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2012年10月26日
父方・母方叔父・叔母・従弟の墓参り
快晴
午前9時自宅を出て、池袋から特級で1時間、若葉駅。
父方の従兄(いとこ)の武井良友氏の出迎えを受ける。
武井良友氏は、父の妹の次男。
戦後、しばらくこの武井氏の家に我が家は「寄宿」していた。
ということで何年間かは、武井氏と一緒に住んで仲である。
武井氏の母親と我が父親は兄・妹の仲。
その後、池袋の母の弟一家の家に「寄宿」したが、その間も
しょっちゅう、文京区大塚に住んでいた武井氏の家へ泊まりに
行き、一緒に遊んだ仲である。私より1歳年上。
武井氏の両親には、大変お世話になっている。
叔母さんの葬儀には列席できたが、叔父さんの葬儀は
ベトナムにいたので列席できなかった。
我が家が中国から引き揚げて来て、家屋敷がなかった時、数年間、
武井氏の家の部屋を借りて、両親と姉・私が住んでいた。
その後も色々とお世話になった。
私は、この数年間、「大塚」の叔父さん・叔母さんに感謝の気持ちを
なんとか現したいと念願していた。日本へ帰国しても忙しく、なかなか
墓参ができなかった。既に亡くなった人たちは何も言えない。
60年前にお世話になったその「恩」に対するお礼を何とか言いたい
というのが私の長年の気持ちだった。
若葉駅から車で1時間程にる「地産墓地」へ。本当に大きな
墓地である。
墓には、叔母さんの義父・義母・長女・叔父さん・叔母さんが
埋葬されていた。
私より1歳年上の武井良友氏(既にIT会社を退職している)
60数年前にお世話になったことのお礼を改めて申し上げる。
この叔父さん・叔母さんがいたからこそ、今日、私が
ベトナムで活動ができるのである。
心から叔父さん・叔母さんにお礼の言葉を捧げた。
武井家のお墓のすぐ後ろには、我が母の弟のお墓もある。
中国から引き揚げて数年間、大塚の叔母さんの家に
お世話になった。その後、事業が成功し、文京区林町に
家・屋敷を買い生活した。私が、2歳から5歳位だろうか?
この頃の記憶は鮮明に残っている。
その後、父親の事業が失敗し、倒産。家屋敷全てを
失う。
今後は、母親の弟が池袋に住んでいたので、その一間を
借りて、5歳から小学校5年まで生活した。
通称「池袋の長島の叔父さん」の家には、私より2歳年下の
男の子と5歳ほど年下の女の子がいた。
既に長島の叔父さん・叔母さん・2歳年下の従弟(いとこ)も
この世にはいない。
武井氏と同様に非常にお世話になった「長島の叔父さん・叔母さん」
にもお礼の気持ちを捧げる。
その後、武井氏と2時間程昼食を共にし、小山一族の現状、
従兄妹(いとこ)たちの「今」などの情報を教えてもらう。
半日、お墓参りにお付き合い頂いた従兄(いとこ)の
武井氏に改めて感謝を申し上げる。
ーーー
半日、父親の妹のお墓と、母親の弟のお墓そして従弟
と3人の血縁者に哀悼に気持ちを現した。
3人とも私は数年間ではあるが、家の一隅を借りて
同居した仲である。60年も前の話ではあるが、
今日、私が生きていられるのは、これらの親戚の
叔父さん・叔母さん・従兄弟のお陰であることを
私は常に感謝の気持ちを持ちながら、心の中に
大事にしまっているのである。
投稿者 koyama : 2012年10月26日 07:04