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2009年09月30日

終日寝ている

曇り・雨

体がだるく「風邪」かもしれない。

終日寝ている。

午前中、某区役所に長文のメール送信。

京都にいる税田さんに電話。某ツアー関連の
諸問題について協議。今日、関空付近の
ホテルに泊まり、明日、フエへ戻るとのこと。
台風の影響が心配。

静大滝下さんから電話。10月5日、静大工学部入学しなど
の打ち合わせ。


山西さんから電話。

夕方、某区役所関係者から長時間の電話。
納得できない部分もあるが、大人の対応をする。

昨日までの読み切れなかったメールと昨日、今日
届いたメールの全てに目を通す。

かなり時間をかけて返信をだす。

夕方、近くの「うどん・蕎麦居酒屋 でん」へ
(03-3935-2888)

ホッピーをおいてある店。こざっぱりとした店で
ご夫妻で接客・調理を等をしている。
軽く飲む店としては、落ちつき安心して飲める。
味も値段も手頃。アットホームな店である。
たまにしか行けないのが残念である。

自宅へ戻り、数通のメール受信。返信。


投稿者 koyama : 10:34 | コメント (0)

2009年09月29日

終日休養

曇り


昨夜、午後9時過ぎ就寝。

今日は午前11時に目が覚めるが、体が動かない。
一種の「虚脱」状態。

簡単なブランチを摂り、引き続き横になる。

午後2時過ぎ、フエのバオミンさんに電話。

バオミンさん・ニエン外務部長の訪日の詳細日程を
確認しよう電話をしたが、通じない。

午後6時、夕食。


午後7時、バオミンさんに電話。
やっと通じる。現在、フエに大型の台風が襲来。
停電とフォン川の洪水で町中の道路が冠水しているとのこと。

道路の両側にある大木が強風で倒れる



1999年に起こった200年に一度の大洪水の際にかなり近づく
水量。フースアン橋の橋げたに水が迫っている。



フエ市内は「腰」まで水が出ている。


JASSベトナム事務所は、玄関入口の5段ほどの階段の
最上段まで水が来ているとのこと。

停電と強風、洪水。ベトナム事務所員全員の出勤停止を
連絡し、各家・家庭の防備をするように指示したとのこと。


ベトナム事務所員・「子どもの家」のこどもたちは現時点では
全員無事とのこと。今後の推移を注視している。

10月5日からの訪日以降の日程について、バオミンさん
と打ち合わせ。


午後8時過ぎ、「京滋YOUの会」の藤井事務局長と
電話でいくつかの打ち合わせ。

40数通のメール受信。一部を読み、返信。

文字を読む気力なし。


投稿者 koyama : 11:33 | コメント (0)

2009年09月28日

興静岡大学学長懇談:小嶋善吉静岡市長懇談:静大入学手続き

曇り(静岡市)

午前6時起床

午前7時、静岡市内のホテルで朝食。
静大留学生3人と昨夜、「午前7時、1階で朝食」との
約束をしていたのだが・・・・。午前7時半、3人が
朝食にやってくる。

小さなロールパン1つとコーヒー1杯を朝食とする。


午前8時45分、静大の滝下課長(JASS静岡の会副代表)
がホテルへワゴン車で迎えに来てくれる。

午前9時半、静岡大学興学長と懇談。

JASSベトナム事務所は、静岡大学フエ連絡事務所になっている。


学長室前にて。3人は多少緊張気味。

大学側からは興学長、西村理事、各課長さんなど




学長先生から今回のニフィー留学の経過などの説明があり
頑張って4年間勉強と生活をするよう激励される。

大学で何を勉強したいかの質問を受ける。

タン君は工学部電気電子工学とバスケットのサークル、
ドックさんは、物質工学の勉強と音楽系サークルに入りたい、
ティン君は電気電子工学の勉強と空手サークルに入りたいと
決意を語る。


最後の全員で記念撮影


学長懇談後、教務部長室で教務部長・滝下夫人と懇談



その後、滝下さんの車で「大量の3人の荷物」と共に静岡市役所へ。

静岡市役所には、フエ市役所から送られた世界文化遺産の
「王宮」の額が飾られていた。



小嶋善吉静岡市長と懇談。

今回のニフィー工学部留学プロジェクトの基礎には、
静岡市とフエ市の「友好都市締結」がある。
JASSがその仲介を行った。

小嶋市長からが、フエ市と静岡市の交流の歴史が語られた。

3人の留学生は日本語で自己紹介



小島市長のほかに局長、部長、課長が参加



小嶋市長より記念品贈呈



14代将軍「徳川家達」の書の前で記念撮影


9月29日付け静岡新聞長官に3人の留学生と
小嶋静岡市長との懇談が掲載された


送信者 09-9月28日静岡新聞

昼食の時間がなく、新幹線の待合室でサンドイッチや弁当を
食べる。私はおにぎり2つ。

大量の荷物を新幹線に急いで持ち込む算段をする。
滝下さんは新幹線のホームまで荷物を運んでくれる。



静岡駅から新幹線で30分。浜松へ到着。
工学部は浜松キャンパスにある。

浜松駅には工学部に留学している4人のベトナム人
が出迎えに来てくれる。大量の荷物を分担してもらう。


静大工学部正門前から



今日は工学部入学手続きの最終日。

早速、ベトナム人留学生4人の先輩の指導で入学手続きを書く。

先輩は丁寧にベトナム語で記入方法を教えてくれる。
大変助かる。


家族と親戚の結びつきも強いベトナム人だが、
民族の結びつきも強いようだ。

10月1日から2010年3月まで、6ヵ月の集中日本語教育を
してくれる先生も顔をだしてくれる。


JASS日本語学校の原田先生から3人の留学生に
教育した内容を書いた手紙をもらっていた。
担当の日本語教師に渡す。

宿舎は「静岡大学浜松国際交流会館」。

交流会館の設備は充実していた。



共同炊事場




説明してくれる工学部ニフィー担当の松本先生(工学部超補佐)


4畳半ほどのエヤコン・冷蔵庫付きの個室


かなり広い「談話室」



4階建ての各階に掃除機もある

3人の部屋も決まる



宿舎の全景

中国人、アフリカ系の学生など国際色豊か



宿舎の玄関



全員で記念写真


9月24日から今日まで一緒に行動した4人だったが、これでお別れ。
あとは留学生3人の力で生活していくことになる。

私の携帯、静大課長滝下さんの連絡先など、「万一の場合の
連絡先」を教える。



ホーチミン市から長い旅だったが若い3人は元気に浜松につき
宿舎に到着。
これからの4年間、元気に勉強などに励んでほしい。

こうしたこともJASSの会則に明記されているよう「日越友好」
というの九的の一環の活動である。

午後5時半。浜松から東京へ新幹線で帰る。疲労困憊。

静岡市内のビジネスホテルで荷物を車に積んでいる最中
「段差」に足を取られ、捻挫。新幹線車中1時間半の
間に段々と痛みが出てきた。

7時過ぎ、東京駅着。

東京から巣鴨へ。巣鴨駅前の一杯飲み屋で軽く
生ビールと私の大好きな「もつの煮込み」。

疲れていたので30分で切り上げ。お勘定。
お勘定を払うと「新聞で読みましたよ」と言われる。
最初、何のことか分からなかったが、「8月頃、東京新聞に
でてたでしょう」と言われる。この飲み屋には時々
来ている。私の顔を覚えたいたようだ。
新聞の影響を改めて知る。
時々、やってきた「生ビール」と「持つ煮込み」だけで帰る
変なお客と思っていたのだろう。私のベトナムでの活動を
知ってくれたようだ。

自宅着。午後9時。

そのまま寝てしまう。

7月31日から9月28日まで約2ヵ月間の連続活動が
今日で一区切りついた。3人の留学生が何とか
宿舎に着いた。ベトナムの家族に皆さんにも連絡しなければ
ならない。


投稿者 koyama : 17:26 | コメント (0)

2009年09月27日

滝下さんの案内で静大・市内・富士川参観

快晴  気温20度から25度程度  寒い。

昨日、昼から強い風邪症状。鼻水、のど痛・・・。
何種類かの薬を飲む。

夕方から就寝。午後10時に目覚め、結局、朝5時まで
眠れず。

午前6時起床。簡単な朝食(煮込みうどん)
荷物の整理をして巣鴨経由東京へ。
午前9時発の新幹線で静岡駅へ。

午前10時、静岡駅着。

ドックさんのホームステーを引き受けてくれた笠井先生、
タン君、ティン君のホームステーを引き受けてくれた
藤井先生が3人の留学生とともに駅へ。

今日の案内をしてくれる静岡の会代表・静岡大学課長の
滝下さんに案内担当をバトンタッチ。

滝下さんの車で今日泊まるビジネスホテルへ。
3人の大量の荷物を預ける。

タン君、自動販売機に挑戦


滝下さんの案内で静岡大学を参観
静岡市内のキャンパスには静岡大学の主な学部がある。
工学部は浜松キャンパス。


滝下さんから大学生活のいくつかの注意事項の説明を
受ける


静大参観を終え、冨士山が見える東名高速の富士川サービス
エリアに行く。
雲があり富士山の頭が少し見える程度。


富士川で昼食。3人は醤油ラーメン、みそラーメンなどを
食べる。

ラーメンにも唐辛子を大量にかける  さすがフエ人。


富士川サービスエリアの売店を見学

静岡市役所前で「エコ・フェスティバル」が行われていたい。
静岡大学も参加している。
静大マスコット「しずッピー」も参加。



午後4時半、ホテルへ戻り休憩。

午後6時、回転寿司へ。
留学生3人の希望。今日は日曜日。人気のある
回転寿司のようで、30分ほど待たされる。
その間、近くの「BOOK OFF]へ。古本や古着、
古いCDなどを売っていることを教える。

滝下さんの奥さんも一緒に回転寿司の夕食を楽しむ。
留学生3人は、お寿司をよく食べた。


わさびよりは、唐辛子をかけて寿司を食べていた。



納豆巻きを食べるドックさん。




60数枚のお寿司を食べる



午後8時半。回転寿司試食体験会終了。
3人はお寿司もしっかりと食べられた。
日本の生活にも直ぐに慣れそうだ。


滝下さんの車でホテルまで送ってもらう。


3人のホームステー、市内見学、大学見学など、
3人の静大留学生のお世話をしてくれた
笠井先生・藤井先生・滝下さんご夫妻など
JASS静岡の会の皆さんのご協力に心から
感謝したい。

午後9時過ぎ、疲れで寝てしまう。

明日は、いよいよ静大工学部(浜松)へ行き、
入学手続きを行う。

投稿者 koyama : 06:02 | コメント (0)

2009年09月26日

ホテルから東京駅→静岡へ

晴れ 肌寒い


午前5時起床。
荷物の整理。

午前7時半にロビーに集合ということになっていたが、
午前7時過ぎに部屋の入口のドアーをノックする音が
聞こえる。開けてみると、昨夜遅刻した男子学生2人が
「行きましょう」と言って立っている。
私はまだ下着姿。1階のロビーで待っているようにいう。
どうもベトナム人の「時間感覚」は理解できない。

午前7時半過ぎ、チェックアウト。

大量の荷物を持ってJR上野駅に行く。

昨夜、しっかりと食事をし寝たためだろうか、かなり
元気が出てきたようだ。ひと安心。

JR上野駅から東京駅へ。
東京駅新幹線内の小さな売店の中の食堂でコーヒーと
パンを食べる。3人は日本のパンは美味しいという。
コーヒーは薄いという。

午前8時半、新幹線の入口付近で次男と会い、
打ち合せ。

午前9時3分東京発静岡行の新幹線に3人で
乗る。静岡駅では静岡の会事務局長の
笠井先生と娘さんがホームまで出迎えに来てくれる
ことになっているが、ベトナム人3人だけでの
新幹線旅行は心配。まず、大きなスーツケースが
新幹線の棚にのらない。
切符を買うとき、一番後ろの座席を頼んだのだが、
既に満席とのこと。仕方なく、中小の荷物は
網棚に乗せ、大きなスーツケースは膝の前に
置くようにした。


新幹線内の3人



3人に静岡の一つ手前の「三島駅」を出発したら
荷物を持ってで切り口のドアの所に行って静岡着を
待っているように話す。

午前9時3分、3人は東京駅を離れる。

54日間のフエでの生活、ハノイ講演会、ハノイ→ホーチミン市
移動、3人留学生と一緒の飛行機旅行。上野→東松戸までの
マブチ国際育英財団訪問・・・・・。
とにかく疲れた。頭が全く回らない。昨日成田へ着いて
寒さを感じたが、今日は鼻水と悪寒。風邪をひいたようだ。

9月26日1日は、静岡の会の笠井先生と藤井先生宅
にホームステーの予定。
このまま私が今日も3人と一緒に行動をしていたら、
本当に体が「壊れてしまう」寸前であった。
笠井先生たちに感謝。

午前10時、自宅へ。

3日間たまった火炎樹日記を書く。

午前11時半、ブランチ。(朝食はコーヒーだけ)
冷麦を作って食べる。


昼寝。

午後3時、近くの薬局で風薬を買う。

ついでに本屋へ。加藤周一の本を買う。

体がだるい。鼻水が出て止まらない。

明日から静岡に2日間滞在。

何とか体調を回復しなければ。
今日は早く寝る。


この数日、メールを読む時間がなかった。
数十通のメールを読み、返事を出す。

午後9時、笠井先生から3人が無事静岡につき、
静岡の会の歓迎会が終了し、ホームステーに入った
との知らせがあった。ありがたいことである。
深謝。

投稿者 koyama : 12:54 | コメント (0)

2009年09月25日

成田着ーマブチ国際育英財団で面接

晴れ (日本)

