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2009年06月30日

「子どもの家」支援のための製品つくり:歯医者へ

午前7時起床。 曇り 時々雨

午前8時からメール受信・送信(多量)

午前10時、ブライセン本社役員の方々と電話会議。
ブライセンベトナム支社の運営等について協議。
「子どもの家」卒業生の仕事ぶりなどを話し合う。

午前11時半、歯科。
総合的な口腔検診をしてもらう。特に大きな問題なし。
歯垢除去は非常に良くできていると言われる。
虫歯の初期5本ほどあり。今回の帰国中の治療を
依頼するが、もう少し時間が必要と言われる。
何とか7月1ヵ月の間に全ての治療を行ってもらうよう
お願いし、了解してもらう。
機械による歯垢除去・歯の着色の除去などを行う。1時間。

午後1時半、自宅を出て大江戸線で蔵前へ。
厩橋(うまやはし)を渡り徒歩で本所へ。



アクセサリー「マルタカ」へ。会長の直井さんとは10数年来の
お付き合い。直井会長が主宰している「YONAOSHI 赤い顔」
の第2回下町平和大賞を頂いている。
現在は長男の一高氏が社長を務めている。

一高社長からの連絡で「子どもの家」への支援として、
布類などを使った製品を日本に輸入するプロジェクト
についての相談。


午後5時頃まで話し合い。

その後、会長さんと友人の方と会長宅で懇親。
午後11時頃まで懇親は続く。

自宅着午前0時。

往復の地下鉄車中で読書「劇場政治の誤算」(加藤紘一著)

投稿者 koyama : 10:44 | コメント (0)

2009年06月29日

262通のメールを読む

曇り  多少蒸し暑いが涼しい

午前8時起床。

午前8時半朝食。

7日間のラオス・ハロン湾旅行中、262通のメールと
527通の迷惑メールが入っていた。

朝食を終え、午後7時まで昼食抜きで全てのメールを読み、
必要な返事をだす。

大事な内容のメールが多かった。


ベトナム事務所からバンベの原稿校正が届く。全てに
目を通し、必要な語句の訂正を行う。

7月日本滞在中の日程がいくつか追加される。
明日、早速、支援者でもあるアクセサリーの社長さんを訪ねること
となった。
ブライセンから電話。明日午前10時からSKYPE会議を開く
ことになった。
明日午前11時半に歯医者の予約。

投稿者 koyama : 18:45 | コメント (0)

2009年06月28日

無事成田へ帰国

成田気温 23度

午前6時50分成田着。ハノイから約5時間。

成田空港でG君・S君・Nさんと別れ、K君と一緒に
スカイライナーで日暮里経由巣鴨。

午前10時頃、自宅着。

お風呂を沸かしゆっくりと入浴。

買い物へ。豆腐、ほうれん草など・・・・・

駅前本屋へ。ベトナムでは近刊書を買えない。
興味のある本3冊購入。

「劇場政治の誤算」(加藤紘一著:門川書店)
「差別と日本人」(野中広務・辛淑玉」(:川書店)
「資本主義はなぜ自壊したのか」(中谷巌著:集英社)

6月の始めまら1ヶ月間、本当に忙しかった。
6月初旬、静岡大学工学部入試をベトナム事務所で行った。
その後、アクアの村上さんの応接ー静大入学生への奨学金
ボランティア貯金完了報告書作成
高校同級生4人のフエ来訪。その後、一緒に7日間のラオス・
ハノイ・ハロン湾旅行。

この9日間、40数年前3年間一緒のクラスで勉強した仲間と
行動を共にした。40数年間の仕事・家庭などの人生が
それぞれの人間を鍛え・変えていっていることを実感するが、
それえでも40数年の16歳から18歳の頃の人間性を色濃く
残してはいた。

私としては、60歳になってラオスでラム酒を作る工場を
立ち上げ、その中心になって活動しているY君の元気な
姿が一番印象に残った。

半年振りに我が家へ帰る。入浴・昼食後、3時間ほど寝る。
メールが100通ほど入っている。
全てに目を通し、返事を書くにはかなりの時間がかかる。
メールの調子が悪い。


投稿者 koyama : 09:04 | コメント (0)

2009年06月27日

ハノイ市内から「世界自然遺産「ハロン湾」へ

ハノイ

午前7時半、朝食。

ハノイ市内の3つ星ホテル。金額相応のホテル。

午前8時半、ハノイのホテルを車で出て、ハロン湾へ。
車で片道3時間半。

午前11時半過ぎ、ハロン湾へ到着。
到着前から雷と雨。
雨足が強く、船が出せないとのこと。
30分ほど港で待つ。大勢の参観者が港で待っている。


午後12時半過ぎ、当局の許可が出たようで、出港が
認められる。

私たちは一艘の福船を借り切り、3時間ほどの
ハロン湾遊覧を楽しむ。



海産物料理を堪能する



途中、船上生活者のいけすにあるイカを買い、刺身にする。
ワザビ醤油で食べると美味。





2時間ほどハロン湾で摂れた海産物を堪能。

その後、ハロン湾にある鍾乳洞を参観。かなり大きな
鍾乳洞。中はライトアップされており、多くの参観者で
満杯。


鍾乳洞まではかなりの坂と石段を登らなければならない。






午後4時半、ハロン湾を後にし、ハノイ市内へ。
午後8時、ハノイ市内のベトナムレストランでベトナム最後の
夕食。



午後9時半、レストランを出て、ハノイ空港へ。

6月28日午前0時05分ハノイ発のVN・JAL共同運航便
で成田へ向け出発。私は7日間、他の同級生は
9日間のベトナム・ラオス視察ツアーだった。

ラオスの案内人Y君には心から感謝したい。
彼の仕事ぶりを見て、この40数年の仕事の中で
様々な苦労をしたなということは、ひしひしと感ずる。
気配りと行動力の素晴らしさ。
また、4人の同級生がフエの活動を直接見てくれたことにも
感謝したい。


投稿者 koyama : 18:42 | コメント (0)

2009年06月26日

ルアンパーバーンからハノイへ

快晴

午前中、ルアンパバーン郊外にある滝を参観。
素晴らしい景観と自然、そして滝。あまり観光客も来ていない
スポット。案内人のY君が見つけたスポットとのこと。
やはり現地に住んでいる人が案内してくれると一般の
ツアーとは一味も二味も違うツアー内容となる。

夕方、ルアンパバーンから国際線でハノイへ。

夜ハノイ着。ハノイで「チャーカー」(魚の炭火焼料理)を
食べる。

午前0時まで私たちの部屋で反省会。

投稿者 koyama : 18:25 | コメント (0)

2009年06月25日

ルアンパバーン:メコン川船で遡上し洞窟の1000体仏像に祈願

午前6時起床。
既に蒸し暑い。

午前8時朝食。私たちの泊まっているゲストハウスは
別館にあるので、食事は本館まで。本館前の
川沿いの庭園でビュッフェの朝食。フランスパン、
ヨーグルト、果物などを食す。


午前9時、メコン川を小舟で遡上する。強い日差しと
青空。


常時携帯している「するめのつまみ」



16世紀。ラオス王朝の紛争で多くの仏像が破壊されそう
になり、1000体もの仏像をメコン河にある洞窟に隠したそうだ。
たくさんの仏像が洞窟に安置されていた。かなり多くの階段があり
仏像見学はかなり体力を使うものであった。





投稿者 koyama : 17:40 | コメント (0)

2009年06月24日

ビエンチャン市内視察2日目

快晴

昨夜も午前0時過ぎまで私たちの部屋で懇親会あり。

午前中、美味しいフランスパンを作っている店を視察。


美味しいフランスパンをつまみに軽く一杯


その後、JICAなどの支援で活動している染物屋を参観。
ラオスに生育する自然の植物を原料にしての手作りとの
染物。実習や販売も行っている。


午後、Y君の紹介でラオスの「ハーブサウナ」に入る。
木造の粗末な小屋のようなサウナだったが、ハーブの
香りと強いスチーム。何度か入り、体中の汚物を
毛穴から吐き出させたような爽快感がある。
その後、参加者のY君・G君・S君・私、女性唯一の
参加者N(旧姓)さんと5人並んでラオス式マッサージを
受ける。あまり痛くもなく、タイガーバームのような
香りのオイルを塗りながらの1時間にわたるマッサージで
一部参加者は寝てしまった人もいた位爽快なものだった。

午後、ラオス空港屋内線へ。ルアンパパーン行きを待つ。

この高校クラス会のようなツアー参加者は、どこかに座ると
何となくビールが出てくる特殊なツアーである。

夕方、ビエンチャン空港国内線からルアンパバーンへ。
プロペラ機。

夜、ルアンパバーンで夕食。

その後、低料金ホテル(満足度90%)の私たち(私とG君)の
部屋で今日一日の諸行動についての深い反省。

これまで3回ほどルアンパバーンに来ているが
いつきても落ち着くところである。

投稿者 koyama : 19:40 | コメント (0)

2009年06月23日

ラオス・ビエンチャン「ラム酒工場」視察

快晴 かなり蒸し暑い


昨夜、ハノイからビエンチャンに着く。

午前中、ビエンチャン市内見物。現地にいるY君が案内してくれる。


凱旋門。1975年の社会主義解明後に中国からの寄贈で
できうたものだという。



凱旋門内にて。案内のY君撮影

市内で一番有名なお寺。名前は失念


メコン河。対岸はタイ。


午後、ラム酒工場視察

高校同級生のY君・T君・S君の3人で共同運営。


責任者の一人であり今回の案内人でもあるY君。工場内にて



なかなか立派な工場である。蒸留する各種設備をしっかりと
備えている。



工場に隣接する広大な農園には、サトウキビが植えられている。

年末の12月から3月位に刈り取り、ラム酒を作るという。

Y君たちの「趣味」で「ハーブサウナ」を作っていた。



昨年から今年刈り取ったサトウキビで作った第一作目の
ラム酒。

黒糖ラム酒。しばらくカメで熟成させる。


視察後、第1作目の「ホワイト ラム酒」を試飲する。ラム酒の香りと
甘い味である。素晴らしい出来である。

高校クラス会のような視察団の皆さんも試飲。
一部試飲がいつの間にか「本格飲酒」に発展した豪の者もいた。

夜、市内に戻り夕食。Y君の紹介で市内の大衆食堂へ。
野菜のなべものが美味しい。


引率責任者のY君とラオス「黒ビール」を飲む。美味しい。


投稿者 koyama : 19:03 | コメント (0)

2009年06月22日

高校同級生ベトナム事務所・各種研修センター訪問:ハノイ経由ラオスね

快晴

午前5時起床。
今日の昼から高校同級生ツアーと一緒に
派の経由でラオス・ビエンチャンへ行く。
その足で日本へ帰国。帰国の荷物整理を行う。

午前7時朝食


大塚さんは息子さん来訪のため欠席

キャッサバメン

午前8時、高校同級生一行とホテル落ち合いベトナム事務所へ。

ベトナム事務所スタッフと挨拶。

日本語学校視察


縫製研修センター視察

その後、「子どもの家」へ行き刺繍土産物店で
刺繍を買う。

午前10時半ホテルをチェクアウト

チャオバンカンの店で簡単な昼食。

午後1時、フエ空港からハノイへ。

ハノイ空港で2時間ほど待ち、ラオスビエンチャン空港へ。
ビエンチャンは気温32度。暑い日差しだった。

高校同級生のY君たちがラム酒工場を経営。
空港に出迎え。

Y君の運転する車でビエンチャン市内の安い
ホテルへ。

午後7時、市内の大衆食堂で夕食。
ラム酒工場で仕事をしている2人の日本人も合流。
ラオスの大衆料理はベトナムとほぼ同じものが
多い。豚肉のハムは美味。

ラオスビールで乾杯。

その後、部屋に戻り再び、5人で歓談。

午前0時過ぎ、お開き。


投稿者 koyama : 08:41 | コメント (0)

2009年06月21日

高校同級生「子どもの家」訪問・王宮等視察

快晴 日中の気温40度を越す 猛暑

午前4時半起床。JASS機関紙「バンベ」35号の原稿3種類を
書く。
バンベ原稿の校正。

昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時過ぎ朝食。先週の日曜日に残したほか弁の半分(冷凍)
と先週の日本料理店の残り(冷凍)を解凍し、食べる。

午前8時50分、フォンザンホテルへ。
高校同級生一行4人と「子どもの家」へ。
「子どもの家」を案内する。


「子どもの家」自習室で

「子どもの家」音楽室

丁度、「子どもの家」では、地元ヘヤーサロンの人たちが
ボランティアでこどもたちの髪を切ってくれていた。

コンピューター室

午前11時、こどもたちと一緒に昼食。


午後12時過ぎ、「子どもの家」を出て、「ハイリーホテル」へ。

「ハイリーホテル」でバンベ35号関係の原稿の校正。
添付する写真を見つける。

午後2時半過ぎ、高校同級生の泊まっているホテルへ。

皆さんと一緒にティエンムー寺見学。

午後4時半、王宮見学。バオミンさんの案内で、歴代皇帝の
位牌などの説明を受ける

グエン王朝第2代目ミンマン皇帝の6代目直系であるミンさん
たちは、「皇族会」を作っている。自分たちの祖先の慰霊を
したいと願い出ていたが、当局から拒否。やっと数年前に
年に1回、2時間だけの皇族会としての先祖の慰霊が
認められている。たった2時間の慰霊祭には、約100人ほどの
グエン朝皇帝の血縁者が参加するとのこと。

