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2011年04月23日

ベトナム事務所員会議:日本へ一時帰国

快晴  湿度高い

午前7時朝食。フォー。


朝食後、日本へ一時帰国のための荷物、持ち物整理。
忘れ物が多いので、日本帰国持ち帰り一覧表を1週間ほど
前から作成し、一つ一つ荷物に入れたか確認。

午前8時半徒歩ベトナム事務所へ。

午前9時、ベトナム事務所会議。

3週間ほどベトナム事務所・日本語学校などでボランティアを
してくれていた千葉県M市のIさんが帰国。
3週間、ありがとう。感謝。娘さんを送り出したご両親の決断を
称えたい。

その後、ベトナム事務所員会議

(ソン)バンベー39号の準備
    飛行機の切符の予約

(原田)特進クラスをIさんに受け持ってもらった。
    また、Iさんに日本料理店の手伝いもしてもらい
    助かった。
    バンベーの翻訳を日本風に更に直す
(富岡)フエ高等師範大学1年・2年の授業
     2年生は最後の授業
    JASS日本語学校の中級クラスはIさんに手伝ってもらった。


(フオン)特進クラス3 静大入試が終わり結果待ち状態
(土井)特進2は高校の試験中で日本語学校と両立が大変
    特進3がIさんが授業をする
    フエ高等師範大学2年生の授業

(ハン)バンベーの作成(奨学金関係)
    フエ高等師範大学学長の写真
    「子どもの家」のタム医師などの写真撮影

(アン)「フェリシモ」のサンプル(カゴ40個、4月28日発送)

(ミン)「フェリシモ」、マルタカとの付き合いが丁度1年となった。
     うまく関係が進んでいる。
     バンベー関連の原稿・写真などの作成

(小山)今日から6月4日まで日本へ帰国する。
     忙しい中皆さんにご迷惑をおかけし申し訳なく思っている。
     昨年が人手が足りなかったので日本帰国は2週間程度で
     フエに戻ってきていた。今回は1月から体調が悪く、
     疲れて仕事が出来ない、意欲がわかない、食べ物の
     嗜好が変った・・・・などの変調が見られ、日本へ帰国し、
     総合人間ドック、脳ドック、心臓病院へ行き、総合的な
     健康診断を行う。結果は3週間後に出る。万一、問題が
     あった場合は、直ぐに病院で手当てをする予定。

     6月7日から「世界歴史都市連盟理事国会議」が
     フエである。それまでにはどうしてもフエに戻らなければ
     ならない。
      人手が少ない中で日本への帰国という事態になり
     申し訳ないが事情をご理解頂きたい。


午前11時、宿舎へ戻り、帰国の荷物の整理、部屋の整理をする。
1ヶ月ちょっといないとその間に部屋の衣類、ベッドなど多くの
ものがかびてしまう。
シェーバー(電気かみそり)などもかびてしまうので、冷蔵庫に
入れておく。ドアや窓の造りがいい加減なので「ほこり」がたくさん
入る。机や物がおいてあるところには、必ず布のカバーをかけなけれ
ばならない。

1ヶ月ちょっとの日本滞在中の講演会で使うビデオ、資料などを
チェックする。

バンベー39号に使う写真は私の机のパソコンに入っている。
日本で必要となった時に使えるように数百枚の写真を
USBに取り込んで日本へ持ち帰る。バンベーの編集は
日本で行う。

ベトナム事務所員会議の後、フエ高等師範大学との
打ち合わせ会議。フエ高等師範大学日本語学科の
先生2人が来訪

午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン

朝食から食事をしながら読書。行儀悪し。

読書「新版 敗戦前後の日本人」(保阪正康著:朝日文庫)

今回の大震災・原発問題を通して日本国民は、政府の
行動をつぶさに見た。原発は当初から厳しい現実が政府に
突きつけられていたのだが、結局、政府は「正確な情報を
流さず、甘い甘い方向へ、そうであればよいのだが、と言った
方向への意識誘導を行い、結局、現在でも最悪の事態を
脱する事が出来ない出る。
著者は1945年6月の御前会議、その前の最高戦争指導会議
に出された「今後採るべき戦争指導の基本大綱」を詳細に
分析。「基本大綱」には、二つの付属資料がつけられていた。
「国力の現状」「世界情勢判断」。
二つともこの戦争は勝てないとの客観的な分析をしている。
この資料は陸海軍の官僚がまとめたものだが、客観的事実を
数字で表している。冷静に読めば、1945年6月時点で戦争に
勝ち目はないと誰の目にも明らかだった。
しかし、指導者は「希望的観測」と「精神論」で日本必勝と
妄信していたが、首相の鈴木貫太郎など冷静な「終戦」も
模索する勢力も存在し、最終的には敗戦で戦争は終わる。

こんかいの原発問題の政府・東電と敗戦前の御前会議、
最高戦争指導会議とは、似ている。
客観的現実の資料がありながら、希望的観測、ことばの
誤魔化し(敗北を転戦・・・、直ちには危険でない・・・・)
最悪の事態に進んでいった。

午後3時、バオミンさんから電話。
ベトナム航空から電話があり、フエ発の飛行機が50分遅れる
との連絡があったとのこと。

午後4時宿舎を出てフエ空港へ。

午後6時過ぎ、フエを発つ。午後7時半ホーチミン空港着。

ホーチミン空港国際線でチェックイン。

国際線3階のレストランでシンガポールチャーハンを食べる。

その足で成田行きの待合室で午後11時45分まで待つ。

15分ほど遅れて4月24日午前0時20分ホーチミン空港を
出発。

投稿者 koyama : 2011年04月23日 16:08

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