとは16年間の付き合いで
ある。
グエット接客主任・りー(元店長)もかつての先生の前で
一所懸命、仕事をし、先生たちにサービスしていた。
「子どもの家」スタッフも10数年間、面倒を見たこどもたち
がこうして日本料理店でしっかりと仕事をしている現場を
見て、自分たちの仕事の大きな意味を感じているようで
あった。
午後8時半閉会。
こどもたちと「子どもの家」スタッフで記念写真。
多くのこどもたちは5歳位から「子どもの家」で
お世話になっている。
午後9時、「ハイリーホテル」へ帰り、静大留学生の奨学金申請書
に添付する私の『推薦状』を手書きで書く。
1時間程で睡魔に襲われ、仕事途中で寝てしまう。
2009年08月26日
フエ市人民委員会ニエン外務部長・副部長と懇談
快晴
午前6時起床。
午前7時朝食。
昨日から大塚さんの部屋のエヤコンが故障。
室温40度近く、湿度70%程度の部屋での生活を余儀なく
されている。昨日、業者に連絡。室外機を持っていってしまう。
大塚さんは昨夜、エヤコンの着いている4階の空いている部屋で
寝た。
今日の午前中、業者が室外機の取り付け。
ガスがなくたっていた模様。
午前中、ボランティア貯金中間報告書の最終点検。
多くのメールに目を通し、返事を出す。
静大留学生の奨学金問題のメールを読み、申請書などの
件を検討する。
午前11時半、昼食。
午後12時半から1時間ほど昼寝。
一時停電。
午後2時読書。「三四郎」(夏目漱石著)
午後3時、受信メールを読み、必要なメール送信。多量。
午後5時、日本料理店へ。
現在北海道の北星学園大学のスタディーツアー(5人)
が来ている。日本料理店手伝いの研修、日本語学校教師の
実習を行う。
丁度、今夜はフエ市人民委員会外務部長ニエン氏、
副部長イックホアン氏(私がフエ師範大学で教えた第1期生)
と当面の諸問題について話し合いを行う。
北星学園大学の学生さんも接客の実習を行う。
厨房では大塚さんや「子どもの家」のこどもたちの指導で
天ぷらなど注文のあった料理実習も行う。
今夜は来客が多い。タイ人の来客。フエで仕事をしている人たちで
1週間に一度か2度は来店してくれる。必ず、カレーを食べる。
ヨーロッパ系の来客も多い。
午後9時過ぎまで私とバオミンさんは、外務部長・副部長と
様々な問題や状況などについて話し合う。
午後9時過ぎ閉店。
「ハイリーホテル」へ戻る。静大奨学金の件で各種資料を
見る。
就寝午前0時。
2009年08月25日
北海道北星学園大学スタディーツアー:地球の歩き方3班ホーチミン市へ
快晴 気温35度以上 蒸し暑い。
午前6時起床。
午前7時朝食
午前8時、ホアフンホテルへ。北海道北星学園大学
スタディーツアー来訪。スタディーツアーのミンさん7人と
「子どもの家」へ。「子どもの家」のこどもたちと一緒に
近くの「タイロック市場へ昼食』の買い物
北星学園大学の学生さん
タイロック市場で
タイロック市場で昼食の食材を買い、「子どもの家」の
厨房で昼食の料理をこどもたちと一緒にする。
北星学園大学の学生さんは真面目でこどもたちと
一緒に食事作りを楽しむ。
食事つくりを途中で終え、ソン君の案内で「子どもの家」の
諸施設を参観する。
こどもたちは引き続き昼食つくり。
午前9時40分過ぎ、小山講演会。1時間。
「子どもの家」の始まり、この16年間でボランティア・国際
協力についての考えがどのようの変化してきたかを話す。
「子どもの家」のこどもたちとの文化交流
セン委員長の挨拶
こどもたちの歓迎の踊り
北星学園大学の「よさこいソーラン踊り」
文化交流会が終わり昼食。こどもたちと一緒に。
午後12時、北星学園大学の昼食を終え、ホテルへ。
私は「ハイリーホテル」へ戻り30分ほど昼寝。
午後2時半、地球の歩き方3班フエ空港へ。
ベトナム航空から1時間の遅延の連絡あり。
添乗員さんも1時間の飛行機の遅延に苦慮している
30数個のスーツケース
地球の歩き方の皆さん、ホテルを後にする
フエ空港到着。私とバオミンさんが同乗。
ピースインツアーの添乗員さんが懇切丁寧にチェックインの手続き
の説明をしている。
地球の歩き方3班の皆さんは心のある真面目な学生だった。
日本の未来を託したい。
午後5時半、日本料理店で夕食。
今日は9人の来客。午後9時過ぎ閉店。
「ハイリーホテル」へ帰る。
本当に忙しい一日だった。
2009年08月24日
静岡大学留学生家族説明会:地球の歩き方3最後の晩餐会
晴天 気温35度以上
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー
午前8時半、静岡大学工学部ニフィー留学生と親を呼んでの
最後の説明会。静岡大学フエ連絡事務所としての仕事。
3人の留学生の母親や父親が参集。
私から以下の説明をする。
①初年度に限り50万円の支援金を支給。
②授業料は事実上免除
③宿泊量の値段
④学生研究災害保険・後援会費
⑤国民健康保険加入
⑥国際交流会館での生活とその費用
(1ヶ月の家賃がほぼ11000円。食費等生活費3万円)
⑦教材費 最初の半年2500円程度、その後の半年5万円程度。
⑧予備費などを入れて、20万円程度お金が当初必要。
⑨パソコンは大学にあり、ID、パスワードを作れば使用可能。
(家族とSKYPEでの通信をするよう指導)
⑩9月24日、ホーチミン空港で私と留学生が合流し、
9月25日朝成田着。その後、「マブチ国際育英資金」の面接試験。
⑪9月24日・25日・26日・27日の4日間、可能なら東京の
どなたかの家で「ホームステー」を希望。受け入れて1日でも
良いので受け入れ可能な方を募集。4日間で東京見物なとを
させてやる予定。
その後、質疑応答となり、必要なお金は心配なので「小山さんに
持ってもらいたい」「ホーチミン空港まで家族で見送りに行きたい」
など様々な要望が出た。
最後に日本大使館に提出する「留学生ビザ」申請書の書き方を
教える。
数日中にハノイの大使館に留学生ビザ申請を行う予定。
1年半以上かかった静岡大学工学部ニフィー留学生の
第一期生が何とか日本へいけそうである。
午前8時半~午前10時半まで説明会はかかる。
ベトナム事務所にフエンさんのお父さんが来ていた。
フエンさんは、一昨年前に日本料理店を突然退職し
以前私たちがやっていたい日本料理店をそのまま使って
やっているA氏に給料をたくさん出すとそそのかされ
突然我が日本料理店を退職し、A氏の日本料理店に
行った「子どもの家」のこどもであるが、数ヶ月で
解雇され、私たちの日本料理店で仕事をしたいと
行ってきたが、断る。
現在はスーパーの売り子をしている。
父親は、支援をして欲しいと何回かベトナム事務所に
来ている。今日は、亡くなった奥さんの法事があるので
是非出席来て欲しいとの話だったが、私がスタディーツアー
の案内が入っているのでお断りする。
午前11時半、バオミンさんたちと「チャオ・バイン・カイン」の店で
昼食。
午後12時半、「ハイリーホテル」へ帰る。
1時間ほど昼寝。
読書「三四郎:夏目漱石著:新潮社)
午後2時半からボランティア貯金中間報告を書き始める。
午後6時過ぎ完了。15枚の写真を添付し、渡辺和代さん、
山西司郎さんに送信。
引き続き2010年4月~2011年3月までのボランティア貯金
の申請書(9月30日締め切り)を書き始める。
8月・9月はスタディーツアーで日程が一杯である。
各種申請書など書く時間がない。しかしどうしても
書かなければならない。スタディーツアーの合間を見て
時間を調整し、約1万字程度の申請書を書く予定。
9月10日位までには仕上げるつもり。
午後6時半、ベトナム事務所。今晩は地球の歩き方3の
最後の晩餐会。
今回は33人の参加者があった。
男子参加者7人がお揃いのベトナム国旗のついたTシャツを着て
来店。
ピースインツアーの添乗員さんから、今夜の飲み物代は
全額ピースインツアーが支払う、「飲み放題」との提案があり、
参加者は多いに沸いた。
私の方から「飲み放題であるなら、フエの地ビールである
フダビールの生を是非飲んで欲しいとの提案をする。
参加者代表の方の乾杯の音頭
20歳以下の学生さんはお酒を飲まないよう厳しく注意
今晩は、日本語主任のフーン先生も参加。
晩餐会は大いに盛り上がる
新規採用のフオンさんも参加。少しずつスタディーツアーの
応対に慣れてくる。
厨房と接客、大塚さんの紹介
全員写真
午後9時近くに地球の歩き方晩餐会は終了。
その後、リー君とイン君を連れて、近くの飲み屋へ。
二人は地球の歩き方の調理と接客で飲んでいない。
全てが終わった後、少しご馳走をした。
私は午後10時過ぎに「ハイリーホテル」へ戻る。
原田先生とリー君、イン君はそのごも飲み続ける。
============================
麻生太郎さん また言っちゃいましたね。
新聞報道によると
『そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことは
しない方がいい。金がおれはない方じゃなかったけど、
結婚遅かったから」。
麻生太郎首相は23日夜、東京都内で開かれた学生主催の集会で、
少子化問題に関連してこう述べた。学生から、若者に結婚資金がなく、
結婚の遅れが少子化につながっているのではないか、
と質問されたのに答えたものだが、不況下で就職難の若者らの気持ちを
逆なでする発言とも受け取れる。』
私からの論評なし。論評の価値さえない。
いつまでこの人は暴言と下品な言葉を言い続けるのか?
8月30日で終わりになる(なって欲しい)政権ではあるが。
期日前投票が前回の1、5倍になっているという。
有権者の投票にかける気持ちが強いということだ。
都議会議員選挙とほぼ同じ傾向が分かる。
結果も・・・・。
今度の選挙は「政権選択選挙」ではなく「政権交代選挙」。
こんな暴言と下品な言葉を毎日繰り返す暴言首相を
いつまでも首相にしておくわけには行かない。
主権者からの厳しい懲罰を加える最高の機会が8月30日
にやってくる。有権者は必ず選挙に行こう。
私が選挙にいけなくて本当に残念である。
今度の選挙は日本の時代を大きく画期する選挙になることは
間違いない。
2009年08月23日
ベトナム中部空港会議
晴天 気温高し
午前6時半起床。
午前7時、停電。
午前8時、モーリンホテルへ。
今日はベトナム中部空港会議。内容は、ハノイ、ホーチミンなどの
国際空港に入っている20数カ国の航空会社(JALなども含む)
とベトナム全土の主な観光会社(サイゴンツーリスト・・・)の
合同会議。今後、フエ省などベトナム中部への旅行者を
もっと増やそうという、ベトナム政府・ベトナム航空とフエ省の主催に
よるもの。
会場には数百人の参加者があった。
それぞれ事前に招待状が出され、着席する席には、名札が
付けられ、席も決まっていた。
フエ省共産党委員長、フエ省知事、文化担当副知事、
ベトナム航空社長、フエ空港社長、ハノイ観光省幹部
などが出席。
午前8時過ぎから開会の演芸会。
フエ伝統の踊りや楽器演奏などがあった。
午前8時40分(午前8時の予定だが、ベトナム時間)、開会。
インドネシア大使をはじめ、ルフトハンザなど世界の航空会社
の役員が参加。
●フエ知事の挨拶
フエ省の説明
●文化・スポーツ副局長がフエの歴史手文化遺産について説明
●フエ遺跡保存センター副所長の説明
●フーバイ空港社長の説明
●キャセーパシフック航空の意見発表
●ベトナム航空の意見発表
政府・フエ省の意見は、今後更に観光客を増やすために
インフラの整備などを行うとのこと。
海外航空会社の意見は、フエにはランコーリゾート、
100に近い遺跡など観光のメッカだ。今後、増便し
観光客を誘致したいという意見。
こうした意見陳述が続き、ティーブレイクをはさみ
午後12時まで。その後、ランチパーティー。
午後1時半終了。
今回の会議はベトナム政府・フエ省・フエ市、大手観光会社
そして海外20数カ国の航空会社が集まった会議である。
JASSのような弱小団体の参加する会議ではない。
各参加者の意見をつぶさに聞いた。
ベトナム政府や地元行政は、今後観光客を増やし収益を
上げたいということに尽きる。海外航空会社も同様で
観光客を増やし増便したいとのこと。ベトナム大手の
観光会社も同様の意見。
こうした「行け行け増収路線」にかなりの違和感を感じた。
その前にやることがあるのでは・・・・・。
ベトナム航空はタイムスケジュールの変更が日常化している。
計画的なベトナム旅行が出来ないのが現実である。
観光客が安心してベトナム旅行が出来ない。
先日は私のホーチミン →フエEチケットがベトナム航空の
担当者によって勝手にキャンセルされてしまった。
ベトナム航空は謝罪のひとつもしない。
サービスも悪い。空港のスタッフはいつも威張っている。
こうした「ソフト」の部分を本当に直していかないと、
「増収」「増便」という掛け声を上げても意味がない。
航空会社・旅行会社としての最低の義務も果たさないで
「金儲けだけ」に狂奔している醜い姿をありありとみた
会議であった。海外航空会社もお偉いさんばかりが出席し、
Eチケットが勝手にキャンセルされている現実を誰も知らない。
かなり疲れた会議であった。
フエ省共産党委員長のマン氏の秘書が来て、マン氏が
私に会いたいといっているとのこと。マン氏にあう。
今日はバオミンさんがJASSスタディーツアーの見送りに
ホーチミン空港に行っているので一人で参加。
昼過ぎ、「ハイリーホテル」に帰り昼寝。食事をする意欲なし。
午後3時、ボランティア貯金中間報告作成。
読書「1Q84 BOO2」を読了。
村上春樹の「1Q84」2冊を読んだ。どんな感想を言えばよいの
だろうか? 品性のない本と言うのが私の感想。
性的なことを必要以上に露出している。意味がない。
ある程度の表現は人間としての必要性を認めるが、
必要以上の記述は品性を落とす。
率直な感想は、無駄な時間を過ごしたということに尽きる。
「ノルウエーの森」から何を言わんとししているのか良く
分からない作者であったが、今回の「1Q84」は
結構推理小説風の「この先どうなるのだろう」と期待を持たせる
構成になっていたが、結局、村上春樹はこの本で何を言いたい
のかが分からないまま終わってしまった。現実と虚実の間を
行っり来たりしている。
文章を吟味して書いていない。平易ではあるが文章に
含蓄がない。読んで見て「何を言っているのか分からない」
私の能力がないのか? 作者の訴える力が弱いのか?