王宮参観ご「ドンバ市場」を視察・買い物。
干し海老、塩などを買う。

皆さんが1時間ほどホテルで休憩。
私はベトナム事務所でメールのチェック・バンベ原稿の
校正。バンベ用の写真を探す。

午後6時半、市内の8階の某レストランの個室ベトナム料理を
堪能。33本のフェスティバルビールを飲む。

午後9時過ぎ、投宿しているホテルへ。

午前0時過ぎまで高校時代の思い出話に花が咲く。

「ハイリーホテル」着 午前0時半。

投稿者 koyama : 07:38 | コメント (0)

高校同級生「子どもの家」訪問・王宮等視察

快晴 日中の気温40度を越す 猛暑

午前4時半起床。JASS機関紙「バンベ」35号の原稿3種類を
書く。
バンベ原稿の校正。

昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時過ぎ朝食。先週の日曜日に残したほか弁の半分(冷凍)
と先週の日本料理店の残り(冷凍)を解凍し、食べる。

午前8時50分、フォンザンホテルへ。
高校同級生一行4人と「子どもの家」へ。
「子どもの家」を案内する。


「子どもの家」自習室で

「子どもの家」音楽室

丁度、「子どもの家」では、地元ヘヤーサロンの人たちが
ボランティアでこどもたちの髪を切ってくれていた。

コンピューター室

午前11時、こどもたちと一緒に昼食。


午後12時過ぎ、「子どもの家」を出て、「ハイリーホテル」へ。

「ハイリーホテル」でバンベ35号関係の原稿の校正。
添付する写真を見つける。

午後2時半過ぎ、高校同級生の泊まっているホテルへ。

皆さんと一緒にテzィエンムー寺見学。

午後4時半、王宮見学。バオミンさんの案内で、歴代皇帝の
位牌などの説明を受ける

グエン王朝第2代目ミンマン皇帝の6代目直系であるミンさん
たちは、「皇族会」を作っている。自分たちの祖先の慰霊を
したいと願い出ていたが、当局から拒否。やっと数年前に
年に1回、2時間だけの皇族会としての先祖の慰霊が
認められている。たった2時間の慰霊祭には、約100人ほどの
グエン朝皇帝の血縁者が参加するとのこと。

王宮参観ご「ドンバ市場」を視察・買い物。
干し海老、塩などを買う。

皆さんが1時間ほどホテルで休憩。
私はベトナム事務所でメールのチェック・バンベ原稿の
校正。バンベ用の写真を探す。

午後6時半、市内の8階の某レストランの個室ベトナム料理を
堪能。33本のフェスティバルビールを飲む。

午後9時過ぎ、投宿しているホテルへ。

午前0時過ぎまで高校時代の思い出話に花が咲く。

「ハイリーホテル」着 午前0時半。

投稿者 koyama : 07:38 | コメント (0)

高校同級生「子どもの家」訪問・王宮等視察

快晴 日中の気温40度を越す 猛暑

午前4時半起床。JASS機関紙「バンベ」35号の原稿3種類を
書く。
バンベ原稿の校正。

昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時過ぎ朝食。先週の日曜日に残したほか弁の半分(冷凍)
と先週の日本料理店の残り(冷凍)を解凍し、食べる。

午前8時50分、フォンザンホテルへ。
高校同級生一行4人と「子どもの家」へ。
「子どもの家」を案内する。


「子どもの家」自習室で

「子どもの家」音楽室

丁度、「子どもの家」では、地元ヘヤーサロンの人たちが
ボランティアでこどもたちの髪を切ってくれていた。

コンピューター室

午前11時、こどもたちと一緒に昼食。


午後12時過ぎ、「子どもの家」を出て、「ハイリーホテル」へ。

「ハイリーホテル」でバンベ35号関係の原稿の校正。
添付する写真を見つける。

午後2時半過ぎ、高校同級生の泊まっているホテルへ。

皆さんと一緒にテzィエンムー寺見学。

午後4時半、王宮見学。バオミンさんの案内で、歴代皇帝の
位牌などの説明を受ける

グエン王朝第2代目ミンマン皇帝の6代目直系であるミンさん
たちは、「皇族会」を作っている。自分たちの祖先の慰霊を
したいと願い出ていたが、当局から拒否。やっと数年前に
年に1回、2時間だけの皇族会としての先祖の慰霊が
認められている。たった2時間の慰霊祭には、約100人ほどの
グエン朝皇帝の血縁者が参加するとのこと。

王宮参観ご「ドンバ市場」を視察・買い物。
干し海老、塩などを買う。

皆さんが1時間ほどホテルで休憩。
私はベトナム事務所でメールのチェック・バンベ原稿の
校正。バンベ用の写真を探す。

午後6時半、市内の8階の某レストランの個室ベトナム料理を
堪能。33本のフェスティバルビールを飲む。

午後9時過ぎ、投宿しているホテルへ。

午前0時過ぎまで高校時代の思い出話に花が咲く。

「ハイリーホテル」着 午前0時半。

投稿者 koyama : 07:38 | コメント (0)

高校同級生「子どもの家」訪問・王宮等視察

快晴 日中の気温40度を越す 猛暑

午前4時半起床。JASS機関紙「バンベ」35号の原稿3種類を
書く。
バンベ原稿の校正。

昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時過ぎ朝食。先週の日曜日に残したほか弁の半分(冷凍)
と先週の日本料理店の残り(冷凍)を解凍し、食べる。

午前8時50分、フォンザンホテルへ。
高校同級生一行4人と「子どもの家」へ。
「子どもの家」を案内する。


「子どもの家」自習室で

「子どもの家」音楽室

丁度、「子どもの家」では、地元ヘヤーサロンの人たちが
ボランティアでこどもたちの髪を切ってくれていた。

コンピューター室

午前11時、こどもたちと一緒に昼食。


午後12時過ぎ、「子どもの家」を出て、「ハイリーホテル」へ。

「ハイリーホテル」でバンベ35号関係の原稿の校正。
添付する写真を見つける。

午後2時半過ぎ、高校同級生の泊まっているホテルへ。

皆さんと一緒にテzィエンムー寺見学。

午後4時半、王宮見学。バオミンさんの案内で、歴代皇帝の
位牌などの説明を受ける

グエン王朝第2代目ミンマン皇帝の6代目直系であるミンさん
たちは、「皇族会」を作っている。自分たちの祖先の慰霊を
したいと願い出ていたが、当局から拒否。やっと数年前に
年に1回、2時間だけの皇族会としての先祖の慰霊が
認められている。たった2時間の慰霊祭には、約100人ほどの
グエン朝皇帝の血縁者が参加するとのこと。

王宮参観ご「ドンバ市場」を視察・買い物。
干し海老、塩などを買う。

皆さんが1時間ほどホテルで休憩。
私はベトナム事務所でメールのチェック・バンベ原稿の
校正。バンベ用の写真を探す。

午後6時半、市内の8階の某レストランの個室ベトナム料理を
堪能。33本のフェスティバルビールを飲む。

午後9時過ぎ、投宿しているホテルへ。

午前0時過ぎまで高校時代の思い出話に花が咲く。

「ハイリーホテル」着 午前0時半。

投稿者 koyama : 07:38 | コメント (0)

2009年06月20日

ベトナム事務所員会議:日本料理店会議:高校同級生4人来訪

終日晴天 午後12時半の気温42度(5階日陰)


午前7時、朝食。
大塚さんは船上生活者支援へ


午前8時ベトナム事務所へ。東京栗原さんの里子タムさんの
1ヶ月遅れの誕生日。(5月21日生まれ)栗原さんから贈られた
誕生祝を贈呈。
あわせて栗原さんからのお祝いの手紙をベトナム語に
翻訳して手渡す。

タムさんは、「子どもの家」から独立。王宮付近の縫製店で
ミシンを使いながら仕事をしている。53歳の母親(宝くじ売り)
と同居し自立した。

栗原さんから「ステンレス ピンキング鋏」を贈呈される。

19歳になったタムさん。10数年間の栗原さんからの支援で
大人になり、自立。これからの人生にたくさんの幸せが待っている
ことを心より祈りたい。そして、10数年間もタムさんを日本から
支えてくれた栗原さんに心から感謝したい。口では何とでも
いえるが、「行動」することは難しい。実際の行動で、たった一人
のこどもではあるが、タムさんの人生を大きく切り拓いてくれた。
悪い道に入らず、ミシン研修の技術を取得し、真っ当な人生を
歩み始めたタムさんをもうしばらく、側面から応援していきたい。

午前8時半、ベトナム事務所員会議



今日は特別傍聴として内田征子さんも参加。

冒頭バオミン運営委員長より「今日から2つのツアーが
フエへ来る。今日のベトナム事務所員会議では、
職員研修旅行の感想、当面の活動などを報告して
欲しい」との発言がある。

(内田)いい研修会だった。色々なスタッフと話が出来て
     良かった。SANDY HOTELも素敵だった。
(石上)先週は中級を火・土と教えた。21課まで。
     来週から特進クラスを午前8時から10時までおこなう。
     職員研修は楽しかった。
(アン)研修旅行は楽しかった。研修旅行の写真をプリントした。
    今日、全員に配る。
    明日、ミニスタディーツアーの案内の補助をする。

(原田)職員研修会はゆっくり出来て良かった。大勢で行けて
    楽しかった。
     特進クラスは25課まで進んだ。50課が目標なので半分。
(ソン)職員研修会は特に楽しかった。
    夏の里親への手紙の翻訳。
    夏のスタディーツアーの日程案整理
    扇風機を買って「ハイリーホテル」へ持っていく。

(フーン)研修旅行は勉強になった。サウナやマッサージをした。
     楽しかった。

    

(ハン)夏のメッセージを翻訳。
    バンベの原稿を翻訳
    給料の準備(本日支給)

(税田)ボランティア貯金の会計報告を作った。大変だった。
    バンベーの準備
    HY君の退所式参加

(クアン)授業の準備
     手紙翻訳
     研修会 たくさん食べた。お腹が痛くなった。頭も痛くなった。
(ミン)研修旅行、楽しかった。施設が良かった。
    夏のスタディーツアーの日程調整中(大体終わった)
    バンベの原稿を集めている。

午前9時半、ベトナム事務所員会議終了。

内田さんは日本語学習者とトランプをしながら日本語を教える。

バオミンさん・税田さんと私の不在中の諸問題を協議。

午前11時過ぎ、内田さん・税田さん・ソンたちと昼食。
フォーや焼きソバ、スパゲティー、ニガウリスープ、ご飯などを
食べる。
   

午後12時半から1時間ほど昼寝。

午後2時半から何人かのバンベーの原稿を添削。
6月21日フエを離れるので、帰国の荷物準備のための
「持ち物一覧表」を作る。

関係者から多数のメールあり。返信。

午後4時、ベトナム事務所へ。

午後4時半、日本料理店会議。久々の会議。

私から以下の話をする。

①諸物価高騰の折り、全員の給料を上げたい。
 ●基本給60万ドンを80万ドンへアップ(30%)
 ●副店長手当てを5万ドンから10万ドン(50%アップ)
 ●主任手当て5万ドンを10万ドンにアップ(50%アップ)
 ●「子どもの家」から通っている研修生は30万ドンを50万ドンへ
  (60%アップ)
 ●チャンさんを「在庫管理主任」に任命する。常に厨房にある
   食料品の数・量などを管理し、少なくなったら補充する。
 ●下宿者は下宿代を全額補助(リー君・イン君・グエットさん)

②この2年近く、良く研修を進めてくれた。お客さんからの
 評判もよくなった。
  日本料理店よくきているフランス人(フエ市内最大のホテルの
  マネージャー)は「フエにある帝国ホテルの日本料理も
  その前にある日本料理店らしき店も美味しくない。
   この店は本物。本当に美味しい」と言っていた。
③しかし、まだまだ、研修を深め、直していかなければならない
  課題も多い。

次に大塚さんから日本料理店で仕事をするにあたっての
諸注意を再確認する。

日本料理店会議の後、リー君だけを2階ベトナム事務所に呼び
いくつかの注意をする。

●勤務中、近くの友達の店に行って話していたりすることが多々ある。
●勤務時間は午後2時半からなのに、午後1時ごろ来て
 日本料理店の掃除をしてしまう。午後2時半に他のスタッフ
 ら来て日本料理店の準備をしている時に、椅子に座って
 寝ていたり、隣の店の人と遊んでいたりすることは止めること。
●グエットさんとリー君は二人で接客係り。リー君は自分で
 自分の仕事を勝手に決めてしまい、残りの仕事をグエットさん
 にやらせるような態度は良くない。協力して仕事をするように
●日曜日や休日、日本料理店の前の店の人と酒盛りを
 していることが多いが、よくない。日曜日、お酒を飲むのは
 リー君の自由だが、日本料理店の前で日本料理店の
 スタッフが酒盛りをすることのないように。
●リー君は元々は日本料理店の店長だった。家出をして
 しまったので店長を降格された。様々な問題を解決し
 もう一回り「大きな人間」に成長して欲しい。
  そのためには、自分のことだけを考えずに、いつも
 回りの人間のことを考え、日本料理店全体を良くするように
 気配りが出来るようになると良い。
  いつかは、再度日本料理店の店長になるように頑張って
 欲しい。

