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2014年01月29日

安直なドラマ「明日 ママがいない」

午前6時起床

晴天 気温29度

午前7時朝食。

「フォー・ガー」(鶏肉米麺)

多数のメールを受信


午前11時半昼食。

「マカロニスープ」

この食事で「」テト正月」前の食事は終わり。

これから5日間、食事は自分で「調達」する。

夕方、5日間の食材を買いに行く。
キャベツ・卵・人参・ねぎ・・・。


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安直なドラマ 「明日ママ がいない」第3話を見る


YOUTUBEで「第1話」「第2話」を見た。

今日、テレビで「第3話」を見る。

ベトナムのこの種の施設(わたし達JASSの運営
している「子どもの家」も含めて)では、およそ
想像できない「児童養護施設」である。

見ていて途中で「反吐(へど)」がでるような嫌悪感を
感じた。

第1に施設長の「子どもたちに対する人権無視」
の態度である。たとえ、今後この施設長にどんな
過去の人生があったとしても「許されざる」
横暴な態度である。

第2に「こがもの家」の施設としての態度である。
里親へ「媚(こび)」、一種の人身売買的な
里親希望者へ「『低姿勢」である。
里親になってくれそうな人への卑屈な子どもたち
の態度と、施設長の指導。

現実的には、日本の児童養護施設やわたし達
ベトナムの「子どもの家」を支える会運営の
「子どもの家」では、絶対あり得ない「嘘」の
構成である。

日本の養護施設やわたし達JASSの「子どもの家」
では、子どもたちに対する「絶対的な愛情」と
「生い立ちへの理解」を前提として子どもたちを
受け入れ、養育している。

「明日ママがいない」の作者は、現場や現実を
ほとんど検分せず、自分の頭で勝手に想像して
作ったものだと想像する。
「フィクッション」と銘打っているのだから、
現場と違っても当然だとの態度は許されない。

多くの事情がある子どもたちが日本の児童養護施設に
入所している。

こんな「横暴で乱暴で子どもたちに責任を持っていない」
養護施設は日本にも世界中にないと断言できる。

養護施設の全国協議会などが、放映中止を要求している
ようだが、その気持ちは理解できる。

日本テレビやテレビ関係者は「報道の自由」などを
主張しているが、養護施設の実態と極端にかけ離れ
ている番組を放送する権利や自由はない。
放映することで「人を傷つける自由はない」。

この番組の最大の問題は、台本作家が
現場・現実を取材しないで番組を作ったこと、
そうした番組を容認した日本テレビの関係者、
そして、日本テレビの精神的な退廃である。

日本の養護施設の多くのスタッフは、良心的・献身的に
子どもたちの将来を考えて仕事をしている。
私も京都の養護施設と交流した経験があるが・・・・
ドラマを作るのなら、そうした現実を踏まえて
作るのが、作者の最低のモラルであり良心である。

この番組で、視聴率を取れるのかどうかは
知らないが、現場で真面目に苦心している多くの
人々や施設にいる子どもたちを冒涜してまで視聴率を
上げようとする「日本テレビ」と台本作家の精神的な
荒廃・退廃に怒りを感ずる。
マスコミが真面目な人間を一方的に冒涜する権利は
ない。マスコミは「真実を報道してこそ」その存在意義が
あるというものだ。

投稿者 koyama : 2014年01月29日 22:39

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