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2009年05月31日

里親募集

里親(若干名)募集

JASSでは15年間にわたりストリートチルドレンや生活困難な
家庭の子弟を「子どもの家」に受け入れ「自立」に向けての
支援を続けてきました。また、親がいても経済的な理由で
こどもたちを養育できない家庭への「在宅支援」援助も
行ってきました。
この15年間で総勢450人以上のこどもたちを成人させ
社会に送り出してきました。

アメリカ発の「世界金融恐慌」そしてベトナムのドイモイ政策
による大きな社会格差の中で、こどもたちを養育できない
農村の家庭が急速に増大しています。
「子どもの家」への入所希望者も増えています。

そこで今回、「子どもの家」での支援、在宅支援などの
里親を募集することになりました。

(1)募集内容    「子どもの家」や在宅支援のこどもたちの里親
(2)人数       若干名
(3)支援金額    年間 42000円(1月から12月)
             ★年度途中方の支援の場合は、月割りとします。
               1ヶ月 3500円
(4)里親支援内容  貧しいこどもたちの衣食住・通学・職業訓練
              などの支援。(「子どもの家」、自宅)
(5)里親支援の内容  ・こどもたちから夏と冬の2回、近況報告の
                手紙と写真が届きます。
               ・フエに来て里子との面会は可能です。
                (JASSベトナム事務所を通して)
               ・里子のこどもたちに里親は手紙を書く
                ことが出来ます。日本語の手紙は
                JASSベトナム事務所でベトナム語に
                翻訳します。里子との日本語での
                文通可能。ベトナム事務所で翻訳。
(6)里親関連の問い合せ先
           ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)
           ベトナム事務所
            Eメール:koyamavn@dng.vnn.vn
            電話 001-010-84-54-3828177
  担当者 ・税田真理子(さいた まりこ)
                 ・ゴックハン

皆様方のご支援・ご協力を心よりお願いいたします。

2009年5月31日
ベトナムの「子どもの家」を支える会
代表  小山道夫

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終日、曇り

午前8時まで寝ていた。

午前8時過ぎ、読書「島原の乱」(神田千里著:中公新書)

部屋の掃除。床を水拭きする。
布団乾燥機でベッドと掛け布団を乾燥する。

メールの受信・送信。

午前10時、朝食。昨日の日本料理店の残りご飯。

数年前、JASSベトナム事務所に所属し、「子どもの家」で
日本語を教えていたAさんからメール。結婚したとのこと。
本当にお目出度いことである。数ヶ月前にAさんと同時期に
ベトナム事務所で活動していたBさんも結婚した。
更にJASS東京で「子どもの家」を支援してくれているCさんも
結婚したとのメールを以前もらった。
更に茨城県の火炎樹の会の役員D君も結婚した。
今年は、JASS関係者の結婚ラッシュか・・・・・。
いずれにしても嬉しい出来事である。

午後12時過ぎ、昼寝。1時間。

その後、「島原の乱」を読む。著者は、島原の乱の本質は
「宗教戦争」と位置づけている。

午後5時、バオミンさんから電話。
今日の「トオイチェー」新聞に「ベトナム発の豚インフルエンザ
発生」の記事が載ったとのこと。
ホーチミン市の大学生。アメリカに留学していて帰国し
発症したとのこと。今後、ベトナムでは更に患者が出てくる
のだろう。ベトナムの人口の80%は農民。
農村に行くと家の中に豚小屋がある。豚と人間が
一軒の家で共存している農村社会である。
人間から豚へ、豚から人間へと繰り返しウイルスが移動している
間に突然変異で「猛毒性」の豚インフルエンザになる可能性は
否定できない。今後の推移を見守りたい。
ベトナムでは、今まで「インフルエンザA」(豚インフルエンザ)
の話題は全く出ていなかった。

YAHOOメールが1GBの容量の99%に達した。
長時間かけて古いメールを削除する。一つ一つメールを
吟味し、必要なメールは残した。70%まで落とす。

投稿者 koyama : 19:27 | コメント (0)

2009年05月30日

ベトナム事務所員会議

終日雨  午前7時 気温24度  湿度90%

昨夜から豪雨。朝まで雨が続く。気温が急激に下がり寒い。


午前5時読書「睡魔」(粱石日著)読了。

粱石日著の本を2冊読んだが、個人的な趣味からいえば
文体と文章の雰囲気が私には合わない。最初から最後まで
エネルギー満杯の筆致には疲れる。

午前6時半シャワーを浴びる。今日はしっかりとシャワーが出る。
この半年ほど、「チョロチョロ」状態だった。屋上の補助タンクを
直したので水圧の低い5階のシャワーが出るようになった。
ありがたいことだ。

午前7時朝食

大塚さんは船上生活者の医療支援へ。

私の『大好き?な おこわ』。半分しか喉を通らなかった。

午前8時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんといくつかの問題を話し合う。

午前8時半ベトナム事務所員会議。

バオミンさん・JASSベトナム運営委員長の司会で始まる。

(ミン)・税田さん・ソン君は「子どもの家」へ。
    ・クアンさんは、静大学生など2人を「子どもの家」へ
    ・案内。
(原田)授業の準備
     ソン君と一緒に「子どもの家」へ。夏の里親への
     メッセージに添える写真を撮りに行く。

(石上)月 フエ高等師範大学1年授業テスト。1課~25課会話
       同上 2年生 文法。
    火・土 中級 20課

(ハン)奨学生のお礼の手紙翻訳
    夏の里親への里子からのお礼状準備翻訳 在宅支援終了
    父が腎臓結石で入院した。

(フーン)中級授業   授業の準備

(ミン)「アクセサリー」輸出手続
    ピースボート受け入れ準備
   静岡大学2単位授業スタディーツアーの準備
   6月1日(月)午前9時 「子どもの家」でこどもの日の
   お祝い会。各自、「子どもの家」へ。
   日本の支援者 6月14日からフエ来訪。受け入れ準備
   

その他、フエ高等師範大学・静岡会館日本語学校のことなど
を話し合う。1時間半ほど。

午前10時。バオミンさんと静岡大学入試の件で打ち合わせ。

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。

私の大好きな「チャオ・バイン・カイン」(小麦の手打ちうどん)

午後12時過ぎから1時間ほど昼寝。
今日は急に気温が下がり「頭痛」「倦怠」

午後2時半 読書「島原の乱」(神田千里著:中公新書)

従来の学説では、島原の乱の原因は、旱魃と重税への
農民の反抗という意見が主流であり、教科書にも
そのように記述されている。
本書では、果たして重税に反抗しての農民一揆が
その真の原因かを考証している。著者は東洋大教授。

午後3時半、静岡大学へ4人の受験者の『1年・3年』時の
成績証明書を送信。原文のベトナム語と日本語翻訳。
日本人が理解できるように日本語翻訳を修正する。

6月9日の入試・面接の要綱を添付。

合計16枚のPDFファイルを送信するが、「ハイリーホテル」の
インターネットの力が弱く、PDFファイルがアップできない。
3時間ほどかけて全てを静岡大学に送信。

5階の洗濯機が置かれている部屋に大きな「蜂の巣」を
発見。ここから我が部屋に蜂が入ってきていたのだ。
刺されると危ない。近々に蜂の巣の撤去作業が必要。
私は怖くて出来ない。


午後6時半、夕食。


数週間かけて静岡大学工学部NIFEEプロジェクトの
入試関連の大量の証明書・申請書類を作成し、
静大に送る。今日で4人の受験に必要な資料は全て
静大に送付したことになる。後は、受験を待つのみ。
受験生4人の奮闘を祈る。


大塚さんが日本料理店の残りのご飯を「明日・日曜日
の食事用にタッパーに入れてくれる」。感謝。
日本料理店の残りの食べ物を捨ててしまうのは
もったいない。

投稿者 koyama : 09:55 | コメント (0)

2009年05月29日

税田さん、フエ「帰国」

晴天  午前7時気温 32度 湿度70%

昨夕から断水。結局水が出るようになったのは、今日の
午後2時半。約1日、断水していた。
断水の予告もなく、何が理由で断水したかの告示もない
無鉄砲な断水である。行政担当者が、市民の生活などは
全く考えていないことが分かる。噂では、水道管の掃除とのこと。
こんな理由なら事前に予告すれば、水を貯めておくことが出来る
のに。批判のない国の現実である。市民生活などは、政治や
行政を担当している人間の頭の中にはない。批判のない国家の
現実である。市民は行政・権力者の為すがままに生きて行かねば
ならない。「人民のために」という言葉が空々しく聞こえる。

午前5時読書「睡魔](粱石日著)
磁気マット販売のねずみ講組織に主人公グループが
少しずつ取り込まれていく過程を丁寧に描いている。

午前6時半昨夜からの断水が続く。シャワーが浴びられない。

午前7時朝食。



午前8時から原田先生と「ハイリーホテル」1階のトイレの
大掃除をする予定が出来ず。

午前9時、ベトナム事務所へ。1階日本料理店別室で
JASSベトナム事務所に入所するスタッフと面接。
静岡フエ青年交流会館日本語学校の卒業生。
今回2名の新規採用を決める。
JASS観光と日本語学校・フエ高等師範大学・フエ外大などの
活動強化のため。

その後、ベトナム事務所でバオミンさんといくつかの問題について
打ち合わせ。

ハンさんのお父さんが「腎臓結石」で緊急入院。

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。

午後1時、屋上の水のタンクの修理。
半年ほど前にこのタンクから水が漏れていた。
業者を呼ぶと「タンクの機能をストップすればよい」
と言って、タンクのふたを閉めてしまった。

数日前にバオミンさんに「屋上のタンクの役割は?」と
聞いてみた。「1階・2階位までは水圧が高いので水が
良く出るが、4階・5階は水圧が弱くなるので、
このタンクに水を入れておき、4階、5階の水圧が
低くなった時にタンクの水を放出し水圧を上げる
もの」との答え。

昨年から朝のシャワーの際、水が「チョロチョロ」状態だった。
こんな時に屋上のタンク内の水が「応援」に放水される仕組み
になっていたのだ。業者がかってに屋上のタンクを閉めてしまった
ので5階はチョロチョロ水で半年以上も我慢していたのだ。
馬鹿馬鹿しい。

業者に修理してもらう。原理は水洗トイレと同じ。
水圧を上げるために水が放出されると浮きわがタンクの
下に降りる。すると自動的にタンク内に水が入ってくる。
満杯になると浮き輪が上に上がり、入水がとまる。
この浮き輪の仕掛けが壊れていたのだ。直せばよいのに
勝手にタンクを閉めてしまった業者。何を考えているのか?

業者に修理してもらい、浮き輪の仕掛けを直してもらう。

午後3時、ブライセン本社の総務部長・経理部長などと
SKYPEでの会議。会計の件、ブライセンベトナム支社
の就業規則の件、保険・年金・休業日、会計などに
ついて30分ほど協議・意思統一をする。


この地域では5階建ての建物が一番高い。屋上から
回りの景色を見る。純農村地帯。

午後4時過ぎ、水道が出るようになった。
シャワーを浴びる。


午後4時半、バオミンさんとSKYPEで30分ほど打ち合わせ。
ブライセンベトナム支社の運営、会計処理、祝祭日・・・・。

午後5時、豪雨。停電。
バオミンさんから電話。ホーチミン空港にいる税田さんから
「ホーチミン市が豪雨で飛行機が飛ばない。30分ほど遅れる」
との連絡がったとのこと。

午後6時半、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ迎えに来る。
バオミンさんと一緒にフエ空港へ。

午後7時過ぎ、税田さんがフエ空港へ到着。
税田さんは1ヶ月間の休暇帰国。元気に帰国する。

その足でベトナム料理店へ。

フエビールを飲む。


午後9時40分、ベトナム料理店を出て、
「ハイリーホテル」へ帰る。
「ハイリーホテル」着午後10時。

その後、この日記を書く。


投稿者 koyama : 18:09 | コメント (0)

2009年05月28日

ベトナム版「土用の丑の日」

晴天  午前7時 気温32度  湿度65%
     日中、気温35度


午前5時読書「睡魔](粱石日著)
催眠商法の実態。人間の心の弱さにつけ込み、
啓発セミナーの手法を活用し、人間を騙していく。

午前7時朝食。赤米のおかゆ。


受信メールの確認。必要な送信メール。

午前8時半、「ハイリーホテル」を出て徒歩で
ベトナム事務所へ。30分。途中、川沿いの道を歩く。
自然の草花が咲き乱れていた。

●南洋桜(出典:JASS高橋花博士より)

●カボチャの花

●ブーゲンビレア(出典:JASS高橋花博士より)

少し痩せこけた牛が草を食んでいた。

川淵の家庭の玄関や庭で「生きたアヒル」を屠り、食用にする
作業を行っていた。

今日はベトナムの「土用の丑の日」のようなもの。日本では
うなぎをを食べるが、ベトナムではアヒルを食べる。
陰陽道の影響か?  暑い夏は「陽」、アヒルは「陰」の食べ物との
こと。

流れのない川は深緑になっていた。


午前9時過ぎ、徒歩で40分。ベトナム事務所へ到着。
バオミンさんと当面の課題について協議。
・静岡大学人文学部のT先生ゼミの「子どもの家」
 訪問スタディーツアーの受け入れを協議。受け入れる。
・T君の静岡大学理学部大学院入学問題
・静岡大学工学部入学希望者の成績証明証の不足分を
 早急に手に入れる。

午前10時半、リー君がベトナム事務所にいたので呼ぶ。
昨夜、下宿改築のため2日以内に出て行くように言われた
といっていた。真偽を確かめる。大家さんが改築を断念した
とのこと。当面は、現在の下宿にいられることになった。

帰りも徒歩で「ハイリーホテル」。30分。気温40度近い
直射日光の中を歩く。さすがに暑い。

午前11時半、昼食。

午後12時半から1時間昼寝。足の筋肉が痛い。1ヶ月半ぶりに
歩く。この間、体調が悪かった。

午後2時 読書「睡魔」(粱石日著)
しばらく横になる。

千代田区役所国際平和課からメール。千代田区民対象の
スタディーツアーと私の講演会をして欲しいとの内容。
快諾する。

静岡大人文学部T教授ゼミの夏のスタディーツアーの
申し込み。受ける。


午後5時半、電動バイクで日本料理店へ。
日本料理店でも「アヒル」の料理。
ブン麺にアヒルのダシをいれ、たまねぎとねぎをいれて
食べる。暑気払い・夏の暑さに負けない庶民の生活の知恵。
多分、中国から入ってきたもの。日本は夏の土用にうなぎを
食べると変化していった。


「縫製研修センター」のカンさんがホーチミン市に帰ると言って
挨拶に来た。1年近くの仕事、ご苦労様。

来客あり。静岡大人文学部経済学科の学生。
アジアを廻っているとのこと。中国で知り合った学生を連れて
来ていた。色々と話をする。明日、二人で「子どもの家」へ
行くとのこと。

カナダ人の若い女性が来店。「子どもの家」のことを知りたい
とのこと。8月までフエで英語を教えているという。
沖縄に4年間住んでいたとのkと。
しばらく日本人学生とカナダ人の若い先生と話す。

帰り際に「子どもの家」と全員写真を撮る。

午後9時半、「ハイリーホテル」へ帰る。
断水。トイレの水、手洗いの水が出ない。

電子レンジを個人で買う。日本料理店の残りの食べ物を
もらい、「ハイリーホテル」の部屋の冷蔵庫で冷凍しておく。
日曜日の食事がないので解凍して食べるため。
「ハイリーホテル」の住人にも開放する。



その後、火炎樹日記を書く。途中で11時過ぎてしまい、
3分の2ほど書き就寝。

投稿者 koyama : 23:25 | コメント (0)

2009年05月27日

JICA医療支援医師の皆さんと懇談

晴天 午前7時 気温30度 湿度65%

午前7時、朝食。

今朝から中島先生がいなくなったので朝食が寂しい。


午前中、各種仕事。

バオミンさんとSKYPEで30分ほどいくつかの問題について
協議。
・ストリートチルドレン絵画展出品の件
・静岡大学理学部大学院入学の件
・里親募集の件
・6月1日「「子どもの日」。「子どもの家」でのお祝いの会について
・5月29日からのフエ訪問者の件(ホテル・車・日程等)


「京滋YOUの会」の中村さんからメール受信。返信。

高校同級生の五井君からメール。6月20日からの
高校クラス(3年間クラス替えなし)のベトナム・ラオスツアー
の件で打ち合わせ。

午前11時半 昼食。


午後12時半から1時間昼寝。

午後2時読書「睡魔」(粱白石著)
寝具販売のマルチ商法業者を通して、マルチ商法の
実態を描く。「闇の子供たち」と同様、描写がどぎつく
文章と描写に関しては私の感覚にあわない。
全編を通して「エネルギー過多」「全力投球」と感ずる記述も
読んでいて疲れる。
テーマは非常に興味のあるところ。
人間啓発セミナーの手法を使った心理学と「科学」的
な知識を活用して人間を少しずつ「騙してく」手口を
描いている。


メール受信。送信。

午後4時頃、日本の内田さんからSKYPE送信あり。
SKYPEで日本の状況を聞く。「インフルエンザA」・・・・。
内田さんの訪越についての相談。
きれいに音声が入り、無料で日本と通話が出来るSKYPEは
なかなか便利なものである。

午後4時半、JICA国際医療支援でフエに来られている二人の
医師の方と懇談。大塚さんも同席。大塚さんの知り合いの方。

外務省・JICAのスタッフとして、ベトナムの厚生省と提携し、
フエ中央病院医師の技量向上指導のためにフエに滞在している。
フエの医療の実態、JASSや「オアシスの会」で行っている
医療支援などについて話す。
今後、協力して地域や貧困層の医療支援を行っていくこと
について、深く論議をし、共通意見となる。こうしたJICAの
医師がいることに安堵を感ずる。

午後5時頃、静岡大学工学部M先生から国際電話。
工学部受験希望者の受験資料の一部が不足とのこと。
早速、フエの高校に話し、不足資料を取り寄せるか
準備することにした。
静大工学部のM先生は本当に真面目な先生だ。
仕事に対して真摯な取り組みをされている。尊敬できる
方である。こうした方と一緒に仕事が出来ることは幸いな
ことである。

午後6時半、夕食。生ビールを飲む。美味しい。

日本人来客あり。

午後9時過ぎ日本料理店閉店。

大塚さんと一緒に「ハイリーホテル」へ帰る。
途中、暴走族のオートバイに接触しそうになる。
危うく交通事故を起こすところだった。
どこの国にも「命の大事さ」に心がいかない連中がいるのだ。
なにが不満で暴走をするのか?

