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2011年06月05日

国際こどもの日祝賀会

晴天

午前6時起床  気温32度 湿度80% (午後2時には気温38度)

真夏そのものである。

シャワーを浴びる。

午前8時、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
「子どもの家」へ。

午前8時半「世界こどもの日」の祝賀会を行う。

国際子どもの日。1949年、モスクワで国際民主婦人同盟の会議
が開催され、全世界の児童の権利を守ることなどを目的にした
「国際子どもの日」を6月1日とすることが決議された。

6月1日の「国際子どもの日」は旧社会主義陣営で行われていた
お祝い。現在、6月1日の「国際子どもの日」を行っているのは
ベトナム以外にどこがあるのだろうかは分からない。
中国、北朝鮮、キューバ、ラオスが実施しているのか?

成績最優秀・優秀賞を取ったこどもたちは、学校から
賞品と賞状がもらえる。

JASS「子どもの家」では、こどもたち全員に「お菓子の詰め合わせ」
をプレゼント。



開会

ロック寮長とバオミン・JASSベトナム運営委員長の司会で
始まる

こどもたちの開会の踊り

午前8時半、開会。

セン「子どもの家」運営委員長の挨拶

現在44人のこどもがいる。41人が学校へ行っている。3人が
職業訓練。

41人の通学生徒の内訳
・小学校  8人
・中学校 17人
・高校   7人
・大学   9人

小中高校の32人の中で最優秀賞・優秀賞を学校から
もらったこどもたちは、17人。32人の53%。
半分強のこどもたちが、日本流に言えば「オール5」か「オール4」
の成績だった。

「子どもの家」のこどもたちにとっては、勉強の好きな子供たちを
伸ばしてやることは、自立への大きな「武器」となる。

もうじき「夏休み」。その前の学期末試験、進級試験を
頑張って欲しい。

続いてJASSを代表して私が挨拶。

楽しい夏休みを過ごして欲しい。7月末には「像の滝」「ベーベキュー
大会」などを例年通り、内田さんたちが主催してくれるので
楽しみに・・・。

続いて成績最優秀者の表彰(1)

成績最優秀者(2)

成績優秀者表彰


こどもたちに「お祝い」のお菓子を配る


1993年にチーラン通りの「子どもの家」を作った。
その時、入所したA君。現在36歳。
「子どもの家」に遊びに来ていた。既に3人の子供の
お父さんになっていた。仕事は川で砂を取って生計を
立てているとのこと。今は家族5人で幸せな生活を
しているとのこと。


「国際こどもの日」祝賀会が終わり、続いて、「子どもの家」の
こどもたちの親戚など集めて、夏休みの「帰省中」の生活の
注意などを行う。

夏休み帰省して「生活のリズム」や「生活態度」が乱れ、
「子どもの家」に帰って来て学校生活などに
馴染めなくなるこどもたちもいる。
中には、帰省中に「合成麻薬」をおぼえてしまい、
麻薬中毒の禁断症状を呈する子供もいる。
そうしたことを防ぐために関係者を呼んで諸注意。
「子どもの家」から親戚などの家庭生活をすることは、
普通の家庭を知ることでもあり、大事なこどもたちの
勉強の一つだ。同時に「危険」も伴う。


午前10時半過ぎ、帰宅。

チャン・ティエン橋のたもとは、「火炎樹の花」の真っ最中。


午前11時過ぎ、ブランチ。春雨麺。

洗濯。毛布などを外に干す。真夏の太陽がギラギラと
照りつける。

この2週間ほど、日本で仕事をし続けた。疲れ切っている。
午後12時過ぎ、昼寝。午後4時まで。

午後4時。日本から持ってきた物資などの整理。

多数のメールの受信・送信。

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      訃報

「子どもの家」のスタッフ 「PHAN MAN(ファン・マン」氏が
昨日、2011年6月3日(土)、食道がんで急逝しました。
心からお悔やみ申し上げます。

マン氏は、1997年から「子どもの家」のコンピュータの先生・
図書室の先生としてこどもたちの面倒を見ていました。
マンさんは、中学校の日本語教師でしたが、教師を辞し、
「子どもの家」のスタッフとして14年間、「子どもの家」で
こどもたちの面倒を見てくれていました。

葬儀は明日、6月6日(月)。

前列右から2番目が「マン氏」

前列右から3番目が「マン氏」

投稿者 koyama : 2011年06月05日 13:22

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