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2009年04月30日
ベトナム南部解放・ベトナム戦争終結34周年記念日(祝日)
曇り
午前6時起床
読書「結婚難民」読了。
「負け犬の遠吠え」の酒井順子時代の非婚の状況と
現在の非正規社員1000万人、労働者の3分の1が
非正規、年収150万円から200万円という現在の
日本の状況の変化をしっかりと分析している。
結婚しない団塊ジュニアではなく、非婚に追い込まれた
若者と分析すべき。著者の佐藤留美氏は、そうした
視点から「プロポーズする勇気のない男性」を分析し、
勇気がないのではなく、そうさせられて来た彼らの人生を
分析している。一読の価値有。
インターネットで各種新聞を読む。
WHOが警戒段階を「「4」 →「5」に引き上げた。
これは重大な意味を持つ。地域限定の新型インフルエンザ
段階から、世界に蔓延する新型インフルエンザイの流行の
段階に入ったことを意味する。
感染者・死者の問題だけでなく、世界の経済と社会生活を
ストップさせるような重大な段階に来ている。
ベトナム事務所のマニュアルでは「5」段階になった時点で
「原則的に」日本人は帰国することになっている。
午前9時半、静岡大学の滝下さんから電話。何枚かの
写真を至急送って欲しいとのこと。
急いでストックしてあった写真を4枚ほど送る。
午前10時、ハイ・リー・インと近くのレストランで「ブランチ」飲酒。
今日は1975年4月30日、北ベトナムの戦車が南ベトナム大統領
官邸に突入し、ベトナム戦争終結の日。
様々な意見はあるが、とにかくこうして昼間から(朝からか?)
安心して「子どもの家」で15年間近く付き合ったこどもたち
とビールが飲めることは、とにもかくにも「戦争」がないということ。
戦争というものは、本当に小さな庶民の「幸せ」すら奪っていく
ものである。玩具メーカーの「コナミ」がイラク・ファルージャでの
一般市民の大虐殺ゲームを販売しようとしたという。
ソフトを作ったのは他の人かも知れないが、とにかく
そうした恐るべき大虐殺のほぼ「実写」に近い殺人ゲームを
販売しようとした神経と経営者の理性を疑う。「コナミ」のHP
見ると「社会貢献」などと偉そうなことが書いてあるが、
社会貢献以前に社会破壊を促進するような会社であっては
ならない。
豚肉の海老の塩辛付け
海鮮鍋。はまぐり、えび、イカ、野菜入り
地鶏を捌いてもらう
午前10時半頃、ホイアンに行っているBさんから電話。
「豚インフルエンザが5段階になった。マニュアルでは
日本人全員帰国となっているが・・」とのこと。
当然の疑問である。「一応、マニュアルは、原則的に
帰国」となっている。現在、ベトナム事務所の日本人は
私一人だけなので、バオミンさんと相談する。
いずれにしろ、この数日の帰国はない」と返事をする。
午前11時50分。疲れたんで私は先に帰る。
その後、問題が起ころうとは・・・・。
午後12時過ぎから2時間程昼寝。
午後3時。読書「西郷と大久保」(海音寺潮五郎著:新潮社)
午後4時。静岡大学工学部の先生からメール。
豚インフルエンザが「5」段階に入り、今後のJASSとの
連絡・連携体制についての内容。もっともな内容である。
ベトナム事務所としての当面の対応策を返事する。
午後5時、バオミンさんと電話連絡がつく。
ニエン外務部長の母親の49日の法事に参加しているとのこと。
明日、午前8時半に「豚インフルエンザ」問題の対応について
相談。更にもう一つの問題についても話し合うことにする。
午後6時、ベトナム風ほか弁を買いに行こうとしたら
大雨。到底、外へ出られない。外出を諦める。
午後7時半、軽くビールを飲む。夕食がない。
4連休はありがたいが、食事がないというのは、正直
困る点もある。
読書「西郷と大久保」。
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ベトナム人民軍中央機関紙「クアン・ドン・ニャンザン」
(人民軍)に私のフエでの活動が大きく報道された。
共産党一党支配のベトナムでは「クアン・ドイ・ニャンザン」と
「ニャンザン(人民)ベトナム共産党中央機関紙)は
最大の「権威」を持った新聞である。共産党の指示と
見解を常に人民に伝えるという役割をもっている。
ベトナムの公的機関のスタッフは全員読むことが義務付け
られている。
JASS-ベトナムの子どもたちの笑顔のための「子どもの家」
フエ市のグエン・チャイ通りには、大勢の子どもたちが生活をして
いる緑でいっぱいの大きな建物があります。この建物は
「子どもの家」-貧しくて、親がいない子どもたちを育てている
場所です。「子どもの家」はベトナムの「子どもの家」の支える会
(JASS)が応援をしています。
「はじめてベトナムに来たのは1992年でした。たくさんの
ストリートチルドレンを見ました。日本に帰っても、ストリートチルドレン
のことが忘れられませんでした」と小山道夫先生ーJASSの代表
は語ります。
日本へ帰国しても小山先生はベトナムのストリートチルドレンを
忘れることが出来ず、ベトナムに渡りストリートチルドレンを助ける
決意をしました。初め、ベトナムのフエ師範大学で日本語の
教師をしながら、ストリートチルドレン支援を一人で始めました。
その後、小山先生は団体、個人や友達に支援を呼びかけ、
ストリートチルドレンのためJASSを設立しました。途中で
ストリートチルドレン支援活動ができなくなったこともありましたが、
様々な困難を乗り越え、、子どもたちの笑顔のために、
小山先生とJASSの皆様は一生懸命頑張って、
今日のような「子どもの家」を作り上げました。現在、
JASS事務所はフエ市の12チュウ・ヴァン・アン通りにあります
。スタッフは10人です。日本人5人とベトナム人5人です。
ベトナム事務所からあまり遠くないグエン・チャイ通りに
ストリートチルドレンの「子どもの家」があります。
設立したばかりの時は「子どもの家」はまだ小さい家でした。
フエ市人民委員会や小山先生の努力、日本の支援者のおかげで、
今「子どもの家」は立派な建物になりました。「子どもの家」では
英語クラス、日本語クラス、コンピューター室、保健室や音楽室
があります。
「子どもの家」に入る子どもたちは貧しい家の子どもたちです。
生活が大変で、学校に行けなかった子どもたち、
両親がいない子どもたちです。「子どもの家」で子どもたちは
安定した生活が送れ、学校に行け、職業訓練センターで
研修ができます。18歳になって自立した生活ができるようになると、
子どもたちは「子どもの家」を退所します。設立してから今まで、
400名の子どもたちがここで育てられ、成長しました。何人かは
大学に合格しました。現在、「子どもの家」では58名が暮らしています。
ブイ・ティー・キム・アンさん(「子どもの家」の寮母さん)は、
ここで15年間仕事をしています。『「子どもの家」に入所した
子どもたちは、新しい環境と色々な規則が我慢できずに、
「子どもの家」を出て、ストリートチルドレンの生活に戻った
子どももいました。スタッフは一生懸命探して、アドバイスをしました。
その後、子どもたちは「子どもの家」にまた戻りました。2週間後、
子どもたちは新しい環境に少しずつ慣れて、家族、兄弟のように
仲がよくなりました。』とキム・アンさんは語ります。
ソンさん(現在JASSベトナム事務所のスタッフ)は「子どもの家」で
長い間暮らしました。『「子どもの家」で私は寮母さんたちに面倒を
みてもらい、友達から愛情をもらいました。「子どもの家」を出た後、
私は貧しい子どもたちを助けるためにJASS事務所で働くことに
しました。』とソンさんは話しています。
「ストリートチルドレンを助家る活動以外にもJASSは障害児が
手術やリハビリできるように応援しています。ヒエウ・タオさんは
今年小学校の3年生で、10歳です。先天性の心臓病でした。
JASSの支援で、タオさんは心臓の手術をしました。現在、
タオさんは大変元気です。ベトナムでは生活困難なこどもたちは
まだたくさんいます。JASSは微力ですが子どもたちのための
支援を続けていきたいです。毎年、日本からたくさんの大学生が
ベトナムに来ます。フエ高等師範大学や高校生との交流、
「子どもの家」訪問などを通して、子どもたちと交流します。
私にとって、一生忘れられない思い出です」と小山先生は語ります。
「子どもの家」のスタッフと子どもたちと別れ、帰途につきましたが、
こどもたちの笑顔が忘れられませんでした。日本人と
JASSの皆様はベトナムの子どもたちに愛情を与えてくれました。
桜の国から来た素晴らしい気持ちを持っている日本の方を尊敬します。
記事と写真:LE QUY HUNG
2009年04月29日
「豚インフルエンザ阻止ベトナム事務所員総決起集会」:「平成20年度国臨ボランティア貯金の寄附金の配分を受けて「アクセサリー研修センター」研修中
曇り・終日雨 気温22度~28度。
午前5時、起床。
読書「結婚難民」(佐藤留美著:小学館)
団塊ジュニア(ロスジェネ世代:ロストジェネレーション世代:
失われた10年世代)の男性が結婚しない・出来ない
現状がある。男性が悪いのか? 女性に責任があるのか?
著者は「負け犬の遠吠え」の酒井順子氏にかなりの対抗意識
を持っているようである。
はじめに「結婚してはいけない13の女」なるものを上げている。
「ルブタン女」。ルブタンと言うのは「クリスチャン・ルブタン」という
真っ赤な靴底がトレードマークの高級靴(6万円から12万円)
を買い、5万円の家賃に住んでいるような「自己顕示欲の
強い女」。
から始まり、「絶食女」「超エコ女」「スピリチュアル女」
「クーガー女」(クーガーとは動物のピューマのこと。
年下の男性を食い物にする女)
「Lの世界女}(レスビアン風を装う女)、「リスカ女」(リストカット)
「ギーク女」(インターネットオタク女)・・・
その後、ロスジェネ男の結婚しないこれだけの理由を書いている。
全体的には、酒井順子などの「男がだらしない」論への
男の立場からの反論を務めるかと思える本となっている。
午前7時朝食。
午前8時半。緊急ベトナム事務所員会議
議題は「豚インフルエンザ対策と当面の方針」
昨日、作った原案をベトナム事務所員に提示。了解。
趣旨は、WHOが警戒度「4」になった現在、ベトナムで
「新インフルエンザ」患者が発生したら日本人は原則として
日本へ帰国。ベトナム人は、政府機関に準じて対応する。
「子どもの家」も同様。
警戒度「5」になったら、ベトナムに患者がでなくも
日本人は原則的に日本へ帰国。
ベトナム人スタッフは、自宅で待機。
「子どもの家」の子どもたちは、休校措置の中で
基本的には、2週間程度を目処に「子どもの家」に
篭城。篭城に必要な食料等を事前に準備する。
刺繍みやげ物店勤務のハンさんが産休申請に
ベトナム事務所へ。1993年のチーラン「子どもの家」
からの付き合い。妊娠8ヶ月とのこと。元気な赤ちゃんを
生んで欲しい。
午前10時過ぎ、今日日本へ帰国する税田さん、バオミンさんと
最後の打ち合わせ。
税田さんの担当していたいくつかの分野の引継ぎを行なう。
午前11時半、昼食。
午後12時過ぎから30分ほど昼寝。
読書「結婚難民」(佐藤留美著:小学館)
男性がだらしがないから「結婚難民」がでるという主張に
対して、現実の団塊ジュニア層の就業状況を提示し、
年収150万円から200万円程度の収入層の若い男性が
結婚することは難しいと指摘。単なる精神的な弱さではない
と反論している。
午後2時半。外は大雨。
雨の中ベトナム事務所へ。バオミンさんと一緒に
「アクセサリー研修センター」へ。今日は早めの研修奨励金支給日。
本来なら5月初めなのだが、4連休が入るため
早めに支給。研修奨励金は「基本給」+「出来高給」。
今後も研修を頑張れば研修奨励金もたくさん出ることを
説明する。
8人の「アクセサリー研修センター」研修生は船上生活者の
子弟が多い。
責任者はフエ経済大を卒業し、担当者となってくれた。
なお、「アクセサリー研修センター」「縫製研修センター」は
「平成20年度国臨ボランティア貯金の寄附金の配分を
受けて実施している」プロジェクトである。
ーーーーー
午後5時半、ベトナム事務所員全員で天安山麓のレストランへ。
2月中旬から今日まで多くのスタディーツアー受け入れ、
静岡大学留学生への日本語教育の特訓、ブライセンベトナム支社
設立など休む暇もなく仕事をしてきた。
明日からの4連休を前に「ご苦労様会」を兼ねて
『豚インフルエンザ阻止・ベトナム事務所員総決起集会』を
開催。
参加者は10名。バオミンさん・大塚さん・ハンさん・フーンさん
・クアンさん・ソンさん・中島さん、石上さん、原田君、小山。
(ゴック先生出産・税田さん帰国)
豚インフルエンザが流行りだしている。
この際、徹底的に美味しい「豚肉」を食べて、豚インフルエンザ
流行を阻止し、新型インフルエンザ発生に反対する
ベトナム事務所員の強い意志を表明することとした。
この2ヶ月半ほど、ベトナム事務所員はそれぞれの
部署で一生懸命仕事をし、大きな成果を収めてきた。
ベトナム事務所員全体での交流が減ってきているのも
事実。せっかく縁があって同じ職場で仕事をしている仲
である。たまには、生き抜きに飲みながら「人生」を語り合っても
良い。明日からは4連休。また、明日は、「ベトナム南部解放
34周年・ベトナム全土統一34周年記念日」でもある。
憎き「豚インフルエンザ」の代表として、特性の脂身を
両方に備えた「美味しい」豚肉を食べて、豚インフルエンザ
打倒の闘志を燃やす。
広い庭園レストランの庭で作っている野菜と豚肉を
ライスペーパーで巻き、(マムトム:海老の塩辛)につけて
食べると一層『闘いの闘志』が燃えてくる。
ついでに「鹿肉」も食べて闘いへの意思統一を更に強める。
これも本当に美味しい。
地鶏を捌(さば)いてもらい、内臓から全てを食べる。
トリインフルエンザの再来阻止を誓う。
最後にとどめ。一層の体力と免疫力をつけて、インフルエンザを
寄せ付けないようにするため「スッポン」を食べる。
「とどめ」の「とどめ」。「海鮮鍋」を食べて「カイサン」した。
ベトナム事務所着、午後9時20分。
日本料理店は6人のこどもたちで「自主運営」。
雨も降っている。こうした時に限り来客多数。
今日は10人の来客あり。
日本料理店閉店午後10時過ぎ。
リー君運転の電動バイクで「ハイリーホテル」へ帰る。
そのまま寝る。
明日から4連休。明日は「ハイリーホテル」の3人「不良男」に
朝食をご馳走する。明日、午前10時、リー・ハイ・イン
の3人を連れて朝食の予定。
日本語教師はホイアン方面へ旅行。A先生はご両親がフエ
へ来訪。税田さん帰国休暇。「ハイリーホテル」も少し
寂しくなる。
2009年04月28日
豚インフルエンザ対策、緊急協議
雲のち雨。
午前7時、気温22度、午後30度。午後10時過ぎ大雨。
午前7時朝食
キャッサバ麺
午前中、豚インフルエンザ問題についての緊急対処策を
考える。
JASSベトナム運営委員長のバオミンさんが体調を崩し
休む。
午前11時半、昼食。
午後12時過ぎ、昼寝。気温差が大きく体がだるい。
読書「昭和を点検する」(保阪正康+半藤一利著:講談社)
明治から昭和20年までの日本の戦争史を5つのキーワードで
まとめ、対談形式で語っている。
世界の大勢が見えなかった軍部、日本だけが優秀で素晴らしい
と考えた軍部、セクショナリズムで自分だけの部署にしか
関心を持っていなかった軍部、軍部の暴走に対して、
「仕方がない」との追認しか出来なかった政治家や軍部。
戦争の後半は、軍部や政治家を煽り、軍事国家へ進めて行った
一因は日本のマスコミ。こうしたことを具体的な資料で説明し、
明治以降の日本の軍国主義や戦争がいかに馬鹿げていたことか、
そして今日、その教訓をしっかりと学び、二度と日本が戦争国家
とならないようにすべきとの結論。
お二人とも特別な主義・主張を持っていないが(左翼でも右翼でない)
日本の軍国主義化の歴史を徹底して追及・調査し、戦争がいかに
意味のない、一部の人間の出世のための道具とされていたか?