午前7時半成田着。
着陸時、1人もどしてしまう。初めて飛行機に乗ったという。

簡単に留学生3人も入国手続きが終わる。

午前8時半頃の京成のモーニングライナーで
上野へ。午前10時前、京成上野へ。

その足で上野のビズネスホテルへ。

3人とも大量の荷物。一人は5つの荷物を持っている。
これらの大量の荷物を持って、マブチ国際育英財団へ
はいけない。

ホテルのチェックインはできないが、荷物を預かって
もらう。

午前11時、朝食兼昼食。上野駅前の「立ち食いそば」へ。
海老天、海老天うどん、天たまうどんを食べる。
一人腹痛とのことで半分ほど残す。

近くの喫茶店で紅茶。ヨドバシカメラを参観。

午後12時半頃、京成上野から青砥経由東松戸へ。

初めにアクア事務所へ。今回のマブチモーター
からの奨学金を仲介してくれた村上さんたち
アクアの皆さんに挨拶。しばらくアクアで
村上さんたちと懇談。

アクアの車で近くにあるマブrチモーター本社内
にある「マブチ国際育英財団」へ。

今回は3人の面接。その後、3人のうちの
1人に毎月10万円の
奨学金と30万円の準備金の奨学金がが支給される。

一人ずつ、20分から30分の面接。
日本語能力、訪日の目的、学問への情熱、ベトナムへ帰国後
の抱負などを聞かれたようだ。

3人とも昨夜の飛行機でほとんで寝ていない。
私も同様。午後3時頃、一番頭が朦朧(もうろう)としている。
面接で色々と聞かれたが、頭が回転しなかったと言っていた。

午後4時、面接終了。マブチ国際育英財団の
畑さんに東松戸駅まで車で送って頂く。

アクアの村上さんたち、そしてマブチ国際育英財団の
馬淵理事長、以下4人の面接の方がに感謝。

午後5時前、上野のビジネスホテルへ到着。

午後7時に夕食に行くのでロビーに来るように
話す。

夜になるとかなり寒く感じた。私も3人も
長袖の「防寒衣」を着る。

私はホテル内にあるランケーブルを使い、
日記やメールを読もうとしたが、設定がうまく
行かず、結局1時間程努力したが接続できず。

少し横になり、午後7時、ロビーに行く。
誰も来ていない。10分位して女子学生の
ドックさんが来る。しばらく二人で待っているが
男子学生2名は降りてこない。
ドックさんが部屋に行くと熟睡していたそうだ。
飛行機の疲れ、東京の雑踏の疲れ、
そして、奨学金面接の疲れ、更に重たい荷物を
たくさん持っての移動の疲れがでたものと思う。

3人の夕食の献立内容を聞く。肉と野菜と
辛いものとのこと。ホテルの近く(韓国人街)
の焼肉屋へ。

焼肉とキムチ、オイキムチ、カルビクッパなどを食べる。

焼き肉やの唐辛子では物足りず、更に小鉢に唐辛子をもらい
ぶっかける。フエ人は本当に辛いものが大好きだ。



焼肉、キムチ、ご飯を食べ、3人は少し元気が出てきたようだ。

午後9時、ホテルへ帰る。早めに寝るように言う。

投稿者 koyama : 12:21 | コメント (0)

2009年09月24日

ハノイ在住日本人ボランティアの会催講演会:静大留学生と訪日

ハノイ 晴天

午前5時起床
読書「帰還せず」(青沼陽一郎著 新潮社)読了
タイ、インドネシア、ベトナムに残った日本軍兵士
を訪ね、「なぜ、意識的に現地に残留したのか」との
問いを投げかけることが主題の本。
私が予想したもっと深い掘り下げがあるのかと
思った点は裏切られたが、1968年生まれの
著者は、固定の思想や思い入れを排し、
徹底して「なぜ現地に残ったのか」を
問い続けている。
14人の現地残留兵士を訪問し、インタビューを
行ってるが、ほとんどの人の回答は、
「現地に家族がいる」というものであった。
日本については、物jは豊かになったが、今でも
帰る気はないと断言している。
現地には、大家族があり、自然がある。日本よりも
良いと言っている。人間の幸せとは何かを考え
させられる一著である。現地に残留した可哀想な
元兵士と思っている日本国民への強烈な
パンチにもなっている。14人全員が現地の国籍も
取っている。彼らの現在の日本への批判は正当にも
思える。

午前7時、ホテルのビュッフェ朝食。フォーと野菜を
食べる。

午前8時半、ハノイの日本人ボランティアの会の
方が車で迎えに来てくれる。
車でハノイ貿易大へ。同大学内にあるJICAの
「JVCC」へ。

午前9時半から講演会が始まる。ハノイ在住の
藤田 恵美さんを中心にしたハノイ在住の皆さんの
ボランティアの会とJICAの人材開発センター共催。
こうした機会を与えてくれた藤田さんたちに心から
感謝したい。



3本のビデオを使い、「子どもの家」、自立に向けた取り組み
などを話す。



1時間半ほどの講演の後、質疑応答



その後、藤田さんたち関係者の招待で日本レストランで
昼食。お弁当。美味しかった。

藤田さんの車でハノイ空港まで送って頂く。

午後3時、ハノイ(フーバイ)空港着。
30ほど待たされチェックイン終了。

待合室で待つと「午後4時発のホーチミン市行きは
午後4時半に変更」とのアナウンス。
またか、と思い本を読む。

「将棋隊」(吉村昭著:新潮社)

また、アナウンス「ホーチミン市行きは午後5時半に
変更」とのこと。理由は1回目の放送と2回目の
放送では違う。とにかく1時間半遅れるとのこと。

結局、午後4時出発が午後5時半発。
2時間かけてホーチミン市へ。午後7時半着。

ホーチミン空港(タンソンニャット空港)の国際線内の
レストランで簡単な夕食。

午後9時、国際線入口で静岡大学留学生3人と
落ち合う。3人の両親とホーチミン市に住む親戚
など15人ほどが集まっていた。

留学生3人の両親から宜しくと言われる。


タン君の両親


ホーチミン空港チェックインカウンター前で


午後11時30分ホーチミン発の飛行機だったが、
30分ほど遅れて午前0時過ぎに出発。

投稿者 koyama : 11:16 | コメント (0)

2009年09月23日

フエ→ハノイへ

午前5時起床  気温24度。湿度70%。完全に雨期に突入

帰国の荷物整理


午前7時朝食。ブンボー



午前8時から「ハイリーホテル」の部屋にある全ての衣類などを
衣類圧縮ビニール袋に入れる。

いくつかの残った仕事を整理する。バオミンさんと諸問題を
打ち合せ。

結局、部屋の掃除など2ヵ月程の帰国中の「カビ対策」
は何もできないまま帰国することになってしまった。

午前11時、「ハイリーホテル」にリー君とイン君が来る。
5階の荷物を1階まで持って行ってくれる。
そのまま車でフエ空港で見送りに来てくれた。
午前11時半、フエ空港へ到着。途中でフランスパンを
買って昼食とする。


リー君・ハイ君と別れ、チェックイン。

午後1時半頃、放送あり。理由はなく「30分遅れる」」という。

結局午後2時半のハノイ行きが午後2時40分出発となった。
午後3時頃、ハノイの「ノイバイ空港」へ到着。

空港タクシーに乗る。メーターを倒さない。
空港タクシーなのだが・・・・・。
ホテル名を言う。30万ドンとのこと。普通は20万ドン(1000円)
まあいいやと思い、そのまま指定してホテルまで行ってもらう。
途中渋滞。1時間ほどかかる。

ここが指定したホテルだといわれたので支払いをし降りる。
ホテルに名前が出ていない。変だなと思ったのだが・・・・。
フロントに行くとやはり指定したホテルではなかった。
全く責任感のないタクシーである。
本来ならハノイ空港を出たところにタクシーの券売所があり
そこでチケットを買えば、問題はないのだが、今日は工事中で
チケット売り場が閉鎖されていた。ごろつきタクシー運転手。

フロントに私のいくホテルを聞く。わからないという。

そのホテルの」ポーターの人が遠いからタクシーで行きなさいと
いう。仕方がないので、そのホテルの前のタクシーにホテル名
を言う。タクシーの運転手は「そのホテルならここから歩いて2分だよ。」
とのこと。タクシーの運転手さんの言うとおりに行ったら確かに2分で
私のいくホテルに着いた。


1時間ほど、部屋で読書。

午後5時過ぎ、「チャーカー」の店に行く。
10年程前からハノイに来たらこの店に来ている。
チャーカーは、魚料理の名前。昔はその通りに
たくさん魚料理のお店があつたそうだ。
そのため通りの名前が「チャーカー通り」と今も
なっている。その後、たくさんあったお店がなくなり
現在は昔からのお店一軒だけ。

炭火の上に特殊な油と葱とハノイだけにある野菜が
のり、海老の塩からにつけて食べる。

今日は、ネギだけしかでない。ハノイにしかない特殊な
野菜がほとんどない。これでは詐欺だ。

食事の途中、店員が炭が入っている「七輪」を勝手に持って行って
しまう。

また食事中だよ、と店員に行っても無視。しつこくいうと
食事を終ったお客の残した七輪の炭火を持ってくる。
火力が弱く、美味しくない。
たった1軒しか残らなかったこの店は、「独占企業」状態。

お客をお客と思っていない。何か日本の政治を思い出した。
自民党と同じお店と見た。国民に目がいかず、自分たちの
利権と権益のために狂奔したつけが今夏の敗北。

このチャーカーの店も独占でこんなお客無視の仕事をしている
といつか客離れが起こる。
拝金主義・金儲け主義がこうした形でハノイにも蔓延している
かに思えた。
既に2軒ほど隣に新しい「チャーカー屋」ができた。
何事も競争が必要である。独占・独裁は腐敗する。

今日は早めに寝る。

投稿者 koyama : 21:15 | コメント (0)

2009年09月22日

ACCL渡辺和代さんフエ来訪

午前中 晴天 午後から雨、雷。本格的な雨季に入る。
気温が急激に下がる。
バオミンJASSベトナム運営委員長が体調を崩し、休む。

午前5時起床

読書「帰還せずー残留日本兵60年の証言」
   (青沼 陽一郎著:新潮社)
先の戦争でアジアに多くの日本人兵士が日本へ帰国せず、
戦地に残った。
ベトナムでも100人程度の日本人が残留しているという研究も
ある。本書はタイ、インドネシア、ベトナム、ミャンマーに今でも
残留し、生活している元日本軍兵士に直接会い、インタビュー
したものである。
2006年に書かれたため60年の証言となっている。
我が家も中国からの引揚者である。ひょんなことでどんな
運命と人生が待っているのか分からない。
第1章のタイに住んでいる坂井さんは、ブラジルに移民し、
1940年「幻の東京「オリンピック」を見学するために日本へ
来るが、そのまま徴兵検査。23歳。インパール作戦に
参加させら、タイに逃げ込み、そのままタイ人と結婚し
60年(現在63年)地元で暮らしている。ゆうに80歳を超えている
が矍鑠(かくしゃく)としている。

今日はJASSの里親・里子担当で「ACCL」
(アジア・チャイルド・リーグ)代表の渡辺和代さんがフエへ来る。
午前7時20分フエ空港着の予定。
午前6時、ホーチミン空港の渡辺さんから電話あり。一度
、飛行機に乗ったが、直ぐ降ろされた。機材故障とも飛行機の
スケジュールとも諸説あるが理由は不明。フエ到着が遅れる
とのこと。
直ぐにバオミンさんに電話。6時45分「ハイリーホテル」発を
7時15分に延期する。
午前7時、再度渡辺和代さんから電話。今、カンボジア航空の
飛行機でフエに行くため、搭乗を開始したとのこと。
再度、バオミンさんに電話。予定通り午前7時15分「ハイリーホテル」
発でフエ空港へ出迎えにいくことを確認。

ベトナム航空はスケジュール通り運航したことは、ほとんどないと
言っても過言ではない。この8月・9月のスタディーツアー参加者
をフエ空港へ何度も出迎えに行っているが、定刻通りついたことは、
ほどんどない。空港掲示板には
定刻より10分早く到着予定と表示され、実際には30分ほど
遅れるのが常態となっている。いつも警備隊長に情報を聞く
と30分遅れるなどと本当のことを教えてくれる。
午前7時15分、車が「ハイリーホテル」へ到着。

フエ飛行場へ。

フエ飛行場には、静岡大学工学部に入学する3人の留学生
のうち2人がホーチミン市に行く。家族が見送りに来ている。
家族の何人かはホーチミン市まで付いていくとのこと。

1時間遅れでACCLの渡辺和代さんがフエ空港到着。

午前8時半、フエ空港を出てフエ市内へ。
渡辺さん、バオミンさん、私、運転手さんの4人が朝食を
摂っていないでのフエ市内のフォー専門店で朝食。
その足でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で当面の小児白血病プロジェクト問題に
ついて話しあう。


午前11時半、「ハイリーホテル」へ。

昼食。

午後12時半、昼寝。

読書「帰還せず」(青沼陽一郎著:新潮社)

午後2時、ボランティア貯金会計報告部分を書く。

午後4時半ボランティア貯金申請書会計報告部分を書きあげる。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。

こどもたちと夕食。

豚の耳(沖縄のミミガー)


午後8時頃、ACCLの渡辺和代さんが仕事を終わり
日本料理店へ。

一緒に食事をする。

午後9時過ぎ、日本料理店閉店。

かなりの雨。雨の中、カッパを着て「ハイリーホテル」へ。

今日は明日帰国の準備をする予定だったが、ボランティア貯金
会計報告作成の仕事があり、帰国準備・10月11月の部屋の
カビ対策の準備ができないまま1日が終わる。

投稿者 koyama : 23:51 | コメント (0)

2009年09月21日

ボランティア貯金会計関連資料作り:帰国準備:地球の歩き方6班晩餐会

快晴 気温と湿度高し

午前6時起床。

午前7時朝食。キャッサバ芋の麺(私の大好物)


ボランティア貯金会計部分の資料をハンさんからもらい、
申請書の会計部分と照らし合わせる。

2010年度、JASSベトナムの活動方針を書く。
骨格を考える。

途中で帰国の準備。次回フエに戻るのは11月末か?
10月から雨季に入り、11月末にフエに戻った時点で
部屋の全ての衣類にカビが生えている。
カビが生えるのは、人間のたんぱく質がくっついているから。
部屋にある全ての衣類をきちんと洗濯し、「衣類収納圧縮袋」
に入れておかなければならない。
部屋にある全ての衣類の洗濯を何回に分けて行っている。

