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2004年06月30日

平成16年度「外務大臣表彰」受賞

今日、ハノイの日本大使館から「平成16年度外務大臣表彰」の受賞者に私が選ばれたとの連絡があった。
表彰式は7月8日午前11時、外務省飯倉公館にて。11年間にわたるフエでのストリートチルドレン、障害児支援、奨学金支給、日越友好の取り組みなどが評価されてのこと。
今年は賞に恵まれ、2月には「トゥアティエンフエ省知事特別表彰」、6月4日にはベトナム政府より「友好勲章」を授章。今度、日本の外務大臣表彰を頂く事になった。これも全国の会員、支援者の皆様の応援の賜物と心から感謝する次第である。
(千葉県立八街高校期末試験)千葉県立八街高校期末試験

2年前から千葉県立八街高校で「国際ボランティア養成講座」を担当している。今日は1学期の期末試験。試験は小山耕太(次男)が担当。

今日は1日、各種申請書、各マスコミへの情報提供のための資料作りを行う。

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2004年06月29日

東急セミナーBEで講演

午前中、「あとぴナビ」の原稿書き上げ。26通のメール受信をチェックし必要な返事を出す。
午後7時から9時まで渋谷東急プラザ8階で「東急セミナーBE]主催の「国際ボランティア入門講座」で講演。
左(渋谷駅前の参議院選挙候補者の演説)
中(ハチ公も参議院選挙投票の呼びかけ)
右(講演する小山)選挙演説ハチ公も投票呼びかけ講演する小山

東急セミナーBEの受講生は暑い中、真剣に講演を聞いてくれた。
左(受講生1)
右(受講生2)受講生1受講生2

午後5時過ぎに家を出て渋谷へ。渋谷駅前は「人人人」。人に酔ってしまう。
参議院議員東京選挙区の候補者が演説をしていた。
年金問題、自衛隊の多国籍軍参加を痛烈に批判。
知り合いのOさんがその候補者のチラシをまいていた。しばらくOさんと立ち話。
ハチ公も参議院選挙投票を呼びかけるタスキをしていた。
今回の選挙は歴史的にみれば、今後の日本の岐路を決める重大な選挙である。

午後6時半、東急プラザ8階へ。担当の「地球の歩き方」のMさんも来ていた。若干の打ち合わせ。しばらくすると受講生も集まる。午後7時に講演開始。15名の受講生にボランティア、ストリートチルドレン、などについて話す。
午後9時に全て終了。帰宅は午後10時過ぎ。

イラクが新しい情勢を迎えている。アメリカがイラクを持ち堪えられなくなった。

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2004年06月28日

長男の本紹介

6月初旬、札幌にいる長男が本を出版した。

書名 「競走馬産業の形成と協同組合」
著者  小山良太
出版社 日本経済評論社
    電話 03-3230-1661
定価  3500円(税別)

左(長男の出版した本)
右(同本の題名)良太本概観題名部分

興味のある方は買って頂ければ幸いである。また、近くの図書館に購入希望図書として出して頂ければありがたい。
競馬用の馬の生産を通して日本農業の現状と問題点を探り、日本農業を守る方向を協同組合として示している。日本経済や日本農業を守ることに興味のある方、競馬に興味のある方は一読を。

今日は1日休息日。
午前「あとぴナビ」(全国アトピー友の会発行)の年間原稿執筆計画。「あとぴナビ」に1年間原稿執筆を依頼された。第1回目は7月10日が締め切り。午後、原稿を書く。

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2004年06月27日

神奈川県青少年協会講演会

午前11時半に自宅を出て、横浜の近く「白楽駅」へ。神奈川県青少年協会会館へ。
8月に協会主催のベトナムボランティア体験ツアーを行う。今日は第2回目の「事前研修会」。
参加者は中学生、高校生、大学生など参加者15人を中心に20人ほど。午後2時10分から午後3時半まで。
左(研修会の様子1)
中(研修会の様子2)
右(講演する小山)事前学習会1事前学習会2講演する小山

数年前まで海外青年協力隊でベトナム北部ゲアン省で医療活動をしていた方も参加。彼女の小学校の先生は私が東京学芸大時代の友人とのこと。色々と話を聞くと、35年程前を思い出す。我が夫婦共通の友人。元気に東京の多摩地区で教員をしているとのこと。人の縁とは不思議なものである。
自宅着午後6時過ぎ。横浜近辺の「白楽」から自宅まではかなり遠い。

今日は朝3時に起床。ファイザー製薬のボランティア支援金の申請書を書く。締め切りが明日とのこと。昨夕、支援金の制度があるのを知る。急いで申請書を書き上げる。今日の昼、役員会に送信。
申請内容は、「子どもの家」の子どもたちの「心と体のケア」プロジェクト。何とか、申請が受け入れられるといいのだが・・・。