を今日の私たちに教えている。
午後4時、ベトナム事務所でバオミンさん、税田さんと
「豚インフルエンザ」問題について協議。
私の提案について意見を出し合い、当面のJASSベトナムとしての
緊急対策」として決定。
明日、午前中mベトナム事務所員会議を開き、ベトナム事務所と
して確認する。
以下、豚インフルエンザ対策
豚インフルエンザ問題への緊急対応施策
2009年4月29日
ベトナムの「子どもの家」を支える会・JASSベトナム
(1) 豚インフルエンザ問題の現状
① WHOは警戒段階を「3」→「4」へ格上げした。
段階「4」の意味は、地域的ではあるが、人から人へと
「新型インフルエンザ」が感染し、大流行する可能性があるとの
意味である。
今後、段階「5」になった場合は、世界的規模での
「新型インフルエンザ」の大流行と大量の感染という事態を
予想している。
(2) JSSSベトナムの対策
① 警戒レベル「4」の場合
(あ)ベトナムで豚インフルエンザ感染者が発生しなかった
場合は、現状の生活を続ける。
・その際は、多数の人間が集まる場所は極力避ける。
手洗い、うがい等を励行する。
(い)ベトナムで豚インフルエンザ感染者が発生した場合
・JASSベトナム事務所の日本人は原則として日本へ早急
に帰国する。
・ベトナム事務所・「子どもの家」のベトナム人は、
ベトナム政府の指示に従い、公的機関と同様の措置を行う。
必要な場合には、ベトナム事務所員は自宅で待機。
子どもの家」は通学を控え、2週間の食料品・水等の
備蓄を行い、外部との接触を絶つ。
(う)万が一、日本への帰国が諸般の事情で不可能になった場合
は、「ハイリーホテル」に篭城する。約2週間を目処に、食料品、
水等を備蓄し、外界との接触を絶って、自炊生活を送る。
ハノイ大使館にタミフルなどの支給を要請する。
② WHOの警戒レベルが「5」になった場合
(あ)日本人は原則的に日本へ帰国する。万が一、
帰国が出来ない場合は「ハイリーホテル」に篭城する。
2週間分の食料と水等を備蓄し、自炊する。
(い)ベトナム事務所のベトナム人スタッフは自宅に待機し、
豚インフルエンザの影響を受けないようにする。
(う)「子どもの家」は、通学等を中止し、「子どもの家」に篭城する。
その際、親戚や自宅などのあるこどもたちは親戚・自宅へ帰る。
(出来るだけ、大人数の人間が集まらない方が良い)
「子どもの家」には2週間分の食料と水などを備蓄し、
外部との接触を立って、自立自炊するようにする。
何人かのスタッフは「子どもの家」で寝泊りをする。
事前に寝泊りをするスタッフを決めておく。途中での
交代は認めない。
JASSベトナムでは、ベトナム事務所に10人、「子どもの家」
に子どもたち57人、スタッフ10人、「縫製研修センター」
50人、「アクセサリー研修センター」8人、刺繍店7人
など直接雇用しているスタッフだけでも140人以上いる。
豚インフルエンザ問題はこれらのスタッフの命と生活に
直結する問題でもある。
WHOが警戒度「4」にしたことの意味は重大である。
JASSベトナムとしての緊急対応策を作り、マニュアルとして
全スタッフに理解してもらい、事態が切迫しても全スタッフ
の命と生活が守れるよう、今から万全の準備をすることが
必要である。
午後5時半、夕食、
海老のから揚げ
ベトナム風チャーハン
ぬか漬け
午後8時30分、アメリカ人、イギリス人来店。
午後9時半、日本料理店閉店。
2009年04月27日
静大留学希望高校生に話をする:イラクファールージャ6000人虐殺ゲームソフトを作った「コナミ」へ抗議メール送信
終日曇り・夕方雨 気温22度。湿度80%。寒い。
気温の変化が大きい。今年のフエは異常気象。
フエ市内の火炎樹の花が咲き始めている。
午前4時起床。読書「昭和を点検する」(保阪正康+半藤一利著
講談社現代新書)
本書のテーマは「何故、無謀な戦争に突入していったのか
5つのキーワードがあぶりだす日本人の弱点}とある。
5つのキーワードは①世界の大勢 ②この際だから
③ウチはウチ ④それはお前の仕事だろう
⑤しかたなかった
午前7時朝食 精進ブン麺
午前8時半、ベトナム事務所yへ。
バオミンさん・税田さんと3つほどの重要な問題について
協議。一定の結論を得る。
特に「豚インフレンザ問題」への対応。今日、WHOが
第2回目の会議を開く。その結論を待って明日、再度
協議をすることとなった。
午前11時半昼食。
午前12時半、昼寝。気温の変化が大きいので頭痛、倦怠。
午後2時、日本の支援者から電話。いつくかのことを話す。
読書「昭和を点検する」(保阪正康+半藤一利著
講談社現代新書)
午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒に静岡青年会館日本語学校へ。
静岡青年会館日本語学校では、毎日4時間の
日本語の特訓が行われている。静岡大学に
留学を希望している高校3年生に対して、
日本語教育を行っている。
今日は、6月に静岡大学工学部から来る入試の
先生に事前に提示する「身上調査書」の書き方に
ついて説明する。
午後5時、ベトナム事務所へ。
午後5時半、夕食。今晩は、大塚さんが市場で
新鮮な「かつお」を買ってきて「かつおの土佐造り」を
調理してくれる。ベトナムにある全ての日本料理店
でも真似の出来ない料理である。
刺身の食べられないベトナム人の中でリー君は
カツオの土佐造りを「美味しい」と言って食べていた。
味覚の発達して若者と見た。
午後9時、日本料理店閉店。
リー君の運転で「ハイリーホテル」へ。「ハイリーホテル」着
午後9時半。それから火炎樹日記を書く。1時間半。
午後11時、就寝。
=-------------
戦争犯罪加担企業「コナミ」への抗議メール送信
以下、メール送信先
https://www.konami.co.jp/inquiry/cgi-bin/inquiry01.cgi?PAGE_NAME=ir
今日のインターネットニュースで貴社が2004年11月米軍が武装勢力掃討の名目で行ったイラクのファルージャでの無差攻撃をゲームソフトにして販売すると言う記事を読み、怒りが込みあがりメールをしたし次第です。
この米軍による国際法違反の無差別市民虐殺は、はじめに主要病院を破壊・占領し、負傷者の治療が出来なくした上で米軍海兵隊を市内に突入させています。
戦車・装甲車・爆撃で攻撃を仕掛け、白リン弾や化学兵器、クラスター爆弾など非人道的兵器で6000人の一般市民を虐殺しました。米軍のファルージャ攻撃・虐殺は非合法であり、非道徳的であり、最悪の戦争犯罪です。
貴社は戦争犯罪のゲームを作り、6000人もの一般市民の虐殺の上に乗って
利益を得ると言う病んだ会社です。
ゲームソフトを作るために米海兵隊がその時のビデオを提供し、6000人の市民虐殺を行った第3海兵連隊の兵士30人以上にヒヤリングを行い「ファルージャ虐殺作ゲーム」を作製しています。
貴社は、こうした虐殺を肯定し、無辜の民を虐殺する行為を企業として肯定し、
利益を得ようとしました。到底、許されざる犯罪行為です。
私はベトナムでストリートチルドレンや貧しいこどもたちの支援を行っているNGOの
代表をしています。そうした立場からも貴社の金儲けのためにこうした犯罪的な戦争肯定、市民虐殺の蛮行をゲームソフトにして売り出すと言う、品性も人間性もないコナミと言う会社に「天誅」を加えます。私の出来る範囲で貴社製品の不買運動を呼びかけ、今後、日本や世界中の市民が「コナミ」と付いた製品を一切買わない運動を推進します。
貴社の営利だけを推進し、人間としての最低の道徳と理性をうしなった現状を厳しく糾弾するものです。ゲームソフトの販売を中止したことで、貴社の道徳的犯罪行為は免罪できません。
この犯罪的な行為で貴社がどれだけ損失を蒙るかを知るべきです。
2009年4月27日
ベトナムの「子どもの家」を支える会
代表 小山道夫
●抗議・問合せ先
(コナミ株式会社)
http://www.konami.co.jp/
住所 東京都港区赤坂9丁目7番2号
電話 03-5770-0573
FAX 03-5412-3300
お客様相談室 0570-086-573
03-5771-0517
2009年04月26日
休日
朝から雨。終日雨。気温23度。湿度85%。
午前2時過ぎに目を覚ます。
読書「負い方一つで重荷も軽い」(清水修二著)
第3章は映画評論。著者は映画に造詣が深く、福島の
「シネマフォーラム」の役員などもしている。
私は映画に全く興味がないので、書かれている映画評論の
当否は分からないが、客観的な評論と主観的な評論(好き嫌い)
が適当に入り混じった映画評論。何しろ映画評論だけは
映画を見ていないとその評論がどんな意味があるのかさえ
分からない。特に清水氏は洋画80%というほど、洋画派。
俳優の名前すら私にはちんぷんかんぷん。そもそも私は映画館
が嫌いだ。暗所恐怖症。暗い所は一番苦手。ベトナムへ来て
16年。映画館に言ったのは、1回きり。昨年吉永小百合主演の
「母べえ」を見ただけ。
午前7時、大塚さんから電話。午前7時45分に市内某ホテルの
朝食バイキングを食べに行くことになっていましたね?と。
確かにそう話した記憶がある。
午前7時45分、大塚さんたちと「ハイリーホテル」を出て、
市内某ホテルへ。一人55000ドン(300円)の食べ放題。
早速、ブンボーフエ。野菜を食べる。8時過ぎから10時近くまで
お茶を飲んだり食事をしたりしながら雑談。
午前10過ぎ、「ハイリーホテル」へ帰宅。
洗濯。
読書「負い方一つで重荷も軽い」(清水修二著)
第4章は「地域についてつらつら考えてみた」
これは著者の学者としての専門分野の地域論。
水族館のなぞ。新潟県のマリンピア水族館を見学した話。
狭い水槽に大型の魚から小型の魚まですいすいと泳いでいる。
サンシャイン水族館でも同様の光景を見た。私など何も
疑問を感じないが、さすが学者先生。
どうしてこんな狭い大型水槽の中で大型魚と小型魚が
共存しているのか? 当然、大型の魚は小型の魚を
食べてしまい、最後には大型魚しか残らず、その後は
大型魚の共食いとなるはずだが?との疑問を持ったそうだ。
水族館の担当者に聞くと「毎日大量の魚のえさを与えている」
との答え。なるほど。魚は人間と違って「満腹なら他人を殺しは
しない」。大型水槽の中の大小の魚の共存は、裏で大量の魚
えさを与えていたからこそ成り立つ虚像だったのだ。
午後12時半、昼寝。今朝2時におきて午前6時まで本を
読んでいたので多少、睡眠不足。
午後3時、「負い方一つで重荷も軽い」(清水修二著)読了。
第5章は著者の短編小説2本。経済学部長であり、現在は
国立大学法人福島大学副学長の文才は一読の価値有。
「地域・自治体そしてNPO」(清水修二著)を読み始める。
ベトナム事務所の仕事の整理。静岡大学関係、ブライセン
関係、「京滋YOUの会」関係・・・・・。
夕方、バオミンさんに電話。「豚インフルエンザ」問題について
話す。ベトナムではまだ報道されていないとのこと。
ベトナムでの報道状況の調査を依頼。
明日、JASSベトナム事務所として「豚インフルエンザ」
の対策を考えようと話す。
『世界保健機関(WHO)は25日夜(日本時間26日朝)、
豚インフルエンザの感染拡大を受けて開かれた緊急委員会の
合意文書を発表した。文書は「最近の状況は公衆衛生の
世界的危機」と明言。』との報道がされている。
現在、警戒レベルは「3」段階だが、今後、「4」段階に
なる可能性がある。「4」段階になった場合、日本の
国際線での検疫厳しくなることが予想される。
豚インフルエンザ発生国からの日本入国は4つの空港
(成田、関西、中部、福岡)と3つの港(横浜、神戸、関門)
に限定される。日本国内で患者が発生した場合は、
学校の休校などの措置がとられる。
現在はメキシコ、アメリカ、カナダ、ニュージーランドであるが
今後、アジアに拡大した場合は、重大事態になる可能性は
十分ある。
その後、英国航空の客室乗務員の一人が、豚インフルエンザ
に感染した疑いで、ロンドン市内の病院の隔離病棟に収容され
検査を受けているもよう。フランでも5人が豚インフルエンザに
感染した模様との報道がある。
ベトナムでの流行の可能性、また、WHOが警戒レベル「4」
にした場合のベトナム事務所にいる日本人の対応などの
シュミレーションをしておく必要あり。
夕方、夕食を買いに外出。
ベトナム風ほか弁(80円)。雨が降ってくる。
急いで「ハイリーホテル」へ帰る。
税田さんに電話。豚インフルエンザ対策について話し
明日、バオミンさんと協議することにする。
気温の変化が大きく頭が痛い。だるい。
終日、横になり本を読んで1日が終わった。
2009年04月25日
ベトナム事務所会議
快晴 午前中35度。 午後小雨。夕方大雨。気温24度。11度の
温度差。
1日に10度近い温度の変化。今日は1日中、頭痛と倦怠あり。
フエの多くの人が同様の症状を訴えている。
午前4時半起床。
読書「ルポ 労働と戦争ーこの国の今と未来」(島本慈子岩波新書)
読了。
この本は島本氏が先に出版した「戦争で死ぬということ」
とセットになっている。
「戦争で死ぬということ」(岩波新書)では、戦争の実態、人間が
いかに虫けらのように軍首脳・政府の無能な方針で死んでいくか
を具体的な聞き取り、調査で明らかにしている。
人間が戦争で死ぬということは、目の玉が飛び出て、
頭が割れてという、惨状が付いているということを明らかに
している。
本書(2008年11月出版)では、日本の軍需産業が
「民営化」され、民間人が軍需品を作る実態をルポしている。
福祉関係の数千万円の予算を取るのに四苦八苦している
わが国で1機100億円もする自衛隊の戦闘機を作る「商売」
は甘い商売である。
本書で初めて知ったが、イラクで「テロリスト」へ誘導ミサイルを
発射している「無人武装航空機プレデター」は
アメリカのネバダ州ラスベガスにあるネリス空軍基地から
『遠隔操作』で操縦され、イラクで『テロリスト」を見つけると
ミサイルを発射し殺傷している。2007年だけでネリス基地
で遠隔操作され作戦に参加した武装プレデターは4万時間、
2600回にも上るという。殺人をする人間は表面に出ないで、
アメリカから宇宙の衛星を使って無人武装機が人間を殺す
戦争の時代になったのである。アメリカにいて、遠隔操作で
イラク人を殺傷するミサイルを発射し、その後、家に帰り
家族と食事をし、家族団らんの生活を送るという戦争が
既に始まっていることに戦慄を感ずる。
これらの無人武装機を作る際には、様々なハイテク機器が
使われる。これらのハイテク機器を作っている労働者は
まさか、無人武装機を作っているとは思わないでいる。
軍需品・兵器を作っている日本の労働者がそれが兵器に
なるとは知らずに作っているという実態が分かる。
恐ろしい時代に入ってきた。
しかし、それでも憲法9条の歯止めの下に、「専守防衛」と
言わざるを得ない現状があり、(専守防衛という言葉も怪しいが)
何とか、軍需産業がアメリカのように産業の中核にはなっていない
日本ではある。2010年に憲法改正のための「国民投票法」が
施行される。来年からは本当に国会で憲法改悪(9条廃止・・・)
が発議されたら、国民一人一人がその態度を明らかにしなければ
ならない時代に突入する。
本書を読むと、まがりなりにも憲法9条があるがために、
自衛隊の暴走を一定食い止めることが出来、軍需産業国家
になれない実態ががあることが分かる。
来年から政権党が憲法改悪を進めようとすれば、9条ですら
変えることが出来る政治的なステージに入ることになる。
午前7時朝食。
リーとイン兄弟が朝食に出てこない。ハイ君に聞くと
昨夜3人で飲んだという。飲むことはそれとして、
飲みすぎたからと言って朝食に出てこない態度は
許されない。その時々の気分で仕事をしたり
しなかったり。眠いから起きないなどという態度を20歳を
過ぎても続けていてはいけない。嫌でも眠くても
仕事をするという人間としての最低の能力が磨かれていない。
路上生活が長く、「自由奔放」な生活に慣れてしまっている
ということは事実であるが、いつまでも「野生」生活を
していてはいけない。
春雨麺。固まっていた。
「ハイリーホテル」2階のハイ・リー・インの部屋の
前のベランダに布団あり。3人のうちの誰かが昨夜
飲みすぎ、暑いので床で寝たものと思われる。
酔っ払ってしまったのか?それとも『相当なストレス』を
抱えていたのか? まあ、物は考えようだ。
ベランダで寝た程度でことが済んでほっとする。
草なぎ剛のような「チン事」を引き起こさなかっただけでも
喜ぶべきか・・・・・。つい1週間前には警察逮捕事件を
引き起こした連中である。
午前8時半、バオミン・JASSベトナム運営委員長の
司会で「ベトナム事務所員会議」開始。
(ソン)・JASS函館作成のこどもたちへの表彰状を作る。
・「ハイリーホテル」のインターネットを直す
・「アクセサリー研修センター」へパソコンを持っていく。
しかし、調子が悪い。
・京都の業者からのトンボの玩具の発送手伝い。
(原田)・静岡大留学希望高校生特訓クラス 19課終了
・来週4連休があり、高校のテストがある。1週間ほど
特訓クラスの授業が出来ない。
・「子どもの家」入所希望者の家庭訪問。
農村の貧しさを実感した。
(石上)・フエ高等師範大学2年生最終授業
漢字、会話
・フエ高等師範大学1年生 22課
1年生の期末試験作成 →5月11日期末テスト
・静岡会館日本語学校 中級コース 18課終了
・「子どもの家」入所希望者の家庭訪問
(中島)・静岡会館日本語学校中級コース 読解・漢字
・フエ高等師範大学1年生 22課
(フーン)・静岡会館観光基礎コース 4回授業
・同 中級コース 1回の授業
・観光基礎コース 日本語能力試験2級の問題を
出してみた。9人中3人程度は合格しそう。
聞き取りに若干の問題あり。
(税田)・「子どもの家」入所希望者の家庭訪問
・WING、火炎樹の会、ひたちなかしバドミントンサークル2
からの支援物資をフールー小、フエ平和村のこどもたちに
贈呈
・「アクセサリー研修センター」へ行く。こどもたちは
頑張って研修を進めていた。
・里親などへの手紙に翻訳
・京都からのトンボの玩具の発送
(クアン)・両替
・日本語学校 作文
ミン)・「子どもの家」入所希望者の家庭訪問
・「アクセサリー研修センター」用の独自の電気メーター
設置
・ブライセンベトナム支社に振り込まれた本社からの
お金を下ろしに行く。
・4月29日(水)はベトナム事務所員全員で「春のツアー
案内等ご苦労様会」を行う。
・4月30日(木)、5月1日(金)、5月2日(土)、3日(日)
の4連休、楽しんでください。
ベトナム事務所員会議終了後、バオミンさんと一緒に
市内某銀行へ。私営銀行。サービス良い。
簡単な手続きで日本からの送金を下ろすことが出来た。
ベトナム事務所でブライセンベトナム支社社員2名へ
4月分の給与を手渡す。
来週、改めてブライセンベトナム支社会議を行うことを
告げる。
「ハイリーホテル」へ帰る。
帰る途中のフォンザンホテルの塀には「火炎樹の花」
が咲き始めていた。今年の異常気象を反映して、例年より
1ヶ月ほど、咲き始めが早い。
午前11時半、昼食。
大塚さんは朝7時前に船上生活者を対象とした医療支援に
行った。今日も100人以上の患者がやってきたとのこと。
地道だが、こうした支援こそ本当の支援といえる。
午後12時半から1時間ほど昼寝。体がだるく、横になりたい。
午後2時、読書「負い方一つで重荷も軽い」(清水修二著)
著者の清水修二氏は現在福島大学理事・副学長。
私と同じ年齢。元福島大経済学部長。
この6年ほどの間にいくつかの雑誌に書いた文章などの
エッセーなどをまとめたもの。
5編からなっている。
第1編はフリペーパー「SEEDS」に寄稿した800字の
エッセー19編。そのうちの何編かは、つい笑ってしまうような
ユーモアに富んだ文章である。
第2編の「続折々のいろいろ」は大学改革に当たっての
大学内での『騒動』をかなり赤裸々に書いている、自己総括文書。
福島大学経済学部長時代福島大内で「理工系群」を作る計画
が執行部から持ち上がり、学内の教授会で論議。
清水氏が勤めていた経済学部は「「反対」、教育学部は「賛成」、
行政社会学部は「継続審議」と3学部教授会がそえぞれ違う
結論を出す中で、大学としての統一した「意思」をどのように
決めていくのかが問われた。各学部の思惑、大学執行部の
優柔不断、学長の説明不足と指導力のなさ・・・・・、
大学という社会の様々な人間的な側面が垣間見える。
清水氏として「理工学系新設」騒動をめぐっての自己総括を
行った文章である。三者三様の態度を決めた福島大を
執行部の一員でもある経済学部長としての清水氏が
どのように状況を捉え、総括したのか?
