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2006年02月19日
クアン共産党委員長と懇談 :徳岡さん「子どもの家」で踊り披露
終日雨。寒い。
今日は日曜日。
午前8時半、先日までフエ市共産党委員長だったクアン氏の
家族と一緒に史跡訪問と昼食交流を行う。
フエ市郊外にベトナム戦争中の「南ベトナム」ご・ディン・ジェム
大統領の弟の別荘がある。弟の名前はゴ・ディン・カム。
この別荘は表面は別荘ということになっていたが、南ベトナム
秘密諜報機関の打ち合わせの場所でもあった。
フエや中部に潜伏している秘密共産党員を調査し検挙する
秘密基地でもあった。現在は朽ち果てているが、
トゥア・ティエン・フエ省が観光のスポットとして再建工事を
おこなっていた。
この別荘の近くにやはりベトナム戦争中、南ベトナムに潜伏していた
秘密ベトナム労働党員(共産党員)を収容、尋問し、銃殺して
刑務所が9箇所ある。現在、その再建と壮大な慰霊碑の
建築工事が行われていた。
これらもフエに観光客を集めるための観光スポットの
ひとつとして建築を進めているものと思われる。
この刑務所はもともとは1941年にフランスによって
作られたものである。当初はフランス侵略軍の
武器庫として建築された。1954年、ジュネーブ協定
が締結され、本格的な南北ベトナムの分裂状況が
固定されようとしてた時期、南ベトナム大統領の
弟ご・ディン・カンは、この武器庫を改装し、
秘密共産党員を収容する刑務所とした。
刑務所は100人ほど収容するものが9こつ
作られた。現在はほとんど朽ち果てている。
この刑務所は1954年から1963年まで
使われ、多くの共産党員やそのシンパと
思われる人々が虐殺されている。
刑務所の高さは1メートルほどのもの。狭い敷地に100人
もの人々が収容された。一人分の占有地は畳半分。
1メートルの高さなので立つこともできない。
ここに収容され殺された人たちは、南ベトナムの重要な役人や
大学教授、校長など要職に就いていた共産党員と思われる
人々であった。この刑務所に収容され、「北ベトナムの情勢、
軍事情報」などを聞かれ、応えないと銃殺されたとのこと。
一度に1万人ほどの収容が可能。数千人の人々が
殺されたとの話。
40年ぶりに殺された解放戦線・共産党員などの墓が
作られ慰霊されていた。
今は全ての刑務所が朽ち果てている。刑務所のあった場所は
森林と化していた。現在、40年前の9つの刑務所を当時の
ままに再建する工事が行われていた。
ベトナム政府・トゥア・ティエン・フエ省の観光事業の一環でも
ある。40年前の大量の虐殺、アメリカと中国・ソ連の国益に
翻弄されベトナム人同士で殺し合いをしたベトナムの苦悩。
それを40年ぶりに再建し、観光スポットとして活用しようと
するベトナムのしたたかさ。複雑な気持ちで参観した。
この場所は今まで未公開の場所だった。
午前11時、山の中腹にある「野生動物の肉」を
食べさせる専門店へ。
鹿、いのしし、いたちの肉を食べる。
●前クアン共産党委員長一家とミンさん
●鹿の肉
●鹿肉の鉄板焼き
●いのししの肉
●いたちを捌く
●いたちの肉
これらの肉と一緒に生のこしょうを食べると味が引き立つ。
午後5時45分、鳥取の徳岡さん、ソン君と一緒に
「子どもの家」へ。
今日は日曜でので午後7時から「子どもの家」の
赤旗隊(子どもたちの自治組織)の週間反省会の日。
反省会の前に徳岡さんから「日本舞踊」のプレゼント
があった。2階音楽室の集まった子どもたちに
3曲の踊りを披露してくれた。「津和野川」「あの人」
「まつり」。
わざわざ鳥取県からやって来て子どもたちに
日本の伝統舞踊を披露してくれた徳岡さんに感謝。
子どもたちは和服と日本舞踊の艶やかなしぐさを見て
日本文化を知ったようだ。踊り披露の後、部屋に戻り
日本舞踊の真似事をしている女の子たちが何人もいた。
徳岡さんの日本舞踊を見る子どもたち
●昨年10月のテレビ東京「ダ・ドキュメンタリー」取材の際
入所した子も今ではすっかり「子どもの家」に慣れていた。
笑顔で日本舞踊を鑑賞。
投稿者 koyama : 2006年02月19日 07:45
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