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2013年02月02日

久しぶりに自宅で仕事

寒い

今日は40通ほどのメールが来ている。

1日かけて返信をする。

1月15日に帰国し、体の精密検査を1週間ほど行う。
2回の葬儀(通夜・告別式)に参列。

久しぶりに自宅で仕事。

寒いので「朝風呂」に入る。体を温めないと寒くて
部屋にいられない。

様々な方々から大量のメールが来る。一人一人のメールを
読ませて頂き、丁寧に(自分としては)返事を書く。

バオミンさんと電話。

夜、税田さんと電話でいくつかの打合せ。


テレビ関係者から取材の電話。その後、メールあり。

郵便局から郵便物が届くが、家族不在だったため
再度持って行くとの紙が置いてあった。

郵便局に電話をし、申し訳ないので私が郵便局の
本局まで取りに行きますと打合せをする。

自宅を出て往復1時間をかけて高島平郵便局の
本局へ行き、郵便物をもらう。

自宅へ帰ると「洟水(はなみず)」が出る。体がだるい。
風邪(インフエンザ)を引いたようだ。

午後、布団に入り横になり、しばらく寝る。

妻は、障害児施設の仕事に出かけている。
週に数回。

ベトナム事務所・バオミンさん・税田さん・ブライセン・
昔の職場の人・・・・・・、様々なみなさんからの
メール等の連絡はありがたい。人との結びつきが
あることを改めて感ずる。

ーーー
日本へ帰国し、テレビ・新聞を読む。

「体罰」問題が大きな問題になっている。

体罰というから何か教育的なもののように思われるが、
「暴力・暴行」とはっきり言うべきだ。

学校関係者や親の中には、暴行である「体罰」を容認する
風潮がある。

体罰を行った教師は、「暴行罪」で直ちに拘束すべきである。
一般社会で人を殴ったり、人を押したおしたり、蹴飛ばしたり
したら、暴行罪で直ぐに逮捕されるのに学校の中では
日本国憲法も刑事訴訟法も通用しないという異常な
日本国である。

マスコミに出る「コメンテーター」の能力も低い。
大半のコメンテーターは「行き過ぎた指導」と言っていた。
行き過ぎた指導ではけしてない。明白な「暴行」なのだ。

人間を家畜のように扱う「スポーツ系」の人間の知的水準に
唖然とする。

私が「スポーツ」の世界が大嫌いになったのは、高校時代だった。

中学の時、板橋区中学校連合陸上大会に参加した。
400メートルのリレーのアンカーだった。
私の中学校は、陸上部の選手を優先させて「連合陸上記録会」に
出させることはしなかった。
全校生徒を対象に「予選会」を行った。何故か知らないが、
我がクラスで「小山は予選会にでろ」との推薦を学級会で
決められてしまい、嫌々ながら予選会にでた。
そしてなぜか予選会で一番早かったので、中学代表の
リレーのアンカーになり、板橋区で2位の成績となった。

高校に入り、自然に都立S高校という変わった高校の
陸上部に入った。
都立S高校は多分、当時の都立高校では一番民主的な
高校の一つだったと」思う。

陸上部にはいったのだが、何故か1年8組(我がクラス)の
級友が5人程陸上部に入部した。

我が陸上部は顧問の先生はいるのだが、一切、校庭に
出て来ての指導はしない。練習は、自分で考え、自分で
計画を立てて、行うという方式だった。練習での様々な
問題は、陸上部先輩や同級生が直してくれたりした。
先輩・後輩という関係もなかった。みんな平等。先輩は
威張るなどということもなく、先輩が経験を持っていたら
「ここはこうした方が良い」などと口や行動で見本を見せて
くれた。

私は短距離をしていたが、途中で先輩が「砲丸投げを
しないか?」と声をかけてくれた。砲丸投げなどしたことは
一度もないが、面白うそうなので砲丸投げに挑戦した
のだが、砲丸投げを経験した人が誰もいない。
先輩に相談したら「図書館に行き、何かの本に砲丸投げの
事が書かれているものがあるかもしれないので、本を
読んで自分で勉強したら…・」と言われる。
こんなことを書くと「お前の高校の陸上部は遊びクラブだろう?」
などと思われるが、3年生には、東京都の100メートル高校
記録(11秒1)をもっている人もいた。
中学時代中距離の「放送陸上」で東京都のトップクラスに
いたクラブ仲間もいた。決して陸上を単なる遊びにしてた
陸上部でもなかった。
学校全体・先生・先輩も含め、「自分の練習は自分で考え
工夫して練習する」という基本的な考え方だった。