一言で言えば、学内が相当もめたが、けしてそのことは
マイナスではない。そうした経過を辿って大学と人間は
変化していく、とかなり『達観』した総括をしている。
自己総括でありながら、科学的・客観的な総括態度には
共感が持てた。清水氏の文章の『裏』から当時の
福島大学の教員の中には「理屈」一辺倒で、言うだけ
言って、自分では何も責任をとろうとしない教員群が
存在したことが想像される。(清水氏はそうしたことは
一切書いていないが)。
「組織」「人の集まるところ」は、大学でもどこでも同じような
ものなのだと感じた。
午後4時過ぎ、豪雨。部屋にいても雨の音がうるさい。
今後のJASSベトナムの諸問題を頭の中で整理する。
午後5時半、日本料理店で夕食。
今夜の夕食は、「チャオバインカイン」(小麦粉の手打ちうどん)
と「シーフイドお好み焼き」。両方とも美味しかった。
お客さんの注文。
お寿司、中華丼・・・・・。
一時、厨房はてんてこ舞い。
午後7時から午後9時までベトナム事務所で仕事。
午後9時閉店と同時に急に雨が降ってきた。
今晩は雨具を持っていないリー君を電動バイクの後ろに
乗せて、「ハイリーホテル」へ。
「ハイリーホテル」の近くでオートバイ同士の激突。
15・6歳の若者の暴走運転。
若者は片足がオートバイにもぎ取られ、ほぼ即死状態に見えた。
常々ベトナムの交通事故の原因は①オートバイや車の
急増に行政が全く対応していないこと(戦犯の第1は行政・政治)
道路の整備、交通ルールの明確化、取締りの強化・・・・・
②市民の交通道徳の決定的欠如(勝手放題にオートバイや
車を乗り回している) と思っている。
最近、ヘルメットが義務付けられ18%死亡者が減ったとのこと。
このことは良いことであるが、交通事故と負傷者は減っていない。
年間1万数千人の死者がある。ベトナム戦争以上の
「交通戦争」真っ只中である。ベトナム事務所の日本人も
交通事故にあっている。
今日は1日の温度差が11度。みんな体調がおかしい。
私も頭痛、倦怠感が1日中あった。
今日も忙しかったが、長年の念願だった「あること」
の基本的な構造を作り上げることが出来た。大きな
収穫のあった1日でもあった。これから時間をかけて
少しずつ全体を作り上げていくつもりである。
相当な時間とエネルギーを使う作業であるが、
何としてもやりぬく覚悟である。
2009年04月24日
諸問題に対応する
晴天 36度
午前5時起床。
読書「労働と戦争ーこの国の今と未来」(島本慈子著:岩波新書)
この本は、京都の豊田社長の豊田陽さんから贈られたもの。
半分ほど読んだが、主題は「憲法9条がいかに大事か。
憲法9条があればこそ、自衛隊や一部極右主義者の暴走を
止めているかを具体的に指摘している。島本氏の素晴らしい
所は、空想や想像で書くのではなく、全て、自分の足で周り、
直接関係者から聞き取りをしていること。また、膨大な資料を
読破していることである。だからこそ、私たちに説得力のある
著作となっている。
午前7時朝食。
朝食は私の大好きな「ブンボー」。
午前8時から30分ほど、メールの受信。返信。
午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。遠回りして川沿いの
道を30分歩く。
川沿いの道は自然そのもの。何気ない雑草に不思議な
愛着を感じるのは、年齢のせいであろうか?
本来は自然だけの川沿いだったのだが、ドイモイ政策の
負の遺産。捨てられたビニール袋を乾かして再利用(売る)
ために乾かしていた。超リサイクル社会と褒めるべきか?
不潔な再利用というべきか?
ベトナム事務所で1時間半程仕事。
バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。
午前11時、ベトナム事務所を出て徒歩で「ハイリーホテル」へ。
午前11時半昼食。気温36度の中を30分歩くと、体中が
汗だらけ。そして疲労困憊。
午前12時過ぎから1時間ほど昼寝。
読書「「労働と戦争ーこの国の今と未来」(島本慈子著:岩波新書)
日本の戦争・軍需産業も民間への比重を高めている。
しかし、憲法9条の「歯止め」があり、アメリカのようには
進んでいない。
HP作成の準備。
午後4時半、ベトナム事務所へ。
税田さんと若干の打ち合わせ。
午後5時半、こどもたちと夕食。
かなりのお客さん来店。
アメリカへ渡ったベトナム人とその兄弟と思われる4人組が
来店。「ロンリープラネット」で私の活動を読んだ。
寄付したいとやってくる。
午後9時半、日本料理店閉店。リー君の電動バイク運転で
「ハイリーホテル」へ。
午後10時、「ハイリーホテル」着。
2009年04月23日
いつくかの仕事
晴天 気温32度
午前5時起床。
読書。「ハイエク」読了。
午前7時朝食。
青豆ご飯のおかゆ
インターネットとパソコンの調子が悪い。
午前中かけて昨日の日記を書き、写真を多量に掲載する。
知り合いの日本人から電話。ホーチミン市でオートバイの
後ろに乗っていたら手持ちのバッグをひったくられた。
バッグの中にパスポートが入っている。どうしたらよいか?
との電話。私の体験を話す。ホーチミン市は恐ろしい
所である。何もしない真っ当な人間がこうした災難に遭うとは・・・。
午前11時半昼食
午後12時半から1時間昼寝。
昼寝の途中でパスポートをひったくられた日本人から電話。
盗まれたバッグが道端に落ちていて、拾ってくれた人が
警察に届け出たとのこと。お金だけ盗まれ、パスポートは
バッグに入ったまま捨てられていたという。
こうしたバッグは拾って警察に届け出たベトナム人も偉い
ものである。人間の道義が地に落ちていないということ
なのか?・・・。
パスポートが戻ってほっとする。
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと当面の諸問題を協議。
午後6時過ぎまで。いくつかのややっこしい問題を
話し合う。
午後6時過ぎ、夕食。
既に午後5時半からこどもたちは夕食を摂り始め
私が1階の日本料理店に行った時には、全員
夕食を食べ終わっていた。
大塚さん・税田さん・原田先生と世間話をしながら
焼いたするめをおつまみに軽く生ビールを飲む。
リー君もやってきて日本人の会話に加わる。
日本人の来客。1月に北海道旭川から来られたボーイスカウト
の会長さんご家族がわざわざ日本料理店を訪問。
午後9時過ぎ、日本料理店閉店。
リー君の電動バイクの運転で「ハイリーホテル」へ帰る。
風邪は少し治った。頭痛と倦怠感あり。
草なぎ剛の逮捕、元タレント清水由貴子の自殺は、
ベトナムのマスコミでも報道されている。
2009年04月22日
「子どもの家」入所希望者の家庭訪問:WING・火炎樹の会・ひたちなかバドミントンサークル2からの寄贈品を学校等へ贈呈
晴天 真夏
午前5時起床。鼻水がでる。
読書「ハイエクー知識社会の自由主義」(池田信夫著:PHP新書)
ハイエクという名前は「田中清玄自伝」に出てきて知った。
ハイエクはノーベル経済学賞を受賞したが、そのパーティー
のメインゲストとして日本人でただ一人招かれたのが
田中清玄だとあった。清玄自伝には、ハイエクは、マスクス主義
ともケインズ経済学とも闘い、当時、学会からも世間からも評価
されていなかった学者であったが、170年代以降、ケインズ
経済学の限界が見えてきて、「自由主義」を主張した
ハイエクの評価が高まったと書いてあった。
午前7時、朝食。
小型マカロニスープ (スープが美味しい)
午前7時40分、「ハイリーホテル」を出発。
午前8時、ベトナム事務所から「子どもの家」入所希望者の
家庭訪問。
私、バオミンさん、ロックさん税田さん、石上先生、
原田先生が参加。
初めにWINGと火炎樹の会・ひたちなかバドミントンサークル2
から頂いた支援物資の贈呈を行った。
贈呈先は「フールー小学校」。全校児童の60%は
船上生活者の子弟。生活困難な家庭が多い。
JASSは10数年前から継続的に支援を続けている。
教室5室の増築、トイレ、校庭の舗装化(洪水が多くいつも
土の校庭は泥濘で遊べない)、毎年奨学金贈呈107人。
更にフオン川の中州に船上生活者のための「夜間識字学校」
を建設し、子どもや成人になっても字が読めない人に対する
識字教室を行っている。ここで勉強すれば、小学校卒業の
資格が得られる。
WINGと火炎樹の会から寄贈されたピアニカ(鍵盤ハーモニカ)
などをフールー小のこどもたちに直接贈呈する。
続いて茨城県「ひたちなかバドミントンサークル2」の
皆さんから寄贈された「石鹸、タオル」などを贈呈。
フールー小学校には、「子どもの家」の卒業生で昨年9月から
新任教師として赴任しているユオンさんがいた。
昨年までは図工専科のみの仕事だったが、今年から
学級担任を持つようになったとのこと。
引き続き「フエ平和村」へ。障害児のリハビリテーションを
行っている施設である。
家族とリハビリをしている障害児に人形を寄贈する。
WINGと火炎樹の会より。
改めて「WING」の皆さん、JASS茨城「火炎樹の会」の
皆さん、「ひたちなかバドミントンサークル2」の皆さんに
感謝。
その足で国道一号線を南下。フエ空港を超え、更に
農村地帯に入る。細い道をクネクネと曲がり
LOC AN(ロック・アン)村へ。途中、入所希望の
こどもの「叔父さん」と名乗る人が今にも壊れそうな
オートバイで道案内をしてくれた。
やっと入所希望の子どもA君の家へ到着。
純農村地帯の中にある本当に貧しそうな家であった。
A君(12歳)と道案内の叔父さんから話を聞く。
A君は諸事情で父親がいない。現時点ではどこの
誰か、どこにいるのかも知らない。
母親はA君を生んでどこかへ行ってしまって
現在も行方不明。祖母がA君を引き取り二人で
12年間暮らしてきた。祖母は、合作社から狭い田を
借りて耕作し、自分で食べる程度のお米を作っていたが、
現在68歳になり、体が弱り、耕作できなくなった。
祖母には何人かの子どもがいるが、その一人が
毎月20万ドン(1100円)をくれる。
祖母とA君が祖母の作った米と毎月もらう20万ドンのお金
だけで生活してきた。親戚も貧しくこれ以上支援することは
出来ないと言う。
私は地元の人民委員会(市役所のようなもの)に相談に
言ったか?きく。相談に行ったが、何も支援はしないと
言われた、時々洪水などがあった時は衣類などをもらう程度
とのこと。
祖母は年齢もあり体調を崩し、息子の家に行っている。
現在A君は12歳。6年生である。
家の中、台所などを見る。今にも雨漏りのしそうな
あばら家。部屋の片隅にベッドが一つ。祖母とA君が
寝ていたと見られる。台所は、土間に薪を燃やす
コンロのようなものがあり、黒く炭でこげた鍋がいくつか。
家のうらに行くと5メートル位掘った井戸。
黄色い泥色の水が沸いていた。これを沸騰させて
飲んでいるという。
バオミンさんが「子どもの家」がどんな所かを
ベトナム語で説明。私が『「子どもの家」へ入所する
気持ちがあるか?」』と聞く。A君は自分では決められない、
祖母が決めるといい、即答をさける。
そのうち、叔父さんの電話がなる。祖母のいる叔父さん
からの電話。祖母の意見も含めて、T君へ伝えられる。
T君は『「子どもの家」に入りたい」』と答える。
5月下旬までは、2008年~2009年の学年。
5月末の学年末まで現状の生活をし、2009年6月から
「子どもの家」へ入所することにする。T君も叔父さんも
了解する。
その後、ロックさんが入所の手続きなどを説明。
必要な書類を渡す。
A君に「子どもの家」に来たら頑張って生活するように、
近くのファンソナム中へ入学すること、57人のこどもたち、
10人のスタッフと一緒に生活することなどを話す。
農村のこどもなのかあまり自分の意見も言わず、
強い反応も示さなかった。「子どもの家」でしっかりと
生活をしていけることを願う。
それにしても祖母と二人毎月20万ドンで暮らすことなど
到底無理なことである。自分で作ったお米を食べ、
副菜に多少の野菜か肉を買ったら20万ドン位は
直ぐになくなってします。
最近フエ市内では「肥満児」をたくさん見かける。
フエ市内のエリート小学校である「レロイ小」に
行くと、クラスの2~3割程度は、異常ともいえるほどの
肥満児である。食べすぎとカロリーなどバランスの
良い食事をしていない、つまり、栄養などに無知な
「一時成金」の家庭のこどもたちの行き着く先である。
フエの高級官僚などはほとんどが「通風」を発症している。
ホーチミン市やダナン市、フエ市、ハノイ市などの
「都会」だけを見ているとベトナムという国が見えない
所以である。国民の80%を占める農民の生活の一端を
見た。
午前11時半過ぎ、フエ市内に戻り、チャーハンの美味しい
「ヒエップロイ」へ。全員でチャーハンを食べる。
ブライセン本社より電話。ブライセンベトナム支社の
銀行口座を作るようにとのこと。
午後12時半、「ハイリーホテル」。
昼寝をしないで、30分程読書
「ハイエく」を読む。
アダムスミスの古典派経済学から新古典派経済学
オーストリア派・シカゴ派、新しい古典派経済学など
資本主義擁護の経済学の各潮流の系譜と主張を
まとめてある。
合理主義と計画性という近代的な概念をどうみるのか?
