« バオミンさんとSKYPE | メイン | 岩淵先生とお会いする »

2013年06月01日

6月1日「国際子どもデー」祝賀会

今日は、国際子どもデー。
旧社会主義国を中心に、世界20数か国がお祝いをしている。

午前中、「子どもの家」でも祝賀会を挙行する。


初めに「SEN:セン」 子どもの家運営委員長の挨拶。


●セン委員長の挨拶

「「子どもの家」の皆さん、JASSの皆様」

「子どもたちは皆平等」というスローガン
に基づき、今日6月1日「子どもの家」にて、こどもの日式典
を行い、同時に2012-2013年の成績最優秀と優秀受賞式
を行うことができ、大変うれしいです。

2012-2013年、「子どもの家」には小学校から高校まで
25人の学校へ行っている子どもたちがいます。
小学校2名、中学校20名、高校3名。
2012年ー2013年の年度で9人の皆さんが優秀と最優秀賞を
受賞しました。この結果はまだまだ高いものではありません。
来年度は、もっと良い結果が出るよう皆さんの奮起を期待します。

2012年一2013年の1年間勉強をし、いよいよこれから夏休み
に入ります。像の滝やバーベキューなど楽しい夏休みを過ごし
てください。また、、今年度の勉強の結果を直視し、弱い科目を
重点に、来年度は良い結果が出るよう頑張って下さい。

「子どもの家」のみなさんが、良い成績を残せるのは、
皆さん一人一人のの努力の結果でもあり、また、寮母さんたち
のお世話とJASSの皆様のご支援のお陰でもあります。
皆さんをお世話しているJASSの皆さん、「子どもの家」スタッフ、
ベトナム事務所のスタッフなどの皆さんに感謝の気持ちを
持ってください。

JASSの皆様のご支援に感謝致しします。

皆さんの健康を祈っています。良い夏休みを過ごしください。

ありがとうございました。

TRAN THI SEN


「子どもの家」2階の祝賀会会場には、お祝いの記念品などが
置かれている。


続いて、JASS代表小山道夫のメッセージをロック寮長が
代読。


世界子供の日、おめでとうございます。

今から88年前にスイスのジュネーブで6月1日を「世界子供の日」
とすることが決まりました。現在、世界中の20%の子どもたちが、
今日の6月1日をお祝いしています。

 皆さん、毎日元気に生活していますか? 私は今、日本にいます。
皆さんに直接お祝いを言えなくて残念です。
 今から20年前の1993年に私はフエに来て、子どもたちを支援する
活動をはじめました。
THANH(タン)君、ロック先生、キムアイン先生、ニエム先生、
刺繍のロアン先生はその時からのお付き合いです。

 私は「子どもの家」の皆さんが、幸せな人生を送って欲しいという
願いを持っています。
「子どもの家」の皆さんの持っている「能力」が大きく開き
、一人一人の子どもたちが自分の納得できる進路を決め、
大人になっていって欲しいと願っています。

 セン委員長・ロックさんやたくさんの先生たち、JASSベトナム事務所
のスタッフの皆さん、そして,多くの日本の支援者の皆さんと協力して、
「子どもの家」の皆さんの生活を支援しています。

 ベトナムでは、38年前まで長い間戦争がありました。
今は、戦争はありません。
皆さんは、しっかり勉強をし、運動をし、たくさんの友達と遊び、
平和な世の中で生活することができます。

 私は、一人一人の皆さんが、戦争のない平和なベトナムで
幸せな人生を送ってもらいたいと願っています。
皆さんが自分の力を信じ、途中であきらめずに勉強や研修に
向かって行ってくれることを祈っています。
  6月1日 世界子供の日 おめでとうございます

 ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)代表  小山道夫

成績最優秀賞を受賞

●小学生



●高校生

優秀賞と「 ホーチミン共産青年団」で優秀な成績を
収めたとして特別表彰を受ける


成績「優秀賞」を受賞した子どもたち

子どもたち全員にJASSから「お祝いのお菓子」を贈呈





======================
5月初めから体調を崩し、今でもグズグズとしている。
特にフエの宿舎でひどい下痢と倦怠感、無理をして
仕事を進めていた頃、時間があればほとんどベッドで
横になっていた。「孤独感」を強く感じていた。
このままこのベッドで死んでしまったらどうなるのか?
などという思いがかすかに頭を過(よ)ぎった。

そんな時冗談で、尾崎放哉の自由律俳句をもじって

「下痢をしても一人」と詠んでみた。

(本当は、咳をしても一人、なのだが・・・・・)

吉村昭の「尾崎放哉の伝記を以前読んだ。
東大を出て一流企業の部長になり、40歳で
仕事も辞め、家出をして、60歳代でなくなるまで
全国を放浪していた。小豆島での生活は、狂気と
異常性を感ずるものだった(伝記を読んでだが・・・)
何となく尾崎放哉の気持ちの「ある部分」に近づいたいる
ような気持ちにもなったフエでの「下痢」騒動時であった。

投稿者 koyama : 2013年06月01日 17:28

コメント