« 久々の休息日:「子どもの家」へ:リー君、石井君と夕食 | メイン | ブライセン役員出迎え:ブライセン全社員夕食会 »

2013年03月11日

今週から3週間の日程打ち合わせ:東北大震災・福島原発事故2周年

午前6時 外気温 24度 湿度90%

2月からの日本での活動の疲労が残留。
朝から頭痛と倦怠感。

午前7時朝食。「精進ブン麺」。今日は旧暦の
1日か15日。

午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。

ブライセン本社から2人の技術指導員が来訪。
私の隣りA技術指導員。


私の右隣りは、ブライセン本社からのB技術指導員。

新しく採用した新人のブライセンベトナム支社員。

現在、ブライセンベトナム支社員は、23名に
上っている。


3月1ヶ月間のフエ訪問者の訪問日程の確認。
各スタディーツアー、訪問者の案内等の担当者の
確定などについて、バオミンさん・税田さんと私の
3人で話し合う。



3月の3週間に「9つ」のスタディーツアーが来訪する。
大半が5日から1週間のフエ滞在。


2時間半、3人で細部まで話し合う。

3月20日から数ヶ月間フエ空港が工事で閉鎖される。

フエにくる場合には、ハノイ→ダナンかホーチミン→
ダナン。ダナンからフエまでは車で2時間半の
時間がかかる。

既にフエ来訪を決めているスタディーツアーなど全ての
日程を変更する。

午前11時半頃、ベトナム事務所を出て宿舎へ
帰る途中、ベトナム事務所の前にリー君がいた。
ベトナム風「ほか弁」を食べていた。


午前11時50分昼食。

3時間近くの話し合いは、本当に疲れた。

1時間ほど横になるが、起きられない。
しばらく横になり、2月から今日までの諸行動を
考えてみる。

読書「現代中国の政治」(開発独裁とそのゆくえ)
唐 亮亮著:岩波新書)
ニセ社会主義中国共産党の苦悩を見る。
幹部の公金横領と農民の極端な貧困。
共産党員の独善と賄賂にまみれた生活向上。
こうした社会の中で、庶民が少しずつ立ち
あがってきている現状が報告されている。
日本の某革新政党と名乗る人々も
こうした中国の人権抑圧、一党独裁に
対して厳しい批判をすべきなのだが・・・・
黙して語らず。チリの「ピンチェット軍事独裁政権」
に厳しい批判を浴びせた日本の某革新政党が
「お仲間の政党」には批判をしないというのは、
腰砕け政党といわれてもしかたがない。
日和見政党でもある。


今日は、東日本大震災・福島原発事故があって
2年目にあたる。死傷者・被災者の皆さんに
改めてお見舞いとお悔やみを申し上げたい。

午後3時過ぎ、税田さんから電話がある。

徒歩、ベトナム事務所へ。

日本料理店のヒエウさんが結婚するとの報告。

ヒエウさんは、3歳で「子どもの家」に入所。それから
17年の月日が経過した。現在20歳。
お相手は、フエ人で26歳の工事関係の男性。
お相手の実家は農民。7月23日に結婚式を
したいとのこと。
日本料理店は、旦那と旦那の両親の意見を聞いて
「辞めるか」「続けるか」を決めるという。
自分としては、日本料理店の仕事を続けたい、
と言っていた。

私のほうからはお祝いをいい、結婚式が出来るお金が
あるのか? 相手の家庭はどんな家庭なのか?
などヒエウさんが、結婚する男性の家庭状況を聞く。
困ったこと、問題があったら税田さん・バオミンさん
を通して、私の言うよう話す。

続いて、

日本料理店店長のトゥオイさんが妊娠し、
お腹が大きくなっている。毎日、仕込みようの
食材を市場に買いに行っている。
妊娠6ヶ月位だろうか? 肩で息をしている時もある。
いつまで毎朝市場で買い物を続けられるのか?
無理をしないように、代わりの買い物をする人を
見付かるからと話す。

