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2004年07月31日

リー君の家へ→精進料理を食べる

午前7時朝食。(小山・もえ子・優子・文子)。
フエ名物「ブンボー)、豆乳・ヨーグルト。
午前8時半、LY(リー)君とベトナム事務所で落ち合い、自転車を買う。その足でKY君の仮住まいへ。
左(新たしい自転車に乗るLY君)
中(リー君の寝ている中2階の2畳部屋)
右(みんなで精進料理を食べる)リー君自転車を買う中2階の部屋精進料理

朝8時半にLY君と会い、自転車を買う。LY(リー)君は1997年のテレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」取材で「子どもの家」へ入所した子である。現在、JASS付属オートバイ研修センターでオートバイ修理の研修を行っている。「子どもの家」からは独立し、知り合いの近所のおばさん(親戚ではない)の家に仮住まいしている。
おばさんの家からオートバイ研修センターまで徒歩30分程。自転車はそのために欲しいとのことで買った。ドンバ市場近くの自転車屋へミンさん・サンさん・リー君の4人で行く。日本とベトナムの合弁会社で作った自転車(5000円)を1台買う。リー君は既に6ヶ月間のオートバイ研修を終え、あと半年で全ての研修を終了する。その後、オートバイ研修センター付属工場(馬渕モーター寄贈)で半年程実習し町のオートバイ修理屋さんに勤務し自立する予定である。
買った自転車でリー君の仮住まいへ。ドンバ市場の隣になる「無法地帯」に家はあった。ここはフォン川に面し貧困世帯が密集している。雨が降ると直ぐに腰まで水が出る地域でもある。
リー君の仮住まいは、この地域の真っ只中にあった。幅1メートル程の細い裏路地をクネクネと走る。ミンさんも一度来たそうだが、道が分からないと言っていた。
ヒエップさん(50歳)の家は幅6メートル、奥行き3メートル程の極狭い家であった。トタン屋根と薄汚れた板で出来たバラック。1階に小さな台所、ベッドが一つ。中二階を作っていた。そこにヒエップさんを含め5人の家族とリー君が住んでいた。
1台のベッドに2人で寝ているとのこと。ヒエップさんは夫が事情でいない。この家で駄菓子を売り、妹の路上の野菜売りを手伝い、1ヶ月6000円程の収入があるが、家族5人で生きていくには無理である。しかし、リー君を家に泊めている。心のあるベトナム人である。お金があり「地位」もあるベトナム人の特権階級の人々が、ストリートチルドレンや障害児にほとんど関心を示さないのとは対照的である。「心の豊かさ」と「物の豊かさ」とは関係ないようである。フエに住んで11年。むしろ、貧しい人の方が「人を助ける」という光景を多く見ている。フエでストリートチルドレン支援をして、人の生き方を学んだような気がする。
ヒエップさんに若干のお礼金を渡す。リー君は既に18歳。本人も「子どもの家」ではなく、ヒエップさんの家からオートバイ研修センターに通い自立したいといっている。オートバイ研修センターで頑張り、将来は小さなオートバイ修理屋を開業したいとのこと。
ヒエップさんにお礼を言い、リー君が横道にそれずにこのまま頑張ってくれることを祈る。この7年間、揺れに揺れたリー君ではあるが、こうして「真っ当に生きる」ことを手伝える喜びをかみしめる。

午前11時、内田さん、高橋さんの招待で「精進料理」を食べに行く。今日は旧暦の15日。ベトナムでは15日を含め、月に2回精進料理を食べる伝統がある。(「子どもの家」でも月に2回精進料理を食べている)
午前11時から午後1時半までベトナム事務所員全員と京滋YOUの会の水本さんを含め12人で精進料理を堪能。

午後6時から夕食。内田さん、高橋さんとも一緒。
午後7時過ぎから午後9時まで「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校、「子どもの家」の日本語教室を参観。新しい日本語教師、原さん、松下さんも元気に教壇に立っていた。


時々考えることがある。時代の中で人間は時に「自分が見えなくなる」ことがある。私自身のことでもあるのだが。
7月29日の巨人・広島戦の日本テレビ視聴率が9・7パーセントだったそうだ。既に「巨人王国」は滅亡している。15年ほど前から私の教えていた小学校でも「少年サッカーチーム」が出来、少年野球は学校と地域から消えていった。校庭でも野球遊びがなくなり、サッカーやバスケットが盛んになった。「巨人帝国」崩壊は20年近く前から社会の底流で遅々としてではあるが、しかし確実に進行していたのである。
 「札束球団」のオーナー「ナベツネ氏」が「たかが選手の分際で・・」(趣旨)との発言をしたそうだが、既に自分の足元が沈下し、崩落寸前になっている自分が見えなくなっている惨めな実態すら自覚出来なくなっているあわれな姿である。
ルーマニア無血革命で処刑された「チャウセスク大統領夫妻」と「ナベツネ氏」の映像が重なって見える。今、問題になっているのは、「1リーグか2リーグか」ではないはずだ。日本の社会でプロ野球が魅力を失ったということである。巨人を中心とした既得権を死守しようとする12球団のオーナーは、そうした「プロ野球が魅力を失った」という事実の認識をこそすべきなのである。野茂、イチロー、二人の松井などが何故アメリカ大リーグに行ってしまったのか? 自分の利権を擁護するのに汲々としている間に、プロ野球総体が沈没してしまうのである。そして現実にそうした流れは急流となり奔流となっている。

 自民党橋本派会長の橋本竜太郎氏が日本歯科医師会会長から1億円の小切手をもらったとのこと。本人は「1億円をもらったかどうか覚えていない」といっている。しかし、橋本派は政治資金収支報告書を訂正し「1億円の寄金」を明記した。
昨日、テレビを見ていると橋本派総会で橋本元総理は「橋本派会長の辞任と橋本派からの脱退」を行い、次期総選挙の小選挙区に立候補しない(比例代表には立候補する可能性あり)ことをもって『1億円小切手問題』の責任を取ったといっているようだ。
橋本元総理も「自分が見えなくなっている」。どこの世界に1億円の小切手をもらったかどうかを覚えていない人間がいるというのだ。同席した野中元自民党幹事長、青木元参議院幹事長も「覚えていない」と言っている。
世間の目は橋本派離脱で責任を取ったなどという「子ども騙し」の茶番を認めなどしない。
橋本氏や野中氏、青木氏はこれで世間の人々を納得させられると思っているようだ。
橋本氏たちも「ナベツネ氏」とコバンザメ11球団オーナーと一緒に「自分が見えない」ようだ。
今、社会は大きく変わって来ている。歴史的な大転換の時代である。こうした時に旧態然とした人々は「以前の経験」だけでものごとを処理しようとしてる。既に世間と社会の変化に乗り越えられている人々である。金属疲労集団の典型でもある。
現在の「裸の王様」ともいえようか?

