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2014年01月31日

ベトナム「テト正月」元日

午前5時、目覚める。空腹を感ずる。

昨夜の夕食で残った『ご飯』で小さな「おにぎり」
を2つ作っておいた。食す。引き続き、寝る。

午前9時、起床。

午前10時頃、バオミンさんから電話。
「家族で新年の挨拶に行く」とのこと。


午前10時過ぎ、バオミンさん一家が来訪。

日本の正月と全く同じ。正装をして、親族などを
訪問する。本来なら、大体、そこで「飲む」そうだ。


長女のアルファーちゃんは、日本で言えば小学校
6年生。(ベトナムでは中1)。英語が大好きとのこと。

学校以外でも英語を習っているとのこと。

弟のベーター君は、小1。算数や理科が好きだとの
こと。

しばらく会わなかったバオミンさんのお子さん。

アルファーちゃんもベーター君も大きく成長しているのに
驚いた。子ども・孫の成長は早いものだ。


アルファーちゃん・ベーター君が小さかった時に
私が写したた写真を上げる。


午後1時。昼食。支援者から頂いた「三輪素麺」を茹でて
冷たくして、豚肉をダシにして「漬け汁」で食べる。
美味しい。


午後3時、「子どもの家」に新年の挨拶に行く。

ベトナムのテト正月の元日。町のお店は
ほとんど1軒も空いていない。

私の愛好する「ビーちゃん」(ビール)がなくなっていた。
途中で買おうと思ったが、お店が開いていない。
町にもあまり人が出ていない。

午後3時のベトナム事務所の前の道。

いつもは、オートバイや車で混雑しているのだが・・・



多くの家庭やお店には、「金銭がたくさん入る」
という「金色=黄色」を玄関に飾る。
多くの家では、「菊」=「黄色」=「金」という訳で
菊を飾る。お金持ちは、「金柑(キンカン)」を飾る。


途中、王宮前を通る。「ベトナム国旗」「ベトナム共産党旗」
などを「生花」で大きく飾っていた。

ベトナム社会主義共和国の国旗(金星紅旗)


ベトナム共産党の「党旗」(鎌=農民、ハンマー=労働者)
ベトナム社会主義共和国は理念上、労働者・農民が同盟を
した労農同盟を基礎とした国家ということになっている。しかし、
労働者と農民が一番貧しい国家でもある。
何もとも「建前と現実が大きく乖離している」ものだ。


2014年 謹賀新年(チュック・ムン・ナン・ムオイ・2014)

途中で、電動バイクの充電が切れてします。足で漕いで
「子どもの家」へ行く。

「子どもの家」の門の中に「子どもの家」卒業生の
フン君がいた。

しばらくして兄弟の「ハイ君」が「子どもの家」に来た。

「子どもの家」には、日本で言えば『門松」にあたる
「金色ー黄色ー菊」が飾られ、「謹賀新年」の
横断幕が飾られていた。

子どもたちの人影が見えない。事務所には、
ロック寮長がいた。事情を聞いてみた。

「子どもたちが、親戚か姉兄の家で正月を過ごしている」
とのこと。子どもたちが出来るだけ、一般家庭での
生活経験をする必要がある。
「子どもの家」での生活は、ある意味では、一般家庭とは
多少異なる日常生活であることは間違いない。

40人弱の子どもたちには、全員、何らかの親戚・
兄弟等がいることが分かった。

この20年で「子どもの家」に入所する子どもたちの
質が大きく変わった。路上で生活している子どもたちは
親や親族が」皆無に近い。
家庭の種々の事情(かなり複雑な事情)で
「子どもの家」に入所する子どもたちがほとんどだ。

親族・兄弟がいても「種々の複雑な事情」で一緒に
いられない子どもたちが入所してきている。

ストリートチルドレン支援→ベトナム社会の変化に
伴って家庭の変化が起こり、その結果「子どもの家」に
入所する子どもたちが多くなったことが分かる。

JASSの子どもたちへの支援は、ワンパターンの支援では
ない。その時々のベトナムの社会事情に合わせての
支援である。

「子どもの家」卒業生の「ハイ・フン君」が「子どもの家」に
遊びに来ていた、というのか、お正月行くところがない
卒業生だ。行くところは、「子どもの家」だけなのだ。

「子どもの家」からの帰り。電動バイクの電力が切れて
漕いで帰宅。かなり、エネルギーを使う。いい運動になる。

フースン橋からラオス方面を見た。


典型的なベトナムの正月の飾りをしたホテル
「モーリンホテル」

いくつかのメール受信。

20年前にフエに来た頃は、「爆竹」を使っていた。
一晩中、うるさくて眠れなかったが、爆竹が禁止され
静かな「テト正月」である。


投稿者 koyama : 2014年01月31日 21:16

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