メールの返信。

午前11時半、昼食。大塚さんと原田先生は仕事で欠席。


カボチャの煮物、さつま揚げ、野菜スープ


午後12時から1時間昼寝。

午後1時、読書「こころ」(夏目漱石著:新潮社)読了。

引き込まれるように読んだ。興味津々。
作品に出てる来る人物は、「先生」「K君」「奥さん」「お嬢さん」
「叔父さん」と全て不確かな人間。しかし、人間が生きている
間にどこででも出会いそうな人々である。
主人公は熊本の素封家の息子。東大に入る。両親が死に
親切そうな叔父さんに騙され、素封家の親の財産を取られる。

熊本から東京に出ている汽車(3等)の中で「先生」と
同席する。
その後、先生との付き合いが始まる。

家族、生い立ち、女性との出会い、結婚、友人のKの自殺、
そして尊敬する「先生」の自殺と読んでいて面白い。
漱石の人間観察、心理描写は21世紀の今日にも
十分通じる。読了後、親戚、家族、夫婦、友人、人生に
ついて改めて考える機会を与えられたような気がする。

午後3時半、ボランティア貯金会計部分の資料を読み込む。
会計部分を書き始める。資料が不十分な点があり、その部分は
明日、ハンさんから改めて資料をもらうことにする。
申請書の文章部分と会計部分との整合性を十分考え
会計部分を書く。

午後5時ベトナム事務所へ。ブライセン関連の打ち合わせ。

午後6時半、地球の歩き方6班の晩餐会。
今回は24人の参加者。

ピースインツアー添乗員の阿部さんもしっかりと添乗の仕事を果た
していた。

接客係りのグエットさんとリー君が「メニュー」の説明


団長さんの乾杯挨拶


誕生日の参加者の誕生祝い

会食が始まる


リー君も仕事になるとしっかりと仕事をする

接客主任のグエットさんはいつも真面目一筋

晩餐会の最後に日本料理店スタッフの自己紹介

最後に日本料理店指導者の大塚さんの挨拶

午後8時半、晩餐会終了。日本料理店前で記念撮影


その後、こどもたちと日本料理店の片付け。

午後9時半、大塚さんと一緒に「ハイリーホテル」へ帰る。


投稿者 koyama : 23:35 | コメント (0)

2009年09月20日

日本語教師体験ツアーの方へ1時間ちょっと講演

快晴  日曜日  気温36度 湿度高し 路上は40度

昨夜、リー君、原田先生と11時過ぎまで飲む。
朝、起きられない。

午前6時起床。
直ぐにシャワーを浴びる。バスタオルで体を拭く。
体が痒い。バスタオルを見ると多数のアリがくっついていた。
髪の毛の中から体中にありが動き回っている。小さな
茶色っぽいあり。

5~6箇所食われる。

部屋にあるバスタオル3枚を点検。全てのバスタオルに
大量のありが侵入していた。

大塚さんの部屋も同じようにありがバスタオルにくっついていた
という。なかなか「油断のならぬ」フエ生活である。

午前7時半、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所前の「路上喫茶店」にりー・インが座り、
コーヒーを飲んでいる。昨日、バオミンさんと30分以上
も話し、どんな理由があっても日本料理店前の
路上喫茶店への出入り禁止と言い渡してあったのに・・・・。
昨日、「分かりました」と言った下の根も乾かないうちに。
何を考えているのだろうか? 何も考えていないのか?
日越の文化の違いか?

午前8時、「日本語教師体験ツアー」(参加1名)の
参加者に1時間ちょっと話をする。
フエでの活動、現在のJASSの自立に向けての取り組み、
日本語学校、フエ高等師範大学など。
日本の教育の問題点とそれに対する「子どもの家」など
私たちがフエで進めている取り組みについて。

午後9時半から昼間でベトナム事務所で某スタディーツアーへの
意見書

午後11時半、「ハイリーホテル」。
今日は日曜で朝食がない。朝食抜きでベトナム事務所での
講演を行った。

「ハイリーホテル」へ戻り、あまりに暑いので、とりあえず
缶ビールを飲む。冷えた缶ビールがすきっ腹にスーと
入っていく。何ともいえない幸福感。

スルメやちょっとした乾き物のおつまみで、缶ビール3本。

日本料理店で残ったご飯を温め、レトルトのカレーをかけて
食べる。

本来は朝食後に血圧の薬と心臓の薬を飲むのだが、
朝食抜きだったの昼食(?)後に飲む。4種類。

午後1時。洗濯。

酔いも回ってきた。昼寝。熟睡。

午後3時半に目覚める。

1時間半ほど読書「こころ」。

午後5時、洗濯物を取り入れる。

9月23日の午後、ハノイ日本人会の講演会のため
フエを発つ。翌日24日の午前中、ハノイで講演会。
その足で、ハノイ →ホーチミン市 →日本
静岡大学留学生3人を連れて帰国する。

帰国の準備を始める。帰国用持ち物一覧表を作る。

エヤコンを最強にしても室温は「32度」。外気温は夜に
なっても34度。湿度70%。暑苦しい夜になる。

午後8時、外気温を見たら急に喉が渇く。

フダ缶ビールを「軽く」飲む。

7月31日夜、フエに戻り、その夜から活動をはじめ
今日で丁度52日目。日曜日も含めて1日も休みなく
仕事を続けた。心身ともに疲れた。特に私の担当する
仕事はほとんどが、案内、講演、接待等「人との付き合い」
である。様々な方々が来訪する。どの方ともうまくお付き合い
するように努力している。人との付き合いは神経を使い、
疲れる。
やらなければならない仕事は数多くある。
しかし、そのエネルギーがかなり枯渇している。
52日間連続休みなしの仕事は、やはり無理である。

今日は、食事は昼食のみ。

投稿者 koyama : 21:21 | コメント (0)

2009年09月19日

リー・イン君と話し合い:ブライセン関連懇談:日本料理店給料日

快晴 気温34度

午前7時朝食。精進麺

大塚さんは船上生活者の医療支援へ

午前8時から受信メールへの返信。某スタディーツアーについての
意見書を書く。

午前10時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所前の路上喫茶店(テーブル3個)にリーとインが
座っている。一昨日、二人を呼んで「路上喫茶店」には行かない
ように」と話し、二人も分かったと答えていた。この問題は
既に2ヶ月ほど延々と続き、繰り返している問題である。
一つには、勤務時間中(午後2時半から午後10時)に
職場(日本料理店)を離れて、勝手にこの路上喫茶店に
入り浸っていること、二つ目には、ここが品性の悪い連中の
溜まり場となり、賭けトランプや昼間からの飲酒をしている
という問題である。リーとインは、数年前までは、ギャンブルに
のめり込み、1日中ギャンブルをやり。お金がなく、様々な
問題を起こしていた。やっと日本料理店にきちんと勤めだして
からギャンブルから手を引いたかに見えたのだが。
日本料理店の目の前に「賭場」ができたようなもの。
また、昔のばくち打ち気分が出てきている。
そんな事情があり、一昨日、「路上喫茶店の出入り禁止」
ましてや勤務中に行くことはご法度と申し渡したばかりで
ある。リーは自分が間違っていたと素直に謝る。
インは言い訳タラタラ。路上喫茶店に言ってはいけないのは
勤務時間中だけと聞いていたので、午前中の自由時間に
言った、などと屁理屈をこめまわす有様。
勤務中であれ、勤務時間外であれ、博打をしている「悪い連中」
がたむろする路上喫茶店にJASS関係者がいること自体が
問題なのだと話す。16年間のJASSの活動で、JASSは
それなりにフエの町では尊敬の位置を占めている。
そうしたJASSのスタッフが、町の「悪連中の大人」と
ギャンブルや昼間からの飲酒をする場に出入りしていては
町の人たちから笑われると言う趣旨の話を再度し、JASS
スタッフとしてのきちんとした誇りをもって行動して欲しい
厳重注意をする。二人は「分かった」という。

10時半からブライセンの仕事などの件で関係者と
懇談。

午前11時半、昼食。

ミットのスープ、魚の煮物、もやし炒め

午後12時半から1時間、昼寝。

読書「こころ」。非常に読みやすく、人間の細かい心理描写が
90年後の私たちにも十分通じるものを持っている。
東大本郷から動坂など本郷から駒込付近が散歩の
舞台となっている。

いつくかの問題を整理。
バオミンさんと電話で打ち合わせ。

午後3時、理髪店へ。100円。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。

日本料理店では、21日(月)の『日本語教師体験ツアー』
昼食、夜の地球の歩き方晩餐会の献立をこどもたちが
相談していた。聞くとはなしに聞いていた。
旬の野菜をいれると安いから買う、お客さんが大学生が
多いからコロッケなど少しボリュームのあるものに
しよう、などと話し、買うべき食材一覧を作っていた。
予算と照らし合わせ、適切な材料代となるよう工夫していた。
大したものである。

午後5時半、日本料理店夕食。


夕食。

午後6時半、お客さんが来はじめる。

お寿司A(小盛り)の注文あり。
こどもたちがお寿司を握る様子を観察。
なかなか手際よく握っていた。カッパ巻きの海苔も
巻き簾を上手に使っていた。

午後9時過ぎまで10人の来客あり

今日は日本料理店の月給日。
一人一人に月給を手渡し、諸注意や励ましの言葉を掛ける。

副店長(リー君が店長だったが、3ヶ月の家出があり現在降格・
店長なし)のトゥーイさんは同時に調理主任でもある。
昨年から自立し、郊外の農村で物売りをしている母親と妹と
生活している。トゥーイさんの給料が家族の生活費の中心に
なっている。

接客主任ノグエットさん。真面目に仕事をしている。
特に生ビールの管理と3対7(泡対ビール)の注ぎ方が
うまい。日本料理店の給料で自立し、同じく自立し小学校の
教員をしている姉と共同生活。私の高校の同級生の清水君が
入所した時からの里親をしてくれた。奥さんと「子どもの家」まで
来てグエットさんを励ましくれたこともある。

イン君 調理係り。ちょくちょく大きな問題を起こす。



イン君  時々問題を起こすが、根は優しい所を持っている。

チャンさんとヒエウさんは「子どもの家」から通っているので
毎月2000円の手当ては、「子どもの家」で貯金している。
退所時の生活費などになる。3年程日本料理店で研修を
しているので、毎年24000円程の溜まる。既に7万円
程の貯金となっている。オートバイ1台は買える。

午後9時半、今日は土曜日。一週間の最後の日であり、
明日、日曜日ということで、リー君、イン君(友達出かける)
大塚さん、原田先生と一杯飲む。
途中、10時過ぎ、大塚さんは一足先に帰宅。

リー、小山、原田先生の3人で11時過ぎまで飲む。


投稿者 koyama : 20:25 | コメント (0)

2009年09月18日

地球の歩き方6班講演会:GOD VISIONS懇談:東北福祉大N先生・G先生懇談

快晴  気温34度

午前6時起床

午前7時朝食。

乾麺のうどん

午前7時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。

午前8時、ベトナム事務所で地球の歩き方6班(24人)
の皆さんにベトナム事務所員を紹介。

バオミンさんと私で地球の歩き方の皆さんを「子どもの家」
まで案内。

午前8時半から1時間半、「子どもの家」で講演会。


講演会終了後、GOD VISIONSの岡崎さんとベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で2時間半ほど、今後のJASSとの提携に
ついて話し合う。

午後12時半、話し合い終了。

隣の精進料理屋で昼食の精進ほか弁(50円)を買う。

午後1時過ぎ、「ハイリーホテル」へ。精進ほか弁を食す。

午後1時半過ぎ、昼寝。

午後2時起床。
午後2時半、ベトナム事務所へ。東北福祉大のN先生とG先生
が来訪。ストリートチルドレン絵画展で「子どもの家」の
こどもたちの絵画をカレンダーに掲載してくれている。

昨年のストリートチルドレン絵画展カレンダーの掲載された
日本料理店のチャンさんの記念写真


しばらく懇談。

その後、バオミンさん、N先生・G先生と一緒に「子どもの家」へ。
私の案内で「子どもの家」の施設案内。

「子どもの家」B棟の屋根と裏側の塗装の工事をしていた。
雨季が始まる前に完了したい。


昨年カレンダーの掲載された子どもと今年のカレンダーに
応募したこどもたちと記念撮影

午後6時まで東北福祉大の先生方と一緒に絵画展の
こどもたちと交流。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。日本料理店で軽く
飲みながら交流。

午後7時半、GOD VITIONSの岡崎さんが日本料理店
に来店。

席を岡崎さんに移し、今後の協力問題などを話し合う。

午後9時、終了。午後9時20分閉店。

今日は11人の来客アリ。


午後9時40分、「ハイリーホテル」へ到着。

朝から1日中の仕事であったが、収穫の多い1日であった。

かなり疲れる。

たくさんのメールを受信しているが読む時間がなく
返信できない。申し訳なく思っている。

今日の昼、子ども針の会の皆さんがハノイへ。

投稿者 koyama : 23:47 | コメント (0)

2009年09月17日

「子どもの家」卒業生 ヒエウさん結婚式:子ども針の会晩餐会:税田さん一時帰国

快晴  午後6時の気温30度、湿度60%


午前3時起床。ボランティア貯金関連のメールへの返信
のための資料を読む。

午前7時朝食。「青豆のおかゆ」


午前8時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんといくつかの
問題で打ち合わせ


午前9時、獨協大学Tゼミの皆さんがベトナム事務所
を訪問。

40分間、JASSの活動について説明


午前10時、リー君、イン君を呼び、いくつかの問題に
ついてきつく注意をする。
最大の問題は、日本料理店の前にできた路上の
喫茶店で日曜日にギャンブルやお酒をご馳走になっている
こと。相手は多少人生を曲がって生きていている人々。
この種の人たちとの付き合いを深めると、ギャンブルだけでなく
酒井のりピーのような人生が待ち構えている。
今後、日本料理店前の喫茶店への出入りを禁止した。
守れなければ日本料理店を解雇することを言い渡す。
これは、実行する決意である。

