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2009年07月31日

帰国 成田→ホーチミン→フエ:石上先生送別会

日暮里経由で成田空港へ。午前9時前に着く。

チェックインカウンターはすいていた。搭乗率を聞く。
50%程度とのこと。

1時間半ほど待合室で待つ。

読書「ベトナムの人権ー多元的民主主義の可能性」
   (中野亜里著:福村出版)を読み始める。
466ページの大著。

今でも多くの日本人(特に50代以上)は、ベトナム戦争や
ベトナムについては、悪の侵略者アメリカ、人民の英雄
解放戦線という固定概念でベトナムを見ている、
と著者は言う。1975年ベトナム戦争終結後のベトナムは
どのような歴史をたどり、どんな国家を作って行ったのかを
各種証言や資料を駆使して論証している。特に人権が
どのようになっているのか? 宗教、ボランティア、マスコミ
などの分野を具体的に検証し、現在のベトナムがもっている
人権の状況を明らかにしている。

10時半、成田空港を出発。
機中でも「ベトナムの人権ー多元的民主主義の可能性」
を読み続ける。搭乗者は半数程度。
テレビや電気系統は全て故障していた。
途中、昼食が出た。昼食後、機中の電気を消す。
読書灯をつけようとしたが、電気系統が全て
壊れていて、テレビも読書灯も点かない。

午後4時半(ベトナム時間で午後2時半)、ホーチミン空港へ
到着。

簡単に入国審査も終え、国内線へ。
国内線チェックインカウンターへ行き、Eチケットを見せる。
担当者は「あたなのチケットの予約番号は既にキャンセル
されているので貴方は、搭乗出来ません」という。
私は、①Eチケットは、既にコンピュータに登録されているので
変更は出来ないはず。②私はキャンセルしていない
と主張。しかし、チェックインカウンターの女性は、「あなたの
登録番号はコンピュタにないので、搭乗できない」の一点張り。
仕方がないので総合受付へ行き、事情を説明する。
総合受付もコンピュータを見て、貴方のEチケットの登録番号は
既にキャンセルされているので搭乗できない」というだけ。

仕方がないのでバオミンさんに電話。事情を話す。
バオミンさんがチケットを予約したフエのベトナム航空支店へ
連絡する。
事情が判明。ベトナム航空の担当者の誰かが、勝手に
私のチケットの登録番号を抹消してしまったのである。
私の登録番号は代わりに違う人に「売られて」いた。
ベトナム航空フエ支店の担当者が事情を理解し、
違う登録番号をくれる。
バオミンさんから違う登録番号を教えてもらい、
チェックインカウンターへ。直ぐにチェックインが出来た。

この間事情。

私の最初の登録番号を勝手に抹消してしまうとベトナム航空は
次のような利点があるのだ。
普通の日本人は、日本の観光会社からEチケットを購入している。
従って、ホーチミン空港で急にチケットがキャンセルされていると
言われても、日本の観光会社に連絡できない。大抵の
日本人は、仕方がないのでもう一枚違うチケットを購入して
でも目的地へ行かざるを得ない。
ベトナム航空は私から2枚分のチケット代をせしめ、
更に私の登録番号を売りつけた他のお客からもチケット代を
せしめることが出来る。1枚のチケットで3枚分の利益を
上げることが出来る。当然、もうけたお金はベトナム航空に
入る訳ではない。担当者がもらうのか、ある人々が
山分けするのか? いずれにしろ旅行者の弱みに付け込んだ
悪徳商法を平然と行っているのがベトナム航空である。
一党独裁。批判がない社会は「腐敗」する。いつか、この
腐敗は、自分たち一党独裁者に巡り巡ってくるのである。

国内線空港で2時間ほど待つ。前フエ省知事のMEさんと
会う。しばらく話をする。

午後5時、搭乗。しかし、事情が不明だが1時間ほど
機中にいるだけで出発しない。英語の説明を聞いていると
フエ空港が閉鎖されているという。

結局、飛行機が出たのは、予定を1時間ほど遅れた午後6時過ぎ。
フエ空港着午後7時過ぎ。

空港に出迎えの車が来ている。

今日は1年年間日本語教師を勤めてくれた石上先生の離任・
送別会。

急いで市内のホテル屋上にある会場へ。既に送別会は
始まっていたが、何とか滑り込みセーフ状態。

原田先生司会で会は続いていた。

私のお礼と激励の挨拶

日本語科主任のフーン先生の音頭で乾杯

ベトナム事務所員から記念の寄せ書き贈呈




ベトナム事務所員一人ずつが石上先生へお礼の言葉





最後に石上先生からお礼と今後の決意の言葉


全員写真(大塚さんは日本料理店の指導)


午後10時前にお開きとなる。

1年間の日本語教師としての仕事に感謝し、帰国後の
健康とご多幸を祈る次第である。

「ハイリーホテル」へ帰る。
荷物が重いのでソン君が5階の私の部屋まで荷物を
担いで持って来てくれる。

午後10時過ぎ、「ハイリーホテル」の部屋へ戻る。
部屋の整理。

長い1日だった。

投稿者 koyama : 17:39 | コメント (0)

2009年07月30日

フエ帰国準備:ブライセン藤木社長と懇談

快晴

(8月3日、JASS活動が東京新聞・中日新聞朝刊に掲載)


午前9時、次男と会いいくつかの件を打ち合わせ。

午前中、明日のフエ帰国に向けての諸準備。
必要な物品購入。荷物の整理。

読書「資本主義は何故自壊したのか」(中谷巌著:集英社)読了
なかなか内容のある本であった。
小泉改革のブレーンだった中谷氏が、「小泉改革」の理論的
基礎である「新自由主義」がいかに間違っていたのか?
自分の考えがいかに間違っていたのかを自己批判しつつ、
何故、新自由主義(小さな政府・市場原理に全てを任せる・・)
にとらわれたのか? 新自由主義の歴史とアメリカでなぜ
新自由主義が花を開き、挫折したのかを学問的に追求している。
小泉改革の責任者の一人であった中谷氏の自己批判的な
本書は、内容的に説得力のなるものであった。
中谷氏の提言は、貧富の格差をなくすことに尽きる。

午後3時、自宅を出て五反田へ。ブライセン本社訪問。
社長の藤木氏と懇談。

その後、夕食を兼ねて関係者と会食。



会食をしながら様々な問題について話し合う。

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小山代表 2009年7月 日本帰国活動


6月28日(日)成田着
  29日(月)東京滞在
  30日(火)A10ブライセン電話会議 A11:30歯科医 
P3:30アクセサリー「マルタカ」訪問(本所)
7月01日(水)東京滞在
  02日(木)P3静岡大講演会(授業「ベトナムから学ぶ」)40人  
 03日(金)静岡 →金沢大学
  04日(土)木村百合子さん支える会総会(浜松:磐田市)
  05日(日)
  06日(月)
  07日(火)P3歯科医
 08日(水)東北福祉大講演会(仙台)500人
    09日(木) A10:30 心臓クリニック  夕方 福島へ。福島泊
10日(金)福島大学授業(10:20-11:50)56人
11日(土)火焔樹の会講演会(ひたちなか市)15人
12日(日)都議会議員選挙投票日
13日(月)羽田→帯広―十勝清水 北海道芸術高校講演会 150人
14日(火)十勝清水 →帯広→札幌(12:14) 北芸高校講演会 150人
千歳(18:30)→羽田(20:05)
15日(水)P4歯科医
16日(木)横浜市立小山台中学校講演会 270人
17日(金)北海道芸術高校講演会(名古屋)70人
18日(土)P7森田さん・加藤さんとJASSスタディーツアー打ち合わせ
19日(日)
20日(月)
21日(火)
22日(水)P6内田さんたちとの懇談
23日(木)A10千代田区スタディーツアー打ち合せ P1原田虎太郎君懇談
24日(金)
25日(土)A10:30神奈川県主催青少年スタディーツアー懇談
        P12福本君HP打ち合わせ
26日(日)
27日(月) 
28日(火)P6ラオスラム酒打ち合せ
29日(水)A10東京新聞インタビュー 
P12:30東京→神戸(フェアートレード打ち合せ)
30日(木)P5ブライセン訪問・業務打ち合せ
31日(金)成田→ホーチミン→フエ (石上先生送別会)
  
講演回数  8回
人数    1251人

投稿者 koyama : 12:02 | コメント (0)

2009年07月29日

東京新聞インタビュー、神戸通販FELISSIMO訪問

晴天

午前6時起床。

午前10時過ぎ、東京駅で東京新聞記者と懇談。
東京新聞H記者は既にフエの「子どもの家」や職業訓練センター
などを訪問し、取材を行っている。1時半ほどH記者の質問に
答える。16年間フエで進めた海外支援・国際協力の本質、
そこで学んだことなどを話す。