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2004年06月26日

1日休養

6月9日に帰国し、札幌、京都などと移動。この3日間は帰宅が夜遅くなり、かなり疲労が蓄積。

今日は午前中、身体が動かず休む。午後、依頼された雑誌の原稿の草稿。申請書の下書きなどを行う。

午後2時過ぎ、電話。選挙の依頼。
明日の日曜日は神奈川県青少年協会講演会で「白楽駅」まで。

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2004年06月25日

テレビ取材ディレクターと打ち合わせー夜、「熊ごん」で支援者懇談

午前9時から某テレビ関係のディレクターと打ち合わせ。1時間のドキュメンタリー番組制作についての詳細打ち合わせを行う。
左(Mディレクターと打ち合わせ)
右(熊谷さん懇談会)Mディレクターと小山熊谷さん懇談会

午後6時半から江戸川区篠崎で支援者の熊谷さんたちとの懇談会を行う。熊谷さんたちは数年前に「子どもの家」を訪問し、その後、会社ぐるみで支援を続けている。9月14日フエ王宮で行われる「子どもの家」創立10周年記念の集会にも出席する体制を作っている。

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2004年06月24日

学習院大学で講演会

午前10時の新幹線で京都から東京へ帰る。自宅着午後2時過ぎ。
急いで昨日の日記に写真などを載せる。
その後、学習院大学での講義の準備をする。
午後5時に自宅を出て目白の学習院大学へ。

左(学習院大学正門)
中(授業する小山)
右(授業風景)学習院正門講演する小山授業風景

午後7時から8時半まで学習院生涯学習センター「ボランティア入門」講座。
15人ほど参加。若者から今年退職した男性まで。
午後8時半に4回の講義終了の「終了証」を渡す。
授業後、質問者が残り、午後9時まで話し合う。
自宅着午後10時。とにかく疲れる。
明日は午前9時から池袋でNHKテレビ放映の打ち合わせ。午後6時半から支援者懇談。
早く寝て疲れを取らなくては。

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2004年06月23日

京都府立鴨沂高校で講演会を行うー祇園料亭「たん義」へ

朝7時40分に自宅を出て新幹線で京都駅へ。
駅では京都府立鴨沂(おうき)高校の上田先生が迎えに。
午後1時から3時まで講演を行う。
左(校門前・担当の上田先生)
中(講演する小山)
右(講演を聞く高校3年生の生徒校門前で上田先生と講演する小山講演を聞く高校3年生

夕方、三津川君(静岡会館付属日本語学校教師)の
実家で京滋YOUの会の交流会。三津川君の実家は京都「祇園」にある料亭「たん義」。

左(料亭「たん義」前で小山・三津川君)
中(三津川君のご両親と)
右(三津川君のお祖母さんと京滋YOUの会)三津川君と料亭「たん義」三津川君両親と三津川家族と京滋YOUの会

京都府立鴨沂(おうき)高校は明治5年の創立。日本初の女学校である。京都では名門府立高校。沢田研二も学んだ高校でもある。
校門は九条家の門を移転したとのこと。人権、平和教育にも熱心である。高校一年で沖縄へ行き戦争と平和を学ぶとのこと。
学校は制服もなく、昼食も自由に外で食べてもいいとのこと。昼食時になると私服の生徒が三々五々校門を出て、学校前の御所やレストラン、食堂などで昼食を摂っていた。

午後1時から3時と言う講演会をするにはかなりきつい時間帯ではある。今日は特に暑く30度以上。
講堂は文字通り「熱気」に包まれていた。3回にわたりビデオ上映を行ったので、一層講堂は暑くなる。昼食後であり「眠気」をもようするには最高の条件が揃っていた。講演会ご感想文を書いてくれた。
ストリートチルドレンやボランティア、海外支援などについて分かったという趣旨の感想があった反面、高遠さんや今井君の行動は間違っているとの感想もあった。私は講演会の中で高遠さんや今井君の行動は日本人として誇るべきものだとの話をした事に対する反論でもある。それにしてもあの暑い午後の時間帯、2時間近くも私の話を聞いてくれた生徒の皆さんに感謝する。また、講演会を企画した上田先生をはじめ3年教師団の皆さんにも御礼申し上げたい。講演会には藤井事務局長をはじめ5人の京滋YOUの会の会員も参加。大阪から京都産業大の学生さんも参加。

夕方、「子どもの家」や「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校で日本語をボランティアで教えてくれている三津川君の実家へ。京滋YOUの会との懇親会を行う。
実家は京都祇園の真ん中にあった。料亭「たん義」は、三津川君のお祖母さんの時代に始めたとのこと。現在は三津川君のお母さんが経営している。料理人は三津川君のお兄さん。
懇親会には京滋YOUの会会長の中村さん(近江八幡市議:今日議会が閉会したそうだ)をはじめ、藤井さん、上田先生などが参加。
三津川君のお祖母さん、ご両親、兄もわざわざ挨拶に来てくれた。愛情ある暖かい家庭で三津川君が育ったことが雰囲気でよく分かった。
午後9時半頃まで懇親会は続く。11月に訪日予定の「子どもの家」SON君を京都で歓迎する計画も話し合いの中で進む。

