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2013年09月08日

「子どもの家」警備員さんの娘さんの結婚式

午前8時起床

昨日の「春雨麺」の残りを少し食す。

午前10時40分、徒歩でベトナム事務所へ。

ベトナム事務所には、ベトナム事務所員の
皆さんが参集。

今日は「子どもの家」の警備員VUIさん(55歳)
の娘さんの結婚式。

「子どもの家」警備員のVUIさんは、1980年代
ベトナム人民軍の軍人だった。
現在、中国に「略奪されている」南沙列島の
守備隊の軍人。
中国側の襲撃で怪我をし、軍務につけず、
その後、「子どもの家」の警備員となる。
この種の「名誉の負傷」を負った軍人には
ベトナム政府も手厚く処遇する。
日本風に言えば「傷痍軍人」。

午前11時過ぎ、「子どもの家」の直ぐ近く
の自宅の庭を開放し、結婚式を行う。
参加者は350人。

新郎新婦は、20代前半の初々しいカップル
だった。

新郎新婦と両家の母親


式場(VUIさん自宅)にはベトナム事務所の
日本人、ベトナム人、「子どもの家」の寮母さん
などが結集。


開会セレモニーの前に既に各テーブルでは
独自に自主的に「宴会」が始まっている。
「子どもの家」スタッフの皆さんのテーブル。


「子どもの家」委員長センさん、バオミンさん、
税田さん、ジョー先生・TOMY先生


左から「新婚さんいらっしゃい」さん
「子どもの家」会計担当のHさん
セン「子どもの家」委員長

新婦の自宅の庭での結婚式。
ベトナム風でたくさんの親戚の人が農村から
やってきている。立錐の余地もない。



開会(写真右端が「子どもの家」警備員VUIさん夫妻)

ケーキカット

その後、ワインをグラスの山へ注ぐ儀式あり。

フエに20年すんでいる。その間に
数々の結婚式に参加したが、年々「派手になって」
きている。

「子どもの家」セン委員長と乾杯

食事

エントリーに出た牛肉の味付け薄切りは
美味しかった。ビールの「おつまみ」には最高

新郎新婦と両親御さんが各テーブルの参加者
をめぐり、挨拶



「子どもの家」スタッフへの挨拶


宴会が始まった途端に「カラオケ大会」。

既に参加者には、大量の「フダビール」が
入っている。

親戚の農村の親戚の方々は、うれしくて
カラオケを歌うのだが、「変な長調」。

カラオケの音が異常に大きく、騒音で頭が痛く
なる。

途中でJASSを代表して富岡先生が
ベトナム語の歌を歌う。一番拍手が多かった。



ベトナム事務所の「新婚さんいらっしゃい」さんから
バラの花の贈り物

人生と「当面の諸課題」を深刻に考えている時、
知らない間に後ろに新郎新婦が登場・撮影と
なった。写真の表題「考える人」と『新郎新婦』


我に返り、写真撮影


午前11時半開会。午後2時閉会。


先日、交通事故で顔を負傷したホアさん(中)。
現在は「子どもの家」にある刺繡みやげ物店で
仕事をし、家を借りて自立している。
ホアさんとの出会いは、1996年頃だった。
私が毎朝5時に起き、「レロイ通り」をフエ駅まで
往復1時間歩いていた。その間、たくさんの
路上の子どもたちを見付け、「子どもの家」に
入所させた。

ホアさんは、レロイ通りに面している「公園」
で寝ていた。私が公園前を通る通る午前5時20分
頃、公園から起きだし、レロイ通りの横で、
ペットボトルから手に水を受けて、顔を洗っていた。
小学校低学年くらいだったろうか?
私は何度も「子どもの家」に入るよう勧めたが
断られた。1年間ほど、繰り返し「子どもの家」入手を
進め、やっと「子どもの家」へ入所させることができた。
小学校低学年で「子どもの家」に入ってくれて本当
良かったと思う。もう少し、年齢が行っていたら
どんなことが起こったことやら・・・・。

「子どもの家」に入所し、小学校・中学校を
卒業。。高校には行かず、中学校位から
「子どもの家」内にあった刺繡研修センターで
刺繡を学んでいた。

中学を卒業した段階で、刺繡研修センター
付属の「刺繡みやげ物店」に就職。
給料をもらいながら、家を借り自立するように
なった。

ホアンさんがもし、「子どもの家」に入所
していなかったら、今、どうなっていたのだろうか?