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2004年07月30日

「子どもの家」の子どもたち→「タンタン温泉」で1日遊ぶ

午前8時過ぎ、「子どもの家」を出発。40分ほどのバスの旅で「タンタン温泉」に到着。

左(バスの中でも興奮気味)
中(タンタン温泉に到着)
右(温泉で泳ぐ)バスの中温泉につく温泉で泳ぐ

子どもたちは2時間泳ぎ続けた。驚くべきエネルギー。
左(水遊びする子どもたち①)
中(水遊びする子どもたち②)
右(水遊びする子どもたち③)泳ぐ2泳ぐ③泳ぐ④

泳いだ後は楽しみな「昼食」。
左(昼食①)
中(昼食②)
右(昼食③)昼食1昼食②昼食3

引き続き昼食。更に1時間泳ぎ。今度は「おやつ」
左(昼食④)
中(昼食を摂る内田・高橋・水本さん)
右(おやつ①)昼食④内田・高橋・水本おやつ1

おやつもお腹一杯食べる。満足
左(おやつ②)
中(おやつ③)
右(スタッフの皆さん)おやつ2おやつ③果物スタッフ

子どもたちは56月から8月末までの3ヶ月間の夏休みに入っている。
長い夏休みはとかく単調になるので、随所に様々なイベントを入れて、子どもたちが楽しく夏休みを過ごせるよう工夫している。
毎年、日本事務所の内田さん、高橋さん、柳沢さんが「海水浴」「温泉遊び」「バーベキュー大会」などを子どもたちへ寄贈してくれている。
今年は、タンタン温泉で水遊び。
タンタン温泉はフエ市が作った山の麓にある「温泉リゾート」である。
 夏休みで親族などの家へ一時帰省している一部の子どもたちを除いて全員が参加。大学受験が終わった3人の受験結果待ちの高卒の子どもたちも参加し、1日を温泉プールなどで水遊びを楽しんだ。
 9時半頃から11時半まで、温泉プールで遊ぶ。
プールの大型滑り台から滑って遊んだり、マットで遊んだりと、思い思いの仕方で水遊びを楽しむ。
ベトナムは学校等にプールがないので、水遊びは貴重な機会である。
午前11時半。昼食。もち米で作ったベトナムちまき。キャッサバに味付けエビをいれた「バインロック」など。
しばらく昼寝をし、午後12時半から1時間ほど、水遊び。水から出たあと、果物などのおやつを食べる。午後3時過ぎ、「子どもの家」へ帰着。
子どもたちやベトナム人スタッフ、日本人スタッフも満足し、少し疲れた「温泉行き」だった。
こうして子どもたちの人生のほんの一瞬ではあるが、子どもたちの心の中に「生きていることの思い出」を作ることが出来て私たちも嬉しい。
このプログラムを寄贈してくれた内田さんに深謝。

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2004年07月29日

フエ「帰国」初日。終日仕事で忙しかった。

朝5時起床。フエの夜明け。朝7時、久しぶりのフエでの朝食。
午前8時半、ベトナム事務所全員会議。

左(朝食)
中(ベトナム事務所全員会議①)
右(ベトナム事務所全員会議②)朝食ベトナム事務所員会議ベトナム事務所会議2

終日、活動が続く。
左(筑波大の原さんと懇談)
中(リー君と懇談)
右(リー君の近所のおばさん)原りー小山・おばさn

午前7時、朝食。ブンボー。もえ子、優子、文子。

午前8時半、ベトナム事務所員全員会議。
バオミン・ベトナム事務所長、ハン会計、ラーム・サン・フーンさんなどベトナム人スタッフ。
もえ子、優子、文子、原、松下、三津川。ゲストとして日本事務所の内田さん、高橋さん。
議題:
①小山(日本情勢報告)
②8月の日程と分担(提案:ミン)
③8月2日からの日本語ガイドコース開講式
 と今後の日本語学校の分担・授業計画、時程表
 (提案:もえ子

午前11時、昼食。食後、フエ伝統「シエスタ」(昼寝)。
午後2時半、ベトナム事務所へ。午後3時から筑波大学学生(日本事務所員の原さんと懇談。
午後4時半、研修生派遣支援事業関連会社社長と懇談。
午後6時夕食。小山、もえ子、優子、文子、松下、原、内田、高橋。
午後6時30分、リー君と近所のおばさんがトンチンカンホテルに来る。急いで通訳にミンさんを呼ぶ。リー君の近況と将来、近所のおばさんの家の泊まっている事などを話し合う。
リー君は1997年に「子どもの家」へ入所。4年間「子どもの家」にいたが、3年前にホーチミン市へ家出。今年になって「子どもの家」へ帰ってくる。現在、オートバイ研修センターで研修中。
現在お世話になっている近所のおばさんの家からオートバイ研修センターまで通う自転車が欲しいとのこと。明後日午前8時半に一緒に自転車を買いに行くことになった。

投稿者 koyama : 21:42 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月28日

ベトナムへ「帰国」ーフエ到着

朝6時半に家を出て、日暮里経由成田へ。(以下、日本時間)
午前10時成田発のVN機でホーチミン市へ。乗機率80%。午後4時過ぎホーチミン市着。気温30度。午後7時40分、ホーチミン市発。京都の水本さんと一緒になる。午後9時半フエ着。気温27度。空港には内田さん、高橋さん、ラームさんが出迎えに来てくれていた。
午後8時過ぎ、トンチンカンホテル着。
(フエ空港にて)フエ空港

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2004年07月27日

「地球の歩き方シニアボランティア体験ツアー」説明会

午前9時、自宅を出て新宿NSビル「榊原記念クリニック」へ。1時間半待ち時間。心電図、血液採取。1ヶ月ほど前に採取した血液では、中性脂肪が基準値の3倍。原因は推定ではあるが「飲みすぎ」。午後12時半全て終了。
午後2時から溜池山王にある「「地球の歩き方本社」で「シニアボランティア体験ツアー」説明会。
午後4時半終了。午後5時から巣鴨で支援者との懇談。午後8時過ぎまで。
明日は午前6時半出発で成田経由フエ。
(「地球の歩き方シニアボランティア体験ツアー」説明会)シニアボランティア説明会

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2004年07月26日

京都から東京へ。(株)山武へ支援要請

午前10時、京都駅付近のホテルレストランで神川さんと懇談。神川さんは元国際ソロプチミスト京都ー西山の会長。「子どもの家」のC棟1Fを寄贈を中心になって進めてくれた方。午前11時40分まで懇談。ごご12時30分過ぎの新幹線で東京へ。午後4時、渋谷の(株)山武へ。従業員6000人のビルディングオートメーション、産業オートメーション、ソシアルオートメーション機器、システムの製造、販売およびヒューマンケア事業の専門会社。1906年(明治39年創業)。
高校時代の級友の鈴木君が勤めている会社。鈴木君の紹介で社会貢献などを担当する広報室シニアマネージャと懇談。今後の「子どもの家」での支援を要請。午後6時過ぎ、懇談支援要請が終わり鈴木君のご馳走で飲む。帰宅午後10時。
写真(左:鈴木君 右:広報山口さん)山武

