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2012年10月25日

通院

寒くなった。

昨日、飲みすぎ。

午前8時過ぎ、自宅を出て都営地下鉄で「西台」→「春日」→
「都庁前」へ。

NSビルにある「榊原記念病院」へ。

午前10時過ぎ、診療。前回、採血したので、その結果が
出た。30種類程の数値結果とこの数年の数値の変化
一覧表を見せながら、詳しく説明してくれる。

心筋の機能が異常に活性化しているので、それを抑える
薬を飲んでいるのだが、数値的には、問題ありとのこと。

悪玉コレステロールが高すぎるとのこと。その他日常生活
についての諸注意あり。
今日の診療と諸注意の結論は、「お酒の飲みすぎを厳しく
抑制せよ」に尽きる。

私が心配していたのは「痛風」になるのでは?ということだったが、
これは、全く正常値。安心。足の指などが痛くなったら困ると
思っていたのだ。これで安心して飲酒ができる「保障」をもらった
と自認している。

新宿の京王デパートへ。明日の叔父・叔母のお墓参りの
進物を買う。

午後、帰宅。

テレビで石原慎太郎都知事の「本日都知事辞任」
「国政へ進出する」との記者会見を見る。

やはり年齢がいっている事もあり、自分の気持ちの
昂まりを抑えられず、同じようなことを「タラタラ」と
話していた。
石原氏の話の現状認識には、一理あることが多々あった。

東京にあるアメリカ軍基地に対する批判。
日本政府批判、外務省、文部省など日本の
中央官僚に対する痛烈な批判は、ある点で
当たっている。

同時に憲法改悪を主張している。

結局、石原慎太郎氏は、現状の堕落している政治、
明治以来の中央集権体制に乗っかり、驕り高ぶっている
中央官僚への国民の批判を取り込みながら、
現状の矛盾を「右から」改革しようとするものである。
現状の国民の不満は正当なものであるが、その不満を
ファッショ的な方向で解決しようとする石原氏の「最後の
御奉公」と言える。
石原氏の単細胞的「中国政策」一つ見ても、石原氏が
複雑な国政を制御できないことは自明である。
同時に東京都政で行った差別的・抑圧的な行政を国レベルで
行うものでもある。

1934年にヒトラーが政権を取った。
第1次世界大戦で敗北したドイツ。賠償など国民の
不満が蔓延してた。同時に当時、世界で一番進歩的な
「ワイマール憲法」下でのドイツでもあった。

1932年のドイツの国会の議席は

・ドイツ共産党    100人
・ドイツ社会民主党 121人
・カソリック系      90人
・ナチス党       196人

この時点で「ナチス」に反対する「統一戦線」を結成すれば、
ナチスに政権をわたさないという選択肢があったのだが・・・・。

ファシズムははじめは「耳あたり」の良い言葉を多発する。

今の日本は、歴史的にみてみ大きな転換点に立っている
ことは事実である。

民主主義徹底と不公平・格差をなくし、平和であることを中心に
した政治的な大きな輪ができることを祈っている。
自分だけが立派だなどと思っている政党は、消滅する。


西で橋下氏が、東で石原氏が動き出し、日本の国政も
怪しい時代に入りつつある。

どんな政治を選ぶかは国民の権利であり、その結果は
国民が負うことになる。

投稿者 koyama : 2012年10月25日 15:38

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