(リー君)先生の言ったことはよく理解できた。今後、先生の
     言ったことを実行したい。これから頑張って仕事を
      する決意だ。

午後5時半、ヒエウさんの誕生会
「子どもの家」の創立2年後位に入所。当時、3歳くらいだった。
小学校入学の時は私と寮母キムアインさんが両親の役をして
学校まで連れて行き、入学式に参加した。16歳になる。

イン君から誕生祝のプレゼント

誕生祝いのケーキ。名前が入っている

16という数字がケーキに浮かぶ

午後7時、バオミンさんと一緒にフエ空港へ。
私の高校時代の同級生4人がフエへ来る。ベトナム航空の
都合で飛行機が変更され、ホーチミン市着の予定が
ハノイ着となり、到着が1時間遅れる。午後7時半、
無事飛行機は到着。午後7時45分、空港出口へ。

車で日本料理店へ。

フダ生ビールを飲みながら遅い夕食を取る。

お寿司やそうめんを堪能する

午後10時15分、日本料理店を退出。
近くのホテルへ。ホテルの五井君の部屋で再度の
飲みなおし。午前12時半まで。
「ハイリーホテル」着、午前12時45分。

明日は、「子どもの家」へ。

投稿者 koyama : 07:12 | コメント (0)

2009年06月19日

「子どもの家」HY君退所式:心臓手術希望者来訪

快晴 午前7時 気温32度(5階日陰)

午前5時起床。昨日の日記を書く。

午前7時朝食。

春雨麺


洗濯機に衣類を入れ洗濯開始。


午前8時半「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所経由
「子どもの家」へ。

今日はHY君の「退所式」。

HY君は1995年に入所した「第1期生」。ベトナム事務所の
ソン君や今年フエ経済大を卒業したメンさんなどと同期。

複雑な家庭環境を背負っている子であった。
結婚しないでHY君が生まれ、父は失踪・行方不明。
母親はそのあと死亡。母親の妹(当時18歳)がHY君を
育てていたが、生活が苦しく、親戚や近所の人から
「子どもの家」を勧められ入所。その時点でHY君は
戸籍がなかった。3歳か4歳で入所。
「子どもの家」で戸籍を作る際、通学のことなどを考え
1歳ほど年齢を低くして戸籍を作る。現在17歳となっているが
本当は18歳。入所してから14年間、「子どもの家」で
生活していた。
中1まで学校へ行き、地域にある鉄の窓枠つくりの職人の家で研修。
やっとひとり立ちできるまでの腕を上げた。
事実上18歳となり、自立できるようになったので、退所する
ことになった。当面は叔母さん(HY君を育てた)の家に住むことと
なった。鉄窓つくりの月給は70万ドン(3800円)。住む家が
あるので十分生活できる月給である。


(HY君)

長い間、「子どもの家」にお世話になりました。お陰さまで
現在、鉄の窓枠作りの仕事をし、自立することが出来る
ようになりました。毎日仕事は忙しいですが、頑張ります。
「子どもの家」の寮母さんをはじめ、小山先生など皆さんに
お世話になりました。これからは、自分の力で生きていきます。
ありがとうございました。


(叔母さん)
私が18歳の時、HY君を育てました。数年間でしたが、
可愛い子でした。それから事情があり、育てることが出来ず
14年間もの間、日本人の運営する「子どもの家」で
育ててもらい、こんなに立派に・・・・・(この辺で涙声となる)
この恩は忘れません。私は家で刺繍の仕事をしています。
生活は大変ですが、HYを同居させます。長い間、お世話に
なりました。

その後、叔母さんが「退所確認者」に署名。

セン運営委員長と私から「頑張って生きていくよう」話す。

セン運営委員長が退所確認書に署名

14年間というのは長い年月であった。私はHY君を
片手で抱いていた頃があったことを思い出した。
海外支援・国際協力というのは様々な形がある。
大きな橋を作ったり、空港を建てたり、地雷除去の大型
プロジェクトをしたり・・・・・。
私たちのしているフエでの活動は本当に小さな活動である。
しかし、14年間、現地に住んでこどもたちの成長とともに
自立するまで「見守る」という形での国際支援をしている。
こうした活動をどう評価するかは、人様々である。
一つだけ言えることは、「継続は力」でる。短期間に
大金を出して大きなプロジェクトを行い、その後、どうなったかには
ほとんど無関心な国際支援・国際協力が多い。
私たちは、最後まで(自立するまで)こどもたちに寄り添い、
紆余曲折する彼ら(彼女ら)の人生を見守りながら、
自立させるという、小さな活動ではあるが、本当にやってみると
大変な事業に挑戦しているのである。

HY君の幸せな人生を心から祈りたい。

午前10時、ベトナム事務所へ戻る。
心臓病の手術を希望する14歳(中)の男児と
父親・親戚が来る。

内田さんと16日(火)の夕食を食べに行った食堂オーナーの
親戚。食堂で夕食を摂っていると、オーナーと男児・父親が
やってきて、心臓病の手術をしなければならない。20万円
かかる。3万円は持っているが17万円足りない。
何とか出して欲しい、との話だった。
即答は出来ないので19日にベトナム事務所に来るよう話す。

今日、ベトナム事務所に3人が来る。

心臓病の診断書など各種書類をだす。
現在通学しているので、保険に入っているはずである。
基本的には保険で手術代は出るはずである。
学校に行っていることを確認し、保険を見せて欲しいという。
保険証を出す、2005年で切れているもの。
現在の保険証はないの?と聞く。
すると、私たちに話した翌日、教会へ支援要請に行ったっとのこと。
1000万ドン(5万6千円)もらったという。その際、現在の保険証は
教会に渡した、という。
保険で70%程度(14万円)は出るので、教会からの5万6千円と
貯めていた3万円で十分手術は出来るはず。
その点を聞くと答えはあいまい。

私たちが、何も調べずに17万円を上げれば、手術代の
二重取りということになる。
なかなか「したたかな」ベトナムではある。

私と内田さんは「私たちに支援を頼んでおきながら、
翌日、教会に行くのは仁義に反する。私たちが支援しない
と言ったら次に行くのが常識」と批判。
更に「教会から5万6千円もらい、自分たちで3万円貯金している。
保険で70%(14万円)くらいはでるので、十分手術は出来るはず」
と指摘。その時点で話は終わる。

何とも心重い話し合いであった。どう考えてもこどもの心臓病を
逆手に取っての「手術代」詐欺のようなもの。

私と内田さんとでは、心臓病の手術代を出してやろうと
話し合っていたのである。

思い出すと10年ほど前である。
地元新聞に「16歳の女子、心臓病悪化。手術代20万円がない」
との記事が出ていた。直ぐに新聞社に連絡。
テレビ局と新聞記者が付いて中学生の女子の家へ行き
20万円の贈呈式を行い、心臓病の手術をした。テレビ、新聞も
JASSの活動を美談として報道した。心臓病は事実であり、
私たちの支援金で手術がおこなわれ、成功し、女子は元気に
なった。ここまでは全て事実であった。
しかし、女子の家庭は地元では「貸家」をたくさん持っている
資産家だった。私が女子と両親に20万円を贈呈したボロボロの
家はその日だけ借りた他人の家。
両親はお金もあり、贅沢な生活をしていたのである。
私たちはこの両親の悪知恵の餌食となった。
その後、母親がベトナム事務所に何度も来て、心臓手術を
した際、JASSに提出して手術の「領収書」(20万円)を返して
欲しいとう。母親は、この領収書を保険会社に出し、更に
17万円ほどの保険を手に入れようとの魂胆。
浅ましい現実である。お金に走った人間の浅ましさが
見える。拝金主義の極地。領収書を渡すのを拒否。
すると今度は、娘があるいて学校へいっているので
自転車を買って欲しいと来るようになった。

支援の現実である。
「支援は利権」。あげる方は支援と思っているが、もらうほうが
利権であり、金儲けの対象と考えている現実を直視すべきである。


午前11時、「ハイリーホテル」へ戻り、洗濯機内の衣類を取り出す。
屋上に干す。

午前11時は、内田さんたちと「チャーハン」の美味しい店に
行き、玉子焼きを乗せた中華風チャーハンを食べる。美味。

午後1時から1時間ほど昼寝。

アクア村上さんからメール。ベトナムの学校の成績の出し方
についての質問に答える。地元高校の先生に直接インタビュー
し、複雑な成績の出し方を教えてもらう。
メールにして村上さんに返事を出す。

午後6時、日本料理店で夕食。

冷奴

海老フライ

ごぼうのテンプラ


テンプラ盛り合わせ

今日は来客が多い。15人。

午後9時半閉店。

「ハイリーホテル」へ帰る。

暑い1日だった。職員研修旅行から帰り、今日も1日、
色々な出来事があった。

午後10時過ぎ、疲れたので就寝。


投稿者 koyama : 07:28 | コメント (0)

2009年06月18日

ベトナム事務所研修旅行第2日目(最終日)

快晴 ダナンも暑い

午前5時、ホテルの部屋から徒歩1分にある海岸を散策。
朝日が昇る。

私の泊まったコテージ

午前7時 ビュッフェ方式の朝食。

ダナンSANDY HOTEL は設備もよくなかなかしっかりと
整備されているホテルであった。

午前10時、SANDY HOTELを出発し、ダナン最大の
ロフトスーパー「メトロ」へ。
日本料理店の食材などを買う。各人、フエにない品物を買う。

その後、最新のデパートへ。
ベトナム事務所員の皆さんが家族へのお土産などを買う。

午後1時、ダナン市内の中華料理店へ。
中華料理を堪能する。

酢豚

マーボドーフもどき

ベトナム風「中華つけメン」(とても美味しい)


午後2時半、一路フエへ。

午後5時、フエ着。「ハイリーホテル」へ。疲れたので
1時間半ほど寝る。

午後7時、大塚さんの招待で夕食。
フエサッカー場近くのベトナム家庭料理の店へ。

どの料理も一般のベトナムツアーでは食べられない庶民の料理。
フエの一般旅行では「宮廷料理」を出されるが、高くてまずい。
フエの家庭料理はどの品も安くて美味しい。


午後9時半、終宴。

「ハイリーホテル」へ戻り、そのまま寝る。

8年ぶりのベトナム事務所研修旅行だった。
今回参集した12人の日越のスタッフたちは、何かの縁で
一緒の職場で働くことになった人々である。
また何かの縁でJASSと知り合い、里親になったひとである。

今回のベトナム事務所研修旅行がそれぞれのスタッフの
心の中に思い出を残してくれれば幸いである。

ベトナム事務所研修旅行の所期の目的である「総団結」
は完全に達成できたと確信する。

投稿者 koyama : 08:05 | コメント (0)

2009年06月17日

久々のベトナム事務所研修旅行ーダナン

快晴

午前7時朝食

午前9時、「ハイリーホテル」へワゴン車到着。
今日・明日とベトナム事務所研修旅行。

ハンさんはお父さんの腎臓結石手術のため欠席。
他のベトナム事務所員は全員参加。

ワゴン車は一路ダナンを目指し走る。
冒頭、私から今回のベトナム事務所研修旅行の
重大な意義と任務について、話なす。

続いてJASSベトナム運営委員長のバオミンさんから
2日間の研修日程について説明。くれぐれも
JASSベトナム事務所としての気高い伝統的な
気風を汚さず、しっかりと研修し、ベトナム事務所の
総団結と総意思統一を勝ち取ろうとの報告があった。
参加者は車中ではあったが、みなさん真面目に
メモをとり、この重要なベトナム事務所員研修旅行の
意義と任務を確認しあった。


研修会要綱を熟読する内田さん


しばらくするとバオミン運営委員長とクアンベトナム事務所員の
不穏な空気を察知する。研修旅行のはずなのに何か
「ヘラヘラ」している。


そのうち車内に「おつまみ」のような「異臭」が漂う。

ベトナム事務所員は揺れる車内の中で器用に
おつまみ「異臭」を載せた紙のお皿を手渡しし始める。
バオミン・クアン反乱分子に加担した多数女子スタッフ
のクーデターが起こった模様。
あちこちで「パチ・パチ」と何かアルミ缶の開く音がする。
これは重大事態発生と認識し、一分反乱分子の暴動を
鎮圧すべく行動に立ちあがる。