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2004年07月25日

京都国際センターで講演会

午前7時半に家を出て、東京駅へ。東京駅で原田虎太郎君と合流。午前9時03分発の「のぞみ109」で京都へ。午前11時23分京都駅着。駅には「京滋YOUの会」の藤井事務局長が出迎えに。
昼食を摂り、午後1時半から京都駅にある「京都国際センター」で「東南アジア講座」。

左(国際協力ステーション2004に参加した京滋YOUの会の皆さん)
中(子供の家:みやげ物店の刺繍販売)
右(特注の革靴を作る)京都ステーション2004刺繍販売靴の特注

午後1時半から「京都府国際センター」の「東南アジア講座」
左(小山講演)
中(ソロプチミスト京都ー西山へ感謝状)
右(120人の講演会参加者)講演する小山国際ソロプチミスト感謝状贈呈120名の参加者

講演会後、午後4時半から参加者と懇談会。
午後6時過ぎ、京滋YOUの会会員との懇親会。

左(講演会参加者との懇談会)
中(京滋YOUの会との懇親会)
右(京滋YOUの会春駒踊り披露)講演会後の懇談会京滋YOUの会懇親会京滋YOUの会春駒

京都駅では「京都府国際センター」などが主催して「国際協力ステーション2004」という海外ボランティアフェアーが行われていた。我が「京滋YOUの会」も参加。会員の女性がアオザイ姿で「子どもの家」での支援活動を紹介。「子どもの家」の写真、ベトナム事務所付属みやげ物店で作った刺繍などを販売していた。
午後1時過ぎに京都駅内にある京都府国際センターへ。センターには京滋YOUの会会員の妹さんで「靴の特注」をする方が待っていてくれた。私の足の形をとり、オーダーメードの革靴を手作りで作ってくれるとのこと。20分程、サイズなどを測る。
出来上がりは、11月の京都訪問時。

午後1時半から京都府国際センター会議室での講演会。主催は6つの東南アジア関連のNGO団体。
京都府国際センターの挨拶。4本のVTRを紹介しながら1時間20分程の講演を行う。会場は120名の方々で満杯。会場使用の最終時刻が3時半。
午後3時に講演会を終わり、表彰式と支援金贈呈式を行う。
フエ市長より「国際ソロプチミスト京都ー西山」への感謝状の贈呈を行う。ソロプチミスト京都ー西山は「子どもの家」C棟1階を寄贈、その後3人の子どもたちへの奨学金支給を続けてくれている。

続いて『京都国際センター:虹の輪募金」(11万9千円)を頂く。
株式会社VOWインタナショナルーコオーポレーションの今本顕依子氏より寄金(35万円)を頂く。
子どもたちのために友好に使わせて頂きたい。
京都国際サンター、今本氏には改めて感謝の気持ちを表したい。

講演会では質問等の時間がとれず、京都駅内の喫茶店で参加者との懇談会を行う。15人ほど参加。今日は京都府立中学校教員採用試験日であった。
理科の採用試験を受けた大学院生が、京都駅の「国際協力ステーション」でJASS京滋YOUの会の展示を見て、講演会に参加。その後の懇談会にも参加してくれた。

午後6時過ぎに京滋YOUの会会員との懇親会。会場は京都駅付近の料亭。秀明大学の石崎光夫先生をはじめ、中村巧代表、藤井事務局長など20数名。
京滋YOUの会は8月に「子どもの家」への交流ツアーを行う。ベトナムでの交流で疲労する「春駒踊り」を見せてくれた。午後9時半まで。
その後、藤井事務局長と税田さんと駅前のレストランで懇談。午後11時近くにホテルへ戻る。

中村代表、藤井事務局長を中心に京滋YOUの会の周到な準備で、今日1日の全ての会合は成功した。
京滋YOUの会を通して私たちの活動を理解する大きな輪が更に広がっていることを実感した。
疲れたが、爽やかな疲労であった。京滋YOUの会の皆さんに深謝。

投稿者 koyama : 04:34 | コメント (1) | トラックバック

2004年07月24日

1日中、申請書を書く

今日は朝8時から夕方5時までかかって、ある新聞社主催の国際協力賞への申請書を書いた。約2万字。必要なビデオのダビング、資料のコピーなど作った。

東京は35度。午後3時頃、夕食の買い物に行く。
それほど汗をかく訳でもない。フエで半年35度から40度の中で生活する事11年。身体が「暑さ」には十分慣れてしまっている事が分かる。

NHKプローデューサーが5年間に渡り4800万円ものお金を着服していたそうだ。しかも、3年前にはこの事実をNHKは知っていた。調査は未だ途中だそうで、一説では8000万円の着服とも言われている。私は日本へ帰るとラジオを良く聞く。NHKラジオは「NHKのラジオ・テレビは皆様方の受信料で作られています」(主旨)と繰り返し言っている。しかし、実際には「皆様方の受信料は職員の着服に使われ、贅沢な暮らしを支えています」ということになる。3年前にこの事実を知ったNHK幹部はその事実を国民にひた隠しにしていた訳である。
昨日、NHKは関係者の処分を発表した。
着服のプロデューサーが懲戒免職になるのは当然だが、直接の上司である部長が「出勤停止7日間」、局長が減給(内容は不明)。驚いたのは、海老沢会長が減給30%3ヶ月。我が「国営放送」の責任者のこの責任感のない態度。着服事件を知って3年間も何もしていなかったのである。一般常識からすれば当然「辞任」である。減給30%3ヶ月など殆ど意味のない処分である。「率先垂範」とはこういうことを言うのだと分かった。会長が無責任な組織は部下も無責任になる。海老沢会長の立派な「垂範」を部下が見習い着服したと言うわけである。
私はこの11年間に10数回のテレビ取材を現地で受けている。NHKが直接取材に来たのは1回だけ。「NHK教育 ETV2001」も実際には民間のフリーの下請け会社が製作したものをNHKとして放映しているのである。
民放や下請けのテレビ製作会社は、本当によく仕事をする。朝4時に「子どもの家」へ行き、子どもたちの寝起きの様子を取材し、昼食、夜の様子と朝から深夜まで取材する。ほとんど休みなく1日を過ごし、そうした取材を2週間ほどするのである。
たった一度のNHK職員(カメラマン)の取材を受けた。私の方で様々な取材先を紹介したが、結局1日1時間ほどの取材をし、色々な所の取材をして良い番組を作ろうという「職人」のような意欲が微塵も感じられなかった。「親方日の丸」という言葉がある。NHK職員は身分の給料を安定している。
しかし、民放の多くの番組はフリーの下請け制作会社が作っている。安い下請け料金の中でよい番組を作らなければ、次の仕事がもらえない。本当に「こまねずみ」のように働く。良い番組を作りたいという職人気質のスタッフが多い。私は取材に来たフリーの下請け製作会社のスタッフと取材後もお付き合いをしている。人間的な人が多い。

