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2006年02月24日

ODA縫製研修工場認可調印式

曇り時々雨。
寒い。気温14度。

午後2時、私たち4人とフエ出身でハノイに在住している
人たとち日本大使館へ。

午後3時、ハノイの日本大使館でODA調印式が行われた。
総額85000ドル(約1000万円)のプロジェクト。

日本側:服部大使、日本大使館スタッフ。
ベトナム側:「越日交流委員会」(4人)、ハノイ在住フエ人。
マスコミ:ベトナム共産党中央機関紙「ニャンザン」(人民)
      ベトナム・ニュース(国営英字新聞)

*私の立場はベトナム側。今回のODA支援はベトナムの
 公的機関であるフエ市「越日交流委員会」に対して
 日本政府より行われた。私はベトナムの
 公的機関である「越日交流委員会」副委員長として参加。

●司会はフエ側。
  ベトナム語をイックホアン(「越日交流委員会」委員)
  日本語通訳はバオミン・ベトナム事務所長


初めに調印式。
日本政府を代表して服部大使、「越日交流委員会」を代表して
ニエン委員長が調印書に署名。

●服部大使署名

●フエ市「越日交流委員会」ニエン委員長署名

●調印書交換


●服部大使挨拶
 このプロジェクトがJASSとフエ市人民委員会で協力して
 実施しているストリートチルドレンや生活困難な子どもたちの
 自立に向けての職業訓練に役立つことを願っている。
 現地の皆さんの奮闘を期待したい。

●フエ市「越日交流委員会」ニエン委員長挨拶
 
  今日、日本政府よりODA支援を頂き感謝したい。
 私たちはJASSと協力してフエ市「越日交流委員会」を
 設立した。現在、「子どもの家」、オートバイ修理研修センター、
 静岡・フエ青年交流会館(日本語学校を実施)の3つの
 施設の運営を行っている。これからベトナム側で自立して
 これら施設を運営していきたい。また、子どもたちの
 自立を促進していきたい。このプロジェクトはそのために
 大いに役立つものと思う。これからもJASSと協力・共同
 しながら子どもたちや施設の自立に向けて頑張りたい。
 支援頂いた縫製研修工場は計画通りに建設・運営し 
 子どもたちのために役立てるよう約束したい。

●ニエン委員長より服部大使へお礼の花束贈呈

調印式終了後、ワインで乾杯し、参加者全員でしばらく懇談。


最後に記念撮影。


こうして1年間近くかけてやっとODA支援が決定した。
長い道のりであった。膨大な申請書と関係書類の作成。
設計図作成、地元の建築会社三社に「三社見積もり」
の作成を要請。
その後、何度かハノイ大使館へ通い、服部大使や
ODA草の根担当の吉田書記官など関係者にも
要請。ベトナム全土で200件ほどの案件が申請された
とのこと。そのうち支援実施案件は15件ほど。
支援決定を受けるのは相当困難な状況だった。
申請書と付属書類を作るだけでも大変な労力を
要する作業であった。
何とか私たちのプロジェクトへの支援を
決めてもらうためにこの1年近く、様々な要請行動を
行った。霞ヶ関の外務省へも要請行動に行った。
何とか今日、決定に至った。
「ODA支援決定」といえばそれだけのことではるが、
実際に決定までこぎ着けるためには、大変な労力を
要するのである。同時に本当に大変なのはこれからで
ある。計画通りの縫製研修工場を建築するという
日本では簡単とも思えることが、ベトナムでは
大変な困難を伴う。
今まで「子どもの家」で5回、オートバイ修理研修センター、
障害児医療センター(2回)、静岡フエ青年交流会館、
フールー小学校(3回)の工事をおこなってきたが、
すんなりと建築できた工事は一度もなかった。
半年で建築が完了するはずの工事が2年半もかかったこと
もあった。
また、フエ市人民委員会財政部が利息をもうけるために
工事費用を勝手に銀行に預金してしまい、工事費用が
払えずに工事が長期中断したりしたこともある。

今まで11回の工事を行っているが、これらの工事費用は
全てフエ現地で直接支援を申請したりお願いに回ったりして
工面したものである。
ODA支援申請(JICAも含む)3回、国際ソロプチミスト支援申請3回、
ライオンズクラブ申請2回、JASS会員ではない個人の支援3回。
これらの支援金をもらうためこの12年間、ラームさん、ミンさんなどと
現地フエで様々な工夫をし申請したものである。
そうした現地での長年の経験が「現地自立」の力の源だと
思っている。
こうした活動を支援してくれた日本の関係者に感謝したい。

これから縫製研修工場の建築という難関が横たわっている。
バオミン・ベトナム事務所長を中心に現地で最大限の努力を
したいと思っている。

今日は、とにかく長年の願いだった縫製工場建築が決まって
嬉しい。

この縫製工場と日本料理店は「現地の財政自立」の両輪である。
今日を出発点にして、現地の財政自立を一層進めたいと
決意した1日でもあった。

深夜まで「越日交流委員会」4人で祝杯をあげた。

投稿者 koyama : 2006年02月24日 08:03

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