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2005年11月17日
18歳以上の子どもたちの進路相談
曇り・雨・一時晴れ間。
終日曇りで寒い。時々太陽が出来ると汗をかく。
終日倦怠感。ベトナム事務所員の皆さんも同様の感想。
「気候の変化に体がついてゆけない」症候群。
午前8時15分、ベトナム事務所でグエンさんと会う。
グエンさんは、日本語学校「レセプションクラス」の卒業生。
10月29日京都府長岡京市で講演会をした際、渡辺京子さん
が話を聞いてくれた。講演会後、渡辺さんと話す。
渡辺さんは、今年ピースボートで「子どもの家」や日本語学校
を訪問。日本語学校でグエンさんと日本語の交流をしたとのこと。
グエンさんに日本語の絵本をプレゼントしたいとのことだった。
私が預かり今日グエンさんをベトナム事務所へ呼び手渡す。
グエンさんは、日本語学校を卒業後、現在はフエ市立樹木管理会社
で仕事をしているとのこと。
グエンさんを教えた松下先生、サン先生も久しぶりの対面。
直ぐにバオミン・ベトナム事務所長と「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」の17歳以上で「進路」が定まっていない
子どもたちと懇談をする予定。セン運営委員長、バオミンさん
と私。午前8時50分頃から進路相談を始める。
●最初に職業訓練をしているT君(17歳)とP君(18歳)。
★T君は靴を作る手工業の小さな工場で研修をしている。
3年間の研修ですっかり腕を上げ、現在会社から
毎月50万ドン(4000円)程度の手当てをもらっている。
(セン)T君は3年間良く研修をした。最初は研修について行けるか
心配だったが、今は良く出来るようになった。
研修の先生もT君の腕前には太鼓判を押している。
社長はT君を工場に泊まりこみで受け入れると言っている。
私たちは、あなたに人生のチャンスをあげるだけだ。
靴工場で働き自立するのかどううかは、あなた自身の
判断だ。
(小山)自立し、働きながら更に自分の能力を高めてほしい。
これが最良の道だと思う。
回りの友達の中には、親がお金持ちで贅沢な生活を
している人もいるが、T君はそうした友達のことは
気にしないで、自分の力で生きて行って欲しい。
自分の力で仕事をすることが一番立派なことだ。
親の力で生きていく友達はいつか挫折する。
今は厳しく、辛いこともあるが頑張って欲しい。
(T君) 分かりました。少し、自信はないけど、セン先生や
小山先生の言うことを心に入れて、靴屋で仕事をし
自立したい。これから頑張って、田舎のお母さんと
妹の生活の面倒が見られるようになりたい。
※T君は1993年10月から支援した子どもである。
当時5歳。早いものである。今はすっかりお兄さんに
なってしまった。当時、チーラン通り「子どもの家」で
姉と一緒に生活していた。姉は知的障害があったが、
5年ほど前にやはり足の障害がある男性と結婚。
私もクアンチ省・ドンハ市の結婚式に呼ばれた。
姉は夫と廃品回収業をしながら生活している。
子どもも生まれた。12年間、「子どもの家」で面倒を
見てT君はやっと自立=自活することが出来る。
私も成長し自立できるT君を見ることが出来て嬉しい。
★P君は18歳。やはり12年前、チーラン通り「子どもの家」
時代に弟と一緒に山岳地帯からやってきた少数民族の
子どもだ。3ヶ月前まで2年間、彫刻でみやげ物を作る
工場で研修をしていた。所が3ヶ月前、セン委員長にも
言わずに勝手に彫刻研修を止めてしまった。
彫刻研修の先生はP君の能力を高く評価し、毎日
15000ドン(100円)の手当てをくれていた。
1ヶ月45万ドン程度の収入があり、「子どもの家」を
退所したら彫刻の先生は自分のお店に受け入れ、
能力給にして更に手当ても出すと言っていた矢先であった。
(セン)P君は何故彫刻研修を辞めたの?
(P君)先生がよくない。
(小山)先生の何がよくないの?
(P君)?・・・・・(無言)
(小山)2年間彫刻の研修をして辞めてしまったら
もったいないでしょう?