7~8年前にハノイ駐在のNHK支局長と会った。
彼は私に「僕はストリートチルドレンに興味がないです」と言うのである。私は「あー。そうですか?」としか答えようがなかった。
6月4日にハノイでベトナム政府から友好勲章の授与式があった。現在、ハノイには、日本から4つの報道機関が駐在員を置いている。私は4つの報道機関に6月4日の授与式の取材を依頼した。
NHKを除く3つの報道機関からは丁寧な返事が来た。NHKだけは何の返事もなかった。別に返事をする義務はないので私の方でも怒る気持ちはない。
しかし、民間の3つの報道機関の支局長は丁寧に返事をくれたのである。この辺にNHKの姿勢が表れているのではないだろうか? 国民の受信料で「取材させて頂く」という姿勢は微塵もない。
私などベトナムでNHKの海外放送を見ているが、年間の受信料が10万円もするのである。これは、NHKに支払っているのではないが・・。
NHKの衛星放送はタイからホーチミン市へ転送され、ホーチミン市から私の泊まっているトンチンカンホテルにパラボラで伝送されているのである。受信料はタイとホーチミン市の関連会社に渡っているのであるが・・。

2億円の当たり宝くじ券を福井県の災害支援に寄付した匿名の方がいる。NHK海老沢会長と好対照である。今の日本は社会的な地位と人間性は全く別物であることがよく分かる社会ではある。

投稿者 koyama : 18:09 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月23日

札幌から東京へ帰る

9日間の札幌ー帯広滞在が終わり、今日の夕方東京の自宅へ帰る。妻は「とにかく東京は暑くて暑くて、外に一歩も出られなかった」とこぼしていた。
講演会や国際ソロプチミスト帯広みどり、支援者の芳村さんとの懇談、札幌VOの皆さんとの懇談、ベトナムの「子どもの家」を支える札幌の会の小川道子さんとの打ち合わせなど、大きな成果あった札幌行きだった。この9日間で2キロ体重が増えた。
札幌の食べ物は何から何まで美味しい。食べ物以外にも「飲み物」も・・・・・。

投稿者 koyama : 21:18 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月22日

札幌VOとの懇談

午後、札幌VO代表の杉森さん、足立さんと懇談。
11月の「子どもの家」創立10周年記念行事の札幌版について話し合う。
(札幌VOの杉森さん、足立さんと)札幌VO

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2004年07月21日

札幌最低気温18度。

東京は連日39度の高温とのこと。札幌・小樽は最低気温17度から19度。寒い。長袖を着ている。私は寒さに弱い。
東京など40度近くの都市は「熱中病」で多くの人が入院したとのこと。フエでは半年は40度、湿度90%という環境で生活している。40度になったからといって
それほど大騒ぎはしない。日本人は40度という高温に慣れていないでの騒ぐのも理解は出来る。日本人が半年40度のフエで生活するということがいかに大変かは想像出来るというもの。フエで生活するだけで「闘い」なのである。
左(札幌の雨雲)
右(札幌も朝顔が咲き出した)札幌1日曇り札幌の朝顔

投稿者 koyama : 19:15 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月20日

1日、休息

今日は1日休息。20通の受信メールを読み、必要な返事を出す。
またこの間、宿題となっていた幾つかの問題の解答を出す。

曽我ひとみさん一家がジャカルタから日本へ来たとのこと。北朝鮮からジャカルタに入った時に曽我さんと「ブチュ」とキスをしていたジェンキンスさんは、足取りもしっかりしていたが、日本へたどり着いた時には、杖をつき、相当重病人のような感じであった。病状が「急変」したのだろうか?

曽我さんだけでなく、拉致被害者を見ていると政府に異常なまでに政治的に利用されているようで可哀想である。政府を敵にしたら家族が帰ってこないので、出来るだけ政府の言うがままになっているように見えてならない。7月11日の参議院選挙投票日の前の9日に北朝鮮からジャカルタに曽我さん一家を連れて来るなどは、その最たるものである。

曽我さんを日本へ運ぶ飛行機代金が1円だったとのこと(JALとANAの入札)。政府が抽選でJALを指名し、JALは5円で曽我さん一家の訪日の特別機を出したそうだ。JALもANAも1円で曽我さんたちを運ぶお金があるのなら、もう少し遣い方があるのでないのだろうか? JAL、ANAも日本政府や政治家も拉致問題を「利用して」いるようで、何か「臭い」匂いがする。

また、曽我さん一家のジャカルタでの滞在費用が1億円を予定していたとのこと。1泊20万円の特別室だそうだ。
邦人保護が日本政府の責任である以上、当然の事かもしれないが、この20年間、政府は拉致被害者を全く無視・放置していた責任はある。

イラクで誘拐された被害者の高遠さんや今井君などの救出費用が1800万円ほどだったそうだ。その大半は、逢沢副大臣など外務省関係者のクエート滞在費用だ。
政府は高遠さん、今井君には飛行機代の一部を請求している。どこか変である。

投稿者 koyama : 16:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月19日

札幌ビール園。札幌ドームへ

午前11時、札幌ビール園へ。
午後7時から札幌ドームの日ハムー西武戦を観戦。接戦の末、日ハムが逆転勝利。プロ野球の醍醐味を満喫。
帰宅10時50分。
サッポロビール園では前日日ハムファイターズが勝つと「ファイターズプレート」(1500円)が半額になる。札幌ドームには4万人の日ハムフアンが詰めかけ、息詰る試合展開を堪能。西武・松坂の出来は上々だったが、日ハムが8回裏の土壇場で逆転勝利。球場の日ハムフアン(大半)は大喜びだった。
左(孫とサッポロビール園へ)
中(半額になったファイターズプレート)
右(札幌ドーム球場)はなとビール園ファイターズプレート札幌ドーム球場

投稿者 koyama : 22:49 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月18日

小樽へ行く

午前10時、札幌を出て小樽へ。
1日、小樽を散策。腰痛再発。小樽「大和家」でお刺身、おすしなどを食べる。
左(小樽は紫陽花:あじさいの季節)
中(小樽運河にはたくさんの観光客)
右(小林多喜二を記念したお寿司屋も)紫陽花小樽運河すし屋多喜二

この間の疲れか? 腰痛。数日は、休養の予定。

投稿者 koyama : 22:20 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月17日

札幌で講演会

午前11時半、主催者とランチを摂っての打ち合わせ。
「市民自治を創る会」「キッズ・なかま」などの皆さんと。
講演会は午後1時半から札幌市教育文化会館で行われる。参加者は60名。