によって様々な主張が出てくる。
ハイエクは、経済も社会も本質的に計画することは出来
ないと主張。偶然性、未確定なものということを前提に
経済を考えるべきだと言っている。
午後1時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒にフエ市内の民間の銀行へ行く。
今までは、「ベトコムバンク」という国営銀行へ行っていたが
何度嫌な思いをしたことか? 係員がとにかく威張っている。
仕事をしない。お客を延々と待たせて、世間話をしている、
自分のこどもにコンピュータゲームをさせて、お客を
待たせているなど、社会主義官僚社会の縮図を見てきた。
今回、新しくフエに出来たホーチミン市資本の民間銀行。
入っていったら、インフォメーションというテーブルがあり、
その女性が、ソファーに私とバオミンさんを案内。
お茶を入れてくれるサービスをする。
銀行口座作りは、簡単に出来てしまう。その上、
各種書類の書き方などを説明、銀行側が分かることは
全て書いてくれる。最後の私のサインだけという
資本主義国の銀行とほぼ同様な業務の仕方であった。
フエにもこの種の銀行が出来たのか、と感慨に浸る。
16年前のベトナムバンクがいかに腐りきっていたかを
嫌なほど体験している私としては、この16年は隔世の
感がある。銀行預金の利率を聞く。直ぐに表を持って来て
1年定期なら00%。完全に1年置いておけば、更に
0、3%利率をアップすると言っていた。
午後3時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻り、ブライセン本社
に銀行口座を連絡する。洗濯をする。
パソコンの調子が悪い。特にYAHOOがうまく使えない。
そのほかのものは、早く作動するのだが・・・・。
朝から鼻水が出ていた。アレルギーと思っていたが、
またもた風邪を引く。喉が痛くなる。
1時間ほど、ベッドで休む。だるい。午後から少し気温が
下がり、寒さを感ずる。
午後5時半、日本料理店へ。皆さんと夕食。
午後銀行の帰りにバオミンさんとドンバ市場へ。
厚い大きなするめイカ3枚を買う。11万ドン(600円)
日本料理店で焼いて、小さくハサミで切り、しょうゆを
降ってもらい、おつまみとする。
原田先生と生ビールを飲む。2時間程したら胸が苦しくなる。
ベトナム事務所3階で休養。
午後9時、「ハイリーホテル」へ帰る。何故か胸が苦しい。
2009年04月20日
ソン君27回目の誕生日:イン君叱責
快晴 気温38度(「ハイリーホテル」5階の日陰)
暑い一日だった。昼過ぎから強風。
午前5時起床。
読書「アダムスミス」
午前7時朝食。
精進ブン麺
イン君が朝食に出てこない。調査の結果、無断外泊が
判明。
昨日日曜日の朝、日本人のAさんの所へ行き、リー・イン・
ハイの日曜日の食事代がないので頂だいと言い、15万ドン
(一人5万ドン分)をもらっていった。しかし、インは、15万ドンを
独り占めしてしまい、リー君にもハイ君にも渡さなかった。
日本人Aさんに嘘をいい、15万ドンを「ちょろまかし」遊びに
出かけた模様。
先日、暴力行為で警察に捕まったばかりの謹慎中の身の上
のはずが、反省の「ハの字」もないまま、日本人を
うまく口車に乗せ、金をせしめていく根性が情けない。
給料をもらっているのだ。自分の給料で十分食べていける
金額である。遊び歩き、その後、どこに外泊したのだろうか?
午前8時過ぎ、ソン君とIT業者がやってくる。「ハイリーホテル」
のインターネットの調子が悪い。インターネットの基(もと)に
なる機械が原田先生の部屋にある。停電やインターネット
が切れたときなど、原田先生の部屋の基になる機械を
一度リセットしないと復元できない。原田先生が日本語教育
で不在の場合、1日中「ハイリーホテル」のインターネットが
復活しないという問題があった。今日、原田先生の部屋から
大基の機械を「ハイリーホテル」5階の洗濯機のある
「共通部屋」に移す工事をお願いしていた。
私の部屋を使ってインターネットの状況などを調査。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
午前9時過ぎ、ベトナム事務所員のソン君の27回目の
誕生日。ベトナム事務所で簡単な誕生会を行う。
原田先生から誕生ケーキの贈呈。
石上先生から誕生祝いの「寄せ書き」を贈られる
何故か私の誕生祝のメッセージの写真には
ひげが・・・・・。
14歳中2で「子どもの家」の第一期生として入所。「子どもの家」から
フエ高等師範大学へ進み、卒業後、ベトナム事務所員となり、
5年が経過している。この5年間でスタディーツアーの案内、
ベトナム事務所の仕事など様々な体験を経る中で、
今ではベトナム事務所になくてはならない存在となりつつある。
ソン君の今後の成長と幸せを祈る。
誕生会の後、ベトナム事務所員全員、ブライセン社員の
(THI君・VU君)とで誕生ケーキを食べ、しばし雑談。
午前11時半、昼食。
朝帰りのイン君も昼食には登場。
午後12時から1時間昼寝。
読書『アダム・スミス -「道徳感情論」と「国富論」』読了。
古典派経済学の祖と言われているスミスは経済をどのように
考えていたのか? 興味のあるところである。
特に「道徳的感情論」は、国富論つまり経済学の基礎となる
人間の見方を示している。まず人間を社会的存在として
捉えている。人間は他人に興味・関心を持つ。他人に
関心をもたれ同感されることを望む。こうした個人的な
感情・関心を社会的一般化し「公平な観察者」という
存在を設定する。個人の行動は、社会一般の基準で
ある「自分ではない公平な観察者」が見ている中で
人間は行動する、と考え、出来るだけ公正な生き方を
したいと人間は思う。
社会の繁栄も人間が社会的存在であることから説明される。
富や地位の高い人には歓喜を感じ、貧困や低い地位の人には
悲哀を感じる。
人間は貧困を避け、富や地位の高さを求める。
財産形成の野心はここにある。財産形成の野心によって
市場は拡大し、資本は増大し、社会は繁栄する。
同時に人間は「賢明さ」と「弱さ」を持っている。
賢明さは、「公平な観察者」の判断に従って行動しようとし、
弱さは公平な観察者の判断よりも自己の利益を優先して
行動する。
人間の「賢明さ」は社会の秩序を保ち、「弱さ」は
社会の繁栄を導く力となる。
財産形成への野心や競争は「正義感」によって制御
されなければならない。制御されない「野心」や競争心
は、社会秩序を乱す。
こうして「みえざる手」によって、本人の意図とは別に
社会は「その弱さ」により、財産形成をし、豊かになりたい
との気持ちから「努力し」「工夫」し、経済を発展させる。
そうした行為は本人の意図とは別にして、経済を発展
させることで、結果的に貧しい人々の生活の向上にも
なっていくとといている。国家が経済を管理する「重商主義」
を批判。こんなところから、今日の「新自由主義」の元祖など
といわれるのかも知れない。しかし、「道徳感情論」を読むと、
「ハゲタカファンド」を厳しく批判する内容を持っていることも
事実である。公平な観察者に見守られているとの認識の
裏には、金儲けが全てではないとの思想がある。
イギリスとアメリカの独立戦争中に執筆。
この戦争を終結させるかを「国富論」の最後で触れている。
かなり現実的な対応をする考えも持っている。
最終的にはアメリカ植民地の独立を容認しつつ、急激に
植民地を失うと困る人々も多いので、最終的には
段階的な方策を提案しているが、アメリカ独立という方針は
堅持していた。
午後4時、ベトナム事務所へ。バオミンさん・税田さんと
イン君を呼び、「なめた生活態度」を厳しく注意する。
当初、イン君は、昨日の朝Aさんの部屋に行ったのは
「ご機嫌伺いだった」と言い張る。
私の方で「リー・イン・ハイの3人の日曜日の食事代を
もらいに行き、15万ドン(一人5万ドン)もらったのだろう?」
と詰問。やっと認める。
最終的にリー君・ハイ君の分としてもらった10万ドンも
自分で使ってしまったとのこと。「泥棒」である。
こうした事実を突きつけられて初めて、事実を認める。
それまでは「ああだこうだ」と言い訳ばかりを繰り返し、
お金をもらったこと、リー・ハイの分を取ってしまったこと、
無断外泊したことなどを認めようとしなかった。
口先男である。言い訳とその場限りの嘘で固められた
人間と言える。こうした態度と行動は世間では絶対に
認められない。厳しく叱責。ここまで成長する過程で
嘘と言い訳だけを身に付けてしまったようだ。
この性格を直さないと将来に大きな禍根を残す。
私に対しても「ミエミエの嘘を言いまくる」。こうした人生と
人間をなめた態度は、誰かがどこかで厳しく叱責しなければ
ならない。
今度、警察に捕まったらイン君は、刑務所行き。
現在、執行猶予中だ。私も次回は何も応援は出来ないことを
この際、はっきりと行って置くと申し渡す。
午後5時半から久しぶりにこどもたちと夕食。
タイ人、イタリア人、アメリカ人など来客有。
スタッフは大忙し。
太巻きの注文あり。
午後9時過ぎ閉店。
リー君と一緒に帰宅。
投稿者 koyama : 00:01
2009年04月19日
ボランティア日本語教師募集中
晴天 気温36度。湿度45%
昨日からの風邪の症状が続く。腹痛も。踏んだり蹴ったり
の状態。
昨夜午後8時過ぎに就寝し、今朝、5時に目が覚める。
午前8時半までそのまま横になっている。
今日は日曜日なので3食、食事がない。
ご飯1合を炊く。高校の同級生五井君から送ってもらった
カレー(レトルト)をかけて食べる。そのまま、夕方まで
寝ている。
読書「アダム・スミス」。
午後2時から午後3時近くまでの1時間停電。
気温36度。停電中の室内温度40度を超える。
エヤコンのリモコンに室内温度計が付いている。
エヤコン用の部屋は停電に一番もろい。
夕方、ベトナム風ほか弁を買いに行く。ついでに
日曜日のフエ市内を巡回。
「旗台」(キーダイ)
そして「子どもの家」へ。
「子どもの家」には、リー君とイン君がいた。
近所のこどもたちとサッカーをして遊んでいたい。
やはりこの兄弟に取っては、「子どもの家」はわが家なのだ。
行くところがなくなった時、さびしい時に「迎えてくれる居場所」
なのだ。
方や「子どもの家」の庭でサッカーで遊んでいるこどもたち
もいれば、9年生(日本の中3)で6月に高校入試を控えている
男子は受験勉強に取り組んでいたい。希望高校は
「ハイバイーチュン高校」だとのこと。頑張って欲しい。
厨房近くの庭では夕食。
昨日のベトナム事務所員会議で年上の男子が職業訓練を
しないで「子どもの家」にたむろしているとの話を聞き、
実情を調査。年上の男子は遊びに行っていた。
夕食時にも帰ってこなかった。大分遅くなってから
帰ってきた夕食を摂る。いつくかの問題を感じた。
「ハイリーホテル」へ帰り、原田先生からラオスのお土産に
頂いた「ラオスビール」を2本飲み、ほか弁を食べる。
午後9時になっても気温30度、湿度60%。
部屋にいても汗が吹き出る。エヤコンの調子が悪いのか?
頭がボーッとする。
朝36度、日中は40近くなったのではないだろうか?
午後9時時点で5階のベランダの気温が30度。
やはり暑さに参ってしまう。この16年間、「フエに
住むだけで立派なNGO活動」と自分で思っていた。
フエに住むのも闘いである。1年か2年程度の
滞在は何とか我慢できる。10年の滞在は体に
「異常」をきたす。寄生虫の「ジンマシン」などその典型。
ーーー
ボランティア日本語教師を募集している。
ボランティア要綱、応募用紙は
、「続きを読む」をクリックする。
読者の皆様方の知り合いの方で静岡会館日本語学校、
フエ高等師範大学などで日本語教師の体験を
したい方がいらしたら是非、紹介して頂きたい。
以下募集要項抜粋
.募集要項
◆職種 「静岡-フエ青年交流会館」付属日本語学校と
フエ高等師範大学日本語学科の日本語教師
・JASSベトナム業務の一部(事務補佐、訪問者応対)
の手伝いをお願いすることも あります。
◆期間 1年間(派遣時期は随時)
◆ 募集人員 若干名
◆ 応募の資格
① 会の活動を理解し、ボランティアスタッフとしてやる気のある方。
② 年齢は22才~35才まで、男女は問いません。
③ 健康状態良好。
④ 日本語教師資格は特に必要ありません。
◆ 応募書類
専用の応募用紙に所定事項を記入。
(詳細は、「続きを読む」をクリック)
日本語教師ボランティアスタッフ募集要項
ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)
当会はベトナム中部を中心にストリートチルドレンの自立支援活動にあたっている海外NGOです。1994年、フエ市に「子どもの家」を設立し、約450名の子ども達の衣食住及び通学の保障、心豊かな人間性を育てる取り組みを進めて来ました。これまで、子ども達の生活費やスタッフの月給等の運営費は全て日本からの支援で成り立っていましたが、現地での財政的な自立を目指し、資金を生み出す活動の一環として2003年4月に日本語学校を設立しました。これはJASSとフエ市越日交流委員会の協力で設立されたもので、フエの一般市民(中校生~社会人)に向けて日本語教育を行っています。建物は静岡ライオンズクラブや静岡市民の有志によって設立された「静岡-フエ青年交流会館」を使用しており、現在までにのべ420名の生徒が各コースで学んでいます。また、2007年9月に開講されたフエ高等師範大学の日本語学校の顧問にJASS代表の小山道夫が就任いたしましてからは、JASSの日本語教師ボランティアスタッフがフエ高等師範大学の日本語学科でも教鞭をとるようになりました。ベトナムの「子どもの家」を支える会の現地での自立に向けて、一緒に活動してくださる方のご応募をお待ちしています。
1.日本語学校の種類
①「子どもの家」日本語教室
「子どもの家」の児童文化センターの一環として1999年9月に開講。
対象は「子どもの家」の子どもたちだけです。
日本語に興味がある子どもや日本文化に興味がある子どもなどが、ベトナム事務所スタッフ
の指導のもと、勉強をしています。
②「静岡―フエ青年交流会館」付属日本語学校
(1)JASSとフエ市越日交流委員会の協力で、●ベトナム人に日本語を教えることを通して日本
文化・日本の紹介を行い、日越文化交流を行うこと。●日本語を就職に生かし、生活困難な
若者の自立、フエ全体の経済の底上げを目指すこと。●地域の活性化、現地ベトナム人の
雇用の安定に繋げること。●日本語学校生徒から授業料を徴収し、「子どもの家」の運営費、
「静岡-フエ青年交流会館」の運営費やベトナム人日本語教師、スタッフの人件費に充て、
現地の財政的自立を目指すことを目的に設立されました。
現在は、一般クラス(全2年間のカリキュラム)と観光専門日本語基礎コースと特進クラスが
あり、3名の日本語教師ボランティアスタッフとベトナム人教師2名で授業を行っています。
(注釈:フエ市越日交流委員会…現地フエ市人民委員会とJASSの共同組織であり、社会主
義の中において法人格を持ち活動できる権利を所有している組織である。)
ア.一般コース
2003年4月からスタート。生徒は日本語のスキルアップや趣味で習ったりと様々な目的を持
っているため、文法、会話、作文、漢字、日本文化など幅広く日本語を学びたい人へ向けた内容 です。初級(半年)、中級(半年)、上級(1年)まで全2年間のカリキュラム。
イ.観光専門日本語基礎コース
2007年1月に、トゥアティエンフエ省観光局の要請を受け、JASS、「フエ市越日交流委員
会」と協力して開講しました。現在の生徒たちは2期生です。2期生の生徒たちは既に「日本
語検定試験3級」には合格しましたので、現在は「日本語検定試験2級合格」を目指した授業
を行っています。2期生は2009年夏に卒業予定。
ウ.特進コース
日本に留学を希望している学生のために開講した「短期集中型」のコースです。現在は「日本
語検定試験3級」レベルを目指した授業を行っています。
③ フエ高等師範大学日本語学科
2007年9月に開講。当初は同大学のベトナム人の専任教師2名で授業を行っていました。
2008年4月からは、JASSの日本語教師ボランティアスタッフが週に3日、会話を中心とした
日本語教育を行っています。
2.ボランティアスタッフ募集先
ボランティアスタッフはJASSと雇用契約し、フエ市日越交流委員会または、フエ高等師範大学に
派遣する形になります。
1.雇用先
名称:JASS ベトナムの「子どもの家」を支える会
代表者:小山道夫
現地所在地:12 CHU VAN AN HUE VIETNAM TEL:084-54-3828177
日本窓口:千葉県浦安市当代島2-7-40-204 TEL:047-700-7650
活動内容:ベトナム・フエにて、ストリ-トチルドレンの自立支援活動、障害児支援、奨学金支
援、職業訓練センタ-の運営、日本語学校、フエ高等師範大学日本語学科の運
営等
現地スタッフ:ベトナム人6名、日本人(ボランティアスタッフ含む)5名 (2009年4月1日現在)
2.派遣先
①名称:フエ市越日交流委員会
委員長:グエン・ニエン(フエ市人民委員会国際交流センター所長)
副委員長:小山道夫(JASS代表)
所在地:65 TRAN HUNG DAO HUE VIETNAM
活動内容:ベトナム・フエにて、「静岡-フエ青年交流会館」の運営
現地スタッフ:ベトナム人スタッフ2名(2009年4月1日現在)
②名称:フエ高等師範大学
校長:ホアン・ゴック・クイ
顧問:小山道夫(JASS代表)
所在地: 123 NGUYEN HUE St.HUE VIETNAM
活動内容:日本語学科での日本語教育
日本語学科スタッフ:JASS日本語教師ボランティアスタッフ2名
ベトナム人専任教師2名(2009年4月1日現在)
3.募集要項
◆職種 「静岡-フエ青年交流会館」付属日本語学校とフエ高等師範大学日本語学科の日本
語教師
※ JASSベトナム業務の一部(事務補佐、訪問者応対)の手伝いをお願いすることも
あります。
◆期間 1年間(派遣時期は随時)
◆ 募集人員 若干名
◆ 応募の資格
① 会の活動を理解し、ボランティアスタッフとしてやる気のある方。
② 年齢は22才~35才まで、男女は問いません。
③ 健康状態良好。
④ 日本語教師資格は特に必要ありません。
◆ 応募書類
専用の応募用紙に所定事項を記入。
◆ 勤務条件
① 授業は週6日間(各学校の授業にあわせて)。ただし、学校で授業のない時は、平日の8:00~11:00、14:00~17:00、土曜日の午前中は可能な範囲で事務所に待機し、事務所スタッフの要請に従って下さい。
② 関連施設の一つに日本料理店があります。授業のない時間帯に日本料理店業務の手伝いを若干お願いする場合もあります。
③ 会からは1ヶ月につき、有償手当て100$を支給します。
≪1ヶ月のおおよその滞在費≫
・ 家賃 無料
・ 食費 無料(朝食・昼食は宿舎で夕食はJASS日本料理店で摂った場合)
但し、日曜日・休日、上記指定以外の場合は各自支払い。
・ ミネラルウォーター、雑貨(シャンプー、歯ブラシ等)等で毎月約30$程度自費負担
④ 宿舎について
・ エアコン、冷蔵庫、電話、パソコン、バスタブ付ホットシャワー完備
・ 宿舎内で使用する電話代、インターネット代は会が負担
・ 指定の宿舎が満室の場合は、1ヶ月程度、別のホテル等に滞在してもらいます(その場ホテル等にはパソコンがありませんので、事務所のをお使い下さい)。
⑤渡航費、ビザ代、海外旅行保傷害険加入費は自己負担
≪各費用のおおよその金額≫
・ 渡航費 15万円前後(往復)
・ ビザ代 5000円程度(1ヶ月ビザを日本で取得)+約120$(その後、現地
で更新)
・ 海外旅行保険 10万円前後(補償内容によって違います)
⑥休暇は通常、土曜の午後、日曜、ベトナムの祝日です。しかし、繁忙期や訪問者の都合に
より、JASSベトナム運営委員長から要請があった場合は出勤して下さい。
ボランティアスタッフの帰国休暇は基本的には認めていませんが、希望される場合は、時期
をJASSベトナム運営委員長と協議の上、業務に支障のないように留意してください。
⑦JASSベトナム運営委員長から要請があった場合には、ベトナム事務所の業務を優先させ
てください。
⑧ボランティアスタッフ契約書の中には、現地滞在における規約があります。これはJASSの
活動継続、仕事のスムーズな遂行、自分の安全を守るためのものですので、違反した場合
は契約を解除することもあります。応募された方には、おって「ベトナム-フエJASSボラン
ティア滞在の諸注意」をお送りいたします。
5.選考方法
①希望者は所定の用紙に記入の上、JASSベトナムへメールまたはFAXでお送り下さい。
E‐mail:koyamavn@dng.vnn.vn FAX:001-010-84-54-3828087
担当:税田 眞理子
②応募用紙を受理後「ベトナム-フエJASSボランティア滞在の諸注意」をお送りいたします。
契約書の規約に関することを詳細に記したものですので、ご熟読下さい。
③書類審査後、電話面接、又は面接を行います。(日本にて)
④派遣時期は、随時とさせていただきます。応募された時期によっては、すぐに訪越をお願い
する場合もありますし、半年ほど待機して頂く場合もあります。待機していただきます場合
は、日本国内での会の活動に積極的にご参加頂き、会や現地への理解を深める期間とし
てください。
⑤合格の場合には後日、採用通知をお送りします。なお、契約書は、訪越後に取り交わしま
す。
=========================
日本語教師ボランティアスタッフ 応募履歴書
記入日 年 月 日
(フリガナ)
氏名 男女 生年月日 年 月 日生 (満 歳)
連絡先
現住所 (〒 - )
TEL/FAX:
Eメールアドレス:
現在の職業
最終学歴: 日本語教師資格 有 ・ 無
資格の有る方のみ記入
未経験・経験有( 年)
何で募集を
知りましたか?