(P君)そうは思わない。
(小山)彫刻を続ければ自立できるよ。どうして彫刻を続けないの?
(P君)彫刻では良い人間になれない。
(セン)あなたは3ヶ月前に勝手に彫刻を辞めてしまった。
彫刻を辞めたと私に言ったのは1ヶ月前だった。
あなたは今まで何度も仕事を辞めるのを繰り返している。
あなたは2年前、彫刻の研修をしたい。母親の面倒を
見たいと言って来た。彫刻を研修して将来は社長になる
と言っていた。
真面目に労働もしないで社長になりたいと言っても無理だ。
しっかりと働き、努力した後、社長と言う仕事が付いてくる。
あなたは彫刻の社長とけんかしたのですか?
(P君)社長とけんかしたわけではない。
(小山)君は彫刻の研修を続けた方が良い。
(P君)彫刻は辞めると決めてしまった。誰とも相談しないで
自分の意志で決めた。
(セン))彫刻を続けて欲しい。
(P君)彫刻に戻りたくない。辞めた理由は大人のせいだ。
大人が原因だ。
(セン)大人とは誰だ。「子どもの家」のスタッフ?
ベトナム事務所のスタッフ? 彫刻研修のスタッフ?
(P君)大人だ。
※こんなやり取りを1時間ほど繰り返す。P君は理由は言わないが
とにかく2年間研修した彫刻をセン運営委員長にも言わずに
辞めてしまった。1時間ほどの話し合いの中でP君は彫刻の
先生との間に私たちに言えない何かトラブルがあったのかとも
思った。調べてみたが、先生はP君を可愛がっていたことが
分かった。彫刻の先生は「子どもの家」に内緒でP君に
自転車を買ってやったがP君は直ぐに売ってお金にしてしまった。
今年のテト正月にはわざわざP君の実家のあるクアンチ省に
P君を連れて行き、親戚にP君の挨拶し、お土産などを上げ
ている。こうした先生の行動を見ると先生はP君に期待を
かけていたことが分かる。
P君が突然2年間の彫刻研修を辞めた理由は今でも不明。
P君・T君を帰した後、3人で話し合う。
P君が研修を辞めた理由は友達関係ではないか?
P君は地元の不良グループと付き合い始めた。
不良グループに入り、お酒を飲んだりしている。時々、
飲酒が発覚し、「子どもの家」スタッフに注意されている。
ハイバーチュン高校3年生の男子もこの仲間に入り飲酒をしている。
今後、友達関係をもう少し詳しく調べることにする。
来週、P君の親戚を(フエ在住)を呼んで再度話し合う。
通訳を通しながらの話は本当に疲れる。
●次に大学等への入学を果たした3人を呼んで今後の
身の振り方を話し合う。Mさんは、2ヶ月間の軍隊入営中。
(セン)18歳以上になったら原則的に「子どもの家」を出ることに
なる。皆さんは特別にJASSの方針に基づき大学卒業までは
JASSが面倒をみてくれることになっているが、自分の進路、
身の振り方は自分でしっかりとした意見を持っていて欲しい。
●D子さん(20歳)
(Dさん)私は20歳。小学校の先生になるつもりだ。
出来たら大学の寄宿舎に入りたいと思っていたが、友達
などの話を聞くとうるさく、人間関係も大変なようだ。
2006年のテト正月(1月29日)明けまで待って欲しい。
その間に寄宿舎に入るか、下宿をするか、
「子どもの家」で生活するのかを決めたい。
(小山)将来、小学校の先生になって自立して欲しい。
小学校の先生になって今まで日本人やベトナム人の
支援で大きくなったことへの恩返しをして欲しい。
子どもたちの教育をしっかりして欲しい。そして、給料を
もらい財政的にも自立して欲しい。
●K君(18歳)
(K君)僕は「子どもの家」にいたい。「子どもの家」で今後
4年間お世話になりたい。
家庭教師や塾の先生などアルバイトをして自分なりに
努力したい。
(小山)年下の子どもたちの面倒を見て欲しい。勉強や
生活など・・・・・・。K君は将来何になりたいの?