8月3日(月)の東京新聞朝刊に記事が掲載される。

午後12時過ぎ、アクセサリー「マルタカ」社長の直井氏と
合流。一緒に新幹線で神戸へ。

東京駅から3時間。神戸へ。神戸駅からタクシーで
三宮の「朝日ビル」へ。

朝日ビルからは神戸港が遠望できる。


阪神大地震の中心的な被害地でもある。1995年12月に
支援のために訪問しているが、当時の面影もないほど
復興しているように見えた。

通販大手の「FELISSIMO」本社へ。


フェリシモは、通販を通して社会貢献を行っている。
今回は「子どもの家」刺繍土産物店の刺繍や
山岳少数民族の布などを使っての「フェアートレード」
についての話し合い。


マルタカの直井社長の仲介でフェアードレードについての
展望・その具体化を話し合う。
フェリシモの担当者も前向きに「フェアートレード」について
検討してくる姿勢を示してくれた。約3時間ほどの話し合いを
行う。
午後7時過ぎ、神戸駅から東京へ。
自宅着午後11時過ぎ。

さすがに疲れた。

投稿者 koyama : 07:22 | コメント (0)

2009年07月28日

ラオス・ホワイトラム酒打ち合せ

晴天


昨夜長男家族と上野で飲む。

夕方、上野駅前からきれいな「虹」を見る。



午前7時半起床。上野のビズネスホテル。

午前8時、上野駅前付近で「東京牛丼」を食べる。

午前9時、長男家族京成上野から成田へ。

暫くのドイツ滞在、安全に過ごしてもらいたいと祈る。

午前10時半、上野のビジネスホテルを出て自宅へ。

午後12時、自宅着。

しばらく昼寝。

多数のメール受信。必要なメール送信。


午後4時半、徒歩で赤塚公園へ。赤塚郵便局で
京都市役所への手紙を出す。

その足で高島平駅付近の飲み屋へ。

高校同級生の輿芝君とラオス、ラム酒の打ち合わせ。


ラオスでのラム酒の生産能力、価格、販路、酒税、ベトナム
での販売戦略について相談する。

しばらくしてラオス旅行に行った高校時代のクラスの仲間が
やってくる。遅くまで一緒に飲む。ラオス旅行の話しなどを
しながら。
バオミンさんの白黒写真などを見ながら飲む。

帰宅。7月31日、フエへ帰る荷物の準備。

明日は、午前10時半から東京新聞インタビュー。
午後12時から神戸へ。夜遅く、神戸から帰る予定。


投稿者 koyama : 22:45 | コメント (0)

2009年07月27日

だっこ帯(ねんねこりん)の打ち合わせ:上野泊

晴天 夕方大雨

午前6時起床。

午前9時、自宅を出て代々木へ。
数年前に講演会をした団体の会員の方が、赤ちゃんの
だっこおびを開発し特許と意匠登録を行った。

そのだっこ帯(ねんねこりん)を「子どもの家」関連の
施設等で作れないかとの話し合い。
発明者の助産婦のKさんから色々と話を伺い
赤ちゃんにはよい「だっこおび」だと確信した。
フエでどうすればできるか、7月31日に帰ったら
早速、バオミンさんたちと相談しようと思う。



赤ちゃんを抱く前の「ねんねこりん」

午後12時半、上野で長男家族と合流。
アメ横、ヨドバシカメラへ行き、携帯電話を安い料金のものに
変更。

午後3時、ホテルへ。ホテルで暫時休憩。

午後6時半、仕事に行っていた長男が戻ってくる。
長男家族と一緒にアメ横内の飲み屋で軽く飲む。
その後、簡単にお寿司を食べる。しばらく日本料理を
食べられない長男家族である。


読書「資本主義は何故自壊したのか」(中谷巌著)

投稿者 koyama : 18:20 | コメント (0)

2009年07月26日

フエ省・フエ市役員との懇談

快晴 真夏日

午前4時起床。

成田行きの諸準備をし、午前5時半、自宅を出る。

巣鴨経由日暮里へ。車内でおむすび1個食す。

午前7時半過ぎ、成田空港第2ターミナルへ到着。
ベトナム航空で来ると思い、第2ターミナルへ行く。
しかし、飛行機は第1ターミナルへ着いていることが
分かる。
急いで、バスに乗り、第2ターミナルへ行く。

既にフエ市人民委員会国際センター所長のニエン氏たちが
第1ターミナルの到着ロビーで待っている。

今回のフエ省・フエ市の幹部の海外出張は、アメリカ
ハワイのホノルル市とフエ市が姉妹都市提携をしており、
その交流のため。5人でホノルルへ行くため昨夜ホーチミン市
を出て、今朝7時半に成田に到着した。出発は午後6時半。
約10時間の「待ち時間」がある。その間、私と会っていくつか
相談をしたり、交流をしたいとのこと。

到着ロビーには3人しか出ていない。フエ市国際センター
所長ニエン氏、フエ省共産党委員長秘書など。
でてこない2人は、公用パスポートを持っているつもりだったが、
役職を退任したりして「公用パスポート」ではないため、
成田空港から日本へ入国できなかった。10時間、成田空港
の待合室で待たなければならない。

到着ロビーでニエン氏たち3人と挨拶。



早速、3人を案内して日暮里経由で秋葉原へ。
秋葉原を見学・視察したいとの希望。


午前10時過ぎ、秋葉原に到着。
LAOXなどいくつかの電気店を視察。


午前11時過ぎまで秋葉原を視察した後、上野へ。

午前11時半、上野駅前の焼き肉屋へ。

焼肉や野菜を食べながら、フエの状況、いくつかの
打ち合せを行う。

今回の昼食交流会には、内田さんも協力・参加して
くれた。
内田さんも我がベトナム語の師である中野先生の
教え子。内田さんの「流暢なベトナム語」にも助けられ
打ち合せ交流は進む。

今日は日曜日。上野には大変な人出。この焼肉屋も
多くのお客であふれていたい。生ビールを飲み、
焼肉に下つづみを打つ。


午後2時、会食交流会終了。その足で、京成上野駅まで
見送る。2時40分発のスカイライナーで成田第1ターミナルへ。

読書「米原万里を語る」読了。

「資本主義は何故自壊したのか」(中谷巌著:集英社)

新自由主義路線を「真面目に実践した」著者は小泉改革
のブレーンの一人だった。本書は「転向」したと自称した
中谷氏が、新自由主義がいかに間違ったものかを
アメリカの歴史、キリスト教特にプロテスタンティズムなども
分析しながら、論証している。
小泉改革の中心にいた著者が、小泉改革・新自由主義の
歴史的な誤りを自己批判をしながら、分析する興味ある
一冊である。

投稿者 koyama : 19:49 | コメント (0)

2009年07月25日

神奈川県青少年海外派遣ツアーの皆さんと懇談:福本君と懇談

快晴

午前8時に自宅を出て巣鴨経由池袋へ。池袋から湘南ライナーで
横浜へ。

午前10時、横浜県民センター着。

県民センター1階ロビーで昨年夏の神奈川県青少年海外派遣
スタディーツアーに参加した皆さんとしばし懇談。団長の小松さん、
協会の佐野さんも同席。


その後、上階に上がり、2009年8月のスタディーツアーに
参加する皆さん18人と話し合い。

話し合いの前に2008年度参加者の皆さんが、ベトナムから
帰国後、各種バザーなどを行い寄金を募ったそうだ。
集まった寄金の贈呈式を行う。

会わせて、2008年度のスタディーツアーの記録を頂く。


初めに今年の夏のツアーに参加する皆さんの自己紹介。


その後、10分ほど私の方で話をし、その後、2009年度の参加者から
各種質問を受ける。

今年は中学生4人、高校生11人、大学生3人と引率の皆さん
という陣容である。

1時間半ほどの話し合いを行う。参加者は積極的に様々な
質問をしていた。


午後12時少し前に終了。8月15日からのスタディーツアーの
成功を祈る。

午後12時過ぎ、横浜駅前で東北大生だった福本君と会う。
福本君は東方大生だった一昨年、スタディーツアーで
「子どもの家」へ来た。その後、大学へ戻り、「JASS東北」
を立ち上げた。
今年の4月東京の会社に就職。横浜に社員寮があり横浜
に住んでいる。ベトナム関連のHPのことで話し合う。


その後、横浜から東海道線で東京へ。山手線で上野へ。
上野の約肉屋へ行き、明日、10時間、成田にトランジット
する元フエ市共産党委員長、副市長、ニエン氏、ハノイの
公安省の幹部などと上野で懇談する。会場を焼き肉屋とし、
午前11時半から午後2時まで個室を予約したい。