やはり、ボランティア活動の基本は「平和」。
みんなで楽しく、ボランティアの基本である「平和」を
体験すつ研修旅行であった。



「ハイリーホテル」を出て約1時間半。
「象の滝」に着く。象の滝の研修に入る。







午後12時半、ランコービーチへ到着。
ランコーまではフエ省内。ランコーの隣の
ハイバン峠を越えるとダナン市に入る。

ランコーは、海産物で有名なところ。



ハマグリの唐辛子蒸し


焼き海老

午後3時、ダナンSANDYホテルに到着

午後7時まで自由時間。私は部屋でシャワーを浴び寝る。

午後7時、夕食。ホテル内のレストラン



午後8時半散会。

自室に帰り寝る。

こうしてベトナム事務所研修会1日目は大きな成果を
残して終了したのである。

深夜までホテルや海岸などを徘徊していたベトナム事務所員
もいたそうだ。

投稿者 koyama : 10:10 | コメント (0)

2009年06月16日

ボランティア貯金完了報告書添付の写真再送

午前6時起床。

午前7時朝食。

キャッサバ芋麺(唐辛子を入れると美味)

朝食後、洗濯。
屋上に干す。

午前中3時間かけてボランティア完了報告書添付の
69枚の写真を違う方法を使い山西さん・渡辺さんに
再送信する。インターネットの速度が遅く、時々切れる。
送信途中で何度も切れてやり直し。いい加減にしろ
と怒鳴りたい気持ちを抑えて、時間を待って送信。
日本で光通信を使っているので、ベトナム通信事情には
当惑する。

3時間かけて、5枚ずつに分けて、69枚の写真を送信。

その間に屋上に干しておいた洗濯物が乾く。取り込む。

午前11時は、ベトナム事務所へ。

内田さん、税田さん、バオミンさん、メンさんと一緒に
ブン麺の美味しい店へ行く。お客が1杯。

午後1時、「ハイリーホテル」へ帰宅。

昼寝。この1週間ほど、ボランティア貯金関連の仕事に集中。
さすがに疲れる。2時間熟睡。

午後3時、山西さんから69枚の写真に間違って送信されたもの
ありとの連絡。
調べてみるとコンピュータが記憶している写真の同番号のものが
何組かあった。送信したが、同番号の違う写真が送られたことが
分かる。

再度、69枚の写真全てを点検。
YAHOOの送信記録で送信した写真を確認。
確かに何枚か全く違ったピントはずれな写真が送信されていた。
再度、違う写真が送信された部分だけ、再送信する。
10数枚。夕方は、インターネットを使う人が多いので
速度が遅きなったり、切れたりする。
何度もやり直し。2時間ほどかけてやっと正しい写真を
再送する。

午後7時、内田さんたちとフエ市内の大衆食堂で夕食。
大衆食堂へ行く途中、雷と豪雨。雨具を持っていなかったので
びしょ濡れ状態。

しばらくして内田さんたちが来店。
食事を始めるが、体中雨で塗れて「寒気」を感じる。
ソン君の頼んで近くの衣料品店で半そでの上着を買って
来てもらう。7万ドン(380円)。内田さんに出してもらう。

コードーは美味しくて安い大衆食堂。最近は
外国人が多く、味が落ちる。

私の好きな「アヒルの玉子焼き」

「子どもの家」卒業生のメンさんの好きな茹でたイカ


茹でた鶏肉(塩・胡椒・レモンを付けて食べる)

海老入りのもやし炒め

〆に米メンの「チャオ・バイン・カイン」

午後9時半、お開き。

「ハイリーホテル」着、午後10時。

今日はボランティア貯金写真送信などで疲れた。

投稿者 koyama : 19:57 | コメント (0)

2009年06月15日

マブチ育英財団関連、奨学金支給対象者家庭訪問

快晴  日中気温36度  夕方豪雨 

午前6時起床。

午前7時朝食。朝7時の気温32度。朝から暑い。
天井のファンが壊れているので熱気が食堂にこもる。

朝食は「ブンボー」

午前8時、ベトナム事務所へ。
マブチモーター・「アクア」の村上さんが来訪。
お土産を頂く。


マブチ育英財団の奨学生調査。
先日入試をおこなった静岡大学工学部受験生4人の
家庭訪問を行い、9月末におこなわれるマブチモーター
本社での面接試験の事前調査にこられる。
最終的に1人にマブチ育英奨学金が贈呈される。
準備金30万円、毎月の奨学金10万円。

静大工学部4人の家庭訪問を行い、両親、家族、
本人と面接。家庭環境、本人の日本語能力等を調査。

3人の受験生の家庭は親が大学や高校の先生、医師。
しかし、ほとんどの家庭が元南ベトナム関連の家庭。
生活はフエでは普通の水準。海外へ留学させるほどの
金銭的な余裕はないが、子弟の学習能力は抜群。

4人ともベトナム全土共通学力試験で理系の教科は
ほとんど満点に近い。

午後12時過ぎ、4軒の家庭訪問、面接を終了。
村上さんと別れ、内田さん、税田さんたちと昼食。
チャオ・バイン・カインの店へ。

店へ行く途中、「子どもの家」の以前の料理責任者の
フオンさんに出会う。元気にしている。

午後1時半、「ハイリーホテル」へ。昼寝。

ボランティア貯金完了報告書関係のメール。
59枚の添付写真が山西さんに送れない。
一度送信したのだが、ほどんどが開けないか
届いていないとのこと。
いくつかの方法を実験し、確実に写真が山西さんに
届くよう試してみる。

午後5時ベトナム事務所へ。

日本料理店デハ、イン君などが開店の準備をしていた。

午後5時半、日本料理店夕食。私は内田さんたちと
別の場所で夕食を摂る。

バオミンホテルまで歩いていき、内田さん、税田さん、
ソン君、メンちゃん、メンちゃんと共同下宿をしている友達と
その妹と歩いて、カメリアホテルの11階で食事をする。

日が沈む前の11階からのフエ市内の眺めは壮観なもの。

ソン君の通訳・お世話で食事の注文をする。

午後6時、日が沈み、暗くなる。

午後8時半頃まで11階の夜景を楽しみながら夕食。
「子どもの家」第1期生のメンさんもフエ経済大学を卒業し
就職。15年間の付き合いである。里親の内田さんも
メンちゃんの入所当時から里親を続けている。
長い期間里親役を続けてくれていることに感謝。
色々と口では立派なことを言う人も多いが、
何事も長く続ける「継続」は難しいことである。
JASSの里親には内田さんのように長期間支援を
続けている人が多い。ありがたいことである。

午後9時前日本料理店へ。
オーストリア、カナダ、フランスの男性3人が
日本酒を11杯注文。ぬる燗で飲み、盛り上がっている。
フエ駅前の「LA RESIDENCE」ホテルのマネージャー一行。
9時半まで飲み続ける。「ここの日本料理は美味しい」と
言う。

「ハイリーホテル」着、午後10時。

今日は疲れた。そのまま寝る。

投稿者 koyama : 06:56 | コメント (0)

2009年06月14日

ボランティア貯金完了報告書書き上げる

快晴  外気温 40度を越す。夕方豪雨。

午前4時起床。
ボランティア貯金完了報告書を読み返し、
追加を書く。

午前10時、ブランチ。冷凍していた日本料理店の
残りものを電子レンジで解凍。コロッケとチャーハン。
ベトナム茶を入れる。

食後引き続きボランティア貯金完了報告書を書く。

午後12時半まで。その後1時間半昼寝。

午後2時から添付の写真を選ぶ。
約2000枚程度ある写真ストックのなかから
ボランティア貯金に関するものを200枚程度選び出しておいた。
本文に合わせて、活動内容が一目で分かるような写真を
選び出す。69枚。午後7時まで。

午後7時過ぎ、夕食のほか弁を買いに外出。

この数日、「フエ伝統工芸祭り」がおこなわれている。
町中、イルミネーション。川沿いの古堂では音楽祭。
たくさんの人でだった。

オートバイと自転車・車が通りを占拠。危ないので
直ぐに退散。

「ハイリーホテル」へ戻り。夕食。

午後11時、全て完成。渡辺さん・山西さんなど関係者に
送信。

残念ながら写真はほとんど開けなかったとの連絡あり。
私の方のデジカメ写真の送り方に問題あり。
明日、再度挑戦する。

とりあえず、この1週間ほど全力を入れて報告書と写真収集
に力を注いだ。何とか終わりほっとする。

投稿者 koyama : 07:32 | コメント (0)

2009年06月13日

ボランティア貯金完了報告書関連の仕事

快晴  午後12時過ぎの気温40度。

午前4時半、起床。ボランティア貯金完了報告書を読み直す。
加筆修正。

午前7時朝食。暑い

午前8時過ぎベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。ボランティア貯金関連
の調査・打ち合わせ。

職業訓練のための基礎教育の先生が授業をしていた。

午前11時、「ハイリーホテル」へ。

洗濯。その後、屋上に干す。

2時間半ほどで乾く。

午前11時半、昼食

「ハイリーホテル」5階の日陰で40度。
1階の食堂は本当に暑い。

午後12時過ぎから1時間ほど昼寝。
部屋のいても暑い。

午後3時、ベトナム事務所。
大塚さん・税田さん・バオミンさんで日本料理店の
価格表の更新(値上げ)の相談をしていた。
庶民の物価(米、ガソリン、フォーなど)はこの1・2年で
2倍以上の値上がり。
日本料理店の値段はホーチミン市やハノイの
日本料理店に比べると半額以下。味と質はベトナムでも
指折りなのだが。そんな事情があり、若干の値上げ。


午後3時半、在宅支援の里子の父親が来る。生活相談。
30分ほど話を聞く。

1時間ほど「ハイリーホテル」に戻りボランティア貯金完了
報告書を書く。

午後5時半、日本料理店で夕食。


今夜はイカの刺身。

おくらのおつまみ

マカロニのスープ。唐辛子をたくさん入れる

今日の飲酒はほどほど。午後8時過ぎに「ハイリーホテル」へ。

引き続きボランティア貯金完了報告書を作成。
同時に報告書の記述を証明するための写真を添付。
40枚ほどになりそう。

2008年7月から2009年3月までの火炎樹日記の
写真を全てチェックする。必要な写真をコピーする。

午後11時過ぎまで作業は続く。

明日中に何とか終わりにし、渡辺さんに送りたい。

投稿者 koyama : 00:29 | コメント (0)

2009年06月12日

引き続き、ボランティア貯金完了報告書作成

快晴  午前7時 気温32度(「ハイリーホテル」5階日陰)
     午後2時 気温38度(同上)
           路上の外気温は40度を超えている。
           「存在」するだけで価値のかることに思える。


午前4時半起床。ボランティア完了報告書作成。

午前7時朝食。

午前8時から2時間、ボランティア貯金完了報告書を作成する。
今までの報告書などを何度も読み返し、矛盾のないように
真実のみに立脚して記述する。

2008年7月から2009年3月までの火炎樹日記を全て見る。
この9ヶ月間にベトナム事務所ではどんな取り組みをしたのかを
火炎樹日記で確認。これが結構時間を取り、目が疲れる。
私の忘れていた「ボランティア貯金交付金関連」の取り組みが
かなりあった。

外気温は既に40数度。部屋の中も暑い。
2時間集中して報告書を書くと頭が廻らなくなる。

休息に読書。「ユーゴスラヴィア現代史」(柴宣弘著:岩波新書)
を読む。ユーゴは2度生まれ2度死んだといわれているそうだ。
1918年に王国として誕生。1941年、ナチスドイツなど枢軸国
の侵略で消滅。1945年、チトーの主導で社会主義ユーゴ
として連邦国家の体制で再建。1992年、スロヴェキア、
クロアチアの独立宣言で崩壊。ユーゴは73年間の歴史を
閉じた。
1945年以降のユーゴは「7つの国境、6つの共和国、
5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、
1つの国家」と言われているほど、モザイク国家であり
長い民族抗争の歴史を背負っている。


引き続き、ボランティア貯金完了報告書作成。
火炎樹日記を更に読む。


午前11時半、昼食。

午後12時半から2時間昼寝。疲労が相当溜まる。

午後2時半、再度ボランティア貯金完了報告書作成。

日本の支援者から電話。

午後4時過ぎ、税田さんから電話。里子の親が来ている、
少し問題ありとのこと。
急いでベトナム事務所へ。父親に会い、里子の
近況、問題点を聞く。最初は嘘を言っていたが、段々真実を
話す。問題は一応、解決方向へ。

夕方、静大の皆さんとハノイに行っていたバオミンさんから
電話。ハノイ空港で「飛行機遅延」というだけで3時間以上
待たされ、今、フエ空港に着いたという。
ベトナム航空は定刻発着の稀な航空会社だ。
お客本位ではなく、会社儲け本位。国営の事実上の
独占航空会社の弊害を常に見ている。汚職と賄賂が
横行している会社である。特にハノイ空港(ノイバイ)の
スタッフの態度は賄賂の要求、仕事のサボりなど露骨である。
国際線を運行する航空会社の態をなしていない。

午後5時半、日本料理店で夕食。リー・インは祖母の法事で
父親の家へ。

午後8時半までフダ生ビールを飲む。来客多数あり。

祖母の法事で父親の元へ言ったリー君だけが帰ってきた。
「大変悲しい」と言っていた。父親の家庭で何かあったようだ。
弟のイン君は父親の家に残る。
リー君は早速、来客への対応。日本料理店の仕事が生きがいの
ようだ。