その後、私の宿泊する京都駅前のホテルのレストランで、中村会長、藤井事務局長と更に海外支援の問題などを「さかな」に生ビールを飲む。

投稿者 koyama : 07:31 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月22日

午前中ー通院、夕方ーJASSツアー打ち合わせ

1日真夏。暑い。
A8新宿の「榊原記念クリニック」へ。定例の心臓検診。
夕方から森田さん、加藤さんと「夏のJASSツアー」打ち合わせ。

1965年の今日「日韓条約」が調印された。
当時、高校2年生だったが、明治公園の「日韓条約反対」の大集会に参加した記憶が蘇ってきた。
60年安保闘争以来初めての共産党・社会党の「1日共闘」だったように記憶している。多くの労働者と学生・市民が集会に参加していた。
今日の日朝国交問題の根源は39年前の今日、韓国だけと片肺国交回復を行ったところにある。当時は、資本主義陣営と社会主義陣営との対決という構図の時代だった。


(森田・加藤さんとツアー打ち合わせ)森田・加藤さん

A9心臓の定期点検で「榊原記念クリニック」着。
受付で30分ほど待つ。60歳以上の方が数十人待っている。受付嬢が「00さん」と名前を呼ぶが「はい」と返事をする人はほとんどいない。「最近の若者は返事もしない」と嘆く年配の方もいるが、実際にはその年配の方々が返事をしていないのである。
「今時の若者は・・」ではなく「今時の年配者は・・」と言いたい。自戒。
通院する際には必ず心電図を取る。上半身を脱ぎ、胸にゴムの吸盤を5~6個ほどつけるが、これが冷たい。一つつける度に身体が縮む。検査技師の方は「身体を楽にしてください」と言うが、楽に出来る訳がない。廊下に「当院は患者さん本位の病院です」という趣旨の張り紙がある。
患者本位なら身体が縮こまるような冷たい吸盤を無造作に胸につけるような医療はすべきでない。
口先だけの「患者本位」ではある。でも患者本位というだけでも進歩なのか?

主治医の検診を受ける。心電図、血圧をチェック。
触診。その後、検尿、血液検査(中性脂肪等・・)。1ヶ月分の薬(3種類)をもらう。
薬は1ヶ月分。ベトナムに2ヶ月ほど滞在すると薬が切れる。悩ましい問題である。
会計8600円。うーん、高い。一生付き合う病気である。その度に1万円程度(交通費も含む)の費用がかかる。

妻も御茶ノ水の病院へ通院。昼食は自宅で冷麦を作る。
午後は明日の京都府立鴨沂高校での講演会の講演内容の最終チェック。レジュメの印刷。必要な資料も印刷。今回は高遠さん、今井君バッシング問題も話す予定。関連する資料(フランス・ルモンド紙、憲法、外務省設置法・・)を印刷。最近小さな字が見えないので、14ポイント程度の大きな字で印刷。
3本のビデオを再度チェック。ビデオ上映の部分をテレビに上映しチェック。3本のビデオ上映時間もチェック。90分で多くのことをまとめて話さなければならない。途中で生徒の皆さんが飽きないよう20分位に7分程度のビデオ上映を3回入れる予定。
私は講演会を依頼されると必ずその度にレジュメを作り、頭の中で話す相手を想像しながら講演会のシュミレーションをする。せっかく話を聞いて頂けるのである。出来るだけの努力をして講演会に臨みたいものである。全ての講演会に全力で臨んでいる。それでもうまくいかない時もあるが・・。

午後6時半、森田さんが自宅に車で迎えに来てくれる。夏のJASSツアーの詳細打ち合わせを行う。

投稿者 koyama : 17:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月21日

帰国し初めて1日を自宅で過ごす

過去数日分の日記に写真を掲載。戻ってご覧頂ければ幸いである。
日記は1日に何回か追加・挿入・加筆している。時々は何回かご覧頂ければ幸いである。昨日は日本事務所会議。その後反省会。夜はかなり蒸し暑かった。

今日は1日自宅で仕事。6月9日に帰国し10日から18日までは札幌で過ごし、19日は国際ソロプチミスト東京ー東例会出席、昨日の20日は日本事務所会議とこの10日間、毎日外に出ていた。

6月23日の京都府立鴨沂高校講演会の内容を検討。必要な資料に目を通しレジュメを作る。当日上映するビデオを編集。
6月24日、学習院大学での講演会「海外ボランティア入門」用のレジュメを作り、必要なビデオを準備する。
7月末帰国の国際線飛行機切符の手配を準備する。


左(92歳の母親と)
右(祖母と次男の耕太)92歳の母親と祖母と次男の耕太

母親(92歳)に会いに行く。既にアルツハイマーを発症し私のことも忘れているが、92歳にして元気である。12人兄弟でただ一人存命中。明治45年・大正元年生まれ。関東大震災を神田で経験、戦前は中国に。「大地の子」と同様、長男、長女を抱えて中国で逃避行。
長男は風邪を引き中国で急性肺炎にて死亡。4歳。私が「絶対的」に戦争に反対するのはこうした我が家族の体験からである。