写真左は ホアンさんの刺繡のロアン先生
(現在、「子どもの家」刺繡みやげ物店の主任)


午後2時閉会し、バオミンさんと日本人スタッフは
タクシーで、ベトナム人スタッフは各自のオートバイで
帰宅。

午後3時前に宿舎へ帰る。

その後2時間程休養・遅い昼寝。

午後5時半頃、リー君から電話。今、近くで飲んでいる、
一緒に飲もうとのこと。

オートバイで私の宿舎まで迎えに来る。

いつもの大衆酒場へ。税田さんも来ている。
3人で今後のリー君の「行く末」を話し合う。

リー君は現在推定百数十ドル近くの「借金」を抱えている。
借金の大半は、ギャンブルだと推定する。

警察前のオートバイ警備員の仕事は既に終了。
新しい仕事はない。親戚のお姉さんの家庭が
日本流に言えば「左官業」をしているとのこと。
ベトナムの家はレンガをセメントつなぎながら
作っていく。レンガなどをセメントでつなぐ仕事を
するような、しないような不確かな話をしていた。
明日から直ぐに仕事があるかも不明。

現在、200ドルで買ったオートバイを120ドルで
売って「借金」を返すという。

途中で若い男がやってくる。

1時間ほどリー君・税田さんとリー君の行く末を
話し合い、私は疲れたので先に失礼する。

リー君はオートバイで私の宿舎まで送ってくれる。

しばらくするとリー君から電話。
「俺は、フエにいないでラオスに行く」との内容。
ラオスに行けば、間違いなく「麻薬の運び人」となり、
フエーラオス国境の山を越えて麻薬を運び、山岳警察
につかまる可能性大。ベトナムでは5グラムの麻薬所持
で「死刑」。リー君のラオス行きは、命にかかわる
重大な問題。

リー君とまだ一緒に飲んでいる税田さんに電話をし、
明日、午前9時半にリー君と話しをするので、
そのことを伝えてくれるようお願いする。

リー君は、この数週間『何かに取り付かれた』ように
『異常な行動』に出ている。自分の身の丈に合わない
言動が多い。自分がかなり偉くなったような意識と
行動が目立つ。金遣いが荒くなり、生活もかなり
荒んできていた。原因は不明。
まじめにこつこつと仕事をすることを馬鹿にし、
『お金があるのだ』という風なそぶりを見せるように
なった。しかし、実態は、警察のオートバイ警備の
仕事が終わり、次の仕事がないまま、現在、毎日
私が15万ドン(750円)をリー君に上げて、何とか
その日の生活が成り立っている状態だ。
意識ばかりが「えらくなり」、その生活実態は
人から生活費をもらわないと生活できないという
現実である。

「命よりも大事」なオートバイを売って、借金を
返すということは、相当の借金があることが
想像される。この数週間程でかなりのお金が
手に入り、「自分は偉い」との間違った
認識を持つに至り、しかし、客観的な自分は
「収入もない」人間であるという「自己矛盾」
にいらだっているのである。
私たちベトナム事務所では、リー君に
客観的な自らの置かれている社会的な
位置、収入状況などを自覚させ、その身の丈に
あった生活と暮らしをするよう厳しく言って来たが
この数週間のリー君の変貌に唖然としている。
結局、大金の借金(ギャンブル原因)と自分の
おかれている位置すら分からず、イライラと荒れて
いるリー君が残っただけであった。
その挙句、一番心配をしていた「ラオス行き」を
言い出す始末。リー君の最終転落の一歩手前である。
これ以上、リー君の暴走を見過ごすことは出来ない。
明日、午前9時半に会って、厳しく彼のこの数週間
の生活を批判し、自己総括させ、ラオス行きを取りやめ
させ、自分の身の丈にあった日常生活に戻るよう
説得するつもり。
リー君とは、1993年9月から付き合っている。
リー君5歳の時から20年。現在のリー君は
何か自分自身の置かれている位置を全く勘違いして
しまっている。

午後8時から午後10まで停電。
部屋は、サウナのような暑さ。

静岡の会の方から頂いた「小型電池式扇風機」
を使い何とか暑さを凌ぎ、停電回復を待つ。

投稿者 koyama : 2013年09月08日 18:35

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