今日は1日長かった。色々な人との交流・・・・。

「ハイリーホテル」へ戻り、午後10時に就寝。疲れた。

投稿者 koyama : 09:50 | コメント (0)

2009年05月26日

中島先生任期を終え日本へ帰国

晴天 気温34度


午前5時起床。
読書「闇の子供たち」(粱石日著:幻冬社)

午前7時朝食。

中島先生はフエ最後の朝食。

キャッサバ麺

午前8時。
静岡大へ昨日メールで送信した資料の半分が届いていない。
ベトナム・ダナンのプロバイダー。
仕方がないので改めてYAHOOで送信。8枚。


静岡大学の滝下さんにSKYPEで連絡。メール資料が届いたか
どうか確認する。無事届いていた。ベトナムのプロバイダー
は恣意的な送信が多く、信用できない。

バオミンさんと電話で連絡。

洗濯。屋上に干す。2時間ほどで乾く。
布団乾燥機を使いベッドと掛け布団の乾燥。

午前11時半、昼食。

中島先生がフエの「生春巻き」を食べていないとのことだったので
最後の昼食に「生春巻き」を出してもらう。料理のセンさんが、
生春巻き用の食材を買ってきてくれる。

1年2ヶ月お世話になった食事を作ってくれるセンさんとも
お別れ


午後12時半、昼寝。30分ほど寝る。

読書「闇の子供たち」

バンコクのNGO幼児虐待センターが話の中心になる。
著者がNGOについて実際に話を聞いたり、現地を
視察していないのではないかと思われる。
本当に現地に根付いて活動しているNGOなら、
本書に書かれているような右往左往はしない。
NGOの現実をしらない人間の虚構のNGOとしか
思えない。
しかし、著者が言いたい趣旨は私にも強く伝わって
来る。本書に書かれている国際NGOは国連とか
日本の外務省、A新聞社と提携して幼児虐待、
幼児を使った臓器移植反対の取り組みをしている
のだが、私から見れば、NGOの素人としか思えない。
いつも動揺し、確たる方針がない。実際にこんな
NGO活動を海外でしていたら、直ぐに挫折してしまう。
もっとしたたかな活動が求められている。

午後3時、洗濯物を取り込む。

日本の支援者から電話。

バオミンさんから電話

ブライセン本社に5月29日に行うSKYPE会議の
ベトナム支社側の概要を文章にして送る。

午後4時半、ベトナム事務所へ。

ブライセンベトナム支社2名のアルバイトの若者に
給料を渡す。

現在、4名のスタッフがブライセンベトナム支社で
働いているが、2名は「子どもの家」関係の卒業生。
4人ともフエ科学大学コンピュータ科卒の有能な
若者である。

午後5時過ぎ、「ハイリーホテル」で荷物を積んで
中島先生がベトナム事務所・日本料理店にやってくる。
ベトナム事務所員・日本料理店のこどもたちとお別れの
挨拶。

教え子のTU君がお土産を持ってベトナム事務所で待機。

中島先生、ベトナム事務所スタッフにお別れの挨拶



日本料理店のこどもたちや大塚さんにお別れの挨拶


中島先生から日本料理店のこどもたちにお別れのお土産贈呈

私と原田先生・ソン君が車に同乗しフエ空港まで見送りに行く。
中島先生の日本語学校の教え子も大挙フエ空港へ行く。


ソン君の手配で入手したボーディングパスを受け取る

最後に全員で記念撮影


中島先生の健康と今後の人生の発展を心から祈る。


午後6時過ぎ、日本料理店へ戻る。

午後6時半。地球の歩き方ミニスタディーツアーの皆さんと
日本料理店で夕食。

接客主任のグエットさんが書いた今日のメニュー

かんてん寄せサラダが美味しかった。久しぶりに牛すじ煮込みを
食べる。以前と変わらない徳岡スペシャルの味だった。

午後8時50分、地球の歩き方ミニスタディーツアーの皆さんは
ホテルへ。静岡と東京の大学2年生。大変真面目な学生さん
だった。こうした学生さんが将来大成して欲しいと心から願う。

午後9時過ぎ、日本料理店閉店。

夕食で食べなかったコロッケとカボチャの茎炒めを
お土産にちてもらったが、「ハイリーホテル」で食欲なし。
冷凍する。今度の日曜日の朝食ブランチとする。

大塚さんと「ハイリーホテル」へ帰る。

長い1日だった。


改めて中島先生の無事帰国を祈る。

午後10時半、「闇の子供たち」を読む。読了。478ページの
大著。読み出があった。
一読の価値のある本である。NGOの描写の部分に
異議アリ。お金を持っている欧米・日本人の横暴さと
勝手な理屈が良く分かる。著者の激しい性格が
著書の随所に出てくる。
ストリートチルドレン支援、
貧困問題などに興味のある方々に是非読んでもらいたい
1冊である。

投稿者 koyama : 17:58 | コメント (0)

2009年05月25日

中島先生退任帰国お別れ会:ミニスタディーツアー講演会

晴天  日中の気温35度

午前5時起床。読書「闇の子供たち」(粱石白著:幻冬社)
衝撃的な内容である。タイ北部の山岳少数民族のこどもたちを
親から買い、チェンマイの売春宿に売り飛ばすバイヤー。
幼児売春宿を経営するタイ人。その後ろには警察と行政が
グルになり、貧しい家庭のこどもたちを「食い物にしている」
実態が暴かれている。かなりリアル。微にいり細にわたる
情景描写が必要なのかどうか? その実態を暴くために
必要なのだろうが、気が滅入る。
米人・仏人・独人・日本人などのお客が何をするかを
詳述している。マフィアと警察・軍隊と政府行政がグルに
なってしまえば何でも出来る。本質的にはベトナムもかなり近い
状態である。

児童売買春防止の国際NGOが出てくるが、何とも頼りと
知恵のない人間集団として描かれている。
作者がNGOを実際に取材して書いたものなのか?
想像でかいたものなのか? どこかの「お嬢さん集団」のように
描かれている。(お嬢さんには失礼な表現だが・・・)

午前7時朝食。


フエ名物「ブンボー」

午前8時半、ベトナム事務所へ。暑い。

バオミンさん・ハンさんと会計の件、新規里親募集の件、
ストリートチルドレン絵画展の件などを打ち合わせる。

その後、バオミンさんと二人でいくつかの問題を協議。

午前10時、「子どもの家」へ。
地球の歩き方ミニスタディーツアーが始まる。
ミニスタディーツアーの大学生に「子どもの家」や
ボランティア、海外支援などについて1時間話す。

「子どもの家」のこどもたちは今週が学年末試験真っ最中。

午前11時過ぎ、「子どもの家」の昼食。
続々と学校や職業研修から帰ってくる。


一番年下のこどもたち



午前11時半、「ハイリーホテル」へ帰り昼食。

午後12時半から昼寝。1時間。

読書「闇の子供たち」

午後3時半、バオミンさんとSKYPEで30分ほど
当面のいくつかの問題にどう対処するのかを協議。

午後4時半、ベトナム事務所へ。
今日はブライセンベトナム支社の給料日。
スタッフに給料を渡す。

アルバイトの二人は明日支給。

静岡大学工学部M先生から電話。工学部受験生の
資料の一部が届いていないとのこと。申し訳ないことでは
あるが、明日、必要な資料を送ることを電話で話す。
M先生は本当に良心的な先生である。


午後5時半。フエ市内「カメリアホテル」11階で
中島いぶき先生の送別会を挙行。


はじめにJASSを代表して私から中島先生に
お礼の言葉。

午後5時半はまだ明るい。強い太陽の照り付ける中での
送別会の開始だった。

続いてバオミン・JASSベトナム運営委員長の乾杯の音頭


カメリアホテル11階はまだ日が沈んでいない。


宴たけなわ、日本語主任フーン先生からベトナム事務所員の
寄せ書き贈呈。

フーン先生の「お別れの言葉」。


その後、ベトナム事務所員全員が一言、中島先生への
送別の言葉を述べる。


クアンさん


ソンさん


原田先生


石上先生

皆さんの送別の言葉を聞いていると1年2ヶ月ではあったが、
「同じ釜の飯を食った」仲間であるという心情がよく分かる。


大塚さん


最後に中島先生からお礼の言葉


11階の外は暗闇に包まれている。涼しい夜の空気が
頬をなでる。


午後8時半、中島先生の送別会終了。

明日日本へ帰国。ベトナムでの様々な体験を生かして
成長していって欲しい。
1年2ヶ月間の日本語教師に感謝。


投稿者 koyama : 18:14 | コメント (0)

2009年05月24日

静岡大学工学部受験希望者の入試資料作成・送付

晴天

午前6時起床。
読書「猛毒大国 中国を行く」(鈴木譲仁著:新潮新書)
本書を読むと戦慄を覚える。恐るべき人命軽視・拝金主義。
中国の伝統会社の文化もあるだろう。同時に「社会主義市場経済」
という特殊な政治経済システムの影響も大いにように思われる。
日本社会とは反対に毒物食品に「鈍感」である。
金持ちは日本から輸入したりんごなどを食べ、結局は貧困層
は安い毒物食品を食べざるを得ないのである。
中国という国の「人命軽視思想」は、1949年の社会主義中国
になっても変わらない。毛沢東は「アメリカが中国に原爆を
打ても中国は大丈夫。1億人や2億人が死んでも中国は
生き延びる」という趣旨の発言をしている。
文化大革命でどれだけの人間が死に、人生を棒に振っているか?
最終的には民主主義の成熟度の度合いである。民主主義の
未発達の国と見ても良いと思う。もちろん民主主義をしっかりと
理解している中国人も多い。6月4日は、「天安門事件」20周年
である。戦車で人民をひき殺した政党・政府である。
天安門事件を批判しないで交流をしている日本の全ての
政党に×印をつけたい。
人命尊重と民主主義よりは、「拝金主義」に走った社会。
本書はその暗部を解明している。

午前中、静岡大学工学部受験希望者の受験申請資料の
点検。静岡大学への送信。
YAHOOがうまく機能しない。ベトナム事務所メールでは
送れない。相当時間をかけて種々工夫をして何とか
静大に送信。受信できているかどうかは明日判明。

午前10時頃、「ハイリーホテル」近辺のレストランや
飲み屋から若者の声で「123ヨー」と一気飲みの掛け声が
聞こえてくる。午前10時から若者が集まって宴会をするのが
良いことなのか? それとも若者が平和を満喫している
ほほえましい光景と見るべきなのか?
「123ヨー」の乾杯の声は延々と続く。

午前11時。ご飯を7勺程度炊く。昨夜の日本料理店の
夕食の残りをもらってきた。おかずにしてブランチ。

引き続き読書
「猛毒大国 中国を行く」(鈴木譲仁著:新潮新書)読了。
中国社会の権力構造・暗部を暴いている。

午後12時過ぎ、昼寝。

午後2時読書。
「闇の子供たち」(粱石日 ヤン・ソギル著:幻冬社文庫)


今日は1日中外に出なかった。
部屋にいてインターネット・メール送受信・SKYPEで
静大関係者と打ち合わせなどを行った。

夕方、外も静かになった。
当面の課題を整理した。

約10個の課題がある。それぞれに問題があり、早急に
対処案を出さなければならない。10個の課題のそれぞれの
経過と問題点を頭で整理するが、多少「抜けている部分」が
出てきた。記憶力が減退していることは事実。
こうした場合は、メモ帳に記録するしかないが、漢字が書けなく
なっている。メモを取ったそのメモの字が自分で判別できない
時がある。

長期的な課題の最大のものが2つ。その次の課題は
5つ程度。

当面の課題と長期的な課題を頭に入れて、毎日の
業務に対処していかなければならない。

ベトナムでの活動の基本的な問題は「矛盾」である。
この矛盾を基本的に受け入れる人間的な包容力を
持たなければ、ベトナムでの活動は出来ない。
「矛盾を受け入れること」と「矛盾を認めること」とは違う。
私は矛盾は受け入れるが「認めは」しない。いつか時間を
かけてその矛盾を何とか解決してきた。
長期的な課題は更に何年もかけて解決達成したいと
思っている矛盾である。
ベトナムでの活動は常に私自身の人間性を試されている
と思いながら活動している。思うように活動できたことは
一度としてない。いつも不満だらけの毎日である。
その不満を誰かが「ぐっと」の見込み、解決していかなければ
ならない。


「闇の子供たち」を読む。


夕飯がない。いつものように「ベトナム風ほか弁」(80円)
を買いに行く気力もない。といって冷蔵庫はほとんど
空っぽ。数ヶ月前に残ったご飯を冷凍しておいた。
電子レンジがないので、部屋の外に出し熱湯をかけて解凍。
醤油をかけて食べる。結構美味しい。

引き続き「闇の子供たち」を読む。タイでの児童人身売買。戦慄を
覚える。

投稿者 koyama : 12:09 | コメント (0)

2009年05月23日

ベトナム事務員会議:静岡大学受験申請関連書類整理

晴天  気温34度。昼から雨。夕方豪雨。

午前5時起床。読書「古代史の謎はどこまで解けたか」
            (山岸良二著:PHP新書)読了。
期待はずれ。著者の作文能力が原因と思われる。
主題(古代史の謎)を徹底して追及していない。
戦後から今日までの遺跡発掘史とすべきであった。
全ての記述が表面的で浅い。特別得るものなし。

午前7時、朝食。

大塚さんは船上生活者支援へ。中島先生・石上先生は
フエ高等師範日本語学科の学生と交流。

固いおこわ

午前8時、ベトナム事務所へ。

途中、火炎樹が咲いていた。もう夏が近い。

バオミンさんといくつかの問題について話し合う。

ハンさんが急に下痢状態になり今日は休むとのこと。
昨日私とバオミンさんが急に下痢になる。
バオミンさんの話では、食べ物による下痢ではないとのこと。
ホーチミン市など南部では、「空気感染」などによるウイルスの
侵入で腸炎などを起こし下痢をする病気が流行っているとのこと。
一種の風土病か?