日本語教師の石上先生の知り合いのフランス人も
来店。若干話をする。

午後8時半過ぎ、早めに日本料理店を退散し、「ハイリーホテル」へ。

引き続きボランティア貯金完了報告書を書く。

午後11時半、就寝。

投稿者 koyama : 22:59 | コメント (0)

2009年06月11日

ボランティア貯金完了報告書作成

晴天   「ハイリーホテル」5階日陰 36度

午前4時半起床。口内炎3つ。
ボランティア貯金完了報告書作成。
4割程度書き上げる。最初から何度も読み返し、
活動報告に偏りがないか、事実をきちんと書いているか、
読む人が理解しやすいかなどを考え読み返す。
何度か報告書の全体の構成を変える。

午前7時朝食。


青豆のおかゆ

午前8時、ハノイのバオミンさんから電話。静岡大の皆さんは
精力的に仕事をしているとのこと。

午前8時過ぎからボランティア貯金完了報告書作成。
2時間ほど書いたが、頭がボーッとしてくる。

部屋の掃除、床の水拭き。

しばらく休息。読書「関が原ー誰が大合戦をしかけたか」
を読了。

島原の乱、関が原を読んで、私たちが中学・高校で
学んだ戦国、江戸時代のイメージは大きく変わった。
当時の戦国大名・徳川幕府は基本的に農民の自治を
容認していた。士農工商の身分制度での中で農民が
圧制の中で苦しんでいたとの学習をしていたが、
それもあったであろうが、豊臣政権時代は7公3民
だったのだが徳川時代には、4公6民になっている。

30分後ボランティア貯金完了報告書作成再開。

NHKテレビ関連の取材の件で電話あり。

午前11時半。昼食

午後12時過ぎ、日本から電話あり。SKYPEで1時間程話す。


午後1時過ぎから1時間ほど昼寝。
外気温は40度をゆうに超えている。

午後2時半から再度ボランティア貯金完了報告書作成。
ボランティア貯金完了報告書に添付する「日本帰国時の
航空券」を探す。2組見つかる。

午後4時。日本料理店へ。リー君と一緒に今日の夕食に
出す『冷やし中華』のメンを買出しに行く。
1980年代末までは、フエにも「中華街」があった。中国系
ベトナム人がいた。1989年の中越戦争を境に中国系
ベトナム人は難民となったり、中国へわたったりした。
中国系ベトナム人がいた頃は、フエにも本当の中華料理店
があった。現在、何軒かがその名残りを残している。

ハノイ通りに面したところに2軒だけ中華系の大衆食堂がある。
ここのワンタンメンの麺はベトナム料理の麺と違い、
ラーメンにかなり近い。16キロ買う。600円。

午後5時半、日本料理店で夕食。
夕方、リー君と買いに行った「ラーメン」で「冷やし中華」
を作る。

大塚さんが「冷やし中華ソバ」の作りからを懇切丁寧に教える

今日はリー君が突然「頭を丸めて」来た。

ベトナム事務所員も皆驚く。マリヤ・ハンさんも同様。

リー君が何を考えて「頭を丸めた」のかは不明。

今までの人生を反省してのことなのか?
それとも単なるファッションなのか?

いずれにしろ、これで上半身総刺青とこのヘヤースタイル
であれば、完全に「ヤーさん」である。

明日は、弟と休むという。祖母の法事で父親の所へ
行くとのこと。交通など40万ドン(2200円)ほどもらいたいと
言う。40万ドンを上げる。

日本料理店には日本人の家族などが来店。

午後9時、閉店。

午後9時20分、「ハイリーホテル」へ帰る。

火炎樹日記を書く。その後、ボランティア貯金完了報告書を
作成。多少、アルコールが入っているので報告書作成の
状況としては問題あり。

2時間ほど報告書を書き11時半頃、就寝。

世界保健機関(WHO)は11日(日本時間同日)、
新型インフルエンザの警戒度を現行の「フェーズ5」から、
世界的大流行(パンデミック)を意味する「6」へ引き上げると
加盟国に通告した。インフルエンザのパンデミック発生は、
世界中で約100万人が死亡した1968年の香港風邪以来
41年ぶりとのこと。
ではあるがベトナムではほとんど問題になっていない。
新型インフレンザに目がいっているが日本での季節の
インフルエンザの患者は1000万人、死亡者が1万人。
現時点で右往左往sる必要なし。JASSベトナム事務所は
今後の推移を見ながら対応を決める予定。

最近、物を食べる時に歯の「切れ味」が鈍っていることに
気づく。年齢のなせる業か?

投稿者 koyama : 18:59 | コメント (0)

2009年06月10日

静大入試試験官ハノイへ:ボランティア貯金完了報告書作成

快晴  午後2時 「ハイリーホテル」5階日陰 36度

午前4時半起床。国際ボランティア貯金完了報告書作成。

午前7時朝食。


洗濯。屋上に干す。

午前8時半から午前10時まで「ボランティア貯金完了報告書」
の作成。


午前10時半、フォンザンホテルへ。
静大入試試験官の3人とバオミンさんがハノイへ。
ホテルでお礼とお別れの挨拶。


午前11時「ハイリーホテル」へ。暑い。部屋で少し休む。

午前11時半昼食。

午後12時半から2時間昼寝。最近睡眠時間4時間ほどである。
ボランティア貯金完了報告書作成のため。
静大入試以外の時間となると早朝しかない。

午後3時、引き続きボランティア貯金完了報告書作成。

午後5時、床屋。

午後5時半、日本料理店へ。

今日はベトナム風チャーハン

ハノイのバオミンさんから電話。ハノイのホテルについたとのこと。
忙しく昼食を摂らずに静大の先生は仕事をしている。

日本料理店閉店午後9時。

大塚さん、税田さん、原田先生と一緒に「ハイリーホテル」に
帰宅。

その後、若干「ボランティア貯金完了報告書」を作成。
とにかく時間のかかる作業である。少しでも時間があれば
作成するしかない。やっと半分ほど書き上げる。
実際のフエでの実施した活動を調査し記載しなければならないので
時間がかかる。6月1日に提出期限が切れている。
JASSとしては何の申し開きも出来ない。誠意を持って
きちんとして報告書を作成し、早急に提出するしかない。
そのためには、時間をみつけ事実を基礎にした報告書を
書くしかない。

投稿者 koyama : 23:45 | コメント (0)

2009年06月09日

静岡大学入学試験実施

晴天
ベトナムTVの天気予報では、フエは39度。

午前4時半起床。ボランティア完了報告書を書く。
6月1日締め切りだったので、とにかく急いで、どんな無理をしても
書かなければならない。

午前7時朝食。

急いで朝食を食べる。午前7時15分「ハイリーホテル」を出て
ベトナム事務所へ。

午前7時半、ベトナム事務所着。今日午前8時から
ベトナム事務所(静岡大学フエ連絡事務所)で
静岡大学工学部入試が行われる。

ベトナム事務所1階の日本料理店を保護者待合室。
2階を受験生待合室。2階の日本語学科を面接室。
3階のベトナム事務所を受験修了生待合室にした。


静岡大学工学部受験生。試験終了後撮影

試験終了後、静大の先生方は、試験の経過と結果について
記録。パソコンを使っての記録保存を行う。

午後1時半まで続く。

午後1時半、近くのベトナム「ラーメン屋」へいき、ワンタンメンを
食べる。

そのままベトナム事務所で待機。

午後3時、静岡大学工学部受験生父母への説明会。


静岡大学松本先生をはじめ3人の先生方が懇切丁寧に
静岡大学へ留学した場合の費用、生活の様子、大学側の
支援などについて説明。
午後5時父母への説明会終了。

午後6時、夕食会。近くの大衆食堂へ。
バオミンさんは疲労困憊に達し休む。代わりにソン君が代理を
務める。留学受験生に日本語を教えた原田先生も
参加してもらい、今日の入試の反省会を行う。
午後9時半反省会終了。

午後10時、「ハイリーホテル」へ戻る。

今日は朝4時半から午後10時まで休みなく仕事をする。


帰宅後、火炎樹日記を書く。


投稿者 koyama : 00:03 | コメント (0)

2009年06月08日

静大入試事前準備・打ち合わせ、フエ副市長表敬訪問

快晴  午前8時の気温32度。日中は40度以上

昨夜は午前1時就寝。今朝は午前5時起床。4時間の
睡眠時間しか取れなかった。


ボランティア貯金完了報告書を書き出す。急がないといけない。


午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所へ。

午前8時半、静岡大学入試担当スタッフと打ち合わせ
入試の厳正さと公正・公平さの確保をするための
細かい入試要綱がある。松本先生の説明で
静大試験官3人、静大フエ連絡事務所側小山、ミン
で2時間ほど打ち合わせ。

その後、各種資料の整理、静大との連絡のために
パソコンの整備。
試験会場の設営・・・・・・・各種準備業務


午後1時まで明日の入試の各種準備を行う。

その後、昼食。
フーハウ地区の「チャオ・バイン・カイン」(米とキャッサバのうどん)
を食べに行く。

気温40度ほどのうどん屋で熱いうどんを食べる。
唐辛子をいれる。体中から汗が吹き出てくる。

「ハイリーホテル」着午後2時。

30分ほど昼寝。

午後3時、ベトナム事務所へ。

静岡大学入試団、バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会
表敬訪問。副市長のホアさんと懇談。

松本先生から今回の静大への留学生プロジェクトが
いよいよ最後の選抜までこぎつけることが出来たことに
感謝する。今後もフエ市人民委員会と協力して
静大への留学生受け入れを行い、日本とアジア、
日本とベトナムの友好交流を進めていきたい。

ホア副市長からは、静岡大学がフエの高校生を
受け入れてくれることに感謝している。
日本の大学で勉強した私たち若者はフエへ戻り
国家と社会のために尽くしてくれることを期待してる。
今後もフエ市人民委員会として、静岡大学と協力し
両国の若者の交流、フエ市と静岡市の友好交流を進めて
行きたい。

フエ市から静岡大学スタッフへ記念品の贈呈

午後4時過ぎ、表敬訪問を終わる。
静大の皆さんは、試験会場の最終点検。各種機材の
最終調整を行う。

私は「ハイリーホテル」へ戻り、ボランティア貯金完了報告書を
書き続ける。

午後6時過ぎまで1時間半ほど書く。まだ先は長い。

午後6時半、日本料理店で静大スタッフと私、バオミンさん
とで夕食。

明日の静大工学部入試の打ち合わせを兼ねた夕食会。

寿司盛り合わせA

そうめん


鉄火丼


午後9時10分、打ち合わせ夕食会終了。

「ハイリーホテル」着午後10時。

日記を書く。

ボランティア貯金完了報告書を書く。

明日朝が早い。今日は適当な所で止める。

午前0時就寝。

投稿者 koyama : 19:47 | コメント (0)

2009年06月07日

言葉の出ない絵画作家のギャラリー訪問:静大入試試験官出迎え

快晴 気温35度(「ハイリーホテル」5階)

午前7時起床。昨夜飲みすぎた。少し頭が痛い。

午前8時からボランティア貯金完了報告書の基礎資料を熟読する。

午前9時前、バオミンさんから電話。生まれつき言葉の
出ない絵描きさんのギャラリーに行こうと共産党・人民委員会の
幹部が待っているとのこと。
一昨日、フエ市共産党・人民委員会幹部の皆さんとの会食の中で
「フエ市内に耳は聞こえるが、しゃべることの出来ない若者がいる。
学校へは行っていないが素晴らしい絵を描く」「一緒に訪問しないか?」
といわれた記憶が蘇ってきた。
急いで外出の用意。午前9時過ぎ、「ハイリーホテル」へ
バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。

ベトナム事務所の近くの細い路地の中に
「GALLERY  LIGHT STAR」と言う名の店があった。


フエ市共産党人事部長、フエ市人民委員会財政部長の
お二人が待っていた。

ギャラリーを見せてもらう。

私は絵画を評価する力はないので何ともいえないが
何枚かのこどもたちを描いて絵に興味をもった。

最後のアトリエを見せてもらった。何枚かの絵を制作中。

●こどもたちが「ビー玉」で遊んでいる絵
 とりあえず、この絵を買わせてもらう。まだ製作中、1週間後に
出来上がるとのこと。

30分ほどギャラリーと絵画制作場を見る。
作者は現在27歳。ほかに4人の若者にこのギャラリーで
絵を教えている。4人の若者も作者と同様、しゃべることが
出来ない。ギャラリーの後ろに掛け軸があった。
「言葉は出ない。しかし、語ることは出来る」と書いてあった。

午前10時半頃、作者の両親が私たちを食事に招待する
という。

食事だと思ったらビールが出る、一夜干しのスルメが出る、
豚肉の脂を落としたものが出ると、本格的な宴会になって
しまった。

この家で素晴らしいものを発見。日本の扇風機だ。
ベトナム戦争中の1960年代に買ったSANYOの
扇風機。50年以上使っているが、一度も壊れていない
という。音もなく静かに廻っている日本製の扇風機を
見て、日本の技術の素晴らしさを改めて感じた。
バオミンさんの家でも50年以上前の日本製の扇風機
を今でも使っているとのこと。中国製はよさそうに
見えるが、うるさいのと、直ぐに壊れてしまうので駄目だ
というのが、参加者共通の意見。