その後日暮里に行き、明日午前8時前でに成田に着く
スカイライナーを予約する。

午後4時過ぎ自宅へ帰る。今日はかなり暑い日だった。
私は朝から午後4時までスーツを着ていた。
上野など山手線には浴衣姿の若い男女がたくさん乗って
いた。どの若者も浴衣をあまり着たことがないようで
見ていてかなり変な容姿である。男性は、前がはだけている。
女性はえりが抜けている。芸者さんである。
それでも若者が浴衣を着る風潮には賛同の気持ちを持つ。

午後8時過ぎ、テレビで墨田川の花火大会中継を見た。
若いタレントが中継・談話をしている。彼らの言葉は、
「わーすごい」「きゃーすごい」「きれい「感動」
「見事な花火」と言った単語しかでてこない。
失語症状態。

私は途中で意味のない無駄話を聞きたくなくて音声を消した。
しかし、「パラパラ」という花火の音が聞こえない。

誰もしゃべらないで1時間ほど花火だけを中継してほしい。
意味のない大げさなおしゃべりは、そもそも東京の人の
心情に会わない。
若いタレントが悪いのではなく、テレビのディレクターの
無能さだ。

投稿者 koyama : 17:11 | コメント (0)

2009年07月24日

終日自宅

午前9時起床。

必要なメールの送受信。
15通のメール受信。8通のメール送信。

京都市役所との連絡。

ベトナム事務所に2回電話。

読書「米原万里を語る」。3分2ほど読む。


夕方、高島平団地へ買い物に。

夜、フェアートレードをしている通販会社の関係者
から電話。JASSの活動をフェアートレードで支援
したいとのこと。29日に神戸の本社に行くことになった。


投稿者 koyama : 18:59 | コメント (0)

2009年07月23日

東京千代田区主催スタディーツアー打ち合せ:原田虎太郎君と懇談

終日雨・曇り


午前7時起床。体がだるい。

午前8時半、自宅を出て神保町経由で千代田区役所へ。
千代田区役所は皇居に面した場所にある。千代田城清水口前
である。

千代田区役所は大隈重信の旧邸でもある。

午前10時、千代田区役所で打ち合わせ開始。

6年か7年前に一度千代田区主催のスタディーツアーを
「子どもの家」として受け入れている。

今回は12月中旬に1週間ほどの日程でホーチミン市や
フエ・「子どもの家」・山岳少数民族との交流などを
通してアジアを知る活動を行う計画。参加者は15・6人ほど。
高校生を中心に30歳未満の参加者である。
千代田区役所国際平和・男女平等人権課長さんをはじめ
担当者と打ち合わせ。

また、11月25日、千代田区主催「21地球市民講座・」を
行い、私が講師としてベトナムでの体験を話すことになっている。

千代田区関係者との懇談・打ち合わせを終わり、新宿へ。

午後、新宿南口でJASSの原田虎太郎君と懇談。
様々な問題を話し合う。


夕方、帰宅。

途中の移動中に「物語 数学の歴史」(加藤文元著:中公新書)
を読み終える。かなり参考書が書かれている。何冊か読んで
みたいと思う参考図書があった。
私たちが中学高校で学ぶ数学の歴史が分かりやすく書かれて
いるのだが、数学の基礎的な知識がかなりないと理解
出来ない部分もある。3次方程式・4次方程式の代数式
などはチンプンカンプンであはあるが、それでも人類が数千年
かけてたどり着いた数学の道というのは、既存の数学の
到達地点への反逆の歴史である。特にユークリッド幾何学
に対する反逆・反抗の歴史は数学者の人生と執念を感じる。
数学はまだまだ進歩している。近代数学には小平氏をはじめ
多くの日本人数学者も貢献していることを知る。
数学の歴史は「当り前のこと」「既知の数学的常識」を全て
疑い、問題提起していく反逆の数学人間がたくさんいたからこそ
進歩があったのだということは、社会も同様であることを知る。


新宿小田急の10階の三省堂へ。
「米原万里を語る」を買う。

「米原万里を語る」(編集 井上ユリ、小森陽一:かもがわ出版)


私は米原万里の著作の90%程は読んでいる。
大学時代ひょんなことで万里の父親の米原昶(いたる)の
身辺警備員をした関係があり、娘さんの活動には
深い興味を持っていた。

2006年5月に急逝。もったいない人物を失った。
万里の博学とユーモアはずば抜けたものがある。
私が最初に読んだ万里の本は「オリガ・モリソヴナの
反語法」という不思議な題名の本であった。
「オリガ・モリソヴナ」とは何なのか?
反語法とは何なのか? 一体どんな内容の本なのか?
読む前から内容にドキドキした興味をもった。
ユーモアと知性を込めたプラハのソビエト学校の生活を通して、
最終的にはドンデン返しがあり、ソビエトのスターリン体制の
実態とは一体どんなものだったのかを暴露する内容である。
至って政治的な内容なのである。全くソビエトの政治に触れない
で筆をすすめ、最後にソ連の一党独裁・人権蹂躙体制を
痛烈に批判する内容の本を書く、米原万里とはどんな人なのか?
それからは、本屋に行き、万里の本を見れば必ず買って読んだ。

本書は万里が死去して2年位して山形市のシベールアリーナ・
遅筆堂文庫山形館で米原万里展「ロシア語通訳から作家へ」
が開かれた。
その間に4回の関係者のギャラリートークが行われ
それを文章化したのが本書である。

万里の妹「ユリ」、ユリの夫「井上ひさし」、友人の吉岡忍
、TBSアメリカ総局長(ソ連崩壊時モスクワ特派員)の
金平茂紀、プラハのソビエト学校同級生だった小森陽一
の対談である。

半分ほど読む。

投稿者 koyama : 14:06 | コメント (0)

2009年07月22日

内田さんたちと懇談

曇り・小雨

午前8時起床。

10通のメール受信確認。

6通メール送信。

読書「物語 数学の歴史」

ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の歴史を知る。

高校で学んだ二次方程式。3次方程式・4次方程式までは
代数的方法で解決できるが、5次方程式からは
代数では解けないこともわかる。

私たちが高校で学んだ数学の解法を解明するために
多くの先学の人々の人生をかけた闘いがあったことも知る。
同時に江戸時代の日本の和算の水準が世界水準であった
ことも知る。


午後4時半自宅を出て新宿。

小田急の某階にある日本料亭で会食懇談。

「子どもの家」で行われる夏のベーベキュー大会の
費用を出してくれている高橋さん、内田さん、柳沢さん
景山さんと懇談。高橋さんの姪御さんも同席。
この夏「子どもの家」訪問を企画。

午後9時半過ぎまで懇談。

楽しいひと時を過ごす。


ブライセン藤木社長より電話。後日、お会いする。

投稿者 koyama : 06:37 | コメント (0)

2009年07月21日

歯科医院へ:国会解散、総選挙へ

終日雨

午前9時半起床。

帰国の荷物の整理をする。

午後12時15分、歯科医院へ。
今回の帰国中、4回目の歯科医通院。

既に3回で虫歯6本の治療、歯垢除去などを行ってきた。
今回は1本つずの歯をチェック。研磨などを行い、口腔の
総合的なチェックを行った。
これで現時点では一応、歯については大きな問題がないことになる。
今後は、6ヵ月に一度位のチェックが必要。

数年前、日本の米軍基地で米兵に勉強を教えているアメリカ人
教師がベトナム事務所にやってきた。アメリカでは歯科医などには
そう簡単に行けない、べらぼうな金額を取られる、庶民は歯医者に
いけないと言っていた。日本でアシスタントティーチャーをしている
アメリカ人は、日本で仕事をしている間に日本で加入してる保険
で歯の治療をしてアメリカへ帰ると言っていた。
安心して医者にいけるような国でなければならない。

歯科医の帰りにフエ帰国のために買い物。

衆議院が解散された。名づけて「自爆解散」。勝算の見通しの
ない中での麻生首相による自爆・特攻隊解散である。

今回の解散・総選挙の最大の争点は、小泉改革で大きくできた
国民の亀裂。格差社会、弱者切り捨て路線(新自由主義路線)を
清算し、ルールのある資本主義、弱者切り捨てと国民の格差
是正をするかどうかである。

麻生首相は「安心社会の実現選挙」と言い、民主鳩山は
「政権交代選挙」を言う。
共産党の市田書記局長は「政権交代・新政権には是々非々で
臨む」と発言している。

今回の選挙の最大の争点は、新しい政権を作るということだと
思う。
新政権は大きな問題を解決出来るかどうかは未知数。推定から
すれば、難しいとも思う。
しかし、社会・国民が一つ一つの経験を体験する中で様々な
ことを学んでいく。その一過程ととらえるべきである。
よりましな政府を作りながらの国民的な模索の時代に入った。