トゥオイさんは、しばらくは市場での買い物をする。
その後は、他のスタッフに代わってもらいたいとの
こと。

トゥオイさんに元気で丈夫なお子さんを生むよう
栄養と休養をしっかり摂るよう話す。

続いて、接客主任のグエットさんを呼び、
トゥオイさんがしていた市場の買出しを代わりに
してもらえないか? 相談する。快く、私がやります、
との返事。安心した。


トゥオイさんが、無理になった時点でグエットさんに
市場での買出しを頼む道筋が出来た。


午後5時。石井君がフエ高等師範大学
ベトナム語コースの初日の授業が終わり帰ってくる。
初日なのでソン君が一緒に大学まで行き、
授業にもでた。

授業の様子、学校の学友の様子などを石井君から
聞く。授業はかなり「チオンプンカンプン」だった
ようだが、教科書があり、ベトナム→英語の訳が
あるので、多少が授業が理解できたようだ。


今日の授業を細かく説明・報告する石井君。


石井君が早くフエでの生活になれることを祈っている。

午後8時、フダ缶ビール1本。日本酒(純米大吟醸)を
飲む。

仕上げにラオス「ラオディー社」の「ラム酒・ブラウン」
を飲み、今日の飲酒の仕上げ。
午後9時。

ラオス・ラオディー社のラム酒は本当にうまい。
ラム酒・ブラウンは、一風変わった味ではあるが、
一味違うラム酒。美味しい。お酒は文化である。
こうした美味しいお酒を造っているラオスラオディー社の
與芝君・清水君たち高校の同級生は、ある意味で
「文化人」でもある。ただし、かなり怪しい文化人では
あるが・・・・・・。


----
東日本大震災・福島原発事故2周年。

この2年間で私は何を考えたか?・・・

結論を先に。

「国家は信用できない。庶民は信用に値する」
という当然の公理を再度確認した。

第1回目の確認は、「アジア・太平洋戦争」だった。
『終戦』という言葉に表されているように
全ての責任と物事を「曖昧に」したまま
1945年8月15日以降の日本は過ぎ去って行った。
A級戦犯容疑者の岸信介は逮捕されたが、満州国を
事実上作った責任は問われないまま終わった。
その後、アジア太平洋戦争のきちんとした総括を
しないまま、東京オリンピック・高度成長・バブル
へと邁進。世界第2位の経済大国となる。

結局、アジア太平洋戦争でなくなった200万人
の日本人、2000万人のアジアの人々の
死はなんだったのか? が解明されないまま
戦後67年が経過した。
今また、再軍備・戦争の出来る国家つくりを
呼号している「戦犯容疑者の孫」が首相に
なっている。

福島第1原発で何が起こったのか?
震災後2年もたつのに何も国民には
知らされていない。政府と東電の馴れ合いの
中で、国民は何も知らされないまま、避難生活を
強いられている。あろうことか、福島原発事故
以後、ベトナムに2基の原発を販売している。

今日、東日本大震災・福島原発事故2周年を
迎え、改めて、「何も総括できないわが日本」
を改めて確認した次第であり、「日本国家」は信用
ならざる存在であることを再確認した。
わが日本は一部の財界人と特定の政治家集団
との馴れ合い国家である。テレビ・新聞などの
マスコミも彼らの手先に堕している。
本当の意味で福島原発の真犯人を追及する
意欲と気迫が大手のマスコミにはない。
社会の最底辺で呻吟している人間の気持ち
を理解しようとする人間は本当に「庶民」である、
ということを1945年8月15日・2011年3月11日
に私は学んだ。

1945年8月15日の敗戦の責任を誰が取ったのか?
A・B・C級戦犯だけなのか?

福島原発の責任を政府・東電の誰が取ったというのか?

幻想・幻影社会の日本ではある。私もその一員である
ことの自覚をしっかりともたなければならない。

投稿者 koyama : 2013年03月11日 09:38

コメント