左(主催者の 山口 たか さん)
中(講演する小山)
右(会場参加者)主催 山口さん講演する小山参加者


私の講演後、参加者からの質問。講演会は午後4時に終了。会場からの2万円の寄金が寄せられる。
左(参加者)
中(司会の小林久公さん)
右(閉会の挨拶 クイン・明美さん)参加者2司会の小林久公さん閉会挨拶 クイン 明美さん

今回の講演会は今年の春、「子どもの家」を訪問された山口たかさんの呼びかけで始まった。山口さんは、大学で教鞭をとられているが、今春学生さんを連れて「子どもの家」を訪問され、今回の私の講演会に繋がった。
今日の講演会にも山口さんの学生さんは聞きに来てくれていた。
今回の講演会は山口さんが代表をつとめる「市民自治を創る会」とクイン・明美さんが代表をつとめる「キッズ・なかま」(子どもへの暴力をなくす運動)などが共催し開催されたもの。今日は両団体を含め多くの皆さんの準備で開催された。改めて感謝する次第である。
こうした機会にベトナムの「子どもの家」の様子やボランティアなどについてのJASSの考えや私の考えを発表できる機会を与えれれたことに感謝している。

投稿者 koyama : 18:05 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月16日

国際ソロピチミスト帯広みどりへフエ市長感謝状贈呈

午前9時、札幌発。2時間半。午前11時半帯広着。
フエ市長の感謝状を上野会長さんへ贈呈。27人の会員の皆様が参加。
その後、約1時間、「子どもの家」の様子、JASS活動の方針などを説明。

午後3時過ぎ、長年の里親であり、障害児支援者でもある芳村さんと懇談。芳村さんは「暖炉基金」を創設し5人の障害児の生活と勉学を支援している。

札幌帰着午後8時半。

左(ソロピチミスト帯広の皆さん)
中(フエ市長の感謝状贈呈)
右(芳村さんと懇談)ソロピチミスト帯広の皆さんフエ市長の感謝状芳村さんと懇談

国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんは、今後、「子どもの家」の子どもたちへの高校進学奨学金の提供を検討しているとのこと。

芳村さんは、今後10年以上、障害児への奨学金支援を行うとのこと。ありがたいことである。
こうして多くの日本の心のある方々に支えられて「子どもの家」やJASSは活動が出来るのである。感謝。

投稿者 koyama : 22:42 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月15日

札幌に着く

午前10時に家を出て羽田まで1時間半。午後2時40分、新千歳空港着。札幌まで快速エヤーポートで30分ちょっと。午後4時札幌着。明日は帯広へ。明後日は札幌市内で講演会。

ミン・ベトナム事務所長から連絡が入る。今日午前中、静岡青年交流会館で日本語学校「観光コース」の開講式があり大成功とのこと。日本語ガイドコース、レストランコース、レセプションコースの授業が始まる。
7月7日から新しい日本語教師の原先生、松下先生もフエに到着。5人の日本人教師、2人のベトナム人教師で150人のベトナム人学生へ日本語教育を行う。
7人の日本語教師の皆さん、ご苦労様。

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2004年07月14日

「シニアボランティア体験」説明会/木田・中村先生と懇談

「地球の歩き方」と提携し、表記「シニア」を対象としてボランティア体験ツアーの説明会を行う事となった。詳細は以下のHPをご覧頂きたい。

http://www.arukikata.co.jp/senior/index.html

今日は、1日メールの受信(19通)と送信(14通)で過ごした。
午後6時からは元帝京大学医学部の木田・中村教授と懇談。午後10時過ぎまで。
左(50年前父親と通ったパチンコ屋)
中(帝京大名誉教授木田先生)
右(同 中村先生)50年前に通ったパチンコ屋木田先生中村先生

元帝京大学医学部の木田先生、中村先生と懇談するためJR板橋駅経由で十条駅へ行った。
3才から11歳まで板橋駅付近の池袋の下板橋駅近くに住んでいた。50年前、小学校1年生、2年生の頃、父親と一緒に板橋駅付近のパチンコ屋によく行った。しばらくぶりでその付近を通ったら当時のパチンコ屋がまたあった。

中村先生は今年の5月から沖縄の那覇市に移住された。今日は、この懇親会のために沖縄から出てこられたとのこと。
木田先生・中村先生と諸問題を話し合う。

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2004年07月13日

静岡県伊東市対島(たじま)中学校講演会

午前9時に自宅を出て東京駅へ。新幹線で熱海。
熱海から伊豆急で伊豆高原駅着午後12時10分。自宅から3時間。駅では対島(たじま)中学校の渡辺秀明校長先生と石井先生が迎えに。
午後1時半から3時過ぎまで3年生約100人を対象に講演会。気温36度(?)の高温の体育館での講演会であったが、生徒の皆さんは大変真面目に話を聞いてくれた。
左(対島中学校)
中(生徒の質問をする小山)
右(猛暑の中講演を聞く生徒の皆さん)対島中生徒に質問する小山話を聞く生徒

今回の講演会は渡辺秀明校長先生が、10年近く前に新聞で私の活動を読み、日本事務局に連絡。それ以降、会の機関誌「バンベー」が先生の手元に届いていたそうだ。
対島中学校では「地球市民」という概念を基本に中学1年では地域を中心に、中学3年では国際的な視野で地球市民を考えるいうカリキュラムを作っているそうだ。今回、総合的学習で担当の先生から「海外での活動を中心に地球市民を学習したい」との希望があり、校長先生の推薦で私の講演会となった。
80分の講演の後、生徒の皆さんから様々な質問があった。「自分たちで出来る支援は何ですか?」・・。何人もの生徒から質問がある。
熱心な学習態度と意欲に敬意を表する。普段の先生方の努力の結果と思う。講演を聞いた生徒の中で一人でも二人でも海外ボランティアや世界の貧困、南北問題に関心を持ってくれれば幸いである。

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2004年07月12日

ホテルニューオータニでの懇親会

今朝は参議院選挙結果の詳報を新聞やテレビで知る。朝日・毎日は「自民党敗北」、読売・産経などは「自民不振」。
午前10時に自宅を出て、永田町のホテルニューオータニ40階。
国際ソロプチミスト東京ー東の現・元有志による「友好勲章」「外務大臣表彰」受賞のお祝いの会。
左(イタリヤレストラン。皆さんと)
中(一色典子さんから花束を頂く)
右(皆さんと記念撮影)ソロプチミスト会食一色さんから花束贈呈記念撮影

午後3時半まで懇親。花束を持って地下鉄の乗る。
回りの人がジロジロと見る。初めは花束が珍しいのかと思っていたが、気が付いた。「あの人は、今日退職したんだ。あの花束は退職の会のものだ。可愛そうに中年でリストラ退職なんだ・・」と。
そう思われても不思議でない今日この頃の世情である。
今日懇親の皆さんは8年間もの間、障害児や子どもたちへの支援を続けてくれている。
花束を頂いた一色さんは、心臓病の手術をしたアンさんの里親を続けてくれている。その他の皆さんも子どもたちや障害児への愛情をもった支援を続けてくれている。皆さんへ深謝。