大塚さんの話でも船上生活者の医療支援で今日ビーザー
診療所に行ったが、下痢患者が多発していたとのこと。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。

(ミン) フエ高等師範日本語学科のお別れ会がある。
     ハンさんが急に下痢を起こし今日は休むとのこと

(ソン)「子どもの家」訪問者のIさんを「子どもの家」へ案内
    「アクセサリー」のチェック。梱包。
    小山のパソコンを直す。

(原田)特進クラス(静大留学生コース)23課まで進む。
    会話の練習を一層進める。

(フーン)観光基礎コース卒業式
     月・木 授業
     ●静大工学部入学希望学生第2期生授業を6月中旬から
       開始。

(クアン)観光基礎コース卒業式準備  教案つくり
 
(ミン)静大留学希望生の書類つくり
    中島先生離任(6月26日)
    6月25日、午後5時半から「中島先生送別会」開催
    6月1日午前9時から「子どもの家」の1年間の授業終了式典
    函館絵画展表彰状授与式



    
午前11時半昼食。

私の大好きな「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の煮込みうどん)

午後12時半から1時間昼寝。

読書「猛毒大国 中国を行く」(鈴木譲仁著:新潮新書)
中国国内製造の「ニセ春雨」「ニセ月餅」「人造鶏卵」など
薬品付け、猛毒付けの食品製造現場のルポ。

午後2時から静岡大入学希望高校生の受験用の
資料作成。かなり時間がかかる。

午後5時半、日本料理店へ。雨。

大塚さんが生鮭を1尾買ってくる。刺身にする。

夕食

欧米系の来客アリ


午後9時、日本料理店閉店。

「ハイリーホテル」へ帰る。

投稿者 koyama : 21:59 | コメント (0)

2009年05月22日

終日静岡大学入学希望生徒の入学願書作り

晴天  午前7時の気温32度  湿度70%   「休肝日」
     午後雨。かなり気温が下がる。

午前5時起床。
読書「古代史の謎はどこまで解けたのか」(山岸良二著:PHP新書)

午前7時朝食。

精進ブン麺

午前8時半、洗濯。

午前9時半、屋上に干す。乾燥機故障中。

午前中、静岡大学工学部入学希望の高校生4人の
入学試験受験用の各種資料を準備する。
午前11時半に準備の半分が終わり、静岡大学関係者に
送信。

午前11時半、昼食。

午後12時半からベッドに横になる。
午後2時過ぎに腹痛と吐き気。ひどい下痢状態。
午後5時まで引き続き、静岡大学入学希望高校生の
受験願書と戸籍・成績表等の資料をそろえる。

午後5時、ベトナム語関連の資料がほぼ揃ったので
それらの資料に日本語の翻訳をつける作業に入る。

4人とも非常に成績は良い。

酷い下痢が続く。

午後5時半、日本料理店へ。子どもたちと夕食。
残念ながら生ビールは飲めない。ご飯一膳と多少の
おかずを食べる。



その後、ベトナム事務所で各種メール受信・返信等。

バオミンさんも今日の昼から酷い下痢と吐き気とのこと。
気候の変化が原因と分析。

午後6時過ぎ、アメリカ人13人来店。

雨が降りだす。

更に2人の欧米人。

午後9時閉店。15人の来客アリ。大忙し。

午後8時半頃から大雨。

午後9時20分、「ハイリーホテル」着。

今日1日の気温の変化は大きい。雨が降ると
急激に気温が下がる。下痢・頭痛・倦怠続く。


投稿者 koyama : 20:47 | コメント (0)

2009年05月21日

近海マグロを買う

晴天  気温35度

午前5時起床。読書「創価学会」(島田裕巳著;新潮新書)

午前7時朝食。キャッサバ芋のうどん


午前8時、フエから車で30分にある「トゥアンアンビーチ」で
今朝獲れたマグロ、海老、ハマグリを漁師関係者に持ってきてもらう。

多少、こぶりだが、正真正銘の「マグロ」の仲間。

はまぐりの仲間


大塚さんの見事な「手さばき」でマグロを解体し、頭と
刺身用に捌く。


午前9時。バオミンさんから「パワーポインター」の作り方を
教えてもらう。

午前11時半、昼食。



午後12時半から1時間昼寝。


午後2時読書「創価学会」読了。島田氏の記述は客観的なもの。
創価学会の歴史と現在の問題点などがわかる。
島田氏によれば創価学会が新興宗教でこれだけ大ききなった
最大の理由は1960年代の高度経済成長だという。
大量の農民の次男三男などが東京などの都会に出て来た。
学歴もなく、田舎社会からも放り出され、既成の労働組合にも
組織されなかったこれらの集団就職組を組織したのが
創価学会だった。社会への不満と貧しさの中にいたこれらの
地方から来た人々の救いの場が創価学会だったと言う。

現在、創価学会はかつてのような「大折伏」運動をすることも出来ず、
新規加入者も少ないという。結局は1960年代の集団就職組の
子どもたちが大量に学会員になって、創価学会を支えているという。
自民党との連立でかえって自らの自己矛盾に陥っている現状を
分析している。「平和主義」と「福祉」を看板にした創価学会
公明党が、自民党との連立の中で権力を手に入れたが、学会員
からすれば、イラクへの派兵、福祉の切捨てに手を貸している
公明党・創価学会と映ってしまい、自らの墓穴を掘っている
可能性があると指摘。

午後3時、ブライセン関係者にメール。

午後5時、ソン君と業者が「ハイリーホテル」のパソコンを直しに
来る。しばらく直したが結局直らず、明日もう一度来ることになった。

午後5時半、日本料理店へ。
今朝買ったマグロを大塚さんと子どもたちが「刺身」と「にぎり」
そして「かぶと焼き」にしてくれる。

特に刺身は「中トロ」の油が半分乗ったおいしいものになっている。



イン君が私の前で中トロを握ってくれた。



新鮮なマグロの中トロのにぎりは美味しい。

マグロのかぶと焼き。目玉の後ろが美味しい。


焼いた大ハマグリ

ハマグリとわかめのお吸い物



生ビールを飲みながら、獲れたてのマグロ料理を堪能する。


これでお寿司のマグロが定期的に確保することが出来るように
なった。お寿司のメインはやはりマグロ。新鮮なマグロの
にぎりを出したいものである。日本料理店を作ってからの
悲願が達成された。これからはいつでも近海の獲れたての
マグロの刺身とにぎりを出すことができるようになった。
近海の新鮮なマグロを確保するルートは開発した。

ブラジル人、台湾人、ドイツ人など来店。

午後9時、閉店。

投稿者 koyama : 21:43 | コメント (0)

2009年05月20日

静岡青年交流会館付属日本語学校「観光基礎コース」卒業式

快晴  午前7時の気温33度 湿度80%

午前5時起床。読書「創価学会」(島田裕巳著:新潮新書)

午前7時朝食。

マカロニスープ



部屋中に「アリ」の大群が出没。ベッドにアリの道が出来てしまう。
夜中に体中にアリが侵入。アリに食われる。痛いのと痒い
「痛痒い」状態。体中、何箇所もアリに食われる。
日本では経験できない。日本は、
豚インフルエンザ問題で大騒ぎだが、「ハイリーホテル」では、
アリ大量出没で大騒ぎ。ミンさんに聞くとミンさんの家でも
アリが大量に出没しているとのこと。気候のせいもあるようだ。

●アリに食われた足



午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。バオミンさんと
いくつかの打ち合わせ。

午前9時、静岡フエ青年交流会館付属日本語学校
「観光基礎コース」卒業式。11名。
2年半学習した。毎日、4時間の授業。日本語能力検定試験
3級を合格した生徒が大半。

卒業式は石上先生の司会、バオミンさんの通訳で始まる。


はじめに「越日青年交流会館」委員長、フエ市国際交流センター
所長のニエン氏の挨拶。


続いて日本語学校の校長である私の卒業を祝う言葉

続いて日本語学校教師のお祝いの言葉

●原田先生

●石上先生・フーン先生


●石上先生のお祝いの言葉

●中島先生のお祝いの言葉


●式典の横断幕


「静岡フエ青年交流会館付属日本語学校 観光基礎コース
 卒業式」

●卒業証書授与



●最後に中島先生が日本語教師を代表して挨拶


●生徒代表のお礼の言葉(日本語とベトナム語)



●ハノイのベトナムテレビの取材があった。
 今夜と明日の昼に放映予定



静岡フエ青年交流会館付属日本語学校を作って8年になる。
この間、400人近くの卒業生を地元フエの各職場に送っている。
フエ市の主なホテルのフロント・レストランの日本語スタッフは
私たちの卒業生である。また、フエ市内の主なレストランの
日本語スタッフも卒業生。
フエの観光ガイドの多くはやはり私たちの卒業生である。
日本へいく研修生に日本語を教えたのも私たちの
日本語学校である。
ハノイの大使館、JICAなどは、こうした草の根のJASSの
取り組みを知ろうとしない。私たちから見れば、相当ピント
はずれな日本語教育支援をフエで行っている。
JICA理事長の緒方貞子さんが、就任の
第一声で「JICAは現地で活動している人から学ぶべきだ」
といわれたが、緒方貞子理事長の思いは、現場にまでは
届いていない。1年か2年程度で帰国してしまう支援では
ほとんど効果がない。「アリバイ証明程度」のもの。
私たちは9年間で400人もの卒業生をフエの現場・職場に
送り、実際にフエの経済発展・観光資源の発展、日本語教師
育成などに協力している。
JICA青年協力隊の20歳代の女性が数年前にベトナム事務所
に来た。私に「日本語教育で困ったこと、悩みがあれば教えます」
といった。私は正直、無知ほど怖いものはないと思った。1993年
ベトナム中部に初めて来た日本人であり、中部のフエ師範大学
で日本語教育を始めた初めての日本人でもある。
そんな私にフエに来て数ヶ月のJICAの海外青年協力隊の
20代の女性が「困ったことがあったら教えます」という
発想がどこから出ているのか? 恥を知らない人間が
人を教えることは出来ない。少なくともベトナム中部の
大学や各種日本語学校、日本語観光ガイドの主な人物は
JASS日本語学校などの教え子である。
「無知」とは怖いものである。大使館やJACAなど税金を
使っている人たちは、現場と事実を知る取り組み・努力を
もっとすべきである。


卒業式終了後、「縫製研修センター」へ。
いくつかの問題を打ち合わせする

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
日本語の先生は卒業生と昼食。

午後12時半から午後2時まで昼寝。熟睡。
目覚めても起きられない。

メール受信。必要なメール送信。

ブライセン本社から電話。

午後4時、ベトナム事務所へ。

静岡大学工学部M先生から電話。6月9日の
静岡大学工学部特別入試の段取りを話し合う。

先日、「子どもの家」を退所し自立したタムさんが、
日本料理店に遊びに来ていた。「子どもの家」で
一緒に10数年生活した仲間は、兄弟のようなもの。
久しぶりに兄弟に会いに来た。

午後5時、フエ近郊の海岸「トウアンアン海岸」の
漁師の関係者がベトナム事務所に来る。生のマグロ、
生の鯛などを日本料理店に調達できるか相談。
可能とのこと。明日、マグロと鯛、海老などを持ってくる
話をつける。


今日は日本料理店・ベトナム事務所の給料日。

こどもたち、一人一人をベトナム事務所に呼び、生活の
様子、困ったことなどについて話を聞きながら給料を
渡す。


昨日、バオミンさんにメールで「今日は友達の誕生会なので
日本料理店を休む」と連絡をし、欠勤したリー君に注意をする。
日本料理店を休む場合は、事前に連絡すること。
友達の誕生日で 仕事を休むことは認められないことを話す。
本人も了解。


静岡大学から「静大フエ連絡事務所」に送られた
日本語教育関係の図書が届く。今回は検閲・税関で
「取られた本やDVD」は一冊もなかった。


午後5時半、某料理店に「高額の給料で引き抜かれ」、
先日「突然クビ」になったHNさんからバオミンさんに
電話。

午後5時45分、日本料理店で夕食。

欧米系のお客さんあり。現在、ベトナムへの欧米系の
観光はOFFシーズンである。


午後9時、日本料理店閉店。「ハイリーホテル」へ帰る。

投稿者 koyama : 23:22 | コメント (0)

2009年05月19日

静岡大学と打ち合わせ:ホーチミン生誕119年:「インフルエンザA」対応に一言言いたい

晴天 午前7時 気温32度 湿度80%

午前5時起床。読書「周恩来秘録(下)」

午前7時朝食。朝から蒸し暑い。

午前8時、バオミンさんから電話。これからナムドンへ調査に
行くとのこと。

午前9時、静岡大学本部の滝下さんとSKYPEで打ち合わせ。

受信メールを読む。必要なメール送信。

読書「周恩来秘話(下)読了。
最後まで陰鬱な気持ちで読んだ。社会主義と名乗っているが
その実態は封建国王(毛沢東)とその臣下(周恩来)という関係が
続いた。周恩来の膀胱がんの手術の禁止命令を出したのも
毛沢東。社会主義中国の実態が、社会主義とは縁もゆかりも
ない、封建制の遺物を濃厚に残した人間関係で結ばれて
いたことが良く分かる。文書や表面は「ソ連修正主義」などと
社会主義の文言を使いながら、権力の実態は封建時代と全く
変わらない。「ワイルド・スワン」「毛沢東の私生活」「「マオ・誰も
知らなかった毛沢東」などを読んでいるので、こんなもんかとは
思ったが。権力の内部の腐敗はどこにでもあるもの。表面が
きれいに整理整頓されている「権力」こそ、その内部は腐敗し
ている。中国ほど、極左から極右に変動する国家もない。
「文革」を行い極左路線をとった中国が「4つの近代化路線」を
取り、今では社会主義市場経済という訳の分からない政策を
打ち出し事実上資本主義を復活させている実情である。
政治だけが一党独裁。民主と批判の自由はなく、共産党幹部
の腐敗堕落は頂上を極める感あり。貧富の格差、都市と農村の
格差。30年ほど前なら、今の中国は「右よりの路線を歩む
右翼修正主義路線」だったのだが。鄧小平の「白黒猫論」
で一気に資本主義化している。しかし、どの時代を通しても
社会の最下層の貧しい庶民は時々の政治に振り回され
生活苦に喘いでいる事実は変わらない。

午前11時半、昼食。ベトナム風スープカレー


午後12時半から1時間昼寝。

やっと2週間にわたる体調不良も解決に近づきつつある。
多少咳が残る程度に回復した。それでも時間のあるときは
横になっている。疲労とストレスで抵抗力・免疫力が
かなり落ちていることが分かる。

午後2時、静岡大学工学部N先生からSKYPEでの連絡。
静大工学部受験者の試験についての相談。
入学試験願書の書き方、入学後の渡航手続き等の打ち合わせ。

午後4時、日本の支援者から電話。

「縫製研修センター」から電話。

読書「創価学会」(島田裕巳著:新潮新書)

午後5時半、日本料理店で夕食。


インターネットで日本の「インフルエンザA」の対応を見ていると
「異常」としか思えない。
大阪市が午前7時に修学旅行を中止し、駅に集まった生徒に
「修学旅行中止」を伝えたという。
マスクが異常に売れてるそうだ。

ベトナムで「トリインフルエンザ」「サーズ」問題があった際、
フエ飛行場に日本人のお客さんを出迎えにいくと
日本人だけが「マスク」をしていた。欧米系もアジア系の
人たちも特別の措置はしていない。
私がフエ飛行場で見た光景は、日本人の過剰反応の
実態を見た想いである。ある意味で「滑稽」とも思えた
図式であった。
「インフルエンザA」(豚インフルエンザ)の伝染性は
かなり強いようだが、毒性は弱い。季節的なインフルエンザ
には日本で1000万人が感染している。死者も1万人を超える。
そのことには、目がいかず、「インフルエンザA」だけの恐怖に
目がいく日本人の「視野狭窄状態」に恐れを抱く。
トリインフルエンザが流行したベトナムに滞在していたが、
マスクなどするベトナム人はいなかった。
普通に日常の生活をしていた。鶏肉だけは、行政の飲食許可印
のあるものを食べていたが・・・・。
インターネットで見る日本の「インフルエンザA」への対応は、
一種の「ファシズム」を感じる。冷静に客観的な事実を見て
対応する行政とマスコミ、国民であって欲しい。
「インフルエンザA」が毒性の強いインフルエンザに変異する
可能性はある。しかし、現実と事実をしっかり見つめ、
マスコミや世間の情報だけに目を奪われず、冷静な
対応が必要である。「インフルエンザA」を異常に
怖がっている日本人に言いたい。季節のインフルエンザに
1000万人もの日本人が感染していることに何も反応しないで
いることに疑問を感じないのか? 季節のインフルエンザで
1万人もの日本人が亡くなっていることに目がいかないのか?
医療行政・検疫が「サーズ」や「トリインフルエンザ」と同じような
対応を機械的にしている「お役所仕事」に辟易する。
ケーズバイケージ、状況に応じた対応がするのが行政の
任務であるはずなのだが・・・・。


