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2011年06月14日

「子どもの家」へ

午前5時半起床  真夏  午後3時頃、大雨、直ぐに止む。

午前7時朝食。フォー(米麺)
フォーは合理的な食べ物ではある。お米(澱粉)を食べ、
鶏肉が入り(たんぱく質)、生野菜をたくさん採る(ビタミン)

日本のお蕎麦やうどんよりも「栄養的」には、総合栄養食と
いえる。こうした食べ物を創造したベトナム人なのかアジアの
人(同じ様な食べ物がアジアにある)は、なかなか賢い。

朝の涼しいうちに読書。

読書「ブッダは、なぜ子を捨てたか」(山折哲雄著:集英社)読了。

私の読書力不足なのか? ブッダが何故我が子を捨てたかが
不明で、インドの乾燥した砂漠で育った「仏教」が、上座部仏教
として、スリランカやタイ、ラオスなどに残り、中国、韓国、ベトナム
日本などには、大乗仏教として伝わった歴史。
その歴史の中でブッダの主張した仏教の原点がどのように変化
してきたか? ダーウインの進化論ではないが、その土地土地の
条件にあった仏教へと変化していった。
大乗仏教の多くは、国家権力と結びつき、権力者とのつながりで
発展する道を進む。日本も然り。

ブッダがインドの乾燥した荒地を彷徨する中でつかんだ
「自己を捨てる」仏教が、ブッダが80歳で死んで1000年後に
日本に伝わり、『無常』と『浄土』イメージの仏教へと変化していく。
浄土は「あの世」。
ブッダは、死んだ後の遺骨などは「どうでもいい」と弟子たちに
言っている。ブッダは「人間の死後の世界には」関心がなかった
ようだ。ブッダは生きている間の人間の苦悩を対象に
しているのに対し、日本化した仏教は、死後の遺骨、墓など
『あの世』(浄土)という概念が色濃く出てきた。これは
今日までも続いている。

著者は日本山妙法寺の藤井日達上人との交流。
インドのカースト制度の中での仏教徒(ヒンズー教から
仏教に改宗した人々もカースト制の中では不可触民視)にも
言及している。
インド共産党の指導部は、北部出身のブラーミン(カースト制の
最上部に位置するバラモン)階層であることも指摘している。
インド南部出身の不可触民は、今は階級闘争ではなく
カースト闘争だと主張している。インドでは2億人が
不可触民といわれ、人口の5人に一人に当るそうだ。

(2500年前のブッダのことば)
「足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく
生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で
高ぶることなく、諸々の家で貪ることがない」

こうありたいものである。

「ひとり座し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、
わが身をととのえ、林の中でひとりたのしめ」

孤独を感じる言葉である。

2011年3月11日以降の日本人には、納得できる
ブッダの言葉である。

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午前9時半、宿舎をでて「電動バイク」で「子どもの家」へ。

途中、王宮前を通る。多くのベトナム人観光客が来ていた。
暑い中、ご苦労さん・・・・・

旗台(キーダイ)の国旗も無風のためしぼんでいる。


王宮前の火炎樹の花の並木は、既に終わりの時期に入り、
火炎樹の花も散り始めていた。

「子どもの家」では、原田先生とソンお父さんが、こどもたちや
スタッフに「希望」や「絵」を描いてもらっている。
「フェリシモ」のHPなどに掲載する写真などである。

「子どもの家」は既に夏休みに入り、親戚などに帰ってこどもたち
が半数ほどいる。7月20日まで順番に親戚などで「普通の家庭
生活体験」をする予定である。

高校(フエ省トップ校)受験を間近に控えたこどもたち

14年ほど前に「子どもの家」に入ったターオさん。
近々にフエ師範大学(私が2年間教えた大学)を受験する。

現在18歳。4歳の頃は、私が片手で抱っこしていた。
月日の経過とこどもたちの成長は早いものである。
大学合格を祈る。

「フェリシモ」本社に送るようデジカメで絵やメッセージを
撮影する。

5年前に買った電動バイク。まだ動く。ブレーキが
全く利かない。危ないのでソン君に直しに持って行って
もらう。70%程度直る。
電動バイクで宿舎へ帰る。

午前11時半、昼食。春雨麺(量が多く、食べきれない)