ベストセラーになる意味が分からない。
村上春樹は1949年生まれ。早稲田大学文学に7年間
在籍した。1960年後半、早稲田文学部は「革マル」の拠点。
本書の随所に政治的な内容をオブラート包んで提出している。
村上春樹も70年安保闘争に何らかの形で参加した世代である。
スターリンを抽象的な形ではあるが罪悪者として表現している。
午後6時、地球の歩き方スタディーツアーの添乗員さんと
会食打ち合わせ。
午後8時半、バオミンさんと電話でいくつかの問題に
ついて話す。
===============
麻生おじさん またいっちゃいましたね・・・・・
「麻生太郎首相は22日、兵庫県佐用町の豪雨災害の現場を視察した後、記者団に対し「まだ行方不明が2名見つかっていない。亡くなられた方がいるので、心からご冥福をお祈り申し上げる。引き続き捜査、捜索に当たっている方々が努力しておられると思うが、ぜひ遺体が見つかるように今後とも努力をしていただきたい」と述べた。首相側はその後、秘書官を通じて「遺体」を「行方不明者」に訂正した。」(共同)
麻生首相は相手や家族・親族の気持ちを推し量る能力に著しく欠如している。
豪雨災害で行方不明の方々が亡くなっている可能性が高いかも知れない。
しかし、「遺体」といってしまっては、捜索活動中の関係者の「何とか生存
していて欲しい」という人間的な願いを全く理解できない人間と思われしまう。
多分、理解できないのであろう。野中広務元自民党幹事長が「麻生さんが
最初に福岡で立候補した時の第一声は『下々のみなさん』だった」と
いっている。庶民や国民の気持ちを理解する能力はないとみた。
2009年08月22日
JASSスタディーツアーホーチミン市へ
晴天 気温35度
午前6時起床。
午前6時半、JASSスタディーツアーの皆さんが
「ハイリーホテル」へ。
一緒にフエ空港へ。6日間のフエでの活動を終え
ホーチミン市へ。
午前7時、フエ空港着。
バオミンさんはJASSスタディーツアーの皆さんと
一緒にホーチミン市へ。今日はクーチトンネルなどを視察。
今夜の便で皆さんは成田へ。
チェックインの手続きをする
午前7時半、JASSスタディーツアーの皆さんとお別れ。
こどもたちを引率してきた森田さん、加藤さん、山田さんに
「ご苦労様」と言いたい。
午前8時半、「ハイリーホテル」へ戻る。朝食を摂っていない。
レトルロのおかゆを一袋食す。
午前10時半、静岡大学の滝下さんと留学生訪日の件で
SKYPEで打ち合わせ。細かい点の意思統一を行う。
ボランティア貯金中間報告関連の基礎資料を熟読する。
午前11時20分、昼食。
ご飯、豚肉の甘辛煮、空芯菜のニンニク炒め、冬瓜スープ
午後12時半から1時間半昼寝。
読書「1Q84 BOOK2」の3分の2程を読む終わる。
終盤に入り、筆致が低調。内容も陳腐なものになってくる。
1巻目の行き詰るような迫力がなくなり、あの世の話、
荒唐無稽の話に入り込む。
午後3時過ぎ、10通のメール受信。
8通のメール送信。
ボランティア貯金中間報告を書き始める。
午後6時、地球の歩き方スタディーツアー添乗員さんと
電話。地球の歩き方スタディーツアーは今夜は自由食事。
添乗員さんと食事をしながら今後の地球の歩き方ツアーの
勧め方を話し合うことにする。
午後7時、日本料理店で地球の歩き方添乗員さんと落ち合う。
食事をしながら地球の歩き方スタディーツアーの問題点を
解明し、今後の改善点などを率直に出し合い、今後も
地球の歩き方スタディーツアーを成功させようとの意思統一を
行う。
日本料理店は来客で一杯。午後9時の閉店までいたが、
合計19名の来客。日本人5人、欧米系、タイ人、ベトナム人。
午後9時過ぎ日本料理店の片づけをし「ハイリーホテル」へ
帰る。
2009年08月21日
地球の歩き方ツアー(33人)来訪:JASSツアー晩餐会
快晴 気温35度以上の猛暑
夏のフエはそこに住むだけで大きな「闘い」である。
午前6時起床。
午前7時朝食。おかゆ
午前7時半過ぎ、ベトナム事務所へ。
午前8時、地球の歩き方スタディーツアー(33人)の皆さんが
ベトナム事務所へ。ベトナム事務所スタッフ紹介。
バオミンさんはJASSスタディーツアーの添乗、ソン君は
神奈川県スタディーツアーをフエ空港まで見送り。
2台のバスに分乗し「子どもの家」へ。
33人の参加者を税田さんグループ、ハンさんグループに
分け、「子どもの家」の各施設案内を1時間ほど行う。
9時45分から10時45分まで私の講演会
午前10時45分。「子どもの家」との文化交流が始まる。
最初にセン委員長の挨拶(通訳はハンさん)
「子どもの家」のこどもたちの歓迎の踊り
今年は、こどもたちが自分たちで新しい踊りを考えた
地球の歩き方スタディーツアー参加者の出し物
33人の参加者はホーチミン飛行場で初めて知り合った仲。
「子どもの家」での出し物を相談する時間もない。
そんな中で、ベトナム事務所から「子どもの家」までの
15分位の間に出し物を相談し、歌の練習をしていた。
代表の挨拶
皆で歌を歌う
午前11時半、「子どもの家」の交流会を終え、昼食レストランへ。
日本流に言うと『かたヤキソバ』。
午後12時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
1時間ほど昼寝。
「1Q84 BOO2」(村上春樹著:新潮社)を読む。
関係者に10通のメール送信。20通の受信。
静岡大学留学生説明会(8月25日)の準備を行う。
静岡大学工学部への3人の留学生も決まった。
9月24日にフエを発ち成田経由で静岡県浜松市へ。
日本での生活の細部(金銭的なもの、持ち物・・・・・)
を留学生と両親に説明しなければならない。
静大フエ連絡事務所の仕事。
「子どもの家」の件でバオミンさん、税田さんと
電話いくつかの打ち合わせ。
午後6時過ぎ、JASSスタディーツアー最後の晩餐会へ。
午後7時20分、JASSスタディーツアー晩餐会が始まる。
接客主任のグエットさんと接客係りのリー君で今晩の
メニューを紹介する。
JASSスタディーツアーは今回のツアーでは2回日本料理店を
利用してくれた。日本料理店のこどもたちが2回のメニューを
替えて料理を出している。
乾杯
なすの煮浸し
ジャガイモサラダ
空芯菜の和風炒め
接客係りのリー君は本当に真面目に良く仕事をしていた。
晩餐会の終盤。日本料理店スタッフ紹介。
晩餐会の最後に参加者全員のスタディーツアーに
参加しての感想発表
2回目の参加。今回はサブリーダとして参加し、勉強になった
と発言していた。
初参加で企画担当をして苦労したが、良い勉強になったとの
感想
引率責任者の森田さん、加藤さん、山田さんからも
感想あり。
全体の感想は、参加して良かったとのこと。
日本にもこうした真っ当な少年がまだ『存在』することに
ある種の喜びを感ずる。
こうした若者にベトナムスタディーツアーの機会を作って
くれた森田さん、加藤さん、山田さんに心から感謝したい。
午後8時半、JASSスタディーツアー晩餐会終了。
地球の歩き方スタディーツアーでホテル側に若干の問題あり。
私とバオミンさんで宿泊ホテルへ。
ピースインツアーの添乗員さんと打ち合わせ。
問題解決。
午後9時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
今日も長い1日であった。
明日は、午前6時半にJASSツアーをフエ空港まで
見送りに行く。
=====================
朝日新聞、読売新聞の総選挙中間予測によれば
民主党300議席。単独過半数とある。
当然ながらこうした『選挙予測」自体がまた超政治的
なものであることも事実だ。
ベトナムにいると選挙情勢・選挙情報がほとんど分からない。
インターネットで入る情報では、民主300議席・単独過半数
という主要新聞の予測に対し、麻生首相の対応は稚拙きわまり
ない。基本的にはネガティブキャンペーンである。
『民主党が日の丸をひっちゃぶいた。ふざけた話だ』という
趣旨の演説を繰り返している。「日の丸」の下
4分の1程度を切り、2枚を貼り付けると「民主党旗」になる。
鹿児島かどこかの演説会でこうした民主党旗を掲げたことを
麻生氏は捉えて攻撃している。しかし、これは支援者が
勝手に作ってきたものを現場の責任者が掲げたものであり
民主党の方針でやったことではない。この種の問題を
攻撃材料にして民主党を攻撃しているようでは、
自民党の未来はない。
今、麻生氏は「小泉元首相の行った郵政民営化は
構造改革の本丸」といった「小泉改革」をどう評価する
のかが問われている。国民は、小泉改革を「是」とうるのか
「否」とするのかを麻生自民党総裁に問うているのである。
国民は小泉改革の結果もたらされた「超格差社会」、年収
200万円以下の労働者が1000万人にもなった日本社会
の現実を「是」とするのか「否」とするのかを聞きたい
のである。民主党の党旗問題などを「ネタ」に民主党を
攻撃するのは「下の下」の戦法。
まず自らが、小泉改革に対する態度を明確にすべきである。
小泉元首相は「自民党もたまには、野党になるべきだ」と
言っているのである。麻生氏に多少でも根性があるのなら
小泉首相を批判し、小泉改革に対する自らの姿勢を
国民の前に明らかにする義務がある。
民主党旗問題を中心に演説をしているようでは、あまりに
人間が小さすぎる。敗北の道をひた走りする最高責任者
といわれてしまう。
2009年08月20日
JASSツアー「フールー小訪問」「船上生活者視察」「小山講演会」-神奈川県ツアー晩餐会
快晴 気温35度以上 暑い
午前6時起床。
午前7時朝食。
朝食の写真は「セルフタイマー10秒」で撮っている。
時々、足腰不如意のため着席できない時がある。
「ハイリーホテル」にも「シルバーシート」が必要か?