赤いTシャツの5人でギャラリーの絵を描いている。

ここでも障害者の自立への模索をしている。
今日、一緒に言った共産党の二人の幹部がこの若者たち
のギャラリーの支援をしている。手続き等の支援、
訪問者への誘い・・・・・。


午後12時半、「ハイリーホテル」に戻る。

ビールが適量入り、直ぐに昼寝。

午後2時目が覚める。

その後、ボランティア貯金完了報告書作成の基礎資料に目を
通し、昨年度比べて今年度の私たちの活動の前進、特色は
何かを考える。

改めて昨年度の報告書、今年度の中間報告書を読む。
必要な点を抽出する。

午後4時半、30分ほど買い物。

午後5時から再び、ボランティア貯金完了報告書の
基礎資料と報告書作成への基本的な点の整理を
行う。

頭が疲れる。休憩。読書「足利義満ー消された日本国王」
読了。南朝擁護・万世一系天皇論に真っ向から反対する
本ではないが、中国研究者として、歴史的史実を積み上げ
南朝一系天皇論を批判し、東アジアの外交史を展開。
一読の価値あり。

午後7時半、ハノイの静大松本先生から電話。
「現在ハノイ空港にいるが、アナウンスで20分遅れると言っている」
とのこと。早速バオミンさんに連絡し、8時「ハイリーホテル」出発を
8時半「ハイリーホテル」出発に変更。
8時50分フエ空港着予定が9時10分着となる。

午後8時30分、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ迎えに来る。
バオミンさんを待っている間、「ハイリーホテル」の前の
植木にカエルが止まっていた。

午後9時10分、ハノイからの飛行機が到着。
3人の静大の先生方が無事到着。ハノイ空港で
4時間待ったとのこと。


その足でフォンザンホテルへ。チェックインの手続き。

午後10時過ぎから1階レストランで夕食。
私も空腹。今日は朝食昼食を食べていない。朝の
ビールとおつまみだけ。

フォン川を眺めながら、松本先生たち3人と私、ミンさん
の5人で明日からの静岡大学工学部入学試験についての
いくつかの打ち合わせをする。
3人の先生もお疲れなので、早々に引き上げる、つもりだったが、
結局、終宴は、午前0時。

バオミンさんのオートバイで「ハイリーホテル」まで送ってもらう。
6月8日の午前0時を廻っていた。

結局は今日は1日、食事をしなかった。午前10時ビール、
午後10時ビールを飲んだだけ。

長い1日だった。

それから日記を書く。就寝、午前1時。

投稿者 koyama : 19:30 | コメント (0)

終日寝ている

小雨


昨夜から吐き気と下痢。風邪症状。気温の変化が大きい。

1日中、寝ていた。
26通のメール受信。11通のメール送信。

7月各地講演会先と日程の調整連絡。

「年金特別便」が届いていた。
読んでみると間違っていた。全くでたらめ。

「蘇る怪物」(佐藤優著)を読む。頭が痛く
なかなか進まない。


静岡知事選挙結果。
加藤紘一が書いているように「自民党の歴史的役割は
終わった」という記述を証明している。
東国原知事が自分が自民党総裁になれば
自民党は変わると豪語している姿が、「ピエロ」に
見える。既にその歴史的役割り(反共・高度成長)
を終えた自民党は末期の断末魔政権となった。

静岡県知事の自民党候補が「自分は自民党ではない。
県民党」などと言っていたが、この種のこて先で
国民の底流に流れている政治や生活に対する
厳しい批判と世直しの気持ちを変えることはできない。


既に政治は小手先の変化でその流れを変えることが
出来ないところへ「マグマ」は爆発寸前となっていることを
政治家は理解しなければならない。
12日の都知事選挙で国民の変革のへの意志が表明
されることを祈る。


投稿者 koyama : 10:58 | コメント (0)

終日寝ている

小雨

昨夜、吐き気と下痢。風邪症状。

終日寝ていた。

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終日寝ている

小雨

昨夜、吐き気と下痢。風邪症状。

終日寝ていた。

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終日寝ている

小雨

昨夜、吐き気と下痢。風邪症状。

終日寝ていた。

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2009年06月06日

ベトナム事務所員会議:リー君の誕生会:夜リー・イン君と飲む

快晴  猛暑

朝、疲労で起きられない。

午前7時朝食。

大塚さんは、船上生活者支援へ。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと打ち合わせ

午前8時半ベトナム事務所員会議


(ソン)・夏の里親へのメッセージ用のこどもたちの写真撮影
    ・フック君(フエ芸大生)が軍隊に入営し写真撮影が
     出来なかった。日曜日だけ外出が許されるんで、
     7日の日曜日に撮影する。
   ・JASS函館の会(川人代表)から贈られた絵画展の
    表彰状のお礼状をこどもたちが書く。翻訳をする。 
   ・「アクセサリー研修センター」の整理
   ・「ハイリーホテル」の玄関に植木を植える
   ・訪問者の飛行機の切符の手配
   ・デートについては、との事務所員からの質問に
    「報告拒否」とのかたくなな態度。強い反省が必要
    かどうかは分からない。

(石上)・中級 20課  来週の9日に19課・20課のテスト
    ・観光基礎コースの卒業生からの強い希望で、
     引き続き補習クラス設定する。週2回程度。
    ・静大受験者特進クラス。現在は月から土まで
     午後2時から午後6時の4時間授業。
      6月になり全員高校を卒業したので授業時間を
     増やす。午前8時~午前10時半、午後2時から6時。
     1日6時間半の授業とし、静大に行く際にはきちんと
     した日本語が話せるようにする。
    ・7月31日まで授業をし、8月1日に任期を終えて帰国
     の予定。

(原田) ・月から金まで 静大受験生の特訓授業
     ・6日(土)、7日(日)引き続き静大受験生特訓。



     
(アン)・新人です。新しい仕事を始めました。宜しくお願いします。

(ハン)・里親への夏のメッセージの翻訳。在宅支援の子供の翻訳は
     終わる。「子どもの家」のこどもたちは3分の2程度終了。
    ・父の病気入院では、ご心配をおかけしました。
     3年前に腎臓結石の手術をしているので今回の腎臓結石の
     手術は無理とのこと。しばらく入院し様子を見る。

(税田)・4月29日~5月28日まで1ヶ月間、日本へ帰国。 
    ・雄武町の菊先生からの刺繍依頼の仕事
(クアン)授業準備、手紙の翻訳。

(ミン)・6月1日の「国際子供デー」参加、ご苦労様
    ・以前、小山先生たちと一緒に家庭訪問をした
     入所希望の男児。7月に入所する。
    ・「アクセサリー研修センター」の材料輸入問題あり。
     日本から送られる材料がハノイ税関に行ってしまうと
     何だかんだと難癖を付け、袖の下などを要求し
     フエまで送ってこない。ホーチミン市の税関が担当
     するように手を打っている。
    ・今年の夏のスタディーツアーは例年以上に多い。
     定例の地球の歩き方、大学生協スタディーツアー
     以外の申し込みがかなりある。
    ・明日7日(日)、静大入試試験官3人がフエへ来る。
     午後8時50分フエ空港着。小山先生と一緒に
     出迎えに行く。ホテルへ行き、夕食の予定。帰宅は
     午前0時頃か?
    ・8日(月)午前8時半から静大入試の打ち合わせ
     午後3時半からフエ市長との懇談
    ・9日(火)午前7時半ベトナム事務所集合。
     午前8時半~午後12時まで静大入試を行う。
    会場は「静岡大学フエ連絡事務所」(JASSベトナム事務所
     午後3時から受験生の親への説明会。
    ・10日(水)、11日(木)、12日(金)の3日間、
     静大の試験官の先生方の通訳でハノイへ行く。
    ・6月14日(日)、15日(月)とマブチ育英財団関連で
     アクアの村上氏がフエへ来訪。静大受験生4人の
     家庭訪問を行う。
    ・6月14日(日)午後6時20分フエ着の飛行機で
     支援者の内田さんがフエ訪問。しばらくベトナム事務所の
     手伝い、里子の将来設計などの話し合いを行う予定。
    ・6月17日(水)、18日(木)の1泊2日で
     ベトナム事務所員研修会を行う。会場はダナンの
     新リゾートホテル。必ず筆記用具等研修会に必要な
     物の持参。研修会に適した服装をしてくること。
     まかり間違っても「慰安旅行」などと誤解される
     ことのないようにして欲しい。JASSの品位を汚す
     ような行為のないよう、皆さん、今から心がまえを
     しっかりしておいて欲しい。
    ・バンベー35号を発行したい。内容はプリントのよう。
     それぞれ原稿の分担をしたい。
     (一つずつ、原稿の分担・担当者を決める)

1時間半ほどのベトナム事務所員会議を終了。

その後、バオミンさん、税田さん、ハンさんとボランティア貯金
完了報告書の件で打ち合わせ。

ボランティア貯金の完了報告書の提出期限が6月1日だった。
既に1週間近く期限を過ぎている。今後の対策を話し合う。
とにかく急いで完了報告書を作り、日本に送ることにした。
分担を決める。例年通り、報告書は全文小山が書く。
(400字原稿用紙で50枚から60枚程度)、
会計は税田さんとハンさん。全ての支出項目に領収書を
添付する。
バオミンさんは、障害児医療センターとの連絡、その他の
調整。添付する写真は小山。急いで完了報告書の作成、
全ての領収書の整備を行うことを話し合う。

今回は明日の日曜日から静大の受験が入り、その後
バオミンさんはハノイへと丁度日程が立て込んでいる
時期である。

午前11時半 昼食。

午後12時、「ハイリーホテル」5階の日陰の気温は「40度」。
日向の道では45度程度となっている。人間が仕事をする
環境ではない。生きているだけで「闘い」「仕事」である、
などとかんがえてしまうほど、暑い。体が常時だるい。
ベトナム事務所員の皆さんも同様とのこと。

午後12時半から1時間ほど昼寝。
「足利義満ー消された日本国王」(小島毅著)
忙しいのと、暑さ・仕事の疲労で読書が進まない。
室町幕府、南北朝鼎立の頃の「アジア政治情勢」
特に中国の歴史を詳細してくれているのが良い。
日本の歴史教科書は日本国内のみに目が行っている。
本書はアジア、特に東アジアの情勢が当時の
日本にどの様な影響を与えているのかが書かれている。
目が開かされた感あり。この本を読むと足利義満時代
の日本も東アジア、特に中国、韓国との交流、影響を
抜きには国内政治(天皇・室町幕府・・・)を語ることが
出来ないことがわかる。当時と今日も基本的には同じ。
2000年間以上にわたり、日本の政治は中国と朝鮮半島
との関係の中で動いているのだ。

午後2時から3時まで大学受験特進クラスの会話の授業を
行う。

「ハイリーホテル」へ戻る。猛暑の中。

ボランティア貯金報告書作成に取り掛かる。
書き出すためには、1年前に出した申請書を熟読する。
更に昨年10月に出した中間報告書も熟読し、
JASSの申請書、中間報告書、そして今書こうとしている
完了報告書が首尾一貫した内容となっていなければならない。
次に2008年7月から2009年3月までどんな活動をしたのか、
ボランティア貯金申請書に書いた内容、目的が達成できた
のかを具体的に詳述しなければならない。
渡辺和代さんが参考に昨年度(上半期)の完了報告書を
送ってくれる。
各種文書を読むだけで2時間ほどたってしまう。


午後5時半、日本料理店へ。

リー君の誕生会。満23歳になる。リー君と出会ったのは
16年前。リー君、7歳の時。あの時のチョロチョロしていた
「悪がき」のリー君も23歳となり成人した。近頃は時々
問題も起こすが、人間として自分を『抑える』ことを覚えた、
自覚も出てきた。そして何よりも、体を動かして仕事をする
ことが大好き。明るい性格の若者となった。このまま
順風満帆で行って欲しいと思うのだが・・・・・・・。

●弟ノイン君から誕生祝いのケーキ贈呈


●調理主任のTHUYさんから「記念品」贈呈

こうして普通の家庭の生活を体験させることもこどもたちに
とっては大事なこと。


午後6時半頃、大塚さん、税田さん、原田先生、私の
4人で来客になり、こどもたちの接客、注文した料理が
きちんとできるかをチェック。あわせて「サクラ」となる。
店にお客がいないと一般通行のお客はなかなか店に
入りにくいようだ。私たちは店の真ん中で食事をしていると
欧米系のお客が入店。私たちが呼び水となる。
これも仕事の一環。美味しい「ごぼうのテンプラ」などで
「仕事」として、フダ生ビールを飲む。

●ごぼうテンプラ

●丁度漬けごろの「ぬか漬け」

午後9時閉店。

今日はリー君の誕生日。しかも土曜日。明日は休み。

リー君・イン君兄弟と原田先生の4人で、再度、リー君の
誕生を祝って、「ハイリーホテル」の前の「やぎ肉屋」
で更に飲む。

午後10時半頃、私は疲れたので一足早く帰る。

リー君もイン君も複雑な家庭に生まれ、3歳、4歳で
親に捨てられ路上生活を強いられた。二人には
何の責任もない。第一義的には親の責任である。
二人とも路上生活7年ほどの『その道のベテラン』である。