午後9時、日本料理店閉店。


バオミンさんがナムドン視察へいった。

特にナムドンの民族博物館の実情を見てきた。


●ナムドン カトゥー族民族博物館

●カトゥー族民族音楽

●カトゥー族農具

投稿者 koyama : 16:58 | コメント (0)

2009年05月18日

ブライセンベトナム支社アルバイト入社

晴天 午前7時 気温30度 湿度70%
    午後9時 気温32度 湿度80%

午前5時起床。「周恩来秘録(下)」

ベッドや部屋中に蟻(アリ)が徘徊。体中、アリに食われる。
2センチほどの「腫れ」が7つほど出来る。
ベトナムのアリはしたたかで強い。

午前7時朝食。

フエ名物「ブンボー」


午前7時40分「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
今日からブライセンベトナム支社に2名のアルバイトが
入る。一人は「子どもの家」のこども、一人は関係者。
二人ともフエ科学大コンピュータ科を卒業している。
最初にベトナム事務所でアルバイトの二人と社員の
二人と顔合わせ。ブライセンベトナム支社の勤務の決まりを
話す。アルバイトの二人の仕事について説明。
仲良く仕事をするよう話す。
今後、ブライセンベトナム支社では4人のベトナム人若者が
仕事をすることになるが、二人は「子どもの家」のこどもたち。


午前10時、静岡大学入学希望の親がベトナム事務所を
訪問。入学関連の話を聞きに来る。


明日、5月19日はホーチミン主席の誕生日。
フエの町中に横断幕があふれていた。「ホーチミン主席の
遺言を守り・・・・・」。


午前11時半昼食。

午後12時半から1時間昼寝。

読書「周恩来秘録(下)」

午後4時過ぎ、日本料理店へ。
この2週間、生ビールの水素ガスがなくなり、生ビールが
飲めなかった。原因は、フダビール会社が大きな水素ガスの
タンクから小さなボンベに水素ガスを移す機械が壊れた
とのこと。その修理に2週間もかかった。こんな仕事を
今でも平気でしているところに一党独裁と独占企業の
実態がある。

今日から2週間ぶりにフダ「生ビール」が飲める。


昨夕、バオミンさんが家族で海に行き、生のイカを買って
来てくれた。大塚さんに頼み生のイカを焼いてもらう。
2週間ぶりのフダ生ビールを飲む。やっとビールが
美味しく飲めるようになった。生ビールは私の健康の
「リトマス試験紙」である。

焼き生イカなどをおつまみに久しぶりに生ボールを飲む。

午後8時半、速めに「ハイリーホテル」へ戻り、火炎樹日記
を書くことにする。

午前8時40分、「ハイリーホテル」に戻る。しかし、ズボンを
洗濯し、「ハイリーホテル」の入り口の鍵と部屋の鍵を
部屋においてきてしまった。

原田先生に電話をし、「ハイリーホテル」の入り口を開けて
もらう。
バオミンさんに電話をし「ハイリーホテル」の部屋の合鍵
を聞くがどこにあるかわからないとのこと。
仕方がないので今夜はフォンザンホテルに泊まろうと
思った。バオミンさんが、「ソン君に言って鍵を開ける
業者を呼んでくれる」という。20分ほど待つと業者が
来てくれる。部屋の鍵を開ける。


午後10時前にやっと部屋に入ることが出来る。
ソン君と業者、「ハイリーホテル」の日本人に感謝。

午後10時過ぎからこの日記を書き始める。

投稿者 koyama : 23:27 | コメント (0)

2009年05月17日

終日、横になっている:JASS東京の会 新浦安文化村フリマ参加

快晴  午前7時の気温32度 日中36度

午前5時起床。読書「周恩来秘録(上)」読了。
引き続き「周恩来秘録(下)」を読む。

午前8時まで読書。そのまま睡眠。

久しぶりに体重を測る。3キロほど減っていた。

午前11時、ほか弁を買いに行く。80円。

ブランチ(昼食)。


頭痛。

昼寝。

午後2時半、読書「周恩来秘録(下)」。
ニクソン訪中の舞台裏。毛沢東による「批林批孔」運動。
林彪と孔子を批判する形を取った毛沢東の周恩来批判。
中国社会の本質的な封建制は、共産党の中にも
色濃く残っている。毛沢東という独裁者(真の始皇帝)の
箸の上げ下ろしの仕方で何人もの人間が批判され、
時には命を落としていく。表面の形式民主主義の裏に
渦巻く毒黒い封建制は未だに払拭されていない。
真の批判がない。全ての人間が批判されても毛沢東だけは
別世界で批判者として君臨している。党の極秘文書の
管理をし、各指導者の伝記を書く仕事をしていた著者は
共産党の秘密文書(公開していない)や関係者から来た
内容で構成されている。民主主義の要諦は、「批判自由」である。

午後8時、久しぶりに缶ビールを飲む。美味しくない。
ビールが苦く感じる。1本で終わる。


受信メールを読む。必要な返信。


日本でも「インフルエンザA」の一方人への感染が
拡大してきている。WHOの警戒度は「6」段階に
なるのも時間の問題のように思われる。
ベトナムから見ていると、日本は異常反応・過敏反応の
ように思われて仕方がない。これは、「インフルエンザA」
だけの問題ではない。お菓子に針が1本入っていたといえば
数十万個のお菓子を廃棄してしまう。エコだとか「もったいない」
「世界の食糧危機」などと普段公言している日本人が、
お菓子に針が入ってたという一つの事例で、まだ食べられる
食べ物を数十万個の規模で捨ててしまうのは、異常反応としか
思えない。

===========
★JASS東京の会 活動
 
新浦安文化村フリーマーケット参加

7人の会員が参加。¥28.050の売り上げ。
ご苦労様。

投稿者 koyama : 22:08 | コメント (0)

2009年05月16日

ベトナム事務所員会議:「アクセサリー研修センター」で話す

晴天  気温36度  真夏

午前5時起床。読書「周恩来秘録(上)」
1960年代の「文化大革命」の勃発、その本質、
周恩来が文革の中でどのような行動を取ったかなどを
共産党の秘密文書を統括する部署にいた著者が、
事実に基づいた分析を行っている。周恩来は文革が
劉小奇・鄧小平などの「実権派」を打倒する毛沢東の
クーデターであることを熟知しながら、結局は
折衷主義・自己保身のために、ずるずると
毛沢東の路線に引きずり込まれていく過程を
詳細に描いている。先日読んだ堺屋太一の
「豊臣秀長」と似ているところあり。
その後、毛沢東夫人江青と毛沢東の後継者である
林彪との対立を描いている。権力闘争、組織の中での
人間の生き方の難しさをつくづく感ずる。

午前7時朝食

大塚さんは、船上生活者の医療支援へ

キャッサバ麺



午前8時過ぎベトナム事務所へ。
30分ほどバオミンさんと静岡大学特別入試の件で
打ち合わせ。「インフルエンザA」警戒度6への対応、
SKYPEでの面接、受験に必要な各種書類の準備などを
伝え、打ち合わせを行う。


午前8時半、ベトナム事務所員会議。


(ソン)大塚さんのビザ関係の仕事 
    「アクセサリー研修センター」へ2回行き、研修製品の
    チェック  不足のビーズのチェックなどをする

(原田)日本語特訓コース(静大入学希望者コース)22課
    5月25日から6月4日まで高校の卒業試験

(中島) 月・火・木  観光基礎コース
      先週の金  観光基礎コース卒業試験(第1回目)
      今週の金  観光基礎コース卒業試験(第2回目)
       水     フエ高等師範大学1年生最後の授業


(石上) 月 フエ高等師範大学2年生 会話テスト 
         よく出来た。
     水 フエ高等師範大学1年生授業 
     火・土  静岡会館日本語学校中級 19課

(フーン)月・火・水  観光基礎コース卒業試験答え合わせ
          金  同上卒業試験2回目
          木  中級コース
          観光基礎コース 卒業後、週2回程度の補習

(ハン)大塚さんと希望の絵へ行き障害児支援を行なう。
    里親への夏のメッセージ・お礼の手紙作成
    「子どもの家」の子どもたち5月25日に年度末試験終了



(クアン)教案作成
      「子どもの家」案内  翻訳

(ミン)5月25日 在宅支援・「子どもの家」の子ども写真
    6月1日「子どもの日」。「子どもの家」でお祝い会
    バンベー25号編集する


午前9時半、バオミンさんと一緒に「アクセサリー研修センター」
気温36度を越す。暑い、汗が流れる。

「アクセサリー研修センター」の研修生に話をする。


あわせて「縫製研修センター」を視察




午前11時半、昼食。


午後12時半から1時間ほど昼寝。熟睡。

読書「周恩来秘録(上)」

メール受信・送信。

午後5時半、日本料理店で夕食。


大塚さんが船上生活者から生きた鯉をもらう。
鯉の洗いを作ってくれる。新鮮な川魚は臭みがなく美味しい。

午後8時近く、静岡の滝下さんからSKYPEあり。
娘さんが一時里帰り中とのこと。娘さんは、1995年、
中学3年生の時、スタディーツアーで「子どもの家」へ
来ている。現在は病院勤め。「インフルエンザA」のことを
詳しく聞く。日本でも人から人への感染がでたとのこと。
こうなるとベトナムの方が安全かもしれない。
ベトナム事務所の「インフルエンザA」対策マニュアルを
作成中だが、日本へ帰国するのとベトナムにいるのと
どちらが安全か・・・・。

ベトナム事務所にある私のパソコンは、カメラがないので
音声だけ。滝下さんの方は音声と映像有。
静岡大学留学生の件についても打ち合わせ。
真面目な静大スタッフでもある。

午後9時過ぎ、日本料理店閉店。欧米計5人、日本人1人
合計6人の来店有。

今日も暑い1日だった。咳と倦怠感は未だに抜けない。

      

   

投稿者 koyama : 19:00 | コメント (0)

2009年05月15日

フエ外大学長懇談

快晴  日中の気温36度  「休肝日 9日目」

午前5時起床。読書「周恩来秘録(上)」。
いまひとつ体調が芳しくない。体がだるい。

午前7時朝食。

精進ブン麺


午前9時、「子どもの家」訪問者と懇談。全国大学生協
スタディーツアーで昨年来ている。千葉大で栄養学を
学んでいる。今回、ベトナムの食生活の研究で「子どもの家」へ。
「子どもの家」の子どもたちがどんな食生活をしているのかを
調査するという。
「アクセサリー研修センター」の製品を日本へ持って行って
もらう。

午前10時半、フエ外国語大学フック学長がベトナム事務所
を訪問。フエ外大の日本語学科への教育指導等の援助を
して欲しいとの要望でやってきた。日本語学科主任は
私がフエ師範大で教えた第一期生にフンチャーさん。
JASSとしては、出来る範囲の協力をする旨回答。


ベトナム事務所から「ハイリーホテル」へ帰る途中、
火炎樹の花がきれいに咲いていた。今年は少し
早めに咲き始めている。

午前11時半、昼食。

大塚さんは、障害児のピクニックに同行。

午後12時半から1時間ほど昼寝。熟睡。

読書「周恩来秘録(上)」。コミンテルン中国支部として
創立した中国共産党だが、毛沢東はコミンテルン派と
対立、独裁的な体制を作っていく。周恩来は常に
こうした対立の中で妥協と自分を出さずに大勢順応の
姿勢で生きていく。当初、中国共産党の中では、
周恩来の方がはるかに地位が高かった。日本、
フランスなどに留学している知識人。毛沢東は
純農村のかなり粗野な生活習慣をもっていた。

午後3時半、静岡大工学部の先生方とSKYPEで
交信。6月初旬に行なわれる特別入試のための
フエ訪問が不可能になった場合のSKYPEでの
面接の実験を行なう。きれいに映像が出る。
音声も明瞭。面接にこられる3人の先生と交信する。

午後5時半、日本料理店で夕食。


午後7時半、滝下さんと再度、SKYPEでの交信。
欧米系、日本人の来客あり。

午後9時過ぎ、日本料理店閉店。

午後9時半、「ハイリーホテル」着。


洗濯。洗濯機の乾燥機能が十分に作動しない。
何回か乾燥させたが、半分程度の乾燥しかしない。

咳がまだ止まらない。

投稿者 koyama : 21:40 | コメント (0)

2009年05月14日

フエ市人民委員会外務部(国際交流センター)へ

快晴  気温36度  猛暑

午前5時起床。読書「豊臣秀長ーある補佐役の生涯(下)」読了

午前7時朝食。

マカロニスープ

午前8時半、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ
迎えに来てくれる。今日は猛暑。昼の外気温は
40度を越すと見られる。体調がまだ完全でないので
バオミンさんのオートバイの後ろに乗って、
フエ市人民委員会国際交流委員会(旧外務部)へ。

ニエン交流委員会委員長、ホアン副委員長と会う。
いくつかの大きな問題について、突っ込んだ話し合いをする。
全ての問題で意思統一が完了。具体的な行動に入ることを
話し合う。今後もJASSとフエ市人民委員会は一心同体で
活動を進めることを確認する。

ベトナム事務所へ。「アクセサリー研修センター」のヴァン主任が
センターで研修した結果出来上がった製品を持ってくる。
ソン君と製品を袋詰めにしている。ソン君もすっかりJASSベトナム
のスタッフの一員となっている。

今日はベトナム事務所の税田さんが、東京浅草橋の
アクセサリー専門店「ブレラ」へ行き、社長、担当者と打ち合わせを
している。今後の「アクセサリー研修センター」の指導などに
ついて話し合う。

午前11時半。昼食。


途中で静岡大学から電話。「SKYPE」で話し合いたいとのこと。
静岡大学のA教授と。2009年度、静岡大学は『ベトナムから学ぶ』
という正規の講座を開講。2単位の授業とした。
既に履修届けも受理し、開講する。私もこの講座の非常勤講師と
なった。8月には現地フエに来て様々な授業・活動を行なう。
今回は、担当のA教授とSKYPEで打ち合わせ。2009年7月2日
の午後、静岡大学で「ベトナムから学ぶ」に私の担当分の授業を
行なうこととなった。

SKYPEでの打ち合わせを終わり、昼食の席に戻る。
まだ、咳が止まらない。

午後12時半から昼寝。熟睡。半日仕事をしたら半日は
体を休めないと駄目な状況。

アクアのMさんへメールで返事を出す。マブチモーターの
奨学金の件。

静岡の支援者へメール。自死した木村百合子さんの
公務災害裁判についての打ち合わせの内容。

その他、関係者に必要なメール。

午後5時半、日本料理店で夕食。

既に10日間以上、生ビールの水素ガスがない。フダビールの
工場に問い合わせているのだが、埒が明かない。
幸い、私は体調を崩しビールを飲む気力がない。
既に今日でお酒を飲まない日が8日目となる。
来週までには何とか生ビールが飲めるようフダビール会社と
交渉を強める。同時に体調も早く回復したい。

午後8時半、ラ・レジデンスホテル厨房主任など8人来店。
私たちの日本料理店で8回にわたり日本料理を勉強した
人たちである。その後、ラ・レジデンスホテルとの交流が
続いている。


午後9時半、閉店。

「ハイリーホテル」着、午後10時。
今日は1日真夏の暑さ。体力の消耗を感ずる。
長い1日が終わる。

この10日間ばかり体調を崩し、日本の情勢と
報道をあまり見ていなかった。

民主党小沢代表が辞任。鴻池官房副長官が女性と
熱海で「浮気」(?本気か知らないが)をし、辞任。

16日に民主党代表選挙があるとのこと。
政権交代を希望している国民は多いが、この手の
人間が政党の主導権を握っている政党が政権を握っても
ろくな政治はされないと本能的に思う。
少し前に、読売新聞の渡辺恒雄の仲介で福田首相(当時)と
「大連合」を組む約束をしたのは誰だろう・・・・。

それにしても自民党は末期症状を超えて、死に体状態。
中山文科相の暴言辞任、中川大臣の酔っ払い辞任に続き、
「インフルエンザA」対策本部を立ち上げている最中の
副官房長官の浮気辞任。麻生首相は、「病気で入院したのだから
任命責任はない」と当初、しらばっくれていた。
無責任内閣。小泉首相から「字が読めない人でも首相になれるの
だから・・・」などとおちゃらかされている首相である。

投稿者 koyama : 21:09 | コメント (0)