小泉改革(市場原理主義)路線を清算する選挙と
なって欲しい。

既に1970年代から自民党は長期的に見れば退潮傾向に
あった。1991年、ソ連の崩壊、冷戦構造の崩壊の中で
自民党の存在理由がなくなった。
①反共(すでに社会主義陣営が崩壊してしまった)
②高度成長(すでに達成)

①②が1955年の自由党と民主党合同の際の「合言葉」
自由民主党の存在意義だった。

1991年のソ連崩壊は、同時に自由民主党の日本での
歴史的存在意義、歴史的使命を終えたのである。

小泉改革は、その後のあだ花。

今回の総選挙は、自民党が歴史的使命を終え、新しい
世界情勢に見合った政治体制を作っていく始まりでも
ある。
民主党が新しい役割を果たせるのかどうか?
しかし、政治は暗中模索.。国民的試行錯誤の過程でも
ある。

小泉・新自由主義路線を継続すれば、日本という国が
崩壊してしまう。まず、当面の大きな課題である新自由主義
(小さな政府・全て市場原理に任せる)路線の決算を行う
ことである。

「物語 数学の歴史」を半分ほど読む。

投稿者 koyama : 14:16 | コメント (0)

2009年07月20日

上尾スーパー銭湯「花咲の湯」へ

晴れ・曇り

昨夜、午前2時位から目がさめ、朝まで眠れなかった。

今日(7月20日)付けの朝日新聞33面に長男が載っていた。


午前10時過ぎ、ベトナム事務所のバオミンさんと
電話でいくつかの重要な問題を話す。
バオミンさんのパソコンはウイルスで使用不可とのこと。

午前10時過ぎ、上尾の支援者「星野理一さん」の経営する
スーパー銭湯「花咲の湯」へ行く。

http://hanasakispa.jp/

電話 048-721-0238

疲労がたまっている。スーパー銭湯に行ってゆっくりと
休もうとの意図。

自宅から埼京線「浮間・舟渡駅」から大宮へ。
大宮から埼玉新都市交通「ニューシャトル」で15分「原市駅」へ。

原市駅から徒歩5分。

スーパー銭湯「花咲の湯」へ」到着。




入浴料は平日大人 800円。休日祝日 850円。

受付の女性の応対は感じの良いものだった。

お風呂に入る。

●室内風呂は、4つ。
・あつ湯、ぬる湯
・電気風呂
・冷水風呂
・ジェットバス、リラクゼーションバスなど

●外湯
・原泉かけ流し
・原泉風呂
・つぼ湯
・炭酸泉

●サウナ


ゆっくりと30分ほど入浴。
うち湯、外湯に入る。


脱衣場へ。脱衣場で70歳代の男性が携帯電話を使って
いた。若い男性スタッフが「申し訳ありません。脱衣場
での携帯は禁止されていますので・・・」と丁寧に
注意をしている。
70歳代の男性は、「うるせー。人に迷惑をかけていないん
だから、いいだろう。うるせー」と悪態をつく。
若いスタッフは「申し訳ありません、他のお客さんの迷惑
になりますので」
70歳代男性はかなりひどい言葉で悪態をついている。
大人げない。
浴室に入口に「刺青、タットゥー、皮膚病、携帯電話の
使用を禁止します」と書かれているのに。

若いスタッフの自分の気持ちを抑制した態度に好感を
もつ。

1階下のレストランへ。
メニューを見ると「ベトナム風」の料理がかなり用意されていた。





私はビールセットを頼む。生ビール、黒のハーフアンドハーフを
飲む。



レストランのスタッフは注文えを取る際、膝をついていた。
お客が帰るとすぐにテーブルにおいていある食器類の
片づけを行っていた。

レストランの各テーブルには、店員を呼ぶコールボタン
があり、いつでも注文ができるようになっていた。

総体として、行き届いたサービス。お客としては感じの
よい運営となっていた。

経営者の思いとポリシーが花咲の湯の細部にまで行き届いて
いたような気がした。

楽しく2時間ほどを過ごし、夕方帰宅する。
快い休息ができた。また行ってみたいという気持ちになった。


お風呂の掃除、椅子などの片付けは、かなりの頻度で
行われていた。いつもきれいなお風呂になるように
心がけていることがわかる。

行き帰りの車中で「物語 数学の歴史」を読む。

エジプト・西洋数学は「図形」を基本とし、
メメソポタミア文明は、「数える」ことを基本にそれぞれの
数学が発展していく。

同時に中国でも紀元前から数学が発達。特に代数の
数学が大きく発展した。

これらの数学の潮流はルネッサンス期を経て合流し
ニュートンとライプニッツが「微分学・積分学」の基礎をつくる。

微分・積分が人間の歴史の中でどのような意味があったのか
を解明する。数学に興味がないない人間でも知的好奇心を
そそられる内容である。

投稿者 koyama : 16:16 | コメント (0)

2009年07月19日

お墓参り

晴天

午前8時起床。

昨日の火炎樹日記を書く。メールのチェック。
受信・送信。

午前10時、自宅を出て徒歩で東武鉄道「東武練馬駅」
まで40分歩く。

東武練馬駅から森林公園駅まで50分。

森林公園駅からタクシーで我が家のお墓へ。
墓参。旧暦の7月13日から16日まで「お彼岸」。
今年は講演会などがありお彼岸に行けなかったので
時間が取れた今日、お墓参りに行く。

父、兄、弟のお墓参り。


お墓を掃除。草むしり、墓石の掃除。父親の好きなお酒を
供える。





兄(1945年死去)、父(1964死去)、弟(1966年死去)

弟が死去して既に43年。既に人々からは忘れられてしまった
存在となったが、せめて、私くらいは、忘れずにいたいと
思っている。


東武東上線で池袋へ。池袋の飲み屋で「精進落とし」。

行き帰りの車中で「物語 数学の歴史」(加藤文元著)
非常に興味のある本。

投稿者 koyama : 17:31 | コメント (0)

2009年07月18日

JASSスタディーツアーの打ち合わせ

曇り 湿度高し


昨夜の高校クラス会様の会合で痛飲。
今日は午前10時まで寝ている。

昨日の北海道芸術高校名古屋校講演会、高校クラス会様の
会合などについて火炎樹日記を書く。

午後3時まで5時間かけて今まで読む時間がなかった受信メール
を全て読み、必要なメールを送信する。

読書「江戸時代の性の不祥事」(永井義男著:学研新書)読了
しばらく前から江戸時代を学問的に再評価、見直す傾向が
出て来ている。私たちが学んだ江戸時代は士農工商で
農民と庶民は苦しみ、武士階級も武士道にしばられ、
封建的なシステムの中で苦しんでいた時代。

最近では、江戸は当時世界最大の都市であり、
農村では農村自治が大きく認められ、庶民もかなり
自由に生活していたということが分かってきた。

本書「「江戸時代の性の不祥事」を読むと、将軍はかなり
自由が抑制され、奥さんと自由な性生活を行うことは
出来なかったことが書かれている。

当時の正室は、大名や皇室関係の娘であり、将軍と
性生活を送ることはほとんどなかったそうだ。
15代続いた将軍の中で正室の子どもは、たった二人であった。
正室は、ひ弱に育てられているので、性生活を真っ当に行う
能力もあまりなかったようだ。
将軍は側室をたくさんおいた。側室の多くは農民か商人など
町家の健康な娘を選んで、健康な「男子」(後継ぎ)を生むという
システムを作っていった。

側室との性関係は、「添い寝」の女性がいて、将軍の
性行動を全てチェックしている。添い寝の女性は
将軍と側室のふとんから少し離れた布団に将軍に
背を向けて寝るというシステムになっていて、将軍の
全ての行動を関係者に報告していた。
将軍は道徳んどを厳しく教育されていたので、ほどんと
単純な性交だけでことをすませていたという。
江戸時代の将軍は「やり放題」と思われているのだが、
実際は相当違うようだ。

武士の離婚はかなり多かったそうだ。

「物語 数学の歴史」(加藤文元著 中公新書)を読み始める。

午後7時、JASSスタディーツアーの森田さん・加藤さんが
我が家に。我が家の前にある日本料理店で懇親。
山田さんも合流。
8月に行われるJASSスタディーツアーの内容、海老などの
アレルギーの人もいるので食事の件などを打ち合わせする。

午後9時、打ち合わせ終了。

投稿者 koyama : 08:28 | コメント (0)

2009年07月17日

北海道芸術高校名古屋校講演会:高校クラス会のような会参加

小雨


午前4時半起床。
午前5時半自宅を出て、東京駅へ。

午前7時40分東京発名古屋行きの新幹線に乗る。
新幹線の中でおむすび2個食す。

車中で読書「江戸の性の不祥事」(学研新書)