ベトナム事務所長のミンさんからメール。
「子どもの家」の4人の高校生3年生全員が見事に卒業試験に合格したとの嬉しい知らせ。
試験は6教科で60点満点。

●フエ医科大を受験するM子さんは49点
●フエ師範大学歴史科受験のD子さん39点
●フエ農業大学受験のT君35点
●フエ観光専門学校受験のT子さんは35点

「子どもの家」の子どもたちは5月末から既に夏休みに入っていたが、高校卒業試験を控えた4人は、毎日朝から夜遅くまで勉強していた。4人の努力を賞賛したい。希望する大学に入学できることを祈っている。

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2004年06月20日

日本事務所会議開催

午前10時より北区教育会館で日本事務所会議の郵送作業が行われる。私は、夏のJASSツアーの打ち合わせで森田さん、加藤さんと懇談。その後、新日本語教師の原さん、松下さんと懇談。
昼食後、午後1時から日本事務所会議開催。
33人の参加。初めての参加の方も多い。
各自の自己紹介の後、ベトナム事務所報告(小山)
日本事務所プロジェクト活動報告、「子どもの家」10周年記念事業等の話し合いが行われる。
左(午前中は機関誌の発送作業)
中(中野亜里先生も参加)
右(日本語教師原さん・松下さん参加)バンベー発送作業中野亜里先生日本語教師の原・松下さん


日本事務所会議終了後、反省会。
反省会には千葉県立八街高校の渡辺君、ラームさんの弟のホアン君も参加
(反省会のホアン君)反省会に参加したホアン君

投稿者 koyama : 21:24 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月19日

国際ソロプチミスト東京ー東例会に出席

午前10時に家を出て、神保町経由永田町へ。
ホテルニューオータニで行われる「国際ソロプチミスト東京ー東」の例会に出席。
今年3月のフエ市長より預かった感謝状の贈呈式を行う。国際ソロプチミスト東京ー東は1998年よりフエで障害児支援を行っている。そうした活動に対しフエ市長より感謝状が贈呈された。私がフエ市長に代わり贈呈式を行う。

今日は1日真夏のように暑かった。特に湿度が高い。
午後はこれから行う各地での講演会で使うビデオの作成と整理、それぞれの講演会での話す内容の検討を行った。
(例会でフエ市長に代わり感謝状贈呈)国際ソロプチミスト東京ー東へ感謝状

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2004年06月18日

東京へ帰るー自衛隊の多国籍軍参加に絶対反対します。

午後3時半の飛行機で羽田へ帰る。
自宅着午後7時。蒸し暑い。22通のメールを確認。
必要な返事を出す。札幌にいる間に国会が閉幕し、参議院議員選挙に入る。そんな時、小泉首相はイラクの多国籍軍に日本も参加をすることを「閣議」で決めた。
日本も恐ろしい国になったものだ。憲法、自衛隊法、イラク特措法のどれを見ても自衛隊が多国籍軍に参加する法的根拠はない。
(千歳空港へ見送りに)新千歳空港へ見送り

自衛隊は国家権力そのものである。国家権力に直接関わる問題をいとも簡単に閣議などで決めてしまう小泉首相に指導者としての資質と見識はない。
イラクに展開する多国籍軍は統一した指揮の下に展開される事は明らかである。多国籍軍に参加しながら統一した指揮には日本だけ入らないとの理屈は通らない。小泉首相ほど真面目な論議をしない首相も珍しい。「人生色々、会社も色々」「自由民主党だから自由なのだ」などと混ぜ返した答えでその場をごまかすことには能力を発揮する。
人道支援のために多国籍軍に参加し、統一した指揮権に入らず、日本が独自に指揮権をもち、非戦闘地域で活動し、などと「うそに嘘を重ねて」いる。
こうした国家の最重要問題を論議もせずに閣議で決めること自体「ファシズム」である。
戦前の軍部が「問答無用」でアジアへの侵略戦争を進めていった歴史を振り返るべきだ。
小泉首相は「マスコミ」首相である。頭にあるのはマスコミ対策。目だったパフォーマンスをしてマスコミに取り上げられ、国民の目をくらますのである。これはヒトラーが常套手段として手法である。
単純な短いことばを使い、内容の説明はしない。論議をしない。
日本は一歩一歩ファシズムの道へ進み始めている。

多国籍軍参加以前に、イラク戦争がいったいどんな戦争だったのかを考えるべきである。
親分のブッシュ大統領は「大量破壊兵器があり」「フセインはアルカイダを支援している」と言って「先制攻撃」を正当化した。子分の小泉首相は世界で一番早くブッシュのイラク侵略を支持した首相である。しかし、現在、大量破壊兵器はないことが分かり、アメリカ議会の調査委員会報告で「フセインはアルカイダと関係を持っていない」ことが明らかになったのである。
論議をしないまま多国籍軍に参加するということは、アジアの多くの国々が「日本はまた戦前のような侵略戦争を始める脅威がある」と感じることは明らかである。

こうした憲法違反を正当化するのに「人道支援」などという言葉を使っている。

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2004年06月17日

円山原生林を散策

午前中、札幌の円山原生林を散策。明治の開拓以来保存してきた原生林である。一面の緑と木々。ウタリの人々が生活していた頃の北海道の自然を彷彿とさせる。
原生林を越えると円山動物園。妻、孫と動物園に入る。
キリン、象、猿などの動物。
札幌滞在最終日である。今日も気温30度を超え真夏日。しかし、風は爽やか。ソフトクリームがうまい。
左(円山原生林)
右(つかの間の生活を楽しむ妻と孫)円山原生林まゆみ・はな

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2004年06月16日

ぬか床を作る

晴天。理想的な北海道の6月。風は爽やか、湿度は低い。暑くなく寒くない。天国とはこんな気候か?