午前11時、バオミンさん、リー君、イン君の3人で
「子どもの家」の卒業生ヒエウさん(23歳)の結婚式
に行くため、「子どもの家」へ。セン委員長、ロック寮長など
「子どもの家」の寮母さん・スタッフも一緒に行く。

「子どもの家」には、獨協大学Tゼミの先生など
学生の皆さんがこどもたちと交流中。

「子どもの家」2階では、美容学校の生徒が「子どもの家」
のこどもたちの理髪をボランティアでしてくれている。
自分たちの練習でもあるのだが・・・・・

雨季に入る前にB棟2階の屋根の雨漏り防止のための総改修工事
「子どもの家」入り口のドアの塗装と溶接工事をしていた。


「子どもの家」スタッフ、バオミンさん、りー君、イン君、
ヒエウさんのミシンの先生などと一緒にヒエウさんの
実家であるフエ郊外の農村地帯へ。

フエ市内から40分。フンチャー郡の純農村にヒエウさんの
実家はあった。

結婚式場はヒエウさんの実家。入り口に新郎新婦の
写真が飾ってあった。

結婚式は宴もたけなわとなっていた。

ヒエウさんは、赤いアオザイ。

農村の質素で純朴な結婚式である。結婚式の原点とも
思えた。


ヒエウさんの家

お母さん(54歳)とヒエウさん

父親が早くなくなり、7人兄弟の6番目に生まれた
ヒエウさん。お母さんは農業をしているが収入は少ない。
7人のこどもを育てることができない。
ヒエウさんを10年ほど前に「子どもの家」に入所させた。
ヒエウさんは手先が器用なのでミシンの研修を行っていた。
お母さんも夫を亡くし母親の手で7人のこどもたちを育てて
来た。苦労したことだと思う。お母さんの顔を見ると
口に出せない「人間と人生の宿命と苦労」が分かるような
気がした。ヒエウさんは、日本の里親の藤井志保子さんに
何度も感謝の言葉を伝えて欲しいと言っていた。

結婚式に参加したヒエウさんを育てた「子どもの家」スタッフ

新郎新婦・母親とともに



ヒエウさんの家を一回り。確かに貧しい家であった。

しかし、「子どもの家」に入所し、ミシンの技術を覚え
自立し収入を得ている。こうして結婚し、幸せな家庭を
作って欲しいと心底思う次第である。


お母さんと7番目の妹

午後1時、結婚式を終了。
ビールが出たが、「危ない氷」を入れるため、暖かいビールを
少し飲む。

午後2時、「ハイリーホテル」へ帰る。
さすがに暑さもあり、疲れる。1時間ほど昼寝。

ボランティア貯金申請書会計部分の件で山西さんに
メールを書く。

ブライセン本社へメール。

その他関係者何人かに返信メールを送る。


午後6時。こども針の会(代表 大極安子さん)の晩餐会。
今回、小児針の治療を行ったところは、フエ市立病院、
フールー小学校、スンフー地区障害児父母の会、
フーハウ地区障害児父母の会、「子どもの家」。

今夜はこれら治療を行ったところの関係者を呼んでの
晩餐会。


「子どもの家」セン運営委員長、タム医師

大極安子代表、小山


フールー小学校長と子ども針の会の先生

午後8時半、晩餐会終了。

午後9時、「ハイリーホテル」へ帰る。

今日は夕方、税田さんが一時帰国した。

今日は気温と湿度が高かった。長い一日。
疲労も極限まで。

投稿者 koyama : 22:38 | コメント (0)

2009年09月16日

こども針の会スンフー診療所へ

快晴・時々曇り  気温30度から34度 湿度高し

午前6時起床。
午前7時朝食。マカロニスープ

午前8時半、大極安子産たち5人「子ども針の会」の
皆さん、バオミンさんと一緒にスンフー診療所へ行き、
障害のあるこどもたちに「小児針」の施術を行う。

診療所の外には「麻薬撲滅」の看板が出ていた。
ベトナムでも若者を中心に麻薬が広がってきている。

障害児の親に家庭でできる「小児針」の仕方を教える。

午前10時半、スンフー診療所での治療を終わり、昼食へ。
チャオバンカンの本店。皆さん、3杯食べる。
だしが効いて本当に美味しい。



午後12時半から1時間、熟睡。

午後2時から多量の受信メールの中で一番重要な
ボランティア貯金申請にかかわるメールに多少長文の
返事を書く。

あるスタディーツアー関連の件で不当なメールが来たので
反論のメールの草稿を書く。この問題はきちんと結末を
付けたい。

午後5時、ハノイにいる次男から電話。ハノイは雨とのこと。
しばらく種々の話をする。

午後5時半、「こども針の会」の皆さんと夕食。
伝統的なベトナム料理。

食後、「ハイリーホテル」へ戻り、ボランティア貯金関連の
メールへの返事を書き直し、送信。

いくつかのメールに返信。

投稿者 koyama : 23:39 | コメント (0)

2009年09月15日

「グエンフエ高校」創立45周年記念式典

快晴 気温34度


午前6時起床

午前7時朝食。キャッサバ芋の煮込みうどん

午前7時45分、バオミンさんがオートバイで「ハイリーホテル」へ
迎えに来てくれる。今日は長い間支援をしている「グエンフエ高校」
創立45周年記念式典があり、招待状が来ている。

午前8時過ぎ、「グエンフエ高校」に到着。

1800人の生徒、旧職員、多くの来賓が参列。

式典は真夏の太陽が照りつける校庭で行われた。

1時間ほど、生徒や先生たちの歌や踊りが続く。

「グエンフエ高校」の名前のグエンフエ将軍の故事来歴を
踊りで示す。

女性教員全員の歌 「 思い出のフエ」

生徒の踊り


午前9時、校長先生の挨拶

「グエンフエ高校」が1964年9月15日「THANH NOI(タイン・ノイ)
女子高校として創立された。創立当時は「ハイバイーチュン高校」の
分校であった。
1975年のベトナム「革命」で新制度に移り「グエンフエ高校」
と名前を変えた。

フエ省知事の挨拶

卒業生代表の挨拶

その他、延々と種々挨拶行事が続き、午前10時半、式典は
終了。その後、立食パーティー。私とバオミンさんが立食パーティー
を辞退。

「グエンフエ高校」には、「子どもの家」から2人の生徒が通っている。
1年生のニューさん・2年生のニさん。二人とも理系クラス。
「グエンフエ高校」の入り口で記念写真を撮る。

急いでベトナム事務所へ。バオミンさん、税田さんと当面の
諸問題を協議。バオミンさんが2週間のアクアドル滞在中に
起こった問題など当面の問題を共通認識としる。

午後12時半まで3人で協議。

私はベトナム事務所の隣の精進料理屋で50円の
精進ほか弁を買う。「ハイリーホテル」へ。

昼食を摂り、午後1時半昼寝。1時間。

午後2時半、いくつかのメール受信。
その中に目視できないメールあり。2時間ほどかけて
反論と抗議のメールを書く。

午後6時、日本料理店へ。

日本料理店には、日本の若者2人がガイドブック地球の歩き方
を見て来店。しばらくの間、JASSの活動などを話す。
なかなか真面目な好青年だった。

来客多し。

午後9時半閉店。

大塚さんと「ハイリーホテル」へ帰る。

投稿者 koyama : 23:49 | コメント (0)

2009年09月14日

早稲田大学ツアー講演会:こども針の会フエ市立病院へ治療

晴天 気温34度

午前6時半起床。

午前7時、朝食 ブンボー

午前8時20分、ベトナム事務所へ。子どもの針の会
の皆さんがベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員紹介。交流。

支援物資を頂く


個人的に「浦霞」一升瓶を頂く。

こども針の会支援者から支援金を頂く。

こども針の会とベトナム事務所員と相互自己紹介。

午前9時。ベトナム事務所付属刺繍みやげ物店の
ハンさんがベトナム事務所へ。2ヶ月前にこどが生まれた。
来年の2月まで休みたいとのこと。
私の方からは、出産おめでとう。休暇については
バオミンさんが明日帰ってくるので、その後相談する
との返事をする。


午前9時過ぎ、早稲田大学学生ツアーがベトナム事務所。
1時間半、「子どもの家」の活動について話す。

午前10時半過ぎ、話を終え早稲田大学学生は「子どもの家」へ。

「ハイリーホテル」へ戻り、午前11時半昼食。


午前12半から1時間程昼寝。

読書「こころ」(夏目漱石著:新潮社)144刷。
超ベストセラー。
今から100年前、大正2年の作だが、読んでいて
けして飽きない。近代日本の矛盾をその中に孕んだ作品。

午後4時、ソン君とドンバ市場へ。この15年間支援してきた
A君の車椅子の調査。現在25歳。10歳の時から3台ほど
車椅子を上げている。ドンバ市場で障害を見世物にして
物乞いをしている。お母さんが一緒。自宅まで車椅子で
1時間。15年前に出会い、支援を続けている。
段々と体が大きくなり車椅子が小さくなる。
既に3回車椅子を変えたが更に大きな車椅子が必要。


A君の体のサイズを8箇所ばかり測定。A君の体にあった
車椅子を贈呈する予定。10月に札幌の「飛んでけ車椅子の会」
が2台の車椅子を持って来てくれる。

午後5時半、日本料理店で夕食。

来客多数。
早稲田大学の学生が体調を崩し、日本料理店から「おかゆ」を
持って行く。

午後9時半、「ハイリーホテル」へ帰る。


投稿者 koyama : 23:52 | コメント (0)

2009年09月13日

子ども針の会の皆さんをフエ空港へ出迎え

快晴

午前6時に目が覚めるが、そのまま横になり、午前8時起床。
久しぶりに朝ゆっくりと起きる。

7月31日にフエへ戻っていら45日間、一日も休みない
活動にはさすがに体力が持たない所がある。

昨夜の日本料理店の残りをもらって来た。
レンジで温めて簡単な朝食。

部屋の掃除。ごみを掃いて、水モップで拭く。
トイレ掃除。漂白剤を使い、水垢を取る。

メールの受信。久しぶりに時間を多少かけて
何人かの方々にメールを送る。

読書「官僚たちの夏」(城山三郎:新潮社)
7割程度読む。
8月は3冊、9月はまだ1冊しか本が読めない。
スタディーツアーの応対などの理由。
久しぶりに読書で気持ちがリラックス。
今日は、午後5時までは仕事がない。

午前11時、40日ぶりにウオーキング。
往復45分。久しぶりに歩いたので足の筋肉が痛い。

「ハイリーホテル」の前の墓地が改修され宅地へと
なりつつある。土葬の墓を掘り、骨を取り出している。


こうしてまた一つ先祖伝来の墓地が消えて、近代都市
らしきものができてくるのである。そして、墓地を
改修して宅地として売り出す「ある階層の人々」が
たらふく儲かり、我が世の春を謳歌するのである。

フォン川の支流沿いを歩く。小舟がゆっくりと進んでいる。
のんびりしたフエ郊外の農村風景である。気持ちが和む
ひと時。

一度、「ハイリーホテル」へ戻る。
「ハイリーホテル」5階の洗濯の部屋にはカエルが
住み着いている。死んでいるのかと思ったら
喉の部分が動いていた。1日中、全く動かないで
ガラス窓の近くにじっとしている。


その後、電動バイクでミネラルウオーターとフダビールを
買いに行く。

午後12時半、洗濯。
スニーカーを石鹸水につける。明日、洗う。

午後1時から1時間ほど昼寝。

その後、読書「官僚たちの夏」読了。
実名は出ていないが、池田内閣・佐藤内閣時代の
通産省内のキャリア組の生き方が題材。
今日、官僚への風当たりは強い。1960年代の
官僚はかなり豪傑と「国のため」意識のある人物も
いたという内容。同時にキャリア組は常に自らの
出世のことしか考えていない連中もいることが分かる。

昨今の年金問題などを見ていると、良し悪しは別にしても
1960年代の官僚の能力とバイタリティーは、やはり優れた
ものがあった。今日では、民主党が勝ち政権が委譲される
2週間ばかりの「空白」を盗むように「高級官僚」の天下りが
平然と行われている。人間の質が低下したとしか言えない
現象である。本書にでてくる主人公とそれに連なる
人間集団は、政権移譲の空白を盗むかのように天下りをする
という程度の低い人物としては描かれていない。

午後5時半、ソン君が「ハイリーホテル」へ車で迎えに
来る。
午後6時、フエ空港へ。午後6時20分着のホーチミン市
からの飛行機が20分ほど遅れる。
「こども針の会」の皆さん5人が無事到着。

ソン君と一緒に5人の「子ども針の会」に皆さんと
「マイダオ」へ行き、フォーと食べる。

途中、日本料理店へより、大極さんに渡す
変圧器を取りに行く。
日本料理店の前のカバン屋の前でシクロの運転手や
ホテルの警備員とリー君、イン君が飲んでいたい。
日本料理店の前での飲酒は禁止しているのだが、
給料日の翌日に月給を使ってしまい、その後は
誰かから「物乞い」状態でお金やお酒をご馳走になり
生きているのが現実である。
私はリー・イン兄弟を何度も呼んでお説教をしている。
月給は一般的な意味で言えば十分もらっているのだ。
もらった月給の範囲で生活しろと。
しかし、二人は、月給の何倍もの生活をし、足りなくなれば
友人から借金。それでもお金がないと、日本料理店前の
カバン屋や隣の精進料理屋、近くのホテルの警備員に
ご馳走になるという図式を毎週を過ごしている。
ストリートチルドレン時代の「物乞い精神」は今でもしっかり
残っているのである。この物乞い精神との闘いが、
りー・イン兄弟との「非妥協的な闘い」の核心なので
ある。物乞い精神と乞食根性を払拭し、自分の収入の
範囲で生きていく術を学んで欲しい。この二人に
月給の範囲での生活を教えることは至難の業である。
5歳から10年近く経験した「物乞い精神」である。
たった二人の出来事である。しかし、海外支援の
本質はここにあると思っている。数値主義や数年の
自立などできる訳はないのである。
10年間で身についた「乞食根性」「物乞い根性」を払拭
するのには、大変なエネルギーと時間が必要である。
数字で結果を見ようなどという某機構、外務省などの
成果主義、数値主義、結果主義、3年位での自立論などが
いかに机上の空論かが分かる。