午前9時半名古屋駅着。北海道芸術高校名古屋校の
先生がホームまで出迎えに来てくれる。感謝。
駅前から車で北海道芸術高校名古屋校へ。


午後11時過ぎ、自宅着。


しばらく北海道芸術高校名古屋校に滞在。

その後、講演会場の名古屋市女性会館へ。

午前10時40分から午前11時半まで講演。
ストリートチルドレンのこと、ボランティアのこと、一人の人間でも
やる気があればある程度の仕事ができること、自分自身に
自信をもつことなどを話す。

講演終了後、質疑応答。二人の高校生から質問あり。

午後12時過ぎ、講演会を終了し、北海道芸術高校名古屋校の
先生の車で名古屋駅へ送ってもらう。今年の2月に
北海道芸術高校第1回「フェヤーマインドプロジェクト」の
スタディーツアーで生徒を引率してフエに来てくれた先生である。

私は名古屋に来た際、時間が少しでも取れたら「大須演芸場」
へ行くことにしている。
中部でただ一つの常設寄席である。ほとんど潰れる寸前の
寄席。一人でも多くお客が入り、少しでも潰れる時期を送らせる
のに貢献できればと思っている。


名古屋から地下鉄2つ目の丸の内駅で乗り換え、更に2つ目の
大須で下車。大須観音の門前町商店街を通り、徒歩10分位の
所に大須演芸場はある。

●大須観音


●大須演芸場


●今日の出演者


お客は5人。落語は雷門一門。あまりうまくはないが・・・・・・・。

腹話術、曲独楽・・・・・。


午後3時過ぎ、大須演芸場を出る。ここは、今古亭志ん朝(故人)
が存続運動の音頭を取っていた。


午後4時、名古屋発の「のぞみ」で東京へ。午後5時50分頃東京着。
その足で池袋へ。高校の同窓会のような会合に参加。

6月20日にフエ来た4人の同級生とラオスでラム酒工場を
経営している同級生が来ているとのことで、かなり疲れていたが
何とか参加。フエ→ラオス→ハロン湾旅行のお礼を言う。


フエ・ラオス旅行に参加した北田君の挨拶と乾杯の音頭で
開会。13人の同級生が参集。3年間同じクラスだった。


一部男子学生の左手に「イエローカード」がだされる。

キューバ、ベトナム、ラオス在住の同級生が参加。



午後9時頃第1次会終了。

引き続いて池袋西口の日本料理店で2次会。

さんまとカツオの刺身がうまかった。


午後11時過ぎ自宅着。


投稿者 koyama : 11:51 | コメント (0)

2009年07月16日

横浜市立小山台中学校講演会

快晴

午前7時半、自宅を出て新宿都庁前の心臓クリニックへ。

午前10時、診療。前回採血した結果を知らされる。
中性脂肪がかなり高い。尿酸値が高い(痛風傾向)、
肝機能に問題あり。(酒の飲みすぎか?)
いくつかの生活上の注意を受ける。

新宿で簡単な食事を摂り、湘南新宿ラインで横浜へ。
横浜で乗り換え、港南台。

午後1時45分、JASS青少年教育の会の加藤さんと落ち合う。

タクシーで横浜市立小山台中学校へ。



小山台中は各学年3クラス、全校で9クラス、270人。

午後2時50分から午後3時40分まで講演会。



体育館に270人の全校生徒が入ったので、蒸し暑くなる。


50分間の講演会を終わり、生徒会代表から花束贈呈



講演会終了後、校長先生と校長室で懇談。

港南台駅から横浜駅まで加藤さんと一緒に。
その後、横浜から東急地下鉄で三田経由西台へ。

午後9時帰宅。

この7年間ほどで横浜の中学校10数校で講演会を
行っている。

25通のメール受信。18通のメール返信。

明日は午前4時半起床の予定。
午前6時台に家を出て名古屋へ。
午前中、北海道芸術高校名古屋校での講演会。早めに就寝。


投稿者 koyama : 21:02 | コメント (0)

2009年07月15日

歯科医へ

昨夜、北海道からの帰宅が遅くなり、疲れる。

午前10時起床。
北海道芸術高校札幌校での講演会などについての
昨日の日記を書く。

午後12時から2時間ほど寝る。体が言うことを利かない。

午後4時、歯科医へ。今回の帰国中では3回目の通院。
2本の虫歯を治療。今日は麻酔を使わなかったので、
痛かった。これで6本の虫歯を治療する。

今回はあと1回の通院が必要。これで歯については、
当面大きな問題はない。


この2週間ほどの講演旅行の新幹線・飛行機の中で
2冊の本を読む。

「蘇る怪物 私のマルクス ロシア篇」(佐藤優著 文芸春秋)
ソ連の崩壊の原因が経済的な問題との評論が多いが、
本書では、民族問題と宗教問題が大きな要因と記している。
本書を読み、民族と宗教が一体となり一種のナショナリズムを
形成。その力が政治に転化する家庭が詳述されている。
キリスト教とイスラム教の違いではなく、ロシア正教も含めた
キリスト教の各派についても詳細な知識がないとソ連崩壊の
要因も十分には理解できないことが分かった。

「差別と日本人」(野中広務・辛淑玉著:角川書店)
私の野中広務観は、自民党の剛腕幹事長という
イメージだった。本書を読んでの読後感は、
人間は見かけや「政治信条」だけで判断してはいけない
ということである。
野中広務は、京都府園部町の町会議員から町長、
そして京都府議会議員、京都府知事を経験し、
45歳国会議員になっている。2世・3世議員とは
違い、本当に現場からのたたき上げの自民党議員である。

同時に未開放部落出身でもある。
2001年4月麻生現総理は「野中やらAやらBは部落の人間だ。
だからあんなのが、総理になってどうするんだい。
ワツハハハ」とある会合で発言したと野中氏は
本書の中で紹介している。
野中氏は麻生氏を「朝鮮人と部落民を死ぬほどこき使って
金儲けしてきた人間だから。彼が初めて選挙に出たとき
福岡の飯塚の駅前で『下々の皆さん』って演説した。
彼はそういう感覚なんだ」とも書いている。

メール多数受信。

投稿者 koyama : 04:34 | コメント (0)

2009年07月14日

北海道芸術高校札幌校講演会

快晴

午前7時起床

昨日の北海道芸術高校十勝清水本校での講演会の様子などを
日記に書く。

午前9時半、ホテルを出て帯広駅へ。

午前10時、帯広駅から特急で札幌駅へ。2時間10分。
午後12時過ぎ、札幌駅着。

駅には北海道芸術高校のA先生と飛んでけ・車いすのBさんが
待っていた。

飛んでけ車いすのBさんと北海道勤労者医療協会のC医師、
北海道教育大の学生さんとホテルのロビーで懇談。
ベトナム中部での車いす支援、医療ボランティアの可能性に
ついて②時間ほど打ち合せ。

午後2時半、北海道芸術高校札幌校へ。
午後3時から近くの自治労会館講堂で講演会。
北海道芸術高校は、今年も「フェアー・マインド・プロジェクト」を
行う。「HOKUGEI FAIR MIND PROJECT 2009」

第1ステージ  小山道夫講演会
第2ステージ  福祉・施設訪問
第3ステージ  環境保護活動
第4ステージ  ベトナムとの友好Tシャツ作成 第2弾
第5ステージ  ベトナム・スタディーツアー

150人ほどの高校1年・2年・3年生に話をする。







講演会終了後、北海道芸術高校札幌校でスタディーツアー等の
打ち合せ。

午後5時前、札幌駅から千歳空港へ。1時間。

午後6時千歳空港着。

午後6時半千歳空港発→羽田着午後8時過ぎ。

自宅着午後11時。

丁度1週間の講演会旅行だった。
札幌福祉大・福島大・茨城火炎樹の会・北海道芸術高校
十勝清水本校・北海道芸術高校札幌校講演会

1週間で5回の講演会を行った。
仙台・福島・茨城・帯広・札幌。

さすがに体が動かなくなった。たくさんのメールを
受信しているが、メールを読む気力がないほど
疲れてしまった。

午後12時過ぎ就寝。

投稿者 koyama : 11:04 | コメント (0)