北海道ではぬか床をあまり作らないとのこと。きゅうりのぬか漬けが1本200円弱。
東京からぬかを買って持って行く。6月10日にぬか床を作る。毎日かき混ぜ、昨夜試しにきゅうりを半分入れてみる。朝試食。美味。1週間で美味しいぬか床が出来上がった。夕食からきゅうりのぬか漬けを食べる。

今朝12通のメールが入る。午前中はメールの返事、静岡市への電話などで過ごす。
(漬けたてのきゅうりのぬか漬け)ぬか漬け

札幌の夜明けは午前4時前。日没は午後8時前。1日が長い。

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2004年06月15日

7月17日札幌講演会の打ち合わせ

今日は気温14度から16度。昨日30度だったので寒い。
午前中、北海道神宮大祭を見学に行く。
午後2時から7月17日札幌講演会実行委員会の方々と打ち合わせ。
左(北海道神宮参道)
中(弓で魔よけの儀式)
右(猿回し)北海道神宮魔よけの儀式猿回し

午後2時、7月17日(土)午後1時半、札幌市教育文化会館で行われる「一人からはじまる『国際貢献』」講演会の打ち合わせを行う。会場は京王プラザホテル1Fの喫茶店。主催者の市民自治を創る会代表の山口たかさん(北海道東海大学の先生)は今年3月「子どもの家」を13名の学生さんを連れて訪問している。
7月17日講演会は札幌市、札幌市教育委員会、国際プラザ後援となっている。
一緒に「カウンセリングルーム悠」のクイン明美さんも参加。
ベトナムの実情、ボランティア、日本の子どもたちのことなどを話し合う。午後4時半終了。
問い合わせは主催者「市民自治を創る会」「キッズ・なかま」(電話 011-817-7888)
(FAX 011-852-5006)まで。

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2004年06月14日

札幌は30度を越える

午前中、札幌関係者と電話で話す。
昼、札幌大通り公園へ。今日の札幌は30度を超え真夏。子どもたちは噴水に入り遊んでいる。
妻、嫁さん、孫と2時間ほど大通り公園、テレビ塔などを散策。湿度が低くちょうど過ごしやすい気候。テレビ塔の下でソフトクリームを食べる。さっぱりして美味しい。多くの市民が芝生やベンチで休んでいた。ホームレスの人が意外に多かったのは北海道経済の実態を反映しているからなのであろうか?
左(大通り公園花壇で孫)
中(大通り公園のポピー)
右(ソフトクリームを食べる)大通り公園はな大通り公園ポピーソフトを食べるはな

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2004年06月13日

洞爺湖温泉から札幌へ戻る

洞爺湖まで札幌から車で3時間半。
インターネットで検索した「トーヤ温泉ホテル」は1泊2食で5000円。半信半疑で泊まってみたが全てにわたり素晴らしかった。
左(孫ととんぼのメガネで遊ぶ)
中(夕日の羊諦山と洞爺湖)
右(毎晩湖上で行われる花火大会)孫ととんぼのメガネで遊ぶ羊諦山と洞爺湖洞爺湖上での花火

「トーヤ温泉ホテル」(TEL:0142-75-2222)http://www2.ocn.ne.jp/~toya-oh/
ホテルは洞爺湖から数メートルの所にある。部屋は湖に面している。食事は朝・夕食ともに適量かつ美味。100%満足。洞爺湖の背後に見える羊諦山(エゾ富士)と湖が夕日に映える。
4月から10月まで地元観光協会が主催し湖上で花火大会をしている。
数年前の噴火で客足が減ったようで、地元再生のために様々な努力をしている。
温泉は無色無臭。湖に面して温泉がある。露天風呂も。
十分リラックスした2日間であった。
写真は私のデジカメが壊れてしまったため、長男のデジカメを借りて写す。やはり壊れた私の『高性能』デジカメに比べると画質が落ちる。その点はご容赦を。

今日は午前10時、洞爺湖温泉を出発。途中、数年前の大噴火の噴火口を見に行く。大きな口をあけ、いまでも危険地域・進入禁止地域がある。噴火口は煙を噴出している。
かなりの家が溶岩の下になったようだ。噴火口の近くにも何軒かの家が半分埋まっていた。

