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2013年08月30日

ニエン外務部長退職記念パーティー

快晴

午前5時起床。

読書。

午前7時朝食。「カニ団子入りブン麺」


当面のいくつかの件について文章化する。

バオミンさんと電話で話し合う。


その他

午前11時半、昼食。

「牛肉入りのおじや」



午後2時間程昼寝。

読書

いくつかの件について、理論的に整理する。


午後5時過ぎ、バオミンさんが宿舎付近まで
タクシーで迎えに来てくれる。

午後5時半。フエ市人民委員会外務長
ニエン氏の退任パーティーに参加。


私は1993年9月1日にフエ市に来た。
その後、様々は問題(反政府運動嫌疑で国外追放・・)
で困難を抱えた。そうした私を救ってくれたのは
フエ市人民委員会外務部長のニエン氏だった。

今日はニエン氏の60歳定年退職記念パーティー。


ニエン氏は、ベトナム戦争中、フエ大学の法学部
に入学した。
フエ大学は、日本に例えれば京都大学法学部。
優秀な学生だった。アメリカのベトナム侵略に
反対し、ベトナムj共産党に入党。
当時の南ベトナムで共産党員というだけで
「即射殺」の時代だった。

その後、1975年のベトナム全土解放時には
現在のトゥアテイエンフエ省・クアンチ省・
クアンビン省の「ホーチミン青年団」の委員長と
なった。そのまま行けば、出世コースひた走り
だったのだが、ニエン外務部長は、そうした
生き方を取らず、生涯フエ市人民委員会
外務部長で終わった。本来なら、フエ省知事、
フエ省共産党共産党委員長になるコースに
乗っていた人なのである。


私が1993年9月1日にフエに来てフエ師範大学
日本語クラスの主任講師として勤務したが
反政府主義者などのレッテルを貼られ、
フエ師範大学を2年間で解雇されてしまった。
その解雇騒動の際もニエン外務部長は
私を支援する立場に立って、様々な支援をして
くれた。感謝している。

今日は、ニエン外務部長60歳定年の退職記念会


ベトナム在住20年。この20年間で本当に「ずるい」
ベトナム人に遭遇し、騙されたり、施設を取られたり、
反政府主義者だと警察に告訴されたりと様々な
出来事があった。しかし、フエ市人民委員会
外務部長のニエン氏は、全くブレずに一貫して
JASSと私の活動を支援してくれた。


今日は、フエ知事・フエ市長・フエ省公安最高責任者、
フエ省CIAなどフエ市フエ省幹部が全員参加した
盛大な退職記念会だった。

最初に私が指名され、ニエン外務部長の退職に
ついての感想と感謝の気持ちを述べた。

フエ省知事(昔はフエ市長)

カオフエ省知事(元フエr市長)と



フエ省警察責任者とニエン外務部長


以前、フエ省共産党委員長と訪日したAさん。

フランスのNGO代表と懇談



私が1993年9月1日にフエ師範大学日本語クラス
主任としてフエに赴任した。
その時の第1期生。フエ市人民委員会外務部部長や
副部長になった。JASSベトナム代表のバオミンさん
も第1期生。


20年の歳月は、20歳で教えた教え子が、40歳に
なっている、そして、フエ市人民委員会の要職について
いるという時代と年月の流れを感じた。

フエ市・フエ省人民委員会の要人、警察の幹部の
ほとんどの人が参加。

ニエン外務部長の人柄が分かるというものである。

20年間のニエン外務部長とのお付き合いに感謝
している。退職後もJASSとの提携を進め、健康で
長生きして欲しいと祈る。

大きなグラスで何度も文字通り「乾杯」をしたというのか
させられた。これもベトナム(フエ)の伝統なのか?

4時間のパーティー中、何度も文字通りの「乾杯」が続く。

相当飲んだ。今日はフエで一番お世話になったニエン外務
部長の退任記念の式典。一生に一度の会だ。
たまには、文字通りの「乾杯」をすることでニエン外務部長
に感謝の気持ちを表したい。

私のフエ在住20年間の「紆余曲折」を全てを知って
おり、全ての事柄に関与し、私を側面・水面下で
支援し、救ってくれた。本当に「人間」として尊敬
出来る人である。偶然ではあるが、こうした人と
出会えたことに心から感謝している。

午後10時過ぎに散会。

投稿者 koyama : 2013年08月30日 17:27

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