午後9時前フォンザンホテルへ。

これから6日間、フエで小児針の治療を行う。

午後9時、「ハイリーホテル」へ戻る。

投稿者 koyama : 19:06 | コメント (0)

2009年09月12日

「ハイリーホテル」で終日仕事:夕方、大学生協晩餐会

フエ省・フエ市要人来日・JASS東京と懇談会

2009年9月11日、フエ市共産党副委員長のDUNGさんを
はじめ、フエ省警察外国人担当部長、フエ市外務部副部長、
フエ市公営会社社長の4人が来日。JASS東京の会と
懇談・懇親を深めた。今後のJASS支援のあり方、フエ省・フエ市
との協力の進め方、ストリートチルドレンや貧困家庭の子弟の
支援の仕方、フエフェスティバル参加の件、
フエ省立フエ高等師範大学日本語学科支援の仕方など
多岐にわたって懇談を進めたとの報告を受けている。
フエ市・フエ省幹部とJASS東京の懇談会などを通して、
JASSとフエ省・フエ市との協力共同体制は一層深まった。

お忙しい来日日程の中、懇談会に参加して頂いた
フエ市・フエ省要人の皆さんに感謝。
また、各種仕事や日程を差し繰り歓迎懇親会に参加頂いた
福田もえ子JASS日本委員長・松下安希子JASS東京代表
をはじめ参加の皆さんに深謝。

両国の交流・友好関係は一層深まったと確信する。


来日した4人のフエ省・フエ市の幹部



1997年、フジテレビの番組取材で「子どもの家」に一週間
滞在した原田虎太郎君も参加してくれた。私の私設秘書。

JASS日本代表委員会委員長の福田もえ子さんとDUNG
フエ市共産党副委員長

JASSベトナム事務所に4年間常駐し、ストリートチルドレン支援
活動・障害児支援・99年台風の支援活動を行ってくれた
舟山さんも駆けつけてくれた。ありがたいことである。


懇談会の参加者の多くはベトナム事務所の日本語教師などで
フエに長期滞在した人たちである。

フエにはいなくても、こうした形で現地を支援してくれる
皆さんの支援の仕方に改めて御礼を言いたい。


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快晴  気温34度 湿度高い

午前6時起床。気候のはんかが大きく、頭痛・倦怠感あり。

午前7時朝食。ブンボー   
大塚さんは船上生活者の支援へ。


洗濯。
部屋にある衣類を屋上に干す。一週間ほど雨だったため、
部屋においてある衣類がかなり湿ってしまった。
今日は晴天。屋上で太陽に当てて、日光消毒をする。

午前10時前、フエ平和村へ大学生協スタディーツアーの
皆さんといっている税田さんから電話。


7月末に帰国し、今日まで40日間、スタディーツアーの
対応などでメールを読む時間が本当になかった。
スタディーツアーでの仕事がない場合でも、日本料理店閉店
午後9時半までは日本料理店にいて、その後「ハイリーホテル」
へ帰り、火炎樹日記を書くという毎日である。

今日は久しぶりに昼間仕事がない。
この40日間の受信メール全てに目を通し、返事を出していない
メールに返事を出す。かなり大量の返信となる。


午前11時半、昼食  煮魚、サラダ、野菜スープ、ご飯


ナムドンに行っている税田さんから電話。

引き続き、メールの受信・送信。

9月24日、ハノイの日本人会での講演会の内容を
まとめる。

9月末までのスタディーツアー、訪問者日程などの
諸問題を列記する。

明日、バオミンさんがエクアドルから帰国。

9月14日(月)、バオミンさん、税田さんと当面の
日程、諸問題などを協議する。話し合う内容を
整理する。


午後6時半、日本料理店で大学生協スタディーツアーの
皆さんと最後の晩餐会。

税田さんの司会。グエットさん、リー君のメニュー紹介

代表の学生さんの「乾杯の音頭」で水で乾杯する。


大学生協スタディーツアーの代表の方から「子どもの家」への
支援金を頂く。


本日の来客19人。

午後9時過ぎ、閉店。その後、リー君、イン君、大塚さん、
税田さん、ほらだ先生と飲む。途中で大塚さん、税田さんは
帰宅。

私と原田先生、リー君、イン君で午後11時15分まで
世間話をしながら飲む。


午後11時半、原田先生の「護衛」で「ハイリーホテル」到着。


投稿者 koyama : 18:19 | コメント (0)

2009年09月11日

終日、「ハイリーホテル」でメール送受信・今後の各種計画立案。

9・11テロの3000人の犠牲者に心から哀悼の気持ちを
捧げたい。

その後のブッシュの「テロとの戦い」が8年後の今日どうなって
いるのかの総括が必要である。アメリカはイラクに火をつけたが
大火事になり、結局撤退。アフガニスタンもタリバン勢力が
増大し、事実上、手の付けられない状態にあるのは事実である。
こうしたブッシュの侵略を世界で最初に支持した小泉元首相こそ
麻生元首相より自民党敗北のA級戦犯である。
小泉元首相は9・11以降の「テロとの戦い」と称した米国の
侵略とそれに同調した諸国の自己批判が必要。
日本の大マスコミが、小泉元首相のこの点を全く批判していない
ことに、大マスコミが「真実を語り」批判精神を失った
「実態を見る」思いがする。

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晴天・曇り  気温34度。

午前6時起床。

午前7時、朝食。青豆のおかゆ



午前8時過ぎから午前11時過ぎまでメールの送受信。
この3週間ほどスタディーツアーの対応とボランティア貯金
申請書作成で本当に忙しかった。受信メールを読む時間が
なく、送信も出来なかった。

この3週間に受信した100通近くの受信メールを
詳細に読み、必要な返信をする、

午前11時半、昼食。

午後12時半から1時間半熟睡。かなり体が疲労している。
本格的に寝てしまった。

午後2時、読書「官僚たちの夏」(城山三郎著:新潮社)


午後3時、ボランティア貯金申請書関連のメールを関係者に
送信。

受信メールで返信が必要なものについて送信。

税田さんと電話でいくつかの問題を話し合う。

午後5時半、日本料理店で夕食。

マナズのから揚げ、芋茎(ずいき)の煮物。美味しい。

日本料理店の練習で「お好み焼き」。こどもたちが作る。
美味しい。2種類。ベーコン入りお好み焼き、シーフードの
お好み焼き。私はベーコンお好み焼きを食べたが、美味。


日本料理店のこどもたちは明日の夜の大学生協
スタディーツアーの夕食会の献立を話し合っていたい。
食事の献立はこどもたちは考え作っている。
当然、旬の食材が一番安い。安い食材を使い、
いかに美味しい夕食を出すかを話し合い、こどもたちで
決めていた。素晴らしいことである。
20歳前後のこどもたちだけで明日の10数人の夕食会の
メニューを決めている。お客さんの年齢層、旬の安くてうまい
食材を考え献立を立てていた。日本の若者には出来ない
ことである。こうした経験を通して、調理のこどもたちが
来客の年齢と好み、採算を考え、メニューを考えるという
ことは「生きた社会勉強」である。日本のへなちょこな
大学で経済学など学ぶよりもよほど深い学問研究を
していると思える。

分からない所は大塚さんの助言を受けているが、基本は
こどもたちが考え、献立を作っている。



今日はタイ人7人、ドイツ人2人の来客。

午後9時閉店。

大塚さんと「ハイリーホテル」へ帰る。
かなりハンドルが揺らぐ。風のせいなのか?

投稿者 koyama : 19:15 | コメント (0)

2009年09月10日

「グエンフエ高校」静大入試説明会:大学生協講演会:静大T先生ゼミ晩餐会

晴天  快晴  気温30数度。


午前6時起床。

午前7時朝食。マカロニスープ

昨夕から全国大学生協スタディーツアー(10人)が来訪。

午前8時、ベトナム事務所でベトナム事務所員紹介。
今日いつもの司会者である税田さんが静大T先生ゼミの
案内をしているので、私が司会。



ベトナム事務所員の自己紹介


午前8時半、クアンさんと一緒に「子どもの家」着。
大学生協スタディーツアーの皆さん(10人)に
講演会。

1時間半の講演会を行う。

「子どもの家」に日本語教師のフーン先生が待っている。
講演会が終わるのを待ち、フーン先生と一緒に「グエンフエ高校」
へ。

静岡大学工学部への留学説明会。フーン先生の通訳。

グエンフエ高校理系1番から10番までの2年生・3年生の
中から選抜された生徒5人と母親2人が参加。
9月25日から静岡大学工学部へ入学するために訪日する
「グエンフエ高校」卒業生のティン君も参加。
自分の入試への体験を話してもらう。


2年生の親子も参加。母親から多くの質問あり。


参加の保護者の方々は熱心に多くの質問や希望を話す。

1時間半、留学希望者の生徒と保護者に留学説明。

午前11時半、説明会終了。

大学生協スタディーツアーと「グエンフエ高校」での説明会
で3時間ほど話す。さすがに声が出なくなり。疲れる。

フーン先生とベトナム事務所へ戻る。
午前11時40分。

ベトナム事務所の隣の精進料理屋で昼食のほか弁を買う。
1万ドン(50円)。

「ハイリーホテル」へ戻り、精進料理を食べる。

午後1時、昼寝。1時間半熟睡。

午後2時半、ボランティア貯金申請書の最終書き上げ。
午後6時まで集中してボランティア貯金申請書を書き上げる。
字数で1万5千字程度。400字詰め原稿用紙で35枚程度。
私たちボランティアの現場の仕事は「理屈」や「お説教」ではない。
この種の具体的な仕事を一つ一つ解決していかなければならない
現場主義なのである。評論家のような高見の見物的な視点での
お説教をいくら繰り返してもこどもたちの支援にはならない。

何とか日曜日から数日かけて、スタディーツアーの合間を
見て書きあげる。山西さん、渡辺さんに送信。
交付金がもらえるようになることを祈る。

さすがに疲れる。

ボランティア貯金申請書を書き上げ、急いで
日本料理店へ。静岡大学t先生ゼミの夕食会が
日本料理店で行われる。

税田さんの司会で夕食会が始まる。

接客主任のグエットさんと「元店長」のリー君が
今日のメニューの説明。メニューを書くのもグエットさん
の仕事。

t先生の乾杯の音頭で開会

午後8時半、夕食会終了。

日本料理店スタッフの自己紹介。

最後に日本料理店前で全員の記念写真


午後9時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。

今日はなかなか密度の濃い仕事の1日であった。

ボランティア貯金申請書を書き上げてほっとしてる。

関係者のビザが出来上がり、これもほっとした。

色々な方々とお付き合いをした1日であった。

投稿者 koyama : 20:03 | コメント (0)

静岡大学人文学部ゼミ(16人)「子どもの家」訪問:「宇都宮縫製工業組合」佐藤理事長来訪

7日ぶりに快晴  真夏日。暑い

午前6時半起床。体がだるく起きられない。
ホーチミン市にいる「宇都宮縫製工業組合」の佐藤理事長から
電話。

午前7時朝食。キャッサバ芋の麺


午前7時45分、「ハイリーホテル」にソン君がオートバイで
迎えに来てくれる。

市内のホテルへ。静岡大学人文学部のT先生のゼミ生16人
が「子どもの家」を訪問する。ホテルへ出迎えに。

午前8時、静大ゼミ生投宿ホテルへ。ソン君の自己紹介。

小型バスで「子どもの家」へ。
セン運営委員長から歓迎の挨拶

「子どもの家」のこどもたちと一緒に近くの「タイ・ロック市場」へ
昼食の食材の買出しに行く。


新鮮な海の魚


「子どもの家」へ戻り、こどもたちと一緒に昼食を作る。

午前11時、こどもたちと一緒に昼食。
その前に支援物資の贈呈。


昼食

昼食を終わり、ホテルへ。
ホテルから「ハイリーホテル」へ帰る。午後12時過ぎ。

午後12時半から1時間昼寝。「宇都宮縫製工業組合」
佐藤理事長から電話。


読書「官僚たちの夏」(城山三郎著:新潮社)

午後3時、ボランティア貯金申請書を書く。

午後5時半まで書き続け、95%程度書き上げる。

午後6時、日本料理店へ。夕食を摂る。

「宇都宮縫製工業組合」佐藤理事長、三浦さんが
日本料理店に来店。午後9時半まで一緒に飲む。

午後10時、「ハイリーホテル」へ帰る。

税田さんと電話で打ち合わせ。


投稿者 koyama : 00:01 | コメント (0)

2009年09月08日

ボランティア貯金完了報告書作成

終日雨。 これで6日間連続の雨。

既に雨季が始まった模様。

朝から夕方まで「ハイリーホテル」で仕事。
主にボランティア貯金申請書の最終部分を書く。

昨夜、遅く寝たので朝、起床出来ず。

午前7時朝食。ブンボー 美味しい。
大塚さん、原田先生と食す。

午前8時~午前10時まで受信メールを読む。
必要なメールへの送信、

その後、ボランティア貯金申請書の残りを書く。

午前11時半、昼食。

午後12時半から1時間昼寝。

午後2時、読書「官僚たちの夏」(城山三郎著:新潮社)

「三四郎」読了。私は単純に熊本から出てきた田舎者
の小川三四郎の東京での生活の青春文学と読んだ。
五木寛之の「青春の門」の明治末期版。

午後3時、ボランティア貯金申請書。約2万字。
8割程度書き上げる。

フエで実際に行っている職業訓練センターとフエ高等師範大学
日本語学科支援の実態を記述する。

午後3時半、ベトナム事務所へ。ブライセンベトナム支社の
A君と話し合う。ハンさんの通訳。税田さんも同席。

午後5時半、日本料理店でこどもたちと久しぶりに夕食。

来客若干名。大塚さん、税田さんとしばらく懇談。

午後9時、閉店。雨。

雨の中を「ハイリーホテル」へ大塚さんと帰る。
税田さんはベトナム事務所の整理。

午後11時、豪雨。

2009年9月8日の読売新聞インターネットニュースに
よると以下のような記事が出ていた。
外務省の無能振りが露呈している。

「ODA一時停止も、不正防止へ外務省報告書
 外務省は8日、政府開発援助(ODA)を巡る不正の再発防止
に向けた報告書を公表した。


 〈1〉不正を繰り返した企業に対する入札参加停止措置などの
期間を延長する〈2〉不正が発生した国の責任が重大な場合は
ODA供与を一時停止する――ことなどを今後検討するとした。