昼食は札幌名物「スープカレー」を食べる。4段階の辛さの下から2番目を頼んだが、相当辛く食べ切れなかった。

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2004年06月12日

洞爺湖温泉2日目

洞爺湖温泉・妻長男夫婦でゆっくりとすごす。

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2004年06月11日

洞爺湖温泉で療養

午後、妻、長男夫婦と車で洞爺湖温泉へ。
洞爺湖温泉は数年前に噴火があり、お客が激減しているとのこと。しかし、温泉は素晴らしく良かった。
明日も洞爺湖温泉に投宿。

とうとう、デジカメが壊れてしまい使用不能。

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2004年06月10日

札幌へ

午前10時、自宅発。羽田から札幌へ。妻の病気療養のため。
千歳空港は気温14度。寒い。
札幌駅には孫が出迎えに来ていた。
(孫の出迎えを受ける)はなの出迎え

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2004年06月09日

日本は寒い・寒い

午前7時過ぎ、成田着。機内は60%程の乗機率。
3人とも3席を「せしめて」熟睡状態で帰国。
成田空港ではたくさんのマスコミが待機。まさか私たちの取材ではないし・・・?と思いつつ空港を出る。イラクで殺されたフリージャナリストの橋田さん、小川さんのご家族がバンコクから帰国するのを取材するためと判明。橋田さん、小川さんに合掌。
昼前に帰宅。成田は14度。東京の昼も18度程度。フエがが35度から37度だったので、20度程度の気温差があり、とにかく寒い。コタツを出したい心境。
昼食は「湯豆腐」を作り、「久保田碧寿」を軽く一杯。
(久保田碧寿)久保田碧寿

昼からテレビを見る。
1日中、どのテレビ局も「皇太子様の真意」とテーマも同じ番組を放映。朝から夜まで。
ベトナムのテレビは「大本営発表」番組。昼と午後7時から、それぞれ1時間程度は全ての番組がハノイからの統一番組になってしまう。共産党総書記、大統領、首相がどこで何をしたかを延々と放映する。
今日の日本は、ベトナム以上に「大本営番組」。どのチャンネルも「皇太子の真意」とテーマも全く同じ。しかも1日中見せられる。
ベトナムは昼と夜のそれぞれ1時間程度なのに。

アメリカのシーアイランドでサミットが開かれている。朝日夕刊のトップは「首相、多国籍軍参加表明」とある。こうした国の進路に関わる重大問題を一首相が勝手に表明する我が日本。どうなってしまうのだろうか? 憲法や「自衛隊法」をどう読んでも『「自衛隊』が多国籍軍に参加するこをと認める法的根拠はない」のだが・・・。

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2004年06月08日

日本へ一時帰国する

今日は、私、優子、もえ子の母親の3人が日本へ帰国する。
第一陣で優子、もえ子の母親(YOPPY)が朝7時にトンチンカンを出発。夜までホーチミン市で過ごす。私は午後8時半フエ発の飛行機でホーチミンへ行き、ホーチミン空港で優子・YOPPYと合流。午後11時40分の飛行機で成田へ。
午前9時、フエ市人民委員会外務部で部長と諸問題について懇談・打ち合わせ。
左(帰国する優子・YOPPY)
右(外務部長との懇談)優子YOPPY帰国外務部長懇談

午後3時、「子どもの家」セン委員長、ロック寮長と懇談。
(セン・ロックさんと懇談)センさん懇談

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2004年06月07日

卒業生のTHUYさん、フォンザンホテルの厨房で活躍

午前中、ベトナム事務所で打ち合わせ
午後2時、福田副代表と打ち合わせ
午後3時、ベトナム事務所員会議
午後4時、ラームさんと打ち合わせ
午後5時、「子どもの家」スタッフと「友好勲章受章祝賀会」
午後7時、「子どもの家」卒業生のTHUYさんの
仕事場を参観。
左(ベトナム事務所員会議)
中(「子どもの家」スタッフ祝賀会①)
右(「子どもの家」スタッフ祝賀会②)ベトナム事務所員会議「子どもの家」スタッフ祝賀会①「子どもの家」スタッフ祝賀会②


午後7時、10年前に「子どもの家」へ入所したTHUYさん(19歳)がフォンザンホテルの厨房で仕事をしている現場を視察。
左(THUYさんと小山)
中(THUYさん厨房で料理①)
右(THUYさん厨房で料理②)THUYさんと小山料理を作るTHUY①THUYさん料理②

THUYさん(19歳)は、10年前の「子どもの家」創立時から入所していた。数年前にホーチミン市にいた父親が呼び戻しホーチミン市へ行ったが、父親とも別れ、言うにいえない境遇となった。
昨年「子どもの家」に戻り、ハノイのフランス料理研修所で料理の研修を受け、今年、フエに戻ってきた。1ヶ月ほど前にフエの最高級ホテルであるフォンザンホテルの厨房を紹介し就職。1ヶ月後の状況を視察した。現在は1日2食は厨房で食べ、毎月17万ドンの手当てを貰っている。
既に正式採用となり、6ヶ月後には実習実績を評価してもらい月給70万万ドン程度の給料をもらえるようになる。「子どもの家」創立10年。ベトナムでの活動も11年になる。「子どもの家」の成長と
自立を支援し、見つめることが出来るというのは、「支援冥利」に尽きるというものである。
支援は短期で切り上げるべきだとの主張もあるが、必ずしもそうはいえない。10年位の期間での支援も必要であることは、こうした事例をみても分かるのである。私たちの支援の目的は子どもたちの自立=自活である。自立=自活出来るまでベトナム人スタッフとしっかりと支援することも大事なことである。