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2004年07月11日

内田さんたちと懇談・参議院選挙ー自民党敗北

午後12時。新宿で内田さん・高橋さん・柳沢さん影山さんと懇談会。「ベトナム友好勲章」「外務大臣表彰」をお祝いして。
帰宅後大学の同級生だった鍼灸師の大極安子さんから頂いたお灸を足に据える。背中にも。
左(内田さんたちとの懇親会)
右(三陰交にお灸を据える)内田さんの会足にお灸を据える

参議院選挙が終わる。
自民党の敗北。民主党の躍進。共産党の大敗北。
選挙結果を見ての感想。
①敗北結果を見ても人ごとのような顔をしている小泉首相の人間性と手法への国民の批判。「人生色々」と国民をおちょくり、悪法改悪年金法を通し、選挙対策として9日に曽我さん一家をジャカルタに連れて来る・・・。小泉「パフォーマンス」内閣の見てくれだけのパフォーマンス政治のメッキが剥げてきた。小泉幻想に対して、国民の目が「覚めて」来た証拠。選挙の敗北が今後の憲法改悪など小泉・公明連立内閣のすすめようとしている日本のファシズム化に対しての歯止めになることを願う。
②勝利した民主党が小泉・公明連立内閣の進める日本の一層の軍国主義化、ファシズム化を阻止する力を持ち得ないという日本の政治の悲しさ。自民党と同根異体の政党の限界を知るべきである。国民がこの党に幻想を抱くと後で手痛い打撃を受ける。
③宗教政党が与党の殺傷与奪の権を握っていることの怖さを実感した。自公連立で「福祉と平和の党」という看板がすっかり色あせた。既にメッキの剥げている年金法を「100年安心年金」などと選挙中も言い、国会審議もないままの自衛隊のアメリカ主導の多国籍軍への参入を推進しているこの党の危うさを恐れる。
④共産党の大敗北。15から4人激減。選挙区は45年前の水準に戻ってしまった。1959年の水準。筆坂書記局次長・政策委員長のセクハラ辞任事件の際に志井委員長の記者会見をテレビで見た。
「共産党の幹部・中央委員などの飲酒は許可が必要」との志井委員長の発言に「それでは幹部や中央委員などが恋人とデートをする時にも飲酒するのであれば、党の許可が必要なのですか?」との記者の質問に志井委員長は「そうです」と答えていた。私はあの記者会見を見ていて、現在の日本の庶民と常識を全く知らない共産党を代表する志井委員長の態度に唖然とした。こうした非常識な発言を記者会見で行う政党の常識と良識を疑った。人間を人間と見ない姿勢が見えている。飲酒をするかしないかは、個人の嗜好の問題。党の幹部であれなんであれ、飲酒をするのに許可が必要などという感覚に唖然としたものであった。今回の選挙の敗北の原因を「二大政党の流れに負けた」と総括している。そのこと自体は事実であるが、選挙前に分かっていたこと。
日本社会での共産党の存在は貴重かつ非常に大事なもの。これで選挙3連敗。今回の大敗北からどんな教訓を得て、どんな総括をするのか?  誰がどんな責任を取るのか? [相手が悪い」と言うだけでは展望がでない。自ら自身の総括が必要。

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2004年07月10日

高校のクラス会

昼過ぎ、東京に戻る。
若干休憩し、午後4時、巣鴨へ。高校時代のクラス会。49名中18人が参加。38年ぶりに会う旧友もいた。
左(高校クラス会1)
中(同2)
右(同3)クラス会1同窓会2同窓会3

このクラスは1964年入学。3年間クラス替えがなく1966年に卒業。それから38年。今日は卒業以来初めて会った島崎君もいた。島崎君とは同級で3年間、陸上部で一緒だった。
左(高校クラス会4)
中(同5)
右(同6)同窓会4同窓会5同窓会6

クラスの仲間から「ベトナム友好勲章」「外務大臣表彰」のお祝いの花束をもらう。
左(クラス会7)
中(同8)
右(花束贈呈)同窓会7クラス会8友好勲章等お祝い

このクラスは「真性 団塊の世代」である。団塊の世代と一まとめにされるが、このクラス・1947年(昭和22年)こそ団塊の世代の中の団塊の世代なのである。
生まれた時から「ベビーブーム」。小学校は「二部授業」であり「すし詰め教室」。高校受験では「受験地獄」。大学は受験生が多く、どこにでも入れればいいような大学受験である。20代は「ニューファミリー」と持ち上げられ、日本経済の牽引車として仕事に打ち込んだ世代でもある。やっと定年退職が見えてくる年頃になって「リストラの嵐」に見舞われ、いよいよ3年後に定年退職を迎える今日、詐欺的年金改悪で支給金額の大幅削減、既に支給年齢は60歳からという約束が64歳からにされている。日本という国家に騙されたでもある。

アジア・太平洋戦争は終わったといわれるが、未だにこの戦争の後遺症を背負って生きてゆく世代でもある。戦争のために大量に生まれた世代である。けして自然に団塊の世代になったのではなく、人為的・社会的に作られて世代である。
その上、団塊ジュニア世代(今はR-25世代という)もまた親同様、人数が多く、様々なところで苦しんでいる。多分、団塊の世代の孫世代(第3世代)もまた「人数が多い」ことでの問題を抱える世代になるのかもしれない。

いずれにして3年後には60歳になる。これからの「高齢化時代」のまた中心世代として生きて行かなければ成らない世代である。その時代時代で人数が多く、かつての経験が生かされない時代を生きてきた実験世代もある。

クラス会参加の皆さんの健康と幸福を祈るのみである。

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2004年07月09日

静岡市へ。藤田氏と懇談

朝8時、自宅を出て午前10時半に静岡の藤田氏と懇談。

今後の「静岡フエ青年交流会館」の運営についてなどを話す。その場に「静岡市国際交流協会」の宮本さんも参加。9月4日からの協会主催ツアーの日程確認。
その後、10月2日に講演会をする静岡市清水区入江地区PTA,まちづくり推進協、青少年育成推進委員会、ライオンズクラブなどの代表と懇談。

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2004年07月08日

外務大臣表彰式

午前10時、六本木一丁目駅で山西副代表と待ち合わせ、外務省飯倉公館へ。昨日、小泉首相とアメリカ・ライス特別補佐官とが面談した場所でもある。
左(飯倉公館前で)
中(川口外務大臣挨拶)
右(受賞者記念撮影)飯倉公館前で川口挨拶受賞者記念写真

はじめに川口外務大臣の挨拶。4人の個人、8団体への表彰状授与式が終了し、全員で記念写真。
その後、川口順子外相主催の祝賀パーティー。参加者は50人程度。川口外相と10分ほど懇談。先日、外相はベトナムを訪問している。「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校への支援を要請した。
右(川口外相と懇談)
中(パーティーの様子)
右(川口外相懇談2)外相と懇談パーティー外相と小山2