 外国の政府職員が日本企業に不当な要求をしないよう、
日本政府が相手国政府に注意喚起することも盛り込んだ。

 報告書は、ベトナムでの大手コンサルタント会社
「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」(PCI)の
贈収賄事件を受け、今年6月に設置された有識者会議がまとめた。


ーーーー

不正を繰り返した日本の企業への制裁、不正を行った
国へのODAの一時停止。

こんな生ぬるい態度では、国民の税金であるODAが
無尽蔵に浪費されるだけである。

ODAと日本の企業との癒着は何度も指摘されている。
鈴木宗男の北方領土の政府援助の不正(?)問題に
端を発し、川口順子外務大臣時代に「ODAの総見直し」
が行われた。私はベトナムへのODA支援の再検討委員会
「ODA NGO見直し会議」の委員に任命されハノイの
大使館で何度か会議に参加した。
私はODA見直し会議で主張した論点は、「ODAは
福祉・教育に特化すべき」という意見であった。
参加したNDOでたった一つ「メコンウオッチング」という
団体が賛同の意見を言った。JICAやジェービックなどは
政府の意見に同調し、「ODAは国益が大事。公共土木事業と
福祉。教育の両方を支援すべきだ」との態度。
JICAもジェービックも主体的な意見陳述はない。
政府の意に沿ったゴマすり意見を陳述するのみ。
大型公共事業、橋の建設、トンネルの建設、経済コンアルタント
など「不正」が入り込む余地は十分にある。
こうしたところに手をつけない「ODA見直し」は意味がない。

不正した企業への入札禁止、不正国へのODAの一時中止など
生ぬるい方針を未だに続けている外務省の腐った姿勢に
憤りを感じる。

PCIは、ベトナムのホーチミン市の高級幹部に1億円の
賄賂を渡したことを自白している。4人のホーチミン市の
共産党幹部に2500万円のドルをホテルで渡している。
PCIは、1億円の賄賂を渡してもODAからの支援で
十分元が取れると踏んでいたのである。ODA寄生虫の
ような企業は「お金儲けだけwねらって蠢いている。
こうしたODAを巡る土壌と環境の抜本的な改革をしない限り
不正は後を絶たない。

自民党政権時代には、ベトナム政府は、ホーチミン市から
ハノイ市までの新幹線建設のODAを日本政府に要求している。
総工費5兆円。日本の価値に直したら50兆円である。
ストリートチルドレン、支援のない多くの障害児、老齢の方々
など新幹線以前にやることがあるだろうと言いたい。
こうした馬鹿げたベトナム政府の主張を自民党政権は、認めた
のかどうかは知らないが、新政権の民主連立政権がどのような
態度をとるのか注視している。その民主党政権の中核を握るのは
小沢一郎である。田中派の残党。今後、自民党田中派の
継続的な姿勢と政策をとりだした途端に国民の支持を失う。


投稿者 koyama : 23:29 | コメント (0)

2009年09月07日

「グエンフエ高校」開講式参加:地球の歩き方ツアー晩餐会

終日雨  これで連続5日間の雨。
      夕方、大きな雷。電気会社が電気の元線を切る。
      「ハイリーホテル」を初め、フエの町の大半が停電。
      町は真っ暗になる。幸い日本料理店付近のみ 
      電気が点いていた。

午前6時起床。
午前6時45分、「ハイリーホテル」へタクシーが迎えに来る。
外は豪雨。

午前7時に始まる「グエンフエ高校」の開講式に参加。
今日は通訳のできるハンさんがスタディーツアーの添乗で
同行できない。私一人で参加。

9月4日が開講式だったが、台風と洪水のため今日に延期になった。
昨夜、「グエンフエ高校」副校長より「是非参加して欲しい」との
電話あり。

午前7時、「グエンフエ高校」着。校長応接室には、フエ省教育局長、
省共産党幹部、PTA会長など「お歴々」が鎮座。

校長先生の案内で体育館内の開講式会場へ。

初めに生徒の「カラオケ大会」。轟音の中、生徒の司会で
カラオケを歌う、男女2組が登場。

カラオケ大会が終わるとやおら開講式が始まる。

初めに聖火と「グエンフエ高校」へ与えられた過去の勲章・
表彰状を担いで生徒が登場。


副校長先生の司会。最初に来賓紹介。10人ほどが紹介される。
フエ省教育局長、続いてフエ省共産党幹部、3番目に私、
次にPTA会長などと紹介が続く。

初めに政治担当副校長が、教育訓練省(文部省)の訓示を読み
上げる。

校長先生の挨拶

初めに「お決まり」の挨拶。ホーチミン主席のお陰でベトナムは
発展した。8月革命の精神を堅持して、しっかりと勉強しよう。
2008年から2009年の「グエンフエ高校」の生徒の成績を
発表。更に大学進学者、優秀大学入学者数などを発表。

校長先生の式辞のあと、生徒代表が「決意表明」

続いて校長先生が「開講式」の太鼓を連打する。


最後にこの8月にベトナムの優秀大学に優秀な成績で入学した
卒業生10人の表彰。男子学生は1人。どこの国も男子学生は
草食系の傾向あり。フエ師範大・フエ医科大・フエ科学大・
フエ経済大・・・・・。

開講式の公式儀式が終わり、引き続き「カラオケ大会」
「ヒップホップ大会」となる。

1年から3年まで千数百人の生徒が参集。「子どもの家」の子どもは
1年生と2年生に女子2名が在籍。
「グエンフエ高校」は、フエ省のトップ進学校。

午前10時、「ハイリーホテル」へ戻る。
途中、ソン君にボランティア貯金申請書提出用の
ベトナム全国地図、フエ市内地図を買ってきてもらう。
一緒にタクシーで「ハイリーホテル」まできてもらい、
壊れてしまったプリンターを直しに持って行ってもらう。

午前10時過ぎからボランティア貯金申請書を書き始める。
ボランティア貯金は郵政省から民間会社に移った。
ボランティア貯金の原資は郵政省時代に郵便貯金を
した国民の利息から拠出されている。

小泉郵政民営化はボランティア貯金そのものの廃止という
結果をもたらした。世界で類を見ない国民的な支援・ボランティア
事業である。2000万人の日本人が郵便貯金の利子の
一部を世界の貧しい人々の支援に拠出していた。素晴らしい
制度である。郵政が民営化され、営利目的と化し、
郵政省時代に国民が拠出したボランティア貯金の残金が
ある。今回の申請で全ての残金を使ってしまい、
ボランティア貯金そのものを廃止してしまった。

と言う事情で今回の申請が最後の申請となる。
JASSは過去13年間ボランティア貯金を頂き
現地で活動を進めていた。非常に意味のある制度であった。
過去13回申請書を書いてきた。申請書の書式は
13年間同一であった。
しかし、驚いたことに今回、過去13年間使ってきた
申請書書式が全面的に改変されてしまった。
改変して大変書きづらくなった。申請書の質問事項の
意味が十分説明されいない箇所も多々ある。
結局、同じ答えを何度も書くという自体に陥る。

しかし、これが最後の申請書である。今回全面的に
申請書の書式を変えてしまった意図が全く分からない。
恣意的なものか、申請者が詳しく書く苦労など頭に
ないのか・・・・・・・。もう次回は使う必要もない申請書で
ある。最後の申請書を新しく改変したことに、今でも
納得でいない。が、しかし、申請書を出さなければ
交付金がもらえないので、改めて申請書の書き方、
内容の指示などの文章を細部まで詳細に読み込む。
指示された内容を記述しなければ、申請書として
意味がない。

今回の改変の最大の特徴は、申請書の記述内容に
基本的に「数値主義」を導入したことである。
今回もらう最後のボランティア貯金交付金で何がどう
よくなるかを「具体的な数値で書く」ことが、随所で
求められてる。たった1年でそんなに数値が変わるものではない。
「子どもの家」でこどもたちを人間として育てる活動を
どのように数値で表すのか? 「子どもの家」入所数を増やすと
数値があがるのである。私は人数ではない、今いる一人一人
のこどもたちの中にある「キラッと光るもの」を見つけ出し、
引き出し、励まして自立させることこそ、海外NGOの仕事だと
思っている。学校を何校建てたという数字ばかり追う支援には
興味がない。私の興味の中核はこどもであり、人間である。
日本料理店のリー君との格闘をボランティア貯金の数値で示せ
という申請書には、どのように書けばよいのか。
リー君が家出をし、帰ってくるよう関係者に20回電話をした。
リー君が家出から帰ってきて、15回お説教をした。
などと書けばよいのか? この種のNGO観は、JICAも
ODAも同じである。数値主義、成果主義、結果主義という
考えを基本している。しかし、こどもたちを育てる活動に
そんなに早く「成果などでない」。人間の心の問題、
生き方の問題などを「数値で表すことはできない」。

などと思いながらもボランティア貯金貯金の新しい
書式に様々なことを書く。

午前11時半、昼食。

食後1時間ほど昼寝。毎日の雨で体調を崩す人が多い。
スタディーツアー参加者も5日間で5人の人が体調を崩し、
日本料理店で特性のおむすびを作ったり、ホテルでの
休養をしたりしている。症状は軽く、半日程度で回復。

私も頭痛と倦怠感が強い。

午後2時、再び、ボランティア貯金申請書を書き始める。
一項目書くのにもかなり頭と神経を使う。

午後6時までボランティア貯金申請書を書き続ける。
疲労困憊。

おおよそ3分の2程度、大雑把に書き上げる。
全体で2万字程度の文章になる。

私の書いた申請文を見て、会計表と交付金申請を行う。
これは、会計の山西さんの分野。
私が遅くなればなるほど、山西さんの会計部分を書き
上げる時間がなくなり、山西さんに迷惑を
かける。申請理由・活動内容等、申請書の3分の2を書いた
段階で申請理由・活動内容は理解できる。
山西さんに申請書の文章部分を送信。

ボランティア貯金申請書の締め切りは、9月30日。
これから提出最終締め切りまで最大3週間ある。

午後6時半、豪雨と雷の中、日本料理店へ行く。
「ハイリーホテル」から日本料理店の近くまで停電。
町中真っ暗な中を懐中電灯を持ち、電動バイクで
日本料理店に行く。雷が近くで「バリバリ」と炸裂
する。町中、漆黒の闇。手に持っている小さな
懐中電灯に雷が落ちるのではと言う恐怖。科学的に
どうなのかは分からないが・・・・。

幸い、日本料理店につくと、その地域の日本料理店
付近だけ電気が点いている。

午後6時45分。地球の歩き方5班(41人)が
最後の晩餐会を日本料理店で行う。

税田さんの司会。リー君・グエットさんの接客かかりが
今晩のメニューを紹介。

ピースインツアーの添乗員さんが、「今夜は飲み放題にする」
という太っ腹な説明をする。参加者から大歓声。

早速、乾杯



今日はスタディーツアー参加者の中に3人の誕生日の人が
いた。誕生会をする。

今日のメニューの手作りコロッケと串カツ。

マカロニサラダ

ソン君もお客さんの接待に精を出す

リー君も汗を書きながら41人のお客さんの各種注文(生ビール、
生ジュース・・・・)を受け、運んでいた。
急にボランティア貯金の「数値目標」という言葉が頭に浮かんだ。
この場合のリー君の汗の量などを測り報告するのか?
はたまた、一晩で何回お客さんにビールや飲み物、食事を
運んだのか、こうした数字で人間を評価する思想に根本なじめない。
人間やNGO活動などはけして「数字で表せない」ものである。

原田先生も日本語教師から000に変身。フエでの日本語教師の
活動などを話題に参加者と交流。


午後9時近くに閉会。

その後、こどもたち、ソン君・アンさん・税田さん・大塚さん
などで後片付け。まだ雨は土砂降り。

9時半頃、全ての片づけが終わり、日本料理店のこどもたち
は帰宅。

調理や接客をしていた大塚さんや税田さんは夕食を
摂っていない。個室で夕食を摂りながら、雑談。
気がつくと午前0時になっていた。

雨の中、「ハイリーホテル」へ帰宅。電動バイクの
ハンドルがかなりフラフラしていることに気づく。
台風の影響で強風が吹いたためと解釈。

今日は朝6時45分から午前0時まで、本当に長い1日だった。
しかし、ボランティア貯金の文章部分の3分の2を
一気呵成に書き上げられたことで、精神的には
ある程度の満足感あり。心身の疲労大。

投稿者 koyama : 10:56 | コメント (0)

2009年09月06日

地球の歩き方5班 ナムドンへ:終日ボランティア貯金申請書を書く

終日雨

既に例年の「雨季」に入ったのか?
そうだとすると二週間ほど早い。

午前7時起床。
頭がボーッとしている。まだ眠い。更に1時間寝る。

午前9時、起き上がり、シャワーを浴びる。
外は雨。

雨の中、地球の歩き方5班(41人)の泊まっている
ホテルへ。

今日は税田さん・ソン君・リー君が担当だった。
しかし、41人の訪問であり、雨も降り、山岳地帯で何が
起こるかわからない状況なので昨夜、急遽、クアンさんに
追加で行ってもらうことにした。

昨夜、随分とビールを飲んでいたリー君であるが、
自称「ナムドン山岳地帯専門家」。朝から「やる気満々」。
積極的に仕事を見つけ、仕事をしていた。この辺がリー君の
魅力でもある。時々、家出や無断欠勤などはあるが・・・・・。

ナムドン山岳少数民族「カトゥー族」への支援物資をバスに積み込む
リー君


ピンチヒッターのクアンさんとリー君。二人はナムドンに
かなりの回数行っている。

午前10時。地球の歩き方5班の皆さんがホテルロビーに
集合。昨日は2人、体調を崩しホテルで休養。
夜は日本料理店から添乗員さんを含め3人分のおむすびセット
をホテルへ持っていく。
今日は昨日の二人は体調回復。しかし、お一人の方が
気分が悪いとのことでナムドン行きを欠席。
税田さんが昼の「おかゆ」などの手配をし、緊急連絡が
あれば、私の携帯にホテルの部屋から電話をするよう
私の携帯電話番号を教え、電話のかけかたも税田さんが
教える。