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2004年06月06日

ボランティア貯金取材に同行

昨日、6月5日はボランティア貯金「WITH YOUR LOVE」誌の取材に同行。
今回の取材の目的は私のベトナムでの活動を通して過去7年間のボランティア交付金がいかに有効に使われたかを写真と文章を通して記事にすることである。
左(ハイバーチュン高校取材)
中(「子どもの家」で友好勲章を見せる)
右(友好勲章受章を記念し全員写真)ハイバーチュン中・高校スタッフに勲章を見せる子どもたちと勲章記念撮影


「子どもの家」でインタビューを受ける。
(「子どもの家」でのインタビュー)「子どもの家」でインタビュー

午前8時、ハイバーチュン中・高校で学生の様子を取材。ベトナムの高校は丁度卒業試験が終わった時。取材中に突然、地元の私服公安警察がやって来て、取材の目的などを根掘り葉掘り聞いてく。
午前8時半、「子どもの家」へ。市場で買い物をしている子どもたちを取材。午前9時半、「子どもの家」の取材。昼食つくり、音楽室、図書室、コンピュータ教室等取材。
昼食の様子を取材。午後2時、オートバイ修理センター取材。「静岡フエ青年交流会館」取材。
午後4時、「子どもの家」で私のインタビュー。
午後6時、フォンザンホテル屋上からフオン川に落ちる夕日を取材。午後7時過ぎ、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校を取材し全ての取材を終わる。
午後8時半、サン日本語学校教師、私、ボランティア貯金の取材団(2人)と大衆食堂で夕食を摂りながら取材完了の祝杯を挙げる。
その後、「ハンマーホテル」へ見送るが、ミンベトナム事務所長などが待ち受けていて、更に取材完了の祝杯。帰宅午前0時半。
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6月6日(日)
午前8時、ボランティア貯金取材団と一緒に障害児医療センターを訪問。ブイ所長、ヒエン副所長、アン医師、そのた2名、合計5名のスタッフとの懇談の様子を取材。
その後、隣の部屋で10人程の障害児のが集まって「障害児父母の会」を行う。
午前10時、フーハウ地区の「障害児父母の会」を視察。20人ほどの障害児と家族が集まり、 リハビリセンターをしたり、話し合いをしたりした。

ボランティア貯金機関誌「WITH YOUR LOVE」の取材は全て終了。砂山・田中両取材団は午後2時過ぎの飛行機でホーチミン市へ。

午後3時頃、ドンバ市場へ帰国のお土産を買出しに行く。
午後6時、福田副代表とお母さん、ベトナム事務所で船上宮廷音楽・食事をする。

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2004年06月05日

友好勲章授賞式(2)

昨日はハノイ「国際交流センター」でベトナム友好勲章授与式があった。
午前10時から開会され300人の参加者の中で11個人と11団体が授章した。
左(ホア副大統領より勲章をつけて貰う)
中(表彰状授与)
右(副大統領・外務省幹部と一緒に)勲章をつける表彰状授与記念撮影

11人の個人、11団体、合計22人が授章。この授賞式は6年前に行われ今回はそれから6年間のベトナムでのNGO活動の中から選ばれたもの。
現在、ベトナムでは500程の海外NGOが活動しているそうだ。
22人のうちアジアからは私だけ。アメリカ6人、イギリス6人、フランス1人、オランダ1人、ドイツ2人、ベルギー1人、スイス1人、カナダ1人、日本1人、その他。
授章式にはホア副大統領、外務省の幹部、PACCPOM総裁などが参加。また、授章者の在越大使館員、家族、友人などが参加。日本からは大使館員も誰も参加がなく300人の中で日本人は私一人であった。
2時間ほどの授章式の後、パーティーとなった。
ベトナムからは多くのマスコミが参加。ベトナム中央テレビはその日の昼に授章式を全国放送した。「子どもの家」のスタッフや多くのフエの関係者もテレビのニュースで私の授章を知ったようだ。
私とラームさんは、パーティーには参加できず、バトナム共産党中央機関誌「ニャンザン」、ベトナム外務省機関誌「QUOC TE」新聞の取材を受ける。22人の授章者の中でベトナム側マスコミの取材を受けたのは私だけだった。
取材は1時間にも及び、結局取材が終わった時にはパーティーも終わっていた。
午後、今年亡くなったハノイの友人「近藤紘一氏」の事務所を訪問。ベトナム人スタッフのランさんと懇談する。ランさんは10数年一緒に仕事をした近藤さんの名前を残したいとの気持ちから、近藤コーポレーションという名前を残し会社を引き継いでた。一緒に遅い昼食を摂る。
午後6時20分ハノイ発の飛行機でダナンへ。プロペラ機で1時間45分。ダナンから車でフエへ。
フエ到着は午後11時30分となり、本当に疲れた勲章授章式であった。

投稿者 koyama : 11:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月04日

友好勲章授与式に出席(ハノイ)

