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2011年07月09日

ベトナム事務所員会議

快晴  39度(ミン・気象予報官)

午前7時朝食。フォー・ハノイ


午前8時15分、徒歩ベトナム事務所へ。真夏の太陽と日照り。
15分程度の徒歩で体中が汗まみれ。

午前8時半からベトナム事務所員会議。

本当に暑い毎日だが、ベトナム事務所員の皆さんは
頑張って仕事をしている。エヤコンは使っているが、
「超強」などという無駄はせず「超弱」のレベルで
過ごしている。ベトナム事務所の皆さんは、かなり
暑いベトナム事務所で冷静に仕事をしている。
文句ヤ不満はない。

(ソン)7月5日の息子(バオ君)の命名式に来てくれて
    ありがとうございます。
     先生の日記に書いてある息子の名前は違っています。
     正式には HO KHACC  GIA BAO です。
           (ホー カック   ザー バオ)ハノイ読み
           (ホー カック   ヤー バオ)フエ読み

    夏のスタディーツアーの準備(車・食事・船・・・・)
    竹とんぼは来週出来上がる

(原田)バンベー39号をベトナムの主な機関(大使館等)へ
     送付する作業を行っている。

(富岡) 日本語学校中級 特進3クラス
     最近、「変な男の人が授業中、教室に入って来る」
     この前は1日で3回も教室に入って来て、変なことを
     言っていた。
     ●警備員さんに言って、教室の入れないように・・・・

(フーン)特進2クラス、3クラス 中級クラス授業


(土井)特進2クラス、3クラス(最近雰囲気もよくなった。10人)

(フオン)特進3クラス、中級授業(27課終了)


(ハン)奨学金支給のお礼状を出す
    刺繍を頑張って作っている

(アン)「フェリシモ」ポーチ 734個、ハンカチ 1620枚を
    7月15日まで日本へ送ることが可能となった。


(ミン)7月11日(月)午前8時半に新しい「子どもの家」入所者が
    入所する。

    静大留学生3人のビザが完成した。

    7月29日から10月19日までの『連続スタディーツアー』
    日程の説明。
    
    その他、個人、少人数でベトナム事務所などへ来訪する
    皆さんの日程一覧表を配布し、説明。(8月末までに9人)

    当面の日程を発表する
     ・7月18日 ロサンゼルス国際学園O先生
      「子どもの家」・日本語学校・日本料理店
     ・7月19日~22日 ブライセン本社2名指導員
     ・7月12日~15日まで税田さん来訪 
     ・7月20日から8月01日 内田さんとOさん来訪
     ・8月1日 K・K大Y君来訪
     ・8月23日~26日 W大 Fさんと友人

  ●内田さんとOさん来訪の日程を全体で確認。
    内容説明。バーベキュー大会(7月23日)
    象の滝(8月26日)などこどもたちへプレゼント

  ●新日本語教師 古賀先生受け入れ態勢の構築
    9月14日から1年間(担当:ミン・原田)

  ●土井先生の盛大且つ上品な送別会日程提案と正常な
    宴会規律の保持に付いて、バオミン運営委員長から
    一部男子スタッフに対し厳しい注意あり。
    「最近、一部男子スタッフが男子会宴会と称して、
    飲みすぎ乱れるので注意して欲しい」と厳しい注意。
    (その中に提案者自身も入っているのだが)
    土井先生送別会は7月20日午後5時半~ 
    日本料理店のこどもたちも参加し、盛大に行いたい。
    一人1点、自分に取って一番大事なものを持ち寄り、
    土井先生にプレゼントする


(バオミン運営委員長の「宴会規律の厳正化」提案に不満を持ち
バオミン運営委員長の提案聴取を拒否する小山JASS代表)

小山独り言:提案者が一番、飲み過ぎて乱れるのに・・・・

こうして、
ベトナム事務所には、「アルコール臭」の隙間風が吹き始めているの
である。

午前11時半 昼食。 魚とベトナム風おじや  ウリ

暑い中で熱い「おじや」を食べたので、体中、汗だらけ。

1時間ほど昼寝。

読書「安田講堂 1968-1969」(島泰三著:中央公論新社)
読了。

私より一つ年上。当時の社会情勢とその中に生きた人間の
思い、雰囲気は良く分かる。著者は安田講堂籠城の行動隊長。
東大理学部で本郷にいた。
いわゆる当時の全共闘系の皆さんの気持ちと行動は
2・26事件の首謀者(佐官:当時の軍隊の若きエリート)
と実によく似ているように思えた。
自民党の町村信孝も1968年11月、東大経済学部ストライキ
実行委員会の一人としておよそ1ヶ月のストライキを行う。
1969年(昭和44年)1月、秩父宮ラグビー場での東大7学部の
学生・教職員9千人が参加した“大衆団交”では議長役を務め、
大学自治の議定書である
「東大確認書」には経済学部代表として署名している。
東大の共産党系学生も共産党の方針・指示に必ずしも
従わない傾向があったと書かれている。その後の「新日和見主義」
問題の根は、この中、時代に萌芽としてあったようだ。
人間は、その時代に「規定」されるものだ。
5時間ほどで1冊読みきってしまう。
著者はベトナム戦争と68年・69年の学生運動を連動して
描写・記述している点は、評価できる。

午後7時過ぎ、バオミンさんと電話で日程についての
打ち合わせ。


投稿者 koyama : 2011年07月09日 19:22

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