ピースインツアー添乗員さんとソン君・リー君



ベトナム事務所の添乗員。今日は日曜日。休日なのだが
仕事で申し訳ない。


午前10時15分、2台のバスに分かれて乗り込む


地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは元気溌剌。
気温が下がり、日本人には丁度良い気候かも知れない。
私やベトナム人には非常に寒い。(25度)




午前9時半近く、いよいよ2台のバスで出発

地球の歩き方の皆さんの見送りを終え、マイダオでフォーを
食べる。「ハイリーホテル」へ戻り、血圧・心臓の薬を飲む。


今日は1日、「ボランティア貯金申請書」を書くことに決めている。
この数年間のボランティア貯金申請書、中間報告書、完了報告書
を読む。自分で書いた長い文章を読み返す作業を延々と
続ける。申請書を書くポイントは今までの各種申請書や
報告書との矛盾があってはいけない。新申請書と今までの
申請書・報告書との「整合性」が最も大事。そのためには
今までどんな申請書を書いたのか、どんな報告書をだしたのか
をしっかりと読み込む作業が絶対に必要なのである。
この作業をいい加減にすると「自己矛盾」に陥り、ボランティア貯金
からの各種質問に答えられなくなってしまう。
「たかが申請書」ではあるが、今年は578万2千円の交付金を
頂いている。申請する側もきちんとした活動をしたことを
証明し、申請する活動がいかに必要か、そしてJASSが
この16年間、現地でやてきたことを「具体的に示す」ことが
必要である。資料の読み込みで午前中は終わる。

昼食は抜く。

午後12時から1時間ほど昼寝。

午後1時読書「三四郎」。
100年前の本であるが事物描写、情景描写、心理描写
がしっかりしている。100年前の人間とほぼ私が同じ
心理であることを感じる。
村上春樹の「1Q84」を2冊読んだが、正直言って
100年前の夏目漱石の本の方が私の心にぴったりと
しているように思えた。私が「古い人間」なのか・・・・・。

午後3時、引き続き、ボランティア貯金申請書。
今回の申請書でボランティア貯金は完全終了する。
最終回の申請書をボランティア貯金は今までの10数年間の
申請書と書式を全く変えてしまった。何の意味があるのだろうか?
これでお終いになるのだ。最後の申請書を全く変えてしまう
意味がどこにあるのか? 何を考えているのかはわからないが
とにかく、JASSとしては、ボランティア貯金の交付金を受けたい
ので、ボランティア貯金の指示通り新しい申請書の書式に
従って書きはじめる。

午後7時過ぎまで書く。1割程度書きあげる。
今週中に100%書き上げられるのか?
今週のスタディーツアー担当の日程表を調べる。
なかなか時間が取れないことが分かる。
文章を作り上げて書くということは、精神的な
余裕がないとなかなか出来ない。疲労困憊状態では
頭が働かない。それでも何とか今週中に書き上げ、
渡辺和代さんに送信したいと思っている。締め切りは
9月30日。早めに送り、渡辺さんや山西さんの記入する
時間を確保したい。

自民党が今度の「首班指名」投票で「白紙」投票をする
との意見が大勢のようだ。
情けない政党になったものだ。絶対に首相にはなれない
少数政党の共産党でも「宮本」「不破」「志井」と自党の
党首を首相として投票している。一度だけ第1回投票で
「菅直人」に投票したことがあるが・・・。
「白紙投票」が実施されると自民党という政党は
自党の党首を信任していない、そして首相候補を
自党でもたないことを内外に表明することになる。
そのことは、政権をとる意欲すらなくなった政党であることを
自ら証明することにもなる。石破氏が「白紙投票」に反対している
との記事があったが、当然のことである。圧倒的多数で選んだ
麻生総裁である。自党の党首さえ首相と認められない自民党は
政党の態をなしていない。瓦解の道を進んでいる。再生は不可能。

投稿者 koyama : 20:26 | コメント (0)

2009年09月05日

グエンフエ高校へ;「ハイリーホテル」で終日仕事

終日雨。

午前6時45分、ハンさんがタクシーで「ハイリーホテル」まで
迎えに来てくれる。今日は、全国の学校一斉の「開講式」。
日本で言う「新年度の入学式兼始業式」。

昨日、午前7時開会の招待状をもらう。一応、留学等でも
お世話になっているので、無理をして早朝午前6時45分に
グエンフエ高校へ行く。午前7時到着。
校内がやけに「静か」である。雨が降っているので体育館で
式典が行われるのだろうとハンさんと話し、体育館へ行くが
学校中に誰もいない。
ハンさんが、副校長に電話。「昨日の洪水で式典に参加できない
生徒がいるので、7日に延期した。小山さんに連絡するのを
忘れた」とのこと。

静寂な校内には「豚インフルエンザ」にかからないようにとの
ポスターが至る所に貼ってあった。趣旨は手洗いとマスク着用。

仕方がないのでもう一校招待を受けていて「フールー小」の
開講式に出席しようということになり、フールー小に
電話をするが、「フエ省全体で洪水のため開講式を7日
延期している」との情報あり。
「ハイリーホテル」へ帰る。午前8時。

なんということだ。招待状を出しておきながら、延期となった
連絡をしないということは・・・・・。何事も「大雑把な」
ベトナムではある。

まだ朝食を摂っていない。血圧と心臓の薬を飲まなければ
ならない。朝食がないので「かきピー」を食べ、薬を飲む。

1週間ほど前からタイヤが破損してしまった「電動バイク」。
修理屋へ持っていったが、旧式な電動バイクなので
それに合うタイヤが既にないとのこと。フエの主なタイヤ屋
へ行ったが、どこも「あまりに旧式のために在庫はない」と
言われ、しばらく自転車に乗っていた。
ソン君がどこかの店でこの旧式の電動バイクのタイヤを
見つけてくれて、修理屋でタイヤ一式(チューブも)を交換
してきてくれた。雨の中、税田さんとソン君で「ハイリーホテル」
まで持って来てくれた。ありがたいことである。二人に感謝。

訪日するベトナム人のビザ問題で午前中、時間を費やす。

地球の歩き方スタディーツアーの午後の日程について
税田さんと何度も電話連絡。
午後はホテルからシクロで「子どもの家」へ行く予定。
しかし、雨。それでももし午後2時頃雨がやんだり、小雨に
なった場合には、パンフレットに「シクロで子どもの家へ」と
書かれているので、実行しなければならない。
シクロ41台を午後2時前にホテル前に集結させる。
午後2時時点で「大雨の場合」はバス2台で「子どもの家」へ
行くとの段取りを急遽とる。この種のスタディーツアーなどは
当初、参加者と約束した日程は100%実行しなければ
ならない。JASSとしては、それだけの責任がある。

昼食

原田先生が、急に仕事が入り1人前昼食が余る。
明日の日曜日の食事に残りのご飯、おかず、スープを
もらう。

そとは雨。

午後12時半から1時間ほど昼寝。気温25度。
数日前の40度ほどの気温から比べると15度近く
下がっている。寒い。長袖を着る。気温の急変で
朝から頭痛がする。体がだるい。朝、グエンフエ高校
に一緒に行ったハンさんも同じことを言っていた。

午後2時、読書「三四郎」

午後3時、静大留学生の日本滞在日程の調整。
ホテルの予約計画、奨学金面接などへの交通手段と
路線の確認

税田さんから電話。ほとんど雨が降っていない程度の
小雨だったので「シクロ」での「子どもの家」行きを決行したとのこと。
バス2台も待機させた。バス2台の待機は無駄になったが、
ツアー実施の責任はこうした所にある。

オーストラリア在住の日本人からのメールに返事。
北海道のNPO「飛んでけ 車椅子の会」からのメールへの
長文の返事。

午後5時半、日本料理店へ。

午後6時、福島の長男一家とSKYPEでテレビ電話。
3人とも元気そうな様子。夕食は私の大好きな「冷汁」(冷麦)
を食べていた。早く日本へ帰り、温泉につかり、冷たい冷麦や
うどんを食べたい、などと思う。

この1ヶ月ちょっと、本当に忙しい。スタディーツアーの案内、
講演会だけでなく、人民委員会との協議、様々な方々からの
問い合わせ、支援などのメールへの返事・・・・・・。

午後8時、エクアドルのバオミンさんから長距離電話。
朝9時だとのこと。時差11時間。
エクアドルで行われている世界環境会議は既に始まり、
参加しているフエ市共産党委員長、、外務部長への通訳を
行っているとのこと。近々に共産党委員長の演説があるそうだ。
バオミンさんが会議で通訳を行う。暑いとのこと。赤道直下。

SKYPEと言い、エクアドルからの電話と言い、便利な時代に
なったものだ。時差11時間ということは、まかり間違えば、
ベトナムの真夜中にバオミンさんから電話がかかってくるかも
しれないという便利さの裏にある「人間生活」を超えた危険も
孕んでいる。

来客多数。

外は雨。

午後9時閉店。こどもたちはそれぞれ家や「子どもの家」に
帰る。接客主任のグエットさんの家も洪水で30センチほど
水が出たそうだ。今日は、日本料理店開店まで
家の床に溜まった「泥濘」の掃除をしたとのこと。
姉のユオンさん(フールー小学校の先生)が心配して
日本料理店に迎えに来る。兄弟とも「子どもの家」の
第一期生。10数年「子どもの家」にいた。今は二人とも
自立し、自分たちの給料で下宿を借り生活している。

午後9時過ぎ。今日は土曜日。先日は、理由を告げずに
欠勤したリー君とイン君である。欠勤の理由は言わないが
一種の「ストライキ」。金欠病の不満を解消してくれないことへ
の抵抗。
大塚さん、税田さん、りー、インの4人で生ビールを飲む。
大塚さんは炭酸水だが・・・・。リーは大ジョッキでかなり
飲んでいたい。インは、2杯程度。
午後10時過ぎ、閉会。
電動バイクで「ハイリーホテル」へ帰宅。かなり運転が
ふらつく。

この数日の台風でフエ市内の中心を流れている
フォン川が氾濫した。フォン川は多くの支流を持っている。
そのため洪水の被害者は多数に上る。
フォン川本流、支流付近の多くの人たちの家は、30センチから
40センチほどの浸水を受けた。

洪水は水が引いた後が大変である。JASSベトナム事務所
も10年ほど前までは、フォン川の直ぐ側にあった。
そのため年間5回程度の洪水・浸水を受けていた。

水が引いた後、5センチほどの「泥」が床に溜まる。
その汚い汚物入りの泥を掃き出す作業に半日から
1日はかかる。
フォン川支流付近に住んでいる人たち(多くは貧困層)は
ひどいときには1メートルもの泥(フォン川の川底の土)
が家の中に溜まる。家族全員で何とかその泥を
道路に積み上げる。数日後に晴天となり、40度の
猛暑などとなると、道路に積み上げられた泥から
水分が蒸発。泥は、土煙となり町中に散乱する。
その上を車が走り、町中が土ぼこりの町と化す。
多くの市民が「目の病気」や伝染病にかかる。
ということを私がフエにきて16年間、毎年、繰り返している。
行政も国に何ら手をつけていない。改善の後が全くない。

現在、ベトナム政府は日本政府に対し、ODA(政府開発援助)
でホーチミン市からハノイ市までの新幹線建設を要求している。
日本円で5兆円かかるそうだ。(朝日新聞による)
ベトナムの5兆円は、日本の実質的な価値に直すと
50兆円位に当たる。
日本の国家予算が80兆円。そのうち税収は40兆円である。
残りの40兆円は国債などの発行で「借金」している。
そんな日本で国家予算の半分以上を出して、新幹線を
建設するなどと言い出した政党は直ぐに選挙で負けてしまう。

ベトナムの国会では、5兆円の新幹線建設を可決する見込み、
そして日本政府にODAで5兆円の円借款等を要求するようだ。

今回のフォン川洪水を見ていると数万人の市民が今の今の
時点でも家の泥掻き、泥濘(でいねい)の路上の積み上げ、
土ぼこりの町、各種伝染病の発生ということを繰り返している。

5兆円の新幹線を建設して一体誰が使うと言うのだろうか?
フエだけで数万人、ベトナム全国の洪水被害は毎年
数限りなく起こっている。こうしたことへの対策が5兆円の
新幹線建設より、どうみても先のように思えてならない。

日本は自公政権から民主党に変わった。民主党は
ベトナム政府のホーチミン市ーハノイ市新幹線5兆円ODA
問題にどう対処するのか、民主党の出方を注視している。

投稿者 koyama : 19:09 | コメント (0)

2009年09月04日

フエ洪水

終日雨。
昨日から豪雨。

午前7時朝食。おかゆ


昨夜からの台風の影響でフォン川が氾濫。洪水となる。
フォン川の支流も氾濫し、フエ市内は各地で洪水となった。

「ハイリーホテル」の玄関前にある5メートルほどの大木も
昨夜の台風で倒れてしまった。「ハイリーホテル」付近の
大木もかなり倒壊。

フォン川付近の道路は各地で膝上までの水位。
各地でオートバイのエンジンに水が入りオートバイが動かなくなる。
私は幸いにも自転車。

フエ市内と郊外のビーザー地区とを結ぶ道路もフォン川の
氾濫で通行不可能となる。


豪雨の中、デジカメで写真を摂り続けた。結果はデジカメが
豪雨で塗れて壊れてしまった。


午前8時、地球の歩き方5班の皆さん41人がベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員の自己紹介。

ベトナム事務所員の自己紹介の後、2台のバスで
「子どもの家」へ。

初めに税田さん・ハンさんが「子どもの家」の施設案内。
その時点でデジカメが故障。デジカメの中に雨水が入る。

昨日からの台風の影響で雨。気温が40度から24度まで
下がる。「子どもの家」のこどもたちは冬のジャンパーを
来ていた。私も寒い。冬になった感じである。

8月に地球の歩き方スタディーツアーで来た若者が
書いた寄せ書きが「子どもの家」に貼ってあった。


午前9時40分から午前11時まで私の講演会

人生・人との出会い・駄目で元々やってみようをテーマに
話す。

午前11時、「子どもの家」のこどもたちと文化交流。

初めにセン運営委員長の歓迎の言葉。
今日はセン委員長の自宅付近が洪水となり、出勤が
2時間ほど遅れる。


こどもたちの歓迎の踊り


地球の歩き方スタディーツアー41人の皆さんは「散歩」
を歌い踊る。かなり練習していたようだ。

午前11時、交流会を終わり、雨の中、昼食レストランへ。
私、税田さん、ハンさん。

私は「ワンタンメン」を食べる。地球の歩き方のみなさんは
「かたヤキソバ」。


ワンタンメン 美味しい

午後1時、昼食レストランでの食事を終わり、投宿ホテルへ。

私は自転車で「ハイリーホテル」へ。

午後2時から30程昼寝。その後、ハンさんと緊急問題で
2時間ほど電話で連絡を取りながら問題解決のための
努力。しかし、問題解決しない。更に明日に向けて
一層の努力が必要。

午後6時、日本料理店へ。昨日、リー君と弟のイン君が
理由なき欠勤をする。今日は、平然と出勤。何を
考えているのか?