応募動機
以下の質問にお答え下さい(審査の参考にいたしますが、特に重要では
ありません)
① 海外での生活の経験はありますか?(ある場合は国名、期間を記入)
② 渡航費、現地生活費、海外旅行保険費等の自己負担の備えは十分でしょうか?
③ 応募なさることに対して、ご家族の反応はいかがですか?
④ ボランティアスタッフを終えられた後の進路(仕事)についてご予定はありますか?
⑤ 電話面接をする場合、ご都合のよろしい時間帯をお教え下さい。
⑥ 面接をする場合、ご都合のよろしい日時をお教え下さい。
その他
(ご質問等ございましたらお書き下さい)
ご記入が終わりましたら、下記までお送り下さい。
ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS) ベトナム事務所 (担当:税田真理子)
住所:12 CHU VAN AN HUE Eメール:koyamavn@dng.vnn.vn
TEL:001-010-84-54-3828177
FAX:001-010-84-54-3828087
2009年04月18日
ベトナム事務所員会議:再び風邪を引く
晴天 A7 気温30度 湿度60%。
P12 気温34度 湿度50%。
P4 気温34度 湿度45%
P7 気温32度 湿度60%
P8:30気温32度 湿度60%
午前5時起床。
読書「アダム・スミス」。
アダムスミスの国富論は、高校の社会科でも勉強した。
資本主義勃興の「自由主義」資本主義時代の
古典派の経済学の始祖のような学者と思っていたい。
しかし、国富論と「道徳感情論」という論文も書いている。
「道徳感情論」は今日のハゲタカのようなやりたい放題の
貪欲な「新自由主義」資本主義をかなり厳しく戒めるような
内容であった。
午前7時朝食。おこわ。喉を通らず。3分の1程残す。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
(ミン)2月・3月・4月中旬まで忙しかった。
特に「アクセサリー研修センター」レベルアップ研修、
ブライセンベトナム支社開設の準備、スタディーツアー
など、皆さん頑張って仕事をしてくれて感謝している。
4月5月は少し楽になるので・・・・・。
また、7月8月9月と忙しくなる。その間の5月6月は
体調を整えておいてもらいたい。
皆さんの奮闘に改めて御礼を言いたい。
(ソン)JASSはこだての表彰状の翻訳
「ハイリーホテル」のインターネットの改修
日本語学校の扇風機のコントローラーが火を噴いたのを
直した。
(原田)日本語特訓コース 18課まで進んだ。50課までめざす。
(中島)月から金まで静岡会館日本語学校観光基礎コース。
水フエ高等師範大学1年生の授業。
(石上)フエ高等師範大学1年生・2年生の授業
静岡会館日本語学校観光基礎コース
(フーン)月から金まで静岡会館日本語学校
観光基礎コース卒業式5月末
(ハン)手紙の翻訳 月給の仕分け
今週は体調が悪く休んだりした。子どもも体調が悪く
皆さんに迷惑をおかけした。
(税田)「アクセサリー研修センター」、「縫製研修センター」
に行った。
翻訳した日本語の最終チェック
竹とんぼ作製
(クアン)日本語学校指導案を書いた。
お金の両替をした
(ミン)・ブライセンベトナム支社の設立許可申請
・「アクセサリー研修センター」関連の材料
・PACCOM関係(ハノイ外務省の海外NGO担当)
・来週、水か木曜日に入所希望者の家庭訪問
・「子どもの家」の年上の男子が職業研修に行くが
・直ぐに飽きて辞めてしまい、「子どもの家」で遊んで
いる。問題があるとセン運営委員長から指摘されている。
・4月30日(木)がベトナム南部解放記念日で祝日
5月1日(金)はメーデーで祝日。5月2日は土曜日
で半日勤務であるが、終日休みとする。この2ヶ月
間、日曜日も土曜日に休みなく仕事をしてくれたので。
5月2日は日曜日。ということで4月30日から
5月2日まで4連休とする。
・この2ヶ月間、皆さんの協力でベトナム事務所は
大きな仕事をいくつも遣り上げた。
何とか4月13日のブライセンベトナム支社設立で
大きな仕事も終わったので、4月29日(木)午後5時半
からベトナム事務所員全員で「ご苦労さん会」をしたい。
天安山の近くのレストランで会食したい。皆さんの
参加、宜しくお願いします。
・中島先生が5月26日に任期を終えて帰国する。
・税田さんが4月29日に1ヶ月間の休養一時帰国をする。
ベトナム事務所員会議終了後、体調が悪いので「ハイリーホテル」
へ帰る。鼻水がでて止まらない。風邪かアレルギーか?
頭痛と倦怠感。
午前11時半、昼食。
大塚さんとこどもたち(3人)の昼食。
相変わらず鼻水が出る。
風邪を引く。体がだるく、昼食後、横になり、ベッドで寝ている。
倦怠感あり。検温。37度3分。微熱あり。
つい先日も風邪を引き、バオミンさんに
かなり強いベトナムの風邪薬をかってもらい、2日間
寝込んでしまった。
また、同様の風邪の症状となる。体の抵抗力が
本当に弱くなってしまったのか、今年は気温の変化が
本当に激しいからか?。1日で10度も変化する。体がついて
いけないのかもしれない。困ったものである。
確かに2月18日の帰国以来本当に忙しかった。
日曜日も含め、様々な問題(火炎樹日記に書けないもの)
があり、常に頭の中は諸問題の具体的解決、JASSの将来へ
向けての自立のための諸方策・諸施策の策定である。
午後4時、気温34度、湿度45%。
今日は朝から1日、本当に暑く、「存在」するだけで体力が
消耗する。
午後5時半からの日本料理店での夕食を欠席する。
日本料理店まで行くい気力なし。
日本料理店で作った「夕食弁当」を持って来てもらう。
今日、明日はゆっくりと休むつもりである。
ボランティア日本語教師募集関連の文章を読む。
午後6時半、「ハイリーホテル」警備員のハイ君が
日本料理店で作ってくれた夕食弁当を持って来てくれた。
空芯菜のピーナッツ炒め、豚肉のミミガー、瓜の唐辛子スープ。
夕方から「断水」。トイレ、手洗いの水が出ない。
2009年04月17日
バオミンさん・税田さん打ち合わせ:日本への留学希望学生懇談
晴天 午後2時 気温33度。湿度60%
午前5時起床。
読書「LDとADHD」(上野一彦著:講談社)読了。
LD(LEARNING DISABILITIES 学習障害)
ADHD(ATENTION DEFICIT HYPERACTIVITY
DISORDER 注意欠陥他動性障害)
何とも長い英文の略語である。
1960年代以降、アメリカで「LD(学習障害)という
言葉が使われ始め、1965年「米国LD児協会」が
発足。
1975年、米合衆国公法で正式にLDが取り上げられた。
全ての障害児に無料で適切な教育を保障するという
内容。当初全就学児の2%ほどがLDと言われたが、
2000年の米国教育省報告書では6,5%。1992年
「日本LD学界設立」。2002年の文部省のADHDの
定義である。
「ADHDとは年齢、あるいは発達に不釣合いな注意力、
及び、又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で
社会的な活動や学級の機能に支障をきたすものである。
また、7歳以前に現れ、その状態が継続し、中枢神経系に
何らかの要因による機能があると推定される」。
午前7時朝食。
私の一番好きな「ブンボー」。美味しい。
朝食後、メールの受信。送信。多数。
午前9時、「ハイリーホテル」を出て、徒歩でベトナム事務所へ。
30分。
ブライセンベトナム支社は活発に仕事をしている。
ブライセンベトナム支社事務所にエヤコンを入れる。
ベトナム事務所でバオミンさん・税田さんと当面の重要課題
について打ち合わせ。午前11時15分まで。その後、徒歩で
「ハイリーホテル」へ。
昼食。
午後12時半、昼寝。
午後2時、読書「アダム・スミス(道徳感情論と国富論の世界」
(堂目卓生著:中公新書)
改めて、英国の産業革命の明暗の実情を知る。日本の
明治から大正にかけての日本資本主義の原始蓄積
時代と同様、貧富の格差が極端に増大している。
同時に本書の最初は「人間の感情」がどのような
システムで出来上がっているかの分析を行っている。
午後4時、「ハイリーホテル」インターネットが不通。業者を呼ぶ。
午後4時半、ベトナム事務所で静岡大学留学希望者
と面談。
午後5時、ベトナム事務所の私の2台のパソコンも
不通となる。業者を呼びなおしてもらうが直らない。
午後6時半、夕食。
2009年04月16日
「ハイリーホテル」で仕事:ビーザー診療所医師などと懇談
午前中曇り・雨。午後晴天(気温30度・湿度50%)
午前3時に目が覚める。
読書「正社員が没落するー貧困スパイラルを止めろ」読了。
(堤未果・湯浅誠著:角川書店)
日本の貧困問題と貧困先進国のアメリカの実態を
それぞれの現場を体験している堤氏(米国)と湯浅氏(日本)
が実情を報告し、何が問題か? 討論する。
強く印象に残ったことは、中流意識をもった「正社員」の
人々が、「自分は派遣や貧困層にはならない」と日本も
アメリカも他人事のように考えている人々が多いこと。
しかし、アメリカでは医師、教員など中間層のインテリが
失職し、ホームレスや貧困層に入っていくケースが
多いことを二人は報告している。
また、マスコミの弱さ、労働組合が労組としての態をなして
いないこと、政治家に貧困問題への危機意識が弱いこと
などを指摘している。二人の共通して訴えていることは、
貧困問題は、国家の問題であり、政治の問題、政府の
仕事であるということ。政治家やマスコミが駄目な現状は
あるが、諦めずにこれらの中の良心的な人々と連携して
問題を社会問題として、その根を国民に広く知らせる
必要があると力説している。
午前7時、朝食。
キャッサバうどん。唐辛子を入れると一層美味しくなる。
昨日の警察騒動の主役イン君が朝食に出てこない。
兄のリー君が部屋に呼びに行く。
バオミンさん・ハンさんが、この2ヶ月の「激務」でダウン。
自宅静養。
バオミンさんと電話でいつくかの打ち合わせ。
インターネットが繋がらない。
午前11時半、昼食
ブライセン本社総務部長より電話。いくつかの件について打ち合わせ。
午後12時過ぎから昼寝。
午後2時半、読書「LD(学習障害)とADHD(注意欠陥
多動性障害)「上野一彦著:講談社)
木村百合子さんの裁判のための基礎知識として読む。
洗濯。
床の水拭き掃除。
午後6時、日本料理店へ。ビーザー地区診療所医師・スタッフ
と懇談。大塚さんの主催している「オアシスの会」で
行っている「船上生活者への医療支援」のスタッフの皆さん
との懇談。
6人のビーザー診療所の医師などが参加。
毎週土曜日、大塚さんと一緒にJASSが作った船上生活者の
夜間識字学校を使って臨時の診療所を作り無料で船上生活者
の医療を行っている。先週は150人以上の船上生活者が
やってきている。皮膚病が一番多いそうだ。
栄養失調なども多いとのこと。
昨年末、私がなった「ジンマシン」のことを聞いてみた。
やはり、フエの雨季(10月~1月)の湿気が多いときに
たくさんの同様の患者がでたとのこと。原因は生野菜などに
付いている寄生虫だと言っていた。半年ごとに「虫下し」」を
飲む必要があるとのこと。
船上生活者の月収は家族全体で100万ドン程度とのこと。
月収6000円程度で生活している。家族が平均5人から
10人。こどもたちに十分な栄養をあたることができない
家族が多いのも現実である。
船上生活者への第1の支援は、健康に生活できる
生活費の確保である。そのためには、きちんとした
収入のある仕事が必要である。お金の支援は
乞食根性だけを植え付ける。自分の力で仕事をして
お金も稼ぐことが必要。
私たちの「アクセサリー研修センター」には、6人の
船上生活者のこどもたちが来て研修している。
自分の力で働いて収入を得ることが人間として
一番大事なことである。
フエの船上生活者の生活実態を私たちは16年間
追跡し、支援してきている。
昨日、問題を起こしたリー君ではあるが、今日は真面目に
日本料理店の仕事に復帰。こどもたちには、更生する
機会を与えることが私たちの役割り。「駄目」というのは
簡単であるが、真っ当に生きる道筋を作ってやることこそ
海外協力・国際支援の眼目である。
大塚さんとこどもたちが各種の日本料理店を作る。
●豚の角煮
●握りずし
●わかめの味噌汁
●天麩羅
●各種 カルフォルニアロール
午後8時半、交流会は終了。
2009年04月15日
リー君警察に逮捕:イン君逃亡
晴天
午前5時起床。
読書「日本資本主義発達史」読了。
大化の改新から明治維新、その後の日本資本主義の発達を
生産力と生産関係の矛盾と言う視点を基本にしながらも
具体的な農民など人民の生活を直視し、詳細な資料を
駆使しての論及は知的な刺激になった。
明治維新以後の日本資本主義の特殊性。明治維新の「革命」で
資本主義になったものの反封建的・絶対的な天皇制の支配の
中で農業は、引き続き地主と自作・小作農が存在し、
かつ地主は金納、小作は物納という経済基盤を抱えた
日本資本主義の矛盾。列強資本主義が帝国主義になりつつ
あり、その中で半封建的な農業と農業から駆逐された大量の
安価な賃金労働者を抱えた日本資本主義が急速に
帝国主義的に海外侵略を進めるという1920年代から
30年までの日本資本主義の歴史をたどっっている。
今日の新自由主義、世界金融危機などを80年前の
著作を読むことで改めて歴史的な視点で見直す機会と
なった。
これで4冊の本を頑張って読み終えた。多少の苦難あり。
●「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
(マックス・ヴェーバー著:大塚久雄訳:岩波書店)
●「1789年 フランス革命 序論」(ルフェーヴェル著:岩波書店)
●「日本資本主義分析」(山田盛太郎著:岩波書店)
●「日本資本主義発達史」(野呂栄太郎著:岩波書店
70年、80年前の著作もあるがけして古く感じなかった。
資本主義の発生とそれを支えた精神的な基盤は何だったの
かは、マックス・ウエーバーの著作で理解できた。
けして現在のような「ハゲタカファンド」の金儲け主義・
人間を商品・物としか考えない「新自由主義」的資本主義
と言う「えげつない」ものだけが資本主義ではなく、キリスト教徒
としての天職としの使命感ににたものが初期資本主義にはあった。
これは初期資本家も労働者もである。
フランス革命史は、人権、人間の権利の発生、それに果たした
農民の役割りと新興ブルジョワジーの意義をしった。
2冊の日本資本主義史は、それぞれ難解な点もあったが、
それでも今日の日本資本主義の持っている特殊性(対米従属と
零細中小企業からの収奪、派遣など労働者を人間として見ない)
日本資本主義の原型は明治以降の日本資本の発生と発達の
特殊性の中にあったことを知る。「温故知新」。
今を知るためには、今だけ見ていたのでは見えないものも
あることを知る。
午前7時朝食。
小さいマカロニ風スープ
リー君、イン君兄弟は5分ほどで朝食を済ませ外へ
出た。いつものように近くのコーヒー店にもで行ったのか?