1年生で高体連の東京都予選にでた。
この予選会には、東京の私立・公立高校の陸上部の
ほとんが参加した。
私立の高校は全国から陸上の記録の良い選手を集めて
いた。

大会が始まり、自分の出場種目に出るために「待合場所」に
行った。6人1組に並んで座り、待っている。
所が「高体連」の役員の先生たちが、かたっぱしから
並んでいる高校を「ぶんなぐる」のだ。私は驚いた。
何も悪いことをしていない人間を平然と殴る「強豪高校
陸上部の監督・指導者の先生たち」に憎悪を感じた。

その頃「真空地帯」(野間宏著)を読んでいた。
高体連東京都予選会の役員の先生たちの暴力行為は
「真空地帯」にある「新兵教育」や理不尽な暴力が横行した
軍隊と全く同じだった。
それ以来、私はスポーツの社会そのものを嫌悪するように
なった。どんなスポーツ(野球は好きだった)も一切しない
という態度を今日まで貫いている。根性という言葉も
嫌いだ。知性と理屈でスポーツは行うものだ。
日本のスポーツの社会に色濃く残っている「暴力」体質は
戦前の教育を清算していない学校分野の残滓だ。

戦後になっても学校には「日直」「週番」などということばが
残っていた。野間宏の「真空地帯」を読むと「週番士官」
とか「日直当番」という言葉が出てくる。新兵教育の兵舎の
中で使われた「軍隊用語」だ。そうしたことばを色濃く残した
日本の戦後教育は、未だに軍隊教育をそのスポーツ界に
残している。「殴れば人間は良くなる、理解する」という
軍隊精神が残っているともいえる。

テレビのインタヴューなどでは、親や子どもたちまでが
「体罰(暴行)」を「必要悪」として認める発言をしている。

一般会社で営業のノルマが上がらない社員に「体罰」と
して、ビンタを食らわせたら、直ちに暴行罪で逮捕される。
何故、学校だけが「暴力の聖域」なのだろうか?

現在の学校は
①成績至上主義(全国大会にでるなどは成績が良いことになる)
②結果主義(努力は認められず、結果ですべてを判断する)
③実績主義

の「3主義」が、学校を席巻している。これは文部省・教育委員会
などが指導しているのである。

板橋区出身の下村文部大臣は、他人事のように「成績至上主義」
「優勝至上主義」などを批判するかのような発言をしているが、
今の学校の校長も教員も「3主義」という「悪魔」に悩まされて
いるのだ。発祥地は文部省・文部大臣だ。

教育は結果ではなく「過程」が大事な営みである。
様々な失敗・努力を重ねることが、大人になってからの
生きる糧になるのだ。優勝や全国大会にでることを
至上命題にする「結果主義」は、学校を荒廃させる。

学校から体罰(暴行)が消えないのは、行政(文部省)が
そうせざるをえなう指導を繰り返している結果でもある。
学校の中で「たった一人の先生でもいいから、暴力はいけない」
と立ち上がる先生はいないのか?

JOCも柔道連盟も文部省も一連托生の「暴力容認」グループだ。

体罰(暴行)は教育と相反する蛮行だということを理解しなければ
いけないと思っている。

ベトナムでストリートチルドレンを受け入れ、育てる過程は
まさに教育の原点でもある。忍耐強く子どもたちに接し、
暴力ではけして子どもたちは育たないことを教えている。
ストリートチルドレンを暴力で指導した途端に彼等は
どこかへ逃げていってしまう。「愛情」と「粘り強さ」が
必要であり、それらは指導者の人間性を高める所から
始まるのだ。指導者の人間性が高まらずに
指導するからこそ、「暴力・暴行」「パワハラ」に頼らざるを
得ないのである。

日本の柔道界を含めたスポーツ界の指導者の
知的水準が低い所を改め、スポーツとは何であるのか?
を改めて学ぶ必要がある。


暴力からは何も生まれない。指導者自身の「無能」を露呈する
だけだ。暴力で人間を育てようとする指導者は人間を
家畜としか見ていない。愛のむちなどというものではない。

「行き過ぎた指導」ではなく、「暴行指導」「教育とは相いれない
もの」との国民的な合意が必要である。

などと考えているうちに「眠く」なってしまった。

投稿者 koyama : 2013年02月02日 10:05

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