午後12時半から2時間ほど昼寝。

読書「無知の涙」(永山則夫著:河出書房新書)

日本へ帰り、講演会などで各地に行った際、必ず
駅前の大きな本屋をのぞいてみる。
本書があった。以前から読んで見たいと思っていた。
わたしとほぼ同年代。1949年生まれ。2つ年下。
1968年・69年の2年間で「連続殺人事件」を起こす。

東京、京都、北海道、名古屋でガードマンや
タクシー運転手ら4人が射殺されるという事件の犯人。
19歳で逮捕。1997年、死刑執行。48歳。
北海道で極貧の生活をし、東京に出てきて牛乳配達
などを行う。永山氏が牛乳配達をしていた同じ頃、
私も東京で牛乳配達をしていた。
貧困と無知が原因で犯罪を起こしたとして裁判を行うが、
他の兄弟は「真面目に」生活しているなどの理由で
最高裁で死刑判決。

学校できちんとして勉強をしていない永山氏は
獄中で字を学び、詩、短歌、小説を書く。
本書は永山氏が獄中で書いた詩や短歌、小説をまとめた
ものである。
途中まで読んだが、なかなか「文才のある」と「能力」のある
人間だ。
彼は詩の中で同年代で大学に行った人間を憎んでいる。
1970年頃書かれたものと推測する。


全学連嫌いだ
全学連ぼっちゃん育ちだ
全学連消えろ
全学連うせろ

全学連マンガ読みすぎだ
全学連何が思想だ
全学連意気地なし
全学連猿マワリ

全学連時代遅れだ
全学連空中に飛ぶ風船だ
全学連ノーリターン

全学連暴力バカ団
全学連0000なしだ(00は猥褻語)
全学連人民の敵
全学連粉砕

ーーー

リー君がフエ師範大学近くの地元警察の前で
自転車預かりの警備員をしている。

警察は日本の市役所の役割を果たしている。多くの市民が
警察に行き、各種証明者などをもtらう。
その人たちのオートバイ、自転車を「監視」する仕事である。
かつて日本料理店時代にお客さんの自転車やオートバイの
警備員をしていたことがある。その時には、数台の自転車が
なくなっている。リー警備員がいるのにである。

今回、警察前の自転車警備員の仕事は、自転車泥棒の
心理を十分把握しているリー君には、うってつけの仕事
かも知れない。右手にある「赤い腕章」が警備員の証明。
どこでもこの赤い腕章を巻いた警備員は、市民に対して
横暴で威張っている。江戸時代の岡引の更に下の
「下っ引き」である。リー君はこの種の仕事が大好きだ。
権力を使って威張れることが、彼には今までにない
快感のようだ。
日給30万ドン(1500円)と自称しているが、誰も
信用する人はいない。格好をつけている金額と直ぐに
分かってしまう。25日働けば750万ドン(3万円)の月給と
なる。新卒公務員の2倍から3倍の給料だ。
無理をしないで生きていけばよいのに・・・、などと思って
しまう。リー君の24年の人生のうち18年間は付き合って
来たのだから・・・・。
「自分の人生は自分で決める」ことが重要と思い、リー君の
自転車警備員業の成功を祈っている。が、何となく胸騒ぎ。
そのうち「・・・・・・」などが起きない事を心から願っている。

午後5時過ぎ、徒歩、日本料理店へ。



富岡先生は午後8時に日本語学校を終えて合流。

今日は5人の来客。

全ての仕事が終わったのが午後10時過ぎ。

長い1日だった。

投稿者 koyama : 2011年06月14日 09:36

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