2009年07月13日

北海道芸術高校十勝清水本校講演会

帯広 終日雨


昨夜、都議選の結果がでた。自民大敗。
昨夜、午後12時蓮頃、メールが入り
携帯がなり目を覚ます。そのまま眠れず午前4時起床。

シャワーを浴び、北海道2日間の講演会旅行の荷物の
準備をする。

午前5時過ぎ、自宅を出て、地下鉄で三田まで。三田から
羽田。午前7時50分羽田発帯広便に乗る。

睡眠不足もあり機中では寝ていた。

午前9時半、帯広は雨だった。気温17度。寒い。

北海道芸術高校十勝清水本校のスタッフの方が
車で帯広空港かた十勝清水本校まで1時間をかけて
連れて行ってくれる。

北海道芸術高校本部は、廃校となった熊牛小学校を借りて
通信制の高校を設立。坂井理事長の手で。

サテライト校は、札幌、仙台、東京、名古屋にあるが、
スクーリングだけは、設置されて十勝清水本校で行われる。
今日は、仙台と東京の生徒150人ほどがスクーリングに参加。





北海道芸術高校十勝清水本校にて
坂井北海道芸術高校理事長と


生徒は1週間の泊まり込みのスクーリングを行っていた。
今日は、十勝清水市役所職員から十勝清水市の歴史を
学んでいたい。



午後1時から150人ほどの高校1年生から3年生にベトナムでの
活動の話をする。






講演会には地元「十勝毎日新聞」「北海道新聞」の取材があった。
校長室で取材を受ける。



講演会には、雄武の菊清美先生と大学時代のサークルの仲間
であるAさんも参加。
また、1997年「ドキュメンタリー人間劇場」や2001年の
「NHK ETV2001」を作ってくれたフリー映像社長の
宮内さんの知り合いのBさんも来てくれた。講演会後、
しばらく話し合う。



崩壊後、生徒たちは音楽など自分たちの専攻している科目の
勉強をしていた。



その後、坂井理事長の紹介で、GOD VISIONSという企業活動を
通してボランティア活動を行う団体を立ち上げたCさんやDさんを
紹介して頂く。20代の若者の企画内容を聞く。なかなか考えられた
規格である。出来ることは一緒にやりたいと思う。

午後6時過ぎ、坂井理事長の車で帯広市内付近の
鳥屋で食事・懇談。

午後10時、帯広駅前のホテルに投宿。

メールをチェックするが、頭が働かず。若干目を通し
就寝。

昨夜あまり睡眠を取っていなかったのでさすがに
今日は疲れる。


投稿者 koyama : 08:13 | コメント (0)

2009年07月12日

水戸から東京へ帰宅

曇り

昨夜から水戸駅前のビジネスホテルに宿泊。

午前7時、ホテルで朝食。

昨日の日記を書く。

午前10時、ホテルをチェックアウト。

水戸駅から上野へ。

午後1時半、自宅へ。

疲労困憊。1時間ほど自宅で休息。

夕方、明朝、5時半に家を出て羽田空港に行く予定。
北海道の帯広・十勝・札幌旅行に必要な品物を
買いに行く。

ベトナム事務所から通販で販売する予定の山岳少数民族の布
が届く。直ぐに通販に郵送。

この数日、メールを開く時間がなかった。110通のメールあり。
全てのメールを読む。

20数通のメール送信。

午後9時から「TOKYO MXTV」で都議会議員選挙速報を見る。
民主の圧勝、自民の敗退の様相を強くする。(午後9時半)


明日、午前4時半に起床。北海道講演会の準備をしし、
5時半に自宅絵を出る。今日は早めに寝る。

投稿者 koyama : 21:45 | コメント (0)

2009年07月11日

茨城 火炎樹の会講演会

曇り

午前8時半自宅を出て巣鴨経由上野へ。
フレッシュひたちで水戸の一つ先の勝田へ。

12時前、勝田駅に元静岡会館日本語学校教師をしていた
横島さんが車で出迎えにきてくれる。
横島さんの車でひたちなか勤労会館へ。

会館では、火炎樹の会の皆さんや関係者が
ベトナム料理教室を行っていた。
私も御馳走になる。





午後1時半、火炎樹の会主催の講演会


火炎樹の会代表の横島久仁子さんの挨拶



会場は和室



「ストリートチルドレンの本当の自立にむけて」と題して
2時間ほどの話をする。

ビデオを交えて、こどもたちの自立の様子、
「子どもの家」を退所したあとの生活の様子などを
ビデオで説明。
更に現地の自立に向けて「子どもの家」・JASSベトナムを
中軸に「JASS企業群」をどのように構築しているかを
説明。



講演会終了後、「ひたちなかバドミントンサークル2」より
寄金の寄贈


午後4時過ぎ講演会を終わる


横島代表の運転で水戸市内のホテルへ行き、休息。


午後7時、火炎樹の会主催の夕食交流会


南欧料理を楽しむ



[
ビストロ・マンジェ」の玄関には「日本の宝 憲法9条を守ろう」
の看板。






午後9時過ぎ、夕食交流会を終わる


前火炎樹の会代表の森島夫妻の運転で
水戸市内のホテルへ。

投稿者 koyama : 07:48 | コメント (0)

2009年07月10日

福島大学「地域論Ⅱ」授業

朝小雨 昼から晴天

昨夜は福島大関係者と夕食・痛飲。

午前7時起床。長男家族と朝食。
孫(小2)登校。

午前9時半、長男の車で福島大学へ。

午前10時20分から90分間の授業。
内容は地域論。一般教養課程に当たる授業。
教育学部・経済学部などの学生56人が履修している。
私は福島大学の非常勤講師となっている。

ベトナム・フエで行っている「起業」、JASS企業群つくりと
そのことが、地元フエの地域産業活性化にどのように
貢献しているのかを話す。



JASSベトナムが現地で行っているストリートチルドレン、
生活困難なこどもたちへの支援活動を中軸にし、
その周りにどのような企業群を作り、こどもたちの
自立・JASSベトナムの財政自立、そして、
フエ地域への経済的な貢献をビデオを使って説明する。




授業終了後、若干の質問者あり。対応する。

福島大の図書館に私の伝記があり、その伝記を読んだ
学生が来る。フィリピンにボランティア活動で出かけるが
そのようなことに注意をしたらよいかなどの質問。


午後1時半、長男宅へ戻る。

受信メールを見ると41通ある。
大雑把に目を通すが、なかなか返事をする時間がない。
同時に疲労でメールを読みこなす気力なし。

静岡大学の滝下さんにSKYPEで連絡。
フエからの留学生の入学式について打ち合わせをする。


午後6時、福島市内の「ホルモン専門店」へ。

このお店は、一頭買い。牛や豚を一頭丸ごと買い、
別の場所に焼肉屋を持ってて、そこで肉を出し、
内臓はこのホルモン専門店で扱っている。
美味しい。

牛の4つの胃袋それぞれの刺身やホルモン焼を
食べる。



午後9時過ぎの新幹線で東京へ。

投稿者 koyama : 08:29 | コメント (0)

2009年07月09日

通院・福島へ

うす曇り 小雨


午前11時、新宿の榊原クリニックへ。
心電図、採血、診療。

主治医が毎週木曜日だけしか診療しなくなったために
なかなか日程が取れず、薬だけもらっていた。
久しぶりに主治医の診療を受け、血圧、心電図の
結果などの説明を受ける。

多数の通院者があり長時間待たされる。


午後2時過ぎ、上野から新幹線で福島へ。
明日の福島大学での講演会の下準備。

長男一家の家へ泊まる。

投稿者 koyama : 08:21 | コメント (0)

2009年07月08日

東北福祉大学講演会

曇り時々雨

午前中、メール送受信。多量。

午前10時、自宅を出て、上野から東北新幹線に
乗り仙台へ。2時間半。

仙台駅に東北福祉大の学生さんが出迎えに。

学生さんの車で東北福祉大学へ。


東北福祉大の学長先生と懇談。東北福祉大は曹どう宗立の大学。
福祉系を中心にした大学である。

東北福祉大の卒業生には、多くのプロ野球の選手がいる。
阪神の金本もその一人。大学の入口の金本関連の資料
が展示されていた。

今日の授業は生田目(なまため)先生の授業だが、
他の先生も振替えの授業としたため 大教室で
500人の授業となった。

90分の授業を行う。

ベトナムへ行った経過。
16年でたどり着いたボランティアの目的。
自立へ向けた取り組み。
JASS企業群の創設
こどもたちを育てるということ

ビデオを上映しながら話をする。



午後5時半、講演会終了。

その後、学長補佐の先生と懇談。

午後6時半、仙台市内で先生・学生の皆さんと懇談。

夜遅く、東京へ帰る。

投稿者 koyama : 07:41 | コメント (0)

2009年07月07日

歯医者通院

晴天 真夏日

午前8時起床。寝起き悪し。

今日は1日、メール受信(29通)、送信(20通)で過ごす。

午後3時、歯医者へ。上下2本ずつ、合計4本の初期虫歯を
治療する。
私は今まで歯が痛いという経験をしたことがない。何事も初期の
うちに手を打っておけば、あとで重大事態にならずに済む。

あと、2回か3回の通院が必要。7月中に2回~3回の通院時間
が取れるか、きわどいところである。キーンという歯を削る音は
何度経験しても嫌なものである。麻酔をかける。

JASSスタディーツアーの加藤さんから電話。
静大の滝下さんと電話で打ち合わせ。
坂本文子さんからバンベ入稿関連で電話

体調がいま一つパッとしない。

午後2時頃、東京都議選の
期日前(不在者)投票に行く。明日から日曜日の午後まで
講演会で満杯。12日(日)、投票に行けない可能性
が若干あるので、前もって投票した。投票は主権者の第1の
権利。いくら政治や社会に文句を言っても主権者としての
投票の権利を行使しないでは主張に説得力なし。
投票日5日前なのだが、想像以上に期日前投票に行って
いた。会場は高島平団地となりの区民センター。
年配者が多く投票に来ていた。
都議選への関心は高いと見た。

東北福祉大、福島大、火炎樹の会、横浜の市立中学、
北海道芸術高校(十勝・札幌・名古屋)などでの
講演会で上映するビデオを新しく編集・作成。

明日から2週間ほど、連続講演会などがある。体力が続くか?