2009年05月13日

静岡大・ブライセン本社と連絡

快晴  気温32度  7日間連続「休肝日」

午前6時起床。

午前7時朝食。

赤米のおかゆ

必要なメールを読む。返信。

バオミンさんと「SKYPE」で打ちあわせ。7点。
当面の諸課題。諸準備。
「アクセサリー研修センター」・・・。


午前11時、ハイ君が「ハイリーホテル」へ来る。
石上先生・中島先生が私の部屋へ案内。

お墓に入れる紙人形店に住み込みで仕事をしているとのこと。


午前11時半、昼食。せっかく遊びに来たのでハイ君も誘って
昼食。


私には鶏肉のおかゆを特別に作ってくれる。

午後12時半から1時間昼寝。熟睡。まだ体は完調ではない。


バオミンさんと何度も連絡を取りながら、ブライセンベトナム支社
の4月分の会計報告書を作る。4月分の集金に来ない会社がある。
インターネット会社、電気会社など。会計報告がまとまらず
こまる。ドルをドン清算で行う。何とか第1回目の会計報告を
定刻を30分ほど過ぎて送信。

バオミンさんと連絡。いくつかの問題。

静岡大学とSKYPEを使っての入試面接の前段のテストを
行なう。通信状態良好。6月に静大工学部入試をフエで行なう
予定だが、「インフルエンザA」の影響で万が一、フエでの
出張入試が出来ない場合も予想される。そのため、SKYPE
を使ってのテレビ電話面接を考えている。今日は、第1回目の
テストを静大本部と行なう。今後、工学部とも行なう予定。

午後5時半、日本料理店で夕食。

夕食は大塚さん特製の和風料理。「カンテン寄せ」

●カンテンの中に海老とわかめなどが入っている

●カンテンの中に鶏肉と洋風食材が入っている


今日もビールを飲む気になれなかった。また、体調復活に至らず。


午後7時過ぎ、3人の日本語の先生が来店。


午後9時閉店。欧米系3人、日本人3人。6人の来店。

「ハイリーホテル」帰る。何故か「ハイリーホテル」付近の街灯が
全て切れていた。空を見上げる。星が空一面に降り輝いていた。

投稿者 koyama : 18:02 | コメント (0)

2009年05月12日

「子どもの家」関係者と懇談:ブライセン本社とSKYPEで話し合う

晴天  気温30度

午前2時頃、咳がひどく眠れない。結局、午前5時頃まで
目覚めていた。30分ほど寝る。


午前6時起床。

午前7時朝食。


フエ名物「ブンボー」


体が相変わらずだるい。

午前8時半頃、若干停電。その後、インターネットが使えなく
なる。

しばらくベッドで休養。起きていられない。


午前11時半、昼食。


1時間ほど昼寝。

読書「豊臣秀長ーある補佐役の生涯(下)」(堺屋太一著:文春文庫)

午後2時半ベトナム事務所へ。気温32度。暑い。ふらふらする。

バオミンさんと若干の打ち合わせ。

2時50分、「子どもの家」卒業生のHNさんがベトナム事務所へ
やってくる。ある料理店に勤めていたが、辞めた(辞めさせられた)
ので何とか助けてほしいとのこと。
事情を聞くと、1日13時間労働とのこと。午前10時から
午後11時まで連続労働という「奴隷」のような労働現場。
交通事故で10日間ほど 休んだら、もう来なくても良いと
言われ、辞めた(実際には辞めさせられた)という。
ひどい職場もあったものだ。
働く人間を人間と見ないオーナーである。人間をただ「金儲け」
の手段としか考えていない。出来ることは応援すると話す。

午後3時半、ブライセン本社と「SKYPE」で会話。
本社側は4人。私とベトナム支社運営について協議をする。
30分ほどの協議を終えようとした時、ベトナム事務所は
停電。「SKYPE」も切れてしまった。
しかし、SKYPEというものは便利なものである。
インターネット通信でテレビ電話状態で日本と交信が
できるのだ。

5日間寝ている間に溜まっていたメールの受信。
必要なメールの返事を送信。

午後5時半、日本料理店で夕食。今日もビールを飲む
気力がない。食事のみ。



午後7時過ぎ、JICAから派遣されている医師の方が来店。
フエでの医療について意見交換。


午後9時閉店。日本人、フランス人など来店。

午後9時半、「ハイリーホテル」へ。


北海道オホーツクの雄武(おうむ)町にお住まいの菊先生を
中心に5月5日から10日まで札幌で『「子どもの家」作品展』
を開催。多くの参加者あり。感想やメッセージも。

投稿者 koyama : 21:07 | コメント (0)

2009年05月11日

仕事再開

快晴 気温30度  6日連続「休肝日」


午前5時起床。

午前7時朝食。

石上先生はフエ高等師範大学の授業へ。



午前8時半、5日ぶりにベトナム事務所へ。

バオミンさんと打ち合わせをしようとした時、来客。
6年前に獨協大学のAゼミの皆さんと「子どもの家」を訪問した
Bさんが、来訪。中国から5000キロを自転車でやって来た
とのこと。なかなか気概のある若者である。
2日間、「子どもの家」を訪問したいとのこと。しばらく話をし
その後「子どもの家」へ。

ノートパソコンの「SKYPE」を引き出し、作動させる。
私のノートパソコンにカメラがついていたことは
知らなかった。
バオミンさんに手伝ってもらい「SKYPE」を作動させる。
バオミンさんのSKYPEと交信し確認。

午前10時半、「ハイリーホテル」へ戻る。

まだ体調が本調子ではない。回復度60%程度。
暑い中ベトナム事務所へ行き、多少フラフラする。

しばらくベッドで休む。

午前11時半昼食。


午後12時半から1時間ほど昼寝。

5月6日から体調を崩しだし、7日・8日・9日・10日と
4日間寝てしまいました。
この間、1回も外出せず寝ていた。

体温も28度から39度と結構上がり、立っていられず、かといって
寝ていると頭だけは冴えてしまい、なかなか寝ることはできず
週刊誌的に軽く読める本を読んだ。以下。

・「明治精神史(下)」(色川大吉著:岩波現代文庫)
  もう一つの明治維新史でもある。明治10年代までの
  活気ある市民農民の活動が紹介されている。
・「週刊新潮が報じたスキャンダル 戦後史」(新潮文庫)
  週刊新潮50周年記念の出版物。この50年間に
  週刊新潮が扱った大きな記事、話題になった記事の特集。
  全て、実体験した出来事だけに面白かった。楽に読める。
・「東京 あの時ここで(昭和戦後史の現場)(共同通信社)
  これも1945年8月15日から今日までの東京の歴史を
  写真入で解説。これも全て実体験したもの。私に取っては
  追体験物。
・「団塊老人」(三田誠広著:新潮新書)
  結論は、老後はボランティアを やろうという趣旨と読んだ。
  私と同学年。三田工業社長の息子さん。
・「農協の大罪」(山下一仁著:宝島社新書)
  日本の農業問題の輪郭を知る。
・「映画をつくる」(山田洋次著:大月書店国民文庫)
  非常に興味のある本。1978年版。
  「寅さん」の映画つくりの苦心などを中心に山田洋次の
  映画論、人生論。
・「落語の国をのぞいてみれば」(堀井憲一郎著:講談社)
  全く面白くない。戦後の落語と語っているのに、
  桂文楽(先代)・志ん生・馬生・円生・正蔵(先代)・
  金馬(先代)などが出てこない。立川談志の弟子の紹介。
  明烏(あけがらす)を紹介するのに立川談春ではないだろう。
  桂文楽といって欲しい。事ほどさように、著者は知ったかぶり
  のオンパレードだか、1950年代から60年代、戦後落語の
  黄金時代の咄家をもっと知っていて欲しかった。
   立川一門だけが話かではないよと言いたい。個人的な
 好みで書いた本と理解する。


午後4時、ブライセン本社と「SKYPE」で打ち合わせ。

午後5時半、久しぶりに日本料理店で夕食。
これも1年ぶり位にビールを飲まず夕食だけとする。

5日間ほど会わなかったリー君が頭を丸坊主に刈り上げていた。
動機はなにか?


これで5日間の「休肝日」。ビールを飲みたくない。


投稿者 koyama : 21:10 | コメント (0)

2009年05月10日

終日寝ている 体調回復基調へ

晴天

午前7時起床。検温 38度。

午前8時、昨夜の夕食の残りを食べ、薬を飲む。

そのまま寝ている。

午前11時、食料品枯渇。先日、久しぶりにスーパーに
行った際、「エースコック」とベトナムの合弁会社が
作ったカップめんがあったので買っておいた。

食べてみる。かなり唐辛子が強く辛かった。
臭覚はゼロ。 薬を飲む。


午後5時までベッドに横になっている。

検温 36度8分。ほぼ平熱に戻った。一安心。
4日ぶりに外に出る。いつもの「ほか弁」屋へ。
80円のほか弁を買う。帰りにヨーグルトを5つ買う。
15分間の外出。たった15分間だが、部屋に戻ったら
相当の疲労感あり。

不思議なものである。体温39度の時には、外に出る
意欲はなかった。平熱に近くなったら何とか外出して
食事を買いに行くエネルギーが出てきた。これで
何とかひどい風邪を克服できたと思う。4日間、我慢して
寝ていたことが良かったと思っている。

今回の発熱は、ことしの1月7日日本へ帰国し、
その後、フエの共産党・人民委員会幹部を東京・静岡
京都案内し、いくつかの講演会を行い、最後は大阪大の
講演会を行った。2月18日、その足で関空からフエへ戻り、
そのまま春のスタディーツアーを迎え、今日に至った、いうかなり
強行軍の日程をこなしたことが主因と言える。
この間、「縫製研修センター」・「アクセサリー研修センター」
ブライセンベトナム支社、フエ高等師範大学など、
様々な取り組みを行い、精神的・肉体的に若干の無理があった
ことは事実である。今回の体調問題は今後の検討課題。

この4日間受信したメールへの返事は明日以降。


投稿者 koyama : 19:19 | コメント (0)

2009年05月09日

1日中、寝ている。

快晴  気温30度

午前6時起床。

検温。39度。まだ熱が下がっていない。

午前7時朝食。
精進ブン麺。食欲はないが頑張って食べる。

その後、部屋で寝ている。

午前11時半、昼食。

鶏肉のおかゆ。

午後2時、検温。38度5分。


引き続き寝ている。

昨夕から、新しい・強い薬を飲む。解熱剤も飲む。

39度の熱が出るとインターネットやメールを操作する意欲が
出ない。
メールもあけていない。発熱が収まれば、大分楽になるのだ。

夕方まで寝ている。


午後7時、中島先生が日本料理店からの夕食を持って来て
くれる。感謝。

頑張って食べたが半分しか喉を通らない。残りは冷蔵庫に
入れて明日の朝食とする。

咳と熱に苦労する。

投稿者 koyama : 16:52 | コメント (0)

2009年05月08日

体調を崩す

午前中晴れ のち曇り 気温26度~31度

昨夜8味半頃寝たのだが、今朝5時過ぎまで目覚めなかった。
午前6時過ぎ検温。38度。体の節々が痛い。

午前7時朝食。

食欲減退。「おこわ」全部は食べられなかった。

そのまま部屋で寝ている。「ハイリーホテル」近辺のの様々な
物音が耳に入り、その度に頭が痛い。

午前11時半、「ハイリーホテル」の1階で昼食。
5階から1階、1階から5階の階段がきつい。

バオミンさんに電話。いくつかの問題を相談。
ついでに「風邪薬」を注文。現在飲んでいるのは、弱い風邪薬だそうだ。
1ランク上の風邪薬を買ってもらいよう頼む。ついでに解熱剤も。

午後2時、検温。38度5分。さすがに首の回りが熱い。
引き続きベッドに寝ている。出来るだけ何も考えないようにしているが、
当面の問題、直ぐに手を打っておかなければ間に合わない問題などが
頭を巡る。頭痛ひどし。

午後5時検温。39度。くしゃみと鼻水が多量に出る。
冷蔵庫に入れてある小さい保冷剤を4つ取り出し、タオルにくるみ
おでこに当てる。

午後5時半、ソン君が「ハイリーホテル」まで薬を届けてくれる。
解熱剤が入っているので飲む。

午後6時15分、石上先生が夕食を届けてくれる。ありがたい。

ベトナムで生活して16年。39度まで熱が出たのは今回が初めて。
一人部屋で「養生」するのも寂しいものである。
しっかりと夕食を食べて、体力をつけなければならない。

投稿者 koyama : 07:41 | コメント (0)

2009年05月07日

風邪を引く 終日寝ている

晴れ 気温30度

午前6時起床。体がだるい。胸から出来る咳が酷い。

午前7時朝食。
今朝からこどもたちがいない。やはり寂しさがあることは否めない。

食後、直ぐに部屋へ戻り、休む。だるくて立っているのが少し
つらい。

体温を計る。37度6分。少し熱もある。
幸い、食欲は落ちていない。

今日は1日ゆっくりとねて過ごすそうと決める。

が、バオミンさんといくつかの問題を電話で話し合う。

1時間ほどウトウトト寝る。

ブライセン本社からのメール。その他、メールあり。
返信を書く。


「明治精神史(上)(色川大吉著)読了。

午前11時半、昼食。

食後、休む。

気温も上がり、室内もかなり暑くなる。30度を超えている。
エヤコンをつける。

寝ながら、今後のJASSベトナムの方向とあり方を考える。
当面の課題を頭の中で整理する。結構一杯ある。

バオミンさんに電話。当面の課題で気づいて点を
電話で話す。急いで手をうたなければならないないいくつかの
問題あり。今週準備をし、来週実行する。

午後6時過ぎ、石上先生が日本料理店からわざわざ夕食を
持って来てくれる。感謝。
多少熱があるので食欲が落ちる。出来るだけ頑張って
夕食を摂る。

この1ヶ月半程度の間に3回か4回こんな状態(風邪状態)に
なる。体力が落ちているのだろか?

夜8時検温。38度。体中が痛い。

「ハイリーホテル」の回りに「移動カラオケ屋」出没。
大音響でお客にカラオケを歌わせる。お客が歌わない時には
自分で歌い、お客を待っている。大音響。困ったものだ。
頭痛に拍車がかかる。じっと我慢。
私の部屋は「ハイリーホテル」の5階なので
このあたりでは一番高い建物。回りの騒音など全て
直接に響いてくる。午後8時以降の「路上移動カラオケ」
は何とかならないものだろうか? この辺りは住宅街である。

明日、体調回復を祈る。

投稿者 koyama : 19:27 | コメント (0)

2009年05月06日

リー・イン君の「旅立ち」

晴天・時々曇り 気温24度~30度。


午前5時起起床。読書「明治精神史(上)(色川大吉著)


午前7時、朝食。

リー君・イン君は引越しの荷物を運ぶために知り合いから
シクロを借りに行った。


マカロニスープ


午前7時半過ぎ、リー君がシクロを運転して「ハイリーホテル」へ
やってきた。


「ハイリーホテル」住人みんなでリー君・イン君の引越しの荷物
運びの手伝いをする。





シクロに荷物を積んでリー君が自ら運転して市内の下宿先まで
運んでいった。下宿先は日本料理店まで徒歩7分のところ。


リー君のシクロ運転は「プロ並み」。終始一貫してリー君は
明るい。


一方、「ハイリーホテル」玄関の階段に付ける鉄の板の件。
やっと業者が「逆さま」に作った鉄板を直したと言って持って来た。
階段に取り付け作業開始。

なかなか上手に取り付けが出来ない。鉄の板に下駄を履かせて
あるが、左右の下駄の長さが違う。ビスとねじを打ち込めない
箇所が3箇所もあった。とにかく全てが大雑把。

最後にはベトナム事務所のソン君が見ていられず、自分で
作業を始める。業者はソン君の作業の補助役となった。


午前10時半になってやっと完成。感謝。これでもう無理に力を
入れなくても「ハイリーホテル」の1階に電動バイクを入れられる。


作業のついでに台所のシャッターの鍵を新たにつける装置を
つけてもらう。


全ての作業が終わる。「ハイリーホテル」の周りにリー君・イン君・
ハイ君が吸ったタバコが大量に捨ててある。また、近所の
関係者が「ハイリーホテル」の庭にビニール袋などをたくさん
捨てていた。
今後、「ハイリーホテル」でタバコを捨てる人もいなくなったので
「ハイリーホテル」の回りのタバコの捨てがらを拾い
「ハイリーホテル」の回りをきれいにする。
暑い中での仕事で少し頭がフラフラする。

空は青空。夏の雲。


午前11時半、昼食。今日から正式に子どもたちが
いなくなった。少し寂しい気持ちではあるが、子どもたちの
旅立ちである。


午後1時から30分昼寝。喉が痛い。咳が出る。鼻水。
風邪の症状。

読書「明治精神史(上)」(色川大吉著)
庶民の明治初期から20年代までが記されている。
最初は熊本の「横井実学党」徳富蘇峰の人生と
自由民権運動とのかかわり。最後まで完結しない
ままに当時の神奈川県多摩地区の民権運動と
困民党この問題も完結しないまま、北村透谷と
多摩地区の自由民権運動とのかかわりと透谷の
縊死。これもなぜ透谷が縊死したの究明が不十分な
まま終わっている。上巻を呼んだ感想は、全て
尻きれトンボと言った感じ。
それでもスライドのように明治初期から中期にかけての
地方豪農を中心とする民主主義に向けての大きな潮流が
あり、自由民権運動と自由党の活動、そして、弾圧。
自由民権論者の右傾化。国粋主義化、敗北・挫折と
その後を描いている。自由民権運動の高揚と敗北・挫折を
味わった人々のその後を追っている。アメリカに行き
亡くなった人、全国を放浪し亡くなった人など、自由民権運動
のその後の人生は大変参考になった。

午後4時過ぎ、バオミンさんに電話。風邪の初期症状なので
風邪薬を買ってもらう。
この1ヶ月の間に何度こうした風邪の初期症状がでたことか?
抵抗力がなくなったのか?
このままこじらすことは出来ない。何とか、早いうちに
治さなければならない。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。

皆さんと夕食。

リー君とイン君も仕事に来ていた。リー君はトーンが高い。
何か嬉しそうだ。どんな気持ちでいるのだろうか?

