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2006年02月25日

ハノイからフエへ。飛行機がストップし大混乱

ハノイ 曇り。気温14度

3月3日フエに来る静岡市ラジオ体操連盟の
件。昨年11月、静岡市長と懇談。
小嶋静岡市長が会長をしている静岡市ラジオ体操連盟が
フエを訪問する。フエ市長への表敬訪問などのお世話を
して欲しいとの依頼を受ける。
その後、静岡市ラジオ体操連盟理事長さんや観光を
担当するD観光の担当者とも懇談・打ち合わせを
し、朝6時から王宮前でのラジオ体操、午前9時から
フエ市長への表敬訪問、午前10時からの「子どもの家」
訪問という日程を確認。

2月10日にフエへ戻り、フエ市人民委員会外務部長と
懇談。朝6時の王宮前でのラジオ体操の許可(警察)申請、
午前9時のフエ市長への表敬訪問、「子どもの家」訪問だと
の日程を確認した。

朝8時半、ベトナム事務所の税田さんより電話。
日本のS観光ホーチミン支店から
ラジオ体操連盟のフエ市長表敬訪問中止との
メールが入ったとのこと。理由は、現地の人(私のこと)
がフエ市長への表敬訪問の予約が取れなかったので
フエ市長への表敬訪問が出来ないとのこと。
全く馬鹿な話である。
既にフエ市人民委員会は3月3日午前9時にフエ市長の
日程を確保している。昨夜もODA支援決定の後、
ニエン外務部長、イックホアン外務部員と祝杯をあげたが、
その際、改めて3月3日午前9時のフエ市長の日程の
確保を確認している。

今までもこの種の問題は何度もあった。
静岡市のD観光がツアーを受けていたが、
実際にD観光はベトナムツアーはできない。
日本のベトナムツアー専門観光会社に「ツアー委託」する。
今回S観光という会社に委託。
S観光は、ホーチミン市の支店に連絡。
S観光ホーチミン支店が今回のラジオ体操連盟ツアー
の取り仕切りを行うという図式である。
実際にはホーチミン市のS観光にもフエに支店がないので
ダナンのA観光会社に手配を委託するという
複雑な構図がある。
一種の「伝言ゲーム」のようなものである。
静岡市のD観光からの指示が複雑な途中経過を
経て、最終的には180度違う指示へと変質する典型的な
例である。
午前8時半から2時間ほど、この問題のために時間を
使う。飛行場へ行くまでの数時間、ハノイ市内を散策しようと
していたが計画は全ておじゃん。
ホーチミン市のS観光の日本人駐在員と何度も電話で
話をする。
3月3日のフエ市長問題は何とか解決。
S観光自体がしっかりとした連絡体制を持っていない。
日本とホーチミン支店との間の意思疎通がきちんとしていない
のである。会社組織としては失格。これではお客さんの
希望する仕事は出来ない。
S観光ホーチミン支店の日本人担当者の横柄な態度に辟易
する。彼は常日頃、この調子でベトナム人に接しているのだろう。
電話の声ではまだ若いようだ。自らの会社の無能力を棚に上げて
偉そうな電話の態度。私が電話で彼の態度を厳しく注意する。
すると急「すみません。すみません」と謝ってくる。
黙っていれば横柄な態度を取り、厳しく指弾すれば平身低頭。
若いのにこんな生き方をしていてはいけない。
仕事をするときは、相手が誰であれ真摯な態度で臨まなければ
ならない。相手が弱ければ威張り、強ければペコペコする
ような生き方をこんな若いうちに身につけてしまってはいけない。
悲しい日本の若者の現実である。

*夜帰ってメールを開けると同様のメールがS観光日本本部の
  担当者からもきていた。あて先も書かない失礼な
  メールを送るこの観光会社に社会的常識はない。
  非常識なのはホーチミン支店の若者だけではなく
  S観光日本本社の担当者も同様だった。
  この観光会社はこうした体質の会社なのだ。

