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2013年01月02日

「子どもの家」卒業生ユオンさんの結婚披露宴

午前10時半、ベトナム事務所前に集合し、ユオンさんの
結婚披露宴に参加する。

ユオンさんは、妹のグエットさん(日本料理店接客主任)
と一緒に10年以上「子どもの家」に在籍していた。

ユオンさんは、現在、フエ市内の「フールー小学校」
の教師をしている。

JASSベトナム事務所から車で40分。

フエ郊外の純農村地区。

ユオンさん・グエットさんの家族は複雑な事情があるが、
この際省略。

ベトナムの結婚披露宴は、「新郎主催」と「新婦主催」の
2種類がある。

今日は、ユオンさん側「新婦」主催の披露宴である。
ホストは、当然、ユオンさんのご両親ということになるが、
複雑な事情があり、ユオンさんの実母ではないお母さんが
とお父さんがホストを勤めた。

純農村地区に入る。農村の庭に設えた会場で披露宴は
行われた。

会場入り口で新郎新婦が出向かえ。

新郎とユオンさは、フエ高等師範大学時代に知り合い
今回結婚した。新郎新婦とも小学校の教員。

披露宴には、ベトナム事務所員、日本料理店、
「子どもの家」スタッフと子どもたち、「子どもの家」の
卒業生などが招待されていた。


「子どもの家」スタッフ、ベトナム事務所スタッフ



会場入り口に飾ってあった「ベスト・ショット」



新郎ユオンさんの妹のグエットさん(日本料理店接客主任)
と「子どもの家」スタッフ


ご両親はいないと思っていたのだが・・・・・。

はじめに主催者の挨拶。

父親と私が挨拶をする。

父親の挨拶



私の挨拶



ケーキカットの代わりにワインを流す



開会セレモニーを終わり、次は、ほとんど「騒音」としかいえない
「カラオケ大会」が延々と続く。隣の人とも話ができないほど
うるさい。騒音になるほどの大音響にすることで、お祝いの
気持ちを表わしているといえる。


ユオンさんの結婚式は、非常に「シンプル」なものだった。
キャンドルサービスもなし。新郎新婦と新婦の両親が
各テーブルを回るだけ。後藤杖先生と


「子どもの家」の子どもたちは、食べて、飲んで、カラオケにと
大活躍。



右側の女子二人は大学生になったが、左の二人は
就職し自立。同時期、「子どもの家」で一緒に過ごした
仲間である。



右から 歌の「ドゥオック」、中「ヒエウ」、左芸大の「フック」


「子どもの家」スタッフ

右のキムアインさんと真ん中のロアン刺繍の先生は
1993年10月から私と一緒に「子どもの家」支援活動を
してくれている。長い付き合いである。


ベトナム人の日本語教師・日本語能力は特級。


警備員さんとチュン君(「子どもの家」時代は生徒会長・現在は
IT会社ブライセンベトナム支社員)



ロックさんとキムアンインさん
二人とも1993年10月に作った「チーラン通り・子どもの家」
から今日まで20年近く、私と一緒に仕事をして来た仲間である。
こうしたベトナム人スタッフに助けられ、共同して、今日の
ベトナム事務所や「子どもの家」があることを私たちは
忘れてはならないと改めて思った次第である。
キムアインさんは、昨年「大病」をした。何とか回復して
一安心。


ベトナム事務所スタッフも二人の結婚を祝福




「先生・・・」と言って私の手を取った若者がいたが、誰だか
わからなかった。色々と話しをしていてわかった。
髪型と大人の顔になったので、誰だかわからなかった。
現在は、仕事をして自立しているとのこと。



歌のうまかったドゥオック君。現在は結婚し、1児か2児の
父親だといっていた。生活はきちんと出来ているようなので
安心。



ユオンさんの親戚の農民のミンさんが「大音響」のカラオケを
している。ベトナム事務所代表として富岡先生がベトナム語
で歌う。大喝采だった。


歌のうまいドゥオック君も歌う



私の隣にいる女性は誰だか全くわからなかった。

「子どもの家」時代にメンさん(ソン君夫人)とユオンさんと
3人娘だった「THAO ターオさん」だった。
現在は美容師をしているとのことで、すっかり髪型も変わり
お化粧もしている。大変身の子どもたちであった。
子どももでき、幸せに暮らしているといい、「子どもの家」で
お世話になったと感謝の言葉を言っていた。


こうして小学生位だった子どもたちが次々に「自立」し自活
していく。フエに住んで20年、様々なことがあったが、
子どもたちが実際に成長し、自立し家庭をもち、子どもが
出来た様子をみていると、JASSのして来た活動も
意味のあることだと改めて感じた次第である。


投稿者 koyama : 2013年01月02日 11:01

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