若干の来客あり。

大塚さん、石上先生、原田先生としばらく世間話。

午後9時、閉店。

リー君・イン君は下宿へ帰る。


リー君・イン君は今日から「自らの足で立って」行く生活と
人生が始まる。既にハイ君もそうしている。
このまま、波風がなく順調な人生であって欲しい。
3人の旅立ちに当たりそう祈る。が、そのうち「ひともんちゃく」
おこりそうな予感もする。予感が外れることを切に望む。
しかし、私の予感は結構当たるので怖い。


投稿者 koyama : 22:18 | コメント (0)

2009年05月05日

リー・イン君と話し合い:2回の停電

晴れ  午前7時の気温 24度。湿度80%。
     午前中小雨。夕方から少し寒くなる。
     気温の変化大。終日頭痛と倦怠感あり。

午前5時起床。読書。「明治精神史(上)」(色川大吉著)
明治時代の草莽(そうもう)の人々が何を考え、どのような
思想を持ち、変化していったのを辿っている。1968年著作。
教科書で学んだ内容とも違う、目立たない庶民・地方豪農
などの思想遍歴が伺える。九州、熊本の徳富蘇峰の生い立ちと
思想遍歴を辿りながら、当時の新興ブルジョアーと豪農を
基礎とする自由民権運動の勃興と分裂、そして民権思想が
そのご現代までどのような「地下水」として流れているの
かを究明しようとしている。

海音寺潮五郎の「西郷と大久保」は歴史の舞台に踊り出た
人々の歴史。本書は、草莽の歴史にも残らないが社会の
底流で強い流れを作った名もない人々の歴史。
自由民権運動が今日の日本の民主主義運動にどのような
影響を与えたのか、遺産はなにか?を語っている。
2008年岩波から出版。

午前7時、朝食。


キャッザバ麺


午前8時、リー君・イン君と下宿生活の打ち合わせ。


2009年5月6日の朝食後に新しい下宿に二人は引っ越すことに
なった。
バオミンさんと私で下宿生活での諸問題について突っ込んだ
話し合いを行なった。



バオミンさんの方から下宿することになったので、
グエットさんと同様に給料に下宿代として10万ドンを追加する
との話があった。

結局、二人の給料はそれぞれ70万ドン。今後、二人で下宿をし
70万ドン×2人=140万ドンでの生活になることを話す。

下宿代は、二人で35万ドン。一人約18万ドン。
朝食と昼食代は1日で16000ドン。1ヶ月で48万ドン。
下宿代(光熱費込み)と朝食・昼食48万ドンで
1ヶ月66万ドン。月給が70万ドンなので残りは4万ドン。
4万ドンでコーヒー、タバコ代を出すようになる。
厳しい生活だが、これは現在の二人の置かれた客観的な
状況である。

下宿代と食事代でほぼ給料はなくなるといことを理解するように
と話す。

フエの一般の労働者の賃金も大体この程度。
リー君とイン君は自分の身の丈にあった生活をするよう
に話す。

好きなものを食べて、お酒を飲んで、好きなものを買ってという
ことの出来ない現状であることは理解しなければならない。
リー君は以前は店長だった。突然家出をして店長を
解任された。店長になれば更に店長手当て10万ドンがでる。
これから「努力して」生活の質を高めるように。人からお金を
もらって生きる「乞食」のような生き方はやめなさい。自分の力で
働き、自分の働きのお金の範囲で生活することを身に付ける
ように。

午前10時、「ハイリーホテル」の玄関階段に鉄の登り板が
つけられれることになっていた。午前10時に玄関でソン君と
待っていたが、例のように定刻に来ない。ソン君が電話連絡をし
やっと鉄の板を持って来た。
玄関の階段に鉄の板を付けようとしたが、裏返しに作ってきて
しまった。
昨日、2回も遅刻。、どのような鉄の板を作ってもらうかを
説明したのだが、いい加減に聞き、寸法も書いていかなかった。
案の定、裏返しの「ボケた鉄板」を作ってきた。
作り直しをするように言う。

お客が意見や要望を言っても「聞く耳を持たない」態度。
その挙句が、ピントはずれな裏返しの板となってしまった。

作り直しを強く要求する。業者も従う。
フエ在中16年。この種のベトナム人との「行き違い」が日常
茶飯事。ベトナム人は、将来を考えたり、物事の先を考えて
仕事をする人は少ない。その場、その場で何とかなる、との
大雑把な考えで仕事をしている。定刻に40分や1時間
遅れるのは罪とも持っていない。「ハイリーホテル」の玄関の
5段の階段に鉄の板を付けて電動バイクや自転車を
1階に入れ易くするために業者を頼んだのだが、3回の
待ち合わせの時間に3回とも40分から1時間の遅刻。
1回は未だ出来ていない。明日にしてくれという状態。
ベトナムの大雑把さにも慣れてはいるが、それでも
相手が1時間も待って時間を浪費していることへの
反省と謝罪の気持ちは毛頭ない。文化の違いか?


午前11時半。昼食。


昼食後部屋に帰る。停電。

午後1時から30分ほど昼寝。

読書「明治精神史(上)」(色川大吉著)
北村透谷と石坂公歴(まさつぐ:三多摩の豪農)との生き方を
対比し、明治の自由民権運動の限界とその進歩性・近代合
理性の生き方を追求している。
著者東京三多摩地区の自由民権運動の歴史を綿密に
調査している。

午後3時、玄関の鉄の板の作り直しを持ってくるという。
午前3時、ソン君と玄関で待つが、例の通り、遅刻。
この人は時刻とか約束という概念がないのか?

鉄の板を玄関の階段に取り付けようとした時、停電。
電動ドリルが使えない。とにかく玄関に鉄の板を置いて、
電動バイクの実験をしようとしたとき、業者はやにわに
鉄の板に「水色」のペンキを塗り始めた。唖然。

結局、「ハイリーホテル」の庭で水色のペンキで鉄の板を塗って
しまった。ペンキなど塗らない方が良いのにと思う。

午後3時から午後5時まで停電。結局、鉄の板の取り付けは
出来なかった。明日の朝8時に取り付けるとのこと。

午後5時半、日本料理店へ。夕食。フダ生ビールのガスがない。
フエビール本社に電話したが、本社にもガスがないとのこと。
5日間ほどかかるという。5日間も水素ガスがなければ、
生ビールは、発酵し、酸っぱくなってしまう。

フランス人の来客あり。

午後9時、閉店。

リー君の運転で「ハイリーホテル」へ。

ーーーーー
日本は相当「ヒステリー国家」と化している。
海外渡航がないのに風邪症状で病院に行き
92人の人が診療を断られているという。
医師法違反である。
豚インフルエンザが心配だからと言って、医師が
患者を診ないのでは、医師が存在する意味がない。
日本という国はベトナムから見ると「小さなことにも
異常に反応するヒステリー国家」となっている。
もっと普通の対応が出来ないものなのか?

私たちベトナム事務所にいる日本人は近々、
WHOが警戒度「6」という最高のレベルの認定を
しそうだとの情報を聞いている。ハノイの大使館からは
例の通り、何の連絡もない。
3年前にフエで「トリインフルエンザ」の説明会を
ハノイの大使館が行った。私も参加し、質問をした。
ハノイには大使館、ホーチミン市には総領事館があるが
フエには日本の公館がない。トリインフルエンザが
流行った場合、JASベトナム事務所にいる5人の
日本人に「タミフル」などの治療薬を事前に送ってくれるのか?
との質問をした。ハノイ大使館は「検討させていただきます」
といったきり、3年間の検討中である。
全く頼りにならない大使館である。

外務省設置法4条9項には

九  海外における邦人の生命及び身体の保護その他の
安全に関すること。

との規定がある。
在外邦人保護は外務省・在外公館の義務である。
納税者に対する国家の義務であるが、「インフルエンザA」
が警戒度5になっても、ハノイ大使館から何ら情報提供も
連絡もない。
職務怠慢。忙しいとか何とかいうことは理由にならない。
最低の情報提供をする法律上の義務がある。

もっとも大使館の情報は古すぎてほとんど意味がない。
毎日インターネットで検索し、最新の情報を取っている。
しかし、日本への帰国が出来なくなった場合の
措置を3年前からハノイの大使館に問い合わせしている
のだが。未だに「検討中」。3年間検討しても結論が
出ないということは相当大問題なのだろう。

実際問題として、「インフルエンザA」がベトナムで発生し
国内で感染が広がった場合、ハノイ、ホーチミン市にいる日本人
は直ぐに飛行機で帰国できる。しかし、フエは一度
ハノイかホーチミン市へ行かないと帰国できない。
そういう意味では、外務省設置法第4条9項に
基づき、フエにいる在外国民に対する救助について
ハノイ大使館は重大な責任を負っている。
未だに何も連絡がないということ自体、既に
責任放棄といわれても仕方がない。
最も私たちはハノイ大使館を頼る気持ちは毛頭ない。
自分たちで既に「インフルエンザA」へのマニュアルを
決めている。自己防衛しかないベトナムである。
中国残留孤児と同様、国家は信用できない。
自分は自分で守るしかない。外務省の「棄民」であるとの
認識を持っている。

投稿者 koyama : 09:28 | コメント (0)

2009年05月04日

ブライセン関係アルバイト希望者と面談

晴天・時々曇り 少し肌寒い

午前5時起床。

読書「幕末・維新」(井上勝生著)読了

午前7時、朝食。

ブンボー。

午前8時、ブライセンベトナム支社で募集している
アルバイトの面接。

面接中にハイ君がベトナム事務所にやってくる。

昨日は、お墓に埋める紙人形を作っている叔父さんの
家に行き、「入門」を認められたとのこと。
但し、給料はない。食事と住むだけとのこと。
当面は、致し方ない。手に職をつけることが最優先。

ベトナム事務所に預けておいた銀行の通帳を返して
欲しいとやってきた。通帳を返す。50万ドン程度ある。
ミンさんが「IDカード(身分証明書)はもっているの?」
と聞く。「1週間前に失くした」という。
「IDカードがないと銀行でお金は下ろせないよ」というと、
ハイ君は「弟のIDカードで下ろす」という。銀行のシステムを
全く理解していない。「自分のIDカードがなければ下ろせない。
早くIDカードを再発行する手続きを自分でしないさい」というが
どうも意味が理解できないようである。

「ハイリーホテル」の玄関には5段程度の階段がある。
自転車を1階に入れるために階段に細長い板が置かれて
いた。盗まれた。この板がないと、電動バイクなど重い
乗り物は、1階に入れられない。業者を呼んで
鉄製の板を作り、はめ込んで「盗まれない」ように頼む。
午後3時に出来上がるという。

ハイ・リー君が壊した私の電動バイク。、うしろの
タイヤとチューブは新しいものに取替えたが、
乗ってみると前のタイヤがガダガダして今にもタイヤが
外れそう。

ソン君と一緒に近くの自転車屋さんに行く。
2人乗りの重さで、前の車のベヤリングが割れてしまった
とのこと。ベヤリングの交換。しかし、この自転車屋さんには
電動バイク用のベヤリングがない。これから買出しに行くと
という。のんびりしたものである。午後12時過ぎに出来上がると
いうので一時、「ハイリーホテル」へ戻る。

「ハイリーホテル」の付近にはフエの金持ちの豪邸が林立している。

多くが公務員だという。どこからこんな大豪邸を作る
お金が出てくるんだろう。こちらは、50万ドン(2700円)
程度のお金の問題で苦悩しているというのに・・・・・・。

午前11時半、昼食。

貝と野菜のスープ


リー君が「抗議」と不満の気持ちがあるようで昼食を
ボイコット。イン君は、午後から下宿探しに行くので
今日の日本料理店は休むという。
下宿探しは私的なこと。午前中に行けばよい。
日本料理店の仕事は公的なこと。どんな事情があっても
行かなければならない。こうした簡単なことが、二人には
理解できないようである。二人が休めば、他の日本料理店
のスタッフに迷惑がかかるなどということが
二人の頭にはないのか?

午後12時半から30分ほど昼寝。

読書「明治精神史(上)」(色川大吉著:岩波現代文庫)
1960年代、私の生活していた東京学芸大の隣に
ある東京経済大の先生で当時から「有名人」だった。
庶民の目から見た「明治時代」がテーマ。

午後3時、「ハイリーホテル」前の階段に鉄の板を
取り付ける約束の時間。ソン君も待機。
午後3時から40分ほど待ったが、業者が来ない。
ソン君が業者のお店まで行く。今、作っているところとのこと。
今日中には出来ない、明日、午前10時に持っていくと言う。
出来ないのなら最初から言え、などとベトナムでいうのは
暴言の類(たぐい)になる。そうなのか、と思い明日を待つのが
ベトナム流。

「インフルエンザA」が最終の「6」段階に引きあげられる
可能性がある。
「6」段階は最終段階。世界への大流行ということになる。
ベトナム事務所ではどんな対応をすればよいのか?
引き続き協議する。
「インフルエンザA」ベトナム事務所対応策は、警戒度「4」
程度を見越して作成したもの。最終段階の「6」にまで
行くとは予想もしていなかった。

午後5時40分、日本料理店へ行く。

リー君・イン君が来ていた。
話を聞くと、午後、下宿探しに行き、日本料理店から
徒歩7分の所に下宿を借りたという。二人で35万ドン。
リー君は「ルンルン気分」。やたらハイトーン。


送信者 09-5月4日


リー君から「明日、午前8時にベトナム事務所でバオミンさんと
話し合いをするので先生も来て下さい」と日時を指定されてしまう。

今までだったら、「ぶんむくれて」日本料理店に出勤しない
二人だが、今回は午前中から午後にかけて下宿探しをし
午後2時半の出勤時刻には仕事をしていた。
はやり年齢というもの、成長というものは大事なことである。
人間は無駄に年を取っていない。二人は、それなりに人生の
計算と設計をし、日本料理店で仕事をしながら、下宿生活を
する道を選んだようだ。よいことだ。