今回帰国してみたら「年金特別便」が届いていた。
3月締切だそうだが、まだ数十万人だか数百万人だかは
知らないが回答をしていないとのこと。遅くなっても回答を
社会保険庁へ送るようにと新聞に書いてあった。

年金特別便を見てみる。すると「共済年金等 0ヵ月」
と書いてある。確か、23年間公立学校共済組合に
入っていたはず。

平成9年に公立学校共済組合と社会保険庁との間いを
インターネットでつなぐため、それまで独自に作っていた
年金番号を統一した。しかし、平成9年以前に退職した
公立学校共済組合員の年金番号は、そのまま放置。
従って、平成8年以前に退職した教職員は社会保険庁
が把握していない。私は平成8年前の退職している。

年金特別便は舛添要一厚生労働大臣からの手紙である。
「必ずご確認・ご回答をお願いします」と書いてある。

年金特別便についての「ご質問・お問い合わせ先」
の電話番号先に電話をした。私は平成5年に退職しているので
社会保険庁と統一の年金番号ではない。」
「年金特別便の共済組合等の蘭が0ヵ月となっているが、
23年加入している。なぜ、0ヵ月なのか?」と問いただす。
電話代は、自分もちなのである。
電話に出た男性は、共済年金から連絡がないので
0ヵ月にしたという。厚生年金や平成9年以降の共済組合員の
年金は社会保険庁はきちんとしらべているではないか?
何故、平成8年以前の共済組合員の年金については
調べないのか? インターネットで年金番号が届かないの
なら、公立学校共済組合本部に行けば名簿があり、
直ぐに年金番号と名前、退職年月日がわかるでしょ?
という。

すると社会保険庁の電話の男性は、私は社会保険庁の
職員ではない。アルバイトだ、と言い、答えられない。

「アルバイトでも何でも、舛添大臣が直接手紙をよこし、
質問があったら電話をするようにと書いてあったから電話
をしたのだ。貴方が、アルバイトかどうかは、私には
関係ない。この程度の質問にも答えらないのでは、
年金特別便の意味がない。貴方の名前は?」と聞く。
赤城と答えると相手は一方的に電話を切ってしまう。
失礼千万。

何と言うことか? 舛添大臣があれほど大見得を切り、
大金を使って郵送した「年金特別便」の実態は
この程度のものだったのだ。アルバイトで答えられなく
なると、電話を一方的に切ってしまう。

私はもう一度電話をし、責任者を出してもらう。
経過と事情を説明する。大臣が質問があったら質問するように
と書いてったので質問したのに、回答できず、その上一方的に
電話を切ってしまうなど、持っての他と抗議。

責任者は謝罪。結局、年金等別便の質問・問い合わせは、
社会保険庁でやっているのではなく、大金を使って
アルバイト・下請けの会社にやらせているのである。
マニュアルがあり、そのマニュアル通りの質問でないと
答えられないのだ。情けない。

平成8年以前に公立学校共済組合を辞めた人は、
いまだに社会保険庁は、年金ゼロ扱いとなっている。
こんなものは、公立学校共済本部に行き、名簿を
もらえばすぐにできることである。、制度を変更して
既に11年間もたっている。11年間、公立学校共済
と社会保険庁は何をしていたのだろうか?
無能・無責任集団。

日本という国は、黙っているとどこまでも騙される国家である。
舛添大臣は大言壮語したが、実態はアルバイトである。

静岡県知事選挙で民主党が分裂選挙をしたにも関わらず、
自民党が大敗(30万票以上の差)したのもわかるというもの。

東国原知事を自民党が担ごうとしているようだが、
ピント外れも甚だしい。
国民が自民党を見はなそうとしているのは、もっと生活の
奥底にある不満である。真面目に年金を支払っているのに
「支払ゼロ」はないでしょう、という単純な国家・政府・自公政権
への不信・不満である。真面目に働いている人たちが
「馬鹿を見る」社会や政治への不信は、奥底深く沈澱している。
東国原知事擁立などという茶番劇に興じている自民党首脳部
は、国民の奥底の苦悩を理解していない。そのしっぺ返しを
近々に国民から受けることになるのだ。

投稿者 koyama : 20:32 | コメント (0)

2009年07月05日

休日

曇り


朝10時まで寝ている。

ベトナム事務所からのメールへの返事。関係する
いくつかの仕事をする。

バンベ最終校正を行う。全文書を読み、写真や構成などの
最終チェックをし税田さんに送信。

午後、横になる。

夜 読書「私のマルクス 蘇る怪物」(佐藤優著:文芸春秋)
旧ソ連の民族問題の複雑さを知る。ソ連の民族問題を
理解するためには、キリスト教の歴史(各種分派の歴史)
を知る必要があることもわかる。

体がだるい。

夜るから明け方まで「吐き気」「下痢」。風邪をひいた。

投稿者 koyama : 10:25 | コメント (0)

2009年07月04日

金沢から浜松へー木村百合子さんの裁判支援総会参加

曇り

昨夜、金沢駅前ビジネスホテル泊。JASS静岡の会副代表の
滝下さんと。

ホテルで滝下さんと一緒に朝食を摂り、8時50分金沢発
米原行きの特急に乗る。米原から浜松まで新幹線。
浜松から東海道線各駅で3つ目の「磐田駅」へ。3時間半
程かかる。

午後1時20分、故木村百合子さんの公務災害認定裁判を
支援する会総会に出席。

午後1時半、総会開会。90人ほどの会員が参加。

・蓮井代表挨拶
・故木村百合子さんの母親からの挨拶
・事務局から裁判の経過報告
・会計報告
・はままつ共同法律事務所 塩沢弁護士より裁判の争点等
 報告。

・意見発表
  私の方から木村百合子さんとのつながり、この裁判の
  意味するものなどを話す。


・会員からの」質疑・意見発表

はままつ合同法律事務所の担当弁護士さんから
裁判の進行状況、争点などが報告され、総会は終わる。

この裁判は、2004年9月29日の早朝小学校教員
であった木村百合子さんが自宅近くの町民スポーツ
センターの駐車場で灯油をかぶり自死した。

百合子さんは自殺した9月の5ヵ月前に新任教員となり
静岡県磐田市立小学校の4年生の担任となった。
クラスには、AD/HDと思われる児童・こども同士の
いじめ、日本語があまり話せない外国人などがいた。
多動性・衝動性を有している男児などが中心となり
授業が成り立たないような状況となってきた。

百合子さんはたびたび校長・教頭・研修主任(前担任)
にクラスの窮状を訴え、救いの手を差し伸べてもらえるよう
努力した。
しかし、研修就任は「アルバイトじゃないんだぞ。
しっかり働け」とこどもたちのいる教室の隣の廊下で
百合子さんを叱責した。また研修就任は「お前の授業が悪いから
こどもたちが荒れるんだ」との暴言を百合子さんに投げかけた。

また教頭は「お前ばっかり問題を起こしやがって」と百合子さんを
叱責するなど、明らかに「パワハラ」といえる百合子さんいじめ
が続き、真っ当な新任教員に対する指導はなかった。
百合子さんは、管理職の暴言と人権侵害、誰も応援がない中で
問題を起こすこどもたちの指導に当たる。
孤立無援の中で全力でぶつかって教育活動を行ったが
精神的に病んで行き、新任教員半年で自死してしまう
という最悪の結末を迎え、大事な人生の「幕を閉じてしまった。

百合子さんの自死について両親が学校などへ質問をしても
真っ当な返事がない中で、両親は「木村百合子さんはこどもたちの
指導という公務にかかわり自殺したのだ」との公務災害認定を
地方公務員災害補償基金静岡県支部に申請したが、
却下された。
そこで両親は2008年7月、静岡地方裁判所に対して、
公務災害不認定処分の取り消しを求めて、本裁判を起こした。