日本料理店の来客6人。

午後9時過ぎ閉店。

夕方から豪雨。
雨の中、「ハイリーホテル」へ帰る。

今年は異常気象か? 例年9月中旬から下旬に
から始まる「雨季」が既に始まったように思う。

午後10時位から雷多発。雨。

投稿者 koyama : 23:51 | コメント (0)

2009年09月03日

地球の歩き方5班フエ着

終日雨。気温急変。寒い

午前5時半起床。
読書。メール送信。この1ヶ月ほど忙しく、スタディーツアーへの
同行が多いのでメールの受信・送信が出来ない。
返事を出さなければならないメールすが数十通あるが
時間がなく出せないでいる。申し分けなく思っている。
スタディーツアーに時間が拘束されているので、パソコン
に座る時間がない。

午前7時朝食。今日は旧暦の月に2回の精進料理の日。


朝食終了後、JASS日本関係者にメール

午前9時半過ぎ、ハンさんがタクシーで「ハイリーホテル」まで
迎えに来てくれる。豪雨。

フエ省トップ進学校「グエンフエ高校」訪問。
校長先生と静岡大学留学生問題で打ち合わせ
9月5日(土)午前7時からのフエンフエ高校新年度開講式
の招待状をもらう

午前11時、大塚さんの紹介でJTB関係者の訪問を受ける。
ベトナム中部等のスタディーツアーなどの催行について
話し合う。

午後12時、日本料理店の隣の精進料理屋で精進料理を買う。
1万ドン(50円)

午後12時半、「ハイリーホテル」で精進料理を食べる。

午後1時、昼寝。1時間。

午後2時、読書「三四郎」。

午後3時から受信メールへの返事。多数。

午後5時過ぎ、雨の中、地球の歩き方スタディーツアー5班
の投宿するホテルへ。ホテルから大型バスでフエ空港へ。
私、税田さん、アンさん。ソン君は朝からホーチミン空港へ。

午後6時20分、ソン君引率の地球の歩き方5班(41人)が
フエ空港到着。

41人の荷物を小型トラックに乗せ、スタディーツアー参加者は
大型バスでフエ市内へ。途中、ソン君がフエ市の説明。
大体しっかりと説明できていた。努力の跡が見える。

午後7時過ぎ、フエ市内のフォー(米の麺)専門店でフォーの
夕食。

税田さん、ソン君が41人のお客さんの注文などお世話をする。

午後8時過ぎ、フエ市内のホテルへ無事到着。

ウエルカムドリンクを飲む。

ソン君・税田さんとピースインツアーの須田さんの諸注意を聞く


午後8時半、2人一組(TWIN室)で部屋へ。

シャワー、エヤコン、冷蔵庫等の問題があれば30分ほど
ロビーで私たちが待っているとの説明をする。

午後8時45分。シャワーの出が悪いとの連絡あり。
税田さん、アンさん、ソン君が部屋へ行き調整する。

午後9時、ホテルを後にする。豪雨。
税田さんと日本料理店へ。日本料理店も丁度、閉店。

午後9時20分、「ハイリーホテル」へ帰る。

今日から一足早く「雨季」に入ったのだろうか?

朝からの雨にうんざりしている。

===========================
小池百合子氏が自民党の町村派を退会したそうだ。
「自民党そのものの勢力が縮小した。派閥単位ではなく、
党まるごとで一致団結すべきだ」と弁明している。
さらに「もはや派閥の時代ではないと言われて久しい。
大局を見失うことなく、党再生に努力したい」と言ったそうだ。

アナクロニズム(時代錯誤)と言う言葉がある。
小池百合子氏に捧げたい。

『いまや派閥の時代ではない』のではなく、既に国民の
審判は下り「今や自民党の時代ではない」のである。
こうした時代認識が出来ない小池氏だからこそ
選挙区選挙で落選し民主党のエバタ タカコ氏に敗北
したのである。選挙区選挙での敗北は主権者が
基本的に小池氏を拒否したことになることを知るべきで
ある。
正確に言えば、「今や小池氏の時代ではない」のである。
政界の渡り鳥は、小林旭の時代で終わっているのである。
麻生太郎氏が「KY首相」、空気が読めないと言われたが、
小池油百合子氏も「KY」、時代が読めない人間という
自分自身が見えないのである。立派な御託を並べる前に
自分自身を振り返ったらどうなのだろうか?
クールビズがCO2削減にほとんど効果がないことが
科学的に立証されているが、そのことの自己総括から
はじめたらどうなのだろうか?

投稿者 koyama : 23:33 | コメント (0)

2009年09月02日

ピースボート2日目:ベトナム国慶節のお祝い

曇り

バオミンさんが9月1日から13日までエクアドルへ
出張している。フエ市人民委員会の英語通訳として。
エクアドルでの国際環境会議。人手が不足。四苦八苦。


今日は64回目のベトナム建国記念日(国慶節)で休日。
食事を作るセンさんも休み。

午前7時過ぎ朝食。昨日のピースボート夕食会の残りの
コロッケなどをもらって帰り、朝食とする。

午前8時40分、ピースボートの皆さん26人が泊まっている
ホテルへ。
今日は、ホテルから「シクロ」に乗って「子どもの家」へ。

「子どもの家」到着。

早速、「子どもの家」のこどもたちと一緒に近くの
「タイ・ロック市場」へ昼食の食材の買出し

徒歩で市場に到着。買い物



急いで買い物を済ませ、「子どもの家」へ戻り調理へ。
こどもたちと一緒に昼食つくりに挑む。


どういう訳か知らないが、「ハイリーホテル」警備員を辞めた
兄のハイ君と3ヶ月前に「子どもの家」を家出したフン君が
「子どもの家」で遊んでいた。

昼食作りを済ませた後、こどもたちと遊ぶ。(ハンカチ落とし)


午前10時半、みんなで作った昼食をこどもたちと一緒に食べる

午前11時、「子どもの家」での昼食と交流を終えて
ピースボートの皆さんはダナン港へ帰る。出航時間の
関係で午後2時までにダナン港へ着かなければならない。

私はソン君のオートバイでベトナム事務所へ。
ベトナム事務所から自転車で「ハイリーホテル」へ帰る。

「ハイリーホテル」の部屋の鍵を部屋に忘れてしまう。
これで2度目。健忘症の進度が更に一段階進む。
仕方がないので業者を呼び、鍵をあけてもらう。

今回のピースボートは出迎えが朝4時半。
昨日の朝は午前1時過ぎまである会社への絶縁状を
書き送付したので、結局昨日は3時間ほどしか寝ていなかった。
「ハイリーホテル」へ帰ったが、頭が廻らない。

取り急ぎ横になる。1時間半ほど熟睡。熟睡中日本からの
電話で目が覚める。

午後2時、読書「三四郎」。読みやすい本である。
約100年前の本ではあるが、人間の恋愛感情の機微を
きちんとかいている。

午後3時からメールの送受信。

途中3回の停電があり、書いたメールが全て消えてしまうこと
数度。困ったことである。

午後5時、日本料理店で「国慶節」のお祝い。
ベトナム事務所・日本料理店は休みなので、大塚さん、税田さん、
原田君、小山の4人でベトナムの建国記念日を「祝う」。

大塚さんが美味しい日本料理を作ってくれる。
感謝

天ぷら

焼き魚(かます)

ゆで卵

イカ墨スパゲッティー

冷やしたトマト


ホタテのフライ


午後9時終了。

投稿者 koyama : 10:39 | コメント (0)

2009年09月01日

ピースボート・ダンア港出迎えー「子どもの家」案内

午前4時起床

午前4時半、「ハイリーホテル」にソン君・イックホアンさんが
バスで迎えに来てくれる。そのまま、国道1号線をダナンへ。
途中、午前5時半頃、フランスパンを焼いている小さな店で
豚肉・玉子焼き入りのパンを朝食代わりに食べる。

夜明けのダナン港


午前7時過ぎ、ダナン港到着。
ピースボートも到着。

午前8時半、ピースボート乗船の30人近くの人が
「子どもの家」訪問。バス内でピースボートの責任者からの
挨拶


バスで2時間半。ダナンからフエへ。

バス内でベトナムの歴史、ベトナム人のアイイデンティティー、
「子どもの家」の歴史、16年間の現地での取り組みで
たどり着いた地点について話す。

同乗のソン君とイックホアンさん(フエ師範大日本語クラスの
教え子:現在、フエ市人民委員会外務部副部長)



午前11時、フエ市到着。市内のレストランで昼食。

昼食終了後、市内のホテルへ。暫時、休憩


私は徒歩でホテルからベトナム事務所へ戻り、1時間ほど
休む。

午後2時、再度ホテルへ行き、ピースボートの皆さんを
案内して「子どもの家」へ。
「子どもの家」到着後、私と税田さんのグループに分かれ
「子どもの家」の諸施設を案内。

その後、「子どもの家」の音楽室でこどもたちと文化交流。

最初にセン運営委員長の歓迎の挨拶

歓迎の踊り

ピースボート側の出し物(手のひらを太陽に)を歌う

韓国から来た若者の勧告伝統の太鼓演奏
素晴らしい迫力であった。

太鼓演奏を聞き入るこどもたち


紙芝居の専門家が紙芝居をする。ハンさんがベトナム語に通訳

ピースボートの若者のダンス

最後に支援物資の贈呈。ボールぺなど・・・・・

文化交流会終了後、自由交流

縄跳びで遊ぶ

午後5時、交流を終え、日本料理店へ。



午後5時半、日本料理店で夕食会。


リー君も一生懸命仕事に精を出していた。


晩餐会の最後にこどもたちの紹介



2時間半ほどの日本料理店での夕食会を終え、ホテルへ。


私はオートバイタクシーで「ハイリーホテル」へ。

今日は本当に長く密度の濃い一日だった。
午前4時半から午後8時半まで16時間の仕事となった。
かなり疲れる。

投稿者 koyama : 21:39 | コメント (0)

グエンフエ高校・ハイバイーチュン高校訪問:地球の歩き方晩餐会

晴天  猛暑

午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー

午前9時、グエンフエ高校へ。静岡大学工学部への
留学プログラム「ニフィー」でグエンフエ高校から1名の留学生
が9月25日に日本へ渡航する。この1年間、グエンフエ高校と
協力しあいながら何とか留学生派遣と言う新しい試みに挑戦し
成功することが出来た。校長先生、教頭先生に静岡大学工学部
への留学がうまく出来たことのお礼を言う。
同時に第2期生(高校3年生)・第3期生(高校2年生)の募集も
お願いする。

午前10時、「ハイバイーチュン高校」へ。
校長先生と懇談。お礼を述べる。

引き続き・2期生・3期生の募集をお願い知る。
9月15日を目処に推薦をお願いする。

「ハイバイーチュン高校」校長からは、日本語を勉強している
クラス(ベトナム人教師)で是非私に話をして欲しいとの要望あり。
受け入れる。

午前11時過ぎ「ハイリーホテル」へ戻る。
部屋の入り口に「アリ」の大群。


午前11時半、昼食。

午後1時から1時間程昼寝。
7月31日にフエへ帰国してから1日も休みが無い。
過労死の対象者とも言える。1時間熟睡した。

メールの受信。必要な送信。

午後5時、自転車でベトナム事務所へ。

ブライセンベトナム支社従業員のVU君と話し合う。
バオミンさんも同伴。問題あり。

リー君を呼び注意。大塚さんの注意に反抗したという。
「小山先生に言うから」というとリー君は「言いたければ言えば
いい」と居直りを決め込む。リー君を呼び、バオミンさんと私で
注意。年上の人の言うことにはこうしては駄目。
ちゃんと意味があっていっているのだからと。
リー君とイン君は勤務時間中、隣の精進料理屋や
前のかばん屋へ行って、オーナと話し合ったり、お茶を飲んだり
している。ベトナム社会では普通の光景であるが、日本料理店
では認められない。勤務時間中に職場を放棄したら賃金カット
である。

バオミンさんは明日から2週間エクアドルへ行き。
今日が最後の日。

午後6時半、地球の歩き方の晩餐会。

税田さんの司会で晩餐会は始まる。


リー君とグエットさんで今晩のメニュー紹介。

交流会が始まる。

私の回りの大学生と話したが、皆さんの聡明な真っ当な学生
さんであった。

しょうが焼き

最後に日本料理店スタッフ紹介


日本料理店スタッフへの寄せ書きを頂く

午後9時頃、閉会。

地球の歩き方スタディーツアー参加の学生さんは知的にも
人間的にもしっかりとした自分を持っている学生さんが多い。

午後9時半、「ハイリーホテル」へ帰宅。

私がかなり酔っているので、原田先生がボデーガードで
付いてくれる。

「ハイリーホテル」に戻り、火炎樹日記を書く。

その後、某会社への絶縁状のメールを書く。

投稿者 koyama : 00:20 | コメント (0)