午前7時半、「ハイリーホテル」を出て、ホンザングループの
総裁ドン氏に面会。今後のツアー関連でいくつかの重要問題
を話し合う。
ついでに昨日の「馬鹿フロント主任」問題を話し、善処を要請。
総裁は謝罪。フロント主任を直接謝罪させるとのこと。
午前8時半、フォンザンホテルへ。JASSスタディーツアーの
皆さんと一緒に船上線活者の師弟が多い『フール小学校』へ
交流へ。
森田団長と校長先生
日本から持ってきた靴を贈呈
小学生のこどもたちと交流
「子どもの家」卒業生のユオンさんも3年生の担任として
しっかりと働いていた。かなり厳しい先生のように見えた。
午前10時。フールー小学校の交流を終えて、船上生活者の
皆さんの実情を視察。
午前11時、フォンザンホテル近くで下船。
JASSスタディーツアーの皆さんはバオミンさんの案内で
ドンバ市場へ。
私は体調不良のため「ハイリーホテル」へ帰宅。
途中、日本料理店に寄り、大塚さんが日本食弁当を
作ってくれたものを頂く。「ハイリーホテル」で日本食
弁当を食す。
午後12時半、昼寝。熟睡。
午後1時半、電話の音で目が覚める。
JASSスタディーツアーが午後4時半から講演会をして欲しい
との要望がるがどうするかとの電話。受け入れる。
静岡大学滝下さんからメール。返信。
いくつかのメールの返信。
フエ中央病院関連の資料を書き上げバオミンさんに送信。
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
午後4時半から午後5時半の1時間、JASSスタディーツアー
の皆さんに「人生」を話す。
午後6時半、神奈川県スタディーツアーの最後の晩餐会
今夜のメニュー。グエット接客主任とリー元店長で
説明。
午後8時半、参加者代表からお礼の言葉
私からJASSを代表してフエ訪問のお礼
午後9時半、地球の歩き方スタディーツアーがホテルへ
到着したとの連絡。
ホテルへ行き、添乗員さんとスタディーツアーの打ち合わせ。
「ハイリーホテル」着午後10時まで。
長い1日だった。気温35度以上の暑さの中での
仕事はかなり体にこたえる。朝早く、夜遅くまで
続く仕事は大事な仕事ではあるが、体力的な限界を
感じつつある今日このごろである。
2009年08月19日
JASSスタディーツアー「夏祭り」
快晴 気温35度以上
午前6時起床。右目が腫れてしまい、うっとうしい。
午前7時、朝食。マカロニスープ
午前8時半、ベトナム事務所へ。
リー君を呼んで生活上の注意を与える。
昨年日本料理店を突然「家出」し、今年の1月に戻ってきた。
その時点で日本料理店店長を「降格」となった。
最近は、日本料理店での仕事もよくやっている。
しかし、毎月20日(明日)の給料日になると、もらった
給料を一度に全部使ってしまうのか、それまでに
借金を重ねているのかは不明だが、ほぼ毎月20日の
給料日の数日後には、お金がないと言い、人にもらったり
借りたりしている。
明日は月給日。今まで同様の事態が起こらないよう
今日は時間をかけてリー君と話し合った。
2点。
1点目は仕事。これは良くやっている。更に仕事に励み
店長復活となるように、と話す。本人もその気持ちで
頑張っているといっていた。
2点目はお金の使い方。
毎月100万ドン(5000円)程度の給料をもらい、
夕食は日本料理店(30万ドン程度)で食べ、
事実上の月給は130万ドン。「縫製研修センター」の
ミシンのスタッフが70万ドンから100万ドンなので
「縫製研修センター」スタッフよりもリー君の給料の方が
優遇されていることが分かる。勤務時間もよほど短い。
リー君の最大の問題は、「持っているお金は直ぐに使い」
あとは、「人にもらうか、ご馳走してもらう」という、乞食根性
が抜けていないということである。
5歳から5年間ほどの路上生活。その後「子どもの家」を家出し
ホーチミン市での生活もほぼ路上生活に近かった。10年近くを
路上生活で過ごしてきたリー君に取っては、今持っているお金は
派手に使ってしまい、なくなれば誰かに「たかって」もらう、ご馳走
してもらえばよいという「人生哲学」が染み込んでいる。
この悪しき「人生哲学」を払拭しないと、リー君はいくら仕事を
立派にしても日常の生活がストリートチルドレンと同じでその日ぐらし
になってしまう。今日の話の中心テーマである。
100万ドンもらった給料から下宿代を引く。弟との共同生活は
止めている。一人で下宿を借りている。
下宿代を引き、更に朝食代、昼食代を引く。残ったお金で
石鹸、シャンプーなど日常生活品を買う。するとリー君の
毎日の小遣いとして残るお金は、1万ドン(50円)程度。
毎日の小遣いが1万ドン(50円)程度しかないのに
5000ドン(25円)のコーヒーを毎日何倍も飲み、
タバコを吸い、日本料理店の仕事が終わったらお酒を飲む、
こんなことをしていたら1万ドンの小遣いで足りる訳がない。
結局、欲しいだけ使い、足りなければ借金をするという
「借金地獄」に入ってしまうのである。
現在のリー君の最大の問題は、自分の欲望を抑制する
術(すべ)を少しずつ身に付けることである。
「身の丈にあった生活」ということである。
その日暮らしの生活から「計画的な日常生活」への
転換が23歳になった今でもできていないのである。
これは必ずしもリー君の責任ともいえない。
あえて言えば、彼の生い立ちの影響である。
こんな話をした。リー君は「分かった」と言ったが、
今後どのような行動に出るのか、注視する必要がある。
海外協力、国際支援などという言葉が飛び交う昨今で
あるが、リー君のこうした「計画経済生活化」への
日常生活の転換という、普通であれば自然に出来る
ことがうまく出来ないことに「根気よく」付き合いって行く
ことも海外支援・国際協力の内実なのである。
物を上げるだけが支援ではない。
「粘り強い忍耐力と相手に対する愛情と尊敬の気持ち」がないと
続かない仕事でもある。
午前10時。フォンザンホテルへ。
JASSスタディーツアーの参加者の一人が体調を崩して
フォンザンホテルにいるとの情報を得たので訪ねて見る。
ホテルフロントに行き、「お客さんが体調を崩したので
体温計を貸して欲しい」と話す。フロントの若い女性は
「体温計はない」と、そっけない返事。
私は、4つ星ホテルのフロントに体温計や多少の薬程度は
おいてないとおかしい、体温計がない訳がない、というが
若いフロント女性は偉そうな態度で「ない」、といい、
私とソン君を犬でも追うような態度で「あっちへ行け」という
ような横柄な態度をとった。こちらは、毎年何百人も
フォンザンホテルにお客を世話している。犬や猫ではない。
この舐(な)めきったフロント女性の横柄な態度を改める
必要ありと判断。
「フロントの責任者を呼んで欲しい」と話す。なかなかこない。
ようやくフロントの責任者が来る。事情を話す。
責任者は「体温計はあるが、壊れている」という。
私は「分かりました。では、急いで買ってきたらどうですか?」
という。
責任者は「買いに行きます。30分待ってください」との
馬鹿な返事。「ホテルの目の前に体温計を売っている
店があるでしょう」と私は言う。責任者は「体温計を買うには
30分かかる」と言い張る。私はソン君に頼み、ホテル前の店で
体温計を3本ばかり買ってきてもらう。その時間3分間。
「3分で買えるでしょう。何故、責任者の貴方は、そうした
努力をないのか?」と質す。「ホテルの会計システムで
お金を出すのに30分かかる」ととぼけた回答。
「お客さんの支払っている料金の中にはサービス料というのが
あるのですよ。こうした時に常識的に考えて必要なものを
提供することがサービス量なのですよ」
「貴方はサービス料というお金を取っているのであるから
体温計を直ぐに買いに行く義務がある」とフロント責任者に言う。
ベトナムに来て16年。この種の「やりあい」を何度したことか?
今回はJASSスタディーツアーの参加者の体の問題なので
しっかりと決着をつけなければならない。フロント責任者の
名前をホテルの名刺に書かせる。新しく責任者になった人の
ようだ。責任者に「貴方の対応は間違っている」と指摘したが
責任者は舐めた態度で「私が間違っているのなら社長でも誰で
も言ったら良い」との暴言を吐く。こうしたお客を舐めたスタッフ
がホンザンホテルに勤務している。責任者になったことが
「偉い人間になった」と勘違いしている人たちである。
私たちお客からすれば、偉いも「ヘッタクレ」もない。
お客が体調を崩したので体温計を貸して欲しいという
希望を叶えてくれるかどうかという「実務的」な問題だけ
である。このフロント責任者が今後どうなるのか・・・・・・。
ソン君に買ってもらった体温計を持って、JASSスタディーツアー
参加者の部屋へ。加藤さんが付いていた。
疲れと睡眠不足とのこと。熟睡している。体温を測る。
36度5分。平熱。
昼食は日本料理店の大塚さんに頼み、日本料理弁当を
作ってもらうことにする。
その足で日本料理店へ。大塚さんに事情を話し
昼食日本料理弁当を作ってもらう。
午前11時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。
洗濯。
午前11時半、昼食。
原田君と二人。大塚さんはJASSスタディーツアー参加の
3人分の日本食弁当を作る。
午後12時過ぎから1時間半ほど「昼寝」。
熟睡。疲労が溜まる。相変わらず「右目」のまぶたが
腫れている。憂鬱(ゆううつ)である。
午後2時、ブライセン本社と「SKYPE会議」。
会計問題などを話し合う。
午後3時過ぎ、いくつかの長文のメールを送信。
税田さんから電話。
その後、この間受信していて返事が出せなかったメールへの
返信を書く。
日本から2回電話あり。いくつかの問題を相談。
午後6時過ぎ、「子どもの家」へ。
JASSスタディーツアーの「夏祭り」。
午後7時、開会式。
体調を崩した男子も復調。夏祭りで大活躍。
JASSスタディーツアーの森田団長の開会の挨拶
夏祭りスタート。ベトナム事務所員は税田さん、ソン君、
アンさんと私。
加藤さんが「クレープ」を焼いている。
どこで聞きつけたのか? 「子どもの家」の卒業生3人が
やってきていた。
何故かハイ君もいる。現在は学生の下宿の警備員とのことだが
警備員が夜、「子どもの家」に来ていて仕事になるのか?
その辺は不明。
3人の卒業生の中には腕に刺青をしている子もいる。
若気の至り。
輪投げ
水あめやフルーツなどを楽しむ
午後9時、閉会。
「子どもの家」のこどもたちも暫時の夏祭りを楽しんだ。
午後9時半過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。
==========================
麻生首相に一言
8月19日付け、読売新聞HPに以下の記事が出ていた。
『麻生首相は19日、中川昭一前財務・金融担当相の地元である
北海道帯広市での街頭演説で「皆さんに大変お見苦しい形を
お見せし、心配をかけた。私の監督不行き届きをおわび申し上
げます」と述べた。
中川氏は2月の先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の
記者会見で「もうろう発言」をして引責辞任していた。
首相は「私たちは人間だから、そりゃ失敗はするよ。その失敗を
許すことができるのもまた、人間でしょうが」とも述べ、盟友の中川氏
をかばった。』
麻生首相の友人をかばう「友情」には、敬意を表する。
しかし、派遣労働者が「失敗」をしたら許される社会を
麻生首相、あなたは政治的に作りましたか? と問いたい。
派遣労働者の失敗は、直ぐに派遣切りにつながり
生活を失う。
麻生首相のような熱き友情では「律されない社会」に
住んででいる1000万人の年収200万円以下の労働者が
いる。中川酔っ払い大臣だけに友情をもつよりも
貴方の責務である国民に熱い友情を持てなかった
貴方の人間性に大きな問題があったのだ。
そのことに気づかず、中川酔っ払い大臣をいかに
かばおうが、貴方や自民党の人気は上がりませせんよ、
と言いたい。必死に「派遣切り」にならなよう毎日
頑張っている一般国民への友情をこそ表明すべきではないのか
と言いたくなる。「時期、既に遅し」。
2009年08月18日
JASSスタディーツアーに同行
快晴 35度
朝から頭痛、倦怠感あり。右目に「ものもらい」。
午前7時朝食。キャッサバ芋メン
午前8時前、ベトナム事務所へ。
午前8時半、JASSスタディーツアーの皆さん10人が
ベトナム事務所訪問。
ベトナム事務所でスタッフと自己紹介。
団長の森田さん、事務局長の加藤さん
日本連絡事務所から200部のJASS機関紙「バンベー」を
持って来てくれた。
ベトナム事務所員へのお土産
日本料理店には、大粒の梅干4箱の差し入れ
バオミンさんと私が案内をし「子どもの家」へ。
午前9時から午前10時半までの1時間半、2つのグループに
分かれ、「子どもの家」のこどもたちと一緒に町への散策。
途中からソン君も散策の手伝いにやってくる
気温35度。私は朝から体調悪く、立っているのが辛い状況。
JASSスタディーツアーの皆さんの町への散策には
参加せず、「子どもの家」1階の男子のベッドを借りて
横になっていた。
読書「1Q84」(村上春樹著:新潮社)
日本ではこの本についてどんな批評がされている
のだろうか?