と思っていた。引き続き食事をしているとリー君が上半身
裸(総刺青)で私たちの食事中の前を横切り、2階へあがって
行った。私はそう見たが、後で皆さんに聞くとリー君とイン君の
二人が横切り2階に行き、上着を着てまた出て行ったというが、
私にはその記憶がない。
食事が終わり、日本人で雑談をしていると、中島先生が
「外に警官がいる」という。慌てて外に出ると、2人の
制服警官がリー君を捕まえている。リー君は「おでこ」と
顔中に大粒の汗を光らせて、引きつった目で警官と
対峙していた。
私は警官に何があったのか?と聞く。
朝食を作ってくれているおばさんが「この人は日本人です」
と私を警官に紹介する。警官は「知っています」と答える。
私が何か言おうとしたら、警官はリー君を拘束し、
連れて行ってしまった。
私は狐につままれたような訳の分からない状況である。
近所の人が何人か取り巻いている。
訳が分からないが、急いでリー君を救援しなければならない。
バオミンさんに電話。食事作りのおばさんと電話で話して
もらう。
事情が大雑把に判明。
朝食を早く済ませたリー・イン兄弟は、「ハイリーホテル」
近くのインターネットカフェに行きインターネットをしていた。
そこで、インターネットの店主とけんかになり、インが店主を
殴った。それをみた店主の息子3人がインを殴り返す。
それを見ていたリーが「弟の一大事」とばかりに、インターネット
の店主の息子3人を殴る。インターネットの息子は包丁を
2本持ち出し、インを切りつける、という「大立ち回り」を
演じてしまった。近所の人が警察に通報。直ぐに警察が
やってきた。警察に何度も捕まっているリー・イン兄弟は、
警察を察知した途端に「ハイリーホテル」へ逃げ込み、
インターネットカフェーの息子に破られた上着を着替えるために
朝食中の私たちを横切り2階の自室に入り、上着を
着替え、逃亡しようとしたのであった。
弟のインはうまく逃亡を果たしたが、兄のリーは、逃亡に
失敗し、警官2名に捕まってしまい、逮捕され、地元の
警察に連行されてしまった。
インはどこかへ逃亡。
状況の全体像がつかめた。リーもインも前科を持っているような
状況。既に警察の監視の対象となっている。特にインは
「執行猶予中」。今度、犯罪を犯せば刑務所行き。
せっかく日本料理店で料理を覚え、仕事をしている時である。
直ぐにベトナム事務所へ行く。バオミンさんと打ち合わせ。
私のある「腹案」を話し、バオミンさんが実行。詳細割愛。
1時間後に地元警察にバオミンさんが行く。リーが捕まって
いた。途中経過を割愛し、リーは「反省文」を書き、無事釈放。
ベトナム事務所にいた私にバオミンさんからリー釈放の
連絡あり。インが逃亡している。このまま逃亡を続けると
明らかに犯罪として処罰される。逃亡しているインを
何とか見つけ警察に「自首」させる必要がる。
大塚さんから電話がある。インが「ハイリーホテル」に
戻ってきていると言う。直ぐにベトナム事務所に来るよう
伝える。ベトナム事務所に来たインに直ぐに「自首」し
反省の態度を示すように話す。
バオミンさんが地元警察と連絡。午後2時にインとリーの
二人が警察に出頭するようにとのこと。
午後11時半昼食。
臨時に釈放されたリー君と「逃亡中」のイン君と昼食。
午後2時、二人は地元警察に出頭するよう話す。
二人も了解する。
午後12時過ぎ、30分昼寝。
読書「正社員が没落するー貧困スパイラスを止めろ」
(堤未果・湯浅誠著:角川書店)
新自由主義がアメリカでどのような結果をもたらしたかを
具体的に明らかにしている。中心が医療問題。
午後2時、二人は地元警察に出頭。
インが反省文が書けない。ベトナム事務所に戻り
バオミンさんの指導で反省文を書き地元警察に
掲出。
今回は諸般の経過を辿り二人は「反省文」を書き
二度と犯罪を犯さないとの誓約書を書き「無事釈放」
となった。
午後4時、リーとインをそれぞれ個別にベトナム事務所に
呼び、次回、こうした暴力犯罪を犯したら「即・刑務所行き」
だと伝える。次回、こうしたことがあったら、私も何も
「応援」は出来ないとはっきりと言い渡す。
リー君とイン君に私たちはどれだけ「振り回されて」いるか
分からない。しかし、本当に海外ボランティアをやろうと
思えばこうした問題は避けられない。
学校を作ったり、時々お金をもっていったりしている
海外ボランティアでは経験できない「素晴らしい体験?」である。
JASSは「人を育てる海外支援」に入っている。だからこそ
この種の深刻な問題に直面するのである。
人を育てるということは、「螺旋階段を登るがごとく」
時間とエネルギーがかかる事業である。心身ともに疲労困憊。
JASSはそうした「人間を育てるボランティア事業」を
具体的に進めている。毎日のように起こるこどもたちの様々な
問題。「縫製研修センター」・「アクセサリー研修センター」
日本料理店・「子どもの家」・・・でのこどもたちの起こす問題を
ベトナム人スタッフと共に具体的に解決していく。
こどもたちの成長と自立を目指しつつ、「愛情と規律」という
二つの基準でこどもたちと接している。
毎日のようにこうしたレベルの問題が起こり、それを何とか
解決しながら、こどもたちを怒りながら、励まし、育てる
という活動は喜びと悲しみ・落胆と疲労の入り混じった
複雑な過程を常に辿っている。
午後5時半、釈放されたリー君とイン君と夕食。
これは親の気持ちだろうか? 二人とも悪い事をしたのであるが
無事釈放され一緒に夕食を摂れたことに感謝の気持ちを
持つに至ったのは、年齢のせいだろうか?
2009年04月14日
ブライセン藤木社長・森田社員帰国
32度 湿度55%。 夕方雨。気候変動激しい。
昨夜午前2時頃からお腹が痛くなり、トイレ回数増える。
ブライセンパーティーでの食べ物にあたったようだ。
腹痛と嘔吐の傾向。
午前6時までウトウトする。
午前7時朝食。
青豆のおかゆ
「ハイリーホテル」のインターネットが停止。日記が書けない。
ベトナム事務所へ。
バオミンさん・ハンさん・クアンさんが「腹痛」「下痢」状態。
私と同様の症状。
2時間かけて4月13日「ブライセンベトナム支社開設」関連
の日記を書く。
午前11時半昼食。
昨夜から体調を崩す。
午後12時半から昼寝。
午後3時。読書。「日本資本主義発達史」。もう少しで
読了。
午後3時、フォンザンホテルへ。「ハイリーホテル」の
インターネットが使えないのでフォンザンホテルの
ワイヤレスを使おうと思った。残念。10日ほど前は
使えたのだが、その後、「有料」になってしまい
使えない。
午後4時、藤木社長・森田社員、バオミンさん、
ブライセンベトナム社員THI君・VU君が
藤木社長一行を見送りに来る。
一緒に車でフエ空港で。午後6時20分発の
ホーチミン市行きが午後7時40分に変更。
フエ空港で1時間ほど待つ。
午後5時半、チェックイン。
改めてブライセンの藤木社長・森田社員に感謝。
お忙しい中、時間をとって頂き、ブライセンベトナム支社の
開所式に出席して頂き。
明朝帰国し、その後、出社とのこと。
午後5時50分、フエ空港の待合室へ入る。
無事の帰国を祈る。
バオミンさんたちとフエ市内へ。
今日は体調が悪いので日本料理店での食事をやめて
ほか弁(80円)を買って「ハイリーホテル」で夕食を
摂り、午後8時に寝る。
2月18日フエに帰り、今日まで2ヶ月。スタディーツアー
、「アクセサリー研修センター」、ブライセンベトナム支社
設立など忙しく過ごした。その間、ジンマシン防御のための
強力な虫下しを飲む。風邪を引いて、かなり強いベトナムの
薬を飲み、内蔵や体が相当疲弊している。立っているだけで
つらい。今日は早めに寝る。
2009年04月13日
ブライセンベトナム支社設立記念式典
晴天 夏日 夕方、小雨。気温下がる。
午前7時朝食。
精進ブン麺
午前9時、ベトナム事務所へ。
今日は、日本のIT企業「ブライセン」ベトナム支社の
設立式典。
ベトナム事務所にて
1年前から「子どもの家」卒業生のVU君、そして関係者の
THI君をブライセンに派遣し、ブライセンの「組み込み」
の研修等を行ってきた。
この度、機が熟して、ブライセンは、ベトナムに支社を
作ることになった。
ベトナム事務所の3階に支社を作り、私が支社長。
VU君・THI君が社員ということになる。今後、更に
社員を増やす方針。
ブライセンの仕事は、日本の携帯電話の40%の
アプリケーションを作っている事だけ見ても
大きな仕事をしている。JRのソフト開発、
SONY、パナソニック、オムロンの医療ソフト開発、東芝
など日本の携帯電話その他、ITソフトを使っている
多くの会社のソフト開発などを手がけている。
資本金は8億円。年商33億円、従業員100人強の
会社である。ロシア、韓国、アメリカなどに現地法人や
提携会社を持っている。
今回、ブライセンがフエに支社を作ったのは、「子どもの家」支援
という大きな目的がある。同時にブライセンとしてのアジア進出
という企業の目的もある。
ブライセンの藤木社長とは10数年前からのお付き合い。
既に5回以上「子どもの家」を訪問し、支援を続けてきてくれている。
今回も「子どもの家」の卒業生のVU君や優秀で能力を
持ちながらも仕事のない若者を採用し、日本の進んだIT技術を
伝え、ベトナムのフエにIT技術を普及させることが目的である。
ブライセンベトナム支社の社員と小山
(新しくブライセンベトナム支社の看板も出来る)
午前10時、フォンザンホテルにて「ブライセンベトナム支社
創立式典」を開催。
ベトナム事務所員全員で
ブライセン本社藤木社長・森田社員とブライセンベトナム支社
小山・THI・VU社員。
日本語の先生方
午前10時10分、バオミン・JASSベトナム運営委員長と
イックホアンフエ市人民委員会国際交流センター副所長
の司会で「式典」は始まる。
はじめに司会から「開会の言葉」があり、続いて、
ブライセン本社藤木優社長より「ブライセンベトナム支店開設」
の意味、ブライセンの業務内容等を含めた挨拶があった。
パワーポイントを使っての説明には説得力と業務内容についての
十分な説明があり、参加者がブライセンがどんな会社かが
理解できた。
続いてブライセンベトナム支社長に就任した私の方から
今回のブライセンベトナム支社設立の意義について
説明する。
今回のブライセンベトナム支社設立は、ブライセンの
業務拡大・収益向上という企業としての意味がある
一方で、JASSへの大きな支援という意味がある
点を強調した。本来ならIT関連の企業が林立する
ホーチミン市にブライセン支社を設立すべきである。
様々な点でブライセンとしては、有利であることは
間違いない。それを敢えてIT環境の悪いフエに
支社を作った所に今回の支社開設の一つの
大きな意味があることを説明。同時に「子どもの家」の
卒業生や生活困難な家庭の師弟で有能な若者
にブライセンの組み込みなどのIT技術を教え
自立した生活が出来るようにすることにJASSとしての
意義を見つけていることも述べる。
ブライセンベトナム支社設立記念式典会場
続いてフエ市人民委員会を代表してヴィンフエ市長より
ブライセンベトナム支社設立に対するお祝いの言葉
マン・フエ省共産党委員長よりの口頭メッセージ披露。
最後にチャンフエ省商工副局長よりブライセンベトナム支店開設の
ライセンの手交があり、記念式典を終了した。
藤木ブライセン社長とヴィンフエ市長
午前11時前、ブライセンベトナム支社開設記念式典は無事終了。
続いて会場を変えてフォンザンホテル旧館の「ホアマイレストラン」
でブライセンベトナム支社設立記念パーティーを開催。
藤木社長の乾杯の音頭でフエ省・フエ市・JASS・「子どもの家」
など関係者の交流が始まる。
藤木社長・リンター担当の森田社員
ヴィン市長・ニエン国際交流センター所長・藤木社長・森田社員
・バオミンJASSベトナム委員長・・・・
藤木社長より参加者へブライセンの記念品など贈呈
全ての式典終了後、
午後3時から藤木社長・森田社員と一緒にJASSビル
3階に開設されてブライセンベトナム支店事務所を参観。
まだ準備の途中の部分もあるが、早速インターネットを使って
仕事にとりかかっている。
引き続いて王宮見学。「子どもの家」視察。
午後6時半、日本料理店で夕食。
午後7時半頃、地元フエテレビで今日午前中行なわれた
「ブライセンベトナム支社開設記念式典」の模様が
放映された。かなり詳しく式典の様子を内容等を
報道していた。地元フエにとっても最先端のIT技術を
扱う会社が進出したことに歓迎の気持ちが込められている
報道内容だった。
2009年04月12日
日本人訪問者来訪
午前中晴天。真夏。気温30度。午後3時雷雨。
午前7時起床。
午前8時、朝食を摂りに「フォー」のお店に行く。
「PHO GA」(鶏肉入りフォー)を食べる。フエで一番美味しい
フォーの店。1杯20000ドン(120円)。ちょっと前までは
5000ドン(30円)くらいだったのだが。一気に4倍に
値上がりしている。ベトナム庶民の暮らしは超インフレと
物価高、庶民の生活物資の高騰に苦しんでいる。
とはいえ、「PHO GA」(フォーガー)は美味しい。
その足で「子どもの家」へ。「子どもの家」の破損状況を調査する。
昨年、従兄弟の長島夫妻にA棟の全面改修をしてもらった。
B棟の傷みは相当酷い。1995年、日本政府ODAで建築
されて既に14年たっている。ペンキの剥げ、カビでの汚れ、
雨漏りなどで相当破損が進んでいる。
特に厨房の汚れと傷みはひどい。練炭を使っての食事作りの
ため、厨房中が真っ黒に煤でよごれてしまう。
何故か知らねど、リー君が「子どもの家」入り口に
おいていあるオートバイに座っていた。
リー君に取っては、「子どもの家」が我が家なのだろうか?
午前11時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。
読書。今日1日で何とか「日本資本主義発達史」を
読み終えたい。
「ハイリーホテル」に戻ったら、停電。しばらく、「温室」内で
読書。
午後12時半、昼食を摂ろうとしたが、何も食べるものがない。
外食もイヤだし・・・・。
戸棚を見ると1年ほど前に買ったベトナムのカップ麺があるので
食べてみる。かびてはいなかったが、スープ用の袋はベトついていた。
2口ほど食べるが「まずい」。新しいカップめんでも美味しくない
のに、やはり1年前のものは、「賞味期限切れ」か?