真っ当な家庭教育も学校教育も受けず、従って世間の
常識的な躾と知識も教えられないまま、路上をさ迷い、
悪いアンちゃんたちに殴られたり脅されたりの毎日だった。
お陰で、成長したら二人が「殴る」「脅す」の専門家に
なってしまった。1997年、「子どもの家」に入所し、
リー君は小学校5年まで。5年間、毎年成績は最優秀だった。
弟のイン君は中学2年まで。絵が上手で神奈川県知事の
松沢氏から表彰状をもらっている。
IF ということはこどもたちの生育には使えないが、
もし、真っ当な両親のもとで生まれ、成長していったら
今とは全く違う人生を歩んでいたことだろう。
人間の人生と運命はいかんともしがたい。
せめて、私たちJASSの活動で二人が少しでも幸せな
人生を送ってくれたら、私たちも幸せである、などと
考えながら今日一日を過ごし、眠りに落ちていった。

投稿者 koyama : 09:15 | コメント (0)

2009年06月05日

「ハイリーホテル」玄関に植木:フエ市共産党・人民委員会幹部と交流

快晴  終日猛暑。 午前8時 5階の日陰「36度」。

午前7時朝食

エビーの練り物入りの「ブン麺」


午前8時半、大塚さん、私、ソン君、リー君の4人で
「ハイリーホテル」玄関前に植木を受ける。
「ハイリーホテル」を借りた時に1は5鉢程度の盆栽風の
植木があったが、全て枯れてしまった。外から「ハイリーホテル」
に帰ってくる時、枯れた植木に囲まれた住居に入るのは
何とも寂しいもの。
ハイ・リー・リー・インたちがいた頃は植木鉢を割ったり、タバコの
殻を入れるなど「乱暴狼藉」の数々。到底、玄関の植木を
愛でるなどという気分にはなれなかった。

最近は、昼や夕方ベトナム事務所から帰る日本語教師や
大塚さんなどスタッフの皆さんがが南方の原色の花が咲いている
玄関に帰ると多少なりとも気分が良くなるかな、などと考えるように
なった。今日、思い切って実行。

気温は既に40度を優に超えている。

古い植木鉢の土を捨てて、新しい土を入れる。
その後、植木を植えるという手順だ。

リー君はやる気満々で既に午前8時半前に
「ハイリーホテル」玄関に到着。勝手に
玄関前に古い植木鉢の土を捨ててしまった。
玄関をきれいにするために植木鉢を植えようと言うのに
その玄関が泥まみれになってしまった。

私、大塚さん、リー君の最初の仕事は、玄関に積み上げられた
土の山をスコップでセメント袋に入れて、近くのゴミ捨て場に
捨てに行くと言う「純肉体労働」からスタートした。
計画では、二人で古い鉢を持って、ゴミ捨て場にいき、
土を捨てると言うものだった。いつも「先走って」しまうリー君では
あるが、悪意はない。
ソン君は植木を買いに行っていない。

結局、私と大塚さん、リー君の3人で土方仕事をすることに
なった。正直な話、この作業を30分ほどしただけで、
頭がクラクラ、目の網膜が真っ黒に見えるほど、疲労。
体中、あせでびしょ濡れ。気温40度以上の太陽の下での
作業。

土運び作業が終わり、新しい土を9個の大型植木鉢に
入れる。丁度、ソン君が植木を買ってきた。

きれいに植木鉢に植木を植える。



最後に玄関の自転車通路の両側に植木鉢を6個並べる

リー君に頼み25メートルのホースを買ってきてもらう。900円。

ホースの水で玄関や「ハイリーホテル」の回りの石畳の
汚れを徹底的にきれいにする。

それからが、大変な肉体作業となった。玄関前に植えられている
植木の雑草取りを行う。

スコップと素手で雑草を抜く。抜いた雑草をセメント袋に
入れて近くのゴミ捨て場まで運ぶ。こうした単純作業を
繰り返した。作業の終わる頃には「意識朦朧気味」。
気温40度を越える中での仕事は日本人には無理。

2時間半ほどで作業終了。ふらふら。

これで「ハイリーホテル」の総合的な掃除、修繕の大半を
終える。

ハイ・イン・リーの3人が住んでいた2階の部屋を大塚さん
原田君が徹底掃除。トイレや部屋から常に異臭が漂っていた。
ベッドも天日干し。今は誰でもお客さんがあれば泊まって
もらえる自信があるほどきれいになった。無臭。

「ハイリーホテル」の水道関係をきちんと直す。3回にわたり
業者を呼び、水の出ない原因を徹底究明。原因を掴み
修理する。

1階の男女別トイレ大掃除。私、大塚さん、原田君、料理のセンさん。
ここも、ハイ・リー・インの3人が勝手放題に使っていて、
異臭が漂っていた。トイレの中はごみやタバコの箱(20程)
、ゴキブリの巣窟と化していた。徹底的に掃除し、汚物を
撤去。無臭化に成功。

そして今日の「ハイリーホテル」玄関前の植木作業。

せっかく住む家である。出来るだけみんなで気をつけて
快適に生活したいものである。
「ハイリーホテル」住人の皆さんに感謝。

午前11時半、昼食。


午後12時半、昼寝。猛暑の中の作業で疲れたせいもあり
2時間ほど熟睡。

その後16通のメール受信。16通のメール送信。

午後4時半、ベトナム事務所へ。
新入スタッフのアンさんが仕事をしていた。
アンさんは静岡フエ青年交流会館付属日本語学校の
観光基礎コース(2年間半)の今年の卒業生である。
今後、ベトナム事務所員として観光などを中心に
こどもたちの支援を担当する。


日本料理店厨房では今夜の来客用の準備。

ぬか漬け。ぬかの良い香りがする。

金平じゃがいも

イン君が調理をしていた。イン君はちょくちょく問題を
起こすが、調理の腕前はなかなか大したものである。
どの子供にも特徴があり、良いところも問題もある。
JASSの仕事はこどもたちの中にある「きらっと」光る
ものを見つけることである。時間と大変な労力のかかる
しごとであるが、喜びも大きい。(といえるようになると
いいのだが・・・・・・)

午後5時半。フエ市共産党・人民委員会の幹部と会食懇談。

私、バオミンさん、税田さんが参加。

午後8時半終了。

日本料理店に帰り、原田君と少し飲み直す。

午後9時半「ハイリーホテル」へ帰宅。今日は相当飲んだ。

投稿者 koyama : 18:35 | コメント (0)

2009年06月04日

静大入試準備

快晴  

午前8時の「ハイリーホテル」5階の気温36度 ・湿度70%。
外気温はすでに40度を超えている。


午前6時半起床。

午前7時朝食。

午前8時から静岡大学など20通ほどのメール送信。
30通程の受信メールを読む。


午前中は、講演会依頼への返事、静岡大学などへの
メール対応で追われる。

とにかく暑い。外気温40度を超える。部屋にいてもからだが
だるい。外気温40度を超えると日本人は仕事が出来ない。

午前11時半昼食。

日本人スタッフの皆さん、食欲なし。


午後12時半から1時間ほど昼寝。熟睡。

読書「足利義満ー消された日本国王」(小島毅著)
南北朝の争いのそもそもからその歴史的経過、
今日の天皇が北朝系だという史実などを
明らかにしている。

午後2時半からメールのへの返信。

神奈川県青少年協会、日本語教師希望者、
ACCL代表、ハノイ市日本人会講演会依頼への返事、
「アクセサリー研修センター」関連などのメール送信。


午後5時半、日本料理店で夕食。



アヒルの玉子焼き


空芯菜のピーナッツ炒め



来客アリ。

午後8時半、豪雨。


午後9時過ぎ日本料理店閉店。


「ハイリーホテル」着午後9時半。
5階の温度計は26度。

今日は昼間は36度(外気温は40度以上)、夕方は26度
と10度の温度差。体が本当にだるい。

帰宅後火炎樹日記に書く。

気力が段々なくなる。

外気温が終日40度を超えると人間は、仕事をするのではなく
木陰で横になったり、体を動かさないと言う「自己防衛本能」
が働く。海外企業がベトナムに進出し、自国と同様の勤務を
要求するのは無理と言うもの。海外企業の昼休み1時間
と言うのは、精神的「侵略」行為と思わざるを得ない。

今日は1989年6月4日に起こった天安門前広場での
中国人民解放軍による人民の大量虐殺20周年。
趙紫陽中国共産党総書記代行が天安門広場の学生、労働者、
市民に連帯の挨拶をしている中、中国人民解放軍がクーデターを
起こし、労働者・市民を戦車で大量虐殺した事件である。
数千人の市民・労働者が虐殺されたと言う。
20世紀末期の最大の人間虐殺事件であり、非合法の
軍事グーデターである。
フジテレビが生中継した香港での「抗議コンサート」に出演した
テレサテンの「勇姿」が今でも目に焼きついている。天安門
事件と聞くとテレサテンの鉢巻とジーンズ、サングラス、ゼッケン
で中国での虐殺に抗議している姿を思い出す。

今日、日本の多くの政党がこうした正当性のない中国政府に
対して平然と付き合っていることは、自ら軍事クーデターを
認めることになる。これらの日本の政党はビルマ(ミャンマー)
の軍事独裁を批判する権利はない。

一党独裁の下での民主主義はありえない。
一党独裁下での経済発展は、一部の共産党の特権階級を
肥え太らせるだけで、一般庶民と特権階級との格差の
増大を生み、結果的には国民の中に大きな亀裂を持ち込む
ものである。民主主義と批判の自由、集会・結社の自由などの
本質的な保障の上に成り立った社会の構築こそ必要である。
日本の一部の政党が中国の社会主義市場経済を高く評価して
いるが、そのうち「前々から全面的に反対していた」というように
なることは必然。民主主義と自由のない中での経済発展は
富の特権階級への集中という大きな弊害を生む。

投稿者 koyama : 12:22 | コメント (0)

2009年06月03日

「ハイリーホテル」1階トイレ掃除

快晴 真夏  外気温43度

午後12時半の「ハイリーホテル」5階の日陰の気温40度。
猛暑。 空気が暑く重い。5階の涼しい日陰の気温が
40度と言うことは、地上の外気は43度から45度。

午前5時起床。
読書「足利義満ー消された日本国王」(小島毅著)
著者の少しはすっかいなスタンスが気に入った。
著者は金額寺の創設者であり足利尊氏の子孫で
ある足利義満を語るに付いて、当時のアジア情勢、
あわせてヨーロッパ情勢の中での日本の存在を
解明している。

午前7時朝食。

午前9時。私、大塚さん、原田先生の3人で「ハイリーホテル」の
1階の異臭漂うトイレの掃除をする。
ハイ・リー・インがいた頃、1階のトイレを使い、汚く使って
いた為、異臭と汚れがひどく、誰も使う気になれなかった。
今日、大塚さん、原田先生と私の3人で一気にトイレをきれいに
する活動を行う。
トイレには、ハイ・リーたちが捨てまくったタバコ、ゴキブリ、
蜘蛛の巣などがあり、便器は汚濁がひどくなかなかきれいに
ならなかった。昨夜、大塚さんが便器清浄剤を振り掛けて
おいてくれた。かなりの部分はきれいになっていた。
便器、床、壁、ドア、鏡などを洗剤できれいに掃除する。
昼食を作るセンさんも手伝ってくれる。



●ピカピカに磨かれたトイレ
 トイレ掃除を馬鹿にする人もいるが、大事なこと。
 トイレが汚いままに放置するのは、人間の気持ちも
汚いまま放置することにつながる。

午前11時半、昼食

午後12時過ぎから1時間、昼寝。
久しぶりに体を使う。少し疲れる。熟睡。

午後2時半、静岡大学とSKYPEで話し合い。

午後3時半、静岡大学工学部の先生から電話。

バオミンさんと電話で20分ほど話し合う。

静岡大学工学部入試の受験票が届く。
6月9日に行われる静大工学部フエ入試についての
詳細を静大と打ち合わせ。

午後5時半、日本料理店で夕食。

●張り切って日本料理店の仕事を進めているリー君

午後9時、日本料理店閉店。
大塚さん、石上先生、原田先生と「ハイリーホテル」へ帰る。


投稿者 koyama : 23:50 | コメント (0)

2009年06月02日

蜂の巣取り

快晴 昼間の外の気温40度(猛暑)

午前5時起床。
読書「足利義満ー消された国王」(小島毅著:光文社新書)

午前7時朝食。

私の好きな「キャッサバ芋の麺」

午前9時、「5階の蜂の巣」撤去作戦
蜂の巣撤去の専門家「リー先生」にご登場頂き、
磨かれた専門技術を披露してもらう。
私と原田先生は、「リー先生」の後ろで、大声をだしている
という有様。