私個人としては、面白い本と見た。こどもの頃読んだ
江戸川乱歩の明智小五郎の探偵小説と基本は
同じ、推理小説の形式をとっている。
読んでいてけして飽きない「エンターテイメント」を
意識して書いた本と見た。
午前10時半、1時間半の町散策を終えてJASS
スタディーツアーと「子どもの家」のこどもたちが帰って
来た。帰りは「シクロ」で帰って来るグループもあった。
午前10時45分からこどもたちと文化交流会
最初にセン運営委員長の歓迎挨拶
「子どもの家」男子の新しい出し物
JASSスタディーツアーの皆さんのドラエモンを使っての寸劇。
ベトナムのこどもたちにも通じる寸劇だったのでこどもたちも
大喜び
交流会の最後に横浜などの中学校等から集めた
体育館履きや上履きなどをJASSスタディーツアーの皆さんが
手持ちで「子どもの家」まで持ってきた。贈呈式
午前11時半、交流会終了。バオミンさんの引率で
JASSスタディーツアーは昼食レストランへ。
私は体調不良のため途中でフランスパンを買い
「ハイリーホテル」で昼食。
JASSスタディーツアーの交流会中、突然2人の
日本人若者が「子どもの家」の2階の交流会場へ
入って来ようとした。
私は「事前に予約をしていますか?」と二人に尋ねる。
「予約はしていない」という。
「子どもの家」はこどもたちの生活の場なので事前に
訪問予約をしていない人の来訪はお断りしている。
貴方たちも日本の自宅にいて突然人が家の中に
入って来たら嫌でしょうと話す。
「子どもの家」を訪問するのだったら、ベトナム事務所
に行って事前に予約をして欲しいと話す。
それでもしばらく二人の若者(男性)は交流会場の
近くにいたが、そのうち帰る。
しばらくして食堂近くを見るとホーターロン君が
新しいサッカーのボールを持っている。
「そのサッカーボールはどうしたの?」と聞く。
日本の若い男性がくれたとのこと。
二人の若者に悪意はないと思う。しかし、社会常識という
ものはある。人の家を訪ねるには事前にその可否を問う
位の最低の人間としての礼儀は必要である。
私が来訪を断っているのに私たちにも内緒で「子どもの家」
の子どもにサッカーボールを上げていってしまった。
「子どもの家」のこどもたちは「乞食」ではない。
サッカーボールは「子どもの家」にもある。
Jリーグの公式サッカーボールもある。しかし、この種の
サッカーボールを使って「子どもの家」の庭でサッカーを
すると「子どもの家」のガラスに当たり、ガラスがわれてしまう。
そうし事情があり、「子どもの家」の庭ではこどもたちは
柔らかいサッカーボールで遊んでいる。
私が言いたいのは、訪問先の事情を何も調べないで
勝手に自分たちの判断で「子どもの家」のこどもたちに
『物をあげる』という思想である。物を上げることは良いことだと
の独善的な思想を思っている。物を上げることは、こどもたち
を駄目にする、犯罪的な行為にもつながる危険があることも
理解すべきである。
「子どもの家」はこどもたちの自立、「子どもの家」そのものの
自立をめざし、生きていこうと模索している最中である。
そうしたJASSの現在の取り組みを何も調べもしないで、
突然、闖入(ちんにゅう)してきて、
自分たちの勝手な思いで私たちの許可も同意もないなかで
物を勝手に上げて行ってしまった日本の若者に言いたい。
「貴方たちの善意の気持ちは理解できなくはないが、
自分たちが全ての中心ではないのです。JASSや
「子どもの家」を支援している関係者は16年間、様々な
取り組みと苦闘し、こどもたちが自立することを模索している
のです。安易に物を上げることはしていません。こどもたち
は乞食でも物乞いでもありません。
こどもたちが安易に物をもらうのは、乞食根性だとの
教育をしています。善意の押し売りです。何かをするのであれば
そこで活動している人に話を聞いてから行動をおこすべきですよ」
と。『善意の押し売り』ほど面倒なものはない。
午後1時から1時間ほど昼寝。背中が痒い。起きて見ると
またもやベッドが「アリの行列場」と化していた。
クビなど何箇所かをアリに食われる。
多数のメール受信。ハノイでの講演会関連のメールへ返信。
静岡市役所関連返信メールを書く。
午後6時15分、夕日が沈み始めた。
午後6時半、日本料理店へ。
JASSスタディーツアー来店。夕食会を行う。
ベトナム事務所側は私とバオミンさん。
接客主任のグエットさんと接客係り(元店長)のリー君による
今晩のメニューの紹介
JASSスタディーツアー参加中学生の発声。スイカジュースで
乾杯。
JASSスタディーツアーで来る横浜の中学生は一人一人
なかなか能力があり、個性のあるこどもたちである。将来の
成長が楽しみな若者だ。
「オアシスの会」の大塚さんの指導でこどもたちが作った今夜の
食事
揚げ出し豆腐
マカロニサラダ
とんかつ
リー君も大塚さんの指導で真面目に接客・配膳の仕事を
進めていた。
JASSスタディーツアーの参加者も「子どもの家」のこどもたち
が作る夕食を堪能していた。
3日ぶりに食べるご飯と味噌汁は美味しかったとのこと。
午後8時半頃、日本料理店での夕食会を終了。
参加者はほぼ「完食状態」に近かった。「よく食べて、
よく寝ること」がアジアでの生活の基本だと話す。
===================
第45回衆議院総選挙が公示された。
公示は憲法で規定されている天皇の国事行為の一つ。
8月30日が投票日。
麻生首相が7月中に衆議院を解散し、7月中に公示されていたら
私も期日前投票が出来たのだが・・・・・・。
今回は投票できない。
さて今回の総選挙の最大の争点は何か?
私見では「政権交代選挙」である。
自公政権を止めさせ新たな政権を創造する選挙と位置づけている。
その最大の理由は、自公政権の10数年の結末が
どうだったかを検証すべきである。
労働者の3分の1が年収200万円以下の日本国を
作った責任者は政権政党の自公である。
急速な「格差社会」を作ったのも自公である。
数百万人の消えた年金、「100年安心」という詐欺年金を
作ったのも自公である。
憲法9条があり、法制上は自衛隊の海外派遣は出来ない
わが国でありながら、イラクまで自衛隊を派遣し、海外派兵
の実績と憲法と日本の国家秩序を蹂躙したのも自公である。
アメリカのイラク侵略戦争に世界で最初に賛同したのも
自公政権である。今では誰もがイラク戦争は間違った
戦争だったと言っている。自公政権はイラク戦争支持の
間違った姿勢を今でも堅持している「間違った確信犯」でもある。
イラク戦争を「支持した」諸国の多くは、イラク戦争が間違った
戦争であったことを公然と認めている。アメリカ、イギリス・・・・・。
唯一日本のみが、未だにイラク戦争が間違った戦争だった
ことを認めていない。
今度の選挙は、どうしても国民とマスコミの目が「国内」に
向いてしまうが、日本の外交、日本の世界での位置がどのような
ものになるべきかを問う選挙でもある。
今回の選挙は自公がどんな立派なことを言っても過去10数年
の「実績」は隠せない。小泉政権の詐欺的「郵政民営化」は
構造改革の本丸というスローガンを主張したのも自公。
ホリエモンを選挙に担いだのも自公。武部幹事長(当時)は
ホリエモンを「私の息子だ、弟だ」と言っていた。その反省すらない。
いまさら自公が「頑張ります」などといっても過去の
実績は消せない。
今回の選挙は自公に退場願って、新たな政権に「やらせてみる」
ことだと思う。経験がない、民主党内は安保、自衛隊、対米政策
などで一致していないなどという批判もある。それはその通りだ。
それでも過去10数年政権を担ってきた自公の体たらく政権
よりは期待が持てる政権である。期待がもてるという意味は
自公より良い政治をするという意味ではけしてない。
それでも「民主を中心にした連合政権」に一度政権をやらせる
位の日本国民の度量は必要である。
民主を中心にした連合政権がそのうち「行き詰る」ことも
なんとなく見えている。見えてはいるが、全く能力を失った
自公政権のマイナスの実績を見ると、一度「民主党中心」の
政権に任せ、その経験を日本国民が体験し、64年という
長期独裁自民党政権にさようならを言い渡す時期に来たと
思っている。
8月30日に投票が出来ないので何だかんだ言う資格はないが
それでも21世紀の日本の将来を考えると、この辺で一度
自公に引退頂き、民主にやらせ(多分うまくいかないと思う)
その経験を国民的な学習にし、次のステップに行くのが民主主義の
常道ではないかと思っている。民主主義は時間と忍耐が必要で
ある。国民的な様々な体験をする中で社会は徐々に変化していく
ものである。
今回の総選挙は、「国民的体験」の一過程とも考えられる。
政治に完璧を求めることは出来ない。私たちの選択はいつも
妥協と「それでもよりまし」なものを選ぶことである。その選択が
少しでも社会や日本の世の中を進歩させ、国民の暮らしが
少しでも安定したものになる選択である。既に戦後ほとんどの時期を
政権政党として過ごしてきた自民党は現在の政治と社会、庶民の
生活の実情と結果に「結果責任」を持っている。「これから頑張ります」
を言う立場ではない。公明党も自公連立を組み、今日のさんさんたる
日本の現状を招いた責任がある。「頑張ります」というであれば、
今まで何度もそのチャンスはあったのだ。自公は現在の日本の
状況に結果責任を持っている。
今回の選挙で共産党が小選挙区で123人も候補を減らしたことを
高く評価する。共産党は「意義としてほぼ全小選挙区」での立候補を
行っていたが、誰が考えても当選しそうもない候補者が多数いた。
結局『供託金』を何億円も取られるという馬鹿げた選挙を
していた。共産党が立候補することで実際には民主への票が
割れて、事実上自民党が勝っていた。共産党は口では「反自民」
といいながら選挙では全選挙区立候補という機械的戦術のために
事実上、自民党を当選させていたという事実は消せない。
今回の123の小選挙区での立候補取りやめは、本気で
「反自民」だなとのメッセージを国民につたえるものであり
歓迎する。
今回、300の小選挙区で123人の候補者を立てないことにした。
このことは、結局、自民党と民主との対立小選挙区では、共産党
支持者の多くは民主に入れることになる。
また「建設的野党」という立場を明確にし、民主政権が出来ても
頭から反対せずに「是々非々」で臨むとのかなり柔軟な路線を
出している。現実的な路線で評価できる。
共産党の選挙方針が『自公政権の打倒』。今までは、
自公も民主も「同じ穴のむじな論」だった。『確かな野党論』
である。
今回は明らかに自公政権打倒に重点を置いた選挙方針を出している
ように思える。(ベトナムにいるので十分な情報がないが・・・)
これから2週間の選挙期間を注視していたい。
8月30日の選挙結果をテレビ等で見ることが出来合いのは
残念である。東京都議会議員選挙の再来を期待している。
以上、公示日を迎えて、いたって私的な感想である。
「超批判的」に読んで頂ければ幸いである。
(追伸)8月19日から8月30日の間に「2泊3日」で帰国し
期日前投票か、投票は行おうと「模索」したが、
8月のスタディーツアーラッシュの中では、1日たりとも
フエを離れることは出来なかった。至極残念である。
折角の主権者の権利を放棄するのは無念だが
致し方ない。
2009年08月17日
神奈川県スタディーツアー:JASSスタディーツアー来訪
晴天 気温35度
午前7時朝食。フエ名物「ブンボー」
午前8時、ベトナム事務所。
神奈川県スタディーツアーの皆さんがベトナム事務所を訪問。
ベトナム事務所員の紹介。
神奈川県スタディーツアーよりベトナム事務所へお菓子の
差し入れ
午前8時半、私、ソン君、アンさんの3人の案内で
神奈川県スタディーツアーは「子どもの家」へ。
「子どもの家」でソン君が各施設案内を行う。
新人のアンさんはソン君の施設案内に同伴し、
施設案内の仕方を勉強する。
こどもたちは夏休みの最後を堪能している。
今年から2月のテト正月休みを2週間にするため
夏休みを10日間ほど短くした。8月の末には
新学期が始まる。
午前9時45分、各施設案内が終わり、私の
講演会となる。約1時間、ベトナムの歴史、JASSの
歴史、海外支援・海外協力でたどり着いた到達点を
話す。
午前10時45分。「子どもの家」のこどもたちとの
文化交流。
「子どもの家」セン運営委員長の歓迎の挨拶
「子どもの家」のこどもたちの歓迎の出し物
男子の最新の出し物
神奈川県スタディーツアーの出し物(歌)『森のくまさん』
踊り
午前11時半、日越文化交流を終え、「子どもの家」から
市内のレストランへ。昼食
午後1時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
1時間ほど昼寝。
読書「1Q84」。結構面白い。
午後3時、洗濯。
午後4時半、「ハイリーホテル」を出て「子どもの家」へ。
バオミンさんがホーチミン市 →ダナン →ホイアン →フエと
案内中のJASSスタディーツアーが午後5時頃、フエのホテルへ
到着。その後、「子どもの家」へ行き、夕食の予定。
私は少し早めに「子どもの家」へ。
午後5時半頃、森田団長以下のJASSスタディーツアーが
「子どもの家」へ到着。セン運営委員長に挨拶。
JASSスタディーツアー参加者全員が元気に「子どもの家」を訪問
その足で「子どもの家」と夕食。
今夜の夕食
魚の煮物、空芯菜のニンニク炒め、野菜スープ、ご飯
午後6時。「子どもの家」の日本語教室でこどもたちと交流。
初めにJASSスタディーツアーのこどもたちの自己紹介
JASSスタディーツアーのこどもたちはベトナム語で、