2口で捨てる。
引き続き読書。
午後2時45分、ベトナム風ほか弁を買いに行く。
空が真っ黒になる。今にも豪雨の予兆。
急いで「ハイリーホテル」へ戻る。
午後3時半頃から雷雨。雨。気温が急に下がる。
メールの受信。必要なメールの送信。
読書。
午後6時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒になりフエ空港へ。
午後7時40分、2人の日本人の来訪者を出迎え。
その後、市内のホテルへ。
チェックイン後、ホテルのレストランで日本人と一緒に
フエのビールを飲む。
「ハイリーホテル」帰宅、午後10時半。
京都の皆さんから「宇治川」の桜の映像が届く。
平安末期、木曽義仲と源義経の「宇治川の戦い」の
古戦場。今は、桜満開の絶好のシーズン。
ACCL渡辺さん・「アクセサリー研修センター」指導員Tさん・Kさん帰国
気温30度。通常の4月の気候に戻る。
体調は80%程度回復。正規の仕事に復帰。
午前7時朝食。
毎週土曜日、大塚さんは「オアシスの会」の仕事として
船上生活者たちの無料医療支援にいくため、早朝
「ハイリーホテル」を出発。朝食を摂る時間がない。
フォン川の中州にJASSが作った船上生活者向けの
夜間の「識字教室」がある。
その教室を利用し、140名近くの船上生活者が
やって来て、体の不調を訴え、10人近くの医師、
看護師などの治療を受け、無料で薬をもらっている。
最近は気候の変動が大きく、風邪の症状の人が多いとのこと。
朝食は私の好きな「ブンボー」。
午前8時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと来週の打ち合わせをする。
「アクセサリー研修センター」の今後の課題についても
打ち合わせをする。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。2ヶ月近く
スタディーツアーなどがあり、ベトナム事務所員会議が
できなかった。今日もフエ高等師範大学の石上先生・
中島先生は大学の行事があり欠席。
各自、この2ヶ月間の仕事と問題点などを発表。
今後の課題などをバオミンさんから提起。
来週行われる行事についての細かい打ち合わせを行う。
午前11時半、昼食。
まだ少しからだがだるい。本調子ではない。
午後12時半昼寝。
午後2時半読書。「日本資本主義発達史」(野呂栄太郎著
岩波書店)
明治維新の経済的な評価。不十分なブルジョワ革命。
同時に封建的生産関係化を資本主義的な生産関係に
大変革した革命でもあったと分析。
明治維新の革命の推進力は下級武士と農民、大商人たち。
下級武士は秩禄処分で最終的には小農民や賃金労働者へと
没落していく。農民は土地の私有と分割を認められたが
同時に地租改正(地価の100分の3)により、25%の
貨幣による税金を取られ、小農民を中心に多くの農民が
土地を売って労働者へ転化いていく。
こうして、下級武士、農民が労働者群へと転化し、
資本主義的な生産様式を絶対的軍閥政府fが国税を使って
海外から導入。日清戦争・日露戦争を経て日本は後発の
独占資本主義国の仲間入りを果たす。
こうした中学・高校で学んだ歴史の事実を、野呂は
日本資本主義がどのように発達してきたのかという
縦糸の視点をしっかりと通した上で、マルクス経済学的に
明治維新・明治から大正へかけての具体的事件事実を
分析している。自由党の設立。自由民権運動が何故挫折したか
。再度できた自由党が伊藤博文を総裁に据え、政友会へと
変身していく過程を辿る。原始蓄積のカラクリを証明。
午後4時前、ベトナム事務所へ。ある仕事。
午後5時半、バオミンホテルへ。ACCLの渡辺和代代表が
帰国する。ソン君と一緒に見送り。フエ空港へ。
今回のフエ訪問で、小児白血病のこどもたちの延命に向けて
多くの教訓を得たと言っている。医学的な治療法・薬もさること
ながら、日常的な衛生問題。還元すれば感染症対策を
しっかりすることで小児白血病のこどもたちの延命に大きな
効果が出ることが分かったとしている。
ACCLのように何度も何度も現地へ足を運び、打ち上げ花火を
あげるような派手な支援ではなく、文字通り草の根の
支援を行っている。
フエ空港には「アクセサリー研修センター」レベルアップ指導員の
TさんとKさんを見送りに税田さんも来ていた。
「アクセサリー研修センター」では、今回、ブレラのTさんとKさんが
2週間近く、アクセサリー研修を更にレベルアップする指導を
丁寧に行ってくれた。こどもたちも新しいレベルの研修なので
最初は多少とまどっていたようだた、徐々に慣れてきたようだ。
アクセサリー研修のレベルが更に上がることを願っている。
忙しい中、わざわざフエまでお越し頂き、こどもたちに
新しい更に高度のアクセサリー技術を伝授してくれたTさんと
Kさんに心から感謝したい。同時にTさん、Kさんを派遣して
くれたブレラの花田啓一社長に感謝。
渡辺和代さん・ブレラのTさん・Kさんを見送り日本料理店へ帰る。
午後7時過ぎ。夕食。既にこどもたちと日本人の先生方は
夕食を終わっていた。私、税田さんと夕食。
2009年04月10日
「アクセサリー研修センター」レベルアップ研修最終日に近づく
気温30度 久々に暑くなる
昨夜から今朝まで10時間熟睡。
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー
午前8時半、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ迎えに来てくれる。
バオミンさんと一緒に「アクセサリー研修センター」へ。
「アクセサリー研修センター」では、ブレラの写真TさんとKさんの
心こもる、粘り強い指導でこどもたちの技量も少しずつアップしている。
ブレラのアクセサリー指導は世界水準のもの。かなり高度な
アクセサリー技術の基礎を教えてくれている。
一部の製品
午前11時半、昼食
体調が万全ではない。70%程度の回復。
午後は「ハイリーホテル」で休む。
読書「日本資本主義発達史」(野呂栄太郎著)
午後4時半、床屋へ行く。どういう訳か満席。
1時間待たされる。
午後5時50分、床屋終了。120円。
午後6時、「アクセサリー研修センター」の指導をして下さった
Tさん・Kさんが明日帰国される。今夜が最後の夜。
ベトナム事務所としてお礼を込めて晩餐会を開く。
私、バオミンさん、税田さん、ソン君でTさんとKさんと
夕食。
ブレラのTさん、Kさんに感謝。
その足で「ハイリーホテル」へ帰宅。午後9時過ぎ就寝。
まだ体は本調子ではない。
2009年04月09日
体調、少し回復
終日曇り・昼頃一時、太陽が出る。
気温24度。湿度75%。
風邪の薬が効くのか?夜飲む1錠の睡眠剤と思われる薬。
昨夜午後8時に寝て、今朝午前6時まで眠った。
午前7時、朝食。
青豆ご飯のおかゆ。
午前中、バオミンさんと電話でいくつかの重要な打ち合わせ。
日本の関係者に長文のメール送信。
疲れる。ベッドに横になる。
読書。「日本資本主義分析」読了。
かなり特殊な書き方をする筆者である。
明治維新から1930年頃までの日本資本主義を
いくつかの「型」を作り、その方にはめて分析している。
本書の特徴は、マルクス・レーニン主義を機械的に適用
するのではなく、具体的に日本の現実を数量的に
分析し、具体的な日本社会の現実の特殊性を分析しながら
日本資本主義を分析しようとしているように思えた。
日本資本主義の特殊性は、軍事優先、半農奴的な農業
を基調とした欧米型資本主義とは異なった日本型資本主義
としている。
かなり機械的・学術的過ぎるように思えた。
午前11時半昼食。
午後、2時間ほど横になる。
いくつかのメールを書く。
税田さん・バオミンさんと電話でいくつかの問題を打ち合わせ。
熱が下がる。37度弱。
読書「日本資本主義発達史」(野呂栄太郎著:岩波書店)。
戦前の漢字を使っているので多少、読みづらい。
山田盛太郎の「日本資本主義分析」も同様。
本書は慶応大学経済学部で野坂参三、小泉信三などから
マルクス主義を学んだ経済学者であり、戦前最後の
日本共産党指導部にいた共産党員。1934年品川署にて
死去。
氏姓制度・大化の改新からの階級制度から日本の
経済分析を始めている。生産力と経済関係の矛盾が
どのように形で現れ、社会が次の時代へ進んだかを
具体的な経済指標・数字を使って説明している。
1930年頃に労働者への教育にために資料を
作ったと言っている。
山田盛太郎の「日本資本主義分析」は、当時の
一般労働者には到底読みこなせない、難解な
語彙を多用し、「型」とか「範疇」などとう独特の
概念を使っての日本資本主義分析なので
純学術論文のように思えたが、野呂栄太郎の
本書は、非常に具体的な記述となっている。
午後6時半、ハイ君が夕食弁当を持って来てくれる。
二の「タッパー」にそれぞれ「天ぷら」が入っていた。
それにスープ。ご飯なし。ハイ君が間違えたのだなと思い、
天ぷらだけ食べて、夕食を終わる。
午後8時過ぎになってハイ君が私の部屋へやってきた。
さっきの天ぷらを一つ返して欲しいという。
あぶらっぽいので二つも天ぷらは食べられない。
残しておいた天ぷらタッパーをハイ君に渡す。
風邪で体調を崩しているので、さすがに脂っこい
天ぷらをタッパウエヤー二つは食べられない。
まだ体がだるい。体の節々が痛い。
薬を飲んで横になる。
午後8時半就寝。
今日、火炎樹日記に「プロフィール」と「講演会日程」を
新たに書き込む。講演会は1997年頃からのものが
入っている。この10数年間、日本へ帰国しても
本当によく講演会もし、人とも会ったものだと
我ながら感心する。
2009年04月08日
発熱
曇り 気温23度 湿度80%
明け方から倦怠感。咳。
午前7時朝食。
中島先生体調を崩し朝食欠席。
マカロニのスープ。
午前8時、バオミンさんと電話でいくつかのことを打ち合わせ。
体が更にだるくなる。体温を測る。37度ちょっと。
受信メールをチェックし、必要な返信を送る。
ある件について原稿を書く。
起きているのがつらくなり横になる。
午前11時半昼食。
中島先生、復帰。
あまり食欲はないが、頑張って食べる。
午後1時。検温。38度。
午後2時に「ベトナム中部小児白血病父母の会」に
参加する予定だったが、咳が酷く、動くのがつらいので
バオミンさんに電話をし、欠席する。
夕方までうつらうつら寝ている。
一軒隣で家の新築工事中。工事の音がうるさい。
数件隣でトタンかブリキの古いものをかなづちで叩き
何かを作っている家内工業的な家がある。
朝から晩まで金槌でトタンを「ガンガン」叩く。
その音が、頭に響く。犬の鳴き声が頭に響く。
体調が良い時は全く気にならない音が、今日はやけに
うるさく聞こえる。寝ていられないほどの障害音となる。
午後4時半。大塚さんに電話。夕食を日本料理店で
摂れないと話す。
午後6時過ぎ、大塚さんが作ってくれた夕食のお弁当を
中島先生が部屋まで持って来てくれる。美味しい。
今回の風邪は下痢が伴わなかったので助かる。
咳が酷い。痰が黄色くなっているのでこの風邪も収束に
近づいていると思われる。
かび臭い部屋で一人1日寝ていた。数日経てば
体調は回復するのではないかと思う。
午後9時、近くの飲み屋だろうか、大音響でカラオケが
始まった。30分続く。
その後、フエ師範大時代の教え子から電話。
2009年04月07日
風邪を引く:自民党坂本組織本部長の核武装・国連脱退発言を糾弾する
気温20度。湿度80%
寒い。
午前5時読書。「日本資本主義分析」
午前7時朝食。
精進ブン麺。
典型的な風邪の症状。鼻水、倦怠、咳(喉から胸)、頭痛
2月17日にフエへ戻ってから本当に休む暇がなかった。
体力と抵抗力が消耗していた。
午前中、部屋で休む。
バオミンさんと電話でいくつかの問題を連絡。
ピースインツアーとメールで連絡。いくつかの件に
ついて意思統一。
ACCLの渡辺和代さんと連絡。
午前中はできるだけ横になっていた。
昼、ベトナム事務所スタッフが風邪の薬を買って来てくれる。
午前11時半昼食。
中島先生も体調を崩す。気温の高低が激しい。
午後12時過ぎから寝ている。体がだるい。体の節々が痛いむ。
午後3時半、小雨の中、ベトナム事務へ。
JASSの里親担当をしてくれている渡辺和代さんと懇談。
里親会費などを頂く。
その後、ACCL(アジア・チャイルド・ケア・リーグ)代表
としての渡辺和代さんとベトナム中部小児白血病支援プロジェクト
について話し合う。1時間半。
午後5時半、近くのほか弁屋でほか弁を買い「ハイリーホテル」へ。
簡単な夕食を摂って午後8時に寝る。咳と鼻水、倦怠感は
治らない。数日かかると思われる。
自民党の7日の役員連絡会で坂本剛二組織本部長が
北朝鮮のミサイル発射に対し、「日本も核保有すべきだ」と述べた
と報道されている。
坂本氏は「向こう(北朝鮮)は核を保有している。
日本も『核を保有する』と言ってもいいのではないか」と述べ
、国連脱退にも言及したという。
おそるべき発言である。北朝鮮が核を持ったら、日本も核を持ち
核戦争でも行う気なのだろうか? 人類死滅。
坂本氏の暴言は狂気の沙汰である。
オバマ米大統領は五日、チェコのプラハで行った核兵器に関する
演説で、「核兵器のない世界」の実現に「核兵器を使用した唯一の
核保有国として、米国には行動すべき道義的責任がある」と
述べている。
オバマ大統領は「核廃絶は無理だ」という議論を
「生かしてはおけない敵」とまで言い切っている。
世界の流れが核廃絶に向けて一歩でも進もうとしているとき、
政権政党の組織本部長という要職にある人物が
「日本の核武装」「国連からの脱退」などと発言するこ自体
妄言としかいいようがない。日本中の世論で徹底して
糾弾する必要がある。思想信条は違っても、核廃絶、
二度と核兵器を使わせないとう人類の悲願に真っ向から
挑戦している自民党坂本組織本部長の議員辞職と
国民への謝罪を要求する。
7月8日朝のインターネットでの各新聞の報道は
読売新聞だけが坂本氏の発言を報道していた。
朝日、毎日、東京ともインターネット紙上では
一切触れていない。本来、社説で糾弾すべき
暴言なのだが。マスコミの対応も生ぬるい。
去年から「何故、日本はアジア太平洋戦争に突入したのか?」
を考え、関連する本を結構読んだ。あの戦争は阻止できな
かったのか?
