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2013年01月31日

平野信子さん告別式


2013年ベトナム事務所のテト休み

 2月5日(火)~2月15日(金)

この期間は、ベトナム事務所を閉鎖致します。
皆様方には大変ご迷惑をおかけいたしますが、
ご了承ください。

  尚、個々人のベトナム事務所スタッフのメールへの
送信は可能ですので・・・・。

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午前8時半に自宅を出て、西台→巣鴨→西日暮里→西新井
大師西駅」へ。

仲人の平野信子さん(82歳)の告別式に列席。

午前10時から始まる。


禅宗の葬儀。時々「喝」などと導師はいう。

親戚7人、一般参加者13人という少し寂しい告別式であった。

告別式では、喪主(長男・次男の二人)の挨拶があった。
始めに長男の挨拶。
平野信子さんは、文京区動坂の米屋で生まれ、小学校の
教員となる。東京都北区稲田小学校(赤羽付近)の教員と
なる。同じ学校に平野皓二氏も勤務していた。同僚として
尊敬しあい結婚。二人の男の子を儲ける。

次男からは、信子さんの臨終の様子が話された。
足の血管が梗塞しているということで、一週間程度の
入院という話で入院した。しかし、治療をしている間に
軽い脳梗塞を起こす。腎不全を併発。人工透析を行うが
20分程で透析に耐えられず中止。
数日後に再度「人工透析」を行うが5分程で中止し
臨終を迎えたとのこと。

亡くなるまで意識があり、息子さん二人が手を握ると
握り返してきたとのこと。

遺影は最初に教えた子供たち(現在70歳近い)との
同窓会の時の写真とのこと。

私個人として生花を出した。生花を出した人をこのような
看板に表示する方法もあることを知る。


午後12時で告別式終了。

続いて火葬場へ。火葬場へ行く人数が少ないようなので
私も同行させてもらう。

車で20分程の火葬場へ。

約1時間待機。


その後、葬祭場へ再度帰り、精進落としをする。


平野先生の兄弟姉妹も一人を残して既に物故。
奥さんの信子さんの兄弟姉妹も一人を残して物故している。

精進落としの献杯は、信子さんの弟さんの発声。

精進落としの会場には、平野夫妻、特に信子さんの子供時代
からの写真が「大型テレビ」のモニターに映される。
平野ご夫妻の20歳代頃からの人生が良くわかった。


最終的に精進落としの会は午後3時半終了。

午後5時過ぎ、自宅着。

メールを開くと36通。全て開けず、取り急ぎ返事を
送らなければならないメールに限り、返信する。
残りは明日へ。

平野信子さんの人生を考えた。人間の一生は長いのか
短いのか?  私の20歳代の頃には何度となく平野夫妻の
お宅へ伺い、御馳走になった。40年前のことである。
40年、50年という年月は長いようで短いと改めて
思った。


投稿者 koyama : 2013年01月31日 14:01

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