午後12時過ぎに全ての行事が終了。
午後1時からNHKテレビ取材の打ち合わせ。
山西副代表、取材クルーの企画・構成作家、ディレクター、プロデューサー。懇談は午後5時まで。
企画が決まると9月頃の取材の予定。ハイビジョン、BS,NHK総合。

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2004年07月07日

入谷の朝顔市へ

午前中、札幌「女スペースおん」機関誌原稿2400字を書く。半日かかる。
夕方鶯谷入谷の(うぐいすだに いりや)「朝顔市」へ。妻の散歩も兼ねて。
左(入谷朝顔市の朝顔)
中(朝顔市の小山)
右(朝顔市の様子)朝顔市朝顔市の小山朝顔市の様子

この日記は今話題の「ライブドア」を使っている。
30MBまでは無料。現在は有料だが、大変便利である。
近鉄の球団運営が厳しくなり「オリックス」と合併するという。ライブドアの堀江社長(31歳)が近鉄球団を買収すると名乗り出た。ところが例の「札束球団」のナベツネ社長は「俺の知らない人間のプロ野球参入は認めない」との暴言を吐き、ライブドアの参入を12球団あげて拒否してしまった。
私がまだ学校現場にいた10数年前である。既に少年野球チームは消滅し、少年サッカーチームが雨後の竹の子のように立ち上がっていた。子どもたちは「ジャイアンツ」ではなく「三浦和義」だった。既に10数年前に野球は子どもたちの興味から離れてていた。子どもたちはサッカーに熱中していた。
この時点でプロ野球の底辺・深層が崩れ始めていたのである。それから10数年。子どもたちの興味はサッカーである。
「札束で頬っぺたをはたき」4番打者を集めまくった札束球団ではあるが、未だに3位。札束巨人球団を中心としたプロ野球のシステムそのものが「金属疲労状態」である。
読売テレビという大マスコミを使い巨人の試合を中心に放映し、巨人中心に出来上がったプロ野球の構造そのものが時代遅れになっているのである。
ナベツネ・札束球団をはじめ、多くの「コバンザメ球団」が一体となってライブドアの参入を阻止している。結局「ギルド」的「閉鎖的特権」プロ野球のシステムがいよいよ誤魔化しが利かない最終段階に来てしまっている。自らの危機を自覚しない札束球団とそれに追随する「コバンザメ球団」はプロ野球支援者と社会の大きな変化の波に飲まれて消滅してゆく運命にあるのだ。既得権を持った人々が「若者の成長」を阻止する典型的な図式である。

この図式は今の日本社会の縮図でもある。高遠さんや今井君のイラクでの活動に対して「既得権階級」の連中がそろって「バッシング」をした。世界に羽ばたこうとしている若者の純真な行動を阻止し、自らの既得権に固執しているのである。
札束・ナベツネ球団と小泉首相など「高遠バッシング」軍団とは共通の体臭を持っている。

プロ野球を愛するが故に「ライブドア」の近鉄買収を認め、2リーグ制で競いあう中で、緊迫した試合を望みたい。若い堀江氏にプロ野球の経営をやらせてみたらどうなのだろうか。少なくとも、近鉄・オリックス合併で「1リーグ」になるよりは、よっぽど面白いのではないだろうか?
既に日本のプロ野球の優秀な選手は、札束球団の取り仕切る日本のプロ野球に見切りをつけて、アメリカ大リーグに行ってしまった。ナベツネ札束球団とその腰ぎんちゃく・コバンザメ球団は、未来のないプロ野球の抜本的な改革に勇気を持って挑戦する最後の機会である。時代は変わる。時代と空気の変化を読み取ることも「経営者の資質」である。

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2004年07月06日

「人道支援」という名の政治利用

このところ体調不良。今日は、板橋本町にある「板橋温泉」に行き、ゆっくりと温泉(塩泉)で休む。
新聞では参議院選挙で自民党不利との報道がしきり。

拉致被害者の曽我さんが7月9日にジャカルタで家族と会うという。数日前までは7月12日から20日としていた家族再会が前倒しになり、急遽、参議院選挙投票日の前日にテレビなどマスコミ報道されるタイミングでの再会となった。
小泉首相や官房長官は「この問題はあくまで人道問題として考えている」と話している。
しかし、どう見ても参議院選挙前に「家族再会」を演出し、小泉自民党への得点としたいとの「超政治的」な打算が見え隠れする。今日の新聞各紙でもあからさまに、首相の強い指導が外務省に入ったと報じられている。外務省はこの問題を政治的に利用されるのには消極的だったとも言われている。
「人道的」と称して最も「政治的」なのが小泉流のやり方である。卑怯だ。表向きは「人道的」と言いながら、陰では参議院選挙投票日前日にテレビに「曽我さんと家族がジャカルタで再会」している映像が流れることを意図しての再会「前倒し」である。本当に政治的に解決する義務は小泉首相側にある。「家族が一緒に生活したい」という当然な希望を実現するためには、夫のジェンキンズ氏の処遇が最大の問題である。曽我さんが幾ら家族と会って話し合っても解決できない問題である。脱走兵である夫の訴追問題を解決できるのは、政府である。
ジャカルタで家族が再会すること自体は良い事であるが、今後の解決にはならない。夫の処遇問題こと小泉首相がアメリカと政治交渉すべき問題である。

自衛隊がイラクにいる。これも「人道支援」と称している。しかし、実際には航空自衛隊はクエートからバグダッドまで米英兵を輸送いている。米英軍は当然武器を携行している。
「人道支援」と称して派遣されている自衛隊が、米英軍人を運搬し、同時に武器も運んでいる。人道も何もない、明らかな軍事行動である。
こうしたことを隠し「人道支援」などと称して、サマワの陸上自衛隊は「給水」活動をしている。
この給水の何倍もの活動をフランスのNGOがサマワで行っている。費用は日本政府からのODAである。4億円程度の費用である。自衛隊の費用は数百億円。
国連では、「人道援助と軍隊は明確に区別する」というのが常識となっている。
自衛隊がいくら人道支援などと称しても地元では、誰も信じない。
自衛隊の給水、学校再建などの活動がいかに「宣伝」のためのものかは、以下の記述を見ればわかるというもの。ちょっと長いが引用する。
(「イラク戦争 日本の運命 小泉の運命」(立花隆 著:講談社)

『「WEB現代」にノーンフィクションライターの小野一光氏が連載している「灼熱のイラク戦場日記」である。サマワの自衛隊の主要な支援事業の一つとされている給水支援。テレビでも大々的に報道された3月26日の「給水作業開始式典」。
「給水車のタンクにホースを持った給水隊員がのぼって給水開始。カメラが一斉に周囲を取り囲みました。私の隣にいた番匠幸一郎群長が『向こうの方(給水車)が見えるようにホース上げてください』
持ち上がるホース。報道陣のシャッターがパシャパシャ。さらにイベントは続き、『味をチェックしろ』との上官の命令に、上で水を注いでいる隊員が大声で『うまいっす』、『OK』。
完全にショーアップされ、最後は各地域に出かける給水車を撮影して終了。」。

