2006年04月17日
トゥア・ティエン・フエ新聞取材
曇り・寒い
昨日から体調不良。悪寒。吐き気。風邪の様相。
午前8時半、バオミン・ベトナム事務所長と打ち合わせ。
午前9時、在宅支援のフエンさんがベトナム事務所へやってくる。
「日本料理店で仕事をさせて欲しい」とのこと。
13年前、フエンさんは兄と弟がチーランン通り「子どもの家」
に入所。チーランン通り「子どもの家」は私が最初に作った
「子どもの家」。兄と弟の自宅を訪ねてフエンさんの家へ。
王宮の中のお堀のそばに建てられた「違法住宅」に住んでいた。
それから今日まで在宅支援をしている。母親は死亡。父親は
大病をして療養中。5人兄弟。現在は、夜間の単位制のような
高校の3年生。6月に卒業予定の20歳。
明日から日本料理店で「仮採用」することにする。
午前10時。「子どもの家」へ。セン委員長と18歳になった
男子の就職問題で話し合う。
京都の日新電機ベトナム工場で2人位なら採用してくれるとの
話がある。現在、18歳以上で就職が決まっていない子どもたち
を洗い出す。一度、ハノイにある日新電機ベトナム工場へ行き
条件や労働内容などを実際に見てくることになった。
午後2時半、トゥア・ティエン・フエ省共産党機関紙
「トゥア・ティエン・フエ新聞」の取材。
この13年間の私のフエでの取り組みの取材。
日本料理店を作った意味などの取材があった。
その後、日本料理店へ行き子どもたちの仕事の様子
を取材。ニーさんとターオ君にインタビュー。
何枚かの写真を撮る。
午後3時半、日本料理店に入った料理のイエンさんを紹介し
日本料理店の今後の運営などを大塚さんや子どもたちと
話し合う。
18歳以上で正式採用した子どもたちは、下宿を借りて
自立するよう50万ドンの給料を出す事にした。
下宿代が15万ドン(千円)から20万ドン(千2百円)。
食事は日本料理店で1食から2食は摂る。外食が1食程度
で15万ドン(千円)。小遣いと身の回りの雑費15万ドン。
「子どもの家」から通っている18歳未満の子どもたちは
30万ドンの手当て。10万ドン(600円)は小遣いとして
渡し、20万ドン(1200円)は「子どもの家」のセン委員長
に預け、個人貯金通帳に入れてもらうこととした。
リー君・ターオ君も50万ドンずつの給料を5月1日から
あげる事にした。二人で下宿代を折半し、給料の範囲内
で計算して生活するよう話す。ギャンブルは絶対にしないよう
強く言う。
話し合いの後、リー君は大塚さんの所へ行き、握手し、
給料がもらえるようになった、嬉しいと言っていたそうだ。
21歳のNIさんも下宿し、自活するように言う。
子どもたちに給料を出すようになると、頑張って日本料理店
で収益をあがなければならない。急に財政が気になりだした。
話し合いの後、調理実習に入る。今日はターオ君も調理室に
復帰。
午後6時、調理実習の料理をみんなで賞味・批評しながら
会食。
リー君・ターオ君兄弟も日本料理店に復帰しにぎやかと
なった日本料理店の夕食会。大勢で食事をすると美味しい。
この兄弟との付き合いも長い。10年以上。紆余曲折は
あるものの少しずつ、人生についての自覚が出てきた
ように思われる。
●豪華な今夜の夕食。一人分。
今日は1日、立っているのがつらかった。
少しでも時間があれば寝ていた。
投稿者 koyama : 2006年04月17日 21:57
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