「子どもの家」のこどもたちは日本語で自己紹介をするための
交流を行う。お互いに日本語とベトナム語を教えあう。
こどもたち同士の交流は私たち大人が思っている以上に
早く進むものである。30分もすればすっかり打ち解けて
しまっていた。
最後の日越の歌の出し物
JASSスタディーツアーは「カエルの歌」を歌う
すっかり打ち解け頃、今夜の交流を終わる。
夜、「ハイリーホテル」へ帰る。
YAHOOのニュースを見る。
明日は衆議院選挙の公示日。
自民党前衆院議員の猪口邦子元少子化担当相が衆議院選挙
不出馬を表明したそうだ。小泉郵政選挙の際は、比例東京ブロック
の第1位だったが、今回は当選圏外の24位。順位24位では
どう考えても当選は難しい。今回の猪口氏の立候補辞退騒動を
見て、自民党と小泉チルドレンの哀れな末路を見た想いがする。
自民党はどんな事情があるにせよ、一度は東京ブロックの
第1位にランクし当選させ、少子化担当大臣までさせた人物
である。1位から極端に24位は「冷たい」処遇である。
それだけの政治家としての力量がないとの判断だったのだろう。
その判断は正しいものかもしれない。
そもそも一学者が比例第1位で当選し、直ぐに少子化担当大臣に
なり、内閣発足の写真にはどうみても「場面にそぐわない」
服装をしてきた猪口氏である。自分の力量を自分自身で
過大評価していたことに最大の弱点があった。
野中広務氏の本を読むと町会議員、町長、府会議員、
副知事と経験し、40歳代で初めて国会議員になっている。
猪口氏の自己評価があまりに甘かったということである。
推薦した小泉氏に相談した猪口氏への小泉元首相の
返事は「「(執行部は)わたしの言うことも聞いてくれないので
残念だ。しかし、人生いろいろ、総裁もいろいろだから仕方がない」
とのことだったようだ。自民党執行部の冷たさ、推薦した小泉
元首相の無責任さ、そして猪口氏の「自己評価できない甘さ」
と3つの『駄目』を象徴するような出来事である。
自民党という「自己制御」できなくなった政党の末路を
表したトピックスである。8月30日の結果が今から
見えるようである。
2009年08月16日
リー君・イン君と「ブランチ」会
晴天 気温35度
午前3時、読みかけだった「ベトナムの人権 多元的
民主化の可能性」(中野亜里著:福村出版)を読み終える。
素晴らしい本の一言に尽きる。
ベトナムについて「半可通」の学者や短期滞在者、旅行者、
そして長期滞在者で「ベトナムの専門家」などと自負している
人々に是非、一読して欲しい本である。
詳細な内容は書けない。強いて一言言えば、「この10年間
実に小まめにベトナムの現地で実態調査をしたものだ」
と言いたい。本書は、ベトナム共産党やベトナム政府を
攻撃する意図は全くない。ただ淡々と「いつ」「とこで」「だれが」
「だれに」「どんなことをされたか」が書かれている事実を
列記した本である。1975年のベトナム戦争終結後、
1976年の全土社会主義化の中で、ベトナム人の人権が
どのような実情にあるのかを、ベトナムやアメリカなどに
直接足を運び、事実を列記した本である。事実の列記ほど
説得力をもったものはない。著者の中野亜里先生の
人柄が本書に良く現れている。
ベトナム研究者と称する学者の本もかなり読んでいるが、
ほとんどが「現実」「「事実」に対しては、徹底して日和見主義
を決め込んでいる。そんな中での本書出版の意味は大きい。
詳細な内容がかけなくなく残念であるが、ベトナムの実情を
配慮しての措置である。既にこの私のブログが2回「反政府・
反社会主義」との嫌疑をかけられ、警察に告訴されている。
午前5時、再度睡眠。
午前6時、突然携帯電話がなる。慌てて起きる。
バオミンさんからの電話。
ホーチミン市に昨夜入ったスタディーツアーのA団体の
参加者1名が昨日高熱を出してホーチミン市「熱帯伝染病院」に
入院。豚インフルエンザの疑いで隔離病棟にいるとのこと。
バオミンさんは、今朝、フエ空港出発し、ホーチミン市へ行き、
JASSスタディーツアーの皆さんをダナンへ案内する。
豚インフルエンザの疑いのあるAスタディーツアーの参加者への
対応を協議。きちんとした対応が出来るよう通訳など人的
な手配をする。また、飛行機の切符のチェンジなどなの
実務をきちんとするようバオミンさんと打ち合わせをする。
(午前11時再度、ホーチミン市に着いたバオミンさんから
電話。隔離病棟に入っているAスタディーツアーの参加者は
熱も下がり、豚インフルエンザの疑いもなく退院したとのこと。)
午前7時。「1Q84 BOOK1 (4月~6月)」(村上春樹著)
を読む。
少しずつ、「青豆」と「ふかえり」のつながりの萌芽が見えてくる。
「1Q84」とは、青豆嬢が現実と「かつての現実」の区別が
出来なくなった時、その状態を「1Q84」というのだそうだ。
よく分からないが。
午前10時、「ハイリーホテル」の近くの食堂へ。
残念ながら食堂の隣で盛大な結婚式が行われていた。
例の調子で「大音響」のカラオケ大会。うるさくて
隣の食堂で食事をすることは出来ない。
リー君とイン君の案内で、予定の食堂の反対側の食堂へ
移動。
今日は7月31日にフエへ戻り、16日ぶりの「休日」。
本来は1日ゆっくり休むことにしていたのだが、
諸般の事情でリー君とイン君とブランチをすることになった。
私は朝食を摂っていないので空腹。「海鮮なべ」を食べたくなり
注文。
ブンのメン
豚肉の脂を落とした「ティット・ヘオ トム チュア」
も美味しい。海老の塩辛にニンニクと唐辛子を入れてものに
つけて食べる。美味中の美味。
お店のオーナーらしき人とは、昔、「不良仲間」だたったそうで
知り合い。意気投合し、最後まで一緒に飲む。左手に刺青。
午前11時頃、ホーチミン市にいるバオミンさんから電話。
対応を話し合う。
午後12時過ぎ、私は疲れたので「ハイリーホテル」へ
帰る。二人は更に「飲酒ブランチ」を継続。
「ハイリーホテル」に帰り、2時間ほど昼寝。
午後3時、1ヶ月半ぶりに「ハイリーホテル」の
自室を掃除。掃除機でごみを取り、モップで
床を拭く。
午後4時 読書「1Q84」(村上春樹著)
更に青豆とふかりえの関係の糸口のようなものが
見えてくる。
1960年代、70年代初頭の新左翼系の暴力路線、
「山岸会」と思われる農業耕作団体も登場し、
「ノルウエーの森」に比べると時代の出来事に
かなり接近した描写が出てくる。
午後5時、近くのスーパーへ。ハンガー20個、
タッパ4つを買う。洗濯バサミはどこを見ても
なかった。
その足でコムディア屋(ベトナム風ほか弁)。
野菜中心に。15000ドン(70円)。
午後6時前、「ハイリーホテル」に戻る。
5階の洗濯機のある洗面タンクが故障。
床に水があふれていた。
午後6時、税田さんから電話。
今夜6時20分着予定のスタディーツアーの出迎え。
午後7時半、ベトナム風ほか弁で夕食。
読書「1Q84」
午後10時、税田さんから電話。神奈川県青少年海外派遣
ツアーの皆さんが無事フエのホテルへ投宿とのこと。
午前2時まで読書。「1Q84」を90%程度読む。
推理小説風な構成。社会事象もかなり取り入れている。
通俗風小説としての条件を備え、未知数や不可解な
言葉、現象などを随所に入れ込み、更に奥へと誘って
行く。オカルト教団、極左過激派集団など1984年当時の
社会問題が話の核心の一つとなっている。
2009年08月15日
「子どもの家」卒業生 DUOC君の結婚式
64回目の敗戦記念日
改めて「再び戦争をしない」「核兵器廃絶」「憲法9条を守る」
ことを心に誓いたい。
先の戦争で亡くなられたアジアの2000万人の人々、
300万人以上の日本人の皆さんに心から哀悼の意を表したい。
こうした私の決意は、我が家が中国からの引揚者であり、
引き上げ中に兄が5歳で亡くなるという経験をもって生まれて
来たと言う生い立ちに起因する。
戦争反対とは「正義の戦争」も反対である。
正確には、「不戦」である。いかなる戦争にも反対する
不戦の立場である。
憲法9条を守る、戦争反対と言っている人々の中には
「正義の戦争」「侵略から国を守る戦争」は正当だと
の意見もある。私の立場はそうした戦争も全て悪であるとの
立場である。不戦である。戦いそのものが悪であるとの
考えである。憲法9条の思想的な裏には、この「不戦思想」
があるように思える。
ベトナムでは8月14日から9月2日までを「日本軍国主義
敗北を祝い、8月革命達成を祝す=8月革命成功記念期間」でも
ある。
同じ8月15日を迎える日本とベトナムとはその状況が
全く違う。
=====================
午前3時頃、体が「ムズムズ」するので電気をつける。
ベッドに「アリの行列」。白いシーツにアリ行列の一本の線。
理由は不明だが、ベッドがありの「通り道」となっていた。
寝ている間にありが接触したのか、体の各所が赤く
腫れていた。ベトナムでは何が起こるかわからない。直ぐに
殺虫剤を噴霧。
午前5時起床
読書「1Q84」(村上春樹著:新潮社)
青豆と言う苗字の女性(暗闇の刺殺師)の行動を追う。
同時進行で「天吾」という作家見習い(?)のような予備校数学
教師と「ふかえり」という17歳の新人賞応募者と編集長との
奇妙な行動を交互に「脈絡なし」に記述する。
2分冊の1冊目の3分の1ほどを読むが「ノルウエーの森」
程は退屈しない。殺人事件あり、読字障害の新人文学賞応募者
との関係など、今後、この「青豆」と「ふかえり」がどこで交差し
どんなすじ展開になるのか? という点に関してのみ興味が
ある。記述もたらたらし、文章の切れも悪い。意味もなく
性的描写も多い。が、今後の展開と言う一点に興味アリ。
午前7時朝食。
春雨メン。だしが効いていて美味しい。
朝食後1時間半ほど、仕事。静岡市役所関連のツアーの
見積もり、フエ中央病院関連の書類つくり。
必要なメールを受信。
洗濯。50分で洗濯脱水。その後、屋上に干し乾かす。
午前10時、バオミンさん・税田さん・ハンさんが「ハイリーホテル」へ。
今日は「子どもの家」の卒業生である「DUOC君」の結婚式。
「ハイリーホテル」から車で30分。フエ郊外の純農村で挙式は
行われた。
DUOC君は「子どもの家」創立当初から入所した子供である。
フエ空港より更にダナンよりの貧しい家庭。父親はいない。
母親はダナンで仕事をしている。80歳代の祖母と二人暮らしを
していたが、生活が出来ず、「子どもの家」へやってきた。
1996年頃のことである。
それから中学・高校と進み、フエ高等師範大学音楽科に
入学したが、諸般の事情で退学。現在は下水道工事の
労働者として生活している。
結婚式は下水道工事の会社の社長宅を借りて挙行。
会場が分からず探し、午前10時半過ぎ何とか会場を
見つけ参列。
式場前の風景
式場前には二人の写真が大型パネルに貼られていた。
既に「子どもの家」のスタッフも到着。結婚式は始まっていた。
会場は既に「カラオケ大会」と化し、大音響の中での
宴となっていた。隣の人とも話が出来ないほどの大音響での
結婚式でなければならないとしか思えない音響である。
司会者が次々と指名し、カラオケを歌う。歌う人がいないと
司会者が2曲でも3曲でも歌い、「沈黙」の間をつないでいく。
いつも大音響がなければ「盛大なお祝い」ではないとの
考えがあるようだ。
親戚の子供も正装(アオザイ)で参加。
新郎新婦は一テーブル毎に挨拶をして廻る。
7年前まで「子どもの家」で食事を作ってくれていた寮母の
フオンさんも参加していた。DUOC君の小さい時からの
母親のような存在である。
途中で私から一言挨拶をとの要望があり、お祝いを言う。
左からバオミンさん・小山・新郎新婦・DUOC君の母親
DUOC君の母親とは7年ほど前にテレビ番組の取材の際
お会いしたことがる。一人っ子であるDUOC君が成人し、
結婚するようになったことを一番喜んでいる一人である。
ここまでの人生には紆余曲折・大きな苦労があったものと
推察する。
結婚式は至って質素な家と雰囲気の中で行われた。
歌のうまいDUOC君が参列者に一曲披露する。
中学から高校時代は、日本からのツアー歓迎会には
必ずDUOC君が歓迎の歌を披露していた。
「子どもの家」スタッフ
料理も質素だが心の篭ったものであった。
アヒルを捌いた「アヒルの姿煮」
お祝いのご飯
午後12時前に結婚式は終了
「子どもの家」関係者と新郎新婦・母親と記念写真
DUOC君の小さな頃から里親を続けてくれた日本の支援者
若林節子さんの長い間のご支援に心から感謝したい。
こうした日本の支援者があったればこそ、今日の結婚式を
迎えることが出来たのである。支援とは「人間を育てること」
である。人間を育てるには「時間がかかる」。その長い時間
を費やしての支援こそ本当の支援である。
午後12時半過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。
アルコールも入り、2時間ほど昼寝。スタディーツアー対応の
疲れも出て熟睡。
午後3時過ぎ、JASS関連のいくつかの仕事を行う。
午後5時半、日本料理店へ。
こどもたちと夕食。豚肉と野菜の煮物
大塚さんからの差し入れで「軽く」飲む。
ごぼうの天ぷら (本当に美味しい) ベトナム塩をつける。
午後9時過ぎ、日本料理店閉店。来客かなりあり。
2009年08月14日
THINH(ティン)君誕生会:内田さん帰国
快晴
午前6時起床。
午前7時、朝食。おかゆ
午前7時半から半日「ハイリーホテル」は停電。
午前7時に洗濯機を作動させていた。停電で止まる。
仕方がないので多少洗剤のついた衣類を絞り、屋上に干す。