今、多くの日本人が世界の各地で本当の「人道支援」を命がけで行っている。
 小泉首相が「人道的」とか「人道支援」という言葉をもてあそび、政治的に利用する姿勢と態度は、いつかその化けの皮が剥がれるというものである。

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2004年07月05日

体調不良

体がだるく体調不良。1日寝ている。
午前中、昨日と今日のメール34通に目を通す。必要な返事を書く。
太平観光北垣会長と9月14日の奨学金授与式等の話をする。国際ソロプチミスト帯広みどりの会長さん、元会長さんと電話で話しをする。毎月10人ほどの奨学金を支給したいとのこと。7月17日、講演会で札幌に行くのでその際、帯広に行き、フエ市長からの感謝状贈呈、奨学金の打ち合わせを行う事とになった。
里親であり障害児への奨学金を支給している芳村さんと電話で話をする。ソロプチミストの件で帯広に行った時に奨学金、里子の引越し問題などを話すことになった。
7月9日の静岡行き、7月15日からの札幌行き、
7月25日の京都行きなどの切符の手配をする。
木田先生にメール。
非常に蒸し暑い一日だった。参議院選挙中というのに「選挙の風」が吹いていない。候補者カーや政党カーは1台も来ない。選挙公報を読む。

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2004年07月04日

栃木県小山市「じゃむ・じゃむ講演会」

午後2時から栃木県小山(おやま)市で講演会。
この3月まで高校教師をしていた佐藤清子先生の呼びかけ。
左(佐藤先生とタイラム君)
中(喫茶店じゃむ・じゃむ佐藤店主挨拶)
右(講演する小山)佐藤先生トタイラム君挨拶する店主佐藤氏講演する小山

講演会は30人ほどの方々の参加。

左(参加者1)
中(参加者2)
右(集めた寄金を寄贈するタイラム君)参加者1参加者2寄金をするタイラム君

今日の講演会のきっかけは、佐藤先生の高校の教え子であったグエン・キュ・タイラム君(21歳)が、「ストリートチルドレンのための学校を作りたい」と言ったひとことからはじまった。タイラム君の言葉を聞いた佐藤清子先生は、卒業祝いの会に参加していたタイラム君の友人であるグエン・タン・ヴィン君(19歳)の「子どもたちを何とか助けたい」との言葉を聞き、「ベトナムの子供たちと共に生きる会」を2004年4月1日に立ち上げた。
会の趣旨は①ベトナムのストリートチルドレンの教育・自立を支援し ②願わくば将来新たな救援施設を作りたいというベトナムの二人の若者の熱い思いに賛同し、その活動と設立準備への協力。
会の活動は①JASS「子どもの家」への支援
②現状を知って頂くための講演会、写真展示、通信発行
③資金を作るためのフリーマーケット、バザー、ベトナム料理紹介などを中心としたフェア
④小銭募金 1円・5円・10円などの小額募金
事務所 アートスペース&コーヒーハウス『ジャム・ジャム』代表佐藤健市 事務責任者 佐藤清子
電話・FAX 0285-24-3870
Eメール jam-jam@tvoyama.ne.jp

,ベトナムの青年は両親がベトナム南部出身で「難民」として来日。苦労を重ねて日本での定住を進めた来た。二人の青年自身、自らの将来がどうなるのかは未定だが、それでも祖国ベトナムの子どもたち
に思いを馳せている。困った子どもたちを何とか助けたいと思うベトナム青年の気持ちが実現することを祈る。私たちも出来る事は協力したい。
今日はタイラム君がコツコツと集めた「小銭寄金」4138円を「子どもの家」への寄金として頂く。
講演会は午後2時から午後4時過ぎまで続き、その後、中学生のベトナム人少女が作った「春巻き」と店主であり会代表の佐藤氏が挽いたベトナムコーヒーで懇談。
今日の講演会を企画した佐藤ご夫妻、3人のベトナム青年、そして参加者に感謝。
午後8時過ぎに帰宅。

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2004年07月03日

体調崩す

数日前から倦怠感があった。
昨晩から寒気、発熱、喉の痛み、食欲不振。今日はついに「ダウン」。寒気と頭痛で1日寝ている。

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2004年07月02日

地球の歩き方との打ち合わせ

数日前から体調を壊す。今日は朝から寒気がし、起きているのがつらい。朝食を作る。昨年9月から作っている「ぬか漬け」が丁度頃合が良くなってきた。人参、セロリ、きゅうり、なす、大根、生姜・・・。ぬか漬け作りの要諦は「愛情」である。
季節の野菜は安い。きゅうりが5本で100円。

午後2時、新宿NSビルで「地球の歩き方」担当者と懇談。山西副代表と一緒に。シニアボランティア体験ツアーの打ち合わせ。
午後4時、高校時代の同級生と打ち合わせ。Tさんは安曇野に住んでいる。絵手紙の先生。安曇野の様子を聞く。
午後7時過ぎ自宅着。

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2004年07月01日

横浜市立大道中PTA講演会

午前中、某新聞社へ資料送付。
午前11時過ぎに家を出て横浜「金沢文庫」へ。
横浜市立大道中学校PTA家庭学級での講演会へ。
左(長男夫婦から送られた「ふなくち酒」
中(大道中学PTAで講演する小山)
右(大道中PTAの皆さん)小樽の酒講演する小山大道中PTA

朝、札幌の長男夫婦から「父の日」のお祝いとして小樽の吟醸原酒「搾」(しぼりたて)を送って来てくれる。「ふなくち」から出てくる「ふなくち酒」。早速、冷蔵庫に入れて冷やしておく。横浜市立大道中講演会会から帰宅した午後8時に飲んでみる。味は「どぶろく」「マッカリ」に似ている。少し酸っぱくて甘い。美味。飲んでみる価値は十分ある。長男夫婦に感謝。といっても長男夫婦の誰がしっかりしているのかは、我が血を引いている長男を見ればよく分かるというもの。いずれにしろ「しっかりさん」に感謝。
横浜市立大道中での講演会は日本事務所教育担当の森田さん、加藤さんが直接学校を訪問し講演会を実現させた。
今日も二人は事前に学校へ行き、ビデオなどの諸準備をしてくれた。改めて森田さん、加藤さんに感謝。
午後3時からPTA家庭学級での講演会。参加者35名。
暑い中、熱心に話を聞いてくれた。
片道1時間半。

夜、日本事務所の内田さんと電話で話す。「子どもの家」の子どもたちのために夏のバーベキュー大会、タンタン温泉行きを寄贈してくれるとのこと。
福田洋子さんと電話で話す。政治状況など・・・。

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