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2015年03月13日

秋田国際教養大学「子どもの家」訪問

午前6時起床

血圧測定等ルーティーンをこなす。

午前7時朝食。
「ブン・クアー・ボー」(牛肉・カニ入り米麺)

午前8時過ぎ電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」の寮母さんと「子どもの家」の様子、
問題点などを話す。

午前9時半、ソン君が『秋田国際教養大学』等の
学生さんを引率して「子どもの家」へ。

「子どもの家」の施設案内。



こうしてソン君もJASSベトナム事務所・JASS観光の
立派なスタッフとして成長した。
訪問者の案内は、自分が嘗て住んでいた場所でもあるので
詳しく説明している。


午前10時、私の講演。

22年間の活動内容。JASSの海外ボランティア観の特徴など
を話す。
同時に教養がイコール「英語・外国語を話すこと」になっている
日本の「国際人・グローバルな人間を育てる大学」などと
銘打った日本の実情を厳しく批判する。外国語を話すことは、
飽くまで「道具としての外国語」であり、本当に大事なことは
その国の歴史、文化、伝統、国際的な政治情勢の中で
どんな位置にいるのか?などの実態・本質をしることこそ
国際化なのだ・・・と強調。

ベトナムに関して言えば、ベトナム語が話せるかどうかは
二次的な問題である。バオミンさんなどに通訳をしてもらえば
解決できる技術的な問題。
本質は、ベトナムの歴史、ベトナム共産党の歴史と共産主義
社会主義の本質を研究・熟知することで、一党独裁の
ベトナム社会主義国家でボランティア活動が出来るのだ、
との話をする。外国語を話すことは,飽くまで「ツール」として
道具としての補助手段であり、本質はその国を知ることである。

何故、22年間、「子どもの家」・子どもたちと付き合ってきたのか?
東京の教員時代の不満はなんだったのか? などを話す。

午前11時半。子どもたちと一緒に昼食。
『左の男子』は、チーラン通りの子どもの家から来た。


左の女児もチーラン「子どもの家」から来た。
両親はいない。人懐っこい子どもである。




国際教養大の「フェヤートレード」をして、海外支援を行っている
サークルの皆さんである。
中々、礼儀正しく、真面目な学生さんたちであった。

「自分たちが大学で出来ることは?」との質問があった。


昼食を終え、電動バイクで宿舎へ帰った。疲れた。

気候が蒸し暑い。気候の変動も大きい。

宿舎に帰り、直ぐに横になる。

しばらく休み、日本語教師就任・着任するとの
メールあり。

返信をする。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

途中でチャーゾー(豚肉のハム)と「うずらのゆで卵」を買う。


午後6時時過ぎ、秋田国際教養大学の皆さんが日本料理店
へ来店。一緒に夕食を摂る。


午後9時半、閉店

今日も調理のハンさんは休む。今日はお客さんが多く
調理のトゥオイさんを中心に接客のグエットさんも調理も
手伝い、何とかこなす。

長い1日だった。疲労が溜まる。

投稿者 koyama : 2015年03月13日 17:29

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