(K君)僕はフエ師範大学数学科に入ったので、高校の
数学の先生になって皆さんへの恩返しを社会に
お礼をしたい。
(セン)アルバイトをすることは問題がある。
今後、話し合う。是非、頑張って欲しい。
●T君(22歳)
(T君)現在、電気専門学校に通っているが、コンピュータの
専門学校にも入りたい。昼と夜、二つの勉強をしたい。
(小山)T君は「赤旗隊」隊長(「子どもの家」生徒会長)なので
他の子どもたちのリーダーとなって頑張って欲しい。
(セン)専門学校やコンピュータの学校へ行くのは良いことだ。
(セン)今日は、3人の意見を聞くとこうことで終わりたい。
今後、また時間をとって3人と話し合う。それまで
自分の意見を更にまとめておいて欲しい。
※フエ経済大入学のMさんは、フエ飛行場近くの軍隊に
入営している。これはフエ経済大学の方針である。
2ヶ月間、軍隊で共同生活をする。ミンさんに何をしているの?
と聞いてみた。鉄砲の分解・組み立て、行進、射撃など
民兵としての基礎訓練となるようなもののようだ。
Mさんが軍隊から帰って来たら再度話し合いをする。
結局、午前9時前から11時過ぎまで話し合いが続いた。
「子どもたちの自立をめざす」と口で言うのは易しいが
実際に子どもたちの成長の紆余曲折と付き合い、
子どもたちの気まぐれな成長に付き合って行くのは
中々気苦労なことではある。今日のようなやり取りは
本来なら各家庭で親と日常的に進めるものかのかも
知れない。しかし、「子どもの家」の子どもたちは
親と家庭がない。センさんやミンさん、私などが
家庭と親の代わりをせざるを得ない。私の最大の任務は
「忍耐」である。「厳しさと愛情」の二刀流である。
私は子どもたちと最後まで寄り添い、子どもたちの
成長の「漂流」に付き合おうと決意している。
時間と労力、そして忍耐と子どもたちへの愛情が必要。
何よりも子どもたちへの尊敬と人間への愛情が必要ではない
のかと思っている。私は「人間こそ第一」主義者である。
人間を冒涜したり、粗末にするどのような動きとも
闘って行きたい。「子どもたちに国境はない」主義で
世界中の子どもたちの幸せを祈りたい。
こんな夢を持ってフエで生活している。私は11月23日に誕生日を
迎える。58回目となる。
これからいつまで生きられるのかはわからない。
人間主義、子どもたち第一主義の思想で生きて行きたいと
思っている。残りの人生をこうした子どもたちのために生きられる
自分の幸せな境遇に感謝している。
東京にいる妻、子どもたちが自由にさせてくれていることに心から
感謝している。
9月18日、愛知万博に協賛し、国際ソロプチミスト東京ー東
主催の「子どもの家」での植樹祭で植えた「びんろう樹」や
花壇の花が大きく成長していた。
午後12時半から30分ほど昼寝。
その後、メールの受信・送信。多数。
午後4時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所には静岡の会の巣山先生からクリスマスの贈り物
が届いていた。
「子どもの家」の子どもたちにお菓子
ベトナム事務所スタッフ用にもお菓子の差し入れがあった。
また、「子どもの家」絵画教室用のスケッチブック、クレヨン、
鉛筆削り、折り紙・・・・・・。
ベトナム事務所男性スタッフ用のハンカチ
ベトナム事務所女性スタッフ用ハンカチ
改めて巣山先生のお気遣いに感謝。
9月中旬からベトナム事務所は訪問客もなく、毎日が意外と
単調な生活となっている。これはこれで体力回復には
必要なことではあるが。こうして時々、「日本の風」が吹くこと
もベトナム事務所やスタッフへの励ましとなる。
有難い激励である。
朝日新聞のインターネット版を見る。
『松井秀 4年64億円で合意・
松井「またストライブ着れて幸せ」ーAP』
こんな文章が載っていた。APも「着れて」という
言葉を使うのか? 私にはひどく抵抗のある言葉だった。
投稿者 koyama : 2005年11月17日 13:20
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