午前9時、ベトナム事務所へ。昨日の「滝遊び」の
火炎樹日記を書く。
午前10時半、「子どもの家」へ。
今日は上原祥子さんの里子「THINH」(ティン)君の誕生日。
午前11時の昼食時に誕生会を行なう。
誕生ケーキ。里親の上原さんから「子どもの家」の子どもたち
全員が誕生ケーキを食べられるようにとのことで「3つ」の
誕生ケーキを買う。
誕生会には北海道芸術高校の生徒さんが作った特製Tシャツを
着ている子も参加。
里親の上原さんからの誕生祝いのカード
里親からの誕生祝の小さな時計
寮母さんが「今日はティン君の誕生日。みんなでお祝いしましょう」
と呼びかける。子どもたちの拍手。
14歳。中学2年生になったティン君。ロウソクを吹き消す。
「子どもの家」の子どもたち全員にケーキをきる。
昼食後、ケーキを食べる。子どもたちにとってケーキは「別腹」
午前11時半、誕生会終了。急いでベトナム事務所へ戻る。
内田さんたちと「焼肉ブン」を食べに行く。
午後1時、「ハイリーホテル」へ戻る。
午後2時半、内田さん、バオミンさんと一緒にフエ空港へ。
約2週間のフエ滞在を終え、内田さんが帰国。
フエ空港まで見送り。
バーベキュー大会、滝遊び、日本料理店の手伝い、
日本留学生への日本語指導など様々な活動を行なってくれた。
改めて感謝したい。
午後5時半。フエに帰って15日目にして初めて子どもたちと
夕食をともにする。15日間、来客の接待で夕食を摂っていた。
日本料理店では、みどりさん、税田さん、原田君が会食。
午後10時過ぎ、日本料理店閉店。欧米系の来客などあり。
2009年08月13日
内田征子さん主催「子どもの家」滝ツアー
晴天・午後雨
午前7時朝食。マカロニスープ
今日は内田征子さん寄贈のフエ郊外山岳地帯の滝で
遊ぶ企画。
午前8時半、「ハイリーホテル」に迎えの小型バスが来る。
「子どもの家」へ。
「子どもの家」ではこどもたちが「滝遊び」の準備万端用意済み。
朝からこどもたちは「トーン」が高かった。
既に「車酔い」を心配しているこどもたちもいる
寮長ロックさんの諸注意
ベトナム事務所・「子どもの家」スタッフも滝遊びを楽しみに
している
午前9時過ぎ、3台の小型バスで「子どもの家」を出発
午前11時。2時間かけてダナンとフエ省の境に近い山岳地帯
に到着。
ロック寮長の水泳上の諸注意を受けて、滝つぼなどで
泳ぎだす。
こどもたちが泳いでいる間にスタッフの皆さんは昼食つくり。
フランスパンにハム・野菜を入れたもの。バインチュン(お餅)
果物などを準備。
午後3時、滝での水遊びを終わり、「子どもの家」へ。
午後5時「子どもの家」到着。
その後、内田さんのお誘いでベトナム事務所スタッフ全員、
「子どもの家」スタッフ全員(キムアインさんだけはこどもたちの
お世話で残る)で、「ハイリーホテル」近くの海鮮料理屋へ行き
「反省会」を粛々と行う。
滝水遊びが無事終了したことを祝しセン「子どもの家」委員長の
音頭で乾杯
フエは近くに2つの海があり、ラグーンもある。ベトナム有数の
海鮮料理の美味しい地域でもある。
海老の炭火焼
茹でたイカ
貝
最後内田さんの「締め」の挨拶で交流会はお開きとなる。
長い一日であった。
滝行きの諸費用、スタッフ交流会諸費用を全額を負担して
頂いた内田さんに改めて御礼申し上げたい。
参加者全員が相当の「痛飲」。
2009年08月12日
静岡大学ホーチミン市へ
午前5時半起床
午前6時50分、静大の皆さんとミンさんが「ハイリーホテル」へ。
静大生はフエでの授業を終え、ホーチミン市へ移動。
午前7時半、フエ空港着。
ベトナム事務所員のソン君も手伝いに来ていた。
静大生のスーツケースをチェックインカウンターへ運ぶ
静大生は朝が早いので空港で軽食
午前8時前、チェックインの手続きを終了し、ホーチミン市へ。
6日間のフエでの様々な活動・体験を行い帰国の途へ。
ホーチミン市でも若干の活動あり。
6日間のフエ滞在で何かを掴んで頂ければ幸いである。
無事な帰国を祈る。
私とバオミンさん・ソン君はまだ朝食を摂っていないので
フエ市内のフォー専門店で「フォーガー」(鶏肉フォー)を食べる。
2万ドン(100円強)。
午前9時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
ボランティア貯金から支援金返還の連絡が来る。
支援金返還問題について熟考。返事をだす。
フエ中央病院医師の日本医療視察の関連文書を
書き始める。
午前11時半、フエ駅近くの「LA RESIDENCE HOTEL」へ。
内田さんの招待で昼食会。私、大塚さん、税田さん、原田君、
みどりさん、ソン君、メンちゃん。
私は軽くフダビールを飲み、スパゲッティー。
皆さん、それぞれに注文
午後1時半、昼食から帰宅。
午後3時過ぎまで昼寝。JASS障害児医療センター関連で
訪日招待する医師の関連文書を書く。
ボランティア貯金返還問題。
途中でインターネットが壊れる。1時間ほど通じない。
メール受信。必要なメール送信。
午後6時、小雨の中、日本料理店へ。GOD VISIONSの
岡崎さん、平田さん、バオミンさんと日本料理店で夕食。
岡崎さん、平田さんは今夜がフエ最後の日。
今後、「子どもの家」支援の様々な活動をしてくれるとのこと。
こうした20代の若者が育って来てくれている事に感謝している。
また、このような至極真面目な若者に出会えたことに感謝している。
今日は隣の席では、内田さん、税田さん、みどりさんも夕食中。
今日は来客も多く20人。欧米系、アジア系、日本人など
多彩。
午後10時前に閉店。
大塚さん、原田君の3人で「ハイリーホテル」へ帰る。
税田さんは若干の仕事あり。
今日で連続13日、来客者との夕食。
7月31日に帰国してまだ一度も日本料理店の
こどもたちと夕食を摂っていない。
既に疲労はピークに達している感あり。
2009年08月11日
静大「ベトナムから学ぶ」授業ーフエ高等師範大ーフエ平和村
終日曇り・夕方豪雨
午前6時半起床。
午前7時朝食。
キャッサバ芋のメン
午前7時45分、静大宿舎バオミンホテルへ。
バオミンホテルの朝食。
午前8時、フエ高等師範大へ。
2008年11月18日、静岡大学教育学部とフエ高等師範は
学術協定の調印を行っている。調印後初めての学生交流
となった。フエ高等師範側は、日本語学科学生30人ほど。
フエ高等師範大学長の歓迎の挨拶
フエ高等師範大日本語学科(私が顧問)の学生
静岡大学から�%8
2009年08月10日
静岡大学「ベトナムから学ぶ」の学生さんとナムドン山岳地帯へ:地球の歩き方晩餐会
朝から小雨
午前3時半起床。
掛け布団、敷布団などを洗濯し、乾燥機にかける。
フエ不在1ヶ月、フエに戻り2週間弱。
フトン・シーツを洗濯する時間がなかった。
午前7時、朝食。ブンボーフエ
引き続き洗濯。
この10日間ほど溜まったメールを全て読む。
必要な返信。
午前9時半、ベトナム事務所経由バオミンホテルへ。
静大生と合流。小型バスでナムドン山岳少数民族との
交流へ。
バスの中でベトナムの歴史、キン族の南下。
ベトナム人のアイデンティティー、ベトナム政府の少数民族
政策などについて話す。自然との共生を行ってきた
少数民族の皆さんから私たちが学ぶ姿勢が必要という点を
強調した。
午前11時半、ナムドン山岳地帯の入り口に到着。
昼食を摂る。
午後1時、ナムドン「銀座」の昼食場を出てトゥオンロー村へ。
カトゥー族の村。
自称ナムドンの専門家リー君も真面目に働いている。
支援物資を持ってカトゥー族の皆さんとの交流の場へ。
支援物資の贈呈
カトゥー族の伝統踊り
日本・カトゥー族の文化交流ーーラジオ体操第1を披露
村長さん(62歳)
続いて日本文化の紹介。ソーラン節。
カトゥー族の民族踊りを静大生も一緒に踊る
文化交流の後、綱引きをする。
綱引きの後は、日本とカトゥー族の皆さんと
縄跳びで遊ぶ
最後にカトゥー族の皆さんの心の篭った食事・地酒で
歓待を受ける。
カトゥー族の歌があり、今度は日本側の出しもの。
古賀先生の発案で「赤とんぼ」を斉唱。
カトゥー族の建物の前で全員記念写真を撮る
引率の古賀先生と村長さんは別れを惜しんで抱擁。
学生の前でカトゥー族の皆さんと率直な交流の見本を
示してくれた古賀先生に感謝。
午後3時半、カトゥー族の村を出てフエ市内へ。
午後5時半、フエ市内到着。その後、バオミンさんと
夕食会。
一方、地球の歩き方の皆さんは午後6時半、日本料理店へ。
税田さんの司会で地球の歩き方参加者とベトナム事務所員との
交流が行われる。
団長さんの乾杯の音頭。
今晩のメニュー
夕食晩餐会の最後に調理のスタッフを紹介。
各自、日本語で自己紹介。
「オアシスの会」代表の大塚さんも自己紹介
日本料理店のメニューから料理まで全ての
指導を無料で行って3年。
日本料理店は軌道に乗っている。
ベトナム事務所震災用スタッフアンさんと夕食参加者
交流が進む。
最後に全員の記念写真
2009年08月09日
静岡大「ベトナムから学ぶ」講座
1945年8月9日、第64回目の長崎の原爆慰霊祭。
被災者の方々に心からの哀悼の気持ちを送ります。
改めて「核兵器の廃絶」を求めます
また、やっちゃった?
「麻生首相は9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のあいさつ
の中で、「一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を
残すこととなられました」と話した際、「傷跡(きずあと)」を「しょうせき」
と読んだそうだ。(新聞報道)
「またやってしまった」としか言えない。どうして秘書官は
振り仮名を振ってやらなかったのだろう。
麻生首相の「学力」の程度は国民周知の通りである。
大衆の面前、今回は厳粛な原爆慰霊祭での国を代表して
の厳粛な挨拶である。傷跡(きずあと)を「しょうせき」と読むなど
およそ「あほらしい」人物である。今までの何度漢字が読めなくて
国民から失笑を買ったことかを思い出せば、本人自身に
力がないのだから、総選挙前のマイナスを減らすためにも
麻生首相の周りの「知恵ある人間」が少し気をつければ
良かったのにと人事ながら、心配するのである。
同時に米国オバマ大統領が「核廃絶」を宣言したことに
関連し、核兵器の先制不使用を米国に求める考えがあるかを
問われた麻生首相は「核兵器を保有している国が『先制攻撃をしま
せん』と言ったとしても、その意図を検証する方法はない。
日本の安全を確保するうえで現実的にはいかがなものか」と
否定的な見解を示した。首相は6日に広島市でも米国の「核の傘」が
必要との認識を示している。
こうして麻生首相は漢字が読めないだけでなく、世界の趨勢・
世界の大きな動き(核兵器の廃絶という人類の悲願)を読むことも
出来ない首相である。いつまでも首相の座にいる人物ではない。
終日雨。 気温26度~30度。少し寒い。
午前7時起床。シンマシンの薬と心臓の薬を飲むのだが、
その前食事をしなければならない。せんべい1枚食し
薬を飲む。シャワーを浴び、急いでバオミン・ホテルへ。
(今日は日曜日、「ハイリーホテル」の朝食なし)
足のジンマシン。血液凝固。今日も体中にジンマシン発生。
ジンマシン対策の薬の睡眠性の強さで朝から1日中眠たい。
立っていられない程の睡眠効果である。ベトナムはかなり
強い薬を使うようだ。
午前8時、静岡大学の皆さんと合流。「子どもの家」へ。
「子どもの家」では地球の歩き方スタディーツアーに
参加した大工さん関係の方がナムドン山岳地帯へ行く前に
「子どもの家」でこどもたちと2脚のベンチを作ってくれていた。
こどもたちは地球の歩き方参加者の指導で電動工具の使い方、
ベンチを作る基本的な「コツ」を2時間ほどの間にしっかり
マスターした。こうしたボランティアもあるのだと改めて実感した。
大工さん関係の方に心から感謝したい。
静岡大学の学生さんたちは、午前8時20分頃から
近くのタイロック市場」へこどもたちと昼食の食材を買出しに
入った。生憎の雨。
タイロック市場で買出しをした食材を調理する。
10月6日に静岡大学工学部入学する3人の高校卒業生も参加
引率の芳賀先生も料理に挑戦
その間、GOD VISIONSの岡崎さんたちは、「子どもの家」の
プロモーションビデオを作製中。主役はチュック君。
昼食が出来るまでの短時間、卓球で遊ぶ。
午前11時、昼食。こどもたちと一緒に昼食を摂る。
午前12時前、昼食を終わり、ホテルへ。
暫時休憩。
午後2時、バオミンホテルを出て、「子どもの家」へ。
「ベトナムから学ぶ」座学授業。
『ベトナムの現在』について話す。
ベトナム戦争後の「今のベトナム」の状況について話す
午後3時半。
「子どもの家」のこどもたちと文化交流。
最初の出し物「ラジオ体操第一」
続いて「ソーラン踊り」
交流会には10月に静岡大学工学部に入学する3人の
高校卒業生も参加。(真ん中)
「子どもの家」の庭では、日越サッカー大会が行われる
ベトナム事務所のクアンさんが審判長
両国の「国家」を歌う。
2勝0敗でベトナム側の勝利。罰ゲームはお尻にボールを
あてられる。
女子学生はこどもたちと玩具などで交流
絵画教室ではフエ芸術大学のフック君が「子どもの家」の
こどもたちに絵を教えていた。
午後5時過ぎ、交流を終わり、帰途へ。
その後、6時半から夕食会。
ーーーーー
久しぶりにYAHOOのニュースを読む。
酒井のりぴーが覚せい剤使用で逮捕。
「ああ、そんなもんか・・・」と言った程度の反応だったが、
大原麗子の「孤独死」には大きな衝撃を受けた。
私たちの同世代のスターである。何故5日間も
だれにも看取られず孤独死をしたのか?