今日午前9時半からハノイの「国際会議センター」で「ベトナム友好勲章授与式」が行われディンラームさんと参加した。

投稿者 koyama : 12:35 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月03日

トゥアティエンフエ省観光局と懇談

午前9時からトゥアティエンフエ省観光局副局長と懇談。「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校でトゥアティエンフエ省観光局と提携し、観光コースの日本語教育を行うことで最終合意。7月15日に開校式を行う。
左(省観光局との懇談)
中(ボランティア貯金取材団フエ空港)
右(ボランティア貯金取材打ち合わせ)省観光局懇談ボランティア貯金空港「ハンマーホテル」打ち合わせ

観光局からは二人の担当副局長が出席。JASS側からは小山、ミン・ベトナム事務所長、ラームベトナム事務所員が参加。
7月15日から以下の3つのコースの日本語教育を行うこととなった。
①レストランコース
・レストラン従業員が使う日本語教育
・6ヶ月  定員30人
②レセプションコース 
・ホテルのレセプションで使う日本語教育
・6ヶ月  定員30名
③日本語ガイド養成コース
・2年間  定員20名
・政府公認日本語ガイドライセンスが出せるように
申請中

午後12時半、フエ空港にボランティア貯金取材団を出迎えに行く。午後2時、ミンさんの「ハンマーホテル」に到着。日程等打ち合わせ。
ボランティア貯金の機関誌「WITH YOUR LOVE」に私たちの活動を紹介するため。
今日から6月6日まで4日間フエに滞在し、「子どもの家」など関係活動を取材する。

午後3時過ぎ、ラームさんと再度フエ空港へ。
明日ハノイで行われるベトナム政府主催の「ベトナム友好勲章」受章式参加のため。
午後7時、ハノイのホテル着。

投稿者 koyama : 13:45 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月02日

ベトナム「友好勲章」授章決まる

午前中、受信メールへの返事、午前11時、フォンザンホテル会長の招待で静岡市助役一行と「精進料理」をご馳走になる。今日は、「お釈迦様の誕生日」。ベトナムでは各家庭で精進料を食べる。
(フォンザンホテルの精進料理)精進料理

午後1時過ぎ、静岡市助役一行をフエ空港へ見送る。

5月28日付けのベトナム政府決定書が今日ベトナム事務所に届く。「友好勲章」をもらうことになった。
ベトナムに進出している世界からのNGO300の中から何人かの個人と団体が選ばれ「友好勲章」が授与される。5年から6年に1回授賞式を行う。
今回の「友好勲章」の受章は個人11人、団体11である。ベトナム政府主催の授賞式は6月4日午前9時半からハノイの「国際会議センター」で行われる。

明後日の授賞式の決定と案内が2日前の今日事務所に届くというのは、何とも言葉に出せない国ではある。勲章は勲章として頂くが、連絡が2日前で事足れり、とする官僚の態度は如何なものか?
国際交流とはおよそ縁遠い決定・招待の仕方である。

授章団体・個人は以下のようである。
●個人 アメリカ5人、仏1人、英2人、独1人、日本1人、その他1人。
●団体 米1、オランダ1、英4、独1、ベルギー1、スイス1、カナダ1、その他1

11人の個人、11団体、合計22の中でアジアからは私一人である。あとは全て欧米系である。

明日からボランティア貯金の機関誌「WITH YOUR LOVE」誌の取材団が4日間の日程で「子どもの家」へ来る。明日昼にフエ空港へ出迎えに行き、午後4時過ぎの飛行機でハノイへ。あすは忙しい1日となる。

投稿者 koyama : 19:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月01日

世界子どもデー 「子どもの家」学年末終業式

午前9時、静岡市助役一行はティエンムー寺参観。
午後2時、グエンフエ高校高校視察
午後3時、「子どもの家」の終業式に参加。

左(ティエンムー寺視察)
中(グエンフエ高校高校訪問)
右(「子どもの家」最優秀賞受賞6人)ティエンムー寺グエンフエ高校最優秀賞

5月末で学校が終了した。今日は、旧社会主義陣営で「世界子どもデー」である。
「子どもの家」では2003年ー2004年の学年が終了し、世界子どもデーを祝い集会を行った。
最優秀賞受賞者は6名。優秀賞受賞者は12名だった。
左(優秀賞受賞者①)
中(優秀賞受賞者②)
右(「静岡会館」付属日本語学校参観)優秀賞①優秀賞2日本語学校参観

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静岡市助役一行フエ訪問第2日目

午前7時半、トゥアティエンフエ省共産党委員長MAN氏と懇談。
午前9時半、カイディエン帝廟参観
午後2時半、フエ市人民委員会との「友好都市締結」懇談。
午後6時、フエ市人民委員会との晩餐会

左(マン省共産党委員長との懇談)
中(フエ市人民委員会との懇談会)
右(フエ市人民委員会との晩餐会)a href="http://www.koyamamichio.com/archives/eb058019.JPG" target="_blank">マン助役フエ市人民委員会懇談晩餐会

投稿者 koyama : 00:26 | コメント (0) | トラックバック