今日、海外支援・国際協力・海外ボランティアのスローガンは
「可愛そうなこどもたちを助けよう。寄付をください」ではなく、
こどもたちの中に入り、清濁を飲み込み、「現実」「事実」と
真正面から向き合い、対決し、苦闘する海外ボランティア
になろう、である。私は年に1度しかない「4連休」を
ハイ・リー・インの人生のために使った。
3人の今後の人生には何が必要なのか?お金の支援か?
そうではない。「自分の力で、身の丈にあった生き方」をする
ことを教えることである。ハイ君はいつまでも「ハイリーホテル」
の警備員では将来がない。23歳。今から「手に職」をつける
ことが何よりも大事だ。リー君とイン君は、「贅沢な都会のフエ
の生活」の影響を自分の力で遮断し、身の丈にあった人生と
生活をするという地道に生きることをしっかりと教えること
である。けして、お金や物をあげることではない。
「可愛そうなベトナムのストリートチルドレンに寄付を」という
スローガンは、今や反動的なスローガンと化した。
少なくともベトナムでの海外支援・ボランティアなどは、
急速に金権化したベトナム社会の拝金主義体質の
影響を受けているストリートチルドレンや貧しいこどもたちに
「人間の本当の幸せとは?」「お金が本当に人間の
幸せを作るものなのか?」という人生哲学の本質を
ぶつけていくことである。
今回の3人の問題の本質もそこある。お金だけが人生の
全てと考えている3人に「お金も大事だが、もっと大事な
ものがる。人間関係。恩、感謝、そして貢献」。
こうした人間の持っているお金に変えられない大事なものを
教える人間教育こそ海外協力・海外支援の本質となっている。
今回の領収書偽造事件を見ても、ストリートチルドレンや
貧しいこどもたちは、日本人の思っているよりも「したたか」で
あり、知恵を持っている。お金がもらえるのなら、乞食にも
なんにでもなる位の根性をもったこどもたちである。


午後9時過ぎ、閉店。
リー君の運転で「ハイリーホテル」へ帰る。本来なら
「お前が私の電動バイクを無断で乗って壊した犯人だろう。
修理代を出せ」といいたいところだが・・・・・・・。


茨城県ひたちなか市の「WING」より2009年2月20日~
26日までの「WING ベトナムスタディーツアー」の報告集
が送られてきた。

報告集を熟読する。実に詳細にスタディーツアーの内容が
記載されている。フエでの私たちの取り組みをしっかりと
観察し評価してくれるWINGの姿勢に感謝したい。
私たちの活動を見ないで日本で批判をする人たちもいるが、
実際にWINGの皆さんのように現地を視察た人たちこそ
厳しい批判をする権利があると思っている。
現地を見ない、私たちが何をしているかも調べないままに
「小山はフエにストリートチルドレンもいない、子どもの家も
ないのに日本人から寄付をもらい、フエで豪邸を建てて贅沢な
生活をしている」というチラシを配っている人間もいる。
WINGは、実際にフエで私たちの全ての活動を見ている。
厳しい批判と評価をすることが出来る立場にある。
参加されたWINGの皆さん、火炎樹の会の皆さんに
改めて御礼を申し上げたい。その理由は、私たちの
活動を偏見なしにしっかりと観察していただいたことである。
是は是とし、非は非として評価していただくことである。
JASSもWINGの皆さんの感想を参考に今後の活動を
続けて行きたいと決意している。
野上明子さん、河村静子さん、川池光子さんをはじめ、
皆様方に感謝。


フエを訪問された石上先生のご両親から大吟醸「満寿一」
を頂いた。


私が吟醸酒に「開眼」したのは、JASS静岡の会
事務局長の笠井先生の影響である。日本酒というと京都、
新潟などを思い浮かべるが、静岡県には酒蔵がたくさんある。
富士山の湧水の影響もあるのだろう、徳川家の本拠という
伝統もあるのかもしれない。いずれにしろ、美味しい吟醸酒が
たくさある。静岡の会事務局長の笠井先生は静岡の
「吟醸酒を飲む会」にも所属し、その道の専門家である。
笠井先生が時々、勧めてくれる吟醸酒が静岡の
「満寿一」である。
「満寿一」をお土産に持って来ていただくということは、
石上先生のお父さんは、その道の「通」かもしれない。
冷蔵庫で冷やして飲むと「甘みと豊穣な香り」の本当に
美味しい酒である。日本人で良かったと「愛国心」を強く
もつ一瞬でもある。

投稿者 koyama : 18:40 | コメント (0)

2009年05月03日

62回目の憲法記念日:ハイ・リー・イン「ハイリーホテル」を引っ越す

終日曇り。時々晴れ。夕方豪雨。

やはり今年は異常気象。

例年の今頃は気温35度程度の猛暑であった。曇ったり、
雨が降ることなどなかった。16年目にして初めての経験
である。

午前5時起床。読書「幕末・維新」(井上勝生著:岩波新書)
最近の歴史研究で分かった新たな事実を駆使しての
「明治維新史」。私たちが中高で学んだ幕末・明治維新の
イメージをかなりかえるものである。
一つは、幕末の江戸幕府は頑迷固陋、統治能力がなかった
かのイメージがあったが、最近の研究で、世界の情勢には
十分精通し、開国政策を推進したこと、孝明天皇が
攘夷に固執し、万世一系の天皇皇統論を強く主張していた
ことなど。明治になってからの「各地の一揆」は江戸時代には
やらなかった焼き討ちなど相当過激なものだった。
明治政府内の派閥抗争が酷く、一貫した政策ができなかった
こと・・・・。
この1ヶ月ほど、明治維新から昭和20年(1945年)の敗戦までの
日本の歴史を改めて振り返っている。「八紘一宇(はっこういちう)」
(世界は一つの屋根の下にある。その上に天皇を頂いている。
 世界を指導する国、日本)に象徴される「選民思想」とその反対の
中国・朝鮮・台湾・アジア蔑視の思想が明治維新以降作られてくる。
そして、武力第一主義へと突入して行く。
今の日本がそうなっていないか?

今日は62回目の憲法記念日。私は憲法と同時に生まれているので
憲法記念日が即私の年齢となる。

インターネットで各紙の社説を見た。

朝日:「貧困、人権、平和を考える」
    特に憲法25条の生存権を詳述している。「健康で文化的
    な最低限度の生活を営む権利」、この権利は、
    連合国総司令部(GHQ)の草案になかった。後に文部大臣
    になった森戸辰男らの要求で入ったものだ。「押し付け憲法
    反対」と言っているが、憲法25条は押し付けではなく、
    日本人が自ら要求して入ったもの。
     貧困、格差問題を憲法の今日的な課題と主張。

毎日:「もっと魅力的な日本に」
    ソフトパワーを重視した戦略をもちたい。留学生の招請、
    ODAの拡大など、ソフトパワーで世界の中で生きて生きたい
    そんな魅力的な日本にしたい、といっている。裏を返せが
    武力一辺倒の現政権の路線に疑問を投げかけているとも
    言える。

東京:「忘れたくないもの」
   寒空の下のテント村、「北」をにらむミサイル。 
   今こそ、生存権の保障が大事。現実に流されない覚悟。
   憲法に適合した政治、行政を目指したい。

読売:「憲法審査会を早期に始動させよ」
    集団的自衛権の行使の実現

サンケイ:「脅威増大を見過ごすな 9条改正し国の安全を守れ」

主要各紙の主張である。
サンケイが最も過激な改憲論を主張。次に読売。憲法調査会を
早期に開催し、集団的自衛権の行使を行うように主張し、
憲法9条を事実上否定し、戦後の憲法体制そのものを改変しようと
との主張。

毎日の主張ははっきりと憲法について述べていないようにも
思えるが、軍事に頼らず、ソフトパワーでとの主張。

朝日ははっきりと「貧困、平和、人権」を主張し、特に
昨今の日本の格差社会を念頭に置いて、憲法25条
「生存権」の重要性を強調している。

東京新聞も朝日に近く、生存権、生きる権利を主張している。

民主主義社会である。色々な考えがあることはよいことではあるが、
サンケイのように「脅威を強調し、軍備と軍事力に走る」
思考回路は既に60年前に破綻している。戦争と軍備をなくしていく
世界の先頭に日本がたつことこそが、今一番重要なことである。
オバマ大統領はアメリカ大統領で初めて「核兵器を使用した
責任」を述べ、核兵器の廃絶を誓い、核廃絶ができないことはない
と断言している。

麻生首相は訪欧中のプラハで衆院選の争点には
「(米海軍)第7艦隊だけで日本の安全保障を守れるかが
大きなポイント。自民党は景気対策と同時に
税制改正も言っている」と述べ、安全保障や消費税増税を挙げた。」
と報道されている。
軍事力の強化と増税が争点とは、情けない衆議院選挙である。
格差是正、生活保護費以下の収入しかない非正規労働者が
1000万人にも登る我が日本である。憲法25条の「生存権」、
生きる権利の保障をすることこそ、政府の最低限度の責任。

「日本国憲法と共に生まれ育ち、62年を迎えた」私としては、
日本国憲法は私の命であり、人生である。憲法9条あっての
今日の日本だ。憲法9条を死守する決意を改めて固める。
私の遺言は「憲法9条を永遠に、そして全世界に」である。

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午前8時、「ハイリーホテル」にバオミンさんと大塚さん、
ハイ君(23歳)、リー君(22歳)、イン君(20歳)が集まる。

以下、少し長くなるが、国際協力・海外支援・ボランティア
の実態である。また、海外支援とはどうあるべきか?
その本質は?との 私たちの回答でもある。
「人を育てること」こそが、国際協力・国際支援のめざす
ものである。

ベトナムは今日が4連休の最終日であった。私は結局、
4連休を「ハイ・リー・イン君」の起こした問題に振り回され
1日も休みなく、この問題の真の解決のためにバオミンさんと
協議(3日間)し、大塚さん(1日)とも話し合い、どうしたら
本当の支援になるのかを4日間、考え抜いた。以下
その問題と結論である。

(問題の経過)
4月30日は4連休の初日である。4連休は「ハイリーホテル」
での食事がない。こどもたち3人は給料をもらっているので
その給料で食事を摂ればよい。しかし、初日だから
一緒に「ブランチ」をと4人で午前10時から近くのレストランで
食事をし、ビールを飲んだ。問題はそこから始まった。

午後12時、開始から2時間。私は疲れて先に帰るといい、
お金を置いて帰った。3種類の食べ物とビール10本。
物価が高騰しているベトナムであるとはいえ、40万ドン
(2000円)程度で済む。私は多少のおつりを残すつもりで
「50万ドン」(2800円)をリーに渡し、残ったら3人で分けなさい
といって「ハイリーホテル」へ帰り、昼寝を取っていた。
同時に、ハイ君に部屋の飲料水のタンクの水がなくなったので
新しいのを買って欲しいと頼む。いつも15000ドン(80円)。
細かいお金がなかったので、10万ドン(550円)を渡し
「おつりは返しなさい」と言って「ハイリーホテル」へ帰る。

しばらくするとハイ君がドアをノックする。昼寝を中断し、
出てみると「先生、お金が足りません。」という。
私は「3品しか食べていないのだから、そんな訳ないよ」と言う。
ハイ君は「30万ドン(1600円)足りません」という。
この16年間、フエ市の色々なレストランで食事をしてきた。
4人で食べて、80万ドン(4500円)もかかったことはない。
「そんな訳はない。50万ドンでたりる筈だ」と再度いうが、
ハイ君は「お店の人が足りないといって、困っている」とのこと。
仕方がないので、30万ドン渡し、「領収書を持ってくるように」という。

1時間ほどしたらハイ君が領収書を持ってくる。領収書を見ると
44万6千ドン(2500円)となっていた。
私が帰ったあと数種類の食事を注文し、ビールを更に10本
3人で飲んだようだ。
それでも私が上げてきた50万ドン(2800円)以内である。

領収書を良く見ると「総計 44万6千ドン」となっているが、
その下に「+20万ドン」と書いてある。更に
44万6千ドン+20万ドンが二本腺で消されている。

最終的に、一番下に80万ドンと書いてある。
「何だ、この領収書は?」。
内訳細目を合計しても44万6千ドンである。

「+20万ドン」は何だ。そして、最終合計の80万ドンは
なんだ、という疑惑がわいてきた。

私とこどもたち3人で飲んで食べた代金は30万ドン程度。
その後、3人で更に追加注文した。あとでバオミンさんに
領収書の細目を見てもらったら、タバコ代、電話代など
食事と関係ないものまで入っていた。
それでも総計、44万6千ドン(2500円)である。
これが実際の飲食費である。

それが、私への請求書には、80万ドン(4500円)になっている。
354000ドン(2000円)も領収書の金額が多い。

更にハイ君には、15000ドン(80円)の水代として
10万ドン(550円)渡したが、3万ドンのおつりを持ってきた。
ということは、15000ドン(80円)の水代がいつの
まにか54000ドン(300円)にもなっていることになる。

総計408000ドン(2300円)近くのお金が消えて
しまった。


以上が、4月30日に起こった出来事である。

問題の本質は、私が外国人でベトナムの値段、物価を知らない
と踏んだ、ハイ・リー・インの3人は、私に嘘を言って、
お金を引き出し、40万8千ドン(2300円)のお金をちょろまかした
ということになる。

5月1日、バオミンさんと「インフルエンザA」が5段階になった
問題で連休中だが協議。その際、領収書問題と全経過を話す。
領収書を改めてバオミンさんに調べてもらう。やはり、
おかしいと。44万6千ドンと「+20万ドン」が二本線で消され、
最終合計は80万ドンという会計になっている。
請求内訳10数種類の飲食物の合計は44万6千ドンであるのに、
最終総計だけは80万ドンになっている。
80万ドンとは、私が最初に渡した50万ドンとハイが後で
取りに来た30万ドンの合計と符合する。
つまり、私が渡した80万ドン「全てを使った」したことに
するため「つけたし」で誰かが書いたものであることは
一目瞭然。
バオミンさんもこの領収書は「偽造されたもの」との意見。

その後、この問題をどう解決するべきか考える。
5月3日(日)バオミンさんに「ハイリーホテル」まで来てもらい、
更に協議する。

レストランで飲食をした4月30日の翌日の5月1日。
私は電動バイクに乗り、食事を買いに行こうとしたら、
タイヤが30センチほど裂けていた。
誰かが「二人乗り」したことが傍証できる。
「ハイリーホテル」で私の電動バイクに乗れるのは、
ハイ・リー・インの3人だけ。税田さんは帰国、
3人の日本語教師は出かけている。
間違いなく、4月30日に私から40万8千ドン(2300円)の
お金をちょろまかしたあと、勝手に私の電動バイクに乗り、
どこかへ出かけたものと推測された。
4連休2日目の朝、電動バイクに乗れなくなり、
結局、4連休は「ハイリーホテル」で読書となった。

この3人には、既に10回以上の「厳重注意」をしている。
直近では、インがインターネットカフェで「アダルトサイト」
を見ていて、インターネットカフェーのおばさんに注意され
、「うるせーばばあ」と暴言を吐き、それを聞いた息子が
インを殴り、それを見たリーが殴り返すという大立ち回りを
演じた。リーは暴力容疑で警察に逮捕。インーは逃亡。
何とか、始末書で解決した。その後、二人を呼んで
厳重注意をしている。「今度、問題を起こしたら厳しい措置を
する」と何度も言明している。

5月3日(日)、4連休の最終日。午前8時。
「ハイリーホテル」1階にハイ・リー・インを呼び、
私、バオミンさん。大塚さんで領収書問題、
電動バイクタイヤ破損問題について話し合う。

一人ずつ別々に呼んで話を聞く。最後に3人を
呼んで、矛盾していること質す。

(3人からの聴取で分かったこと)

①4月30日、小山がレストランから帰って時点では30万ドン
  程度の費用だった。
  その後、更にビールを10本、電話、タバコ、何種類かの
  食べ物を注文し、総計は44万6千ドン(2500円)だった。

②リーがハイに「小山先生のところへ行って、10万ドン
 足りない」と言ってもらって来い、という。
③ハイは、私の部屋に来て、リーに言われた通り
 「10万ドン(550円)足りないのでください」とは言わずに
 自分で横取りすることを狙い、「30万ドン(1700円)足りない」
 と吹っかけて私に要求した。
④ハイはレストランに戻り、リーに20万ドン(1100円)を渡し、
 10万ドン(550円)は自分のポケットへ入れた。
⑤インとハイでレストランの人に正規の領収書の金額
  44万6千ドンにハイが持ってきた20万ドンを足してもらう
  よう頼む。そこでレストランの人が「+20万ドン」と書いた。
⑥ハイは領収書を私に持ってくる際、リーやインに内緒で
  10万ドンを着服しているので、10万ドン分
  多い金額でなければならないと考えた。最初に私が
  渡した50万ドンに私の部屋に取りに来た際もらった
  30万ドンを足して、「80万ドン」と自分で書き込んだ。
 更にハイは、44万6千ドンという正規の金額や
 +20何ドンと言う金額を自分で消して、総額80万ドン
  と書いただけの領収書をでっち上げ、私のところに
 持って来た。