歴史に「もし」はないのかも知れないが、それでも1930年
以降、何度も戦争を阻止すること、アメリカとの和解・妥協
をするチャンスはあった。
外交である。結局、軍部の精神論・強硬論に外交が負けた
ともいえるのである。
昨今の北朝鮮のミサイル発射問題も「強硬論」ばかりが
目立ち、外務省・外交官は何をしているのかが見えない。
ドイツの軍事研究者クラウゼビッツは「戦争は政治の延長
にある」といっている。外交交渉こそ最大の武器なのである。
北朝鮮問題も結局はアメリカ・中国・ロシア・韓国・北朝鮮
の「6者協議」という外交の舞台での総決算が必要なの
であって、核武装や国連脱退など稚戯の類である。
外交という高度の政治ができないわが国である。
外務省が霞んで見えなくなっているかに思える。
今こそ、外務省・外交官が外交と言う武器で協議・話し合い
交渉し、世界の世論をリードする気概を持って欲しいもので
ある。自衛隊の暴走を黙認していたのでは、外交官・外務省は
必要ないといわれても仕方がない。鈴木宗男・佐藤優、
田中真紀子などとの泥試合では、存在を示した外務省ではあるが、
今こそ、本来の意味での存在を示して欲しいものである。
2009年04月06日
各種仕事:打ち合わせ
気温22度 湿度90%
終日霧雨。
午前5時起床。
読書「日本資本主義分析」。読んでいくうちに引き込まれる。
非常に知的に面白い本。具体的な資料が満載されている。
一方的に自己の主張をきめつけるのではなく、歴史と
具体的な資料を提示し、自説を説明する態度は、科学者。
私の知らなかった明治維新以後の日本資本主義の生成・
成長過程がつぶさに分かる。
日本語教師の3人は、今朝ラオスから帰る予定。
午前7時朝食。
キャッサバ麺。美味しい。
午前9時、雨の中徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面のいくつかの問題について協議。
意思統一。
気温の変化が大きい。朝から体がだるい。鼻水が出る。風邪気味。
イソジンでうがいをする。
「ハイリーホテル」のインターネットの力が弱い。
朝からインターネットがつながらない。ベトナム事務所で
インターネットを接続。メールの受信・送信。
午前11時、ベトナム事務所から徒歩「ハイリーホテル」へ。
30分。
午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。ラオス旅行に
行った日本語教師3人が無事帰国。安心。
ラオスで色々と体験したようだ。お土産に「ラオビヤー」
をもらう。やはり大勢で食事をすると美味しい。
午後12時半から1時間昼寝。
読書。「日本資本主義分析」
午後3時。ベトナム事務所に飾る看板の原案を作る。
午後4時、メールの受信・送信。
高校同級生の五井君からメール。6月20日~28日まで
フエ →ハノイ →ラオスへの高校のクラス旅行をしたいとのこと。
不思議な縁である。16歳から18歳の3年間同じクラスになった
仲間である。その後、43年間、これと言った付き合いがあった訳
ではないが、高校卒業後、43年にしてフエ・ハノイ・ラオス旅行を
しようという高校の仲間がいることに感謝している。
五井君という不思議な同級生のいることもこうした旅行ができる
理由の一つである。五井君とは私の自宅も近く、時々、高校時代
家にいったことがあるが、そうした際は、大体「悪いこと」をしていた
記憶がある。クラスで一番最初に結婚したのも五井だと思う。
私が大学時代である。私はスーツを持っていなくて、皮ジャンの
上着とズボンをはいて、小金井市から志村坂下の結婚式場へ
行った記憶がある。こうした仲間がいるからこそ43年間も
「冬眠していた」高校の仲間がこうした集まり、フエ →ハノイ →
ラオス旅行をすることができるのだ。
私たちの某都立高校(現在既に廃校)は、3年間クラス替えがない
高校であった。卒業後、43年。私がベトナムで、Y君・T君・S君が
ラオスで、Mさんがキューバで生活している。結果的には
非常に国際的に目が開かれたクラスであった。
クラスの幹事長(これは公式ではないが)の五井君に感謝する。
午後5時雨の中、ベトナム事務所へ。
午後5時半こどもたちと一緒に夕食。
夕食はミット(ジャックフルーツ)の未熟なものを炒め煮込む。
海老の頭のから揚げ。美味しい。
午後6時半、静岡大学農学部の卒業生でフエの山で
炭を作り、農薬にする仕事をしている方が日本料理店へ
来店。JASSの歴史と静岡大学とJASSの関係を説明。
税田さんと色々な話をしながら夕食。
午後9時、閉店。
風邪を引いたようだ。
2009年04月05日
洗濯・靴洗い・部屋の掃除
気温24度。終日曇り。
午前6時から読書。「日本資本主義分析」。
後発組の日本資本主義の特色は軍事的なものだと山田教授は言う。
鉄道、通信、軍需産業等の発展の歴史を詳細に分析し、これらが、
日清・日露戦争を通して軍事目的に整備され、そのことが
日本資本主義の原始蓄積の基礎となると分析。
日本資本主義が「軍事的半農奴制金融資本」に発展した
軌跡を辿る。
午前8時起床。
洗濯。昨夜から洗濯機を使っていたのだが、乾燥の調子が
悪く、2回ほど乾燥を使いなおす。
同じく、昨夜から洗剤を入れたお湯につけておいたスニカーを
洗う。静岡のTさんから頂いた「布団乾燥機」を使い靴を乾燥
させる。終日曇りで靴が乾かない。
厚手のビニール袋の端を2箇所ハサミで穴を空け、濡れた
靴を入れる。布団乾燥機のホースをビニール袋に固定し
1時間ほどで靴は乾燥した。
「京滋YOUの会」の紹介でもらっている京都府の「虹の輪」募金
の2008年度の活動報告書を書く。「子どもの家」・盲学校、
省「子どもの家」のこどもたちの年間4回の定期健康診断。
忙しくて、しばらく部屋の掃除をしていない。部屋の掃除を
する。床の掃除、荷物の整理。風呂・トイレの掃除。
北朝鮮の実験通信衛星「光明星(クァンミョンソン)2号」を
搭載したロケット「銀河(ウンハ)2号」(北朝鮮発表)が発射
された。日本への被害はなかったようだ。
今回の北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射はアジアの
危機と脅威を増大させるものであり、その発射実験に
抗議する。
今回の北朝鮮の長距離弾道弾発射騒動を利用して
自衛隊の暴走と無能ぶりが露呈された。
昨日、誤報の「発射情報」が自衛隊から出された。
報道によれば、自衛隊は2度にわたって誤りの
情報を流している。
1931年の柳柳湖での張作霖爆殺そして満州国の
「樹立」、1945年までの日中戦争にいたる日本軍の
嘘と暴走を想起する。軍部の嘘と出鱈目に満ちた
情報を新聞も流し続け、国民を騙した歴史を私たちは
想起すべきである。
今回、北朝鮮のミサイルの破片が日本国土に落ちるとの
恐怖心を煽り、イージス艦などので迎撃体制をとった。
北朝鮮は「迎撃」したら、宣戦とし、戦闘体制に
入ると宣言している。
ある意味で戦争一歩手前まで煽り立てた北朝鮮の
ミサイル発射騒動である。
自衛隊は2回にわたり誤報を流した。政府は文民統制を
発揮できず、自衛隊の情報を垂れ流しした。
自衛隊は国土と国民を守る能力がなく、嘘の情報を2回に
わったて国民に流した。自衛隊は、国民の命に直結している。
今回、北朝鮮の落下物があったと嘘を言って「迎撃」したら
北朝鮮は日本本土の軍事指揮施設への「報復」を
断言しているので、日本への「報告攻撃」をする可能性も
なきにしもあらずであった。
防衛施設庁の汚職、守屋次官の汚職といい、自衛隊自体
「国民を守る」組織の体をなしていない。
今回の2回にわたるじ不祥事に対する厳罰が必要である。
防衛大臣の更迭。誤報を流した関係者全員の厳罰が
必要である。最高責任者である麻生首相の
責任問題も明らかにしなかればならない。
同日、ソマリアでは自衛隊の護衛艦が海賊対策でソマリア沖で
活動していた。自衛隊法82条による海上警備行動は正当防衛
以外の武器使用はできず、日本関係船舶以外の護衛もできない
が、シンガポール船からの救援無線を受けて、出動。
威嚇行動を行っている。明らかに憲法と自衛隊法違反である。
いまや自衛隊は世界中に出て行き、威嚇行為を行うことが
できるようになってしまった。海外派兵だけでなく、海外戦闘
行為すら行うようになってしまった。憲法9条の歯止めが徐々に
効かなくなってきている。
自衛隊の2度にわたる誤報といい、ソマリアでの自衛隊の
やりたい放題の違法行為は1930年代の関東軍の
嘘と当時の法律に基づいても「違法行為」の連続で結局、
1945年8月15日に至った経緯を想起させる。
政府が文民統制を果たさず、国民が軍部の勝手な妄動を
黙認していることは、アジア太平洋戦争の同じ過ちを
繰り返すことになることを憂慮する。
麻生首相は記者会見で「国民が冷静に対処して頂いた、
対応して頂いたことに関しては感謝してます。
ありがとうございました」と言ったそうだが、自衛隊・政府・
官邸が一番あたふたしたことだけは事実である。
午前11時。北朝鮮弾道弾問題を考えながら、フダビールを
飲む。昨夜の「フンヴォン祝いの会」の海鮮鍋の残りをブランチに。
午後1時半から昼寝。
午後3時、読書。
午後6時、夕食を買いに行く。ベトナムのほか弁。15000ドン。
(80円)。
午後6時半から読書「日本資本主義分析」(山田盛太郎著)
難解な語彙を多用しているが、読んでいくうちに難解語彙用法に
慣れる。一番興味を引くのは、自説を証明するための資料を
多用していることである。明治維新以降、日本の軍事関連の
技術がいかに急速に発展したかを具体的な資料で示している。
海軍は軍艦「薩摩」を作り、その発動機は世界の水準。
これはその後の長門、大和などに連動していく。
また、陸軍の銃器も世界水準に達する。こうして日本資本主義は
軍事最優先の「軍事的半農奴的資本主義」という特質を持っている
ことを具体的に証明しようとしている。
午後7時過ぎ、ACCLの渡辺和代さんから電話。現在、
フエに滞在中。JASSベトナム事務所での打ち合わせを
打ち合わせる。
午後8時過ぎ、ベトナム風ほか弁をおつまみにフダビールを
飲む。
「ハイリーホテル」の周りには、いくつもの「飲み屋」がある。
今夜も「呑んべい」が「1・2・3乾杯」と何度も大声で
繰り返している。平和なベトナムである。
最近、フエの町を歩いて富に「肥満児」や「メタボ親父」が
多いことに気づく。
中村雅俊の長男が大麻取締法違反の容疑で逮捕された。
この種の2世・3世の反社会的行動は枚挙の暇がないほどだ。
昔から「子孫のために美田を買わず」(西郷隆盛の詩)という
言葉がある。賢い親は、「親の七光り」でこどもを育てたりは
しない。小泉首相も美田の親の一人。親として、子どもが
「楽に世渡りできれば」との誘惑的な気持ちをもつことは
否定しない。しかし、である。人生はそんなに甘くない。
力がないのに重職に就くことで本人がその仕事を甘く見たり、
仕事に耐えられなくなる。親は我が子の特性と能力を
しっかりと見極める目を持ちたいものである。
日本の政治が腐りきっているのは、2世・3世・4世議員に
国会が独占されているからだといえるかも知れない。
安部・福田・麻生の2世・3世首相は国民の選挙の洗礼も
受けずにのうのうと首相に就任し、2人は途中で政権を投げ出す
という醜態を演じた。麻生首相に至っては、解散もできず、
と言ってこれと言った政策も実行できない首相ではある。
できれば最低暴言を吐かないで欲しい。黙っていて
早く解散をして欲しい。
2009年04月04日
「子どもの家」へ:日本料理店でフン・ヴォン(雄王)の祝い
今日はベトナムの伝説上の建国の王「フンヴォン(雄王)」の
祝日。
ベトナム建国神話は、中国の史書から来ている。
紀元前2880年、中国の帝明が仙人といわれる娘との間に
禄続を生む。帝宣に位を譲り、禄続を南の「赤鬼国(スイックキ)」
の王とした、禄続は神龍と結婚し、スンラムを産み、スンラムは
帝来の娘と結婚し、100人の男を生む。「百越」祖先。
スンラムは、奥さんに「私は龍でお前は仙人。水と火のような
ものだ。別れよう」といい、50人の男子は母へ、50人は
父に従い、そのまま南に残った。残った50人の長子を
「フンヴォン(雄王)」と名づけ、帝位を継がせてた。フンヴォンは
峰州を都とし、国名を文郎(ヴァンラン)としや。文郎は、
長子相続で世主はみな「フンヴォン」と名乗り、18代続いたと
いう。紀元前258年、タイオウに滅ぼされるまで2622年間
続き、フンヴォン王は一人平均146年間王位に君臨していた
計算になる。
1968年、雄王発祥の地とされるヴィンフー省で中石器時代
末期の遺構が発見され、ソンビ文化と名づけられた。
そのあと同地にバクソン文化・ホアビン文化が発見された。
狩猟・採取の文化である。きゅうり・豆の趣旨なども発見され
という。ホアビン文化はカンボジア、タイ、マレーシア、ビルマなど
でも発見されている。
ベトナムではフンヴォンのベトナム国の起源がホアビン文化
のあったヴィンフウーであることが強調され、中国人が南下して
ベトナムを作ったのではなく、「ホアビン文化や
ドンソン文化は東南アジア文化の発祥地」との主張をし、
「4000年前にベトナムを建国したフンヴォンが築いた
文化が紅河デルタのドンソン文化であり、インド文明、
中国文明とも違う文化の発祥地」と主張している。
数年前にフンヴォン王を祭ったフンヴォン廟の
祭りの日(旧暦3月10日)を祝日にした意味は、
対中国との政治的な問題を孕んでいる。中国離れを
意味している。
という訳で今日はベトナムでは数少ない「祝日」でる。
気温24度。湿度80%。
午前7時朝食。
昨夜から日本語の先生3人は、連休を利用して、ラオス旅行に
出かける。無事、帰国することを祈る。
午前8時半、ベトナム事務所は休みだがベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面の打ち合わせ。
税田さん、ソン君、クアンさんは、「アクセサリー研修センター」へ。
午前10時、「子どもの家」へ。
こどもたちの様子を見に行く。「子どもの家」も休日。
先生は医師のタムさんなど2人。
「ハイリーホテル」警備員のハイ君の弟は子どもが
好きなようだ。
こどもたちはパソコンの真っ最中。
午前11時半、昼食。
アヒルの玉子焼き、豚肉とえびの塩辛
午後12時半から1時間昼寝。
読書「日本資本主義分析」
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所前にリー君がいた。この春のスタディーツアー
では7回もナムドン山岳地帯へお客さんを案内している。
その仕事の実績を評価し、自転車を1台寄贈。
以前、ベトナム事務所で1台の自転車を貸していたのだが、
質屋に入れて、家出をした過去を持っている。
今回は、7回もの山岳地帯への仕事を良くやったので
その態度を高く評価した。再度の質入をしないことを願う。
自転車は日本とベトナムの合弁会社が作ったもので
「平和」と言う。
午後5時半、フンヴォン王祝日を祝い、日本料理店で
会食。大塚さんが、日本の「海鮮鍋」を作ってくれる。
〆はうどんとご飯。
●春菊や豆腐、春雨など各種の豊富な野菜類
●鶏肉とえびの団子
●ハマグリ、イカ、えび、鯛のような白身魚
「ハイリーホテル」住人のこどもたちもこの種の宴会は大好き。
生ビールを大ジョッキで飲む。
午後8時過ぎまでフンヴォンのお祝いの会は続く。
海鮮鍋は海鮮とトリ、えび、昆布などのだしがしっかりと
でていて美味しかった。
私は残りの鍋料理とうどんをもらい、明日の食事にする。
2009年04月03日
「アクセサリー研修センター」関連の仕事
終日曇り、時々小雨 気温22度。寒い。
午前7時朝食。ブンボー。美味しい。
第13回JASS静岡の会総会へのメッセージを書き送信。
関係者からのメールへ返事を書く。
午前9時半、小雨の中、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんは緊急な仕事でハノイへ。
ベトナム事務所で各種仕事を行なう。
今日は「アクセサリー研修センター」へ税田さん、ソン君、
クアンさんの3人が出かけている。バオミンさんはハノイ。
ベトナム事務所はハンさんだけ。
午前11時半、徒歩で「ハイリーホテル」到着。
昼食。
読書「日本資本主義分析」
昼寝。30分ほどしたら電話の音で目が覚める。
午後2時から2時間ほど、メールの送信。
マスコミ関係者、各地の会、支援者・・・・・。
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
ハノイのバオミンさんから電話。重要問題でハノイへ行ってもらったが
問題は全て解決したとのこと。ほっとする。
この腐りきった官僚国家の実態を明らかにしたいが・・・・・・・。
午後6時半、「アクセサリー研修センター」技術指導者の
TさんとKさんを招待して日本料理店で夕食会。
ハノイから戻ったばかりのバオミンさん、税田さんも参加。
この間のアクセサリー研修のご苦労に感謝し、乾杯をする。
「ハイリーホテル」帰宅午後10時過ぎ。
長い1日だった。
日本語教師の3人はラオス旅行へ。旅行の無事を
祈る。
2009年04月02日
「アクセサリー研修センター」研修
気温22度。寒い。終日小雨。
午前7時朝食。
キャッサバ麺
午前7時半、「アクセサリー研修センター」へ。
「アクセサリー研修センター」の研修生にいくつかの
話をする。
税田さん・バオミンさん・ソン君も一緒。
ブレラのTさん・Kさんの指導。
「アクセサリー研修センター」の帰りに「子どもの家」へ。
センさんと当面のいくつかの問題を話し合う。
「子どもの家」の近くにできた「チャオバインカイン」の店へ。
バオミンさんとチャオバインカインを食べていると
税田さんが通りを電動バイクで通る。税田さんも
誘ってチャオバインカインを食べる。唐辛子を入れて
食べる。本当に美味しい。
午後1時、「ハイリーホテル」へ戻る。若干「ハイリーホテル」で休息。
読書「日本資本主義分析」。
午後2時、メールの受信。必要な送信。
午後3時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんといくつかの
重要問題について協議。
午後5時半、税田さんを交えて、当面の重要問題について
話し合う。明朝、急遽、バオミンさんがハノイへ行くことを
決定する。
午後7時半、夕食。
既に日本料理店のこどもたちや大塚さん、日本語教師は
午後5時半から食事を済ませていた。私とバオミンさん
税田さんは、当面の緊急問題の対処をめぐって2時間ほど
協議。
午後7時半から夕食。大塚さん・税田さんと当面の
様々な問題について話し合いながら夕食。
日本人、欧米人などの来客あり。
午後9時、日本料理店閉店。
2009年04月01日
訪問者懇談・国際ボランティア貯金支援「アクセサリー研修センター」ステップアップ研修
気温24度 少し肌寒い 気候不順
午前7時朝食。
1週間ぶりに「ハイリーホテル」の皆さんと朝食。
午前8時、ベトナム事務所で訪問者と懇談。
午前9時、「アクセサリー研修センター」の指導者と打ち合わせ。
株式会社「ブレラ」の社員のTさんとKさんがベトナム事務所
を訪問。「アクセサリー研修センター」の更なるステップアップの
ための研修の強化のために1週間フエに滞在し、研修生への
指導をしてくれるとのこと。このプロジェクトは、「平成20年度
国際ボランティア貯金の交付金の配分を受けてのプロジェクト」
実施である。技術指導は、民間の株式会社「ブレラ」(花田啓一社長)
のご指導を頂いている。
「アクセサリー研修センター」指導者のソン君。バオミンJASS
ベトナム委員長、税田さんと打ち合わせ。
午後1時半、「アクセサリー研修センター」で一段高い
アクセサリー研修の手法を教えてもらう。
午後4時、フエ市人民委員会外務部長・副部長と懇談。
当面の諸問題を協議する。JASSへのいかなる不当な
攻撃にもフエ市人民委員会とJASSは共同して闘うことで
一致する。
午後5時半、日本料理店で夕食。
来客あり。
午後9時、閉店。
今日で春のスタディーツアーの全てが終了。