現在の日本社会を象徴するような出来事である。
往年の人気女優の最後がこんなことであっていいの
だろうか、ということは、多くのお年寄り(私も入るのかも?)
が大原麗子と同様の孤独死を迎える可能性を持っているから
こそ、多くの国民は大原麗子の孤独死に衝撃を受けたのでは
ないだろうか?
我が家の近くの高島平団地は作られた時には日本最大の
団地だった。人口3万人。地下鉄の駅が端から端まで4つ。
建設から50年。既に老人団地と化した。孤独死も多いという。
大原麗子の孤独死はけして他人事ではない昨今の日本社会
である。
投稿者 koyama : 20:28
2009年08月08日
静岡大学スタディーツアー添乗:「ベトナムから学ぶ」授業
曇り時々雨 気温34度 湿度高し
昨日からの「フエ風土病」の寄生虫退治。虫下しで
寄生虫が暴れ「体液」を出し、その影響で体中に
ジンマシンが出来る。今日は手と足、皮膚の柔らかい
所に多発。痒みと発熱に苦労する。終日倦怠感と睡魔。
午前7時朝食 春雨メン
午前8時、バオミンホテルへ。
静岡大学スタディーツアーの皆さん13人と「子どもの家」へ。
「子どもの家」では地球の歩き方スタディーツアーの皆さんが
こどもたちと交流。
はじめにバオミンさんJASSベトナム運営委員長の施設案内
午前9時過ぎ、施設案内が終わり、「ベトナムから学ぶ」という
2単位の授業の一環を行う。
講義内容は「ベトナム戦争について」
午前10時半頃から「子どもの家」のこどもたちとの文化交流
セン運営委員長の挨拶
こどもたちの歓迎の踊り
今日、日本へ帰国する「京滋YOUの会」の藤井さんたちが
刺繍みやげ物店の製品を買いに来てくれていた。
感謝。
静岡大学がこどもたちとの交流を終えて、「縫製研修センター」
見学
引き続き静岡フエ青年交流会館付属日本語学校を訪問
日本語を勉強しているベトナム人学生と日本語での交流
はじめに静岡大学紹介
10月から静岡大学工学部へ留学予定の高校卒業生も参加
その後、ベトナム人学生1人と日本人学生1名~2名で
懇談会
日本語学校の生徒との交流を終え、昼食レストランへ
午後1時昼食を終了し、バオミンさんへ戻り暫時休憩。
午後2時、再度活動を開始。
王宮参観。
皇族の子孫であるバオミンさんの案内で王宮見学
午後3時、「子どもの家」でベトナム戦争に直接参加した
解放戦線の兵士の証言を聞く会を開く
証言者はフエ市共産党ユン委員長、フエ市共産党トアン
人事部長、「子どもの家」運営委員長センさん
●フエ市共産党委員長ユン氏
ユン氏が解放戦線に入ったのは、アメリカ軍に両親を
殺されたこと、そして、祖国に外国の軍隊が勝手に入ってきた
ことに対する怒りである、と言明した。
特別の思想があった訳ではないと強調していた。
人事部長のトアンさんも純粋な農民だったが、両親が
意味もなく米軍に殺され、その仕返しに解放戦線に入り
兵士となり米軍と闘った。途中、仲間の密告で米軍に
逮捕。南部の島「フーコック島」の監獄に入れられ
ありとあらゆる拷問を受けたと証言。
センさんはフエ市内の高校生時代から反米闘争を
行っていた。本格的な解放戦線入りはフエ大学時代。
米軍の情報を山にいる解放戦線に伝える役割を
したそうだ。
午後4時半、元解放戦線兵士の皆さんの証言を終わり、
フエ最大の市場である「ドンバ市場」へ。
アオザイを買う。
午後6時半、夕食レストランへ
今日はジンマシンと闘いながら静岡大学の授業を行った。
長い1日であった。
2009年08月07日
地球の歩き方講演会:静岡大学スタディーツアー出迎え
気温34度
昨夜からフエ風土病によるジンマシンが多量に発現。
朝から昼、更に夜にかけて大きく、体中に出来る。
痒い。ジンマシン止めの薬に催眠性が強く、終始眠たい状況。
ジンマシンは体内にも出来、朝食のおかゆが喉を通らなかった。
一日中、眠気に襲われ、種々の仕事に差し障りあり。
ーーー
午前7時朝食。おかゆ お茶を飲んで胃に流し込む
午前8時ベトナム事務所。地球の歩き方10人の皆さんと
ベトナム事務所員の対面。ベトナム事務所員自己紹介。
地球の歩き方の参加の皆様
ベトナム事務所員紹介が終わり、車で「子どもの家」へ。
最初にバオミンさんが「子どもの家」諸施設の案内。
参加者の皆さんから質問がかなり出て、施設案内に1時間ほど
かかる。その間、立っていられず、音楽室の椅子を並べて
横になっていた。ジンマシン対策の睡眠薬が原因と思われる。
午前9時半から私の講演会。1時間。
午前10時45分。こどもたちの歓迎会・交流会
「子どもの家」セン運営委員長の歓迎の挨拶
「子どもの家」の歓迎の踊り(こどもたちが自分で選曲・振り付け
を考えた)
地球の歩き方側の出し物(チューリッウ)
ピアノ、ハーモニカ、リコーダーを使っての演奏
午前11時15分、交流会終了。車で昼食。
地球の歩き方の皆さんは「ベトナム風固焼きそば」。
私は体調不良のため「フォー」の麺だけを半分ほど。
午後1時、「ハイリーホテル」へ戻る。
そのまま横になる。2時間ほど熟睡。
受信メールチェック。25通。緊急に返事を出すべき
メールに返信。
午後5時半、バオミンさんが車で「ハイリーホテル」へ
迎えに来てくれる。
フエ空港へ。午後6時半、静岡大学13人のツアー(2単位授業)
が到着。
7台の車椅子を手持ちで持って来てくれる。これらの車椅子は
以下の学校から寄贈されたもの。改めて御礼申し上げた。
●静岡県立中央特別支援学校
●静岡県立東部特別支援学校
●静岡県立西部特別支援学校
引率の芳賀先生以下、12人の学生は全員元気。
午後7時半。ホテルへ行く途中、夕食に「フォー」を食べる。
午後8時過ぎ、静岡大学の皆さんをホテルへ送る。
その後、バオミンさんと一緒に日本料理店へ。
今日は「京滋YOUの会」による「夏祭り」が「子どもの家」で
行われた。大成功だったとのこと。
日本料理店で反省会中。私とバオミンさんも参加。
今日は来客多数。何組かの外国人は入りきれず帰るという有様。
日本料理店のこどもたちに「夏祭り」のお土産を上げる
午後10時半、バオミンさんのオートバイで「ハイリーホテル」へ
送ってもらう。
そのまま寝る。
2009年08月06日
ブライセンベトナム支社会議:GOD VISIONSの皆さんと各施設参観:「京滋YOUの会」夕食会
広島原爆投下46周年。被害者の冥福を祈る。
同時に核兵器廃絶を心より願う。
アメリカ・オバマ大統領の4月のプラハ発言(世界から核をなくそう)
は核兵器廃絶に向けて大きな転換点となっている。
日本は核兵器廃絶の先頭に。今度の総選挙は核兵器を本当に
廃絶する勢力を伸ばしたいものである。
======================
曇り・晴れ 「ハイリーホテル」5階日陰 38度
午前6時起床。疲労が溜まる。寄生虫のジンマシンが顔や
足に出てくる。
午前7時朝食。マカロニスープ
午前8時半ベトナム事務所へ。
大塚さんと内田さんが今夜の「京滋YOUの会」晩餐会の
食事の準備をしていた。ありがたいことである。感謝。
午前9時、ブライセンベトナム支社会議。
4人のブライセンベトナム支社スタッフにいくつかの
ブライセン本社の方針を伝える。
①VU君をTL (Technical Leader) にする。
VU君がブライセン関連のITに関しては技術が非常に
高いのでTLとする。今後は、ITの技術的な件は
VU君に聞きながら相談しながら進めるように。
②4人のブライセンベトナム支社スタッフで一致協力して
ブライセンベトナム支社の技量と成績向上のために
頑張るように
午前10時過ぎ、GOD VISIONNSの皆さんが
ベトナム事務所へ。今後1週間程度の日程を相談する。
一緒に「縫製研修センター」を訪問。
三浦さんが親切に応対してくれた。感謝。
その後、「子どもの家」のこどもたちの家庭訪問をする。
王宮のお堀の中に不法建築で作った建物で生活している
「子どもの家」のこどもたちの家を訪問。
豚を飼って飼育し収入を得ている。
台所
一方で400万円もするベンツを乗り回しているベトナム人も
いる。数千万円もの豪邸を建てているベトナム人もいる。
片や路上の台所で食事を作っているベトナム人もいる。
格差社会が叫ばれているが、実態上これほどの格差社会も
そうないように思う。私たちの活動の意味もある。
午後12時過ぎ、ベトナム事務所へ。
バオミンさんより風土病の「寄生虫」駆除薬をもらう。
半年後とに1錠ずつ飲まなければならない。
寄生虫駆除薬を飲むと寄生虫が暴れ回り、体液を放出する。
その体液が「大型ジンマシン」の原因となる。
寄生虫駆除薬をのむのと同時にジンマシン抑制薬も飲まなければ
ならない。
今年の1月。東京に帰って「大型ジンマシン」が出た。
近くの「総合病院」へ行くがが原因不明。抗アレルギー剤を
処方するだけ。
それに比べるとベトナム医師は、現地に密着しているため
この分野では高度の医療知識と技術を持っている。
症状を見ただけで、「フエ風土病」と断定し、特効薬(フランス製)を
処方。確かに1週間ほどで治る。残念ながら完全に寄生虫を
排除することは出来ない。今後、半年後とに虫下しを飲み続けな
ければならない。
その後「ハイリーホテル」へ戻る。昼食。そうめんを一把茹でる。
30分ほど昼寝。熟睡。
午後2時、静岡大学の滝下さん・バオミンさんとSKYPE会議。
明日の夜フエに到着する静岡大学スタディーツアーの皆さんの
最終受け入れ態勢についての確認。今後の静大とフエの
各大学との交流についての協議。
午後3時から20通ほどの受信メールを読む。
必要な返信をする。
午後6時過ぎ、「ハイリーホテル」を出て日本料理店へ。
今夜は「京滋YOUの会」との晩餐交流会。
税田さんの司会で交流会は進展して行く。
最初に私の歓迎の挨拶。
続いて「京滋YOUの会」から藤井さんの挨拶
接客のグエットさんとリー君による「メニューの紹介」。
今晩の日本料理店は大塚さんと内田さんが朝から準備をして
作った最高級の日本家庭料理。
森野さんの音頭で乾杯
午後9時前。日本料理店スタッフの挨拶
日本料理店のこどもたちに訪越記念のお土産贈呈
午後9時半前に交流会は終了
2009年08月05日
「子どもの家」スタッフ全員会議:GOD VISIONS「子どもの家」訪問
快晴 気温36度(「ハイリーホテル」5階日陰)
午前6時起床。なかなか起きられない。
午前7時朝食。精進メン。
午前9時前ベトナム事務所へ。
バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
「子どもの家」スタッフ全員会議。
明日から夏のスタディーツアーが始まる。「子どもの家」スタッフに
スタディーツアーの意味、JASSや「子どもの家」スタッフが
何故スタディーツアーをするのかを時間をかけて説明する。
セン運営委員長の開会の挨拶
20分ほど私の方で話をする。その後、「子どもの家」スタッフ
からの質問や要望、意見などが出る。
全員一致して8月・9月・10月のスタディーツアーを
全スタッフの協力で成功させようとの意思統一が出来る。
午前10時、GOD VISIONSの関係者が「子どもの家」を
視察。
私が1時間ほどかけて「子どもの家」の創立の経過、
活動歴史、施設などを案内する。
視察中に「子どもの家」の子供でこの9月から地元名門高校
である「コックホック高校」に合格したこどもと話をする。
将来、技術者になりたいと言っていた。
1時間かけて「子どもの家」を案内。
午前11時、こどもたちと一緒の昼食。
午後1時、「ハイリーホテル」へ帰る。
その後、1時間ほど昼寝。
疲労がかなり蓄積。
受信メールを読む。16通の受信。9通の送信。
