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2013年06月06日

岩淵先生とお会いする

晴天

体調は回復基調にある。

午前中、バオミンさん・税田さんとSKYPEで2時間程
いくつかの問題を話し、意思統一を行う。


6月14日に歯のインプラントの手術をするための
手術代を銀行を通して振り込む。かなり気の遠くなる
値段。

「介護保険料金」の請求が郵便で来ている。
私の不在中は未払いになる時もあり、いままでは
まとめて支払っていた。
郵便振り込みにしてもらえるか板橋区役所に電話をする。
可能とのこと。

午後、地下鉄で板橋区区役所へ。介護保険料の郵便振り込み
の申請を行う。

この1ヶ月半、体調不良で毎日寝て、体調回復を待った。
そのおかげで、体中の「筋肉」が相当落ちてしまった。

区役所の帰り、地下鉄の駅を3つほど歩こうとと思い、
板橋区役所から板橋本町まで旧中山道を散策しようと
歩き始める。
旧中山道は、小学校5年から大学を出るまでの
私の生活圏だ。いつも遊び歩いた地域。
「その後、40年以上」経っている。旧中山道の
商店街には、小学校、中学校の同級生がたくさんいる。
私が小学校5年生から毎日のように本を買いに行った
「古本屋」などがどうなったかを視察する。

丁度、旧中山道の「板橋」を渡ったところで、見たような
人が歩いてくる。私の恩師でありベトナム事務所のソン君の
里親でも「岩淵房夫先生」だった。長い間ソン君の里親を
してくれ、ソン君の結婚式には、大腸がんの手術直後にも
拘わらずフエでの結婚式にご夫妻で出席頂いた。
その岩淵先生が、前から歩いてくる。「先生」と声をかけ
握手。先生も驚いたようだ。近くに買い物があったようだ。
「うちに寄らないか?」とのお誘いを頂き、先生の自宅へ。
私が小学校5年から中学を卒業するまでの5年間、
先生の家の1階と2階の「塾のようなもの」に通っていた。
団塊の世代のたくさんの子どもたちがいた。
勉強も教えてもらったが、むしろ先生は、子供たちと
色々な遊び(卓球、輪ゴム鉄砲戦争・・・・・・)をしてくれた。
新年会、冬の雲取山登山、五色沼旅行など色々な体験を
させてもらった。私が教師になってからの行動は、
岩淵先生の「真似事」でもある。私の恩師は岩淵先生と
言うのは、そうした事情がある。

先生は、がんの手術もし、健康が心配であるが、元気な
様子を目にしほっとした。
先生のお宅で数時間、色々なことを話し、楽しい時間を
過ごした。岩淵先生の長寿を心から祈る。

岩淵先生から小学校などで「戦争の語り部」をしているとの話を
伺った。頭が下がる活動である。小学校で「集団疎開」を経験し、
板橋区内への米軍の「空襲」の実態を調査し、子どもたちに
話しているとのこと。本当に立派な活動である。
先生の世代が実際の戦争(空襲・・・・)を体験した最後の世代
である。私達団塊の世代は「戦争を体験した親を持つ世代」であり
戦後の貧しさ、戦争が残したものを見聞し体験した世代である。
それぞれの世代体験を生かしながら、戦争は、どんな理屈と
理由を付けても阻止したいものである。

もっと早く体調の回復を望むが、時間はかかる。
それだけ加齢が進み、今までのような回復力がなくなった
ことを意味している。時間をかけて、我慢しながら体調の
回復をめざしている。


投稿者 koyama : 2013年06月06日 20:49

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