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2006年04月14日

フエ市人民委員会へ

曇り・小雨。寒い。
急に気温が10度近く下がる。体調不良。寒気。

午前9時、日本料理店の厨房スタッフを新たに一人新規仮採用。
店長(ラームさんの妻)の従兄弟。来週の月曜日から仮採用。
日本料理店のスタッフは「子どもの家」の子どもたち6人を
中心にホン店長(全体の責任者)と厨房責任の大人が必要で
ある。先日までフオンさんが厨房の中心にいたが、諸般の事情で
「日本料理店のしごとを辞めたい」との申し出。
ホン店長は体調を崩し、最低1ヶ月間ほどの自宅安静が
必要となった。料理の中心にいたフオンさんも退職。
こうして現在、日本料理店では子どもたちは頑張っているが
大人のベトナム人が誰もいなくなるという異常事態に陥っている。
オアシスの会の大塚さんや日本語教師の努力で何とか
『予約客』の対応は出来ているが、毎日開店する力はない。
緊急措置として、ホン店長の従兄弟(32歳)を迎えることとなった。
4月一杯は予約のお客を中心に日本料理店を運営。
子どもたちの教育・力量強化、更に子どもたちを採用するなどの
人的な補強をしながら、早期に夕方の日本料理店開店をめざし
たい。
とにかく、全てが素人で始めた日本料理店である。
子どもたちに力量をつけることが第1の課題。
第2が大人の関係者も含めてお客さんが満足する日本料理店
にすること。味、メニュー、サービス・・・・。
時間はかかるが子どもたちやスタッフとの話し合いを続け、
一人一人が自覚を持って日本料理店で働くような雰囲気を
作りたいものである。私の責任は、日本料理店が全体として
きちんと経営できるような人的条件・内容的条件などをしっかり
と作ることである。全てが「走りながら」、「問題を解決しながら」
「人を育てながら」進めていく「大きな挑戦の世界」でもある。

ピースインツアーやフエ中央病院小児科などへのメールや
関連文書の作成。

トゥア・ティエン・フエ省警察鑑識課から連絡。
「子どもの家」訪問者がフォンザンホテルへ泊まり、室内で
数万円のお金を盗まれた。急いでホテルを通して警察へ届ける。
トゥア・ティエン・フエ省警察鑑識課員が部屋に来て、
被害者の日本人夫妻の指紋を採取。財布とあわせて持ち帰る。
被害者夫妻は日本へ帰国。被害者の代理人として私が
フエ警察との折衝に当たる。今日、フエ警察鑑識課より
正式な回答が文書であった。被害者の指紋を採取し
証拠品として財布を預かったが財布にたくさんの指紋が
付いていること、また財布に油が付着し、指紋採取が困難な
ため犯人を特定することが出来なかったというもの。

フォンザンホテルの部屋担当者のローテーション表もある。
部屋に入れる従業員は特定されている。盗難の時刻も
特定されている。従業員の事情聴取もしていない。
日本人の指紋採取だけは異常に熱心にしていた。
両手10本の指全ての指紋採取。直接被害者でもない
奥さんまで両手10本の指の指紋を採取している。
どう考えても「日本人の指紋採取のために捜査にきた」と
としか思えない捜査の仕方。防犯よりも『治安維持』
が優先する警察のシステムである。
財布を日本へ持ち帰ることしか出来ない。

午後2時半。バオミン・ベトナム事務所長とフエ市人民委員会
外務部へ。
小雨が降ってきた。寒い。昨日まで真夏だったフエである。
今日は急に寒い。これでは体がもたない。

4月19日(フエ市)、21日(フエ省)の知事や市長、共産党委員長
などを招待し、日本料理店を知ってもらう会食会をする予定だった。
しかし、4月18日~25日まで「ベトナム共産党全国大会」が
ハノイで行われ、省と市の幹部20数名が代議員として参加。
日本料理店への招待は無理となる。
4月28日(フエ省)、5月初旬(フエ市)の幹部を招待することに
した。ニエン外務部長と省・市の招待者を誰にするのか
打ち合わせ。県警・市警本部長なども追加で招待することとした。

