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2013年08月31日

地球の歩き方第4班講演会2回

快晴 真夏

午前6時起床。昨夜のニエン外務部長の
退職記念会で飲みすぎた。頭痛。

午前7時朝食。

「肉団子入りチャオバンカン」

午前9時過ぎ、宿舎を出て、電動バイクで
「静岡フエ青年交流会館」1階へ。
地球の歩き方第4班の「ベトナム語講座」が
行われていた。

ベトナム人日本語教師のフオン先生。

よく通る声で地球の歩き方第4班(18人)の皆さんに
ベトナム語を教えていた。

ベトナム語での自己紹介。相手の名前を聞く・・・・・・

地球の歩き方スタディーツアー第4班の皆さんは
非常に真面目にベトナム語を勉強していた。


午前9時半から1時間、私が
「ベトナムの歴史・現状・・・・」などを話す。

概括的にベトナムの2000年の歴史。
日本とベトナムの交流、日本のベトナム侵略史。
ベトナム戦争・ドイモイ政策との現状と課題・・・

1997年に私の伝記『ベトナムの「子どもの家」』
(金の星社)が出版された。この本は、毎日新聞
主催の児童読書感想文コンクールの課題図書に
指定された。地球の歩き方第4班に参加された
静岡県出身の学生さんが、子どもの頃、私の
伝記を読んだと言っていた。有難いことである。

午前10時半、講演会終了。電動バイクで
ベトナム事務所へ。1時間ほど、ベトナム事務所
で休息。今日は非常に暑い。相当体の消耗も
大きい。

午後12時過ぎ、宿舎へ。
暑くて食欲なし。4分の1程、食す。

その後2時間程昼寝。


午後3時時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。

午後3時半から1時間、「子どもの家」の創立の
経過・歴史を話す。

始めに1997年放送のテレビ東京の
「ドキュメンタリー人間劇場」の一部をDVDで
見てもらう。



その後、45分ほど、何故、私は45歳でベトナムへ
来て、ストリートチルドレンなどの支援を始めたのか?
「子どもの家」入所の子どもたちの20年間の変化、
「子どもの家」でめざしているもの・・・などを話す。



午後4時半過ぎ、「子どもの家」の子どもたちの
歓迎会

初めに「子どもの家」のセン運営委員長の
歓迎の挨拶(通訳はハンさん)



「子どもの家」でも古株になった「ハイ君」


子どもたちの歓迎の踊り「平和のシンボル 鳩」



「先生の恩に感謝する」 を子どもたちが歌う

「みんなで踊ろう」を踊っていたが、途中で音楽が切れ
再度やり直したが、やはり音楽が切れてしまった。

地球の歩き方スタディーツアーの皆さん18人の
出し物。「何とか」という人の「何とか」という歌と
振り付け。


最後にスタディーツアーの皆さん、一人ひとりが持って
きてくれた支援物資(主に学用品)の贈呈


午後5時過ぎ、子どもたちの歓迎会は終了。
地球の歩き方の皆さんが、ハンさん、アンさんの
案内で夕食へ。

私は少し残り、子どもたちの夕食の様子を観察する。

今日の夕食は
①海老の「甘辛煮」


②野菜スープ

何でもない「質素な食事」ではあるが、毎日
子どもたちに食事を提供するとなるとなると
なかなか大変なことである。

1日3回。1年間で1095回。
20年間で21900回の食事を子どもたちに
提供してきたことになる。「永続」ということこそ
子どもたちを成長させるなによりの秘訣である。

日本の多くの支援者の皆様方に心から
感謝したい。

一時の思いつきや数年の支援では、子どもたち
成長しない。2万回以上の食事を毎回作り、
子どもたちに提供するという気の遠くなる作業を
積み重ねることでこそ、子どもたちは成長する。
「子どもの家」のスタッフ、ベトナム事務所のスタッフ、
そして多くの日本人支援者の皆さんに感謝したい。

「子どもの家」に行き、子どもたちの笑顔を見て、
食事をきちんと摂っているか? 食事の内容などの
チェックをする。


今日でリー君の「警察オートバイ警備員」の
仕事は、完全に終わった。警察署が引越しをした。

明日からリー君はどのように生活していくのか?

結局は、私・バオミンさん・税田さんの3人の肩に
リー君の今後の生活、人生の進路はかかっている
と私は思っている。

夜9時過ぎ、リー君から電話がかかってきた。
「先生は、僕の言っていることがわかるだろう?」
という趣旨のことを繰り返していた。
その意味するところは、ブライセン社員が
退職する日本語教師澤井さんや日本人教師を
招待し、晩餐会を開いた。リー君は、その会に
自分が出席するのは、当然だ、と繰り返し言って
いる。自分は、ブライセン社員ではないが、
ブライセンとは特別な関係があるので「準社員」
との気持ちが強い。この辺に相当の意識のずれがある。
今日で警察署前のオートバイ警備員の仕事も
完全終了。その後の生活への大きな不安がその
裏にはある。何度も繰り返して、上記のような
ことを言っていた。相当、アルコールが入って
いるようだった。なかなか悩ましい問題だが、
誠意を持って接していきたい。

投稿者 koyama : 2013年08月31日 20:36

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