リー君の蜂の巣撤去作業は至ってシンプル
5階においてあった大きなビニールをかぶり、長い棒を持って
その棒で「蜂の巣」を突っつくという大胆な作戦

数十匹の蜂は、大騒ぎ。物凄い勢いで蜂の巣から飛び出し
敵に向かって突進してくる。この時点で「勢子」の私と原田先生
は「リー専門家先生」に「室内からの退去命令」を受ける。

それでも蜂の巣から出ない「勇敢な蜂」に対し、新聞紙を
燃やして蜂の巣に突きつける。

約30分ほどの大格闘の末、蜂の巣撤去に成功。

早速、リー専門家先生は蜂の巣から生きた蜂の子を
取り出し、その味を堪能していた。私など、どうみても
「うじ虫」としか思えない蜂の子である。

この若者は、素晴らしい能力を持っている。
ビニール袋と長い棒、新聞紙の3種の神器だけで
見事数十匹の大型蜂の巣を撤去してしまった。
大型蜂は窓から外に出たが、中には勇敢な蜂もいる。
外に出ずにリー君に襲い掛かる。リー専門家先生は
かかってくる蜂の勇者を、「ゴムぞうり」でパンパンと
引っぱたき虐殺。
私など蜂の巣と聞いただけで「怖くて」近寄れない。

昨日からインターネットが使えない。プロバイダー
のせいなのか、「ハイリーホテル」のインターネット
の状態が悪いのか不明。

午前11時半、昼食。

午後12時半から1時間ほど昼寝。外気温40度はさすがに
暑い。体が動かない。

午後1時半、水道業者が来る。屋上のタンクを直したのだが
4階、5階の水が出ないか出が非常に悪い。
再度水道業者を呼ぶ。屋上のタンクや私の部屋の水道の
出具合いなどを調査。
1時間ほど業者と付き合う。

結局分かったことは、水道のメーターが付いている
大本の水道栓がある。そのメーターにつながり
3つほどの支栓がある。その一つが4階、5階用の
支栓である。この支栓が本栓にしっかりと固定されて
いなかったのである。しっかり固定していないので
圧力がでないという事情だった。この本管に接続
している水道メーターの修理は水道業者ではしていは
いけないことになっている。フエ市水道局のお役人が
直接直すというシステム。その後、水道局の
担当者に来てもらい、支栓と本栓の接続をきちんと
してもらう。4階、5階の水道は良く出るようになる。
これでシャワーが使える。体に付いた石鹸を落とすのに
苦労することがなくなった。洗濯機が使えるように
なった。

午後3時、ベトナム事務所でバオミンさん・ハンさんと
会計問題などで打ち合わせ

午後4時半。元日本料理店の店長だったHNさんが
会いたいとのこと。会って話をする。
HNさんは、3年前からJASS日本料理店の店長。
松下安希子先生が日本語を教え、中村友香先生
が接客の仕方を教えたりした「子どもの家」の
子供である。1年ほど前、急にJASS日本料理店の
仕事が大変、給料が安い、日本人指導者の態度が悪い
などの理由を並べ、4人の「子どもの家」の日本料理店員
を「引きつれ」集団退職を敢行した首謀者。
5人の集団退職届けの翌日、「子どもの家」の子供3人は
自分たちの愚行に気づき、セン「子どもの家」委員長の
所に行き、退職届の撤回とベトナム事務所に謝罪を
したいとの意向を表明。
調理主任のTHUYさんとリー君は、最後まで日本料理店
で仕事をしたいと言って、HNさん主導の日本料理店
集団脱退を拒否。イン君は、家出中。

結局、HNさんとHさんの二人が日本料理店を辞めて行った。
二人の就職先は、元JASSスタッフだったAさんの
作った日本料理店もどき店。(「もどき」というのは
日本料理を作れるスタッフが一人もいない日本料理店
だからである)
もともとは、私の個人的なお金で作った日本料理店であったが、
1年半ほど前に諸事情があり、現在のベトナム事務所1階に
引っ越す。
日本料理店そのものは、何も手をつけずそのまま残して行った。
Aさんは、私たちの残していった日本料理店を使っている。
さて、Aさんの日本料理店に勤めた二人だが、1ヶ月後に
Hさんが辞めさせられた。
そして、先日、HNさんもクビになった。1日13時間もの
異常な労働時間だったという。お金に目がくらむと
こんな異常な労働を安い賃金で強制し、暴利をむさぼろうと
という浅はかな考えに至ってしまうのだ。
「集団退職」のいきさつを聞き取った。
元JASSのスタッフだったAさん夫妻から呼び出され、
『自分たちが新しい日本料理店を作るので手伝って欲しい。
給料はJASS日本料理店の2倍出す、JASS日本料理店
のこどもたちを全員退職させ、つれてくるように』との甘言に
乗せられたことが分かった。結局、「札束でほっぺたを
ぶたれ、お金に目がくらみ」JASS日本料理店を退職していった
二人であった。
しかし、その末路は悲しいもの。札束で引っぱたき、
社会経験もない「子どもの家」のこどもたちを騙し「引き抜いた」
元JASSスタッフのAさんであったが、新日本料理店の経営は
不振。12人もの店員を抱え、結局、札束で引っこ抜いた
「子どもの家」出身のHさんとHNさんをクビにし、人員整理を
したわけである。こどもたちを虫けらや人形のように
扱う某日本料理店オーナーの人間不信、拝金主義の
思想と人間性の欠如に心が痛む。

11ヶ月前にそんな騒動があり、JASSベトナム事務所に
後ろ足で砂をかけて出て行ったHNさんであるが、結局、
某日本料理店オーナーの言葉は「嘘の甘い言葉」だった。
惨めにも11ヶ月後には虫けらのように捨てられ、行くところがなく
友達の家を転々としていた。最後はJASSベトナム事務所に
助けを求めてきたという事情である。

HNさんは、父親が誰だかわからないまま北部で生まれる。
その後、母親は新しい男性との間に2人のこどもを作る。
HNさんは、行く場所がなくなり、親戚の申し入れで
私たち「子どもの家」が受け入れた。NHさんが「子どもの家」に
入所したのは1995年だった。6歳の時である。
10数年間「子どもの家」で生活し、中学を卒業、高校を受験したが
落ちてしまい、日本料理店での研修に入ったと言う家庭環境
である。現在は祖父母(80歳近い)の家にいるが、祖父母
自体も仕事が出来ず、大変に貧しく、HNさんの面倒見る
ことが出来ない。某日本料理店をクビになり、宿泊先を
転々としているHNさんである。真っ当な仕事がなければ
「どんな仕事に入っていくか」は誰でも想像できると言うもの。

前置きが長くなったが、そうした経過と事情をもった20歳の
HNさんと会い、近況と彼女の言い分を聞くと上記の
ようないきさつだった。
現在の希望は、真っ当な仕事をしたい。2人の知り合いと
喫茶店をだそうと相談したが、破談になった。
とこかの家の庭を借りて「小さな路上喫茶店」をしたい、
とのこと。

私からは、JASS日本料理店に対して悪罵を投げつけた上、
他のこどもたちもそそのかして某日本料理店に行ったことは、
長年のJASSのお世話に対する恩義を感じない非人間的な
行動だ、お金だけで人間が行動すると結果がどうなるのか、
今度の某日本料理店へ行った経験で分かったと思う。
本当にHNさんの人生と将来を考えて某日本料理店のオーナー
はHNさんを誘ったわけではない。ただ、金儲けの手段と
としてHNさんを誘っただけ。その結果が今日のHNさんの
ように『捨てられて』しまったということだ。今後は、人間との
間の信頼関係、人との真面目な付き合いをするということが
人間として一番大事だ、「誠意」を持って人と付き合い
人生を生きていって欲しい。

誰かの家の庭を借りて路上喫茶店をしたいという気持ちは
分かった。今のまま80歳になる貧しい祖父母の家にお世話に
なったり、友達の家を転々として暮らすのはよくない。
20歳になったのだから自分の力で人生を切り開いていって欲しい。


路上喫茶店の開店費用は私が貸す。お店を順調に運営する
中で少しずつ返すように、と話す。
早速、「子どもの家」の卒業生の祖父が持っている某所の
庭を借りるようにする。この家は、近くに大学の寮があり
大学生が常時コーヒーを飲みに来る可能性の強いところ。

早速、明日から場所の選定と必要なプスティックの椅子、
カップ、コーヒーフィルターの購入などを行うように
話す。

JASSベトナム事務所に敵対行為をしたHNさんではあるが
このままの状態では、最悪の仕事に就かざるを得ないと判断。
能力と統率力のある子だ。もう一度チャンスを上げたい。
このチャンスを何とかものにして欲しいものである。


午後5時半、日本料理店で夕食。

原田先生と1時間ほど生ビールを飲む。

午後7時頃からベトナム事務所で昨日の火炎樹日記を
書く。

午後9時40分日本料理店閉店。今日は14人の来客。

午後8時半頃来たスペイン人の夫妻は、ロンリープラネット
という英語の観光ガイドブクを呼んで来たとのこと。

ロンリープラネットには」MR JASS MAN」として
私の活動が紹介されている。
スペインのご夫妻は私の活動を詳しく聞く。
最後に『養子としてこどもを受け入れたいのだが」
との話。私は断る。

「ハイリーホテル」着、午後10時。

投稿者 koyama : 07:32 | コメント (0)

2009年06月01日

ベトナム・国際子どもの日記念祝賀会

晴天  外気温40度

午前5時、起床。「島原の乱」読了
シャワーの水があまり出ない。体についた石鹸がおちない。


午前7時、朝食。


午前8時半、「子どもの家」で「国際子どもデー」の祝賀会。

「贈呈式  2009年6月1日 国際子どもデー」


フエ省副知事のホアさんと労働局長が来賓として来場。
二人ともストリートチルドレン、障害児担当のフエ省の
最高責任者。

ホア副知事の祝賀の挨拶



ホア副知事と労働局長から「子どもの家」の子どもたちに
記念品贈呈


地元フエテレビ、ハノイ中央テレビの取材があった。


ホア副知事・労働局長と子どもたちとの記念写真



式典は続き、セン「子どもの家」運営委員長の経過報告

今年は今日から夏休みに入った。1年間の皆さんの成績が
でた。今年はこの15年間で最大の好成績を残した。
最優秀(日本流に言えばオール5)5人、優秀(オール後にほぼ近い)
が17人。学校へ行っている46人中22人が最優秀が優秀賞を
受賞した。素晴らしいことだ。


続いて小山の挨拶


式典会場には学校からもらった「最優秀賞」の賞状と記念品、
「優秀賞」の賞状と記念品が所狭しとおかれていた。

挨拶に続いて子どもたちの踊りの出し物


会場の子どもたちとフエ師範大学の学生



ベトナム事務所スタッフ



特別参加の静岡大学人文学部経済学科の学生さん


男子のヒップホップ


女子の踊り



フエ師範大学の学生から記念品贈呈


●最優秀賞の表彰式(5人)



1 DOAN THI DIEU MINH (女子) 小5年
2 PHAN QUOC THANG (男子)   中4年
3 HOANG THI HONG NHI(女子) 高校1年
4 TRAN HONG NHI (女子)     高校1年
5 HOANG THI HONG NHAN    高校3年
  (昨年のベトナム高校生数学オリンピック銀メダル受賞)


続いて「優秀賞」表彰  17人


1  HOANG VAN TY (男子)        小2
2  NGUYEN THI NGOC CHAU(女子) 小2
3  NGO VAN THANH(男子)        小3
4  LE VAN DUY(男子)           小4
5  TRAN NHAN TU TAM(女子)     小4
6  NGUYEN THI HIEU THAO(女子)  小4
7  NGUYEN THI BICH DUNG(女子)  小5
8  LE THI THU THUY(女子)        中1
9  LE THI THAO LY(女子)         中1
10 LE CONG TRUNG(男子)         中1
11 TRAN THI THUY NHU          中4(高校受験)
12 NGUYEN THI BICH PHUONG(女子)中4(高校受験)
13 NGUYEN THI NGA(女子)        中4(高校受験)
14 LUU THI THANH(女子)         高2
15 DOAN THI TRUC LY(女子)      高2
16 LE THI PHUONG THAO(女子)    高3(大学受験)
17 NGUYEN THI BE BA(女子)      高3(大学受験)


●続いて JASS函館の会主催の絵画展の入賞者
 への賞状と記念品贈呈
  賞状と記念品は川人代表が丹精を込めて作った
  手作りのもの



続いて子どもたちに」お祝いのお菓子を贈呈


式典終了後、ベトナム事務所員で「チャオ・バイン・カイン」
の美味しい店「待つ店2号店」へ行く。



午後12時半、「ハイリーホテル」着。

昼寝


午後2時半からメール受信。必要なメール送信。
かなり多量のメール送信。


午後3時、 ホーチミン市のAさんと言う方が
来訪。日本への留学・研修生派遣業をしたいが
そのノウハウを教えて欲しいとのこと。
2時間ほど話す。

午後5時半、日本料理店厨房のイン君の20回目の
誕生日。

インは通称。本名は「THAO」

誕生記念は「洗顔フォーム」


投稿者 koyama : 21:39 | コメント (0)