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2012年07月23日
理髪店:前フエ市共産党人事部長宅へ
午前5時半起床。
今日は終日曇り。しかし、湿度が高い。終日、気分が悪かった。
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン
午前9時、徒歩で「理髪店」へ。途中、地元の警察署前を通ると
リー君が「オートバイ」警備員をしていた。「どうだい、景気は?」
と聞くとポケットから札束を出した。1台見張りすると2000ドン(12円)。
目の子算で見ると10台程度のオートバイが置いてあった。
この時点で2万ドン(120円)の収入という訳だ。1日勤務で5万ドンから
10万ドン程度の収入があると推定される。
ただし、来客ゼロの日もある。リー君は、オートバイ警備員は
「大もうけできる良い仕事」と自慢していたが、こんな不安定・
その日暮らしの生活もない。ストーリートチルドレン時代と
基本的には、「精神」「心」は変わっていないように推測する。
24歳の今が、「人生の分かれ道」。何とか、決まった収入で
生きていけるような生活に慣れるにようになって欲しいと
心から念願している。今後、何らかの方策を考えようと
密かに思っている今日この頃である。
フエ市の要所には、「革命烈士・傷病者の日 65周年」
の大きな看板が設置されている。
以下、看板の内容
革命烈士の日65周年
全人民は革命に貢献し負傷した烈士とその家族のお世話
支援をしよう
JICAと協力して4年間、フエ市・フエ省・山岳少数民族の
障害児支援を行った経験がある。
2000人の障害児(ベトナムでは、近眼も男性包茎も障害児扱い)
の障害児を見つけたことになっているが、各障害児の家庭を訪問し
北ベトナムや解放戦線の子弟で障害児になっている家庭は、
相当立派な家に住み、それなりのケヤーをされていた。
しかし、南ベトナムの人たちは、本当に貧しい生活・家庭の
中でケヤーも手術も出来ずに放置されている実態を見た。
傷病者の日が革命関係者だけでなく、全てのベトナム国民
の障害者を支援する日であって欲しい。どこの地域出身で
あろうと、家庭が、どのような思想であろうと、障害児(者)は
全てベトナム国民である。全ての障害児(者)が、思想信条に
関わりなく、幸せになって欲しいものである。
30分ほどで散髪終了。3万ドン(120円ー現在円高中)
徒歩で30分。宿舎へ帰宅。
いくつかのメールに返信。
午前11時半、昼食。「おじや」
午後1時から2時間半ほど横になる。非常に強い疲労感あり。
暑さと湿度のせいか?
午後4時、バオミンさんと地球の歩き方スタディーツアーについて
打ち合わせ。
今回からスタディーツアーの一部を変更。
私の講演会(2時間)を午前と午後、それぞれ1時間ずつに分けた。
午前中は、ベトナムの歴史と風土。午後は、海外支援・ボランティア。
午後5時、内田さんとバオミンさんが宿舎の近くへ来てくれる。
車で20分。前フエ市共産党人事部長トアンさんのお宅へ
招待される。
フエ市共産党ユン委員長、フエ市人民委員会ニエン外務部長
も同席。
久しぶりに内田さん・私・バオミンさんと会食する。
すずめの「姿焼き」
ユンフエ市共産党委員長・トアン前フエ市共産党人事部長
右端 イックホアン・フエ市人民委員会外務部副部長(私の教え子)
左 JASS運営委員長 バオミンさん
右 フエ市民委員会外務部長 ニエンさん
内田さんと前フエ市共産党人事部長トアンさんの奥さん
19年間、フエ市人民委員会外務部長としてJASSを支えて
くれている「ニエン・外務部長」
トアン前人事部長の娘さんと内田さん
トアンさん一家と小山・内田さん
右からトアンさん ユンフエ市共産党委員長
しめに トアンさんに奥さん手作りの「チャオ・バイン・カイン」
美味しい
午後8時半、閉会。
投稿者 koyama : 2012年07月23日 12:03