●フエ省招待者一覧
・省共産党委員長
・省共産党本部事務所長(共産党書記長)
・省知事
・3人の副知事
・省人民委員会事務局長
・省人民委員会総務局長
・同外務局長
・同観光局長
・文化局長
・省警察本部副本部長
・省対外連絡員会委員長

●フエ市招待者一覧
・フエ市共産党委員長
・フエ市長
・フエ市共産党副委員長
・3人の副市長
・フエ市人民委員会事務局長
・同副事務局長
・「子どもの家」委員長
・フエ市外務部員(20人)
・フエ市長秘書
・フエ市共産党本部組織部長
・フエ市共産党本部書記長
・フエ市警察署長

静岡フエ青年交流会館の庭の所有をめぐって隣の
文化会館ともめている。文化会館が勝手にわが静岡会館の
庭に建物を増築してしまった。静岡会館を作った時から
文化会館側は静岡会館は『自分たちのもの』と言って
はばからなかった。それから数年。様々な取り組みを行い
昨年、フエ市長や共産党委員長の
決定で静岡会館の建物は「越日交流委員会」(委員長ニエン氏、
副委員長小山)の所有と確定した。しかし、静岡会館の庭の
所有をめぐっては、未だに決着がついていない。
文化会館側はそうした「隙間をぬって」建物の増築を強行してきた。
卑怯な連中である。文化会館の館長は13年前にチーランン通り
「子どもの家」で私とストリートチルドレン支援を行った
ホーチミン青年同盟の「社会工作隊」隊長だった人物。
フランス・アメリカ、そして私から子どもたちの支援の3重取りを
した人物。ストリートチルドレンを利用して私利私欲をほしいままに
していた。私は、チーランン通り「子どもの家」をやめて、現在の
37グエンチャイ「子どもの家」を設立した。そんないわく因縁のある
人間関係でもある。
静岡会館の回りの塀を新たに作り直し、文化会館との境に
花壇を作り、大きな木を植え、文化会館と静岡会館との
境界をはっきりさせるよう、フエ市側、共産党側に働きかける
ことにした。これからかなり粘り強い努力が必要。
支援は利権と言っているが、本当に現地で活動していると
この種の問題のあまりに多いことに驚く。13年間、
私が一番して来たことは、この種の問題の「政治的な解決」
である。敵も出来る。しかし、それを恐れては、子どもたちを
本当に救うことは出来ない。支援を利権と考える連中との
間断のない闘いが続く。

日本から電話。日本のプチポアン刺繍の第1人者の久家道子さん
から。6年ほど前、お宅へ伺い懇談したことがあった。
ベトナムで「プチポアン刺繍」をしたいとのこと。

昨日から下痢状態。
夕方、体を休める。
午後6時過ぎ、税田さんから電話。日本料理店で大塚さんを
囲んで夕食会をする準備が出来ているとのこと。
有難いこと。早速、1階の日本料理店へ。大塚さんや
日本人スタッフの皆さんの手作り料理が出来ていた。
大塚さんがフエに来てちょうど3週間。早いものである。
日本料理店の中心となって子どもたちに調理を教えたり、
お客さんの対応などの仕事をしてくれている。

まずは生ビールで乾杯、したかったが、午前中業者が
生ビールの機械の故障を直していた。その際、生ビールの
電源を切って帰ってしまったらしい。生ビールは「生暖かい」
ビール。暫く飲んでいくうちに機械が正常化し冷たい生ビール
となった。

日本人スタッフの手作り料理はどれも美味しい。
生ビールのおつまみにもなった。


●大塚さん手作りのフランス料理「ドリア」(ライス・グラタン)

●あさりの酒蒸し

●えびの香り揚げ

●にがうりの揚げ物。塩味で食べるとビールのおつまみに最適

●じゃがいもの炒め物(歯ごたえがり美味しい)

夕食交流会は遅くまで続く。話題は非公開と決定。

投稿者 koyama : 2006年04月14日 19:41

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