更に問題が起こる。
10日ほど前にS観光ホーチミン支店に『「子どもの家」へ
大型バスで来るのは警察で禁止されている。30人以下の
車で来て欲しい』と電話してあった。
今日再度、電話で確認すると「45人乗りの大型バス2台」
で来ると言う。
『フエの警察に大型バスで世界文化遺産に入る許可を取ろうと
したが取れない。小山さんの方で何とか許可を取って欲しい』
とのこと。この種の許可を取る業務こそ、そもそも観光会社
の仕事なのである。私たちはNGOである。何のための
観光会社なのか?
静岡市長から宜しくと頼まれている経過もあり、しかたなく
フエのラームさんに電話。直ぐに警察に行き、許可申請出来るか
聞いて欲しいと。
ラームさんがフエ警察に行き確認。大型バス運転手の
免許書の写し、大型バスの車検証の写しを添付し、申請すれば
何とか特例で許可するとのこと。警察は昨年12月に一切の
大型バスの侵入を禁止している。何とか、特例として大型バスで
「子どもの家」へこられるように手配をする。
直ぐにホーチミン市のS観光支店へ電話。しばらくして
S観光から電話があり「免許証や車検証の写しを
ダナンの会社からもらうのは困難。35人乗りのバス2台に変更」
との連絡。ラジオ体操連盟の皆さんがベトナムに来るのは
5日後である。今頃、バスの問題でこんなことをしているのは
情けない実情である。仕事というものに責任をもたない
日本の世情が海外にも伝播しているのも悲しいことである。
再度、ハノイからラームさんに電話をし、35人は大型バスに
なると思うので一応、警察に確認して欲しいと頼む。
警察に確認した結果、やはり31人以上のバスは大型。
35人乗りも45人乗りも同じ。
再度、ホーチミン市のS観光に電話。30人以下の
車に変更しないとだめと知らせる。

結局、ハノイ空港へ出発するまでS観光のするべき
仕事を私が代行してしまう。本来はこれら全ての仕事を
してこそS観光はお客さんからお金がもらえるという
ものなのだが・・・・。お金はもらうが、責任をもった仕事は
しないというのでは・・・。ラームさんなどベトナム人スタッフ
も「恥ずかしい会社です」と失笑していた。
これもS観光へのボランティアと割り切る。このまま放置して
置けば、結局ラジオ体操連盟はフエに来て、フエ市長訪問も
「子どもの家」訪問も出来ないままで帰国することになる。
黙って放置はできない。何とか、問題を解決。

今日は午後3時から「子どもの家」卒業生のニーさんの
結婚式。親代わりに私が挨拶するよう頼まれている。
どうしても参加しなければならない。
ハノイ空港(ノイバイ空港)発午後12時40分。
何とか結婚式に間に合うようハノイのホテルを出て
午前11時にハノイ空港へ到着。搭乗手続きをする。
搭乗手続きをしに行ったバオミンさんが青い顔をして
戻ってくる。「午後12時半発の飛行機が午後7時発に
変更されている」とのこと。
ニエンさんなど4人はびっくりする。1時間ほどの遅延は
いつものことなので驚かないが、これから8時間も
空港で待たされるのは困る。ニエンさんも午後仕事が
あるそうだ。ミンさん・イックホアンさんが再度空港
カウンターへ掛け合いに行く。午後7時までの遅延理由は
何も教えないとのこと。ダナン経由も調べたが、午後5時まで
はないとのこと。パシフィック航空と言う小さな航空会社
がある。聞きに行く。ダナンまで1日1便。既に出てしまっいた。
結局、理由も示さず、代替交通機関もないままで
空港に放置されることになった。午後7時まで待つしかない。
諦めの気持ちである。午前11時にダナン行きがあった。
ベトナム航空が早く私たちに連絡を入れてくれれば
もっと早く空港へ来てダナン行きに乗ればフエに戻れたのだ。
時間の変更は昨日決まっていたはず。何のための航空券を
買った時に連絡先の電話を聞いたのだ。こうしたときの
連絡のためなのに・・・・・・。

4人は暫く呆然として空港待合室で待つ。
1時間ほどすると「フエ行き12時40分のお客は今からバスで
ハノイ市内のホテルに案内し、午後5時まで待機する」との
場内アナウンスがあった。ベトナム空港手配の大型バスに
4人で乗る。既にフランス人のツアー客の一団が乗っていた。
バスが走り出す。バオミンさんが乗客を数える。24人。
私たち4人。合計28人。
午後12時40分のフエ行きに乗る予定のお客は28人しか
いなかったのが分かった。
28人で250人乗りのジェット機を飛ばすのは損をする
とのベトナム航空のいつもの「拝金主義」「無責任体質」が
ミエミエ。
同行のベトナム人は「12時40分以降のフエ行き3便の
お客をひとまとめにして午後7時にフエへいくのだ」との
噂話。
30分ほどバスに乗り、「ホータイ湖」という湖の中に
キューバの支援で作った共産党幹部の保養所がある。
現在は改修しホテルとなっている。
ホテルで午後5時まで待つよう指示される。
湖の中に作った保養所ということもあり、部屋から
湖の眺めが素晴らしかった。