木村百合子さんは静岡大学教育学部学生時代から
JASSの会員となり、「子どもの家」に何度も来て
こどもたちの心のケヤーをしたり、こどもたちと遊んだり
し、貧しいこどもたち、困ったこどもたちに強い愛情をもち
支援活動を行っていた。
そうした関係があるので、私は会発足の」呼びかけ人に
名を連ね、木村百合子さんの憤死の恨みを晴らしたいと
言う気持ちで支援活動を続けているのである。
教育委員会・校長など管理職は「死人に口なし」を
決め込み、両親にも何ら謝罪も行わず、自らの
使命である新任教員の指導などの任務放棄の責任すら
自覚していない現状である。

『木村百合子さんの公務災害認定裁判を支援する会』への
入会をお願いする次第である。

連絡先  蓮井康人 電話 0538-32-8063

新任教員は短期間の教育実習しか体験する機会がなく、
実際にクラスを担任してもうまくクラス運営ができないのは
当り前のことである。その上、指導が難しい多動性・衝動性の
強いこどもやど指導が難しいこどもを新任教員のクラスに
集めるなど、校長・教頭などは管理職としての任務を
放棄している。その上、援助するのではなく、新任
6ヵ月間は仮採用である新任教員の弱点に付け込み、
暴言をはき、木村百合子さんの人権を著しく侵害している。
木村百合子さんは詳細な日記をかいている。
日記には校長・教頭・研修主任などの暴言・人権侵害
が綿めんと綴られている。
人間の命と尊厳が学校という人間を育てるべき場所で
逆に侵されていることに怒りを感ずる。
自殺した木村百合子さんはも何も言えない。
生きている私たちの出来ることは、この裁判で木村百合子さんの
自殺の原因は教育という公務が原因で行ったということくらいは
教育委員会・校長がなどに認めさせることである。
全国で多くの先生が自殺している。日本人の年間自殺者は
この11年間3万人を超えている。
こうした自殺者を出さないためにもこの裁判を通して、
人間が人間として大事にされる社会を作っていきたい。


午後3時過ぎ、総会を記念してジャーナリストの斉藤貴男氏の
講演会となる。
演題は「強いられる死」


小泉改革を一つのピークとして、1997年までは年間
自殺者は24000人。
翌年1998年から一気に3万人以上の自殺者が出て
今日まで11年間、3万人自殺者が続いている。

1997年の山一証券の破たん、北海道拓殖銀行破産など
が起こり、中小企業の社長さんなどの自殺が相次いだ。
その後、市場原理主義が横行し、競争社会となり、
「自己責任」論が声高に叫ばれ、貧しい人々は、
本人に能力と努力がないからだとの世論つくりが
行われてきたと分析している。

午後4時半、講演会終了。

JASS静岡の会事務局長の笠井さんと一緒に
新幹線「こだま」に乗り、1時間ほど様々な話をする。

午後8時過ぎ、自宅着。

本当に疲れた。
考えてみると6月初めから今日まで1ヵ月間の連続の仕事が
続いた。

6月初め、静岡大学工学部入試がJASSベトナム事務所で
行われ、続いてマブチモーター奨学金支給の資料作りの
ためにアクアの方が来訪。直ぐに高校のクラス会のような
会のの皆さんとフエ→ラオス・ビエンチャン→ラオス・ルアン
パバーン→ハノイ・ハロン湾と旅行。
その足で6月28日日本へ帰国したが、今日まで毎日、
仕事がはいっていた。

投稿者 koyama : 11:15 | コメント (0)

2009年07月03日

金沢大学訪問

晴天

午前7時半、静岡市内のホテルで朝食。

午前9時半、静岡駅へ。静岡駅でJASS静岡の会副代表
の滝下さんと合流。

静岡駅から名古屋へ。名古屋から米原。米原から金沢駅へ。

●金沢駅(獅子頭の形)

約3時間。

金沢駅で元静岡大学学務部長のK氏と合流し、金沢大学へ。


教育担当理事のA先生、国際交流センター室長などと懇談。
フエでの活動、静岡大学工学部ニフィープロジェクトなどに
ついて意見交換。


午後4時過ぎまで意見交換。

金沢大学学生部長(前静大学務部長)の案内で金沢城を参観。

●金沢大学K学生部長と金沢城前にて



●JASS静岡の会副代表滝下さんと。金沢城前にて



金沢城の前に「兼六園」がある。時間がないので兼六園の
一部を参観。

金沢は紫陽花(あじさい)の季節だった。


滝下さんと金沢駅前に宿泊。明日の木村百合子さんの裁判を
支援する会総会出席の準備。


投稿者 koyama : 21:15 | コメント (0)

2009年07月02日

静岡大学授業

晴れ

午前6時起床。

メール受信・送信。

午前8時半自宅を出て巣鴨経由東京駅へ。

東京駅から静岡まで。
車中で読書「私のマルクス 蘇る怪物 ロシア篇」(佐藤優著)

静岡大学では大学図書館が「廃棄」した図書を閲覧。
フエ高等師範大日本語学科で使えそうな本を探す。
図書館副課長さんが大学図書館の閲覧室、蔵書室など
を案内してくれる。

静大は郊外の山の中腹にある。マムシも時々でるという。
自然豊かなキャンパスである。


その後、今日の授業の内容を打ち合わせ

今日の授業は「ベトナムから学ぶ」。学部共通。
2単位の授業である。15コマの従業となる。
今日の授業もその一貫。8月7日から13日までは
現地ベトナム・特にフエでの様々な活動などが
授業の中心となる。私も静大に非常勤講師と
いうことになり、この授業に協力する。

午後3時から90分の授業。
静岡市の本部で授業を行い、浜松にある工学部では、
テレビで静岡市内本部での授業を受ける。

ベトナム2000年の略史。植民地・ベトナム戦争・・・・。
16年前にベトナムへ渡った経過。
ストリートチルドレンを支援するボランティアについての
私の考えた方の3段階の変遷。

現在の到達点。

この15コマの授業を通して、考えてほしい点を言う。
①アジア・ベトナムから学ぶという姿勢を持ってほしい。
  アジア・ベトナムは貧しく遅れた国と単純に思わず、
  私たちが学ぶものがるはず。何かをこの授業を
  通して考えてほしい
②人間の幸せをとは何かを考えてほしい
③家族、地域というものが人間にどんな位置と意味があるのか
 を考えてほしい

午後5時前に授業終了。

授業後、私たちの活動を手伝いたいという学生さんが来る。

午後6時、静大A理事さんのお宅に招待され、夕食を御馳走に
なる。

静岡市内のビジネスホテル着、午後10時過ぎ。

投稿者 koyama : 08:27 | コメント (0)

2009年07月01日

ピースインツアースタッフと懇談:静大授業の準備

曇り
午前7時起床。
曇り
午前7時起床。

ベトナム事務所からのメールへの返事。いくつかの問題について。
バンベー原稿と写真の校正。

午前11時半、自宅を出てピースインツアーのスタッフと懇談。
今後のスタディーツアーなどについて話し合う。


午後、明日の静岡大学でも授業内容を検討する。
必要なビデオを整理する。


読書「劇場政治の誤算」(加藤紘一著:角川書店)読了

今日麻生首相は内閣の補充人事を行った。
ますます麻生内閣の力のなさ・時代錯誤、優柔不断さを
露呈したものであった。自民党の末期症状を示している。
論評するに値しない。

本書で加藤紘一氏(元宏池会会長・自民党幹事長)は
自民党の役割は終わったと断言している。
本書は2009年4月10日発行。
自民党の役割は二つあったという。
ひとつは「反共」(日本を社会主義国家にしない)
二つ目は「高度セ経済成長」。

戦後60年たち、1955年保守合同(自由党・民主党)
の狙いだった上記2点を達成した。
 
1991年ソ連の崩壊、高度成長の達成。この時点で
既に自民党の役割は終わったし、今後の日本はどうあるべきか
を論じている。その趣旨は「地域の再生」。


夕方から、今日最高裁で判決(懲役2年6月)が確定した
元外務省職員の佐藤優著「私のマルクス 蘇る怪物」(文芸春秋)
ソ連崩壊時、崩壊後の混乱、その後共産党幹部がどうなったのか?
社会主義を放棄したロシアはどう変質していったのか?
国民はどのような対応をしたのか? 
佐藤優氏の著作を読むといつも知的な刺激を受ける。
非常に興味の湧いてくる著作である。

明日からの3日間(静岡大→金沢大→浜松・磐田)
旅行の荷物、持ち物の準備。

投稿者 koyama : 21:19 | コメント (0)