明日から静岡大学スタディーツアーが静岡を出発する。
滝下さんとメールでスタディーツアー成功のために
いくつかの連絡をしあう。
午後6時、GOD VISIONSの岡崎さんたちが
「ハイリーホテル」前の『ヤギ肉屋」へ。
バオミンさんと原田君と一緒にヤギ肉を食べながら
人生を語る。
唐辛子と若い胡椒
ヤギ肉を包んで食べる野菜、レモングラス等
豚の首の肉の揚げ物(美味)
ヤギ肉の炭火焼の鍋物
午後9時前、交流会は終了。
空は満月だった。
2009年08月04日
GOD VISIONSの皆さん来訪
曇り 気温32度
午前7時朝食
午前7時半、「ハイリーホテル」を出てフエ空港へ。
今日はGOD VISIONSの岡崎さんたちが来訪する。
出迎えへ。
GOD VISIONSの岡崎さんたちは、海外支援のための
会社(GOD VISIONS)を立ち上げた。
空港からホテルへ行く途中、朝食の「フォー」を食べる。
私とバオミンさんはお茶。
宿泊先のバオミンさんに行く途中、「子どもの家」卒業生の
メンさんに出会う。
途中、自転車に満杯の家庭用雑貨を載せたおばさん
がいた。古いプラスチィクの用品を安く買い取り、
積んである新品の家庭雑貨を売っているという。
あまりに見事に積んでいるのに感心する。
GOD VITIONSの皆さんとベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の皆さんとお互い自己紹介。
GOD VITIONSの皆さんふフエ滞在中の活動目的、日程など
の打ち合わせを行う。
ベトナム事務所隣の日本語部では、内田さんが静大留学生
に「お茶」(裏千家)を教えていた。
午前11時半、内田さん、バオミンさん、税田さん、
ソン君、メンさんとフエ市内のラーメン屋へ。
ワンタンメンなどを食べる。
1979年の中越戦争までは、フエにも「チャイナタウン」が
あったが、多くの中国系ベトナム人は中越戦争が勃発し、
危害を加えられる恐れがあるとのことで、中国へ避難し、
現在は若干の中国系ベトナム人が残るのみ。この店は
数少ないチャイナタウンがあった時代の中華料理店の
「末裔」。
午後1時過ぎ「ハイリーホテル」へ。
しばらく昼寝。
午後2時過ぎ、静岡市国際課から国際電話。
午後4時、ベトナム事務所へ。
7月1ヶ月間の日本滞在中に各地の会などから
頂いた寄金などをハン会計部長、税田さんに
渡す。
ブライセンベトナム支社関連の打ち合わせ。
「子どもの家」卒業生で今年の夏、フエ経済大学を
卒業したメンさんがベトナム事務所にやってくる。
フエ経済大学を卒業し、地元最大のスーパー「BIG C」
への就職が決まり、既に勤めて1ヶ月。昨日給料を
もらう。
今日は、長い間の「子どもの家」での生活、
大学卒業、就職決定の報告とお礼を言いに来た。
お礼に記念品をもらう。
メンさんも妹のTHUYさん(フエ師範大化学科)も
「子どもの家」の第1期生。15年間の月日が流れ、
小学校低学年だったメンさんも大学を卒業し、
就職し、自立するまでになったことに感慨深いものがある。
小さな取り組みではあるが、こうして15年間の歳月を
頑張りぬいたことで、こどもたちが成長し、自立していく
姿を見ることができるのである。ありがたいことだ。
里親の内田さんの長きにわたるご支援にも感謝したい。
引き続き、バオミンさん・税田さんとベトナム事務所関連
の問題を話し合う。
午後6時過ぎ、GOD VITIONSの岡崎さんたちが
日本料理店へ来店。一緒に食事をする。
午後9時半頃まで食事は続く。
午後10時頃、「ハイリーホテル」へ帰る。長い1日であった。
2009年08月03日
JASSベトナム戦略会議:バーベキュー大会
曇り 気温32度
今朝の東京新聞にJASSのフエでの活動が掲載された。
午前6時起床。
昨年末に苦しんだフエの風土病である「寄生虫」が原因の
湿疹が再発。
午前7時朝食。ブンボー
午前8時半~午前11時半まで「JASSベトナム戦略会議」を
開く。今後5年程度の期間にJASSベトナムの活動をどのように
すすめるのか? 経済状態、ベトナム社会の変化などを
想定し、JASSベトナムの活動の総点検、問題点の抽出、
改善方策等を話し合う。
今回はJASSの15年来の会員であり、バーベキュー大会、
クリスマス会の主催者でもある内田さんも参加。
内田さんは、JASSが出来た最初からのJASS事務局員で
あり、10数年前からJASS事務局会議に参加していた。
会議が終わり、みんなで「チャオバンカン」本店に行き
手打ちベトナム風に込みうどんを食べる。
午後1時過ぎ「ハイリーホテル」へ帰る。
1時間ほど昼寝。
午後3時、ベトナム事務所集合。今日は「子どもの家」恒例の
ベーベキュー大会。
タクシーで「子どもの家」へ行く。
「子どもの家」前の橋を渡ろうとした。驚いたことに
川沿いに立っていた「不法住宅」が全て破壊されていた。
橋から「子どもの家」が丸見え状態となっていた。
観光都市フエ。不法住宅は「見苦しい」ということで、破壊され
住民はどこかへ移住させられたとのこと。「近代化」はこうして
個人個人の生活をうわべだけの見てくれの美しさに変えて行き
人間の生活を見えないものへと化していく。
午後5時、バーベキュー大会開会。
主催・寄付者の内田さんの挨拶。「今年で13回目の
ベーベキュー大会となる。高橋さん・柳沢さん・景山さんと
一緒にベーベキュー大会を寄贈した。楽しんで欲しい」との
挨拶。
グエンフエ高校・ザーホイ高校の合格が決まった2人
バーベキュー大会には、「子どもの家」のこどもたちの他に
在宅支援の家族、「子どもの家」のスタッフ、ベトナム事務所員が
参加
豚肉・牛肉・鶏肉が焼きあがるの待つこどもたち。炭火焼。
「子どもの家」スタッフはビールで乾杯
在宅支援の家族、刺繍みやげ物店のスタッフ
焼きあがった鶏肉
日本料理店支援・オアシスの会の大塚さんも焼肉に
大活躍
フエ芸術芸術大学油絵学科で絵画を学ぶフック君。
肉が焼きあがり食べ始める
「子どもの家」創立当時からいるタン君(「子どもの家」在所15年)
寄贈者の内田さんとアン君
アン君も10数年前にフエ駅前の路上で寝ていた。
兄と一緒にベトナム事務所に助けを求めてやってきた。
それから今まで「子どもの家」の住人。古株となった。
左はターオさん
心臓病をもって「子どもの家」に入所。手術が成功し、今では
元気一杯で活動をしている明るい女の子である
16年前からの在宅支援の子。現在はフエ科学大学で学んで
いる。左手の指が付いて生まれ、里親の北海道の高田さんの
支援で指の分離手術をする。ベトナム中部名門高校である
「コックホック高校」を卒業し、フエ科学大で学ぶ
16年前から「子どもの家」のスタッフをしているキム・アイン先生
焼肉大会はまだまだ続く
ポリバケツの氷水で冷やしたジュースなどは飲み放題
焼肉大会会場の塀には昨年の神奈川県スタディーツアーの
皆さんが塀を塗り替えてくれた時に描いた絵が残っている
ベトナム事務所員一同
午後6時過ぎ、焼肉大会終了
その後、ベトナム事務所関係者は市内のベトナム家庭料理店へ
行き、軽く飲む
午後10時過ぎ、「ハイリーホテル」へ帰る。
長い長い一日だった。
改めてバーベキュー大会の寄贈者である内田さん・
高橋さん・柳沢さん・景山さんにお礼を申し上げたい。
深謝。
2009年08月02日
内田さんたちと「カメリアホテル朝食バイキング」:リー君と昼食飲み会
快晴 夕方雨
午前7時起床。
午前8時、フエ市内「カメリアホテル」の朝食バイキング。
内田さんと一緒に。
フエ市内の「上流階級」(共産党幹部)の皆さんが家族で
来ている。かなり肥満なこどもたちもいる。
フエ市人民委員会の幹部の家族の皆さんに会い、挨拶。
バイキングの最初にフエ名物「ブンボー」を食べる。美味しい。
午前8時過ぎから午前10時半まで朝食、デザート、お茶を
飲みながら、人生、政治、ボランティアなどについて話す。
午前11時、「ハイリーホテル」へ戻る。
読書「ベトナムの人権」(中野亜里著)を90%ほど読む。
午後12時から30分昼寝。
午後1時、「ハイリーホテル」の近くでリー君と会い、
昼食兼飲み会。
とりあえずリー君が注文した「おつまみ」
豚肉の炭火焼、脂を落とした豚肉の海老塩辛付け
発酵したもやし。
午後3時過ぎまでリー君と「人生」を語る。
フエのビールを相当飲む。
午後3時半、「ハイリーホテル」着。
午後5時まで寝てしまう。
夕方、雨。
その後、涼しくなるが、再度蒸し暑くなる。
午後5時から「当面の仕事」についてまとめる。
夕方、ベトナムの「ほか弁」(70円)を買いに行く。
ほか弁をおつまみにフダビールと吟醸酒を飲む。
2009年08月01日
石上先生帰国:内田さん来訪
午前6時起床。 日中の気温36度
やはり疲れからなのか? 朝、起きられなかった。
シャワーを浴びる。
午前7時朝食。石上先生はフエ最後の朝食。
午前8時半、洗濯。屋上に干す。
午前11時、車が「ハイリーホテル」まで迎えに来てくれる。
石上先生と一緒にベトナム事務所へ。
ベトナム事務所には、ベトナム事務所員や教え子などが
石上先生を見送るために待っていた。
「縫製研修センター」の三浦さんもわざわざベトナム事務所まで
駆けつけてくれ、石上先生に「縫製研修センター」の製品を
記念にプレゼントしてくれる。マルサ佐藤社長・三浦さんの
心遣いに感謝したい。
1ヶ月ぶりにリー君に会う。家出もしないで真面目に仕事を
しているとのこと。ひと安心。最近は「こざっぱり」した格好を
するようになり、ストリートチルドレン時代の「悪しき習性」を
少しずつ清算しつつあるように思えた。
仕事と生活に力を入れて行って欲しいと願うのみ。
ベトナム事務所一同も同行し、石上先生と一緒にフエ空港へ。
午後12時過ぎ、フエ空港のチェックインを済ませ、全員で
最後の記念写真
午後12時過ぎ、空港内へ。日本でも幸せな人生が待っている
いることを祈る。
午後1時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。
昼食をする時間がない。カップめんを食べる。
1時間ほど昼寝。
午後2時、バオミンさんが車で迎えに来てくれる。
JASS会員でクリスマス会やベーベキュー大会を
長年支援してくれている内田さんが午後2時40分に
フエ空港に着く予定。
バオミンさんと一緒に出迎えに行く。
午後2時半フエ空港着。
フエ空港で待っている間、16年前に教えた教え子に
偶然出会う。バオトアンさん。当時の学級委員長。
なかなか優秀な学生だった。バオミンさん・ハンさんと
同級生ではあったが既にフエ師範大学化学科を卒業し
ていた。当時、34歳だったとのこと。今、50歳。娘さん
は既に結婚しているといっていた。南部の日系肥料会社
の副責任者をしているとのことだった。
私がバオトアンさんと出会ったのは、私が45歳の時。
彼は既に当時の私の年を越えている。再会を約して別れる。
直ぐに内田さんが到着。
内田さん・バオミンさんと一緒にバオミンホテルへ。
内田さんから様々な「差し入れ」(主におつまみ系・食事系)
を頂く。感謝。
しばらく懇談し、「ハイリーホテル」へ帰る。
洗濯。午後5時、洗濯。屋上に干す。
西の山(ラオス国境方面)にきれいな「虹」が出ていた。
石上先生の前途におめでたいことがある証(あかし)とみた。
午後6時20分、電動バイクで日本料理店へ。
内田さん・バオミンさんと日本料理を食し、懇談。
本日の来客13人。日本人6人。欧米系7人。
午後8時頃、「子どもの家」で日本語を教えている税田さんが
帰り、合流。
午後9時半まで4人で交流する。
「ハイリーホテル」帰宅午後10時。