⑦4月30日。午後1時頃。レストランでの飲食が終わった
  3人は、私から25万4千ドン(1400円)をちょろまかした
  ので、その金で更に飲もうということになり、王宮付近の
  飲食店2軒ではしご酒をし、全額を使ってしまった。

⑧ハイは、私からレストランの不足分30万ドンを取り、
 そのうちの10万ドンを着服。更にミネラルウオーター
 代55000ドンも着服。
  ハイの私的な着服総計は15万5千ドン(860円)。

⑨更にその日の夜、ハイと一緒にリーが私の電動バイクに
 乗り、更に飲食に行く。二人乗り用の電動バイクではないので
 途中でうしろのタイヤが破裂してしまったが、内緒で 
 「ハイリーホテル」1階においておいた。

以上が、4月30日の出来事の概略である。


(今回の金銭詐取問題の本質)

①ベトナム社会、特に都会の急激な経済成長の中で
 一部の「成金金持ち層」が発生。フエ市内を歩いても
 一時成金がベンツに乗ったり、贅沢な生活を謳歌している。
 また、ベトナムのテレビの「ホームドラマ」もそうした金持ち
 家庭の様子を舞台にしている。
  そうした中で、フエという「都会」で育った3人も何らかの
  形で「金権主義」「拝金主義」、お金だけが唯一、
  美味しいもの、贅沢なものへの憧れる気持ちが増幅している。
   これは、3人だけでなく、多くのフエ人に共通する「拝金主義」
  である。お金さえあれば「偉い」、何でも出来る。お金のためなら
  いくら恩があろうが、無視する、「恩を仇で返す」ような風潮が
  横溢している。

②3人は、普通の社会的な生活経験がない。
  現在、「ハイリーホテル」に寝泊りし、3食無料で食べている。
  その他に給料60万ドン(3300円)をもらっている。
   「ハイリーホテル」の宿泊費、3食代を入れると、350万ドン
  (2万円)程度になる。3人は、事実上、350万ドン程度の
   給料をもらう「高額所得者」なのである。
   新任小学校教師の給料が230万ドン、ミシン工場等の
   労働者の月給が60万ドンから80万ドンの世界である。
   3人の、事実上の月給は350万ドンにもなるのである。
   宿泊代と食事代が無料。毎月もらう60万ドンの月給は
   全て「小遣い」というありがたい身分なのであるが、
   ベトナム社会でそうした立場がどんなものであるのかが
  理解できない。厳しい社会が分かっていない。
   毎月20日の給料をもらうと、直ぐ借金の返済で給料が
  なくなっています。毎日、コーヒー3回も4回も飲み、
  タバコをたくさんすう。それだけで2万ドンから3万ドンかかる。
  60万ドンの給料は遊興費で消えてします。一般の
  労働者は、3人の遊興費で衣食住の生活全般を賄っている
  いるのである。
   先日、「子どもの家」入所希望の家庭訪問を行ったが
  祖母と6年生の男児の月額の収入は20万ドンである。
  後は祖母の作る米を食べるだけという生活の農民は
  たくさにる。
   JASSという大きな翼の中で恵まれた生活を謳歌し、
  その意味が分からないまま、恩を受けてJASSを騙し、
  更に贅沢をしようという根性は、矯正されねばならない。
   何かあればいつでもJASSが助けてくれる。仕事を
  しなくてもJASSが応援してくれるという「乞食根性」が
  本質的に捨てきれないまま今日に至っているともいえる。
   以前に比べれば、人間的に大きく成長していることも
   事実である。
  以前は定刻出勤の仕事をすることすら出来なかった
  こどもたちである。
   しかし、既に20歳を超え、自立すべき年齢を越している。

(JASSベトナムとしての方針)

①3人の自立・自活を促進する
②具体的には「ハイリーホテル」からの退去。
  下宿を借りての自立した生活をする。
③日本料理店での仕事の継続。給料のアップ。
  日本料理店でもらった給料に見合った生活。
  (既に日本料理店接客のグエットさんが自立し
   下宿を借りている。10万ドンの月給の上乗せをしている。
   日本料理店での給料で下宿を借り、もらった給料の中で
   質素に生活している)


3人の以上の方針を伝えた。

①ハイは「子どもの家」付近のお墓に入れる紙人形の
  叔父さんのところへ行き、そこに住みながら紙人形造りを
  覚える。現在の「ハイリーホテル」の警備員の仕事は
  一生の仕事にはならない。何か手に職をつけなければ
  ならない。これも自立への道。
②リーとインは二人で下宿を借りて自立・自活する。

①②を3人が受け入れる。

ハイは、今日中に「ハイリーホテル」を出ること。
リーとインは下宿見つけの時間が必要なので
3日間のゆ猶予を与える。5月7日の朝食を摂ったら
「ハイリーホテル」を出る。

ーーーーー
以上が、4連休をつぶしてエネルギーを注いだ
問題だった。
私を騙してまでもお金に固執し、贅沢な生活をしようとする
3人の腐った根性を直さなければならない。
3人とも若い。今こそ、私たちが英断をふるって、荒波の
社会に出す必要がある。今のような生活を継続していたら
3人は、お金はいくらでもあると勘違いしてしまう。
現在のような生活の継続は表面は「やさしい」ように見えるが、
結局、3人を駄目にする生活である。
支援の「恐ろしさ」「難しさ」はここにある。
社会の荒波に出すことは一見「厳しい」措置に見えるが
こどもたちの自立とはこうしたことである。
「ハイリーホテル」を出ても日本料理店での生活の中で
彼らの自立を一歩下がって見守ることが「真の自立」、
本当の海外支援となることを確信している。
といっても15年もの付き合いの3人である。これから
何が起こるかわからないという「爆弾人生」でもある。
無事な航海を望むのみである。

この4日間でとりあえず、3人の自立へ向けての
厳しいが将来展望をもった方針を考えた。
バオミンさん・大塚さんと相談して結果でもある。

私の海外支援の基本的な立場は「現実を見る」だけでる。
事実・現実を見るということは、苦しく、不安なことである。
火炎樹日記に掲載していることが全てうまくいったことはない。
失敗が多い。思うように行かないことがたくさんある。
私は時々、「ボランティア評論家」「海外支援評論家」
ならどんなに楽かなと思うことがある。ボランティアは
こうあるべきだ、海外支援はこういうものだという
一つの型を作り、その中に全ての行動・活動を当てはめる、
こんな簡単で安心なことはない。
現実と事実の中に入ることは、本当に不安なことである。

イラク戦争の際、イラクに入り、ストリートチルドレンを助けると
称してゲリラに捕まった女性がいた。私たちの「子どもの家」に
2回来て、ストリートチルドレン支援活動をしていった。
ストリートチルドレン支援専門家だそうだ。
彼女は今や日本のマスコミとジャーナリズムで海外支援専門家、
イラク専門家となって日本で活躍している。
私など、イラク戦争勃発の中、「命をかけてストリートチルドレン
支援活動」に入ったのに、何故、日本で集会だとかピースボート
の講師だとかになっているのだろう。今こそ、イラクに定住し
イラクのこどもたち、ストリートチルドレン、障害児などの支援に入る
べきなのにと思う。現地で様々な困難や不安と闘いながらの
活動にこそ、本当の喜びと活動の意味があるように私には
思えるのだが。日本で各種集会や講演会などをするのは
楽である。不安がない、これからどうなっていくのかという
不確定な未来との闘いがない。楽な道は堕落の道である。
嘘の道でもある。

明日、3人はどんな態度にでるのか?

話し合いが終わり、バオミンさんと一緒に近くの自転車やで
電動バイクのタイヤとチューブの修理を頼む。
自転車屋さんは、「電動バイクの修理は初めて」とのこと。
電動バイクのタイヤとチューブがないという。
バオミンさんがオートバイで電動バイク用のタイヤとチューブを
買いに行き、修理する。1時間ほどかかる。

料金10万ドン。

夕方、部屋に食事がないので「ほか弁」を買いに行く。
疲れていて食欲なし。野菜と肉少々。ご飯は断る。
1万ドン。50円。

午後8時、フダビール2本。野菜などをおつまみに飲む。

疲れが出たのか、直ぐに横になる。外は雨である。


投稿者 koyama : 13:02 | コメント (0)

2009年05月02日

電動バイクの後ろのタイヤが30センチにわたり裂ける

午前中曇り・雨。昼から晴れ。気温26度。

哀悼 忌野清志郎(いまわのきよしろう)さん


4連休の3日目。

午前5時起床。

読書「幕末・維新」(井上勝生著岩波新書)

午前8時、メール受信。

午前10時、ブランチ用の「ほか弁」を買いに行こうと
1階に下りて、電動バイクを見ると、うしろのタイヤが
30センチも破けている。私は昨日は1日「ハイリーホテル」に
いて電動バイクに乗っていない。これだけの亀裂がタイヤに
できるということは、明らかに二人乗りをしたということだ。
人の電動バイクを勝手に乗って、破損し、そのまま1階の
バイク置き場において黙っているいる人間の根性が悲しい。
電動バイクの持ち主が乗ろうと思ってタイヤが破裂している
ことを考えたら、「犯人」は事前に私に教えること位の最低の
道徳心を持っていて欲しいものだ。犯人は自分のことしか
考えられない、相当「幼児性」を持っている人間と見た。
犯人は直ぐにわかることなのだが・・・・・・。悲しいことだ。

バオミンさんに電話でいくつかのことを話す。
丁度、親戚の法事に行くので、「弁当を買っていく」といって
くれる。ブランチと夕食用2つの弁当を買ってもらう。
4連休はありがたいのだが、3食がないというのは、
私にはかなりきつい。昨日は朝から雨。外に買出しにいけない。
今日は、電動バイクで買出しに行こうと思ったら、昨日、
誰かが勝手に電動バイクに乗り(二人乗り)、壊してしまった。
そのまま、黙っている卑怯な連中だ。電動バイクがないので
今日も外出は出来ない。「ハイリーホテル」はフエ市の
郊外にあるので、電動バイクがないと不便。
ベトナム事務所までなら徒歩でいけるのだが・・・・・。

部屋の掃除。


午前11時半からブランチのほか弁。(90円)。

昼寝。

午後読書。

今日は日本料理店は開店する。電動バイクが破損し、
午後2時半からの日本料理店にはいけない。
大塚さんに電話で事情を話す。


午後10時。大塚さんと諸問題について話し合う。
船上生活者の障害児支援問題を協議。

投稿者 koyama : 19:53 | コメント (0)

2009年05月01日

「インフルエンザA」5段階への対応を協議:メーデー(祝日)

終日雨


ベトナム「4連休」の二日目。

午前5時起床。読書「西郷と大久保」。

午前7時の気温22度。湿度90%。

午前8時、炊飯器でご飯を炊く。
布団乾燥機で布団と掛け布団を乾燥させる。(大変便利)

午前8時過ぎ、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ。
小一時間、バオミンさんと話し合う。
「インフルエンザA」(旧称豚インフルエンザ)の警戒度が
5段階となった。
事前に作製しているマニュアルでは、『日本人は5段階になったら
「原則的」に帰国する」』ある。
実際に5段階になったこの時点での対応を協議。
現実的にアジア、ベトナムへの感染が報告されていないこと、
今後の見通しが現時点では分からないが、緊急に切迫した
状況ではないこと、などを総合勘案し、マニュアルに
あるように「フェイズ5で日本人は原則的に帰国」
との規定はそのまま残し、4日間の連休明けまで、
状況の推移を見守ることにした。5月3日に状況を踏まえて
対応策を協議することにした。
現実的に5人の日本人のうち税田さんは、既に帰国。
2人はホイアンへ。一人は、ご両親のフエ訪問の案内。
といった状況で、マニュアルの「5」即時帰国を現実化することは
事実上無理な状況である。

対応策の原則的視点は、「状況をきちんと把握する」
「早めに行動する」ことに尽きる。

もう一つの問題について、バオミンさんの意見を聞く。
いくつかの点・問題などを解明。今後の対応策を協議。

午前9時過ぎ、話し合いは終了。

炊飯器のご飯が炊けていた。ホタテの缶詰があったので
ホタテをおかずに簡単な朝食。長男一家がおいていった
梅干を食べる。ベトナム茶を飲む。

残りのご飯で「おむすび」2個。うめぼしとのりをつけ、
作っておく。空腹時に食する。
外は雨。今日は「ハイリーホテル」に篭城する。


メールの受信・送信。


読書「西郷と大久保」。海音寺潮五郎の本は初めて
読むが正直、期待はずれ。小説の随所に著者が
顔を出すのは興ざめ。幕末の歴史的な事件、特に
薩摩藩の内情を詳しく調べている点は評価。
しかし、歴史の後を追った著作との観が強い。

午後12時過ぎ、昼寝。

午後引き続き、読書「西郷と大久保」を読む。

西郷と大久保の性格、物事の進め方の対比で
話は進んで行く。海音寺が薩摩生まれでこどもの頃から
西郷の人柄と人気を聞かされていたという経過があるのか
本書は「西郷と大久保」ではなく「西郷伝」とした方が
良い。西郷という稀代稀な人物を浮き立たせるために
配置されたのが大久保である。ベトナムでの体験的から
すれば断然大久保である。
上野の山の西郷隆盛像が何故、浴衣で犬を
つれているのか?未だに分からないが
奄美大島に蟄居させられている間(3年間:島娘と結婚
2児を生む)奄美大島の自然を愛し、犬をつれて島を
散歩していたようなので、そんなところを像にしたものなのか?

私が中学校(1960年)位まで、東京の女の子は
遊びのジャンケンの前に「西郷隆盛」を賛美する歌を
歌っていた。東京の時代と地域によって多少、言葉は
違うようだが・・・・。
「いちかけ にかけ さんかけて しかけて ごかけて
橋をかけ、橋の欄干手を腰に 遥かかなたを
眺むれば、17、8の姉さんが 花と線香を手に持って、
姉さん 姉さん どこ行くの 私は九州鹿児島へ
切腹なされた父上の お墓参りに参ります
(多分この途中に何か言葉が入っていたかも知れない。
 正確に知っている方は教えてください)
お墓の前で手を合わせ。南無阿弥陀仏を拝みます
拝んだ後から 魂が フーワリ フワリと じゃんけんぽい」

何かの本で読んでのだが、このこどもたちの遊び歌が
西郷隆盛を懐かしむ、東京人の歌だったとのこと。
東京でも敵の大将である西郷の人気は高かったようだ。


夕方まで雨。雨の中、外出をする気にはなれない。
久しぶりの連休。思いっきり本を読みたい。
「西郷と大久保」は今日1日で読み終わる予定。

「ハイリーホテル」の部屋には、食べものらしきものない。
前回日本へ帰国する際、「ハイリーホテル」の電源を
全てきるので、冷蔵庫のものは、ベトナム事務所の
冷蔵庫に移動しておく様に言われ、そうした。
2月18日にフエへ戻ったが、忙しくて、ベトナム事務所
冷蔵庫に一時保管してあった「食料」を「ハイリーホテル」に
もどしてない。メインの食料(といえるかどうかは分からないが)
はフダビール。それに何本かの純米吟醸酒。
スルメの焼いたもの、長男家族がおいていった若干の乾き物の
おつまみ。お米。飲むのには何とかなるが、食事は一切なし。

この10年以上。毎日何度もメール受信を確認。
確認した時点で返信をしないと、1日20通から30通のメールへの
返事は出来ない。1日溜まると翌日40通にもなる。
海外旅行に行っても、ハノイ、ホーチミン市に出張しても必ず
受信メールをチェックし、その時点で返信をする。受信メールの
多くはJASSに取っては重要であり大事なものである。
同時にベトナムの諸事情を文章で説明するのは至難の業で
ある。どうしても理解してもらえるよう長文となる。

今日は1日メールを開かないことにした。読書に専念。

洗濯。洗濯機で洗濯をし、その後、乾燥機付き洗濯で
2回か3回乾燥する。(乾燥機つき洗濯機が故障している)

午後5時半、外は雨。何か買い出しに行かなければならないが。

午後6時半、朝の残りご飯で作った小さい「おむすび」2個を食す。

午後11時。「西郷と大久保」読了。

「幕末・維新」(井上勝生著:岩波新書) 最近の研究成果を
取り入れ、幕末と明治維新を東アジア史の中で改めて
見直す書。江戸時代末期の幕府が世界を知らなかったという
誤りを具体的な事実で覆している。ペリーの浦賀来航も
1年前から知っていた事実。日米・日露交渉など、
世界の実情を踏まえた交渉をしていることを、当時の
交渉記録を基に実証している。

投稿者 koyama : 12:17 | コメント (0)