もうこの際、諦観し、ホータイ湖を楽しもうということになった。
ミンさんたちの話では「ホータイ湖」はタニシのような貝が
美味しいとのこと。ホテルでくすぶっていてもしょうがいない
ので「美味しいタニシ」を食べに行く。

ホータイ湖の近くに仏閣があり、門前町が出来上がって
いた。今日は縁日。多くの参拝客があった。
仏閣の両側には様々な食堂やみやげ物店が並んで
いた。
ひとつの食堂に入り「タニシ」を注文。私の口には合わなかった。
店先を見るとエビの揚げ物があったので注文。「チャートム」
醤油に唐辛子を入れて「チャートム」をつけて食べると美味しい。

●タニシのような貝

●エビの揚げ物(チャートム)


暫く食堂で雑談。その後、せっかく来たので仏閣にお参りに
行こうと提案。4人で参拝。仏教のお寺のようだった。


午後4時頃、ホテルへ戻り一休み。
午後5時、予定通りバスでハノイ空港へ戻る。
チェックイン。午後7時発の飛行機を待つ。
午後6時50分になっても何ら連絡がない。
午後7時過ぎになって「午後7時発のフエ行きは
午後8時過ぎに変更されました」との簡単なアナウンス。
それだけ。更に1時間待つ、やっと午後8時10分に
ハノイ空港を飛び立つ。大型ジェット機。250人乗りの
飛行機は満席だった。
やはり私たちの想像は的中していた。ベトナム航空の
営利第一主義。午後12時40分便は28人しかお客が
いない。その後午後5時過ぎの便と午後7時頃の便の
3つのお客をまとめて、この便でフエに連れて行くという
「大胆な」戦略。午後12時40分予定のフランス人ツアー
などはフエでの午後の観光と宮廷料理の夕食が出来なかった。
私は結婚式に参加できず(ラームさんに依頼し、新婦ニーさん
に事情を伝えてもらう)、ニエンさんも外務部の大事な仕事が
出来なかった。客の犠牲の上に膨大な利益をえている
ベトナム航空の腐敗体質に厳重抗議したいが、
今のベトナムではこの種の出来事は日常茶飯事。
抗議をするべき責任者がいないのである。無責任国家。
カウンタースタッフは「私は何も知らない」を繰り返すだけ。
マネージャーなど責任者はついぞ姿を見せない。
結局8時間以上も人の時間を取ったということへの
責任や謝罪の気持ちがない。それも自然災害や
飛行機の機械の故障などアクシデントが理由なら
多少は溜飲も下がるのだが、金儲けのために
お客に「嘘をついて」、正確には何ら説明もしないまま
赤字での飛行をやめて、金儲けになる飛行だけをするという
およそ企業倫理も社会倫理も喪失した腐敗堕落した
共産党幹部(ベトナム航空は国営。役員や幹部は全員
共産党員)の一党独裁から生まれる利権体質、金権体質
の実態を見た思いである。

先日のベトナム国会でベトナム航空の遅延・欠航問題が
取り上げられた。国会議員が運輸大臣に質問をした。
「ベトナム航空は理由も示さずに欠航・遅延が多発している。
あなたたち運輸省がベトナム航空の運営が出来ないのなら
外国の航空会社に運営を任せるべきだ。遅延・欠航の理由は
何なのだ?」。

運輸大臣の回答「遅延・欠航の理由は政治的なものなので
答えられない」とのことだったそうだ。結局、運輸大臣も
まとまな回答は出来ないのである。

昨年、ベトナム航空中部責任者が「焼身自殺」した。
多額の公金横領が発覚。ハノイから調査団がダナンの
ベトナム航空中部地域支店長の取調べを行った。
その日の夜焼身自殺をした。
従業員のボーナスを掠め取り、別荘や高級外車など
個人資産を買いあさり、家族と親族のために私腹を
肥やしていた。この焼身自殺など氷山の一角。
「小者が狙い打ちされた感」がある。大物は
ハノイでゆっくりと安穏をむさぼっているのである。
犠牲者は私たち何も知らないお客である。
ベトナムが豊かになったと言う声も聞くが、社会の
表面を撫でるだけではその国は分からない。
社会の深層で何が起こっているのは、マスコミなどが
報道しないところにに社会の実相があるように思われる。

今日の8時間ほどはベトナム航空の金儲け(実際には一部の
共産党幹部の私腹を肥やすため)に協力した無意味な
時間だった。

午後9時過ぎフエ空港に到着。自宅着午後10時。
部屋に戻ったらどっと疲れが出た。

メールを開く。3日間で119通のメール受信があった。
今日は読むだけにして、明日の日曜日に返信を書こう。
疲れたので午後11時50分に就寝。


投稿者 koyama : 2006年02月25日 09:12

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